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image1509.png公開年:2007年 
公開国:ハンガリー
時 間:107分
監 督:ガーボル・ロホニ
出 演:ユディット・シェル、エミル・ケレシュ、テリ・フェルディ、ゾルターン・シュミエド、エミル・ケレシュ、テリ・フェルディ、ユーディト・シェル、ゾルターン・シュミエド 他
コピー:ふたりならきっと明日を変えられる




社会主義だった1950年代のハンガリーで運命的に出会い、身分の差を越えて結ばれたエミルとヘディだったが、すっかり社会が変貌した現在では、年金暮らしの81歳と70歳の老夫婦。年金だけでは生活できずに借金を重ねるほど困窮していたが、とうとう二人の出会いのきっかけであるダイヤのイヤリングまでも借金のカタの取られることに。切羽詰ったエミルは愛車チャイカに乗り込み郵便局で強盗を決行。最初は当惑していたヘディだったが、警察の捜査をかいくぐり夫と合流し、二人は逃避行を続ける…というストーリー。

あまり見かけないハンガリー映画ということだが、意外に欧米のポピュラー映画然としたテイスト。老人版『俺たちに明日はない』という、直球な作品。
散々、社会主義的価値観を受け付けられてきて、その価値観は突然アノミー崩壊し、その後にやってきた資本主義が与えてくれたのは安い年金に借金暮らしで、TVのチャンネルをひねればミリオネアやってるって、一体なんなのよ!ていう、社会的に失うもののない二人は、老人とはいえども、まさににボニー&クライド。社会の反応を織り交ぜていくのも、同じ演出。

老人ゆえの滑稽さは、悲哀にも繋がり、なんとも言われぬ侘しさや純愛すらも滲み出てくる、深くはないけど味のある作品だなぁ…と思っていたのが、ラストで台無し。本当に台無し。

以下、ネタバレ含む。注意。

この監督は、ドンデン返しの演出で、してやったりのつもりかもしれないが、あまりに杜撰。はっきりとは言わないでおくけれど、ずっと同じRのカーブならいざ知らず、、爆発をさせるほどの速度であの曲がった道路を道なりに進ませることなんか、できるわけないだろう。バカじゃないだろうか。
だれか、それはありえないと思いますけど…と監督に助言することはできなかったのか。

おまけに、結局、老夫婦の真の目的が何なのかよくわからない。海の見えるところでの生活?闘病のための入院?なんなの?ひねりもウィットもカタルシスも何も生じない。本当に95%まで良作だっただけに、一気に駄作にまっしぐら。もったいないの極み。同じようにがっかりするに違いないので、お薦めしない。

ここまで残念な作品、なかなか無いよ(泣)。

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image1528.png公開年:2009年 
公開国:アメリカ
時 間:89分
監 督:ジョナサン・モストウ
出 演:ブルース・ウィリス、ラダ・ミッチェル、ロザムンド・パイク、ボリス・コジョー、ジェームズ・フランシス・ギンティ、ヴィング・レイムス、ジェームズ・クロムウェル、ジャック・ノーズワージー、デヴィン・ラトレイ、マイケル・カドリッツ、ジェフリー・デ・セラーノ 他
コピー:ロボットがすべてを代行する社会。それは、ユートピアのはずだった…。



人体の部位の代用として開発された“サロゲート”は、人体全部を遠隔操作する精巧なロボットとして発展。人々は外出せず、社会生活の全てをサロゲートに委ねるようになる。そのおかげで犯罪や伝染病、人種差別が激減し、人類は理想的な社会を実現したようにみえた。一方、サロゲートを忌避する人々も存在し純粋な人間による独立区も生まれる。ある時、2体のサロゲートが破壊されただけでなく、持ち主までが変死する事件が発生。FBI捜査官グリアーとピータースも、自らのサロゲートを駆使して捜査にあたり、サロゲートの最大手メーカーVIS社との関連性を突き止めるのだが…というストーリー。

サロゲートのような製品ができたとして、限りなく人間そっくりに発展するとは思えないのだが、これは日本人的発想か(それこそアニメキャラやヒーローやロボットや、逆に非現実な姿に発展するのが自然だと思うのだが、感覚の違いかなぁ…。まあ、それはさておき。

『マトリックス』と『攻殻機動隊』をあわせた作品…といいうか、あわせただけの作品。兵士用サロゲートやその工場にいたっては『A.I.』と同じ。
今となっては特段目新しくもないSF設定なので、まさかこの設定一本で乗り切れろうなどとは思っていまい…と信じてたのだが、思ってたみたい(笑)。ストーリーが進むほど、ますます展開が『攻殻機動隊』になり、事件の顛末は『A.I.』になる。

こんなに凡庸なSFだったら観ていられないだろうと思うだろうが、しかしながらそこそこ鑑賞に耐えうる。役者がいい演技をしているとか、特撮がすばらしいとか、アクションがいいとか、特別に秀でたところがあるわけでもない。じゃあ、なぜか。まあ、SFの様式美…なのかな。演歌なんか似たような曲ばっかりだけれど、ファンはそれなりに満足するでしょ。“SF+特撮+アクション”っていう映画が、そういういい意味でのマンネリズムの領域にまで達したってことなんじゃないだろうか。

そこまでくると、基本様式を保持しつつ、ちょっとだけくすぐればよくなっちゃう。大ヒットにはならないけれど。まさに商業ハリウッド的にはもってこい…ってことなんだろう。ということで“ふつう”の作品。ヒマはつぶしが目的ならば、もってこいってところだ。もちろん飛びぬけて面白いところはない。

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image1533.png公開年:2009年 
公開国:日本
時 間:99分
監 督:橋本昌和
出 演:大泉洋、堀北真希、水樹奈々、渡部篤郎、相武紗季 他
コピー:このナゾを解いた者には、永遠の命が贈られる。





