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公開年:2008年
公開国:日本
時 間:85分
監 督:押井守
出 演:田中敦子、大塚明夫、山寺宏一、仲野裕、大木民夫、玄田哲章、生木政壽、山内雅人、小川真司、宮本充、山路和弘、千葉繁、家中宏、松尾銀三、松山鷹志、小高三良、佐藤政道、林田篤子、上田祐司、亀山俊樹、後藤敦、坂本真綾、榊原良子 他
第三次核大戦、第四次非核大戦を経て、大きく変化した世界。高度に進歩した科学は、電脳を介して脳神経をネットに接続する技術を確立。脳の外に外部記憶を置くことを可能にした。対犯罪組織・公安9課、通称“攻殻機動隊”に属する草薙素子は、国際指名手配をされているテロリスト“人形使い”が日本に現れるという情報を得て、捜査を開始するのだが…というストーリー。
多少手が加わったということで“2.0”というわけ。新作でレンタルするほどの価値があるか、私の鼻が“多分損するぞ”と嗅ぎ分けていたので旧作扱いになるまで放置。この度、鑑賞に至る。
まず、いきなりの光学迷彩の素子がフルCGに。昨今の作品で、妙にフルCGにこだわりを見せる押尾監督。この手のCGには、もう、口が酸っぱくなるくらい同じことを繰り返しているのだが、全体の画調から浮くようなら使わないほうがいい。いや、使うべきではない。世界観ブチ壊しである。
どうも解せないのだ。「このCG、すんごいでしょ!」ってなくらい、ものすごいデキなら理解できなくもないが、どうかんがえてもPCゲームレベル。技術の進歩に伴う、このような改修自体はアリだと思うのだが、このCGに関しては技術力の誇示にはなっていない。
差し込んだ意味がまったく不明というか、ちょっとはずかしくはなかろうか。ヘンテコなフルCGを入れるくらいなら、あと10分くらいカットを足したほうが、意味のある“2.0”になったと思う(もう、削るところも足すところもないなんてことは、言わせないゾ)。
いきなりゲンナリさせられてしまったのだが、その後は、快調。見比べたわけではないので、かすかな記憶との比較だが、全体的な雰囲気が違う気がする。昔は青っぽい冷たいイメージだったが、本作はたそがれた感じ。より刑事ドラマ臭がする。音楽も、オシャレというかシブいというか、大人なイメージに変わったような。
その他、おそらく“人形使い”の声が変わっているね(……確認した。正解)。こっちは、なんとなく、シンクロして判然としなくなるプロセスが、自然に理解できるので、効果的かもしれない。
さて、2.0のほうを見れば元は不必要なのか?といわれると、ちょっと微妙だと思う。『ブレードランナー』のディレクターズカット版とは意味が違うし、いわゆる完全版とも違う。こんな中途半端な改修は、ある意味、罪作りだと思う。画調と音楽で+1ポイントづつ。オープニングのフルCGで-2ポイントで、プラマイゼロ。まあ、とにかく、特別ファンじゃない人はわざわざ見る必要はないと思う。
#結局、なんで製作されたのかよく理解できず、モヤモヤする作品である。
公開年:2006年
公開国:香港
時 間:90分
監 督:バリー・ウォン
出 演:セシリア・チャン、レオ・クー、ユン・ワー、ユン・チウ、ウォン・ヤッフェイ 他
14歳まで普通の家庭だと思って育ってきた少女フェニックス。ある日、謎の二人組の襲撃を受け、両親がそれを撃退する場面に遭遇。両親がカンフーの達人であることを知ったフェニックスは山での修行を始める。それから10年後、カンフーの達人に成長したフェニックスは一般企業で秘書として働いていたが、そこで老師が予言した運命の男性と出会うのだった…ストーリー。
『少林少女』に非ず(あちらも相当ヒドかったが)。
我が家のHDDレコーダーに珍現象が。誰に聞いても記憶がないというのに、本作が録画されたのだ。何かを帯で録画する予定だったものが、番組変更にでもなったのだろう。まあ、これも何かの縁と思い、観てみることに。
私は見た!この世にD級映画というものが存在することを!
ハリーポッターの影響たるや恐るべし。何と、基本プロットは恥ずかしげもなくハリーポッターとまったく同じで、且つパロディにしているという明確な演出も無いというツラの皮の厚さ。なんといっても笑わせようとしている場面が見事にすべて笑えない(笑わせようとしているらしいのがうっすらわかる程度…というのが正確な表現)。
じゃあ、タイトルにあるようなカンフーアクションに売りでもあるのか?とおもいきや、まともなアクションは皆無。所々CGらしき特撮場面があるのだが実に陳腐で、大学の映画研究会レベル。そういう特効でゴマカし切れると思ったのか、お家芸のワイヤーアクションのレベルまでダウンしており、もう、見る箇所がない。
そりゃあ、日本未公開なのは当然だろう。BS-日テレの放送する勇気よ(まあ、絶対地上波では無理だわな)。
セシリア・チャンの人気に乗っかったアイドル映画的なものなのかもしれない。確かに作中にも主人公が美人であることを妬むキャラが出てくるなどしているのだが、根本的にセシリア・チャンの美貌がそれほどでもないというのが、なんともトホホ感を増している。
結局は中盤以降、早送りして見た。時間とお金の無駄なので、レンタルしないほうがよい。D級映画をお探しの時はどうぞ。でも、友達を集めて、ビールを飲みながらワイワイ馬鹿して楽しむレベルにすら達していないよ。
#なぜ、神は私にコレを見せたのか…。寛大な心を養えとでも?
