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公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:97分
監 督:ポール・W・S・アンダーソン
出 演:ミラ・ジョヴォヴィッチ、アリ・ラーター、キム・コーツ、ショーン・ロバーツ、セルヒオ・ペリス=メンチェータ、スペンサー・ロック、ボリス・コジョー、ウェントワース・ミラー、シエンナ・ギロリー、ケイシー・バーンフィールド、フルヴィオ・セセラ、中島美嘉 他
コピー:新たな物語は「東京」から始まる。
東京の渋谷のあるアンブレラ社の巨大施設を急襲するアリスと彼女のクローンたち。施設に壊滅的なダメージを与え、ウェスカーを追い詰めるが、あと一歩のところで取り逃がしてしまう。その後、単独でアラスカにあるという感染が及んでいない安全な土地“アルカディア”を目指すも、アラスカにはそのような土地は存在せず落胆。しかし、そこで記憶喪失になったクレアを発見し、二人は他の生存者を探しに、飛行機でロスへ向かう。すると、ロスには無数のアンデッドが存在しており、さらに刑務所施設のの中に生存者を発見。アリスは刑務所の屋上になんとか不時着し…というストーリー。
日本市場を意識した前作の展開を踏襲して、渋谷から始まるんだけど、取ってつけの感は否めない(中島美嘉も単なる話題作り以外の何者でもない)。別に東京の設定がその後の展開に生きているわけでもない。
都合よく、本体以外のアリスは爆弾で消滅させ、これまで散々臭わすだけ臭わせて引っ張りまわし続けたアリス計画に早々に決着。さらに都合よく血清を打ってパワーダウン。だけど血清が効いて普通の能力になったようには全然見えず、予知能力とか神懸った部分だけど都合よく削いだだけ。
アラスカのシーンもサラっとしすぎだし、ロスに向かう強い根拠も薄く、本当に全開まで設定を一旦“切った”だけにしか見えない。世界中、アンデッドも人間も皆無だったのに、ロスに向かうと特異点のごとくアンデットの山で、それまでの流れと何かちぐはぐ。
さらに何やら、前作までには出てこなかった種類のゾンビが出てきて、まるで別の映画になったかのよう。特にデカイ武器をもったゾンビだけど、誰があんな武器をつくったんだ(ゾンビ本人か?)。おまけに、あの“デバイス”の興醒めっぷりはハンパない。
『ブレイド』『キル・ビル』『マトリックス』『バビロン A.D.』『サイレントヒル』『ドーン・オブ・ザ・デッド』『アイランド』『エイリアン』『トゥモロー・ワールド』…と他の映画が次々を頭をよぎる始末。もう、既視感の波状攻撃で、ミラジョヴォが画面にいなかったら、何の映画を観ているのか迷子になること必至。じゃあ、前作はそんなに押さえておかなくてもOKか?というと、はっきりいって3作目を見ておかないと、本作はさっぱりわからん。だって全編にわたって継続出演のキャラクターが頻出なんだもの。
ゲーム世界の映画化っていうことに主眼が置かれていて、これも出てきた、あれも出てきた…って、知ってる人が楽しむ作品なのかもしれないが、その割にはアクションシーンやゾンビに追い詰められるシーンで、ぜんぜんドキドキしないのは、致命的な気がする。
ただ、もしかすると3D映画としては愉しめたのかもしれない(今回はDVDでみたので、もちろん2D)。飛び出すという意味よりも奥行きという意味での3Dが生きそうな場面が多々あったもの。それも裸眼タイプの3Dモニタに都合が良さそう。
別に、本作でシリーズとして解決することや判明することがあるわけでもないので、よほど、このシリーズ自体に思い入れがある場合を除いて、観る必要はないと断言する。今後どうなるかわからないが、シリーズが完結した段階でイッキしてもいいし、どうせ次回作が作成されるときには、まちがいなくTV放送されるので、そのときに観るということでよいと思う。これをわざわざ観ても、あなたの人生の糧にはならない。すくなくと、新作料金を払って観る価値はない。
公開年:2009年
公開国:スウェーデン、デンマーク、ドイツ
時 間:148分
監 督:ダニエル・アルフレッドソン
出 演:ミカエル・ニクヴィスト、ノオミ・ラパス、アニカ・ハリン、レナ・エンドレ、アンデシュ・アルボム・ローゼンダール、ハンス・アルフレッドソン、ヤコブ・エリクソン、ソフィア・レダルプ、ミカエル・スプレイツ、ニクラス・ユールストレム、レンナルト・ユールストレム、ニコラス・ファルク、ミリヤ・トゥレステット、ヤン・ホルムクィスト、ヤコブ・ノルデンソン、アクセル・モリッセ、トマス・ケーラー、ターニャ・ロレンツォン、マグヌス・クレッペル、ヨハン・キレン、ドナルド・ホグベリ、ミカリス・コウトソグイアナキス、ヨハン・ホルムベリ、ペーレ・ボランデル、テイラ・ブラッド、ゲオルギー・ステイコフ 他
父親ザラとの対決で瀕死の重傷を負ったリスベットは、ミカエルによって発見され一命は取り留めるものの、病院で厳重な監視下に置かれ、外部との接触が困難に。これまで、亡命スパイのザラを利用して数々の犯罪に手を染めてきた秘密組織は、その隠蔽のために関係者の口封じを画策する。リスベットを再び精神病院に隔離するために、彼女の運命を狂わせた精神科医テレボリアンに嘘の診断書を作成させ、ミレニアム誌にはこの事件についての出版をしないように脅迫を行う。しかし、ミカエルは、妹の弁護士アニカや、リスベットを雇用していた警備会社社長など、彼女の理解者たちと強力しながら立ち向かっていく…というストーリー。
2作目のあまりのクリフハンガーっぷりに、我慢できなくなり、新作料金でレンタルしてしまった。劇場で2作目を観た人も、そのクオリティの落ちっぷりには不満を抱きつつも、あまりのモヤモヤのために3作目を観にいったひとも多いのではなかろうか。
