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image1822.png公開年:2011年
公開国:日本
時 間:147分
監 督:成島出
出 演:井上真央、永作博美、小池栄子、森口瑤子、田中哲司、渡邉このみ、市川実和子、吉本菜穂子、相築あきこ、別府あゆみ、安藤玉恵、安澤千草、蜂谷真紀、松浦羽伽子、ぼくもとさきこ、深谷美歩、畠山彩奈、余貴美子、平田満、風吹ジュン、井上肇、宮田早苗、徳井優、広澤草、野中隆光、管勇毅、荒谷清水、日向とめ吉、瀬木一将、吉田羊、日比大介、劇団ひとり、田中泯 他
コピー:優しかったお母さんは、を誘拐した人でした。

生後まもなく、父親の愛人に誘拐され、4歳になるまで犯人に育てられていた恵理菜。両親の元に戻ることができたものの、それまで犯人を母親と信じて疑わなかった彼女にとって、真の両親は他人以外の何者でもなかった。両親もそんな娘の態度にとまどい続け、結局、まともな親子関係を気付くことができないまま、恵理菜は大学生になる。ある日、友達もおらずバイト生活に明け暮れる恵理菜に、過去の誘拐事件について取材させて欲しいという女・千草があわられる。妙に馴れ馴れしい千草を訝しげに思いながらも、取材に応えていく恵理菜。そんな時、恵理菜は妻子ある男の子供を身篭ってしまい…というストーリー。

誘拐犯・野々宮希和子の公判の様子から始まるのだが、そこで語られる事件当時の様子を皮切りに、①誘拐→逃亡の生活、②救出後に成長した薫の今の生活、という二本のストーリーの川をつくる。その二本の川を交互に見せていくことで、登場人物たちの心の揺れを見せたり、彼らの行動に対する疑問を説明してみたりする。決して目新しい構成ではないし、もしかすると原作の段階でこういう構成だったのかもしれないが、非常に効果的だったし、編集の仕方も長けているので、単なるウェットで病んだ人々のお話にならず、スリリング且つメリハリの効いた“映画”らしい作品に仕上がっていると思う。

小池栄子は『接吻』と同様に光る演技。胸を目立たなくさせるためか、純粋なキャラ付けなのかはわからないけど、、猫背で引きずるような歩き方。全編オドオド(っていうかキョドっている)。その一貫した演技のおかげで、彼女の過去の告白を聞いた時の“ぞわっ…”が生じる。
そして、ストーリーは、痛い二人によるロードムービーに転じていく。

ただ、シチュエーションが特異すぎて、共感しにくいのが難点か。特に男性には難しいかもしれない。誘拐犯の希和子は、子育てをする喜びを味合わせてもらったことに対して感謝する陳述をする。普通は彼女が人非人に写る。でも、薫との生活を順に追っていくと、なんとなく希和子が理解できる…???いやぁ、男の私には微塵も理解できないのよ。女の本能だとでも?
薫の感情だって理解しにくい。後妻で入ってきた義母と折り合いが悪くて…なんて経験をした人には共感ポイントがあるのかもしれないけど、私そういう経験ないし。それこそ、狼に育てられた狼少女の気持ちなんてわかるわけないでしょ。それと同じくらいピンとこない。まあ、逆に彼女たちも“普通”がわからないから、“八日目の蝉”の気持ちを考えるわけなんだけど…。
#本当に一番理解できないのは、連れ去り犯であろう女を愛人にしていた夫と、その後も生活を共にし続けている点なのだが、そこを突っ込んじゃ話が進まないのかな(ここをうまく説明できていたら、よかったのにな…と思う)。

原作通りなのかどうかわからんけど、多くの人が、ラスト「これで終わり?」と思っただろう。あの写真館で薫は何を思い出したと?どういう心の整理がついたと?私の感受性が不足しているのかもしれないが、いまいち理解できていない。島に戻るって決めたこと?とりあえず、子供を生んで、二人で育てるって決めた以外になにが?お腹の子供が愛おしくなったって、それまではそう思ってなかったの?

登場人物に共感できなかった私は、俯瞰した目線で純粋にサスペンス映画として愉しんでいたのだが、申し訳ないのだが、結局、彼女がどういう欠けたピースを求めていて、どうそれを埋めたのかよくわからなかった。そこがうまく表現できないならば、せめて、もう一盛り上がり事件をつくって終わって欲しかった。

まあ、文句は色々書いたけど、佳作だと思う(とにかく、中盤までの演出は評価したい)。



負けるな日本

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image1820.png公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:80分
監 督:ジョン・エリック・ドゥードル
出 演:クリス・メッシーナ、ローガン・マーシャル=グリーン、ジェフリー・エアンド、ボヤナ・ノヴァコヴィッチ、ジェニー・オハラ、ボキーム・ウッドバイン、ジェイコブ・バルガス、マット・クレイヴン、ジョシュア・ピース、カロリン・ダヴァーナス、ヴィンセント・ラレスカ 他
コピー:密室<エレベーター>が、お前たちの地獄になる



お互いに見ず知らずの5人が乗り合わたエレベーターが急停止し閉じ込められる。警備員たちは早急に救出を試みるが、急行エレベータが中間部分で停止したために難航する。さらに、警備室の声は通じるもののエレベータ内の声は聞こえず、不穏な空気に。そんな中、一時的に照明が消えると、若い女が背中を切られる。緊急事態に慌てた警備員は、警察に応援を要請。たまたまそのビルから男が転落死した現場で捜査をしていたボーデン刑事が、即座に駆けつけるのだったが…というストーリー。

M・ナイト・シャマランが製作・原案。映画界は『ソウ』シリーズみたいな、低予算ながらもインパクトのあるシチュエーションホラーを捜しているので、そういうニーズにもマッチしていたと思う。ただ、その期待には全然応えられていない。

タダでさえいけ好かない人間ばかりのエレベーター内に充満する疑心暗鬼。外からの声は聞こえるけど中の声は聞こえないで、何がウソで何が本当かわからないという、『藪の中』ばりの展開。シャマランが貯めていたこういうアイデア群を、容赦なく投入!ってことらしいのだが、これらアイデアも既視感が。
エレベータの5人が脛に傷のある奴らばかりって、『ソウ』だってターゲットになってる人たちは行いのよろしくない人ばかりだった。集めているのか殺人鬼か悪魔かの違い。

そこに駆けつける刑事も関係者というのは、シャマランらしい。ただ、そこまではわかるけど、この怪現象に気づいた中南米系の警備員は、結局、どういう関係?だって彼は“自分たちは、これを見せられている”とまで言ってるじゃない。いや、それ以前に、ビルから転落死した人のくだりって重要?っていうか、その設定生きてる?彼も悪魔のターゲットだってこと?
どうも、アイデアを詰め込んだのはいいのだが、発散して未消化になっちゃってる印象。

本当に悪魔の仕業?いや、そう見せておいて実は、巧みな犯罪者がいるのかもよ?と、もっと、この辺りをぼやかして引っ張り続け、観客を弄び続けられればよかったと思う。
#正直、こっちはもっと弄んでくださいよ~くらいの気持ちで観ているのに、全然、相手にしてくれない感じ。

