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image0478.png公開年:2008年
公開国:日本
時 間:117分
監 督:本木克英
出 演:田中麗奈、加瀬亮、福田麻由子、池脇千鶴、布施明、高島礼子、豊川悦司、佐藤祥太、相築あきこピエール瀧、大沢あかね、海老瀬はな、藤井美菜、笹野高史 他
コピー:ソックス、私のそばにいてくれて、ありがとう。




函館。14歳のあかりが学校から帰ると、いつもは家にいるはずの母親が不在。ふと庭に目をやると、そこには一匹の子犬がいて大喜び。しかし、そこに母が倒れて病院に運び込まれたという父からの電話が入る。その犬は一旦逃げてしまうが、悲しみにくれるあかりの前に再び現れる。あかりは、右の前足だけが白いその犬に“ソックス”と名付けて飼うことに。癌を宣告されていた母は、あかり犬を飼う心構えとして、犬と“10の約束”をしなければならないと言い残す…というストーリー。

TVのバラエティ番組のプロサーデューは、犬と子供を出しときゃ数字取れるだろ!って、言うとか言わないとか。加えて、母親・妻の死とかプラスしておけば、バッチリでしょ!そんで『死ぬまでにしたい10のこと』みたいなタイトルつけときゃバッチリっしょ。まさにそんなノリでつくられた作品。そんな打算的なノリで作られた作品がおもしろくなるか?って思うだろうけど、見せたいものがしっかりしているせいなのか、結構見入ってしまう。

変なところはたくさんある。
自分が貰ってきた犬が、行方不明なのに、放っておくとか、とても無責任な母親(ムカっときたけど)。
すらすらと犬の十戒が暗誦できるのがかえって不自然。
いくら料理のヘタな男だとはいえ、3枚の食パンが同じように真っ黒ってことはないだろう(はじめの2枚は黒こげになったとしても、次に焼いたのも同じ程度の焼き具合になることはないでしょ)。
別に大学の寮に入ることが必須なわけではあるまい。札幌でペットOKの部屋や家が見つからないわけがないだろう。
いままですたすた歩いてた犬が、突然ベランダを上がれなくなるとか、急すぎるでしょ。

函館のハンパない独特の訛りを再現してたらスゴイと思うのだが、ちゃんと訛ってたのは警官だけだった。それなりのキャリアの役者が出ているわけだが、全員、布施明の演技レベルに合わせたみたいに大根。わざとか?って思うほど。
#まあ、大根演技なおかげで、豊川悦司演じる父親の不器用な感じがうまく出ていて、そこだけは成功だったと思うけど。
田中麗奈と加瀬亮に似た子役を見つけてきました…って感じ。確かに似ていたんだが、福田麻由子の感嘆の声とかちゃんと演技つけろよって…。
函館と札幌と旭川の距離感もなんか変。

これだけポンコツ演出なのに、犬・子供・母の死っていうのはなんてパワーを持っているだろう。それなりにホロっと来てしまうのだ。最後には娘を嫁に出すという涙ポイントを加えて、さらにホロり。ほんと、もっときちんとつくれば、涙ダーダーの名作になっただろうにねぇ。

最後の教会で式の参列者が歌う中、布施明がマジ唱なところとか、多分笑いどころなんだと思う。でも、イマイチ笑えないんだなぁ。本木克英監督って、いまいち笑いのセンスがないのかもしれないなぁ。

ただ、正直に言うと、この映画観たあと、ウチの犬にやさしく接してるっす、私。犬を飼ってる子供のしつけにはなると思うよ。

 

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imageX0038.Png公開年:1962年
公開国:日本
時 間:88分
監 督:市川崑
出 演:鈴木博雄、中村メイコ、船越英二、山本富士子、浦辺粂子、渡辺美佐子、京塚昌子、岸田今日子、倉田マユミ、大辻伺郎、浜村純、夏木章、潮万太郎 他
受 賞:【1962年/13回ブルーリボン賞】監督賞(市川崑『破戒』に対しても)




都営団地に住むサラリーマンの小川五郎・妻千代夫婦の間に一人息子・太郎が生まれる。両親の愛情をうけて、すくすくと育っていくが、息子のやんちゃっぷりに一喜一憂する毎日。特に妻・妻千代は、のんきで不器用でピリっとしない夫にイライラしながら、初めての子育てに悪戦苦闘するのだった。ある日、五郎の母親と暮らす兄夫婦が大阪に転勤することになる。老いた母を一人にすることができない五郎、そして狭小な団地暮らしにうんざりし始めていた妻千代は、郊外の一軒家に引っ越すことを決めるのだったが…というストーリー。

市川崑作品と言えば、金田一シリーズみたいに死ぬだ殺すだといったストーリーばかりで、こういう作品を観るのは初めてかも。キャストは『黒い十人の女』とかなりダブっているね。引越しのゴタゴタとか、母親の葬式とか、予測のつくシーンはサラッとスルーする編集の構成のキレの良さは、さすが市川崑って感じ。
驚くべきことに、元は育児書で、それを膨らませて映画に仕上げてしまったという奇作。脚本家は市川崑の嫁さんの和田夏十だけど、彼女の功績なんだろう。

50年前の日本。一般家庭にTVのない時代。でも、これが間違いなく現在の日本の基点なのだが、異なる点が非常に興味深い。
二重が未形成の人が多い。京塚昌子みたいな体型の女性は少なくなった。主人公の妻も顔がしゅっとしてるから細いのかとおもいきや、骨格はものすごい太いし低重心。日本人女性の体型は激変している。しかし、動物園の雑踏を見る限り男性の体型は意外に変わってない。
フィジカル面以外でも色々。看護婦の白衣が汚い。唾つけて顔拭くばばぁとかいなくなったね。

このように田舎から出てきて団地暮らしをすることが、新興宗教の台頭の下地になったと思う。子供を増やすことを嫌がっているのは50年前から一緒。少子化が最近の傾向だと思っているのが間違いだってことだろう。傾向としては今も一緒なんだけど、育児・生活のコストが相対的に上がってるてことだと思うよ。

この作品は三世代が同居するのが理想といいたいようだが、実際そのとおりだと思う。だけど、実際は諸々の問題が生じる。本作では無知な姑の毒で家庭がうまくいかない。生活が安定しているジジババが近くに住むっていうのが理想形。でも、そういう流れがいいとはわかっていても、そのジジババ世代は学生運動世代で、頭のおかしいの毒親が半分以上。実際は成功しない。日本は未だに理想的な家族の形を模索している段階、それが50年以上続いてるってことだね。
作品自体のオモシロさというよりも、今となっては社会学的な価値が高い作品。わざわざレンタルして観るような作品でもないんだけど、BSやCSでテレビ放送があったときは是非どうぞ。

ちょっと私の性格が悪いのか、演出上の意図なのかもしれないけど、この主人公夫婦の子供が、全然かわいく感じられない。泣きはじめると、グーパンチしたくなるのよね。
#満月に浮かぶ浦辺粂子の顔がひたすら怖いわ…

