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公開年:1989年
公開国:アメリカ
時 間:96分
監 督:ロン・アンダーウッド
出 演:ケヴィン・ベーコン、フレッド・ウォード、フィン・カーター、マイケル・グロス、レバ・マッケンタイア、ボビー・ジャコビー、ヴィクター・ウォン、ビビ・ベッシュ、アリアナ・リチャーズ、シャーロット・スチュワート、トニー・ジェナロ、リチャード・マーカス 他
コピー:土煙をあげて、大地が裂けてゆく- 突然おこった地核変動の謎は?




ネバダの砂漠地帯にある小さな田舎町。そこで便利屋をしているヴァルとアールは、ロンダという大学院生と出会う。彼女は、数日前から奇妙な振動が計測されており、その原因を調べているという。ヴァルとアールは、刺激のないこの町に嫌気がさしており、この町を出る決意を
した。その道すがら、酔っぱらい老人が鉄塔の上にしがみついたまま死んでいるのを発見する。死体を降ろして町まで運ぶが、死因は脱水症状。なんで喉が渇いても鉄塔から降りようとしなかったのか、理解不能。しかし、その後も、工事現場の作業員が消えたり、家畜が食い荒らされたり、車が地中に埋まってたりと、奇妙な事件が連続発生する。やがてヴァルたちは、それらが地底生物の仕業であることを知るのだったが、町の電話は不通となり、周囲の道路も寸断されて陸の孤島と化してしまい…というストーリー。

本作、すごく記憶に残っているんだけど何故なのかと調べると、『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』の同時上映だったんだな。劇場で観てるんだわ。BTF3が大作然としすぎているから、ショボく感じたか?と思いきや、実際は2と3の連続製作という目新しい手法で話題になり期待値が上がりまくったせいで、実際は満足度は高くなかった。かえって本作のほうが心に残った人が多かったのではなかろうか。まあ、今考えれば、なんと贅沢な二本立てだろう。
でも、その割には、地中生物のフォルムを『DUNE/砂の惑星』のワンドワームと混同していたりするんだけどね(本作の生物は、けっこう短い)。

基本プロットはジョーズに近い。そして、だだっ広い砂漠地帯とはいえ、周囲の町とは遠く隔てられた土地で、道も寸断されているという、ある意味“密室劇”的な舞台。学校帰りに、“高いところだけを歩いていき、落ちたら鮫に襲われる”的な遊びをしたことがある人も多いだろうが、そういうノリを真剣に映画に仕上げた作品。
さらに、未知の生物の特性を探りながら解決策を差靴という、謎解き要素も加わる。

キャラクターも実にウマく配置されている。ケビン・ベーコン演じるヴァルは、クールで行動力のある若者。粗野な男のようでありながらも卒なく物事をこなすだけでなく、結構賢いし、思い切りもよい。話が進めば進むほど好青年であることがわかってくるので、理想の女性像を追いかけているウブさが相まって、どんどん魅力的に見えてくる。ケビン・ベーコンは結構イヤな役柄が多いので、
さらに、そしてバディ物としての要素もある。ヴァルの相棒アールは、ちょっと年上で冷静。常に良いフォロー役として振る舞い、アクティブなヴァルといいバランスが取れている。そして、恋のキューピッド役もこなす。

町の住人もユニークな人だらけで、銃器マニアの夫妻は、核シェルターを用意するほど“生”への執着がある。だから、怪物が襲ってきても、その蓄えた火気をフルに使って反撃する。採取的に怪物退治が可能だったのも、彼らの知識があったればこそ。でも、生への執着は、自分勝手さとしても表出し、町の人と軋轢も生じる(このバランスがシナリオ的にウマい)。
食堂のアジア系(?)の親父や、ふざけてばかりの若者など、余計なことをしてピンチになったり、色んなことを想いついたりと、それぞれいいところで役割を果たしている。
もちろん、異変をいち早く察知したロンダも、ヒロインと戦う仲間の両方を見事に両立。彼女の知恵が、何度もも彼らを救う。

こういう、大ピンチを共有した結果、恋愛に至り結ばれるという展開も、『スピード』よろしくありがちな展開。そういう以上な状況で結ばれても、長続きしないというのは世の常なので、なんとなーくニヤニヤした生暖かい感じで観終えられるのも、おもしろい。

ありがちでお約束な材料ばかりが集約されているのに、ここまで面白く仕上げられているのは見事。大人版の『グーニーズ』みたいで、とてもワクワクしながら鑑賞できる。

モンスターの造型以外は、たいしてお金がかかっていない(とはいえ数億円レベルの制作費だとは思うけど)。地中を怪物が進む様子だって、シートの上に地面をつくっているギミックはバレバレ。でも、それで十分なんだよね。知恵と企画の勝利。
なーんの映画賞も獲っていないが、映画賞なんか作品の普遍性とは無関係だといういうことを証明している作品。秀作だ。若い世代で観ていない人は多いかもしれないけど、これは観るべき。

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公開年:2011年
公開国:イギリス
時 間:88分
監 督:ジョー・コーニッシュ
出 演:トジョディ・ウィッテカー、ジョン・ボイエガ、アレックス・エスメイル、フランツ・ドラメー、リーオン・ジョーンズ、サイモン・ハワード、ルーク・トレッダウェイ、ジャメイン・ハンター、ニック・フロスト 他
ノミネート:【2011年/第65回英国アカデミー賞】 新人賞(ジョー・コーニッシュ)
コピー:団地の不良キッズVS謎の凶悪エイリアン



南ロンドンにある、低所得者向け公営団地“ブロック”。そのに住むモーゼス率いる5人組みは、毎晩のように大騒ぎしたり、時には通りかかった人を脅して金品を巻き上げることまでする、筋金入りの不良グループ。その日も、ブロックに引っ越して間もないサムという女性を脅して金品を巻き上げていると、突然彼らの目の前の空から隕石のようなものが落下してくる。落下物はエイリアンと思しき生物で、モーゼスたちを襲撃しはじめる。血気盛んな彼らは、ひるむことなく反撃し、逃げる謎の生物を追跡し仕留めてしまう。戦利品として死体を団地に運ぶモーゼスたちだったが、その後、先ほどと同じ落下物が団地中に飛来。さきほど倒した生物よりも共謀な種類のエイリアンが多数出現し、団地中がパニックになる。しかしモーゼスたちは、団地の人々を守るために、原付バイクや花火、忍者ソードなど、身の回りを駆使して立ち向かい…というストーリー。

『ショーン・オブ・ザ・デッド』『スコット・ピルグリム VS. 邪悪な元カレ軍団』のスタッフによる作品とのこと。たしかに、同じノリ。しかし、主人公があまりにもタチの悪いチンピラ集団で、しばらくするまで彼らが主人公だと認識できないレベル(カツアゲされた看護婦が主人公で、黒人のチンピラたちは途中であっさり殺されるキャラだと思っていた)。
主人公というのは程度の差はあれ、観客が共感できる人物である必要があると思う。モーゼスたちよりもとてつもなく悪い人間も登場するが、モーゼスたちの言動は完全に一線を超えているし共感できるものではない。民族的な差もあって、とても中学生くらいの歳には見えないというのも大きいが、イギリスではこの程度の悪さなら、子供のおイタの範疇で許容できるものなのだろうか。団地の子は環境が悪くてかわいそうだなぁ…って感じになるのだろうか。いやいや。可愛げがないだけでなく、未熟さと凶悪さのギャップが痛々しくすら感じられるほど。
いや、まあ、そういう他の作品とは違う異質な主人公で話をまわしてみようっていう狙いなんだろうと、頭を切り替えることに。イギリスの笑いのラインっていうのが、半周まわって、日本人にとっては笑えないラインのところにいるってことだろう。良いとか悪いの問題じゃなく、社会基盤とか集団的価値観自体が、異質なんだと思う。イギリス圏って今一番、日本と感覚が異質なのかもしれないね。

