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image1949.png公開年:2011年
公開国:日本
時 間:129分
監 督:沖田修一
出 演:役所広司、小栗旬、高良健吾、臼田あさ美、古舘寛治、黒田大輔、森下能幸、高橋努、嶋田久作、平田満、伊武雅刀、山崎努 他
受 賞:【2011年/第24回東京国際映画祭】審査員特別賞
コピー:雨でも… きっと晴れるさ。
無骨なキコリと気弱な映画監督のちょっといい出会い――


人里離れた山間の村。林業に従事する岸克彦は、三年間に妻を亡くし、息子の浩一と二人暮らし。しかし、浩一はすぐに仕事を辞めてしまい、家でふらふらしており、まじめな克彦はイライラを募らせる。そんなある朝、仕事に向かうを行く克彦は、立ち往生している車を発見。そこに乗っていた二人は、ゾンビ映画の撮影にやってきた監督・田辺と鳥居だった。放っておけない克彦は、彼らのロケハンの付き合い、挙句の果てにゾンビ役のエキストラで出演することになっていしまう。映画主演を仕事仲間からからかわれるも、まんざらではない克彦だった。一方、監督の田辺は、その気弱な性格からスタッフをまとめられず、撮影が一向に進まないことを苦にして、一人で東京に逃げ帰ろうと、夜半にこっそりと駅に向かう…というストーリー。

絶対に接点がうまれそうもない、林業のおっさんと映画監督。妻を失い定職に就かない息子と二人暮らし。昔にやった仕事上の事故で肺を潰してからタバコは禁止。その後は甘いものでストレス解消してたんだろう。そうしたら糖尿病予備軍になっちゃって甘いものも禁止。いったい自分は何を楽しみに生きていけばいいのか。うんざりしていたんだろうね。そんなときに、非日常である映画撮影の現場と遭遇。
はじめはそんな自分の日常を乱すやつらとしか思っていなかったけど、撮影現場を目の当たりにしたら、もう興味はとまらない。
はじめはただの小間使いの若造だと思ってたら、なんと映画監督。自分の息子と同じ歳くらいなのに映画監督だって。すげー。でも、なんか悩んでる。自分の息子は手を差し伸べても聞きやしねえ。でも、この若造や撮影現場のやつらは自分を頼りにしてくれる。もうとまらない。死んだ妻の法事を忘れるくらいはまる。
はじめに、ゾンビ映画のシナリオを読んだとき、克彦さんはちょっと泣いちゃう。でも、さすがにその話が面白かったってことではないと思う。異質な物と遭遇したインパクトとか、それこそコペルニクス的転回みたいな衝撃だったんだろうね。いやぁ、この役所広司演じる克彦さんが、じつに可愛いんだ。

『南極料理人』の監督さん。ゆるーい感じはこの監督さんの持ち味なんだろう。でも、ダメな部分も同じだった。それは構成の配分。
この若い監督さんはなんでイヤになっているのか。おそらく助監督やカメラマンにやいのやいの言われ、演者からもまったく尊重されていないからなんだとは思う。助監督は若造に監督をやられるのは気に喰わないだろう。カメラマンは煮え切らない監督の態度が気に喰わないんだろう。でも、もうちょっとその変をはっきり描けがよかったのではなかろうか。もっと個々の人物のバックボーンを使わなくても設定上は掘り下げておくべき(助監督の家族構成やこれまでの経歴、好きな映画、好きな食べ物…までね)。そうすれば、小さな所作や持ち物や仕草で、いろんなことが表現できたと思う。
#食べ物を含む小道具には拘っているんだけねえ…。拘る場所がちょっとズレてる気がするのよ。
そのへんをぼんやりと描いたために、克彦さんが映画にどっぷりはまっていくまでが長くなってしまった。はっきりと加担していくのが70分くらいだからねぇ。それまで映画の方向性がふらふらしている。
そこが遅れたせいで、巻き込まれた村人がどんどん愉しんでいく様子が、描き足りてない。はじめはいいかげんだった臼田あさ美演じる若手女優も、村人に引っ張られて、くだらないことをいうのをやめて打ち込んでいう姿も、もっと描けたはず。いよいよ村人とスタッフが渾然一体となって盛り上がったところで、“法事を忘れてた…”が生きるのだが、コントラストが甘くなってしまった。息子とのくだりもそうだな。
もっと『タンポポ』のような、どんどん周囲の人を巻き込んでいくような、目の前の霧が晴れるような演出にできたのではないだろうか。

『南極料理人』が堺雅人の演技に救われたように、本作も役所広司が救った。悪いけど小栗旬の役は別に彼じゃなくてもよかった。ARATAでもいいし濱田岳でもいいし瑛太でもいいわ。とにかく役所広司がこの映画は俺がしっかりしないとポンコツ映画になっちゃう…とばかりに入魂で愛すべき人を演じきったから成り立った。
キャスティングの甘さの局地は臼田あさ美。B級女優の役かもしれんけど、本当にB級の演技では困るんだ。ここは、ゴシップ的な意味じゃなくて器用貧乏の山田優とか、性的なイメージを忌避したいなら勝海子(梅酒のお姉さんね)とか、もっとマッチした人はいるがな。

それに、こういう映画で、エンドロールで、劇中撮影していた映画を流さないということがありえるかね(笑)。あえてやらなかったんだろうけど、そんな格好つけられるレベルには達して無いよ。

まあ、色々文句を言ったけど、お上品にまとまった愉快な作品。観て損はないことは保証する。
#『かもめ食堂』の荻上直子なんかと同じ部類の“草食系”監督ってところかな。

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image1130.png公開年:1979年
公開国:オーストラリア
時 間:93分
監 督:ジョージ・ミラー
出 演:メル・ギブソン、ジョアンヌ・サミュエル、スティーヴ・ビズレー、ヒュー・キース・バーン、ティム・バーンズ 他
受 賞:【1980年/第8回アボリアッツ・ファンタスティック映画祭】審査員特別賞
コピー:今!バイオレンス・ヒーロー誕生
もう許せない 今!恐怖の暴力に復讐の戦いが始まる


近未来の世界。警官のマックスは、同僚のグースから無線連絡を受け、逃走中の“ナイトライダー”と呼ばれる警官殺しを追跡していた。恐れ知らずのマックスは、ナイトライダーを追尾するが、その執拗さに恐怖心を抱いたナイトライダーはブレーキ操作を誤り、そのまま工事現場に突っ込み死亡してしまう。悪人を退治したことは良かったのだが、自分のやっていることは、バッヂのあるか無いかだけで悪人と変わらないのではないか…と思い始める。そして思い悩む彼を見る妻ジェシーも、彼の危険な仕事に不安を抱く。一方、ナイトライダーの死を知ったグループ“アウトライダー”のメンバーは、復讐のために町の者を脅かし始める。そしてエスカレートした彼らは、マックスの同僚であるグースを焼き殺すのだった。その死に様にショックを受けたマックスは、上司に辞表を出すのだったが…というストーリー。