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image1755.png公開年:2010年 
公開国:日本
時 間:129分  
監 督:篠崎誠
出 演:木村多江、窪塚洋介、福士誠治、柄本佑、木村了、染谷将太、山口龍人、南好洋、結城貴史、清水優、阿部亮平、テイ龍進、趙民和、石田佳央、吉田友一、塩見大貴、中村無何有、松川貴弘、保科光志、藤川俊生、サヘル・ローズ、古藤ロレナ、鶴見辰吾 他
コピー:あなたなら、どうする。



夫婦で参加したクルーズ旅行で嵐に遭い遭難した主婦清子とその夫・隆は、無人島に漂着。救助が一向に訪れない中、たくましく生きる清子に対して、隆は心身ともに衰えるばかりでまったく役立たず。そんなところに、新たに16人の若い男達が漂着してくる。彼らは与那国島でバイト生活を送っていたが、あまりの厳しさのために船で逃げ出したのだが、その途中で遭難したのだった。清子夫婦と16人は共同生活をはじめ、いつしか島は“東京島”と呼ばれるようになる。そんなある日、隆が崖から転落死してしまう。自殺なのか他殺なのかは不明だったが、清子はあっさりと若い男達の中のリーダー格“カスカベ”の妻となり、女王のように大事される境遇に喜びを感じるのだったが…というストーリー。

これってアンビリーバボー的なTV番組で紹介されることも多い、“アナタハン島事件”が元ネタなんだよね。それこそ、一人の女という宝物をめぐってバトルロワイヤル状態になるんだけど、その実際の怪異性とは、まったく無縁のポンコツ作品だったわ。

普通こういう作品って、旅行にいって漂流して…っていうプロローグを描くものなんだけど、後から無人島16人の男達がやってくるところまで、すべて主人公の語りだけで済ませちゃうっていう、驚きの演出。予測のつく展開をダラダラやられるのもウンザリだけど、ここまで割り切られるのも逆に閉口しちゃった。説明なしに無人島の生活の様子からスタートして、なんでこの状態になったのかを、彼らの会話や回想でおいおい説明してくっていう、演出が妥当だったと思うけどね。判りきった展開を極力避けて、観せたいところだけど観せる!っていう覚悟の上の演出なのかと思ったけれど、結局、一人の女性の争奪戦か共有財産制を選択するかという見え見えの展開になるのが、トホホ状態。“女性”のしたたかさとか、原始の姿みたいなものを描ければ成功だったのかもしれないけど、全然表現できていないし。何が観せたかったのよ? と監督を問い詰めたい気分。

途中から、ババァ呼ばわりされる木村多江だけど、男達とそれほど年齢が違うわけでもないし。都会ではブス扱いなのに、島ではうっひょー状態だ、みたいなコントラストはないし。
薄幸が似合う木村多江だけど、本当に不幸な状況におかれると、魅力は薄れ感じだし。木村多江に非はないけど、結果的にキャストミスかもしれん。その他の男連中のキャラもいまいち立っていないし。

小説の段階ではなんとなく成立していたかもしれないけど(読んでないから知らんけど)、映像にすると変な部分も盛りだくさん。
ドラム缶でつくった鏡をプレゼントされて喜ぶ清子→自分の顔を見てびっくり…という流れ。鏡なんかなくても、自然に水面に写る自分の顔を見る機会なんか山ほどあるから。
不法投棄の船がやってきてワタナベだけ救ってもらった(と思われる)シーン。“サイナラ”とドラム缶を並べる時間も体力もないだろうし、不法投棄したやつがそんなことに協力するわけもない。
いくら南の島とはいえ、寒いときは寒いし燃料も真水も豊富なわけではないだろうから、火の番だ水の確保だと苦労してしかるべきだし、それをめぐって問題がおきて当然だと思うが、それがまったく無い(程度の問題だけど、そこを完全に無視するのはねぇ)。
中国人のリーダーとおぼしき人の髪の色。のびても金髪(白い)。でも完全にしろじゃなく根元が黒っぽくみえたから色を抜いているのかと思ったが、伸びても白い。どういう状態?

で、ラストは10年後の様子なんだけど、これが、びっくりするほどつまらない。小っちゃいモーターボートで脱出できるくらいの距離なのに、そして自分の子が一人おいていかれてるのに、救出要請も出さないなんて考えられん。そこで何があったかを隠さなければいけない感じでもないし。子供は絶対手放しちゃだめよといっていたキムですら、放置を選択するという意味不明な展開。
#眼鏡だけで10年を表現しようという、映像センスにも閉口する。
娘がワタナベの唄を口ずさんでいるということは、清子が教えたに違いない。ということは、あの無人島での生活を懐かしんでいる(のか、都会の生活に疲れている)ってことなんだろうけど、思わせぶりに娘に話したいことがある…なんて感じでスパっと終わるけど、島に舞い戻ろうとしてるのか?って匂わせたいのだろうか。それはそれで、魅力的な展開じゃないよな。

こりゃ失敗作。腹の据わってない数々の演出をみるに、ストレスがかかるとチョケて逃げる人なんだ思う。人間修行しないと、この監督はきちんとした映画は作れるようにはならんだろう…、なんて、したくもない人格否定をせざるを得ないくらいの失敗作。映画への造詣があるのと、現場で力が発揮できるのは、別の能力だから。

 

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image1821.png公開年:2010年 
公開国:日本
時 間:93分  
監 督:渡辺琢
出 演:黒沢かずこ、渋江譲二、光浦靖子、大久保佳代子、椿鬼奴、やべきょうすけ、村上知子、大島美幸、庄司智春、田中圭、秋野暢子 他
コピー:笑いにできない恋もある。




お笑いトリオ森三中の黒沢かずこは、他メンバが結婚しているなか、一人だけ独身。ある日、大島夫妻主催のパーティに参加すると、イケメン俳優の渋江が声を掛けてくる。黒沢のファンだという渋江に、黒沢は舞い上がってしまうが、やはり自分など相手にされるはずもないと思い消極的になる黒沢。しかし、渋江のアプローチは続き、2人の仲は徐々に深まっていき…というストーリー。

別にネタバレしてもどうってことない作品だと思うけど、一応注意しておこう。

ドッキリのてんどんは、観客の7割が予測しただろうが、もう、それしかやりようがない。マジな展開だと考えると、さすがに記憶喪失以降のくだりは陳腐すぎるし。はじめのドッキリもそうだけど、展開が読めるだけに、ドッキリまでのくだりが長すぎて、さすがに飽きる。実質65分くらいの内容しかないのだ。
正直、観るのを何回も辞めてるんだが、ブログに書くことが無くなるから、最後まで付き合った感じ。大久保さんと奴さんのくだりのように、その他の原因の恋愛あるあるを厚くするとか、そうしないと厳しいわ。そこは、製作陣の努力不足というかやっつけ仕事というか…、あまり褒められたもんじゃないね。

薄い内容なので、これ以上言及する気はないのだが、1点だけ。この作品は、実は名作になった可能性がある。

あとからエンドロールでネタバラシみたいな流れになるけれど、『シックスセンス』や『ファイトクラブ』のようにもう一度見返したら、「おお!そういうことか!」という映画にできたから。どういうことかというと、本作の映像すべて、隠しカメラの映像にすればよかったのだ。
女芸人が集まってるバーのシーンも部屋の掃除のシーンも、すべて。だから、黒沢さん目線とか黒沢さんの心の声とか一切排除してね。これをやったら、カルトムービー化したかもしれない。
#まあ、TVドラマの映画化とか、TV局主導の映画ばっかりつくってるプロデューサが、何人も雁首そろえてるような作品だかからなぁ。期待するほうがアホなのか。