ある日、レイトンのもとにかつての教え子で有名なオペラ歌手のジェニスからナゾトキ依頼の手紙が届く。そこには、行方不明だった友人ミリーナが7歳の少女になって現われ、“永遠の命を手に入れた”と言っていると書かれていた。さっそく調査に乗り出したレイトンは、ルークと助手のレミを伴い、オペラが上演される会場へとやって来るのだったが…。

ゲーム版“魔神の笛”直後のエピソードらしいけど、ゲームは3本目までしかやってない。でも、知らなくても全然大丈夫だった。

名探偵コナンやクレヨンしんちゃんの映画の惰性感には、もうウンザリなので、新たな大人の鑑賞にも耐えうる子供映画が待望されるわけだが、まさにレイトン教授はぴったり。なんとかシリーズ化してほしいので、ポケモンのようにマンネリ化は避けてほしいのだが、渡部篤郎にヤマちゃんが声優って、もうイヤな予感がする。

違和感のある3DCGを挟んでみたりとか、ある意味ゲームの雰囲気に忠実なんだけど(別に、書いても労力は変わらなそうだし、味も出そうなのに、なんでCGを挟むのかよくわからんけど)、とにかくゲームと同じ質感がキープできているのは評価できる。そりゃあゲーム内にもアニメは挿入されているので、厳密に言えば初めてのことじゃないんだけど。。

対して、ストーリー面では課題は多い。
・王国とやらに何なにがあるんだかさっぱりわからない(カリオストロよりもその存在価値がわからん)。
・大ロボットも以前にでてきたし、小さい飛行機で対応するのにも既視感が。すでにマンネリ化がはじまっているという頼りなさ。
・さりげなくグロいラインに向きがちなレイトン(実は、人造人間だったりとかね)。今回も人格コピーという冷静に考えるとちょっとエグいネタ。この線じゃないストーリーは考えられないものか。シリーズ化したいなら、オカルトテイストを弱めないとだめだと思う。

とにかく、違う脚本家を試すことはお薦めしたい。
#最後、金田一耕助シリーズみたいにするのかとおもったけどちがった。「しまった!」っていうのかと(笑)。

とりあえずゲームで満足した人なら充分楽しめる内容なのでお薦めするが、そうでない人は微妙だろう。本作を観てゲームもやってみたくなるような内容またはプロモーションにしたいところだったと思うが、それもいまいち。わたしなら、映画館でDSにダウンロードできるゲームをつくり、その内容は映画本編ではいまいち足りない謎解き要素を補完するように、映画のストーリのところどころで実はもっと出題されているのよ…的な内容に(ヘリコプターは、もうちょとアイテムをあつめてからじゃないとね)。
そして10ヶ月くらいたった後で、数量限定でソフト化すればよいのだ。メディアミックスの具合が中途半端なんだよね。ワタシならもっといいアイデア出せるよ。実にもったいない。

#やっぱりシルヴァン・ショメなんだよなぁ…(女の子の顔以外は…)。

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image1527.png公開年:2009年 
公開国:アメリカ、ニュージーランド
時 間:112分
監 督:ニール・ブロンカンプ
出 演:シャールト・コプリー、デヴィッド・ジェームズ、ジェイソン・コープ、ヴァネッサ・ハイウッド、ナタリー・ボルト、シルヴァン・ストライク、ジョン・サムナー、ウィリアム・アレン・ヤング、グレッグ・メルヴィル=スミス、ニック・ブレイク、ケネス・ンコースィ 他
受 賞:【2009年/第35回LA批評家協会賞】美術賞(フィリップ・アイヴィ)
【2009年/第15回放送映画批評家協会賞】メイクアップ賞
コピー:人類、立入禁止

南アフリカ・ヨハネスブルグ上空に巨大宇宙船が現われ碇泊する。エイリアンは地球の襲撃が目的ではなく、故障で漂着した模様。どうすることもできず、やむを得ず彼らを難民として隔離して受入れたが、それから20数年経過し共同居住区“第9地区”はスラムと化し、周辺の地球人の不満は増す一方。そこで、国際機関MNUはエイリアンたちを別の難民キャンプへ強制移住させることを決定。プロジェクトの責任者に任命されたエイリアン対策課のヴィカスは、移住の手続きを進めるために、エイリアンの住居に訪問し立ち退きの手続きを進める。ところがその最中に押収した物体から謎の液体が飛び出し…というストーリー。

ラストに不満を持った方が多々いただろうが、ワタシはこうなることを冒頭で予測できていた。いや、感のいい人なら気づいたはず。だって、明らかに事件後のドキュメンタリー番組を差し挟む演出をしているのだから。

もし、エイリアンと地球人がのっぴきならない状態になって、地球人が現在の生活が継続できないようになるならば、そんな番組が作られるわけがないもの。『クローバーフィールド』みたいに、ソース映像だっていうんなら可能性があるけど、しっかり番組として編集されているんだもん。少なくとも事件が終わっても地球人が滅ぶようなことがないのは、明白だってこと。これで、SFとして展開へのワクワク感は半減するというわけだ。

南アフリカってことで、人種差別的なハナシだなというのはピンとくるけど、人種差別というよりは現在もいろんな国で発生している元住民と移民との軋轢がテーマで、むしろ舞台を南アにしたのは目をそらす為かと。外国人“alien”と異星人“alien”をひっかけたダジャレを、豪勢な合成で大真面目に映画にしたってことだね。そういうノリは嫌いじゃないけど。

