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公開年:1959年
公開国:アメリカ
時 間:135分
監 督:スタンリー・クレイマー
出 演:グレゴリー・ペック、エヴァ・ガードナー、フレッド・アステア、アンソニー・パーキンス、ドナ・アンダーソン、ジョン・テイト、ガイ・ドールマン、リチャード・メイクル、ジョン・メイロン、ローラ・ブルックス 他
受 賞:【1959年/第17回ゴールデン・グローブ】音楽賞(アーネスト・ゴールド)
【1959年/第13回英国アカデミー賞】国連賞
【1960年/第11回ブルーリボン賞】外国作品賞



1964年。第三次世界大戦が勃発し、原水爆による戦闘が繰り広げられ、放射線汚染によって北半球は全滅してしまう。人類は南半球の一部地域に残るのみとなったが、死の灰はそこにも迫りつつあった。タワーズ艦長率いるアメリカの原子力潜水艦ソーフィッシュ号は、戦火を逃れてメルボルンに入港する。アメリカに妻と子供2人を残してきたタワーズの心は張り裂けんばかりであったが、そんな彼を、オーストラリア海軍の若い士官ピーターは自宅でパーティを開き手篤くもてなすのだった。ピーターの妻は、タワーズが赤ん坊を見ると動揺するのではないかと危惧したが、タワーズの態度は至って冷静であった。タワーズはパーティでモイラという女性と出会い、その後交際するようになるが、妻子のことが頭から離れないタワーズにモイラは苛立ちを覚えるのだった。そんな中、タワーズに北極圏の汚染調査の指令が下る…というストーリー。

日本の特撮作品をひっくるめても、なかなか本作には勝てないんじゃないかと思えるくらいの出来映えだと思う。特撮技術という意味ではない。逆に、本作には、いわゆる特撮表現というものは一切でてこない。それなのにしっかりSFとして成立しているスゴさがある。無人のサンフランシスコの街並みとか、どうやって撮影したのかな?地味にすごいシーンだと思う。
ただ、死体が一切ないという状況がいまいち理解しかねるとか、色々と科学的表現の誤謬はあるが、冷戦当時の一般人が感じている漠然とした不安がよく投影されている。警鐘を鳴らすという意味で、バッドエンド的なディストピア作品に仕上がっているのは致し方ないところだろう。

潜望鏡で滅びた街並みを見るシーンは、『復活の日』を思い出さずには入られない。オマージュなのだろうか、丸々同じシチュエーションだったりする。本作に、しぶとく生き残ろうとする人間の姿を加味したのが、『復活の日』って感じだな。
その他にも、謎のモールス信号を送ってくるのは誰か?とか、放射性物質を恐れることなく船外に出た隊員とスピーカーを介して会話するシーンだとか、印象的な味付けが多々ある。

任務を終えてメルボルンに戻ったタワーズが、滅びたサンフランシスコを目の当たりにしたことで吹っ切れて、モイラと付き合うことに躊躇がなくなるところが、いかにも白人らしい割り切りで、ちょっと笑える。まあ、滅びる前に、心残りがないように最後の命の灯火を燃やす様子を描写することで、戦争の愚かさを表現したいということなんだろう(個人的には、ちょっと退屈だったけど)。

最後のセリフによって名作を位置づけられている作品といってよいだろう。でも、人間は争うことが遺伝子レベルで刻み込まれている生き物だから、そんな綺麗ごとからは何も生まれないというのが事実だろう。だって、この作品から50年経過しても変わらないんだから、答えは別にあるってこと。答えが別にあるってことをわからせてくれただけでも名作。

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公開年:2007年
公開国:アメリカ
時 間:108分
監 督:ダニー・ボイル
出 演:キリアン・マーフィ、真田広之、ミシェル・ヨー、クリス・エヴァンス、ローズ・バーン、トロイ・ギャリティ、ベネディクト・ウォン、クリフ・カーティス、マーク・ストロング 他
コピー:2057年、人類は、太陽滅亡の危機を救えるのか?
危険で予測不可能な旅が始まる




2057年。太陽の活動が停滞し、地球上が凍りつき始め、人類は滅亡の危機に瀕していた。人類は、太陽を再生させるために核爆弾装置“ペイロード”を投下するミッションを発動。7年前に出発したイカロス1号は消息を断っており、今回は2号機。船長のカネダをはじめ、男女8人のエキスパートが乗り込み、膨大な光熱をシールド装置で防御しながら慎重に太陽へ接近していき、水星の軌道上に差し掛かろうとしていた。そんな中、失踪したイカロス1号からの救難信号が入る。ペイロードの専門家キャパは、イカロス1号に搭載されたもうひとつのペイロードを入手することで、ミッションの成功確率は向上すると主張。船長カネダはキャパの意見を採用しルートの変更を命じる。しかし、ルートを変更するとすぐに、イカロス2号は大きな衝撃に襲われ…というストーリー。

宇宙船という閉塞した空間。独特の時間の流れの中、1年前のイカロス1号から救難信号が出ているという不可解な出来事がおこり、複数の科学者たちが混乱していく…。惑星ソラリスという金字塔的作品を知っている人ならば、この世のものならざる何かと遭遇する展開になるのだろうな…と、頭をよぎらない人はいないだろう。
そういう展開にならなければならないで肩透かしを食らった気になるし、なったらなったで、やっぱりそうか…となってしまう。ある意味、どっちに転がっても良くはならないという、八方塞りなシナリオ。そのくせ、どっちに転がるのか、中途半端にもったいぶっているため、ピンチをどうやって切り抜けるか? というドキドキに素直に集中できないという、悪影響まで生んでいる。早々に詰んでいる作品だといえる。

滅びゆく地球という設定なのだが、宇宙船内なので、その様子は伺い知れない。最後にちょろっと地球の様子が出てくるのだが、それほどヒドい状況には見えなかった。地球がヒドい状況であることを“焦り”“判断ミス”の説得力に繋げるという手があったと思うが、呑気にメールをおくっているシーンが、緊迫感を削いでいる。

それを補うように、代わり映えのしない船内をスリリングなカット割りで表現するなど、興味を持続する工夫は随所にみられる。ダニー・ボイルの努力は評価に値すると思う。でも、全シーン薄暗くて、日中、観ると、何が繰り広げられてるのか、さっぱりわかないので、要注意。