冒頭で、サムという女性から強盗をしてしまうわけだが、エイリアンから逃げている時に、偶然サムを再会してしまう。この団地の住人だと知って後悔するモーゼス(団地の住人は襲わないことにしている…と言うのだが、そういう問題じゃないだろう…というツッコミは脇に置くとして)。とにかく、イギリスは低所得者には将来がない社会。簡単に言えば、いまでも階級社会で、リッチマンと労働者階級がパックリ割れていて、上がっていくことが極めて困難。さらに“ブロック”は掃き溜め状態で、まともな教育を受けることもままならないから、ブロックで生きていくしかないという悪循環。

そんな見下されたエリア内のことなので、エイリアンが襲ってきても、警察なんかそうそう動いてくれない。ブロックの人たちへの仲間意識は強いモーゼスなので、友達や周囲の人が殺されるのを見て反撃をすることに躊躇がない。まともな教育環境にない子供の価値観は偏っているけれど、隣人愛を発端にしているのは間違いなく、製作側はそこにイギリスの未来を見ているのかもしれない。クソみたいなイギリス社会に対して一石を投じる意味合いがあるんだろうな…と予想はつくが、あまりに日本と違いすぎてその点はピンとこないレベルかも。

さて、この手の作品の場合、終盤になればなるほどグダグダになることが多いのだが、そうならないのがさすが『ショーン・オブ・ザ・デッド』のスタッフ。モーゼスを演じてる役者の子がウマイのも幸いしている(この子、伸びると思う)。

なんで、エイリアンがこのブロックに堕ちてきらのか? こいつら何なのか? という根本的な原因は不明だけど、なんでこのブロックに集中してくるのか? なんでモーゼスたちが追いかけられるのか? という理由はしっかりと整合性があって、且つきちんと解決の糸口にも繋がっており、好感が持てるシナリオだった。

最後はブロックの中の賞賛を受けるという終わり方。あくまでブロックの中でアイデンティティを確立するというオチなのがミソなんだろう。狙ってセンター前にポテンヒットを落とした感じ。クリーンヒットではないけど、小気味良い(というか小憎らしい)。まさに、小品良作。軽くお薦めする。

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公開年:2013年
公開国:アメリカ
時 間:124分
監 督:ジョセフ・コシンスキー
出 演:トム・クルーズ、モーガン・フリーマン、オルガ・キュリレンコ、アンドレア・ライズブロー、ニコライ・コスター=ワルドー、メリッサ・レオ サリー、ゾーイ・ベル 他
コピー:何故、彼は 人類のいない地球に残されたのか――?





2077年、地球はエイリアンの襲撃を受けて壊滅的な被害を受ける。異星人への応戦に核兵器を使ったことから、生き残った人間は地球に残ることができず、土星の衛星タイタンへ移住する。その後、人類は、ドローンと呼ばれる無人偵察機による地球監視を続けてたが、ドローンのメンテナンスやパトロールのために、元海兵隊司令官ジャック・ハーパーとヴィクトリア・オルセンが派遣されていた。地球に存在する人間はその二人だけである。二人は、任務上の規則として、過去の記憶を消し去られており、かつて地球でどんな生活をしていたか覚えてはいない。平凡な監視任務の期間も残り少なくなっていたある日、所属不明の宇宙船の残骸を発見し、ジャックは調査へと向かう。船内のカプセルの中に、一人の女性を発見。目覚めた女性はジュリアと名乗り、何故か遭ったこともないはずのジャックの名前を口にするのだった…というストーリー。

冒頭から、何らかの理由によって、記憶を消されてしまっているという説明が入るのだが、もしかして記憶を消さないと精神が崩壊するほどの経験を異星人との戦いでしたのかな…なんて感がえたけど、やっぱり無理がある。ましてや、人類のみんなが記憶を消されているなんてありえないし(誰かが記憶を残していないとこまるじゃない)。そう考えると、どうせジャックたちは騙されているんだろうな…と。読めた時点で、作品に対する興味がガクっと軽減する。逆にそれが裏切られれば何倍にもなって還ってくるが、そうでなければ奈落へ堕ちる。

そして、ジャックとヴィクトリアの地球二人ぼっちの生活の様子と、ジャックのパトロールの様子が綴られる。気になった人は少ないかもしれないが、とても変わった編集(というかおかしなシーンの繋ぎ方)をしていて、ちょっと違和感を感じる。例えば、バイクを盗まれてクソーッ! っていう展開。基地に戻るまで苦労するんだろうな…という感じなのに、直後にズバっと基地に戻っているシーンに切り替わる。あれ? って感じ。意表をつく意図的な編集なのか、別にそこは魅せ場でもなんでもないからサラっと処理したのか…。おかげで、何かストーリーに没頭できなくなってしまった。好みの編集の仕方じゃない。

で、記憶が無いながらも、正しいを思わされていることに、違和感を感じるジャック。『マトリックス』のネオと一緒だなぁ…なんて頭をよぎる。さらに、ジュリアが発見され、どうも訳を知っている感じで、『マトリックス』のトリニティみたいな、真の世界へいざなう役柄なのかなぁ…なんて。さらに、モーガン・フリーマン演じるビーチが登場。実は本当の人間の世界があって、いままで信じさせられていたことは全部刷り込まれた記憶って展開に。さらにビーチは、ジャックが“こいつは何か違う”的なことを言う。そして仲間はそれをいまいち信用していないっていう構図。『マトリックス』のモーフィアスたちと一緒だな…なんて。

(ちょっとネタバレ)
すったもんだして、真の世界を信じて選択するジャック。あとは対決だけか? なんて思ったら、もう一人のジャックが登場。おお、奇を衒ってきたな…なんて思いつつ、『マトリックス』のエージェント・スミスみたいだな…なんて。
そして、終盤でクローン培養機が規則正しく並ぶ様子は、『マトリックス』の人間プラントみたいだな…なんて。

あまりに『マトリックス』が頭をよぎったせいで、SFとしての骨太さが感じられないどころか、二番煎じ感すら漂う始末。もう少しオリジナリティというかユニークさを感じさせるか、もっとサスペンス要素や謎解き要素を複雑にするか、どこでもいいから一つシナリオ面で突き抜けてほしかったかな。

ただ、メカニックも荒廃した風景もいい雰囲気だった。映像センスだけは好みだ。これが唯一の救い。『トロン:レガシー』の監督さんか…。まぁ“ぽい”よね。

『マトリックス』の新規性と偉大さを再確認しただけだったかも。凡作。

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公開年:1988年
公開国:アメリカ
時 間:96分
監 督:ジョン・カーペンター
出 演:ロディ・パイパー、メグ・フォスター、キース・デヴィッド、ジョージ・“バック”・フラワー、ピーター・ジェイソン、レイモン・サン・ジャック、ジェイソン・ロバーズⅢ世 他






失業中のネイダは、ようやく工事現場の職にありつく。住むところも無かったが、仲良くなった作業員フランクから、教会が設営しているキャンプ地を紹介してもらう。キャンプにいる人々がTVを観ていると、突然、海賊放送が混信してくる。その放送は、“何者かが、人間たちを仮眠状態にして物質主義の奴隷になるように洗脳している”という荒唐無稽なものだった。その映像が終わると、映像を見ていた一人の男がそそくさと近くの教会に入っていくのを、ネイダは見かける。なにか怪しいと感じたネイダは、賛美歌が聞こえるその教会に潜入するが、賛美歌はテープの音声で、その音に隠れるように数人の男達が何かを議論していた。さらに建物を探ると、壁の中に隠し場所があり、そこに段ボール箱がいくつも入っているのを発見する。それ以降、この教会を見張っていたネイダだったが、ある日、教会に武装警官が乱入。その翌日に、教会に侵入してみるが、誰もいない。例の隠してあったダンボール箱をひとつ盗んで、街の路地裏で開封。中にはぎっしりとサングラスが入っていたが、一つを拝借して残りは投棄する。なにげなくサングラスをかけると、街中の写真や広告に「命令に従え」「消費しろ」「考えるな」などのメッセージが浮かんで見える。また、街にいる人々の多くが、骸骨のような恐ろしい顔をしたエイリアンで…というストーリー。