でも、そのドキュメント番組を挟む手法も、ずっと使い続けるならまだしも、結局途中からリアルタイムストーリーになるし、生中継のニュース映像を挟んだりで、演出に一貫性はなく、中途半端。その中途半端さを補うために、変身させてみたり、感じの悪い軍曹とのバトルものにしてみたり、エイリアンとのバディものにしてみたり。失うものが無くなった男が、“ヒト”として生きはじめる姿を表現できたのは、観ている人に共感させる秀逸な脚本だとは思うのだが、それを生かしきれなかったのも残念。

こうやって広げるだけ広げて、なんの区切りもないこのオチで、作品としてはアウトとしか評価できない。続編を作る気なのはいいけど、だからといってこれはないよね!それはそれとして一旦オチをつけるのが礼儀では?ってお金を払って観た人は思っただろう(まあ、DVDレンタルで観る分には許せる範囲だけど)。
次回作といっても、本作の場合は設定や展開がかなり限定されるので、シリーズとしての広がりという面では、『クローバーフィールド』のほうが期待感は上な気もするし。

ただ、製作のピーター・ジャクソンの力が大きいと思われるが、エイリアンや町並みの表現は、文句の言いようはない。そこだけで、なんとか及第点に留まれている作品。いずれ続編が出た時に観れば充分なので(おそらくそのタイミングでTV放映する)、お薦めはしない。

#エチオピア人はこれをみてどう思うのかね。ドイツ、ソ連、イラクに変わって、新たなに悪のアイコン国登場かな。

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image0321.png公開年:2000年 
公開国:イギリス
時 間:111分
監 督:スティーヴン・ダルドリー
出 演:ジェイミー・ベル、ジュリー・ウォルターズ、ゲイリー ルイス、ジーン・ヘイウッド、ジェイミー・ドラヴェン、スチュアート・ウェルズ、ジェイミー・ドレイヴン、ジーン・ヘイウッド、ゲアリー・ルイス 他
ノミネート:【2000年/第73回アカデミー賞】助演女優賞(ジュリー・ウォルターズ)、監督賞(スティーヴン・ダルドリー)、脚本賞(リー・ホール)
コピー:僕がバレエ・ダンサーを夢見てはいけないの?

11歳のビリーは炭坑労働者の父・兄・祖母との4人暮らし。ある日、父の炭鉱で行われているストの影響で、ビリーの通うボクシング教室の体育館にバレエ教室が移動してくる。ビリーは、ふとしたきっかけでバレーのレッスンに飛び入りしたが、バレエに特別な感覚を覚える。バレエの先生であるウィルキンソン夫人もビリーに才能を感じ、レッスンを勧めるのだが…。

本作は評判がすごく良いのだが、ワタシ的には至極普通の作品。別に悪い映画ではないが、この手のイギリス映画が多すぎて食傷しているのだと思う。この手とは、環境的に恵まれない主人公が、社会の既成概念と闘って乗り越えるというパターン。『フルモンティ』『キンキーブーツ』『カレンダー・ガールズ』等々。

社会主義的政策と停滞した経済を立て直すための自由主義経済政策とのせめぎ合いという、イギリスの歴史的な事情は理解する。しかし、こういう映画ばかり作られるのをみると、イギリスがいかに固定観念に凝り固まっている閉塞的な社会なのか…、国としての印象が非常に悪いね(実際どうなのかは知らないけれど)。

また、映画の手法としてもいかがなものかと思う点がいくつか。特に、ビリー自体について。
  ・男の子だ…という以上に、特別なバレエの才能があるようには見えない。
  ・その後も特別に成長しているように見えない。
  ・オーディションでバレーを踊っている時の気持ちを聞かれた時の答えがピンとこないし、あれが合格のキモになったとは思えない。

だから、先生や父親がビリーの才能について云々と言及しても、言うほどの才能が垣間見えないもので、“こんなに才能があるのに、なんで廻りは応援してあげられないだ!”という気持ちになれない。
で、主人公本人にさほど魅力(というか突破力)がないものだから、対処療法として、相対的に障壁である父や兄の無頼っぷりを増す演出になっているのだろうが、それも気に喰わない(というか、演出としては稚拙に思える)。

①ワタシような素人でも、ビリーには特別な才能があるのだな…と感じられるシーンを入れる
②本当にバレーが死ぬほど好きになっちゃったんだな…いうことを感じさせるシーンを入れる
これだけでも、かなり変わってくると思うのだが。

もう一度言うが、普通の作品。『キンキーブーツ』や『コーラス』の65%くらいとデキ思えばいいかと。お薦めしないわけではないが、高い期待は不要(と、あえて世の中の高評価な逆らってみた)。

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imageX0014.png公開年:2010年 
公開国:日本
時 間:65分
監 督:坂本浩一
出 演:桐山漣、菅田将暉、山本ひかる、木ノ本嶺浩、なだぎ武、寺田農、杉本彩、須藤元気、松岡充、生井亜実、飛鳥凜、なすび、腹筋善之介、中川真吾、板野友美、河西智美、八代みなせ 羽原レイカ 他




突然、26個の次世代ガイアメモリがばらまかれ、人々が次々とドーパントに変身してしまう。そのうちの1本“E”=エターナルのメモリが、凶悪なテロリスト集団“NEVER”の首領・大道の手に渡ってしまう。翔太郎たちは、国際特務調査機関員マリアの協力を得て事件の解決を試みるが、彼らの前に仮面ライダーエターナルへと変身した大道が立ちはだかる…というストーリー。

先日、最終回をむかえた仮面ライダーWの劇場版で、興味のない人にはまったく興味のない作品。それどころか一般的な映画ファンはまず観にいかない(笑)。私だって、今日がファーストデーで安かったからみただけで、通常価格で観る気はない。平日の昼間なので、子連れが2組と、オタクっぽいカップルが1組と、残りは私と同じく大きなお子ちゃまだけでスッカスカ。
おまけに3D追加料金300円増しだものなぁ。でも、内容は思った以上によろしくって、TV放映を観ていた人はかなり満足だったにちがいない。