公開年:2009年
公開国:フランス
時 間:103分
監 督:ジャック・ペラン、ジャック・クルーゾ
『グラン・ブルー』海に魅せられた男たちを描いたリュック・ベッソン監督による、海洋生物の様々な姿を綴ったフィルム。
『オーシャンズ』のようなエセエコロジーを振り回す偏狭な思想の押し付けは存在せず、自然への畏怖や敬意、そして美への純粋な感動のみが、そこにある。『ディープ・ブルー』にはシャチが海獣の子供で遊んでいるシーンが含まれていたが、「人間からみれば残酷なシーンかもしれないがそれも自然だ…」というレベルの“考え方”すら、全て本作には存在しない。「ねえ。私、この星に生まれ堕ちて、こんな綺麗なものを見たの…」っていう天使の声が聞こえてきそうな作品。
生殖の行為や捕食のシーンにいたっても、その動作の美しさに主眼が置かれており、“野生の王国”的な動物知識云々を語る気すらないという、姿勢の一貫性が実に気持ちがよい。サメによる集団的な捕食の場面であっても、ゾっとするという感情を超えて、無駄の無い彼らの動作に眼を奪われるほどである。
途中にナレーションも入らず、その浅い思想にイラっとくることもなく、エリック・セラの音楽が重なって、さらに心地が良い。心地よすぎて眠ってしまうほど。眠ってしまうなんて映画としてどうなの?と思われるかもしれないが、それでも全然いいと思う。美しい生き物と、ゆれる水のリズムに脳が心地よさを感じるなんて、ごく自然のことだもの。不眠にお悩みの方は、効果があるかも。『海月日和』なんていうクラゲをただただ写したDVDが、以前発売されていたけど、その5倍は心が安らいだ気がする。
#少なくとも、昨日の『復讐者に憐れみを』でささくれ立った気持ちは完全に癒されたかな。
とにかく、こういう自然ドキュメンタリーは、お説教くさいナレーションで思想を押し付けたりするのではなく、観ている側が何か気づいたり感じたりすればそれでいいのである。そういう点では、この手の作品では最高峰。お薦めする。
#『オーシャンズ』なんて牛糞にも劣るように思えてくる。
公開年:2002年
公開国:韓国
時 間:121分
監 督:パク・チャヌク
出 演:ソン・ガンホ、シン・ハギュン、ペ・ドゥナ、イム・ジウン、イ・デヨン 他
コピー:オールド・ボーイの原点 そして、それを超える戦慄の問題作 その衝撃に言葉を失う――
聴覚障害者のリュウは、重い腎臓病の姉を献身的に看病している。両親が死んだあと一生懸命自分の面倒を見てくれた姉を救うため、自らの腎臓移植を申し出るのだが不適合。さらに、看病のため勤務状況が芳しくなく職場を解雇される。切羽詰って闇の組織に、姉に適合する腎臓の調達と移植を依頼する。代金はなけなしの退職金とリュウの腎臓。しかし、金と腎臓をただだ騙し取られてしまう。すると、病院から奇跡的に移植ドナーが現われたと連絡が入るのだが、手元に手術費は無く、途方に暮れるリュウ。、恋人ユンミは金持ちの子供を誘拐すればいいと強引に説得し、それに従い実行するリュウだったが…というストーリー。
良かれと思ってやったことが、心無い悪意によって踏みにじられ、その恨みを晴らすための行動が、次々と悪意の連鎖を生んでいく。まさに人を呪わば穴二つという展開。でも、自分よりも他人が優位に立っている場合に、その差を縮めるために相手を貶める事をあまり恥ずかしいと思わない韓国の方々は、繰り広げられる執着の所業を当たり前のように観ていたのではなかろうか。恨み続けるるのではなく、どこかで赦さねば自分も滅ぼすというメッセージだと、受け取ることは絶対にないだろう。
もし、そういう“赦し”というメッセージを裏に潜ませて、この作品をつくっているとしたら、この監督は大したものなのかもしれない(が、そう確信できる部分はないんだけどね)。
ストーリー展開は、ソン・ガンホのキャラクターが動き始めるまでは若干イライラする所もあるが、全体的にとてもおもしろい。ただ、原作のある作品なので、おそらくそちらが素晴らしいだけで、監督のおかげではないだろう。
さらに、編集のセンスは素晴らしいし、カメラアングルもとてもよい。その点は強く評価しておきたいが、やはりスタッフのおかげであって監督の力では無いような気がする。
ストーリーもよいし、技術も優れている。じゃあ最高傑作じゃないか…ということになるはずだが、一般的に名作と評価はされていない。なぜだろうか。簡単にいえば、“趣味が悪い”に尽きる。パク・チャヌク監督作品には、吐き気のするような演出のものが多い。タランティーノなどとはグロさの地平がちょっと違う気がする。その後も『オールド・ボーイ』『親切なクムジャさん』と残酷描写映画は続く。日本でいえば三池崇史に似た方向性の監督なのかな。別に残酷描写が悪いといっているわけではなく、純粋にこの監督の描写自体に病的なものを感じるのだ。芸術の世界で昇華できてよかったね。そうじゃなきゃあなたはきっと社会でトラブルをおこしていたに違いない…そう思えて仕方がない。映画というのは多くの人に観せるために作るものだから、それが満たされなければ、それこそ門塀の上に猫の首を置くようなことをしかねない気がするのである。フィルモグラフィーの中の1本がそういう作品だっていうなら、ここまは言わない。そういう作品ばかりだから言うのである。
以下ネタバレ含む。
無理のある演出が多いのも気になる。おそらく原作の設定の問題ではなく、映画にする段階でうまく整理して表現できなかったのだと思う。たとえば、二ヶ月で退学になったのに手話がばっちりとか、リュウが自分の部屋に来ると見越してドアノブに電流を流しておくのだが、なぜ来ると確信したのかよくわからないとか。そこはもうすこしさりげない説明が必要なんじゃないかな。
グロい表現や理不尽なできごとにある程度の耐性がある人は愉しめるだろう。決してストレス解消にはならないし、逆にストレスはたまる映画なので、その点は覚悟しておこう。そして、ペ・ドゥナのファンの人は、多分持っているイメージとはかなりズレているので、観ないほうがいいかも。そういう諸々を理解した上で、興味が湧いた人は、どうぞ観てちょうだい。特別お薦めもしないし、観るなとも言わない。フラットな作品。
#ペ・ドゥナの吹き替えの声がマッチしていない。
公開年:1979年
公開国:アメリカ
時 間:105分
監 督:ロバート・ベントン
出 演:ダスティン・ホフマン、メリル・ストリープ、ジャスティン・ヘンリー、ジョージ・コー、ジェーン・アレクサンダー 他
