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image1951.png公開年:2011年
公開国:日本
時 間:129分
監 督:園子温
出 演:染谷将太、二階堂ふみ、渡辺哲、諏訪太朗、川屋せっちん、吹越満、神楽坂恵、田村圭子、光石研、渡辺真起子、モト冬樹、黒沢あすか、堀部圭亮、でんでん、村上淳、窪塚洋介、吉高由里子、西島隆弘、鈴木杏、手塚とおる、清水優、清水智史、 新井浩文、永岡佑、小林ユウキチ、麻美、今村美乃、遠藤雄弥、深水元基、玄覺悠子、矢柴俊博、新納敏正、ペ・ジョンミョン、翁長誠、吉田エマ、石川ゆうや、岸田茜、姉吉祐樹、大堀こういち、石垣光代、斎藤嘉樹、内田慈、木野花、小久保寿人、宮台真司、永井まどか 他
受 賞:【2011年/第68回マルチェロ・マストロヤンニ賞(新人俳優賞)】二階堂ふみ、染谷将太

15歳の少年・住田祐一は、貸しボート屋を営む母親と暮らしている。しかし、母親からの愛情を感じることなく成長した祐一は、人生に夢を抱くことができず、誰にも迷惑をかけず普通の大人になることだけが望みだった。祐一は高校進学を考えておらず、卒業後は貸しボート屋を手伝って生きようと考えていた。そんな貸しボート屋の主意には、震災で家をなくした人が何人か集っており、ずっと年下の祐一と楽しく生活していた。祐一の同級生・茶沢景子は、他の男子とは雰囲気の違う祐一に惹かれており、彼に猛アプローチするが、祐一はそれを疎ましく思い忌避していたが、それでも少しでも距離が縮まっていくことに喜びを感じる景子だった。そんなある日、借金をつくって蒸発していた祐一の父親が戻ってくる。彼は金を無心しながら、祐一を激しく殴りつづけるのだった。やがて、祐一の母は別の男と駆け落ち。祐一は一人で生きていかねばならなくなるのだったが…というストーリー。

わざわざアクション監督をつけているくらいなので、たしかにアクションシーンは臨場感があった。でも、暴力シーンを観せられれば、だれでも血圧があがる。それが理不尽であればあるほど、その内容や質がどうであれ、人は反応してしまう。申し訳ないが、その血圧の乱高下は、演出のすばらしさのせいではなく、単なる人間の低レベルの生理反応である。本作はそんなシーンのオンパレード。まさかとは思うが、その単なる生理反応を、演出で観客の心を動かしたを思っているならば、大きな勘違いだと思う。簡単にいえば、血圧は上がっているけど心に響いてるわけじゃないよ…そう声を大にしていいたい。そんな気持ちになる映画。

原作では、震災は出てこないとのこと(というか震災前の作品)。さて、わざわざ、震災に見舞われた直後に、実際の被災地を撮影し、被災者をキャラクターとしたことに、どういう意味があるのか、どういう効果があるのか、そういう訴えかけがあるのか、私は非常に注視させてもらった。そりゃ、どういう使われ方をしているのか、注視して当然すしてるでしょ。現在進行形のことで、苦しんでいる人もいるわけだからね。

冒頭に担任が、“一つだけの花”という表現を引き合いにだし、主人公を励ますが、主人公はそれに抵抗する。ナンバーワンじゃなくオンリーワンってどっちも一緒でしょ、平凡でなんでいけないわけ?これが主人公・祐一の主張だ。そりゃ、生物としての存在意義を否定され続けるような環境で育ったら、とりあえず、ひっそり普通にいきることで精一杯だろう。それ以上を望んだら、内部的にも外部的にも、ロクでもないことになるだろう…という見識なのだ。
ただ、救いは、祐一が“平凡でないこと”=“人の役nたつこと”だと思っている点だろう。自分にはそんな大それたことはできない。そういう次元で僕は平凡でございます、何がいけないんでしょうか…といっている。まあ、途中で景子が指摘するように、自分で自分の枠を決めて苦しんでいるとはそういう意味だろう。

ラストシーンでは、のっぴきならない状況になった彼を、彼をずっと見つめつづけてきた彼女が、“一つだけの花”だからがんばれと励まし、彼もそれに泣きながら応える。
人間は、その成長の過程で無条件の無償の愛を受けなければならない(というか、受ける必要がある)。悲しいかな、そうでない人は相当数いるし、そういう人は自分の子供にも愛を傾けることは難しい。そんな負の連鎖があるのは事実。彼女が同じ匂いを感じ取ったんだろうが、彼にどんだけ邪険にされても近づいていく。最後は、その無償の愛にに応える。それだけが唯一の立ち直る方法だと…、それは判る。
でも、ラストで急に、まるで園子温が自己批判を始めたように思えて、気持ち悪くなってしまった。こんな殊勝なことをいう監督だったか?この人。

それと、ナンバーワンやらオンリーワンやらの価値観と何の関係が?
もっと、釈然としないのは、被災地が必要だったか?ということ。私は被災者じゃないのでわかりはしないのだが、なんか、被災者に失礼な気がしてしようがない。少なくとも、被災者・被災地を持ち出す意味があったとは感じられない。別に渡辺哲演じる元社長は、津波で資産を失う設定じゃなければ、話が成立しないということはない。普通に世の中にある、大きな事故や、不幸なできごとでも問題はない。
大体にしてこの舞台になっている土地はどこなんだ?被災者が野宿しているような場所が関東ってことはあるまい。石巻の被災者ってことは、それほど遠くない近隣の町ってことでいいのか?でも、誰一人、東北訛りの人はいないぞ。そんな馬鹿なことはあるまい。あえて標準語のみという演出か?でも、そうだとしてどういう効果を狙っている?不明。
被災者が、ボート屋を経営してるってどういうことだ?ん?もしかすると、主人公は被災者じゃないのか?被災地を歩いているシーンは想像なのか?もう、なんだかわからない。無理やり震災を絡めて、破綻してるじゃないか。
これで元気付けられた被災者がいるとは思えないし、ましてや最後の茶沢のはげましが、被災者への励ましになっているとは到底思えず…。本作は震災の描写がなければ、それなりの良作だったと思うのだがなぁ。

こういう、必要のない被災地をさしこみ、自分の主張の材料にするのって関心しない。もしかして園子温って、世の中の“バカサヨク”っていわれるような人間と、おんなじ思考の人なのかな?はっきり不快だ!と感じるよりも、もっと気持ち悪い何かが沈殿物としに残る感じ。

 

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image2005.png公開年:2011年
公開国:日本
時 間:118分
監 督:原田眞人
出 演:役所広司、樹木希林、宮崎あおい、南果歩、キムラ緑子、ミムラ、赤間麻里子、菊池亜希子、三浦貴大、真野恵里菜、三國連太郎 他
受 賞:【2011年/第35回モントリオール世界映画祭】審査員特別グランプリ
コピー:たとえ忘れてしまっても、きっと愛だけが残る。



