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image0281.png公開年:2006年 
公開国:日本
時 間:119分
監 督:西川美和
出 演:オダギリジョー、香川照之、伊武雅刀、新井浩文、真木よう子、蟹江敬三、木村祐一、田口トモロヲ、ピエール瀧、田山涼成、河原さぶ、新井浩文、真木よう子 他
受 賞:【2006年/第49回ブルーリボン賞】助演男優賞(香川照之:「出口のない海」「明日の記憶」の演技に対しても)、監督賞(西川美和)
【2006年/第16回日本映画プロフェッショナル大賞】監督賞(西川美和)、ベスト10第2位
コピー:あの橋を渡るまでは、兄弟でした

東京で写真家をしている猛は、母の一周忌に帰郷し、父と共にガソリンスタンドを経営する兄・稔と久々に再会する。翌日、二人は、ガソリンスタンドで働く幼なじみの智恵子を加え、近くの渓谷へ行く。猛が林の中で写真を撮っておると、川に架かる細い吊り橋に稔と智恵子が。そして智恵子は渓流へと落下してしまう…というストーリー。

昨日の『ディア・ドクター』を見て、『ゆれる』が観終わっていないのを思い出した。そう、未見なのではなく“観終わっていない”のだ。もう3回も途中断念している。一周忌のゴタゴタの場面で飽きて1回目。その場面があまりにも作為的でわざとらしく、監督がドヤ顔をしているような気になってウンザリしてしまったのだ。智恵子の部屋でコトがはじまって2回目。智恵子の振る舞いに一切リアリティが感じられず、何にもわかってない上司にトンチンカンな説教を喰らっているような気分になってしまいウンザリしてしまった。刑事が解剖所見を見て色めき立つところで3回目。おそらく体内から精液が見つかって、猛がパクられるんだろうな…と予測してしまって、なんか夕方に再放送してるサスペンスドラマレベルだな…と思えてきてウンザリ。昨日『ディア・ドクター』を観ていなかったら、観なおすことはなかっただろう。

観るの再会してみると、ところがどっこい、なぜか猛がパクられている。すいません。だれか教えてください。解剖所見の何を根拠に逮捕状が出たのかを。そしていつのまにか自白しているという展開。裁判が展開すると、自白の立証のために、稔のその時の気持ちをさぐるだけの検察。もしかしてこの映画は、日本司法の自白偏重主義を断罪したいのかしら…とすら思えてくる。同じモノを見ても人の捉え方は様々よ…って羅生門的な視点。
でも、なにか家族の絆の意味とか、そういう方向に倒れていっていて、軸がどこにあるのかさっぱりわからなくなる。結局『ディア・ドクター』の時を同じこと言うハメになるのだが、この監督は何をいいたいのかよくわからん。

#大体、精液のDNAを鑑定して稔じゃないことがわかったなら、DNAの一致率でその精液が兄弟のものだってことなんてすぐわかるのにな。検察がそのことに触れないわけないし。リアリティねえなぁ。

『ディア・ドクター』のラストは、良く言えば“考えさせるラスト”といえるかもしれないが、悪くいえば投げっぱなしで無責任と感じていた。本作はさらにそう。猛が事件の真相を思い出す回想が正しい(事実)とすると、猛はどういう意図があって考えて証言したのか、それに対し香川照之がどう思っていたのかさっぱりわからない。いや、証言のときは猛は兄が落としたと思っていて(記憶が構築されていて)、例のフィルムを観た後の猛の頭の中では、兄が手をさしのべている記憶が構築されたってことか(まさに羅生門的)。いやいや、猛は、兄弟の信頼関係が壊れたので偽証して、ラスト回想は事実なんだよ…とか?