受 賞:【1979年/第52回アカデミー賞】作品賞、主演男優賞(ダスティン・ホフマン)、助演女優賞(メリル・ストリープ、ジェーン・アレクサンダー)、監督賞(ロバート・ベントン)、脚色賞(ロバート・ベントン)
【1979年/第14回全米批評家協会賞】主演男優賞(ダスティン・ホフマン「アガサ/愛の失踪事件」に対しても)、助演女優賞(メリル・ストリープ「マンハッタン」、「或る上院議員の私生活」に対しても)、監督賞(ロバート・ベントン)
【1979年/第5回LA批評家協会賞】作品賞、男優賞(ダスティン・ホフマン)、助演女優賞(メリル・ストリープ)、監督賞(ロバート・ベントン)、脚本賞(ロバート・ベントン)
【1979年/第37回ゴールデン・グローブ】作品賞[ドラマ]、男優賞[ドラマ](ダスティン・ホフマン)、助演女優賞(メリル・ストリープ)、脚本賞(ロバート・ベントン)
【1980年/第23回ブルーリボン賞】外国作品賞
コピー:「ママ!パパといっしょにいて・・・」
広告会社で働くテッド・クレイマーは結婚して8年。経営者から昇進の可能性があること伝えられ上機嫌で帰宅すると、スーツケースを片手にまさに家を出ようとする妻ジョアンナの姿が。結婚生活は最初は幸せだったが、夫テッドは仕事第一で帰宅はいつも午前様。子供も生まれ最初は幸せだった結婚生活も、今では3人の間に会話すらなくなっているほどで、結婚生活に意味を見出すことができずにいた。7歳になる子供ビリーのことが気になりながらも、彼女は自分をとり戻すために家を出る決心する。はじめは、すぐに戻ってくるとタカをくくっていたテッドだったのだが…というストーリー。
こんな名作を、いままで観ていなかったという、相変わらず、映画ファンを名乗ることが憚られるレベルの私。
家庭問題や学校問題において、日本はアメリカの20年後を追っかけているようだという人がいる。この映画を観ると、正しいのかもしれないと思えてくる。ジョアンナは、女だって平等であるという考えを教育され(または社会がそういう価値観を肯定しはじめ)、自分も自由に行動してよい“はず”だし、家族によって制限されない“べき”であるという考え方に捉えられてしまっている。確かにその通りではあるのだが、フィジカルな性差があるのは事実だし、特に出産・育児による経済的損失のために、一時的には分業を強いられるのは割り切らなければならない。そこから女性が仕事の一線に戻るのは相当のパワーが必要だと思うし、社会基盤がよっぽど整備されなければ“分業”することが常態であるということになってしまう。まあ、そういう時代のアメリカの話だし、10年くらい前までは、まさに日本もこんなで、「改正男女雇用機会均等法」が施行されたのが1999年。たしかにアメリカの20年後を追っている感じかも。
「男女雇用機会均等法」自体が施行されて15年ほど経過するが、当時がやみくもなジェンダーフリーがもっとらしく叫ばれていたが、いまではそんな単純な理屈ははやらない、というか、実際“はず”“べき”をふりかざしも実際の女性の生活も地位も必ずしも向上したわけでもないし、かえってつらくなった人は多い。自由には責任を伴うという言い方もできるし、機会の平等と結果の平等という面では、表向きの機会は増えたが表記の問題だけで実態は改善していないからという見方もできる。まあ、社会学的なマクロ視点と、個別事情に大きく依存してしまうミクロ視点に、大きな乖離が生じやすい問題だからね(いくら、女性はそうある“べき”と言われたって、会社が育児休暇や時短の制度を整備していて、近くにいい保育園があって、いざとなったら親が簡単にヘルプしてくれて、且つ自分に仕事へのやる気と健康な体力があるならば、簡単に実現できるけど、どれか一つが欠けたら途端に苦しくなるのは容易に想像がつくでしょ)。
女性の地位が向上しないのは男性だと未だに言い続けてみたり、女性の中に女性の敵がいるからだ!という浅い理屈で飯を喰っている学者風情がいるが、私から言わせてもらえば、あなた達こそ阻害要因に見えるのだが…。まあ、女性問題に限らず、“はず”“べき”という考えに捉えられえ、執着して周りが見えなくなったら、変な方向に進んでしまうんだけどね。
逆に言わせてもらえば、男性だって個人の特性とは無関係に外で稼ぐことを“強いられて”いるわけで。それなら「主夫」だってアリだろうと実際に行動に移した人もいるが、決して一般的にならなかったのはご承知の通り。この理屈がうまくいかないのは、人間の社会的特性として自然とそなってしまう理由があるということに気づいたほうがいい段階なのかもしれない。
テッドは、子育てのために仕事も変えたし、家事も育児も立派にこなすように変貌した。現在なら女性に賛美されそうな人間だ。一方ジョアンナは、仕事を選び子どもを捨てた。そういう選択をしただけである。法学をかじると、不貞を働いたり育児放棄など離婚の原因をつくったひとが悪いという考えが常識だと考える。しかし、日本における実際の離婚調停や親権をめぐる調停ではそうはならない。妻が不貞を働こうが、浪費癖があろうが、財産分与や慰謝料の問題ではその理屈は適用されても、親権はまず母親にいく例が多い。女が自立したいから平等を振りかざすなら、親権の問題だって男と女は平等に扱われるべきである。テッドの言うとおりなのだが、今の日本の裁判所のレベルは、アメリカの30年前と同じということですな。
閑話休題。
映画的には、フレンチ・トーストを作る場面が2回出てきて、この2つのシーンの間で、どれだけ父と息子が濃密な時間を経て強い絆で結ばれていいったか判らせる、という演出が秀逸である。この場面に限らず、無言で何かを表現する場面が多々ある。なにかと音を出したり、説明しすぎたりする昨今の映画は、回帰しなくてはいけないポイントなのかもしれない。
また、ラストも、どうなるのか鑑賞者に考えさせるという、人によっては「こうなったに違いない」という解釈に差が生まれる、今では少なくなった手法で、かえって新鮮に感じる。
若い世代は未見の人も多いだろう。強くお薦めする(逆に、家庭で苦労している人はつらくて観ていられないかも)。パートナーを見つける前に観ることもお薦めする。
#吹き替え音声は無い。
公開年:1997年
公開国:アメリカ
時 間:145分
監 督:マーティン・スコセッシ
