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公開年:2001年
公開国:アメリカ、ドイツ、オーストリア、ハンガリー
時 間:102分
監 督:ステファン・ルツォヴィツキー
出 演:マット・ルブラン、エディ・イザード、エドワード・フォックス、ジェームズ・コスモ、ニコレッテ・クレビッツ、ウド・キア、ホルガー・スペックハーン 他
1945年。その変換方式の複雑さから解読が不可能といわれていたナチス・ドイツの暗号機エニグマ。イギリス軍は、ナチスに決定的なダメージを与えるために、エニグマを盗み出す作戦を計画する。当時のドイツは男性は前線に出ており、工場で働くのは女性ばかりになっていた。エニグマの製造工場に忍び込むには、“女装”するしかない、その名も“プリティ・プラトーン”作戦。イギリス軍は、特異な経歴の持ち主ばかりを選出する。OSS(アメリカ戦略情報局)のオルーク大尉。彼は一度はエニグマをドイツの同盟国であるイタリアから盗み出すことい成功したものの、無能なイギリス兵によって“敵性非軍事用品”として破壊されてしまうという残念な経験をしている。おまけに、そのときに強く抵抗しため、刑務所に収監されてしまっていた。イギリス軍は、エニグマを見たことがある彼を作戦に加えたかったが、一応囚人なので、監視役として事務担当の老兵ハートリー軍曹が“臨時少佐”として参加。ドイツ語など27カ国語に堪能な暗号解読の天才ジョンソン。そして、同性愛者であることが発覚し軍を去っていたドイツ語に堪能なパーカー元中尉を、女装の指南役にして、作戦がスタートする。ばっちり女性になりきった彼らは、いよいよドイツに潜入するのだったが…というストーリー。
4:3サイズなのでTVムービーかビデオ作品なのかな?と思ったが、きちんと劇場公開された作品の模様(日本では未公開らしい)。たいした内容ではなかろうと考えていたがどうしてどうして、本作はかなり面白い。ジャケット画像が、ガチガチのシリアス戦争モノなイメージなので、身構えていたが、まったく違って、コメディだった。
#あ、レンタル屋では、戦争モノの棚にあるからね(カテゴリは戦争にしておく)。
コメディといっても、ハハハ!と、直接笑わせようという意図的な演出は一切ない。シチュエーションがおもしろいというだけであって、戦争冒険作品としてもかなり優秀。これは、シチュエーションコメディとして、もっと評価されるべき作品だと思う。
ただ、エニグマ“奪還”というけれど、奪還というのは取り戻すことである。ドイツの暗号機を盗むということが何で奪還なのかまったく意味不明。なんとなく語感だけで付けた邦題が、実に残念だ。ジャケット画像にせよ邦題にせよ、もしかして日本の配給会社は内容をマトモに観ていないんじゃないか?と思えるほど。でも、日本未公開作品なのに、しっかり吹き替え音声は付いてるんだよねぇ。不思議な作品だわ。
ただ、冒頭で主人公のオルークがせっかく盗み出したエニグマをイギリス軍に破壊されてしまうくだり。なぜか刑務所に入れられてしまうのだが、同じ連合国側で、きちんと身分も明かしているのに、そんあことあるかいな…と思ってしまうよね。興醒めする人はここでダメかもしれない。まあ、私はそれほど期待していなかった…というか、軍事モノだとおもっていたので、もしかしてコメディなのか?!?!という衝撃のほうが大きかった。
主人公オルークと書いたが、実はオルークはあまり主人公らしくない。あくまで外様のアメリカ軍人だし、全編を通して彼のスタンスや意思にあまり変化はない。恋愛ドラマの当事者ではあるけど、女ったらしなのははじめからだし。むしろ、ほかの参加者たちが、作戦を通して一皮向けていく感じ(ずっと、「ママー」っていってハートリーにくっついてくる女の子。別にストーリーにそれほど重要だとは思わないんだけど、無駄な緊張を緩和したり、ハートリーの変化に寄与している)。
オルークは実は主人公のように見せかけた狂言回しである。けっこう巧みな構成だと思う。
また、女装までさせて仰々しくはじめた作戦なのに、実は裏が…という展開。いやぁ、この作品、本当に侮れない質の良さだ。お薦め。
公開年:2001年
公開国:アメリカ、スペイン、フランス
時 間:104分
監 督:アレハンドロ・アメナーバル
出 演:ニコール・キッドマン、フィオヌラ・フラナガン、クリストファー・エクルストン、エレイン・キャシディ、エリック・サイクス、アラキーナ・マン、ジェームズ・ベントレー、ルネ・アシャーソン、アレクサンダー・ヴィンス、キース・アレン 他
ノミネート:【2001年/第59回ゴールデン・グローブ】女優賞[ドラマ](ニコール・キッドマン)
【2001年/第55回英国アカデミー賞】主演女優賞(ニコール・キッドマン)、オリジナル脚本賞(アレハンドロ・アメナーバル)
【2001年/第14回ヨーロッパ映画賞】作品賞
コピー:その“存在(アザーズ)”が見えた時、全てが変わる。
その恐怖に世界が戦慄した、ゴシック・ホラーの最高傑作。
光さえ届かない館で、子供達は何を見たのか?