アメリカじゃないのはすぐわかる。右ハンドルだし、所々ハエが映り込む。いかにも、オーストラリア。

それぞれの陣営の立場を明確にして、その対立を煽る事件や、敵役に直感的に憤慨するような出来事を流し込んでやれば、自然とキャラが動き始める。そういう基本はできているシナリオ。低予算の映画らしく、転倒シーンなんかは普通に転倒させてそれを撮影しているだけ。これ結構ヤバいんじゃね?っていうシーンもある。ローテクが産むリアル感がハンパない。

ヤられ方も身の蓋も無い。奥さんは森で襲われちゃうんだろ?と思いきや、なんとか逃げ切る。逃げ切ったと思ったら、納屋でまちぶせ。そこで襲われちゃうんだろ?と思いきや、ばあちゃんが救出。さすが女と赤ん坊は殺さねーんだな…と、思ってたら、道路で轢死とか。女子供も容赦ない展開っていうのは、ありそうで案外ない。

“ヒャッハーッ”状態の悪役どもに対して、違法改造した車や武器を駆る復讐鬼となった主人公。バッヂがなければ奴らと大差ないと悩んでいた主人公が、そのリミッターをはずすと…。メル・ギブソンは、デビュー作からぶちギレキャラなんだね。お似合いだ。

ただ、どんどん追い詰めていくんだけど、それほどブチ切れた感じでもなく、淡々と始末していく。いや、始末というか悪者のほうが自滅してクラッシュしていくので、やっつけた感とか、追い詰めるハラハラが案外少ない。なのであまりスカっとしない。もうちょっと派手な演出をしてもよかったかも。

大体にして、舞台が広範囲なのに、どこにいっても“アウトライダー”がいて、彼らとしかモメないってのは、シナリオとしていかがなものか…(笑)。

まあ、この荒削りが味なわけだし、その辺を卒なくしちゃうとここまで記憶に残る作品にはならなかっただろう。この荒削りゆえに、続編が作りたくなったんだろうし(でも続編は似ても似つかないテイストになったけどね)。昨今の作品にはない雰囲気の作品で、たまに観ると物凄く新鮮だった。

 

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image0720.png公開年:1987年
公開国:アメリカ
時 間:93分
監 督:ジョン・ヒューズ
出 演:スティーブ・マーティン、ジョン・キャンディ、ライラ・ロビンス、マイケル・マッキーン、ケビン・ベーコン、マイケル・マッキーン、ディラン・ベイカー、ダイアナ・ダグラス 他




広告会社の重役ニールは、感謝祭を家族と一緒に過ごす約束をしている。仕事が終わり大急ぎでニューヨークから自宅のあるシカゴへ向かう。しかし大渋滞でタクシーを止めるに一苦労。やっと捕まえたのに、ちょっとした隙にタクシーを横取りされてしまう。それでも何とか空港に辿り付くが、飛行機は大雪のために大遅延。しばらくして搭乗することができたが、せっかくファーストクラスを予約していたのに、ダブルブッキングでエコノミーに乗ることに。ところが隣の席には、さきほどタクシーを横取りした男が。彼はデルというカーテンリングを売るサラリーマンだったが、足は臭いは巨体で寄りかかってくるは散々のフライトに。おまけにシカゴ行きだった飛行機は大雪のためにウイチタに途中着陸してしまう。仕方なく一泊しようとするが、どこに電話しても満室で途方に暮れるニール。そこにデルがやってきて、知り合いのモーテルに案内してくれるという。しかしモーテルに到着すると、満室でダブルべッドの部屋は一つしか空いていないいう。しかたなく同泊するのだが…というストーリー。

年齢がバレるけど、この作品、私が住んでいた地域では、『月の輝く夜に』と同時上映だった記憶が。でも、MGMとパラマウントだから、私の勘違いかな。とにかく目当てで観にいった作品よりも、楽しめた作品で、ずっと記憶に残っている。

典型的なロードムービー。もうデルは悪魔の使者並みで、とにかく冒頭はイライラさせられる。我々の身の廻りにもこういうイライラするやついるけどね。さらに、ちょっとしたやさしさに流されると、その後には必ず数倍の悪魔のビッグウェーブがやってくる。どうしても帰りたいのに、焦れば焦るほど目的地が遠くなっていく感じ。たまにこういう夢見ることあるわぁ。

このデルを演じるジョン・キャンディは、3年後に製作された『ホーム・アローン』で、家に戻ろうとするお母さんを途中で乗っけるポルカバンドの一員だったよね。それ観たときはニヤリとしたよ。絶対、本作をわかった上でキャスティングしてるよ。

PTAなんてタイトルがついているから、まあ列車の次は車なんだろうな…と予想がついたり、けっこうベタベタなんだけど、これでもかこれでもかと打たれ続けてもんだから、疲弊しすぎて笑えてくるし、デルを責めてもどうしようもないところまで到達しちゃう。そして、このイライラと、最後のウォーミング具合のギャップがスゴイ。
(ネタバレ)
妻とは離婚したのかなぁ…くらいに思っていたけど死んでいて、それどころか、妻がいないなら家も必要がないってことで、ホームレス状態なわけ。そりゃ足も臭くなる。そんな生活でそこまで太るか?と思うが、まあ、三食外食だったらアメリカならあり得るか。
ほっとした最後の電車の中で、いままでの苦労がフラッシュバックしてくる。辛かったしイライラしたけど、今となっては笑い話か…、あれ、そういえばデルのやつ変なこといってたな…と。そして居ても立ってもいられず駅に戻る。そして、散々足掻いてでも戻りたかった家に“友達”を招く。
この旅を通して、無駄なくスマートに生きることを是としていた二ールは寛容さを身に付け、そしてますます家族への愛を深める。一方のデールは、ニールにしてしまったことを省みて、判っていながらも“前向き”という美名で誤魔化してきた自分の性格の欠点を見つめなおす。そして、ニールの家族を見るデルの目には、妻を失った喪失感から一歩踏み出す勇気が生まれる気配を感じる。

劇中では、あいさつしたらすぐ帰るなんていってたけど、泊まっていったんだろう。そして、なんだかんだいって、今後も付き合いは続くんだろうな…と想像させて終了する。
久々に観なおしたけど、やっぱり古典的ではあるけれど愉しめる一作。お薦めしたい。

