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image1561.png公開年:2009年 
公開国:フランス
時 間:124分
監 督:ラデュ・ミヘイレアニュ
出 演:アレクセイ・グシュコフ、メラニー・ロラン、フランソワ・ベルレアン、ミュウ=ミュウ、ドミトリー・ナザロフ、ヴァレリー・バリノフ、アンナ・カメンコヴァ、リオネル・アベランスキ、アレクサンドル・コミサロフ、ラムジー・ベディア 他
受 賞:【2009年/第35回セザール賞】音楽賞(アルマン・アマール)、音響賞
コピー:さあ、人生を奏でよう。


ロシアのボリショイ交響楽団で清掃員として働く男アンドレイ。彼は30年前、この楽団で天才マエストロとして活躍していたが、当時の政権がユダヤ系演奏家たちを排斥しようとしたことに抵抗したため、解雇させられた過去を持つ。以来、再起の機会を窺いながら、清掃員に甘んじていた。そんなある日、パリの劇場からの出演依頼のファックスを偶然目にした彼は、かつて彼と一緒に解雇されたかつての仲間を集めてボリショイ交響楽団と偽り、パリ公演を実現させようと考える。現在は様々な職業に就いている仲間を集めて、いざパリへと向かうのだったが…というストーリー。

ロシアからパリへと展開するドタバタ喜劇かと思いきや、良い意味で相当裏切ってくれた。この作品はかなりイイ。

若干、ネタバレ注意。

二つのミスリードですっかりやられてしまった。オーケストラに憧れるポンコツ親父が、自分のポンコツ楽団と繰り広げるレッドビッキーズ的な展開か…と思ってウンザリしかけたが、裏にはしっかりした歴史的事情やドラマがあった。そして、自分の娘か?みたいなありきたりな展開がよぎってウンザリしかけたが、そこにも心がぐっと握られるようなドラマがあった。
#最近、ユダヤ迫害物はナチス系じゃなくソ連系に移行する傾向にあるね。『カティンの森』とか。

最後の演奏の最中に、以後の展開を見せる演出もよい。シビレた。鳥肌が立った。音楽とのマッチ具合が絶妙。ここで泣ける人は多いと思う。演奏が終わって、その後…みたいな編集だったらがっかりしたと思う。

偏狭な思想のために亡くなった多くの人々の魂を追悼する映画まで昇華していると思う。そして、今も偏狭な思想のために苦しむ人々がいることが切なく思えてくる。そんな感情が絡み合うラスト。先日の『プラトーン』とは違う意味で、平和の大事さと努力の必要性を感じる作品。
他人のエゴを糾弾する人間こそ、もっと大きなエゴに支配されていることは、往々にしてあるよね。

“ウマさ”“感動”“音楽”というパラメータ値は、今年観た映画の中でトップクラス。強くお薦め。いい映画に出会った。

#でも、こういう良い映画でも、もう一回観ようって気にはならなくて、昨日の『脳内ニューヨーク』みたいな必ずしも良い作品とは言えないのをもう一度観ようと思っちゃうってのが、映画の不思議なところだね。

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image1597.png公開年:2008年 
公開国:アメリカ
時 間:124分
監 督:チャーリー・カウフマン
出 演:フィリップ・シーモア・ホフマン、サマンサ・モートン、ミシェル・ウィリアムズ、キャサリン・キーナー、エミリー・ワトソン、ダイアン・ウィースト、ジェニファー・ジェイソン・リー、ロビン・ワイガート、セイディー・ゴールドスタイン、ホープ・デイヴィス、トム・ヌーナン 他
受 賞:【2008年/第34回LA批評家協会賞】美術賞
【2008年/第24回インディペンデント・スピリット賞】新人作品賞、ロバート・アルトマン賞(アンサンブル演技作品賞)
コピー:人生には“何か”あるはず

アーチストの妻アデルと娘オリーヴとニューヨークで暮らす劇作家ケイデン・コタード。彼の舞台はそれなりの評価を受けていたのだが、アデルはいまいち個性のない彼の演出姿勢に嫌気がさし、娘を連れてベルリンへ移住してしまう。なかなかアデルへの未練を振り切れずにいるケイデンだったが、突然にマッカーサー・フェロー賞を受賞してしまう。彼は、その多大な賞金を元にしてとある企画を思いつく。それは、巨大な倉庫の中に、自分の脳内にある“もうひとつのニューヨーク”を作り上げるというものだった…というストーリー。

彼が脚本を手がけた『マルコヴィッチの穴』や『エターナル・サンシャイン』は好みなのだが、さて、自ら監督した作品はいかがなものか。

自分の頭の中のニューヨークを舞台で表現しようという突飛なプロットなのだが、その本題に入るまでの脚本のドリフトっぷりがハンパない。
現実と妄想の境目を判然とさせないのは作為だとしても、あまりにも判りにくすぎる。境目を見分けるヒントすら存在しない。せめて主人公の一人称的な表現で通してくれたらいいのだが、そんなルールは無い。常に火事になっている家の表現など、間違いなくケイデンがいないシーンでスタートするのだから、完全に彼の脳内ではないもの。とにかく困惑する。置いてきぼり感も甚だしい。
挑戦していると捉えられなくもないけど、思いついたことをそのまま表現すりゃあそれでいいのか?ゆるされるのか?と、腹立たしいとまではいわないが、首を傾げたくなる。わかるんだけどねぇ…とは思うが、絶対に一般ウケはしない。

ただ、個人的に好きなのは、NYで無茶な舞台を作り始めて、自分を演じている人が登場すると、さらにそれに干渉する同じような演者が登場してくる展開。ハイゼンベルグの不確定性原理でいうところの、粒子の位置を正確に測ろうとすればするほど、対象物の状態を正確に測れなくなりるという物理学の法則に通じているのが、非常に興味深く感じた。

チャーリー・カウフマンの思索というのは、結構、突き詰められるところまで到達してしまっているのかもな…と思った。しかし、最後に、人間の模倣の意味自体を問いただして、一人一人が演者なんだ…的なセリフを言わせたのは非常に残念だった。そこは貫いてほしかったのだが、思想的な突き抜けがポッキリ折れてしまったように感じられた。日和ったと思う。結果的には、『マルコヴィッチの穴』ほど奇抜なビジュアル表現にもならなかったし、『エターナル・サンシャイン』ほど心に響くものはなかった。自分が監督することで、突き抜けるパワーが削がれたのならば、もう監督なんかやらないほうがいいと思う。

