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公開国:アメリカ
時 間:108分
監 督:バリー・ソネンフェルド
出 演:ウィル・スミス、トミー・リー・ジョーンズ、ジョシュ・ブローリン、エマ・トンプソン、ジェマイン・クレメント、マイケル・スタールバーグ、マイク・コルター、マイケル・チャーナス、アリス・イヴ、デヴィッド・ラッシュ、キーオニー・ヤング、ビル・ヘイダー 他
コピー:ヤツらはタイムスリップで地球を守る
月面のルナマックス銀河系刑務所から、凶悪犯のボグロダイト星人・ボリスが脱獄した。ボリスは、自分の片腕を切り落とし投獄したエージェントKへの復讐を企て、タイムマシンを持つ電気店経営の男の元へ向かう。一方、エージェントJとKがエイリアンが経営する中華料理店へ捜査に入ると、突然ボリスの襲撃を受ける。ボリスは「お前は過去で死ぬ」という謎の言葉を残し、そのまま逃亡してしまう。ボリスとであってからのKが彼らしからぬ言動を重ねるので、不審に思ったJは、Kがボリスを逮捕した時のデータを調査するが、肝心な部分は機密扱いとなっていた。その翌日、JがMIB本部に出勤すると、だれひとりとしてKのことを覚えている者がいなくなっていた。さらに、エージェントOから「Kは40年前に亡くなった」と告げられるのだった。さらに、1969年にボグロダイト対策にKが備え付けた地球防御網アークネットも存在しておらず、地球はボグロダイトの侵攻から無防備になっていた。エージェントOとJは、ボリスが40年前戻り、Kを殺したことに気付く。Jは歴史を戻すため、電気店経営の男を訪ね、ボリスと同じ装置でKが殺される前日にタイムトラベルしようとするが…とうストーリー。
『メン・イン・ブラック2』は、エイリアン退治のぐちょぐちょと下品なノリの連発で、3も同じことを繰り返すなら、意味無いなと思っていた。しばらく間が空いてしまったけど、ノリは健在。でも、ちょっと趣が異なった。
チョコレートミルクのくだりとか、頭ボーリングとかくだらねえ。実にくだらないんだけど、こういうレベルの仕掛けこそ楽しいの。小ネタの軽妙さは、前作を凌ぐ。
タイムリープとか、続編としてはクソみたいなネタだと思っていたけど、最期まで観たら、なんと秀逸な続編か。タイムリープネタが、ここまで意味を持った作品は久々。
ひゃー、アンディ・ウィホールをエイジェントにするのはやめてー(笑)。もうプレスリー ネタと同レベル。とにかく似ていたのが笑えるし、ヨーコがウザい。1969年っていろいろ魅力的だなぁ。私、『オースティン・パワーズ』とかも好きだから。
過去のテクノロジーは、現代よりも劣っているという設定なんだけど、登場したジャイロバイクがむちゃくちゃかっこいいー!
そして、五次元人が出てきたことで、ますますタイムリープがちゃんとした設定に思えなくなる。この設定とキャラクターは秀逸だった。
アポロ発射場での、時間チョイ戻しのくだりもよくできている。3Dで観たらさぞやおもしろかっただろうな。
そして、なんといっても、オチの仕掛けがはすごくいい。ものすごくいい。ずっと、KがJのことを見守っていたと思うと胸熱。このシナリオいいわー、誰よ~っておもったらイータン・コーエン。パチもんじゃなくて、こういう名前の脚本家がいるんだね。『トロピック・サンダー/史上最低の作戦』とか書いてる人らしい。
まったく期待していなかったが、娯楽作品として単純に愉しめた。大満足。
#トミー・リー・ジョーンズも相当お歳なので、アクションをさせないのは正解だったな。若い頃のKを演じたジョシュ・ブローリンは、なかなか似ていたよ。説得力があった。
公開国:日本
時 間:120分
監 督:沖浦啓之
出 演:美山加恋、優香、西田敏行、坂口芳貞、谷育子、山寺宏一、チョー、小川剛生、藤井晧太、橋本佳月 他
コピー:気がつけば、私、ひとりじゃなかった。
父を事故で亡くしたももと母いく子は、東京からいく子が住んでいた瀬戸内の港町“汐島”に引っ越してくる。ももは、父と喧嘩をして仲直りをしないまま、父が急死してしまったことを悔やんでいた。そして、父の机から見つけた“ももへ”とだけ記された手紙のを見つけ、父がその先、何を書こうとしていたのか気掛かりでならなかった。いく子は、島で明るく元気に振舞い、ヘルパーの資格を取るために勉強に励んでいたが、ももは島の生活にも馴染めず、周りの人ともなかなか打ち解けられずにいた。そんなある日、ももの目の前に、イワ、カワ、マメという名の3匹の妖怪が現れ、ももの家に居付いてしまう。食欲旺盛でいたずらなかりしている妖怪たちに困り果てる桃だったが、徐々に仲良くなっていき…というストーリー。
ちょっと昔の江口寿史を思い出させるキャラだか、リアルでもないしかわいいともいえず、特に魅力が高いわけではない。でも、原画のデッサンは非常にしっかりしていて、稚拙な絵が気になって興醒めするということは無かった。ただ、妖怪(特にイワとカワ)は、すごく動きのあるキャラのくせに、不自然なところが散見された。胴体のひねりというかねじれをうまく表現してくれたら、違和感はなかったと思う。胴体が固体みたいなのね。
島の風景がとにかくすばらしい。おそらくしっかりとロケハンとやって、撮り貯めたいい角度の写真を厳選して使用しているのだろう。画の切り取り方が実にすばらしい。『八日目の蝉』と同じ風景がそこにあった。
夏休みに田舎に転校してくるところは『千と千尋の神隠し』だし、母親を救うために妖怪と奔走するのは『となりのトトロ』だし、どうしてもジブリ作品が頭をよぎってしまうけど、結論からいうと、ものすごくよくまとまっており、愉しめた作品だった。
若干、苦言を言わせてもらうと、ラストシーンへの入り方が雑だということ。郵便局員がちょっとアホなのは設定だとしても、バイクで今治に行って、どうするつもりだったのか。そして、今治に着いて、実際どうなったというのやら。結局、台風が収まるまで、医者は来ようがないんだから、橋を越えて助けに行く意味があったのか? 病人を運んだわけでもないし、電話が不通になっているわけでもないんだぜ? それに、妖怪たちの助け方が直球すぎてどうもね。島の妖怪たちは、見守り妖怪たちと同じ種族ではないのだから、すんなり協力してくれたことは釈然としない。この肝心のラストのくだりに整合性があれば、文句なしだったと思う。
だれか、これ変じゃないすか? 『となりのトトロ』的な盛り上がりを狙いすぎて、スベってないすか? っていうスタッフはいなかったのかな。
また、男の同級生の妹も妖怪が見えるという設定が生きていない。ラストのドタバタでうまいこと使えばよかったのに。
あと、たいした話ではないが、空(屋根裏部屋)で母親が盗品を見つけるくだりは、主人公の心が病んでいて、かまってほしいがために窃盗に走ってしまったのだ…、だから3人の妖怪は主人公の妄想…という捉えかたができてしまう。そういう解釈の余地を残すべきではなかったと思う。地味に引く。
ラストで、イワが書いた文字は見えているのに、マメが書いた文字は消えていて、父の文字が書いてある。どゆこと?もしかしてマメが父の化身だった?とかいう余地を残してしまうのだが、さすがにそれは違うよな。こういう、ミスリードでもなんでもない不要な解釈ができてしまう描写多い。こういう部分こそブラッシュアップする必要があるのだが。
あと、島でヘルパーの仕事が成立するのかどうかはわからんし、いくらなんでもお母さん39歳にしては若すぎ。
