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公開国:日本
時 間:98分
監 督:押井守
出 演: 平野文、古川登志夫、神谷明、杉山佳寿子、島津冴子、鷲尾真知子、田中真弓、千葉繁、村山明、野村信次、二又一成、緒方賢一、佐久間なつみ、池水通洋、安西正弘、西村知道、永井一郎、藤岡琢也 他
文化祭前日の友引高校は、準備の大詰めで大騒動。連日徹夜続きで意識の朦朧とした生徒や教師たちによって異様な空気が醸しだされていた。しかし、夜が明けても、生徒たちは当たり前のように文化祭の準備を始め、疑問を持つ者は誰一人としていない。友引高校は同じ日を延々と繰り返しているのだった。そんな中、温泉マークが過労でダウン。サクラによって強制的に帰宅を命ぜられる。その後、誤ったクスリを処方したことに気付いたサクラが温泉マーク宅を訪れると、そこにはカビに埋もれた温泉マークが。もしや同じ日を繰り返しているのでは?と感づいた二人は、教師・生徒を強制的に帰宅させ様子をみることに。ところが、無事家に帰ることができたのはラムとあたるだけ。他の生徒はどうあがいても高校に戻ってきてしまう。サクラは錯乱坊の助力を得ようとするが失踪。さらに温泉マークも行方不明になってしまう。結局帰宅できなかった面々は、仕方なく諸星家に一泊する。翌朝、再び繰り返される文化祭前日に違和感を感じたサクラと面堂は、その夜に一同を引き連れて校舎の調査を実施。しかし、不条理な空間に紛れ込み退却を余儀なくされる。面堂は町内に隠していたハリアーを使って友引町からの脱出を試みるが、そこには、円形に切り取られた友引町が、巨大な亀の石像の背中の上に乗り宇宙空間に浮かんでいる姿があるのだった…というストーリー。
年齢が推測されてしまうが、本作は劇場へ観にいった。私はそれほどでもなかったのだが、同級生にファンがいて付いていったのだ。ただ、正直TV放送のイメージと本作のギャップに完全に面食らったのを覚えている。その勢いで観終わった後に、結構な量のグッズを買ってしまった記憶がある。
もう、時効だと思うので白状してしまうが、劇場にテープレコーダーを持ち込んで録音していた。その後、寝ながらよく聞いていたので、ほぼセリフは覚えている。そんな睡眠学習にパワーを使わずに、勉強していたら、その後の人生は全然違っていただろうと思う(笑)。
セリフが今になっても記憶から消えないのは、睡眠学習のせいではない。内容(台詞回し)がキレキレだからである。その後の押井守も似たようなノリではあるが、字面を見ないとスッと入ってこないセリフが多い。しかし、本作は子供向けアニメというベースのおかげか、平易な単語が多く、いわゆる“オタク”的なセリフなのだが、実に耳障りがいい。はっきりいって声優陣のセリフ廻しはうまくない(特にサクラ先生とか)。でも、それが逆に生きるセリフだったりする。間違いなく押井守の最高傑作だと思う。
#今なら、間違いなく何らかの映画賞を受賞していただだろうね。
ウルトラマンなど、今なら版権でモメそうなカットが多数。おふざけの部分も雑さが、荒さが勢いに繋がっている。温泉マークと角刈りが似てるところとか、アニメ独特の部分も効いている。
改めてみると、あたるとかメガネたちが食ってるそうめんの色は緑だな。グリーン麺か。スタッフに道民が混じってるな(笑)…とか、ああ、『ウルトラマンサーガ』でAKBがやってたの、このパクりだな…とか、色々、新たな視点で観ることができた。
#前作の『オンリー・ユー』と『ビューティフル・ドリーマー』の差は、クレヨンしんちゃんの駄作と良作の差に近いかも。
公開国:アメリカ
時 間:117分
監 督:ジャン・ピエール・ジュネ
出 演: シガーニー・ウィーヴァー、ウィノナ・ライダー、ロン・パールマン、ダン・ヘダヤ、J・E・フリーマン、ブラッド・ドゥーリフ、マイケル・ウィンコット、ドミニク・ピノン、ゲイリー・ドゥーダン、レイモンド・クルツ、リーランド・オーサー、キム・フラワーズ 他
コピー:あなたは「復活」を目撃する。
冥王星の近くに停泊する宇宙船オーリガ号内の研究施設で、200年前にエイリアン・クイーンの幼生を体内に宿したまま命を絶ったリプリーのクローンが生まれていた。そして、再生したリプリーの胸からはエイリアンの幼生が取り出され、ベレズ将軍により生物兵器として利用されようとしていた。再生したリプリーは研究用に生かされることになったが、不思議なことに彼女はオリジナル・リプリーの記憶の一部を持っており、一方、エイリアンが持つ凶暴性や運動能力も引き継いでいた。そのころ、密輸船ベティ号がオーリガ号に到着。積荷はベレズ将軍の依頼で誘拐されてきた、冷凍睡眠中の宇宙船乗組員たちで、将軍は彼らをエイリアンの宿主に使おうとしていた。ベティ号乗組員の一人コールは、船内にリプリーがいることを知り、彼女の独房に侵入し真相を聞きだすのだったが…というストーリー。
今回は、DVDのメニューで選択できる完全版というのを鑑賞。オープニングとラストにカットが追加になっている模様で、主軸のストーリー部分に差は無い模様。ラストでリプリーたちが地球に降り立つシーンは意味があると思うが、冒頭の“エイリアンのような口の虫”の意味や必要性はわからん。
製作には『エイリアン3』のゴードン・キャロルとデイヴィッド・ガイラーや、シリーズ全部に携っているウォルター・ヒルらが名を連ねている。エイリアンシリーズは、シリーズとしての一貫性と整合性を確保しつつ、あとは監督の色を存分に出してください!っていう作品群。よって、本作もジャン・ピエール・ジュネの趣味が爆発していればよろしい。
本作のリプリーはクローンで、一部の記憶を引き継いでいるとはいえ、所詮別人。純粋にシリーズを継承しているとはいささか言い難く、ある意味、ストーリーもスピンオフ作品といっても過言ではないくらい。シリーズの傍線といってもよいほど。そこで、ジャン・ピエール・ジュネ独特の映像センスが光ってくる。元々様式美が重要なシリーズなので、デビッド・フィンチャーが好きな私でも『エイリアン3』よりも、本作の彼独特の映像が私は好みである。
#ただ、直接的なグロシーンが格段に多くて、ここが好き嫌いが別れるところかも。
クローンリプリーの強烈なキャラクターに、ロン・パールマンなどの個性的なキャラクターが負けていないのも魅力。ジャン・ピエール・ジュネとロン・パールマンといえば『ロスト・チルドレン』。キャスティングにも監督の意向が強く出ていると考えてよかろう。