いや、一番の問題は、たとえどれだったとしても、つまんねえってことだ。この事件の真相を探ること自体に、何の意味もないと気付いたら、ついでにこの映画を観る意味すらなかったと思えてきた。

『ディア・ドクター』では良いキャスティングが救いだったが、本作ではさほど救いになっていない。申し訳ないがキム兄やピエール瀧はミスキャストである。
また、エンディングの終わらせ方と音楽のテイストが一緒であることに、おもわず苦笑い。ほとんど『ディア・ドクター』と一緒。笑わせようとして狙ってるのか、本気でこなっちゃってるのか、いずれにせよ“寒い”。

ワタシには、何故これほど高評価なのかサッパリ理解不能。ああ、そうか、こうやって、裸の王様みたいに、周りの反応と自分の正直な心の声の間で“ゆれる”ってこと?それを意図してるならこの監督は天才だぁ(笑)。情報を小出しにしてりゃ芸術になると勘違いしてるな。もうすこし社会の“事象”の観察だけじゃく、社会の人間関係の中で実際に行動して感情を動かしてみることをお薦めする。映画監督に客観視できることは大事な素養だが、それだけじゃね。極端にリアリティがないのは、そのせいだと思う。なんか腹立ってきた。

スタッフたちは、おかしな点を指摘できないものだろうか。芸術肌の監督の機嫌を損ねないように、腫れ物を触るように扱っているのだろうか。それとも監督が指摘を無視している?まあ、いいや。監督も作品も、どっちだとしてもたいしておもしろくならないわ。
お薦めはしない。世にこれだけ評価する人がいるんだから、面白く感じる人には溜まらないんでしょ。ギャンブルだとおもって観るしかないですな。

#この監督、案外、ドキュメンタリーとか作ったら、名作を生むような気がするんだよなぁ。。。。

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image1486.png公開年:2009年 
公開国:日本
時 間:127分
監 督:西川美和
出 演:笑福亭鶴瓶、瑛太、余貴美子、井川遥、松重豊、岩松了、笹野高史、中村勘三郎、香川照之、八千草薫 他
受 賞:【2009年/第52回ブルーリボン賞】監督賞、主演男優賞(笑福亭鶴瓶)、助演男優賞(瑛太)
【2009年/第33回日本アカデミー賞】最優秀脚本賞、最優秀助演女優賞(余貴美子)
コピー:その嘘は、罪ですか。

数年前、街から遠く遠く離れた無医村に、医師・伊野治が着任し、それ以来、村人から絶大な信頼を寄せられていた。そこに、東京の医大を卒業した相馬が研修医としてやって来る。僻地の状況にはじめは戸惑っていた彼だったが、献身的に村人に接する伊野の姿に感銘を受け、充実した研修師生活を送るようになり、研修後にはこの村に着任したいとまで思うまでに。そんなある日、伊野は、一人暮らしの老婦人かづ子を診療することになったのだが、東京で医師をしている娘に病気のことを知られたくないので、秘密にしてほしいと頼まれる。そして、それを引き受けてしまうのだが…というストーリー。

なんか、言っちゃっていいのかどうかわかんないから、とりあえずネタバレ注意にしておく。

劇場公開時から、ニセ医者の話ってことは公然だった気がするんだけど、違ったかな?多くの人がその点については知った上で観たと思うけど、知っていても、ぐいぐいとストーリー引き込まれたのではなかろうか。この監督、なかなかの力量と評価してよいかな…と一瞬思うが、演出というよりも、個々の役者の演技がすばらしかったおかげ…という気がしないでもない。余貴美子や香川照之、八千草薫は言うまでもなく、笑福亭鶴瓶や瑛太も非常にハマっていると思う。

正直に言うと、私には、この映画が最終的に何を言いたいのかよくわからなかった(いや、もっと正確に言えば、どうしたいのかがわからなかった)。
監督が、僻地の医療現場を取材して、何が大切なのかを感じ取り、「あれ?本当に大切なことって医者の資格とか技術とかそういうのと無関係なことじゃないの?」って気付いたのがアイデアの発端だったかもしれない。それはなんとなく理解できる。でも、その視線(というか意見の表明)だけじゃ映画にはならないから、仕掛けを作り、それがどう破綻していき、騙されていた人はどう受け止めるか…を表現し、その過程を通して浮き彫りにしなくてはならない。そうやって、別の角度から光を当てて、伝えたいことを浮き彫りにすべきなんだけど、“偽医者なのにみんな大満足していた”って演出で、ヒネリもなしに直球で語り尽しちゃってると思うのだ。

