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公開年:2004年
公開国:アメリカ
時 間:114分
監 督:レニー・ハーリン
出 演:ステラン・スカルスガルド、ジェームズ・ダーシー、イザベラ・スコルプコ、レミー・スウィーニー、アンドリュー・フレンチ、ジュリアン・ワダム、ラルフ・ブラウン、ベン・クロス、デヴィッド・ブラッドリー、アントニー・カメルリング 他
ノミネート:【2004年/第25回ラジー賞】ワースト監督賞(レニー・ハーリン、あるいはポール・シュレイダー)、ワースト・リメイク・続編賞
コピー:「エクソシスト」の25年前──全ての恐怖はここから始まった。
第二次大戦末期。メリン神父は、任地のオランダでナチスの残虐行為を目の当たりにしたことで信仰を失い、神父を辞めてしまう。その後、古代史研究家として世界各地を旅していたが、やがてアフリカに流れ着く。そこで、古美術収集家を名乗る男から、教会遺跡の発掘に参加して、とある遺物を手に入れることを依頼される。発掘現場では、理想に燃える若き神父フランシス、女医のサラ、村の少年ジョセフと親交を深めていくが、やがてジョセフの周囲で奇怪な事件が発生しはじめ…というストーリー。
タイトルのとおり、『エクソシスト』の前日譚である。DVDレンタルが始まった当時にレンタルして観たのだが、お恥ずかしい話だが、その時は1作目の『エクソシスト』を観ていなかったという始末。ビギニングってことは発端が語られるんだろうから、そっから観ても問題ないでしょ?みたいなノリで。そのせいで、何が何やらよくわからず、つまらないと断定してしまていたのだが(すまん)、先日『エクソシスト』を観たので、改めて鑑賞したというわけ。
造型やメイクが安っぽいという人もいるのだが、逆に『エクソシスト』のレベルから乖離して変にリアルなのもどうかと思うので、私はこれでアリだと思う。1作目は超えられないな…なんてもっともらしく解説している人がいるけど、そんなのあたりまえじゃないか。1作目を超えるほうがレアでしょ(『T2』くらいでしょ、そんなの)。このシリーズには元々、怖いんだけどどこか笑えちゃう要素があったわけで、そういう意味では正統なシリーズ物といえるかと。
個人的に気になるのは、ナチスの扱い。こういう表現をしちゃうと彼らの行為は悪魔の影響のせいだ!って解釈が成り立っちゃうけど、それが気に喰わない。仏教的には、人間は仏の性質も邪悪な性質も、どちらも元々兼ね備えているのであって、それが発現するのもしないのも、個々またはその集団の責任であって、他人(悪魔)のせいにしちゃいけない。罪を憎んで人を憎まず的な結論になるかもしれないけど、そこにいたる思想的経過があまりにも異なる。
大体にして、ナチスとカトリックはかなり昵懇だったわけだし、誤解を恐れずに言えは、反ユダヤの御旗はナチスが考え出したように思われているけど元々はカトリックの思想だし、ヒトラー自体も経験なクリスチャン。こういうオカルト映画で簡単に触れていいレベルの話なのか?カトリック社会はそこを問題にしないのか?カトリック社会は、ナチスの所業は“悪魔の所業”で“人のせい”ではないと思っているのか?逆にそっちのほうが怖いよ。
神父に戻らないと1作目に繋がらないので、仕方がないんだけど、この程度のことで神父に戻れるか?私なら戻れない。ラストが、シャマラン監督の『サイン』そのまま同じだったんだけど、『サイン』では、単なる宗教レベルを超えた大いなる力を実感した故の復職であったのと比べると、かなり違いがあると感じる。やっぱり戻る理由がいまいちピンとこない。だから私は、ナチスのような社会的フィーバーじゃなくって、もうちょっと小さ目の架空の事件を扱った方がよかったのかな…と思う。
悪魔祓いというのはカトリックの風習なのであたりまえなんだけど、父なる神・イエス・精霊を称える三位一体“呪文”、これには他の宗派やムスリムの人は、半笑いになっちゃうよね。いくら布教の過程で土俗宗教を取り込んだといっても、カトリックは一神教の宗教ではなくなっていて、逆に土俗宗教化してしまっている。共産主義のほうが、よっぽど一神教に近いと思う。
閑話休題。
未見の人は1作目と連続して本作を観ることをお薦めする。世の評価はいまいちだけど、私はアリだと思う。シリーズ物としては佳作。
負けるな日本
公開年:2009年
公開国:フランス
時 間:105分
監 督:ジャン=ピエール・ジュネ
出 演:ダニー・ブーン、アンドレ・デュソリエ、オマール・シー、ドミニク・ピノン、ジュリー・フェリエ、ニコラ・マリエ、ヨランド・モロー、ジャン=ピエール・マリエール、ミシェル・クレマデ、マリー=ジュリー・ボー 他
ノミネート:【2009年/第35回セザール賞】音響賞、美術賞(アリーヌ・ボネット)、衣装デザイン賞(マデリーン・フォンテーヌ)
コピー:世界が平和でありますように。
レンタルビデオ店で働く男バジルは、店の前で繰り広げられた発砲事件に巻き込まれ、頭に銃弾を受けてしまう。なんとか一命は取り留めたものの、銃弾を取り出すことはできず、そのまま生きていくことに。さらに、何とか退院はしたものの、入院中に職も家も全てを失ってしまう。路頭に迷っていると、廃品回収をしながら共同生活を送る奇妙な人たちに出会う。彼らは、それぞれに“人間大砲”や“言語オタク”“計算マニア”“軟体女”などの特殊な能力をもつ7人だったが、彼らに温かく迎えられ、寝床と食料を得て何とか生きていく目処がたつ。ある日バジルが廃品回収をしている途中、偶然にも父親を殺した地雷を製造した会社と自分の頭に残る銃弾の製造会社を同時に発見。この2つのハイテク企業に復讐することを決意するのだったが…というストーリー。
キャラ設定も画質も『ロスト・チルドレン』のテイストが色濃い作品。サッカー競技に地雷が導入されるというトンチキな設定以外は、別に現実世界が舞台といってもおかしくない。この、地雷で父親が死んだという設定が必要だったか否かは微妙なところだが、まあ、これがあればこそファンタジーになってるともいえるし、奇妙な世界観をつくる一助にはなっている。