#やっぱり冒頭のあれはケヴィン・ベーコンだったか…。

 

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image1923.png公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:93分
監 督:ダンカン・ジョーンズ
出 演:ジェイク・ギレンホール、ミシェル・モナハン、ヴェラ・ファーミガ、ジェフリー・ライト、マイケル・アーデン、キャス・アンヴァー、ラッセル・ピーターズ、スーザン・ベイン 他
コピー:警告:このラスト、映画通ほどダマされる。



列車の中で目を覚ましたコルター・スティーヴンスは、正面に座っていた女性に親しげに話しかけれるが、まったく見覚えが無い。なんで電車に乗っているのかも判らない。自分は陸軍大尉でアフガニスタンでヘリ操縦の任務についてはずだ。トイレに駆け込んで、持っていた身分証明書を見ると、“ショーン・フェントレス 教師”という記載が、そして、鏡に映っていた姿が自分ではないことに動揺する。そして、しばらくすると、列車は大爆発を起こし、炎に巻き込まれ死んだとおもった矢先、再び目を覚ます。そこは狭くて薄暗い密室。モニターに移る軍服姿の女性から、列車の爆発事故について質問されるが、自分のおかれた状況がわからず、説明を求めるコルター。彼が体験したのは、その日の朝7時48分に発生した実際の列車爆破事件の犠牲者の記憶の世界で、死亡前の8分前までの記憶に潜り込めるという“ソースコード”とよばれる軍の特殊プログラムだったのだ。彼は、8分間の中で、列車内を捜索して犯人を特定するというミッションを与えられていたのだ…というストーリー。

一歩立ち止まって冷静になれば、科学的なリアル度は極めて低いし、矛盾だらけ。死んだ人の記憶をサーチすることができても、その人が見ていなかったものまで再現できるわけがないし、記憶の中を自由に振舞って、実際におこってもいないこと(例えば相手のリアクション)が生まれるわけがない。
じゃあ、そんなポンコツ設定で興醒めしちゃうのか?いや、それがまったくしない。なぜか、それを考えさせないスピード感のある展開だから。そして、この部屋は何なのか?この男は何で記憶をなくしているのか?戦場で何があったのか?何でこんなことをやらせれているのか?この男は本当はどういう状態なのか?と謎の波状攻撃で、隙を与えないから。

そして、いくら何回も繰り返せるからといって、たった8分でどうやって犯人を捜すんだよ!っていうハラハラとサスペンスチックの融合。そして、戻ってくるタイミングで死ななきゃならない(もちろん苦痛を伴って)。だけど、自分の生命はもちろん、他人の生命も救おうっていう主人公の健気と刹那が入り混じったような気持ちにちょっとグっとくる。そして、もう十分だと彼を解放するグッドウィンの気持ちと勇気にも、同じくグっとくる。
SF、サスペンス、ミステリー、アクション、そして恋愛であり生命のドラマでもあり、これがうまく渾然一体となった作品。いいシナリオだ。高く評価したい。

タイムマシンではないから、最後の記憶世界の中で、乗客すべてが笑顔で終わったって、かれらが成仏できるわけでは決して無い。それは判っているけれど、せめても…という思いで、微かに救われる。そして、なぜか、時間は停止せずに、そのまま記憶の世界は動き続ける。まあ、観念の世界だし、そうあって欲しいという願いの現われとしてアリだなと思った。むしろ、天国でもない、輪廻転生でもない、新たな死後の世界観を提示したといってもよい終わり方だと…。

いい映画だったな…、とう思った瞬間やりやがった。タイムマシンではない…という、この映画の根底を壊すラスト。この映画の唯一の不満は、ラストである。詳細は言わないが、これはダメだ
コピーで「映画通ほどダマされる」とかいってるけど、持ち上げてどうするつもりなのか。はっきりいって映画を壊しているラストだと思う。蛇足だよ。
これに焦点を当てている、日本の配給会社ってアホなんだなぁ。“映画通”だって、プププ(笑)。通がどうだとかそういう次元じゃないよね。馬鹿みたい。ディズニーだけど、このコピーつくったヤツ誰よ。センスね~。ものすごくいい映画なのに、台無しコピーだね。オレが本国ディズニーの担当者なら、クレームつけるレベル。是非とも、このラストを覗いた再編集版を作成してほしい。そう思ったくらいだ。
よく考えたら“ミッション:8ミニッツ”って日本のタイトルも安っぽさ満載で、かえって観にいきたくなくなるじゃん。本当に、このコピーとタイトル考えたやつクビにすればいいと思うのね。

まあ、このラストを差し引いても良作だと思うので、是非観て。本当にラストがなければ、傑作の範疇に入れたかもしれない。

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image1940.png公開年:2011年
公開国:日本
時 間:93分
監 督:阪本順治
出 演:原田芳雄、大楠道代、岸部一徳、松たか子、佐藤浩市、冨浦智嗣、瑛太、石橋蓮司、小野武彦、小倉一郎、でんでん、加藤虎ノ介、三國連太郎 他
受 賞:【2011年/第35回日本アカデミー賞】主演男優賞(原田芳雄)




長野県の大鹿村。小さなく寂れているが、300年以上の歴史を持つ村歌舞伎が自慢の山村。善さんは、その歌舞伎の主演役者。彼は、18年前に妻・孝子と親友・治に駆け落ちされてしまったため、それ以来“ディアイーター”という鹿肉料理の食堂を一人で営んでた。そんな寂しい一人暮らしを、歌舞伎への情熱が支えているのだった。しかし、村人たちはリニア新幹線の誘致話で紛糾してしまい、本番の5日前だというのに稽古が全然進まず、善さんはイライラしていた。そんな中、不審な男女が村を訪れる。それは何と貴子と治。貴子は認知症を患ってしまい治を善さんと呼ぶ始末。何と、面倒を見切れなくなった治が善に返すと言うのだ。善さんは激昂し治を殴りつけるのだが、結局二人を家に泊めてしまい…というストーリー。

原田芳雄の遺作なのだが、遺作だから日本アカデミー賞主演男優賞…ってわけじゃない。観始めて10分で納得できる。もう毛穴の中から演じきってる原田芳雄を観て、惹き込まれてしまった。
果たして自分が死ぬことを認識していたのかどうかはわからないけれど、冒頭の原田芳雄と、ラスト近くの布団で妻の手を握って寝ている原田芳雄の顔は明らかに異なる。急激に病状が進行したんだな…と思う(まあ、撮影の順番がどうだったのかはわからないんだけどさ)。

