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10242785.png公開年:2008年
公開国:アメリカ
時 間:142分
監 督:クリント・イーストウッド
出 演:トム・ハンクス、デヴィッド・モース、ボニー・ハント、マイケル・クラーク・ダンカン、ジェームズ・クロムウェル、マイケル・ジェッター、グレアム・グリーン、ダグ・ハッチソン、サム・ロックウェル、バリー・ペッパー、ジェフリー・デマン、パトリシア・クラークソン、ハリー・ディーン・スタントン、ウィリアム・サドラー、ゲイリー・シニーズ、ポーラ・マルコムソン 他
ノミネート:【2008年/第81回アカデミー賞】主演女優賞(アンジェリーナ・ジョリー)、撮影賞(トム・スターン)、美術賞(ジェームズ・J・ムラカミ、Gary Fettis)
【2008年/第61回カンヌ国際映画祭】パルム・ドール(クリント・イーストウッド)
【2008年/第66回ゴールデン・グローブ】女優賞[ドラマ](アンジェリーナ・ジョリー)、音楽賞(クリント・イーストウッド)
【2008年/第62回英国アカデミー賞】主演女優賞(アンジェリーナ・ジョリー)、監督賞(クリント・イーストウッド)、脚本賞(J・マイケル・ストラジンスキー)、撮影賞(トム・スターン)、美術賞(Gary Fettis、ジェームズ・J・ムラカミ)、衣装デザイン賞(デボラ・ホッパー)、編集賞(ジョエル・コックス、ゲイリー・ローチ)、音響賞(John T. Reitz、Gregg Rudloff、Walt Martin、Alan Robert Murray)
【2008年/第14回放送映画批評家協会賞】作品賞、主演女優賞(アンジェリーナ・ジョリー)、音楽賞(クリント・イーストウッド)
コピー:どれだけ祈れば、あの子は帰ってくるの──?

1928年、ロサンゼルス。9歳の息子ウォルターと幸せな毎日を送る、シングル・マザーのクリスティン・コリンズ。彼女は、電話会社に勤務していたが、ある日、休日出勤をせざるを得なくなり、息子を家に残して出勤することに。しかし、夕方、彼女が帰宅すると、ウォルターは忽然と姿を消していた。警察に捜索願を出したものの、手がかりは掴めなかった。それから5ヶ月後、ォルターがイリノイ州で見つかったと連絡が入る。ロス市警は、警察の成果を大々的に知らしめるために報道陣を集め、列車で移送されてくるウォルターを待ち構えていた。いよいよ列車が到着し、クリスティンが我が子を迎えようとするが、そこから出てきたのは、ウォルターではない見知らぬ少年だった…というストーリー。

実はこれまで2回鑑賞にチャレンジして断念している。その2回も、スパっと止めたわけではなく、観ては止め観ては止めして、結局断念に至っている。なんで、これまで断念したのか。本作が実話ベースであることは実は知っていた。行方不明になった子供が見つかったというから行ってみたら別人だった。警察はあなたの子だと強要する。いやいや、警察がなんと言おうとその場で引き取れるわけないでしょ…、頭おかしいんじゃねーの?って考えたら、観続けるのが馬鹿馬鹿しくなってしまったのだ。自分の子だぜ?だから、20分ちょっとくらいで、もう断念。

じゃあ何で、最後観ようと思うのか?それは、いくらなんでもクリント・イーストウッド御大が、そんなアホな話で終わらせるわけがないという希望、その一点のみ。だから、苦痛だったけど、がんばって観続けましたよ…。牧師が出てきて、精神病院に放り込まれて、食堂で“ケース12”について説明があったところで、やっと説得力が出てきた。ここを越えるのが最大の山だった。

あとは、連続殺人事件と絡んで警察権力が瓦解していく仮定と、クリスティンは再生できるのか、希望は見えるのか…という流れになっていくが、そのあたりは観てくだされ。ロス市警という悪人の所業にイライラし、それが処断されていく様子は、水戸
黄門的な感覚で楽しめるだろう。でも、個人的には、これまでのクリント・イーストウッドの作品群を考えると、一番デキがよろしくない作品だと思う。

(私の勝手な解釈だけど)本作を通じて、御大が何を言いたかったのかは、理解できる。ロス警察が強大な権力を持ち、市民の自由を簒奪しまくっているわけだ。アメリカ大統領選挙の仕組みのポイント、というか一番危惧されていることは“カエサルを生まないこと”である。つまり、一人の“帝王”を決めて権力を委ねるのはいいが、その権力を私欲(権力欲も含む)を満たすために使うような人間を選ぶわけにはいかない…ということである。だから、1年も選挙戦(党内の候補者選びを含め)をやっていけば、ダメな人間はボロを出すだろう…という構造になっている。つまり、アメリカ人は、自分自身が権力を持ってしまうと獣になってしまう、それを防がないとアメリカは暴走すると自覚しているわけだ。

イラク戦争はなぜおこったか。はっきりいって、CIAの偽情報である。小泉首相もそれに騙された。なぜ、CIAのそんな暴走を許したのか。簡単に言えば、国民から選ばれたわけでもないのに、大統領よりも、長く権力を維持し続けており、好き勝手にやっているから。大統領が統制できないような組織が存在してもいいのか?それが生み出した結果がこれだぞ?また暴走か。まったく成長していない……、ということだね。
このあたりのCIAの動きについては『フェア・ゲーム』など、直球の映画も色々ある。でも、こういう一見無関係に見える表現のほうが、すばらしいと私は考える。愛国者だけどリベラルである御大らしい主張の仕方だと思う。でも、その主張のすばらしさと映画のデキは別かな…と。
最後に、息子の行いのお陰で、彼女が一縷の希望の光を持ち続けて生きていけた…という部分は、見ている側にとっても救いだったかな。現代なら、DNA鑑定ですぐにわかっちゃうけどね。

最後に、作品のデキとは直接関係ないが、吹き替えが不自然。台詞の部分は日本語で吹き替えているのに、嗚咽とか息を漏らす音は原音を使っている。もちろん越え質が違うから違和感バリバリ。さらに、原音にはエコーがかかっているのに、吹き替えにはエコーがかかっていない、。せめて、エフェクトくらいかけて、音質を揃えればいいじゃないか。興ざめするだろ。馬鹿が。

#アンジェリーナ・ジョリーは、精神病院に入れられると、なぜかいい演技をするな(笑)。

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imageX0084.Png公開年:1993年
公開国:日本
時 間:95分
監 督:崔洋一
出 演:岸谷五朗、ルビー・モレノ、絵沢萠子、小木茂光、遠藤憲一、有薗芳記、麿赤児、國村隼、芹沢正和、金田明夫、内藤陳、木村栄、瀬山修、萩原聖人、金守珍、金久美子、城春樹、吉江芳成、木下雅之、古尾谷雅人 他
受 賞:【1994年/第44回ベルリン国際映画祭】NETPAC賞(ベスト・アジア映画)
【1993年/第17回日本アカデミー賞】新人俳優賞(岸谷五朗)
【1993年/第36回ブルーリボン賞】作品賞、主演女優賞(ルビー・モレノ)、新人賞(岸谷五朗)

在日コリアン姜忠男が勤務する金田タクシーは、同じく在日コリアンが経営する会社で、出稼ぎのイラン人や元ヤンキーやボクサーくずれなど、まともに働くこともできないようなクズばかりが集まっていた。忠男は、在日同胞の政治的な主張にはうんざりで、女の子を口説いてばかりの毎日を送っていた。そんなある日、母・英順の経営するパブで、大阪弁を喋るフィリピン人のコニーが働くことに。彼女を気にいった忠男は、あの手この手でアプローチするが、かわされてしまい、ついには半ば強引にコニーと関係を結び、挙句の果てには彼女の部屋に転がり込んでしまう…というストーリー。