刑事に対して、村人が伊野のことを悪くいったり、なんかおかしいとは思ってましたという相馬の発言は、社会的な建前で、困惑しつつも心の奥底ではそう思っていないのは、役者さんたちの微妙な演技でよくわかる。あんただって本当に刑事なのかわかんないでしょっていう村長の台詞がすべてだ。でも、それって、やっぱり、「本当に大切なことって医者の資格とか技術とかそういうのと無関係なことじゃないの?」っていうはじめのアイデアを延々と補足しているだけにしか見えない。やっぱり、ヒネリもなく直球である。

さらに、多くの人が戸惑ったのは、伊野が悪人なのか否かっていう部分だろう。おそらく医者を目指しいたけど、どうしてもなれなくって、でも先生と呼ばれたかったのか…とか、いやいや、はじめは単に金目当てだったんだけど、次第に…とか、色々考えた人が多いだろう(そこをボヤかしたのは意図的かもしれないけれど)。偽医者をやっていくうちに、他者に施すことの素晴らしさに目覚めた男…と判断することもできるけど、最後に病室を訪れたのは、彼女に施すための行動ではなく、どちらかといえば贖罪という気もするし。とにかく、伊野に関しては何かキャラがボケている気がしてならない。

また、警察の手法があきらかにヘンテコでリアリティがなさすぎだし、行方不明になったあとに田んぼに飛び込む瑛太の行動とかいまいちピンとこなかったり、思い返しても「あれってやっぱ変じゃね?」って思うところが散見される。でも、これが小説だったら、気にならずに腑に落ちるんだろうなとも思う。台詞の応酬の面白さはすばらしく、実に白眉な才能だと思う。でも、立派な小説家なのかもしれないけど、その才能に映画監督として追いついていないのかもしれない。うん、そう。“映画”としての部分が、納得いかないってことなんだなぁ。

色々文句はいったけど、軽くはお薦めしておく。人生に答えはない…ってくらいの達観した心持ちで観れば、それなりに満足できるはず。社会派作品として観ると肩透かしをくらうと思う(はじめのアイデアは、とてつもなく社会派な視点だったのにね)。

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image0419.png公開年:2007年 
公開国:日本
時 間:106分
監 督:荻上直子
出 演:小林聡美、市川実日子、加瀬亮、光石研、もたいまさこ、小林聡美 他
コピー:何が自由か、知っている。





春先、海辺の小さな町を訪れた女性・タエコは、地図を片手に大きなトランクを引きずりながら、旅館ハマダに向かう。宿の主人ユージや、寝ているタエコの横にたたずみ挨拶をするサクラや、地元の高校で生物教師をしているハルナ達の奇妙な言動のせいで調子を狂わされたタエコは、たまりかねて宿を替えることにするのだが…というストーリー。

前作『かもめ食堂』のヒットをうけての本作ということで、独特な雰囲気を継承したいのはよくわかる。しかし、①ほっとする美しい風景、②おいしそうな食事、③対人距離感のちょっとおかしい登場人物たち…という、要素をそのまま引き継いだだけでは、あまりにも芸がないように思える。

引き継いだといっても、食べ物をみて「おいしそう!」と感じるレベルはオチているし、かき氷も「たべたい!」とまでは思わなかった(これだけ残暑厳しい中、観たにもかかわらず)。風景のグレードもいささか劣る。メルシー体操など奇抜な要素を盛り込んでみたところで、根本が同じ故に既視感は拭いようがない。メインの役者は同じだし、他のキャスティングも似ているし…。成功体験が失敗に繋がった例なのでは?とまで思ってしまう。

「先生」と呼ばれる程度で、キャラのバックボーンを頑なに語らずにスルーする演出なのだが、ここまでくると、さすがに鼻につくと感じる人が多いのでは?と思うが、現在、同監督の『トイレット』が公開中。この監督のノリが好きな人が相当存在するのか、有力なパトロンが存在するのか、よくわからないが、ああ、ワタシと感性の違う人がたくさんいるのだな(むしろ、ワタシのほうが少数派なのかな)と改めて認識した次第である。