原田芳雄はもちろん、大楠道代、岸部一徳、石橋蓮司、三國連太郎と錚々たるたるメンバーがフルスロットルの演技を見せてくれていて、佐藤浩市、松たか子、瑛太たちがチョイ役なんだもん。もう船酔いならぬ役者酔いしそうな勢い。人妻を親友から奪って駆け落ちしたクソ男、それも女がボケちゃったから旦那の元に返そうとか、そんなダメ人間、岸部一徳にしか演じられないわ。これだけの手練揃いなら、阪本順治監督はお任せ状態だったんだろうな…と思ったんだけど、それが案外しっかり仕事をしている。

性同一障害の子は必要ないんじゃない?って思ったんだけど、後々使い道が出てくる。村のAさんに何か話したら、次の日にはBさんはその内容は知っているような状態で、みんなマイペースな動きしかしないけど、その子はうまいこと善さんの指示で都合よく動いてくれていた。

もう60過ぎちゃって、情愛だとかそういう次元を超えているもんだから、みんな恥じも外聞もないところからスタートしてるのが面白い。“達観”という舞台に立った上での“騒動記”というのが実に新鮮だ。
“戦争の苦痛”“認知症”“性同一性障害”と、もう食あたりくらい盛りだくさんな材料なのに、サラッと包含。性同一障害のくだりなんか何か問いかけるとか質問するとかもしないし、不自然に無視するでもないもんな。年を重ねるとはこういうことなんだな…と、変に納得してしまうくらい。

劇中劇なんかがあると、妙にストーリーと劇をリンクさせたりとか、劇の内容が端折られたりするもんだけど、本作はけっこうどっぷり長く続く。でも、飽きない。各サブキャラの味はすべて生きてるし、それまでの話の流れが途切れることもなく、展開し続けるのもすごい。私が観た2011年の邦画ではズバ抜けて№1。是非とも観てほしい作品。とても愉しんだ。

最後の「あれ?」だけが、もうちょっとでいいから明確な意図を出してほしかったかも。記憶がしっかりしてきたと思ったのに戻っちゃった…って意味の「あれ?」なのか。もしかしてこの女わかってやってたんじゃないのか…って意味の「あれ?」なのか。この最後だけピシっときまれば、日本映画史に残る大名作になったと思う。

私は本作とか『しゃべれどもしゃべれども』とか、日本の庶民の生活に近い芸能を扱った映画に、しっかり外国語字幕をつけて、海外発信すべきだと思うな。変な観光誘致キャンペーンよりも有意義だと思うな。うん。

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image1945.png公開年:2012年
公開国:アメリカ
時 間:99分
監 督:ジョナサン・リーベスマン
出 演:サム・ワーシントン、リーアム・ニーソン、レイフ・ファインズ、ダニー・ヒューストン、エドガー・ラミレス、ロザムンド・パイク、ビル・ナイ、トビー・ケベル、ジョン・ベル、リリー・ジェームズ、アレハンドロ・ナランホ、フレディ・ドレイブル、キャスリン・カーペンター、マット・ミルン、ケット・タートン、シニード・キューザック、スペンサー・ワイルディング 他
コピー:この闘い、怒迫力。


ゼウスと人間との間に生まれた勇者ペルセウスは、妻を亡くした後、愛する一人息子と平穏に暮らしていた。その頃、神の世界では、神々が弱体化し、タイタン族の封印が解けそうになっていた。タイタン族の長であり、ゼウス・ポセイドン・ハデスの父親であるクロノスが復活するようなことがあれば、世界が破滅してしまうだろう。そこでゼウスは神々が手を携えて、再び父クロノスの封印を強固なものにしようと考えた。まず、ゼウスは息子ペルセウスに協力を求めたが、彼は息子との生活のために闘いを拒否する。仕方なく、兄ポセイドンと一緒に冥界に向かい、ハデスに協力を願う。しかし、積年の恨みが募っているハデスと、ゼウスがペルセウスばかりを可愛がることに嫉妬している軍神アレスの裏切りによって、ゼウスは捕らえられてしまう。ハデスは、ゼウスの神の力をクロノスに与え、復活させようとするのだが…というストーリー。

2年前の『タイタンの戦い』の続編。
根本的にタイトルにある“タイタン”ってのは巨人の神様の一族で、ゼウスの父親クロノスがそのタイタン族の長っていう設定。何でかわからんがクロノスは自分の子供たちを全部食べちゃうんだけど、末っ子のゼウスは逃れて、最終的に父親クロノスを封印したと。そしてのその封印が最近解けそうだから、皆で手を組もうぜ!とゼウスは言っているわけだ。
#でも、“逆襲”ではないな。

ただ、ゼウスが最高神に君臨する一方、兄貴のハデスは冥界の支配者とか地味なポジションに不満タラタラ。だから、前作でもハデスさんは悪玉だったと。
だけど、あんまりギリシア神話は詳しく無い人が多いでしょ。私も実はよく知らない(上に書いたのは疑問だったから調べただけ)。だから、途中からゼウスとハデスが仲直りして、クロノス退治とか。マッチポンプも甚だしくて、なーにやってんだか…って感じになっちゃう。ゼウスの親父って岩じゃん!とか。前作からだけど、神だ半神だーっていっても見た目は普通の人間だしね。

ハーキュリーズだマイティ・ソーだ、アメリカ人はギリシア神話好きだからねぇ。歴史の浅い国なので、精神的なルーツをギリシア・ローマに求めてるんだろう。だから日本人とは比べ物にならないくらいピンと来ているんだと思う。
#でもやっぱりサイクロプスが、タイタン族と同様に巨人の神様の一族だ…とか、バックボーンを知らないと、ただの怪物に追いかけられてるシーンにしか思えない。サイクロプス三兄弟が三叉の槍を見ておとなしくなるくだりとか意味がわかんない。

もうストーリーに何かあると期待するほうが野暮だったんだ。
映像は前作以上に精緻で、造型の違和感もない。アクションもバトルシーンも見ごたえがある。サイクロプスに追いかけられたくだりなんかは、とても楽しめた。劇場公開は3Dだあったので、余計楽しめただろう。前作同様、アトラクション感覚で鑑賞するのが良い。

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image1948.png公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:85分
監 督:マイク・ガンサー
出 演:カーティス・“50 Cent”・ジャクソン、ブルース・ウィリス、ライアン・フィリップ、ジェナ・ディーワン、ランディ・クートゥア、ジェームズ・レマー、ショーン・トーブ、ウィル・ユン・リー、スージー・アブロマイト、ラルフ・リスター、ブレット・グランスタッフ 他