1959年。小説家の伊上洪作は、父・隼人の見舞いのために両親が住む湯ヶ島を訪れていたが、思っていたよりも容体が悪くなく、仕事も残っていたために早々に東京の家に戻ことに。帰り際、母・八重の異変に気づきつつも帰宅。自宅では、家族が洪作の新作小説にせっせと検印をしている最中だった。洪作は、幼少期に自分だけが両親と離れてくらしてたことがあり、“母に捨てられた”という思いが拭えないまま成長したが、それが彼の作家としての成功に大きな力となってもいた。しかし、そのせいで、娘たちへ干渉が過剰となり、娘たちとの関係はうまくいっておらず、特に三女・琴子は反抗期の真っ盛り。検印を手伝わない彼女に、洪作は激昂し、ますます関係は悪化してしまう。その夜、持ち直したかに見えた父の訃報が入る。その後、洪作の妹たちが母・八重の面倒を見ていたが、あまりに物忘れがひどくなるばかり。ある日、妹・妹・志賀子の夫が交通事故で入院することになり、八重を洪作が引き取ることになるのだが…というストーリー。

ボケた母親との生活を綴った、どちらかといえば緩いお話にもかかわらず、何故か作品全体に緊迫感が漂う。なかなか惹きこまれる。これは編集の技だと思う。言葉で表現するのがとても難しいのだが、観ている側が予想する場面展開のタイミングを微妙にはずして緊迫感を作っている。特に、母・八重が登場するシーンではあからさまに、異質な空気感を演出している。市川崑作品のそれに通じるものがある。これが、原田眞人監督によって生み出されているのか、息子の原田遊人によって生み出されているのかが定かでない。私は、賞するに価する仕事だと思う。

子供の頃に母に捨てられた…と思っている作家が主人公。井上靖の自伝的小説とのこと。その、否応なしに大海に投げ出されたような記憶が、作家としての感性を育んだという設定。でも、どういう作風なのか、作中では描かれていないので、どういう影響を受けたのかよくわからず(井上靖を知ってりゃ自明だろ…といわれるかもしれないが、この映画はこの映画なので、この作品の中で描ききるべきかと)。

凄く気になるのが、家族全員が八重のことを、非常に暖かい目で見守り、接しているという点。同じ言葉を繰り返す、偏執して譲らない、俳諧する、おかまいなしに悪口をいう…などなど、ありがちな痴呆老人の姿なのだが、全編通してこの姿しか出てこない。三人娘がおばあちゃんと会話しているシーンなど、ボケたおばあちゃんを半分馬鹿にしているようで、人によっては不快に感じるかも…と思うほど。実の娘にいたっては、奇行の末に使用人よばわりで、不快な思いしかしていない。でも、みんなが八重のこと心配し、亡くなった際には、かけがえのない人を失ったかのように号泣するのである。
いや、老人を大事にすることは良いことだし、老母を敬うことがおかしいといっているのではない。でも、ここまで苦労させられているのに、彼らがやさしく見守り、労力を傾けるのは理由があるんだろう?きっと、ボケる前はいいおばあちゃんで、いい交流があったんだろう。それを描くべきなのだ。娘はまだしも、孫の琴子がそこまで祖母に肩入れするには、絶対にそう思うに至る理由があるはず。で、それら女達と八重のいい関係と、子供の頃に母に捨てられた…と思っている息子とのぎくしゃくした関係が対比されることこそ、本作の演出上重要なのではないか? と私は思うのである。

(ネタバレ)
おぬいばあさんに預けられている間に、八重が息子の様子を伺いに足を運んでいたことを知り、母の愛を確認する…という流れなのだが、どうもここがきちんと描ききれていないのが気になる。八重は台湾からはるばる沼津まで様子を見に来ていたということか?それとも台湾に渡る前か?それとも台湾から戻った後に、すぐに息子を引き取れずに、見守るだけの時期があったのか?どれなのかさっぱりわからない。原作では、そのあたりが描かれているのだろうが、本作では、結果的に消化不良になっているのが残念。よって、洪作が八重への感情を劇的に変化させるほどのものなのか否か、ピンとこないため、最後のトラックで徘徊→渡米から離脱→海岸で待ってる…の流れもぼやけてしまった。
おばあちゃんの思い出を、作品の中の家族と、我々観客が共有することができなかった。これは、いまいち本作が心に響かない原因である。編集の良さとシナリオの詰めの甘さのギャップが、非常に残念な作品。
#娘の彼氏であり元付き人である人間を、コンクールで選出するって、身内エゴも甚だしいな。私は下品…と思ってしまったのだが…。

宮崎あおいは、幼い時期から大人になるまで、見た目に違和感がない便利な役者だと思う。でも、服装が変わっただけで、演技の上で成長を演じることはできていない。個人的にあまり好きではないからかもしれないが、漂う既視感が、作品に没頭するのを邪魔する。

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image1983.png公開年:1960年
公開国:日本
時 間:107分
監 督:大島渚
出 演:桑野みゆき、津川雅彦、小山明子、渡辺文雄、芥川比呂志







霧深き夜。新安保闘争で結ばれた野沢晴明と原田玲子の結婚式が行われていた。野沢はかつて学生運動の指導者で、今はあり新聞記者をやっている。そこへ、指名手配中の後輩の太田がやってくる。太田は、六・一五闘争の時に、国会に向ったまま行方不明になった北見の話を始め、彼が行方不明になったのは野沢と玲子のせいだとなじるのだった。さらに、会場に野沢と同期の宅見が現れる。彼は10年前に起こった”あるスパイ容疑事件”の末、自殺した高尾の過去が告げられ、党のやり方を厳しく糾弾するのだった…というストーリー。

もうね、♪体を鍛えておけ~♪って歌で、頭がおかしくなりそうになったよ。彼らのクレイジーさを象徴する歌だった。

これ、公開から4日で上映中止になったっていう逸話がある作品。何か内容が過激だとか問題があるとかそういう側面があるのかと思ってたんだけど、単に興行的に失敗するのが見え見えだったから止めただけでしょ。だって、映画としては、つまらんもん。上映中止に憤慨して大島渚は松竹を止めたらしいけど、大島渚としたら意図どおりの出来映えだったから、なんでやねん!って気持ちだったんだろうね。だけど、金払って観たら、こんな内容で、あんな終わり方だったら、いい加減にせいや! 金返せや! って怒る人が7割はいると思うよ。

娯楽要素が微塵もない作品なんだけれども、製作意図はよくわかる。平気で5分以上ワンカットのシーンとかがあるし、演者のセリフなんか咬んでもそのまんま使う。セクトのリーダーみたいな人なんて、わざと咬んでるんじゃないかというくらい、定期的に咬む。とにかく、リアルな緊迫感を出そうとしている。実験映画っていう人もいるけど、製作側はそういう計算はないと思う。

最後の終わり方も意図はすごく良く判る。いくら否定しようが折れることなく詭弁を弄する救いようのない馬鹿がリーダー気取りで、他人を糾弾しつづける声が響くなか、「どうしようもねえや…」って思いと、「こんなこと一緒にやってきた自分てなんだったのか…」って思いとが入り混じった、途方も無い虚無感と脱力感に襲われている。でも、もう時間は戻らない。

でも、いくら当時の出来事の知識があったとしても、安保闘争を身近で感じていないと、やっぱりピンとこないんじゃなかろうか。それは、当時の人も一緒で、地方の人とかデモをやってるのを尻目に普通に生活していた人には、ピンとこなかったと思うんだ。
日米安保成立から時間をおかずに製作され公開されていて、異例のスピードだったのかもしれない。製作した本人は自分の鼻の効き具合と馬力に自画自賛するほどだったかもね。でも、世の中の人々の記憶の忘却のスピードや、移り気の速さはそれ以上だと思うのよね。

