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image1040.png公開年:1972年 
公開国:イタリア、イギリス
時 間:121分
監 督:フランコ・ゼフィレッリ、ジュディ・ボーカー
出 演:グラハム・フォークナー、アレック・ギネス、リー・ローソン、グレアム・フォークナー、ジュディ・バウカー、ヴァレンティナ・コルテーゼ、ジュディ・ボーカー 他
受 賞:【2009年/第30回ラジー賞】ワースト作品賞、ワースト監督賞(マイケル・ベイ)、ワースト脚本賞(アーレン・クルーガー、ロベルト・オーチー、アレックス・カーツマン)



12世紀イタリアのアッシジ。染め織物で財を成した商人の御曹司フランチェスコは、何不自由ない生活をおくっていたが、名声のために騎士になろうと思い立ち戦争に参加する。しかし、捕虜となり、さらに病気にかかるなどしたため家に戻り療養する日々。療養の中で、これまでの自分を振り返り改心が始まり、ついには信仰に目覚め何もかも捨てての伝道生活に入っていくのだったが…というストーリー。

修道会のフランシスコ会の創設者で、聖人の列せられており、カトリック信徒ならば随喜の涙を流すような人物。カトリックの歴史において、その後の法王選出システムの礎となるなど、重要なポイントでもある。でも、実話ではあるのだが、予備知識もなにもなければ、まるでフィクションか?と感じるような演出が多々ある(歌とか)。日本で言えば鎌倉時代という古い話だし、端はしの描写が史実かどうかが甚だ怪しい上に、そもそも史実に則ろうという製作姿勢があまり見られないのが、その理由だと思う。そういう意味では、本作の描写を史実であると素直に受け取ってしまう可能性も高く、注意が必要な作品といえる。簡単にいってしまえば、フランシスコ会の賛美をしようという意図が強い映画ということ。

では、カトリックではない人間は愉しめないかというと、そうともいえない。私はクリスチャンではないので、彼らの行動が正しいとも思わないし、もちろん神々しいとも思わないが、既存の宗教組織や常識に抗う姿を、「これからどうなっちゃうの?」とハラハラする場面もあれば、そりゃああんたらやられて当然だろうさ…と思う場面などもあり、飽きることはなかった。

見も蓋もない言い方をしてしまえば、放蕩息子が神様に目覚めて家族に不義理をする話なんだけど、観ている最中、これって何か仏法説話みたいだ…と思えて仕方がなかった。老人や病人や人の死に接して開眼してしまうとか、裕福な両親のスネをかじっていたポンコツ息子が、ある日、つらっと「わたくし目覚めましたわ!」とか(悪人正機説かいな)。それに、フランチェスコは、修道会と一般信徒の会と、僧と信者の組織を分け、それぞれが別の会則で運営される。本作でフランチェスコが言うように、人のすべてが結婚しなければ人類は滅んでしまうわけで、キリストのような厳しい戒律は修道会にのみ適用されるのだが、仏教における僧と在家の関係に非常に似ているなどなど…。巨大宗教成立の過渡期に見られる共通性というのが、非常に面白く感じる。

フランチェスコは、突然に家財を放り投げ「富があるからいけない」と叫び、親を非難し、出家するのだが、この時点では市井の人も富を捨てろといっている。過度の資産の蓄積を罪悪とするのは、案外、資本主義の原則に則っていて問題がないのだが、問題は適切な富と悪い富の境目はどのへんなのか?という点がぼやんとしているのである。僧たちは清貧を気取っていればよいのだが、市民もそれを行えと?結婚についての見解もそうだったが、彼は市民にそこまでも求めては無いはずである。では?と考えると、非常の面白い。その後、彼らは街から離れた場所にコミューンをつくるのである。つまり必要最低限の財産は共有するということ。これは共産主義がキリスト教の一派であるという指摘を証明してはいないだろうか。

で、ネタバレだけど。

最終的に法王までが彼らの行動に感動して、承認を与えるわけだけど、これを理路整然と否定できなかったことこそ、カトリックから資本主義が生まれない括弧たる理由なのである。私のような異教徒から見れば、穀潰しのガキが突然もっともらしいことを思いついて、その世間知らずっぷりを発揮して、もっともらしい意見でやりきってしまったというコメディにしか見えないのだけれど。

とにかく、清貧というなんとなくの美名に踊らされるのは罪である。むしろ富を悪と見るということは、富に力があることは認めておきながら、その力が何なのか、その力を正しく利用する方法はないのか?ということを、はじめっから放棄するという非科学的な行為の他ならない(カトリックは非科学の先鋭だから、こうなるのはもっともなのだが…)。その短絡的なロジックは、”マンガは教育に悪影響!”と同じレベルであり、思想的な深みや思慮に著しく欠けていると私は思う。

偏見でもなんでもなく、これを観て素直に感動できちゃう人て、私にとってはちょっとお付き合いしにくい人かもしれないな…、などと、なかなか考えさせられた映画であった。おもしろいよ!とお薦めは絶対にしないけど、世界には様々な考え方の人がいるということを肝に銘じるには、適した映画かも。

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