この一般的ウケしなかったことがさらに悪い面に拍車をかける。吹き替え音声が付いていないのだ。ビジュアルをしっかり観ないといけない作品なのに、字幕を追わなければいけないのがものすごく苦痛(なんとかならんか)。

とはいえ、不思議といつかもう一回観てやろうかという気にさせられてるのは、さすがチャーリー・カウフマンってことなんだろうな。お薦めはしないが、この文句を読んで逆に興味が沸いた人はどうぞ。私は、絶対にいつかまた観ると思う。そういう作品。

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image1587.png公開年:1986年 
公開国:アメリカ
時 間:120分
監 督:オリヴァー・ストーン
出 演:チャーリー・シーン、トム・ベレンジャー、ウィレム・デフォー、ケヴィン・ディロン、フォレスト・ウィッテカー、フランチェスコ・クイン、ジョン・C・マッギンレー、キース・デヴィッド、デイル・ダイ、ジョニー・デップ、リチャード・エドソン、ポール・サンチェス 他
受 賞:【1986年/第56回アカデミー賞】作品賞、監督賞(オリヴァー・ストーン)、音響賞(Richard Rogers、Simon Kaye、Charles "Bud" Grenzback、John "Doc" Wilkinson)、編集賞
【1987年/第37回ベルリン国際映画祭】監督賞(オリヴァー・ストーン)
【1986年/第44回ゴールデン・グローブ】作品賞[ドラマ]、助演男優賞(トム・ベレンジャー)、監督賞(オリヴァー・ストーン)
【1987年/第41回英国アカデミー賞】監督賞(オリヴァー・ストーン)、編集賞
【1986年/第2回インディペンデント・スピリット賞】作品賞、監督賞(オリヴァー・ストーン)、脚本賞(オリヴァー・ストーン)、撮影賞(ロバート・リチャードソン)
【1987年/第11回日本アカデミー賞】外国作品賞
コピー:男は、死ぬまで正体を明かせない。

1967年のベトナム。クリス・テイラーは、自分と同年代の若者が徴兵され、且つ彼らが少数民族や貧困層であるという事実に疑問を感じ、大学を中退して志願した。いきなり最前線のカンボジア国境付近のアメリカ陸軍第25歩兵師団に配属されるが、戦場の過酷さは彼の想像をはるかに超えており、配属当日に自分の選択を後悔するほどであった…というストーリー。

こんなメジャー作にもかかわらず、ハードな内容という評価に負けてこれまで回避してきた。監督自身がベトナム戦争に従軍していたためか描写は実に生々しいし、目を背けたくなるような痛ましいシーンが無いわけではなかったが、闇雲にグロいわけではないし、他人の変な評価に騙されて今まで観なかったことを残念に思うほど。結論から言えば名作である。

戦場において人々が狂気に走る様子が表現されているが、今、平和を謳歌している人達をだって、そのままベトナムに持っていかれたら…なんて考えてしまった。自分の身の回りにいるAさんはバーンズみたいになるだろうな、Bさんはラーみたいになるだろうな…なんて。

こういう映画はとても大事だと思う。あえて政治的な情勢や事情は語らないことで、純粋な戦争批判に昇華できていると思う。
どんな戦争であっても、本作に描かれたように民間人が犠牲になることを忘れてはいけないのは当然だし、とにかく、こうなる前に手を尽くさなければならないことを、後世の人に痛感させるためにも観るべき映画である。お隣の半島の情勢について、場合によっては交戦やむ無しという人もでてくると思うが、まず本作を観てから言ってみろと言いたい。

今の日本人は、仮に二次大戦時の日本軍の所業を同じ様に映画にして見せられたとしても、描写が正しくないだの、左翼思想だのと、急に目が曇って素直に受け取ることはできないに違いない。他国の様子でもいいから、戦争なんかイヤだ…と思ってくれればいいんじゃないかな…と思う。
なんで私がこんなことを言うかというと、自分の祖母が満州からの引揚者だったらしく、相当な体験をしているらしいのだが、死ぬまで一切何も語ってもらえなかったから。経験者だからといって必ずしも、下の世代に伝えられるとは限らないものなのだ。

『地獄の黙示録』よりは、数段良いデキだと思うし、実話ベースの『キリング・フィールド』よりも実話に感じる。未見の人(は少ないと思うけど)には強くお薦め。

#有名な膝をついて両手を挙げて天を仰ぐカットはウィレム・デフォーだったのだね。知らなかった(完全にチャーリー・シーンだと思っていた)。

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image1350.png公開年:2008年 
公開国:日本
時 間:105分
監 督:中島哲也
出 演:役所広司、アヤカ・ウィルソン、妻夫木聡、土屋アンナ、阿部サダヲ、加瀬亮、小池栄子、劇団ひとり、山内圭哉、國村隼、上川隆也、貫地谷しほり、彦摩呂、後藤ひろひと、林家ペー、林家パー子、ゆうたろう、松本さゆき、デヴィ・スカルノ、クリスチャン・ラッセン、木村カエラ 他
受 賞:【2008年/第32回日本アカデミー賞】美術賞(桑島十和子)、新人俳優賞(アヤカ・ウィルソン)
コピー:子どもが大人に、読んであげたい物語

変人ばかりが入院するとある病院。特に、“お前が私を知っているだけで腹が立つ”と傍若無人な振る舞いを繰り返す偏屈な老人・大貫は院内全員から嫌われていた。ある日、毎日同じ絵本を読んでいる少女パコに対して、紛失した純金のライターをパコが盗んだと誤解して頬を引っ叩き、泣かせてしまう。しかし翌日、パコは大貫のことを覚えおらずケロっとしている。実は、彼女は交通事故の後遺症で記憶が1日しかもたず、しかもその事故で両親を失ったことも知らず、毎朝枕元にある絵本をママからの誕生日プレゼントと思い込んでいたのだ。それを知り、さすがに落ち込む大貫だったのだが、何故かパコは、大貫が自分の頬に触れたことがだけは覚えており…というストーリー。