どういう層に観てもらいたいのか、定まっていない…という印象もあるし、演出も中途半端だし。キャストは“実在”で貫くべきだよね。そこは秋野暢子じゃないよね。ブレブレじゃん。さすがに田中圭はないだろ?キチンと作ろうよ…と飽きれる部分が多々。レンタル料金50円なら、許せるレベル。

#『ハンサム☆スーツ』のときもそうだったが、映画全体がポンコツでも、大島さんはそこそこデキる子なんだな…と思う。

 

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image1833.png公開年:2011年
公開国:日本
時 間:141分
監 督:山下敦弘
出 演:妻夫木聡、松山ケンイチ、忽那汐里、石橋杏奈、韓英恵、中村蒼、長塚圭史、山内圭哉、古舘寛治、松浦祐也、青木崇高、山本浩司、山本剛史、中野英樹、菅原大吉、康すおん、中村育二、山崎一、あがた森魚、三浦友和 他
コピー:僕たちは、“何を”信じるのか──
1971年。若きジャーナリストと革命家。二人の出会いが引き起こした衝撃の事件。激動の時代に翻弄された若者たちのすべて

東大安田講堂事件が起きた1969年に大手新聞社に入社した沢田。彼は、新左翼運動への共感を抱きつつも、比較的穏健な「週刊東都」の記者として働くことに葛藤していた。1971年のある日、先輩記者の中平の所に活動家を名乗る梅山という青年が接触してくる。沢田は取材に同行。梅山は、自分を“京西安保”の構成員であるといい、「武器を強奪し、4月に決起する」と語ったが、その信憑性は測りかねるものであった。しかし沢田はそんな梅山に親近感を抱き、交流を深めていく。その後、梅山は学生仲間と共に「赤邦軍」なる組織を結成し、自衛隊を襲撃して武器を奪うという計画を沢田に明かす。沢田は自分に取材させてほしいと頼むのだったが…というストーリー。

松山ケンイチが持っている危うい雰囲気が役柄にマッチしている(訛りは気になるけど)。

本作は全共闘世代と括られるアホ世代が、そう呼ばれる所以たる若き日のお話。現在、企業のトップや社会のリーダーとして活躍する世代でありながら、アホを振りまき続けている“例の世代”だ。原作者が経験した内容ってことでいいとおもうんだけど、妻夫木聡演じる主人公の名は沢田で、原作者は川本で、本名なのかフィクション名なのかは、よくわからん。

日本人は、老人を敬って然るべきというエトスを持っているが、この学生運動世代には、その敬いが向けられることはないと思う。将来、リアル姥捨て山・爺捨て山が繰り広げられることだろう。
ゆとりだバブルだと、下の世代がどう形容されようが、この世代は救いようがない。なんといっても奴らは犯罪者とその共犯者みたいなものだから。当時を省みて反省しているならまだしも、武勇伝のように語るやつが未だに存在するからね。そして、中途半端な左翼思想にかぶれたその人たちは、未だに中共・朝鮮大好きだもの。過激な手法をやめて、別の穏健な手法に切り替えて、中国・韓国押しを続けている売国奴世代といってもよい。

本作の主人公“梅山”の話す内容を聞けばわかると思うけど、“革命”とやらがやりたいだけで、その先になにかがあるわけではない。本来“革命”ってのは目的のための手段のはずだが、手段が目的に変わってしまっていて、且つそれに気付かない。もしくは気付いていても、そういう渦の中にいる自分に快感を覚えているから、見えないフリをしている。そういう狂人なのである。中途半端に弁だけはたつのでタチが悪いのだが、正に“平気で嘘をつく人々”である(あなたの身の回りにも、いるはず)。

いまだにそういう世代は、現体制が壊れさえすればいいとおもっているので、平気でいろんな事件をでっちあげる(南京“大虐殺”だぁ、慰安婦“強制連行”だぁと)。本気で造反有理が正しいと思ってるから、救いようがない。彼らが持っているのは単なる“破壊衝動”。それを満たすだめだけに、知識を使う。でも、社会はそんなに簡単には壊せない。思うようにならないときの衝動はどこに向かうか。組織の内部に向かって、仲間を壊し始める。本作では、それが法廷での罵りあいの泥仕合という形であらわれるが、他の組織では内ゲバという形になる。私の経験上、こういう人間こそ社会に潜む“悪魔”なのだ。お気をつけあそばせ。

さて、本作は、そんな奴らを美化したいの揶揄したいのか。

梅山には観客の誰一人として共感はできないのは明白で、奴らが堕ちて行く様子を眺める…そんな感じ。梅山は、ただのソフィストでテロリスト。それ以上でもそれ以下でもない。こういつらが“思想家”だっていうんなら、私は偉大な哲学者って名乗っても問題なし。
梅本の出身や生い立ちを表現しなかったことからも、たんなる“悪魔”として表現したかったんだろうと解釈する。しかし、映画の演出上、メインキャラの厚みが出ないことに繋がるので、マイナスでもあり、諸刃の剣ってところ。
刺された自衛官が、絶命するまでに這うシーンを長まわししているのを見ると、こういう罪もない命が無碍に殺められたのだ…という表現だと思う。やつらの所業がいかに愚かかという主張と捉えた。

この程度の内容で140分超えって長くないかね?と思ったのだが、最後までみると致し方ないと思った。自称革命家としても梅本があまりに小物臭すぎて、映画全体のメッセージが「社会に潜んでいるこんな傾向のクソ人間に気をつけなはれや!」って感じになりかける。それでは、チンケな映画になってしまうので、時代が丸ごとクレイジーだったかもしれないけど、その血みどろのお祭り騒ぎに参加しない道だって十分に選択できたのに、しなかったんぜ、お前らは!というメッセージにしたい。だから、最後に、有罪になってクビになった後、ふらりと立ち寄った飲み屋で知人に出会うシーンが差し込まれる。どうしようもなかった彼(見下していた彼)は、今は平穏に市井の人として生きている。それに比べ、理想に燃えていて賢いとおもっていた自分はこんなありさま。
#「何で信じちゃったのかなぁ」なんて言われても、知らんけどね。

学生運動やってた世代には気をつけろ!日本にこういう時代があったことを知らない若い世代は観るべき…というか知っておくべきかな(その上の世代も再確認という意味で)。最高に面白いとは言い難いけど、小難しい本やドキュメンタリーを観るよりはいいでしょ。

#そんな中、唯一の良心といえる存在が忽那汐里演じるモデルの子。事実とはいえ、3年後に死んじゃいました…って、なかなかヘビーな顛末なのよね(そっちで1本ドラマがつくれるレベル)。




負けるな日本
 

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image1822.png公開年:2011年
公開国:日本
時 間:147分
監 督:成島出
出 演:井上真央、永作博美、小池栄子、森口瑤子、田中哲司、渡邉このみ、市川実和子、吉本菜穂子、相築あきこ、別府あゆみ、安藤玉恵、安澤千草、蜂谷真紀、松浦羽伽子、ぼくもとさきこ、深谷美歩、畠山彩奈、余貴美子、平田満、風吹ジュン、井上肇、宮田早苗、徳井優、広澤草、野中隆光、管勇毅、荒谷清水、日向とめ吉、瀬木一将、吉田羊、日比大介、劇団ひとり、田中泯 他
コピー:優しかったお母さんは、を誘拐した人でした。