異星人が人間社会に潜んでいて…というお話は結構多いように思えるが、本作は一味違う。この手のお話の場合、異星人の目的を探ることが一つの軸になることが多い。そして判明した暁には、異星人への反撃を開始するストーリーに転じる。その過程で異星人側から人間に見方する者が現れ…なんていうのも常道だ。しかし、本作は、異星人の目的を明確にしない。なんで、人間たちを消費生活の虜や、政府に抗わない羊にしようとするのか、判ったような判らないような、ぼやっとした感じのまま。“手段”は判るが“目的”は判らないまま、終劇を迎えてしまう。

実は、目的のよくわからない行動というのは、ものすごい恐怖だったりする。連続殺人犯しかり、悪逆の限りを尽くす為政者しかり、その恐ろしい所業に畏怖する一方で、何でそんなことをするのだろう…と疑問に思っている。それに対して、幼少期のトラウマだ、極端な性欲や支配欲の発露だとか理由をつけて納得しようとするのだが、それは、理由をつけて納得することで畏怖感を軽減させようという行為である。

そういえば、『遊星からの物体X』の宇宙から飛来した生物も、なんで人間と融合するのか、その目的はイマイチよく判らない。捕食? 繁殖? となんとなく予想はつくのだが、絶対的に彼らがそうしなければいけない理由はわからない。ジョン・カーペンター作品の“恐怖”の正体は、コレだね。とにかく、そういうものなんだ! という、自然の摂理を振りかざされたような、圧倒的なパワーがある。
もし、人間を融合する彼らの生物特性が明確になり、それを疎外いたり対抗したりする術が判明し、反撃に転じたら、その時点で恐怖の質は、アドレナリンを伴った興奮に変化してしまい、純粋な恐怖ではなくなってしまうだろう。

本当に、本作は異星人たちの行動の理由がわからないの。だって、瞬時にテレポートできる腕時計とか、星間旅行とかできるテクノロジーがあるのに、ショットガンの人間に結構簡単にやられちゃうんだもの。で、すべての人間をだまくらかしているだけかと思ったら、相当数の人間が、異星人再度に寝返って利益を得ていたりもする。ますます、何が目的なのかわからない。人類を穏便に支配して、地球の資源をいただこうとしている? それとも社会実験? それともただ人間と一緒に暮らしたいだけ?

そういう謎まみれの展開の中を、ジョン・カーペンター流の演出が爆走する。なんといっても、いつまでやっとんねん! とツッコミたくなるほどの、黒人の仕事仲間との喧嘩シーン。これは、映画史に残る珍シーンといってよいかもしれない。だって、眼鏡をかけろ! かけない! という理由で、延々と殴り合いつづけるんだもの…。

正直、なんじゃこりゃ…と一瞬思ったんだけどね。すべて理詰めで設定することが、おもしろいシナリオのための必須条件ではないことを、改めて痛感させられた作品(ジョン・カーペンターが行き当たりばったりで本作を作ったといっているわけではない)。もちろん、ラストで何かどんでん返しや、驚くような謎解きがあるわけもない。この投げっぱなしが許される、ある意味脅威的な快作。おもしろかった。

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公開年:1999年
公開国:アメリカ
時 間:106分
監 督:バリー・ソネンフェルド
出 演:ウィル・スミス、ケヴィン・クライン、ケネス・ブラナー、サルマ・ハエック、M・エメット・ウォルシュ、テッド・レヴィン、バイ・リン、フレデリック・ヴァン・ダー・ウォール、ミュゼッタ・ヴァンダー、ソフィア・エン、デブラ・クリストファーソン、E・J・キャラハン 他
受 賞:【1999年/第20回ラジー賞】ワースト作品賞、ワースト監督賞(バリー・ソネンフェルド)、ワースト脚本賞(ジェフリー・プライス、ピーター・S・シーマン、ジェームズ・E・トーマス、ジョン・C・トーマス、S・S・ウィルソン、ブレント・マドック、ワースト音楽賞(Kool Moe Dee、ウィル・スミス、スティーヴィー・ワンダー 主題歌に対して)、ワースト・スクリーン・カップル賞(ウィル・スミス、ケヴィン・クライン)
  
1869年、南北戦争終結直後のアメリカ。陸軍第9連隊騎兵隊大尉ジェームズ・ウェストは、“流血将軍”という悪名で知られている、南軍のマグラスを一般市民の大量虐殺した件で追跡していた。一方、発明マニアの法執行官アーティマス・ゴードンは、多数の科学者を誘拐し、彼らに作らせた強力な兵器で大統領を脅迫してきた、謎の一味の捜査を行っていた。そして、誘拐の首謀者がアーリス・ラブレス博士であることが判明し、マグラスとも繋がっていることが判明。大統領は、ウェストとゴードンに、一緒にマグラスとラブレスをの行方を追うよう命じるのだったが…というストーリー。

ものすごく期待させてくれる格好良いオープニング。昔、TV放映されていた時、こんなの気付かなかった(カットしてた?)。
西部劇時代とSFという組み合わせが新鮮……なハズなんだけど、なぜかしっくりハマらない(日本だと、『子連れ狼』の乳母車にマシンガンが付いているのと似た感覚?違うな…)。全体のノリは軽妙で、深く考えずに観りゃいいんだよ…と自分に言い聞かせたい所なのだが、無意識に厳しい目で観てしまう自分がいる。なぜなのか。
1999年の作品であることを考えると、ものすごくSFX等に予算をつぎ込んでいるように見える。さりげなくCGや特撮を使っているのではなくこれみよがしなので、成金が腕時計や宝飾品をじゃらじゃら見せびらかしている感じ。要するに演出が下品ということ…かもしれない。

ウィル・スミス演じるウェストは、実際はあり得ない黒人の大尉という設定。『ジャンゴ 繋がれざる者』のジェイミー・フォックスが演じた役のポジションに近い。そういう意味では、ケヴィン・クライン演じる発明好きのゴードンと、『ジャンゴ 繋がれざる者』のクリストフ・ヴァルツが演じたシュルツも近い…。西部劇にこういうキャラ設定の類型があるのか、意図的に似せているのかは知らん。でも、頭をよぎった。

ストーリー面で、ピンとこなかった点は次。ウェストは大量虐殺をしたマグラスを追っている。ゴードンは科学者達を誘拐した黒幕を追っている過程でマグラスを追っている。ターゲットが一緒なので、さあ一緒に捜査しましょうという流れ。その後、マグラスは途中で死亡し、そこでウェストの目的は達成となってもよいのだが、もちろんそこでウェストが離脱してしまっては話にならないから、“実はあの大量虐殺はラブレス博士の差し金だったのだ、真の敵はラブレスだ!”っていう太い流れを作らねばならない。以降は、その義憤のみでウェストを行動させてよいくらいだと思う。