二つのハイテク企業を巧みに争わせるのは黒澤明の『用心棒』だし、悪に立ち向かうのが個性的な7人なのも黒澤明の『七人の侍』。はて、あまりにもあからさまだけど、ジャン=ピエール・ジュネが黒澤明をリスペクトしているなんて話は聞いたことはないな。どうなんだろう。
まあ、『七人の侍』ってよりも『七人のおたく』みたいなんだけどね。
でも、やっぱりフランスなんで、単なる勧善懲悪ものじゃなくって、社会的下層に生きる人たちとエリートとの階級闘争になっちゃう(あれ、この社会的下層に生きる人々の様子って『どん底』じゃないか。また黒澤じゃん)。
まあ、なんか知らないけれど、個人的な復讐が社会的な制裁の意味に転化されて、みんなが協力しちゃうわけだ。そして、それぞれの特殊能力を駆使して一致団結して立ち向かう。んで、いっさいトンパチを使わず、スカっと仕上げているわけだが、これを気持ちよく思うか、物足りないと思うか。
正直、油断しちゃうと眠くなっちゃうくらい、おとなしめの演出だったりするので、刺激を求める人には不向きかもしれない。私は、数あるジュネ作品の中では、彼独特の異常さとファンタジーが一番キレイに融合した作品だと思うので、評価したい。良作だと思う。お薦め。
ただ難点は吹き替え音声が無いことかな。映像に集中できない。角川、なんとかしろ。
負けるな日本
公開年:2001年
公開国:アメリカ
時 間:116分
監 督:ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン
出 演:ビリー・ボブ・ソーントン、フランシス・マクドーマンド、ジェームズ・ガンドルフィーニ、アダム・アレクシ=モール、マイケル・バダルコ、キャサリン・ボロウィッツ、リチャード・ジェンキンス、スカーレット・ヨハンソン、ジョン・ポリト、トニー・シャルーブ、リリアン・ショーヴァン 他
受 賞:【2001年/第54回カンヌ国際映画祭】監督賞(ジョエル・コーエン)
【2001年/第27回LA批評家協会賞】撮影賞(ロジャー・ディーキンス)
【2001年/第55回英国アカデミー賞】撮影賞(ロジャー・ディーキンス)
コピー:髪型を変えるように少しだけ人生を変えたい
1949年、カリフォルニアの田舎町サンタローザ。床屋に勤務するエド・クレインは、多くを望まず平凡で物静かな生活を送っていた。ふとしたことから妻ドリスと彼女が勤めるデパートの店長デイブが浮気をしているのではないかと疑い始めたが、仮にそうだったとしても、彼の心が大きく揺れることは無かった。そんな時、他の町からやってきた客から、ドライクリーニング店を始めるために出資者を探しているという話を聞かされ、あること思いつく。それは、ドリスとの不倫をネタに相手のデイブを恐喝し、出資金を調達すること。そして、それは実行に移され、一時は思い通りに事が運んだかに見えたが…というストーリー。
カラー版もあるのだが、作られた経緯が不明。殺人モノでありながら、白黒であることによってファンタジー然とした雰囲気が生まれているくらいで、白黒で充分。透明感すら感じる。ちょっと変化球ながらもニューシネマ的な終わり方もよい。
無口でさえない男だが、大言を吹聴するわけでもないし、社会に恨み節をいうわけでもないし、現状を受け止め物事にも動じない、ある意味クールなキャラ。現代においても、むしろ理想に近い小市民像で、共感を覚える人するらいるのではないか。
それが、「自分は変われるかも…」と、ちょっぴり抱いたことが、変転につぐ変転を産むという、まさにコーエンの真骨頂。話が展開するたびに本筋からズレてきて、最後には取り返しがつかなくなっちゃう、っていう流れは、今となっては良くあるテイストだけど、そういう真似っコしたような作品は、所詮真似っコで、先が読めてイライラしちゃう。本作は、ごく自然に、鑑賞者の頭に“?”と“!”とつけることに成功している。この巧みさよ。
それに、実は別に主人公が床屋である必然性も無かったりするんだけど、特殊技能でありながら凡庸なルーチンワークという両面を兼ね備えた床屋という職業にスポットを当てたのが慧眼。この1940年代の男性の髪型というギミックが時代の雰囲気と男の役割をうまく表現する一助に。そして、世の男性と社会を俯瞰で眺めている立場というのも効果的である。
他のキャラ設定も巧みでバリエーション豊富な上にメリハリが効いているし、最終的にロズウェルのくだりまで持ち出しているのに、しっくりハマるのもめずらしいと思う。もう名人の領域。めずらしくカンヌで高評価の作品と、好みがあった。強くお薦めする。
負けるな日本
公開年:1980年
公開国:イギリス
時 間:119分
監 督:スタンリー・キューブリック
出 演:ジャック・ニコルソン、シェリー・デュヴァル、ダニー・ロイド、スキャットマン・クローザース、バリー・ネルソン、フィリップ・ストーン、ジョー・ターケル、アン・ジャクソン 他
ノミネート:【1980年/第1回ラジー賞】ワースト主演女優賞(シェリー・デュヴァル)、ワースト監督賞(スタンリー・キューブリック)
コロラド州のロッキー山脈にあるオーバールック・ホテルの冬季管理人の求人に応募した、小説家志望のジャック・トランス一家。支配人は、過去に冬季管理人が家族を惨殺した過去があることを語ったが、ジャックは気にも留めなかった。いよいよホテルが閉鎖される日、キッチン担当のハロランは、妻のウェンディと息子のダニーにホテル設備の説明をするが、その時に、ダニーが自分と同じ超常的な能力の持ち主であることに気付き、「このホテルには何かが存在する」と警告するのだった。かくして、豪雪により隔離されたホテルでの家族3人の暮らしが始まるのだったが…というストーリー。
原作者のキングがキューブリックへ批判を繰り返したのは有名。後に、本作に文句は言わないからってことで、自らドラマ版を作成した…という経緯らしいのだが、実は私、そのTVドラマは観ていたが、キューブリックの映画版を観ていないという状況。
はっきりいってキング版は、ダラダラと長くてあくびが出るほどつまらないし、何をどう表現したかったのかさっぱりわからず、次は映画版を観ようと決めていた心が萎えるほどつまらなかったのだ。
モダン・ホラーという言葉はよく使われるが、私はモダン・ホラーの定義がよくわからん。でも、本作はものすごくおもしろいじゃないか。
