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image1901.png公開年:1987年
公開国:西ドイツ
時 間:108分
監 督:パーシー・アドロン
出 演:マリアンネ・ゼーゲブレヒト、ジャック・パランス、CCH・パウンダー、クリスティーネ・カウフマン、モニカ・カルフーン、ダロン・フラッグ、ジョージ・アグィラー、G・スモーキー・キャンベル、ハンス・シュタードルバウアー、アラン・S・クレイグ 他
受 賞:【1988年/第14回セザール賞】外国映画賞(パーシー・アドロン)



ラスベガスとロサンゼルスの間にあるモハヴェ砂漠のはずれに、寂しげなモーテル“バクダット・カフェ”がある。ここを経営しているブレンダは、役たたずの夫や、自分勝手な子供達、従業員やモーテルに居着いてしまった客たちを、腹立たしく思っていた。そんなある日、ひとりの太ったドイツ人女性ジャスミンがやってくる。大きなトランクを抱え、砂漠とは不釣合いなスーツとハイヒールで歩いてきた彼女を不審に思ったが、ブレンダはしぶしぶ部屋を貸すことに…というストーリー。

内容よりも劇中歌“Calling You”のほうが有名かも。

日本で言うと『かもめ食堂』とかそっち系のジャンルになるんだと思うが、お国柄の差を面白く感じた。アメリカ映画だと、やってきて人々に影響を与えて去ってしまうのだが、ドイツ映画である本作は、やってきて人々に影響与えて居着く(一旦は去ってしまうが)。
で、なぜか日本映画の場合は、『かもめ食堂』をはじめうまそうな飯が絶対に登場するが、本作の舞台であるアメリカの場合はエンターテイメントになってしまう。何に癒されるのか…という点において国民性は出るものだなぁと。

バグダッド・カフェのある空間は、ほぼ同じようなことが繰り返えされている、時間がとまったような空間だ。夫のサルがこれ以上トラブルをもってくるわけでもない。遊び歩くルーディの娘が事件をおこすわけでもない。息子がピアノが弾きたいがために暴れるわけでもない。赤ん坊が不幸な事故がおこるわけでもない。

映画の主人公というのは、その内面が劇中で変化した人…という定義だとする。ジャスミンは男と旅中に別れ、バグダッド・カフェに迷いこむが、元からの性格のまま行動しているだけ。途中でヌードモデルになったりするが、別に彼女自身が大きく変わったわけではなく、打ち解けただけのこと。基本的に内面の変化は小さい。であるならば、本作の主人公は、ドイツ人女性ジャスミンではなく、いつもイライラしているルーディだ。このベガス近郊の乾いた赤い土が、ルーディの心模様であり、彼女の涙はいつもその乾いた土に吸い込まれるばかり…と。さて、ジャスミンがおこす小さな奇跡は、その砂漠の心を潤すことができるのか否か。

結果として一番の事件が、「仲が良すぎるから」と出て行ってしまうタトゥー屋の女性…っていうね。単純な大団円じゃない、こういう部分はおもしろい。

退屈に感じる人は絶対にいるだろうし、寝てしまう人もいると思うのだが、それはそれでいいのではないか。もしあなたが気持ちよく寝られたなら、それで結構なことなのではないか…と。まあ、こういう作品が滲みる時が、人生のどこかで誰にでもあるだろうさ。

#夫のサルが、傍観者で終わってしまうのが、演出上いまいち理解できないけどね。

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image1900.png公開年:2011年
公開国:日本
時 間:102分
監 督:板尾創路
出 演:板尾創路、浅野忠信、石原さとみ、前田吟、國村隼、六角精児、津田寛治、根岸季衣、平田満、木村祐一、宮迫博之、矢部太郎、木下ほうか、柄本佑、千代将太、佐野泰臣 他
コピー:俺はいってぇ誰なんだ――




昭和22年。顔中に包帯を巻いた復員兵が、突然寄席に姿を現わす。彼がもっていたお守りから、森乃家天楽師匠の弟子で、将来を期待されながらも兵隊にとられ戦死したとされていた落語家の森乃家うさぎと判明する。しかし、男は一切の記憶を失っており、自分が落語家であったことも、将来を誓い合った師匠の娘・弥生のこともすっかり忘れていた。しかし、師匠も弥生も他の弟子も、うさぎを温かく迎え入れ、記憶を取り戻すために森乃家小鮭という新たな芸名で高座にもあげるのだった。以前の彼の芸風とはまったく異なっていたが、徐々にそれなりの人気が出始めたこと、もう一人の男が戦地から復帰してくる。その男こそ、本物の森乃家うさぎこと岡本太郎。その姿を見て、弥生は激しく動揺するのだったのだが…というストーリー。

連日の板尾創路関連作品。
DVDには、本作の着想を得たという落語『粗忽長屋』が特典映像で収録されている。劇中では板尾創路が演じる男がボソボソと漏らすだけなので、知らない人は始めに観ておくことをお薦めする。

実は私も考えていた…的な野暮なことはあまり言いたくないのだが、冒頭などに出てくる“荒野に富士山”の映像で「おや?」と思ってしまった。というか、『粗忽長屋』を聞いた時に私もそれは考えたことがあるのだ。「俺はいってぇ誰なんだ」って呟く人間が粗忽者かと思いきや、登場人物みんなが粗忽者だったとしたら?一番の馬鹿だと思っていた人間が、実は一番始めに気付いた人間だとしたら?
江戸は実は“穢土”だった…ってこと。しりあり寿の弥次喜多とか、手塚治虫の火の鳥(異形編)に似た世界ということだ。
そして、石原さとみ演じる弥生の「ずっと満月のまま」という台詞で、その気付きは確信に変わる。