しかし、サルマ・ハエック演じるリタが登場し、父がラブレスに誘拐されたので助けて欲しいと色香を漂わせながら懇願する展開に。さらに途中で彼女がラブレスに捕らわれてしまうので、彼女を救出しなければ!という流れへ。
ゴードンは大統領を救うというモチベーションが強いので、ラブレスを追いかける展開で問題ないのだが、ウェストがそれに真剣に付き合わなければいけない理由は、実はいまいち薄い。だから、終盤でのウェストへの共感も薄れてしまうし、なんかロボットや改造人間さんたちと、ゴチャゴチャやってるなー的な印象で終わってしまうんだと思う。

リタは二人をうまく利用する役…のハズなんだけど、いまいち振り回しきれていない。もっとゾッコンにさせて二人のライバル意識を煽るくらいのワルさを発揮してくれればよいのだが、いかんせんさっさとラブレスに捕らわれてしまうから、それもできない。
ストーリー展開の構成に失敗したんだと思う。凡作。今回は、字幕で観たのだが、これは吹き替えで観るべき。吹き替えのほうが2割増しくらいで愉しめるはず。
 #フランケンみたいな人が感電死したギミックがわからん。

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公開年:2012年
公開国:アメリカ
時 間:172分
監 督:ラナ・ウォシャウスキー、トム・ティクヴァ、アンディ・ウォシャウスキー
出 演:トム・ハンクス、ハル・ベリー、ジム・ブロードベント、ヒューゴ・ウィーヴィング、ジム・スタージェス、ペ・ドゥナ、ベン・ウィショー、ジェームズ・ダーシー、ジョウ・シュン、キース・デヴィッド、デヴィッド・ジャーシー、スーザン・サランドン、ヒュー・グラント 他
受 賞:【2012年/第18回放送映画批評家協会賞】メイクアップ賞
 【2012年/第70回ゴールデン・グローブ】音楽賞(ラインホルト・ハイル、ジョニー・クリメック、トム・ティクヴァ)
コピー:いま、<人生の謎>が解けようとしている。

1849年、南太平洋。妻の父から奴隷売買を託された弁護士ユーイングは、旅の途中で寄生虫に侵され、医師ヘンリー・グースの治療を受けるが一向に回復しない。そんな彼の元に密航した黒人奴隷が近づき…。1936年、スコットランド。ユーイングの航海日誌を愛読する作曲家フロビシャー。同性愛者であることが発覚し父親に勘当された彼は、作曲家エアズに採譜者に採用される。才能の枯れていたエアズはフロビシャーの曲を自分の成果として発表する。はじめはそれに甘んじていたフロビシャーだったが、自分の入魂作“クラウド アトラス六重奏”をエアズが自分の物にしようとし…。1973年、サンフランシスコ。女性ジャーナリストのルイサは、とある物理学者から人命に関わる原発の報告書を託されたことで、殺し屋から命を狙われることに…。2012年、ロンドン。自分の著書を酷評した評論家を殺害した作家ホギンズは、収監されるもカルト的な人気を博す。おかげで出版元のカベンディッシュは大儲けするが、ホギンズの弟たちに恐喝されるハメに。カベンディッシュは兄に相談すると、一時的にとある施設に隠れることを勧められ…。2144年、ネオ・ソウル。人間は遺伝子操作で複製人間と作り労働させていた。複製人間ソンミ451は、カベンディッシュ原作の映画を観て自我に目覚めてしまう。革命軍チャンとであった彼女は、反乱軍に身を投じるが…。文明崩壊から100年以上たった頃。ソンミが女神として崇められる土地に、進化した人間コミュニティからやって来た一人の女が舞い降り…というストーリー。

1849年、弁護士ユーイングの奴隷売買の話。もちろん黒人差別。
1936年、同性愛者フロビシャーの作曲家の話。同性愛者差別。音楽家フロビシャーはユーイングの航海日誌を愛読。彼が作曲するのが「クラウド アトラス六重奏」で本作のタイトル。
1970年代アメリカのジャーナリストの話。移民差別。フロビシャーの恋の相手シックススミスが物理学者になっていて、とある秘密を女性ジャーナリストに渡そうとする。この二つの話だけは人物で直接繋がっている。
2012年のロンドン。編集者のお話。老人差別。この話だけが、ちょっと異質な気がする。
でも、『ソイレントグリーン』についてのカベンディッシュのセリフ。ちょっとした映画ファン向けの小ネタかと思ったが、がっちりとネオソウルの話に繋がる。
2144年のネオソウル。複製人間ソンミが差別される。ソンミはカベンディッシュ原作の映画を観る。
すっかり文明が荒廃した未来。そのソンミが土着宗教の神となっている。

6つのエピソードが、こんな感じで大きく繋がっていくだけでなく、各々を交互に、ちょっとしたセリフの共通点でフラッシュバック的に編集されている。これが、けたたましいほど前後する。各時代の役者が一緒なので、いくら特殊メイクで印象を変えているといっても、同じ役者の挙動で繋がれると、なかなか混乱する。この表現で輪廻転生を表現しているのかな?とも思ったが、観進めていくうちに、そこに執着はしていない気がしてきた。『マトリックス』も極めて仏教的なテーマが根底にある気がしていたが、2、3と進んで、掻き消えたのと一緒で、仏教ネタを深めるほど、彼らに造詣も思いいれも無いんだと思う。

6つのエピソードはすべて差別というキーワードで貫かれる。不寛容なんていう言葉は不似合い。直球で理不尽な差別がテーマだと思う。これらが入り乱れるので、長いのは仕方が無い。はじめの20分くらいは、ずっと混乱しっぱなしだが、何とかついていこうという気力は維持させてくれるのが救い。さすが、『マトリックス』のウォシャウスキー兄弟。ネオソウルの様子など、実に良い出来映え。
あ。兄ラリーは『スピード・レーサー』の後に性転換しているから、ウォシャウスキー姉弟だ。ウォシャウスキー姉弟としてははじめての監督作品のはず。別に原作があるとしても、脚本はラナ・ウォシャウスキーがメインで携わっているので、そういう、先入観を除いて観ろといわれても無理。自分の経験が深く反映されているのは間違いないだろう。
そう考えると、最後のザックリー老人のシーンは、差別の歴史の答えになっているだろうか。答えがボケている…というか、明確な答えは製作陣も持っていなかったように思われても仕方が無いというか…。これが、本作の評価のすべてな気がしてならない。

ペ・ドゥナは、アメリカ進出ということで、気合をいれてメンテナンスしちゃったのか、鼻筋がちょっと不自然に。まあ、合成人間の気色悪さはうまく表現できている。白人女性、中米系女性と特殊メイクでがんばったけど、ペ・ドゥナだとまったく判らなければ無意味だから、どうしても微妙になってしまうのはし方が無いか。
でも、白人役者たちが、蒙古ひだの特殊メイクをして、はい、未来のソウルの姿でございます~って、韓国人は怒らんのかい?
ヌードも濡れ場もあった本作だが、『空気人形』を観てのオファーだろうね。堂々とした演技だったので、今後もオファーはあるだろう。チャン・ツィイーの二の舞にならないようにがんばって欲しい(無理かもしれんけど…)。

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image2203.png公開年:1972年
公開国:アメリカ
時 間:103分
監 督:ジョージ・ロイ・ヒル
出 演:マイケル・サックス、ユージン・ロッシュ、ロン・リーブマン、シャロン・ガンス、ヴァレリー・ペリン、ジョン・デナー、ペリー・キング、ロバーツ・ブロッサム、フレデリック・レデブール 他
受 賞:【1972年/第25回カンヌ国際映画祭】審査員賞(ジョージ・ロイ・ヒル)