本当は本作の続編が製作されることを期待していたが、諸事情により『プロメテウス』になってしまった。『プロメテウス』は結構お気に入りではあるが、そちらが一段落した後は、再度、続編に戻って欲しい。だが、今となっては、かなり時間が経ってしまい、シガニー・ウィーバーもウィノナ・ライダーも相当劣化してしまったので、素直に5作目を作るのは難しい。本作では、エイリアンを利用しようとしている日系企業“ユタニ”社が倒産している世界ということで、やはり傍系の色が濃い。そこで、『プロメテウス』の流れで、3と4の間の200年間を描いてほしいと思う。ユタニ社が衰退していく経緯なんかをね。
当時は、イマイチ不評だったかもしれないけど、時が経って味が増してくる作品。
公開国:アメリカ
時 間:85分
監 督:マイク・ジャッジ
出 演:ルーク・ウィルソン、マーヤ・ルドルフ、ダックス・シェパード、テリー・アラン・クルーズ、アンソニー・“シトリック”・カンポス、デヴィッド・ハーマン、ジャスティン・ロング、トーマス・ヘイデン・チャーチ、パトリック・フィスクラー、アンドリュー・ウィルソン、ヘザー・カフカ 他
アメリカ国防総省は、極秘で人間の冬眠プログラムを進めていた。その被験者には、平均中の平均的な能力の持ち主である男性ジョーと、売春婦のリタが選ばれた。しかし、実験の終了は1年後の予定だったが、プログラム責任者の汚職が発覚し追放に。同時にプログラム自体も闇に葬られてしまい、実験施設も処分されてしまう。そのまま彼らがカプセルに入ったまま、500年が経過する。 目覚めたジョーが見た未来の世界は、国民の知的レベルが著しく低下しており、経済は崩壊し、自然環境も破壊しつくされていた。元の世界では平均的な男だったジョーは、この世界では大天才。その言動は奇人と見られ、収監されてしまう。何とか脱走したジョーは、この世界にタイムマシンが存在すると聞き、そこを目指して奔走するのだったが…というストーリー。
馬鹿が繁殖していくというアイデアは、おふざけ設定なのに、もの凄く説得力があった。実際、そうなんじゃないかと本気で思えてくるくらい。インテリ層が子供を作るのに何だかんだ理由をつけて躊躇しているのは事実だもの。もちろん、馬鹿の子が馬鹿だという遺伝的な根拠が無いのは明らかなのだが、アメリカの場合、一度底辺に落ちてしまうと、まともな教育機会が与えられることはない環境なので、実にリアリティがある。そして500年後の世界は、ピラッピラのジャージのチンピラ風や、ラッパーまがいのファッションの馬鹿人間で溢れかえった社会。案外、アメリカ中流社会の潜在的な不安を見事に投影しているのかもしれない。
ゴミで溢れかえった社会や、砂漠化した世界など、未来SFとして、至極真っ当な描写なのも、侮れない。
#『エイリアン バスターズ』もそうだったが、COSTCOは恰好の笑いのネタな模様。
尻、股間、中指立てまくりのシーンのオンパレードなので、おそらくアメリカでもR指定だったと思われる。
二度目の逮捕の後、ストーリー的に手詰まりの感があったが、収監時の知能テストの結果のおかげで大統領のスタッフに召還されるという展開は悪くない。あとは、ひたすら悪乗りを繰り返せば良いので、うまい持っていき方だ。
ただ、展開のし易さと引き換えに、冒頭のリアリティを失ってしまったのが残念。なんとかして、地味にリアリティあるじゃん…という質をキープできれば名作になったと思う。
最後のエピローグで、リタの売春を斡旋していた男もカプセルに入っていました…っていうのは、まったく無用。彼がプログラムに参加した理由も思いつかないし、整合性もない。蛇足。
ちょけた邦題で、B級の臭いを前面に漂わせているけど、それなりの快作。
公開国:アメリカ
時 間:88分
監 督:ジョナサン・リン
出 演:レスリー・アン・ウォーレン、ティム・カリー、アイリーン・ブレナン、マデリーン・カーン、クリストファー・ロイド、マイケル・マッキーン、コリーン・キャンプ、マーティン・マル、リー・ヴィング 他
1954年、ニュー・イングランドにあるとある大邸宅に、6人のゲストが招待される。執事ワズワースはゲストに偽名を付け、お互いの身元を明かさないまま屋敷に招き入れる。お互いに警戒する中、パーティが始まり、遅れて主人の席にミスター・ボディがやってくる。そして、彼らの秘密が執事から明かされる。6人の正体は、上院議員ピーコック夫人、未亡人のホワイト夫人、精神料医プラム教授、官僚グリーン氏、マスタード大佐、女性の斡旋業をしているスカーレット。そして、6人の共通点は、全員がミスター・ボディに恐喝されていたということ。それを知った6人は一斉にミスター・ボディに襲い掛かる。その瞬間、屋敷が停電。電源が復旧すると、そこにはミスター・ボディの死体が横たわっており…というストーリー。
DVDのメニューで、3つのエンディングがあることが判る。3つを全部観るモードと、ランダムでどれかが選択されるモード。なんだこりゃ?と誰でも思うだろう。この作品の元ネタがボードゲームで、誰が犯人かはゲームの展開で変わるので、それを映画でも引き継いでいるとのこと。『逆転裁判』のようなゲームの映画化というのは多々あるが、ボードゲームの展開までも作品に持ち込んだ例は、他に無いだろう。かなりの珍作である。
執事役はティム・カリー。『ホームアローン2』でホテルの接客係を演じていた、ちょっと外斜視ぎみで鼻の下の長い俳優さん。彼がこのお話をすべて引き回しているといってよい。彼がドタバタの中心。
私は、その趣向の意味が理解できないまま、3つのエンディングを全部観るモードを選択。普通に謎解きを行いめでたしめでたし…となったところで、“こんな終わり方はどう?”的な感じで別のオチが始まる。それがもう一度。トリックは基本的に同じなのだが、動機が大きく異なるという感じかな。
たが、冷静に考えれば、誰でも犯人にできるということ。それまでの話はどうとでもなるレベルの内容をいうことを意味しており、まともな謎解きが存在しないということになる。私は素直に、犯人は誰なのかな?と色々考えていたが、まったく決め手を掴めずにいた。結局、追加で登場した人物もすべてが恐喝する側かされる側。ちょっとした疑わしいヒントもすべて投げっぱなし。そりゃそうだ、どうにでもなるように作られているんだもん。そしてオチを観て、なんじゃそら…と。誰が犯人なのかと真剣に観ていた人は、がっかりすること必至である。
趣向だけで、肝心の内容がいいかげんな作品。そのオチになっても、それまでのストーリーがすべて無駄になっていないと感じるほど、作りこんでいればカルトムービーとして歴史に残ったかもしれない。
公開国:イギリス、日本
時 間:75分
監 督:デレク・ジャーマン
出 演:クランシー・チャセー、カール・ジョンソン、マイケル・ガフ、ティルダ・スウィントン、ジョン・クエンティン 他