最後、森乃うさぎが力車に乗っているシーンで終わるので、全部彼の妄想?っていう解釈もあるけど、それは違うと私は思っている。
実は、みんな思い残したことをしっかりとやりとげている。一門会を開く、兄弟子を超えて真打と期待される、森乃うさぎの名を残す。そうなると、弥生が思い残したことっていうのは、恋仲の男が出征して悶々としていたのを解消すること…っていう身も蓋もないことになっちゃうのだが、そう考えると石原さとみはその役をしっかり演じきっているよね(溺れたうさぎを助けないのも納得)。
顔も全然違うのに(顔が佐清状態ってわけでもないのに)、間違うわけないだろ!というつっこみも、思い残した人だらけのそういう世界だから別に変じゃない…と。

そうなると板尾創路演じる男は、まるで僧侶のような役回りなのだが、女郎屋らしき所の地下を彫り続けるところとドクター中松のくだりについては、ストーリーのどのピースにもはまらず、正直困惑している。でも、デビット・リンチの演出が許容できるならば、板尾創路によるこのような投げっぱなしの謎を許せないということはなかろう。リンチなんてもっとクレイジーだぜ。本作に関して、納得いかないとかつまらないとか文句をいう人が散見されるが、そういう方々はリンチもダメ。要するに、好みがパックリ別れる作品だということである。私はオールOK。

笑顔で死んでいく=成仏。森乃うさぎは戦地で死んでいるが、東京も空襲で死者累々。アジア進出で日本は非道扱いされるが、民間住宅地を直接攻撃するほうが、よっぽど非道だろうが。戦争に負けると、ABCD包囲網で出ざるを得ない状況に追い込まれたにもかかわらず犯罪者あつかいされ、戦時国際法を犯したほうが正当化されるんだぜ!という皮肉まで含まれているとしたら、大したものだか、そこまで考え及んでいるか否かは不明。

私は、『板尾創路の脱獄王』でその才能を高く評価しており、少なくとも松本人志の4倍は映画・脚本の才能があると思っている。次回作に期待。この人は期待されたからといってスカしたりはしないしね。私がもしこんな作品を作ることができたなら、満足で数日身震いしていると思う。板尾創路うらやましい。

 

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image1899.png公開年:2010年
公開国:日本
時 間:114分
監 督:井口昇
出 演:板尾創路、古原靖久、山崎真実、宮下雄也、佐津川愛美、木下ほうか、渡辺裕之、竹中直人、柄本明 他
コピー:あきらめるな!立ち上がれ!




次期総理候補の若杉議員襲撃の犯行予告を受け、厳重警備が敷かれる中、サイボーグ組織Σの幹部ミスボーグが堂々と出現。そこにΣの野望を阻止すべく、秘密警察・大門豊とそのバディ電人ザボーガーが立ちはだかる。しのぎを削る中、愛憎を深める二人の運命は!?そして、25年後の大門豊を描いた二部構成。

知る人ぞ知る昭和50年あたりの特撮ヒーロー作品『電人ザボーガー』。大抵の特撮ヒーロー物っていうのは、①主人公がヒーローに変身する、②主人公がロボットに乗る、③主人公が外部からロボットを操縦する、④外部からやってきたヒーローが非力な主人公を助ける、の4パターンに大別されると思う。
しかし、本作はロボットと強い生身の主人公のバディ物という、日本特撮ヒーロー界では稀有な存在。この作品に目をつけたこと、そして当時は技術的な問題でずんぐりむっくりだったザボーガーは、実はデザイン的にはものすごくカッコイイということに気付いた点は慧眼だと思う。

原作を製作していたピープロがしっかり絡んでいるからなのか、監督がザボーガーへの思い入れがあるのかはわからないが、敵キャラも見事にリメイク。

しかし、『片腕マシンガール』とか『ロボゲイシャ』の井口監督というのが不安極まりない。血しぶきが飛びまくるのは必至。でも特撮ヒーローとエログロの相性は悪く、そこの折り合いを付けられるか否かが課題。
人間…というか生物っていうのは、言ってしまえばエログロな過程を経て繁殖して産み落ちてくる。それはあたりまえのことであって、その過程をいちいち表現しなくてもみんなわかってる話。別に世の中の人は、それを隠蔽しているわけではなく、日常の生活や経済活動の場面でそんなことを出していたら世の中がおかしくなるから普段は出さない。動物だって捕食するときは捕食に徹し、繁殖の時は繁殖に徹する。動物だって動物なりのTPOがある。
それなのに、どうも、日本のB級映画屋さんには、この“隠蔽”がおかしなことに見えているらしい。そこを破ることが人間性を解放することとイコールだと勘違いしているように見える。
何をいいたいかと言うと、大門豊とミスボーグの間に子供が生まれてもかまわないのだが、その過程を表現する意味は何もないということだ。
特撮ヒーロー物は、いくらハジけてもそこを表現するのは禁忌、というか興醒め要素。生物レベルで人間と何かが融合というだけでヒかれるんだよ。こういう表現を入れるなら、公開前の予告映像で子供を煽るんじゃない。

あと2点。竹中直人、柄本明は不要。べつに彼らの仕事が悪かったわけではない。でも、他作品のイメージが邪魔。作品に入り込めない。そして、おならで飛ぶシーン、リアリティの壁がどうしたこうしたとか、面白くない上に興醒め。別の玉砕方法に変更すべき。

この3点以外はまったくもって文句なし。特撮技術はは、日本の中では超一流。ザボーガーのデザインは最高(変形プロセスもきちんと考えられているようだたので、変形をもっとゆっくり見せればよかったのに…とは思うけど)。手頃な価格の玩具があれば是非買いたい(オリジナルのフィギュアは2体持ってる)。
若いときの大門豊はゴーオンレッドさんが演じているが、技の叫び声が非常によろしい。山崎真実は久々に見た。滑舌は悪いがこういう特撮なら問題なし。案外こういう仕事は向いているのかも。