やっぱりキングが自ら自作品を映像化すると、びっくりするぐらいつまらない。餅は餅屋。文章で読んだら秀逸でもそのまま映像化したら陳腐…なんてことはざらにあることで、別に不思議でもなけりゃ恥ずかしいことでもない。なんでそんなことに躍起になるのかさっぱりわからない。邪悪な存在に超能力、キングがこだわる部分は、読んで想像するから生きるのであって、はっきりと目や耳からはいってくると途端に興醒めしちゃうんだよ。分をわきまえて余計なことしなきゃいいのにね。
なんとも表現しにくいのだが、ものすごく“空気”の存在を感じざるを得ない画質。でも、そこに間違いなく気体が存在するという感覚。夢の中で走ろうとしても泥の中を歩くようにうまく進めないあの感覚に近い。これってどこから生じているのか。黒澤明が、いろんな角度を計算して照明を当て影を消したのとは逆で、自然光によってできた影がはっきり映りこんでいるからかな。
ある程度の方向性にリードするだけで、あとは「これってなんだろう…?って考えさせる」、人の想像力を喚起することで怖さを演出するセンスは、白眉だと思う。
『ツイン・ピークス』を彷彿とさせるカット割や編集が多い気がする。最後の写真が示唆する、闇の存在に取り込まれちゃった的な感じもそれだよね。
これだけ商業的にも成功し、世界最高のホラーという人までいる作品なのに、受賞歴がさみしいのは何故か。最高のホラーを評価されることもある本作が、受賞歴がなくてラジー賞にノミネートされるだけだったということに、ちょっぴり驚き。そして、この作品をノミネートするという、レベルの低さを第1回目から露呈してしまったラジー賞(やっぱり、他人の作品をけなすだけの能力が無い、存在価値のない賞なんじゃないのかな)。
そうか、この様式美みたいなものがモダンホラーなんだな。いいものを観た。お薦め。
#“APOLLO USA”のセーターがものすごくカワイイ。
公開年:2009年
公開国:フランス
時 間:110分
監 督:アンヌ・フォンテーヌ
出 演:オドレイ・トトゥ、ブノワ・ポールヴールド、アレッサンドロ・ニヴォラ、マリー・ジラン、エマニュエル・ドゥヴォス、レジス・ロワイエ、エティエンヌ・バルトロミュー、ヤン・デュファス、ファビアン・ベア、レシュ・レボヴィッチ、ジャン=イヴ・シャトゥレ、リサ・コーエン 他
受 賞:【2009年/第35回セザール賞】衣装デザイン賞(カトリーヌ・ルテリエ)
コピー:もし翼を持たずに生まれてきたのなら、翼を生やすためにどんなことでもしなさい
母親を亡くし、父親に見捨てられた孤児となったガブリエル・シャネルとその姉。昼間は仕立屋でお針子仕事、夜はキャバレーで“ココ”の愛称で歌手をして生計を立てていた。そのキャバレーで裕福な将校エティエンヌと出会い愛人関係いなると、お針子をやめ彼の屋敷で生活するようになる。上流階級の社交界にも顔出すようになるココだったが、次第に愛人としての扱いに不満を抱くようになり、同時にその頃から、彼女の中で裁縫の才能が芽生えはじめるのだった。そんな中、エティエンヌの友人であるイギリス人実業家ボーイ・カペルが現われ、ココと相思相愛となるのだが…というストーリー。
先日の『ココ・シャネル』とまったく同じお話といってよい(もちろん、フランス映画なのできちんとフランス語で、パリで英語を話すようなトンチキ状態ではない)。まあ、事実がベースなのだから当たり前なのだが、エピソード的にはなぞっているかのごとく同じ内容。ただし、登場人物の考え方や関係性など、目に見えない部分で相違が多々ある。これは、解釈の違いということだろうが、物語を毀損するような違いではなく大勢に影響はない。
『ココ・シャネル』が彼女の恋愛模様と並行して、デザイナーとしてどう開花していくのか?という両面にバランスよくスポットを当てていたのに対して、本作では、彼女の若きころの恋愛模様にのみを扱っており、デザイナーとしての活躍は、最後に駆け足で説明しているだけ。『ココ・シャネル』は伝記のような感じだったけど、本作はそういう風情はない。また、『ココ・シャネル』が、晩年のシャネルが若き頃を思い出すような編集をしているのに対して、本作では、幼年から時系列に話が進む。その点は、気が散らず集中できるので、本作のほうが好感が持てる。
セットや画質、編集の仕方など、技術的にも完全に本作のほうが上だし、ココ役も、細身で、自分という芯があるように見えるけれど、結局は男に翻弄されてしまう“グズッ”とした感じをオドレイ・トトゥが頃合良く表現していて、この点においても本作に軍配が上がると思う。
ただ、日陰の女としてしか扱わないエティエンヌと、他の金持ちの娘と結婚してしまうボーイの間でもてあそばれつつも、結婚という夢を捨てる姿にだけにスポットを当てるのをおもしろいと思うか否か。もう、ここは、好みの問題かな…と。
個人的な不満としては、もし恋愛の部分に多くスポットを当てたいのならば、後々、第二次世界大戦時にフランスがナチスに占領されたときに、ナチス親衛隊将校の愛人となり、その後、売国奴と罵られ亡命生活を余儀なくされた事実も語るべきだと私は思う(その影が彼女に影響を及ぼしていないなんていわせないぞ)。まあ、それを扱っちゃうと、力を持っている男に場当たり的に寄っていってるクソ女に見えちゃうので、シャネル側としてもほじくり返されたくない部分なんだろうけど。でも、ここを扱ったら、すごい作品になったと思うんだけどねぇ。
私が男性だからかもしれないが、両作を観てもココ・シャネルという“人間”自体に興味が沸くことがなかった。その生き方にロマンも、憧れも、切なさも感じない。アーチストとしての姿勢という意味では、『ココ・シャネル』に片鱗が見えるけれど、本作にいたってはその点も見えない。業績は大変なものだとは思うが、映画にするまでの人生か?そう思えて仕方が無い。ということで、特段、お薦めしない。
負けるな日本
公開年:1988年
公開国:アメリカ
時 間:90分
監 督:グレアム・ベイカー
出 演:ジェームズ・カーン、マンディ・パティンキン、テレンス・スタンプ、ケヴィン・メイジャー・ハワード、レスリー・ビーヴィス、ピーター・ジェイソン、ジョージ・ジェネスキー、ジェフ・コーバー、ロジャー・アーロン・ブラウン、トニー・シモテス、ブライアン・トンプソン、フランク・マッカーシー、キオニー・ヤング、ドン・フッド、アール・ボーエン 他