ワタクシは『やっぱり猫が好き』とか三谷幸喜作品なんかは、ほぼおもしろいと感じたことがない人間だからね。趣味が全然あわなかったんだ…そういうことにしておこう。もちろんお薦めはしない(というかできない)。

#犬だけはひたすらかわいい

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image0939.png公開年:2004年
公開国:日本
時 間:119分
監 督:井筒和幸
出 演:塩谷瞬、高岡蒼佑、沢尻エリカ、楊原京子、尾上寛之、真木よう子、小出恵介、波岡一喜、オダギリジョー、光石研、加瀬亮、キムラ緑子、余貴美子、大友康平、前田吟、笑福亭松之助、ぼんちおさむ、笹野高史、坂口拓、ケンドーコバヤシ、木下ほうか、江口のりこ、ちすん、徳井優、松澤一之 他
受 賞:【2005年/第29回日本アカデミー賞】新人俳優賞(塩谷瞬、沢尻エリカ)、話題賞[俳優](沢尻エリカ)
【2005年/第48回ブルーリボン賞】作品賞
コピー:世界は、愛で変えられる。

1968年京都。高校2年の康介はある日、担任から指示を受け、日頃争いの絶えない朝鮮高校へ親善サッカーの試合を申し込みに行くことに。朝鮮高を訪れた康介は、音楽室でフルートを吹くキョンジャという女生徒に一目惚れ。しかし、ほどなく彼女の兄が朝鮮高の番長アンソンであることを知る。キョンジャと仲良くなり康介は、“イムジン河”という曲を覚え、彼女の前でギター演奏しようと考えるのだが…というストーリー。

井筒監督の作品って実は観たことないんだけど、そのくせ、なぜか監督としては信用していたりする。それは彼の書籍『サルに教える映画の話』を読んで、映画の面白さをより知ることができたから。映画初心者向けのとてもいい内容なので、まずこちらをお薦めしちゃう。

で、昨日の『ブラザーフッド』を見ながら、ふと本作のことを思い出し、そういえばまだ観てなかったことを思い出し鑑賞。以前、TV放映していたのをちらっと観たことはあったけれど、その時は、冒頭の喧嘩シーンでいまいちピンとこなくて途中で観るのをやめてしまったと思う。CMが挟まれるせいかどうも集中できなかったからもしれない。いつかレンタルして観よう…って思いながら中断したのを覚えている(それからかなり時間はたってしまったけど)。

本作については、政治映画なのかラブストーリーなのか喧嘩映画なのかいろいろ盛り込みすぎだとか、ピントがボケているだとか、政治的信条が鼻につくだとか、あげくのはてには日韓の歴史を勉強ろだの売国映画だのいう人までいるのだが、逆にそれら意見に“?マーク”のワタシ。そういう観点の映画ではないように思える。

葬式の場面にて、笹野高史演じる朝鮮人のおっさんが康介に対して、在日朝鮮人に日本人はこういうことをやったんだから日本人のおまえにはここにいてほしくない!というシーン。まず、すべてが日本政府の強制連行ではなかったろうし(おそらくどさくさにまぎれて民間組織・企業主導で連行・勧誘されたケースが多いんだろう)、自主的に日本にきた例も相当多いだろう。一族の一部だけが日本行きにノリ気で、それにひっぱってこられた人も、“その人”からみれば“連れてこられた”ってことになるだろう。さらに比較的ノり気で来た人も、イザきてみると全然いい目に合わなかったりして日本に恨み節をいい始める例だってある。もう在日がらみについてはカオス状態で、なにが正しいなんて一概に言える状態ではない。でも、この映画にでてくる笹野高史演じる朝鮮人のおっさんは、そう思ってるんだもの。そう思っているキャラが出てきたにすぎない。それ以上のものでもそれ以下でもなく、勘ぐってそれがすべてのメッセージだなんて言っても的外れでしょ。