でも、やっぱり脚本がダメだね。『28日後…』でも、ダニー・ボイルとコンビだった脚本家なんだけど。
終盤で、イカロス1号の乗組員の所業に話が集約されていくのだが、なぜそいつが2号のミッションを妨害しようとするのか、さっぱりわからず仕舞いで終わるのが、致命的かも。
別に日本人贔屓するわけじゃないけど、真田広之演じる船長を、もう少しうまく使えなかったものか…とも思う。使い勝手のあるキャラクターだと思うんだけど。

駄作といわれても否定できない。
#宇宙空間に投げ出されたら即死じゃねーの?という疑問が湧くと思うが、意外にあんなもんだと思う。


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公開年:1983年
公開国:フランス
時 間:90分
監 督:リュック・ベッソン
出 演:ピエール・ジョリヴェ、ジャン・ブイーズ、フリッツ・ヴェッパー、ジャン・レノ 他
受 賞:【1983年/第11回アボリアッツ・ファンタスティック映画祭】審査員特別賞、批評家賞





近未来。世界の文明は滅びてしまい、生き残った人間もわずかに。大気汚染によって声帯に異常をきたした人々は、言葉によるコミュニケーションを取ることができなくなっていた。かつて都市だった土地は独裁者によって支配されていたが、彼らと組みすることなくビルの屋上に暮らす一人の若い男がいた。独裁者は奴隷を使って、かつての文明の利器を掘り出していたが、若い男は、独裁者が発掘した物から少しづつ部品を盗んでいる。男は、その部品で、こつこつと飛行機を作り、この土地を脱出しようとしていたのだ。いよいよ、バッテリーをつければ飛行機は完成という段階に。しかい、独裁者とその手下たちはバッテリーが盗まれたことに気付き、若い男を追跡。若い男は自室まで追いつめられるが、間一髪で離陸に成功。みごと逃げ切るのだった。若い男が目指すのかつてのパリ。若い男が訪れた場所では、老齢の意志が病院だった建物に籠城していたが、そこにある食料を狙って凶暴な男が日々攻撃を仕掛けていた。若い男は凶暴な男に襲撃され重傷を負ってしまうが、医師は若い男を治療するのだったが…というストーリー。

…と、あらすじを書いてはみたが、色々ネット上で情報を拾ってなんとかまとめられた状態。はっきりいって、観ただけで設定を把握できる人間なんかいないと思う。独裁者が部品を掘っていて、主人公がそれを盗んでいるなんていう状況を、人目で把握できたらすごい感性。これがリュック・ベッソンのデビュー作と考えるとちょっと困惑する。現在の作風の萌芽が感じられるなんて評する人もいるけど、私はそこまでは感じなかった。

若気の至りというか中二病というか、そんな内容。完全なディストピア物。少なくとも“医師”という肩書の老人が存在するわけで、その老人が仮に80歳程度だとしても、世界がこんな風に荒廃したのは、彼が医師免許を取得した年齢以降。長くても60年前に荒廃が始まったということになる。若い男はそれ以降に誕生したわけだから、十数年前までは女性は存在。そこそこ構造物は残存しているいるが、一方、骨とか一切見当たらないし、不自然さは感じざるを得ない(この状態になんでなったのか?については作中で語られることはない)。正直、地球の近未来じゃなく、架空の世界のお話だと思って観ていたほどだ。

でも、この作品が作られた当時の社会に蔓延する“どうせ…”という空気や、極端に個人主義を良しとする風潮が生む殺伐とした社会を、“ディストピア”として表現したと好意的に考えれば、悪くはないのかもしれない。

老人は、ある意味、人間の種の尊厳に関わる秘密を隠匿している。老医師は若い男に心を許していくが、完全に許すわけではなく、小出しに秘密を伝えていく。しかし、その一縷の希望も、ジャン・レノ演じる凶暴な男によって、無残に散ってしまう。この虚無感や虚脱感こそ、リュック・ベッソンが表現したかった部分なのかもしれない。

いずれにせよ、思いついたことを、ここまで形に持って行ける点については、感心する。やはり、こういうまとめあげる能力こそ、大成する重要な要素なんだと痛感する。日本人の場合、こういう才能をもっている人は漫画家になっちゃう人が多いのかな。いずれにせよ、思いつきを発表できる形にする能力に対して強いジェラシーを感じる(私には無い)。
はっきりいって作品自体は面白くないが、現在のリュック・ベッソンを踏まえた上であれこれ考察する分には、意味を感じられる作品かも。大学の映画サークル並みに見えるかもしれないけど、置きにいっていない突き抜け感が味わえる作品ではある。

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公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:81分
監 督:ルイス・ショーンブラン
出 演:キャシー・フリーゲル、ジェイソン・ロックハート、ディラン・ヴォックス 他







201X年。山中に一体のエイリアンが飛来する。姿を消す能力と、DNAを使って人間に化ける能力をもったエイリアンは、遭遇した人間を次々と殺していく。一方、地味な青年タイラーと友人のジェイクは、幼馴染にジェシーら4人の女の子と一緒に森へキャンプ場へ行く。楽しく過ごすつもりだったが、一人のわがままな女の子の振る舞いによってしらけムードに。そのまま一夜が明けるが、その女の子の姿が見えない。迷子になったと思い捜索するが、そこには血まみれの彼女の靴が。すると突然、不思議な風体の女性が現れる。彼女は自ら宇宙人と名乗り、この姿は“アバター(化身)”であると説明する。そして、とある生物兵器を追って地球に来たこと、おそらく行方不明の子はその生物兵器によって殺されたであろうことを告げる。宇宙人は、生物兵器を倒す装置が故障してしまったため、協力してほしいというのだったが…というストーリー。

あらすじを書くと、改めてバカバカしくなってくる。内容が無いに等しい。いや、ストーリーはあるよ。でも、“人間の変化”みたいな側面がまるっきり欠如している。すごろくレベル。エド・ウッドのシナリオに近いかもしれない。

青い顔をした宇宙人が乗ってきたUFOの計器には英語表記が。宇宙人の言語は英語のようだ。あなたたちの言語は単純だから…っていうとってつけたような説明が入るのだが、機械の表示が英語である説明になっていない。アホかと。もうちょっと面白い説明で笑いをとればいいのに…と思うのだが、これでよいと本気で思っているフシがある。そのセンスに、ある意味恐怖を覚える。

やたら、宇宙人のテクノロジーが進んでいることばかりセリフにでてくるから、何かの複線かな?と勘ぐっていた。例えば、逆に地球なら誰でも知っているような科学理論だけが、なぜか宇宙人にはわからないとか。電磁力の法則をしらないとか、そういう面白い設定を差し込むとかすればいいのに。フレミングの左手の法則とか、みんなで電磁力の手の形をやって、「Oh~!」とか。馬鹿馬鹿しくていいじゃん(笑)。でも、結局、なんの複線でもなかったわ。