1作目は『クリムゾン・リバー』のような雰囲気に加え、米ドラマの『クリミナル・マインド』のガルシアみたいな凄腕ハッカーで、かつ虐待の被害者っていう危うい主人公の魅力が良かったんだけど、3作目はほぼ謎の組織と闘う法廷劇になっちゃってて、趣が全然違う。2作目にいたっては、その繋ぎ以外の意味はないような気がする。
その法廷対決までの過程は、なかなか面白いので、愉しめないわけじゃないんだけど、本当に一つのシリーズ物としてテイストが違いすぎる。本当にそれ以外に難点はない。2作目以降が、1作目のヴァンゲル家事件ともうすこし関わりがあれば、よかったのだが、おそらく原作の段階で、こうなってるんだと思うので、その点について映画の製作陣を悪くいう気はない。
結局、一番楽しめて幸せだったのは、原作の段階でこの作品に出会って、リアルタイムで読んだ人たちなんだろうな。1作目を観たら、最後まで観ないわけにはいかないと思うので、覚悟して手を出そう。3本とも結構長いのでTVシリーズをみるつもりで。佳作以上であることは保障する。
公開年:2007年
公開国:イギリス、カナダ、アメリカ
時 間:100分
監 督:デヴィッド・クローネンバーグ
出 演:ヴィゴ・モーテンセン、ナオミ・ワッツ、ヴァンサン・カッセル、アーミン・ミューラー=スタール、イエジー・スコリモフスキ、シニード・キューザック、ミナ・E・ミナ、サラ=ジャンヌ・ラブロッセ、ドナルド・サンプター、ジョセフ・アルティン、ラザ・ジャフリー、オレガル・フェドロ 他
ノミネート【2007年/第80回アカデミー賞】主演男優賞(ヴィゴ・モーテンセン)
【2007年/第65回ゴールデン・グローブ】作品賞[ドラマ]、男優賞[ドラマ](ヴィゴ・モーテンセン)、音楽賞(ハワード・ショア)
【2007年/第61回英国アカデミー賞】主演男優賞(ヴィゴ・モーテンセン)、英国作品賞
【2007年/第13回放送映画批評家協会賞】主演男優賞(ヴィゴ・モーテンセン)
【2007年/第33回セザール賞】外国映画賞(デヴィッド・クローネンバーグ)
コピー:ここでしか、生きられない。
ロンドン。助産婦のアンナが働く病院に、身元不明の幼い妊婦が運び込まれ、出産直後に息を引き取る。少女の所持品の中にロシア語で書かれた日記を見つけ出したアンナは、少女の身元に関する記述があるかもしれないと解読を始める。ロシア語の読めないアンナは、日記に挿まれていたロシア料理店のカードを見つけ、翻訳を頼むために訪ねる。そしてその店の前で、運転手と名乗る男・ニコライと出会うのだったが…というストーリー。
私の海外の知識が乏しいせいなのか、集中力が散漫で見落としたせいなのか。まず、この話がどの国のできごとなのか把握するまでに、ものすごく時間を要してしまった。“イースタン”なんていうから、この街はロシアの東のほうだったりするのかしら?なんて思ってしまったりとか、吹替音声で観たせいで、何語で話してるのかさっぱり判らなかったりとか。所々登場するロシア語も聞きなれていないからピンとこなかったし(別の東欧の言葉かと思ってた)。
#それにしても、イギリスは閉鎖的な移民コロニーが多いですな。
さらに、アンナとニコライの間の恋愛感情みたいな表現が続いたので、子供がらみで“プロミス”が発生して、それを守るために組織との軋轢がどうしたこうしたって展開になるのだろうと、勝手に想像してしまった。“イースタン・プロミス”ってのがロシアからの人身売買に対する隠語だということに、気付くのはかなり後になってからだ。
しかしながら、そういう状況把握のために相当頭を使ったおかげで、ニコライの正体に全然気付かなかったのは幸いだったと思う。おかげでかなり愉しめてしまった。
グロテスクな要素やバイオレンス描写が控えめで、クローネンバーグらしくないといえばないのだが、結果的にはかなり好みなテイストに。彼の他の作品はピンとこない物が多いのだが、本作は他とくらべて無機質なノリが薄いというか、人間味があるというか、すんなり入り込めた気がする。
サウナの格闘シーンは、アクションシーンとしてレベルは高かったと思う(これでR-18指定になってるのかと思うとちょっと馬鹿馬鹿しいけど)。その割りに、本作の評価がさほど高くないのは、そういう激しいシーンがあって、さらに組織を乗っ取ろうとしたニコライが一歩踏み出したにもかかわらず、ラストに全然バイオレンス要素がないからではなかろうか。叔父が戻ってきていて、ニコライが健在ということで、最終的に何が起こったのかは、想像がつくのだが、それを想像しつつ、雰囲気を味わいたいなんて、多くの人は望んでいなかっただろう。別に本作のラスとがNGというわけではないのだが、さらっとしすぎている。
そのせいかどうかはわからないが、受賞歴も無い。だけど、ワタクシ的には充分愉しめた作品。ナオミ・ワッツの演技を批判する人がいないでもないが、他の作品の彼女に比べたら上出来中の上出来だし、『ロード・オブ・ザ・リング』とは一味も二味も違うヴィゴ・モーテンセンがいい味を出していると思う。
#吹替音声のロシア訛りは、おもしろい演出だと思う。
公開年:2003年
公開国:アフガニスタン、日本、アイルランド
時 間:82分
監 督:セディク・バルマク
出 演:マリナ・ゴルバハーリ、モハマド・アリフ・ヘラーティ、ゾベイダ・サハール、ハミダ・レファ 他
受 賞:【2003年/第56回カンヌ国際映画祭】カメラ・ドール[特別表彰](セディク・バルマク)
【2003年/第61回ゴールデン・グローブ】外国語映画賞(セディク・バルマク)