1945年、第二次世界大戦末期。イギリスのチャネル諸島にあるジャージー島に建つ大きな屋敷に、母グレースと娘アンと息子ニコラスの3人が暮らしていた。夫は戦地に向かったまま音信不通となっていた。アンとニコラスは、太陽光アレルギーで、光を浴びると皮膚が腫れ上がり、ひどい場合には死に至ってしまうほどのため、屋敷の窓はすべて厚いカーテンで閉ざされており、他の部屋の窓から光が誤って入ることを防ぐために、部屋の鍵は入退室の度に施錠するほど徹底していた。そのような厳しいルールを強いられたせいか、屋敷の使用人は一人もいなくなってしまい、すべての家事をグレースが行っていた。そんなある日、ミセス・ミルズと口のきけないリディア、庭師のミスター・タトルが、使用人の口を求めて屋敷を訪れる。3人は即採用されたが、その頃から、屋敷の中で何者かが走る音がしたり、ピアノが勝手に鳴り出すなどの怪現象がおこりはじめる。グレースは何者かが侵入したと怯えるが、アンはその招待は幽霊だと主張。老婆と男の子とその両親の絵を見せ、これが幽霊の姿だというのだった…というストーリー。
いかにも“演技をしてる”って感じが前面に出てしまうニコール・キッドマンだが、本作がいかにもなホラー作品なので、マッチしていると思う。子供を守れるのは私だけ!という、母の愛が狂ったように溢れれば溢れるほど、オチの展開が生きてくる。
薄暗く、装飾も少ない屋敷は、色があっても色が無いような世界で、ゴシックホラーの舞台としては最適。
難病の子供を抱えており、ヒステリックになるのも致し方ないという状況のグレース。夫は戻ってこなし、家を訪れる人もいない。そんな中、使用人がやってくる。それも昔屋敷で働いていたことのある人間だという。どう考えても怪しい3人だが、彼らはグレース一家にとって天使なのか悪魔なのか。そして、過去の母の行動を怖がる子供たち。その行動とは何なのか? これらについて頭に?を浮かべながら、話がすすんでいく。
屋敷では過去に凄惨な出来事があったと臭わしてはいるが、ストーリー展開上、死体はおろか血の一滴も出てこない。ドカン!バタン!と音で観客を驚かすこともしておらず、シチュエーションだけで恐怖を募らせていく、至極正統派のホラー作品で、実に好感が持てる。
(ネタバレ)
オチが判明した後は、あの場面はそういうことだったのか…と、『シックス・センス』的な感じで振り返りたくなる(見ているものの視点によって世界の見え方が違うという意味では、共通点がある)。とはいえ、さすがにもう一回おさらいで観直すほどではない。
『ビートルジュース』『ホーンテッドマンション』なんていうコメディもあるくらいだし、その場所に固執して離れない“自縛霊”っていうのは、欧米でも普通の概念なんだろう。でも、本作は、“日本の怪談”的な雰囲気が漂っている気がするが、何がそれを感じさせているのか、ちょっとわからない。“子への想い”と“自己愛”が判然としなくなっているところかな。それとも、母親が子供を慮っているのはもちろんだけど、実は子供も親を慮っているし、ある意味使用人たちもグレースへ配慮して直接的には、何もいわないでいるところかな。
自縛霊って、永遠の時の中で生きているようなイメージだけど、光アレルギーは治ったりとか、それなりにステージが展開しているところはユニークに感じる。そう、ホラー作品としては、他と一線を画しているという意味で、強く評価されるべき作品だと思う。単なる雰囲気だけの作品では決して無い。未見の方にはお薦めしたい。
公開年:2013年
公開国:アメリカ
時 間:106分
監 督:スティーヴン・ソダーバーグ
出 演:ジュード・ロウ、ルーニー・マーラ、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、チャニング・テイタム、アン・ダウド、ヴィネッサ・ショウ、カルメン・ペラエス、マリン・アイルランド、ポリー・ドレイパー、ジェームズ・マルティネス、メイミー・ガマー、ケイティ・ロウズ、デヴィッド・コスタビル 他
コピー:事件に潜む、もう一つの“副作用(サイド・エフェクト)”
収監されている夫の元を訪れるエミリー。4年もの間、孤独に耐え続けていた。夫マーティンは、ウォール街で金融関係の仕事をしていたが、結婚式の当日にインサイダー取引で逮捕されたのだ。ようやく出所したマーティン。一緒に生活をするはずだった豪邸は没収されており、二人はニューヨークの質素なアパートで新たな人生を歩みはじめることに。そんな中、エミリーは地下駐車場の壁に車を激突させて病院に運び込まれる。軽症ではあったが、診察した精神科医バンクスは、ブレーキ痕のない現場の状況などを鑑みて、自殺を図ったのではないかと推測する。エミリーは、過去に鬱病に発症しており、再発したと考えたのだ。エミリーが強く退院を希望したため、抗鬱薬の摂取と定期的なカウンセリングを受けることを条件に許可を出すバンクス。しかし、エミリーは地下鉄のホームで自殺未遂を起こしてしまう。憂慮したバンクスは、かつてエミリーを診断したシーバート博士に相談すると、エミリーがかつて抗鬱薬の副作用で睡眠障害や吐き気に苦しんでいたことを知る。折りしも、バンクスは新薬アブリクサの臨床試験に参加していたため、その薬の処方を提案。エミリーの同意の元、投与を開始すると、みるみるうちに症状が改善していった。ところが、ある日、マーティンの刺殺体が自室で発見される。通報したのは目覚めたエミリーで、凶器の刃物はもちろん部屋の中には、エミリーの指紋しか残されてしなかったのだ。彼女は殺人容疑で身柄されることになるが、アブリクサが原因ではないかという噂が広まり、製造元のサドラー・ベネルクス社の株価は暴落。処方したバンクス宅にも多くのマスコミが押し寄せることに…というストーリー。
虚虚実実。いつものソダーバーグ作品よりも、じっくりと緻密のまとめあげられていると感じる。極端に特異なキャラクターが登場しないし、派手なアクションもないというのも、他作と比較すると特徴的かも。ソダーバーグは本作で監督業から退くと聞いている。彼が監督した作品は、私にとってはほぼハズレ無しだったので、本当に残念。
