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imageX0088.Png公開年:1991年
公開国:日本
時 間:116分
監 督:中原俊
出 演:塩見三省、相島一之、上田耕一、二瓶鮫一、中村まり子、大河内浩、梶原善、山下容莉枝、村松克己、林美智子、豊川悦司、加藤善博 他





ある女性が、元夫を道路に突き出し死亡させたとする事件。その裁判のために職業も年齢もばばらばらな一般の市民12人が陪審員として集められた。争点は、被告に殺意があったか否かだたが、被告が若くて美しいことから、殺人を犯すような人間ではないとして、議論もそこそこに多数決を行い、全会一致で決まりかけたとき、28歳の会社員の陪審員2号が、何で彼女が無罪と思ったのか全員に問いかけた。みんなの意見がいい加減だったため、陪審員2号は有罪に票を転じ議論は継続されることに…というストーリー。

三谷幸喜の脚本。今まで散々書いてきたが、私には三谷幸喜のコメディはピンとこない。だから、案の定コメディとしての面白さはまったく感じなかった。ハハハと笑うだけがコメディじゃないのは百も承知だが、クスりともしなかった。

元ネタが『十二人の怒れる男』なのは明白。密室劇や長廻しの手法も訴えられても仕方ないくらいなのだが、あの作品が大好きなのは良くわかる。これを日本人でやったらどうなるんだろうな?というオマージュというかリスペクト作品ということで、ギリギリ許容範囲なんだろう。でも、『十二人の怒れる男』を観た人は、こっちが好きだあっちが好きだと思わず比べてしまうだろうね。でも比べる意味はない。タダの別物だから(良い意味でも悪い意味でも)

外人がよく言うような、協調することばかりに重きをおいて、自己主張することがなく、なんとなくな空気で場をまとめるような、ステレオタイプな日本人を登場させていている。コレだよコレ。私が三谷幸喜が嫌いな理由は。たぶん彼には世の中がこう見えているのだと思うけど、そんなお上品な人間なんかこの世に一握りしかいないと私は思う。彼の作品を観た時の違和感の原因はこれなんだ。あらゆる人間が綺麗すぎて、不自然な絵空事に見えるのだ。下品で自分勝手なキャラクターを配置してはいるけれど、それでも、根はおぼっちゃま。なにか、マリー・アントワネットの「パンが無いならお菓子を食べればいいじゃない」みたいなことを、上から目線で本気で言われたような不快感が、いつも漂う。
じゃあ、駄作なのか? いやいや、私は本作を名作だと思ってる。

もちろん、このシナリオが書かれていた頃に、日本には裁判員制度なんてものはなかった。先見の明とまでは言わないけれど、法理念の基本がしっかりわかってることについては、評価したい。“疑わしきは被告人の利益に”という刑事 裁判における基本の大原則が、日本においては守られていないこと。無実と無罪の違いが判っていない矛盾を架空ながらも判りやすいロールプレィとしてよく表現しているからだ。

豊川悦司が演じる男が、「実際におこったことなんかは誰にも判らない」という趣旨のことを言う。これは非常に大事。判事は神ではないから、真実は絶対にわからない。でも、神のごとく真実かわりに“判決”を出す。仮の真実ではあるが、そうすることで世の中を道筋をつけていく。だから、誰が聞いてもそりゃあこいつが犯人だと納得できる証拠がなければ、罪を負わせることはできない…ということなのだ。

本作では、彼女に殺意があったのか?が一つの焦点になる。まあ、これも“殺意”なんて心の中のことをどうやって外面から判断することができるのだ?という、根本的に欠陥のある考え方が元になっていると私は思っている。アメリカでいうところの第一級殺人のように、予謀や犯罪に伴う殺人であることを明確に証明できる証拠が無ければ、状況証拠だけで罪を構成することができないと明確にすべきだと考える。憲法を変えるのも結構だが、こういう刑法の整備も社会維持のために重要な点で、今の日本の刑法の体系がちょっとおかしいことに、いまの政治家は気づくべきである。死刑制度論議だけじゃなく、殺人罪の定義を考える段階だと思うね。

その他にも、意図してるかどうかは判らないが、民主主義の本質を説いていたりするので秀逸。大半の陪審員がはじめから多数決を連発し早く決着をつけようとするのだが、民主主義=多数決ではない(これは小学生の段階でしっかりと教えるべきなのだがなぁ…)。民主主義の基本は徹底的に議論を重ねることが基本。でも絶対、意見を変えない奴がいるし、天邪鬼な奴がいる。だから、あらかじめ時間を決めて、そこまでは徹底的に議論する。それでも決まらないときに多数決を用いる。
本作では、“朝まで”というボヤっとしたタイムリミットなところが気に食わないが、結果的に全員一致にならないので議論が続くという民主主銀の体言している…ということ。
で、何か引っかかると主張しただけで、論理的でないとレッテルを貼られる「何となくそう思う」おばちゃんと「フィーリング」おじさんと、それに加担する豊川悦司演じる男。こんな意見であったとしても、それが何なのか彼らが時間一杯考えたいと言えば、それに付き合うの民主主義。
そしてその引っかかりが探っていく先に、答えが待ってるという教科書的な作品なのだ。そういう意味で、三谷幸喜作品として、私が唯一好きな作品なのだ。

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出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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