コピー:少女は生き延びるため少年になった
タリバン政権下のアフガニスタン。イスラム原始主義が強要され、女性は労働することはおろか、身内の男性の同伴なしには外出すら許されない状態だった。そんな中、男性たちを全員戦争で失い、祖母と母親と12歳の少女の3人だけになってしまった家族があった。彼女たちは外出ができないため働くこともできず、日々の食料にすら困窮する。さらにタリバンは無作為に女性を逮捕していたため、母親はやむを得ず少女を男の子に変装させて、亡き父の戦友だったミルク屋で働かせてもらうのだったが…というストーリー。
本当のこのような女性によるデモがあったり、タリバンが女性を隔離したりしていたのかは、わからないのだが、まあ、おおよそ事実に近いのだと思う。
ネタバレなので、詳細は書かないが、まあ、私がいままで観た映画の中で、ズバぬけて腹立たしく、底抜けにやるせなく、ダントツで救いがない。いやいや、本当に最後は、完全に脱力してしまったわ。
私が日本の大統領だったら、機密費をふんだんに使って、タリバン討伐隊を作る。こんなやつらは絶対に許さん!そういう思いだけが、ずーっと湧きっぱなしだった。目に前に奴らが出てきたら、間違いなく攻撃するに違いない。
アフガニスタンにも子役なんて存在するんだな…なんて思っていたら、大間違い。主人公の子は役者でもなんでもなく、本当に物乞いをしていた少女だそうだ。劇中に犬やタタリバン兵に怯える彼女の目。なんて鬼気迫る目つきだろうと感心していたが本当に怯えていた人間の目なのだ。
彼女は学校にったことがないため、セリフは現場で口伝したらしい。大変な撮影だったことだろう。
製作にはNHKが深く関わっており、機材面の支援はNHKが完全バックアップだったとのこと。NHKエラいぞ!と初めて思った。
ニュースでしばしばタリバンをいう名前が出てくるが、彼らがいかに最低な行いをしているか、タリバン政権下で女性達がどれだけ虐待されているかなんてわからない。映画ではあるが、その様子がよくわかる一級の資料といってもよい。決して娯楽作品ではないが、観る価値は充分にある。
#根本的に“原理主義者”というものが大嫌いなんだけどね。
公開年:1939年
公開国:アメリカ
時 間:211分
監 督:ビクター・フレミング
出 演:ヴィヴィアン・リー、クラーク・ゲイブル、レスリー・ハワード、オリヴィア・デ・ハヴィランド、トーマス・ミッチェル、バーバラ・オニール、ハティ・マクダニエル、ジェーン・ダーウェル、ウォード・ボンド 他
受 賞:【1939年/第12回アカデミー賞】作品賞、主演女優賞(ヴィヴィアン・リー)、助演女優賞(ハティ・マクダニエル、オリヴィア・デ・ハヴィランド)、監督賞(ヴィクター・フレミング)、脚色賞(シドニー・ハワード)、撮影賞[カラー](アーネスト・ホーラー、レイ・レナハン)、室内装置賞(Lyle Wheeler)、編集賞(James E.Newcom、ハル・C・カーン)
【1939年/第5回NY批評家協会賞】女優賞(ヴィヴィアン・リー)
【1989年/アメリカ国立フィルム登録簿】新規登録作品
1861年、南部と北部の軋轢が強まるアメリカ。ジョージア州タラの大地主ジェラルド・オハラの長女スカーレットは、その奔放な性格と美しさで、当地の青年達の間で憧れの的であり、社交界の華。そんな彼女がひそかに恋心を寄せるのは、同じ大地主ウィルクス家の長男である幼馴染みのアシュリー。心の中ではアシュリーとの結婚を強く決意していたが、彼がその従妹メラニーと婚約するいう噂を聞き大きく心を乱する。婚約が発表された宴会において彼に告白するも、アシュリーはメラニーを選択する。そんな中、突然戦争の開始が伝えられる。戦地に向かうアシュリーとメラニーの抱擁を見て、嫉妬に狂い自暴自棄となったスカーレットは、メラニーの兄チャールズの求婚を受け入れ結婚してしまう…というストーリー。
スカーレットはじゃじゃ馬を通り越して、かなりクレイジーなキャラクター。これを女の強さと捉えらえて共感できるか否かで、大きく印象は変わるだろう。なんだこのクソ女は!?という感情が頭を占めてしまったら、おもしろくは感じられないだろう。
でも、案外、こういう激烈なクレイジーさが世の中を動かすのも事実。まさに憎まれっ子世にはばかるを地でいく女。私はそこに興味を抱けたのでOKである。他のキャラクターも彼女ほどではないけれど、良くいえばメリハリのあるキャラ、悪くいえば若干現実離れしたマンガみたいなキャラで、その部分も愉しい。
それに加えて、アメリカ史上最大の内戦であり、その方向性を決定付けたターニングポイントである南部戦争が舞台というのが、またグッとくるところ。
また、色々な対比が重層的になっているのが、本作の魅力だろう。
南部の価値観が風となって去っていき(実際に多くの男が死に、精神的にも死ぬ)、そんなアノミー状態の中、立ち上がるのが、南部タラに執着する女という対比。
自分の身の丈とほどほどさというものを理解しているアシュリーと、善良で控え目なメアリーの、ある意味賢い生き方をしている二人と、見栄と自己欲に溢れ、その奔放さゆえに、うまく生きられない女スカーレットとの対比。
状況をわきまえているが故に煮え切らない態度のアシュリーと、酸いも甘いも知り尽くしていて、明確に態度を表すバトラーとの対比。
経済的な困窮から立ち上がる男性的な立身話と、執拗なまでの横恋慕という女性的な恋愛話との対比。
はじめは土地よりも愛に生きるという行動パターンだったのに、経験を重ねるごとに土地に執着するようになるという対比。
etc…。