『下妻物語』『嫌われ松子の一生』と、個人的にかなり好意的だったのだが、本作は趣味に合わない。ビジュアル的な中島監督色は、出そうとしなくても出てるくらいがちょうどよいのに、意識して全開にすると、こんなに陳腐に見えるのかと呆れるというかがっかりというか。ティム・バートン作品に似ていると思われることだけは絶対に避けなければいけないハズなのだが、音楽までチャリチョコに似てしまうという、この愚作さ。観ている側に感じさせたらアウトで、この点だけでも失敗だといってよい。

また、色の付いてる役者が出すぎ。全体のトーンの統一感を損ねている(そう意味では、自分の色を消すことを意識しているように見える小池栄子は“判ってる”のかも)。
#アヤカ・ウィルソンだけは無条件にかわいらしい。他の子役のように変な成長をせずに、このまま大きくなってくれることを神に祈るほか無い。

また、もっと、シナリオに注力すべきだったろう。こんなに短い作品なのに、パコの病状が判明して話が動き始めるまでが長く感じるということは、根本的に内容が薄いということ。楽しくも悲しくもない薄っぺらな感じは、この膨らませた部分のせいだと思う。80分くらいにシュリンクすれば、サラっと感が逆にいい効果を生んだかもしれない。

消防士の放水の部分など、伏線の張り方が稚拙すぎて観ている側の感情が揺れないのだが、同様のシナリオ上の拙攻が多い。最後の絵本からカエルが飛び出す演出も、わけがわからない。私には「失敗しちゃいました」と匙を投げたか、「横から口を出す奴がいっぱいいて私の思い通りになりませんでした。イライラします」っていうメッセージに聞こえたんだけど、気のせいかな。
ネット上での評価も真っ二つに分かれているのだが、褒めている人のここが良いっていうポイントは、私にはさっぱりピンとこない。涙が止まらなかったという絶賛意見も散見されるのだが、ここまで世の人たちと自分のセンスがズレているのかと、不安になってしまう。
ただ、本作はある意味、人を測る物差しになると思う。『下妻物語』『嫌われ松子の一生』は好きだが『パコと魔法の絵本』はイマイチ…っていう人と、その逆っていう人がいる。私は前者。申し訳ないが、後者の人と私のセンスは合わない。それだけ。

中島監督がこういうテイストの作品を本気で作りたかったのか。私は疑問に思っている。廻りの期待に答えただけじゃないかなと。で、答えてはみたもの、結局こういう中途半端というか薄っぺらな高評価しか得られなかった。彼は満足しないと思うので、今後、彼はこの路線からはあえて忌避すると予測する。幸いなのは興行的には成功したということ。本作のことは忘れて次作に望んでいただきたい。という意味で『告白』には期待する(期待してるとか言うくせに、劇場では観なかったけどね)。

世の中の評価はどうか知らんけど、私はお薦めしない。凡作だと思う。最後は時間を無駄にしたなって気すらした。

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image1596.png公開年:1990年 
公開国:アメリカ
時 間:96分
監 督:サム・ライミ
出 演:リーアム・ニーソン、フランシス・マクドーマンド、ラリー・ドレイク、ネルソン・マシタ、コリン・フリールズ、ニコラス・ワース、セオドア・ライミ、ブルース・キャンベル 他
コピー: ダークマンは誰だ?
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人工皮膚の研究する科学者ペイトンは、恋人の弁護士ジュリーが手掛けている事件に巻き込まれ、殺し屋に襲われて研究所もろとも爆破されてしまう。辛くも一命は取りためたものの、全身に火傷を負い無残な姿に。しかし、全身の神経が失われたことで痛覚がなくなり、怒りによって超人的な力を発揮。さらに未完成の人工皮膚を駆使して他人に変身し、殺し屋たちへの復讐を開始するのだった…というストーリー。

リーアム・ニーソン、こんな作品にでていたのね。知らなかった。

昨今のかっちょいいヒーロー物とは一線を画す火傷だらけの主人公だし、あまり知られていない作品なので、まったく期待していなかった。しかし、迫力あるシーンの連続で、映画作りへの熱意とくだらなさとホラーが絶妙に融合している作品だった。
サム・ライミが『スパイダーマン』のオファーを受けた時はらしくないなと思ったものだが、この作品を観て納得した。本作には『スパイダーマン』の要素が全部入っていると言い切ってもいいくらい。

この頃は、ライミ監督らしい悪ノリっぷりが満載だ(指を折るシーンとかさ)。神経がなくなって痛みを感じなくなったという設定なんだけど、実のところ、なんで超人的な力を得たのかよくわからなくて、なんとなくもいいところだよね(笑)。でも、それで興醒めしてしまわない勢いがあるのだ。

こんなことをいうと、人格を疑われるかもしれないけど、私だったら、最後、ダークマンを追い駆ける女を車で轢きます。そして、死んだのかどうかはわからないけど、人が群がることを横目で見ながら、ダークマンが去っていくシーンで終わらせる(どう?私のセンス)。
なんか、この女の人、気に喰わないんだもん(途中で、ビルから落ちてしまばいいのに…って思ったほど)。まあ、『スパイダーマン』もそうだったけど、ヒロインがかわいくないよね(ワザとなのかな?案外そうかも)。

もしかすると公開当時はダサく見られていたのかもしれないが、これは今、評価されていいんじゃなかろうか(DVDも日本語吹き替えつけてほしいな)。私はお薦めしたい。『スパイダーマン』よりこっちの方が好き。

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image1557.png公開年:2009年 
公開国:アメリカ
時 間:105分
監 督:トニー・スコット
出 演:デンゼル・ワシントン、ジョン・トラヴォルタ、ジョン・タートゥーロ、ルイス・ガスマン、マイケル・リスポリ、ジェームズ・ガンドルフィーニ、ベンガ・アキナベ、ジョン・ベンジャミン・ヒッキー、ヴィクター・ゴイチャイ 他
コピー: 123号車、応答せよ──要求は何だ?
この車両ひとつで、NYはハイジャックできる。


ニューヨーク。一台の地下鉄が緊急停車し、1両目だけを切り離した状態に。運行指令室で勤務中だったガーバーは、無線で応答してきたライダーと名乗る男から、1時間以内に身代金1000万ドルを用意しろとの要求を告げられれる。さらに遅れた場合は1分ごとに人質を一人づつ殺すとも。ほどなく警察が運行指令室に到着し対応に当たろうとするが、何故かライダーは交渉相手にガーバーを指名するのだった…というストーリー。