ビリー・ビルグリムは、第二次世界大戦に参加し、帰還後はビジネスでそれなりの成功を収め、外見的には平凡な男だった。しかし彼は、自分の意思とは無関係に、過去や未来や現在を行き来するという、変わった能力を持っていた。ある朝、謎の部屋でガールフレンドのモンタナとイチャついていたかと思えば、次の瞬間には、ドイツ軍の捕虜となりドレスデンの捕虜収容所でナチスの虐待を受け、恐ろしい体験をする。そうかと思えば、帰国後の妻との出会いや、その後の凡庸でつまらない生活を追体験してうんざりすると、またもや捕虜生活に逆戻りする。そして、結婚1年後のビリー夫婦の家に移り、愛犬と一緒に湖畔に座っていた彼は空を飛ぶ光る物体が、近づいたり離れたりするのを目撃し…というストーリー。

いかにも珍作という雰囲気を前面に出した作品。主人公は、過去・現在・未来をヒュンヒュン移動するという設定がミソ。各時代の似たようなアクションやセリフを編集点として、時間が飛んでいく様子は確かに面白かった。
しかし、“時間と飛んでいく”という設定が、純粋にピンとこない。時空を越えて旅をしてるんじゃあくて、ただ、昔のことをフラッシュバックで思い出しているようにしか見えない。途中でモンタナが「また過去にいってるの?すぐわかるわよ、あなたの様子で…」というセリフがある。つまり、過去にいっている間はぼーっとしているわけで、時間を移動しているわけではないじゃない。中途半端な演出かな。
時間軸がずれている並行世界を意識だけが渡り歩いていて、別の世界にいっている間は意識を失っている…、そういうことかな?

でも、どの世界にいっても、結局ドイツに戻ってしまうところをみると、ドイツで瀕死の目にあって、その時の妄想だったりするのかな?なんて、この前『ジェイコブス・ラダー』を観たからかもしれないけど、そんな風に思ってしまった。ドレスデン爆撃のシーンが、やたら執拗に描写されているので、余計に。しかし、結局、SFになっちゃうという、斜め上の展開。正直、私にはその演出意図が、理解できず消化不良。

無理矢理に深読みすれば、捕虜施設にて全体主義/共産主義に対するやりとりがくりひろげられるが、伝えたい真意はそこなのかな…と。
反共産バカのアメリカだけど、争いは似たもの同士の間でしかおこらない。強い公権力で国民を支配するという統治手段や、対立のために周辺国を衛星的に陣営に取り込む手法は、アメリカも同じだからね。いや、言いたいことはわかる。でも、そういう反政府的な思考をもった人が、自分の思い通りにならないからって、SF的な作り話を持ってきて溜飲を下げてるようなのは如何なものか。切り口が鋭いわけでもなく、物陰でウジウジ文句いっているような内容は、嫌い。
#「ママの車、キャデラックなのよ?」の意味がわからんけど、結局アメリカを揶揄したいだけなのかも。
おまけに、“ドレスデンが広島以上?”とか、寝惚けたセリフもあるし。なんか白人の馬鹿さ加減が所々がにじみ出ているような気がする。

昇華しきれていない、奇形のルサンチマンを観せられた気分。でもカンヌでは賞がもらえる。体制に楯突いてりゃ価値があると思ってる、馬鹿カンヌ。

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image2165.png公開年:2012年
公開国:アメリカ
時 間:118分
監 督:ライアン・ジョンソン
出 演:ジョセフ・ゴードン=レヴィット、ブルース・ウィリス、エミリー・ブラント、ポール・ダノ、ノア・セガン、パイパー・ペラーボ、ジェフ・ダニエルズ、ピアース・ガニォン、シュイ・チン、ギャレット・ディラハント、ニック・ゴメス、トレイシー・トムズ、フランク・ブレナン 他
受 賞:【2012年/第18回放送映画批評家協会賞】SF/ホラー映画賞
コピー:任務:未来から来る犯罪者を消せ 標的:30年後の自分




2074年にタイムマシンが開発されるが、すぐにその使用が禁じられた。しかし、犯罪組織は、タイムマシンを利用して殺人を行っている。未来の人々は体内にマイクロマシンを仕込まれて、人を殺そうとすると動きを制止されてしまい、殺人を犯すことができなくなっている。そこで、タイムマシンを悪用し、殺したい人物を過去に送り、待ち構えている処刑人に始末させているのだ。処刑人と未来の犯罪組織との間には約束事があり、もし処刑人が30年後にも生きていた場合は、ターゲットと同様に過去に送り込まれ、未来の自分を殺すことになる。その時ターゲットの体には金塊が巻かれており、それを合図に処刑人の役目は終了。その後、大金を元手に自由に余生を送ることができるのだ。その行為は“ループを閉じる”と称され、そのため処刑人は“ルーパー”と呼ばれていた。2044年。腕利きのルーパー、ジョーの前に標的として現われたのは、30年後の自分。通常、顔がわからないように布が被せてあるのだが、それが無く、未来の自分であることに気づいてしまい、一瞬殺すの躊躇ってしまう。その隙をついて未来のジョーは逃走してしまい…というストーリー。

ブルース・ウィリスってけっこうタイムスリップしてるよね。『12モンキーズ』『キッド』。

冒頭の説明が過ぎる気がするけれど、“ルーパー”という特異な存在を把握させるためには致し方がない。いや、ヘタをすれば意味不明に陥りそうな複雑さを、スッと説明してくれており、むしろウマいと評価すべきか。
ドロップアウトした若者がスカウトされ、無頼でありながら刹那的な運命を受入れていく。デカダンな空気が相まって、独特な空気を生んでいる。

タイムスリップのお話なのに、なぜか“KT”なる超能力が登場。なんだこりゃ?と注視するものの、そのギミックはしばらく放置。いつ話に絡んでくるのか身構えていたら、そこに気が向いたお陰で、タイムスリップ物にありがちな、矛盾で興醒めさせられる…ということが回避できた。
だって、冷静に考えたら本作にだっておかしい部分は散見される。ルーパーを管理するために未来から一人送り込まれてきているのだが、そいつはジョーに、俺が拾ってやったから今がある、恩に着ろ…みたいなことを言う。でも、未来から来てるんだから、ジョーがルーパーになるのは確実で、彼がやったことは“見つけた”だけ。
また、30年後も生きていれば、ループが閉じられるが、そうじゃなきゃどうなるんだ?銀の価値なんざ60~70分の1くらいなので、銀の延べ棒で得られる報酬なんか知れてるような気がする(結構な生活ができている意味がちょっとわからん)が、ずっとこの生活を続けるのか?いや、絶対に30年後も生きている奴だけが選ばれてるに決まっているのでは?
でも、別に30年前ぴったりにしか、タイムスリップできないわけじゃないよね。コンスタントに狙ったときに送りこめるはず。あれ?じゃあ、なんでループを閉じる必要があるの?根本的に“ルーパー”である意味あるの?ってか、ループを閉じずに逃げられても、そんなに影響ないんじゃない?などなど、本作のシナリオは、そういう粗から目を逸らせてくれるので、一切気にならない。とにかくウマい。

人の愛を知らないジョー。そして人の愛を知った30年後のジョー。同じジョーだがまったくの別人である。一分一秒ごとに、人間は変化して別人になっていくに等しい…ともいえる。単なるウェットな感情だけでなく、ちょっと哲学的な臭いがするのも良い。

最後はちょっとあっさりな気がするけれど、何でレインメーカーがループを閉じようと思ったのだろう…と考えを及ばすと、このオチでよかったと感じる。自分の母を殺したルーパーを全滅させようと思ったのか? それとも、違う生き方ができたであろうと考え、過去を変えようとしたのか? まあ、このオチがレインメーカーの望むものだったとすれば、後者だよね。

満足した。2012年の作品の中で、一番巧みなシナリオだと思う。

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image2167.png公開年:2012年
公開国:フランス
時 間:95分
監 督:スティーヴン・セイント・レジャー、ジェームズ・マザー
出 演:ガイ・ピアース、マギー・グレイス、ヴィンセント・リーガン、ジョセフ・ギルガン、レニー・ジェームズ、ピーター・ストーメア 他
コピー:2079年、究極の監獄は地球上には存在しない… ――脱獄成功率0%――お前は修羅場に潜入せよ。