古い時代の恋愛物作品だし、とにかく長いので、これまで忌避してきたが、エイヤーで観てよかったと本気で思う。1939年製作で、このクオリティは手放しで素晴らしいといえる(焼け落ちる建物のシーンは圧巻)。長さはさほど苦ではなかった。私と同じように食指の動かない人は多々いると思うが、お薦めしたい。
公開年:2009年
公開国:スウェーデン、デンマーク、ドイツ
時 間:130分
監 督:ダニエル・アルフレッドソン
出 演:ミカエル・ニクヴィスト、ノオミ・ラパス、アニカ・ハリン、ペール・オスカルソン、レナ・エンドレ、ペーター・アンデション、ヤコブ・エリクソン、ソフィア・レダルプ、ヤスミン・ガルビ、ヨハン・キレン、ターニャ・ロレンツォン、パオロ・ロベルト、ミカエル・スプレイツ、ミカリス・コウトソグイアナキス、アンデシュ・アルボム・ローゼンダール、トマス・リンドブラード、ペーレ・ボランデル、ハンス・クリスティアン・トゥーリン、イェニー・シルフヴェルヘルム、ラルフ・カールソン、オーラ・ヴァールストレム、ニクラス・ユールストレム、マグヌス・クレッペル、ダニエル・グスタフソン、ドナルド・ホグベリ、テイラ・ブラッド、ゲオルギー・ステイコフ 他
鼻ピアスに全身タトゥーの女性ハッカー・リスベットの協力でヴァンゲル家事件を解決し、「ミレニアム」編集部への復帰を果たしたジャーナリストのミカエル。しかし、その事件の後、リスベットとは連絡途絶のまま1年が経過していた。そんな時、売春組織の取材をしていた記者2人が殺害される事件が発生。現場にリスベットの指紋が付いた銃があったことから、彼女は殺人犯として指名手配に。警察の捜査を網をくぐりながら犯人を捜すリスベットと、彼女の無実を信じ独自に調査をするミカエル。やがて“ザラ”という人物が浮かび上がり…というストーリー。
1作目のデキがよろしかったので、ものスゴく期待していたのだが、観始めると違和感が。霧がかかってとてもいい雰囲気の森だったので、もう一度訪れてみると、その霧はすっかり晴れてしまって、ただ森になってしまった…そんな感じ。キャストも舞台も一切変更がないのに、この差は何か。
で、確認してみれば、監督が変わっているじゃないか。これはいかん。なんでじゃ。さらにウィキペディアで検索してみると、1作目の映画がヒットしたのを受けて、TVドラマとして続編が作られることとなったものの、1作目のヒットが予測以上だったので、急遽TVドラマを映画に編集したという事情らしい。そういう事情で監督変更があったのは理解したが、だからといって、ここまでレベルダウンする理由にはならんだろう。
非常にタチが悪いのは、完全に中途半端なモヤモヤ状態で2が終わること。2時間以上観せておいてクリフハンガーはいかん。単体でも成立するように仕上げないと(劇場で観た人はさぞや釈然としなかったことだろう)。
無痛症の巨人が登場するのだが、これも原作から登場しているとは思うが、実にリアリティがない。無通症と聞くと、痛みを感じないんだからものすごく強かろうと思いがちだが、生物としてのフィジカルな危機シグナルを察知できないのだがら、死ぬ確率は倍どころの騒ぎではない。ましてやこんな暴れん坊が、生存できる確率は極めて低い。でも、1作目にあったような勢いとノリが2作目にもあれば、こんなことは絶対に気にならなかったに違いないのに。
日本でも2・3と相次いで劇場公開されていたのだが、これは劇場公開が許されるレベルとは言いがたい。
確信して言わせて貰うが、絶対に前の監督が手掛けていればおもしろくなっただろう。いや、せめて編集に携わってもらうなり、なんらかの形で関与してもらうべきだったろう。とはいえ、乗りかかった船、1を観た人は2以降を観ないわけにはいかないだろう。それほど魅力的な魔力をもった原作ということなのか。そして、そんな原作の力にあぐらをかいて、ちゃらんぽらんな続編にしてしまったスタッフを呪う。ん~、結局、私は3を観て、このモヤモヤを晴らすと思うのだが、それがワナにはまったみたいで悔しい。
とにかく、3作目をみてから、このシリーズに足を踏み込むべきか否かを判断したいと思う。評価保留。
#原作の段階から“火と戯れる女”という副題はついているようだが、登場するどの女性も火と“戯れ”てはいないと思うんだが。
公開年:1969年
公開国:アメリカ
時 間:111分
監 督:ジョージ・ロイ・ヒル
出 演:ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード、キャサリン・ロス、ストローザー・マーティン、ジェフ・コーリー、ジョージ・ファース、クロリス・リーチマン、ドネリー・ローズ、ケネス・マース、ヘンリー・ジョーンズ 他
受 賞:【1969年/第42回アカデミー賞】脚本賞(ウィリアム・ゴールドマン)、撮影賞(コンラッド・L・ホール)、作曲賞(バート・バカラック)、歌曲賞(バート・バカラック:作曲、ハル・デヴィッド:作詞/『雨にぬれても』 Raindrops Keep Fallin'on My Head)
【1969年/第27回ゴールデン・グローブ】音楽賞(バート・バカラック)
【1970年/第24回英国アカデミー賞】作品賞、主演男優賞(ロバート・レッドフォード、ポール・ニューマン)、主演女優賞(キャサリン・ロス)、監督賞(ジョージ・ロイ・ヒル)、脚本賞(ウィリアム・ゴールドマン)、作曲賞[アンソニー・アスクィス映画音楽賞](バート・バカラック)、撮影賞(コンラッド・L・ホール)、編集賞、音響賞
【2003年/アメリカ国立フィルム登録簿】新規登録作品
コピー:史上名高い列車銀行強盗ブッチとサンダンス! 鮮烈に生きた無法者の明日を知らない決闘のさすらい!
新しい時代の新しい西部劇! 鮮やかなテクニックで現代によみがえったこの3人の壮烈な青春!