でね、今の私たちがこれを観て感じることが一つだけあると思う。残念ながら、この作品に登場する救いようのない馬鹿どもは、現在だと年金をもらっていい年齢になったくらい。つまり、いまの経済界や政界で、第一線でございますって顔をしているわけだ。全共闘世代とかだよね。学生運動してた頃のことを、自慢げに話す、あの恥ずかしい馬鹿どもだよ。
この登場人物たちの、ペラペラ喋っている内容を聞けばわかるでしょ。問い詰めてももっともらしいことではぐらかすてばかりの奴。自分が追い詰められると相手の粗をみつけてそこを攻撃して悪者のレッテルを貼る奴。経団連の米倉とか、坂本隆一とか、そういうやつらの言い草そのまんまなの。

この映画の最後は、自己批判とか総括とかいう共食い状態になるんだけど、この思考回路は、行き着くとこまで行くと、日本赤軍なんかで行われていた陰惨な内ゲバになる。そういうオチまで歴史上刻まれてるのに、この世代は救いようのない馬鹿だから、いまでもエラそうにしてるよね。
そろそろ、下の世代が突き上げてご退場していただくしかないんだけど、ソフトにご退場していただくことになるか、ハードにご退場していただくことになるのか。これから10年、見ものだけど、多分後者だろうね。

別に観なくちゃいけない作品ではないな。というか、107分は別のことに使ったほうが世のためだな。

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imageX0070.Png公開年:1961年 
公開国:日本
時 間:108分
監 督:今村昌平
出 演:長門裕之、吉村実子、三島雅夫、小沢昭一、丹波哲郎、山内明、加藤武、殿山泰司、西村晃、南田洋子、中原早苗 他
受 賞:【1961年/ブルーリボン賞】作品賞




横須賀にアメリカの軍艦が入ると、米兵相手のキャバレーや飲み屋が活気付く通称・ドブ板通り。そこで、売春稼業で一儲けしていたヤクザの日森一家だったが、当局の取り締まりを受けてしまい商売ができなくなってしまう。そこで、米軍基地から出る残飯で養豚をすることを思いつく。基地の残飯処理の担当であることハワイ出身の日系アメリカ人サキヤマに賄賂を渡し、なんとか畜産業を軌道に乗せるのだった。日森一家のチンピラ欣太は、豚の飼育係を任されたる。彼は、この仕事を成功させて、恋人春子と所帯を持つことを夢見ていた。そんなある日の早朝、欣太は兄貴分の鉄次にたたき起こされる。鉄次は流れやくざの春駒の死体を処分するのを手伝えと命ずる。万一の場合は兄貴の身代わりに服役しろ、そうすれば幹部だ…と言われ、単純な欣太は安請け合いしてしまうのだったが…というストーリー。

今村昌平監督作品自体、あまり観たことがないが、やはり名監督といわれる人は、初期作品でも一味違うもんだな…と。喜劇にカテゴライズされてる場合があるが、“コメディ”とはちょっと違う。浅はかで愚かな人たちだけど、一生懸命生きている様子が滑稽だということ。直球で喜劇をやってるのは、鉄次役の丹波哲郎だけ。もう、晩年はバラエティ番組でイジられてばかりの人だったけど、先日の『日本沈没』も本作も役者として良い仕事をしているね。
野村芳太郎のコメディが面白かったので、戦後のこの手の作品にちょっとハマりぎみなのかも。

戦後の混乱の中、米軍のおこぼれで生きる人々。それが悪いというわけではなく、そうしないと生きられない人もいるし、ちょっとした日本人とのプライドを捨てるだけで少し裕福な生活ができるという現実がそこにある。そのプライドの川を越えるか越えないか。
米軍のおこぼれで生活し、それに多大に依存している生活。なんとかうまくやっているようにみえて、実はアメリカに首根っこを掴まれているような生活でいいのか?という問いかけ。男は残飯を貰い、女はオンリーになり、ちょっと生活が豊かになる。で、豊かになるだけならいいとしても、そういうおこぼれ生活をしていない人を見下し始める。見下されたほうも、うらやましがったりする。そんな状況を俯瞰で観て、なんか滑稽だな…と。”軍艦”がアメリカのことであるのは間違いないのだが、“豚”にはそういう色んな意味が含まれる。そういう視点の作品。
ラストの春子の旅立ちのシーンは、印象的だし感慨深かった。ただ、今でも米軍基地があるところでは、多かれ少なかれ、似たような状況であるというのが、笑えないわな。沖縄とか。

ウィキペディアを見たら、春子役の吉村実子は芳村真理の妹とか。まあ、似てなくもないか。凛としたイメージがドブみたいな世界の中で光る。でも、パッと輝くような晴れやかなイメージじゃなくって、若いのに鈍い色を放っているような感じ。デビュー作なのに、すんごくいい味を出してるんだけど、いきなりこういう汚れ役をやると、当時の映画界を考えると、路線の変更は難しかったろうね。

ドブをのた打ち回る“豚”たちの生き様を愉しんでほしい。軽くおすすめ。

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image1949.png公開年:2011年
公開国:日本
時 間:129分
監 督:沖田修一
出 演:役所広司、小栗旬、高良健吾、臼田あさ美、古舘寛治、黒田大輔、森下能幸、高橋努、嶋田久作、平田満、伊武雅刀、山崎努 他
受 賞:【2011年/第24回東京国際映画祭】審査員特別賞
コピー:雨でも… きっと晴れるさ。
無骨なキコリと気弱な映画監督のちょっといい出会い――


人里離れた山間の村。林業に従事する岸克彦は、三年間に妻を亡くし、息子の浩一と二人暮らし。しかし、浩一はすぐに仕事を辞めてしまい、家でふらふらしており、まじめな克彦はイライラを募らせる。そんなある朝、仕事に向かうを行く克彦は、立ち往生している車を発見。そこに乗っていた二人は、ゾンビ映画の撮影にやってきた監督・田辺と鳥居だった。放っておけない克彦は、彼らのロケハンの付き合い、挙句の果てにゾンビ役のエキストラで出演することになっていしまう。映画主演を仕事仲間からからかわれるも、まんざらではない克彦だった。一方、監督の田辺は、その気弱な性格からスタッフをまとめられず、撮影が一向に進まないことを苦にして、一人で東京に逃げ帰ろうと、夜半にこっそりと駅に向かう…というストーリー。

絶対に接点がうまれそうもない、林業のおっさんと映画監督。妻を失い定職に就かない息子と二人暮らし。昔にやった仕事上の事故で肺を潰してからタバコは禁止。その後は甘いものでストレス解消してたんだろう。そうしたら糖尿病予備軍になっちゃって甘いものも禁止。いったい自分は何を楽しみに生きていけばいいのか。うんざりしていたんだろうね。そんなときに、非日常である映画撮影の現場と遭遇。
はじめはそんな自分の日常を乱すやつらとしか思っていなかったけど、撮影現場を目の当たりにしたら、もう興味はとまらない。
はじめはただの小間使いの若造だと思ってたら、なんと映画監督。自分の息子と同じ歳くらいなのに映画監督だって。すげー。でも、なんか悩んでる。自分の息子は手を差し伸べても聞きやしねえ。でも、この若造や撮影現場のやつらは自分を頼りにしてくれる。もうとまらない。死んだ妻の法事を忘れるくらいはまる。
はじめに、ゾンビ映画のシナリオを読んだとき、克彦さんはちょっと泣いちゃう。でも、さすがにその話が面白かったってことではないと思う。異質な物と遭遇したインパクトとか、それこそコペルニクス的転回みたいな衝撃だったんだろうね。いやぁ、この役所広司演じる克彦さんが、じつに可愛いんだ。