生後まもなく、父親の愛人に誘拐され、4歳になるまで犯人に育てられていた恵理菜。両親の元に戻ることができたものの、それまで犯人を母親と信じて疑わなかった彼女にとって、真の両親は他人以外の何者でもなかった。両親もそんな娘の態度にとまどい続け、結局、まともな親子関係を気付くことができないまま、恵理菜は大学生になる。ある日、友達もおらずバイト生活に明け暮れる恵理菜に、過去の誘拐事件について取材させて欲しいという女・千草があわられる。妙に馴れ馴れしい千草を訝しげに思いながらも、取材に応えていく恵理菜。そんな時、恵理菜は妻子ある男の子供を身篭ってしまい…というストーリー。

誘拐犯・野々宮希和子の公判の様子から始まるのだが、そこで語られる事件当時の様子を皮切りに、①誘拐→逃亡の生活、②救出後に成長した薫の今の生活、という二本のストーリーの川をつくる。その二本の川を交互に見せていくことで、登場人物たちの心の揺れを見せたり、彼らの行動に対する疑問を説明してみたりする。決して目新しい構成ではないし、もしかすると原作の段階でこういう構成だったのかもしれないが、非常に効果的だったし、編集の仕方も長けているので、単なるウェットで病んだ人々のお話にならず、スリリング且つメリハリの効いた“映画”らしい作品に仕上がっていると思う。

小池栄子は『接吻』と同様に光る演技。胸を目立たなくさせるためか、純粋なキャラ付けなのかはわからないけど、、猫背で引きずるような歩き方。全編オドオド(っていうかキョドっている)。その一貫した演技のおかげで、彼女の過去の告白を聞いた時の“ぞわっ…”が生じる。
そして、ストーリーは、痛い二人によるロードムービーに転じていく。

ただ、シチュエーションが特異すぎて、共感しにくいのが難点か。特に男性には難しいかもしれない。誘拐犯の希和子は、子育てをする喜びを味合わせてもらったことに対して感謝する陳述をする。普通は彼女が人非人に写る。でも、薫との生活を順に追っていくと、なんとなく希和子が理解できる…???いやぁ、男の私には微塵も理解できないのよ。女の本能だとでも?
薫の感情だって理解しにくい。後妻で入ってきた義母と折り合いが悪くて…なんて経験をした人には共感ポイントがあるのかもしれないけど、私そういう経験ないし。それこそ、狼に育てられた狼少女の気持ちなんてわかるわけないでしょ。それと同じくらいピンとこない。まあ、逆に彼女たちも“普通”がわからないから、“八日目の蝉”の気持ちを考えるわけなんだけど…。
#本当に一番理解できないのは、連れ去り犯であろう女を愛人にしていた夫と、その後も生活を共にし続けている点なのだが、そこを突っ込んじゃ話が進まないのかな(ここをうまく説明できていたら、よかったのにな…と思う)。

原作通りなのかどうかわからんけど、多くの人が、ラスト「これで終わり?」と思っただろう。あの写真館で薫は何を思い出したと?どういう心の整理がついたと?私の感受性が不足しているのかもしれないが、いまいち理解できていない。島に戻るって決めたこと?とりあえず、子供を生んで、二人で育てるって決めた以外になにが?お腹の子供が愛おしくなったって、それまではそう思ってなかったの?

登場人物に共感できなかった私は、俯瞰した目線で純粋にサスペンス映画として愉しんでいたのだが、申し訳ないのだが、結局、彼女がどういう欠けたピースを求めていて、どうそれを埋めたのかよくわからなかった。そこがうまく表現できないならば、せめて、もう一盛り上がり事件をつくって終わって欲しかった。

まあ、文句は色々書いたけど、佳作だと思う(とにかく、中盤までの演出は評価したい)。



負けるな日本

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image1346.png公開年:2008年
公開国:日本
時 間:108分
監 督:万田邦敏
出 演:小池栄子、豊川悦司、仲村トオル、篠田三郎、大西武士、馬場有加、佐藤貢三、宮田亜紀、杉山彦々、青山恵子、菅原大吉、平栗里美、美月まどか、八波一起、諏訪部仁、竹本和正、鳥木元博、岡部務、由地慶伍、高野三枝、伴藤武、篠崎誠、吉岡睦雄、中津川南美、熊島一樹、河崎早春、須賀友之、粕谷直子、櫻井勝、太田悦史、権藤俊輔、沖田弘二、比佐廉、小宮山ますみ、鈴木隆之介、柏原優 他
受 賞:【2008年/第18回日本映画プロフェッショナル大賞】作品賞、主演女優賞(小池栄子)、ベスト10(第1位)
コピー: この愛は理解されなくてもいい。やっとあなたという人に巡り会えたのです。
究極の愛が行き着いた、衝撃の結末。

幼い頃から人付き合いが苦手だった遠藤京子は、淡々と事務職をこなす孤独な日々を送ってきた。ある日彼女は、無縁な親子3人を撲殺した坂口秋生の逮捕劇をTVで目にする。京子は、カメラに向かって微笑んだ坂口の表情を見て、彼が自分と同じように孤独の中にいる人間だと確信。そこから事件記事のスクラップを始め、坂口に関する情報を狂ったように集めるのだった。公判が始まると、弁護士の長谷川と接触し、坂口へ差し入れを持っていって欲しいと依頼するまでになり…というストーリー。

映画を観ているはずなんだけど、小さい小屋で小劇団がやってたらさぞ話題になるだろうな…なんてことが、ずっと頭の片隅に。なんでそう思うかというと、“映画”ならではという表現がまったくといっていいほど使われいないから。別に、中島哲也監督のような奇抜さなんかを求めていっているのではない。映画ならではというフォーカスの当て方や、場面の移り変わりなど、効果的な手法を使ってしかるべきだと思うのだ。はっきりいって絵コンテのセンスや編集のセンスが不足。

小池栄子の演技に関しては、何の文句もなし。バラエティの印象が強すぎるのが非常に残念だが、致し方ない。満島ひかりが『ウルトラマンマックス』で三池崇史監督と出会ったような、そういう運命が彼女のは無かったということ。あきらめるしかない。

本作の最大の問題ポイントは、タイトルでもあるラストの“接吻”だろう。いわゆる映画の玄人筋にはウケがよかったと思う。だけど、一般の観客の7割は“はぁ?”だったんじゃなかろうか。私も、観ているリアルタイムの間は、意味がわからなかった。観終わった後に、振り返ったり撒き戻したりして、熟考した上で、「ああ、もしかしてこういうこと?」と結論が見えてきた。私が鈍いのか?いや、多分違うと思う。

(以下、ネタバレ注意)
遠藤京子は、坂口にシンパシーを感じてどっぷりと傾倒していく。自分はいままでの人生の中で、周囲の人間からぞんざいな扱いしか受けてこなかったと思っているし、きっと自分は他者とは違う感覚なんだろう…と。だって、どうやら周りの人が感じているらしいことはピンとこないし、自分が気にかかることや大事に思っていることを周囲の人はそう思っていないようだし。きっと自分はこのまま孤立して生きていくんだろう…すっと理解されないんだろう…と思っているところに、同じように他者からはみ出すべくしてはみ出した人間が出現する。