で、別のDVDを観て、そっちをレビューすることも可能だったのだけど、あえて本作をレビューするには理由がある。内容ではない。
#坂本監督は『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』の監督で、ウルトラマンに仮面ライダーの仕事が連続できるなんて、うらやましいね。

本作は、戦隊モノの『天装戦隊ゴセイジャー』の劇場版が同時上映で、どちらも3D版だったのだが、この2本、3D処理のデキにものすごく差がある。飛び出し具合がよろしくないとか、そういうことではなく、『天装戦隊ゴセイジャー エピックON THE ムービー』は、観始めると、あっというまに目が疲れて、観続けるのがツラくなるのだ。こんな調子じゃ『仮面ライダー』も厳しいなぁ…と思っていたのだが、別に3D効果が薄いわけでもないのに、こっちはいくら観ても疲れない。この差は何か。

理由は不明。おそらく、撮影機材からして差があるのではないかと思われる。両方のカメラの間隔とか、その後の処理の仕方とか、差が出る要因は色々あると思う。30分程度の作品だったから耐えられたが、今後のために、いずれも東映作品なのだから、しっかりその差を研究していただきたい。

で、去年あたりからあたりまえになってきた3D映画だが、やはりこのムーブメントは、これ以上一般的になることはないと思われる。まず、眼鏡のフレームが結構邪魔。なるべく万人に合うようにつくっているのだろうが、眼鏡のツルは違和感(場合によっては痛み)がある。ちょっと首を傾げると3D画像がぶれる。なにげにレンズを触って手脂で汚してしまうと、衣服で多少ぬぐったぐらいでは、綺麗にならない。鼻息でレンズが曇る。そして、別に「これは3Dじゃないと、ダメだね!」っていうシーンは、意外と少ない。“眼鏡の煩わしさ<3D効果のおもしろさ”となるケースは少ない。
最近、ソニープラザで、沖縄の海の3D販促用のDVDを観たけど、ああいう資料映像とか環境映像的なものは意味がある。動物の形状や生態が手に取るようにわかるから。それに連続して見続ける時間も短いしね。

日本の各劇場に忠告したいが、そろそろ3Dだからといって料金を加算するのはやめてほしい。3Dと2Dの両方を用意していますよ!っていうかもしれないけど、いつも並行して上映しているわけではないからね。せめて300円も加算するのはやめてほしい。

全然、作品のレビューじゃないね。仮面ライダーは観る人は観るけど、観ない人は絶対みないからねえ。でも、ありがちな特撮TV番組の劇場版にしてはデキがいい。特撮好きの人は、どうぞ。

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image1271.png公開年:1987年 
公開国:アメリカ
時 間:102分
監 督:ノーマン・ジュイソン
出 演:シェール、ニコラス・ケイジ、オリンピア・デュカキス、ヴィンセント・ガーディニア、ジュリー・ボヴァッソ、ジョン・マホーニー、ダニー・アイエロ、アニタ・ジレット  他
受 賞:【1987年/第60回アカデミー賞】主演女優賞(シェール)、助演女優賞(オリンピア・デュカキス)、脚本賞(ジョン・パトリック・シャンレー)
【1988年/第38回ベルリン国際映画祭】監督賞(ノーマン・ジュイソン)
【1987年/第13回LA批評家協会賞】助演女優賞(オリンピア・デュカキス)
【1987年/第45回ゴールデン・グローブ】女優賞[コメディ/ミュージカル](シェール)、助演女優賞(オリンピア・デュカキス)
【1988年/第42回英国アカデミー賞】助演女優賞(オリンピア・デュカキス)

7年前に夫を事故で失ったロレッタは37歳の今まで独身を通してきたが、友人のジョニーからプロポーズされ、受け入れる。ジョニーは危篤の母に結婚の報告すべく故郷のシシリーへと帰郷するが、ロレッタに絶交中の弟ロニーに結婚式に出席してもらえるように頼んでいった。ロレッタはロニーを訪ねるが、彼は義手の片手を見せて、かつてジョニーとの会話に気をとられていてこうなったと、不仲の理由を告げる。同情したロレッタは、ロニーのアパートに行き食事を作ってやるが、お互いの主張をぶつけ合ううちに、激しい恋の炎に火がついてしまい…というストーリー。

学生のころ劇場で観たが、同時上映だった別の映画が目的だったと思う。でも、今となってはその同時上映が何だったか記憶に残っていない。当時は、恋愛モノになんて興味がなかったけれど、かなり衝撃を受けて、思わずパンフレットを買ったほど。
一度、抜群にうまいウナギを食べてしまうと、その後、ヘタなウナギなんか食べる気がおこらないのと同じで、その後、どんな恋愛映画を観てもピンとこない。未だに本作を超えるラブコメディにお目にかかっていない。本作を比べたら『マイ・ビッグ・ファット・ウェディング』なんてゴマ粒みたいなものだと思う。
また、ケラケラ笑えたりニヤリとしてしまうのがコメディじゃないんだ…と気づかせてくれたのも本作。だって本作をみてケラケラ笑う人はいないでしょ。でも、みんなコメディだと思っているよね。もう、究極に近い上質のコメディなんだと思う。

夫を失くしてしばらくたつ女性が、しっくりこないながらもプロポーズを受ける。しかしその弟と恋に落ちてしまい…というプロットを与えられたとしても、ここまで巧みな脚本を書けるだろうか。どのくらい巧みかというと、銀行の入金を忘れるくだりで、見ている側が「ああ、入金を忘れて、すったもんだあるんだろうな。ちょっと鬱陶しいかも…」を一瞬思うんだけど、ロレッタが入金を忘れていくのと同じように、観ている側もそのことをすぅ~っと忘れてしまうくらいである。
#ちなみに、『ダウト ~あるカトリック学校で~』の脚本も同じ人。近いうちに観る予定。