出 演:レイ・リオッタ、ロバート・デ・ニーロ、ジョー・ペシ、ロレイン・ブラッコ、ポール・ソルヴィノ、クリストファー・セロン、ジュリー・ガーフィールド、サミュエル・L・ジャクソン、フランク・シヴェロ、マイク・スター、フランク・ヴィンセント、ジーナ・マストロジアコモ、ケヴィン・コリガン、マイケル・インペリオリ、フランク・ペレグリノ、トニー・シリコ、イレーナ・ダグラス、ヴィンセント・パストーレ、ヴィンセント・ギャロ、トビン・ベル、トニー・リップ 他
受 賞:【1990年/第63回アカデミー賞】助演男優賞(ジョー・ペシ)
【1990年/第47回ヴェネチア国際映画祭】監督賞(マーティン・スコセッシ)
【1990年/第25回全米批評家協会賞】作品賞、監督賞(マーティン・スコセッシ)
【1990年/第56回NY批評家協会賞】作品賞、男優賞(ロバート・デ・ニーロ)、監督賞(マーティン・スコセッシ)
【1990年/第16回LA批評家協会賞】作品賞、助演男優賞(ジョー・ペシ)、助演女優賞(ロレイン・ブラッコ)、監督賞(マーティン・スコセッシ)、撮影賞(ミヒャエル・バルハウス)
【1990年/第44回英国アカデミー賞】作品賞、監督賞(マーティン・スコセッシ)、脚色賞(マーティン・スコセッシ、ニコラス・ピレッジ)、衣装デザイン賞、編集賞
【2000年/アメリカ国立フィルム登録簿】新規登録作品
幼いころからマフィアの世界に憧れるヘンリーは、12歳の時からブルックリンを牛耳る“ポーリー”のもとで使い走りをはじめ、ついには、ジミーやチンピラのトミーらと共に、本物のマフィアとして物品の横流しや強盗などの手荒い仕事に手を染め、若くして大金を動かすようになる。一方、私生活では裏家業であることを隠してカレンと結婚し、子供をもうける。薄々感づき始めたカレンも、その豪奢な生活から離れることはできず、マフィアであることを許容し始める。その後、刑務所暮らしなどの浮き沈みを経験しても、“グッドフェローズ”達の硬い結束で乗り切ってきたが、史上空前の600万ドル強奪計画が彼らを狂わせて行く…というストーリー。
実話ベースのギャング映画は数あれど、今まで観たギャング映画の中で最もリアリティを感じさせてくれた作品。暴力シーンの描写や、犯罪の様子はもとより、若いころのいかにもギャングらしい様子が、時が現在に近づくにつれ矮小になっていくのがおもしろい。マフィアの男目線だけでなく、奥さん側の目線があるのも効果的な演出。女のほうが生活に密着していて打算的なせいか、矮小化による痛々しさは男連中よりも上に見える。
最後の尻すぼみ感は、ギャングの末路をうまく表現した演出と好意的に受け止めたい。長い年月に渡るギャング・サーガを綺麗にまとめたと思う。
移民や宗教的な観点が描かれるのも、スコセッシならでは。ユダヤ、カトリックの文化的な違いや、純血イタリア人じゃないとイタリアンマフィアの幹部にはなれないなんて、なるほどね~と。
デ・ニーロのギャングっぷりも見事だったが、レイ・リオッタは役柄の立場をその表情でうまく演じきっているし、なんといってもジョー・ペシのクレイジーっぷりが光っている(本当にヤバそうな奴に見える)。わたしは『ゴッド・ファーザー』よりも好みである。未見の人には強くお薦め。
公開年:2007年
公開国:韓国
時 間:90分
監 督:シム・ヒョンレ
出 演:ジェイソン・ベア、アマンダ・ブルックス、ロバート・フォスター、エイミー・ガルシア、クレイグ・ロビンソン、クリス・マルケイ、ジョン・アレス、エリザベス・ペーニャ、ビリー・ガーデル、ホームズ・オズボーン、ニコール・ロビンソン、ジェフリー・ピアソン 他
コピー:たった一人のために、全人類は壊滅するのか。
テレビレポーターのイーサンは、ロサンジェルスで発生した大規模な陥没事故を取材する。現場からウロコのような物体が発見され、それを眼にしたイーサンは、少年時に古美術店の店主が彼に語った、500年前におこった聖なる蛇と邪なる蛇の戦いが再び発生し、人類が滅亡の危機瀕にするという話を思い出す。滅亡を防ぐ鍵は、500年の時を超えて転生を遂げた、ある女だという。イーサンはその女を探し始めるのだったが…というストーリー。
世の映像技術は急激な進歩を遂げ、夢の世界や有り得ない世界を表現する大作映画がたくさん作られているわけだが、実のところこういう技術革新の恩恵を一番受けているのはB級映画なんだな…と、つくづく感じさせられた1本だ。誰がDVDジャケットを見たって、本作がまともなA級映画だと思うわけがない。でも、こんな作品のくせにCGは超1級である。モンスターの躍動感、破壊される街並み、実にすばらしいじゃないか…。と思い調べてみたら、本作、案外B級ではない模様。制作費は3200万ドル、2007年の韓国内での観客動員数1位だって。ウソでしょ…。
いやいや、どうひっくり返しても、そんな大金を投じて作られたレベルとは思えない。正直、あらすじを書くのが馬鹿馬鹿しくなるくらい薄っぺらなストーリー。いくらCGのデキがよいといっても龍や異形の軍隊の様子はロード・オブ・ザ・リングのパクりだし。あらゆるシーンが、他の映画やドラマやゲームのどこかしらにあるような気がして、オリジナリティは極めて希薄。トホホ感増し増し状態。
西洋人にはエキゾチックに感じられるであろう“輪廻転生”観は、うまく使えば不条理とせつなさの絡まったおもしろい演出ができたのに、そんな気もさらさらない様子。意外と通常兵器が通用してしまうギミックはおもしろいと感じたが、流れ上なんとなくそうなっただけで、作っている側はそこをおもしろいポイントだと気づいていない模様。フィーチャーする気はさらさらないらしい。どんだけセンスのない監督なんだと、ただただ呆れる次第(笑)。
いや、はじめから、こういうタイトルでこういうジャンルの映画に過大な期待をするはずもないのだから、ダメだったからといって時間をかえせ!と怒る方が悪いのはわかっているんだけどさ。それにしても…。久々に駄作警報を発令しておこう。観るな。日本国民がこれを観て時間お無駄にすることで、マイナスの経済効果が発生する!って、そのくらい言いたくなるくらい駄作。
公開年:1995年
公開国:アメリカ
時 間:112分
監 督:マイク・フィギス
出 演:ニコラス・ケイジ、エリザベス・シュー、ジュリアン・サンズ、リチャード・ルイス、スティーヴン・ウェバー、ヴァレリア・ゴリノ、ローリー・メトカーフ、ジュリアン・レノン、キャリー・ローウェル、ボブ・ラフェルソン、ルー・ロウルズ、R・リー・アーメイ、ショウニー・スミス、ザンダー・バークレイ、マリスカ・ハージティ 他
受 賞:【1995年/第68回アカデミー賞】主演男優賞(ニコラス・ケイジ)