で、ストーリーも彼女の一途な行動をずっと追っていく。ラストでその一途さは、坂口から裏切られた…というか、このまま二人は染み込んで一つになってしまうんじゃないかと思っていたくらいなのに、突然突き放された絶望感で、極端な行動として現れるわけだ。ああ、こういう燃え上がりで終わるんだ…と思ったところで“接吻”なわけだ。

私は、これは、絶対的に他者と違うと思っていた(思い込んでいた)京子が、自分の中に普通の人間(というか生き物)が欲する感情や欲望が顔を出したのだ。そう、京子は表層の意識では坂口を愛し長谷川を憎悪していたのに、無意識下では長谷川を欲していた(ある意味、ノーマルな私がいた…)ということに、自分も気づかされたという瞬間なのだ。
理性と本能の乖離。自分が自分を作り上げていただけなのか。やはり坂口や長谷川が言うように、自分と坂口は別物なのか。それとも逃げ出したいけど、引っ込みが付かなくなった私がそこにいるのか。え?何?何?私って何?
あの“接吻”の瞬間に、こういう考えや思いが、ぞわーーーーっと津波のように襲ってくる。そしてそれに気付きつつも、我に返った京子は、刑務官に引っ張られながら長谷川を拒絶しながら消えていくわけだ。もしかすると、最後の拒絶は、今まで長谷川を拒絶していた理由とは違って、今度は長谷川に迷惑をかけたくないという愛に変わっているのかもしれない。

そう、本当は、観ている時にリアルタイムで、この“ぞわーーーーー”を感じられる演出をしないとだめなの。これをリアルタイムで共有できたら、本作は間違いなく名作となり得た。これができなかった以上は、地味だけど佳作どまり。もし、小池栄子のがんばりがなかったら凡作。

#坂口が致命傷を負ってもあまり痛みを感じていなさそうな演出は、地味に秀逸だったと思う。シリアルキラーとか暴力犯罪を繰り返す人は、物理的な痛みに鈍感な人が実際多いからね。


負けるな日本

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imageX0028.png公開年:1960年
公開国:日本
時 間:98分
監 督:市川崑
出 演:岸恵子、川口浩、田中絹代、森雅之、仲谷昇、浜村純、岸田今日子、土方孝哉、夏木章、友田輝、佐々木正時、星ひかる、飛田喜佐夫、伊東光一、江波杏子、穂高のり子、森矢雄二、横山明、森一夫、篠崎一豊、渡辺鉄弥、磯奈美枝、竹内哲郎 他
受 賞:【1961年/第14回カンヌ国際映画祭】フランス映画高等技術委員会賞(市川崑)
【1960年/第11回ブルーリボン賞】作品賞、主演女優賞(岸恵子)、監督賞(市川崑)、撮影賞(宮川一夫)

作家の父と継母の元で暮らすげんと碧郎の姉弟。厳格なクリスチャンである継母は姉弟に対して冷淡で厳しい態度をとり、さらに持病のリウマチを盾に一切の家事をげんに押し付けていた。父の作家としての収入は不安定で、家庭は貧しく暗い雰囲気だったが、げんと碧郎は仲良く明るくふるまっていた。しかし、碧郎の素行は悪くなる一方で、悪い学友と付き合い万引きをして警察に補導されるなどして、退学させられる始末。転校しても不良っぷりには拍車がかかるばかり。しかし姉のげんは、そんな碧郎のことを大切に思い、時に叱りながらも、面倒をみてやるのだった…というストーリー。

もう、3日連続でポンコツ作品続きだったので、堅実な作品を。BSか何かで『おとうと』の銀残しバージョンというのが放送されていたそうで、それを録画したものを観せていただいた。
映画検定のテキストでは、『おとうと』といえば“銀残し”という特殊なフィルムの脱色法。白黒に近い発色になる表現方法って書いているが、それを説明するテキストの写真が白黒って、説明にも何にもなっていない。やっとこの度、それがどんなものか理解できた次第。

カラーだけどセピア調ともいえる風合い。簡単に言えば“レトロ感”。記憶の中の世界というか、誰かからお話を聞いているような、なんともいえない雰囲気が作り出されている。
こんなにいい感じなら、現代技術をもってすれば画像処理でいくらでも作り出せるんじゃねえの?って思うかもしれないが、色の褪せ方が一様ではなく、そのアナログ感というかランダム感が、たぶん簡単には作り出せないと思う。特に場面の繋ぎで見られるフェードアウト&インのところの味わいはなかなかである。ただ、味わいだけっちゃあだけで、うまいか?GOODなのか?ってきかれると、素直に頷けなかったりする。その程度か。

ストーリーだけを取り出せば特筆するほどのレベルではない。しかし、映像が持つ雰囲気で観客はすっかりその気になる。悪い言い方をすれば誤魔化しってことだけど、映画監督の仕事ってのは誤魔化しの仕事。どれだけ素敵に私達を誤魔化してくれるのか…それこそが力量。後の『犬神家の一族』などの、味のある雰囲気の萌芽が如実に感じられる作品ではある。

田中絹代が神にすがる後妻を苛立たしく思えるほどうまく演じており、また、岸田今日子が演じる田沼婦人なる宗教かぶれの女の訳知り顔が、非常にくたらしい。この二人が持つ“闇”のおかげで、興味が維持できたような気がする。
岸恵子は不思議と“アカ”の臭いのするおばさんだという印象だったのだが、この作品では、母親がわりの姉の力強さといたずらっぽさが残る少女がミックスされた、絶妙な役を見事に演じきっていて、正直好みの顔立ちではないがなかなか魅力的に見える。
役者の中で、なぜか不必要に光り輝いているのが(笑)、看護婦役の江波杏子。びっくりするくらいの超美人。現代社会にこのまま登場したら大スターだわ。
こういう女性陣たちの演技で、なんとか支えられている作品という感じかな。
そして、タイトルの弟を演じているのが、なんと川口浩。探検隊しか知らないので、ちょっと新鮮。でもやぼったい演技で、まあ、この作品の野暮ったさを代表している感じかな。

傑作ですってお薦めできる感じではない。和菓子でいうと落雁みたいな感じかな。おいしくないわけじゃないし、大っ嫌いって拒絶するようなものでもない。だからといって進んで好むってものでもない。そんな感じ。


負けるな日本

 

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image1236.png公開年:2008年
公開国:日本
時 間:115分
監 督:長崎俊一
出 演:サチ・パーカー、高橋真悠、りょう、大森南朋、高橋克実、木村祐一 他
コピー:人はみんな幸せになれるようにできているんですよ




中学1年生のまいは、友達関係がうまくいかず登校拒否になってしまう。対処に困ったママは、田舎にくらすおばあちゃんのところにまいを預けることに。おばあちゃんはイギリス人で、日本人の夫に先立たれてからは一人暮らしをしている。そんなおばあちゃんとの暮らしはとても新鮮だった。ある日、おばあちゃんは自分が魔女の家系だとまいに打ち明ける。自分にも魔女の血が流れていると知ったまいは、自分も魔女になりたいと願い、魔女になるべく“修行”をはじめるのだった…というストーリー。