『南極料理人』の監督さん。ゆるーい感じはこの監督さんの持ち味なんだろう。でも、ダメな部分も同じだった。それは構成の配分。
この若い監督さんはなんでイヤになっているのか。おそらく助監督やカメラマンにやいのやいの言われ、演者からもまったく尊重されていないからなんだとは思う。助監督は若造に監督をやられるのは気に喰わないだろう。カメラマンは煮え切らない監督の態度が気に喰わないんだろう。でも、もうちょっとその変をはっきり描けがよかったのではなかろうか。もっと個々の人物のバックボーンを使わなくても設定上は掘り下げておくべき(助監督の家族構成やこれまでの経歴、好きな映画、好きな食べ物…までね)。そうすれば、小さな所作や持ち物や仕草で、いろんなことが表現できたと思う。
#食べ物を含む小道具には拘っているんだけねえ…。拘る場所がちょっとズレてる気がするのよ。
そのへんをぼんやりと描いたために、克彦さんが映画にどっぷりはまっていくまでが長くなってしまった。はっきりと加担していくのが70分くらいだからねぇ。それまで映画の方向性がふらふらしている。
そこが遅れたせいで、巻き込まれた村人がどんどん愉しんでいく様子が、描き足りてない。はじめはいいかげんだった臼田あさ美演じる若手女優も、村人に引っ張られて、くだらないことをいうのをやめて打ち込んでいう姿も、もっと描けたはず。いよいよ村人とスタッフが渾然一体となって盛り上がったところで、“法事を忘れてた…”が生きるのだが、コントラストが甘くなってしまった。息子とのくだりもそうだな。
もっと『タンポポ』のような、どんどん周囲の人を巻き込んでいくような、目の前の霧が晴れるような演出にできたのではないだろうか。

『南極料理人』が堺雅人の演技に救われたように、本作も役所広司が救った。悪いけど小栗旬の役は別に彼じゃなくてもよかった。ARATAでもいいし濱田岳でもいいし瑛太でもいいわ。とにかく役所広司がこの映画は俺がしっかりしないとポンコツ映画になっちゃう…とばかりに入魂で愛すべき人を演じきったから成り立った。
キャスティングの甘さの局地は臼田あさ美。B級女優の役かもしれんけど、本当にB級の演技では困るんだ。ここは、ゴシップ的な意味じゃなくて器用貧乏の山田優とか、性的なイメージを忌避したいなら勝海子(梅酒のお姉さんね)とか、もっとマッチした人はいるがな。

それに、こういう映画で、エンドロールで、劇中撮影していた映画を流さないということがありえるかね(笑)。あえてやらなかったんだろうけど、そんな格好つけられるレベルには達して無いよ。

まあ、色々文句を言ったけど、お上品にまとまった愉快な作品。観て損はないことは保証する。
#『かもめ食堂』の荻上直子なんかと同じ部類の“草食系”監督ってところかな。

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imageX0057.Png公開年:1961年
公開国:日本
時 間:88分
監 督:渋谷実
出 演:笠智衆、岩下志麻、淡島千景、川津祐介、高峰三枝子、乙羽信子、北林谷栄、三木のり平 他





奈良の大学の数学教授・尾関は、研究者として世界的に有名だが、数学以外のことにはまったく無頓着で、周囲の人々からは奇人と思われている。妻の節子との結婚生活は30年にもなる。娘の登紀子は市役所に勤務しており、現在同じ職場の佐竹と縁談話が進行中。登紀子も佐竹も両想いで結婚には前向きだが、老舗の墨屋で体面に固執する佐竹の家は、変わり者の父親であることと、養女で実の親の顔を知らないという登紀子の生い立ちから、快く思っていない。登紀子も、はたして父が、嫁ぐことを許してくれるのか気がかりで、奈良の大仏様に願掛けする毎日で…というストーリー。

世界的数学者って何の研究してるのかわからん。けど、世事に頓着が無く浮世離れしたキャラってことで十分。こんな50年も前に、風変わりな数学者の映画なんてのがあったんだね。ほのぼの『ビューティフル・マインド』って感じ。

舗装もしていない戦後間もない奈良の街並みが、新鮮。だけど、それほど雰囲気や空気感は変わっていない。闇雲に文化財を保護するのもどうかと思ったけど、がんばって残すのも悪くないってことか。
#奈良県民は大仏殿の拝観って無料なの?

娘の恋人の佐竹とやりとりや、勲章を盗みに入った泥棒を逆に慮ってしまう様子など、実に滑稽で微笑ましい。たまにイラっとするのも実にいい味で、共感できる。言っても仕様がないことは言わないっていう姿勢が、時には周囲の人をイライラさせる(それが、妻をキッチンドランカーにしている原因だったりもする)。
“好人好日”ってのは、良い人のところには良い日々が訪れる…とかそう意味かな。このタイトルにふさわしい人格を体現しているのが、この尾関という教授。彼は主人公っていうより“妖精”だね。彼の人物像は完成していて変化がないから、主人公は娘であり淡島千景演じる妻だと思う。

その娘を演じる岩下志摩は口角の上がり方が絶妙で、とってもキュート。でも、本作の彼女はなんか歯の色がきれいじゃない。逆にそれが時代を感じさせてリアルだったりする。
彼女は出生の秘密を知ったところで、大号泣するのだが、何であそこまで泣くのか。元々はどっかのお嬢様で事情があって…なんて可能性を想像していたのかな。戦後の状況お考えたら、そんなことまずありえんとおもうんだけど。
その場面で、数学者が人生における偶然を説くんだよね。それも面白い。その発言に、いっさい忌憚が無い。天衣無縫のこの男のいうことがいちいち腑に落ちて、憧れるすら覚える。

最後に、勲章をなくしたことを謝罪しろという元軍人。昔はこんな狂人だらけだったんだろうな。まあ、いまでも老害馬鹿はウヨウヨいるけどさ。教授と対極にいる人物を出すことで、日本国民の思想の幅を表現してるわな。

まったく知らなかった監督の作品だけど、当たりだった。ほっこりした気持ちになれた一作。お薦め。

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image1900.png公開年:2011年
公開国:日本
時 間:102分
監 督:板尾創路
出 演:板尾創路、浅野忠信、石原さとみ、前田吟、國村隼、六角精児、津田寛治、根岸季衣、平田満、木村祐一、宮迫博之、矢部太郎、木下ほうか、柄本佑、千代将太、佐野泰臣 他
コピー:俺はいってぇ誰なんだ――




昭和22年。顔中に包帯を巻いた復員兵が、突然寄席に姿を現わす。彼がもっていたお守りから、森乃家天楽師匠の弟子で、将来を期待されながらも兵隊にとられ戦死したとされていた落語家の森乃家うさぎと判明する。しかし、男は一切の記憶を失っており、自分が落語家であったことも、将来を誓い合った師匠の娘・弥生のこともすっかり忘れていた。しかし、師匠も弥生も他の弟子も、うさぎを温かく迎え入れ、記憶を取り戻すために森乃家小鮭という新たな芸名で高座にもあげるのだった。以前の彼の芸風とはまったく異なっていたが、徐々にそれなりの人気が出始めたこと、もう一人の男が戦地から復帰してくる。その男こそ、本物の森乃家うさぎこと岡本太郎。その姿を見て、弥生は激しく動揺するのだったのだが…というストーリー。