色々文句をいったが、決してこの作品がおもしろくないといっているのではない。ものすごく愉しめた良い作品だったので、もっと最期のツメをしっかりしてほしかった。そういう思いが募っただけである。
#美山加恋の声優仕事は悪くなかった。案外、この手の仕事で続けていけるかもしれん。
公開国:アメリカ
時 間:120分
監 督:ブルース・ロビンソン
出 演:ジョニー・デップ、アーロン・エッカート、マイケル・リスポリ、アンバー・ハード、リチャード・ジェンキンス、ジョヴァンニ・リビシ、アマウリー・ノラスコ、マーシャル・ベル、ビル・スミトロヴィッチ 他
コピー:最低な毎日は“最高”だ。
1960年のプエルトリコ。NYから来たポール・ケンプは、地元の新聞社の求人に応募しやってきた。嘘だらけの履歴書だったか、なんとか採用される。しかし、上司は神経質すぎるし、同僚の新聞記者たちはまともに仕事をしておらず、新聞事態も発行部数は右肩さがり。ポール自身もそれほど意欲的ではなかったため、同僚と一緒に酒漬けの毎日に。そんなある日、不正な不動産取引で金儲けを企むサンダーソンという男が、ポールに接近してくる。彼は、島のリゾートホテル売買の宣伝広告を担当してほしいという。ポールの意思とは無関係に、どんどんその悪巧みに巻き込まれていくが、当のポールは、サンダーソンの婚約者のシュノーに心奪われてしまい…というストーリー。
話はゴチャゴチャする一方で、どんどん巻き込まれていき、カオス状態になっていくんだけど、彼女のくだり、島のリゾート化計画のくだり、新聞社の倒産のくだり、各々の傍線が特に盛り上がるわけではない。魅力的なロマンスが展開されるわけでなし、守銭奴どもに一杯食わせるわけでもし、なんとか新聞を刊行してジャーナリストして一矢報いるわけでもし。
一番盛り上がったのは、ダイナーでプエルトリコ人に追われて、カーチェイスになるくだり。これがピークだということで、この映画のレベルを推して知るべし…って感じ。っていうか、傍線だけで、主筋がないよね。
エンドロールで、本作が実話であることを知る。ハンター・S・トンプソンの自叙伝らしいのだかわかるわけがない、劇中の主人公はポール・ケンプという名だし。あの有名なジャーナリストであるハンター・S・トンプソンに、こんなことがあったんだぁ…という興味が沸く人には面白いだろうが、根本的にハンター・S・トンプソンを知らなければ、ただのなんだかわからない話だと思う。自分がプエルトリコで体験した、不思議な出来事を、つらつらと並べただけ。
廃人一歩手前の同僚も、ストーリー上、大事な役回りをするのかと思いきや、別にたいしたことをしないのは、実際にそういう人がいたんだもん…って、それだけのことなんだよね。
ただ、もしかすると、事件がおこりそうで一切おこらないという、この人を喰った寸止めシナリオは、わざとなのかもしれない。高度な仕掛けというか、プレーというか。一体、どういう映画なのか、最後までつかめずにわるのだから。ジョニー・デップ自身が製作に名を連ねていることだ、色々計算ずくで、この内容なのかも。でも、個人的には、お薦めし難い。
公開国:アメリカ
時 間:107分
監 督:クリストファー・ケイン
出 演:エミリオ・エステヴェス、キーファー・サザーランド、ルー・ダイアモンド・フィリップス、チャーリー・シーン、ケイシー・シマーシュコ、ジャック・パランス、テレンス・スタンプ、パトリック・ウェイン、コディ・パランス、ダーモット・マローニー、テリー・オクィン、ジェフリー・ブレイク、アリス・カーター、ブライアン・キース、トーマス・L・キャラウェイ、トム・クルーズ 他
1878年、ニューメキシコ州リンカーン郡。英国移民であるタンストールという男は牧場を経営し、身寄りの無い若者たちを、牧童兼自警団“ヤングガン”として雇ってた。自警団が必要な理由は、町で勢力を伸ばしているマーフィ一味が、タンストールの事業を潰そうと躍起になっているからだ。ある日、タンストールとヤングガンの一人であるドクが町を訪れたとき、数十人の男たちから追われる若者を助け、牧場に匿う。その若者の名はウィリアム・H・ボニー。タンストールはウィリアムを牧場で働かせることにし、ドク、スティーヴ、チャーリー、ブリュワー、チャヴェスたちと共にヤングガンと指導してく。始めは、古参のヤングガンたちと軋轢を生じていたが、徐々に立派なヤングガンへと成長してゆく。そんなある日、マーフィ一味の急襲でタンストールが惨殺されてしまう。タンストールの友人の弁護士マクスウィンが手を尽くし、ヤングガンたちを保安官代行として、復讐に大義名分を与える。しかし、ヤングガンたちは犯人逮捕の途中に、ビリーの勝手な判断でその一人を射殺してしまい、逆に賞金首として追われる立場になってしまい…というストーリー。
20歳そこそこの血気盛んな若者7人が、臨時保安官として敵討ちをするというワクワクのストーリー…のはずだったのだが、これから、ワクワクの悪人退治でスッキリさせてもらえるのかと思ったのに、逮捕しないで撃ち殺してしまって、逆に罪人扱いという展開。さらに、メインキャストと思しきチャーリー・シーンが早々にご退場。さすがにこのあたりから、アレ?と思い始める。
私は、本作がビリー・ザ・キッドの実話ベースのお話だということを知らずに観ていたのだ。実話なら死ぬべき人は死なないわけにはいかないし、おこるべき事件はおこさねばならない。たとえそれがストーリー的に、面白くない展開だとしても。
一番本作にノリきれないのは、エミリオ・エステヴェス演じるビリー・ザ・キッドことウィリアム。この主人公が極めてクソ人間で、まったく感情移入ができない。仲間の輪は乱すし、危険な方に導くし、仲間は罵倒するし、無闇にリーダーぶるし、いうほど銃の腕前がすばらしいわけでもないし、いいところなんか一つもない。
言い伝えられている彼の性格がそういうものなんだろうから仕方が無いが、そうならば彼を主役に据えないで、ストーリーの幹にしておいて、彼に翻弄されるほかのヤングガンのメンバーを主役えとして扱えばよかった。
しかし、ドクもチャベスも、キャクターは目立っているが、脇役の域を出ていない。ドクが愛する中国娘のくだりとか、チャベスのネイティブアメリカン設定が事実かどうか不明だが、こういうアクセントがなかったら、大勢力に少人数で立ち向かっただけのお話になっちゃったろう。
最期は、誰が見ても罠であることがありありの展開だし、玉砕でもないし、一発逆転の大勝利でもない中途半端なオチ。エピローグで生き残った者の顛末が語られるのだが、続編『ヤングガン2』があるとか。でも、案外、完全にアウトローとして振る舞い、追い詰められていく部分に焦点が当てられているのであれば、判りやすくおもしろいのかもしれない。いずれにせよ、本作は中途半端。何を観せたいのか、ぼんやりしている。
本作が愉しめるのは、ビリー・ザ・キッドの伝説を子供の頃になんらかの形で読むか聞くかした人だけ。
公開国:アメリカ
時 間:119分
監 督:ジョン・フランケンハイマー
出 演:ジーン・ハックマン、フェルナンド・レイ、ベルナール・フレッソン、ジャン=ピエール・カスタルディ、キャスリーン・ネスビット、フィリップ・レオタール、シャルル・ミロ、エド・ローター、アンドレ・ペンヴルン 他
ノミネート:【1975年/第29回英国アカデミー賞】主演男優賞(ジーン・ハックマン)
コピー:前作パート1を巨大な予告篇として(ドラマ)は遂にクライマックスへ突入! 刑事ポパイ、マルセイユへ!