大量の異星人が移住してきた近未来のロサンゼルス。刑事のサイクスはパトロール中に強盗事件に遭遇。応戦するが、強盗の“新移民”が使った強力な銃で相棒が殉職してしまう。翌日、署に出勤すると、連邦新移民局の指導を受けた市長の命令で、新移民のサム巡査を刑事に昇格させる人事発表が。新移民を相棒にすることを多くの刑事が嫌がるなか、サイクスはサムをパートナーにすることを申し出る。そして、それと引き換えに2日前に発生した新移民ヒューブリー殺害事件を担当させろと要求する。その事件で使用された銃が、相棒を殺した銃と同一のものだったからだ。そうして、て人間と新移民の刑事コンビは、二つの殺人事件に迫っていくのだが…というストーリー。
1980年代のアメリカの移民政策への批判を大いに含んだ作品。超低予算のB級中のB級ながら、しっかりとSFできているところがすごいし、且つ、しっかりと伝統的な刑事バディ物になっている点が秀逸だと思う。
新移民が冗談が下手で生肉を食うところから、もしかして日本人のこと?と思うかもしれないが、たぶん単なる味付けであって違うだろう。どちらかといえば、メキシコ人や韓国・中国人などのように、別の国に移民しておきながらも現地社会に同化しようとせず、閉鎖的なコミュニティをつくる集団を投影しているものと思われる。じゃあ、単純に移民政策を批判しているかというと、劇中のサイクスの態度を見ればそうではないことが判るし、この作品がその後TVシリーズになったことからも、アメリカ人の受け止め方もそうではないということが判る。
『イキガミ』のときにも書いたけど、ただ話をつらつらと展開させただけだと、観客が先回りして想像してしまうので、ちょっと目をそらさせないといけない。そういう意味で、異星人の特徴、ビーバーの生肉大好き・急所は脇の下・腐った牛乳で酔う・海に溶けるなんていうギミックがとても効果的に働いている。秀逸なプロットの作品は多々あるが、映画というのは、こういう遊び心が無いと、なかなかいい結果にならないものである。
発生する事件はとても平凡で、もしこれで相棒が異星人でなければ、なんてことない話。それをここまで愉快な作品に仕上げられたのは素晴らしいと思う。
#このセンスが、昨日の『ゴースト・オブ・マーズ』にあれば、いくらか違ったと思うのだが。
本作と『第9地区』はまったく同じテーマだが、どちらが昇華できてるか?と聞かれれば間違いなく本作だと答える。無駄なシーンも少なくて編集的にもすっきりとしている。その点でも評価したい。古い作品なので、観ていない人もいいだろうが、掘り起こして観て欲しい。お薦め。
負けるな日本
公開年:2001年
公開国:アメリカ
時 間:98分
監 督:ジョン・カーペンター
出 演:アイス キューブ、ナターシャ・ヘンストリッジ、ジェイソン・ステイサム、パム・グリアー、クレア・デュバル、ジョアンナ・キャシディ、デュアン・デイヴィス、ローズマリー・フォーサイス、リチャード・セトロン、リーアム・ウェイト、ロボ・セバスチャン、ロドニー・A・グラント、ピーター・ジェイソン、ワンダ・デ・ヘスース 他
コピー:殺生、100万人
近未来地球人vt火星先住民
西暦2176年。人類は火星を植民地化し、天然資源の採掘を行っていた。火星警察に配属されたメラニー・バラード警部補は、鉱山町の刑務所にいる重要犯罪者ジェームズ“デゾレーション”ウイリアムズを護送する任務を受け、現地へ向かっていた。しかし、到着してみると町は死体の山となっており、生き残っているのは牢獄にいる犯罪者たちだけだった…というストーリー。
ジョン・カーペンターがどんな作品をつくる監督か、おおよそ把握できていれば、それほど愕然とすることもないと思うが、普通の人はクソ映画だと思うだろうね。火星が舞台というSFながら、西部劇をベースにしているのは明らかだが、映像的なセンスは別として、なんで2001年にわざわざ西部劇を持ってこなければいけないのか。その意図の方が私には理解しがたい。アメリカのグローバル戦略や海外派兵を糾弾したいのか、純粋に西部劇テイストを楽しみたいのか。いずれにせよ何かズレている気が…。
メラニーの回想で進行していく意味も、さっぱりわからない。こういう演出をする場合は、聴取が終わった後に、よほど驚かせるような展開がないとグズグズになる。そしてグズグズになった(笑)。私は、陳腐とは思いつつも、実はメラニーは憑かれていて…みたいな展開がよぎっていたんだけど、その陳腐な演出すら存在しなかった。
火星という広大な舞台ながら、スタジオなんだかオープンセットなんだかわからないけど、とてつもなく狭苦しい印象。いかにも金をかけていなさそうでショボさ満開。別に、植民地が現世界と大きくかけ離れている必然性もないので、メキシコかどっかの実際の田舎町で普通に撮影したほうが味があったと思うのだが。
もう、内容を伏せる気もないので書いちゃう。敵である火星の霊と散々バトルを繰り広げたけど、宿主が死んでも抜けてしまうだけなので、実際は1体たりとも退治できていないんだよね。ふつう、退治する方法をみつけてなんとか迎撃するってのが常套だと思うんだけど、それすら崩壊。いやぁ、実にブッ飛んでいる。
ジョン・カーペンターな様式美として受け入れてあげたい気持ちはあるのだが、それにしてもデキが悪い。ちなみに本国でも公開2週間で打ち切りになったそうだ。それなのに、1年後に日本では公開されたみたいだけど、どういうことなんだか。もっと公開すべき作品があるだろうに(笑)。
まあ、本作が許容できるか否かは、好みの傾向を知る上で、ある意味リトマス試験紙の役割を果たすかな。まあ、私はギリギリで許容するけど、仏の顔も三度まで…という言葉が脳裏をよぎるけど。
負けるな日本
公開年:2008年
公開国:日本
時 間:133分
監 督:瀧本智行
出 演:松田翔太、塚本高史、成海璃子、山田孝之、柄本明、劇団ひとり、金井勇太、佐野和真、井川遥、笹野高史、塩見三省、風吹ジュン 他
受 賞:【2008年/第32回日本アカデミー賞】新人俳優賞(松田翔太)
コピー:人生最期の24時間。あなたは誰のために生きますか?