キャラの配置もいまいち謎。いちばんヤボったい子を殺しちゃうセンスは、日本人にはないよねー。

技術的には、民生品でかなりのことができるようになったため、技術を補うために偏執的な努力が不要になっている。思わず“くっだらね~~!!”って言ってしまう、陳腐な技術をバカにしつつも愛してしまうという、涙ぐましい努力に対して好感を持つということが無くなってしまった。
無味乾燥なつまらなさだけが残っている。

この映画サークル、なかなかやるじゃん!っていうレベルだった。

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公開年:1984年
公開国:アメリカ
時 間:110分
監 督:ジョン・セイルズ
出 演:ジョー・モートン、ダリル・エドワーズ、スティーヴ・ジェームズ、レナード・ジャクソン、ジョン・セイルズ、キャロライン・アーロン、デヴィッド・ストラザーン、ビル・コッブス、レジー・ロック・バイスウッド、トム・ライト 他





黒人の姿をした宇宙人が、ニューヨークに不時着する。彼は、ハーレムの125番街に迷い込むが、言葉を発することができないため、奇妙な外国人として扱われる。しかし、手をかざすだけで傷を治したり、機械を修理する特殊能力を発揮したため、ゲーム機修理に仕事を得ることができた。“ブラザー”と呼ばれるようになった彼は、パブで知り合った男から、夫が蒸発してしまった女性の女性のアパートの一室を借り、住民たちに溶け込んでいった。そんなある日、白人の二人組が、“ブラザー”のことを捜しに来る。彼らは、“ブラザー”のことを捕まえに来たハンターだった…というストーリー。

異文化遭遇モノなんだけど、良し悪しは別にしてとにかく独特な作品。

喋れないけど相手の言っている内容はすっかり把握できる可能。地球でのお約束事や卑近な文化につい判らないだけで、普遍的な内容のコミュニケーションは基本的に問題がない。見た目はただの黒人だから、朴訥な人という扱いで、いろんな人が手を差し伸べてくれる。

ハーレムに住む気のいい人たちの様子を、宇宙人を通して描いているって感じ。おそらく、“ブラザー”は逃亡奴隷なんだろう。元々は奴隷だった黒人たちの社会で、シンパシーを感じていく…っていうプロットなんだと思う。でも、良さげなテーマに見えなくもないけど、黒人社会がいまでも奴隷根性が染みついている…っていう風に捉えられなくもない。

“ブラザー”の姿は黒人だけど、これは化けているのかな?と思っていたのだが、実は足が三本指。足だけ化けられないっていう道理はないだろうから、元からこの姿らしい。追ってのハンターは喋れることから、別種なんだろうね。
“目玉カメラ”の設定はなかなかインパクトがあるけど、その設定がないと話が進められないわけでもないし、それほど演出上重要でもないし、とても不思議な感じ。

麻薬の過剰摂取で死んだ子供が持っていた麻薬を自分に打つくだりが、ちょっと意味不明。この少年に何がおこったのか?を把握するための行動…っていう演出なんだろうけど、そこまでせんと判らんか?って感じ。麻薬を打つことで、特殊能力を発揮して、麻薬ディーラーの居場所がわかるようになる…とか、そういうことでもなかったし。

いよいよ、ハンターが“ブラザー”を見つけた!っていうバーのシーンでの乱闘。わたしが今まで観た映画の中で、一番へなちょこなアクションシーンだと思う。わざとコメディチックにしているわけじゃなさそうだんだよね。

壁に描いたサインは、同じ種族がいるってことを示していたってことなんだろうね。都合よくハンターが追いかけてくるところに、みんな終結してきた仕組みはよくわかんないけど。なんで、ハンターたちが自爆しないといけないのかも、よくわかんないけど。

そう、すべてがよくわかんないまま、ズンズン進んでいく奇妙な作品だった。それ以上の感想はないかな。 

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公開年:2012年
公開国:アメリカ
時 間:84分
監 督:ジョシュ・トランク
出 演:デイン・デハーン、アレックス・ラッセル、マイケル・B・ジョーダン、マイケル・ケリー、アシュリー・ヒンショウ 他







高校生のアンドリューの家庭は、寝たきりの母親と無職でいつも泥酔している父親との3人暮らし。学校でも孤立ぎみの彼は、中古のビデオカメラに生活のすべてを収めることだけを、唯一のたのしみに生きていた。ある日、同じ高校に通っているいとこのマットに誘われてパーティに出かける。そこで、思いきって気になっていたケイシーという女の子に声をかけてみるが、ビデオカメラをまわしていたことで、他の参加者にいちゃもんを付けら殴られてしまう。マットとアメフト部のスター選手スティーヴは、落ち込むアンドリューを元気付けようと、近くにある洞窟探検に誘う。そこで不思議な物体を見付け、それに触れたことがきっかけで、3人に超常的な能力が身に付いてしまう。はじめは、スカートをめくったり、車を動かしたり、軽いイタズラを楽しむ程度の3人だったが、ある日、彼らが乗っている車を執拗に挑発してくる車を、怒りに任せて横転させ沼に鎮めてしまう。何とか運転手は救出し事なきを得たものの、自分達の能力に危機感を覚えたマットは、力を使う際のルールを設けようと提言する。アンドリューにはその提言が納得できなかったが、渋々承諾。その後、空が飛べるくらい能力を開眼させた3人は、学校のタレントショーで密かに能力を使ったマジックを披露する。嫌われ者だったアンドリューも人気者になるのだったが…というストーリー。

突然超能力を身に付けてしまうお話はめずらしくもないが、未熟な若者の感情の起伏と絡めて暴走していく様子をうまく表現していると思う。『AKIRA』がそれじゃね?って思う人はたくさんいるみたいだけど、日常生活の中への織り交ぜ方は、スマートに演出できていると感じるね。

まあ、同じ能力を持っていても、持ち前の性格によって発現の仕方や使い方が違うっていうのも『AKIRA』と一緒か。アンドリューは非常につらい家庭環境の少年で、暗くて友達もいないわりには、それなりに折り合いをつけて生きていた方だと思う。父親が究極のクソ野郎で、あれだけアンドリューの心を折りまくっているのに、彼はよく踏ん張っている。むしろ感心するくらい強い少年だと思う。
それが、逆に能力を得ることで、我慢できない人間になってしまう。人間として、下卑ていってしまう…いうのが、ストーリー上、おもしろいのだ。