2079年。人類は、宇宙空間に刑務所“MS-1”を宇宙空間に建設。コールドスリープによって囚人を完全管理するため、脱獄は不可能で、既に500人の凶悪犯が収監されていた。一方、組織内部の重要機密漏えい事件を追っていたCIA捜査官スノーは、ホテルの一室で殺害された同僚を発見する。しかし、なぜかスノーと相棒は国家安全保障局に逮捕され、同僚の殺害容疑をかけられ、最終的にMS-1への収監が決定してしまう。その頃、人道団体を設立している大統領令嬢エミリーがMS-1を訪れ、囚人の人権を著しく侵す行為が行われていないか、囚人に対して聞き取り調査を行っていた。ハイデルという囚人に聴取を行っていると、ハイデルは隙を突いて銃を盗み、エミリーのボディーガードや警備員を制圧。囚人たちをコールドスリープから目覚めさせてしまう。その後、大暴動に発展し、エミリーとMS-1職員は人質になってしまう。スノーは、すでにMS-1に収監されている相棒メースの救出を条件に、大統領の娘の救出命令に従うのだったが…というストーリー。

ノリは『ピッチブラック』みたいな感じで、確かにヴィン・ディーゼルとかが演じそうな題材。ガイ・ピアースがマッチしていないということでは全くない。どんなピンチの時でも飄々として、人を小バカにし続けるキャラクターは非常に魅力的で、むしろ当たりといってよい。
フランス製のSF映画はつまらないことが相場だし、リュック・ベッソンが関わった非現実世界系のお話は空回りした作品ばかり(あ、本作はリュック・ベッソン製作ね)。本作もまったく期待していなかったんのだが、どうしてどうして。本作はよくできている。『フィフス・エレメント』ぶりだな。

ストーリーは上に書いたように、非常にシンプル。凶悪犯一味の首魁である兄弟のキャラクターもはっきりとしていて、兄がデキの悪い弟に苦悩するという人間模様を悪役側で展開させるおもしろさと、且つそれを、話を転がせたり、悪役を窮地に陥れるポイントにしたりするのに使うという巧みなシナリオ。
一見、スノーとは明らかに敵対関係の長官と、協力者として登場する黒人捜査官をうまく配置し、事件の真犯人をミスリードできている。犯人を探り当てる手法は結構ベタベタだけど、SFとのギャップでかえってうまく生きたと感じる。

アクションシーンは、けっこう激しく、そして生々しくて、格好良く得画かれていた。一方、未来世界という設定は、あらゆる部分が発達しているわけではなく、古さと新しさが混在した世界として表現されており、これも昨今のSFのトレンドだ。こういう小汚さをうまく表現するのは、フランス映画のほうがお得意はもしれない。
マイクロSDのサイズと、ジッポーの幅が同じというところは、おもしろいところに目をつけたな…とは思うけど、宇宙計画の情報というだけで、それを守ったからといってどうすりゃいいのか…。でも、それは劇中でスノー自ら語っているところ。消化不良に思えるかもしれないが、なんだかわからないからこそ、とにかく守らないといけいないというベクトルになっており、そこもシナリオの巧みさだと思う。

救出劇に、謎解き要素や、もうちょっとおもしろい仕掛けがあったら、100点に近かったと思う。ツタヤ独占になっていることで、どうせ大した内容じゃないと思っている人がいるかも知れないが、準新作料金くらいなら十分満足できてオツリがくる作品。お薦め。

 

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image2155.png公開年:2012年
公開国:イギリス、南アフリカ
時 間:95分
監 督:ピート・トラヴィス
出 演:カール・アーバン、レナ・ヘディ、オリヴィア・サールビー、ウッド・ハリス、ドーナル・グリーソン、ラングレー・カークウッド、ウォリック・グリア、ルーク・タイラー 他
コピー:正義を取り戻す。この男の裁き(ジャッジ)を見届けよ――。




核戦争により国家が崩壊した近未来のアメリカでは、東海岸沿いに広がる都市“メガシティ・ワン”だけが残存していた。メガシティ・ワンでは、4億人以上が超高層ビル郡の中にひしめき合って暮らしており、犯罪が多発している。そんな暗黒都市の治安を守るのは、警察・裁判所・刑の執行官を兼ね備えた“ジャッジ”という集団。その中でも圧倒的な執行数でジャッジのトップに立つのがドレッドだった。ある日ドレッドは、新人ジャッジのアンダーソンの指導を命じられ、悪名高いマーマ一派が支配するピーチ・ツリーという200階建てビルに捜査に入ることに。二人がビルに侵入すると、マーマはビルを強制的に封鎖し、ビルの全住人に対しジャッジを殺害するように命じ…というストーリー。

遠い昔にスタローン主演版を観たはずだが、どんな内容だったか記憶にないところを見ると、たぶんつまらなかった模様。でもヘルメットのデザインだけは記憶にある。古臭いデザインだが、一周回ってダサ格好いい。スタローンに変わって主役を演じているカール・アーバン(知らん)は、本編中一度たりともそのヘルメットを外すシーンはない。口元と無精ひげの感じはスタローンに似ていて、ジャッジを演じているというよりも、ジャッジを演じているスタローンのコスプレという感じ。ここまで打算的で割り切った演出をしてくれると、逆に気持ちが良い。

原作の設定だとは思うが、はびこる悪を押さえ込むために、警察・裁判官・刑の執行官の権限を移譲するという設定は、特殊な社会情勢と絶妙にマッチしており秀逸。でも、ムチャクチャな社会情勢で、且つジャッジシステムでさえ悪をほとんど押さえ込むことができていない状況なので、納税というシステムh機能していなさそう。ジャッジの皆さんはどうやって禄を食んでいるのか不思議(笑)。

けっこう壮大なSF設定なのに、閉鎖された高層アパート内というスケールの小さいバトルに限定。おそらく低予算作品だと思われるが、そこから生じる陳腐さをウマく誤魔化すいい演出だと思う。
ミュータントの新人と、悪の組織のボス・マーマという両極端な女性キャラを配置するのも巧み。両者ともに掘り下げが不足な感は否めないが、悪くはない。

TSUTAYA独占レンタルということで、どうせつまらないんだろうとハードルが下がりまくっていたせいもあるが、それなりに楽しめてしまった

 

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image2149.png公開年:2012年
公開国:フィンランド、ドイツ、オーストラリア
時 間:93分
監 督:ティモ・ヴオレンソラ
出 演:ユリア・ディーツェ、ゲッツ・オットー、クリストファー・カービイ、ペータ・サージェント、ステファニー・ポール、ティロ・プリュックナー、マイケル・カレン、ウド・キア 他
コピー:ナチスが月から攻めてきた!!