アメリカ西部。ブッチとサンダンス一味は数々の銀行強盗や列車強盗を繰り返し、お尋ね者となる。鉄道会社は全国から最強の刺客を集め、彼らの追撃を開始。命からがら逃げのびたものの、仲間は殺されブッチとサンダンスの二人だけに。追撃の手は緩むことなく、逃げ切ることが困難と考えた彼らは、サンダンスの恋人エッタとともに南米ボリビアへと逃亡するが…というストーリー。
前半は、若さと疾走感がたっぷりで、犯罪者のお話ながら青春映画のようなさわやかさすら漂う。しかしボリビアに行ってからは、中年の悲哀のようなものを感じるように。だって、状況の変化に合わせて自分の生き方を変えることができない、つぶしのきかないおっさんみたいなんだもの。観ていてせつなさを感じるとともに、中年に差し掛かる男性ならだれしも経験するプロセスだと思うので、共感できる人が多いのではなかろうか。
じゃあ、夢もロマンもないのか?というと、そうではなくて、二人は徐々に追い詰められていくのだが、なぜか追い詰められれば追い詰められるほど、輝きが戻ってくる。自分達がまっとうな生き方に方向転換できないことをドシっと実感してしまったからなのか、この方が自分らしいと思ったのか、もうダメなのは薄々わかってるのに腹をくくった感じが実に心地よい。
私は“ニューシネマ”というのが具体的に何を指すのかよくわかっていない。しかし、ニューシネマの代表とされる本作を観る限り、道徳や条理や勧善懲悪などから反するような内容でも、予定調和することなくそのままの流れで表現すること…と理解した。だとすると、それは、俳句や和歌などで空気感を愉しむことに似ていると思う。ニューシネマとはわびさび也。この空気感を感じられた人はおもしろいと思うし、そうでない人は映画の体すら成していないように見えるだろう。そのくらい評価が分かれる作品だと思う。
技術的には、写真などの静止ショットが多用されているのが印象的。特に、ラストシーンは映画史に輝く有名なシーンだけど、本当にオシャレだと思う。傷ついた二人が、覚悟して飛び出していくところで画像停止。停止したところからシームレスに引きの映像に。でも、これははどういうテクニックをつかっているのかな。色々考えたけど私にはわからない。誰か教えてほしい。地味に難しいと思うんだけど。
邦題のセンスが冴え渡っているし、画質もストーリー運びも40年以上も前の作品とは思えない。古さを感じさせないという点では、今まで観たどんな作品よりも、間違いなく長けている。古典を見るつもりで鑑賞しはじめたが、どうしてどうして。今となっては未見の人も多いだろうが、とても愉しめたのでお薦めしたい。
#ブッチはモルモン教だったらしいのだが、本作ではビール飲んでましたな。
公開年:2003年
公開国:イタリア
時 間:102分
監 督:マルコ・ベロッキオ
出 演:マヤ・サンサ、ルイジ・ロ・カーショ、ロベルト・ヘルリッカ、ピエール・ジョルジョ・ベロッキオ、ジョヴァンニ・カルカーニョ、パオロ・ブリグリア 他
受 賞:【2003年/第60回ヴェネチア国際映画祭】芸術貢献賞(マルコ・ベロッキオ)
コピー:私は信じる。きっと自由になる日が来ると。
1978年、ローマ。これはイタリア最大の事件と呼ばれた「事実」に基づいた物語である。
1978年、イタリア。極左武装集団“赤い旅団”がモロ元首相を誘拐する。モロ元首相は、アパートの一室に監禁され、女性メンバーのキアラが身の回りの面倒を見ることに。この事件は大々的に報道されるが、自分たちの行動が社会から支持されていないことを知り、加えて、政府に対する要求がことごとく拒絶されることに、苛立ちを募らせていき…というストーリー。
イタリアの名監督らしいのだが、知らず。たしかに手練な感じはする。音楽の使い方なんかは前衛的な要素もあるが、年寄りの冷や水というか、とって付けた印象も。
連合赤軍事件の永田洋子死刑囚が獄中死亡したニュースも、耳に新しいところだが、同様の共産主義思想の過激派の話である。日本赤軍のような日本の組織を扱った作品の場合、内ゲバや粛清によって、グロい狂気描写だらけになりがちなのだが、本作にはそういうシーンはない。
赤い旅団は明確に共産主義革命を標榜する組織であるが(まあ、実際はチンピラまがいで、マフィアと手を組むなど、志は高かったとは思えないのだが)、事件の被害者となった元首相のモロ氏がキリスト教民主主義党だったことで、共産主義とカトリックとの対比がなされ、共産主義が宗教の一つであることや、それが原始キリスト教の態様に酷似している点が表現されているのが、興味深かった。
人間というものは、他者とのコミュニケーションによって、多かれ少なかれ影響を受けるものである。その変化を成長と呼び、その変化こそ“人間”の社会性動物としての存在意義の一つといって良い。しかし、彼らは、他者の意見を一切受け入れず、その偏狭な考えを決して曲げることはない。その態度は既に“人間”のそれではないと私は思う。人間ではなく且つ他の人間に危害を加えるということは獣である。そして知性のある獣は悪魔と呼ばれるのである。
とはいえ、その知性とやらもレベルが知れているのが厄介。労働者革命の先には、今とは違う階級社会が表出し、再び違う階級闘争が生じる。それが永遠の流血を意味しているという想像すらつかない。そんなポンコツ悪魔たちが、自らの稚拙な所業によって追い詰められていく様子は、不謹慎ながら非常におもしろい。このクソ野郎どもを、痛い目にあわせてやりたい!そういう気持ちが増幅する、めずらしい感情が沸く作品である。
途中で、女性メンバーの心が揺れはじめ、組織が瓦解するのか?この女は転向するのか?と、方向性が変わりそうになるのだが、さすがに史実なので曲がりはしない。ちなみに、このモロ元首相誘拐事件の結末を知っているかいないかで、かなり感じ方は違うと思う。事件を知っている人は、あまり愉しめないと思うので、知らない人はまちがってもウィキペディアで検索しないように(笑)。そのまま観よう。
残念ながら、史実の壁のせいなのか、最後は“だって史実なんだからどうしようもないじゃな~い”と言い訳を叫びながら終わった感じ。決して、良い作品とはいえないのだが、あまり存在しないタイプの作品であることや、人がドツボにはまっていく様子を愉しむという観点では、価値はあると思う。私は意外と楽しめた。
以下、事件の結末を知らない人は読まないように。
公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:109分
監 督:ジェームズ・マンゴールド