(ネタバレ注意)
で、結局、本当に悪魔の仕業だった。その末に、シャマランがいかにもお好みな、“赦し”のお話になっちゃう。シャマランの宗教観って、既存の宗教観を超えた何かがあるから良かったんだけど、最近はキリスト教的な宗教観の域を出ていないように思える。悪魔の諸々の発言を聞くと、悪魔さんが悪魔には見えない。悪人を適正に処罰するのが悪魔ってか?悪魔か天使か、それは貴方の行い次第よ…ってことか?大した深い洞察でもないし、あんまりおもしろくないよね。
『ハブニング』でどうしちゃった?と思わせて、『エアベンダー』でダメだこりゃと思わせて、その後の仕事がコレだもの。正直、才能が枯渇しちゃったんじゃないかと思われても仕方が無いかと。

ピリっとしない凡作。シャマラン監督が復活するのはいつなのか。『エアベンダー』の続編なんか作ってる場合じゃないと思うんだよなぁ。




負けるな日本

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image1819.png公開年:1983年
公開国:カナダ
時 間:103分
監 督:デヴィッド・クローネンバーグ
出 演:クリストファー・ウォーケン、ブルック・アダムス、マーティン・シーン、ニコラス・キャンベル、トム・スケリット、アンソニー・ザーブ、ハーバート・ロム、コリーン・デューハースト、ショーン・サリヴァン、ジャッキー・バロウズ、ゲザ・コヴァックス、ロバータ・ウェイス、ラモン・エステヴェス 他
受 賞:【1984年/第12回アボリアッツ・ファンタスティック映画祭】批評家賞、黄金のアンテナ賞、ヒッチコック・サスペンス映画賞

教師のジョニーは、恋愛関係にある同僚のサラの家から帰宅する途中で、自動車事故に巻き込まれてしまう。一命はとりとめたものの昏睡状態となる。5年後、彼は昏睡から目覚める。幸いにも大きな後遺症はなかったのだが、昏睡中にサラは別の男と結婚しており、子供までいることに、大きなショックを受ける。そんな中、看護士がジョニーに触れたときに、看護士の家が火事になっているビジョンが浮かぶ。彼は、事故の影響により、手に触れた人の過去や未来の出来事を知覚できるという能力を身に付けてしまったのだ…というストーリー。

実にスティーヴン・キング原作らしい内容だし、クローネンバーグらしいジメっとした質感がいい感じ(他作品で観られるグロさは無いけどね)。キング原作の超能力モノのSF作品で一番いいデキかもしれない(というか、純ホラーかヒューマニズム系意外は失敗映画ばかりだけどね)。

(以下、ネタバレ注意)
クリストファー・ウォーケン演じる主人公ジョニーは、事故に逢って5年も昏睡状態で、目覚めたのはいいけれど、愛しい恋人は別の誰かと結婚しちゃってるし、もちろん体は萎えちゃってまともに動けない状態。

そんな彼は、まず未来や過去が見えるようになる。でも、その能力のおかげで人助けもできるけど、インチキ超能力者と罵られることにもなる。すっかり嫌気がさしてしまい、ひっそり暮らそうとするんだけど、昏睡中に発生していた連続殺人事件の調査を依頼される。人の役に立つならば…と、引き受ける。基本、すんごくイイ人なのね。

で、現場で事件当時のビジョンが浮かび、真犯人を突き止め、大捕物に(なかなか緊迫感があってよい)。「うん、色々大変だったけど、きっとこうやって人の役にたつ運命だったのね…」てな感じで、この流れで進むのかと思いきや、そうはならない。

やはり、能力に嫌気がさして、またもやひっそりと暮らそうとするのだが、またしても元カノの影が追いかけてくる。もう、いい加減、ひっそり暮らさせてやれよ…と思うのだが、ストーリーは、なんで彼はその能力を与えられたのか?というところに焦点が当たっていく。

(さらにネタバレ注意)
やはり、このストーリーの一番のポイントは、未来が見えた彼にとっては正義の行動でも、周囲の人からは単なるテロリストにしか見えないよね…っていうところ。だけど、主人公は、満足して死んでいく。自分が汚名を着せられても、将来的に愛すべき人たちは救われるんだもの。
世の中に実在するテロリストって、絶対に信じて疑わないで行動しているわけで、もしかして彼らも、未来のビジョンを見て、同じように行動してたりして…っていう、きわめて不謹慎ながらもSF的な冷めた着眼点が秀逸。そして、このラストのテーマにすぐ行かずに、切ない主人公に男泣きしちゃうような話が並行しているのが、実に巧み。

あまり有名な作品ではないけれど、秀作SFでとても愉しめた。お薦め。




負けるな日本

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image1346.png公開年:2008年
公開国:日本
時 間:108分
監 督:万田邦敏
出 演:小池栄子、豊川悦司、仲村トオル、篠田三郎、大西武士、馬場有加、佐藤貢三、宮田亜紀、杉山彦々、青山恵子、菅原大吉、平栗里美、美月まどか、八波一起、諏訪部仁、竹本和正、鳥木元博、岡部務、由地慶伍、高野三枝、伴藤武、篠崎誠、吉岡睦雄、中津川南美、熊島一樹、河崎早春、須賀友之、粕谷直子、櫻井勝、太田悦史、権藤俊輔、沖田弘二、比佐廉、小宮山ますみ、鈴木隆之介、柏原優 他
受 賞:【2008年/第18回日本映画プロフェッショナル大賞】作品賞、主演女優賞(小池栄子)、ベスト10(第1位)
コピー: この愛は理解されなくてもいい。やっとあなたという人に巡り会えたのです。
究極の愛が行き着いた、衝撃の結末。

幼い頃から人付き合いが苦手だった遠藤京子は、淡々と事務職をこなす孤独な日々を送ってきた。ある日彼女は、無縁な親子3人を撲殺した坂口秋生の逮捕劇をTVで目にする。京子は、カメラに向かって微笑んだ坂口の表情を見て、彼が自分と同じように孤独の中にいる人間だと確信。そこから事件記事のスクラップを始め、坂口に関する情報を狂ったように集めるのだった。公判が始まると、弁護士の長谷川と接触し、坂口へ差し入れを持っていって欲しいと依頼するまでになり…というストーリー。

映画を観ているはずなんだけど、小さい小屋で小劇団がやってたらさぞ話題になるだろうな…なんてことが、ずっと頭の片隅に。なんでそう思うかというと、“映画”ならではという表現がまったくといっていいほど使われいないから。別に、中島哲也監督のような奇抜さなんかを求めていっているのではない。映画ならではというフォーカスの当て方や、場面の移り変わりなど、効果的な手法を使ってしかるべきだと思うのだ。はっきりいって絵コンテのセンスや編集のセンスが不足。

小池栄子の演技に関しては、何の文句もなし。バラエティの印象が強すぎるのが非常に残念だが、致し方ない。満島ひかりが『ウルトラマンマックス』で三池崇史監督と出会ったような、そういう運命が彼女のは無かったということ。あきらめるしかない。

本作の最大の問題ポイントは、タイトルでもあるラストの“接吻”だろう。いわゆる映画の玄人筋にはウケがよかったと思う。だけど、一般の観客の7割は“はぁ?”だったんじゃなかろうか。私も、観ているリアルタイムの間は、意味がわからなかった。観終わった後に、振り返ったり撒き戻したりして、熟考した上で、「ああ、もしかしてこういうこと?」と結論が見えてきた。私が鈍いのか?いや、多分違うと思う。