2018年。アポロ17号で終了した有人月面着陸プロジェクトを復活させたアメリカ合衆国政府は、黒人ファッションモデルのジェームズ・ワシントンらを月面に送り込む。しかし、彼がそこで見たものは、第二次世界大戦の敗戦後に月へと逃亡したナチスの残党によって築かれた第四帝国の秘密基地。アメリカ船は攻撃を受け捕らえられてしまう。総統のコーツフライシュの元、ナチスは着々と軍備を増強し、地球の帰還を目指していたが、ワシントンが持っていたスマートフォンを見てその技術力に驚愕。その処理能力を持ってすれば開発中の最終兵器“神々の黄昏号”を稼動させることも可能と考え、調達のために地球潜入作戦を敢行。ワシントンを案内役に、野心家の将校クラウス・アドラーと彼のフィアンセで地球学者レナーテ・リヒターが円盤にのって月を出発するのだったが…というストーリー。

アメリカ映画だと思っていたのだが違った。ナチスを題材にした荒唐無稽なコメディをフィンランド、ドイツ、オーストラリアというかつての枢軸国側が作ることに抵抗がなくなったのだな。

ナチスが実は生き延びていて突然襲ってきたらおもしろいんじゃないか?という思いつきを、大真面目に展開した作品。結構壮大な舞台は、それなりのクオリティのCGでしっかりと構築。ナチスのスチームパンクばりのデカイ歯車の機械も、それっぽく表現できている。

さすがにその思いつきだけで引っ張るのは無理があるので、その後ストーリーはカルチャーギャップと現代社会を揶揄する方向に展開する。
相変わらず優生学を是としているナチス科学のせいで、ワシントンは白人化されてしまう。地球では黒人全員が表立って差別されるようなことは無くなり、資本主義社会は揺籃し技術は進歩しまくっている。ナチスの思想など微塵も存在しない。スマホの計算処理能力に驚くものの、宇宙船は普通に飛ばせるという技術的偏り。月にはヘリウム3があるから燃料は無尽蔵という設定なのかもしれないけど、核融合はそう簡単に実現できないだろう。まあ、そのバカらしさがおもしろいのだが。

一方、政治の世界のレベルは過去と変わりない…どころか打算的にレベルダウンしている。ナチを引き合いに出しているものの、茶化すターゲットは現在の国家。アメリカ女性大統領はペイリンそのままで、アメリカの愚作と短絡さを直球で馬鹿にしている。
その馬鹿アメリカは相変わらず、世界の盟主たれと鼻息は荒いものの、政策の失敗による支持率の低下を挽回するために、ナチスの宣伝手法を利用。ナチスという国家社会主義とアメリカ至上主義が世界の覇権を唱える姿で何故か(というか必然的に)マッチするブラックさ。
とはいえ、各国のお国柄を小バカにする程度じゃなくって、もっとブラックでもよかったと思う。ちょっと踏み込みは甘かったかも。日本もちょろっと出てくるが、こっそり他の国と一緒に宇宙戦艦を開発していた場面くらい。宇宙戦艦をつくっていないのはフィンランドだけ…っていうネタが、判るようで判らないけれど。

制作費が安かったのか、さすがに終盤になるとショボくなってくるが、そこはご愛嬌。ラストのワシントンとリヒターとの絡みのシーンにヒネりがあって、スカっと終わることができれば、申し分ない作品だったと思う。
#今の日本はこのレベルの作品を作ることができないと思うな。きっとシリアスな内容の作品になってしまう。

 

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image1133.png公開年:1999年
公開国:アメリカ
時 間:136分
監 督:アンディ・ウォシャウスキー、ラリー・ウォシャウスキー
出 演:キアヌ・リーヴス、ローレンス・フィッシュバーン、キャリー=アン・モス、ヒューゴ・ウィーヴィング、グロリア・フォスター、マーカス・チョン、ジュリアン・アラハンガ、マット・ドーラン、ベリンダ・マクローリー、アンソニー・レイ・パーカ、ポール・ゴダード、ロバート・テイラー 他
受 賞:【1999年/第72回アカデミー賞】視覚効果賞、音響賞、音響効果編集賞、編集賞(ザック・ステーンバーグ)
【1999年/第53回英国アカデミー賞】音響賞、特殊視覚効果賞
【2000年/第9回MTVムービー・アワード】作品賞、男優賞(キアヌ・リーヴス)
【2012年/アメリカ国立フィルム登録簿】新規登録作品
コピー:なぜ 気づかない

近未来。コンピュータ・プログラマーとして働くトーマス・アンダーソンは、“ネオ”と呼ばれる凄腕ハッカーという裏の顔を持っていた。ある日から、夢を見ているような不思議な感覚に悩まされ、自宅のディスプレイに不思議なメッセージが出現するようになる。それに従い行動すると、伝説のハッカーであるトリニティと出会う。トリニティが美女だったことに驚くネオは、彼女に導かれ、モーフィアスと名乗る男に出会う。モーフィアスは、この世界が、実はコンピュータが創り出した仮想世界で、それを現実のように思い込まされているだけだと、トーマスに告げる。そして、このまま仮想現実の世界に残るか、目座丸かの選択を迫るのだった。半信半疑のトーマスだったが、目覚めることを選択し…というストーリー。

いまさら何だと思うかもしれないが、突然観直したくなった。

目に映る世界が現実か否か。人間は感覚器を介してしか世界を認識することができないのであって、その感覚の先に“実体”が存在する保証はどこにもないし、証明することはできない。極めて東洋的な唯識論だと思う。あらゆる感覚器を経由する信号を、脳髄の神経に繋げたコネクタでスチールし、擬似的に世界を見せるという設定によって、この極めて難解な唯識論を観客すべてがさらりと腑に落ちるように創りあげているのがすばらしい。

使ったことの無い目が“痛い”と感じる程度で次第に見えるようになるとは思えない。しかし、ジャンプシミュレートで体にフィードバックがあったことで、リアルな肉体にもマトリクスから影響を与えることができるという設定(それも、それなりに説得力のある設定)で、きちんと説明できているところが巧みである。

ただ、唯識論では、自分以外の存在の証明もできないわけだが、サイファーがマトリクスに戻ろうと裏切るシーンで、ちょっと違う切り口も見られる。つまり、“血の滴るステーキ”を認識させる電気信号は、各人間に対して同じ信号が送られている。つまり、物質を“それ”と認識させる共通記号があるということになる。その記号こそ、プラトンの“イデア”に相当するといえないだろうか。マトリックスこそ東洋哲学と西洋哲学の融合をさらりとやってのけた作品だと私は思う。

そういう哲学的な思考を具現した舞台に加えて、人間が“電池”として非人道的に扱われている設定。その人間の尊厳を取り戻すための戦いという二軸でストーリーは展開する。

正直に言うと、続編の2・3は、蛇足だと思っている。たしかに、マトリクスとの戦いを終結させねば話しが終わったことにならないと思うのは自然だと思う。けれど、この哲学的視点と民衆革命的視点の2軸の展開こそが、マトリクスの根本。続編は話は進めば進むほど、後者の比重が高くなる。そのバランスの崩れが進むにつれ、私の興味は薄れていくのだ。よって、本作で、これから彼らの戦いは続く!で終わらせたほうが良かったと私は考えている。

コンセプトやプロットがすばらしいのは誰もが認めるところだと思うが、脚本賞が与えにくいのはわかる。かといいって、技術面での受賞ばかりなのは、ちょっと当時の映画関係者の見る目は曇っていたのではないかなと感じざるを得ない。それに気付いたのか、2012年、公開からたった13年でアメリカ国立フィルム登録簿に載ることになった。他の登録作品く比べて極めて短期間に登録されている。

今、もう一度観てほしい作品。当時の“ブーム”という霧の先に、ものすごい物がることに気付くはず。

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image1199.png公開年:1995年
公開国:アメリカ
時 間:98分
監 督:ジョン・カーペンター
出 演: クリストファー・リーブ、カースティ・アレイ、リンダ・コズラウスキー、マーク・ハミル、マイケル・パレ、メレディス・サレンジャー、カースティ・アリホ、トーマス・デッカー、リンジー・ホーン 他
ノミネート:【1995年/第16回ラジー賞】ワースト・リメイク・続編賞