大体にして友達のが葬儀にきている康介にたいして、日本人だからここにいるなっていう、おっさんの言い分はもっともらしく聞こえて、むちゃくちゃな理屈。マイノリティの暴走もいいところ。
康介は、それを聞かされて、叫びながらギターを川に投げ捨てるけど、それは日本がやったことを痛感したからだけじゃないよ。その恨みを子供世代にまで押し付ける理不尽さ。子供らに対してこの“恨み”を忘れるなという怨念の邪悪さもふくめて叫んでいるのである。

で、最後にキョンジャは、康介が唄う“イムジン河”が流れるラジオを、そのおっさんたちの突きつけるわけ。もう、これだけで充分、溜飲が下がる。
だから、本作に何か意味を持たせたい言うんなら、政治でも民族でもなくて、“世代闘争”でしょ。ワタシの感性はそう言ってますけど。

中国や韓国の、子供世代に恨み続けることを強いる反日教育しかり、日本の北方領土問題だって、自分達の世代(当事者世代)が解決できなかったのを棚にあげ、“解決を託す”という姿勢ならならまだしも、何代も下の世代に押し付けて且つそれに反する意見を述べようものなら非国民扱いする奴らの風潮もしかり。“人を呪わば穴二つ”。この結果、中国や韓国がどうなっていくのかは、すごく意地の悪い言い方になるけど、見ものである(日本の場合は、逆の方向にバイアスが振れちゃって、反国教育になっちゃってるが、これはこれでどうなるか見もの。まあ、本心では、“見もの”なんてのんきに言ってられないのは重々承知してるんだけど)。

喧嘩まみれのカオス状態、まとめようがないだろうと思っていたんだけど、まさかこんなに爽やかにまとめてくれようとは…。なかなかやるじゃん井筒監督。これが正直な感想。

沢尻エリカはこのまま育てば大女優になったでしょうな。昨今のくだらない醜聞のせいで、今後、仮に良い演技をしたとしても、余計なイメージがよぎって正しく評価されることはないでしょう。
なんで、韓国俳優や歌手がブームなのか。それは、バックボーンが見えもしないし、想像もつかない世界の住人だから。同じ日本人なら、同じような教育をうけて同じようなTV番組を見てることが想像つく。さらに知りたくもない過去やプライベートはネットの中で知れてしまうわ、あげくのはてにプライベートの切り売り状態の場合もあるわ、全くファンタジー界の住人じゃないから、興味が涵養されるはずがない(いかに、Gacktのようなキャラ作りが正しいか、的を得ているか。彼は賢い)。その辺が判っていない彼女は、俳優失格というか、俳優業を真剣に考えていなかったということである。まあ、今となってはどうでもいい人ではあるけど、本作内の魅力をみる限りにおいては、もったいないといっておこう。これで充分な賛美でしょ。

未見の方はどうぞ観てくだされ。ワタシ的にはかなりの爽やかムービーだと。

#それにしても、真木よう子の胸が全然無いように見えるのだが…着脱可能なのか(笑)

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image1461.png公開年:2008年 
公開国:日本
時 間:119分  
監 督:北野武
出 演:ビートたけし、樋口可南子、柳憂怜、麻生久美子、中尾彬、伊武雅刀、大杉漣、大森南朋、筒井真理子、吉岡澪皇、円城寺あや、徳永えり、仁科貴、寺島進、六平直政、ふせえり、大林丈史、不破万作、ビートきよし、大竹まこと、三又又三、林田麻里、アル北郷、お宮の松、松坂早苗、丸岡奨詞、風祭ゆき、武重勉、山野海、こばやしあきこ、須永慶、諏訪太朗、ボビー・オロゴン、電撃ネットワーク 他
コピー:スキ、だけど。スキ、だから。
夢を追いかける夫婦の物語。。