連日の板尾創路関連作品。
DVDには、本作の着想を得たという落語『粗忽長屋』が特典映像で収録されている。劇中では板尾創路が演じる男がボソボソと漏らすだけなので、知らない人は始めに観ておくことをお薦めする。

実は私も考えていた…的な野暮なことはあまり言いたくないのだが、冒頭などに出てくる“荒野に富士山”の映像で「おや?」と思ってしまった。というか、『粗忽長屋』を聞いた時に私もそれは考えたことがあるのだ。「俺はいってぇ誰なんだ」って呟く人間が粗忽者かと思いきや、登場人物みんなが粗忽者だったとしたら?一番の馬鹿だと思っていた人間が、実は一番始めに気付いた人間だとしたら?
江戸は実は“穢土”だった…ってこと。しりあり寿の弥次喜多とか、手塚治虫の火の鳥(異形編)に似た世界ということだ。
そして、石原さとみ演じる弥生の「ずっと満月のまま」という台詞で、その気付きは確信に変わる。

最後、森乃うさぎが力車に乗っているシーンで終わるので、全部彼の妄想?っていう解釈もあるけど、それは違うと私は思っている。
実は、みんな思い残したことをしっかりとやりとげている。一門会を開く、兄弟子を超えて真打と期待される、森乃うさぎの名を残す。そうなると、弥生が思い残したことっていうのは、恋仲の男が出征して悶々としていたのを解消すること…っていう身も蓋もないことになっちゃうのだが、そう考えると石原さとみはその役をしっかり演じきっているよね(溺れたうさぎを助けないのも納得)。
顔も全然違うのに(顔が佐清状態ってわけでもないのに)、間違うわけないだろ!というつっこみも、思い残した人だらけのそういう世界だから別に変じゃない…と。

そうなると板尾創路演じる男は、まるで僧侶のような役回りなのだが、女郎屋らしき所の地下を彫り続けるところとドクター中松のくだりについては、ストーリーのどのピースにもはまらず、正直困惑している。でも、デビット・リンチの演出が許容できるならば、板尾創路によるこのような投げっぱなしの謎を許せないということはなかろう。リンチなんてもっとクレイジーだぜ。本作に関して、納得いかないとかつまらないとか文句をいう人が散見されるが、そういう方々はリンチもダメ。要するに、好みがパックリ別れる作品だということである。私はオールOK。

笑顔で死んでいく=成仏。森乃うさぎは戦地で死んでいるが、東京も空襲で死者累々。アジア進出で日本は非道扱いされるが、民間住宅地を直接攻撃するほうが、よっぽど非道だろうが。戦争に負けると、ABCD包囲網で出ざるを得ない状況に追い込まれたにもかかわらず犯罪者あつかいされ、戦時国際法を犯したほうが正当化されるんだぜ!という皮肉まで含まれているとしたら、大したものだか、そこまで考え及んでいるか否かは不明。

私は、『板尾創路の脱獄王』でその才能を高く評価しており、少なくとも松本人志の4倍は映画・脚本の才能があると思っている。次回作に期待。この人は期待されたからといってスカしたりはしないしね。私がもしこんな作品を作ることができたなら、満足で数日身震いしていると思う。板尾創路うらやましい。

 

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image1878.png公開年:2011年
公開国:日本
時 間:128分
監 督:瀧本智行
出 演:西田敏行、玉山鉄二、川島海荷、余貴美子、温水洋一、濱田マリ、塩見三省、中村獅童、岸本加世子、藤竜也、三浦友和 他
コピー:望みつづけるその先に、きっと希望があると思う。




夏の北海道。林の中にあったワゴン車から、中年男性の白骨死体と、犬の遺体が見つかる。男性は死後半年が経過しており、犬は死んでからそれほど経過していない模様。車のナンバープレートは破棄され車体番号も削られており、身元がわかる持ち物は一切なかった。遺体の処理にあたった市役所の青年・奥津は、この男性と犬ののことが気になり、唯一の手がかりである現場にあったレシートや書類を頼りに、身元を捜すことに。そして有給をとって書類に書いてあった東京の住所まで、自分の車でやってくるのだったが…というストーリー。

めずらしく原作マンガを読んでいた。泣くまい…と思っていたが、流し読みだったにもかかわらずウルっときてしまった。犬の力おそるべし。このまま映画にすりゃあ、どうころがっても泣ける作品になるわな…と思っていた。しかし、なんと、泣けなかった…。なんじゃこりゃ。

原作マンガの『星守る犬』は、中年男性と犬の死体が見つかったところからはじまり、その中年男性がそこに至るまでの経緯を順を追って進む。しかし本作は、死体を発見した役所の青年が、中年男性の身元を調べる旅をベースに展開する。どうもこれは『続・星守る犬』という続編作品の内容らしい(そっちは読んでない)。このストーリーは、中年男性と一緒に旅するから泣けるのだ。役所の青年の目線になったって泣けやしない。

まあ、役所の青年が、調査の過程で出会った人の証言で、ストーリーを構成しよう…、そう思ったならそれでもいいさ。上映時間を長くするためにそうしたのかもしれない。でも、それなら、証言だけで話を進めることを貫けよ。早々に、青森の段階で証言でもなんでもなくなってるじゃないか。そういうポリシーの希薄な演出って興ざめするんだよね。

函館から北上して岩見沢にいって石狩とか、変なルート。石狩のほうが先じゃね?岩見沢の職安に行く途中にもっと職安あるし。それに名寄の寒さをなめちゃだめだよ。暖房のない車の中では、数日も持たないから。せめて寝袋とか毛布とか、生きられる装備を入手させておけよ。

とにかく、この構成でGOサインを出したやつが戦犯。この脚本家は映画の脚本の才能ないよ。
そして玉山鉄二のセリフ廻しがヘタすぎる。せめて、困窮して死んでいくんだから、西田敏行はデ・ニーロばりの体重変化を見せてみろっての。気合が足りない。泣けるものを泣けないものにできるなんて、みんなすごい才能だよ。
がっかりの極み。

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image1889.png公開年:2008年
公開国:日本
時 間:237分
監 督:園子温
出 演:西島隆弘、満島ひかり、安藤サクラ、尾上寛之、清水優、永岡佑、広澤草、玄覺悠子、中村麻美、渡辺真起子、渡部篤郎、板尾創路、岩松了、大口広司、大久保鷹、岡田正、倉本美津留、ジェイ・ウェスト、深水元基、吹越満、古屋兎丸、堀部圭亮、宮台真司 他




園子温監督作品は初見。色んな人のレビューをみるともっとグッチャグッチャなのかと思ったけど、そうでもなかった。

上巻は、エロ、暴力、狂気を各キャラクターを切り口に重層的に描いており、和製タランティーノか!って思うくらい。だけど、タランティーノ的な手法は見飽きた感はあるし、和製が必要なわけでもないし…。
コスプレ、盗撮、女装など、ある意味“日本”の歪んだサブカルチャーとして外国人の目に映る姿がそこにはある。血しぶきドバーなシーンについては、海外作品でもよくあるのでどうってことはないが、“変態”的な表現については、海外には新鮮に観えたかもしれない。まあ、日本人からすると馬鹿馬鹿しさが先に立つが。
#ラブとアガペーの混同について、指摘するのが気恥ずかしいくらい。