全国民が子供の頃に体内に特殊なカプセルを埋め込まれ、1000人に1人が18~24歳の設定された日時に自動的に死を迎える制度、、“国家繁栄維持法”。該当者は、いくつかの特典が付与され、24時間後の死亡を通告される。それは、死の恐怖により国民がより生命の大切さを意識することで、国家の繁栄に繋げることを企図した法律である。藤本賢吾は政府発行の死亡予告証“イキガミ”を本人に配達する厚生保健省の職員だったが、イキガミを渡された若者たちの最期の24時間を見ることで、心の中に葛藤が生じ…というストーリー。
簡単に言っちゃうとドリフのコント「こんな○○があったら…」みたいなもの。ただ笑えないコントだけど。そして『バトルロワイアル』の亜種である。『バトルイロワイアル』は“BR法”という法があっただけだが、本作の場合は、あらかじめ定められた日時に死亡するというSF的なナノテクノロジーを前提にないと成立しない。ましてや秒単位まで正確に発動するという技術(どうやったら秒単位でピタっと殺せるのか、SF的発想を駆使しても、思いつかない)。おまけに18~24才の間に無作為に死亡することが24時間前に伝えられるわけで、とても重要な職種についていれば社会的に大変なことになるし、旅行にいっていれば伝えられないわけで、運用面でも問題が生じることが容易に想像できる。また、1000分の1という相当な高確率なので、頭の片隅に死ぬかもしれないという思いが常にある状態で、若者がマトモに働くとは考えにくく、主張されているような“生”を意識したまともな社会が実現するとは思えない。とてつもなく荒唐無稽。荒唐無稽に荒唐無稽を3回くらい重ねたくらいマンガ。
いや、私は荒唐無稽がいけないといっているわけではない。むしろ大歓迎。ちょっと無理な設定であっても、マンガだもの、全然OKである。では、何が気に喰わないのか。荒唐無稽な設定を一生懸命“リアル”に見せようとする、本作の製作姿勢が気に喰わないのである。あのマンガをよくまとめたねという評価もあるのだが、私はそうは思わない。リアルに見せよう見せようと説明をすればするほど、陳腐でつまらないものになっていると思う。とことんマンガであるべきだと私は思うのだ。
では、どうすればよいのか?私ならビジュアル的にブっとんだ演出をしただろう。例えば『スキャナー・ダークリー』のような手法。普通にアニメ化しただけならきっとつまらないはずで、実験的な映像表現で、そのムチャな設定が気にならない表現に邁進したと思う(簡単にいうと、観客の目をそらしたい)。そうすることで、繰り広げられる“生命”への執着により焦点が当たるだろう。
だって、原作を読んだことの無い人からすれば、こういう荒唐無稽な話ではじまっておきながら、生命賛歌になるとは想像し難いもの。なんか肩透かし喰った感じになっちゃうでしょ。1800円払って観終わった人のモヤモヤ感が容易に想像できるよ。
別の話。
『リアル鬼ごっこ』のときにもいったが、 柄本明はこういう作品に合わない。笹野高史が端役なのにいい演技をしていることもあって、柄本明ってもしかしてポンコツ役者なんじゃないの?と思えてしまう。ストーリー的にも、この法制度を転覆するような展開はないのだから、わざわざスポットを当てる必要のないキャラ。そこに、わざわざ柄本明をもってくる必要もない。
また、シナリオが3本のエピソードの単なるオムニバスに見え、且つ増長に感じるのは、原作者が脚本に加わっているからだろう。思いの強さが、思い切った編集を阻害している。スティーヴン・キングと同じ弊害が発生したと予想する。原作の評判が良かったので、各社の取り合いになっちゃって、原作者を上げ膳据え膳で扱って、自由にさせすぎちゃったってところかも。餅は餅屋に任せないといけないという悪例だろうな。簡単にいってしまうと、マンガを読めばいいと思うし、そっちのほうがおもしろいと思うので、このデキではわざわざ観る意味を見つけることができない。おもしろくできる素材だったのに、非常に残念。
負けるな日本
公開年:1997年
公開国:アメリカ
時 間:136分
監 督:ジャン・ジャック・アノー
出 演:ブラッド・ピット、デヴィッド・シューリス、B.D.ウォン、マコ(岩松信)、ダニー・デンゾンパ 他
ノミネート:【1997年/第55回ゴールデン・グローブ】音楽賞(ジョン・ウィリアムズ)
【1997年/第21回日本アカデミー賞】外国作品賞
コピー:愛のぬくもりが世界へ広がる
1939年。ヒマラヤへの登頂を目指す登山家ハラーだったが、第二次世界大戦の勃発によりイギリス軍の捕虜となり、インドの軍施設に収容されてしまう。登山仲間とともに脱走を強行し、ヒマラヤ山脈を越える決死の脱出を図るが、仲間の多くは死ぬか病気で再び捕虜になってしまい、ハラーとアウフシュナイターに2名だけになってしまう。2人は中国を目指し、途中のチベットにたどり着くが、チベットは外国人の入国を認めておらず、インドへ戻されてしまい…というストーリー。