クモを殺すシーンなど、シリアルキラーが形成される過程を丁寧になぞっているのも良い。小動物を殺すことから、猟奇的な殺人を犯す人間が形成される…という演出が安易に見えるかもしれないが、幼少期の積み重ねがそういう人格を形成するのは事実。そこそこ成長した後だと、ちょっと不自然な気もするけど、超能力を得たという特異な状況なので、通常よりも加速度的に人格形成されていくと考えればよい。

いろいろ切羽詰まって強盗するに至るわけだが、そんだけ巧みに超能力を扱えるんなら、こっそりお金を浮かせて盗むとか、いくらでもできるやんけ…と思っちゃう。でも、母親が今にも死にそう、それもクソオヤジの怠惰のせいで。杓子定規の対応で薬も売ってもらえねえ…っつう追い詰められ方は、高校生が一線を超えるのには十分すぎる。暴走していく過程はごく自然に写る描写だったと思う。
加えて、メインの3人が欠けてしまうし、ラストも見事なバッドエンドというのは、ありそうでなかった展開かもしれない。

鏡を使ったカメラワークが多用されているが、好きな演出だ。奇を衒うだけではなく、しっかりした“普通の”映画の演出ができる監督だと思う。これはレンタルして観る価値あり…というか、抑えておく価値ありっていう表現が正しいかな。メジャー監督の誕生を間近で観た!って感じ。

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公開年:2007年
公開国:アメリカ
時 間:84分
監 督:スコット・ハーパー
出 演:ウィリアム・カット、ディディ・ファイファー、ランディ・マルキー、ジェイソン・S・グレン 他






アメリカの田舎町に、正体不明の飛来物が二つ落下する。保安官のジョエルは、新聞記者のリーと一緒に落下現場に向かうが、そこにあったのは不時着した宇宙船。現場近くにはキャンピングカー暮らしをしている母子がいるはずだが姿はなし。動揺しているジョエルとリーの前にクモのような生物が現れ、ジョエルは餌食となってしまう。何とか車に退避して助かったリーが、そこから逃げようとすると、キャンピングカーに暮らしている娘タニーが車の窓を叩く。二人は新聞社まで逃げて、社にいた仲間たちと善後策を協議。とりあえず町の脱出を試みようとするが、行く手をエイリアンが阻み…というストーリー。

圧倒的に魅力ないキャラクター(というか役者)ばかり。B級どころかC級映画レベルで、演技もコント並み。キャンピングカーで暮らしている娘タニーなんかは、ヒロイン扱いにしたいのか、死亡フラグを立てたいのか、中途半端な一番の例。キャスティングプロデューサーの役割って重要だよね。

プロットも『エイリアン VS プレデター』のような構図で、目新しさは皆無。ハンター側がステルスモードを使うとか、ディテールまで一緒で芸がない。ここまで既存のイメージを踏襲してしまって恥ずかしくならないんだろう1か…なんて思ってしまうほど。

死亡フラグを立ててるつもり…、イヤな人間を演出しているつもり…なんだとは思うのだが、シナリオの台詞まわしがあまりにくだらなく陳腐。どうしたら“くだらない”“しらける”セリフになるのか? 脚本家をめざす人にとっては、立派な反面教師作品である。
例えば、禿げの黒人のおっさんは、頑なに出版社から出ないと主張するのだが、直後に、地下室のある家に住んでいるやつはいないか?と聞きはじめる。その後、記者のおっさんが、水路から逃げるのはどうだ? と意見すると、また黒人のおっさんは、頑なに出版社から出ないといいはじめる。誰かの家の地下室にいくためには、出版社から一回でなきゃいけないやんか。出版社から出るつもりがないんだから聞くなよ。もう、シュールなシナリオすぎて、狂人の書いた作品ですわ。

因縁のある変わり者のおっさんと、犬猿の仲なのに共闘する…っていう展開になるんだけど、いまいち盛り上がらないし(だって、すぐに他の仲間がやってきてリーがお荷物状態になるんだもん)、出版社のオーナーとの恋愛展開が差し込まれるのに、効果的に使えてないし…。
オチも、何がおもしろいのさっぱりわからない。センスなさすぎ。とにかく続編を作る気がマンマンな気配は漂っている(作られたかどうかはしらんけど)。「言葉の意味はわからんが、とにかくすごい自信だ」というキン肉マンでのセリフが頭をよぎった。

よほどC級作品マニアでもないかぎり、観る必要のない作品。技術的な問題だとは思うけど、ずっとオレンジっぽい画質で、目が飽きてくるし。

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公開年:2000年
公開国:アメリカ
時 間:130分
監 督:クリント・イーストウッド
出 演:クリント・イーストウッド、トミー・リー・ジョーンズ、ドナルド・サザーランド、ジェームズ・ガーナー、ジェームズ・クロムウェル、ウィリアム・ディヴェイン、マーシャ・ゲイ・ハーデン、ローレン・ディーン、コートニー・B・ヴァンス、バーバラ・バブコック、ブレア・ブラウン 他
ノミネート:【2000年/第73回アカデミー賞】音響賞[編集](Bub Asman、Alan Robert Murray)



かつてアメリカ空軍に“チーム・ダイダロス”いう名の将来の宇宙探索飛行を目的としたパイロットチームが存在した。しかし、計画遂行の直前になって計画自体がNASAに移行してしまう。その結果、マーキュリー計画で宇宙へ行ったのはチームの4人ではなくチンパンジー。失意の中、チームは解散となる。それから40年後、チーム・ダイダロスの一員だったフランク・コービンのところに、NASAから宇宙衛星の修理依頼がくる。故障した宇宙衛星アイコンは、旧ソ連時代の遺物で、そのエンジンがフランクの設計を元に建造されているという。なぜソ連の人工衛星がにフランクの技術が用いられているのかは不明だったが、このまま放置しておけば数日以内に落下してしまうという。NASAに良い感情を持っていないフランクは、チーム・ダイダロスで作業するという条件を付けて承諾。かくして昔のメンバーであるウィリアム・ホーキンス、ジェリー・オニール、タンク・サリバンを集め、訓練を開始するのだったが…というストーリー。

荒唐無稽といってよい設定だけど、実に映画らしい内容。じいちゃんが宇宙に行けるなんてありえないけど、事情が事情だけに背に腹は代えられないという展開は、それなりに説得力がある。