イニシアチブをとっていると思っていたら、実は手の平の上で転がされていた…。何かおかしいと気付き、真相を突き止めるも時すでに遅し。家族との生活を維持しようと思えば思うほど、深みにハマっていく。
ダブルジョバティの禁止ということで、もう、法的に事実が表ざたになることもないし、主人公の生活が元に戻るわけではない(職場や妻の誤解を解くことは不可能)ところまで堕ちていく。ゼタ演じるシーバートが何でこんなに絡んでくるのか、なんでゼタがこの役なのか…と考えると展開が想像できてしまいそうなものだが、前作『ドラゴン・タトゥーの女』でリスベット役だったルーニー・マーラの演技が、それを覆い隠してくれる。彼女は、いずれなんらかの賞を獲るような女優になるだろう。
そこまでとことん追い詰められてしまうと、後はドラスティックな“狂気の反撃”。そういう展開か?なんて、凡人の私はそう考えてしまうわけだが、短絡的な展開ではなく、じっくりと反撃する大人のテイストになっている。金が目的だったのならば、殺人ではなくそっちの方向でハメ返してやる!ということだ。予想を上回るいい展開になっている。
難点をいうと彼女たちの“儲け”の手口が、いまいちすっきりしないことか。エミリーが投資の手口(というかインサイダー取引のノウハウ)を指南したというのはいいが、医者が大儲けしちゃったらやっぱりインサイダー取引とか疑われるんじゃないのかな? それに、カラ売りとかプットオプションとか、株価が暴落しても設ける手法があるということを、観ている人がわからないと、なんかモヤモヤしてしまうと思うだろう。
絶望的に破滅的な展開だったわりには、救いのある終わり方も好み。お薦めしたい。
#エンドロールが、ロールアップしないのも、なかなか新鮮。
公開年:2013年
公開国:アメリカ
時 間:132分
監 督:ローランド・エメリッヒ
出 演:チャニング・テイタム、ジェイミー・フォックス、マギー・ギレンホール、ジェイソン・クラーク、リチャード・ジェンキンス、ジョーイ・キング、ジェームズ・ウッズ、ニコラス・ライト、ジミ・シンプソン、マイケル・マーフィ、ラシェル・ルフェーブル、ランス・レディック、マット・クレイヴン、ジェイク・ウェバー、ピーター・ジェイコブソン、バーバラ・ウィリアムズ、ケヴィン・ランキン、ガーセル・ボヴェイ、フォーク・ヘンチェル、ロマーノ・オルザリ、ジャッキー・ギアリー 他
ノミネート:【2014年/第23回MTVムービー・アワード】ヒーロー賞(チャニング・テイタム)
コピー:世界は、ここから落ちる
議会警察官のジョン・ケイルには、離婚した妻の元で暮らす娘エミリーがいたが、年頃のせいかまともに会話もしてもらえない。ジョンは娘の機嫌をとるために、ホワイトハウスの見学ツアーのチケットを入手する。エミリーは、大統領ジェームズ・ソイヤーに心酔しており大喜び。さらに、娘からの尊敬を得ようと、大統領のシークレットサービスの面接も受けたが、あっさり不採用。父親がシークレットサービスになることを大いに期待していたエミリーに対して、不採用だったと告げることができず、うやむやにしたまま見学ツアーに参加するジョン。ところが、突然謎の武装集団が現れ、ホワイトハウスを占拠してしまう。ホワイトハウス内は大混乱に陥り、ジョンとエミリーも離れ離れになってしまい…というストーリー。
クソみたいなオバマのせいで、黒人大統領を主役格に据えるだけで、映画全体が陳腐になってしまうという…。ある意味、オバマのパワーはすごい。
遊撃的なポジションのはみ出しシークレットサービス、内通者、子供が館内おりそれを救う展開。誰が考えても『エンド・オブ・ホワイトハウス』と似た内容。誰が考えても似てしまうってことかな。
ただし本作は、パトリオット物のように見えて、アメリカをかなり小馬鹿にしてる。
アメリカが戦争をやめないのは、軍需産業のせいだ!で、思わず笑っちゃう。どう考えてもアラブのテロリストです!マスコミのレベルの低さを馬鹿にしたいのはわかるんだが、表現が稚拙で馬鹿馬鹿しく感じる。
エレベータシャフトの中にいて、けっこうな時間、エレベータの上がり下がりに一喜一憂してるってのも、あんまりおもしろくない。
でも、メガネコントとか、ロケット弾コントとか、案内人コントとかが始まって、あることに気づく。ああ、これエメリッヒ監督だった。彼ってこういうノリだったよな…と。
アメイジング・スパイダーマンとかのシナリオを書いてる人なんで、実力がないわけじゃないと思うんだけど、エメリッヒのことがわかっていないのでは?と勘ぐりたくなるほど、噛み合ってしないように感じる。エメリッヒ、自分で脚本書いたら、よかったんじゃないかと思う(エメリッヒが書いたからって荒さが無くなるわけではないけどね)。
その後もやっぱり、ジョンと大統領はちょっと動いては、しばらく動かなくなっちゃうの繰り返し。これでええんか?
敵のコンピュータ使いの役割(というか動機)がいまいちしっくりこない(単なる愉快犯ってことか?)。
余命幾ばくもない男が、息子の復讐をするという設定は、まあよいのだが…
(以下ネタバレ)
でもその復讐の矛先がアメリカ政府じゃなくて、実は息子を殺した“中東”だったっていうのがね。テロリストたちも単なるコマでした…、わかるんだけど、“実は”がイマイチ“実は”になってなくて、驚きも感心も沸かないのが残念だねぇ。
それでも、間違いなく『エンド・オブ・ホワイトハウス』よりは愉しめたかな。個人的は、主役はツアーの案内人だった。
公開年:2013年
公開国:アメリカ
時 間:100分
監 督:キンバリー・ピアース
出 演:クロエ・グレース・モレッツ、ジュリアン・ムーア、ジュディ・グリア、ポーシャ・ダブルデイ、アレックス・ラッセル、ガブリエラ・ワイルド、アンセル・エルゴート、ゾーイ・ベルキン、サマンサ・ワインスタイン、カリッサ・ストレイン、ケイティ・ストレイン、バリー・シャバカ・ヘンリー、シンシア・プレストン、アーリーン・マゼロール 他