重低音の音楽にのせて、非常に思わせぶりにスタートするのはいいが、想像させた内容未満のスケールで展開し、あまり上手な監督ではないと感じさせる。いかにもCMディレクターあがりって感じがプンプンする。これがこの監督の一つのウリになっているのはわかるけど、クールさに主眼を置いた演出も次第に鬱陶しくなってくる。

以下、ネタバレ。

もしこの演出が、実は二人はグル?っていう方向のミスリードだというなら理解できる。しかし、実際はそうではなくて、策に溺れた感が丸出し。『マイ・ボディガード』『デジャヴ』から同様のノリで、成長がみられない。目先の演出と全体の流れ上の効果のどちらを優先すべきなのか、この割り切りをしっかりして、映画監督として一皮剥けてもらいたいものである。彼が製作総指揮として携わったモノには良いデキのものが多いので、直接演出しないほうがいいのかも…と思わせる。

シナリオ的にも問題は多い(以下、羅列する)。

中途半端に人が殺され、その死にストーリー的な必然性が薄くてあまり効果的ではない。中途半端に殺すくらいなら、不謹慎とは思いつつも、最後は本当に“激突”させるくらいの不条理感を出さないと。それがいやなら、もっと別の仕掛けを考えるベキである。

金相場の操作で大儲けすることが真の目的なら、当座の逃走資金だけあればいいので、わざわざ身代金を持って歩く必要もない。それこそばら撒いて逃げるくらいでもいいんでしょ?

「帰りにミルクを1ガロン買って来て」とのくだりも、本来ならグっとくるところなんだろうけど、賄賂の件が事実なんだどうかも判然としないのに加え、賄賂疑惑の処分をうけた後、夫婦がどういう葛藤を乗り越えてきたかが見えてこないので、ぼんやりしてしまっている。

あんたは俺のヒーローと言われることで、ガーバーは自分の罪をどう思ったのか。事後に市長とあってどう感じて、彼はどう変わるのか?という点が大事な点だと思うのだが、それも見えてこない。実は、シナリオ的にはしっかりとしたメッセージがあったのに、監督が理解できずに演出に反映できていなかった…そんな気がしてならない。
だから、ライダーの居直りがまったく理解できずに尻すぼみになってしまい、話全体が薄味になってしまった。やはり、物語には“有終の美”ってのが必要で、設定やプロットの思いつきだけで、突っ走るのは罪なんだなと感じざるを得ない。
#その点では、『デジャヴ』よりもグレードダウンしているな。

この中途半端で踏み込みの浅いシナリオを、二人の主役級俳優がそれなりの形に持ち上げたという印象。あまり深く考えないで、物事を何となくスルーできる人にはかなり楽しめると思うが、何か心に引っかかるものを無視できないタチの人は、若干苦痛を覚える作品かも。是非モノとお薦めはできないけれど、100円レンタルなら充分許容範囲。所々はとても楽しんだ。
 


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image1569.png公開年:1979年 
公開国:アメリカ
時 間:118分
監 督:スチュアート・ローゼンバーグ
出 演:ジェームズ・ブローリン、マーゴット・キダー、ロッド・スタイガー、ドン・ストラウド、マーレイ・ハミルトン、マイケル・サックス、ヘレン・シェイヴァー、ジョン・ラーチ、エイミー・ライト、ジェームズ・トルカン、ナターシャ・ライアン、エディ・バース、ミーノ・ペルス、エルサ・レイヴン 他
受 賞:【1979年/第62回アカデミー賞】作曲賞(ラロ・シフリン)


ニューヨーク州ロングアイランド。ジョージとキャシーのラッツ夫妻は、キャシーの連れ子3人との5人家族だが、子供をのびのび育てるために新しい家を探している。ある日、新聞広告に載っていた大邸宅を訪れたが、そこは1年前、長男が就寝中の両親と4人の弟妹たちをライフルで次々と射殺したといういわく曰くつきの家。案内した不動産屋はこの家で起こった1年前の事件について説明したが、夫妻は価格の安さに惹かれ購入を決める。ほどなく引っ越しをするが、その夜からジョージは体調を壊し…というストーリー。

一昨日の『パラノーマル・アクティビティ』を『エクソシスト』的な展開といったが、間違いだった。何日目…という演出や、霊の権威が退散したり、建物の感じはもちろん、最後にナレーションで終わる所など、『パラノーマル・アクティビティ』は、まるで本作のパロディムービーだといってもいい。

まあ、ホラー映画の定石っていえば定石なんだけど、残念なことに色んな点で至らない。まず、悪魔の仕業らしき家族への攻撃が地味。ラストの逃げるときの“階段から血”とか“井戸に落ちる”とかも、一切怖く感じられないし、神父は悪魔と一切闘わずやられっぱなし(まあ、それをやったら『エクソシスト』と同じになっちゃうんだけど)。蝿が出てるのでベルゼバブクラスの悪魔なのかと思ったが、結局正体はわからないし、仕舞いにはネイティブアメリカンがどうしたこうしたって、わけのわからない方向に発散しはじめる始末。

さらに、ストーリー構成にも問題がある。冒頭、水辺の小屋について触れていたので何かの伏線なのかと思ったが、何にも使われないし。娘が友達になった霊も、それ以上の展開はないし。ここまでくると、反則ぎみでも子供への攻撃をエスカレートするしかないんだけど、窓に手をはさんだだけでおしまいだし。犬を置いていくのか?ってところが一番ドキドキしちゃうという、そんなお粗末なレベル。

当時の世相を反映してるって感じでもなさそうだし、単にオカルトブームに乗っかっただけかも。実話ベースだっていうんだけど、何か打算的な作為の臭いがプンプンする作品。多分、創作部分がほとんどなんだと思う。凡作中の凡作。あえて観る必要はない。お薦めしない。

#まあ、顔みたいなデザインの家で、始めっからイヤな予感はしてたんだけどさ…。

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image1292.png公開年:1994年 
公開国:中国
時 間:131分
監 督:チャン・イーモウ
出 演:グォ・ヨウ、コン・リー、ニウ・ベン、クオ・タオ、ジアン・ウー、ニー・ターホン、リウ・ティエンチー 他
受 賞:【1994年/第47回カンヌ国際映画祭】審査員特別グランプリ(チャン・イーモウ)、男優賞(グォ・ヨウ)
【1994年/第48回英国アカデミー賞】外国語映画賞
コピー:昨日より今日、今日より明日 きっときっといいことがある。