しかし、中盤に、やっぱりじいちゃんたちが、情報だけ吸い取られてお払い箱になるかも!?以降の展開が、グズグズしちゃうのが残念。
若い飛行士がフランクから執拗に修理方法を聞き出そうするので、もしかして情報だけ取って宇宙に行かせないつもりか?あんにゃろめ!っていう流れなんだけど、このシナリオ上の小細工のせいで違和感が生じてしまう。だって、じいさんなんだから怪我したり死ぬ可能性だってあるわけだから、バックアップしないと世界が取り返しのつかない危機に陥っちゃうじゃない。どうしても自分が宇宙にいきたいからって、わがままを通す主人公がクレイジーにしか見えない。

トミー・リー・ジョーンズ演じるウィリアムが膵臓がんっていうくだりもそう。お涙ちょうだいで行かせてあげようって流れは、フィクションとしては悪くなんだろうけど、さっきも言ったように地球の危機なんだわ(笑)。こういう安易な演出が散見されて端々で嘘くさく感じられてノリきれない。脚本家は、どうしてもウィリアムじゃなければいけない理由をがんばって考えようよ。

じいさんたちの敵は、故障した人工衛星だけじゃなくて、3人の敵役がいる。まず、ジェームズ・クロムウェル演じるNASAの高官、ロシアのボストフ将軍、同乗する若い飛行士。こいつらの敵役っぷりが弱い。
NASAの高官はミッション成功後に、「フランクたちはやると思っていた」的なセリフは吐いて、クソ人間っぷり満開だし、ロシアの将軍はバレたあとプイっと消えちゃったし、若いパイロットもショートに巻き込まれちゃったりしたけど、結局、誰も大して痛い目にあっておらず、すっきりしない感。
本作は、捨てきれずにいる夢をかなえるというワクワク感と、高潔な任務遂行で世界を救うという名誉の両輪のお話。だから、夢をクソみたいな政争や権力欲のために使用したやつらから、名誉を奪うというのが正しいシナリオの流れであえる。奴ら3人から名誉を奪いというのがどういうことなのかを考えれば、高官は家族から軽蔑されるとか、ボストフ将軍はアメリカとロシアのお偉いさんから、隠ぺいできなかった責任をとらせれ拘束されるとか、若い飛行士は、実はそいつの恋人の親とか、自分の親ががチーム・ダイダロスに近しい人物で、ファミリーから軽蔑されちゃうとか。そいつらが墜ちていく様子をみて「ああ飯がウマイ」という流れにしてもらいたかった。

あとふた練りくらいすれば、大名作になったと思うので、非常に残念。

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公開年:1994年
公開国:アメリカ
時 間:121分
監 督:ローランド・エメリッヒ
出 演:カート・ラッセル、ジェームズ・スペイダー、ジェイ・デヴィッドソン、ヴィヴェカ・リンドフォース、アレクシス・クルス、ミリー・アヴィタル、レオン・リッピー、エリック・アヴァリ、フレンチ・スチュワート、リチャード・カインド、ジョン・ディール、デレク・ウェブスター 他




1928年。サハラ砂漠で古代遺跡が発見されるが、その中から謎の巨大な環状の物体が発掘される。1994年のアメリカ。若き考古学者ダニエル・ジャクソンは、その独自の説によって学会から異端視されていた。そんな彼の元に、28年に例の環を発見したラングフォード博士の娘であるキャサリンが訪れる。彼女は研究資金を援助すると申し出て、ダニエルを米軍の秘密基地に連れて行く。これまでキャサリンの研究チームは、環に刻まれた古代文字の解読を試みたが芳しい成果を上げることができていなかった。しかし、ダニエルは長年解読できなかった文字を2週間であっさり解読してしまう。新任のプロジェクト責任者であるジャック・オニール大佐は、ダニエルに例の環を見せ、これが異世界同士を繋ぐ門“スターゲイト”で、謎の古代文字がその鍵であったことを告げる。解読結果を元にスターゲイトを発動すると、遥か遠くに異星に繋がった。ダニエルはオニール大佐の隊に同行し、向こうの世界に旅立つのだったが…というストーリー。

後にTVドラマにもなったが、いろいろ想像力が掻き立てられる優秀な設定だと思う。SF要素だけを全面に出すのではなく、ミーツ・ザ・異世界モノ、革命モノなどの要素がバランス良く混合しているシナリオだ。エメリッヒらしっちゃらしい。
異星人が、古代の地球から人間を移送して奴隷としている設定がわかりやすい。オーバーテクノロジーの異星人なのに王政をしく人間臭さを感じさせる反面、それが生物の進歩を冷淡に眺めている故…みたいな訳知りな様子もあって、得体の知れなさが強調されているのもよい。

軍人さんの中に一人だけ混じった研究者ダニエルだが、飄々としたキャラでムードメーカーになっているだけなく、その屈託の無さと好奇心の大きさによって、ストーリーが進んでいく役割が秀逸。カート・ラッセル演じる大佐の役割が不完全燃焼っぽく感じられるかもしれないが、作戦遂行のエンジン役と、息子を失ったという過去と星の少年達激闘の展開だけで充分。

ラストのバトルは、バタバタとあわただしく、賛否分かれるところだと思うが、ある意味、映画でしかおもしろさが伝えられられない演出。

SFXへの力の入れ方が、今みるととても新鮮に映る。定期的に放送されるのには理由があると思う。

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公開年:2013年
公開国:カナダ
時 間:94分
監 督:ジェフ・レンフロー
出 演:ローレンス・フィッシュバーン、ケヴィン・ゼガーズ、ビル・パクストン、シャーロット・サリヴァン、アッティカス・ミッチェル、ジョン・テンチ 他





気候が激変し氷河期にはいってしまった地球。人々は地下にコロニー(居住地)を建設し、細々と生活をしていた。コロニー7では、動植物の繁殖など食料確保と種の保存などに勤めていたが、動物は死産を繰り返しており個体数が激減する一方だった。加えて、コロニー内で伝染病が広まる傾向にあり、隔離を行うなどしてきたが、継続的に感染者が現れ、人々を不安に陥れていた。そんな中、コロニー5との連絡が途絶えてしまう。コロニー7のリーダー格であるブリッグスと選抜されたサムたちは、徒歩でコロニー5へ向かい様子を見てくることに。しかし、コロニー5は、飢えによって食人鬼と化した人間たちによって滅ぼされていた…というストーリー。