原作は梁石日、『血と骨』も梁石日と崔洋一のコンビだが、そちらは観ていない。というか、借りようとおもいつつも、なんかエグそうで手が引いてしまう。ただ、 両方とも梁石日の自伝的小説だということで、観るなら1セットで観るべきかな…と。
でも、私の使っているレンタル屋には本作が置いていなかった。たまたまBSで放送していたらしく、録画したものを観せてもらった。

在日朝鮮人を正しく描いている作品だと思う。同胞人を同胞人が食い物にする姿や、窮すると短絡的に放火しちゃうなんて、笑うに笑えないけど、それはそれは、身も蓋もないほど正しい描写にみえる。忠男の母は一生懸命、帰国している息子に物資や金を送っているけど、絶対そのまま届いているはずがないのが、なかなかせつない。在日朝鮮人は親族を人質の取られた鵜飼の鵜である。まあ、それに気づかない婆ァの頭がおめでたいのは間違いないし、人の話は聞かない強欲人間なので、同情する気にはならないが、やっぱりなんかせつない。
この正しい姿である本作を、今、表現できるか?リメイクして公開したらどうなるか?間違いなく、在日韓国人、朝鮮人 本人がクレームをつけるだろうね。

在日朝鮮人たちは、日本人をはじめ他国の人々に嫌悪感を振りまき、その原因はそっちのせいだと狂犬っぷりを発揮するわけだが、この作品を観ると、在日朝鮮人のことを一番嫌いなのは、在日朝鮮人自身であることがよくわかる。でも、それを認めたくない、でも、認めざるを得ない場面が廻りにあふれている。そりゃあ、頭も狂いそうになろだろう。このアイデンティティの喪失はどこからくるのか。それは日本人のせいだ…といつまでも言い続ける彼らに未来はなさそうだ。1993年から今になるまで、改善されるどころかますますエスカレート。でも、ぎりぎり許容できる在日朝鮮人の姿が本作にはある。

大変もうしわけないが、スナック勤務やタクシー運転手は、比較的手っ取り早く金を稼ぐ手段で、外国人が比較的手を出しやすい。つまり、彼らは日本で手っ取り早く金を稼ごうとしているだけであり、日本に何かをしようというつもりもなく、馴染もうという気もない。そういう浮き草のようなシンパシーで、姜忠男とコニーは結びついているともいえる。日本を多国籍世界として描き、そこに漂っている二人…という感じ。でも、別にそういう生き方を日本人が強要しているわけではないし、この人たちは、何をやってってるんだろうなぁ…と。そういう俯瞰目線で観ることができるのが、本作の魅力かもしれない。悪い言い方をすれば、それほど強いメッセージ性はないってことでもある。

途中で、頭がおかしくなってしまう同僚が登場するが、これが何を表すのか。まあ、実際にそういう人がいたんだろうけど(彼が新潟出身というところが説得力あるしね)。それまで彼が特に不自由もなく一緒に勤務できたってことは、俺らの頭もおかしいってことじゃないか?っていうことなのかな。

崔洋一監督の作品を全部観ているわけじゃないけれど、観た中では唯一まともな作品だと思う(…っていうか、監督の力量じゃなくて、原作の力な気もするけど)。正直に告白すると、私、崔洋一監督の演出がピンとこないのだ。特に編集の仕方というか場面の切り替わりとか構成とか。私、崔洋一って、TVドラマ向きの監督なんじゃね?と常々思っていたりする。

とりあえず、近いうちに『血と骨』は観てみようと思う。いまさらながら。

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image2015.png公開年:2012年
公開国:アメリカ
時 間:86分
監 督:パトリック・ディンハット
出 演:ベン・クロス、ティンセル・コーリー、ヴェリザール・ビネヴ、ダーフィル・ラブディニ、サラ・ブラウン、クレア・フォスター 他





グリム童話発祥の地である“妖精の丘”を訪れるツアーに参加したサクソン。他の参加者と一緒に、ツアーコンダクターに言われるがまま、妖精を呼び出す儀式に参加すると、ツアー参加者が連れてきていた赤ん坊が消えてしまう。周囲を捜すが、赤ん坊どころか周囲の様子が変わっており、どうやら別の空間に飛ばされた模様。彼らは、奪われた赤ん坊を取り戻すために、森の中へ捜索に入る。森の中に小屋を発見した一行は、一旦小屋の中に退避することにしたが、一行の一人のアンバーが、残虐な7人の小人の餌食となってしまう。その空間は、狼と魔女が支配する異世界で…というストーリー。

ファンタジーなのかホラーなのか、ノリがさっぱりわからない。『1408号室』のように、密閉空間の中で、この世のものならざるものに追い詰められる様子を描くべきなんだと思うが、どうも焦点が定まらない。もう一つの要素として、グリム童話があるわけだが、あまり生きていない。グリム童話を読み解くことによって、いろいろなピンチを乗り越えていくとか、そういう展開になるべき。確かに、劇中では、童話のとおりにしないといけないという台詞が出てくる。ヘンゼルとグレーテルやら赤ずきんやら、それがモチーフのシーンが出てくるが、何が童話の通りで、何が童話の通りでないのか、さっぱりわからない。

途中からでてくる謎の女性。サクソンの妻に容姿と同じという設定なのだが、存在の意味がよくわからない。妻に関係のある人なのか、はたまた、さらわれた赤ん坊が、異世界の時間の流れのいたずらで大人になったものなのか。結局、実は老女だという設定も、ストーリー上、一切生かされることがない。

話の顛末もすっきりしない上に、“はい、全部、おとぎ話でした”という夢オチ的な終わらせ方。もう、まともな“お話”ということも憚られるレベルのシナリオ。

CGはまあまあしっかりしてるんだけど、TVムービーだったらしくビデオ画質。なんでこんな作品を新作料金で借りてしまったのか、後悔だけが沸く。うまい棒5本ぶんの価値もない。『ブラザーズ・グリム』のようなものを期待してしまった私が間違い。注意報発令。間違っても借りないように。

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image2014.png公開年:2012年
公開国:アメリカ
時 間:164分
監 督:クリストファー・ノーラン
出 演:クリスチャン・ベイル、マイケル・ケイン、ゲイリー・オールドマン、アン・ハサウェイ、トム・ハーディ、マリオン・コティヤール、ジョセフ・ゴードン=レヴィット、モーガン・フリーマン、マシュー・モディーン、アロン・モニ・アブトゥブール、ベン・メンデルソーン、バーン・ゴーマン、ジョシュ・スチュワート、ジュノー・テンプル、ジョン・ノーラン、ネスター・カーボネル、キリアン・マーフィ、リーアム・ニーソン、ジョシュ・ペンス、トム・コンティ、ウーリ・ガヴリエル、エイダン・ギレン、ブレット・カレン、ダニエル・サンジャタ、レジー・リー、クリス・エリス、デヴィッド・ダヤン・フィッシャー、ウィル・エステス、ブレント・ブリスコー、デズモンド・ハリントン、ロバート・ウィズダム、ロニー・ジーン・ブレヴィンズ、ウィリアム・ディヴェイン、ジョーイ・キング 他
コピー:伝説が、壮絶に、終わる。