近年の特撮ヒーロー作品では、ズバ抜けてよいデキ。もっと井口監督を制御できるプロデューサがいれば、案外、海外の一線で通用する作品を作れるようになるのかも。

#”ピー”プロか…。これまでずっと“ビー”だと勘違いしてた…。

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image1876.png公開年:1996年
公開国:アメリカ
時 間:116分
監 督:リー・デビッド・ズロートフ
出 演:アリソン・エリオット、エレン・バースティン、マーシャ・ゲイ・ハーデン、ウィル・パットン、キーラン・マローニー、ゲイラード・サーテイン、ジョン・M・ジャクソン、ルイーズ・デ・コーミア 他
コピー:誰にも言えない過去を抱えて、彼女はここにやってきた-。
凍てついた心を癒せるのは 傷ついた心だけ…。


刑期を終えて出所した若い女性パーシーは、メイン州の小さな町へバスでやってくる。彼女はこの小さな田舎町で再出発しようとしていたのだ。保安官の紹介で、ハナという無愛想な老婆が経営するカフェ“スピットファイアー・グリル”で働くことになる。ハナの甥のネイハムをはじめ、常連客はパーシーの正体を疑っていたが、パーシーは自分が収監されていたことを隠すこともなく堂々としていた。そんなある日、ハナが転倒して寝たきりになってしまったため、パーシーとおっとりとしたネイハムの妻シェルビーがカフェの切り盛りをすることに。その様子をみてハナも徐々に彼女たちを認めるようになり…というストーリー。

突然、閉鎖的な町に部外者がやってきて、それによって町が揺れだすという、よくあるパターンの作品。西部劇なんかだと凄腕の一匹狼だったりするが、本作は刑期を終えた若い女性。ショボいシナリオだと、その過去がバレるかバレないか…みたいな軸で展開させたりするが、そんなくだらないことにはならない。あっさり自分で大声で発表しちゃう。基本的にそこ自体には傷がないことをサラりと表現するが、でも彼女には影があるので、何か別の傷があるに違いない…そういう軸で展開していく。

彼女を受け入れる食堂のばあさんハナも傷を持っているが、それが何かは本人しかしらない。二人を手伝う、ばあさんの甥の嫁さんは、夫からの抑圧にうんざりしているが、おとなしい性格から歯向かうことができない。この傷をもった女性たち、そして閉鎖的な町の人たちでストーリーが流れていく。こう考えると、昨日の『シッピング・ニュース』に似ているな。

こういうパターンの場合、やってきた人は、大抵去っていくが、本作の場合はどうか(以下ネタバレ)。ちょっと救いがない気もするが、私は本作のラストは好きである。

パーシーの人生は決していい人生ではなかった。彼女の過去、何故刑に服すに至ったかを知ると、心が重くなる(これが、ちょっとエグすぎるので、あまりTV放送されないんじゃないかな)。別に周りの人のために身を粉にしようなんて気は微塵も無かったと思う。しかし、結果的に彼女はハナの心を開いただけでなく、息子の心も微かながらに開き、シェルビーも踏み出せなかった一歩を踏み出せるようになる。そして、町の人たちの悲しみは、彼女を失った悲しみだけじゃなく、自分たちの偏狭な心が彼女を殺してしまったことに気付いてしまった故。

正直、不動産屋の甥っ子は村八分になってもいいくらいなんだけど、引っかかりつつも人々は偏狭な心を捨てようとしているわけだ。そういう意味では極めてキリスト教的かもしれない。最後まで邦題がしっくりこないな…なんて思っていたのだが、最後まで観て“天使”と入っていることに至極納得。珍しく邦題が成功している例。

作文コンテストの件、山にいる謎の人物、憎たらしい不動産屋の件、その妻の件、諸々の流れが一気に集約されて潮流となる最後の盛り上がり。シナリオの巧みさに鳥肌が立った。本作の脚本は監督自ら書いているのだが、その後、この人が作品を手掛けたという情報がない(どーしてかな)。

お薦めの一作。連日の秀作。

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image1876.png公開年:2001年
公開国:アメリカ
時 間:112分
監 督:ラッセ・ハルストレム
出 演:ケヴィン・スペイシー、ジュリアン・ムーア、ジュディ・デンチ、ケイト・ブランシェット、ピート・ポスルスウェイト、リス・アイファンズ、ゴードン・ピンセント、スコット・グレン、ジェイソン・ベア、ラリー・パイン、ロバート・ジョイ、ジャネッタ・アーネット、キャサリン・メーニッヒ 他
ノミネート:【2001年/第59回ゴールデン・グローブ】男優賞[ドラマ](ケヴィン・スペイシー)、音楽賞(クリストファー・ヤング)
【2001年/第55回英国アカデミー賞】主演男優賞(ケヴィン・スペイシー)、助演女優賞(ジュディ・デンチ)
【2001年/第7回放送映画批評家協会賞】作品賞、音楽賞(クリストファー・ヤング)
コピー:人生最高の ニュースを 伝えたい

ニューヨークの新聞社でインク係として働くクオイルは、子供のころから父に厳しく扱われたことが心の傷となり、自分の殻に閉じこもってばかりの寂しい男になってしまっていた。ある日、彼は奔放な女性ペタルと出会い、はじめて男性としての幸せを感じる。その勢いのまま結婚し女の子をもうけるが、ペタルは育児も家事も一切せず、外出しては男と遊びまわっていた。そんな時、突然両親が自殺したという知らせが入り、クオイルは故郷へ戻るが、その間に、ペタルが娘をつれて家を出てしまう。クオイルは警察に捜索願いを出すと、ほどなく居所が判明。ペタルは若い男と駆け落ちする途中で交通事故死し、娘を養子縁組組織に売ってしまっていたことを知る。失意のクオイルは、父の遺灰をもらいにきた叔母について、父の故郷ニューファンドランド島へ引っ越すことにするのだったが…というストーリー。