ウイルス感染による危機と内紛。さらに動物たちが繁殖しないという不思議。こういう伏線…というか設定が、まったくもってどうでもよくなっちゃっている。結局は、ゾンビなんだか、単に狂った人たちなんだかよくわからない人食い集団が襲ってくるという話になっちゃう。
そのくせ、彼らがなんなのかは、よくわからないまま終わってしまう。妙に身体能力が高いような気もするので、これがウイルス感染と関係があるのか?とか思ったが、そうではない模様。

なんで気候変動が起きたのか?それを解消する術はあるのか?という展開もあるのだが、そっちの話は広がらないで終わる。結局、なんで動物たちが繁殖しないかは、不明のまま。

最後、火事になったコロニーを放棄して、雪の溶けてるところを目指す。でも、ボンベ一個が爆発した程度なら、中にいくらか食料とか残ってるでしょ。調べもしないで極寒の旅に出るとか、生きる気あるのか、こいつらは?と。

こういう気の廻らないシナリオを観ると、やる気がないなら創作活動なんかやめればいいのに…と思う。本作は、観るだけ時間の無駄。本当に質の悪いシナリオ。

拍手[0回]

公開年:2013年
公開国:アメリカ
時 間:131分
監 督:ギレルモ・デル・トロ
出 演:チャーリー・ハナム、イドリス・エルバ、菊地凛子、チャーリー・デイ、ロブ・カジンスキー、マックス・マーティーニ、芦田愛菜、ロン・パールマン、バーン・ゴーマン、クリフトン・コリンズ・Jr、ディエゴ・クラテンホフ、ロバート・メイレット、ヘザー・ドークセン、ブラッド・ウィリアム・ヘンケ、サンティアゴ・セグーラ、ロビン・トーマス 他
コピー:人類最後の望みは、この巨兵。


2013年8月。太平洋の深海から突如巨大な生命体が出現する。“KAIJU”と名付けられた生物は、サンフランシスコを襲撃した後、次々と3つの都市を6日で壊滅させた。なんとか通常兵器で撃退するに至ったものの、その後、怪獣は次々と出現。人類は生き残りをかけて、PPDC(環太平洋防衛軍) を設立。叡智を終結し人型巨大兵器“イェーガー”を開発。搭乗員2名の脳をシンクロして操縦するイェーガーは、KAIJUを撃退。明るい光が見えたかと思ったが、KAIJUは出現するごとに巨大化していき苦戦を強いられるようになる。2020年2月、ローリーとヤンシーのベケット兄弟は、イェーガー“ジプシー・デンジャー”に登場し、アンカレッジ沖に出現した怪獣“ナイフヘッド”迎撃に向かう。しかし、戦闘で機体が大破し、兄のヤンシーが戦士してしまう。ローリー単独でナイフヘッドを倒すものの、ジプシー・デンジャーは戦闘不能になってしまう。同様にイェーガーが破壊される例が多発したことにより、世界各国の政府首脳陣はイェーガー計画を中止し、巨大防護壁でKAIJUの攻撃を防ぐ計画に切り替えることを決断。PPDCは解散させられてしまう。しかし、鉄壁だと思われていた防護壁はKAIJUに破壊され、都市は襲撃され…というストーリー。

デル・トロが日本アニメが大好きなのは有名。溶液を用いてロボットとシンクロって、エヴァかよ。怪獣は何種類もいるけど遺伝子は一緒ってポケモンかよ。各国ロボット持ってるって、ガンダムファイトかよ。チェーンソードとか、日本アニメの発想だわなぁ…。怪獣の胎児が巨神兵みたいだなと思ったら、生まれたらウシバエみたいじゃん…と、いろいろ日本アニメの要素が散見。ふつうならパクるなよ!ってなるところだけど、ここまで臆面もなくやってくれたら、子供が嬉々として遊んでいるみたいで、怒る気も失せる。いや、全力でやりきってくれれば文句はないわ。

みんなレギオンみたい…っておもってたら、生物としての目的もレギオンだった。ガメラも好きなんだろうなデル・トロ。まあ、侵略者の目的に理屈や整合性を持たせようとするとどうしてもこうなちゃうよね。

イェーガーたちのバトルの動きは恰好いいんだけど、なにか立ち姿が美しくないことが不満かな。デザインにもうちょっと俗っぽさが欲しかったかも。

怪獣の脳にドリフトするアイデアはおもしろかった。これは慧眼。マッドサイエンストぎみの二人がいい味を出している。それに、ハンニバル・チャウね。さすがロン・パールマン、ものすごいインパクト。
司令官と森マコとのエピソードや、ハンセンの葛藤や成長物語など、ロボットバトル以上に、こういう脇の話に魅力があるのが素敵。ロボットバトルに目がいきがちだけど、こういう脇エピソードがなかったら、凡作だったと思う。

でも、後半になるとちょっとだけシナリオに綻びが生じたように見える。操縦者二人が記憶を共有しちゃうっていうんなら、もっといろんなことを言わずもがなで理解してよいはずなんだけど、ドリフトした後も、相手のことで驚いたりとか不自然さは残る。
香港で、怪獣がこの人を狙ってる!って、香港人が叫び始めるんだけど、なぜそれをすぐに納得できるんだろう。不自然極まりない。
細かいことをツッコムのは野暮かもしれないけど、あの玉がカチカチ動くおもちゃは、風圧や振動でああいう風には動き始めないと思うんだけど…。つまらないことで興醒めさせるのはやめて欲しいな。

消火栓の看板はリアルなのに、なんで車のナンバープレートはリアルじゃないんだ??と思ったが、日本は映画用のナンバーとか用意されてないから避けたのかもしれない。

いや、こういう特撮物(とあえて言わせてもらう)で、そんなチマチマと重箱の隅をつつくほうがおかしいのかも。逆に言えば、この程度のツッコミしか言うことがなってことなのかも。すっきりと愉しませていただいた。本作を上回る続編を期待。

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公開年:2013年
公開国:アメリカ
時 間:100分
監 督:M・ナイト・シャマラン
出 演:ウィル・スミス、ジェイデン・スミス、ソフィー・オコネドー、ゾーイ・イザベラ・クラヴィッツ、リンカーン・ルイス、サッシャ・ダーワン、クリス・ギア、イザベル・ファーマン、クリストファー・ヒヴュ、デヴィッド・デンマン、ダレル・フォスター 他
コピー:1000年後の地球。そこは人類に牙をむく緑の惑星。
危険は目の前にあるが、恐怖はお前の中にある。