幼いころから兄弟同然に育ったサニー、ビンス、デイブの3人。劣悪な環境ゆえに彼らは犯罪に手を染めていたが、一世一代の大仕事として500万ドル相当のダイアモンド強奪を計画。首尾よくそれを成功させ、戦利品を分配しようという段になって、突如ビンスがデイブとサニーに銃弾を浴びせ、ダイアモンドを独り占めして逃走するのだった。運良く一命を取り留めたサニーは、裏切ったビンスへの復讐に燃え、彼の居場所を捜すのだったが…というストーリー。

ジャケットのド真ん中にデーンとブルース・ウィリス様が鎮座しているが、彼は本作では脇役中の脇役。明らかにブルース・ウィリスの映画だと間違って観ることを狙っている。
で、主役は黒人のお兄さん。ヒップホップ・スターの“50 Cent”とかいう人らしいが、私は知らない。おまけに、どこにでもいそうで、いかにも黒人…という表情や体の動きで、目立った演技らしい演技も見受けられない。あまりに華も特徴も無いので、この人が主人公なのか、しばらく判断できないくらいである。
まず“私は悪人である”という告白はらはじまるので、主人公に対して共感しにくい。それに加えて、この主人公の重要な性格上の特徴である、“悪人なのだが人は殺さない”という要素。これがなぜそうなのか…という部分がきちんと説明されていないので、ますます、興味が沸かない。キャラクター想像の失敗例だと思う。

映画自体はクライムサスペンス。サスペンス部分は、“ビンスはどういう理由で仲間を裏切ったのか?”を明かしてく流れになるのだが、結局は金が必要だったので裏切っただけ…ということには違いがなく、その金を何に使いたかったのか?という点も、大して面白みがない。
主人公のサニーが、復讐に燃えながらも、さらに追い詰められる新たな要素が発生し、どうなっちゃうのやら…という部分は、私の大好きな『ペイバック』のような雰囲気。その点は非常に好感が持てるのだが、やはり、オチがつまらない。なにかうまい作成で大逆転を勝ち取ったわけでもないし、最後まで“殺さず”を貫き続けることが最後の勝利に繋がったとも思えない。この映画の冒頭が、“二週間前”からスタートするのだが、そういう振り返り演出をするならば、何か通常ならざる興味深い結果があって、それを説明することに面白みがなければいけないのだが、「ああ、そういうことか!」的な感嘆はない。実に無駄な演出。

独特なグィっとフォーカスインする演出を多用しているのだが、それによって緊迫感やメリハリが生まれているわけでもなく、効果薄。初期のガイ・リッチーよりも踏み込み甘い演出だと思う。このマイク・ガンサーという監督さんは、この先も期待できない。赤点ギリギリの凡作。

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image1947.png公開年:2012年
公開国:アメリカ
時 間:133分
監 督:アンドリュー・スタントン
出 演:テイラー・キッチュ、リン・コリンズ、サマンサ・モートン、マーク・ストロング、キアラン・ハインズ、ドミニク・ウェスト、ジェームズ・ピュアフォイ、ダリル・サバラ、ポリー・ウォーカー、ブライアン・クランストン、トーマス・ヘイデン・チャーチ、ウィレム・デフォー 他



1881年、元南軍の英雄で金鉱脈による大富豪となったジョン・カーターが、謎の失踪を遂げる。妻と娘を亡くして以来、人付き合いを避けてきた彼は、親族の中で唯一心を許していた甥エドガーに、一冊の日記を遺していた。そこに記されていたのは、想像を絶するジョン・カーターの冒険譚であった…。1868年、妻子を亡くし生きる気力を無くしていた彼は、騎兵隊からの執拗な参戦の命令を拒否し逃亡していた。しかし突然、謎の現象によって、別の惑星“バルスーム”へと瞬間移動してしまう。その星は、地球よりも重力が小さく、ジョン・カーターは超人的な跳躍力を発揮する。また、バルスームは、地球よりも高度なテクノロジーを持っていたが、全宇宙の支配を目論むマタイ・シャンによって、滅亡の危機に瀕していた。平和を望むヘリウム王国の王女デジャー・ソリスとであったジョン・カーターは、その能力を使ってバルスームを救って欲しいと懇願されるが…というストーリー。

重力が少ないからってあんな動きにはならないと思う。ジャンプ力と腕力が必ずしもイコールではないとしても、サーク族の腕力にカーターが完全に圧倒されるのは、違和感がある。バランスがおかしい。
それに、フォボスとダイモスは丸くないよ。またもや、とんちんかん科学描写のアメリカ。これが技術大国だっていうんだから、笑わせる…、というか、上と下の知識レンジが半端ない国なんだな。富が一極集中して庶民が簡単に極貧の奴隷化してしまうのが良く判る。本当に底辺の教育って大事だね。

映像はすごくおもしろいんだけど、薬を飲んで言葉がわかっちゃうとか、もうこのパターン飽きた。
「地球の船は海を進むの?見たことある?さぞかしキレイでしょうね…」って、おまえそこまで筏にのって水の上をスイスイ来たんじゃねえのか?なんとなく想像つくだろうがよ。馬鹿かと。

王女が結婚を嫌がって捕虜になる流れは、安っぽいけど、冒険小説っぽくて面白い。だけど、やっぱり浅すぎるかも。ちょっと伏線の貼り方とかへたくそ。あの犬みたいなヤツになんか秘密があるんだろーなーっておもったら、案の定だし。メダルに話を集中させちゃうと、なんでもありになっちゃってつまらないし、人間タイプ種族が争っている構図が、あまり生きていない。
甥っ子に日記を読ませたくだりが煩わしかった。ラストで意味はあるのだが、追いかけてくる敵が万能すぎて、してやったりで罠に嵌めた展開にも関わらずピンとこない。

ディズニーのせいかもしれないが、毒気がなさすぎ。隠喩がなさすぎ。シニカルさがなさすぎ。かといって、ユング的な類型にも当たらず神話的な雰囲気もない。ようするに無意識に引っかかる部分が極めて少ないということ。これはヒットしにくい。なんとなく冷める。

もっと馬鹿馬鹿しくてもいいから、ヒロイックムービーのノリを貫けば良かったと思う。原作では続きがあるんだけど、この映画の続編ができるかは極めて微妙。その予感があったのか、一応、本作だけで完結はしている。惜しい。もうちょっと弾けて欲しかった凡作。

拍手[0回]

imageX0063.Png公開年:1980年
公開国:アメリカ
時 間:116分
監 督:ジョン・ヒューストン
出 演:シルヴェスター・スタローン、マイケル・ケイン、カロル・ローレ、ペレ、マックス・フォン・シドー、ダニエル・マッセイ、ティム・ピゴット=スミス、ジュリアン・カリー、クライヴ・メリソン、モーリス・ローヴ、ボビー・ムーア、アミドウ、アーサー・ブラウス、アントン・ディフリング 他