【1995年/第30回全米批評家協会賞】主演男優賞(ニコラス・ケイジ)、主演女優賞(エリザベス・シュー)、監督賞(マイク・フィギス)
【1995年/第62回NY批評家協会賞】作品賞、男優賞(ニコラス・ケイジ)
【1995年/第21回LA批評家協会賞】作品賞、男優賞(ニコラス・ケイジ)、女優賞(エリザベス・シュー)、監督賞(マイク・フィギス)
【1995年/第53回ゴールデン・グローブ】男優賞[ドラマ](ニコラス・ケイジ)
【1995年/第11回インディペンデント・スピリット賞】作品賞、監督賞(マイク・フィギス)、主演女優賞(エリザベス・シュー)、撮影賞(デクラン・クイン)
重度のアルコール依存症となり家庭を崩壊させた脚本家ベン。離婚後は子供とも会えず酒びたりの生活はさらに加速。仕事にも影響しはじめ、遂に映画会社をクビになってしまう。ハリウッドでの華美な生活を捨てると決心したベンは、一切の財産を処分して、残った金を持ってラスベガスへ行き、そこで酒を飲み続けて死のうを考える。ただただ人恋しいベンは、街で出会った娼婦サラに惹かれるものを感じ、一夜を共にする。一方のサラも、暴力的なヒモに脅える毎日に疲れており、ベンに安らぎを感じる。再び出会った二人は、干渉しない約束で同居生活を開始するが、愛が深まるにつれアル中と娼婦という立場は互いを苦しめていき…というストーリー。
川のよどみに流れついた2枚の枯葉は、この後どうなっちゃうのだろう…。ただただ、そんな感じで鑑賞するしかないのだが、この朽ちていく様子から眼が離せなかった。常識とか理性を振りかざせば、こんな人間たちの行いがよろしいと思うわけもないし、観る価値すらないと感じるだろう。だから、ニコラス・ケイジ演じるベンが、ただのダメ人間としか思えず、微塵の引っかかりも覚えない人には、ただただつまらない物としか写らないはず。そういう人は、いまのあなたがたまたまそういう心持ちを理解できないだけなので、駄作だなんてわざわざ評価しなくていいので、観るのを止めていただければいいと思う。私は、いい作品だと無条件に薦める気はない。ハマる人にはハマるが、ハマらない人にはゴミくずのようにしか観えない。そんな作品だと思う。
以下ネタバレ含む。
普通の映画ならば、どれだけダメな人間であっても、なんらかの希望を見出して変わっていく様子を綴るものである。しかし本作にはまったくそれがない。世に非道徳な映画は数あれど、ある意味、最悪の不道徳映画である。愛の強さゆえに愛を求めるも、その求めは一切適わず、一見別の愛がそれを満たすかに見えて、結局埋め合わせされることなくただ朽ちるのだ。そしてそれを埋め合わせできないことを理解しつつも、それも愛として受け止める。“愛”という単語で片付けられるその執着とは一体何なのか。
原作者がいるようだが、本作を綴った人間はかなりクレイジーなんだろうと、私は思う。別に良識人ぶるきも善人ぶる気もないが、私には到底考え付かないストーリーだ。そしてそれを毀損することなく演じきったニコラス・ケイジとエリザベス・シューの仕事は高い評価に値する。
公開年:2009年
公開国:アメリカ
時 間:97分
監 督:マーカス・ニスペル
出 演:ジャレッド・パダレッキ、ダニエル・パナベイカー、アマンダ・リゲッティ、トラヴィス・ヴァン・ウィンクル、アーロン・ヨー、アーレン・エスカーペタ、デレク・ミアーズ、ジョナサン・サドウスキー、ジュリアンナ・ギル、ベン・フェルドマン、ライアン・ハンセン、ウィラ・フォード、ニック・メネル、アメリカ・オリーヴォ、カイル・デイヴィス 他
クリスタル・レイクはかつては人気のあるキャンプ場だったが、一人の少年が湖で溺死するという事故が起きて閉鎖された。それから数十年後、キャンプ場が再開され、ほどなく訪れた若者の一行が行方不明になってしまう。そんな事態を知らずに、ジェナたち大学生のグループがキャンプ場にやって来る。一方、はじめに行方不明となった一行の一人だった妹ホイットニーを探すためにクリスタル・レイクを訪れた青年クレイ。現地でジェナと知り合い、協力して妹の捜索を開始する。そんな中、ホッケーマスクを被った一人の大男が森の中で彼らの様子を覗っていた…というストーリー。
学生の時、友達がタダ券を持っていて、4人くらいで一緒に観にいった思い出が。PART何だったかも内容すらも覚えていないよ。結構広い劇場だったのに、ガラッガラで自分たち以外に1人か2人しかいなくって、色々ツッこんでゲラゲラ笑いながら観た。友達は俺がうるさいのイヤがってたっけなぁ(でも、こういうのってワイワイやりながら観るのが正しいんじゃないのかね)。たぶん『13日の金曜日・完結編』だったと思う。
実は、ジェイソンのキャラクター以外は『13日の金曜日』の内容をよく知らない。PART1の犯人がジェイソンじゃなくって母親だっていうトリビア的なことくらいかな。
以下ネタバレ。
リメイクってことだけど、1作目のリメイクじゃない。冒頭で1の母親の件を説明するところからスタート。さすがにジェイソンを出さないと成立しないよ…って判断はよくわかる。だからPART2のリメイクって言ったほうが近いんじゃないかな。
エロ表現が遠慮なくて、始めっから子供を相手にしていないのはわかるが、その割には、母親のペンダントの伏線とか演出が稚拙すぎる。こういう古臭さは払拭していかないと、画だけが妙にキレイでかえって陳腐に見える。スタッフを見るとショーン・S・カニンガムがいる。オリジナルの『13日の金曜日』の監督だ。こんな人がリメイク版に絡んじゃだめだよ。おそらく元のイメージを逸脱しないように、口出ししたんだろう(自分は続編でむちゃくちゃやってたくせにね)。これが古臭さの一因かもよ。
昨今のホラームービーに慣れっこになってしまっているせいか、本作でのジェイソンの殺しのシーンで、ビックリさせられるところが皆無(本当のラストのところだけビクっとしたけど)。Jホラーの10分の1もドキっとしない。ホラーなのに致命的だよ。それに、テンポが悪いというか、プツプツ流れが切れるというか、ダレてきて眠くなるポイントがたくさんある。これは監督の力不足のせいかなぁ。
もしかしてマイケル・ベイってホラーは苦手?いや、その後、『エルム街の悪夢』はリメイクしてるし、『ホースメン』やら『テキサス・チェーンソー ビギニング』やら『魔の棲む家』のリメイクだって製作している。あれ、全部製作だ。ホラーには思い入れは強いけど自分は監督しないってポリシーなのかな?なんでだろう。っていうか、彼が製作にクレジットされてる作品って、全部イマイチじゃない?