ルードヴィヒ・ヴィトゲンシュタインは、1899年にウィーンで工業界の大物であったユダヤ系富豪の息子として生まれる。ケンブリッジ大学に進学した彼は思想家バートランド・ラッセルの援助を受けながら論理研究重ね、そこでケインズらとの親交を深める。その後、第一次大戦に志願兵として従軍中に、『論理哲学論考』完成し。復員すると、オーストリアの小学生教師として教鞭ととるが、体罰事件により教職を追われる。その後、各地を転々とするが、1929年にケンブリッジに戻り、再び哲学研究に打ち込み、1951年に前立腺がんで亡くなる。20世紀の哲学者ルードヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの生涯とその思想を映像化した作品。
『ドッグヴィル]のように、ほぼ全編、薄暗い舞台上で演じられる。『アイム・ノット・ゼア』と同じで、本人を良く知らないと、ピンとこない作品って結構あるね。本作もその一つ。哲学の本を読んでいれば、現愛哲学の中で必ず出てくる人だけど、解説している人もよくわかっていないのか、ヴィトゲンシュタインの項はよくわからない記述が多い。
#まあ、世の中の事象を論理学記号で表していこう…っていうか、表せるよって、そんな風に書いてるよね。
あまりに判らないので、wikipediaのルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの欄を見ながら、はじめから鑑賞し直した。すると、いくらかスッキリ腑に落ちる。腑に落ちる…というか、奇抜で抽象的な表現が、彼の生い立ちの何を指しているかが判る…という意味だが…。
参考資料を観ながらじゃないとピンとこない映画ってのもいかがなものかと思うが、やはり、ヴィトゲンシュタインを知っている人のための作品ということだ。
ヴィトゲンシュタイン自身は良く知らないが、彼の人生で登場する人物が早々たるメンバー。アドルフ・ヒトラーとかケインズとか。ケインズが彼をやたら評価していた模様だが、両者ともその書籍の内容は、極めて難解であるというのも共通点。時間が経って読み解かれた内容を読むと、価値のあることを論じていることは確かなのだが、おまえの表現能力が稚拙なせいで、わかりにくかっただけやんけ!って、いうのも共通している。
結局、哲学なんていうものは、“存在”をどう証明するか。その方法論を“実在”を使わずに証明する試み。それだけ。“だけ”っていうけど、それが簡単じゃない。さあこの作品から彼の思索を知ろう!という気にはなるのだが、本作は彼の哲学的思索を綴ったわけではなく、奇抜な人生がつらつらと描かれている。その切り口で展開するので、“狂人”としての側面が強調される。狂人のたわごとの先に何かあるか。無いな。欠乏した愛への渇望をこじらせた人に写る。しかし、彼が幼少期に愛を得られなかった状況や原因は、この作品では一切描かれていない。
哲学自体の意味に疑問を抱き第一次世界大戦に参加するも、いざ参加してみるとおかしな様子に。そのおかしな様子のおかげで『論考』が出来上がったと考えれば悪いことではないので、そこまではまあ理解できても、復員後に何故か教員になることを選択のは理解しがたい。なにか深い考えや志があるのかと思いきや、子供が自分の思うように理解できなければ体罰を振るうって、どうかしている。時代が違うっていう人がいるかもしれないけど、当時だって大問題になって追放されている。
これで疎外感を味わった…って、そりゃそうだろう。ヴィトゲンシュタインがおかしいのだから。
ヴィトゲンシュタインは、他者への共感が薄い…というか、普通なら他者の痛みに自然に共感できるのだが、それができていない人に見える。私の予想だが、おそらく痛覚が薄い人だったのではなかろうか。共感が薄いからこそ、感情や直感に溺れず他者とは違った切り口ができたのだが、それが災いして他者へ自分の考えを共有させることが困難になっている模様。共感力がすくないのに、公共の言葉で表現しようという、間逆の帰結になる。
じゃあ、その言葉を公共のものにするにはどういう手順を踏めばいいのか。結局、共感という個人の感覚。それが、各自同じであるという確認不可能な前提に立たねばならないという矛盾にぶつかる。彼は共感の能力が欠如してるのだがらそれをすることができない。でも、自分に無いものが確かにあることだけはわかる。だから苦悩する。そんな矛盾にぶち当たるまでに何年かかってるのかと…。そしてそれを超えられずに狂っていくって、悪い言い方だけども滑稽である。
名のある哲学者って、自分が探求していると思っているのかもしれないけど、、実は、後人のために自ら実験台になってくれている人だと、私は思う。こういう狂人がいるからこそ、われわれは哲学を冷静に眺めることができるわけで、“実験台”の様子をつらつらと綴る本作のような作品には、意味があるな…と。
なーんて、哲学に造詣の深くない私なんぞが、批判するのもおこがましいんだけど、これが本作を観た素直な感想でありんす。
監督も同性愛者でエイズで亡くなった人だとか。そういうシンパシーを基盤に語られても、私には何も響きませんなぁ。お薦めはしません。奇作。
公開国:アメリ、ドイツ、イギリス、オランダ
時 間:90分
監 督:フランク・オズ
出 演:マシュー・マクファディン、キーリー・ホーズ、アンディ・ナイマン、ユエン・ブレムナー、デイジー・ドノヴァン、アラン・テュディック、ジェーン・アッシャー、クリス・マーシャル、ルパート・グレイヴス、ピーター・ヴォーン、ピーター・イーガン、ピーター・ディンクレイジ 他
コピー:最期のお別れは、笑って泣いてさようなら
父の葬儀の朝、ハウエルズ家の長男ダニエルは、苛立ちを隠せずにいた。長男として葬儀のスピーチをしなければいけないこと、葬儀当日だというのに引越しの手付金を払えと口うるさい妻、そして、小説家として成功した弟のロバートが久々に帰ってくることが、作家志望の自分には我慢ならなかったのだ。一方、ダニエルの従妹マーサは恋人のサイモンを葬儀の際に父親に紹介し結婚の許しを得ようと考えていたが、頑固な父親が素直に承諾するはずもなく、どうしたものかと頭がいっぱいになっている。道程でマーサの弟トロイを向かえに彼の家に立ち寄るが、緊張しているサイモンに部屋にあったドラッグを安定剤と間違えて飲ませてしまう。車の中でサイモンは徐々に錯乱状態になっていく。参列者が次々と集まってくる中、見覚えの無い謎の男がダニエルの話があると近寄ってくる。そしてその男は、父のある秘密を語り始める…というストーリー。
『お葬式』に比べたら10分の1の出来映え。思いついたコマッタチャンを配置して動かしただけの作品。
クスリで飛んだ人間をなぜ参列させる?奇行の原因がわかった時点で、参列は諦めればよろしい。そこで絶対に父親に紹介しないと困る理由があるわけでもないし、原因をつくった弟を体調が悪いとウソでもついて、交代で車で見張っとけばいいじゃないか。