今観てもシェールは全然好みじゃないので、女性としてピンとこないんだけど(途中で髪を整えても、「いい女だなあ…」なんて全然共感できないんだよね)、でもそのおかげで客観的な目線になれて楽しめてるのかも。

この作品がつまらないという人は、わたしとは価値観の合わないですな…と思うほど名作。強くお薦め。
#ちなみに、劇中にオペラ「ラ・ボエーム」は、“ボヘミアン(社会の規範にとらわれず、自由で放浪的な生活をする人)”って意味で、登場人物にかかってるんだよね。そういうところも実に巧み。

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image1246.png公開年:1925年 
公開国:ソ連
時 間:66分
監 督:セルゲイ・M・エイゼンシュテイン
出 演:アレクサンドル・アントノーフ、グリゴリー・アレクサンドロフ、ウラジミール・バルスキー 他





1905年6月、戦艦ポチョムキンは、労働者のゼネストが行なわれているオデッサ港付近に碇泊。食料の牛肉に蛆が沸いていたことから、水兵たちの怒りが爆発したが、士官のギリヤロフスキーにより鎮圧され、食卓には腐肉のスープが並べられる…というストーリー。

何でこんな古い映画をいまさら観るかというと、映画検定的な目線…というか、映画のお勉強のため。常々観たいと思ってはいたのだ。『アンタッチャブル』の乳母車が階段を落ちるシーンが本作のオマージュだというのは有名な話。モンタージュ手法を確立した作品として映画史に輝く作品であるが、少し観ただけで、オマージュを捧げたくなる理由、その偉大さにすぐ気づく。アップショットのカット割りや、現在では当たり前の細切れのシーンを編集する方法が、1925年の段階で“完全に”確立されているということだ。要するに、今、我々がいうところの“映画”は、この作品が始まりだったといってよいのである(本作の前の『ストライキ』という作品も同様の手法らしいのだが、レンタルしていないので確かめる術が無い)。
ストーリーは、あくまでソ連のプロパガンダ映画なので極めて政治色が強く、決して楽しめる内容ではないのだが、とにかく技法の面では、驚きしか感じない。1925年って大正14年だからね。エイゼンシュテインという人、天才だよ。もっと広く評価されてもいいのにね。

ただ、そのストーリーも、今観れば、逆に革命思想の馬鹿らしさを揶揄しているように見えるのが不思議。とことんまで過剰に表現することで、遠い将来、逆の見方がされてもおかしくないように仕込んでいたとしたら、エイゼンシュテイン恐るべしなのだが(まあ、違うだろうけど)。

いやいや、久々に驚いた。娯楽作品としては一切お薦めできないが、学術的な価値はあまりにも高いので、映画を語りたいならば、見ておくべきかも。

#本作に登場するオデッサの階段が、セットではなく実物なら、行って記念写真と撮ってみたいね。

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image1526.png公開年:2009年 
公開国:イギリス
時 間:97分
監 督:ダンカン・ジョーンズ
出 演:サム・ロックウェル、ドミニク・マケリゴット、カヤ・スコデラーリオ、ベネディクト・ウォン、マット・ベリー、マルコム・スチュワート、ケヴィン・スペイシー 他
受 賞:【2009年/第63回英国アカデミー賞】新人賞(ダンカン・ジョーンズ)
コピー:契約期間:3年 赴任地:月 労働人数:1人
このミッションは何か、おかしい。


近未来の地球では、エネルギーが枯渇するも、月に新たな燃料(ヘリウム3)が存在することがわかり、それを採掘し利用している。宇宙飛行士のサムは燃料採掘会社ルナ産業と3年の労働契約を結び、人工知能を搭載したロボットを相棒に、採掘から輸送までをたった独りで行う。地球への帰還が迫ってきたある日、唯一の慰めだった妻との通信が、衛星事故で不能になってしまい、孤独に耐える日々が続いていた。そして、任期も残り2週間となった時に、作業中に事故を起こして気を失ってしまい、診療室で目覚めると、そこに自分と瓜二つの人間がいることに気付くのだった…というストーリー。

実は、『ザ・ムーン』や『人類、月に立つ』のようなドキュメント系と勘違いして借りてしまった。もちろん単なるSFである。

詳細を書きすぎると観も蓋も無いので避けたいところではあるが、書かないわけにもいかないので遠まわしに書こう。私の印象は、鉄腕アトムの“イワンのばかの巻”と火の鳥の生命編を混ぜたようなハナシって感じ(出てくるロボットの行動はロビタそのものだしね)。
火の鳥ルナ編を前後編でお送りします…って感じなら、まあ許せるけれど、2009年にもなってこんな古典的な直球SFの映画が作られるとは、ある意味驚きを覚えるほど。

ラスト近くになって、火の鳥が登場。
男「私はなんでこんな目にあうのですか」
鳥「あなたは前世でこれこれこういう罪を犯したのです。よってあなたは永遠に死ぬことなく世界を、いや地球を見続けるのです」
男「そんなのはイヤだ!妻にも子にも会うことができない!生きる意味はない。私はどうやったら死ねるのですか!」
鳥「それは大いなる宇宙の意思のみが知ること」
男「あなたは神ではないのですか?!」
鳥「生きなさい、サム…、生き続けるのです…」
って、そんなラストがお似合いな映画である。だから、ラストの「あのクローンとかいってるやつは、とっつかまえちまえ!」みたいな、ウィットもひねりもないセリフにはうんざりしてしまった。まあ、ルナ社が韓国系企業だってのは、ちょっと笑えるけど(今のリチウム確保に必死な様を考えると、わからなくもないものね)。