とにかく肝心のジェイソンの所業に大した驚きを感じないという、このレベルは大問題。くだらなくても旧シリーズを観たほうが絶対によい。非常に残念な出来映えの作品。お薦めしない。
#なんか、ここの所、ハズレばっか観てる気がする。ツラくなってきた。
公開年:2008年
公開国:アメリカ
時 間:108分
監 督:マーセル・ランゲネッガー
出 演:ヒュー・ジャックマン、ユアン・マクレガー、ミシェル・ウィリアムズ、リサ・ゲイ・ハミルトン、マギー・Q、シャーロット・ランプリング、ナターシャ・ヘンストリッジ、ブルース・アルトマン、アンドリュー・ギンズバーグ、パス・デ・ラ・ウエルタ、レイチェル・テイラー 他
コピー:会員制秘密クラブのルール
I名前や職業を聞いてはいけない
Ⅱ 待ち合わせはホテル
Ⅲ 手荒なことは禁止
Ⅳ 合い言葉「Are You Free Tonight?」
選ばれたエグゼクティブだけが集う秘密クラブ。導くのはエリート弁護士、ハマったのは孤独な男。待っていたのは運命の女と、罠──。
ニューヨークに暮らす実直な会計士ジョナサン。人付き合いも少なく、仕事場と部屋を往復するだけの毎日。ある日、ジョナサンが仕事をしている会社に、会計監査員として派遣された弁護士のワイアットが現れる。何気に交わした会話をきっかけに意気投合する二人。ワイアットは優雅なセレブ生活をしていたが、とあるきっかけで、エグゼクティブ専用の秘密のセックスクラブをジョナサンに紹介する。ジョナサンは美女との一夜限りの関係にのめり込んでいくが、かつて街中で見かけて一目ぼれした女性とクラブで出会ってしまう。彼は名前の頭文字が“S”であるその女性に特別な感情を抱いてしまい…というストーリー。
家を往復するだけの退屈で孤独な人生を送っていた。そんなある日、監査員として派遣された大手法律事務所で弁護士のワイアットと知合い、意気投合する。ジョナサンとは対照的に、セレブを絵に描いたような優雅な生活を送るワイアット。そして、ふとした偶然から、ジョナサンはエグゼクティブのための会員制秘密クラブを紹介され、美女との一夜限りの関係にのめり込んでいく。やがて、かつて地下鉄で見かけて一目惚れした女性とそのクラブで再会する。名前が“S”から始まることしか分からないその女性に溺れるジョナサンだったが…。
冒頭からヒュー・ジャックマンとユアン・マクレガーが絡んで登場。主役級が同じ画面にいて豪華に感じるんだけど、早々に消えるヒュー・ジャックマンで何かあるんだろうな…、このまま善人で終わったら、それはそれでビックリだけど、まあ有り得ないな…。大方の人がそう感じただろうし、実際にそうなる。
仰々しくコピーにまでして引っ張るほど、秘密クラブの件は重要ではない。コピーや邦題の“二度愛したS”みたいなセンスは、官能的要素を醸し出そうという意図のようだが、全然おもしろさに繋がっていない。
だれも指摘しないんだけど、うまくミスリードしているといえるのは、“犯人は私”系の話に見せかけている点である。そう、ワイアットとジョナサンが『ファイト・クラブ』みたいな関係か?と思わせている点。突然、ジョナサンの部屋にワイアットは登場するところなんてまさにそう。でも、残念ながらこの演出も、「いまさら、このギミックぅ?」ってウンザリさせはするけど、ワクワクには繋がっていない。
金融界の仕組みはよく知らないが、口座からお金を下ろすのにそんな特約をつけることが可能なのか?また、一旦開いた口座に後付けで、それも一方的に、手続き上の確証も不要でそんな特約を瞬時に付けられるものか。いくら会計士でもおそらく無理。さらに、自分の写真で相手のパスポートをサクっと作って持参…って、ずいぶん裏社会に通じた会計士さんですこと。ラストの女の行動もありきたりだし。
いや、根本的にその娼婦にそこまで惚れる確率はそんなに高くないだろうが。緻密に見せてるけど、とんでもなく杜撰な計画じゃないか。そう考えたら、瞬く間に陳腐に思えて仕方がなくなってしまった。
色んな策を弄したけれど、すべて躓いてしまった残念なシナリオである。ちゃんとした脚本家がつくったものなのかすら、甚だ怪しいデキ。もしかして脚本家のマーク・ボンバックって“アラン・スミシー”みたいなことだったり?(多分、違うと思うけど)
大体にしてヒュー・ジャックマンはあまり悪役が似合っておらず、スペインに渡ってからの演技が痛々しく見えるほど。彼を単純な悪役にするだけでなく、もう一枚なにか仕掛けがほしかったところだ。
別に観ちゃいけないとまでは言わないけど、私は観るのに費やした時間は無駄だったと思っている。お勧めしない。
公開年:2008年
公開国:日本
時 間:128分
監 督:中田秀夫
出 演:松山ケンイチ、工藤夕貴、福田麻由子、南原清隆、平泉成、福田響志、正名僕蔵、金井勇太、佐藤めぐみ、石橋蓮司、藤村俊二、鶴見辰吾、高嶋政伸 他
コピー:もう、誰も失いたくない──L、最期の23日間。
夜神月との最終決戦にて、自分の命とワタリの死という代償を負って終止符を打ったLは、残りの時間を世界中の難事件を解決することに費やしていた。その頃、謎の病原菌に襲われたタイの村が焼き尽くされ消滅。そして、その村の唯一の生き残りの少年が、ワタリ宛ての贈り物としてLの元にやってくる。その病原菌には、“人類削減計画”を掲げる環境保護団体ブルーシップが関わっているとみて、捜査を開始するLだったが…というストーリー。
観た。というか観てしまった…という表現が正しいか。まあ、見る前から判っていたがどうでもいい作品である。
原作者がこれでもかまわないっていうんなら別にいいんじゃなかろうか。『デス・ノート』が大好きでイメージが壊れたと感じて許せない人は、ユメだったと忘却すればいいだけの話だし。スピンオフっていえば格好がいいかもしれないけど、悪く言えば『デス・ノート』と松ケン人気に乗っかっただけの低予算作品。つまらないデキになったとしても、まあしょうがないよね…ってな具合で、始めっからハードルが下がりまくっているのだから、作り手も言い訳しやすいし、観る側も自分を納得させやすい。スタッフも案外自由気ままでできて楽しかったんじゃなかろうか。過剰に期待する人もいないだろうし、そういう意味では害のない映画なのかも。