ニューヨークで取り逃がしてしまった麻薬王シャルニエを追って、ドイル刑事はマルセイユに行く。“フレンチ・コネクション”と呼ばれる麻薬ルートを解明するために、マルセイユ警察のバルテルミー警部と協力して捜査にあたるはずだったが、バルテルミーのドイルの扱いは冷たく、捜査協力とはほど遠い状態。さらに、痺れを切らしたドイルが、指示を無視して行動すると、すべてが裏目に出てしまい、ますますマルセイユ警察からの信頼は薄れていくのだった。そんな中、シャルニエが街中でドイルを発見してしまい、自分の側まで捜査が及んできていることを察知してしまう。そこで、ドイルを拉致監禁し、麻薬中毒にして情報を聞き出そうとするのだが…というストーリー。
前作の完全な続編(というか解決編)。前作は、本当にこれアカデミー作品賞なの?って思ったくらいピンとこなかったのだが、やっぱり次作もいまいちだった。私には合わないんだと思う。
地元警察とうまくいかないってくだりからスタートするなら、その後だんだん絆が生まれるバディ物にするってのが、私のセンスなのだが、すごく中途半端。
まず、薬を打たれて回復するまでのくだりが、そんなに長い必要があるだろうか。観終わってから振り返ると、実はこのくだりが一番の見所だったりする。でも、それを通して、これまでこじれ気味だった現地のバルテルミー刑事との関係がよくなるというわけでもなく、話の転換ポイントとして有効に機能していない。
薬で朦朧となっているときに、ドイルの腕時計を奪っていくババァ。普通は、あの時計で足が付くとか、そういう展開になるのが普通だと思うのだが、ただ盗んだだけ。もし、時間を判らなくする必要があるんなら、薬を打つときにチンピラにはずさせればいいだけ。
ドイルの特徴が“しつこい”というのはわかるが、いくら、監禁場所を発見したからといって、放火するのは、ダメだろう。
で、バルテルミー刑事との関係が深まる(?)のは、その放火の後、水の中から救出されたとき。とは言っても、そこで命を救ってやったろ! と恩を着せて便宜をはかってもらうだけで、関係が深まったとは言えない。
そんな中途半端なら、徹頭徹尾、誰一人協力者のいないアウェー状態で、周囲の理不尽さを押しのけて頑張る姿を見せたほうがよっぽど良かったと思う。
事件解決に手の込んだトリックを見抜くとか、そういうこともなく、直球で張り込みするだけという芸のなさ。どうせ、最期はドイルがスタンドプレーでがんばって終わるんだろうな…と思ったらその通り。前作は、すばらしいカーチェイスの場面があったので、ストーリーがいまいち気に喰わなくても、愉しめる部分があったのだが、今回は、ひたすら走るだけ。ジーン・ハックマンがトタドタ走るのを観て、がんばってるなーとか共感できる人がいるのかもしれないが、スピード感のないラストに正直飽きた。
ただ、それでも、前作よりはシンプルに仕上がっているので、まあなんとか最後まで観られた。凡作。
公開国:日本
時 間:122分
監 督:市川崑
出 演:森雅之、新珠三千代、三橋達也、安井昌二、田村秋子、鶴丸睦彦、北林谷栄、下元勉、久松晃、下絛正巳、山田禅二、伊丹慶治、奈良岡朋子、鴨田喜由、河上信夫、山本かほる 他
大学生の日置は野淵という男と知り合い、しばしば野淵の家に通うほどの仲になった。野淵は定職に就いておらず、貯金を食いつぶす生活を続けていたが、学識があったため日置は勉強をしに通っていた。よって、日置は野淵のことを先生と呼んでいた。野淵には妻いるが子供いなかった。かといって不幸そうでもなかったが、幸せにも見えない不思議な夫婦だった。日置は野淵にいつも漂う影のような物と、極端な人間嫌いが、どこから生じているのかを知りたいと思い、何か隠している秘密があるのではないかと問いただすと、今は言えないが時期が来たら話すと約束するのだった。翌年日置は大学を卒業し、野淵に就職口の紹介を依頼して、重篤な父を看取るために実家の信州に帰る。その時、明治天皇崩御の報と、殉死した乃木希典夫妻の報を聞き、自分も殉死すべきなのではないかと考え始める。しかし、自殺する前に、日置に秘密を打ち明けるという約束を果たさねばならないと感じた野淵は、日置に電報を打つ…というストーリー。
基本のストーリーは原作と同じだが、原作の中巻と下巻をうまいこと並行して編集して、実に映画らしい構成にしている。なかなかうまい脚本だと思う。ちなみに、原作での“K”は梶となっている。だが、うまくまとめた脚色だとは思うが、おもしろいとは言いがたい。
野淵は親の遺産を食い潰す生活をしているだけで、一切労働はしていない。なにが学術的な研究に没頭しているわけではない。日置は、野淵の家に勉強をしにいっているようなのだが、家庭教師のようにダイレクトに勉強を教えてもらっているワケではなく、なにやら人生訓的なものを聞いて、なるほどな~と感心しているだけのような感じ。何を持って“先生”と呼称しているのかよくわからないし、野淵の方も一度も教師をしたことがわるわけでもないのに、先生などと呼ばれて気恥ずかしくないのか、非常に疑問である。
ただ、仕事もしていないし勉強をしているわけでもなく、親の金で生きているということは、親が生きているか死んでいるかの差だけで、野淵はニートなのである。結婚はしているし自宅ももっているけど、定義的にはニートだね。
で、その野淵の中にある罪悪感の発端は何なのか…というのが、謎解きのように紐解かれるわけだ。この“真実”が、どれだけ興味深いか…がすべてだと思う。原作は、それこそ、明治の非産階級の生活を垣間見るような感覚と、堕ちていく様子を眺めることに面白みがあったのかもしれないが、映画では、そうそうダラダラとはしていられない。なので“真実”にスポットを当てる構成は正しい。しかし、残念ながら、その過去の出来事が、あまりインパクトがあるわけでもないので、盛り上がりに欠けるのだ。まあ、そんなとこだろうな…って感じ。
ただ、この過去の告白の内容の部分にインパクトがあったなら…と考えると、後の金田一耕助シリーズ演出の萌芽を見たような気がする。まあ、それだけといえばそれだけ。『こゝろ』という作品が、好きなら原作でいいわけだし。
公開国:アメリカ
時 間:121分
監 督:ロブ・コーエン
出 演:ジョシュ・ルーカス、ジェシカ・ビール、ジェイミー・フォックス、サム・シェパード、ジョー・モートン、リチャード・ロクスバーグ、イアン・ブリス 他
コピー:終わらせない、未来を。
