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公開年:2001年
公開国:アメリカ
時 間:87分
監 督:ジェームズ・ウォン
出 演:ジェット・リー、カーラ・グギーノ、デルロイ・リンドー、ジェイソン・ステイサム、ディラン・ブルーノ、リチャード・スタインメッツ、スティーヴ・ランキン、タッカー・スモールウッド、ハリエット・サンソム・ハリス 他
ノミネート:【2002年/第11回MTVムービー・アワード】格闘シーン賞(ジェット・リー:ジェット・リー 対 彼自身)
コピー:125人のジェット・リー“バトル・ロワイアル”が始まる!!
多次元宇宙を制する者が<超人(ザ・ワン)>となる――
125の並行宇宙が存在することが判明し、その均衡を保つために多次元宇宙捜査局が監視を行っていた。その捜査官であったユーロウが、謝って別世界の自分を殺してしまった時に、自分のエネルギーが増して超人化することに気付いた。ユーロウは唯一の存在“ザ・ワン”になるべく、他世界の自分をすべて殺し続け、ゴアがアメリカ大統領を務める世界で、犯罪者ロウレスを殺して、残るは、ブッシュが大統領を務める世界に住む、ロサンゼルス郡保安官ゲイブひとりとなり…というストーリー。
まず、いきなりネタバレになってしまうが、本作がサイエンス・フィクションとカテゴライズされる所以である根本ルールが、完全に矛盾しているのだ。
多次元宇宙が125あるという設定は大目にみるとして、他世界の自分を殺したらパワーが増すという法則、これ実はものすごく定義が難しい。
自分Aが自分Bを殴って殺した…この場合はAが自分を殺害したとなんとなく納得できる。では、自分Aが自分Bを殴って大出血をさせ、このまま出血し続ければ確実に死ぬというところで、赤の他人Cが登場し、傷口を押さえ出血を止めた。これでなんとか延命したが、Cは気まぐれに止血している手をはずして、再出血しBは死んだ。さて、この場合、Bを殺したのはAなのかCなのか。
さらに、別のパターンを。自分Aが鉄の棒という道具で自分Bを殴り殺した…この場合もAが自分を殺害したということにできそうだ。では、自分Aが、他人Cの家族を人質に取り、家族を助けたければ自分Bを殺せと命じ、CはBを殺した。あくまでAの道具としてCはBを殺したが、この場合、AはBを殺したことになるのかならないのか。
要するに、誰が殺人の加害者なのか?は法律とか感情の領域のハナシであって、科学法則の発動条件に適するわけがないのだ。だから、せめて、自分が死んだときに、もう一人の自分が同じ世界にいたときに、パワーが委譲されるとか、そういうルールにしないと、いくらSFとはいえ説明がつかないのである。
でも、本作は、自分が自分を殺した時というルールで押し切った。なぜか。だって面白そうだから。
しかし、残念ながら、このノリさえも、最後で完全に破綻(というか自滅)してしまう。最後、残り二人になって逮捕されるのだがユーロウは殺されない。だって、残り二人のうち一人を殺してしまったら、“ザ・ワン”になっちゃうかもしれないから。
????あれ?いやいやいや。自分がもう一人の自分を殺した場合だけってルールでしょ?じゃあ、世界のために捜査局がユーロウを処刑すればいいじゃないか。問題ないでしょ?嬉々として闘うユーロウを見て、ごまかされちゃたけど、完全にオカシイ(笑)。
でも、この映画は大事な示唆を与えてくれた。どんな穴だらけでも、臆してもっともらしい説明を付加したりせず、内容の陳腐さをごまかすために奇抜な映像技術に走ったりせず、妙にシニカルになって笑いを足してみたりせず、とにかく脇目もふらず最後まで走りぬけば、愛すべき作品ができあがるってことを。『リベリオン』のガン・カタしかり、愛すべき存在である。
#ジェット・リーのコスプレも、ゴア大統領も、別世界の上司に敬語をつかうのも、チョケて笑いを欲しがってるわけじゃなく、真剣な演出だよ(たぶん)。
いや、愛すべき映画である。だって、ワタシ、今回で本作を観るの3回目だもん。バカバカしいけど、愉しい映画。未見の人にはお薦めする。
#それにしても、映画が始まった時点で残り3人ってのもねえ…
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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