裕福な家に生まれた真知寿は、絵を描くことが好きで、画家になることを夢見ていたが、父の会社が倒産し、立て続けに両親が自殺し環境が一変。叔父の家に預けられ、辛い少年時代を送るが、画家になるという思いだけで生き抜く。しかし大人になっても、一向に画家として芽は出ない。そんなある日、幸子という女性が、絵を描くことしか知らない真知寿に惹かれ、やがて2人は結婚。真知寿の夢は夫婦の夢となり、二人でアートの道を進んでいくのだが…というストーリー。

北野作品は、『座頭市』と『監督・ばんざい!』くらいしか観たことがない(それもTV放映)。どうも興味がそそられなくて、DVDレンタルしようとも思わないタイプの監督。漂う独特の暗さ…というか、なにか自分とは合わないようなタチの悪さみたいなものを、無意識に感じているみたい。
でも、おそらく喰わず嫌いなんだろう。最近、おすぎと淀川長治の映画対談の本を読んで、『あの夏、いちばん静かな海。』をものすごく褒めていたので、ちょっと興味が湧いている。

北野作品は、日本での興行はメタメタな場合は多いけれど、ヨーロッパで一定の評価を得ているので、コンスタントに作り続けられている。そんな状況の中で、「こんなのも作っておきたいな…」的なノリで作ったような本作。世の監督たちは、ひとつコケれば次は無い…くらいの一球入魂でやってると思うのだが、その覚悟に著しく欠けているように見えるのは、私の穿った見方だろうか。それを楽しめるほどコアなファンではないので、正直、最後まで観るのは辛かった。
でもね、私ごときが言うのもなんだけど、北野監督という人のセンスはまともだよ。娘がなんで死んだかを説明しなかった。凡人ならぜったいセリフにしちゃうものね。

冒頭で流れるアニメ“ゼノンのパラドックス”は本編の内容と何が関係あるのか、解ったような解らないような。ゼノンのパラドックスは、私も初めて聞いたときは、“不思議!”と頭を混乱させたものだけれど、後から考えれば、追いつくまでの時間をひたすら細分化しているだけのことで、詭弁中の詭弁でしかない。芸術なんてもっともらしいことを言っているだけ。“もっともらしい”だけなのに、世の中ではまるで真実のように扱われる。それも往々にして、判ってない人間ほど、それを真実と吹聴する。
パンと芸術どちらが人間にとって必要かという問いかけが、本作の随所に散りばめられている。最後には、最大の理解者である幸子までもが、現実から乖離し続ける真知寿を「人間じゃない」といって突き放す。でも、一度、アートというあってもなくてもいいモノにとりつかれてしまうと、どうしようもなくなってしまうもの。実際の北野監督も、興行的な成功と自分が満足する芸術性との乖離に引き裂かれそうになっているということだろうか。

でも、そこは、“喰わなきゃ死ぬ”人間が元々持っている業。社会の中でしか生きられない社会性動物の性。大概の人間は、弱いので(肉体的にも精神的にも)、いち早くそこに妥協点を見つける。でも、真知寿はその妥協点を見つけることはない。まるでダメ人間、弱い人間のように見えるけど、実は、それに折り合いとつけないくてもなんだかんだ生きていける強い人間なのだ。
中途半端に芸術家ぶって、真知寿に共感できるわ~なんてことは口が裂けても言えない。そんな強い人間なんて存在し得ないのだ。まるで神。最後の包帯姿が顕わしているように、芸術とは異形の神なのだ。人間は幸子のように、ただそれに寄り添うことができるだけの存在なのである。

笑える作品でも、スッキリする作品でも、泣ける作品でも、感動できる作品でも、芸術性の高い映画でもない。ソフィストが、自らの言葉か詭弁でることを重々承知の上で語った、“詭弁映画”である。それを聞いた上で、それでも興味が湧いた人だけ、観ればいいでしょう。