インク係の仕事っぷりで、愚鈍さをさらりと表現。巧みな演出。アスペルガー症候群なのかな?ってくらいの様子。ハルストレムの他の作品と一緒で、痛い人が痛い人を引き寄せるお話。その連鎖のおかげ(?)なのか、町中痛い人ばかり。でも、ケヴィン・スペイシーが演じているからなのかもしれないが、愚鈍と扱われているクオイルだが、ニューファンドランド島にいると少し知的な人に見えてくる。

どう考えても惚れる要素なんかないケイト・ブランシェット演じるペタル(もちろんキレイなんだけど)。あれだけヒドい目にあわされながらも、なぜか彼女への好意が消える様子がないクオイル。というか、彼は何が“愛”なのかわかっていないから、はじめて接触した女性のぬくもりを愛だと刷り込まれている。ジュリアン・ム-ア演じるウェイヴィと距離が縮まっても、いつまでもペタルの妄想が彼を支配する。彼女との繋がりを深めるために彼が何を求めるかというと、彼女の心の傷を知りたがる…というのが痛々しい。

船の修理がおわったので旅立つ…という友人のためのお別れ会なのに、よってたかって船を破壊してしまう人たち。何か“愛”の形がみんないびつなのだ。
自分と変わらないような傷の持ち主ばかりの中で、彼らの傷を知り、彼らを慮り、彼らのために何かできるかも…と思えるようになっていくクオイル。同じように叔母も娘もウェイヴィ、その傷は癒せるだろうか。いや癒せるに違いない。そういう微かな希望を抱かせてくれるラスト。

いつものハルストレム作品の場合、とりかえしの付かないような深い傷のオンパレードなんだが、本作の傷はかさぶたができてる程度か。その浅さを嫌う人もいるみたいだが、私は満足。色んな愛があってよいし、色んな癒し方があってよい。味わい深い秀作。お薦め。
 

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image1876.png公開年:1983年
公開国:アメリカ
時 間:109分
監 督:マーティン・スコセッシ
出 演:ロバート・デ・ニーロ、ジェリー・ルイス、ダイアン・アボット、サンドラ・バーンハード、シェリー・ハック、 トニー・ランドール、エド・ハーリヒー、フレッド・デ・コルドヴァ 他
受 賞:【1983年/第18回全米批評家協会賞】助演女優賞(サンドラ・バーンハード)
【1983年/第37回英国アカデミー賞】オリジナル脚本賞(ポール・D・ジマーマン)



コメディアンを目指すルパート・パプキンは、TVのトーク・ショーの人気者ジェリー・ラングフォードを熱狂的なファンの群れから救い出す。そのどさくさに紛れてジェリーのリムジンに乗り込んだパプキンは、「自分もあなたのようなコメディアンになりたい」とせまる。うんざりしたジェリーは、「今度事務所に自演テープを持って来い」と社交辞令でかわすが、本気で捉えたパプキンは大喜び。コネができたと勘違いした彼は、すっかりスターになった気分になり、昔から気を寄せていた女性リタにアプローチするのだが…というストーリー。

『タクシードライバー』と同じ種類の“狂気”なんだけど、社会に対する不満とか、社会からはみ出している不安とか、そういうことじゃなく、ただただ他人に笑ってもらい、受け入れられる存在になりたいという欲求。このまっすぐ欲求と無邪気な笑顔が、底の見えない穴のような不安を感じさせる。本作のパプキンは、どう考えても頭のネジがはずれており、社会不適合の度が過ぎているのでユニークに感じられるが、よく考えると、このような思い込みの激しい人はいなくはない。度が過ぎた受け入れられたい欲求を持っている人もいる。自分はまだ本気をだしていないだけ…なんて本気で思っている人は、案外その辺にいるし…。
#昨今、湧いている“放射脳”の人たちも似たような人種だよな…。

散々妄想を重ねていたパプキンのことだから、斜め上オチだって、妄想と取れなくも無い。
実際の出来事だとしても、目的のためなら何をやってもいいのか?という疑問はわくし、これを受け入れてしまう社会の異常性も際立つ。そして、最後にステージに上がったパプキンは、感無量な様子にも見えるが、とまどって喋れなくなっているように見える。
そのまま受け取っていいのか、メタ的な目線で見ればいいのか、困惑と驚愕が入り混じったこのオチは、直接、脳をマッサージされたようなインパクトだ。

個人的には『タクシードライバー』より好き。というかスコセッシ作品の中でも相当上位。お薦めする。

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image1878.png公開年:1967年
公開国:日本
時 間:100分
監 督:工藤栄一
出 演:夏八木勲、里見浩太郎、南原宏治、西村晃、大友柳太朗、宮園純子、大川栄子、菅貫太郎 他





将軍の弟で館林藩主の松平斉厚が忍藩を訪れた際、あまりに好き勝手に振舞ったため、忍藩主・阿部正由が諌めると、斉厚は激昂し正由の顔面に矢を射て殺してしまう。この異常事態に、忍藩次席家老・榊原帯刀は、老中・水野越前守に訴状を送る。しかし、幕府は斉厚をかばい、正由に非があったと一方的に断罪し、忍藩は取り潰しを言い渡される。怒った帯刀は主君の仇を討つため、友でもある仙石隼人に斉厚暗殺を命じる。同じ頃、忍藩藩士・三田村健四郎ら6名と死んだ兄に代わって加わった妹ぬいは、斉厚を討とうと待ち伏せを謀るが、直前に隼人に発見され捕らえられる。隼人は彼らに切腹を命じるが、それは彼らの覚悟を図るため。彼らの覚悟を知った隼人は、6名の藩士とぬいを暗殺の同志に加えるのだった。さらに、勘定方の市橋弥次郎と藤堂幾馬を加えた10名は、切腹して死んだものとし、密かに江戸に向かうのだったが…というストーリー。

冒頭の将軍家の馬鹿息子の乱行から、藩の取り潰しまでが、あれよあれよとテンポよく展開。馬鹿息子斉厚の小悪党っぷりも、藩士たちの怒りに共感させるにはちょうど良く、こりゃあ期待ができる…と思ったのだが。
処分が決まったのに、罪人は最後に一つだけ言うことを訊いてもらえるんでしょ?すこし処分まで猶予くんない?とか、そして実際猶予が貰えちゃうとか、そんないい加減で都合のよいことがあるもんか…で興醒め。

タイトルは『七人の侍』に似ているが内容は赤穂浪士。それにしても『十三人の刺客』とプロットがあまりにも一緒。いくらなんでも…と思い調べたら監督が一緒じゃん。だけど、本作の方が4年も後。何でほぼ同じ話を焼きなおししてるの?意味がわからん。この手の集団敵討ちみたいのが、流行だったのだろうか?