父親は海外勤務か何かで、滅多に合うことができない上に、葬儀のあとトンボ帰りするとかいう設定にするとか、どうしてもそこで紹介しないといけない理由をつくらないとリアリティがない(それでも、娘の結婚なのだがら、そこでどうしても紹介しないという理由にはならないんだけどね)。
小さい男の恐喝についても、今はお金がないからあとで渡すということにしておき(実際に金はないんだから)、あとで恐喝で警察に相談すればよいだけ。写真をバラまくと脅すわけだが、そんなことをしたら金が取れないんだから、焦る必要もなし。
そういう矛盾を感じさせないために、はじめからあの小さい男の目的が、父親との関係をおおっぴらにすることという設定にすればいい。もしくは、お金ではなくどうしてもとある形見の品が欲しいが、どうしても親族としては渡すことができないもの…とか。
トイレの排便のくだりとか必要かなぁ。あんな矍鑠としたじいさんが声も上げずにただ座ってるとかあり得ないと思うけどなぁ。
で、あの小さい人、どうせ死んでないんだろ?と、10人いたら10人の頭よぎるわけだが、案の定。実にくだらない。下品なドタバタで、“ウィット”な笑いのかけらもない。最後のオチもあり得ん上につまらん。このつまらない内容の上に、エンドロールでNGシーンを流すとか、センス無さすぎ。
観客に違和感を感じさせないように、手を尽くすことがコメディを作る上での礼儀かと。なんなんだこの監督は…と思ったら一昨日観た『おつむて・ん・て・ん・クリニック』の監督じゃねえか(偶然)。この人、笑いのセンス無いなんだなぁ。
#で、SWのヨーダの操演とかやってる人でもある。変な経歴。
公開国:アメリカ
時 間:121分
監 督:キンカ・ユーシャー
出 演:グレッグ・キニア、クレア・フォーラニ、ジェフリー・ラッシュ、ベン・スティラー、ウィリアム・H・メイシー、ハンク・アザリア、ジャニーン・ガロファロー、ケル・ミッチェル、ポール・ルーベンス、ウェス・ステューディ、レナ・オリン、エディ・イザード、アーティ・ラング、トム・ウェイツ、ルイーズ・ラサー、リッキー・ジェイ、ジェニファー・ルイス、コービン・ブルー 他
アメリカのとある場所にあるチャンピオン・シティ。そこには、市民からスーパーヒーローとして認められようと活動を続ける3人の男、フォーク使いのザ・ブルー・ラジャ、シャベル使いのザ・シャベラー、怒りによってパワーが増大するミスター・フュリオスがいた。しかし、常人と大差ない力しかない彼らは、悪を退治するどころか、現場を混乱させるばかり。シティには、“キャプテン・アメージング”というスーパーヒーローがおり、いつも彼が悪人たちを刑務所に送り込んでいた。3人はいつか彼のような存在になることを夢見て、諦めず活動しているのだった。しかし、そんなキャプテン・アメージングにも裏事情が。彼の収入はコスチュームに貼った広告から得ていたが、シティの悪人をほぼ退治し尽くしてしまっため、メディアへの露出が激減しスポンサーを降りる企業が続出しているのだった。このままでは今の生活を続けられないと思ったキャプテン・アメージングは、かつて最大のライバルだった大悪人カサノバ・フランケンシュタインを釈放し、再び自分が活躍できる状況をつくろうと考えたのだ。しかし、釈放したカサノバは牢獄で力を蓄えており、あっさりとキャプテン・アメージングは囚われてしまうのだった。シティ最大にピンチを知った例の3人は、カサノバからキャプテンを救うために、隠れたヒーロー仲間を集うためにオーディションを開催するのだったが…というストーリー。
あらすじを書いていると、このストーリーが、ごちゃごちゃで整理されていないことがよくわかる。設定は非常におもしろく、『キック・アス』や『スーパー!』よりも良いかもしれない。しかし、何か中途半端に感じられてしまう。
冒頭のシーンからして微妙に違和感がある。冒頭で、悪人がパーティ会場を襲うのだが、マスコミも十分来ているのに、スポンサーが降りるとはどういうことか?まあ、そこは、以前よりも犯罪自体の数が減っているから…と受け止めよう。でも、仮に半減したとしてそれほどこまるのか?が良くわからん。キャプテン・アメージングの自己顕示欲が強いのか、それとも豪奢な生活をしており収入を下げるわけにはいかないのか。もっと明確に説明しないとしっくりこない。
仮釈放を決定する委員会に、表の顔で登場するが、それなりの地位はある模様。スーパーヒーローとしての活動がよほど魅力的なのか、高収入なのか(まあ後者なんだろう)。で、なんで、いきなりそんな大悪党を釈放するのか。もっと、手頃なのにしておけばいいのに。きっと、仮釈放の審査のタイミングなのがカサノバだけだったんだろう。
冒頭で、3人を馬鹿にする役として警察が登場するが、それ以降、警察が出てくる様子が無いのはなぜだろうか。警察は事件に介入せず、スーパーヒーローまかせなのだろうか。この手の作品で、成功/失敗の分水嶺になるのが、実は“警察組織の扱い”だと個人的には思っている(『バットマン』などはもちろんうまく定義されているよね)。『コックと泥棒、その妻と愛人』もそうだったが、警察がいるのに何故然るべきところで役割を果たさないのか?というのは、観客を興ざめさせるに十分な要素だと思うのだ。
それならば、はっきりと、警察機構は凶悪犯罪取締りをスーパーヒーローに任せてしまっており(簡単にいえば民間委託)、拘留と起訴と収監以外の仕事はしておらず、もっぱら交通違反の切符を切る程度の業務しかしていないという設定にしてしまえばよかったと思う。いや、きっと似たような感じなんだろう。
ベン・スティラーやウィリアム・H・メイシーなどを配していることからもB級作品でないことは明らか。実際、制作費はそれなりにかけているように見える。だけど、全編に渡って、“おや?”というひっかかりを覚える箇所が満載で、その度に、こういうことなんだろうな…と納得させながら観続けるという脳内作業が続く。
もう一度いうが、プロットは悪くないし、ノリも悪くない。地味にテーマも良い。だけど、没頭することを疎外する何かが“必ず”差し込まれる。監督のセンスの悪さなのかな(実も蓋もないけど)。こんな良い作品が、日本未公開なのはおかしい!っていう人もいるらしいけど、打倒だろう(良い食材の料理に失敗したという意味では、むしろ罪は重いような気もするけどな)。
#いつものことだが、日本語の看板くらい、日本語のわかるやつに書いてもらえよ。それで異空間な雰囲気をつくってるんならなおさらだ。
公開国:アメリカ
時 間:99分
監 督:フランク・オズ
出 演:ビル・マーレイ、リチャード・ドレイファス、ジュリー・ハガティ、チャーリー・コースモー、キャスリン・アーブ、トム・アルドリッジ、スーザン・ウィリス、ドリス・ベラック、ブライアン・レディ 他
コピー:ミョーな患者が医者にペッタンコ。笑い事じゃない!あっち行けシッ!シッ!
