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image2005.png公開年:2011年
公開国:日本
時 間:118分
監 督:原田眞人
出 演:役所広司、樹木希林、宮崎あおい、南果歩、キムラ緑子、ミムラ、赤間麻里子、菊池亜希子、三浦貴大、真野恵里菜、三國連太郎 他
受 賞:【2011年/第35回モントリオール世界映画祭】審査員特別グランプリ
コピー:たとえ忘れてしまっても、きっと愛だけが残る。



1959年。小説家の伊上洪作は、父・隼人の見舞いのために両親が住む湯ヶ島を訪れていたが、思っていたよりも容体が悪くなく、仕事も残っていたために早々に東京の家に戻ことに。帰り際、母・八重の異変に気づきつつも帰宅。自宅では、家族が洪作の新作小説にせっせと検印をしている最中だった。洪作は、幼少期に自分だけが両親と離れてくらしてたことがあり、“母に捨てられた”という思いが拭えないまま成長したが、それが彼の作家としての成功に大きな力となってもいた。しかし、そのせいで、娘たちへ干渉が過剰となり、娘たちとの関係はうまくいっておらず、特に三女・琴子は反抗期の真っ盛り。検印を手伝わない彼女に、洪作は激昂し、ますます関係は悪化してしまう。その夜、持ち直したかに見えた父の訃報が入る。その後、洪作の妹たちが母・八重の面倒を見ていたが、あまりに物忘れがひどくなるばかり。ある日、妹・妹・志賀子の夫が交通事故で入院することになり、八重を洪作が引き取ることになるのだが…というストーリー。

ボケた母親との生活を綴った、どちらかといえば緩いお話にもかかわらず、何故か作品全体に緊迫感が漂う。なかなか惹きこまれる。これは編集の技だと思う。言葉で表現するのがとても難しいのだが、観ている側が予想する場面展開のタイミングを微妙にはずして緊迫感を作っている。特に、母・八重が登場するシーンではあからさまに、異質な空気感を演出している。市川崑作品のそれに通じるものがある。これが、原田眞人監督によって生み出されているのか、息子の原田遊人によって生み出されているのかが定かでない。私は、賞するに価する仕事だと思う。

子供の頃に母に捨てられた…と思っている作家が主人公。井上靖の自伝的小説とのこと。その、否応なしに大海に投げ出されたような記憶が、作家としての感性を育んだという設定。でも、どういう作風なのか、作中では描かれていないので、どういう影響を受けたのかよくわからず(井上靖を知ってりゃ自明だろ…といわれるかもしれないが、この映画はこの映画なので、この作品の中で描ききるべきかと)。

凄く気になるのが、家族全員が八重のことを、非常に暖かい目で見守り、接しているという点。同じ言葉を繰り返す、偏執して譲らない、俳諧する、おかまいなしに悪口をいう…などなど、ありがちな痴呆老人の姿なのだが、全編通してこの姿しか出てこない。三人娘がおばあちゃんと会話しているシーンなど、ボケたおばあちゃんを半分馬鹿にしているようで、人によっては不快に感じるかも…と思うほど。実の娘にいたっては、奇行の末に使用人よばわりで、不快な思いしかしていない。でも、みんなが八重のこと心配し、亡くなった際には、かけがえのない人を失ったかのように号泣するのである。
いや、老人を大事にすることは良いことだし、老母を敬うことがおかしいといっているのではない。でも、ここまで苦労させられているのに、彼らがやさしく見守り、労力を傾けるのは理由があるんだろう?きっと、ボケる前はいいおばあちゃんで、いい交流があったんだろう。それを描くべきなのだ。娘はまだしも、孫の琴子がそこまで祖母に肩入れするには、絶対にそう思うに至る理由があるはず。で、それら女達と八重のいい関係と、子供の頃に母に捨てられた…と思っている息子とのぎくしゃくした関係が対比されることこそ、本作の演出上重要なのではないか? と私は思うのである。

(ネタバレ)
おぬいばあさんに預けられている間に、八重が息子の様子を伺いに足を運んでいたことを知り、母の愛を確認する…という流れなのだが、どうもここがきちんと描ききれていないのが気になる。八重は台湾からはるばる沼津まで様子を見に来ていたということか?それとも台湾に渡る前か?それとも台湾から戻った後に、すぐに息子を引き取れずに、見守るだけの時期があったのか?どれなのかさっぱりわからない。原作では、そのあたりが描かれているのだろうが、本作では、結果的に消化不良になっているのが残念。よって、洪作が八重への感情を劇的に変化させるほどのものなのか否か、ピンとこないため、最後のトラックで徘徊→渡米から離脱→海岸で待ってる…の流れもぼやけてしまった。
おばあちゃんの思い出を、作品の中の家族と、我々観客が共有することができなかった。これは、いまいち本作が心に響かない原因である。編集の良さとシナリオの詰めの甘さのギャップが、非常に残念な作品。
#娘の彼氏であり元付き人である人間を、コンクールで選出するって、身内エゴも甚だしいな。私は下品…と思ってしまったのだが…。

宮崎あおいは、幼い時期から大人になるまで、見た目に違和感がない便利な役者だと思う。でも、服装が変わっただけで、演技の上で成長を演じることはできていない。個人的にあまり好きではないからかもしれないが、漂う既視感が、作品に没頭するのを邪魔する。

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出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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