高校に通う少女キャリーは、その内気な性格とヤボったい容姿のせいで友達がおらず、同級生たちから陰湿なイジメを受けていた。家では母親と二人暮らしだったが、狂信的な母親による娘に対する束縛は相当なもので、キャリーは心の休まる暇がなかった。ある日、同級生のイジメが度を超えて問題化。学校側は厳正に対応するが、イジメの主犯格だったクリスは学校の処分に反発したことで停学処分になってしまう。そのおかげで楽しみにしていたプロムの出られなくなってしまい、キャリーを逆恨みすることに。同じく、キャリーのイジメに加わっていたスーは、これまでの行いを強く反省。その償いとして、自分の恋人トミーに、キャリーをプロムに誘うようにお願いするのだった。はじめはからかわれていると思ったキャリーだったが、実はトミーに好意を持っており、申し出を受諾。夢見心地になるキャリーだったが、母親はプロムに出ることを強く反対する。何とか説き伏せて、自作のドレスを身にまといパーティに参加。美しく着飾ったキャリーは会場の注目を集め、幸せな気分にひたっていたが…というストーリー。
デ・パルマによる1976年版と、登場人物の名前からエピソードまで、何も変わりがない。スティーブン・キングの原作に忠実ってことでしょ?といいたいところだが、違う要素は、動画サイトの存在くらいで、学校や町の雰囲気や、プロムの様子のなんかも、あえて似せにいっているような感じ(そりゃあ、細かい演出のさじ加減は違うけど)。
そんな判で押したようなリメイクじゃ、おもしろくないだろう…と思われるかもしれないが、これがすばらしかった。まず、クロエ・モレッツの野暮ったさと磨けば光る感じが絶妙。そして、今、この役を演じさせたら彼女しかいなんだろうと思うくらいだったジュリアン・ムーアのクレイジーな演技。特に、前作で狂気の度がすぎてリアルさを削いでいた気がする母親役は、ジュリアン・ムーアによって現実味と狂気が倍増したと思う。
オリジナルが好きな人でも、すっきりと受け入れられる内容。まさにブラッシュアップしたという感じで、近年稀に見るリメイクの成功例。うまくリメイクしたってだけなので、賞には無縁だが、それでも観る価値は十分にあると思う。っていうかお薦めしたい。満足した。
公開年:2013年
公開国:アメリカ
時 間:106分
監 督:トール・フロイデンタール
出 演:ローガン・ラーマン、アレクサンドラ・ダダリオ、ブランドン・T・ジャクソン、ダグラス・スミス、スタンリー・トゥッチ、レヴェン・ランビン、アンソニー・ヘッド、ネイサン・フィリオン、ロバート・ネッパー、ロバート・メイレット、リチャード・イヤーウッド、グレイ・デイモン 他
コピー:世界は<ギリシャ神話>に飲み込まれる
パーシー・ジャクソンは、海の神ポセイドンと人間との間に生まれた“ハーフゴッド”。水を自在に操る能力を持つ彼は、現在、他のハーフゴッドたちと一緒に、訓練所で生活を送っている。訓練所は、結界を形成する大木によって周囲から守られていたが、その大木が枯れ始めていた。かつてポセイドンとゼウスが封印したクロノスが力を取り戻そうとしており、その手下が訓練所を襲撃してくる。結界を修復しなければ、クロノスの魔の手から訓練所を守ることはできない。そのためには、“魔の海”に隠された“黄金の毛皮”が必要であることを知ったパーシーは、ポセイドンと海の精霊のハーフゴッド(つまり自分の異母弟)である、サイクロプスと一緒に、魔の海・バミューダ・トライアングルへ向かうのだったが…というストーリー。
ギリシャ神話のど真ん中を題材にした作品なのだが、前作はやたらとスケールがデカくなって発散したイメージ。大体にして、日本人はそれほどギリシャ神話にワクワクしないからねぇ。ちょっと続編が作られるかあやしいなぁ…とは思っていたのだが、欧米人とは感覚が違うんだろうね。
その前作から考えると、若いハーフゴッドを育てる訓練所という設定は、小粒感満載だ。さらに学校チックな雰囲気や、同じ世代が敵側についていたりとか、否が応でもハリー・ポッターをよぎらせる。
水を自在に操れるという、花柳社中的な特殊能力の持ち主であるパーシー。世の中は水分だらけなので、それを自在に操れば無敵状態な気がするのだが、ピンチのときにしか能力を使わない。発動条件があるとか、もう少し練った設定にしないといかんと思う。
さらに、ポンコツなサイクロプスをお供に加えて、旅がうまく進まないような演出。そういう、設定的な障害ではなくて、ストーリー展開で困難にぶち当たる内容にしてもらいたかった。
明らかにハリー・ポッターと同じ層を狙いにいっているのだが、本当にストーリーが淡白で重層的な仕掛けがないため、ハリー・ポッターを漂わせれば漂わせるほど比較することになり、その度に劣っていると感じてしまう。もう、タクシーが出てきたところなんか、ウンザリするよね。
本作は3Dなのだが、おそらく3Dでみたら楽しめるんだと思う。そういうアトラクション的な位置づけの作品。よって今回、普通のDVDで観た私は、コンテンツのすべてを堪能できていないのだろう。要するに、2Dなら、無理して観なくてもいいレベルだ…というのが私の主張。
最後、結界の大木の下から、伝説のハーフゴッドが蘇生。明らかに3作目を作る気マンマン。まあ、いずれにせよ子供向け作品だわ。
公開年:2013年
公開国:日本
時 間:113分
監 督:佐藤東弥
出 演:松坂桃李、綾野剛、剛力彩芽、濱田龍臣、鈴木亮平、初音映莉子、光石研、中村獅童、岸谷五朗、新上博巳、Yumiko、川本耕史、グレゴリー・ペーカー、菜葉菜、奥井長門、大元喜翔、石井心愛、岩田遥、吉田翔、古味来夢、馬場典子、佐藤義朗、滝口順平 他
コピー:その力は、正義か、破壊か――
20XX年。人類は謎の侵略者“ギャラクター”に襲撃されて、地球の大半を奪われてしまう。しかし、人類は不思議な力を発揮することができる“石”を発見。その石の適合者が世界中から集められ、訓練が施された。ISO(国際科学技術庁)の南部博士は、適合者の仲から、“大鷲の健”、“コンドルのジョー”、“白鳥のジュン”、“燕の甚平”、“みみずくの竜”を召集。幼い頃から究極の兵器になるべく鍛えられてきた彼らは、科学忍者隊“ガッチャマン”として、ギャラクターに立ち向かう。若き5人に地球の運命が託されるのだったが…というストーリー。
本作の佐藤東弥監督って、『北京原人 Who are you?』の佐藤純彌の息子だそうだ。親子二代で日本映画史に爪痕を残すなんてスゴい。こんなんで大金を投入した作品の監督になれるなんて。親子二代でフリーメーソンとかなんじゃね?