様々な事柄に恐怖を感じるボブ・フィリーは、精神科医を転々とし治療を重ねているが、一向に改善しない。今の主治医も匙を投げてしまい、知り合いのレオ・マービンにボブを押し付けてしまう。レオは、新著『ベイビー・ウォーク』を出版し話題になりつつあり、家族と一緒にすごす休暇中に、TV番組からの取材の申し込みがあり、有頂天になっている。休暇前にボブの診察を行ったものの、彼の無茶苦茶な症状っぷりに驚きつつも、とりあえず自分の著書『ベイビー・ウォーク』を渡して、そのまま休暇に入ってしまう。一旦は帰宅したものの、休暇が終わるまで次の診察をしてもらえないことで不安になったボブは、パニックに陥る。なんとかレオの診察を受けたいボブは、電話交換手を騙し、ボブの別荘の住所を聞き出す。パニックになりそうになりながら、何とかバスに乗り込みレオの別荘を訪ねていく。ボブはなんとか追い返そうと必死になるが…というストーリー。
コメディ作品なのだが、これはホラーである。私にはそう見える。
まるで精神科医の父親がカリカリして偏狭な人間であるように描かれ、妻や子供たちがその父親が行動を制限されて苦しんでいるように描かれているが、狂っているのは家族の方である。みんなボブが患者であることは理解している。医者のところに患者が押しかけるなどルール違反もいいところだし、ボブの行動を見てもちょっとおかしいことくらいわかりそうなものだ。また、自分の夫が精神科医なのだがから、そんな状況がゆるされないことはわかっていて当然。
父親が嫌いなのか何か知らないが、娘と息子もこの妻の馬鹿遺伝子を受け継いでいるんだろう。ボブがいい人だと家に置こうとするのは編。狂っている。これは、夫を精神的に追い詰めて崩壊させようという悪意以外の何者でもない。
しかし、後半になってくると、家族以外もクレイジーさを発揮する。TVクルーも、患者がたまたまいたからって、じゃあ出てもらいましょうって。意味不明。あり得ない。
喫茶店の夫婦が買いたかった家を横取りされたことを逆恨みするのは、まあ判る(悪いのは不動産やだと思うけど)。でも、どうして喫茶店の夫婦がボブが出ているのを大喜びしているのかも、意味不明。
レオとトムが入れ替わるのが、面白い(と製作側は思っている)らしいが、正直おもしろくないし、レオが白痴状態になる様子は、ちっともおもしろくない。“おつむてんてん”って、精神病患者をなんだと思ってるのか、なかなかの不謹慎っぷり。エピローグもヒドくつまらない(訴訟がどうのこうののくだりの何が面白いのかまったくわからん)。鑑賞後の不快感が甚だしい。
コメディとしてはクソつまらない。ホラーとしてみると及第点。アメリカ人の笑いはわかんねーわ。実は妻の策略でしたって、オチでもつけば面白かっただろう。
公開国:アメリカ
時 間:157分
監 督:リドリー・スコット
出 演: デンゼル・ワシントン、ラッセル・クロウ、キウェテル・イジョフォー、キューバ・グッティング・Jr.、ジョシュ・ブローリン、テッド・レヴィン、アーマンド・アサンテ、ジョン・オーティス、ジョン・ホークス、カーラ・グギーノ、RZA、ルビー・ディー、コモン、ライマリ・ナダル、ロジャー・グーンヴァー・スミス、マルコム・グッドウィン、ユル・ヴァスケス、リッチー・コスター、ワーナー・ミラー、アルバート・ジョーンズ、J・カイル・マンゼイ、ティップ・ハリス、ジョン・ポリト、ケイディー・ストリックランド、ロジャー・バート、リック・ヤン 他
受 賞:【2007年/第80回アカデミー賞】助演女優賞(ルビー・ディー)、美術賞(アーサー・マックス、Beth A. Rubino)
【2007年/第65回ゴールデン・グローブ】作品賞[ドラマ]、男優賞[ドラマ](デンゼル・ワシントン)、監督賞(リドリー・スコット)
【2007年/第61回英国アカデミー賞】作品賞、脚本賞(スティーヴン・ザイリアン)、作曲賞(マルク・ストライテンフェルト)、撮影賞(ハリス・サヴィデス)、編集賞(ピエトロ・スカリア)
【2007年/第13回放送映画批評家協会賞】作品賞、歌曲賞(Anthony Hamilton“Do You Feel Me”)
【2008年/第17回MTVムービー・アワード】男優賞(デンゼル・ワシントン)、悪役賞(デンゼル・ワシントン)
コピー:けもの道を行く実在の男たちの 容赦なき闘いの人生!
1968年、ニューヨーク。地元住民たちに慕われていた黒人ギャングのボス、バンピーが急死する。彼の右腕だったフランク・ルーカスは、自分の手でのし上がることを決意する。フランクは、ベトナムに駐留中の米軍兵士を仲間に引き入れ、大胆にもタイから軍用機を使って純度100パーセントのヘロインを直接輸入する。そのヘロインを“ブルー・マジック”の名で流通させ、これまでの麻薬市場を崩壊させ、一揆に麻薬王に君臨する。一方、ニュージャージーの警察に所属する刑事リッチー・ロバーツは、汚職のはびこる警察組織内で、潔癖を通していたため、かえって仲間から疎まれ孤立していた。私生活もうまく言っておらず、息子の養育権をめぐって係争中。そんな汚職とは無縁の姿が検察官の目にとまり、エセックス郡麻薬捜査班のチーフに抜擢される。やがて、ブルー・マジックの供給元を調査するうちに、フランクの存在に辿り着くのだったが…というストーリー。
デンゼル・ワシントン演じるフランクと、ラッセル・クロウ演じるロバーツ刑事は、終盤になるまで絡むことなく、ストーリーが進行する。一方は、ゴッドファーザーのようなギャングのお話で、もう片方は、アンタッチャブルのような刑事のお話。これが交互に描かれるのだが、個々の話はなかなか面白い。しかし、一向に絡みそうもない展開にだんだん飽きてくるのと、フランクを魅力的に描こうとしているものの所詮犯罪者ということで共感できないこと。それに、清廉潔白な刑事のはずなのに何故か共感しにくいロバーツ刑事のせいで、どっぷりと没頭することができない。
長いくせに、キャラクターの描き方が浅いのも気になる。ロバーツ刑事は、司法の道を目指しているという設定なのだが、それを目指す理由や、せっかく合格したの諦めるシーンなど、その“覚悟”がうまく描けておらず、中途半端で生きていない。彼に、強固なポリシーがあるように見えないのは、ラッセル・クロウの演技がマズいのかもしれない。ダークさが滲み出すぎているのかも。
そして、やっぱり“実話”が足枷になってしまったような気がする。フランクのクレバーなキャラクターが、むやみに家族をビジネスに参加させて、自分の首を絞めるような不自然なことに違和感を感じる。事実なのだから仕方がないのだろうが、デンゼル・ワシントンのキャラと合っていない。