冒頭の登山シーンは、高所恐怖症でなくても、お尻のあたりがヒュンとするね。このまま登山アクションが展開されるのかと思いきや、あっさりと異文化との遭遇映画に早替わり。テイストとしては『ラスト・エンペラー』の部類だ。
まあ、今の中国人は、日本人は中国を侵略したと、いつまでもいい続けるが、自分達も同じことをやってるのを認めないわけで、この映画の描写だって、すべてでっち上げだ陰謀だと絶対に認めない人たち。はい、ご苦労さん。
そして、他者の瑕疵を永遠に攻め続ける精神構造。犯罪者の子孫も永遠に犯罪者。自分の下僕にならない限り永遠に犯罪者扱い。そんなことをしてたらいつかは全員が犯罪者になっちゃうじゃないか…って普通は想像できると思うけれど、そこまで知恵が廻らない。そんな自分の姿を正視したら、気が狂うんじゃなかろうか。まあ、本当の意味で“赦し”のない国家に未来はないわ。はい、ご苦労さん。
まあ、あと20年もすれば、中国は毛沢東時代を総括せざるを得ないだろう。宗教は毒だと言い放ちながら、一人の思想を崇め、鶴の一声に言いなりになり、鉄を供出しろと言えば鍋釜まで接収して粗悪な鉄をつくって何の役にも立たなかったなんて逸話は枚挙に暇ない。そんな裸の王様を作り出し、百万単位の死者を出した歴史は、公になることもないし、子供に教育されることもない。そんな国が他国の歴史教科書にクレームつけてるんだもの、笑う以外にどうしろと。同じ轍は踏まないように気を付けることしかできまへんな。
#他者に尊敬のない行いをする者は、その報いを必ず受ける。
かといって、かわいそうだとは思えど、個人的にはチベットに対しても親近感も共感もない。この映画の影響だと思うけど、欧米で仏教といえばチベット仏教のイメージが強い。でも、はっきりいって私はこういう上座部仏教を認めていない。本当にそういう教義なのかどうかは知らないけど、本作中で、ダライ・ラマは仏陀なんちゃらかんちゃらの生まれ変わりで…という彼の生母のセリフがある。アホか。仏陀となって悟りを開いたら、輪廻転生のサイクルから解脱するのだから生まれ変わるわけがない。トンチンカンも甚だしい。それって仏教の基本じゃねえの?
今のダライ・ラマは、亡命生活も長いし知見もあるので、民主化を押しし進めていて、『リトル・ブッダ』で扱われた継承制度もおしまいにしようとしている。知名度もあり尊敬もされている今はいい。しかし、そろそろいい年齢である。あまりこういう予測はしたくないが、彼の死後亡命政権はかなり危険は状況になるだろう。本作でもチベット側が切り崩しにあって中国に占領されてしまうわけだが、それ以上のことが発生するはず。自滅、介入、混乱。おそらく文化的資料の保持すら難しい展開もありうる。そういう意味で、描写に若干の誤りはあるかもしれないが、本作はチベット文化的資料として有益だとと思われる。
#カリスマ指導者がいる仏教組織というのは、似たような末路なのかな。
ということで、面白いとか面白くないとか、そういう次元で愉しむ映画ではないのかなと思う。同じ時代を描いた作品ではあるが、映画としては『ラスト・エンペラー』に劣るかと…。
負けるな日本
公開年:2005年
公開国:アメリカ
時 間:121分
監 督:フランシス・ローレンス
出 演:キアヌ・リーヴス、レイチェル・ワイズ、シア・ラブーフ、ジャイモン・フンスー、マックス・ベイカー、プルイット・テイラー・ヴィンス、ティルダ・スウィントン、ギャヴィン・ロズデイル、ピーター・ストーメア、ホセ・ズニーガ、エイプリル・グレイス 他
コピー:天国と地獄のエージェント
生まれながらに天国や地獄の住人を見分ける能力を備える男コンスタンティン。人間界には、天使と人間・悪魔と人間の中間的な存在“ハーフブリード”が紛れ込んでおり、悪事を働くものが少なくない。コンスタンティンは自らの能力を用いて、悪事を働くハーフブリードを地獄へ送り返す戦いを長らく続けていた。一方、敬虔なクリスチャンであるロス市警刑事アンジェラは、双子の妹イザベルが入院中に自殺したことを受け入れることができず、真相を究明しようとコンスタンティンに接触を図る。異界からの影響が過大になってきたと感じていたコンスタンティンは、この異変にイザベルの自殺が関係していると考え、謎解きに協力するのだったが…というストーリー。
簡単にいってしまえば、マンガチックなエクソシスト。マンガなんだから、ストーリー面に凝って、変に哲学的になっちゃうよりも、細かいギミックの格好よさや、ビジュアル的なインパクトに注力するほうがおもしろい。そういう意味では、ロシアの『ナイト・ウォッチ』なんかよりは全然好感が持てる。#そういえば、『ナイト・ウォッチ』『デイ・ウォッチ』と続いて、その後はどうなった?