(以下、ネタバレ注意)
遠藤京子は、坂口にシンパシーを感じてどっぷりと傾倒していく。自分はいままでの人生の中で、周囲の人間からぞんざいな扱いしか受けてこなかったと思っているし、きっと自分は他者とは違う感覚なんだろう…と。だって、どうやら周りの人が感じているらしいことはピンとこないし、自分が気にかかることや大事に思っていることを周囲の人はそう思っていないようだし。きっと自分はこのまま孤立して生きていくんだろう…すっと理解されないんだろう…と思っているところに、同じように他者からはみ出すべくしてはみ出した人間が出現する。

で、ストーリーも彼女の一途な行動をずっと追っていく。ラストでその一途さは、坂口から裏切られた…というか、このまま二人は染み込んで一つになってしまうんじゃないかと思っていたくらいなのに、突然突き放された絶望感で、極端な行動として現れるわけだ。ああ、こういう燃え上がりで終わるんだ…と思ったところで“接吻”なわけだ。

私は、これは、絶対的に他者と違うと思っていた(思い込んでいた)京子が、自分の中に普通の人間(というか生き物)が欲する感情や欲望が顔を出したのだ。そう、京子は表層の意識では坂口を愛し長谷川を憎悪していたのに、無意識下では長谷川を欲していた(ある意味、ノーマルな私がいた…)ということに、自分も気づかされたという瞬間なのだ。
理性と本能の乖離。自分が自分を作り上げていただけなのか。やはり坂口や長谷川が言うように、自分と坂口は別物なのか。それとも逃げ出したいけど、引っ込みが付かなくなった私がそこにいるのか。え?何?何?私って何?
あの“接吻”の瞬間に、こういう考えや思いが、ぞわーーーーっと津波のように襲ってくる。そしてそれに気付きつつも、我に返った京子は、刑務官に引っ張られながら長谷川を拒絶しながら消えていくわけだ。もしかすると、最後の拒絶は、今まで長谷川を拒絶していた理由とは違って、今度は長谷川に迷惑をかけたくないという愛に変わっているのかもしれない。

そう、本当は、観ている時にリアルタイムで、この“ぞわーーーーー”を感じられる演出をしないとだめなの。これをリアルタイムで共有できたら、本作は間違いなく名作となり得た。これができなかった以上は、地味だけど佳作どまり。もし、小池栄子のがんばりがなかったら凡作。

#坂口が致命傷を負ってもあまり痛みを感じていなさそうな演出は、地味に秀逸だったと思う。シリアルキラーとか暴力犯罪を繰り返す人は、物理的な痛みに鈍感な人が実際多いからね。


負けるな日本

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image1768.png公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:133分
監 督:オリヴァー・ストーン
出 演:マイケル・ダグラス、シャイア・ラブーフ、ジョシュ・ブローリン、キャリー・マリガン、イーライ・ウォラック、スーザン・サランドン、フランク・ランジェラ、オースティン・ペンドルトン、ヴァネッサ・フェルリト、マイケル・ジェネット、ナタリー・モラレス、シルヴィア・マイルズ、チャーリー・シーン 他
ノミネート:【2010年/第68回ゴールデン・グローブ】助演男優賞(マイケル・ダグラス)
コピー: 欲望は、罪なのか。

ジェイコブは、若くして成功をおさめた金融マン。今は、次世代エネルギーの発展を夢みて、とある教授が推進する事業に投資している。また、ジャーナリストのウィニーと結婚を前提に交際しており、公私共に幸せな日々を送っていた。ある日、勤務しているKZI社の経営者で、父のように慕っているルーから、特別ボーナスを貰う。彼は、そのボーナスを自分の為に使えという。様子のおかしいルーを訝しげに思いながらも、ボーナスを受け取ったジェイコブは、婚約指輪を買った後の残りを自社株に投資する。その後、KZI社の株が突然急落し破綻。ルイスは地下鉄に飛び込み自殺してしまう。その後、株価急落は、投資銀行経営者のブレトンが、あらぬ噂を振りまいていたことが原因だったことを知り…というストーリー。

昨日の前作を踏まえ、いざ続編を鑑賞。

主人公のジェイコブは、前作のバドと違って、それなりに成功しているし、ジャーナリストとの恋人ともうまくいっていて、まさに“リア充”ってやつ。バドのように闇雲な上昇志向な奴でもなく、クリーンエネルギーっていう夢を追う健全な精神の若者。まあ、若気の至り的な煙たさは感じるけど、基本的に忌むべき人間ではない(が、バドに比べると“草食”といっていいほど、ぬるいキャラだったりする)。

常温核融合ってちょっと設定に無理があって、そこはちょっと興醒めした。シナリオのポイントとしては、既存の石油利権を脅かすかもしれない次世代エネルギーの登場であればいいのだから、もうっちょっとリアリティのあるネタにしてほしかった。

また、前作を観た人は、同様の違和感を感じたと思う。ゲッコーの子供って息子じゃねーの?ってね。観進めていくと、前作のラストの後に、さらに訴訟が何年もあって、あの男の子の下に娘がいたんだよ…っていう設定になっている。で、あのぽっちゃり息子はその後ドラッグに溺れ自殺して、娘とは絶縁状態という設定。まあ、娘という設定を作りたかったんで、いろいろこねくり回して腐心したんだな…ということがよくわかる。

忘れないうちに書いておくと、娘ウィニー役のキャリー・マリガンは、抑えた演技の繰り返しにもかかわらず、しっかりと感情や考えているであろうことが伝わってくる良い仕事をした。彼女の地に足のついた演技がなければ、とっ散らかった作品になっていたに違いない。

(とっても、ネタバレ注意)
ジェイコブは、父とも慕うルーが自殺に追い込まれ、さらに会社も破綻し、借金まで負ってしまうというピンチに。そこから、彼の逸脱が始まる。婚約者の父親がゲッコーであり、彼からの情報で、ブレトンが黒幕であることを知る。ブレトンはルーの敵でもあるし、ゲッコーの敵でもあった。恋人の親ってよりも“敵の敵は味方”って要素のほうが強いだろう。

その後、ルーの仇!とばかりに、自分も同じように噂を流して反撃に出たり、ブルトンの懐に飛び込みながらもゲッコーと繋がってみたり…と、若者が目的を果たすために、先人に従って道を外していく…っているプロットは、前作をと同じである。違うのは、悪人が二人いて、復讐on復讐みたいな入り込んだ構造になっている点。ただ、残念ながら、それが、必ずしもおもしろさに繋がっていないのが痛い点である。

基本、同じようなプロットを繰り返して、はたしてオリヴァー・ストーンは何を伝えたいのか?ブルトンが堕ちた後、さあて、次はゲッコーの野郎の番だ!どうやって反撃するんだ!?と注視していると、なんと、ゲッコーは改心するのである。孫のエコー写真を見て…である。
オリヴァー・ストーンは、自分の強欲を老獪というマントで包みながら、娘の心を重ね重ね裏切るような男を、私たちに“許せ”といっているのである。申し訳ないないが、誰一人として、父娘の和解とかそんな展開は求めていない。今度の幸せのバブルははじけませんよ…みたいな、そんなゆるゆるの三文芝居、おもしろいか?