パンチラというくだらなさがガス抜きになっているおかげで、バランスがとれているだけで、エグい虐待のオンパレード。意図的にバランスを取っているなら大したものだが、それが作為なのかどうかよくわからん。メインキャストのユウとヨーコとコイケの唯一の共通点は親から虐待された…という点。そこからも、本作の異常さが伺えるというもの。

下巻は、『サテリコン』ばりの狂気、邪教、サド・マゾ、調教の世界。破滅的な展開しかないだろうな…という大方の予想通り、各者が破滅していく。上巻にはまだあった幾ばくかのスタイリッシュさは鳴りを潜め、匕首を突きつけ続けるような膠着と、一度刺してしまった後は、ただグサグサと同じところを刺し続けているようなどうしようもなさで満たされる。

コイケがなんで、ユウの発狂を見て自刃するのか。正直、唐突に映ったが、まあ、それが目的だったから…ってことなんだろう。
地域の教会をまるごと勢力下に置く事が目的だったはずなのに、神父夫婦を巻き込むだけという成果で、なんで良しとされているのかはよくわからんし。それを言い出したら、ユウの女装が気付かれないのはいくらなんでも…とか、変なところは散見される。

4時間があっという間だったという人もいるようだけど、確かに引き込まれる展開で飽きはしなかったが、4時間は4時間だったと思う。ブラッシュアップすれば3時間ちょっとくらいならまとめることはできたと思う。でも表現したいことはすべて愚直に表現して、匂わせて終わらせるとかは一切していないのでこの時間になったのかと。それが意図的なのかこだわりなのかもよくわからない。演技も演出も良いんだが、「こりゃいいゾ!」とか「すごいもん観ちゃったな~」とまで思わせてくれないのは、サブカル的な枠を超えさせないための“ワザと”ならば、それはそれで感心する。個人的な好みからは外れているのだが、注目される理由はよくわかる作品。

ああ、そういえば、本作の主人公ユウも、昨日の『馬鹿まるだし』と一緒で、純粋ゆえに女性と関係をもてない“妖精”さんだなぁ。日本独特のキャラなのかもしれない。

園子温への文句ではないのだが、長いから上下巻に分かれるのはかまわんけど、別々にレンタルするのが納得できん。いくらなんでも二本分の値段の価値はないわ。セットでレンタルしろよ。

 

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imageX0051.Png公開年:1955年
公開国:日本
時 間:124分
監 督:成瀬巳喜男
出 演:高峰秀子、森雅之、中北千枝子、岡田茉莉子、山形勲、加東大介、木匠マユリ、千石規子、村上冬樹、大川平八郎、金子信雄、ロイ・H・ジェームス、出雲八枝子、瀬良明、木村貞子、谷晃、森啓子、日吉としやす 他




戦時中、農林省のタイピストとしてインドシナに赴任したゆき子は、日本に妻を残して赴任している富岡という男と出会う。はじめは皮肉家の富岡に悪印象をいだいていたゆき子だったが、やがて愛し合うようになる。終戦を迎え、富岡は「妻と別れて君と一緒になる」を残し先に帰国。その言葉を信じて、富岡の家を訪れるゆき子だったが、富岡は一向に妻を別れる気配を見せない。途方にくれたゆき子は富岡と別れることを決め、生きるために米兵の情婦となる。しかし、富岡と再開するとゆき子の心は揺れ、結局よりを戻すことに。二人はしばらく伊香保温泉に隠遁するが、なんと富岡は飲み屋の若妻おせいに手を出してしまい…というストーリー。

そりゃぁカテゴリは文芸作品なんでしょうけど、高尚な文芸作品と捉えるのは、どうかと思う。終戦直後の“だめんずうお~か~”、正にそんなレベル。
ここまで、昔も今も男女で繰り広げられていることに違いがないことを見せられると、人間はそういう生態の生物なんだ…と断言せざるを得ない。的を得ているという意味では慧眼だが、文学的という意味じゃなく生物学的って意味でね(笑)。

男女の情欲の刹那さと捉えられなくもないが、ちょっとそういう次元ではないな。高峰秀子演じるゆき子は、堕ちるところまで堕ちているもの。義兄に手篭めにされて、逃げた外地でも妻アリの男にはまる。さらにいずれ妻とは別れて…という言葉を間に受けて、それがままならぬとなったら、生きるために売春婦まがいに身をやつす。それでもなぜだか義兄にはつきまとわれる(こりゃ地獄)。
それでも富岡との関係はずるずる続き、妊娠までするが、別の女に寝取られる。そんで、泣きついた先が、自分の人生を狂わせた発端でもある義兄って、もう、なんだかね。
#その義兄が宗教法人を啓いて金持ちになってる展開とか、斜め上。下衆の極み。

男のほうは、間違いなくクズ人間だが、割れ鍋に閉じ蓋とは正にこのこと。富岡がモテモテのように見えるかもしれない。しかし、ゆき子もおせいも、彼と同じ臭いの種族。お互いに依存しているだけだ。終戦間際ということもあり、街という街のいたるところがとにかく小汚くて、油断すると「社会のせいなのかなぁ…」とか「戦争のせいなのかなぁ…」とか、同情してしまいそうな気持ちがもたげてくるけど、「いやいや、こいつらがクズなだけだから!」と正気に戻ること度々(笑)。

『花の命は短くて苦しきことのみ多かりき』有名なこの一文は、この作品なのだな。花っつっても色々あるなぁ。世の中が貴方たちにつらくあたってるんじゃなくて、貴方たちがつらい生き方に寄っているようにしか見えないのよ(まあ、うまくいかない人生ってのは、往々にしてそういうもんなんだけどね)。

こんなダメ人間たちの所業を眺めていることなんかさぞや苦痛だろう…と思うだろうが、そうでもなかったりする。定期的にスペシャル番組が作られる“警察24時”で、ダメ人間を眺めるのは面白い。ラジオの生活相談みたいなので「アホか…」っていたくなるような内容だって、聞いてる分には面白い。
#本作と同様の経験をしたことがある人は、痛々しくて観ていられないかもしれないけど。
手放しに良作と評価するのはいかがなものかと思うが、レディコミ感覚で観る分には愉しめる作品。
#岡田茉莉子がデヴォン青木に見える。

 

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image1467.png公開年:2008年
公開国:日本、オランダ、香港
時 間:119分
監 督:黒沢清
出 演:香川照之、小泉今日子、小柳友、井之脇海、井川遥、津田寛治、児嶋一哉、役所広司 他
受 賞:【2008年/第18回日本映画プロフェッショナル大賞】ベスト10(第2位)
コピー:ボクんち、不協和音。



竜平は平凡なサラリーマンだったが、家族のために懸命に働いてきた。しかし、ある日突然リストラにあい会社をクビになってしまう。プライドの高い竜平は、どうしてもその事実を家族に伝えることができず、毎朝スーツを着て家を出ては、職安や公園などを巡る日々を重ねるだけだった。妻の恵は、夫はもちろん二人の子供からも大事にされず、自分を見失いかけていることねの不安と不満を募らせていた。一方、長男の貴は突然米軍への入隊を決め、次男の健二は給食費をくすねて家族に内緒でピアノ教室へ通うようになる。家族それぞれの心は、散り散りに離れ…というストーリー。