トゥーフェイスこと検事ハービー・デントの罪を一身に被り、バットマンがゴッサム・シティから姿を消してから8年。ゴッサムは、貧富の差や汚職が蔓延しているが、デント法により組織犯罪が一掃されが、表面的には平和な社会となっていた。ブルース・ウェインは、エネルギー開発に携わりながら隠遁生活を送っいたが、ウェイン邸で開かれたチャリティパーティーのさなか、謎の女によって母の肩身の首飾りとブルースの指紋が盗み出されてしまう。盗み出した女はセリーナ・カイルという盗人だったが、その背後にラーズ・アル・グールに関わりのあった傭兵・ベインの姿が浮かび上がる。ベインに対抗すべくバットマンへの復帰を目指し始めるブルースだったが、彼に普通の生活を歩んで欲しい執事アルフレッドは、彼の元を去る決心をする。さらに、ベインによる証券取引所襲撃によって、ブルースは財産すらも失ってしまい…というストーリー。

前作『ダークナイト』の出来映えが、あまりに神レベルで、三部作としてきちんと締められるのか不安なるほどだったが、TVドラマを映画にまとめたんじゃないかと思えるほどのボリュームで補った感じ。ベインがラーズ・アル・グールの関係者だということで、間接的に渡辺謙の存在も思い出される。
プラスチック爆弾を流し込むの意味とか、よく考えると「は?」なんだけど、説得力だけはものすごくあるので、観客はなぎ倒される。映画はこれでいいのだ。もう、これくらいカオス状態にしないと、前作と同じクオリティににはならない。でも、2時間半超えでも全然苦にならないんだなぁ、これが。

敵がいっぱいでてくるが、仲間になりそうだったキャットも裏切るし、最期まで回り全部が敵だらけ。基本的に彼が守ろうとしているゴッサムの市民まで全部敵だからなぁ。味方であることは確かだけれど、アルフレッドは離れていくし、モーガンフリーマン演じるフォックス社長だって、絶対的に有能じゃないし。とにっかく孤独なヒーロ像が追求されているところが凄くよろしい。

アン・ハサウェイはどうかなぁ…とちょっと疑問符付きだったけど、蓋を開けたらどうしてどうして。以外に動きの激しいキャラクターもできるじゃないか。見事なツンデレ。でも、自分の過去を消したいがために、そこまでやるか?て感じで、自分が別人に成りすましたほうが早いような気がするけどね。設定上の唯一の穴は、そこくらいだ。

地下牢獄からの脱獄のくだりが、ただの“根性”話になっちゃってるのは、ご愛嬌。その子供がベインなのか? 子供が脱獄したときにはマスクしていないんだから、違うんじゃね? とか、その辺の仕掛けも悪くなかった。正義のヒーローの孤独像にもうまく繋がっている(いや、女運が悪いだけか?)。

ラスト20分のワクワクが止まらなかった。どう考えても、ジョセフ・ゴードン=レヴィット演じる彼がアレになるんでしょ?と思って見続けたけどうはならなくて、「な~んだ」とすっかり忘却した後に、“本名”って~!!! スカしっぷりが最高。アルフレッドの夢も叶えて、めでたしめでたし。横にもさりげなくキャットがいて、たぶんルパンと不二子ちゃんみたいな関係なんだろうけど。

この三部作で終わらせないでおくれよ! そういう思いでいっぱいになった。今年観た作品の中で、一番ワクワクして、思わず「おもしれ~~!!」って叫んでしまった作品。超お薦め。

 

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image1971.png公開年:2010年
公開国:日本
時 間:111分
監 督:佐藤英明
出 演:浅野忠信、堀北真希、阿部力、木村多江、いしだあゆみ、佐藤浩市、正名僕蔵、粟根まこと、新井浩文、山本剛史、佐藤恒治、佐藤正宏、梅垣義明、土屋裕一、クノ真季子、徳井優、法福法彦、荒谷清水、菅田俊、山本栄治、黒川忠文、中村祐樹、山本浩司、安藤彰則、田鍋謙一郎、須永祐介、伊藤洋三郎、平手舞、水谷あつし、コング桑田、内藤陳、森田芳光 他
コピー:『バカ』がちょっとほめ言葉だったあの頃。
天才、大暴走!!クソマジメな新人編集者と破天荒な漫画家。この2人がギャグで革命を起こす日まで、あと少し…

1967年。大好きな少女マンガを手掛けることを夢見て、大手出版社小学館に入社した武田初美。突然そこに現れたのは、少年サンデー誌にて『おそ松くん』を連載中の大人気漫画化・赤塚不二夫だった。赤塚は人気キャラクター・イヤミの扮装で登壇。新入社員に対して「馬鹿になれ」と言い放ち、「シェー」のポーズをさせる。それを拒否する初美に、赤塚はポーズを強要すると、思わず赤塚の顔面にパンチをしてしまう。その後、初美は少女漫画誌希望だったのに、なぜか少年サンデーに配属。おまけに、赤塚不二夫の担当に任命されてしまう。実は、入社式の彼女の様子を気に入って、赤塚が手をまわしたのだった。赤塚のギャグマンがを下品だと思っていた初美は拒絶反応を示すが、赤塚は容赦なく“ギャグ”の洗礼を浴びせていき…というストーリー。

ギャグマンガはキライじゃないけど、主人公の武田初美の拒否感はなんとなくわかる。子供の頃、漫画家になりたいといっていた私に、親は赤塚不二夫の『まんが入門』を買い与えてくれた。おそらく本人がマンガの描き方の手ほどきの文面を書いていたとは考えにくいのだが、赤塚キャラをつかって、Gペンとガラスペンの筆感の違いから丁寧に解説してあった。しかし、はっきりいって私は、赤塚不二夫なんて『天才バカボン』の夕方の再放送くらいしか観たことがない。彼の漫画なんか一度も読んだことがなかったのだ。
それこそTVマガジンとかコロコロコミックとか、そんなレベルの漫画しか見ていなかった私にとって、赤塚不二夫の絵は艶かしすぎた。線にエロチックさが漂っていた。私は、何か見てはいけないものを見ているような感覚になり、その本は、それ以上読むことはなかった(大事に持っていたら、それなりの値段で売れただろうが、いつのまにかなくなっていた)。

ギャグ漫画家は短命だとか頭がおかしくなるとか、子供心にもそんな臭いを感じ取っていたと思う。それが証拠に、ギャグ漫画家としてヒットを飛ばした漫画家が、最期までギャグ漫画家のままおわる例は少ないと思う。結局、ストーリー漫画になったり、もっとお歳を召してくると風刺漫画になったりする。狂気を維持するなんて普通の人間には無理なのだ。
そして本作中の赤塚不二夫は、狂気を続けるために狂気を重ねるという毎日を繰り返す。まあ、赤塚不二夫の素顔を、明治・大正の文豪の奇行と同列に表現してみた…そんな感じかな。

まあ、そこはそれでいいんだけど、本作の原作者は赤塚不二夫の担当だった武居俊樹氏によるもの。つまり、映画では、主役を男性から女性に置き換えている。これってマズくないか?初美の「私は三番目でいいです」の意味もちょっと変わってくるし、終盤の温泉宿に篭っての仕事もイメージが違いすぎる。初美と先輩社員との恋愛関係の描写も完全にフィクションってことだろう。もう原作と呼べないよね。

フジオプロの不正経理事件の話は本当くさいけど、一方、妻や母の名前は変えてある。それに実際は娘が生まれているはず。この虚実の中途半端さは何なのか。何をしたいのか。
おそらくこの作品は、赤塚不二夫の生き方が虚実のボーダーが判然としていなかったのだから、じゃあ自伝映画だって虚実を判然とさせないほうがそれらしいだろってことなんだろうね。温泉宿での過激派云々のくだりとか、まるでクスリでもやっている感じ。そういう時代だった…ともいいたいんだろう。そして時代が赤塚漫画を許容しなくなったとね。でも、その表現はかえって本人を貶めているような気もしないではない。