いうほど“魔女”がどうしたこうしたという内容ではなくって、田舎にすむ西洋人のおばあちゃんとの異空間での生活…そのゆるく流れる空気を感じる作品かと。
途中、妙に料理シーンを挟んできて、『かもめ食堂』的なテイストで押そうとしてるのかな…なんて思ったが、如何せんイギリス人のやることななので、料理がおいしく見えるはずもなく。イギリス人なので、庭もけっこうぼーぼー(イングリッシュガーデンってそんなものでしょ)。まあ、飾らない感じではあるので、テーマには合ってるといえば合ってるのだが。

主人公に共感を持った人が意外といるのではないかな…と思う。登校拒否児とはいえ、その直接的な原因は主人公には無くて、そんな状況に甘んじる必要も迎合する必要ない、おかしいのはおまえじゃないから変に乗り越えようとするだけ無駄。だから、別に逃げたっていいじゃないかという思考に、「やっぱりそうだよな…」と妙に納得できて、それこそ励まされる何かを感じたりする。
特に会社勤めをしていると、往々にして、苦境に立たされると、こんなことが乗り越えられない自分に問題があるんじゃないかと考えてしまうことがある。しかし、後になって冷静に考えてみると、どう考えても上司の言っていることや状況がクレイジーだったと思うことが多々ある。
だからといって、いつも斜に構えてイヤなことはやらないで結構というわけではないのだが、“逃げるが勝ち”という場面は存在すると、はっきり主張してくれるのは、なにか心強く感じられる。
#西洋人で且つ魔女というおばあちゃんが、ある意味“部外者”としての客観的視点を発揮してくれるわけだが、異世界で異端者から救済されるという、何かジブリ作品に通じるものも感じなくは無い。

ただ、一方的に逃げりゃいいじゃんと肯定しているわけでもなくて、“客観視できる能力”を孫のあなたも見に付けなさい…と、そうじゃないと逃げるべき時なのかそうでなのか判断が付かず、永遠に苦しむことになるわよ…と。で、それが“魔女修行”という名で展開される。まあ、至極まっとうな考え方だし、それが中学生の主人公を通してのロールプレイになっていて、ちょっとしたメンタルヘルス改善のツールって気すらしてくる。

ただ、言っていることが正しければ、映画として正しいのかというと、それは否である。
途中で、この主人公がエスケイプできてるのって、親がそれなりの収入があって且つ逃げ場所があるからじゃん…とか頭をよぎる。大抵の世の中の人は、逃げ場所もなければ物理的に逃げられないからこまってるんじゃん…と、それが頭をよぎると、急に興醒めしてしまうのも事実。妙にゆるい空気を演出しているせいで、観客側に考えさせる猶予を与えているのが敗因。100分以内にまとめるなり、もうちょっと別のエピソードを挟んで気をそらすなりして、“逃げ切る”だけのパワーが無かった。

良作といいたいところなのだが、ほんとにあと一歩。実におしい出来映えだったと思う。でも、いかにもハリウッド的なエンタメ作品ばかり観続けていると、ほっとできたのも事実。荻上直子作品なんかよりは、ずっとほっとできたかも。軽くお薦め。





負けるな日本

 

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imageX0026.png公開年:1986年
公開国:日本
時 間:132分
監 督:深作欣二
出 演:緒形拳、いしだあゆみ、原田美枝子、松坂慶子、利根川龍二、一柳信之、大熊敏志、谷本小代子、浅見美那、檀ふみ、石橋蓮司、伊勢将人、宮城幸生、蟹江敬三、野口貴史、相馬剛三、下元勉、井川比佐志、荒井注、下絛アトム、山谷初男、宮内順子、真田広之、岡田裕介 他
受 賞:【1986年/第10回日本アカデミー賞】作品賞、主演男優賞(緒形)、主演女優賞(いしだあゆみ「時計 Adiue I'Hiver」に対しても)、助演女優賞(原田美枝子)、監督賞(深作欣二)、脚本賞(深作欣二、神波史男)、撮影賞(木村大作)
【1986年/第29回ブルーリボン賞】主演女優賞(いしだあゆみ「時計 Adiue I'Hiver」に対しても)

妻に先立たれた、作家の桂一雄は、知り合いの紹介でヨリ子を後妻としてもらう。ヨリ子は四人の子供をもうけ、先妻との間の長男・一郎を含め五人の子供を育てるが、次男の二郎が日本脳炎にかかり、重い障碍を持ってしまう。ヨリ子は、その苦痛から怪しげな宗教にすがるようになる。そのころ、一雄は、女優の卵の恵子と恋仲になり、しまいには家を出て恵子を同棲生活を始めてしまう…というストーリー。

ここまで、そのまま自分の家庭と浮気の様子を書き綴るなら、別に実名でも良いんじゃないか…という気がするくらい。

冒頭で、母に捨てられたことで、その性格が決定付けられたような調子で語られている。“火宅”とまで形容するくらいなので、どれだけ煩悩の欲するがままに行動していたのか…と思ったが、前妻とはいたって普通の夫婦関係だったようだし、二郎が障碍を負うまでは、ヨリ子とも大して問題は無かったように見える(もちろん、若い頃は好き勝手やっていたんだろうが)。むしろ、両親を反面教師にして、家庭は大事にしようという姿勢が見られる。
短絡的に三つ子の魂百まで、子供のときに形成された性格はそうそう直らない、人が煩悩に左右されてしまうものだ…ということを深作欣二は表現したかったのだろう。しかし、私なら、「何で息子がこんな状況…、なんで俺がこんな目に…、本当の俺はこんなはずじゃない…」という感じで、覆い隠していた心の地金が見えてきてしまうという、演出にする。
自分がこうあるべきと理性で押さえつけていた社会性のタガが外れた後の暴走っぷりは、推して知るべし。檀一雄の愛人は、この映画程度の数ではすまなかったはず。

一方、浮気相手のヨリ子は、一雄と一緒にさえなれれば幸せになれると、欲望と浅はかさな算段が入り混じっている。
浮気されたヨリ子は、何か男の浅はかな考えを超えた先の何かを見据えているような、ゾっとするような達観を見せる。
キャバレー勤めの葉子は、その不幸な生い立ち故か、打算的な将来を選択し、それでいいのか…という思いを断ち切るように、まるでこれで今生との別れと言わんばかりに、無頼に付き合う。この三者に女が持ち合わせる怖さを分担させているわけだね。

話の筋は、正直いって別に高尚なものでもないし、他人の家を覗き見している感覚で、下世話な内容だと思う。元々は、断続的にタラタラと描かれた、浮気の告白文みたいなものなのに、それをよくここまでまとめたと思う。手を怪我して、ヨリ子に自分の浮気話を口実筆記させるくだりで、「小説の誇張だ」というシーン。おそらく小説には出てこないだろうし、脚本家の想像だろう。こういう想像を含めて、脚本の勝利といってよいかもしれいない。

欲するがままに生きて、幸せになれない人間てなんぞや。自由恋愛は生の謳歌だなんだと偉そうにいうが、それは犬畜生とどう違うのか。ある意味、人生をシミュレートしてくれているというか、こういう暴れ方はしたくないと思わせてくれるというか…。まあ、昨今の日本映画にはない、まさに“無頼”な面白さがある。軽くお薦め。





負けるな日本

 
 

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image1644.png公開年:2010年
公開国:日本
時 間:139分
監 督:李相日
出 演:妻夫木聡、深津絵里、岡田将生、満島ひかり、塩見三省、池内万作、光石研、余貴美子、井川比佐志、松尾スズキ、山田キヌヲ、韓英恵、中村絢香、宮崎美子、永山絢斗、樹木希林、柄本明 他
受 賞:【2010年/第34回日本アカデミー賞】主演男優賞(妻夫木聡)、主演女優賞(深津絵里)、助演男優賞(柄本明、岡田将生)、助演女優賞(樹木希林、満島ひかり)、音楽賞(久石譲)
【2010年/第53回ブルーリボン賞】主演男優賞(妻夫木聡)
コピー:なぜ、殺したのか。なぜ、愛したのか。
ひとつの殺人事件。引き裂かれた家族。誰が本当の“悪人”なのか?