わざわざタイトルに“十一人”と掲げているのだから、11人であることに意味がなければいけない。しかし、まったくキャラクターの特徴づけも書き分けもできていない。紅一点のぬいも女性という以外に特徴はないし、若い忍藩藩士6名は7人の小人並みに百把ひとからげ状態。できもしない大風呂敷を広げるものではない…と、ちょっと叱りたくなるレベル。

意外だったのは、血がリアルだったこと。矢が刺さったところとか、手の甲を刀で刺されたところとかが妙にリアル。へたな特殊メイクよりも、生々しくて昭和40年代のデキとは思えないほどだった。
また、ただ斬りあいはリアルにみえた。長刀の敵に切り込まれたときは、懐に入り振り上げた腕のひじを押さえるとか。泥臭い闘いかたは緊迫感を高めたといえる。

しかし、如何せんシナリオのデキが一歩およばず…という残念な作品。まあ、三池崇史監督がリメイクしたくなるのはよくわかるよ。手を加えたらすんごくおもしろくなりそうなんだもん。

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image0249.png公開年:2002年
公開国:フランス、イタリア、ドイツ
時 間:116+116分
監 督:イヴ・シモノー
出 演:ジェラール・ドパルデュー、ジョン・マルコヴィッチ、クリスチャン・クラヴィエ、イザベラ・ロッセリーニ、アヌーク・エーメ 他





1796年「アルコレの戦い」、1798年「エジプト遠征」の成功によってフランス民衆の人気を得たナポレオンは、クーデターにより第一統領にとなる。その後、皇帝となり、1805年「アウステルリッツの戦い」、1807年「アイラウの戦い」に勝利を収めロシアと平和条約を締結。イギリス以外の全ヨーロッパを勢力下に治め、その権勢は頂点に達しかたに思えたが…というストーリー。

TVムービーらしいのだが(CMポイントがある)、どちらも映画然としたオープニングとエンドロールがあり、実に丁寧につくられたクオリティの高い作品だった。エピソード1と2に別れており、それぞれ約2時間。クオリティは高いがとにかく長いのが玉に瑕。

皇帝になった後もしばらく権勢は衰えなかったが、徐々に軍事的失敗が重なり、対仏大同盟に貶められエルバ島幽閉。しかしウィーン会議のゴタゴタの間隙を縫って復権するも百日天下に終わるまでが描かれる。ナポレオンに関する書籍を読むよりも、当時のヨーロッパの状況とナポレオンの行動の関係がすっきりと腑に落ちる作品。

ウィキペディアのナポレオンのページを読みながら観たのだが、非常に面白かった。とりあえず史実と思われる流れに忠実に作ろうとしているのがわかるし、ジョセフィーヌの戴冠の場面など、有名な絵にできるだけ近づけようと努力している。数々の逸話で伝えられている有名なセリフもしっかり盛り込まれている。

ナポレオン役の人もジョセフィーヌ役の人も残っている絵画などのイメージに近く、違和感は皆無に近い。その中で、タレーランを演じたジョン・マルコヴィッチだけが異彩を放っている。

本作を観る限りだと、ほんの少しだけ血の気が少なければ無双状態だった気がする。とはいえ、やはり、日本民法の礎を作った大天才だけのことはある圧巻の生き様だった。

あまり軍事のことは詳しくないが、本作で描写されている白兵戦の様子が実に馬鹿馬鹿しくみえる。銃剣を持った兵士が歩いて衝突し、ただ刺しあうだけの消耗戦。やってて馬鹿らしくならないのか、甚だ疑問に感じながら鑑賞していた。これなら、両軍から武将クラスが「やあ我こそは~」ってやったほうが、意味があるように思える。

まあ、とにかく長かったけど、興味深く観続けることができた良作。

 

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imageX0055.Png公開年:2001年
公開国:アメリカ
時 間:101分
監 督:チェン・カイコー
出 演:ヘザー・グレアム、ジョセフ・ファインズ、ナターシャ・マケルホーン、イアン・ハート、キカ・マーカム、ジェイソン・ヒューズ 他
コピー:覗いてはいけない愛の果て




アメリカ人のアリスは、ロンドンでウェブデザイナーの仕事に就いており、同棲中の恋人とそれなりに幸せな日々をおくっていた。しかし、ある朝の通勤途中、見知らぬ男と目が会い、なにか惹かれるものを感じ、どうしても気になって仕方が無くなり、会社を飛び出してその男の後を追ってしまう。その男と再開すると、誘われるままに激しい情事におよぶ。一度限りと思いつつも、アリスは何度も彼の元を訪れてしまい…というストーリー。

面喰うくらいのエロシーンのラッシュでスタート。情欲に流されて結婚するなんて馬鹿な女…なんて、野暮なことは言わない。しかし、男女が異常なシチュエーションで結ばれた場合、その出会いのきっかけになった事由によって別れることになるのが常である。そういう展開が読めるので、あえてそこはハズして欲しいと願ったのだが…。

姉がいかにもな感じで登場しすぎ。それはミスリードで、別の展開があって欲しいなと、またまた願ったのだが…。
サスペンスとしてなかなか緊迫感が会って、中盤まではよくできていたのにな。のこり10分くらいで、急に畳み掛けすぎ。姉が本当にただの姉だったらおもしろくないわけで、ヒネリがないとすると時間をかけるとバレちゃうから、駆け足になった…そんなところだろうな。