あまりにくだらないので、以下の指摘は箇条書き状態になる。
冒頭の世界観説明で、画面に字を入れちゃうというセンスの無さ。これがいかに作品に対する印象を矮小化するか、まったく気づきもしないという。それだけを見ても、つまらないのが簡単に予測できる。
いつも言っているが、こういうバトル構造物は、敵キャラのデキこそが重要。でも、ベルクカッツェのデザインが変。ゲッ!こんなごっつい敵に勝てるんかいな?とか、敵ながら格好いいな…とか、メータを振り切るくらいじゃないとダメなのに。
CGは1.5流って感じで、純粋な技術にはまったく問題なし。しかし、アングルやカット割がクソ。わざわざニセ物っぽく見える構図にする、センスの無さ。
ギャラクターと人間のDNAは99%一致…だって。手足もあって人間みたいな風貌なので、地球外生物だと思い込むほうが不自然。SFなのに、科学表現がクソってもイライラしてくる。ウソならおもいっきり大嘘つきゃいいのに、どうみても科学知識の足りないやつが考えた設定にしか見えないのがクソ。
ギャラクターは宇宙人か何か…という風にもっていきたいようだが、そのくせ、フリフリの敵とかでてきちゃって、実は地球人…って、それ以外にどういう展開があるというのか。また、G粒子なるオーバーテクノロジーな魔法の光線をだしちゃうのも、興ざめ。
ガッチャマンのデザインは悪くない。でも、装備をリアルにすればするほど、マントの意味をキチンと説明しないといかん。邪魔でしかないだろう。
こういう実写リメイク作品は、思い入れのある作品に対して、偏執的なまでにこだわれる人間であることが重要だと思う。とにかく本作のシナリオというかプロっトは、非常に浅い。
初作戦みたいなのにに、結構な活動をこなした後のような雰囲気。もうすこし初作戦ならではのぎこちなさとか、モメごととか、挟むエピソードはあったと思う。
IT関係のエキスパートを、ガッチャマン内に置く意味がない。それはサポートメンバーの仕事でよい(まるでガッチャマン以外に工作員がいないがのごとく)。彼らは単なる白兵戦遂行用の“駒”に徹するのがよい。
ジュンのキャラがいきなり崩壊している。まったく魅力もかわいげもない。変態仮面さんは見た目とアクションはいいけど、演技はダメ。甚平だけは悪くない。本当に必要な、5人のキャラ付けすらできないなら、ガッチャマンなんかやめればいいと思う。
竜の育ての母が死にそうとかいう、無意味なサイドストーリー。いや、あってもいいのだが、ぜんぜん生きていない。
ジュンと甚平の両親が捕虜という設定を伏線にするでもなく、生かせず終いという愚作。
任務に忠実で冷淡な健の魅力の無さ。さらにそれが真の顔でないことがわかっていたとしても、その流れが見えることで生じるウンザリ感。
チームとしての方向性も構築できないまま、ストーリを進めるので、感情移入が一切できず。5人とも、作中で精神的な変化、成長はなし。はじめに抱いていた悩み・問題をずっと同じ状態で抱えたまま。これは物語ですらない。
成長が描けていないものだから、無理やりモメて(なんか頭がおかしくなったんじゃないか?と思うほど唐突にモメはじめる)、さらにそこからの、意味不明の仲直り。気持ちが悪い。
なぜか、ウイルスに感染すると、ボンテージファッションに変化するという、意味不明な現象。
“科学忍法”とは何なのか、定義することなく、製作を進めているのも敗因の一つ。そのくせ科学忍法という単語は用いるという気味の悪さ。
綾野剛って、かっこいい人扱いされてるけど、登場すると、鼻から口にかけてがなんか間抜けに見える。このままの路線で仕事を続けていたら、自分の首を絞める結果になると思う。
まあ、お判りだろうが、見紛う事なき駄作である。
公開年:1987年
公開国:アメリカ
時 間:114分
監 督:ロジャー・ドナルドソン
出 演:ケヴィン・コスナー、ジーン・ハックマン、ショーン・ヤング、ウィル・パットン、ハワード・ダフ、ジョージ・ズンザ、ジェイソン・バーナード、イマン、フレッド・ダルトン・トンプソン、デヴィッド・ペイマー、レオン・ラッサム、ジョン・ダキーノ 他
海軍将校トム・ファレルは、国防長官デイヴィッド・ブライスの就任パーティーに招かれた。そこで、スーザンという女性と出会う。彼女は不倫している相手との関係がうまくいっていないことを嘆いていたが、トムと意気投合し、そのまま関係を持ってしまう。二人はひとときも離れたくないと思うほど熱烈に愛を深めるが、ファレルはフィリピンでの任務が決まっており、一旦離れ離れに。新聞で英雄と称えられるほどの成果を残したフィレルは、国防長官から抜擢され、長官の直下で軍の諜報任務に携わることになる。その後、スーザン宅に向かったファレルだったが、そこで、彼女の不倫相手が国防長官ブライスであることに気付いてしまう。それでも関係を続けた2人は、ある日ドライヴに出かけた後、スーザンの部屋に戻ると、ブライスがやってくる。釈然としないながらもファレルは裏口から外に出る。ブライスは男の影に気付いており、スーザンを攻め立てる。嫉妬に狂っブライスは勢い余ってスーザンを2階から突き落として殺してしまうのだった。混乱したブライスは、部下のプリチャードに相談。プリチャードは、スーザンと付き合っているもう一人の男に殺されたことにしようと画策。そしてその男が、ソ連のスパイだというシナリオを考える。翌日、ブライスとプリチャードは犯人の調査をファレルに依頼するのだったが…というストーリー。
サスペンス…なんだろうけど、実はコメディのつもりで作ってるんじゃないのか?と思えるほど、ご都合主義的展開。付き合い始めた相手が、上司になったばかりの男の愛人でした…とか。さらに、拗れて女が殺されちゃいました。隠蔽しようとでっち上げ工作に巻き込まれただけでなく、その捜査を直接依頼されちゃいました…ときたもんだ。一応パーティに招かれた客の中にいた目ぼしい人間をチョイスしたのだから、あり得なくはないんだろうけど、あまりにも細い線じゃなかろうか。そこから生じる設定を基盤にしたサスペンスが面白くなるとはとても思えない。
確かにタイトルの通り、追いつめられるので、その点、看板に偽りはない。諸々の証拠が自分であることを示していて、バレるのは時間の問題…。最新技術を使ってボケた写真の解析が終了したら、確実にバレてしまう…。でも、解析している人とは旧知の仲なんだから、もっと早く打ち明けたらどうだい…とか、そんなカーチェイスに大立ち回りをやらかして、なんで疑われないかな…とか。不自然&不自然。加えてショーン・ヤングの使い捨て感や、ゲイのプリチャードの滑稽さ、単なる色ボケジジイと性欲軍人のジーン・ハックマンもケビン・コスナー。どう受け止めてよいのやら。
冒頭でファレルが取り調べをされているシーンからスタートするので、絶対に捕まるのは明白。でも、全然捕まることなく、事件はオチが付いてしまう。唯一、観客をいい意味で裏切ったのは、その点のみ。しかし、その裏切りも、ものすごい“蛇足”で終わる。観客をアッと驚かせるどんでん返しのつもりだったんだろうけど、リアルに「お、おぅ…」って口に出しちゃったわ。こんなトホホ気分、しばらく感じていなかった。
これって、最後のオチにするのではなく、“自分”を追うハメになった奇妙さを前面に出して、全編を展開させたほうがおもしろかったのではなかろうか…。