で、思いっきりハードルが下がっていたせいなのか、意外にもそれなりに仕上がっているように感じる。くだらない脚本だと評する人がいるけれど、私はそこまでヒドいとは思わない。別にグイグイと話に引き込まれてしまうような良作というわけではないけれど、それなりにウマい仕事をしたな…と感じる。上から目線で失礼なことを承知で言うが、この脚本家はそこそこ賢く、広くて穴のない知識をお持ちのようだ。アリものってことに加えて、色々条件がついてる場合に、ものすごく力を発揮する脚本家なのかもしれない。オリジナルなクリエイティブさには欠けるのかもしれないが、ビジネス脚本家としては、かなり能力が高いのではないかと。
とはいえ、南原清隆はあくまで南原清隆だし、福田麻由子は芯のある女の子を意図してのキャスティングなのかもしれないが表情の端々が気色悪いし、工藤夕貴はパっとしないし(決して役のせいではなく、B級だと割り切って針を振り切る術を知らないんだろう)。プロデュース面での難点を挙げればキリがない。製作者がズラッとクレジットされている、ありがちなバカプロデュースである。
それでも、“しょ~もないなぁ”と思わせつつ最後までそれなりに魅せる中田監督は、いいビジネス監督なんだと思う。ビジネス監督にビジネス脚本家。ビジネスとしてそれなりに成功させたのだから、ワーナーも資本とかした意味があったというもの。一般企業の事業部のように、定められた予算を達成することに執心したサラリーマン的作品であり、優秀なサラリーマンではあるが優秀な芸術家かどうかは別という、まあ今の時代には必要な人たちなのかも…と思わせる作品である。よって、あえてお薦めすることもないが、観ると危険だと警報を発令するようこともない…そういうレベルである(さすがに“拾い物”とまではいえない)。
#サスペンス…とか、カテゴライズすること自体、無意味に思える。
公開年:2008年
公開国:日本
時 間:131分
監 督:滝田洋二郎
出 演:本木雅弘、広末涼子、山崎努、余貴美子、吉行和子、笹野高史、杉本哲太、峰岸徹、山田辰夫、橘ユキコ 他
受 賞:【2008年/第81回アカデミー賞】外国語映画賞
【2008年/第32回日本アカデミー賞】作品賞、主演男優賞(本木雅弘)、助演男優賞(山崎努)、助演女優賞(余貴美子)、監督賞(滝田洋二郎)、脚本賞(小山薫堂)、撮影賞(浜田毅)、照明賞(高屋齋)、録音賞(尾崎聡、小野寺修)、編集賞(川島章正)
【2008年/第51回ブルーリボン賞】主演男優賞(本木雅弘)
コピー:キレイになって、逝ってらっしゃい。
チェロ奏者を目指していた大悟だったが、せっかく入団した楽団があっというまに解散してしまう。自分の実力では次の楽団が見つかる可能性は低く、チェロで食べていくという夢は諦めざるを得ない。意を決して、妻を伴い故郷の山形へ帰ることに。さっそく職探しを始めると、“旅のお手伝い”という求人広告を発見。さっそく面接に行くと、旅行代理店だと思ったその会社は、人生の旅立ちをお手伝いする“納棺師”の会社だった。そこの社長に強引に採用されてしまった大悟だったが、仕事の内容を妻に言い出せないまま、見習いとして働き始め…というストーリー。
『サマー・ウォーズ』が米アカデミー賞の審査対象に、なんてニュースが。自分がベタ褒めした作品が評価されるとやはりうれしいものだね。まあ、まだアメリカでは未公開だし、実際ノミネートされるかは微妙だから、細田監督もウカれたコメントはしてないみたい(まあ、正しい反応)。で、米アカデミー賞繋がりっていうか、『サマー・ウォーズ』も続け!って意味で『おくりびと』をチョイス。もうすでに地上派放送済なのだが、まだ未見だったので、いまさらながらの鑑賞である。
もっと、説教くさいというか、芸術的というか堅苦しい内容を予測していたのだけれど、案外軽くて好みの感じだった。まあ、人の死というのは悲しいものだから、さすがの私も所々泣けてしまったよ。昼休みに会社で観ていたから、涙を隠するの大変だったわ。
『陰日向に咲く』のオレオレ詐欺の件の着眼点がすばらしいと、昨日書いたが、本作の納棺師に着目した慧眼に比べたら、ハナクソみたいなもんだった。このテーマを見つけた時点で既に65点は獲得できていると思う。本木雅弘はチェロの運指までしっかり演技していて、よくがんばっているなと(ちょっと筋骨隆々なのには違和感があるけど、仕方ないか)。その他の演者さんたちも映画の雰囲気を壊さないいい演技をしていると思う。一人を除いては。
個人的にどうも広末涼子の演技が気に喰わない。演技っていうか“なりきり厨”が調子こいてるレベルにしか見えないのだが。評価する人は良い評価をしているだが、どうも私にはわからない。アカデミー受賞の時に、なんでおまえがアメリカにいってるんだ…と思ったものだが、実際に観てみると一層そう思う。一人でこの映画のレベルを下げていると思うね。ファンの人にはもうしわけないけどダメなものはダメだね。
まあ、文句を言いついでに、ストーリー的な苦言をちょっとだけすると、納棺師の仕事について、頭ごなしに先入観だけで「けがらわしい」なんていうかね。広末涼子だけでなく杉本哲太の役もそんな感じだったし、主人公もなにか引っかかってる様子。私が『CSI』とかマンガの『きらきらひかる』とか見慣れてるせいだから、なんとも感じない?いやあ、一般的にも大変な仕事だとは思われこそすれ、忌み嫌われることはないでしょ。むしろ尊敬されない?田舎はそうじゃないの?なんか、その反応が逆にリアリティを削いでる気が、私にはするんだけど、皆様はどう思う?