一番、この話で表現したかったのは、二人が公権力側の腐敗を排除していった“奇跡”なんだとは思う。アメリカの公権力の腐敗っぷりに呆れるべきなのか、おそらく同じように腐敗しているのに表出せず、自浄しない日本の公権力を嘆くべきなのか。しかし、最後の展開は、それまでの流れからは唐突に収束しすぎる。事実は小説より奇なり…といってしまえばそれまでだが、観客を妙に冷めさせるのも事実。
二台俳優にリドリー・スコットと磐石の布陣のため、非常にハードルが上がってしまった(受賞の数はすごいんだけどね)。もちろん及第点は余裕で越えているが、せめてもう少し短くまとめて欲しかった。
公開国:アメリカ
時 間:136分
監 督:トッド・ヘインズ
出 演: クリスチャン・ベイル、ケイト・ブランシェット、マーカス・カール・フランクリン、リチャード・ギア、ヒース・レジャー、ベン・ウィショー、ジュリアン・ムーア、シャルロット・ゲンズブール、ミシェル・ウィリアムズ、デヴィッド・クロス、ブルース・グリーンウッド 他
受 賞:【2007年/第64回ヴェネチア国際映画祭】女優賞(ケイト・ブランシェット)、審査員特別賞(トッド・ヘインズ)
【2007年/第42回全米批評家協会賞】助演女優賞(ケイト・ブランシェット)
【2007年/第65回ゴールデン・グローブ】助演女優賞(ケイト・ブランシェット)
【2007年/第23回インディペンデント・スピリット賞】助演女優賞(ケイト・ブランシェット)、ロバート・アルトマン賞[アンサンブル演技作品賞]
コピー:詩人・無法者(アウトロー)・映画スター・革命家・放浪者・ロックスター
全てボブ・ディラン 6人の豪華キャストが演じる、生ける伝説
詩人のアルチュール・ランボーは、「なぜプロテスト・ミュージックをやめたのか?」という理由と問われ、淡々と応え続ける。1959年、“ファシストを殺すマシン”と書いたギターケースを持つ黒人少年ウディは、放浪の末に一人のブルース・シンガーの家に転がり込む。60年代後半、プロテスト・フォーク界で時代の寵児となったジャック・ロリンズは、パーティのスピーチでJFK暗殺犯を称えて隠遁するはめに。約20年後、彼は教会でジョン牧師と名乗っていた。1965年、俳優のロビーは、美大生クレアと出会い結婚するが、次第に2人の気持ちはすれ違い始める。1965年、ジュードはロックバンドを率いてフォーク・フェスティバルに出演し、ブーイングを受ける。彼はロンドンのライブで再びロックを演奏しフォーク・ソングとの決別を表現。観客から裏切り者と罵声を浴びる。西部の町リドルで隠遁生活をするビリーは、ハイウェイ建設のため町民が立ち退かされるのが、ギャレット長官であることを突き止め、彼の演説会で非難の声を上げる。ボブ・ディランの多面性と波乱に富んだ人生を6人のキャラクターで描く作品。
何度観ても、演出意図がさっぱり理解できない作品。まず、私が根本的にボブ・ディランを知らない上に、歌手ボブ・ディランの半生を6人の俳優達が演じたとの謳い文句なのに、詩人アルチュール、黒人少年ウディ、ジャック・ロリンズ、俳優ロビー、ジュード、ビリー、どれもボブ・ディランじゃないし。
ケイト・ブランシェットだけが、ボブ・ディランに似せようと演技をしてた…なんてことも聞くけど、その役も“ジュード”て名前で、ボブ・ディランがそんな名前で活動していたなんて情報もないし…、一体何なのか。エピソード的には、各者、彼の生い立ちを散りばめているのかもしれないないが、とにかくみんな名前が違うというその演出意図はなんなの?
嫌味で言っているわけじゃなく、本当にこの作品の意味がわらななくて、誰かわかる人に解説をしてもらいたい。
おそらく、6人それぞれが、ボブ・ディランの一面、歴史の一幕を表現しており、トータルでボブ・ディランをいう人物像を浮かび上がらせているということか。洒脱な演出だねぇ…ってな感じで、ボブ・ディランを知っている人には、しっくりくるんだろうが、私には観る資格が無い作品だということだ。
少なくともボブ・ディランを知らない人が、この作品を経てボブ・ディランを知ろうということは不可能であるということ。そして、ボブ・ディランに興味をもって、じゃあ彼の曲を聴いてみよう…という気にならないということ。そして、ボブ・ディランは別にそんなことを望んでいないこと。
つまり、一見さんお断り作品なのだ。この先、私がボブ・ディランの曲が好きになったら、改めてみることがあるかもしれないが、そんなことが無ければもう二度と観ることはないであろう作品。
公開国:日本
時 間:129分
監 督:山口雅俊
出 演: 山田孝之、大島優子、林遣都、崎本大海、やべきょうすけ、片瀬那奈、岡田義徳、ムロツヨシ、鈴之助、金田明夫、希崎ジェシカ、内田春菊、市原隼人、黒沢あすか、新井浩文 他
コピー:彼らがツイてなかったのは、この人と出会ってしまったこと。
ウシジマこと丑嶋馨は、10日で5割、1日3割という法外な金利の闇金融業を営んでいる。法を犯しているのは百も承知で、すべてが自己責任。回収も自ら情け容赦ない方法で行う。フリーターのミコは、パチンコにはまった母がウシジマから借金したため、利息の肩代わりをするハメに。友達から楽に稼げると勧められ、“出会いカフェ”のバイトを始めるが、デートをするだけで簡単にお金を手に入れることを知り、頻繁に通うようになる。一方、ミコの友達で2イベントサークルの代表を務める3歳の小川純。現在、これまでの人脈を使って、イケメンダンサーを集めた大きなイベントを企画しており、これを機に成り上がっていこうと考えている。しかし、資金集めが思ったように進まない。うまく調達できず困っていると、知り合いのネッシーから、闇金業者のウシジマを紹介される。所詮、闇金業者なので踏み倒しても問題ないと…というストーリー。
原作マンガは読んだことがなかったのだが、本作の主人公であるウシジマが、何かを主張するでもなく特徴的な行動をするわけでもない上に、早々と逮捕されてまったく動かなくなってしまうという展開にちょっとおどろいてしまう。原作もこんな感じなのか?と思い、コンビニにペーパーバック版みたいなのが売っていたのでパラパラとみていたが(それが第1話なのかは良く判らなかったが)、たしかにウシジマ君よりも周囲のキャラクターのほうが動いていたし、セリフも少なかったし、どういうキャラなのかイマイチわからなかった。
原作ファンの方々には申し訳ないが、1冊、2冊パラリと読んだ程度では、いまいちマンガ版の魅力が良くわからず…。
片瀬那奈演じる元従業員が出てくるんだけど、いきなりこんなの登場されてもさ…と思い、いろいろ調べてみたら、この映画の前にTV版があるんだねぇ。私、それを知らなかった。これは、TVドラマのファンのためにものだ(本作の感想はこれにつきる)。きっとTVドラマのほうは、お金にまつわる人間ドラマが描かれているんでしょう。映画になるくらいなのでおもしろいのかも。ただ、いきなり本作をみたら、説明不足な設定が多々あり、ちょっと置いてきぼり感があるのは事実。