1943年、ドイツ南部ゲンズドルフ捕虜収容所。サッカーに興じる捕虜たちの中に、かつての名選手だったコルビー大尉を発見したドイツ軍情報将校シュタイナーは、連合軍捕虜チームとドイツ代表による親善試合を思いつく。シュタイナーが上層部に掛け合うと、それをプロパガンダに利用しようという思惑と一致し、許可が下りる。コルビー大尉は、選手の待遇改善を条件に試合を受諾、メンバーの人選を行う。一方、連合軍捕虜の上官たちは、試合を利用した脱走計画を練り、コルビー大尉にこの計画に参加するように命令する。その後、試合会場がパリに決定すると、米軍捕虜のハッチがパリのレジスタンス組織と連絡を取るために収容所を脱走し…というストーリー。

ペレの登場にびっくり。他にも往年の名選手が出演しているようだが、私サッカーに詳しくないのでわからん。でも、さすがに役者にサッカーをやらせたら興醒めしただろうから、プレイヤーをつれてきたのは成功。それに、普通の兵士なんて朴訥だからね。演技ができないくらいの方がリアルだったりする。

シナリオでは、かなり杜撰な部分が散見。
物資の無い中、人形つくるとか(それも発砲スチロールとか)…、なんか群集の中に、現代的なジッパーの付いた服を着てつ人がいるのか…、なんで試合開始してから一生懸命穴を掘るのかとか…、もうちょっとしっかり作れよと思う部分が多々あって、結構なトンデモ作品で、全体的に粗が目立つ。
突然、スタローン演じるハッチが、キーパーの才能があると持ち上げられる。まさか、はじめの選手集めのときにキーパーをチョイスしてないとか?あほか?と思ったら、ちゃんといた。後でご都合主義的に骨折られてた。ちょっと判りにくいよ。

対して、コルビー大尉がハッチを毛嫌いするシーンがあるのだが、サッカーの技量だけの問題ではなく、杜撰な計画で部下に脱走をやらせる士官たちの態度が気に喰わないのだ…ってことが判り、その仲間たちへの愛に気付くハッチ…なんていう、いい描写もある。そういう娯楽と脱走のハラハラがうまくミックスされているのでアリ。こういう悪ノリ作品は、逆にヒットする傾向にある。

脱獄モノは、意外と娯楽要素が強いものだけど、本作はその最たるモノ。極めてマンガだけど、佳作だと思う。
#だけど、連合国こそ正義というアメリカ様のクソ理屈によって、世界の平和が遠のいているのは事実。

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imageX0062.Png公開年:1993年
公開国:アメリカ
時 間:115分
監 督:メル・ギブソン
出 演:メル・ギブソン、ニック・スタール、マーガレット・ホイットン、ギャビー・ホフマン、フェイ・マスターソン、ジェフリー・ルイス、リチャード・メイサー、マイケル・デルイー 他




1968年の夏。ニューヨーク州に住むノースタッド家はメイン州にて休暇中。ノースタッド家は3人の子供がすべて違う父親という複雑な家庭で、息子チャックは士官学校の受験に失敗したことや、日頃から意識を失ったように呆けることがあることから、、姉と妹が彼を馬鹿にするため折り合いが悪かった。そんな家からどうしても出たいチャックは、寄宿生活ができる士官学校にどうしても入りたかったのだ。そんなある日、人気の無い湖の対岸の家に教師らしき人が住んでいることを知り個人教授を依頼する。そに住む元教師マクラウドは、交通事故による火傷と事故の記憶により孤立しており、はじめはチャックの依頼を断っていたが、思うところがあり入学試験へ向けた個人指導を始める。しかし、その指導はチャックにとっては理不尽で…というストーリー。

メル・ギブソン監督作品って、妙に重い題材だったりすることが多いけど、初監督である本作は、いい感じの力のヌケ具合だと思う。

どういう理由なのかは不明だが、アメリカにはちょっとアスペぎみの子を扱った作品が多いと思う。突如、意識が飛んだようになってぼーっとしてしまい少年なんだけど、それが何だったのかは本編中では明かされない。別に障害があるとかそういうことではなく、そんなこともあるよね…的な扱い。そのへんはうやむや。自分の父親について伏せられていることに対しての、疑念の一要素として使われただけみたい。

そういう症状は別にして、こういう手をさしのべても掃うようなまねをする多いよね。正直、ムカっとくる。これをどう、気付かせずに矯正していくのか…これが難しい。かつて教師として失敗したマクラウドは、そこを越えた先にある喜びのために、チャックを教育しようと決めたわけだ。
そういう“報酬”は別にして、純粋に教育することを生きがいにできる人が教師だと思うんだけど。アメリカ的だな。

偏見によって苦痛を感じている二人がシンパシーを感じてくわけだけど、それを基盤とした成長と再生と友情の話。その過程も悪くは無い。しかし、アメリカ社会のクソっぷりのせいでとにかく後味が悪い。結局、マクラウドは、ただただ誤解を受けたまま、クソ心理学者と事実に基づかない司法によるレッテル貼りによって排除される。マクラウドもそれを受諾するしかない。

チャックの成長によってマクラウドは教師としての喜びを再び感じることができたのかもしれないが、それ以上にアメリカ社会が彼にした仕打ちが大きくて、爽やかな終劇には感じられない。
田舎町の人間がクソばかりというのが、昨日の『ヤング≒アダルト』と一緒。映画の中でしょ?っていいたいけれど、アメリカって実際、こういう閉鎖的なイメージ強い。アメリカってクソだなぁ…、そんなモヤモヤが支配するせいで、良作と評価できなかった作品。でも、メル・ギブソンはこういう作風のほうがよいと思う(もう、ネジがはずれちゃって戻れないか…)。

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image1944.png公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:94分
監 督:ジェイソン・ライトマン
出 演:シャーリーズ・セロン、パットン・オズワルト、パトリック・ウィルソン、エリザベス・リーサー、コレット・ウォルフ、ジル・アイケンベリー、リチャード・ベキンス、メアリー・ベス・ハート、ルイーザ・クラウゼ、ヘティエンヌ・パーク、J・K・シモンズ 他
受 賞:【2011年/第69回ゴールデン・グローブ】女優賞[コメディ/ミュージカル](シャーリーズ・セロン)
【2011年/第17回放送映画批評家協会賞】主演女優賞(シャーリーズ・セロン)、助演男優賞(パットン・オズワルト)、オリジナル脚本賞(ディアブロ・コディ)
コピー:あなたは、ワタシを、笑えない。