で、観終わった後に何が記憶に残ったかというと、木村多江の妙な色気…かな。別に悪い作品だとは思わないけど、ちょっと、何を楽しんで良いのかわからなかった作品。

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image2013.png公開年:2012年
公開国:アメリカ
時 間:136分
監 督:マーク・ウェブ
出 演:アンドリュー・ガーフィールド、エマ・ストーン、リス・エヴァンス、デニス・リアリー、キャンベル・スコット、イルファン・カーン、マーティン・シーン、サリー・フィールド 他
コピー:恐れるな。自ら選んだ、この運命を。



13年前に両親が失踪して以来、伯父夫婦のもとで育った高校生のピーター・パーカー。ある日、父が遺した鞄の中に、父と生物学者コナーズ博士の関わりを示す資料を見つけた。父のことを知るために、コナーズ博士が勤務するオズコープ社を尋ねる。しかし、そこで遺伝子実験中の蜘蛛に噛まれてしまう。ピーターは帰宅途中の電車の中で、驚異的な力に目覚め…というストーリー。

ティム・バートンの『バットマン』に対する『バットマン ビギンズ』のような感じかと思いきや、サム・ライミ版の焼き直しといってよい内容。叔父叔母に育てられ、学校ではいじめられっ子で、研究機関でクモに咬まれて能力を持ってしまい、自分の無責任な行動による叔父が殺されてしまうという…というポイントはまったく一緒。本家の焼き直しの“アルティメット・スパイダーマン”をベースにしているらしいので、こうなるのはわかるが。サム・ライミ監督が降板して予定が狂ったのはわかるが、始めから作り直しする意味がどれだけあったか。

何かい?キルステン・ダンストがブサイクだから作り直したかったとでも?(笑) でも、エマ・ストーンは、いかにもモテそうなキャラクター。スパイダーマンがこれでいいのか?体育館でポスター描いてた野暮ったい女の子の方がよっぽど魅力があったような…。

『(500)日のサマー』のマーク・ウェブ監督だが、そつなくまとまってはいると思うが、彼のすばらしさが生きていない。彼らしく若者の青春にはウエイトが置かれているが、その分、ヒーロー映画としてのワクワク感が削がれている。
この手の作品では、珍しいのは、胸クソわるい悪人というのが出てこない。叔父を殺したチンピラや、街のチンピラはでてくるが、ヒーロー作品なのに、圧倒的な悪役がいない。“リザード”だって、最終的に倒すわけではない。

サム・ライミ版では「大いなる力には大いなる責任が伴う」という強いメッセージがあったが、本作にはそれに代るメッセージ性はあっただろうか。ただ、サム・ライミ版のメッセージが薄まったものがそこにあっただけに思える。“マンガ”なのに強いメッセージ性、そのアンバランスさこそスパイダーマンの魅力だったんだかがなぁ。

サム・ライミ版のスパイダーマンのCGはトホホ状態だったので、さすがにそこは改善されるだろうと思っていたのだが、ユニバーサルスタジオレベルのカットが散見で、がっかり。クモの糸は体から出るのではなく、“仕入れ”るという設定。ユニークではあるが、重要ではない。それ以前に、機械好き、科学好きという設定が、いまいちしっくりこない。あんな最新素材をつかった糸を自由自在に出力できる機会を作れるだけの能力があるように見えない。

続編に繋げようとして、父親の秘密を匂わせているが、いまいち魅力もワクワク感も感じない。マーク・ウェブはお気に入りだっただけに、正直落胆している。TSUTAYAが独占レンタルしているが、あまりモメごとがおこっていないのは(独占禁止法云々と騒ぎになっていないのは)、本作のデキがああまりよくないからじゃないか…なんて。色々残念。

 

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image0607.png公開年:2002年
公開国:アメリカ
時 間:116分
監 督:ニック・カサヴェテス
出 演:デンゼル・ワシントン、ロバート・デュヴァル、ジェームズ・ウッズ、アン・ヘッシュ、エディ・グリフィン、キンバリー・エリス、ショーン・ハトシー、レイ・リオッタ、ダニエル・E・スミス、ケヴィン・コナリー、ポール・ヨハンセン、ヘザー・ウォールクィスト、ローラ・ハリング、ラリッサ・ラスキン 他
コピー:その時、彼は病院を占拠した。
要求はただ一つ、「息子の命を救うこと」

シカゴ。妻デニスと9歳になる息子マイクの3人で幸せに暮らしているジョンだったが、不況の波で勤務時間が減らされ収入は減少する一方で、とうとう妻の車が借金のかたに取られてしまう。なんとか新たな仕事を探そうとしている中、マイクが野球の試合中に倒れてしまう。診断の結果、マイクは重い心臓病を患っており、このままでは余命幾ばくもないこと、助かるためには心臓移植しかないことが告げられる。保険に入っていると安心していたジョンだったが、半日勤務となっていたジョンの保険は、高額医療に適用されないものに変更されており、支払いを拒否されてしまう。知人たちのカンパや家財を売却することで、なんとか支払いを続けていたが、いよいよ滞ってしまい退院を勧告されてしまう。ジョンは病院に拳銃を持って押しかけ、医師や居合わせた患者を人質に、マイクを移植用の心臓待ちリストにのせることを要求する…というストーリー。

人質をとって立て籠もった犯人を、一般市民が応援するという展開は、『狼たちの午後』に通じるものがある。『狼たちの午後』の主人公ソニーが強盗した理由は、ゲイである恋人の性転換手術の費用のため。刹那的で理不尽な理由だと思うが、さて本作の主人公ジョンの理由はどうか。子供は心臓移植をしなければ死んでしまうという状況で、とうとう金策が尽きて窮してしまい、人質をとって立て籠もる。正しいとは言えないが、、理屈の通った理由であるように思える。しかし、どうだろう。

冷たい人だと思われてもかまわない。はっきりいってこの主人公も妻デニスも、クソ人間だ。皆保険制度のないアメリカ社会がどうだこうだいうのは簡単だが、日本だって、転職の端境で手続きを怠った人は健康保険を使えないし、任意保険に入っていない人にはもちろん給付はない。確かに、保険会社はセコいこと小ズルいことをやっているかもしれないけれど、健康保険に入っていない人が多いからといって、それが正義であるかのような論調になるのはおかしな話に感じる。
はっきりいって、私は、ジョンが医者に銃を突きつけて、病院にたまたまいた人を人質にとって立て篭もったとき、このクソ人間、頭を撃ち抜けれて死ねばいいのに…と思った。そして、自分の夫がとんでもないことをやらかしているのに、夫の味方だと言い放つくせに、息子が移植待ちのリストにのせてもらえると聞いた途端に「ありがと~」って、頭おかしいでしょ。いくら、子供ばピンチだからといってここまで破廉恥な行動を取る人間を応援できるわけもない。
そう、この映画は、感情移入できる人間も応援できる人間も不在の映画なのだ。もし彼の行動に、アメリカ人が共感できるというなら、アメリカ人がクソなのだ。

(以下ネタバレ)
で、アメリカ映画だから、子供が死ぬシナリオなんてことはまずないでしょ。じゃあ本当にリストの準備を飛び越えて、心臓移植を受けることができるか?それもないでしょ。じゃあ、どうやってオチをつけるか…を考えたら、想像ついちゃうよね。自分の心臓で移植しようとする以外にあり得ない。結構簡単に思いついちゃうから、観客の気をそらすしかない。だから、DV男と女の逆襲とか、現場責任者と警察署長のバトルとか、色々差し込まざるを得ないわけだ。

そのアイデアは否定しない。だけど、はじめからそれが目的だった…、そのために用意周到に準備していたのか!!!!と、とっても驚ける展開にしてほしかった。本作は、行き当たりばったりに見えるのだ。銃に弾は入っていなかった…とか、その程度じゃ、しっかり計画されていたようには到底思えないないのだ。

息子と自分の適合テストをして確認済みにようなことをいっていたが、そんな描写はどこにもなかったと思う。大体にして、移植できるだけのスタッフを確保して犯行におよんだわけではない。一人の心臓医を確保したにすぎず、他に手術を手伝える医者がいることを確認していない。設備が整っていることも確認できていない。大体にして、拳銃自殺した死体から移植用の心臓を取るのは厳しいのではないか?