この作品を作った意味がやっぱりわからない。オリヴァー・ストーン老いたり…。これが私の正直な感想。
#本作で、一番驚いたのは、チョイ登場したバドが、ブルースターを売っぱらって儲けていたことかな…。夢ねえなぁ。



負けるな日本

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image1767.png公開年:1987年
公開国:アメリカ
時 間:124分
監 督:オリヴァー・ストーン
出 演:マイケル・ダグラス、チャーリー・シーン、ダリル・ハンナ、マーティン・シーン、ハル・ホルブルック、テレンス・スタンプ、ショーン・ヤング、シルヴィア・マイルズ、ジェームズ・スペイダー、ジョン・C・マッギンレー、ソウル・ルビネック、ジェームズ・カレン、リチャード・ダイサート、ジョシュ・モステル、ミリー・パーキンス、タマラ・チュニー、フランクリン・カヴァー、チャック・ファイファー、レスリー・ライルズ、ジョン・カポダイス、アンドレア・トンプソン、セシリア・ペック、ポール・ギルフォイル、アニー・マッケンロー 他
受 賞:【1987年/第60回アカデミー賞】主演男優賞(マイケル・ダグラス)
【1987年/第45回ゴールデン・グローブ】男優賞[ドラマ](マイケル・ダグラス)
【1987年/第8回ラジー賞】ワースト助演女優賞(ダリル・ハンナ)

ニューヨーク大学を卒業して証券会社に就職したバド。一攫千金を夢見ていたが、実際は電話営業の繰り返しの日々で薄給な上に、客の損金を負わされることもしばしばで、父親から頻繁に借金をする有様。そんな生活に嫌気がさし、思い切って投資銀行家として有名なゴードン・ゲッコーをオフィスに押しかける。しかし、海千山千のゴードンは、駆け出し証券マンであるバドの情報などには興味を示さなかった。そこで、バドは、航空会社ブルースター・エアラインの労組幹部である父親から聞いた内部情報を、ゲッコーに漏らしてしまう。その情報にゲッコーは興味を示し、バドに株式の売買を一任するのだったが…というストーリー。

『ウォール・ストリート: Money Never Sleeps』(2010年)を観る前に、やはり前作は観ておかないとダメかな…と思い鑑賞。

冒頭、チャーリー・シーンの馬鹿ヅラ&ポンコツ演技にうんざりさせられるものの、浅はかで無駄な上昇志向の持ち主という役柄であることが見えてきて、むしろマッチしていることに気付く。

ヘッジファンドのやっていることがよくわかる映画…という意見もあるけれど、ゲッコーもバドも、誰にでも不正だとわかる行為をやっているので、株トレードの難しさがどうのこうのという知識は要らない。単純に詐欺師とその片棒を担がされた男の話なので、シンプルでわかりやすい。人の不幸は密の味。「勝った」としたり顔をしている彼らが、どんどん堕ちていく様は、やはり愉しい。ゲッコーのキャラクターが強烈であればあるほど、そのおもしろさは増幅される。

証券が商品であり、そこに市場があるかぎり、商品を右から左に動かしたことで生じる利鞘は、基本的には“正”だとはおもう。ただ、証券(特に株式)の根本的な性格は、自分で事業をする能力はないが金だけはもっているポンコツが、その資金を有効活用するために、事業のアイデアをもっている人に活用してもらうというものである。その根本原則に従うならば、せめて株式は1会計年度は保持して、1回以上の株主総会を経なければいけない。それより短く売買して得た利益については、税金を増額すべきだと、個人的には思っている。だから、優良株は時間をかけて育つと教えるバドの直属の上司の意見には強く同意する(そういうキャラが配置されていること自体、とても巧みな脚本だと思うのね)。

資本主義は、周囲の人間に施しをして正等な対価を貰うというのが基本原則。ただ、金欲しさに、周りが金を払ってくれるような行為をすることも、周囲への施しを表面的に同じに見える…というのが、資本主義が発展した重要ポイント。つまり強欲でも社会が発展する仕組みになっているということだ。でも、周囲への施しと強欲ゆえの行動は、完全にイコールではない。似ているだけで、後者はその強欲によって次第に周囲を不幸にする。貧しいけれど、それが判っているバドの父親。それがわからない息子への感情を考えると、なかなか泣かせられる(日本にはこういう“父親”がいっぱいいるがゆえに、いまの繁栄がある。そう思うのね)。
それにしても、「欲ってのは毒にも薬にもなる。その分水嶺は中道(ほどほど)だよ…」って答えをとっくの昔に出している仏教の優位性よ…。

バドは、かすかに残っている人としての心を完全に捨ててしまうのか否か?ブルースターの従業員たちは本当に路頭に迷うことになるのか?これらが、Greed(強欲)を大罪と定義している宗教の国で、繰り広げられているというのが、実に愉しい。人間の強欲をスピード感溢れる展開で表現した名作。超お薦め。
#ただ、私がレンタルしたDVDの、音声のノイズゲートのかけ方がものすごく耳障りで、残念極まりない。

アメリカでは本作を観て、ゲッコーに憧れて、トレーダーの世界に入った人間が多いと聞く。なんで、これをみてゲッコーに憧れるかなぁ?忌み嫌うべき人種だと思うのだが。やっぱり、アメリカ人は“自由”の意味を履き違えてる馬鹿が多いな…と思う。
今のアメリカやヨーロッパの経済的凋落を見ていると、単に強欲の果てに富の再分配に失敗した国家群にしか見えない。そんな国の経済学者たちが、失われた20年だ何だと日本を蔑んでいたのが実にアホらしい(腹を切るべき経済学者だらけだな)。これは、国家(というか市場)を構成する、人間のベース部分の問題に起因することなので、10年やそこらでは解消しないだろう。すくなくとも、アメリカやヨーロッパが浮上することは60年くらいはないと思う。日本はこつこつと独自路線を進むべし。そう強く感じる作品である。

#さて、続編はいかがなものかな…




負けるな日本

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image1791.png公開年:2009年
公開国:ドイツ、フランス、イタリア
時 間:99分
監 督:ファティ・アキン
出 演:アダム・ボウスドウコス、モーリッツ・ブライブトロイ、ビロル・ユーネル、ウド・キア、アンナ・ベデルケ、フェリーネ・ロッガン、ルーカス・グレゴロヴィチ、ドルカ・グリルシュ、ヴォータン・ヴィルケ・メーリング、デミール・ゲクゲル、モニカ・ブライブトロイ、マルク・ホーゼマン、セム・アキン 他
受 賞:【2009年/第66回ヴェネチア国際映画祭】審査員特別賞(ファティ・アキン)
コピー:心(ソウル)も満たすレストラン

ドイツ・ハンブルク。ジノス青年が経営するレストラン“ソウル・キッチン”は、いいかげんな料理を出しながらも、いいかげんな料理で満足している近所の客で、それなりに賑わっていた。そんな中、ジノスの恋人ナディーンが上海へ転勤することになり、遠距離恋愛に。そこからジノスの生活はあらゆる面で、右肩下がりに。ぎっくり腰になってキッチンに立てなくなり、税務署から滞納している税金を迫られたり、服役中の兄が仮出所のためい雇えといってきたり、衛生局から改善をしないと営業停止にするといわれたり。とうとう、万策尽きて休業となり、心が折れたジノスは、ナディーンのいる上海へ行くことを決意するのたが…というストーリー。