でも、結果としては駄作ということかな。直球だけど棒球なので、その球じゃドラフトにはかからないよね…って、そんな感じ。お薦めしない。

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image0603.png公開年:1977年 
公開国:香港
時 間:105分
監 督:チェン・チー・ホワ、(総監督)ロー・ウェイ
出 演:ジャッキー・チェン、ルン・ユァン、クム・カン、ユン ピョウ、ルン・ユァン、クム・カン、カム・カン 他





幼いころに殺された父の仇を討つために、少林寺の門弟になり過酷な修行に耐える小唖。ある日、寺の裏の洞窟に男が監禁されているのを発見。その男は10年前に少林寺の掟を破った為に拘束されていたのだが、食物や飲物を運ぶうちに仲良くなり、カンフーの手ほどきを受けるまでになる。また、日中は少林寺の館長の友人である尼僧からも拳法を学び、小唖はますます力をつけていき、とうとう「木人」に挑戦する日がやってくる…というストーリー。

関西に出張にいっていたのだが、無性に本作を観たくなったのだった。よく中川家がコントでやってるのを思い出したんだろうね。全然、ジャッキーの顔立ちが違って、整形したといううわさは本当みたい。本当に中川家のお兄ちゃんみたいな顔。

前半は稚拙な場面繋ぎが乱発され、後半になるとカンフーシーンに奇妙な編集が。黒澤明が、アクションシーンに緊迫感やスピード感を出すためにはコマを抜け!みたいなことを言っていて、実際にそういう編集をしているのだが、本作は、よくツボがわからないまま無造作にコマ抜きをして、変な感じになってる模様。

ストーリー面も、妙に登場人物が多くて、いささか異様。洞窟の男に尼僧はもちろん、酔っ払いの先輩や寺の館長、さらに仇とおぼしき謎の拳法の使い手に先代の大師匠。まるで、『NARUTO』を1シリーズを100分にまとめたくらいの、達人の波状攻撃。それこそ香港流のシナリオ本の無い撮影で、思いつきでシナリオを変遷していったんだろうということが窺える。
また、根本的に、タイトルでもある木人が実に珍妙で、動きのコミカルさはもちろんだが、木人自体にどれだけの意味があるのか、さっぱりわからない。

しかし、本作は、ジャッキー最初期の大傑作。これらヘンテコな要素に加え、“ご都合主義”以外の何者でもないストーリーを、とにかく大真面目に展開していくと、光が見えてくるものなのだ。『ザ・ワン』の時にも書いたが、閃いたアイデアが脳内でボケてしまうまえに、余計なことを考えずとにかく突っ走ることの大事さ、である。
映画のテクニックの稚拙さと、作品の面白さは、比例するわけではないといういい例である。

カンフー映画なんて観ないよという人がいるかもしれないが、娯楽としての映画に何が必要なのかが、はっきりわかる作品なので、観ておくべき一本だと思うので、お薦めする。

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image1498.png公開年:2009年 
公開国:アメリカ
時 間:103分
監 督:ピート・ドクター、(共同監督)ボブ・ピーターソン
出 演:エドワード・アズナー、ジョーダン・ナガイ、ボブ・ピーターソン、クリストファー・プラマー、デルロイ・リンドー、ジェローム・ランフト、エリー・ドクター、ジェレミー・レアリー 他
受 賞:【2009年/第82回アカデミー賞】作曲賞(マイケル・ジアッキノ)、長編アニメ賞
【2009年/第67回ゴールデン・グローブ】音楽賞(マイケル・ジアッキノ)、アニメーション作品賞
【2009年/第63回英国アカデミー賞】作曲賞(マイケル・ジアッキノ)、アニメーション賞
【2009年/第15回放送映画批評家協会賞】音楽賞(マイケル・ジアッキノ)、長編アニメ賞
コピー:愛する妻が死にました──だから私は旅に出ます

妻エリーに先立たれ一軒家に一人で暮らす老人カール。家の周囲が開発される中、妻との思い出があふれるこの家をかたくなに守り抜いてきた。しかし、とある事件によって、家を立ち退き老人施設に入らなければいけなくなってしまう。迎えた立ち退きの日、大量の風船を使って家ごと大空へと舞いあがり、エリーの夢だった南米パラダイス・フォールへと向かうのだった。しかし、空飛ぶ家の玄関に、少年ラッセルがしがみついており…というストーリー。

ピクサー映画は基本的に嫌いではない。『トイ・ストーリー』などキャラクラーや雰囲気など、面白いとは思う。しかし、物語・脚本として、純粋に良い評価をしたくなるようなものは、これまで無かった。

コピーしかり、日本のプロモーションにおいて“老人”の部分をやたら押していたので、『つみきのいえ』を想像してしまい、なにやらかび臭い作品なのかと危惧していたが、まったくそんなことはなかった。“老人”というファクターがアニメとして受け入れられにくいのではないか?という危機感からだったと理解はできなくもないが、完全に杞憂。しかも杞憂どころか、いささかミスリード的宣伝になってしまったと思う。特に野村監督夫妻を引っ張りだしたのは、結果として失敗だったろう。ちょっと作品を汚してしまったかな。
なんとなく、ジブリアニメのタイトルみたいな邦題だが、本作を観ればわかると思うが、かなりズレてる。原題の“UP"は中々秀逸だと思うので、なんとか邦題でも生かせなかったのか、いささか残念にも感じる。