都会のミネアポリスで、ヤングアダルト向け小説のゴーストライターをやっている37歳のバツイチ女性メイビス。
ゴーストライターとはいえ、それなりにリッチな生活をおくっている。そんな彼女の元に、赤ちゃんの誕生パーティへの招待メールが届く。そのメールは元彼バディからだったが、それを見て衝動的に故郷の田舎町マーキュリーに帰ってしまうメイビス。彼女は、バディは運命の相手であり、再会すれば元通りの関係になれると信じて疑っておらず…というストーリー。

始終コメディタッチで綴られているのだが、メイビスの行動とそれに至る彼女の精神状態がかなり深刻。『JUNI/ジュノ』の監督さんなんだけど、妊娠という深刻な状況をコメディタッチで綴っていたのと同様。
クレイジーな女性をシャーリーズ・セロンは見事に演じているが、役柄の突飛さが目立って薄れてしまったのかもしれないが、もっと彼女の演技は評価されてもよいと思う。
ムダ毛処理にヌーブラ、厚化粧、でも家ではキティちゃんのTシャツ。40歳前後の女性の生態を赤裸々に見せているのも面白い。

前半は、都会にかぶれて虚勢を張っているメイビスと対比して、地に足が付いた田舎の人…という構図だったのだが、後半になると田舎町の住人の方がちょっとおかしいんじゃないか…と思えてくる。そして、あのオチ(どういうオチかは観てくだされ)。

見下していた田舎の人々から、逆に同情されていたという、とても堪えられないシチュエーション。彼女の行動の理由に納得できる一方で、私には、町の人々の同情心っていうのが、ものすごく醜く感じられた。型にはめたりレッテルを貼らないと、人間を認識できない狭小な思考。それは、良い評価の場合だけでなく、迫害する場合も同じなのだ。かつてゲイとレッテル貼りさられ暴行を受け障害者になってしまったマットと、自分は同じカテゴリだということに気付いてしまう。

ラストの彼女の様子を観て、何が言いたいわけ?という人は多いと思うが私は好き。これも人生に迷った人間の再生の物語。他者との上下関係でしか社会を見ることができなかった彼女が、自分の絶対価値を見つける…と言いたいところだけど、人間そんなに簡単に開眼できない。何をどうひっくり返したって、人間は生きていくしかない、開き直っちゃえばいいんだって!っていう流れ。ますます自己中になって、なんでもおかまいなしのオバチャンになっちゃいそうだけど、これでいいだと思う。説教臭い人間らしさとは違う、リアルな人間らしさだと思う。

とても愉しめた一作。『JUNI/ジュノ』を面白く感じた人は間違いなくOKなので是非観てほしい。

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image1946.png公開年:2004年
公開国:日本
時 間:73分
監 督:石田秀範
出 演:椿隆之、森本亮治、天野浩成、北条隆博、黒田勇樹、三津谷葉子、杉浦太雄、竹財輝之助、江川有未、山口香緒里、石田未来、梶原ひかり、山路和弘 他





剣崎(ブレイド)たち仮面ライダーにより全てのアンデッドが封印されてから4年後。清掃員として働いていた剣崎の元に、仮面ライダーとアンデッドの戦いを出版して大儲けした虎太郎が、天音の14歳の誕生日会の誘いに現れる。虎太郎と一緒にかつての仲間たちを訪れるが、就職活動中の上城睦月や、結婚を控えた広瀬栞はつれない態度で、4年間の時の流れを感じ寂しさを覚えるのだった。そんな剣崎たちの前に、すべて封印した後のアンデッドが突如出現。戦う術を持たない剣崎たちが戸惑う中、見たことも無い3人のライダーが登場し、アンデッドを倒すのだった。剣崎は、かつて封印した53枚のカードが、何者かに強奪され開放されたことを知る。再び仮面ライダーとして戦おうとするが、変身のために必要なAアンデッドも開放されおり、彼は変身はできない。しかし、大量のアンデッドが彼らの前に出現し…というストーリー。

なぜこんな映画のレビューかというと、夏休み中に仮面ライダー剣のTVシリーズを一気に鑑賞したから。その勢いで劇場版も観たってことだ。

平成仮面ライダーは、色々な劇場版が作られているが、TVシリーズを壊さないように“別世界”ストーリーを標榜してみたり、TVシリーズの途中から登場する“新フォーム”とか“サブライダー”とか次シリーズライダーの顔出し興行だったり、それこそ歴代ライダー総登場だったりして、うんざりするのだが、本作はそうではない。

映画用のゲストライダーの出来映えも良く、とってつけたような敵が登場するのではなく、職業ライダーという世界観を壊さない展開になっている。新キャラクターの性格付けも悪くない。
#とはいえ、キングのカードが4枚合わさったら、新カードが出てきました…とかは、ちょっとやっつけ仕事なんだけど…。

正統な続編という位置づけで、仮面ライダー映画の中では名作と評されてよかったはずなのだが、大チョンボをやらかしてしまっている。TVシリーズが終わる前に、4年後の話を作ったところに無理があったのか、TVシリーズと決定的な部分で齟齬が生じてしまっている。
TVシリーズでは、アンデッド(敵の怪人ね)がバトルロワイヤル状態になって、最後の一人が生き残ると、そいつ(そいつの種族)が世界を支配するっていう仕組み。そこで、主人公が怪人になって、最後の怪人と二人になっても、主人公が戦わないようにすることで世界を維持するっていう、結構ユニークなSFオチだった。
しかし映画では、肝心の二人が戦って、片方を倒してしまうというところからスタートするので、TVシリーズを観終わってから流れると、ガクっとくる。

これはTVシリーズが1月末で終了するのに対して、この劇場版が9月公開。映画のシナリオを作っている段階では、TVシリーズの締め方が決まっていなかったのだろう。じつにがっかり。

平成仮面ライダーは、3作目の「龍騎」で仮面ライダーによるバトルロワイヤルという新機軸でパラダイムシフトをおこしたことで、今があるといってよい。「クウガ」「アギト」と同じ路線で続けていたら、ウルトラマンと同じ道を辿っていたに違いない。しかし、「龍騎」の後に「555」「剣(ブレイド)」と同じバトルロワイヤル路線を3年も続けてしまった。もう、製作側もうんざりしてしまって、これ以上仮面ライダーってやる意味あるの?って思い始めているのが、観ていて伝わってくるのだ。そして、この映画のチョンボである。これは、会社でも役所でも一緒で、マンネリになってモチベーションが下がってくると、こういう杜撰さが表出してくるのだ。
映画の内容とは無関係に、人間の本質が垣間見れる作品。そして、もちろん仮面ライダーに興味がない人は、見向きもしない作品。