日本の料理マンガをパクった韓国映画のタイトルみたいだけど、違うよ。ドイツが舞台の欧州産コメディ作品。でも、私は何一つ笑えなかったけど。

やとわれシェフも兄貴もユニークなキャラではあるけれど、それららサブキャラがしっかり立っているかというとそうでもない。リアリティも薄い。もう少し、その苦労とか料理が人の心を魅了するとか、そういう部分を描くのかと思ったけど、皆無。じゃあ、主人公ジノスはいろんな事件に襲われるトホホな役に徹しているか?それとも狂言回し役なのか?っていうと、どちらでもない中途半端な位置。主人公のジノスは確かに画面上に映ってはいるが、全部のエピソードが主人公不在で展開する印象。
半分以上すぎてからやっとまとに料理するシーンが差し込まれはじめて、はじめて料理がウマそうに見えてくる。でも、料理への情熱とか食べ物への敬意とかイマイチ感じられない。多分、監督さん自体に美味いものに対するこだわりなんかがないからだろう。
ちょっと、簡単に店がうまくいきすぎるところで興醒めするし、さらに、店を取られるくだり、彼女が寝取られるくだりと、ドタバタコメディがやりたかったのかもしれないが、いまいちドタバタできておらず、地団駄踏んでるだけの感じ。ハジけ足りず。笑いの小ネタのつもりだろうがいまいち笑えない。ドイツ人ってのは、つまんねえのか?と、思ってしまったほど。

もしかして、ものすごく高尚な笑いで、私がついて行けてないだけなのか?と、途中から本気で不安になってしまった(私の気分は、サスペンス映画を観ている気分に近くなってきた)。

(ネタバレだけど)
サンドバッグ状態になった末に、あたらしい道を歩み始めるのかな?というところでおしまい。は?これからどうやって盛り返すのか?というところで面白くなるんじゃないのか?苦しみから逃れられそうな雰囲気を出すだけで、コメディ映画として成立するものなのか?

シナリオが特別長けているわけでもないし、斬新な視点なわけでもない。社会風刺がきいていて人々の心に訴えるものがあるわけでもないし、笑いの波状攻撃があるわけでもない。こんな作品が、国際的な映画祭において受賞できるなんて、ちょと考えにくい。多分、他の作品が小難しいのばっかりで、あまりにもうんざりしたためか、欧州人の笑いのネジが狂ってしまったかのどちらかだと思う。こんな映画一本で判断できるものではないが、ドイツ社会は「ああ、もうこんな生活イヤだ!」という後ろ向きな感情で充満して、疲弊しきっているのではないだろうか。

経済危機に見舞われているヨーロッパだが、もう、笑いの感覚がおかしくなるほどヤバいんじゃないだろうか…と考えてしまうほど。お薦めのしようがない。





負けるな日本

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image1805.png公開年:1973年
公開国:イギリス
時 間:86分
監 督:ロビン・ハーディ
出 演:エドワード・ウッドワード、クリストファー・リー、ダイアン・シレント、ブリット・エクランド、イングリッド・ピット、リンゼイ・ケンプ、ラッセル・ウォーターズ、オーブリー・モリス、アイリーン・サンタース




サマーアイル島でローワン・モリソンという少女が行方不明になったので捜索してほしいという匿名の手紙を受け取り、スコットランド本土から島へ単身でやってきた警官ニール。島民のだれに聞いてもローワンのことは知らないというが、何かを隠しているような雰囲気もあり、不審に感じたニールは島での捜査を継続する。やがて、この島では、キリスト教ではなく、独特の太陽信仰に基づく、独特の風習や性的な儀式が繰り広げられていることを知り…というストーリー。

リメイクしたくなる気持ちは理解できたが、同時に2006年のニコラス・ケイジ主演のリメイク版も失敗作であると、確信する結果となった。
リメイク版は、島に赴くまでの過程を厚く描いているが、オリジナルである本作は、特に前フリもなく主人公である警官が島を訪れるところか始まる。リメイク版は、巧みに仕組まれた罠だっていうことを色濃く表現したかったのだろう。しかし、結果として話が動き始める前にダラダラと説明することになってしまい、観客に余計な想像をさせ、「あれ?もしかして罠なんじゃね?」と気付かせる余地を与えている。
まあ、オリジナル版のほうは、匿名の手紙くらいでそこまで動くか?という疑問が生じるので、改善したくなった気持ちもわからないではない。現代アメリカで、童貞の男が生贄の条件という設定をニコラス・ケイジに演じさせるのは無理があるわけで、その辺の設定もこねくり回さねばならなかった。
イギリスだからこそ、そういう古い因習に縛られた島があったとしても、アリかなあと思うのだが、アメリカを舞台にしてしまうと、なかなかそんな風には描けない。リメイク版は文明と隔絶した自給自足生活をしているキリスト教原理主義者の集団のように描いている。まあ、実際、アメリカにはそういう集団がけっこういるから、そっちのほうがリアリティがあるのはわかる。ただ、それに引っ張られて、クリスチャンVS.反クリスチャンという構図も消失している。
結果としてこれらの追加・変更が、リメイク版を判りにくくピリっとしない作品にする原因となっている。オリジナル版のシンプルさに軍配が上がる。

冒頭に流れる、実際にどこかの島で取材した宗教儀式を参考にしている云々という謝辞は、本当なのか演出なのかよくわからない。また、独特のフォークミュージックと安っぽい画質も、意図したのかどうかはわかないが、これらは、不思議な雰囲気をつくる一助となっている。
妙なユルさに飽きそうになるのに、何故か目が離せない。不必要にも思えるお色気シーンの連発に「下品だな…」と思いかけて、ドルイド教の因習にブッ飛びすぎて気にならなくなる。

はっきりいって、おもしろいとか良くできた作品とはとてもいえないのだが、とにかく“ユニーク”の一言に尽きる。始めは警官のニールと一緒に捜査しているような視点で観ているのだが、日本にも各地に奇祭はたくさんあって馴れているのかもしれないが、島民の奇行もなんとなく許容できてしまうし、ガチガチのクリスチャンでもないので、主人公のクリスチャン魂爆発の激昂にも共感できない。終盤に近づくにつれておのずと客観的な視点になっていく。

救いのないオチにもかかわらず、急転直下の展開なので、主人公には何の非もないのだが、「もう、こりゃ仕方ないわ…」と、観ている側も島民の勢いにねじ伏せられてしまうという、稀有なノリの映画だと思う。そういう意味で軽くお薦め。
#重ね重ね、リメイク版がこういう面白い部分をすべて失っており、無駄な作品だったと確信させられる。




負けるな日本

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imageX0036.Png公開年:1978年
公開国:アメリカ
時 間:101分
監 督:ウォーレン・ベイティ、バック・ヘンリー
出 演:ウォーレン・ベイティ、ジュリー・クリスティ、ジェームズ・メイソン、ジャック・ウォーデン、チャールズ・グローディン、ダイアン・キャノン、ヴィンセント・ガーディニア、R・G・アームストロング、バック・ヘンリー、ウィリアム・ボガート 他
受 賞:【1978年/第51回アカデミー賞】美術監督・装置(Paul Sylbert、Edwin O'Donovan、George Gaines)
【1978年/第36回ゴールデン・グローブ】作品賞[コメディ/ミュージカル]、男優賞[コメディ/ミュージカル](ウォーレン・ビーティ)、助演女優賞(ダイアン・キャノン)

ロサンゼルス・ラムズのQBのジョーは、交通事故に遭ってしまい急死してしまう。しかし、本当は残りの寿命は50年残っていたにもかかわらず、天使のミスによって天国に連れて行かれてしまったのだ。天使のミスに気づいたものの、すで火葬されており、戻る肉体は無くなっていた。スーパーボウル出場の夢を捨てられないジョーは、代わりの肉体を探すように天使に要求するが、適当な死亡者はなかなか見つからない。妻と秘書に殺された大富豪を紹介されたが、ジョーはアスリートでないことを理由に断ろうとする。しかし、そこに大富豪の事業に講義しにきたベティという女性に惹かれてしまい…というストーリー。