総務部で業務のアウトソーシングをすることはありえる話。でも部署がなくなったからといって辞める必要はなかろう。劇中でも別にクビを言い渡されたわけではなく、部署転換を強いられただけ。あまりに無礼な扱いをされたから、その場で辞めるって啖呵切っちゃったんだよ!って言いたいのかもしれないが、子供が二人いて家のローンもあるオッサンが、そうそう辞める決断をするわけがない。啖呵をきった場面はなかったしそれを臭わせる描写もない。
リストラにあった人が、家族にそれを言えなくて普通にスーツをきて家を出るなんて話は、確かに聞いたことがある。だけど、本作に限って言えば、そこまでひたすらに隠さねばならない理由が見当たらない。仮にすぐに次の仕事が見つかったら、実は転職したんだよ…っていうつもりだったのだろうか。プライドの高い男なんだよって、言いたいのかもしれないが、それにしても程度が過ぎるだろう。
早々にそんなことができないことくらい見え見えなのに。世のサラリーマンお父さん像からかなり離れていると思う。はっきりいってリアリティがない。

こういう展開をみて、頭をよぎったことは、脚本家も監督もまともにサラリーマンをやったことがないんじゃないか…ってこと、そして、取材が足りないんじゃないか…ってこと。そして、日本人の職業観がわかっていないんじゃないか…ってこと。
これから観る人には申し訳ないが、冒頭から40分くらいまでは、はっきりいって、モタモタ、グダグダの繰り返し。身近にありえるテーマなのに、会社員というものをぞんざいに扱われているようで、はっきりいって気分が悪かった。

その他にも、取材不足なんじゃないという点が散見される。グリーンカードも持たない未成年の日本人が米軍に入隊できるものだろうか。親の承諾がどうのこうのって、そんな次元の話なんだろうか。これはどこの並行世界の物語か。それとも私の知識が足りないのか。

どうみても小学生にしか見えない男の子を、黙秘したからといって成年と同じ扱いにするだろうか。指紋をとるだろうか。一般の犯罪者と一緒の拘置部屋に入れるだろうか。生活課など未成年を扱う部門に渡すのではないだろうか。役所や教育委員会など関係各所に連絡するのではないだろうか。“不起訴”という扱いになって放り出されるなどということがありえるだろうか。

はっきり言おう。私はこれらの描写をみて、黒沢清はバカなんだ…と確信してしまった。

しかし、40分を過ぎたところで一変する。小泉今日子演じる母親が、ソファーに寝た状態から上に両手を伸ばし「だれか引っ張って…」と言ったその瞬間から、ストーリーが動き始めるのだ。はっきりいって、この映画は小泉今日子に救われた。彼女の吐き出すのをギリギリで抑えているような演技。これだけが見所である。そして、こんなタイミングで、こんな役に役所広司を使うか…という部分は評価する。

とはいえ、そんな彼女のいい演技も、いくら海の近くの小屋だからって、エンジン音が聞こえないわけないじゃないか…というツッコミと、岸壁から落ちるならまだしも、なだらかな砂浜から海にめがけて車を沈められるわけはないじゃないか…(途中で止まる)というツッコミで台無しになってしまうのだが。

よく事情にわからない外国では、ある程度の評価は得られるかもしれない(というかごまかせるかもしれない)。百歩譲って、これは“トウキョウ”という、この地球上でもないどこかのファンタジー世界のお話だったとしよう。でも、もう一回言おうじゃないか。黒沢清はバカなんだ…と。
そして、最後のピアノのシーン。何が言いたいのか、何を意味するのか、私には何も伝わってこなかった。

決して香川照之の演技は悪いわけではないが、他の作品と錯誤するくらいにどこかで観たような演技で、胸焼けしそうなんだ。

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image1426.png公開年:2009年
公開国:日本
時 間:122分
監 督:真利子哲也、遠山智子、野原位、西野真伊
出 演:堺雅人、寺島しのぶ、柄本佑、板尾創路、団時朗、MINJI、深水元基、永井努、竹嶋康成、筒井真理子、塩見三省、塩谷瞬、大鷹明良、田村泰二郎、重松収、近藤良平、山本光二郎、佐藤江梨子 他
コピー:絶望は、なんて希望にあふれているんだろう



虐待されていた生い立ちから、神に救いを求めて宗教団体に所属する青年・河原崎。相手を破滅させるほどの額は盗まないという美学を持つ泥棒・黒澤。不倫相手のサッカー選手と、お互いの伴侶を殺す計画を立てているカウンセラーの京子。職を失い、街を彷徨う男・豊田。とある一日、そんな彼らにおこった出来事は、次第に絡み合っていき…というストーリー。

様々なキャラクター毎にエピソードが語られる。始めの画商のエピソードが不快なだけで掴みに失敗しているのに輪をかけて、続くエピソードがエグさ満開。一体、何を見せたいのか。世の中にある不快なものをこれでもかこれでもかと観せる。そんなコンセプトなのかな?と。知ってはいるが主役を張るような役者じゃない人ばかりで、観ていて不安になる。それも狙いか?

そう思っていたら、35分経過したあたりで堺雅人登場。団時朗や塩見三省には悪いが、堺雅人が出てきて正直ホッとした。打って変わって魅力のある泥棒さんのエピソード。
何か、義賊的な展開を見せるのかと思ったら、特に大きな展開もなく、寺島しのぶ演じるカウンセラーの話に。死体が増える展開の意味もわからないし、バラバラだった死体はなんだったのか?もわからない。わからないまま、寺島しのぶの発狂で終わる。そして、板尾創路のエピソードになるが、ますます、前のエピソードとは繋がりはない。

『パルプ・フィクション』のように、こんなバラバラなエピソードが、糸を撚るように繋がっていくに違いない…と信じて疑わなかった私は、“ラッシュライフ”ドーン!でエンドロールに突入してガク然とした。
後から考えれば、各エピソードは、犬やら銃やらで繋がってはいるんだけど、その繋がりに魅力も感じられないし、大体にして、それぞれのエピソードが同じ一日であることも、よくわからんし。

この監督さんたちは、東京芸大の学生さんで、企画から配給まで全部学生さんがやったとか。名だたる役者さんたちや伊坂幸太郎が主旨に賛同してくれたのはまあ良いとしても、結果的には役者の無駄遣いだったわ。
学生さんだろうがなんだろうが、観客からすりゃ、同じく金払って観てるんだから、大目にみる必要はないよな。同じように文句は言わせてもらう。いくら素人監督とはいえ、駄作にもほどがあるだろう。話のタネにでも観てみるか…ってノリで観たとしても時間の無駄。誰がどのエピソードをやったのはわからないけど、こんなデキじゃ、その後、仕事もらえないと思うよ。いくらなんでも。

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imageX0044.Png公開年:1977年
公開国:日本
時 間:117分
監 督:篠田正浩
出 演:岩下志麻、原田芳雄、奈良岡朋子、神保共子、横山リエ、宮沢亜古、中村恵子、殿山泰司、桑山正一、樹木希林、西田敏行、安部徹、小林薫、原泉、不破万作、山谷初男、浜村純、加藤嘉 他
受 賞:【1977年/第1回日本アカデミー賞】主演女優賞(岩下志麻)、撮影賞(宮川一)
【1977年/第20回ブルーリボン賞】主演女優賞(岩下志麻)