『氷の微笑』とか、日本の『失楽園』とか、こういう情欲系の話は定期的に製作されるけど、本作のデキはそれほどでもないな。特に終盤がね。こんなに明らかに息切れする映画もなかなか無いよ。チェン・カイコーはせっかくのアメリカデビューでやらかしちゃったんだね。うまかったのは陰部の自然な隠し方だけだったか。

当初は激しい情事に惹かれるアリスだが、死を望むほど溺れるわけでもないし、それどころか、むしろ彼とそういうことを継続することに恐怖を抱くようになる。『キリング・ミー・ソフトリー』“やさしく殺して”って意味がさっぱりピンとこない(原作からこういうタイトルなんだけどさ…)。タイトルだけじゃなく、色々ピンとこないんだけど…。

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image1898.png公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:106分
監 督:クレイグ・ギレスピー
出 演:アントン・イェルチン、コリン・ファレル、クリストファー・ミンツ=プラッセ、デヴィッド・テナント、イモージェン・プーツ、トニ・コレット、デイヴ・フランコ、リード・ユーイング、ウィル・デントン 他




オタクだったチャーリーは、学校一の美女エイミーと付き合うためにオタクを卒業。見事に彼女を恋人にして充実した日々をおくっていた。そんなある日、チャーリーの隣の家にジェリーという男が引っ越してくる。オタク時代の友人エドは、最近数多くの学生が失踪しているのは、ジェリーがその犯人だと主張したが、相手にしないチャーリー。しかし、そのエドも失踪してしまう。相手にしなかったことを心苦しく思うチャーリーが、エドの部屋を調べると、ジェリーがバンパイアであるらしい証拠を発見する。ところが、母もエイミーもチャーリーの警告を信じないため、ラスベガスのショー“フライトナイト”でヴァンパイア・キラーを演じるピーターに助けを求めるのだったが…というストーリー。

1985年の『フライトナイト』のリメイク。オリジナルとの違いが実に興味深い。あらゆる設定変更やストーリー変更がウマく効いているのだ。ここまで的確にリメイクできている例はめずらしいかも(まあ、オリジナルが、シナリオのセオリーをかなりハズしているだけ…っつー話もあるんだけど)。

オリジナルで隣家に住むのは男二人だった。大してストーリーに貢献しておらず、味のある存在でもなく、メリットは薄かった。それを一人に変更。実にすっきり。
母親の処理。途中でストーリーがダレぎみになったところで、バトルシーンを設け、同時に母親に画面から消えてもらう流れに。なかなか巧み。
オリジナルの恋人は、さほどかわいくもないのに自分からバンパイアの親父を受け入れてしまうというビッチっぷりを発揮。そんな“汚れ”なら死んでしまえ!とすら思わせるのを、コントロールされて仕方なく…に変更。とりあえずまともな形でヨリが戻る。ディズニー配給ってこともあるし、さすがにオリジナルのままじゃね。
手助けしてくれる人が、オカルト好きなおじいさんから、インチキイリュージョニストに変更。終盤のバトルが、じいさんのモタモタで興醒めするのを避けたってことだろう。これも正解。
オタクの友達の処理。オリジナルは、別に仲違いしたわけでもないのに敵対関係になってしまうという、見も蓋も無さだったが、敵対する理由をつけ意味のある対立軸になった。

とにかく3Dのホラー作品ということで、疾走感がすべてだと思ったのだろう。引っかかる部分や変なの…と思わせる部分は徹底的に排除されており、それらが非常に功を奏していると感じる。どうせ大したものではなかろうと半分馬鹿にしていたけど、大変楽しめた。佳作。

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image1054.png公開年:1999年
公開国:フランス
時 間:67分
監 督:ミッシェル・オスロ
出 演:原田知世、松尾貴史、穂積隆信 他
コピー:だれも知らないおとぎの国のお話――





未来のアニメーターのような立体映写技師の老人と、好奇心旺盛な少年と少女が、ラブストーリーを紡ぎ出していく。魔法にかけられ囚われの身となった王女をプリンセスが助けに行く「プリンセスとダイアモンド」。貧しいが善良な青年が、自分の庭になった季節外れのいちじくをファラオに捧げに行く「少年といちじく」。王女の妻になるために難攻不落の魔女の城に、青年が丸腰で挑む「魔女」。老婆の腰掛を奪おうとする泥棒の日本を舞台にした物語「泥棒と老婆」。王女から逃げ切ることができれば夫になれるが見つかれば殺されるという死のかくれんぼに参加する青年の物語「冷酷なプリンセス」。キスをするたびに様々な生き物に変化してしまう王子と王女の物語「プリンス&プリンセス」の全6話。

『キリクと魔女』のオスロ監督の作品。彼の数ある短編アニメの中から、プリンスとプリンセスにまつわる作品だけをチョイスしてまとめたとのこと。だから厳密にいうと、このDVDの構成で公開しようとはじめから作られたわけではないので、映画といえるかどうか微妙なところではある(まあ、いいや)。

日本の商業アニメがマンガを動かすところからスタートしているので、当然昔話も絵本を動かそうという発想になっても仕方が無い。日本昔話のような番組は、絵柄にアート性を盛り込もうという意図はそれほど高くなかったのも理解できなくはない。本作は、オリジナルストーリーだったり民話が元だったりするわけだが、全編影絵による表現力は統一されており、その表情が伝わってくるほどのとてつもない表現力にはただただ感服する。
復活した日本昔話が、意外と観てもらえずにひっそりと終わってしまった理由は、本作のような絵力、さもすれば子供たちを置いてきぼりにしそうなくらいの独創力が、不足していたからではなかろうか。その不足が子供からみても“子供だまし”にみえると、話には入り込めなくなるものだ。
とにかく本作は、子供の目も大人の目も飽きさせない、実に質の高い作品だと思う。