西暦3072年。人類は知友の自然環境を破壊してしまい、1000年以上前に遠く離れたノヴァ・プライムに移住していた。ノヴァ・プライムには先住民がおり、彼らは人類を抹殺する巨大生物“アーサ”をつくり人間の侵略に対抗した。アーサは、人間の恐怖感で生じる微かな臭いを検知し、人を襲撃する。人間も、アーサに対抗するレンジャー部隊を組織して長らく戦闘を繰り広げてきた。現在のレンジャー部隊の最高司令官サイファ・レイジは、恐怖心を抱くことがないためアーサから見つかることがないという特殊能力の持ち主で、数多くの仲間を救った伝説の男。そして彼の息子キタイも、父と同じようにレンジャーを目指して訓練を受けていたが、精神面での問題があり落第してしまう。サイファは、妻の薦めもあって、キタイを次の宇宙遠征任務に同行さることにする。しかし、宇宙船が小惑星嵐に遭遇し故障。緊急的に第一級隔離惑星に不時着を試みるも、宇宙船は二つに折れて墜落してしまう。生き残ったサイファとキタイは、緊急信号を発しようとするが、発信機は機体から遠く離れた位置に落下していた。サイファが骨折して動けないため、キタイが発信機探索に向かうのだったが…というストーリー。

驚愕のクソ映画『エアベンダー』から3年。久々のシャマラン監督作品。脚本にも参加しているってことで、往年のノリを期待したが、お話の原案はウィル・スミスとのことで、シャマランっぽさは皆無といってよい。実は、全部、キタイを鍛えるため(潜在能力を開眼させるため)の、お芝居だったりして!なんて、のを期待したけど、そんなことはなかった。

ウィル・スミスは足を骨折して動けない役なので座っているだけ。つまりアクションはほぼ無し。おまけに、動き回るのは息子のジェイデン・スミス演じるキタイばかり。父親のサイファは“無感情”に近い役だし、親子のコミュニケーションも遠隔通信だし、父親は気絶しそうだし、終いには通信は途切れちゃう。ライオンが子ライオンを鍛える的な演出は、きわめて薄い。

これ、SF設定にしちゃったのが逆効果なんじゃないかと思う(ウィル・スミスの原案の段階ではSFじゃなかったらしいのよ)。不時着していろいろ壊れているとはいえ、便利ツールが盛りだくさん。この万能感が危機感を削いでいる。途中、いろんな動物に襲われてピンチになるが、よくわからん生物に襲われても、痛みとか伝わってこないし。キャンペーンで来日するたびに見せる、クソガキっぷりに閉口させられるわけだが、やんちゃしても許されるくらいの演技力でもあれば納得してあげるのだが、学芸会的なオドオドしたり苦しんだりする演技ばかりで、全然ピンチっぷりが伝わってこない。
#隠す必要も無いと思うので言っちゃうけど、墜落した星は実は地球でした…っていう設定が、驚きもないし、謎解きにもなっていないし、ピンチ脱出のポイントにもなっていないし、全然意味がないのね。

決定的に不足しているのが、“知恵”で乗り越えたっていう部分。“勇気”と“根性”だけで成長されても、いまいち共感しにくかったりする。

CGは素晴らしく、目が飽きることはないのだが、結果的には極めて普通の作品(『エアベンダー』に比べれば)。少年のグローインアップムービーを作りたかったのなら、シャマランにお願いするのが間違っていたんじゃなかな。

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公開年:2003年
公開国:アメリカ
時 間:99分
監 督:スティーブン・ソダーバーグ
出 演:ジョージ・クルーニー、ナターシャ マイケルホーン、ジェレミー・ディヴィス、ナターシャ・マケルホーン、ヴィオラ・デイヴィス、ウルリッヒ・トゥクール 他
コピー:人類は、まだその領域には足を踏み入れてはならない





未来の地球。ある日、心理学者のクリス・ケルヴィンの所に、彼の親友ギバリャンのビデオを携えた男達がやって来る。ジバリアンは、惑星ソラリスを探査中の宇宙ステーション“プロメテウス”に派遣されていたが、ステーション内で不思議な現象が頻発し、今は地球との交信も途絶えてしまっているという。クリスは、事件の調査を依頼され、ステーションに向かう。到着したクリスは、そこでジバリアンの遺体を発見する。ステーション内には2人の科学者スノーとゴードンがしていたが、他の乗組員はすべて自殺したという。生き残った2人に事情を聞くクリスだったが、またく要領を得ない。やがて、クリスが睡眠から目覚めると、そこには死んだはずの恋人レイアの姿が…というストーリー。

結構前に本作は観ているのだが、昨日『惑星ソラリス』を観たので、改めて連続鑑賞。タルコフスキーの難解さと迂遠さを、ハリウッド流のシナリオ術や演出で作ってみましたよ!というところだろう。同じ原作の作品というか、あくまでリメイクといった感じ。プロットは見事に同じといってよいだろう。

以前に観たときはクッソつまらんと思ったのだが、改めて観ると、j重要ポイントを残しつつ且つ哲学的な要素も毀損していないと思う。
ステーション内で親友のビデオを発見するのではなく、親友のビデオが送られてきたことがステーション派遣のきっかけになっており、親友の死はステーションに行ってから…というシナリオ構成。これにより、前作の大尉のくだりは一切不要になったし、ソラリスで何がおこっているのかについて想像しにくくして、よりミステリー要素を増すことに成功している。これぞ、ハリウッド流のシナリオ術だなと感服。ハリウッド作品の短絡さをバカにする向きもあるが、こういうシナリオ術は真剣に学ぶべきだろう。

時代が下っているので、もちろん科学的な要素もグレードアップしている。今年のノーベル賞受賞でおなじみのヒッグス粒子の描写もある(反ヒッグスなる反粒子が作れたとして、それで物質が消滅するかとは、それを機器によって放出することが可能かは不明だが…)。

また、レイアとの過去を順序立てて回想することにより、じわじわ真綿で首を絞めるように、ニセレイアと離れられなくなってくる様子が綴られている。前作では、単純に愛情が湧いたという感じだったが、本作は単なる愛情を超えた“何か”に目覚めたような様子に描かれている。ウェットさも増している。ただ、これによってノイローゼ的な感じが強調されすぎてしまっているとは思う。

哲学的な要素を毀損していないと書いたが、それは確かだが、宗教的な領域にまで踏み込んでしまったような気がする。これを良いと感じるかは好みのわかれるところ。レイアが液体酸素を飲んで死んだ後に組成するが、本作のそれは、不死というよりも同じ人格への輪廻転生に近いように思えた。そしてそれは、幸福という名の地獄を象徴しているようにも思える。