よく考えたら、真犯人はうまいこと逃げ延びててるってのも、スゴい話だ。グダグダでトホホな作品。
公開年:2012年
公開国:フランス、アメリカ
時 間:89分
監 督:フランク・カルフン
出 演:イライジャ・ウッド、ノラ・アルネゼデール、ジュヌヴィエーヴ・アレクサンドラ、リアーヌ・バラバン、アメリカ・オリーヴォ、サミ・ロティビ、モルガンヌ・スランプ、サル・ランディ、ジャン・ブロバーグ 他
コピー:傷つけなければ、愛せない。
ロサンゼルスでは、若い女性が殺され、頭皮が剥がされるという猟奇連続殺人が発生していた。両親のマネキン店を継ぎ、修復の仕事をしているフランクは、性に奔放だった母親から受けたトラウマのせいで、生身の女性を愛することができない人間となっていた。彼は、マネキンに囲まれている時にだけが、心休まるひと時だだったが、やがて夜の街を彷徨い、若い女性を殺すようになっていった。彼は、剥いだ頭皮を持ち帰り、自分の愛するマネキンに被せては、幸せを感じるのだった。そんなある日、女性カメラマンのアンナが、フランクのマネキンに興味を抱き、個展に出す作品のモチーフにしたいと依頼してきた。アンナは、マネキンの芸術性を理解しており、そんあ女性と初めてであったフランクは、彼女の個展の準備に惜しみなく協力するのだった。初めて生身の人間に好意をもったフランクは、戸惑いつつも彼女との未来を想像する。しかし、生来の欲望も抑えることができず…というストーリー。
なんで、連続で週末に凄惨な作品を観てるんだか…。
多重人格っぽい設定とか、幼い頃の母親のトラウマとか、ディテールが古臭い。こういう症例が多々あるのは事実として、映画では使い尽くされている…という意味で。
その上、昨日の『アイ・スピット・オン・ユア・グレイヴ』と同じで、殺し方があからさまにはなりはするものの、手口がエスカレートして歯止めが利かなくなるとか、巧みさが増すとかが無くて、飽きてしまう。切り傷から血が溢れる様子とか、映像技術はすごいだけに、残念だ。
狂人なんだけど、観客にひとつまみ程度の共感を感じさせるのが、この手の作品のミソ。、それがないのが本作の敗因だと感じる。途中で、『カリガリ博士』の映像がそのまま使われているが、“そんな人間にされてしまった”という共通点があるといいたいのだと思うが、いまいちピンとこない。狂ってしまった自分から逃れることができない悲哀に繋がっていない。
なぜ髪の毛、それも頭皮に執着するのか?という説明が不足している。髪の毛が彼にとって母性の象徴だとしても、なぜ頭皮も?マネキン職人なんだから、皮なんか剥がなくてもカツラくらいつくれそう。何体も腐らせるより管理も出来映えも良いに決まってるのに、なぜ、あんな状態でなければいけないのか。やはりわからない。
自分を理解してくれるのではないか?と思える人と初めて出会う(思い込みだが)。そういう人が現れたら、いままで愛を注いてきた(彼の感覚では注がれているのかもしれないが)マネキンとの関係に狂いが出てくる。それについて苦悩するシーンも、一応はさまれてはいるようなのだが、どうも“苦悩”している様子の上っ面だけで、彼の心情の分析・理解がなされていないように感じる。よく主人公のことを理解しないで作り進めていたのではなかろうか。
シナリオもなにか不自然。最後のほうで、通りかかった車に乗せてもらったのはいいんだけど、その車が、逃げるんじゃなく、躊躇なく轢き殺しにかかった意味がわからん。フランクがたとえ血まみれだったとしても、事情もわからないのに轢くわけがない。
あまり褒められた出来ではない。お薦めしない。
公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:106分
監 督:スティーヴン・R・モンロー
出 演:セーラ・バトラー、ジェフ・ブランソン、ダニエル・フランゼーゼ、ロドニー・イーストマン、チャド・リンドバーグ、アンドリュー・ハワード、トレイシー・ウォルター、モリー・ミリガン、サクソン・シャービノ 他
コピー:ケダモノども、地獄へ堕ちろ
小説家のジェニファーは、執筆のために人里離れた森の中にある別荘を借りる。しかし、彼女の都会的な美しさは、田舎町の男たちの注目を集めてしまう。別荘のトイレが故障したために業者を呼んだが、その男からジェニファーの居場所が町の若い男たちに伝わってしまう。ジョニーをリーダーとする4人の男たちが別荘に押し入ってきて、彼女に暴行を加えるが、隙をみて逃走。森に逃げ込むと、偶然保安官のストークに遭遇し、助けを求めることができた。しかし、保安官とジョニーたちは繋がっており、5人の男たちはレイプを繰り返す。体も精神もズタズタにされたジェニファーは、男たちから証拠隠滅のために射殺されそうになる寸前に、川に身を投げる。慌てて彼女の行方を捜す男たちだったが、死体はまったく見つからない。しかし、ジェニファーは死んではおらず…というストーリー。
究極的に不快な状況をつくって、復讐劇を繰り広げる。稚拙といわれても仕方がないくらい単純きわまりないストーリー展開だが、このシンプルさがよい。携帯電話をトイレに落とすという、“偶然”は、おもしろくないし、その後の展開に必須ではない。また、大麻の吸殻に口紅がついている…と問い詰められるが、人里離れたロッジにしばらく滞在しようとしている女が化粧をするわけはない。
この程度の矛盾や違和感に気付きもしないことから、監督や脚本家のスキルが高いとはとても思えない。
しかし、ストレス解消ツールという意味での映画としては、非常に理にかなった作品。被害者に一切非が無く、100%加害者が悪の存在。復讐が何の躊躇も無く、手口がどんなにヒドく悪趣味だろうとも、スカっとする。何を観客に見せたいか、伝えたいか…が、はっきりしていて且つブレなければ、長けたテクニックがなくても、十分に魅せることができるといういい例だと思う。
リアリティがまったくないかというと、そんなことはない。舞台がアメリカの田舎なので、十分にありえる。自由の国だから、公的機関による汚職も不法行為も自由だと思ってるような地域はたくさんあるしね。
こういう長い原題の場合、何らかの邦題が付くことが多いんだけど、そのまま。それによりキワモノ臭を漂わせることに成功しているかも。調べたら、本作は『発情アニマル』という作品のリメイクであった。さすがにこの邦題はちょっと…。
復讐劇といいつつ、しばらく、ご本人が直接出てこなかったりするので、そのおかげで、もしかして“霊”の復讐?とか思っちゃったりする(違うけど)。難点は、復讐劇は確かに激しいんだけど、緩急が無くって、凄惨ななのに目が飽きちゃうって点かな。
最後、「私、一皮むけて、いい作品が書けそう…」みたいな微かな笑顔で終わったのはよかったと思う。軽くお薦め。
公開年:2006年
公開国:オーストラリア
時 間:99分
監 督:ムラーリ・K・タルリ
出 演:テリーサ・パーマー、ジョエル・マッケンジー、クレメンティーヌ・メラー、チャールズ・ベアード、サム・ハリス、フランク・スウィート、マルニ・スパイレイン 他
コピー:2時37分──そのとき孤独が世界を満たす。
それぞれに深い悩みを抱える10代たち──自ら命を絶つのはだれなのか?
