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公開年:2009年
公開国:アメリカ
時 間:95分
監 督:ケヴィン・グルタート
出 演:トビン・ベル、コスタス・マンディロア、ベッツィ・ラッセル、マーク・ロルストン、ピーター・アウターブリッジ、ショウニー・スミス、アシーナ・カーカニス、ジョージ・ニューバーン、ショーナ・マクドナルド、デヴォン・ボスティック 他
凄惨な殺人現場でFBI捜査官ストラムの遺体が発見され、他の遺体などに彼の指紋が付いていたことから、彼がジグソウの後継者とみなされ、一連の事件は落着したかに思われた。しかし、それに疑問を抱いた上司のエリクソンは独自に操作を続行。実行犯のホフマンは徐々に追い詰められていく。一方、ジグソウの遺言と遺品の箱に困惑する前妻のジルだったが、意を決して箱の中身を確認。ジグソウの真の後継者を知る。その頃、保険会社の男と彼の関係者が拘束され、新たなゲームが始まる…というストーリー。
以下、ネタバレ。
いつもどおり、冒頭の殺人ゲームで掴みはOK!といいたいところだが、今回のファーストゲームには無理があった。あのシチュエーションで、ゲームをサッと理解して、ギリギリ命がキープできる部分を判断し、切除合戦が繰り広げられるというのは、いささか都合が良すぎる。さすがに「ああ、もうネタがないんだな…」と思えてくる。
ただ、ギミックの巧みさと救いようの無さで、このシリーズは注目を集めたわけだが、ここまで続いているのは、そういった要素のおかげだけではない。“ソウ”シリーズの決定的な魅力は、“生命を粗末にする人間に、生命の尊さを理解させる”というジグソウの高尚な目的のおかげである。その手段が、社会通念上許されるものでなくても、病的であっても、その底辺にこの高尚さが存在するおかげで、見ている側が、どこかでジグソウの行いに幾許かの正当性を見出しているのだ。
あえて不遜なことを承知で書く。キリスト教の目線で言えば、一見悪魔の所業としかいいようがない行いだが、死ぬ間際に自分の行いを悔い、命の大切さを痛感できたならば、殺された人間は天国にいけるのかもしれない。仏教的目線で言えば、命の尊さを理解して、成仏に近づき次に生まれ変わったときにはよい境遇になっているかもしれない。そういう意味で、ジグソウは悪魔の仮面を被った天使、修羅の形相の菩薩と解釈できなくもないのだ(もちろんかなりの曲解なんだけど)。
しかし、さすがに本作では、ゲームに参加させられる側の悪行が判りやすすぎて、勧善懲悪が淡白に感じられる。これまでは色んな立場の人が対象になっていたが、今回は保険会社がらみの人のみ。ちょっと間違えば私怨なんじゃないの?と思えてくる時もある。このシリーズ最後の砦ある高尚さが崩れ始めているようだ。
また、後継者問題も策を弄しすぎて発散しかけているし、ジグソウの亡霊モードも陳腐だし、社会問題を問いかけ始めるなんて、会議で決められた展開…という匂いがプンプンしてくる。
あからさまに続編の存在を予告したラストだが、次はシリーズ最終作。よほど手の込んだラストにしないとシリーズ自体を台無しにしかねない。それなのに3Dにしようなど、危うい道を進みつつあるのは明々白々。最後こそ、原点に立ち返るべきなのに。
よほどのファンなら別だが、そうでなければ、7のDVDが発売された時に一緒に観るくらいで充分な内容。わざわざ今、観る必要はまったくなし。お願いだから会議で展開を決めるんじゃなくって、力のある脚本化か監督が、思うがままに作りこんでいって欲しい。船頭多くしてなんとかである。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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