大島優子は、微妙な役柄お与えられていたが、演技は可も無く不可もなく。なんでもそれなりに卒なくこなす人なのでしょう。かわいらしさはまったくないのだが、ある意味、役柄にマッチしてはいる。でもアイドルさんとしては、新境地を開拓したというほどでもなく、得はしていない。
最後の最後になるまで、いてもなくてもよい役で、最後のあの電話のためだけの大島優子なら、邪魔だったかもしれない。彼女がいなければもっとエグくできたのなら、そうしたほうが、私のようにはじめて観る人間にはよかったかもしれない。
ストーリーは、おそらく色々なエピソードを、こねくりまわしたり、引っ付けたりして、なんとか一本にして整合性を取ってみた…、そんな感じなんじゃないかな。正直、ごちゃごちゃして締まりがない印象。
まあ、とにかく、マンガ、TVドラマあっての本作であって、いきなり観て楽しめるものではない…ということかな。以上。
公開国:アメリカ
時 間:135分
監 督:トニー・ギルロイ
出 演: ジェレミー・レナー、エドワード・ノートン、レイチェル・ワイズ、ジョーン・アレ、アルバート・フィニー、デヴィッド・ストラザーン、スコット・グレン、ステイシー・キーチ、オスカー・アイザック、コーリイ・ジョンソン、ドナ・マーフィ、マイケル・チャーナス、コリー・ストール、ジェリコ・イヴァネク、デニス・ボウトシカリス、ペイジ・レオン、エリザベス・マーヴェル、ルーイ・オザワ・チャンチェン 他
コピー:ジェイソン・ボーンは氷山の一角に過ぎなかった。
記憶を失った訓練された暗殺者用いた極秘プログラム“トレッドストーン計画”が、ジェイソン・ボーンと内部調査局のパメラ・ランディの告発によって明るみに出ることを恐れたCIAは、国家調査研究所のリック・バイヤーを派遣し、証拠隠滅のために全プログラムの抹消を命じる。その頃アラスカでは、“トレッドストーン計画”と並行して、“アウトカム計画”が進行中。暗殺者アーロン・クロスが訓練の真っ最中だった。いつもと違う様子を察知したアーロンは、CIAの抹殺舞台の攻撃をかいくぐり間一髪で逃げ延びる。一方、暗殺者たちの肉体のデータを管理しているテリシン・モルランタ社では、突然、職員が銃を乱射し研究所の同僚を次々と殺していく。職員の一人マルタ・シェアリング博士は、幸いにも生き残ることができたが、この乱射事件が研究所で行っていたことと関連していることを知っていた彼女もCIAの抹殺対象に。その窮地に陥った彼女を救ったはアーロン。彼は、服用を義務付けられていた薬の入手方法を聞くために彼女に近づいたのだ。既に薬が製造されていないことを知ったアーロンは、テリシンと共に、薬と同じ効果を持つウイルスが培養されているというマニラの工場へ向かうのだが…というストーリー。
ボーンシリーズなのだが、続編とはちょっと異なる。ただ、ボーンの時のように、自分は何なのか?っていう要素はなくて、ただ追いつ追われつが展開されるだけで、話に深みがない。謎解き要素は皆無。ボーン三部作のすべての脚本を書いているトニー・ギルロイが監督なので(もちろん本作の脚本も手掛けている)、テイスト的には同じはずなんだけど、なにか違う。
頭脳を使った展開はあまりなくて、アクション重視なのはわかる。実際、アクションシーンの出来は悪くない。でも、アクションが一区切りつくと、ダラダラと長い説明セリフが続きく。これが実にダレる。
#実際、大した内容でもないのに、135分もあるんだけどね。
わざわざエドワード・ノートンを持ってきているのだから、逃走劇に丁々発止の心理戦があっても良さそうなものなのに、常に後手後手でやられっぱなし。彼を持ってくる意味がない。
他にも作戦があって、新たな“ボーン”がまだいましたーっていうだけならまだしも、さらにアーロンに仕向けられた刺客ももっと感情を殺した別の作戦の人間兵器で、そんなのがまだいましたーって。まだいましたー、まだいましたーって、そんな後出しじゃんけんのインフレ展開じゃ、つまらないって。
調べてみると、ボーン三部作はロバート・ラドラムによる原作があるのだが、本作はトニー・ギルロイの手による内容みたい。トニー・ギルロイのプロットをつくる能力が低かっただけ。原作者がすばらしかったのね。
私、レイチェル・ワイズってあんまり好きじゃないのだが、本作はそれほど嫌な感じはしなかった。他の作品のように、上から目線でで生意気なセリフを喋り続けるようなことはないし、襲撃されてギャーとは叫ぶことはあれどヒステリックにぎゃあぎゃあまくしたてるシーンもない。すこし痩せた様子で元気がない感じなのが功を奏しているかもしれない。でも、嫌な感じがないだけで、良いわけではない。
“ボーン”を冠することがおこがましい作品。でも、普通のアクション作品だと思えば普通に観られる作品。
公開国:アメリカ
時 間:123分
監 督:キャメロン・クロウ
出 演: ビリー・クラダップ、フランシス・マクドーマンド、ケイト・ハドソン、パトリック・フュジット、アンナ・パキン、ノア・テイラー、フィリップ・シーモア・ホフマン、ズーイー・デシャネル、ジェイソン・リー他
受 賞:【2000年/第73回アカデミー賞】脚本賞(キャメロン・クロウ)
【2000年/第26回LA批評家協会賞】助演女優賞(フランシス・マクドーマンド)
【2000年/第58回ゴールデン・グローブ】作品賞[コメディ/ミュージカル]、助演女優賞(ケイト・ハドソン、フランシス・マクドーマンド)
【2000年/第54回英国アカデミー賞】オリジナル脚本賞(キャメロン・クロウ)、音響賞
【2000年/第6回放送映画批評家協会賞】助演女優賞(フランシス・マクドーマンド※「ワンダー・ボーイズ」の演技に対しても)、オリジナル脚本賞(キャメロン・クロウ)、ブレイクスルー賞(ケイト・ハドソン)
コピー:君がいるから、すべてがキラキラまぶしい15歳。
1973年。大学教授の母と暮らす15歳のウィリアムは、姉アニタが家を出て行くときに置いていったレコードでロック音楽の魅力に取り憑かれてしまう。学校新聞にロック記事を書くほど熱中し、弁護士にしようという母の思いとは裏腹に、ロック・ライターになりたいと考え始める。ある日、クリーム誌の編集長レスター・バングスに接触し自分の思いを伝え、記事を書かせてもらえることに。さらに、その記事を見た“ローリング・ストーン”誌からオファーが。ウィリアムが愛する人気急上昇中のバンド・スティルウォーターのツアーの密着記事を依頼される。反対する母をなんとか口説き落とし、学校を休んでツアーに同行したウィリアムは、グルーピー少女のペニー・レインと出会い恋心を抱く。しかし、彼女はバンドのギタリスト・ラッセル付き合っており…というストーリー。