出 演:トム・クルーズ、キャメロン・ディアス、ピーター・サースガード、ヴィオラ・デイヴィス、ポール・ダノ、ジョルディ・モリャ、フォーク・ヘンチェル、マギー・グレイス、デイル・ダイ、マーク・ブルカス、レニー・ロフティン、セリア・ウェストン、ガル・ギャドット 他
コピー:ワイルドな誘惑。スイートな衝撃。
ヴィンテージ車のレストアを仕事にしている女性ジューンは、カンザスにパーツ調達へいった帰りの空港でロイと名乗る男性とぶつかる。彼とは機内でも再会し、そのハンサムな笑顔とオシャレな振る舞いに心をときめかせるジューン。彼女が化粧室から戻ってくると、突然彼は、パイロットを殺したと突拍子もないことを告げる。ジョークだと思っていると、実際にパイロットは死亡しており、飛行機は急降下。ロイが操縦桿を握り、なんとか農地に不時着するも、脱出の直後に飛行機は大爆発。気絶したジューンが目を覚ますとそこは自宅のベッド。あの出来事は夢か?と思ったが、その後次々と危険な目に遭い、その度にどこからともなくロイが救出に現われるのだった…というストーリー。
この作品は、カップルで鑑賞して男女の両方が愉しめることを目的に作られている。これは、コンセプト的にものすごく正しい。映画鑑賞はデートの定番だが、男女両方が満足できる映画というのは案外無いもので、大抵がどちらかの趣味に合わせている。特にアクション物で、男女両方が同じように満足できる作品は皆無に近いと思う。本作は、全編にわたってターゲットが明確でブレがなく、マーケティングがかなり成功している例だと思う。
『バニラ・スカイ』の時のような輝きは既にない主役の二人。昨今の奇行イメージのついたトム・クルーズに、落ち窪んだ眼窩のせいで所々でゾンビのように見えるキャメロン・ディアス。今となっては陳腐にすら見えるキャスティングだが、かえってそのくたびれ加減が、本作のくだらなさにマッチしてしまった。これを狙っていたとしたら、このキャスティングをした人の才能はすばらしい。
内容にも色々難はある。早々に、人質っていうメリットよりも連れまわすデメリットのほうが大きくなっちゃってたり、太陽が永久なエネルギーだとかトンチキなこと言い始めたり、話の収集が付かなくなってスペイン語圏に舞台を移してみたり…とか。でも、そんな野暮なことを言ってたら映画が成立しなくなっちゃうよね!って感じで、無視できる勢いと、バカなノリがあるのでオールOK。ハーレクイーンロマンス小説か韓国ドラマかってレベル。何の問題も解決していないラストだけど、それもご愛嬌。
今年一番、頭を使わせずに愉しませてくれた作品。解説するだけ無駄。疲れた頭を気分転換させたい時には最適。でも、一人で観るとなんかバカにされたような気持ちがちょっとよぎるので、できることならカップルで観たほうがいいかな。
公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:110分
監 督:ブライアン・レヴァント
出 演:ジャッキー・チェン、アンバー・ヴァレッタ、マデリン・キャロル、ウィル・シャドリー、アリーナ・フォーリー、マグヌス・シェヴィング、キャサリン・ボシェール、ルーカス・ティル、ビリー・レイ・サイラス、ジョージ・ロペス 他
中国からCIAに出向してきているボブは、隣家のシングルマザーのジリアンと結婚の約束をする。ジリアンには3人の子どもたちがいるが、表向きはペンのセールスマンであるボブは、退屈な人間として嫌われている。ある日、ジリアンの父親が大怪我をしたため実家に戻らなくてはいけなくなり、その間子供たちの面倒をみることに。しかし、子供たちはまったくいうことを聞かず、ほとほと手を焼く。そんな中、長男イアンが、ボブのパソコンを勝手に操作して、極秘情報をダウンロードしてしまったことから、ロシアの犯罪組織の標的となってしまい…というストーリー。
原題の“THE SPY NEXT DOOR”は正しい。スパイをやめて第二の人生を歩もうって話だもの。“ダブル・ミッション”っていう邦題のほうが良いと考えた理由がさっぱりわからない。インパクトはかえってなくなっているし、意味がわかりやすくなったわけでもない(ガルネクとかがいるんだから、逆に意味はしっくりくるだろう)。変なの。
CIAのスパイが中国政府から出向してきているという設定は、要するにアメリカ政府と中国政府は蜜月状態だということを意味するのだが、これはアメリカ人にとってスンアリと受け入れられるのだろうか。映画というのは世界情勢を反映するものだが、中国が味方でロシアが敵っていう構図が、今のアメリカ人にはしっくりくるのか?中国とアメリカは経済の面で仲良しさんで、ロシアとは石油利権の面で対立関係にあると?そういう認識はなかったので、ものすごく不思議。
アクションコメディだが、アクションの面でもコメディの面でもイマイチ感が。
正体を隠しているスパイという設定が使い古されているし、ダウンロードの件もどこかで観たような感じ。悪役の服装の件も、砂糖で興奮する件など、笑いと取ろうとしている部分が全部スベってる。細菌が樹脂を喰うなら、マニュキアも喰ってほしかった…とか細かい部分のツメも甘い。
子供達がボブをそこまで嫌ってる理由の説明が描写不足。オタクだとかロボットとか、父親が戻ってきたら…とか言ってるけど、それでも説明は不十分で、人種差別に見えなくもない。
敵から襲われて、話が動き出すと、徐々におもしろくなってはくるのだが、いささか手遅れ。おまけに、やっと面白くなったと思ったら、母親があっさり迎えに来てしまって、せっかくの盛り上がりかけも早々にしぼむ。前半の段階で、もうちょっと、自分の正体がばれないように丁々発止で逃げ回る展開をつくるべきだったろう。
“ジャッキー30周年”の作品と気合が入っているのなら、往年のファンにも喜ばれるように、原点回帰な感じにしてほしかった。なんでこんな子供向けコメディなのか。これがジャッキーのやりたいことだとすると、ちょっと悲しい。
アメリカ人には東洋人の年齢がピンときていないのかもしれないが、我々から見ると、ジャッキーの老いは、いささか痛々しく見える。やっちまった感満載のアクションコメディ。エンディングのNGシーンのつまらなさが、この映画のレベルを象徴しているような気がする。
少なくとも、新作料金で観る価値はない。お薦めしない。
公開年:2010年
公開国:アメリカ、中国
時 間:140分
監 督:ハラルド・ズワルト
出 演:ジェイデン・スミス、ジャッキー・チェン、タラジ・P・ヘンソン、ハン・ウェンウェン、ワン・ツェンウェイ、ユー・ロングァン 他
コピー:最高の師匠がくれたもの──それは、逃げずに立ち向かう勇気。
あの伝説が北京で甦る!