放課後の高校。一人の女生徒が部屋の中から何がが倒れる音を聞き、その部屋のドアを開けようとするが鍵が閉まっている。呼びかけても返答がない。騒ぎを聞きつけた教師が鍵を壊して開けると、部屋の中には血溜りができていた。一体何があったのか。時間はその日の朝に戻る。成績優秀なマーカスは、弁護士の父を尊敬し自分も弁護士を目指しているが、常に両親からプレッシャーをかけられており、成績に一喜一憂し苦しんでいた。一方、彼の妹メロディはサッカー好きの普通の女子高生だったが、兄とは違い成績もよくない自分は、両親から愛されていないと思いこんでいた。スポーツマンで人気者のルークは、自分の力を鼓舞し、2人の友人と一緒に、弱いものイジメを繰り返していたが、そのターゲットは、体に障害を持つイギリスから転向してきたスティーブンと、ゲイであるとカミングアウトしたショーンだった。スティーブンは自分の体のことでこれ以上家族に心配をかけまいと、自分がイジメられていることを言うことができない。そしてショーンは、カミングアウトしてから両親からも見捨てられてしまっていた。家庭志向の強いサラは、ルークと付き合っており、卒業したら彼と結婚したいと考えていたが、ルークが自分に好意を持っていないような気がして仕方がなかった。6人の若者はそれぞれ苦悩していたが…というストーリー。
血で溢れている床。誰かが死んでいた模様。さて誰か…。人間ドラマというよりも、謎解きサスペンスである。それも編集・構成を駆使した仕掛け。
6人に対する、白黒映像のインタビュー。このインタビューが、“誰か”が死んだ後に行われたものなのか、それより前に撮られたものなのかはわからない。そりゃあ、死んだ後ならインタビューが存在するわけがない。でも、事件でもない限り、そんな深刻なインタビューを撮るシチュエーションなんかあるか? やっぱり、この中の誰かなのかな? そういうことも含めて、わからないようにして、色々考えさせる演出である。
6人がそれぞれ、結構重い問題を抱えているのだが、より深刻な人が、シフトしてく構成がおもしろい。もちろん深刻な人ほど、“誰か”の招待である可能性は高まるわけである。
(以下、ネタバレ)
おしっこ漏れちゃう人、ゲイの人、実はゲイだった人…。後から後から厳しい事情が判明してくる。でも、最後にとてつもないピンチに陥っていることわかる人がいて、完全に「こいつか~」となるわけだが…さて、“誰か”はそいつなのか。
で、最後に答え合わせになるのだが、「え?誰?」ってなって、頭から早送りして確認しなおしてしまったくらい。まあ、97%、当たらないだろう。思春期の不安定さを表現したいなら、演出的には正解だし、人の生き死にのドキドキと、予想外の驚きを与えたいなら、そっちの意味でも正解。派手さこそないが、よくまとまった作品だと思う。
ただ、シナリオ上、強くひっかかったのが、おしっこ漏れちゃう人。尿道が二本あって片方が制御できなくて、どうしても漏れちゃうという先天的な障害の持ち主。とてもかわいそうなんだけど、疑問なのが、“なぜ手術しないのか?”という点。2本あるんなら片方ふさげばいいだけじゃないか。難しい手術だとは思えない。そして、その障害を学校側が知らず、ただ漏らし癖のある人間だと思い、教師までもが蔑む状況。そんなことありえるか?そのことで学校でいじめられていることを家族には隠したいという感情はわかるのだが、それを家族が知らないとは考えにくく、放置していることが不自然。
もう、この1点の設定だけが、作品の質を落としていると思う。実におしい。
公開年:2012年
公開国:アメリカ
時 間:96分
監 督:ダン・ブラッドリー
出 演:クリス・ヘムズワース、ジョシュ・ペック、ジョシュ・ハッチャーソン、エイドリアンヌ・パリッキ、イザベル・ルーカス、コナー・クルーズ、エドウィン・ホッジ、ブレット・カレン、アリッサ・ディアス、ジュリアン・アルカラス、ウィル・ユン・リー、フェルナンド・チェン、ケネス・チョイ、マット・ジェラルド、ジェフリー・ディーン・モーガン 他
コピー:北朝鮮、アメリカ全土占領
愛する人を守る覚悟はあるか
アメリカ、ワシントン州スポケーン。高校のアメフトチームで活躍するマット・エッカートが、恋人エリカと一緒にパブにいると、休暇で帰郷してきたマットの兄で海兵隊員のジェドと再会する。エリカの親友トニがジェドとの昔話に花を咲かせていると、パブが突然停電してしまう。停電がアメリカ北西部全域におよぶほど大規模であることを知り、その日はお開き。各自家路につくのだった。巡査部長であるジェドとマットの父は、夜通し街を見廻ることに。しかし翌日、ジェドとマットは大きな振動で起こされる。外に出ると、空には戦闘機が飛び交い、パラシュートで多くの兵士が降下してくる。異常事態と判断したジェドとマットは、とりあえず父を合流しようと車で市街地へ向かうが、すでに街は戦場と化しており、東アジア人と思しき兵士たちに制圧されていた。数人の友人を含む若者たちを救ったもののそれ以上抵抗すことはできず、近くの山に退避することに。その途中で、エリカが兵士に捕まるのを目撃するマットだったが、どうすることもできない。山小屋で体制を整えなおし、偵察に行くと、街が北朝鮮に占拠されていることを知る…というストーリー。
突然攻めてきたことは納得できるとしても、すぐに地上で軍用車を展開できる理屈がわからん…などと感じることだろう。多くの観客は、北朝鮮が攻めてくる、それもロシアの後ろ盾で…という“if”物語のように思うに違いない。その緻密なシミュレートが生み出す説得力に期待するだろうが、そこに着眼するとがっかりしてしまうので注意しよう。その方向で観てはいけない。
#NATOが何もしないとかありえないじゃん…とか考えたら、まともに観る気はおきないよ。
この作品は、突然街が襲われて、子供たちだけが行動できる。さあ、ガキ共は故郷のために拳を上げることができるか!?血を流すことができるか!?という、極めて、スポ根的、マンガ的な部分にポイントが置かれている。
#実は、1984年の『若き勇者たち』という作品のリメイクだとも聞く。
じゃあ、マンガですか、そうですか…と、つまらないと決め付けてはいけない。本作はなかなか観ごたえがある。『ハンガー・ゲーム』なんかに近いノリとを思えばよい。
設定的にはまったくリアリティがない。なんといっても、北朝鮮が攻めてくること自体、彼らの物量を考えても不可能なわけだ。さすがに荒唐無稽するぎると考えたのか、その黒幕はロシアだ!という。アホか?!と誰しも思うわけだが、これが昨今のウクライナ情勢や北朝鮮を取り巻く状況を考えると、笑えなくなってくる。