今、本作のような作品が商業ベースに乗らないのは理解する。でも、個人のパソコンでこのレベルの作品は作ることができる時代になったにも関わらず、こういう作品が雨後の筍のように生まれてこないという、アート界の現状を危惧すべき…そんな気がする。

穂積隆信の声優としての演技力が特出しているため、松尾貴史のセリフがポンコツ演技に思える。いや、松尾貴史の声の演技の大したことがないのが際立ってしまった…というのが正確かも。

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image0510.png公開年:2002年
公開国:アメリカ
時 間:113分
監 督:ジョージ・クルーニー
出 演:サム・ロックウェル、ドリュー・バリモア、ジョージ・クルーニー、ジュリア・ロバーツ、ルトガー・ハウアー、マギー・ギレンホール、デヴィッド・ジュリアン・ハーシュ、ジェリー・ワイントローブ、フランク・フォンテイン、ブラッド・ピット、マット・デイモン、リチャード・カインド、クリステン・ウィルソン、マイケル・セラ、ジェニファー・ホール 他
受 賞:【2003年/第53回ベルリン国際映画祭】銀熊賞[男優賞](サム・ロックウェル)
コピー:残したものは、視聴率と死体…

1960年代のアメリカ。ABC放送に臨時職員として採用されたチャックは、奇抜な企画を持ち込んで局に売り込んだが、まったく相手にされることはなかった。そんなある日、彼の前にジム・バードと名乗る謎の男が現れ、高い報酬と引き換えにCIAの秘密工作員の仕事をするように依頼する。深く考えずその教育プログラムに参加して、実際に工作員としてアメリカにとって邪魔な人物を抹殺していくチャック。すると、『デート・ゲーム』や『ザ・ゴングショー』など彼の企画したTV番組もヒットしだし、番組プロデューサーと工作員という二重生活がはじまるのだったが…というストーリー。

チャック・バリスは実在するTVプロデューサーらしい。日本でも番組が放送されていたことがあるそうだ。さすがにそんな古い時代のことは知らない。そしてこの話は、チャック・バリス本人が書いた自伝とのことだが、CIAのくだりが本当かどうかはわからない。
多分ウソだとは思うが、100%ウソだとは言い切れないのも事実で、その線を愉しむお話ということなんだろう。世の中を煙に巻くことこそ良しとするような人物による著作。

これは事実なのか虚構なのか、観客も揺れるが、主人公のチャックも揺れる。本人も境界があいまいになっていき、『ビューティフル・マインド』みたいに全部妄想でした…っていう展開になってもおかしくない流れである。
でも、それはあくまでも主人公をメディアを通して知っている場合、彼の築いた一時代を彼の番組と生きた人間なら…ではである。チャック・バリスという存在を微塵も知らなければ、丸々フィクションなのと変わらない。じゃあ、単純にフィクションとして観るとどうなのか。やはり、つまらないと感じる人が相当数いると思う。

ジョージ・クルーニーの初監督作品なんだけど、その後、彼が製作に関わっていく作品には、虚構と不条理っていう匂いがどこか漂っていて、共通点があるような気がする。ジョージ・クルーニーがチャック・バリスという人物にシンパシーを感じたんだと思うよ。

個人的な感想としては、こういう奇人のお話はきらいじゃないし、観客がメタ目線になっても掴み所を判然とさせない演出は非常に長けていると思う。観客が飽きてしまう理由は、カメラワークやカット割りの凡庸さのせいで、意外とストーリーに対してではないと思う。珍作の部類だけど、もうちょっと評価されてもいいと思う。
 

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image1878.png公開年:2011年
公開国:日本
時 間:128分
監 督:瀧本智行
出 演:西田敏行、玉山鉄二、川島海荷、余貴美子、温水洋一、濱田マリ、塩見三省、中村獅童、岸本加世子、藤竜也、三浦友和 他
コピー:望みつづけるその先に、きっと希望があると思う。




夏の北海道。林の中にあったワゴン車から、中年男性の白骨死体と、犬の遺体が見つかる。男性は死後半年が経過しており、犬は死んでからそれほど経過していない模様。車のナンバープレートは破棄され車体番号も削られており、身元がわかる持ち物は一切なかった。遺体の処理にあたった市役所の青年・奥津は、この男性と犬ののことが気になり、唯一の手がかりである現場にあったレシートや書類を頼りに、身元を捜すことに。そして有給をとって書類に書いてあった東京の住所まで、自分の車でやってくるのだったが…というストーリー。

めずらしく原作マンガを読んでいた。泣くまい…と思っていたが、流し読みだったにもかかわらずウルっときてしまった。犬の力おそるべし。このまま映画にすりゃあ、どうころがっても泣ける作品になるわな…と思っていた。しかし、なんと、泣けなかった…。なんじゃこりゃ。

原作マンガの『星守る犬』は、中年男性と犬の死体が見つかったところからはじまり、その中年男性がそこに至るまでの経緯を順を追って進む。しかし本作は、死体を発見した役所の青年が、中年男性の身元を調べる旅をベースに展開する。どうもこれは『続・星守る犬』という続編作品の内容らしい(そっちは読んでない)。このストーリーは、中年男性と一緒に旅するから泣けるのだ。役所の青年の目線になったって泣けやしない。

まあ、役所の青年が、調査の過程で出会った人の証言で、ストーリーを構成しよう…、そう思ったならそれでもいいさ。上映時間を長くするためにそうしたのかもしれない。でも、それなら、証言だけで話を進めることを貫けよ。早々に、青森の段階で証言でもなんでもなくなってるじゃないか。そういうポリシーの希薄な演出って興ざめするんだよね。