極秘任務ヲ遂行セヨ。
近未来。アメリカ海軍はテロ対策プロジェクトのメンバとして、ベン大尉、カーラ大尉、ヘンリー大尉の3人を選抜。彼らは最新鋭ステルス戦闘機タロンのテストパイロットとして、成果を挙げていく。ある時、プロジェクトの責任者カミングス大佐から、航空母艦エイブラハム・リンカーンでの洋上訓練と、新たなな仲間が加わることが告げられる。これまでの訓練で強いの絆が生まれていた3人は、メンバーの増員に困惑するのだった。しかし、新たに加わる仲間とは人工知能を持った無人ステルス機“E.D.I(エディ)”だった。しばらくして、3人とE.D.Iに対しテロリストの基地を爆破する任務が与えられる。いくつかのトラブルはあったものの、何とか任務遂行し母艦へ戻る途中、E.D.Iは落雷を受けてしまい…というストーリー。
戦闘機のバトルは非常に迫力があって愉しかった。が、それだけといえばそれだけ。
ジェイミー・フォックス、こんな早くご退場かよ~~って、感じなんだけど、この作品が面白くないのはそのせいじゃない。むしろ、それについては、意外性があってよかったと思う。
何故この作品がノリ切れないのか。それはエディに萌えないから。人工知能だけど、なかなか可愛いヤツ…っていう受け止め方ができれば、ラストのエディの献身を見て盛り上がったに違いない。それこそ、ペットのような感覚になり、そんなエディちゃんが人間のためにいじましく行動してくれたら、感情移入できただろう。ところが、落雷を受けた後の暴走っぷりが際立ちすぎて、観客の気持ちは完全にエディを悪役と見てしまう。狂った理由が落雷という不可抗力だから…と軽く考えたのだろうが、落雷は単なるきっかけにして、悪の心は落雷の影響で成長したエディに無理にプログラムを上書きしようとした副作用…とか、そういう設定にいたほうがよかった。
だから途中で改心(?)しても、観客の頭の中にできあがったスキームは変わらない。ベン大尉が機体の火を消してあげたから、なついたとでも? どこに、友情ができるきっかけがあったのか? ポイントがわからない。このメリハリの無さがどうもいけない。
エディ以外もかなりヒドい。ロシア領空に侵入しておきながら、相手を撃墜して当たり前みたいな顔しているアメリカ軍人さんたち。北朝鮮に墜落して、北朝鮮軍に追われるカーラ大尉。近未来だからその時の北朝鮮の情勢とかアメリカとの関係がどうなっている設定なのかわからないけど、まあ、1対多とはいえ撃つは撃つわ。韓国との国境でも、容赦なく爆撃だ。
もう、アメリカの好き放題。いや、これは逆にアメリカの横暴を批判しているに違いない。そう思えるほど。
エディは、『ドラえもん のび太の海底鬼岩城』のバギーちゃんに比べたら、100分の1も泣けない。
もう一つの話の筋になっている、、ベンとカーラの恋愛ネタは、カーラが北朝鮮に落ちた後、救出にいく理由のためだけに存在する。もっと別の仕掛けを考えたほうがよかっただろう。
カミングス大佐の最期も、一応最大の悪役の顛末なのに、まったくカタルシスがない。なんといっても、主人公たちと直接絡まないからね。
巨額の制作費をかけたと思われるが、なんとか“可”レベル。
公開国:アメリカ
時 間:105分
監 督:マイク・ミルズ
出 演:ユアン・マクレガー、クリストファー・プラマー、メラニー・ロラン、ゴラン・ヴィシュニック、メアリー・ペイジ・ケラー、キーガン・ブース、カイ・レノックス、チャイナ・シェイバーズ、ジョディ・ロング 他
受 賞:【2011年/第84回アカデミー賞】助演男優賞(クリストファー・プラマー)
【2011年/第37回LA批評家協会賞】助演男優賞(クリストファー・プラマー)
【2011年/第69回ゴールデン・グローブ】助演男優賞(クリストファー・プラマー) 【2011年/第65回英国アカデミー賞】助演男優賞(クリストファー・プラマー)
【2011年/第27回インディペンデント・スピリット賞】助演男優賞(クリストファー・プラマー) 【2011年/第17回放送映画批評家協会賞】助演男優賞 クリストファー・プラマー
コピー:「私はゲイだ」父が75年目に明かした真実が、僕の人生を大きく変えた。
デザイナーのオリヴァーは、奥手な性格のため38歳になった今も独身。母が亡くなってから5年経ったある日、父ハルから突然自分がゲイであると告白される。厳格だった父の突然の行動に戸惑ったが、若い恋人アンディやゲイの仲間たちと楽しく過ごすハルを見て、それを好意的に眺めるようになる。だが、すぐにハルは末期ガンであると診断されてしまう。ハルは闘病しながらも人生を謳歌することを続け、オリヴァーも父の介護をしながら、これまで語り合うことなどなかった父との距離を縮めていくのだった。やがて父は亡くなり数カ月後経ったある日、とあるパーティーでオリヴァーはフランス人女優アナと出会う。なにか同じ匂いを感じ、二人は恋に落ちるのだったが…というストーリー。
子供の時、父の看護中、現在。そのの3つ流れが、チャンポンに編集されているのだが、父の看護中と現在は、ほとんと同じ時期の出来事なので、はじめの方はちょっと混乱する。
父親にゲイ告白され、とまどう息子…という構図だけなら、それまでさほど親子らしい関係を築いてこなかった息子としては、勝手にやってよ…となるところなのだが、ガン宣告されてしまうので、優しいオリヴァーとしては放っておけなくなる。途中までは、そんな親子関係の修復の話かと思ったが、実は違うんだな。
目前で繰り広げられるゲイ同士の愛をみて、これは正しい愛の姿なのか?オリヴァーは嫌悪を示さず冷静に彼らを見つめる。飄々としているものだから、オリヴァーの恋人アンディは、逆に冷静を装って距離を置いていると思うくらい。しかし、正しい愛の姿かどうか以前に、オリヴァーはゲイじゃない愛を知っているのか…
それは父親不在だった子供の頃の母と二人の生活の様子から垣間見れる。母との関係が悪かったわけではないが、オリヴァーは母親から無償の愛を注がれたことなどないのだ。
さらに、オリヴァーは自分がなんでこれまで付き合った女性と長続きしないのかを考え始める。決して喧嘩別れしたわけではない。結局は密接な関係になることを忌避してしまうのだ。そこで出会ったのがアナ。同じく親とうまく関係を築くことができずに、異性との距離感がわからない女性。で、結局はこの二人もうまくいかない。やっぱりうまくいかないとわかっていた…的なことを犬が言うのだが、それはアナの内なる声だったということが判る。