大富豪に憑依して会社の改革をしはじめちゃって、『デーヴ』とか『チャンス』みたいな展開になるのかなと思っていると、しっかりアメフトの流れに揺り戻す。会社の問題をアメフトチームの問題を引き合いに出して片付けちゃうところなんか、なかなかおもしろかったし、社内の抵抗勢力のキャラも立っていたから、その流れで展開すると思わせておいて、そうしないんだもん。スカしの技術がスゴい。
話があっちにいったりこっちにいったりと、普通ならとっ散らかりそうだけど、しっかりまとめているどころか、観客の予測の一枚上を行く脚本には感服する。大富豪としての命が尽きた後、どういう展開になるのかなんて、ちょっと予測がつかなかったね。
事故にあうところなど、誰が観ても展開がわかる部分なんて、変にダラダラと煽ったりしない所も好き。

最後のオチは「それでいいのか?」って思う人も多いだろう。正直、私も観終わってなんかピリっとしないと感じた。ジョーは記憶を無くして今後は別人として生きていくことになる(このこと自体、ものすごく納得しかねる展開なんだけど)、その後、ベティと出会って、何かを感じあった二人が一緒に歩き始める…って終わり方。確かに、人は見てくれじゃなくって目の光がどうのこうのって会話をベティと大富豪はしていて、伏線にはなっているのだけど。
でもね、長い付き合いで且つ諸々の事情も知っているコーチが目を見ても、こりゃあジョーじゃねえな…って感じたくらいなのにさ、女にはわかるのよ…って、ちょっとコーチがかわいそすぎやしませんか?ってこと(屋内の電気だって切れたのに、放っておかれてるしね)。

引っかかるのはそこくらいで、上質なファンタジーでありコメディでもある名作。お薦め。吹き替え版のDVDが欲しい。



負けるな日本

 

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image1818.png公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:111分
監 督:J・J・エイブラムス
出 演:ジョエル・コートニー、エル・ファニング、カイル・チャンドラー、ライリー・グリフィス、ライアン・リー、ガブリエル・バッソ、ザック・ミルズ、ロン・エルダード、ノア・エメリッヒ、ジェシカ・タック、ジョエル・マッキノン・ミラー、グリン・ターマン、リチャード・T・ジョーンズ、アマンダ・フォアマン、デヴィッド・ギャラガー、ブレット・ライス、ブルース・グリーンウッド、デイル・ディッキー、ジャック・アクセルロッド、ダン・カステラネタ、トム・クイン、マイケル・ヒッチコック、テリ・クラーク、アマンダ・ミカルカ、ボー・ナップ、ケイティ・ロウズ、トーマス・F・ダフィ、マルコ・サンチェス、ブリット・フラトモ、ベン・ギャビン、ジェームズ・ハーバート、ジェイド・グリフィス 他
ノミネート:【2011年/第17回放送映画批評家協会賞】若手俳優賞(エル・ファニング)、視覚効果賞、音響賞、アクション映画賞
コピー: 僕たちは、ひとりじゃない。

1979年、オハイオ州の小さな町。不慮の事故で母を亡くしたジョーは、副保安官の父と二人暮し。ジョーは友達のチャールズたちと8ミリ映画の撮影に夢中で、その日も深夜に家を抜け出し、撮影のために駅に向かっていた。しかし、撮影中に列車の脱線事故に巻き込まれる。ジョーたちは運良く怪我も無かったが、列車は大破し荷物は散乱。列車事故は車の衝突によるものだったが、その車は学校の理科の先生が運転しており、虫の息の先生はジョーたちに、今見たことは誰にもいわず、ここから早く逃げろという。ほどなくして軍が到着したため、ジョーたちは一目散に逃げる。その後、町では不可解な事件が頻発し…というストーリー。

母親が死んだ経験や、好きな女の子の父親が本当は死ぬはずだったこと。最後に主人公のジョー少年がエイリアンと心を通わすことができたのは、こういう心が痛むような経験をしたからだよ…、ってことなのかもしれないけど、まったく無関係に感じた。

アリスの家族とは付き合うな!と引き裂かれてしまいながらも、引き裂かれたモヤモヤや反発なんかを経ることなく、彼女はエイリアンに捕まってしまう。いつのまにやら町中大騒ぎになり、結局、両家族は和解したようなしなかったようなうやむや状態。デブの男の子も「俺もアリスのことが好きだ!」とか宣言しちゃうけど、その流れも生きていない。

エイリアンとやらの正体は、終盤までチラっとしかみえない。敵の正体がわからないまま話は進むのだが、勿体ぶった意味はあったのか?出てくるエイリアンの行動の意味もよくわからなかった。人質として人をさらったのか?いや、エイリアンは自力でキューブを回収したんじゃないのか?ん?ん?何か少年達の助力によって解決したの?ただなだめただけじゃね?すべてがうやむやだ。

結局は、『グーニーズ』の子供たちが、グロい風体だけど中身は『E.T.』のエイリアンと接触する話。エイリアンのデザインにも何の新規性も感じない。『クローバーフィールド』の突飛さやインパクトの欠片も見られない。同じ監督か?と思う。
かろうじてスピルバーグっぽさは感じるが、“ぽさ”の域は出ない。終盤にむかっての盛り上がりとか、話の集約とかが無い。

宇宙からやってきた生物が地球に降りてきちゃって地球は大騒ぎさ!っていう設定は、たまたま、昨日観た『スペースバンパイア』と同じ。だけど、圧倒的に『スペースバンパイア』のほうが愉しめた。
まだ、レンタルビデオ屋では、新作扱いだと思うが、旧作になってからで十分(なんなら観なくても、何の損でもない)。凡作中の凡作。

エンドロールに流れる、彼らが撮った映画が一番おもしろそうに思えるという、体たらく。いや、もしかして、本編と思っていたほうがメイキングで、エンドロールのやつが本編なのか?そういう洒落なら認める。



負けるな日本

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image1803.png公開年:1985年
公開国:イギリス
時 間:102分
監 督:トビー・フーパー
出 演:スティーヴ・レイルズバック、マチルダ・メイ、ピーター・ファース、フランク・フィンレイ、パトリック・スチュワート、マイケル・ゴサード、ニコラス・ボール、オーブリー・モリス、ナンシー・ポール、ジョン・ハラム 他




ハレー彗星探査する宇宙船チャールズ号。研究者たちは彗星の傍に人口の構造物らしきものを発見し、潜入を試みる。驚くことに、中には男2人と女1人の人間が安置されていた。研究者たちは彼らを宇宙船に運びいれ、地球に持ち帰り研究をすることに。しかし、その後チャールズ号からの通信は途絶えてしまう。その後、別の宇宙船がチャールズ号を発見し捜索すると、内部は火災をおこした痕跡があり乗組員は死亡していたが、回収した眠る男女は無傷。そのまま地球に運搬するのだが…というストーリー。

宇宙で謎の生き物を発見して地球にもってきちゃったら、さあ大変。SF映画としてはありがちすぎるほどありがちな展開。誰しもが、どっかで観たことあるような話だな…と思うはず。
後の作品の『ノイズ』や『スピーシーズ』だって似たようなプロットだし、それこそ『エイリアン』だって地球に持ち帰る前の攻防だというだけで、異世界からのアブナい生き物という括り。『スピーシーズ』にいたっては女性の裸の扱いまでそっくりだけど。