1940年代の中国。資産家の息子である福貴は、毎晩、賭博に明け暮れて全財産を失ってしまう。身重の妻・家珍は愛想をつかして実家へ戻ってしまい、さらに父はショックで死んでしまう。半年後、妻が生まれた長男をつれて戻ってきたのを機に、心を入れ替えて一家を支えるとを決め、得意の影絵の巡業を始める。ところが、興行の最中に国民党と共産党の内戦に巻き込まれ従軍を強いられてしまい、家族のもとに戻ってきたのは、内戦が共産党の勝利に終わった後だった…というストーリー。

カンヌで評価された作品とは、いまいち相性がよくないことが多いのだが、本作に関しては、その評価に激しく同意。ちょっとした名作に出会ってしまった感じがする。日本のコピーは、なにか“いい話”的なファミリー感を出そうとしているようだが、そういう映画ではない。家族の長年の様子を通して、激動の中国を表現しているのだ。非常に丁寧な作りで且つピタっとうまくハマっている。

ポイントは子供を失うタイミングで、中国も何かを失っている点だろうか。毛沢東の政策で鉄を供出させるなど様々な愚作を繰り返したわけだが、そんな家庭にある鉄を溶かしたって、使えるような鉄になるわけもなく、畑を耕す鍬すら木製になるというバカさ加減。あれで中国は多くの富を失った。
紅衛兵が華やかりしころは、ちょっとヒエラルキーの上にいるというだけで、知識人を反革命的だといって潰していき、経験が伴わない上っ面の知識だけで世が成り立つという勘違い人間ばかりが残った。あれで、中国は文化と学識を失った。
そしてラストでは、もうヒヨコが大きくなって牛になっても、その後は共産党員になるとは言わないのである。そして現在、あの子供のさらに子供が“小皇帝”となり自動車や飛行機に乗っているわけだ。
#そのくらいの控えめな批判しかゆるされない中国が、また気持ち悪いけどね(でも、しっかり伝わってきたけどね)。

グォ・ヨウ演じる父親がダメ人間なおかげで、色々流転するハメになるのだが、シリアスな展開にも関わらず彼の演技のおかげで、微かながら童話のような臭いが漂ういい感じに仕上がっていると思う。
DVDのパッケージが、ちょっぴり野暮ったくて食指が動かなかった人もいると思うが、本当によくできているので、お薦めする。

#福貴の賭博仲間を演じた俳優が、なんとなく劉暁波に似ていて、資本主義的ということで殺されるのも、なにか象徴的な気が…

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image1593.png公開年:2007年 
公開国:アメリカ
時 間:86分
監 督:オーレン・ペリ
出 演:ケイティー・フェザーストン、ミカ・スロート、マーク・フレドリックス、アンバー・アームストロング、アシュリー・パーマー 他
ノミネート:【2009年/第25回インディペンデント・スピリット賞】新人作品賞
【2010年/第19回MTVムービー・アワード】恐怖演技賞(ケイティー・フェザーストン)



大学生のケイティーは、毎夜発生する奇怪な物音に悩ませれていた。彼氏のミカは、その物音の正体を確かめようと高性能ハンディーカメラを購入し部屋の中に設置。家の中の様子を昼夜を通して撮影することにした。すると、不思議な現象の数々が記録され、それは夜を重ねるごとにエスカレートしていき…というストーリー。

昨日の『9<ナイン>~9番目の奇妙な人形~』に続いて、実験的要素が強く、上映時間が短めの作品。
公開時には、低予算で作られたにもかかわらず興収が1億ドルを突破したと、コストパフォーマンスばかりがクローズアップされていた。コメンテーターや映画関係者までもが“この手があったか”的なコメントばかり(別に、本人たちは、低予算を逆手にとったつもりはないと思うので、失礼なコメントだと思うんだが)。肝心の内容がイマイチ伝わってこなかったところをみると、そのレベルの作品なんだろうな…と、当時はもちろん食指は動かなかった。まあ、今回はレンタル80円だったので借りてみたわけだ。

まあ、観る前から何がおこるか大体判ってるっていうのがミソで、そういう状況だと逆に、画面の色んなところを注視してしまうという効果があることに気づく。さらに、他のアメリカンホラーではまあ有り得ないような超常現象の小出っぷりで、それがハラハラ感やリアリティに繋がっていると思う。まあ、リアルさの半分は、主演女優のいまいち締りのない油断したボディのおかげな気はするけど(笑)。

しかし残念ながら、そういう興味も25分くらいで途切れる。もっと簡単にいうと飽きる。公開時の料金がいくらだったかは知らないが、もし1800円で観たとすると、相当腹が立っただろうと思う。アメリカでは大ヒット…。アメリカ人はアホなのか?と一瞬思ったが、おそらく500円とか700円とかその程度で観れるんでしょ?みんなでワーワーいいながらビールとつまみ片手に観る。それなら全然アリだと思うちょっとした夜店の出し物だもの。
ちなみに、ビデオで撮影したって設定なので、案外、劇場スクリーンで観るよりも、小さい家のモニターで観るほうが雰囲気出るかもよ。

以下、ネタバレ。

『エクソシスト』的な展開になるのをみて、日本人とアメリカ人の差を感じてしまった。たとえば、自分の家で毎晩得体の知れない物音が鳴ってすごく怖い状況です。霊能力者に来てもらってみてもらうと、次のようなことを言われました。さて、あなたは①と②、どっちが怖いですか?
①昔、この近くで事故にあった女性の霊が、とり憑いています。
②悪魔がとり憑いています。
①の方を怖がるのが日本人、②の方を怖がるのがアメリカ人だと思う。なにか決定的な民族的な違いを見せられた気がしたのは私だけだろうか。

100円以下でレンタルするならまあまあお薦め。250円だと、ちょっとせつなくなるかも。
#その後、アメリカや日本で続編が作られた(る)ようだが、付き合う気は、さらさら無い。

拍手[0回]

image1575.png公開年:2009年 
公開国:アメリカ
時 間:80分
監 督:シェーン・アッカー
出 演:イライジャ・ウッド、ジェニファー・コネリー、クリストファー・プラマー、ジョン・C・ライリー、クリスピン・グローヴァー、マーティン・ランドー、フレッド・タタショア 他