確かに愛されたことがないから、どうやって愛したらいいかわからない。でも、自分がなぜなぜ人を愛することができないのか、その理由はわかった。三つ子の魂百までっていうけれど、愛されなかった子供は絶対に他人を愛することはできないのか。確かに“愛の連鎖”は途切れているけど、自分が“初め”になってもいいんじゃないのか。怖いけれど、愛してみよう。だから、タイトルは“BEGINNERS”。そういうこと。
ピンときた人だけが腑に落ちる、そんな作品。ふ~、なるほどね…、って感じで観終えた。悪くなかったよ。
公開国:イギリス、アメリカ
時 間:101分
監 督:マーク・パランスキー
出 演:クリスティナ・リッチ、ジェームズ・マカヴォイ、キャサリン・オハラ、ピーター・ディンクレイジ、リチャード・E・グラント、サイモン・ウッズ、ロニ・アンコーナ、レニー・ヘンリー、リース・ウィザースプーン、ニック・フロスト 他
コピー:好きになりたい。
豚の鼻を持って生まれてきた私は夢見ていた──恋することを。
名家ウィルハーン家には言い伝えられてきた呪いがあった。それは、5代前のラルフが使用人クララを妊娠させたものの、彼女を捨てて名家の娘と結婚したことに端を発する。失意のクララが崖から身を投げ自殺すると、彼女の母親が屋敷を訪れ、次に生まれる娘は豚の耳と鼻になると呪いをかけたのだ。その呪いを解く方法は、名家の者が娘に永遠の愛を誓うこと。しかし、その後ウィルハーン家に生まれたのは男児ばかりで、初めて生まれた娘がペネロピだった。彼女の鼻と耳は呪いのとおり豚のそれで、ショックを受けた母ジェシカは、大衆の目から守るため、彼女を死んだことにして屋敷に幽閉してしまう。そして、ペネロピが18歳になると、真実の愛が呪いを解くと信じているジェシカは、多額の持参金を餌にして次々と見合いをさせるのだった。しかし、見合いの相手は、ペネロピの顔を見た途端に驚いて逃げ出す始末で…というストーリー。
お話の発端は『ダーク・シャドウ』とまったく同じで、領主様の慰み者になった使用人の娘側が一族に呪いをかけるというお話。実際に欧米ではよくあった出来事なんだろうさ。
それほど評価されていないようだが、なかなかウマくできた、現代の御伽ばなしだと思う。
目先の金に釣られて、彼女の顔を撮影することを依頼されたイケメン男ジョージと、ちょっとした行き違いが重なって、心を通わせることになる豚鼻の娘。顔を見ないままの会話が、なかなか微笑ましい。屋敷に閉じ込められているとはいえ、娘を飽きさせないため、お姫様のような服装や部屋の様子。極めて女の子向けな内容でスタートし、行き違いありーの、ドタバタありーのという展開。
そのまま終わってしまったなら、男性はおもしろくないのだが、中盤からは、一人立ちのストーリーになっていく。悪役であるエドワードらの策略だけでなく、母親との軋轢によって、彼女は家出。顔を隠したまま街にまぎれていく。こういうプロットポイントのメリハリが効いていて、興味は失せない。
その後、カミングアウトして、さらにエドワードの悪意に翻弄されていくわけだが、まあ、その辺は中だるみ。こりゃこのままつまらなくなるのかな…と思っていたら、なんとちょっと意外な呪いの解け方だった。この呪いのとき方は秀逸だったと思う。おもしろかったよ。
#でも、父親は十分に娘のことを愛していたようにみえるんだけどなぁ…。
ただ、普通の鼻になったら、さほどかわいくないという…(笑)。観てる側が豚の鼻に慣れちゃったのかもしんないけど。『バッファロー'66』の時はトランジスタグラマーな魅力満載だったのに、『耳に残るは君の歌声』のときは、役柄のせいなのか、むちむちだって言われるのがイヤだったのか、細くなって気持ち悪さ満載になってしまった。そこから6年経って、すこしは昔のムチムチ感が戻ってきたんだけどやっぱり、中途半端だね。
そして、母親を最終的な悪役にしちゃうというオチがいかがなものか…と。さらに、声が奪われる新たな呪いとか、冷静に考えるとものすごく救いがない。反面、エドワードが地獄に落ちるような流れにならないという。ある意味シュール。
また、家を出てからどれだけ時間がたったのかよくわからんが、学校にもいってない人が、そんなに簡単に教師になれるものなのか。そして、恋愛的にはハッピーエンドっぽく終わるけど、ギャンブルに溺れるやつは、どんな理由があれど、絶対に繰り返すからな(笑)。ペネロペは絶対に苦労することになるよ。
まあ、トータル的には、悪くない出来映え。ラブロマンスとファンタジーと童話特有のエグさがうまくミックスされた作品。軽くお薦め。
#最後のちっちゃい船はやりすぎ。興醒め。
公開国:日本、フランス
時 間:162分
監 督:黒澤明
出 演:仲代達矢、寺尾聰、根津甚八、隆大介、原田美枝子、宮崎美子、植木等、井川比佐志、ピーター、油井昌由樹、伊藤敏八、児玉謙次、加藤和夫、松井範雄、鈴木平八郎、南條礼子、古知佐和子、東郷晴子、神田時枝、音羽久米子、加藤武、田崎潤、野村武司 他
受 賞:【1985年/第58回アカデミー賞】衣装デザイン賞(ワダエミ)
【1985年/第20回全米批評家協会賞】作品賞、撮影賞(斎藤孝雄)
【1985年/第51回NY批評家協会賞】外国映画賞
【1985年/第11回LA批評家協会賞】外国映画賞、音楽賞(武満徹)
【1986年/第40回英国アカデミー賞】外国語映画賞
【1985年/第28回ブルーリボン賞】作品賞
戦国の世を駆け抜けて一国の主となった一文字秀虎も齢70。衰えを感じ、家督を息子に譲る決心をする。秀虎には3人の息子がおり、長男太郎に家督と一の城を、次郎にはは二の城を、三郎は三の城を与え、“三本の矢”の例え話のとおりに協力して国を守るように命じ、自分は三つの城の客人となり余生を過ごすと宣言する。その場にいた隣国の領主藤巻と綾部も突然の展開に驚きを隠さない。しかし、三郎は兄たちの野心を見抜けない父の甘さを諌める。激怒した秀虎は、三郎とそれを庇う平山丹後を追放するのだった。追放されて野原で事後を相談していた二人に、藤巻が近づき、三郎の気性が気に入ったので婿として迎えたいと申し出るのだった。一方、秀虎の指示通りに一の城へ移った太郎だったが、その正室楓の方は、親兄弟を舅・秀虎に殺された恨みを抱いており、秀虎に大殿の名目と格式が残っていることに不満を隠さない。太郎をけしかけて秀虎に権限を完全に移譲ように詰め寄らせ、親子を離反させる。怒った秀虎は次郎のいる二の城に向かったが、次郎の重臣たちは太郎との軋轢を恐れ、秀虎単身であれば受け入れると無理な条件を突きつけ、追い返してしまう。秀虎は失意のうちに三の城へ向かうのだったが…というストーリー。