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imageX0061.Png公開年:1985年
公開国:アメリカ
時 間:117分
監 督:ロン・ハワード
出 演:ドン・アメチー、スティーヴ・グッテンバーグ、ターニー・ウェルチ、ブライアン・デネヒー、ウィルフォード・ブリムリー、ヒューム・クローニン、ジャック・ギルフォード、モーリン・ステイプルトン、ジェシカ・タンディ、グウェン・ヴァードン、バレット・オリヴァー、タイロン・パワー・Jr、クリント・ハワード、リンダ・ハリソン、ハータ・ウェア 他
受 賞:【1985年/第58回アカデミー賞】助演男優賞(ドン・アメチー)、視覚効果賞(Ken Ralston、Ralph McQuarrie、Scott Farrar、David Berry)

フロリダ州の養老院で暮らす老人、アート、ベン、ジョーは、隣接する空き家にあるプールにこっそり忍び込み、そこで泳ぐのを楽しみにしている。ある日、その近くの港に停泊しているジャックの船を、ウォルターと名乗る男とその仲間たちが借りたいと申し出る。また、アートたちが日々忍び込んでいる空き家も、その男たちが借りてしまう。しかし、老人たちはお構いなしで留守中に忍び込むと、プールには巨大に岩の塊のようなものが沈んでいた。これらはウォルターたちが海底から引き上げていたものだった。訝しげに思いながらも3人が泳ぎ続けると、なぜか元気が湧き出てきて、その日から若者のように振舞い始め…というストーリー。

老人のストーリーと、ウォルターたちの怪しい行動のストーリーが、うまいこと融合していく、巧みな構成。

老人の老いに対する感情を通して、人間の“業”をさらりと描き出す。若返ることで人間が何をしたかというと、不貞で妻を裏切るようなつまらないことである。噂を聞いたほかの老人たちも、無分別にプールに押しかける。それによって、宇宙人を殺し、約束を反故にしてしまう。“業”とは人間が生きる上で切り離せないものとはいえ、あまりにも醜い、そして軽い。
自然であることが正しいと主張し、プールに入ることを拒み続けた老人でさえも、妻の死を目の前にして、スーパーパワーにすがろうとする。人間なんてその程度。

簡単に宇宙にいっちゃうというオチを、短絡的に感じてしまう人が多いと思う。しかし、根本のテーマが簡単に答えの出ない問題を扱っているので、こういうドラスティックな展開がお似合いだったと思う。気持ちよく劇場から出て行くには、この展開しかない。ずっと重く考えさせちゃ駄作になったと思う。
#UFOが繭を持っていけない理由がピンとこないけど、そういう所は拘らないほうがいいだろう。

基地をアトランティスではなく北極にしておけば良かった…というシーンでは、思わずニヤり。こういう軽妙さも、重いテーマを見事に隠蔽して、立派な娯楽作品に仕上げていると思う。

こんなに人間ドラマとSFをうまく融合したロン・ハワード監督だが、26年後の『カウボーイ&エイリアン』ではあんな感じなっちゃったね。本作のほうが数段上だった。間違いなく彼の出世作。
否定する部分が少ない作品。観た年齢によって受け取り方も大きく変わる作品。大昔に観たなぁって人も是非もう一度観ることをお薦めする。今の私は、地球に残った老人と同じに共感しているかな。きっと自分も残るような気がする。でも、後10年経ったら変わってる気もする。

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imageX0060.Png公開年:2003年
公開国:アメリカ
時 間:97分
監 督:ジム・ジャームッシュ
出 演:ロベルト・ベニーニ、スティーヴン・ライト、ジョイ・リー、サンキ・リー、スティーヴ・ブシェミ、イギー・ポップ、トム・ウェイツ、ジョー・リガーノ、ヴィニー・ヴェラ、ヴィニー・ヴェラ・Jr、ルネ・フレンチ、E・J・ロドリゲス、アレックス・デスカス、イザック・ド・バンコレ、ケイト・ブランシェット、メグ・ホワイト、ジャック・ホワイト、アルフレッド・モリナ、スティーヴ・クーガン、GZA、RZA、ビル・マーレイ、ビル・ライス、テイラー・ミード、マイケル・ホーガン 他
ノミネート:【2004年/第20回インディペンデント・スピリット賞 】助演女優賞(ケイト・ブランシェット)

コーヒーとタバコをめぐるエピソードを綴ったオムニバス。待ち合わせをして会ったにもかかわらず、会話が噛み合わず気まずい空気を漂わせるロベルトとスティーブンの「変な出会い」など、「双子」「カリフォルニアのどこかで」「それは命取り」「ルネ」「問題なし」「いとこ同士」「ジャック、メグにテスラコイルを見せる」「いとこ同士?」「幻覚」「シャンパン」の11本。

何の予備知識もない状態で観たものだから、それぞれの話がいずれ繋がっていくのだろうと注視し続けたら疲れちゃった。何にも繋がりはなかったね。

長年撮り溜めた小作品をまとめたらしいけど、同じテーマで貫かれてるのはすごいね。コーヒーとタバコにどういう思い入れがあるのか…と思ったが、それほど深みがあるわけでもないし、コーヒーや煙草に深く関わるわけでも無かった。わたしタバコ吸わないので、この空間の良さはわからんす。
まあ、待ち合わせをしながら、隣のテーブルの会話を聞いているような、そんな感覚の作品。小さなユーモアが心地よい。意図的な笑い所が挿入されていれば、シャボン玉ホリデーとかゲバゲバ90分の世界。メジャー作品として多額の興行収入を稼ごうっていうわけもないだろうし、こんなのもたまにはいい。

半分くらいのエピソードは、出会って話し始めたものの、なんか気まずくなって、どちらかが立ち去るものばかり。結局、コーヒーを飲みタバコを吸いながらながら生まれた関係は、ほどなく二人の乖離を生む結果になる。この共通点に何か隠喩があるのだろうか。コーヒーとタバコが、人と人の間を埋める潤滑油になってないエピソードが多い。コミュニケーションツールとして何も生まないってdisってんのかな?もしかして、紅茶派の陰謀か!?

個人的にはケイト・ブランシェット×2が観れただけでも満足。ビル・マーレイとかアルフレッド・モリナとか、有名どころが出ているエピソードはのきなみ愉快で、きちんとオチてる。

何気にコーヒーショップで流れてたら、どっぷり観入っちゃうだろうな。そんな求心力がある。
#英米では、いとこ・はとこ・みいとこもcousinなのか?ツリ目のジェスチャーで日本人とかナメてんのかアメリカよ。どっちかというと日本人はたれ目のほうが多いと思うのだが…。

 

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プロフィール
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クボタカユキ
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一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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