古びた研究室の片隅で、腹部に大きなジッパー、背中に数字の9が描かれている麻布で作られた人形が動き出す。その人形は意識を持っているが、自分が何者か判らない。研究室の外に出てみると周りは廃墟の世界。すると彼の前に、背中に2と描かれた人形が現われ、9の壊れていた発声装置を修理し、自分は仲間だと言うのだった。しかし、二人の前に巨大な機械獣が出現し、2はさらわれてしまい9も力尽きてしまう。気を失っていた9は、人のいい“5”、リーダー格の“1”、体格のいい“8”、変人アーチストの“6”たちに助けられる。9は2の救出に行こうと提案するが、1に却下されてしまう。諦めきれない9は5を誘い、2がさらわれたであろう機械獣の居場所を目指すのだったが…というストーリー。

って、観ていない人には、さっぱり意味不明なあらすじだね。

元はシェーン・アッカー監督の学生時代の卒業制作作品で、2005年の米アカデミー賞短編アニメ部門にノミネートされる。それをティム・バートンが気に入って長編化をプロデュースしたというもの。たしかに、ダークな世界観はティム・バートンの好むところだろう。近頃のバートン作品が失った“先の読めない感”があって、昔の自分を思い出したりしたのかもしれない(なんて勝手に思いながら観ていた)。

綺麗すぎるCGで味が無いなと感じたのだが、人形たちのデザインやキャラ付けが秀逸なので、早い段階で気にならなくなった。『NBC』のブギーに通じる麻布の質感や、丸目で統一されていながらも表情豊かで且つ個性を発揮できている点はすばらしい(丸目は岡本太郎の作品みたいでとても好き)。
#まあ、1の三角目は、ワタクシ的にはNGだけどね。

感情どころか命までをもっているこの人形の存在は何なのか、そしてこの世界はどういう経緯でこんなになってしまったのか、根本的に私達人間の世界の延長なのか否か、とにかく謎だらけ。9が何もわからず動き出したの状況と、観ている私達も同じなので、すっかり引き込まれてしまった。
徐々に、人間の所業と世界が荒廃した経緯が見えてくるのだが、手取り足取り解説するような感じではないので、どちらかといえば判りにくいかもしれない。でも、勢いのある映画には、必ずこういう置いてきぼり感が付いているものだ。何の救いも希望も見えない、とてもハッピーエンドでないところなど、大人の童話としてほど良い具合だと思う。

以下、ネタバレ。

強いて難点を言うと、魂が開放されるラストの演出が、私にはピンとこなかった。秘密がわかったと言うものだから、てっきりまた魂を人形に戻す術でも発見したのかと思ったのだが、そうではなかった。逆に、マシンをつぶしただけだったら、あの魂はどうなっていたというのだろう。
一見、成仏したような感じで仏教的に見えるけど、“魂”が救済されるか否か(極端に言えば、魂が天国に行けるか否か)を極端に恐れている、キリスト教的な表現。だから私にはピンとこないのかもしれない(エクソシスト的感覚だな)。
結果といて、たった80分なのに、若干長く感じてしまったのは残念である。元の短編は11分らしいが、それを80分にするには、加えるべき要素が足りなさすぎたのかもしれない。場面場面のエピソードを膨らますだけではなく、大きくもう一本ストーリーの軸を作るくらいしたほうがよかったのかもしれない。

『NBC』の突き抜けた感じは無いので、多くのコアファンを獲得するレベルまではいかないと思うが、長編一作目でこのデキとは、この監督の次回作には期待せざるを得ない。お暇なら是非観てほしい。近頃のどんなファンタジー映画やSF映画とて比べてみても、同じような作品は見当たらないと思うのでお薦めしたい。

#元の短編を是非観たいのだが、どうすればいいのかなぁ。

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image1592.png公開年:1968年 
公開国:アメリカ
時 間:119分
監 督:リチャード・フライシャー
出 演:トニー・カーティス、ヘンリー・フォンダ、ジョージ・ケネディ、マイク・ケリン、ハード・ハットフィールド、マーレイ・ハミルトン、ジェフ・コーリイ、サリー・ケラーマン、ウィリアム・マーシャル、ジェームズ・ブローリン、ダナ・エルカー 他




1960年代のボストン。1人暮らしの高齢女性ばかりを狙う連続殺人事件が発生。押し入った形跡はなく、被害者は何故か犯人を招き入れていること、犯行に使用されたロープが外科結びと呼ばれる独特の結び方であること、猟奇的な陵辱を受けているなどの共通点のため、事件は話題となり、世間で“ボストン絞殺魔”と称されるようになる。事件の特殊性により捜査は難航。警察は手当たり次第に不審人物を捕らえるが、いずれもシロ。州検事局は、その威信をかけて検事総長補佐ボトムリーを捜査責任者に据えて捜査に乗り出すのだが…というストーリー。

昨日鑑賞した『冷血』の翌年公開作品で、同じようなセミドキュメンタリー(実際の事件がベース)。影響を受けているのが完全にアリアリである(犯人の名前も検事総長補佐の名前も実名らしい)。

以下、ネタバレ。

前半は犯行に対する市民や警察のリアクションがメイン。画面を分割して複数の視点を同時に表現する実験的な演出は目を惹く。スリリングな演出で、グっと作品に引き込まれる。単なる二番煎じという批判を避けるために、こういう目新しい手法を加えた…という見方もできるが、純粋にフライシャーの映画技術が長けていると捉えるべきだろう。

しかし、後半になると突然犯人が明確になり、さらに二重人格者による犯行だということになるのだが、前半と後半のテイストのブレ方が実に大きい。『冷血』と比べると、何を主軸に据えて表現したいのか、よくわからなく感じる。