母と二人暮しの少年ドレ。母親が北京に転勤することになり、デトロイトから異国の地へ。言葉もわからず、文化の違う中、見かけた一人の少女に心ときめくドレ。しかし、そのために、同じ学校に通う少年達に目を付けられてしまいいじめの対象になってしまう。その少年達はカンフー教室の生徒で、ドレはとてもかなわない。いつものようにいじめられていたある日、突然現れたアパートの管理人ハンに助けられる。これ以上いじめられないように、ハンとドレは少年達が通うカンフー教室の師範に話をつけに行くが、逆にカンフー大会で勝負をするハメに。ドレはハンの下でカンフーの修行に励むことになるのだが…というストーリー。
いわずと知れた1984年製の『ベスト・キッド』のリメイク。しかし、原題は“THE KARATE KID”なのにカンフー。別に他のタイトルでもいんじゃないか?と思ったけれど、基本的なプロットを愚直なまでに踏襲しているので、いたしかたないか。
ただ、話の筋はそのままに舞台を変えたことで、いろいろと補正が必要となった模様。細かいシーンを足したおかげで、140分という長さになっている。それを逆手にとって、ガラっと新しいベスト・キッドの味にすることもできたと思うのだが、残念ながら昇華するまでには至らず。
はじめに出会った西洋人の少年とか、ヒロインの女の子といじめっ子の家の親同士が仲がいいとか、新たに加えた師匠の過去とか、そういう設定が全然生きていない。オリジナルの売りの一つである奇抜な修行(ワックスガケ)も、本作では別の修行方法になっているのだが、あまり目を惹くような内容ではない。その他諸々の修行も全然効果があるように見えないどころか、ダラダラした印象で、そんなんで強くなれるとは全然感じられない。
#母はいったい何の仕事で中国なんかに転勤になったのか?管理職でもなさそうだし。
たかだか子供のカンフー大会なのに、巨大モニターや、すぐにリプレイ編集される演出など、リアリティが無いにもほどがある。製作が米中ということで、アメリカVS.中国という構図を避けたかったのか、悪役のワルっぷりもいまいち振り切れていない。そのために、勝手もまったくスカっとせず、オリジナルの馬鹿馬鹿しいともいえる勢いには、遠く及ばない。
それでも、なんとか鑑賞に堪えるのは、オリジナルの設定とジャッキー・チェンの存在感の成せる業といえる。及第点中の及第点。置きにいったストライクっていう作品。
それにしても、主役のウィル・スミスの息子は、日本でのプロモーションでの態度が非常に悪かったですな(わざとなのか天然なのかわからないけど)。あれで礼儀正しい子供だったら、もっと話題にしてもらえただろうけど…。オリジナル大好き世代は、こんな調子こいた二世タレントの映画なんか、誰が見てやるかよ!って気持ちになったのではなかろうか(私は、その一人)。
公開年:2006年
公開国:韓国
時 間:116分
監 督:キム・ヨンファ
出 演:キム・アジュン、チュ・ジンモ、イム・ヒョンシク、イ・ハヌイ、イ・ウォンジョン、キム・ヨンゴン、ソン・ドンイル、ソ・ユン、キム・ヒョンスク、パク・フィスン、パク・ノシク、イ・ボムス、リュ・スンス 他
コピー:整形、OK?過去と脂肪を捨て、愛を手に入れられるのか?
歌の上手いカンナは歌手を夢みて音楽界に入るが、身長169cmで体重95kgの彼女はスターになることはできず、今はスター歌手アミの舞台裏で声をあてる仕事をしていた。そんなある日、秘かに心を寄せていたプロデューサー・サンジュンの言葉に傷付き、全身整形して生まれ変わることを決意する。1年後、美しく生まれ変わったハンナは韓国系アメリカ人ジェニーとして、念願の歌手としてデビューすることになるのだが…というストーリー。
日本のマンガが原作なのだが、聞き及んでいるストーリーとちょっと内容は異なるような…。容姿のよろしくない人でも中身がよければ…っていう綺麗事をいうのは簡単だけど、美人の中身はやっぱり美人だったり、ブサイクな人の心はやっぱりブサイクだったりしちゃうのよね…とか、ちょっとシニカルというかイタいというか、そういう切り口から人間性というものを描いたコメディだと思っていたのだが。本作は超デブでブサイクな女性が美人に整形して、すったもんだがあるというタダのドタバタ。これ、ホントに日本のマンガでドラマにもなったアレが原作なのか?
悪いわけではないのだが、話の深みが全然ない。それに加えて、不愉快とまでは言わないけれど、なんか引っかかる。
たしかに原作はブサイクな人の社会的な扱いとか、いじめられる様子を描いているのは事実だけど、なんだかんだいって日本の場合、どれだけブサイクでも職業的に認められていれば、社会的に貶められるようなことはない。でも、本作を観ていると、韓国では、ブサイクな女性というのは美人の女性にへりくだったりご機嫌をとったりするのが普通の状態で、見た目の差はどうやっても補うことができないという社会ルールがあるようにみえるのだが(気のせいか?)。もしかして韓国ってそういう国?
その他にも、ボケてる父親だとか睡眠薬自殺未遂だとか、コメディのノリを削ぐようなエグい要素を放り込んでくる。韓国って弱者というかマイノリティというか、そういう人たちを心の底で本気で見下したりはしていないだろうか。なんか、ムズムズと嫌悪感がしてくるのだが、考えすぎか?
結局、こういうテーマにもかかわらずメッセージ性が皆無なので、最後も尻すぼみ。なんとなくテキトーにまとめた感じで終了。それでも、まあまあのドタバタと主演女優のキュートさで、そこそこ観れはする。これも、昨日の『リアル鬼ごっこ』と同様に、数本のビールをかっくらって観れば楽しめると思う。
#太った特殊メイクの質がイマイチとか、歌のクチパクが合ってなくて興醒めとか、高須クリニックの人の吹替えは、公開時は話題作りとしてよかったんだろうけど、DVD化の時は変えたほうがよかったんじゃないかなとか、難点はいくらでもあるのだが、まあ、それを直したところで…ってところかな。
公開年:2008年
公開国:日本
時 間:98分
監 督:柴田一成
出 演:石田卓也、谷村美月、大東俊介、松本莉緒、吹越満、柄本明 他
コピー:捕まると死刑執行──。ニッポンの国王が仕掛けた究極の鬼ごっこ。今、決死のサバイバル・ゲームの幕が開く!!