はっきりいって、穴がありすぎ。『ライフ・オブ・デビッド・ゲイル』ばりの用意周到さをみせてほしかった。別の場所で要人の人質をとって、言うことを聞いて俺が自殺した後に移植しないと、そいつを殺すぞ…とかしないと、この作戦は成功するはずがない。
で、ジョンが妙に奇跡、奇跡といっているので変だと思ったら、偶然の出来事がおこって終わるという…。そして、手のひらを返したように、事件に巻き込まれた人がジョンの擁護にまわり、保険制度への批判話にすり替わる。

人質をとって不当にリストにのせたという悪行をうやむやにするために、リストにのせていなければあの心臓はムダになっただけという、異常なシチュエーションで誤魔化す。私は、愚かなシナリオだと思う。

拍手[0回]

image0587.png公開年:1999年
公開国:アメリカ
時 間:127分
監 督:ジェームス・マンゴールド
出 演:ウィノナ・ライダー、アンジェリーナ・ジョリー、クレア・デュバル、ブリタニー・マーフィー、エリザベス・モス、ジャレッド・レト、ジェフリー・タンバー、バネッサ・レッドグレーブ、ウーピー・ゴールドバーグ、アンジェラ・ベティス、ジェフリー・タンバー、ヴァネッサ・レッドグレーヴ、トラヴィス・ファイン、ケイディー・ストリックランド、レイ・ベイカー、ミシャ・コリンズ、ジリアン・アルメナンテ 他
受 賞:【1999年/第72回アカデミー賞】助演女優賞(アンジェリーナ・ジョリー)
【1999年/第57回ゴールデン・グローブ】助演女優賞(アンジェリーナ・ジョリー)
【1999年/第5回放送映画批評家協会賞】助演女優賞(アンジェリーナ・ジョリー)
コピー:探しに行こう、心にできた隙間を・・・・・・埋めてくれる何かを。

高校を卒業することになったスザンナ。同級生は全員大学に進学することになったが、自分は文筆業を目指すと主張し進学を拒否。世間体を気にする両親は、そんなスザンナの行動をまったく理解しようとしない。孤独感に苛まれたスザンナは、多量のアスピリンとウォッカを飲み、病院に搬送される。なんとか一命は取り留めたものの、精神的に不安定であるとして精神病院に入院させられる。そこには、顔に重度のやけどを負った者、鶏肉と下剤しか口にしない者、オズの魔法使の世界に浸ったままの者、虚言癖の者など、様々な症状の患者がいた。彼女たちは、厳しい監視の下に置かれていたが、リサという行動的な患者が中心となり、深夜に立ち入り禁止の遊戯施設で遊んだり、自分たちのカルテを盗み見たりと、病棟内を自由に歩きまわっていた。そんなある日、リサはスザンナに病院からの脱走を持ちかけ…というストーリー。

本作は原作者の体験談。主人公のスザンナは原作者の名前。いろんな症状の者…というだけでなく、色々な段階の者が混在する病棟内の様子が実にリアルだと思う。その症状の程度も、日によって軽重がある様子がうまく表現されていると思う。同じ精神病棟モノで有名なのは『カッコーの巣の上で』だが、そっちより本作のほうが数段好きである。『カッコーの巣の上で』だってしっかり取材はしていただろうけど、所詮はフィクションだ。本作の得体の知れぬ生々しさには、静かに圧倒される。
本作は、『アイデンティティー』の監督。精神を病んだ人を扱うのが好きなのかな。

冒頭に、「お金があるのに万引きしたり、落ち込んだり…」という台詞がある。後のウィノナ・ライダーの凋落を考えると、トホホな感じになってしまう。本人も、そんなことになろうとはこの時は思っていなかったか…、いや、無意識にこの作品にシンパシーを感じていたに違いない。そう思うほど、いい演技だった。
でも、映画賞をさらっていったのはアンジェリーナ・ジョリー。その後、彼女はいろんな作品に出たが、本作以上に演技がキレている作品はない。これがアンジーのベスト作品だと思う。反社会的行動をとるレズビアン役は、男っぽく演じていればできるというものではないと思う。感情の殺し方が絶妙で、他者への共感が欠如している人間を非常にウマく演じきった。
自ら惚れこんで、この作品に打ち込んできたのに、良いところはアンジーの持っていかれてしまったウィノナ・ライダー。まあ、実際に病んでしまうのもわからないではないが、あれはあまりにお粗末なスキャンダルだったな。

主人公は、境界性人格障害と診断されるのだが、現代ならば投薬治療でなんとでもなりそうなくらいの軽微な症状だと思う。そして、
夜中に部屋を抜け出して、ボーリングしたり、カルテを盗み見たりできるレベルの病院で、なんだけっこう軽めの病院なんだな…と思っていたのだが、どうしてどうして。

今の世の中、誰でも少しは病んでいる。むしろ青春映画として、もっと頻繁にTV放送されてもいいくらいなんだけど…、まあ、父親からの性的虐待が常態化した末に、首吊りしてしまう衝撃のシーンがそうさせないんだろう。
いや、でも私は、立派な青春映画だと思う。登場人物は女性ばかりな上、心の病んだ人たちばかりなのに、なぜか微かに共感できてしまうこの感じ。もしかすると私もすこしどこかを病んでいるのかもしれないけど、きっと多くの人も何かひっかりを見つけると思う。お薦め。

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image2010.png公開年:1995年
公開国:アメリカ
時 間:106分
監 督:ガス・ヴァン・サント
出 演:ニコール・キッドマン、マット・ディロン、ケイシー・アフレック、イリアナ・ダグラス、アリソン・フォランド、ダン・ヘダヤ、ウェイン・ナイト、ホアキン・フェニックス、ティム・ホッパー、マリア・トゥッチ 他
受 賞:【1995年/第53回ゴールデン・グローブ】女優賞[コメディ/ミュージカル](ニコール・キッドマン)
【1995年/第1回放送映画批評家協会賞】主演女優賞(ニコール・キッドマン)

“TVに映らなければ生きている意味がない”“いつかTVに出て有名になる”という強い決意をもっていたスザーン・ストーンは、大学を卒業すると、地元のイタリアン・レストランで働くラリー・マレットと結婚する。ハネムーン先はフロリダを選択。ラリーの趣味である釣りに付き合ったと思いきや、実は現地のホテルでTV界の大物たちが会合を開くという情報を得て、それに紛れ込むためだった。夫の知らないところで熱心に自分を売り込んだスザーンは、ハネムーンから戻るやいなや、フロリダで得たアドバイスを元にTV局にごり押しで就職。雑用係での採用のはずが、グイグイと自分をアピールし、ついにお天気キャスターの地位を得る。ラリーは、そんな向上心の強い妻を誇りに思い応援するのだった。お天気キャスターを足がかりにメジャーになろうという野望を持っているスザーンは、高校生たちの実態を描くドキュメンタリーを制作し、それを売り込もうと考えた。彼女は地元の高校に乗り込み、ジミー、ラッセル、リディアの落ちこぼれの3人組に着目し、彼らに焦点を当てることにするのだったが…というストーリー。