多重人格者という設定だが、今見れば、いまいち正しくない心理学的描写が多いように感じられ辟易する。それに、実際のデサルボは取調べであんなに混乱したり苦悩したりはしなかったらしく、肝心の事件の根幹が創作であることがわかる(『冷血』でのカポーティの姿勢とは大違い)。その辺の、ストーリー面の強引ともいえる誘導っぷりが、後半のイマイチ感(リアリティの欠如)につながっていると思う。
ラストのテロップの内容など、実にくだらない。“殺人などに至る前に、病を発見して治療する制度はまだ作られていない”って、そんなもん未来予測しろといっているようなもので、永遠に出来上がるわけないじゃない。この感覚で、途中で、超能力者を登場させたのかと思うと、逆にゾッとしてしまう(さすがに、日本でのTV放送時にはカットされてるようだけど)。こういうもっともらしいだけの、ポンコツ偽善者の理屈が世の中で一番タチが悪い。

映画技術の高さと、コンセプトやシナリオの稚拙さにものすごい落差がある。逆に言えば、完全に駄作になるところをフライシャーの技術によって救われたということ(フライシャー的には面目躍如って所)。先に『冷血』を観てしまったからかもしれないが、満足にはほど遠い。あえてお薦めはしない。
 

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image1590.png公開年:1967年 
公開国:アメリカ
時 間:133分
監 督:リチャード・ブルックス
出 演:ロバート・ブレイク、スコット・ウィルソン、ジョン・フォーサイス、ポール・スチュワート、ジェフ・コーリイ、ジェームズ・フラヴィン、ジェラルド・S・オローリン、ジョン・ギャローデット、チャールズ・マックグロー、ウィル・ギア、ジョン・マクライアム、レイモンド・ハットン 他
受 賞:【2008年/アメリカ国立フィルム登録簿】新規登録作品


仮釈放中のペリーとディックは、服役中に得た裕福な農場主の情報を元にカンザス州へ向かった。その後、農場主の一家4人が惨殺されいるのが発見される。農場主はのどを掻き切られた上に至近距離から散弾銃で撃たれ、他の家族も手足を紐で縛られた上に同様に銃撃されるという、あまりにも酷い殺され方であった。被害者は誠実な人柄で生活上のトラブルも一切無く、且つ金品が奪われていないことから、単なる強盗の仕業とは考えにくく、捜査は難航を極め…というストーリー。

2005年公開の『カポーティ』は、この『冷血』という作品を書き上げるまでの、原作者カポーティの苦悩を綴った作品で、主演のフィリップ・シーモア・ホフマンをはじめ、数々の受賞歴がある。当時、レンタルビデオ点に『冷血』は無く(『カポーティ』と同時にリバイバル的に発売が開始されたはず)、一緒に観ることはできなかったのだが、やはり『カポーティ』を観る前に、本作を観ておくべきだったと、悔やまれる。

2010年版の『時をかける少女』を観る前に、大林版なり昔の作品を観ておけば、余計に楽しめるのと同じで、一緒に観ることは非常に意味がある。原作者のトルーマン・カポーティは、『ティファニーで朝食を』などを世に出す売れっ子作家だったのだが、この事件が発生すると創作意欲をかき立てられ、事件現場や関係者を訪ねるほど。2人の容疑者が逮捕された後は接近を試みて、特にペリーに魅力を感じて何度も面会を重ね、最終的には信頼を得るだけではなく、自分と似たような生い立ちの容疑者に共感してしまい、彼を延命させたいという思いと、早く死刑になってほしいという願い(死刑にまでならないと本を出版できないから)の板ばさみになり苦しむ。それが映画『カポーティ』の内容である。

たしかに『カポーティ』だけ観ても理解できないわけではないのだが、本作を観て「あぁ」と思う点が多々あるのだ。本作には新聞記者役の人物が狂言回し的に登場し、取ってつけたように死刑制度や保釈制度について批判的なセリフを言う。この映画を観て、ペリーに同情して同じ思いを抱く人間はいないだろう。むしろ死刑になるのはもっともだと思うはずで、この演出には違和感を感じる人が多いはず。でもこれは、カポーティがペリーにただならぬ感情を抱いてしまった発露だとすると、しっくりくるのである(ディックよりもペリー寄りの描写が多いのも、これで頷ける)。この『冷血』というタイトルも、二人の犯行に普通の人間的な感情が感じられないところから付けられたと思われているが、加害者に共感しているくせに、作品を世に出すために死刑執行を望んでいる自分こそ“冷血”な奴じゃないか…そういう意味で付けられたという説があるくらい。こういう情報を知ると、一緒に観る意味をご理解いただけるのではなかろうか。
#カポーティの生前の写真を観ると、フィリップ・シーモア・ホフマンよりも、本作のペリーに近い表情に見えるのも、また興味深かった。

本作の演出について。はじめの方では一切犯行シーンは表現されず、犯行前と逃亡過程と捜査状況が淡々と描写される。そして、終盤に刑事にゲロったところと合わせて、犯行シーンが描写される。それはそれでおもしろい演出(逆コロンボみたいなものだ)。
昨今は異常犯罪を扱った作品が多く、各々非常に小馴れているので、本作の演出が古臭く稚拙に見える人もいるかもしれない。また、生い立ちと犯行のつながりも希薄に思えるかもしれない。しかし、実録犯罪モノのまさに走りである点を考慮して大目にみるべきだろう。モノクロ映像なのに、観進めていくうちに一切それが気にならなくなるくらい、リアリティも迫力もある。

是非是非、この『冷血』を観てから『カポーティ』を観ることを強くお薦めする。

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image1595.png公開年:2010年 
公開国:日本
時 間:122分
監 督:谷口正晃
出 演:仲里依紗、中尾明慶、安田成美、勝村政信、石丸幹二、青木崇高、石橋杏奈、千代将太、柄本時生、キタキマユ、松下優也、田島ゆみか、加藤康起、加藤理恵、遠山俊也、肘井美佳、柴田光太郎、竹内晶子、岡野真也、樋口真央、水谷彩音、山梨ハナ、安野遥、佐野憲彦、久野雅弘、吉満涼太、伊藤ふみお、早坂実、菊地一浩、樋口史、村上めぐみ、田井中蘭、坂井一郎 他
コピー:あなたに、会いにいく。
記憶は消えても、この想いは消えない。時を超えて、今、新たな物語がはじまる。

母が勤務する大学に合格し、卒業を待つだけの高校3年生芳山あかり。あかりは母の和子と二人暮しで、幼い頃に出て行った父親の記憶はほとんど無い。そんなある日、母・和子が交通事故に遭い、昏睡状態に陥ってしまう。一時的に意識を取り戻した和子は“過去に戻って深町一夫に会う”という約束を、自分のかわりに果たすようにあかりに告げ、再び昏睡に。あかりは和子の開発した薬を飲み1972年4月に行くように念じるが、誤って1974年2月と念じてしまう。そこで出会った大学生の涼太に手伝ってもらいながら深町一夫を探すのだったが…というストーリー。