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image0581.png公開年:2007年 
公開国:日本
時 間:109分  
監 督:平山秀幸
出 演:国分太一、香里奈、松重豊、八千草薫、伊東四朗、森永悠希、占部房子、外波山文明、建蔵、日向とめ吉、青木和代、下元史朗、水木薫、三田村周三、原金太郎、山本浩司、安倍照雄、中村靖日、飯田基祐、椎名泰三、五月晴子、織田優成、豊田達也、佐々木史朗、福岡芳穂、福島聡司、入船亭遊一、田中ふゆ、金山はる、金原亭馬吉、林家彦丸、堀越光貴、佐藤勇樹、広瀬ゆう、花原優香、伊瀬知悠、吉井克斗、立原誠崇、田村未奈美、桑畑幸菜 他
コピー:みんな、何とかしたいと思ってる このままじゃ、だめだから

二つ目の落語家・今昔亭三つ葉は、古典しか演じず普段から着物で通す。落語への情熱は人一倍だが腕は上がらず真打になれずじまい。ある日、成り行きで落語を使った話し方教室を始めることになってしまったが、集まったのは、美人だが無愛想で口下手な十河、大阪から引っ越してきたがクラスに馴染めず悩む少年・村林、コワ面であがり症のプロ野球解説者の湯河原。いつも言い争いばかりだったが、何とか教室を続けていく…というストーリー。

まだ、残念映画が続いたダメージを癒すために、前にみた映画の中で、よかったものを観なおしているよ。今回で二回目だ。ここのところ落語関係の芸能ニュースも続いていたので、ふと思い出した。

それにしても、本作、まったく受賞歴がないのだが、なんでこんなに評価されていないのか、よくわからない。ネットで検索してみても、あまり評価が高くない。

国分太一と香里奈の演技力に否定的な意見もあるが、不器用な男と無愛想な女の役なのだからこれでいいのだ。逆にキャスティングの妙といってもいいじゃないか。それに、彼らとの対比で周りのベテラン演者さんたちの演技はとても映えているし。こんな緩めの内容なのに、飽きさせることなく最後まで楽しめた。物足りないという意見もあるが、これ以上何か加えたらかえってバランスが崩れると思う。

う~ん。本作については、なぜか多くの人と感じ方が違うようだ。私、邦画でベスト10本選べといわれたら、間違いなく本作を入れる。ワタクシ的には、まったく穴のない映画。これまで色々な映画に散々文句をつけてきたが、本作についてはストーリー展開に無駄はないし、編集もカット割りも文句は無い。

共感してもらえなくてもいいが、登場人物すべての人が愛おしいと感じられるし、彼らを通して元気づけられもする。作中の下町の空気感がものすごち心地良い。日々の雑務の中に吹いた、清涼な風。落語なんて笑点でしか知らないという人も、楽しそうだなって思えるに違いない。

本当に良質の映画。ものすごくものすごくお薦めする。

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imageX0002.png公開年:1956年 
公開国:日本
時 間:86分  
監 督:溝口健二
出 演:京マチ子、若尾文子、木暮実千代、三益愛子、町田博子、川上康子、進藤英太郎、沢村貞子、浦辺粂子、入江洋吉、小川虎之助、菅原謙二、多々良純、宮島健一、見明凡太郎、加東大介 他




赤線にある娼館「夢の里」には、一人息子のため、入獄中の父の保釈金のため、失業の夫と赤ん坊のために働く娼婦達が働いていたが、そこへ元黒人兵の愛人だった関西出身の女が入店し、自由奔放に振る舞いはじめる。そんな折、国会では売春禁止法案が審議されていたが、「夢の里」の主人は、法案が通れば娼婦は監獄へ入れられるといって彼女等を驚かせた。自分たちの稼ぎ場所が無くなってしまうと焦る娼婦たちは、それぞれが生き方を見つめなおし、動き出すのだが…というストーリー。

先日、『雨月物語』を観たところだが、ちょうど本作をBSで放送してたので、一応押さえということで録画していた。消す前に観た。実は、私、『赤線地帯』という映画は、なぜだか実際の赤線廃止の時のドキュメンタリー映画だとずうっと勘違いしていた。まったく違ったね。

『雨月物語』では様々な女の態様をみせてくれたが、本作もシチュエーションこそ違えど、基本的に似たテーマなのかなと予測して観始めた。しかし本作の登場する女性達はバックボーンも性格も違いオムニバスの様相なのだが、最終的に同じ“女”で括れてしまうような気がする。『雨月物語』がエボリューション(展開)なら『赤線地帯』はレボリューション(集約)かな。そういう意味で、これが溝口監督の遺作というのも意味深かも。