TVを見ていたら、バラエティ番組にピーターが出ていて、何気に思い出して鑑賞。8年サイクルくらいで、何だかんだ観ていると思う。
私が劇場で観た唯一の黒澤作品。その時は、私の映画脳がポンコツだったのか、純粋にガキだったので頭が弱かったのか、画に圧倒されたのか、長すぎて半分寝ていたのか判らないけど、内容が全然頭に残らなかった。その後、ビデオやDVDで観るたびに、ああそういうことか…ということが、毎回増えていく。
過去の作品にも豪奢でこだわり満載のセットは登場したが、様式美の比重は高い。そのせいなのかはわからないが、演者の“情”がイマイチ薄く感じられる。これが、ストーリーの頭に入ってこなさ加減の遠因ではなかいかと。
ストーリー上、もっと強調したり判りやすくすればよいのにな…と思う点はある。
楓の方は親兄弟を秀虎に殺されていて、一の城は元々彼女が住んでいた城。その家族の敵の嫡男の妻になるという苦痛を負わされているわけだ。以前、観たときには、その因縁による復讐の鬼という解釈だったのだが、今回観るといくらか違って見えた。よく考えたら、滅ぼした敵の娘が嫡男の正室になっているというのも変なので、嫁いだ後に色々あって対峙せざるを得なかったという流れなのかな。でも、その辺りの経緯は説明されていないが、そのほうが自然。
問題なのは、太郎の死後に次郎の正室の座を狙う理由は、貧乏暮らしをするくらいなら敵の妻になっているほうがましという価値観からくるものなのか、絶命の際に語ったように、一文字の壊滅が究極の望みであったのか、どちらが本懐というか本性なのか。この比重をどちらが重いと解釈するかで、結構、見方が変わってくる。
長男の黒は腹黒さ、次男の赤は血なまぐささ、三男の青は青空のような忌憚の無さを表現しているのかもしれないが、そこもわかりづらい。正直言って、当時の寺尾聰と根津甚八と隆大介の演技は、さほど良いわけではない。むしろ、井川比佐志や油井昌由樹など、側近連中の役者の味が物凄く良いくらい。その“三本の矢”を折ったのが、原田美枝子が鬼気迫る演技を見せた楓の方…という構造的なバランスなのかもしれないが。
また、藤巻と綾部の使い方が、ピンとこない。藤巻は三郎が秀虎を迎えに行く際に、丘の上から日和見を決め込むのだが、私なら、藤巻は曲者で、親兄弟の離反を活用して国を乗っ取ろうと考えていた…としたい。しかし、最後に次郎を急襲するのは綾部。はたして藤巻は綾部にうまうまと領地を広げられて良しとするのであろうか。彼がただのお人好しであることに、ストーリー上意味があるのか。
また、殺されていたのが、鶴丸なのか、お付きの婆やなのかわかりにくい。てっきり鶴丸も殺されたのかと思ったら、ラストに出てくるから「あれ?」ってなちゃった(何回も観ているのにね)。そして、鶴丸が落とす掛け軸の仏の絵。もちろんそんな意図はないのだが、仏の手がOKマークに見えてなんかシュール。
まあ、何だかんだいってこれだけのセットを燃やしたのは圧巻。今、こういうスケールの作品を作ったとしても、ああCGだな…って思っちゃうし、純粋にすげーなーと思えるのは、この時代が最後なんだと思う。そしてやっぱり長い。良くも悪くも、最後の黒澤作品。そんな気がする。
公開国:アメリカ
時 間:92分
監 督:クリスティン・ジェフズ
出 演:エイミー・アダムス、エミリー・ブラント、ジェイソン・スペヴァック、メアリー・リン・ライスカブ、クリフトン・コリンズ・Jr、エリック・クリスチャン・オルセン、ケヴィン・チャップマン、スティーヴ・ザーン、アラン・アーキン、ジュディス・ジョーンズ、エイミー・レッドフォード 他
コピー:がけぷち姉妹、事件現場のクリーニング始めました。
一緒にいれば悲しみも洗い流せる
30代半ばのシングルマザーのローズ。ハウスクリーニングの仕事で8歳の息子オスカーを育てている。かつてはチアリーダーで学校のアイドルだった彼女は、自分はこんなはずじゃないという思いもあり、妹に息子を預けて不動産業の資格取得講座に出かけることもあるが、その一方で今は既婚者の学生時代の恋人とズルズルと不倫を続けている。妹のノラは、仕事が長続きせず、ほとんどニート状態。父親もまともに働こうとせず、一攫千金を狙って怪しい商売にばかり手を出して失敗を繰り返しているくせに、偉そうにローズに説教したり、任せておけと大風呂敷を広げたりする。そんな中、オスカーが学校で問題行動を繰り返し、転校を勧められてしまう。しかし、私立に通わせるお金などないローズは、不倫相手の刑事に事件現場を清掃する仕事を廻してもらい、嫌がるノラを引き込んで現場に向かうのだったが…というストーリー。
誰一人、まともな人は登場しない。見渡す限りマトモな人間がいない。ダメ人間の一発逆転ストーリーという感じではなく、追い詰められて開き直ったという感じ。
『ヤング≒アダルト』も、元々学校のアイドルだったのに、今は幸せじゃない女性が主人公だった。そして不倫に抵抗のないキャラクターであり、本当の愛というものを知らずに生きている。表面は悪くないが、実に痛々しいという共通点がある。だけど『ヤング≒アダルト』のほうは、37歳のバツイチのゴーストライターで、町の人々から蔑まれるのを極端に嫌って虚勢は張っているけど、生きる術はもっていた。自立はしている。
本作のエイミー・アダムス演じるローズは、母子家庭で能力なくマトモな仕事もない状態。なんで彼女が不動産の資格を取ろうとしているのか、背景がよくわからない。リーマンショックの前だから、不動産は簡単に稼げるという打算的な考えなんだろう。
追い詰められたにせよ、割りのよい仕事に飛びつくのは、父親似。父親は、非正規のルートで入手したエビを捌いて儲けようとしたり、山師的な遺伝子なんだろう。
妹は、ショックな出来事があった時期が悪くて、二人とは違って、無気力な人になっている。父親や姉よりも、心の中が整理できていなくて、だからこそ、清掃中に見つかった遺品を見て情が沸いてしまう。そっちは、ローズとはまったく別に話は進んでいく。
この映画は、事件現場のクリーニング作業のハウツー映画ではないので、『おくりびと』のようにテクニックや業界の仕組みを興味深く説明したりはしない。そういうものを期待して本作を観ると、がっかりするだろうから、断っておく。