吾朗ちゃんは尾美としのりでいいんじゃねーの?とか、なんで芳子はショートカットじゃねーのよ?なんて色々よぎったんだけど、ふとあることに気付く。尾道じゃないじゃん。そういえば大林版って1983年公開で内容的にも同年が舞台。本作は1972年の戻ろうとしていたぞ…。と、色々考えると、これは、半ば伝説ともいえるNHKドラマ『タイムトラベラー』の続編じゃんか!ほっほう、そう来たか。ドラマ版は観たことがないので、設定やら細かいディテールやら、わからないもの。言及のしようがない(笑)。

さて、2006年のアニメ版よりも、こちらのほうが正統な(?)続編ということだろうけど、原作を読むか大林版を観ていない人が、この作品を理解できるのか否か。母がなんで薬を作ってるのかとか、いきさつはまったく不明だろうし、母娘で同じ経験(愛する人を忘却)をしてしまうせつない感じとか判らないんだよね。かといって、いちいち説明するのもダサいから、知らない人もそれなりに楽しめて、知ってる人はより楽しめる…そんな線を目指したってことか。確かに、そういう意味では成功しているかもしれない。

今は週休二日だからわかんないだろうけど、土曜日の学校の雰囲気とかよく表現できているよ。セットとか小道具の時代考証は本当によくがんばっているし。
SFオタクを登場させるのはご都合主義だと思うけど、未来からきたってことをあっさり納得してもらったほうが話しは早くて、そこですったもんだやられるよりはずっといい(そういうドタバタを見せたいわけじゃないしね)。
2年ずらすことで、父親との関係を絡めたり、いまの世代のおこちゃま高校生には、逆に新鮮な“神田川”状態を経験させるのも面白い。脚本家なのか監督なのか企画Pなのかわからないけど、この二年ずらしのアイデアを思いついた人が本作のMVPだ。

まあ、マンガチックなタイムトラベルの演出がうっとおしいとか、転落事故の件がヒネリが無さ過ぎる点など、もっと工夫する余地がないわけではない。あの昔の事故を紹介するTV番組はいらないんだよね。吾朗ちゃんが「昔、ツアー旅行にいく予定だったんだけど、チケット忘れて乗り遅れちゃってさ。でも、そのツアーで途中事故があって…」くらいにボカしておけばよかったと思う。でも、半分以上は雰囲気を楽しむ映画なので、許せる範囲。そういう部分を超越して、とても好感が持てる作品といえるので、お薦めしたい気分。リアルタイムで大林版を観た人ならば、なおのことアリだろう。

#仲里依紗は映画の人だね。CMやバラエティでは何の魅力も感じないけど、映画では輝いているよ。

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image1594.png公開年:2010年 
公開国:アメリカ
時 間:103分
監 督:M・ナイト・シャマラン
出 演:ノア・リンガー、デヴ・パテル、ニコラ・ペルツ、ジャクソン・ラスボーン、ショーン・トーブ、アーシフ・マンドヴィ、クリフ・カーティス、セイチェル・ガブリエル、フランシス・ギナン、デイモン・ガプトン、サマー・ビシル、ランダル・ダク・キム、ジョン・ノーブル 他
コピー: 4つの王国。1つの運命。
世界最後の希望はこの選ばれし者に託された──。


気・水・土・火の4つの国には、それぞれ要素(エレメント)を操る使い手“ベンダー”がいる。世界には、その中でも4つ全てのエレメントを操る者“アバター”がおり、その者が世界に調和をもたらすとされていた。アバターは輪廻転生により各国に順番に現われ、現在は気の国の少年アンが該当者だったが、重責に堪えきれず失踪していた。その後、火の国が反乱を起こし気の国は滅ぼされ世界は混乱に陥った。その100年後、水の国の兄妹カタラとサカによってアンが発見され…というストーリー。

はじめっから設定解説の押し売り状態。その説明も一回聞いただけではよくわからない内容で、稚拙というか空回りしているというか、始めっから先が思いやられる。その後も、説明的なセリフ無しでは状況が理解できないような展開が続き、10分くらいで飽き始め最後まで没頭することはなかった。
しかし、これが、アメリカではけっこうな興収だってのが理解できない。日本のマンガなどにありがちな設定で、陳腐極まりない。アメリカでもNARUTOとか人気あるはずなので、同じように感じてもおかしくないはずなのだが。
#同じようなエレメント物だと『インビンシブル』っていう珍作もあったよね(駄作か…)。

内容的には、自分に期待されているものを振り払いたいといわんばかりに、シャマラン監督の十八番のどんでん返しは完全に排除されている。その分、お得意のストーリーテリングに注力するのかと思いきや、その輝きの片鱗すら感じられない。世の中のシャマラン監督への期待、そういうプレッシャーに押しつぶされそうになっているのならば、本当にどうしても作りたい!というテーマが浮かんでくるまで映画作りなんか休めばいいと思うのだが。このところ、作品を重ねるたびに劣化を重ねているわけだが、もう、映画全体の雰囲気にすらシャマランらしさすら感じられないのは、悲しいこと極まりない。本当にこれがつくりたかったのか、甚だ疑問に感じる。

そして最後は、驚愕の“続く”。シリーズの一作目であることは宣伝されていたのであろうか。知らずに1800円払って見たら、普通は怒ると思うよ。

まあ、三部作とかだろうから、最後の最後にシャマランらしい展開にしてくれるのかもしれない…と、かすかな期待だけはしておくが、いずれにせよ、この一作だけでは評価の対象にすら到達していない。とりあえず、この一作だけなら、今年観た映画の中で、満足度はダントツでワースト。続編は三作目までレンタルが開始されてからか、旧作レンタルにでもなったら観ることにするよ(最悪、観ないかも)。そんなレベルなので、当然お薦めしない。
最近は二年おきに映画をつくってきたシャマラン監督だけど、このシリーズも二年おきリリース?はやく作らないと子供は大きくなっちゃうよね。

#“アバター”っていう単語を使わないといけないんだろうか…。

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クボタカユキ
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一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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