冒頭のカールとエリーの出会いから、その後の結婚→別れという長い期間を台詞なしで表現する映像は、そのシーンの表現力のすばらしさはもちろん、後の伏線としての効果がものすごく高い。普通の市販の風船で家を持ち上げるという荒唐無稽なギミックははじめっから見えているので、その他に物理法則やら技術的に無理が生じていても、そういう映画だから…と、ツッコむ気はおきない。そういう下地作りがカッチリしているので、ファンタジーとして、すんなり受け止められる点も実に秀逸である。
犬の会話マシンだって、市販されているのは、吠える声の高さや抑揚などで判断するので、無言の犬の気持ちがスピーカーから聞こえるなんて有り得ないんだけど(だって、それじゃテレパシーだもんね)、それをなんとなく成立させる話の勢いがある。
南米到達時に、家を徒歩で牽引する時に、杖はどこから?と一瞬思ったんだけど、家から落ちるときに、さりげなく杖も一緒に落ちてるワンカットが差し込まれているんだよね。そういう整合性における緻密さはしっかりしているんで、決してちゃらんぽらんなわけじゃない。

映像技術に溺れなかったという点でも評価したいし、日本語吹替えに、素人のタレントを持ってこなかったのもよかった。というか、ここまでデキのよい作品を、浅はかなプロモーションのためだけにタレントを引っ張り出してマイナス要因をつくって、作品自体を台無しにするような勇気が、日本の配給会社側には無かったってことだろう。それだけデキがよいってことだと思うけどね。
#今後、海外アニメの吹替えに、まともに声優なんかできそうもないタレントが起用されるか否かって、一つのモノサシになるかもしれないね。

『WALL・E』の二倍くらい良い出来映えだと思うので、お薦めする。観て損はなし。ピクサーで3本映画をチョイスしろといわれたら、間違いなく入れる。いや、一本選べと言われれば、おそらく本作かな。

#立ち退き話や、子供の家庭環境等々、アメリカって夢も希望ない社会なんだな…とつくづく感じる。アニメごときで何をいってるの…っていう人がいるかもしれないけど、そういう社会事情がベースになってこそ、成立する脚本なので、これがヒットするってことは、実際にそういう社会なんだと思うよ。

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image1493.png公開年:2009年 
公開国:アメリカ
時 間:101分
監 督:スパイク・ジョーンズ
出 演:マックス・レコーズ、キャサリン・キーナー、マーク・ラファロ、ローレン・アンブローズ、クリス・クーパー、ジェームズ・ガンドルフィーニ、キャサリン・オハラ、フォレスト・ウィッテカー、ポール・ダノ 他
受 賞:【2009年/第67回ゴールデン・グローブ】音楽賞(カレン・O、カーター・バーウェル)
【2009年/第15回放送映画批評家協会賞】若手俳優賞(マックス・レコーズ)、衣装デザイン賞(ケイシー・ストーム)、歌曲賞(“All Is Love”Nick Zinner、カレン・O)、音楽賞(カーター・バーウェル、カレン・O)

8歳のマックスは、母と姉と3人暮らしだが、母の仕事は忙しく姉もかまってくれない。ある日、母親の男友達が家に来ていたときに、悪さをして母を激怒させてしまい、勢いでマックスは家を飛び出してしまう。すると、いつのまにか不思議な世界に迷い込み、ボートで海を渡っていくとどこかの島に到着。そこには、大きな体のかいじゅうたちが暮らしており、なぜかマックスは王様と勘違いされ迎え入れられるのだったが…というストーリー。

童話というのは、グリムしかりアンデルセンしかり、他の小説なんかよりも多分に心理学的な要素を含むものだ(だから、“本当は怖い○○童話”なんてノリの書籍が成立する)。しかし、これら普遍的ともいえる長く残っている作品の心理学的側面は、説明されれば「ああ、そうか」と思うレベルで、読んでいるときは、なんとなく引っかかる程度のもの。そのひっかかりこそが読者の心を捉えるわけである。

しかし、本作については、あまりにも直球すぎるのだ。KWが母の投影で、ダグラスが自分の投影で、さらにKWの口の中に隠れた後に出てきて、精神的に成長する…なんて、隠喩でもなんでもない。評判の原作らしいのだが、原作もこんな感じなんだろうか。あまりに浅いというか、表現に芸がないというか。

不思議な生き物が出てくるファンタジーだと思って子供に見せると怪我をする作品かな。かいじゅうたちが繰り広げる感情のぶつけ合いは、保育園で見られるような行動だと思うが、時に子供とは残酷で痛々しいものだ。むしろ本作はその側面をクローズアップしているところがあり、見ていても“愉しそうだなぁ”とは思わない。
感情をストレートにぶつけあうかいじゅうたちは、当然のごとくうまい関係は築けない。それをみなまで見て、相手をおもんばかることの大切さに気付いたマックスは、実社会に戻って大人になりましたとさ…。夢、無いね。これは童話ではないよ。大人が観る童話もどきなオハナシ。

映像的なメインの売りである、かいじゅう自体のキャラクターも、もちろん単純なかわいさもないし、キモかわいくもない。かいじゅうの世界も夢を感じるわけもないし、遠い記憶がくすぐられるわけでもないし、特段ノスタルジーを感じるわけでもないし、魅力がない。脚本的にも演出的にも評価すべき部分はない…となれば、見た目も話しもイマイチとなるわけで、よほどお暇でない限り、観る必要もないということになる。

#スパイク・ジョーンズには不向きなノリだったってことなのかぁ…。

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image1198.png公開年:1984年 
公開国:アメリカ
時 間:114分
監 督:ジョン・カーペンター
出 演:ジェフ・ブリッジズ、カレン・アレン、チャールズ・マーチン・スミス、リチャード・ジャッケル、ロバート・ファレン、トニー・エドワーズ、ジョン・ウォルター・デイヴィス、テッド・ホワイト 他
ノミネート:【【1984年/第57回アカデミー賞】主演男優賞(ジェフ・ブリッジス)
【1984年/第42回ゴールデン・グローブ】男優賞[ドラマ](ジェフ・ブリッジス)、音楽賞(ジャック・ニッチェ)