カリフォルニア州の海沿いの小さな町ミッドウィッチ。ある日、町の全住民が午前10時に気を失ってしまうという現象が発生する。異変に気付いた周辺の警察組織が救援に向かうものの、町に近づいた人間も気を失ってしまうという状況で、何もできずにいた。その後、6時間が経過すると全員が目を覚ましはじめる。一部の人間は、気を失ったことで事故をおこして死亡してしまったが、大半の住民は特に問題はなく、日常生活に戻っていった。しかし後日とあることが発覚する。町の女性10人が妊娠していたのだ。住人が困惑する中、政府は研究に協力することで費用の援助を申し出る。夫が不在であったり、男性を交際したことのない者まで妊娠していたことから、中絶を選択する者もいると予想されたが、ある日を境に出産することに迷いを抱くものは誰一人いなくなっていた。やがて、女性たちは同日に出産。一人だけ死産だったが、5人の男の子と4人の女の子が誕生する。すくすくと成長する子供たちだったが、光る眼で大人たちの精神を操るよういなっていき…という
ストーリー。

ジョン・カーペンターのハズレ作品は、大ハズレであることが多い。本作はそれだと思う。リメイク作品らしいのだが、とても前作を踏まえて作り直されたとは信じがたいレベルである。

妊娠が発覚し、混乱しつつも全員が出産するという流れまでは、そこそこ面白い展開である。ところがそれ以降がトーンダウンしてしまう。むしろ、そこからが本題なのだが、イマイチなのだ。

精神が読まれるだけでなく支配されるというのは大変恐ろしい能力だと思う。これの能力を小憎らしいほど巧みに使えば、ゾっとするお話になったことだろう。そう、ならないのは何故か。
同様の現象が発生した地域が世界各国にあり、同じような状況になっていると、作中で語られる。しかし、ミッドウィッチ以外は爆破されたと。もう、私たちしか残っていないので、絶対に生き残ってみせる…という趣旨のことを子供たちは発言する。
でも、冷静に考えれば、何でそうなるのかは明白である。子供のうちから安易に能力をつかって大人たちに敵だと認識させたからである。もう少し怪しまれないように潜伏して、大人になってから社会に紛れれば、世界征服なんか簡単にできたと思う。地球人の情報もそこそこ学習したであろうに、我を通して自分たちの奇異な行動様式を隠そうともしない無策っぷり。他の地域では、あっさり魂胆がバレて、町ごと爆破されてしまったのだ。
たしかに恐ろしい能力かもしれないが、他では対処できたんだから、この町でも対処できちゃうだろう。急に恐怖にレベルが下がってしまう。

また、感情の有無に、ストーリーの焦点を当てた意味が無くなってしまっているのも敗因。感情=慈悲や愛…みたいなノリで展開するのだが、感情とはそれだけではないだろう。死産だった子供のホルマリン漬けを発見するシーンがあるのだが、それを見つけるシーンの意味があっただろうか。だって、彼らは感情が無いんだから、それに対して怒ることもないだろう。そうなのだ、感情が無いのなら、痛いと思いをさせられたからって母親を超能力で折檻するという行動には出ないはず。別にあの女博士が殺したわけではなく死産だったことは、頭の中を読めばわかったはず。なのに、残虐な方法で殺すということは、同胞を殺された怒りがあったからに相違ない。目的遂行のための障害の排除という意味ならば、一番効率の良い殺し方を選択するのにそうしないのは、実に矛盾している。
結局、パートナーのいない男の子にに感情を湧かせることがポイントのような流れにしておきながら、そこは全然ポイントにならずじまい。この設定は不完全燃焼だ。

ラストの陳腐さは、「心を読まれない方法をみつけたんだ。海の映像を思い浮かべるんだ!」に極まれる。そう言っていたのに、いざ心をブロックするときはレンガの壁でブロックするという方法。妻との思い出の中にある海じゃないんかい。変なの…。

スーパーマンのクリストファー・リーブに、ルーク・スカイウォーカーのマーク・ハミルの競演ということで、ちょっと期待したが、完全に裏切られた作品。駄作といってよいだろう。

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image0123.png公開年:1997年
公開国:アメリカ
時 間:117分
監 督:ジャン・ピエール・ジュネ
出 演: シガーニー・ウィーヴァー、ウィノナ・ライダー、ロン・パールマン、ダン・ヘダヤ、J・E・フリーマン、ブラッド・ドゥーリフ、マイケル・ウィンコット、ドミニク・ピノン、ゲイリー・ドゥーダン、レイモンド・クルツ、リーランド・オーサー、キム・フラワーズ 他
コピー:あなたは「復活」を目撃する。



冥王星の近くに停泊する宇宙船オーリガ号内の研究施設で、200年前にエイリアン・クイーンの幼生を体内に宿したまま命を絶ったリプリーのクローンが生まれていた。そして、再生したリプリーの胸からはエイリアンの幼生が取り出され、ベレズ将軍により生物兵器として利用されようとしていた。再生したリプリーは研究用に生かされることになったが、不思議なことに彼女はオリジナル・リプリーの記憶の一部を持っており、一方、エイリアンが持つ凶暴性や運動能力も引き継いでいた。そのころ、密輸船ベティ号がオーリガ号に到着。積荷はベレズ将軍の依頼で誘拐されてきた、冷凍睡眠中の宇宙船乗組員たちで、将軍は彼らをエイリアンの宿主に使おうとしていた。ベティ号乗組員の一人コールは、船内にリプリーがいることを知り、彼女の独房に侵入し真相を聞きだすのだったが…というストーリー。

今回は、DVDのメニューで選択できる完全版というのを鑑賞。オープニングとラストにカットが追加になっている模様で、主軸のストーリー部分に差は無い模様。ラストでリプリーたちが地球に降り立つシーンは意味があると思うが、冒頭の“エイリアンのような口の虫”の意味や必要性はわからん。

製作には『エイリアン3』のゴードン・キャロルとデイヴィッド・ガイラーや、シリーズ全部に携っているウォルター・ヒルらが名を連ねている。エイリアンシリーズは、シリーズとしての一貫性と整合性を確保しつつ、あとは監督の色を存分に出してください!っていう作品群。よって、本作もジャン・ピエール・ジュネの趣味が爆発していればよろしい。
本作のリプリーはクローンで、一部の記憶を引き継いでいるとはいえ、所詮別人。純粋にシリーズを継承しているとはいささか言い難く、ある意味、ストーリーもスピンオフ作品といっても過言ではないくらい。シリーズの傍線といってもよいほど。そこで、ジャン・ピエール・ジュネ独特の映像センスが光ってくる。元々様式美が重要なシリーズなので、デビッド・フィンチャーが好きな私でも『エイリアン3』よりも、本作の彼独特の映像が私は好みである。
#ただ、直接的なグロシーンが格段に多くて、ここが好き嫌いが別れるところかも。

クローンリプリーの強烈なキャラクターに、ロン・パールマンなどの個性的なキャラクターが負けていないのも魅力。ジャン・ピエール・ジュネとロン・パールマンといえば『ロスト・チルドレン』。キャスティングにも監督の意向が強く出ていると考えてよかろう。

本当は本作の続編が製作されることを期待していたが、諸事情により『プロメテウス』になってしまった。『プロメテウス』は結構お気に入りではあるが、そちらが一段落した後は、再度、続編に戻って欲しい。だが、今となっては、かなり時間が経ってしまい、シガニー・ウィーバーもウィノナ・ライダーも相当劣化してしまったので、素直に5作目を作るのは難しい。本作では、エイリアンを利用しようとしている日系企業“ユタニ”社が倒産している世界ということで、やはり傍系の色が濃い。そこで、『プロメテウス』の流れで、3と4の間の200年間を描いてほしいと思う。ユタニ社が衰退していく経緯なんかをね。

当時は、イマイチ不評だったかもしれないけど、時が経って味が増してくる作品。

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プロフィール
HN:
クボタカユキ
性別:
男性
趣味:
映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
自己紹介:
一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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