シングルマザー、負け組、麻薬、不倫、親子関係の断絶、自殺と、不幸要素のあまりのテンコ盛り具合で辟易しちゃうくらいなんだけど、この軽い出来映えにまとまっているのは、すごいと思う。アメリカ社会において、ここ線まで脱落するのは、そう難しいことではない…というか、ツボが押さえられていないと簡単にこうなっちゃうんだろう。
これ、共感できない人には、まったく共感できない作品なんだとは思うけど、この作品を観て、わけわからんとか、何も感じないという人とは、多分、私は友達になれないんだろうな。他人からみたら、なんでうまくいかないか「ちょっと考えりゃ判るだろ…」って思うんだけど、本人はわからんものなのよ。
結局は母親・妻の死という傷が癒えていない家族のお話であることがわかる。ラストはローズも父も一歩を踏み出し、息子オスカーも普通の子になっていく気配(といっていいのかわからんが)を見せて、小さな希望を観客の心に沸かせて終わってくれる。まあ、普通に考えれば、想定でできたはずのオチなのに浮かばなかった。それほど、彼らの傷は、簡単に救えなさそうな感じだったからかな。姉妹がうまくいかない理由の発端の半分くらいは、父親にあるように見えるからね。彼が思い切った行動をしてくれたことが、ラストに光明を与えてくれた。
扱っている事柄は決して爽やかじゃないけれど、小気味良い作品。軽くお薦め。
公開国:日本
時 間:95分
監 督:宮崎吾朗
出 演:長澤まさみ、岡田准一、竹下景子、石田ゆり子、風吹ジュン、内藤剛志、風間俊介、大森南朋、香川照之 他
受 賞:【2010年/第35回日本アカデミー賞】アニメーション作品賞
コピー:上を向いて歩こう
翌年に東京オリンピックを控えた1963年の横浜。海の近くの丘に建つ“コクリコ荘”で、大学助教授の母と妹と暮らしている16歳の松崎海。母親はコクリコ荘の切り盛りもしているが、現在は渡米中で、海が代行している。海は、あわただしい朝食の準備の中でも、なくなった父から教わった信号旗を掲げることは欠かさない。今、海が通う高校では、文化部部室棟の通称“カルチェラタン”の取り壊しを巡って学生たちによる反対運動が起こっていた。そんな運動などに興味のない海だったが、反対メンバーの一人である新聞部の部長・風間俊と出会い心を寄せ始め、次第に騒動に巻き込まれていく…というストーリー。
鳴り物入りで『ゲド戦記』の監督をやって、一発退場になるくらいのヘタをやらかしてしまった宮崎吾朗監督。なんといっても、ジブリのラインナップを身内が汚してしまうという、あるまじき所業。もう監督をすることはないだろうと思っていたけど、まわりのおじいさんたちはチャンスの手を差し伸べたか。
そういう釈然としない思いはあったが、結果的には大変おもしろく仕上がっていた。『耳をすませば』とかそういうジブリの恋愛系は興味なかったのだが、愉しめた。
好意を寄せる男女が実は兄弟なのでは?という流れと、寮存続で一丸となる流れで、観客が考えすぎないようにうまく意識を散らし、疾走感も作り出したのは評価したい。
“カルチェラタン”のくだりは原作にないオリジナルストーリーらしい。これがなかったら、兄弟疑惑の話だけになっちゃったわけで、そう考えると、このプロットを考えた人を高く評価せざるを得ない。これが宮崎駿によるものなのか丹羽圭子によるものなのか、それとも宮崎吾朗なのかは、不明。
ただ、TSUTAYAの無料雑誌みたいなヤツに乗っていたインタビュー記事に、宮崎吾朗監督が、父親の書いたシナリオが気に喰わなかったから遠慮なく手を加えてやったわ…みたいなことが書いてあって、何、こいつ調子こいてるんだ…と。そういうことは、ヒットする前に言えや、ヘタレが(笑)。小物臭満開の発言をしていて笑えた。やはり、ボンボンはボンボンなのかな。偶然うまくいった感が満載である。
多くの人が思っただろうが、このストーリーは韓国ドラマである。あり得ない展開だ、ワンパターンだといわれる韓国ドラマを観ている主婦たちが、それを観ている理由は、昔の少女マンガのノリを懐古的に愉しんでいるだけなのだが、まさに原作の少女漫画がその時代のものということ。で、本作の原作は実際に少女漫画なわけで、元々日本にあったものを日本でやりゃ、そりゃあ面白いでしょ…という戦略だったのか?これが意図的ならたいしたものなのだが、やっぱり偶然な気もする。
海の父親は朝鮮戦争で死んだという設定で、まるで日本が朝鮮戦争に参加したみたいに誤解されたかも。不自然に説明するのを避けたんだろうけど、これは、うまく説明する努力はしたほうがいいケース。LSTというキーワードが出てくるけれど、LSTが戦車揚陸艦であることは判らないし、それが第二次世界大戦後にアメリカ軍が日本に貸与していた物だということも判らない。そして、アメリカ軍の後方支援として輸送や機雷除去を行っていたことも、一般の人は良く判らないから、ポカーン状態である。
掃海で死んだのか輸送死んだのかすらよくわからない。掃海隊として死んだのなら任務上のチョンボだし、輸送で死んだのならかなりかわいそうだし、解釈によって印象が変わってしまう。
今だったら集団自衛権がどうしたこした、憲法違反ダーと、問題になること必至の出来事が、戦後のどさくさでおこなわれていた経緯や背景がわからないと、海の父の死のむなしさとか、出自が判らない状況の不安など、薄くなっちゃうと思う。
説明しないという点でいうと、“コクリコ”が何なのかも説明しない。いや、調べりゃフランス語のひなげしの意味ってことはわかるんだけど、下宿屋の名前につけるのはわかるが、タイトルにあるように坂の名前になってるのがわからん。劇中で、あの坂がコクリコ坂と呼ばれてる場面はないし。それに、主人公の海はなんでメルなのかもよくわからんし。舞台が横浜なのも、東京の理事長のところにいくまで、よくわからなかったし(私は、その帰り道に桜木町駅がでてきて、はじめて理解した)。
まあ、説明的なセリフで、客にメタな視点を沸かせて、冷めさせたくないのはわかるんだけど、その置いてきぼり感が心地よいといえるほどには達していないところが、残念。
1963年の関東で生きていたわけではないから、あの描写が正しいかどうかはわからない。ただ、一生懸命、考証したんだろうけど、違和感が満載なのはなぜか。東京オリンピックの1年前にしては、ちょっと古臭くはないだろうか。オリンピックの1年前の神田があんな狭くてごちゃごちゃか?