まあ、海外では、全部ひっくるめてエキゾチックジャパンなんだろうから、もちろん気にならなかっただろうし、逆にラッキー要素だったんだろう。
ベテラン監督らしい、ソツの無いまとめっぷりだと思うが、贅沢を言えば、もうちょっとシニカルな笑い要素が多ければ最高だったと思う。未見の人は先入観をとっぱらって観てほしい。お薦め。
公開年:2008年
公開国:日本
時 間:129分
監 督:平川雄一朗
出 演:岡田准一、宮崎あおい、伊藤淳史、平山あや、緒川たまき、本田博太郎、北見敏之、山本龍二、根岸季衣、生田智子、堀部圭亮、池内万作、戸田昌宏、近藤公園、平岩紙、諏訪雅、浜田学、増本庄一郎、岩田丸、木幡竜、松岡恵望子、鈴木アキノフ、菅谷大介、佐野夏芽、澤純子、西田敏行、塚本高史、三浦友和 他
コピー:ひとりじゃない。
パチンコがやめられず借金まみれになり、挙句の果てにオレオレ詐欺に手を染める若者・シンヤ。若いこと売れない芸人に恋をした母の足跡を辿る寿子。25歳の崖っぷちアイドルを頑なに応援するオタク青年のゆうすけ。カリスマ・ホームレス“モーゼ”に心酔し、エリートサラリーマン人生を投げ出して自分もホームレスになったリュウタロウ。不思議な縁に導かれるように彼らの人生は次第に交錯していく…というストーリー。
“処女作にしてはウマすぎる”という、原作に対する評価を聞いたことがある。原作は未読だが、その評価は妥当なんだろうな…と思う。わたしには、そうそう書けそうもない。才能あるんでしょうな。ただ、好みではない。それに尽きる。
オレオレ詐欺犯と相手の心が通い合ってしまったら…という、その思いつきを、ただ一生懸命膨らましただけという気もするが、そのアイデア一本だけで充分すばらしい思いつきだと、評価してあげたいくらい。正直、不覚にもウルっときてしまったからなぁ。でも、逆にそれ以外の部分がポンコツにしか見えなかったのも事実。やみくもに各キャラを繋げすぎな部分には辟易してしまうし、アイドルオタクの部分だけ繋がりが薄いというアンバランスさが、なんとも気持ち悪い。
読んでいないのでわからんが、こういうディテールは原作に忠実なのかな。もしそうなら、映画というのは必ずしも原作に忠実に表現することはないのにな…と監督には忠告したい。本ではリアルに感じられても、いざ映像にしてみるとちょっと変なんてことは、よくあること。そこは躊躇なく演出を変える心構えがあってしかるべきなのだが、どうも、この監督の仕事からは、自分の作品をしっかり作ろうという気概が伝わってこない。どう贔屓目に見ても、“ちょっといい話”程度の域を出ることはないかな。
それ以前に、冒頭の借金まみれのくだりだが、身近にそういう人間がいたので、正視できないくらいイヤな感じに襲われた。なにが不快って、借金しちゃうってことも状況によってはあるよね…みたいな描写がイライラする。ギャンブル癖というのは依存症、病気だから。ちょっとでも格好よくみせようなんて空気を感じさせただけで、ワタクシ的にはアウトだね。スタッフも原作者も、そこそこ健全な家庭でお育ちの方々なんじゃないすかね…、少しでも経験していれば絶対にこんな表現はしないだろうな…、なんて思いながら観ていた。#パチンコはじめたところで、DVDの電源、一回切ったもんな。
まあ、個人的には、別のところに目がいっていた。それは、子供が持っていた黄色い傘は飛ぶシーン。じつは、私、以前浅草橋に住んでいたことがあって、あの場所は強く記憶に残っているのである。あそこを通ってよく秋葉原に行ったものである。いい思い出もイヤな思い出もいっぺんに湧き上がってきて鳥肌がたった。行った事があるシーンが映画に出てくると、ゾワっとくるなあ。そういう意味で、個人的に印象に残る作品なのだが、あくまで個人的な事情なので、皆様に勧めることはない。さほどおもしろくはないのよ。
#緒川たまきを久々にみた。相変わらずお綺麗で。
公開年:2009年
公開国:アメリカ
時 間:97分
監 督:デヴィッド・トゥーヒー
出 演:ミラ・ジョヴォヴィッチ、ティモシー・オリファント、キエレ・サンチェス、スティーヴ・ザーン、マーリー・シェルトン、クリス・ヘムズワース 他
コピー:容疑者6人 犯人2人
ハワイに新婚旅行にやってきた映画脚本家のクリフとシドニーは、トレッキングで深い森を越えた先にあるビーチに向かう。途中で出会った旅行客から、カップルを襲う男女2人組の猟奇殺人犯が潜伏しているらしいというニュースを聞いたが、せっかくの新婚旅行と考え旅を継続する。そんな中、ニックとジーナというカップルと出会い同行することになるのだが、彼らの普通とは違う言動に若干不安がよぎる。しかし、それ以上に途中で遭遇した粗暴なヒッチハイカーのカップル、ケイルとクレオの存在が気になるのだった…というストーリー。
わざと、ありきたりな映画だと思わせるミスリードを演出しているのだが、あまりにもひっぱりすぎたため、全体の6割くらいですっかり飽き飽き状態に。勘のいい人は、ミスリードのあまりの露骨さに、そこで気付いてしまったかもしれない。あまりに待たされすぎて、いざ急展開しても、その直後くらいまでは「おお!」っと思ったものの、単発の盛り上がりで終わってしまった。
以下ネタバレ。
私は、ビーチで脚本家が筋骨隆々で、むちゃくちゃ違和感を感じてしまい、そこでオチを確信してしまい、逆にツラかった。
ただ、本作を観て『テイキング・ライブス』という映画を思い出したね。次々と被害者自身に成りすましながら生きていく連続殺人犯の話で、その着眼点が非常におもしろくて期待満々だったのだが、肝心の他人の人生を奪うという描写をほとんど見せることが無いという、とてつもないチョンボやらかした残念作品だった。私だったら、他人に化けていく過程に尺を裂くのに…と思ったもので、本作を観ていると、『テイキング・ライブス』のモヤモヤを晴らすために作られたような気がしてならなかった。
確かに、そのモヤモヤは晴れるかもしれない。しかしながら、観ている側をおどろかす弾が、それ一発だけでは、如何ともし難い。それに、まるで、ミスリードが巧みなように聞こえたかもしれないが、単に、被害者のように撮っただけ、べつに長けた演出ってわけでもないし。最後のミラ・ジョヴォが、まるで他人のせいみたいな発言をするのにも、苦笑するしかないし。よく考えると、犯人さんは何で、イラク帰りの男を殺さなければいけないのか。カップルに出会うたびに、いちいち入れ替わっていたら、忙しいこと極まりない。相手の人生が気に入ったら、犯行に及ぶってことだとすると、このイラク帰りの不死身の男っぷりが気に入ったってことになるけど、そういう感情が生じたようには見えないんだよなぁ。
まあ、最終的には、駄作の部類に入れざるを得ないかなと。お薦めはしない。もっとテンポよく45分くらいにまとめて、さらにオムニバスの1本なら許すが。ほんとに前半6割くらいは、苦痛以外の何者でもなかった。最後まで観て、こうやってレビュを書いているのが奇跡に思える。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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