地球に帰還した想像(?)の意味がいまいちよくわからなかったのだが、思考も見た目も同じならはたしてそれは、本人とどう違うというのか? 引いては自分はどうなのか? もしかして自分もソラリスから生まれたのではないのか?(乗組員だと思ったら実はソラリスだった…という展開が加わっているので、そこはあえて強調されていると思う) そういう思考を地球への帰還として差し込んだのだと思うが、わかりにくい演出だったかも。
で、その判然としない状況を良しとして受け入れた先に何があるか。死んだ人がどんどんと、死んだ時点の姿で現れる…それは、終末のときに訪れるという、死者が蘇る=天国の様子である。そういう意味で、ちょっと宗教寄りに踏み込んでしまったな…と。

また、単なる脳内の記憶のコピーであるというところを強調したのは、ちょっとマズかったように思える。元々人間の記憶なんかあいまいだと思われているが、人間自身は表層に取り出せないだけど、実はしっかりと脳には仔細に記憶されていて、それこそリバースエンジニアリングのように、人間を構築できるくらいの情報量があるのだ…というくらいのSFっぷりを発揮してほしかったかも。
また、なんで、一人だけしかレイアが登場しないのか。そこはソラリスの作為というか意思に違いないと思うので、説明…とまでは言わないが匂わせて欲しかった。

評判の悪い本作だが、改めて観ると悪くない。が、もう一度観るかと聞かれれば、それは難しい。

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公開年:1972年
公開国:ソ連
時 間:165分
監 督:アンドレイ・タルコフスキー
出 演:ナターリヤ・ボンダルチュク、ドナタス・バニオニス、ユーリ・ヤルヴェット、ニコライ・グリニコ、アナトリー・ソロニーツィン、ウラジスラフ・ドヴォルジェツキー 他
受 賞:【1972年/第25回カンヌ国際映画祭】審査員特別グランプリ(アンドレイ・タルコフスキー)、国際エヴァンジェリ映画委員会賞(アンドレイ・タルコフスキー)
コピー:謎の惑星『ソラリス』とは…?そこには不思議な姿の生命が存在し その豊かな海は理性を持つ有機体と判明! これらの謎に挑むモスクワの近代科学陣が 宇宙船で軌道ステーションに出発する!1977年の全世界的SF映画ブームにさきがけてGWに放つ堂々3時間の超巨篇!

近未来。人類は発見された惑星ソラリスの調査を試みていたが、ソラリスの海へ接触することすらできず、失敗に終わっていた。ソラリスの軌道上に浮かぶ宇宙ステーション「プロメテウス」では、その後も研究が継続されていたが、通信が途絶してしまう。調査のために科学者のクリスはステーションへ派遣される。ステーションいは3人の学者がいるはずだったが、クリスが到着すると、クリスの友人の物理学者ギバリャンは自殺をしており、残りのスナウトとサルトリウスも、挙動不審で精神的に不安定になっていた。2人はクリスに対して「ステーション内で自分達以外の人影を見ても気にするな」とわけのわからないことを言う。クリスはギバリャンが遺した自分宛のビデオを発見。ギバリャンのビデオは、海にX線を照射したことで何かが発生したことを示唆していたが、詳細はよくわからなかった。その後、サルトリウスの部屋ではいるはずのない人影を見かけたり、ステーション内を歩く少女を見かけるクリス。やがて、眠りに付いたクリスが目覚めると、そこには数年間に死んだはずの妻サリーがおり…というストーリー。

さすがドストエフスキーやトルストイの国の作品だ…と思わず唸ってしまうほど、長い。実時間より長く感じる。面白いとか面白くないとか、そういう問題じゃなく、眠くならない人がいるのか? と。4回はカクンとなったね。ソ連作品なので、商業的に客を惹き付けようとかそういう気概は一切なし。ただただ文学的に表現したいように演出をしているように思える。
冒頭の大尉のビデオのくだりから、クリスが宇宙に旅立つまでのくだりなんか、普通に考えたら、迂遠も迂遠だよね。

サリーには、過去の記憶が無く、自分が人間だと思っている(ように見える)。端々で、サリーが事情をわかっているような表情のカットが差し込まれていたので、ソラリスの人類制服の尖兵だったりして…なんていういかにもSF的な予想をしていた。しかし、他の2人の科学者が、サリーに対しておまえは人間じゃないと面と向かって蔑む。ソラリスの海から生まれた“物”だと言われ、私違うのか…と、その後、サリーの精神は一掃不安定になっていく。どうやら、ソラリスから生まれた人間は、“ただ、そのイメージのまま”で、何者かの作為とか意図というものが無い模様。

そうなってくると、SFじゃなくて、哲学のお話に変貌していく。

経過や状況を考えれば間違いなく人間じゃないけど、見栄えも同じで精神も同じ“物”(他人の記憶のイメージから人間が再構築できるか? という細かい疑問は、この際忘れようじゃないか)は、やっぱり人間なんじゃないか?と。それを殺したりするのは、やっぱり殺人なんじゃないか?と。

クリスは、サリーを受けいれて妻として扱い愛していくが、クリスの心のひっかかりが生んだサリーは、サリーの分身なんじゃなく、クリスの記憶が生んだものであって、クリス本人なんじゃないのか? 愛ってなんだ? みんな他者を愛していると思い込んでいるけど、愛なんてすべて自己愛なんじゃないのか?とか。いや~、深い深い。

さらに、生き返ったのが死んだ妻だときている。それも、自分が追い詰めて自殺させてしまったと、未だに悔やんでいる人。それが目の前にまた現れ。そして、また追い詰められて自殺する。しかしソラリス人は簡単にには死なない。自殺しては蘇る。クリスは過去の苦しみを何度も追体験させられるという無間地獄のような状態に。

もちろん、地球に連れ帰るわけにはいかない。さてクリスの選択は? というオチになるのだが、そこまで到達すると、オチなんかどうでも良い感じ。長~く感じるほどの演出のその波間で、脳みそがぐるぐるまわるほど思考が巡る。SFだけど間違いなく文学作品。でも疲れるのは間違いなし。

#冒頭から、美しい自然の風景や、ブリューゲルの絵を長々と描いているのだが、近未来を描く気があるのか?なんて思っていたら、近未来都市の風景として東京の首都高速道路で撮影されたカットが。冷戦時代でも、こんなこと可能だったんだねえ。

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クボタカユキ
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出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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