地獄のビジュアルもいいセンスだし、十字架くっつけた銃やとか、肘から先をくっつけてタトゥーを合わせて悪魔呼んじゃうとか、真剣にマンガをやることこそ面白さの極み。吹替えで観てもわかるキアヌ・リーヴスの大根っぷりが、本作のテイストに逆にマッチしている。むしろ、マンガっぽさは足りないくらいで、敵も味方ももっといろんな攻撃手段で戦って欲しかったくらい。そう、ちょっと、おもしろギミックが登場しはじめるのが遅かったかも。前にも言ったけど私はレイチェル・ワイズがいまいち好きじゃないので、正直、彼女がらみの前半のすったもんだが邪魔くさかった。
天使と悪魔の壮大な戦いの割には、すんなり敵のトップが登場して、普通に絡んじゃうところが、陳腐に感じてしまうかもしれない。ティルダ・スゥイントン演じるガブリエルは大天使ガブリエルではないってことらしいが(なんか言い訳くさいけれど)、これを大天使と判断してしまうと、ますますショボく感じてしまっただろう。
彼が天国に行きそうになったからって、生き返らせちゃうって、ルシファークラスが神に簡単に手玉に取られちゃった感じで、私がルシファーならやる気なくしちゃうわ。せめて、もう少し、コンスタンティンが何でこんな能力を持ち合わせているのか?というところを、軽く臭わせてほしかったと思う。
まあ、続編を作ってもOKといえる程度に愉しめる作品ではあるのだが、昔観たときよりもかっちょよく感じなかったのは、以降の映像的進歩のせいか、私の中のハードルが上がったせいか…。特段お薦めするほどではない。
負けるな日本
公開年:2008年
公開国:アメリカ、イタリア、フランス
時 間:138分
監 督:クリスチャン・デュゲイ
出 演:シャーリー・マクレーン、バルボラ・ボブローヴァ、マルコム・マクダウェル、サガモア・ステヴナン、オリヴィエ・シトリュク 他
1954年、パリ。15年のブランクから復帰を果たしたココだったが、その作品の古臭さに世間の評価は厳しかった。自分の店は今や多額の借金を重ね、そのブランドは譲渡される寸前に。そんな中彼女は、孤児からお針子になり、数々の恋愛を重ねながら、自分の帽子の店を持ち、今の地位に登りつめるまでを、思い出すのだった…というストーリー。
DVDに吹き替え音声が付いていれば気になることもなかったと思うが、原音がなぜか英語である。パリが舞台で伝記モノなのに、全員が英語を喋っている違和感といったらない。シャネルが英語で口げんかしながらパリの街を闊歩するなんて、滑稽極まりない。
成功者として名を馳せるのはわかっているので、どうのし上がっていくのか?っていうサクセスストーリーを予測していたけれど、どっぷりの恋愛劇だったので、好みからはかけ離れていた。老いてからのココをシャーリー・マクレーンが演じ、若き日をバルボラ・ボブローヴァが演じ、それを交互に繋ぐ編集。意図してかどうかわからないけれど、まるでCMにいくような古臭い場面繋ぎの編集が多々あって、興醒めする部分も。「ビーチへ行って!」と急がせてるくせに、自転車を下ろして走らせる意味が判らない…とか、変な演出も。
ファッションなんぞにはとことん疎い私は、ココ・シャネルについての予備知識がまったくなかったので、その点においてはけっこう新鮮に感じることができたかも。まったくデザインがを描かずに裁断・縫製しはじめるのにはびっくり。これを天賦の才と言わず何と言おうか。最近はファッションでも車でも、実用とは程遠いトンがったデザインばかり横行していて、自分が普段身に着けることを前提としている時代っていうのを感じられて、一周廻って逆に新鮮。そんな感じはある。
とはいえ、才能ある女性でも男の手を利用しなければのし上がっていけない時代だったのよ。女が生きていくってつらいわね…という捉え方だと、男目線ではどうにも共感しにくい(女性の自立が難しいのと同じように、男性だって必要以上に社会的な体裁を求めらているわけで、そんな恨み節を言われてもね…)。
また、晩年のエキセントリックで強引ともいえるアーティストっぷりと、その生い立ちがいまいちリンクしていない気もするし、どこで、そこまで割り切れる境地にまで到達したのか、描ききれていないようにも思える。いささか消化不良。
多分、女性と男性では、感じ方が大きく異なる作品かと(だって、「そりゃあなた結婚できないよ…」って思っちゃうもんなぁ)。間違いなく男の子向けではないので、そちらにはお薦めしない。女性がこれを観てどう思うのか、感想を聞きたい作品。
#栗のジャムってどんなんだ?
負けるな日本
公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:97分
監 督:ザック・スナイダー
出 演:ジム・スタージェス、ライアン・クワンテン、アビー・コーニッシュ、ヒューゴ・ウィーヴィング、ヘレン・ミレン、ジェフリー・ラッシュ、デヴィッド・ウェンハム、アンソニー・ラパリア、エミリー・バークレイ、ミリアム・マーゴリーズ、バリー・オットー、エイドリアンヌ・デファリア、リチャード・ロクスバーグ、デボラ=リー・ファーネス、ジョエル・エドガートン、サム・ニール 他
まだ飛ぶこともできない幼いふくろうのソーレンは、“ガフールの勇者たち”という伝説に夢中。ある日彼は、兄と飛ぶ練習をしている最中に“純血団”と名乗る集団に拉致されてしまう。純血団は、我らメンフクロウこそ最も優れた種族と主張し、すべてのフクロウを支配下に置くことを目指す集団で、各地から幼いフクロウを拉致し、自分たちの命令どおりに動く奴隷に洗脳しているのだった。ソーレンは、同様に拉致されてきたジルフィーと共になんとか純血団を脱走し、伝説のガフールの勇者たちがいるといわれる神木を目指すのだったが…というストーリー。
海外のCGクリエイターは、毛と水の動きこそCGの醍醐味と考えているようで、技術的にものすごく執着しているが、本作にいたっては、その技術を極めに極めつくした感じがする。日本のCGクリエイターとは執着する方向性が違うようだ。『モンスターズ・インク』の毛の動きや、『ファインディング・ニモ』の水の動きもすごかったが、本作はそれ以上。もうCGがどうのこうのまったく気にならないレベルで、CGであることが気になるシーンがある『アバター』よりも、ある意味上かもしれない。
ストーリーはかなりシンプルで、ありがちなナチスのような優生学至上主義の悪の組織VS.正義の集団という構図。さらに、もっともらしいことを言うそれなりの地位にある裏切り者や、悪にほだされる若者、尊敬すべきベテラン勇者など、ユングがいうところの正しいキャラクターの類型どおりって感じ(ガフールにいる若い雌フクロウの存在意義がよくわからないけど)。
でも、そこはザック・スタイナー。普通の監督がつくったら、なんてことのない戦闘シーンになったに違いないところを、スローモーション・音楽・効果音・ポージング(見得の切り方)を駆使して、緊張感とワクワク感を煽る素敵な演出のオンパレードに。ただのフクロウ同士のバトルに血沸き肉躍ってしまうとは、やられた!って感じ。さすが『300』の監督だけあって、フクロウの兜まで格好いい。そういう演出に長けている場合、かえってシンプルなストーリが際立って、効果的。