函館から北上して岩見沢にいって石狩とか、変なルート。石狩のほうが先じゃね?岩見沢の職安に行く途中にもっと職安あるし。それに名寄の寒さをなめちゃだめだよ。暖房のない車の中では、数日も持たないから。せめて寝袋とか毛布とか、生きられる装備を入手させておけよ。

とにかく、この構成でGOサインを出したやつが戦犯。この脚本家は映画の脚本の才能ないよ。
そして玉山鉄二のセリフ廻しがヘタすぎる。せめて、困窮して死んでいくんだから、西田敏行はデ・ニーロばりの体重変化を見せてみろっての。気合が足りない。泣けるものを泣けないものにできるなんて、みんなすごい才能だよ。
がっかりの極み。

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image1897.png公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:158分
監 督:デヴィッド・フィンチャー
出 演:ダニエル・クレイグ、ルーニー・マーラ、クリストファー・プラマー、スティーヴン・バーコフ、ステラン・スカルスガルド、ヨリック・ヴァン・ヴァーヘニンゲン、ベンクトゥ・カールソン、ロビン・ライト、ゴラン・ヴィシュニック、ジェラルディン・ジェームズ、ジョエリー・リチャードソン、インガ・ランドグレー、ペル・ミルバーリ、マッツ・アンデション、イーヴァ・フリショフソン、ドナルド・サンプター、エロディ・ユン、ヨセフィン・アスプルンド、エンベス・デイヴィッツ、ウルフ・フリベリ、ジュリアン・サンズ、マーティン・ジャーヴィス、アーリー・ジョヴァー、アラン・デイル、ジョエル・キナマン 他
受 賞:【2011年/第84回アカデミー賞】編集賞(カーク・バクスター、アンガス・ウォール)
【2011年/第17回放送映画批評家協会賞】編集賞(アンガス・ウォール、カーク・バクスター)
コピー:誰がハリエットを殺した?

スウェーデンの社会派雑誌“ミレニアム”を発行するジャーナリストのミカエルは、実業化ヴェンネルストレムによる財界汚職事件の告発記事を書いたものの、名誉毀損で訴えられ敗訴してしまう。多額の賠償金とプライドを失い意気消沈の日々を送るミカエルだったが、そんなある日、国内有数のヴァンゲル財閥の元会長ヘンリック・ヴァンゲルから、自伝の編纂の依頼が舞い込む。しかしそれは表向きで、40年前に発生した曾孫ハリエットの失踪事件を再調査の依頼が真の目的であった。多額の報酬とヴェンネルストレムの悪事に関する情報を与えるという条件で、ミカエルはこの依頼を引き受ける。しかし、調査を進めても、ヴァンゲル一族の血塗られた過去が詳らかにはなるものの、真相には近づけずじまいだった。すると、ヴァンゲル家の弁護士が、調査の手助けのために、リスベット・サランデルという高度な情報収集能力と記憶力を持つが、著しく社会性にかけた小柄な女性を紹介される。彼女はこの事件に興味を示し、ハリエットの日記の記述が、未解決の連続猟奇殺人事件と関連があることを突き止めるのだったが…というストーリー。

類稀なコンピュータ技術の持ち主がメインキャストということで『ソーシャル・ネットワーク』のフィンチャー監督が浮かび、未解決の連続殺人事件を追うってことで『ゾディアック』のフィンチャー監督が浮かび、聖書モチーフの猟奇殺人ってことで『セブン』のフィンチャー監督が浮かび…。原作の要素を考えればフィンチャーにオファーが来るのは、自然の流れか。

それにしても、なんでいきなり『移民の歌』なんだー??別に移民が関係する話でもないし、もちろんブルーザー・ブロディとも関係ない(あたりまえ)。こういうブンブンとバットを大振りするような演出もあれば、しっかりと送りバントも決められる細やかな演出もある。デヴィッド・フィンチャーってそんなダイナミズムが魅力だよなぁ。
エンヤのウォーターマークで、舞台がどこかろ再確認できるしね。とにかく音楽チョイスのセンスは高いよね。

リメイクだからもっと短くできるかも…と思ったが、ミカエルとリスベットが遭遇するまでのエピソードがどうしても削れないから時間がかかるので、しょうがないか。
スウェーデン版は、すべての要素を満遍なく表現していて緩急がない印象。そのせいで、何の事件を追っているのか途中で失念してしまうほどだったが、本作は話の焦点がはっきりして、すっきりした流れになっている。さすが。

無駄な、ミカエルと妻子とのやりとりもオミットされてる。距離の縮まった二人が、別々の手法で同じ結論にたどり着くのがおもしろい。リスベットがミカエルを助けにくるまでの流れがすっきりしている。
後出しじゃんけんだもん…っていう人もいるかもしれないが、すっかりオチは判っているのに、これだけおもしろく観せているんだから、いいデキなんだと思う。
オーストラリアってのは雰囲気が壊れるなぁ…って思ってたんだけど、そこも変更してくれて満足。金を奪って逃走する部分も、意味がわかりにくかったんだけど、明快。

スウェーデン版のリスベットは、本当にクレイジーで気色悪いんだけど、本作はパンチのある姿は変わらないけどツンデレ(っていうかヤンデレ)で魅力いっぱい。家族と一緒の姿をみてショックを受けるようなキャラじゃなかったもんな。なんだかんだいって可愛げがある。本作のリスベットのほうが、性格や行動にブレが無いように見えるしね。

さて、本作にて父親に火を点けたことを告白してしまったリスベット。続編があってもなくても、問題のない状態で終わっているが、やはり続編には期待してしまう。でも、気をつけないと、『クリムゾン・リバー2』になっちゃう。そこをどう料理するのか期待は高まるね。

スウェーデン版を観た人は、内容を知っていてもその差を愉しめる。知らない人はこっちを観るだけでOKだろう。かなり満足した。
#リスベットが使うPCはLinuxマシンとかにしてほしかったな…。

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プロフィール
HN:
クボタカユキ
性別:
男性
趣味:
映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
自己紹介:
一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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