解体工として働く清水祐一。幼いこと母親に捨てられ、それ以降、寂れた漁村で祖父母と暮らしているは、現在、祖父は寝たきり状態。祖母も衰えているため、祖父の介護も手伝っている。特に友人らしい友人もおらず孤独な日々を重ねる祐一は、出会い系サイトで知り合った福岡在住の保険外交員・石橋佳乃と打算的な関係を結んでしまうが、感情のもつれから彼女を殺害してしまう。ところが、捜査線上に上がったのは別の大学生。迫り来る恐怖を抑えつついつもどおりの生活を送る祐一だったが、そこに一通のメールが届く。それは、かつて出会い系サイトを通じて一度メールのやり取りをした佐賀の女性・馬込光代からのものだった。光代は紳士服量販店に勤務する普通の社会人だったが、孤独に苦悩する毎日を重ねており、話し相手を求めて連絡をしたのだった。そして二人は、佐賀で出会う約束をするのだったが…というストーリー。

主演の妻夫木聡演じる祐一は、悲しく侘しい生い立ちから、まさに、愛されたことのない人には愛し方がわからないという典型パターンのキャラクター。特別に凶暴なわけではない。
深津絵里演じる光代は、むしろ一般的すぎる生い立ちに、内向的な性格が加わり、孤独に苛まれている女性。二人は、内向的で強く思いを表出することも少なく、あらゆる行動に幼稚ゆえのぎこちなさが見られるキャラクター。こんな二人が、恋愛というよりも猛烈なシンパシーを感じあい離れられなくなってしまうわけだが、主役といいつつこの二人は本作の背景でしかないと思う。だって、二人がくっついたからって孤独が解消されるわけでもないし、お互いが精神的に成長するわけでもない。むしろ孤独は二乗になって、社会からの孤立・埋没というキャラが際立つだけ。そういう“事象”として存在しているだけ。
#逃避行劇としては、別におもしろくないでしょ。ただ痛々しいだけで。

そんな“悪人”の周りで、のたうち回るように心の色模様を変化させていくのは、樹木希林と柄本明。
被害者の父親は、はじめは妻を責め、警察を責め、容疑者を責め、そして最後には自分の心の中に何かを見る。
一方の加害者の育ての親である祖母は、自分を責め、自分を責め、自分を責め続けるが、それでも自分の中に何かを見つけ、変わっていく。
人間誰しも、その中に“悪人”の部分を持っている。そして、人それぞれに個性があるように“悪人”の要素も異なる。でも、それを正面から見つめることこそ、生きるということ。被害者の父親が「そうやって、人を馬鹿にして行き続ければいい」という意味の言葉を吐き捨てるのは、それに気付いた証拠なのだ。加害者の祖母が取材陣に囲まれ深々と頭を下げるのもそう。この作品がみせたいのは、そういう部分だと思う。
#特に光代なんかは、始めと最後を比べても対して変化していないのだから、狂言回しといってもよいくらい。

本作はキャスティングした人がMVPかもしれない。満島ひかりはビッチ役をやらせたらピカイチ。蹴しだされて観客誰しもをすっきりさせるんだから、大したもの(…というか、あまりにハマりすぎて、今後大丈夫かってくらい)。岡田将生もクソ人間の演じっぷりは見事なもの。日本アカデミー賞がこの二人に賞を与えているのは、至極打倒である。

李相日監督は、構成力という映画監督として重要なスキルを持っており、貴重な存在かもしれない。これからいい話はどんどん舞い込むだろう。がんばって。
お薦めする。見る価値はある。



負けるな日本

 

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image1692.png公開年:2010年
公開国:日本
時 間:105分
監 督:松本佳奈
出 演:小林聡美、小泉今日子、加瀬亮、市川実日子、永山絢斗、光石研、もたいまさこ、田熊直太郎、伽奈 他
コピー:あしたへは、ダイジなことだけもってゆく。


 

清らかな水系を持つ京都で、ウィスキーしか置いていないバーを構えるセツコ。喫茶店を営むタカコ。念願だった豆腐屋を始めたハツミ。それぞれが、自分の思うように生きている。同じ街に住む、家具職人のヤマノハ、銭湯の主人オトメ、その銭湯を手伝う若者ジン、散歩する謎のおばさんマコト。そして、彼らの輪の中で、いつもニコニコしている子供ポプラ。彼らは互いに、少しずつ関わりを深めながら、おだやかに日々を重ねていく…というストーリー。

『かもめ食堂』『めがね』の製作陣か作った作品とのこと。確かに『めがね』で崩れかけてしまったものを、グイっと『かもめ食堂』のテイストに戻した印象である。荻上直子が『トイレット』で中途半端な暴走をしようとしていることに、スタッフが愛想を尽かしたのか。「いやいやウケるのはこれっすから~」とばかりに、スタッフたちが『かもめ食堂』の成功体験が忘れられず、同じことをやったのか(関連書籍やら何やらで、おいしい思いをした人がいるのかな)。

まあ、どういう経緯かはよく知らないけれど、簡単に言っちゃうと、スローライフ・おひとりさま・ロハス…みたいなライフタイルを提案するカタログ映画である。場面場面で、料理のレシピとか家具のメーカーと値段とか、ポップが出てきそう。空気感を愉しむ映画なんだろうから、そこに金の匂いが漂っちゃあ客は付いてこないと思うんだよね。

一番ノリきれないのは、各キャラクターのスカした厭世的な雰囲気。『かもめ食堂』も同様にスローだったけど、スローな中に前向きさがあったと思うが、この作品は違う。この人たち、なんか年金とか払ってなさそう…とか、それどころかヘタすると登場人物全員、亡霊なんじゃねーの?ってくらい、人の匂いがしない。
あまり、この人たちと一緒にいたくないな…って感じ始めたら、その時点でアウトだよね。

それでも、私が観続けることができたのは、数ヶ月前に京都にいったので、なつかしく思えたからかも。八坂の塔を下ったところにある、湯葉屋さんの店先で湯葉をいただいたのを思い出す。おいしくって2パックもお土産に買っちゃったもんね。
閑話休題。

これで癒される人って、よっぽど日常生活で疲れきっている人なんでしょう。やみくもに永遠楽土を求めたって、そこに幸せなんか無いのにね。私、そこまで困憊していないので…。お薦めしない。