そして相変わらず、“ちょっとカメラ、寄りすぎ”っていう絵が多い。これは、『ゲド戦記』でも同じだったが、直っていない。いや、妙な不安感が生まれるのは事実なので、それを狙っているのかも…なんて好意的に観ようとしたけど、やっぱり違う気がする。
もう一度言うが、そういう違和感が“カルチェラタン”のくだりで払拭されている。これをを考え出した人が、本作のMVP。脚色賞を与えたい。観て損はない快作。
公開国:イギリス
時 間:90分
監 督:ハリー・フック
出 演:バルサザール・ゲティ、クリス・フュール、ダニュエル・ピポリー、バジェット・デイル、ゲイリー・ルール、アンドリュー・タフト、エドワード・タフト、マイケル・グリーン 他
コピー:生き残れるか、子供たち。
陸軍学校の生徒たちを乗せた飛行機が南太平洋上で墜落し、大怪我した機長と24人の少年たちが無人島に漂着する。唯一の大人である機長は意識不明の昏睡状態だったため、年長のラルフがリーダーとなり、生き残るためのルールが決められていった。とりあえず火をおこすことに成功し、狼煙を上げ続けて救助を待つことに。不便ながらも男の子だけの島の生活は楽しいものだったが、徐々にルールを守らなくなる少年が現れ、ラルフはいらだちを覚えてきた。そんな中、海上にヘリコプターの機影を発見。救助してもらえると期待は高まったが、ヘリは彼らを発見できず去っていった。なんと、狼煙の火が消えていたのだ。火の番をしていなかった者を叱責するラルフだったが、元々ラーフと仲の悪かったジャックが猛反発し、狩猟隊を結成して離脱してしまう。ジャックたちが、自由に遊び、豚を狩って食べるのを見て、ラルフの元にいた子供も、ジャックの元へ移りはじめ…というストーリー。
日本未公開の作品だが、その理由は二つだろう。一つは、無人島での両陣営の攻防に山谷があまりなく、淡白な印象であること。サラッと終わったように感じ、物足りなく思った人が多いだろう。もう一つは、エグい所業が少年によって為されること。
別に子供であることでエグさを際立たせようとかそういうことではなく、人間の奥底にある“素の人間”とはどんなものなのかを浮き彫りにするために、子供を用いているのである。そして、むき出しの人間性による“レッセフェール”の末に何が待ち受けているか。これは、行動心理学であり経済学のモデルであり、ロールプレイなのだ。
欲求のままに振る舞う人間と、自制こそ集団維持の道と考える人間の対決は、どうなるか。『ミスト』ばりの後味の悪さだが、子供の所業故に『ミスト』よりも不快感を覚えた人は多かろう。でも私はOK。立派にロールプレイとして成立していると思う。この後、子供達はどうなるんだろう…と気になる人もいるだろうが、作品の主旨を考えるとそんなことはどうでもいいポイントなのである。
ただ、シナリオとしては、ちょっと芸がない所がが目立つ。昏睡状態だった機長が、子供達の行動のエスカレートにあまり影響を与えておらず、存在の意味が薄い。そしてタイトルの意味。“蠅の王”とは、怪物を恐れたジャックが供え物にした蝿が群がる豚の生首のことで、それが暴食の象徴である悪魔ベルゼバブにも懸かっているのだが、それがタイトルにするほど重要な意味を持っているか?という点。その辺がガチっと噛み合えば、傑作になり得たかもしれない。まあまあの作品ってところ。
公開国:日本、イギリス
時 間:123分
監 督:大島渚
出 演:デヴィッド・ボウイ、坂本龍一、ビートたけし、トム・コンティ、ジャック・トンプソン、内田裕也、ジョニー大倉、室田日出男、戸浦六宏、金田龍之介、三上寛、内藤剛志、本間優二、石倉民雄、飯島大介、アリステア・ブラウニング、ジェイムズ・マルコム、クリス・ブラウン 他
受 賞:【1983年/第37回英国アカデミー賞】作曲賞(坂本龍一)
コピー:男たち、美しく…。
1942年、日本統治下にあるジャワ島の山岳地帯にある日本軍俘虜収容所。捕虜の英国陸軍中佐ロレンスは、日本の滞在経験があり、通訳を命じられていた。ある日の明け方、ロレンスは、軍曹のハラに起こされる。連れて行かれた閲兵場には、オランダ兵デ・ヨンと朝鮮人軍属カネモトが横たわっていた。カネモトはデ・ヨンの独房に忍び込み彼をレイプしたとのこと。あまりの不名誉な出来事に、ハラは上官への報告なしに独断で処分を行うことを決め、その証人としてロレンスに立ち会うように命じる。そこに、収容所長ヨノイ大尉が現れ、ハラを制止。自分がバビヤダで行われる軍律会議から戻ったあとに正式に処分すると告げ、出立する。ヨノイは、輸送隊を襲撃した後に捕虜となった陸軍少佐ジャック・セリアズの裁判に出席。反抗的な態度を崩さないセリアズに、ヨノイは興味を抱き…というストーリー。
『日本の夜と霧』の流れで本作を鑑賞。
どうして日本はこんなことをしてしまったんだろう…という思いで、この作品は作られた…という解説を見たことがあるが、はっきりってそんなのは的外れだと私は思う。だって、この作品で描かれている日本軍が、それほどクレイジーには見えないから。
捕虜の扱いが非人道的だったっというが、他の戦争映画を観たってこれと同じかこれ以下である。ヨノイの乱心は演出上の問題だから別として、この部隊の捕虜の扱いはむしろ良いように見える。そして、ジョニー大蔵演じる朝鮮出身のホモ軍人。おそらく“カネモト”という名前は、日本が押し付けた名前だといいたいのかもしれないが、ちょっと調べれば判ることだが、“創氏改名”っていうのは、「氏」を作ってもいいよ、「名前」を変えてもいいよっていう許可だからね。日本風の名前にしたければどうぞってこと。そしてその朝鮮人は日本っぽい名前をつけたんでしょ。
もしかして朝鮮人は軍の中でもヒドイ扱いを受けていたと主張したいのかもしれないが、差別されるどころか同じ軍隊で同じように階級を与えられているじゃないか。これを平等といわずしてなんというのか。
そういう、日本叩きをしたくてしたく仕方が無いのに、結果として全然それができていないところが、この映画の“ぼやけ”に通じている。結局は、『日本の夜と霧』の劇中で繰り広げられた自己批判と総括を同じレベル。これが戦争の真の姿だと? 私にはよくわからない。
劇中、ローレンスが語る、日本全体は憎むけど、日本人個人個人は憎めないというセリフや、戦後のエピローグでのローレンスとハラの会話は「どっちも犠牲者」という内容に終始する。
まるで、集団としての日本の悪行の当然の帰結であって、個人は悪くないんだ…といわんばかりだが、まさかABCD包囲網を知らんわけでもないだろうし、東京大空襲も原爆投下も立派に国際法違反だぜ。大体にして舞台となった東南アジアは、イギリスとオランダの植民地で、そっちはそっちでその利権を守ろうという戦いだったじゃないか。そこから目を背けた演出なんて、絵空事にしかうつらないわな。
そういう浅い知見を削ぎ落としたら何が浮き彫りになってくるのかといえば、ゲイ表現である。いや、むしろそればかりが見えてくる。男と女の間に友情はあり得ないってのと同じノリで、男と男の間の愛情はこうやって涵養されるものだよ…って言っているように見える。だけど、なんだかわからん。
その後、左翼のポンコツ理屈なんかが簡単に通らなくなった世の中で大島渚が生み出したのは『御法度』。結局、内ゲバ的なエログロとゲイ表現しか残らなかったのではないか。これが大島渚の限界だった。
この作品が作品たりえているのは、ビートたけしと坂本龍一というキャスティングの勝利。そして彼の音楽、それがなければ駄作だったろう。
シナリオ的にも、セリアズの“弟への後悔”というのが、イマイチ生かせてないしなぁ。
これは、坂本龍一の音楽のPVで、それにデヴィッド・ボウイとビートたけしと坂本龍一本人が出ているんだよ!と思ってみるとものすごく良質に感じられるよ。これと『ラスト・エンペラー』と『王立宇宙軍』のサントラは買って持っているんだ(あたりまえっちゃああたりまえだが、王立宇宙軍の音楽にすごく近い)。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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