ただし、一点だけ注意を。頻繁に“さのう”というキーワードが出てくるのだが、“左脳”じゃなくて“砂嚢”。スター・ウォーズの“フォース”的な感じで使われているので、なんとなくニュアンスは伝わるのだが、さすがに左脳と砂嚢じゃ、あまりにも意味が違う。砂嚢ってのは独特の器官で食べたものの咀嚼を行うところなのだが、ようするに“砂肝”のこと。石なんかを飲み込んでおいて砂肝の厚い筋肉でゴリゴリ消化するわけだ(その厚い筋肉の歯ごたえが焼き鳥にするとおいしい)。しかし、なんで、それが飛行に関係するのかはさっぱりわからない。多分、鳥独特の器官(実際は爬虫類や魚とか歯のない動物はもってるんだけど)ということで“鳥のプライド”の象徴としてフィーチャーしたってことだろう。
“砂嚢”なんて紛らわしい単語を使わずに“砂肝”って言ったほうが面白かっただろうし、逆に話題になったと私は思うんだけど。
男の子向けな気はするけれど、年齢を問わず“燃える”作品なので、大人にも子供にも強くお薦めしたい。続編間違いなし!って思ってる。
負けるな日本
公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:120分
監 督:スティーヴン・アンティン
出 演:シェール、クリスティーナ・アギレラ、エリック・デイン、カム・ジガンデイ、ジュリアン・ハフ、アラン・カミング、ピーター・ギャラガー、クリステン・ベル、スタンリー・トゥッチ、ダイアナ・アグロン、グリン・ターマン、ジェームズ・ブローリン 他
受 賞:【2010年/第68回ゴールデン・グローブ】歌曲賞(ダイアン・ウォーレン“You Haven't Seen The Last of Me”、Sia Furler、クリスティーナ・アギレラ、Samuel Dixon“Bound to You”)
コピー:この声で、夢への扉を開けてみせる。
かつては大盛況だったショー・クラブ“バーレスク”も、今や経営難。現オーナー兼ダンサーのテスは、舞台監督ショーンと経営の建て直しにやっきになるが、まったく客足は回復せず、このまま借金が返済できなければ抵当に入っている店は奪われてしまう。そんなある日、アイオワの田舎町からスターを夢見てロスとやって来たアリが、偶然バーレスクにふらりと立ち寄り、その華麗なショーに心奪われてしまう。いつかは自分もこのステージに立ちたいとしがみつき、なんとかウェイトレスとして雇ってもらいチャンスを狙うのだった…というストーリー。
最近、音楽モノでスパッと決まった作品が無かったので、本作を楽しみにしていて、新作でレンタルしてしまった。しかし、ステージのパフォーマンスは満足だったのだが、映画としては次の2点のおかげでがっかりだった。
1点目。口パクだったバーレスクのショーを本物に変えて、客足を取り戻していくのだが、確かにその生歌が認められていく様子は楽しい。しかし、その後、生歌だってことが明確にわかる演出がされていなくって、生歌なんだか口パクなんだか、見た目ではあまり区別つかない。「おお、生歌の迫力~!」って感じがせず、代わり映えがしなくてピンとこないのはちょっと致命的。シェールが自分のステージのリハをするシーンだけど、あれは生歌か?口パクか?それすらよくわからん。これではね…。
2点目。歌とダンスの面白さを伝える映画なんだから、経営難は歌とダンスで解決してほしい。ところが、一休さんばりのトンチで解決してしまう始末。肩透かしも甚だしいのだが、それを通り越してバカじゃなかろうかと思う。
そんなこんなの稚拙なシナリオなおかげで、2時間の映画が3時間くらいに感じるという、音楽映画でありながらこのテンポの悪さ。シェールが『マーズ・アタック』に出てきそうなビジュアルだとか、そんなツッコミなんかどうでもよくなるくらいがっかり。ステージシーンは良いのに、その他がポンコツすぎる。期待していただけに、残念な作品。お薦めできない。
負けるな日本
公開年:1983年
公開国:日本
時 間:90分
監 督:富野由悠季
出 演:小滝進、横尾まり、島津冴子、古川登志夫、山下啓介、TARAKO、広森信吾、塩沢兼人、森功至、銀河万丈、二又一成、西村知道、緒方賢一、戸谷公次、龍田直樹、能村弘子 他
遠い未来の地球。今はゾラと呼ばれるその星は、一部の支配階級イノセントが支配する世界で、どんな罪を犯しても3日間逃げ切れば時効が成立する法律。だが、両親を殺されたジロンは、その法を無視して、殺し屋ティンプを追い続ける…というストーリー。
実は、TV版を観たかったのだが近所のレンタルショップには置いてなくて、仕方なく本作を観た次第。しかしながら、有り得ない珍作だった。何が珍作かというと、普通TVシリーズの劇場化となると、それなりにストーリーをまとめて一つの映画っぽく仕上げるものだが、まったくそのつもりが無いというところ。
まるで最終回の手前で、いままでの流れをおさらいしてみましょう…的なノリでつくられたダイジェスト放送みたいな感じ。だから、全然ストーリーと繋がりのないどころか、わざわざ劇場でみせる意味があるのか疑問に思うようなセクションが散見されている。だから、当時TV放送をみていなかった人には、皆目見当も付かないようなシーンのオンパレード。キャラクターの説明も繋がりも全然なし。
お祭り騒ぎもいいところで、4割くらいはふざけた感じ。おそらく、間に合わせの同時上映作品として、急造したことのだろう(確か、同時上映はダグラムで、そっちはきちんとストーリー仕立てでまとめていた記憶がある)。
はじめに言っておくけれど、これは映画とは呼べないので、知らない人は興味本位で観ないほうが良かろう。
本作は別として、ザブングルという作品自体の底辺に流れるテーマは、風の谷のナウシカの原作と一緒。汚染された地球を、生体テクノロジーで復活させるSF的なギミック。何か、日本人だけ海草を消化できる酵素を持っており、他の人種よりもヨウ素を摂取しやすくなっていて、そんな民族が何故か核がらみでの災難に遭い続ける歴史の不思議と、妙にダブってしまい本作を思い出したのかもしれない。だから、きちんと編集すれば、かなり良い作品になったはずなんだけどね。
もう、かなり昔の作品だが、『ザブングル』→『ダンバイン』→『エルガイム』という3年間連続のTV作品は、今考えるとちょっと神懸ったレベルで、20年くら時代を先取りしていたと思う。なんといっても、1年の間に主役ロボットが交代するとか、リアルロボットという概念は、このザブングルがパイオニアだからね。ここ10年くらいの日本アニメは、この勢いの10分の1もないだろう。
という、思い出だけが喚起された作品。もう一度言うが、見るならTV版DVDを観よう。
負けるな日本
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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