夫スコットと死別したジェニーは哀しみに暮れる毎日を送っていたが、ある日突然、夫に生き写しの男が現れる。彼はボイジャー2号と遭遇して地球のことを知り、飛来した異星人で、彼女の家にあったスコットの遺髪から、遺伝子情報を読み取り、そっくりの姿になったのだ。彼は宇宙船との会合地点に向かうためにジェニーを連れて行くが、次第にスコットそのもののように地球人らしくなる彼に親しみを覚えるようになる。一方、軍も彼の存在を把握しており、捕獲するべく作戦を開始。徐々に二人は追い詰められていく…というストーリー。

知り合いからDVDを借りたのだが、そのジャケットには“愛・宇宙はるかに”という副題はなかったような…。ちょっとダサい副題だが、副題というよりもコピーみたいなものなのかな(日本公開時にはコピーがついていないので)。また、いささか特撮や映像表現が陳腐に感じられる部分があるが、それは時代を考慮して差し引いて観るべき。

『E.T.』や『コンタクト』なんかを思い出さずにはいられないのだが、スピルバーグやゼメキスなどのメジャー監督と、ジョン・カーペンターの違いが如実にわかる作品。とてもベタベタな演出が多いし、情緒的。宇宙人を扱っているとはいえ、科学的な側面は限りなく低いし、大人のファンタジーといった趣で、なんといってもロードムービー仕立てだ。
#アリゾナ隕石孔付近のみやげ物屋さんは、『マーシャル博士の恐竜ランド』に出来てきたのと同じ感じだけど、おそらくああいう観光スポットって似た感じなんだろうね。でも、アリゾナ隕石孔は見てみたいものだ。日本にはありえないものね。

コピーとの恋…と考えると、ちょっと気持ちの悪い倒錯に思えちゃうんだけれど、それをこえた感情や交流をうまく表現できているのでセーフ。不妊にお悩みの方には不快極まりないかもしれないが、ジェニーの諸々の苦しさは伝わってくるので、それが少しでも解消され、それを解放してくれるのが、見ず知らずの宇宙人との心の交流ということで、くだらないと思いつつも、ちょっと感動してしまった。

まあ、ジョン・カーペンター自身の脚本ではないので、らしくないといえばそうなんだけど、でも、恐怖路線にしてもファンタジー路線にしても、“情緒的”という点は共通しているわけで、彼の特徴といってもいいのかな…と。でも、ジョン・カーペンターの脚本なら、SETIの役人が痛い目に合ってるはずだよね(笑)。

案外、拾い物なので、未見な人はどうぞ。ただ、吹替え音声はないのでご注意を。
#米アカデミー男優賞にノミネートされているが、まあ、なにかの間違いでしょう…って、失礼か。でも、演技にはさほど感心はしなかったね。

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imageX0013.png公開年:1963年 
公開国:フランス
時 間:121分
監 督:アンリ・ヴェルヌイユ
出 演:ジャン・ギャバン、アラン・ドロン、ヴィヴィアーヌ・ロマンス、モーリス・ビロー、ジャン・カルメ 他
受 賞:【1963年/第21回ゴールデン・グローブ】外国映画賞
コピー:カジノ地下金庫にねむる 十億フラン強奪に賭けた 最後の大バクチ!!
ビートニックなモダン・ジャズが奏でる不朽のサスペンス大作!(リバイバル時)


5年の懲役を終え出所したシャルルは、足を洗ってほしいという妻の願いを無視して、カンヌのパルム・ビーチにあるカジノの賭金を強奪しようと計画。相棒として、刑務所で目をつけていたフランシスとその義兄ルイを仲間に入れた。賭金がどのように金庫に運ばれるのかを確認し、段取りをつけ、各自の役割が決まり、いざ決行の夜となり…というストーリー。

モノクロ・バージョンとカラー・バージョンが存在するようなのだが、BSで放送していたやつは白黒で、それを鑑賞。

ジャン・ギャバンの渋い演技で始まり、その渋さを際立たせるためなのか、スタイリッシュな音楽とカメラワークが良い。鏡や影と使った表現など、なかなか凝っている。ところが、途中からアラン・ドロンのシーンばかりになると、そのスタイリッシュさや、すばやくて喰い気味の高速編集とかが、白々しく感じてられ、飽き飽きしてくる。あまりにダラダラしていて、観るのをやめようかと思ったくらい。
#1場面が切り替わっただけで、一週間たって付き合い始めているという…。

子供のころ、世の女性達がアラン・ドロンをかっこいい男の代名詞にしていたが、本作の彼を見ていると、それもわからないでもない。なんとなく、上目遣いで白めがちになった時とか、若い頃のジョニー・デップに似ていなくもない。でも、格好はよくても、彼のシーンはつまらない。アラン・ドロンのせいじゃないとは思うけどね。相当な滞在費はどこから出てるのか?とか、アホなチンピラのわりにはうまくコトが進みすぎていてご都合主義だとか、色々。

でも、なんとか最後の30分近くになって、計画が実行されるとグイっと盛り上がってくる。…が、残念ながらラストが「はあ?」なのだ。なんで金の受け渡し場所が、警察が捜査しているであろう現場なのか?とか、水に沈めるのにしっかり口を閉めないのはなぜか?とか、あまりにトホホすぎて、余韻を愉しむことなんかできない。
もうちょっとしっかり練れば、よくなりそうな気もするのだがね。もうちょっとジャン・ギャバンで押せば違ったかもしれないよ。ということで、昔の映画だってことを差し引いても、あまりお薦めできない。ちょっと観た時間が無駄だったな…と。私には本作の良さがわからず。

#通気抗とエレベーターのショットは『ダイ・ハード』が引用してるのかな。

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クボタカユキ
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出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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