ただ、この作品には不思議な魅力がある。
普通、SFというのはそれなりの理詰めの説明が必須だと思うのだが、「何か、わけわかんね」という部分が多い。例えば、精気を吸われた人が、一定時間が経過すると発作をおこすという流れ。どういう理屈なのかさっぱりわからない。これは、始めに死んだと思わせておいて、実は生きていてびっくり…という、展開上の緩急をつけることが優先されている結果であって、その事象がどうのこうのというものではない。

あげくの果てに、バンパイアは過去にやってきた奴らのことだ!なんてのは、おもしろいんだけど、それならば昔も同様の大感染がおこったわけで、そのときはどうしたんだ?って疑問がわく(同じように退治したんですよ…っていわれても、それはちょっと無理だったんじゃね?って思う)。これは、いかにもSFチックな内容なのに、それを際立たせるように、ハレー彗星だとか、ドラキュラやこうもり男とか、わざと古めかしい要素を配置する。雰囲気作りを優先させた結果である。

特殊メイクとSFXがショボいと思う人もいるかもしれないが、精気を吸われながらも生きている状態なんて、この世には存在しないわけだから、どう表現したってかまわないわけで、そこは技術の使いどころの妙だと思う。血が空中によっていって人の形になっていく表現など、それほど高度な技術でもないだろうが、効果は抜群だと思う。当時のできる技術をとことん使用するのはもちろん、それをどこで使うのか?によって技術の限界をなるべく感じさせないというセンスはすばらしいと思う。これによって、現在でも鑑賞に堪えるモノになっているのである。

で、結果として、観終わって満足(というか、古い作品なのに案外いけるじゃん!って感じ)なのに、あまり頭の中に残っているものは少ない。そう、テーマがどうのこうのじゃないの。究極的にトビー・フーパーという監督が“観せる”“魅せる”という能力に長けている結果なのである(原作の力ではない)。
しかし、人間生活の中で、リフレッシュ、ストレス解消、という使命が映画にあるのであれば、必ずしも高尚なテーマや穴のない論理や世界観が、必ずも求められるわけではない。おもしろかったけど何も残らないという作品って、実は映画の本領なんじゃないかとすら、思える気がする。

何も考えたくない、小難しい話なんか頭が受け付けなさそう…そんな時には最適な作品。お薦めしたいのだが、字幕版しかないのが残念。




負けるな日本

 

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image1789.png公開年:2006年
公開国:フランス、ドイツ、リヒテンシュタイン、スイス
時 間:120分
監 督:ブリュノ・ポダリデス、グリンダ・チャーダ、ガス・ヴァン・サント、ジョエル・コーエン/イーサン・コーエン、ウォルター・サレス/ダニエラ・トマス、クリストファー・ドイル、イザベル・コイシェ、諏訪敦彦、シルヴァン・ショメ、アルフォンソ・キュアロン、オリヴィエ・アサイヤス、オリヴァー・シュミッツ、リチャード・ラグラヴェネーズ、ヴィンチェンゾ・ナタリ、ウェス・クレイヴン、トム・ティクヴァ、フレデリック・オービュルタン/ジェラール・ドパルデュー、アレクサンダー・ペイン
出 演:ブリュノ・ポダリデス/フロランス・ミューレル、レイラ・ベクティ/シリル・デクール、マリアンヌ・フェイスフル/イライアス・マッコネル/ギャスパー・ウリエル、スティーヴ・ブシェミ/ジュリー・バタイユ、カタリーナ・サンディノ・モレノ、バーベット・シュローダー、セルジオ・カステリット/ミランダ・リチャードソン/レオノール・ワトリング、ジュリエット・ビノシュ/ウィレム・デフォー/イポリット・ジラルド、ヨランド・モロー/ポール・パトナー、ニック・ノルティ/リュディヴィーヌ・サニエ、マギー・ギレンホール/リオネル・ドレー/ジョアンナ・プレイス、セイドゥ・ボロ/アイサ・マイガ、ファニー・アルダン/ボブ・ホスキンス、イライジャ・ウッド/オルガ・キュリレンコ/ウェス・クレイヴン、エミリー・モーティマー/ルーファス・シーウェル/アレクサンダー・ペイン、ナタリー・ポートマン/メルキオール・ベスロン、ジーナ・ローランズ/ベン・ギャザラ/ジェラール・ドパルデュー、マーゴ・マーティンデイル 他
コピー: 街角の小さな恋物語

パリを舞台に作られた18本のオムニバス作品。各々、有名監督が手がけている。2006年カンヌ国際映画祭「ある視点」部門のオープニング上映作品。

東京だったら23区を舞台にしてオムニバスをつくった感じだね。各作品は、ストーリー上のつながりは皆無。本当に監督がそれぞれ自由に作っている。
18本もあってそれぞれ5分程度しかないのだが、全てにきっちりとストーリーがあって、男女をテーマにするという縛りもある。そうなってくると、一瞬にして観客の心を掴む能力が非常に重要になってくる。必ずしも5分で観客の心を掴む能力が無ければ映画監督ができないわけではないが、冒頭10分で飽きられたらその映画はおしまい…というのが業界の常識。如実に力の差が明確になる。参加するだけでも勇気がいるわ。

お目当ては、実はコーエン兄弟とシルヴァン・ショメだった。この二人は、早々にグっと興味を惹かせるだけなく、緩急のあるストーリで、納まりのよい締め。期待通り。
コーエン兄弟はたった5分なのに、誰がどう観ても間違いなくコーエン作品。自分の色っていうのが確立されている。他の監督とは、格が二段くらい違う感じがする。

シルヴァン・ショメは『ベルヴィル・ランデブー』なんかを作っているフランスアニメ界の旗手。もしかしてアニメ?とおもっていたのだが、パントマイマーを主役にしたユニークな作品。でも、こちらも間違いなくショメのアニメから飛び出したような出来映え。
#初期のレイトン博士シリーズは、完全に彼の絵柄をパクってたね。

日本人からは諏訪敦彦監督が参加しているが(なんてチョイスされたかは不明だが)、残念ながら主題もストーリー運びもパっとしない。まあ、肩肘張っていつもと違うことをやるのもどうかと思うけど、だからといって爪痕を残さないのももったいない。
『CUBE』『カンパニーマン』のヴィンチェンゾ・ナタリも、らしいといえばらしいかもしれないけど、凡庸な上に味気ない内容でがっかり。
このように監督によってかなりの差が生じているので、お薦めはしにくい。私のようにお気に入り監督の作品があればどうぞ…って感じかな。

みんなが自由に作りすぎたせいなのか、それほどパリという街に行きたい!って気持ちになれないことも、残念な点のひとつかな。だれかが音頭をとって東京版でもつくればおもしろいんじゃないかな。日本の観光庁も、外国人を日本に無料招待するとかわけのわからん企画なんかやるくらいなら(もちろんそんなアホな予算は通らなかったけど)、こういう日本PRの映画に出資するくらいのセンスをみせてほしいわ。




負けるな日本

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image1786.png公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:98分
監 督:ソフィア・コッポラ
出 演:スティーヴン・ドーフ、エル・ファニング、クリス・ポンティアス、ララ・スロートマン、クリスティーナ・シャノン、カリサ・シャノン、アマンダ・アンカ、エミリー・ケンパー、ミシェル・モナハン、ベニチオ・デル・トロ 他
受 賞:【2010年/第67回ヴェネチア国際映画祭】金獅子賞(ソフィア・コッポラ)
コピー: どうしてだろう、娘との時間が美しいのは。