冒頭で、ニコール・キッドマン演じるスーザンが逮捕される新聞記事の紹介ではじまるが、その後、スーザンの語りが始まり「おや?」と。逮捕されたはずの彼女の、前向きな語り。これは何?その後、冒頭で頭を撃ち抜かれていた夫と、スーザンの馴れ初めからはじまる。
途中途中で、関係者のインタビューを挟みながら進む。その中には、明らかにTV番組のスタジオにいる両親のものもある。このインタビューは何?さて、彼女は今どうなっているのか?どうしてそうなったのか?という点にグっと着目させる、おもしろい構成である。
本作は、少年をたぶらかして夫を殺させたという実際の事件が元となっているらしい。厳密にその事件を再現するつもりはないだろうが、ある程度の流れはわかってしまうので、色々な仕掛けを施しているというわけだ。

サイコパスの定義は、知識はあるけれど他者への共感がない人間を指すようだが、スーザンは、自己顕示欲と実行力はあるが、それに沿わないものは容赦なく切り捨てるタイプで、非常に近いが、微妙に異なるような気もする。これに巧みさが加わると怖い!って感じになるんだけど、行き当たりばったり感満載なのが特徴か。ニコール・キッドマンは、この浅はかなキャラクターがそれなりに目的に邁進してしまうことに、説得力を持たせるに充分な美貌なのだ。
私は、本作の中で一言も喋らないスザーンの姉の存在が気になった。スザーンの性格形成を考えた上で意図的に配置したならば、これはなかなか秀逸な設定だと思う。

スザーン以上に説得力を発揮しているのが、ホアキン・フェニックスの演技。年上の女に翻弄されつつも、ギラギラとした狂気の渦に身を任せてしまう若者を見事に演じている。

妙に夫の家がイタリア系であることを、ことあるごとに差し込んでくるなと思っていたら、最期は『ゴッドファーザー』的展開。もちろん実際の事件とは違う展開だろう。ギラっと目を輝かせる、ラリーの両親の表情は、なかなか良かった。

正直、この映画自体も浅はかな企画だと思うんだけど、ニコール・キッドマンとホアキン・フェニックスをキャスティングしたことで、成功した作品。他のシリアルキラー物や、猟奇殺人物とは一線を画するユニークな作品に仕上がっている。軽くお薦め。

 

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image2012.png公開年:2007年
公開国:ハンガリー、ドイツ、フランス
時 間:138分
監 督:タル・ベーラ、(共同監督)フラニツキー・アーグネシュ
出 演:ミロスラヴ・クロボット、ティルダ・スウィントン、ボーク・エリカ、デルジ・ヤーノシュ、レーナールト・イシュトヴァーン 他
コピー:ある晩、静かな港で起こった殺人事件。偶然にも大金を手に入れた男と失った男。二人の人生が交錯し、運命の歯車が狂ってゆく。



港にある鉄道の駅で、夜間の線路の切り替えをしている鉄道員のマロワン。ある晩、ロンドンからの船で到着した男が、殺人を犯す現場を制御室から目撃してしまう。男が逃げ去った後、殺された男が持っていたトランクを海から引き上げる。制御室に戻りトランクの中を見てみると大量の紙幣が。マロワンは警察にも届けず、家族にも告げず、とりあえず隠しておくことに。殺人を犯した男ブラウンは、町に留まりトランクを探しまわり、やがてロンドンから刑事もやってきて海中から死体を発見するのだが…というストーリー。

50分くらいまで観たんだけれど、誰がロンドンから来た男で、誰が殺されたんだか、どういう展開になっているのかさっぱりわからなくなってしまった。ネットであらすじを調べて読んで、始めから見直した。それでやっと腑に落ちた。
とにかく定点カメラによるワンカットが長い。白黒でコントラストも甘く、変化の小さい場面が延々と続く。ハリウッド映画のテンポに馴れている人には耐えられないテンポだろう。私もそれに耐えることができず、目が飽きてしまい、その結果、何が繰り広げられているのか、迷子になってしまったわけだ。

紙幣を乾かすために、ストーブにのせる意味がわからず(いくらなんでもコゲるんじゃね?)。ほとんど金だけ抜いて、少しの紙幣を挟んだ空のカバンを海岸に打ち上げられたようにしておけば、金は流れちゃったんだな…ってことで、刑事は納得して帰ったんじゃないかと思うんだけど…、とか、やたらと間伸びした展開なだけに、色んなことが頭に浮かぶ。浮かぶのはいいんだけど、さほど謎が多いわけでもないし、魅力的な人物や展開というわけでもないので、余計なことばかりが頭に浮かぶ。

このジリジリとしたテンポで、普通のおっさんが大金を手にしてしまったことで追い詰められていく様子を、海水で湿った綿で窒息させられるような感じで表現しようとしているのは理解できる。理解はできるだけど、愉しめるかどうかは別。

ぎゅっとまとめたら40分で終わる話だと思う。それに、はっきりいって、コピーの内容で全体の8割を説明できちゃってると思う。あとは、主人公のマロワンが、どういうオチをつけるか…、残りはそれだけだもの。大金を手に入れたことを、ひた隠しにする苦悩…って展開かと思いきや、気が大きくなって、娘の仕事場の待遇が気に喰わないってことで無理やり辞めさせるわ、新品のパイプは買うわ、娘に毛皮のマフラーを買ってやるわ、結構なお大尽。でも、たいして収入の無いおっさんが、突然娘に高価な毛皮を買ったことで、足が付く展開かのかとおもいきや、そんなこともなく。間伸びしてるくせに、話の軸も定まっていない感じ。

でも、マロワン自身は、刑事が金が見つかるまで町にいることがとにかく心苦しい。そんなときに、娘から、小屋にイギリス人がいることを聞いたマロワン。ピカ!っとあることを思いつき、即座に行動にうつすわけだ。
まあ、わからんではないんだけど、いやァ良く乗り切ったねぇ!って感情が沸いたわけでもなかったし、そうかその手があったか!してやったり…って驚いたわけでもない。実に小市民的だし、結果オーライ的な感じで、心は動かなかった。

正直、もう二度と観たいとは思わないけどね。
#何気に、ティルダ・スウィントンが出ている。『フィクサー』で米アカデミー助演女優賞を獲ったのと同じ年だったりする。

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image2011.png公開年:2001年
公開国:アメリカ
時 間:111分
監 督:テリー・ツワイゴフ
出 演:ゾーラ・バーチ、スカーレット・ヨハンソン、スティーヴ・ブシェミ、ブラッド・レンフロー、イリアナ・ダグラス、ボブ・バラバン、テリー・ガー、ステイシー・トラヴィス、チャールズ・C・スティーヴンソン・Jr、トム・マッゴーワン、デイヴ・シェリダン、T・J・サイン、パット・ヒーリー 他
受 賞:【2001年/第36回全米批評家協会賞】助演男優賞(スティーヴ・ブシェミ)
【2001年/第68回NY批評家協会賞】助演男優賞(スティーヴ・ブシェミ)
【2001年/第17回インディペンデント・スピリット賞】助演男優賞(スティーヴ・ブシェミ)、新人脚本賞(ダニエル・クロウズ、テリー・ツワイゴフ)
コピー:ダメに生きる

ファッションと絵を描くことが好きなイーニドと幼馴染のレベッカは、うんざりな高校生活から卒業したものの特に進路も決めず、周囲への不満をぶつけながらフラフラと思いつきで暮らす毎日。そんなある日、新聞の出会い系広告欄に載っていた中年男シーモアをからかおうと、電話でダイナーに呼び出し、相手とひたすら待つ惨めな様子を眺める。諦めて店を出るシーモアを尾行して、家を突き止めるのだが、イーニドはなぜかそんな中年男は気になってしまう。後日、家の近くでブルース・レコードのガレージセールを出すシーモアと接触し、それをきっかけに二人は親しくなるのだったが…というストーリー。