あまりにもに女性達がリアルに見えて、途中で気持ち悪くなるくらいだったので色々調べてみたのだが、どうも溝口監督の回りにいた女性たちが投影されているようだ。若いころは遊郭通いの繰り返し、その後同棲していた女性が自殺や発狂するなど、そりゃあ本作の女性も否が応でもリアルになる。『西鶴一代女』『雨月物語』『山椒大夫』と海外の映画賞を獲り続けた人物像と素顔のギャップ、これも興味深い。なにやら、“女性”に対する贖罪の気持ち…みたいなものが感じられるのだが、“作った”というよりも“自分を搾った”みたいな感じで映画をつくった人なのかもしれない。

正直にいうと、観終わった後、こっちの精気が吸い取られたみたいになってしまった。娯楽作品ではないので、気分展開・ストレス解消のために映画を観たいならば、本作は全然薦めない。このようなレビューを読んでみて溝口作品に興味が沸いたなら観るといいだろう。

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image1414.png公開年:2009年 
公開国:日本
時 間:112分  
監 督:中村義
出 演:伊藤淳史、高良健吾、多部未華子、濱田岳、森山未來、大森南朋、渋川清彦、大川内利充、眞島秀和、江口のりこ、山中崇、波岡一喜、高橋真唯、恩田括、石丸謙二郎、中村有志、芦川誠、野仲イサオ、大谷英子、田村圭生、草村礼子、上田耕一 他
コピー:きっと、つながる



2012年。彗星の衝突まであと5時間と迫った地球。世界滅亡を目前に、平静を装うレコード店に流れている曲は『FISH STORY』。それは、1975年、時代を先取りしすぎていたために全く売れぬまま解散したバンド“逆鱗”がレコーディングした最後の曲だったのだが、その一曲が…というストーリー。

本作を観たのは、『アヒルと鴨のコインロッカー』が、予想外のスマッシュヒットだったから(私の中でね)。

あまり、紹介すると、これから観る人の楽しみを削いでしまうので、ほどほどにしておくけれど、ちょいちょいいらいらする演出がいくつかあるものの、始めの20分を越えると、後はなかなか引き込まれる展開で、非常によろしい。
まず、彗星の衝突というSFチックな設定で、拒否反応をおこす人がいるかもしれないが、その点についてだけは皆さんにご忠告させていただく。SFチックな内容はまったく無いので、くれぐれも気にしないこと。

私は『フォレスト・ガンプ』が大好きなのだが、そのレベルに指先を懸けるところまで到達していると思う。非常につよくお薦めしたい。本年にはいって、初良作である。
意外にも、いままで無かったことで目から鱗だったのだが、最後に、謎解きの体でおさらいするのは、ちょっと新鮮かも。

ただ、ひっかかるのは、この面白さが、監督のおかげなのか、原作者のおかげなのか…。『ジェネラル・ルージュの凱旋』と同じ監督なのだが、本作の面白いと感じる部分は、『ジェネラル・ルージュの凱旋』には無かったように思えるので、やはり原作のおかげだろう(タランティーノばりの時間軸ごちゃまぜ編集も、原作からなんだろう。おそらく。あまり小説を読まない私だが、ここまでいい映画の原作を連続で観せられると、ちょっと読んでみたい気になる)。それにしても、この監督は原作あり作品職人みたいになっていますな(製作委員会方式においては、うまくやれる人なのでしょう。組織でうまくやることと、個性を出すことがトレードオフになっているということだろう)。

もう一つだけ難点を。こんな直球のコピーはいけない。センスを疑う

#それにしても大森南朋はうまい。複数の役を演じているが、別人が演じているようだ。でも、ちょっと器用貧乏なのかもしれないなぁ。

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プロフィール
HN:
クボタカユキ
性別:
男性
趣味:
映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
自己紹介:
一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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