6歳の時に母が失踪し身寄りの無くなった盲目の少女おりんは、村を訪れた行商に、越後高田にある里見屋敷という瞽女屋敷に連れてこられる。瞽女とは盲目の女性が三味線を弾き、瞽女唄などを唄って旅をしてまわる人々。その屋敷では盲目の女性が共同生活をしながら、瞽女として一人前になるまで育てていたが、男と交わることを厳禁とする厳しい掟があった。やがて17歳になったおりんは美しく成長するが、その美貌のために男たちが放っておかない。ついに掟をやぶってしまい屋敷から追放され、一人で流浪する“はなれ瞽女”となった。大正7年。おりんは、平太郎という男と出会う。彼は、おりんが芸をする間、客に酒を注いだり、投げ銭を拾い集めたりと面倒をみるが、決しておりんに手だしすることは無く、彼女も平太郎を兄のように慕って一緒に旅を続けるのだったが…というストーリー。

被差別階級というか、一般の社会のヒエラルキーの埒外にいるような虐げられた人々を扱った作品は、そういう対象を扱ったこと自体が“すごい視点でしょ?”と主張している感じがして、あまり好きではない(実際そうじゃないとは思うけど)。
それが穿った見方なのは承知しているのだが、絶対にに破滅的で不幸な終わり方以外に、この映画の終わりはありえないでしょう。予想がついてしまうというつまらなさに、我慢ができないのも、好意的に観ることができない理由かも。

脱走兵である平太郎と瞽女集団からはみ出てしまったおりんの生い立ちをフラッシュバックさせる構成で、二人をリンクさせようとしているのは明白なのだが、強制的に徴兵されることをいやがって脱走している男と、その不幸な運命に抗いつつも流された女は、決して同じではない。
私の人生経験の不足なのか。平太郎の主張はなにか浅く下卑たもの(というか、中途半端な左翼思想の残滓みたいなもの)に見え、それがおりんと重ね合わせていいようなレベルの物には、とても見えなかったのだ。

それにしても、周囲の男が放っておくはずがない…というのを無条件で納得させるだけの岩下志麻の美貌はスゴイ。個人的には日本の女優で一番美しい人だと思っている。でも、本作に限った話ではないのだが、『悪霊島』とかそうだったけど、私、岩下志麻が性的なシーンを演じているの好きじゃない。何か性的に“汚れ”な役の岩下志麻を見ると、妙な脱力感を覚える(理由不明)。

カメラワークもロケーションも脇役の面々も、何か悪いところある?って聞かれたら、正直にいって無い。むしろ、異様に良くできているんだけど、私の好みには合わない。それだけ。

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image1353.png公開年:2008年
公開国:日本
時 間:140分
監 督:橋口亮輔
出 演:木村多江、リリー・フランキー、倍賞美津子、寺島進、安藤玉恵、八嶋智人、寺田農、柄本明、木村祐一、斎藤洋介、温水洋一、峯村リエ、山中崇、加瀬亮、光石研、田辺誠一、横山めぐみ、片岡礼子、新井浩文 他
受 賞:【2008年/第32回日本アカデミー賞】主演女優賞(木村多江)
【2008年/第51回ブルーリボン賞】主演女優賞(木村多江)、新人賞(リリー・フランキー)
コピー:めんどうくさいけど、いとおしい。いろいろあるけど、一緒にいたい。


1993年。優しいだけで頼りないカナオと、小さな出版社に勤める几帳面な性格の翔子の夫婦。子供ができたことをきっかけに結婚した二人だったが、出産を控え幸せな日々を送っていた。日本画家を目指していたが、食べるために靴修理屋でバイトするカナオだったが、突然あらわれたかつての先輩から、法廷画家の仕事を紹介してもらう。不慣れな世界で戸惑いながらも仕事を覚え、徐々に馴れていくのだったが、そんな中、生まれたばかりの子供が亡くなってしまう。あまりの悲しみに、翔子はうつに陥り、心療内科に通院するようになる。カナオはそんな彼女を見守るだけだったが、一方で法廷画家として、連続幼女殺人や地下鉄毒ガス事件などの凶悪な事件を傍聴することになり…というストーリー。

女たらしの夫で苦労する妻の話になるのかと思いきや、違った方向に。
舞台は関西?それにしては、木村多江もリリー・フランキーも言葉がしっくりこないねーなんて違和感を感じていたが、「前に上野で似顔絵を描いていたときには…」ってセリフ一つで、それ以降気にならなくなった。すごく配慮の行き届いた、シナリオだと思う。

カナオはその生い立ちから、自然と世の中を客観視してしまう。その目線は、世の中だけでなく妻に対しても同じ。自分にも向けられるその目線が、妻には冷たいものに感じられる。彼が妻を正面から見ることはない。法廷画家という職業にはマッチしてしているかもしれないけれど。客観視することが悪いことだとは思わないが、それしかできないというのは、この夫婦にとって大問題。

彼は、全編を通じて、ずっと世界を傍観しつづける。そんな中、カナオはどんどんエグい公判に立ち会うことに。家族の関係に関わる事件が多い。だれもが憤りを覚えるような事件でも彼は冷静。まあ、天職だよね。一方の妻は、自分の人生はこういうものだ、と決めて行動する人。始めはカレンダーに印をつけた日に、性交渉をしない夫をたしなめるという、ちょっと下卑たシーンだったりするので、あまり深刻に映らない。むしろコミカルに見えるけれど、その性格がだんだん彼女を苦しめていく。そのままなら、問題は露呈しなかったかもしれないが、子供を流産してしまったことで、彼女の歯車は壊れていく。
後輩の勝手な言動に対し、あまりの怒りに硬直する翔子。このシーンは非常に共感しやすい。

苦しい時にお互いがどう思っているのか、語り合うことはこの夫婦にはない。もしかすると、仮に子供が生まれても、もっと別の形で壊れていったかもしれない。
雨の中、窓全開で佇む妻に、なんで自分は冷めた態度なのかを語るカナオ。子供のころにどうしようもないことにいろいろ巻き込まれると、こういう物の見方しかできなくのるのは、よく理解できる。変に醒めてるヤツとかやる気がないヤツに見られたりする(まあ、実際、どっちにころがってもどうとでもなるでしょ…って思ってるんだけど)。
「鼻ベタベタじゃん」なんて、あのシーンで距離が深まったように見えるけど、そんなに簡単に傷は修復されない。時間が掛かる。

望んでいた日本画家ではないけれど、法廷画家という絵を描く仕事についた夫。遅れて天井画を依頼されて“描く”人になった妻。お互い、世界を描く側になって、明白な共通点が生まれる。カナオは妻が日本画を描くという話を聞いて、ちょっとうらやましそうな顔をする。普通なら、ああしたらいいんじゃないか、こうしたらどうかと口を出しそうになる。でも、彼はしない。
結局、夫婦がお互いを見ることはないのだが、かえってそれがいいんだね。横にいて、同じような方向を見て歩く。それが一番正しいんだろう。

最後の終わり方に不満足な人はいるかもしれない。でも、本作はカナオの生き方がすばらしいとかそういうことをいいたいわけではない。生きることは単に生きること以上のなにものでもない。そこが腑に落ちた人は満足できるし、そうでない人は不満を覚えるだろう。私は大満足。未見の人には是非お薦めしたい。
トリアー監督の『奇跡の海』にも通じる“病んだ”視点。ある意味ゾっとするおもしろさ。そっち側に立ったことがある人じゃないと、この作品は書けないと思う。

#木村多江とリリー・フランキーの演技は、ちょっと神懸ってたね。

 

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プロフィール
HN:
クボタカユキ
性別:
男性
趣味:
映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
自己紹介:
一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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