イーニドとレベッカは、結構どこにでもいそうな生徒。明確な進路を決定せずにモラトリアムな存在でいることに価値があると感じている。でもそんな時は長く続きはしない。そのまま最後までイーニドとレベッカの物語で展開するのかと思いきや、途中からスカーレット・ヨハンソン演じるレベッカはすっかり脇役になり、イーニドのカウンタバランスとしての存在になっていく。
レベッカはお先に自立しはじめるが、イーニドは何かに寄り添っていかなければ生きていけない存在のまま。そして、ストーリーはイーニドの内面に焦点が当たっていく。

原作はアメリカのコミックらしい。なんで“ゴースト”ワールドなのか。彼女らに目に映る周囲の人たちがゴーストに見えているのか、彼女らの周囲を見下した態度や立ち位置がゴーストだといっているのかはよくわからないが、こういうサブカル的な文化があるんだね。大きな盛り上がりはないけど、愉しい作品だった。中二病、中二病。

途中で父親に「何で泣いてる?」と聞かれ「ホルモンバランスが崩れただけ」という台詞。実はこの台詞がすべて。彼女は、自分の思うままに振舞っていると思っているのだが、実は精神と肉体がホルモンの影響を受けて暴れているだけなのに、それを自分の個性や選択の結果だと追認しているだけにすぎない。若気の至りとはそういうものだし、その本能の暴れ馬こそ青春の原動力。ちょっと普通に子とは違う方向に流れているだけでね。
最期のシーンは、とうとう行き詰まってしまい自分を変える為に去った…と捉えられなくもないが、世の中には抗うばかりでなく社会や自然に流れる波に乗ったほうがいい時がある…ということを悟ったという場面なんだと、私は思う。

いつも、不気味な変人役ばかりのスティーヴ・ブシェミが、けっこう常人の役で、めずらしいかも。そして、スカーレット・ヨハンソンは、『ロスト・イン・トランスレーション』に出演する二年前。すごくスタイルも顔立ちもいいんだけど、なぜか普通っぽさを纏っているのが魅力的。この人、あんまり変わらないね。

 

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image1990.png公開年:2011年
公開国:フランス
時 間:101分
監 督:ミシェル・アザナヴィシウス
出 演:ジャン・デュジャルダン、ベレニス・ベジョ、ジョン・グッドマン、ジェームズ・クロムウェル、ペネロープ・アン・ミラー、ミッシー・パイル、ベス・グラント、ジョエル・マーレイ、エド・ローター、ビッツィー・トゥロック、ケン・ダヴィティアン、 マルコム・マクダウェル、ベイジル・ホフマン、ビル・ファガーパッケ、ニーナ・シマーシュコ、スティーヴン・メンディロ 他
受 賞:【2011年/第84回アカデミー賞】作品賞、主演男優賞(ジャン・デュジャルダン)、監督賞(ミシェル・アザナヴィシウス)、作曲賞(ルドヴィック・ブールス)、衣装デザイン賞(マーク・ブリッジス)
【2011年/第64回カンヌ国際映画祭】男優賞(ジャン・デュジャルダン)
【2011年/第78回NY批評家協会賞】作品賞、監督賞(ミシェル・アザナヴィシウス)
【2011年/第69回ゴールデン・グローブ】作品賞[コメディ/ミュージカル]、男優賞[コメディ/ミュージカル](ジャン・デュジャルダン)、音楽賞(ルドヴィック・ブールス)
【2011年/第65回英国アカデミー賞】作品賞、主演男優賞(ジャン・デュジャルダン)、監督賞(ミシェル・アザナヴィシウス)、オリジナル脚本賞(ミシェル・アザナヴィシウス)、作曲賞(ルドヴィック・ブールス)、撮影賞(ギョーム・シフマン)、衣装デザイン賞(マーク・ブリッジス)
【2011年/第24回ヨーロッパ映画賞】音楽賞(ルドヴィック・ブールス)
【2011年/第27回インディペンデント・スピリット賞】作品賞、監督賞(ミシェル・アザナヴィシウス)、主演男優賞(ジャン・デュジャルダン)、撮影賞(ギョーム・シフマン)
【2011年/第17回放送映画批評家協会賞】作品賞、監督賞(ミシェル・アザナヴィシウス)、衣装デザイン賞(マーク・ブリッジス)、音楽賞(ルドヴィック・ブールス)
【2011年/第37回セザール賞】作品賞、監督賞(ミシェル・アザナヴィシウス)、主演女優賞(ベレニス・ベジョ)、音楽賞(ルドヴィック・ブールス)、撮影賞(ギョーム・シフマン)、美術賞(ローレンス・ベネット)
コピー:温かい涙、溢れ出す愛。この感動に世界が喝采――

1927年のハリウッド。映画界はサイレント全盛期。銀幕のスター、ジョージ・ヴァレンティンは、愛犬と競演した新作の舞台挨拶で大喝采を浴びていた。熱狂する観客は映画館の周囲にまで溢れるほどで、ジョージは会場を出るだけでも一苦労。そんな混雑の中、ジョージは若い女性ファンに突き飛ばされてしまう。それでもご機嫌のジョージは怒ることなく微笑んでいると、突き飛ばした女性は興奮して、大スターの頬にキスしてしまう。そこを写真に撮られ、翌日の新聞の一面に。おかげでジョージは妻の機嫌を損ねてしまう。ジョージを突き飛ばした女性は、女優を目指すペピー・ミラー。映画会社のオーディションを受けた彼女は、キュートなダンスと笑顔で見事合格し、ジョージ主演作のエキストラ役を獲得する。撮影後、楽屋を訪ねてきたペピーに、ジョージは唇の上にほくろを描くことをアドバイス。その後、彼女は続々と役を獲得していく。一方、映画界にはトーキー映画が登場。しかし、ジョージはサイレント映画にこだわり続け、時代から取り残されてしまい…とうストーリー。

サイレント時代のお話なので、本編もサイレントで進む。白黒なだけでなく4:3。観る前、何だよ吹き替え音声ついてないのかよ…なんて思ってたんだけど、そりゃあるわけないわなぁ。

「昔の写真が白黒なのは、実際に世界が白黒だからだと思ってた…」なんていうかわいい子供の勘違いを聞くことがあるが、本作も、トーキーが世に出てきたとき(もしくは世に受け入れられた瞬間)に、本編に音が入ってくるのかと思ったら違った。
主人公は、映画の主流がトーキーになっても、頑なにサイレントこそ真の映画だと思っている人間。だからずっと本作もサイレントなわけだ。そしてサイレント映画こそ芸術だと思っている。だからアーティストっていうタイトル。一応、筋は通っている。

ラストは、『ジャズシンガー』(『ジャズシンガー』はサイレンとからトーキーへの移行を体現した映画。ずっとサイレントで話が進んでラストシーンで声が入る)。『ヒューゴの不思議な発明』が子供向けのファンタジーと思わせておいて、実はジョルジュ・メリエスへのリスペクト且つ映画賛歌だったりしたわけだが、こういう映画自体へ愛が溢れる映画は嫌いじゃない。
#なので、途中で夢の音声が乗るのがちょっと邪魔だったかも。

3D全盛の中、これが米アカデミー作品賞を獲ってしまうということにも意味がある。が、本作は技術の進歩に付いていけない業界人の凋落が表現されていることを考えるとと、3Dの波に乗ることに躊躇するな! 観客は立体映像を観たがっている!というメッセージと取れなくも無い。
他の映画製作者は「その手があったか」「やられた」と思ったことだろう。もうこの手法は使うことはできないものね。企画の勝利。

まあ正直、ストーリーは凡庸な気がするが、ラブストーリーになんか基本的に興味のない私には、適度な恋愛模様。その恋愛だって単なるオッサンへの愛情ってだけじゃなく、“映画”へのリスペクトが混ざってるんだもの。私はグっと惹きつけられたまま、観終えることができたけど、良いと思う人、それほどでも…という人、ぱっくり半々に分かれる作品だろうね。