ハリウッドの映画スターであるジョニーは、ホテル暮らしで、毎日パーティの繰り返し。高級車を乗り回し酒と女に明け暮れる派手な日々を送っていた。そんな彼には、別れた妻との間に娘がおり、たまに預かって親子のひとときを過ごしていた。ある日、突然、娘が彼の部屋を訪れる。前妻に電話すると、突然家を空ける用事ができたので、娘をしばらく預かって欲しいという。しかし、彼は仕事でイタリアに行かねばならない。ジョニーはやむを得ず娘と一緒にイタリアへいくことに…というストーリー。

まあ、たしかにソフィア・コッポラらしい作品なんだけど、まるで実験映画だよね、コレ。
映画スターに別れた妻との間に娘がいて、突然に娘を預けられちゃうんだけど、仕方が無いから仕事に連れて行くしかなくって、久々に娘とずっとすごしたらすんげー楽しいなぁ…って、ストーリーとしては、本当に上のあらすじ以上の内容はないの。

で、もちろん観ている側としては、まさかそんな何の事件も発生せずに終わるわけがないって思うでしょ。所々に、なにか不安を予期させるような音楽が流れたり、不穏な空気が漂うなカットがあったりする。お!と身構えるでしょ。でも何もないの。だけど、その音楽や映像がいい感じなもんで、身構えたままスカされても、「お、、おぉ、、そうか…」みたいな不思議な感覚で次に移るのね。
何、この寸止めの連続。いやいや、そうとはいえどもやっぱり最後までには何かあるでしょ…と最後まで見続けるでしょ。でも、やっぱり何も無いのよー。
#この映画でおこる最大の事件は、“娘を押し付けられる”ってそれだけだった。

男はどこかの荒野を走る道にフェラーリを乗り捨てて、どこかに向かって歩いていく。そんなラストなんだけど、私はこれを判った気になって「すごいラストだ!」なんてことは言えないなぁ。正直に告白すると、何を言いたいのかよくわからなかった(主人公は真に大事なものに気づいて、前向きに行動しようとしているのか、それこそ死んでもいいやくらいの後ろ向きな気持ちになっているのかも、私には判断がつかない)。

正直、映像も音楽もいつものソフィア・コッポラのセンスで、認める。淡々と過ごす様子を描きながら、主人公の“影”みたいなものを通じて、人の心の機微を浮かび上がらせる。そういう点では良く描けていると思う(悪く言えば、また外国で異邦人感覚を味わっている主人公が、何か感じちゃってるのね…って既視感はある)。

だけどね、満たされているようで実は全然満たされていないことを確信した男が、本当に必要なものに気づいて歩きはじめる…って、これを観て「いやぁ…わかるわー」なんて思えるのって、そこそこセレブな人だけなんじゃないの?ヴェネチア映画祭の選考委員が、満たされた末の空虚感を味わえるような、贅沢病の人たちなんでしょ。一般の人はいまいち伝わらないと思うんだけどね。

オークションにかけられた、現代アート作品が、庶民にはとても理解できない金額で落札されたのを見た感覚。そうだな、村上隆のフィギュアが16億で落札されたニュースで見て、「いや、別にいいけどさ…、そんな価値あるか?」って感じになったのと同じ感覚だわ。別にお薦めはしない。
#ヴェネチアもカンヌ化してるんじゃね?



負けるな日本

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image1792.png公開年:2008年
公開国:アメリカ
時 間:101分
監 督:ジョン・ポルソン
出 演:ラッセル・クロウ、ジョン・フォスター、ソフィー・トラウブ、ローラ・ダーン、アレクシス・ジーナ、アリヤ・バレイキス、ティム・ホッパー 他





両親を殺害し少年院に収容されているエリックは、犯行時に抗うつ剤の服用により正常な精神状態ではなかったとして、釈放されることに。クリストフオロ刑事は、未解決の連続少女殺人事件の犯人も彼ではないかと疑っており、独自に調査を開始する。一方、16歳の少女ローリは、母親の恋人からの性的虐待に苦しんでいたが、エリック釈放のニュースを聞き、家から出て行くことを決心する…というストーリー。

冒頭の10分間、観ていても何一つ心惹かれるところがなく、掴みとしては最悪といってよい。
完全に興味を失いかけたところで、ああ、この絵を描いたのはこの虐待されてる少女なのかな?何で妻は意識がないのかな?少年院にいるこの男と少女は何か関係があるのかな?と、かろうじて興味をいだかせるピースが登場してくる。
シナリオのレベルとしては、落第ギリギリである。

それにしても、なんで“TENDERNESS(人間的なやさしさ)”という原題がChasingになるのか。たしかにラッセル・クロウ演じる刑事は、エリックを追いかける。いや、ローリだってはじめはエリックを追いかけてるか。
だけど、それをタイトルにすると、追跡することが主題ってことになるじゃないか。どう考えても違う。

やはり、人間性が無い少年が人間性を感じられるのか?が主題なんだと思う。もし追跡劇を観せることが主題なら、クリストフオロ刑事の妻は植物状態というギミックは不要である。本作は、どうしても彼の弱さ(TENDERNESS)を表現する必要があった。彼は妻のことを言われるとかたまってしまう。そんな弱い部分をもった刑事が、シリアルキラーを追いかけることに意味があるのだ。

普通、シリアルキラーを描く場合、改悛の可能性を表現することは少ないと思う。そういう意味では稀有な作品かもしれない。実際は、多重人格者の一部の人格が連続殺人を犯し、人格統合の結果、連続殺人を行わなくなる例はあると思う。しかし、大抵、シリアルキラーとしての性向が、他者の出会いや触れ合いによって改悛されることなど、聞いたことがない。いや、手を差し伸べれば、シリアルキラーだって改悛するんだよ…という、きわめてキリスト教臭が漂う。

もうネタバレになっちゃうけど…、ネタあかし的に挿入されるローリが犯行を目撃するシーンは、どう捉えてよいのかわからない。
犯行を目撃した上でエリックに接触したってことは、彼に殺してもらいたいと思って接触したってことだろう。
でも、そのシーンに重なる刑事によるナレーションは、「私は確信していいる。快楽は記憶を消すが、苦痛からは希望が生まれる…。みな自分に言い聞かせる、やり直せるさ…と。今日は違う。今日こそは何か変わるかも…と」である。確かにローリは現状を変えたいと思ってはいただろう。ならば、その“変えたい”は“もう死にたいから彼に殺してもらいたい”って意味になるじゃないか。
刑事とローリのやさしさや弱さが、エリックの中に人間らしさを産みましたとさ…って流れなのに、ナレーションと映像が噛み合っていないから、希望も救いのかけらもないだけでなく、刑事の献身的な介護もなにか空しく見えてしまうじゃないか。何かおかしくないかこれ?

胡散臭い作品だと私は感じる。ポンコツ神父にしたり顔で説教されたような感じで、うんざりした気分になる。
そりゃ、日本未公開なわけだ。私はヒドい内容だと思う。お薦めするとかしないとかいうレベルじゃなく、嫌い。
最後のナレーションの「人には二種類いる。快楽を求めるものと苦痛から逃れるもの」っていう部分も頭悪いんじゃないかと思う。だって、置かれている状況の違いだけで、両方とも同じじゃないか。なんでラッセル・クロウがこんな作品に出てるかな。




負けるな日本 

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プロフィール
HN:
クボタカユキ
性別:
男性
趣味:
映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
自己紹介:
一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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