全国の佐藤さん、貴方たちはあまりにも多いので、少し数を減らします
ある日、佐藤姓の人が相次いで亡くなるという不思議な事件が発生。死因はさまざまで、姓が佐藤という以外には共通点は無かった。そんな中、不良高校生の佐藤翼は、幼なじみの佐藤洋率いる敵対グループに捕まり絶体絶命のピンチに陥る。しかし、次の瞬間、洋の前から翼は忽然と消失。呆然とする翼の目の前に、今度は必死で逃げる洋の姿が。その背後には、全身黒ずくめの“鬼”が…。翼はパラレルワールドに飛ばされており、そこでは、全国の佐藤さんを捕まえて殺す“リアル鬼ごっこ”が展開されている最中だった…というストーリー。
はじめっからネタバレ注意。
基本的には、『バトル・ロワイヤル』の亜種で、オチは『ザ・ワン』。小説が原作なのだが、読んだことはない。対象年齢は高くなさそう。
小説であれば軽く流せるような設定も、実写になってしまうとどうしても気なる部分が多数でてくる。どうして王政になったのか(なれたのか)…とか、それなりにウマく説明してくれないと荒唐無稽に感じてしまう。そこは映画化の段階で補完してもらいたかった。肝心の鬼ごっこだって、何時から何時まで行われているのかとか、全然説明しないから、どのくらい走り続けているのかピンとこなくて、ふわふわした感じ。
また、時間配分にも問題がある。肝心の鬼ごっこが半分くらいで終わってしまうので、ああ、鬼ごっこが終わったあとに奪還計画なり復讐なりがあるんだろうな…と、容易に予想がついてしまう。
それ以外にも、変なことがたくさん。
妹が、同一世界に二人いるとマズイとかいっていたけど、主人公の母親は相当の期間、あっちの世界で並存していたじゃないか。
王様なんだから、一人の若い男を捜すためなら、あんな風に囚人をつかうよりも、人海戦術を使ったほうが絶対に効率が良い。大体にして、王様として地位は磐石なんだから、そのまま王様をやってりゃいい。、探し当てた息子が本当に超能力を持っているとも限らないし、見つけたとしても言うこと聞くとも限らないのだから、探す必然性がまったくない。それに、母親が死んだのは相当前で、なんでここ数日で急に探さないといけないのかもわからない。
鬼ごっこが終了した後は、武器やら車をつかってもいいのに、なぜか頑なに使わない。
全国の佐藤さんをとっ捕まえていると言っているんだから、元の世界では、数万単位で死んでいないとおかしい。それほどの数が死んでいないのはわかってるんだから、捕まっている人が殺されていないことに気付かないのはアホ過ぎる。
主人公が王様に中継した画像は、王様の所だけに中継されているのか?それとも放送していたのか?TV局から宮殿にホットラインで中継なんかできないだろうから、放送と考えるのが自然。ならば、その放送で王様がただのオッサンなことがわかったんだから、その時点で反乱がおこらないと変。
ボイスチェンジャーを噛ませても、始めから柄本明だとわかってしまう。判るようにしているのは意図的か?それとも製作側のズボらか?いずれにせよ効果的ではない。それに、ベテラン俳優なのに、すっかり彼の演技は浮きまくっている。もしかしてこの人、映画向きじゃないのかもしれない…と思わせるほど。
まあ、これだけ、難があるのに、それなりに見せてくれるという意味では評価できるんだけど、やはり対象年齢が相当低い。ビールを相当飲んで酔っ払うと、大人でもなかなか楽しめるレベルになると思う。よく言えばマンガ。悪く言えば子供騙し。限定付きで軽くお薦めできるかな…ってところ。
公開年:2004年
公開国:アメリカ
時 間:100分
監 督:ザック・スナイダー
出 演:サラ・ポーリー、ヴィング・レイムス、ジェイク・ウェバー、メキー・ファイファー、タイ・バーレル、マイケル・ケリー、ケヴィン・ゼガーズ、リンディ・ブース、ジェイン・イーストウッド、ボイド・バンクス、インナ・コロブキナ、R・D・レイド、キム・ポイリアー、マット・フルーワー、ジャスティン・ルイス、ハンナ・ロックナー、スコット・H・ライニガー、トム・サヴィーニ、ケン・フォリー 他
コピー:それは、8歳の少女から始まった。
感染するまで、終わらない──。
看護婦のアナは愛する夫との二人暮し。ある日、彼女たちの寝室のドアが静かに開くと、何故かそこには隣に住む少女ヴィヴィアンが立っていた。少女は突然、とてつもないスピードで襲い掛かってきてルイスの首筋に噛み付く。何とか部屋の外にヴィヴィアンを撃退するも、夫ルイスは絶命。しかし、息絶えたはずのルイスは息を吹き返し、今度はアナに向かって襲い掛かるのだった。必死に屋外へ脱出すると、町には同じような状態の人々がたくさんおり…というストーリー。
オリジナルのロメロ版に比べると、悲惨な感じや虚脱しちゃう感じは無くなった気はするのだが、とはいえオリジナルの細かいディテールの記憶も薄くなっているので、それほど気にはならなかった。とはいえ、さすがににゾンビが“走る”という決定的な違いには気付く。元気元気。
おかげで、スピード感が出て効果的…と言いたいところだけれど、2002年製作の『28日後…』の影響を受けているのは明らかで、そう考えると手放しで評価できないかも。二番煎じと思われちゃあね。私なら、ノロいままにして、別の要素を加えたかもしれない。
いや、もしかすると、走らせることは、案外別の意図があったかもしれない。
ロメロ版では、ゾンビとは大衆消費社会の投影だといわれている。2005年のロメロ本人による『ランド・オブ・ザ・デッド』では、資本家と労働者という社会構造の、労働者側をゾンビにしちゃうという、いまいち時代錯誤な投影をしていたりするのだが、とにかくロメロがゾンビに何らかの社会事象を投影しているのは確か。1991年製のウェス・クレイブンによる『壁の中に誰かがいる』でも階級闘争を表現していたり、ゾンビ物というのは往々にして、そういう社会問題の代弁者だったりするものなのだ。
さて本作のゾンビは、現代社会の何の投影なのか。大衆消費社会における消費行動がすばやくなったから走らせて見たのだろうか?ネット社会の大衆の反応やレスポンスの速さを投影している?じゃあ、ネットショッピングができるような時代になったから、モールからは脱出しちゃうんだよ~とか?(オリジナルは脱出しない)
ん~、残念ながら、私にはピンとくるものは無かったが、観た人はどう感じただろうか。もしかすると、製作側はその辺を明確に定義せずに、作り進めてしまったのかもしれないね。
そういう肝心な点が呆けているにもかかわず、ザック・スナイダーはこのリメイク版をきれいにしっかりと仕上げた。これが初監督作品だったのだが、やはりすばらしい能力だと思う。彼の映像センス、私は好みだ。造形物のエッジがくっきりした映像がいいのかもしれない。おかげで、“走るゾンビ”が二番煎じだということに、ひっかかることなく楽しめたのだと思う。そして、ゾンビ映画という食人モノであるにもかかわらず、あまりスプラッターな感じがしないのも同様の理由だろう。
製作側の企画意図がいささか打算的でぼんやりしていたにもかかわらず、それを補って余りある能力で成立させた、まさに出世作。チャンスを物にするとはこういうことだ…という作品。いまどきのホラーとしては、おとなしめですらあるが、逆にホラー嫌いでも許容できる範囲かと。そういう意味で軽くお薦め。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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