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imageX0083.Png公開年:1990年
公開国:アメリカ
時 間:113分
監 督:ポール・ヴァーホーヴェン
出 演:アーノルド・シュワルツェネッガー、レイチェル・ティコティン、シャロン・ストーン、マイケル・アイアンサイド、ロニー・コックス、マーシャル・ベル、メル・ジョンソン・Jr、マイケル・チャンピオン、ロイ・ブロックスミス、レイ・ベイカー、リシア・ナフ 他
受 賞:【1990年/第63回アカデミー賞】特別業績賞(視覚効果)
コピー:見たこともない! いま、新しい大冒険映画をハリウッドは創り上げた。

西暦2084年。建設作業員のダグは、妻のローリーと2人暮らし。しかし、いつも同じ火星の夢を見てうなされることに悩んでいた。火星に行ったことはなく、なんでこんなに火星のことが気になるのか自分でもよくわからなかった。そんなある日、「旅行の記憶を売る」というリコール社の存在を知る。さっそくリコール社を訪れたダグは、火星旅行を記憶を注入してもらうことに。その記憶の設定は、自分は諜報員で、ブルネットの女性と恋に落ちるというもの。しかし、なぜか記憶の注入は失敗し、意識を取り戻すと帰宅途中のタクシーの中だった。何が何やらわからないタグは、これまでのことをローリーに説明すると、彼女は突然タグを殺そうおと襲い掛かってきて…というストーリー。

コリン・ファレル主演のリメイク版のおさらいで鑑賞(これもTSUTAYAでしかレンタルしないらしいな)。
本作を観る時、毎度毎度思うのだが(おそらく多くの人が同じように思っているはず)、マンガの『コブラ』の第一話とプロットがまったく一緒。原作の『追憶売ります』が1966年で、コブラが1978年。おそらく寺沢武一がパクったんだろうな。インスパイアって言ってあげたいんだけど、そのまますぎなんだもん。

まあ、それはそれとして、観始めちゃうと、そのまま観続けちゃう、ホイホイ率はものすごい高い作品だと思う。

火星で繰り広げられた内容は、実はすべてリコール社で見ている夢…らしい。実際、監督はそういう意図で作っていたらしいしかし、DVDで観るとそういう編集にはなっていない。だって、事実だったほうがおもしろいんだもん。
現実か夢なのか判然としない…という内容にしたいならば、主人公がどっちかわからなくなって混乱するシーンとか、どうせ夢なんだろう?ってダメ元で主人公がやらかすとか、観客がもしかして…と思うようなシーンを、もっと途中に差し込まないとダメだと思う。少なくとも火星に言ってからは、そんな疑いの余地を挟むようなシーンは一つもなかった。
もっと深く追求すれば、それこそ『マトリックス』ばりに、認識論の領域まで高めることはできたのに、そんな高尚な意図は微塵も感じられない。決して、わざと避けようとしているわけではない。そういう考えには及んでいないのだ。

しかし、そのおかげで、テンポのよいSFとして成立しているという、監督の製作意図とは外れた方向で成功してしまった、珍しい作品だと思う。ちなみにバーホーベン監督は『ロボコップ』の監督。ノリにノッている時期ではある。

さすがに今観ると、特撮(特殊メイクやマペット)はショボく感じるかもしれない。でも1990年当時は、ここまで来たか!と思ったものだ。異形の者が出てくる作品はたくさんあるが、“ミュータント”のデザインの発送(というか絶妙なエグさ)は、非常にユニーク。
また、お色気、暴力、差別的な表現のいずれにおいても、制限しようとか配慮しようとかいう意志が薄く、それが結果的に大人の鑑賞に堪えうるSF作品に繋がっている。こに仕上がりの軽さと、短めの上映時間のおかげで、TV放映にはもってこい。今後もことあるごとに放送されると思う。

シャロン・ストーンは、『氷の微笑』の2年前。中途半端な美人で暴力的なビッチをうまく演じている。もう、ベースが二流俳優であることがはっきりわかる。

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image0451.png公開年:1999年
公開国:アメリカ
時 間:188分
監 督:フランク・ダラボン
出 演:トム・ハンクス、デヴィッド・モース、ボニー・ハント、マイケル・クラーク・ダンカン、ジェームズ・クロムウェル、マイケル・ジェッター、グレアム・グリーン、ダグ・ハッチソン、サム・ロックウェル、バリー・ペッパー、ジェフリー・デマン、パトリシア・クラークソン、ハリー・ディーン・スタントン、ウィリアム・サドラー、ゲイリー・シニーズ、ポーラ・マルコムソン 他
受 賞:【1999年/第5回放送映画批評家協会賞】助演男優賞(マイケル・クラーク・ダンカン)、脚色賞(フランク・ダラボン)
コピー:僕たちは、世界で一番美しい魂を握りつぶそうとしていた――

大恐慌下の1935年。ジョージア州のコールド・マウンテン刑務所の死刑囚舎房で看守を務めていたポールは、重い尿道炎に冒されており、あまりの排尿時の痛みにより職務に支障をきたすほどになっていた。そんな中、少女2人をレイプし殺害した罪によって死刑を宣告されたジョン・コーフィという黒人の大男が移送されてくる。コーフィは暗闇に怯える物静かな性格で、とてもそんな恐ろしい罪を犯す人間には見えなかった。さらに、ウォートンという死刑囚が移送されてきてくるが、巧みに心神喪失をウォートンに不意をつかれ、脱走されそうになってしまう。何とか取り押さえたものの、ポールは股間を蹴り上げられ悶絶する。そのとき、コーフィが不思議な力でポールの尿道炎を治してしまい…というストーリー。

マイケル・クラーク・ダンカンがお亡くなりになったので、思い出して再鑑賞。

スティーヴン・キング原作の作品の中には、『アトランティスのこころ』のように、本作と同様に超常現象とヒューマンドラマがミックスした作品がいくつかある(『ドリームキャッチャー』もそうかも)。でも、どの作品よりも一番きれいにミックスしていると思う。
そして、、こんなに穴のないシナリオは、今まで観た映画の中でトップクラス(というか、一番だと思う)。脚本は、フランク・ダラボン監督自ら手掛けている。同僚の看守たち全員がジョンの力を知る流れ、なんで所長の妻を治療した後に虫を吐かなかったのか、二人の悪役の結末のつけ方、伏線の回収がウマいと簡単に言うのが憚られるくらい、巧みすぎる。

私は高く評価しているが、世の評判は意外と悪かったりする。文句の付け所がどこにあるのか、問いただしたい気持ちになるくらいなのだが…。長いことに文句をつける人がいるが、じゃあ、省ける部分があるなら、それがどこなのか教えて欲しい。自分が、こんなシナリオを書いて映画化されるようなことがあったら、私は腕一本失ってもいいくらい。

死刑制度がどうのこうのとか、この作品を観て、そんなことに思いを馳せる人は野暮である。こんな理不尽な犯罪は、いまでも世界でおき続けている…。コーフィの台詞は響く。実際、間違いなく、今も誰かが殺されていて、運がよければ何年か後にニュースになるだろう。
冒頭の老人の語りから、ラストの告白と顛末。なにかを直球で語るわけではなく、漂わせる雰囲気が秀逸。この作品は善人と悪人がキレイに別れすぎという人がいるが、このラストのポールの姿を観て、そんなことがいえるか?というか、人間が考える善と悪の概念を超えたなにかがあることを、感じられはしないだろうか。

数年おきに、繰り返し観る作品。

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プロフィール
HN:
クボタカユキ
性別:
男性
趣味:
映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
自己紹介:
一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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