負けるな日本

 

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image1710.png公開年:2010年
公開国:日本、カナダ
時 間:109分
監 督:荻上直子
出 演:アレックス・ハウス、タチアナ・マズラニー、デヴィッド・レンドル、サチ・パーカー、もたいまさこ 他
コピー:「みんな、ホントウの自分で、おやんなさい」




引きこもりの兄モーリー、オタクの弟レイ、気の強い妹のリサの3兄妹は、日本人の母を亡くしてしまう。家には亡くなる直前に日本から呼び寄せた祖母“ばーちゃん”がいたが、彼女は英語が話せないため、3兄妹とコミュニケーションをとることが難しい。弟レイは研究室勤務で一人暮らしをしていたが、アパートが火事になってしまったため、他の兄弟とばーちゃんが住む実家で同居することに。トイレが異常に長く、出てくると何故か必ず深いため息をつくばーちゃんだったが、徐々に3兄妹と心を通わせはじめ…というストーリー。

荻上直子監督は、独特なゆるい空気感の『かもめ食堂』でスマッシュヒットを飛ばし、それこそ“おいしそう”ブームをつくったわけだが、続く『めがね』でも、変わり映えのしない作品と作ってしまい、私の中では評価がダダ下がり。次の監督作品こを正念場だと指摘していたが、さてどうなったか。

北欧や南の島などの、いかにもゆるゆるな舞台ではなく、日常社会の北米に(アメリカなんだかカナダなんだかよくわからんけどね)。そして主役の兄弟たちの配役も欧米人。そのアプリローチはよしとしよう。
しかし、3兄弟という設定は『ダージリン急行』を、血の繋がっていない兄弟という設定も『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』をあからさまに想起させ、オマージュとかそんなレベルではない。なんでこんなことをしたのか意味不明。
そこに、すし・アニメ・焼き餃子・エアギター・ひきこもり・ウォシュレットと、現代の日本らしさをぐちゃぐちゃと放り込んでみる。
まるで、アマチュアのシナリオライターが思いつくようなコンセプトである。あまりにベタベタすぎて、自らハードルを上げたようなもの。当然それを越えて来るんだろうと思ったのだが、完全にハードルの下を走り抜けちゃった。それなりにまとめあげたことは評価できなくもないが、なんでわざわざこんなことしてるのか、よくわからん。そんな感じ。

この監督は、自分に制限をかけて映画を作らねばいけないのではなかろうか。
①おいしそうな食べ物でごまかさない。
②奇を衒った行動でごかまさない。
③三谷幸喜作品に出てくるような俳優を使用しない。

何回つくっても同じような物しかできないなら、今後は同好会活動として映画をお撮りにになるか、これまでの3作を思い出にしてメガホンを置くことをお考えになられたほうがよい。そして、後輩のためにそのメガホンを手渡したほうが日本映画界のためになるだろう。残念ながら、別に観なくて良い。ウェス・アンダーソンのファンとしては、どうも鼻につく。




負けるな日本

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image1387.png公開年:2008年
公開国:日本
時 間:138分
監 督:瀬々敬久
出 演:妻夫木聡、檀れい、国仲涼子、田中裕二、池脇千鶴、カンニング竹山、光石研、キムラ緑子、嶋田久作、金田明夫、正名僕蔵、ダンテ・カーヴァー、小松彩夏、三浦アキフミ、夏緒、太賀、宮川一朗太、馬渕英俚可、田山涼成、三浦浩一、武野功雄、仁藤優子、久ヶ沢徹、佐藤恒治、松本春姫、山中敦史、山中聡、山本東、吉川美代子、山中秀樹、下元史朗、諏訪太朗、梅田宏、山梨ハナ、佐藤浩市、藤竜也 他
コピー: 神に裁かれるのは人間か?ウィルスか?

正月のいずみ野市立病院に急患が運び込まれる。その患者は高熱に痙攣、吐血、多臓器不全という症状で、新型インフルエンザの兆候を示していた。しかし、あらゆるワクチンを投与するも効果がなく、ほどなく患者は死亡。さらに、謎のイルスは病院関係者や患者たちにも感染し、病院がパニックに陥ってしまう。やがて、感染拡大を防ぐため、WHOからメディカルオフィサーの小林栄子が派遣されることに。彼女は、このウイルスが蔓延し続ければ、日本が崩壊する事態になりかねないと予測し…というストーリー。

観た人に感想をきいたら、中学生から大人まで、判で押したようにまんべんなくつまらなかったという答えがかえってきた作品。当然、なかなか食指は動かなかったがようやく鑑賞。

たしかにこれはダメ映画。私が一番ダメだと感じたのは、謎の病原体の被害者である民衆の描き方である。
感染した夫が死んだら、その妻が医師に対して「人殺し~」と叫ぶ。
養鶏場へのいやがらせ。そしてその娘へのいじめが、一方的にだれも手を差し伸べない。
バタバタと人が劇症化して倒れていて、病院が溢れているのに病院に押しかける人々。
などなど、民衆を無知で愚かで他人のことを感が無い惨め存在としか描いていない。罰が当たってしかるべき存在として描きたかったのかもしれないが、この作品を観ている人だって民衆である。そういう人もいるだろうが、そんな人間しかいないようにしか描かれていない。よって観ている人は自分が愚かな存在として馬鹿にされている気分になる。当然、観ていてうんざざりしてくる。
この、“日本の人間は所詮汚いもの”という目線の作り手が、我々の心を打つわけがない。

養鶏場のオヤジの自殺や、研究者の病原体特定合戦、そして手柄をかっさらう役人などなど、単なるシミュレート映画としてなら納得できなくもない。そういうスタンスに徹していれば許せるが、かならずそこにお涙頂戴だったり、エグい演出をからめて、観ている人の感情を揺さぶろうとする。しかし残念ながら、取って付けで稚拙な演出のおかげで、こちらの心が揺れることはない。
そして、無理矢理の恋愛要素。このシチュエーションで人間愛と男女の恋愛を同列に扱われても、ただただ滑稽に映り冷めるだけである。

娘の携帯に返信があったとしても、なんであれで妻が死んだと確信できる?もしかして持ち直したかのか?と混乱するのが不思議じゃないか?なんで諦められるのか(だって治った人もいるんだぜ)
国民の8人に1人が死んだ状態で電力がキープされるか?
ここまで感染者が増え、劇症化が著しい状況なら、もっと早く血清療法試されるだろう。そこまで我々が命に執着がないわけがない(ここでも民衆を馬鹿にしている)。
こまかいディテールの詰めの甘さはハンパじゃなく、なんでこれらが、最後までだれにもつっこまれずスルーされるのか。簡単なことである。本作の製作委員会がマトモに意見をいえない風通しの悪い組織だったからである。もしくは、日本を馬鹿にしようという意図をもった人間が関わっているか。そのいずれか、または両方でなければこうはならない。

そして、この馬鹿の戯言みたいな内容が138分も続くのである。これを惨事といわずなんといおう。
我々は、この映画を未来に残さねばならない。人間は時にこのような愚かなものを作り上げてしまうことがあると。神に裁かれなきゃいけないのは、この映画の製作陣だろうがよ。


負けるな日本

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映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
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出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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