キャメロン・クロウ監督が自身の体験を基に作ったとのことだが、どこが現実でどこが虚構なのかはよくわからない。
ジャケット画像を見ると、ケイト・ハドソンのアイドル映画みたいなのとか、性的な何かなのかと想像してしまうけど、実際は少年が夢に向かって一歩踏み出すグローイングアップムービーであり、ロードムービー。そして、バンドの悲喜こもごもを楽しむ映画だ。邦題は“あの頃ペニー・レインと”になっているけれど、ペニー・レインを前面に出すようなお話とは思えない。日本の配給会社が女性客を増やしたかったんだと思う。
#ちなみに、原題の“ALMOST FAMOUS”はバンドのツアー名ね。
ウィリアムと周囲の間には様々なギャップがある。飛び級させられていることで、学校生活では他の生徒と。母親の期待と自分の望み。周囲にはいなかったような女性との付き合い方。取材対象の大人たちの子汚い世界。これらギャップは、常にギシギシと音を立てている感じ。
音楽の世界、特に1970年代のロック界なんて、そんな綺麗なもんじゃない。少年の目を通してみれば、それはそれはうす汚れている。酒・女・クスリ。でも、ギャップと対峙することに慣れっこになっているのか、大人の世界に飛び込んでも臆すことが無い少年というのが彼の特徴。
でも、思い切りがいいといっても、所詮は15歳。その無理をしている彼に、共感できれば楽しめると思う。
そして、ケイト・ハドソン演じるペニー・レインを美しいと思うか否かが、ポイントになると思う。他のグルーピーとは違うと語っているけれど、何がグルーピーと違うのか、私にはさっぱりわからなかったので、美しいと思えなかった。
ウィリアムが愛を傾けるものはペニー・レインとバンドの二つである。バンドと帯同することで、愛は深まるが裏の真の姿は書きにくくなっていく。ペニー・レインを愛する一方、ラッセルを愛するペニー・レインの思いも見守ろう(というか見守るしかない)と思う。このアンビバレントな感情を彼は乗り越えることができるのか否か(ほら、全然ペニー・レインのお話じゃないでしょ)。とにかく、ウィリアムはあらゆる事柄の間で揺れに揺れ続けるのだ。
私は、ラッセル役のビリー・クラダップの演技が、なかなかおもしろかったと思う。ウィリアムの母親の電話に出てガツンとやられちゃった時の表情とか、飛行機内の暴露合戦の後の表情とかね。
実は、男性向けの良作だと思う。
公開国:アメリカ
時 間:87分
監 督:ティム・バートン
出 演:キャサリン・オハラ、マーティン・ショート、マーティン・ランドー、チャーリー・ターハン、アッティカス・シェイファー エドガー、ウィノナ・ライダー 他
受 賞:【2012年/第79回NY批評家協会賞】アニメーション賞
【2012年/第38回LA批評家協会賞】アニメーション賞
郊外の街ニュー・オランダに暮らす少年ヴィクター。あまり友達と遊ぶことはなく、学校から帰ってくると科学の実験や映画作りに熱中している。そんな彼の傍には、いつも愛犬のスパーキーがおり、ヴィクターが作る映画にはいつもスパーキーを出演させていた。しかし、父親はそんなヴィクターに、活発に運動する子供になってもらいたいと思っており、ことあるごとに野球チームに入ることを薦めていた。ヴィクターが父の望みどおり野球に試合に参加すると、初心者であるにもかかわらず大きな当たりを飛ばす。それをみていたスパーキーは首輪をはずしてボールを追いかけるが、道路に飛び出してしまい、通りかかった自動車に撥ねられ死んでしまう。唯一の親友の死を受け入れらられないヴィクターは、科学の新任教師ジクルスキ先生の気の実験を見て、あることを思いつくのだった…というストーリー。
元は1984年の30分の実写作品(本作はセルフリメイク)。『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』のコレクターズ・エディションに特典映像として入っているのだが、私は一番最初に発売されたDVDを購入していて、さすがにわざわざ買い直す気もおこらず、ちゃんと観ていない(Youtubeとかで転がっている海外音声のを観ても、字幕ついてるわけじゃないからわからんしね)。
なんか可愛くない犬だなーと思う人もいるかもしれんが、元々ブルテリアっていう設定だから、けっこうブサイク犬なの。でも、見慣れてくると丸っこい胴体とか、実に愛らしい。
大筋は元の作品と一緒だけど、違うところ(というか差し込まれた部分)が多数。なんか目が切れ長のやつがいるなぁとおもったら“トシアキ”君(笑)。スポーツも勉強もできる日本人って設定、なんやねん。ティム・バートンの子供のころにそんな子がいたのかな?でも、トシアキ君の投球フォームがむちゃくちゃ。ティム・バートンがスポーツが苦手なのが丸わかり。また、ティム・バートンの日本ひいき炸裂か?と思っていたら案の定 巨大亀登場。『ピーウィーの大冒険』ではゴジラを出していたものね。ガメラといっても金子修介版のフォルムに近いところが、また特撮“ウィニー”っぷりを発揮している。
元の作品には、これら野球シーンもないし、友達が同じように“復活”させちゃうシーンもない。よって“ガメラ”もでない。復活したスパーキーを大人たちが気持ち悪がって、風車小屋まで追い詰める流れは一緒だけど。
いつもどおりのティム・バートン…というか、昔のティム・バートンそのままの作品。マペット造型は『コープスブライド』と一緒。何か“普通の大人”のデザインが微妙に気持ち悪いバランスだったりする。
肝心の最後の大盛り上がりのところで、何故か飽きてしまうというもの一緒。『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』もジャックがプレゼントを配り始めて大混乱!っていうのが最後の山場なのに、だんだん飽きてくるのと一緒。良いところも悪いところも、昔ののまま。
大衆ウケするとは思わないし、大衆ウケしちゃいけないと思うのね。元の作品はディズニーからダメ出しくらってお蔵入りしたくらいのエグさがあったが、そういう教育上のモラルから脱輪しそうでしない危うさが良かったんだけど、本作は完全にレールから外れる気配すらない。そのせいか、ティム・バートン自身のかつて飼っていたペットへの思い…とかそういう純粋なエネルギーが減衰してる気がする。まあ、簡単に言えば、もっと悪ノリして欲しいなと、そう思う。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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