アメリカは“敵”がいないと成立できない。アメリカの歴史を見れば一目瞭然。みんなが仲良くなってしまっては、平和の番人としてのアイデンティティを失ってしまうので、もっともらしいことを言って火種をつくる。
いやいや、国策映画じゃないんだから偶然でしょ?!と思うだろう。そう偶然。でも、今のアメリカが作れる“敵”は、アメリカ人が考えればロシアしか思いつかない…ってことを証明しているともいえる。そして、ロシアを敵に据えると、何か滑稽に写るということ。事実、今のウクライナ問題に対するアメリカの姿勢は“滑稽”以外の何者でもない。
いやあ、映画って侮れないな…と。
まあ、そういう背景的な部分は脇に寄せたとしても、若者がゲリラに身を投じる物語は、純粋に熱かった。悪くない。
公開年:1970年
公開国:アメリカ
時 間:108分
監 督:レナード・カッスル
出 演:シャーリー・ストーラー、トニー・ロー・ビアンコ、メアリー・ジェーン・ヒグビー、ドーサ・ダックワース、ドリス・ロバーツ、マリリン・クリス 他
アラバマの病院で看護婦長をしているマーサは、高齢の母親とくらす独身。200ポンドほどの体格で、結婚ができない一員がその容姿であることに気づいてはいるのだが、日々のストレスから食欲を抑えることができない。そんな彼女を見かねた友人が、彼女の文通クラブへの入会を薦めてきた。少しプライドが傷ついたものの、なんと一通の返信が届く。相手はニューヨーク在住のスペイン系移民のレイ・フェルナンデスという男性。いままで人に好かれたことなどなかったマーサは、すっかり舞い上がってしまう。レイがアラバマを訪れると、完全に恋におちてしまい、用事があるために帰宅せねばならないというレイに、帰らないでほしいとすがる有様。とうとう我慢できなくなり、病院の仕事も休み、ニューヨークへ押しかけてしまう。しかし、そこで彼の結婚詐欺師としての正体を知ってしまう。ショックを受けたものの、別れることになるくらいなら、そんな彼を受け入れて共犯者になる道を選ぶ彼女。マーサは、老いた母親を施設に預けてレイの結婚詐欺に時には姉、時には妹に扮して、協力していくのだったが…というストーリー。
実在の連続殺人犯をモチーフにしたお話とのこと。あっさり正体を明かしちゃう展開が、おもしろい。事実なんだろうけど、ここですったもんだがないのが、すごいスピード感と緊張を生んでいる。
相手が結婚詐欺師であるとわかっても、自分は特別と思っちゃうのは、どこの国でも一緒。悲しい女の性だ(男もか?)。こういう、人の欲を食い物にする犯罪者のお話は嫌いじゃない。
普通に考えると、なんでこんな太ったおばはんを傍においておくのか、彼女にだけ正体を明かしたのか奇妙に感じた。もっと説得力を持たせるように演出すべきなんだけど、真実は小説より奇なりってことだよね。
シリアルキラーの犯行っていうのはエスカレートしていくのが常だけど、そういうのとは違う形で(2人の負の相乗効果)で、エスカレートしていく様子も興味深い。犯罪史的にも、稀有な例なのではなかろうか。
2人がこのままやっていって、何があるというのだろう。家の支払いのために金が必要だというのだろうか。レイはそこまでしてマーサと一緒にいなければいけない理由があるのだろうか。本当に奇妙な旅が展開してく。
サイコパスってのは、良心が欠如した人間だが、良心は欠如していても、欲望の矛先が違う人間同士は、結果的には共存できないということなんだね。想像することは無意味かもしれないが、果たして、自首しなければどこまでいったのだろうと、考えたくなる。
彼は、マーサを本当に愛していた?愛していたなら、彼の自業自得なのだが。その奇妙な愛をうまく表現できていたら名作だったろうが、トニー・ロー・ビアンコはその機微を表現しきれていたとはいいがたい。この点が残念に感じた。
これは、『冷血』なんかと同じくらい評価されもよい作品だと思う。軽くお薦め。
公開年:1988年
公開国:アメリカ
時 間:161分
監 督:クリント・イーストウッド
出 演:フォレスト・ウィッテカー、ダイアン・ヴェノーラ、マイケル・ゼルニカー、サミュエル・E・ライト、キース・デヴィッド、マイケル・マクガイア、ジェームズ・ハンディ、デイモン・ウィッテカー、サム・ロバーズ、ビル・コッブス、ジョン・ウィザースプーン、トニー・トッド、アンナ・トムソン、トニー・コックス 他
受 賞:【1988年/第61回アカデミー賞】音響賞(Les Fresholtz、Dick Alexander、Vern Poore、Willie D.Burton)
【1988年/第41回カンヌ国際映画祭】男優賞(フォレスト・ウィッテカー)、フランス映画高等技術委員会賞(クリント・イーストウッド)
【1988年/第54回NY批評家協会賞】助演女優賞(ダイアン・ヴェノーラ)
【1988年/第46回ゴールデン・グローブ】監督賞(クリント・イーストウッド)
自殺を図り精神病院に運ばれたバードこと、サックス奏者のチャーリー・パーカー。彼はベッドの上で、16歳の頃を思い出していた。ヘロイン中毒で死んだ父親の姿、そして、とあるクラブで行われたコンテストに参加し、自分の演奏を多くの客に笑われたことを。その8年後、彼は、ニューヨークの52番街のクラブ“BE BOP”で観客を熱狂させるプレーヤーになっていた。しかし、父親を反面教師にすることなく同じようにヘロインに溺れていたのだった。妻チャンとの出会いもその頃だった。当時ダンサーだったチャンの心を必死で射止めたチャーリーは、薬物を絶って、西部への進出を図ったが、よそ者扱いされうまくいかず、酒びたりになって結局入院するハメに。そんな夫を救うためにチャンは奔走。再びニューヨークで仕事を得るのだったが、薬物から離れることができず…というストーリー。
愉しむのが難しかった作品。何故難しいかといえば、まず、主役のチャーリー・パーカーなる実在のサックス奏者のことを微塵も知らないこと。全編に渡って、クラブで演奏する姿、夜の街、薄暗い部屋であることに加え、ほとんどが黒人キャストなので、とにかく目に刺激がない。現在と過去を交互に見せる演出なのだが、フォレスト・ウィッテカーの見た目に変りがなくて、油断すると過去なんだか現在なんだかわからなくなってしまうほど。
そのくせ、こんな見づらいくせに、それを補って余りあるほど、音楽だけはクソ心地よい。それが合体すると何がやって来るかといえば、睡魔以外にない。20分観続けることが難しい。もう何度、巻き戻したことやら。
#途中でチャーリーのことをダディと呼ぶ白人の子が出てきたが、アレはなんだ? 謎だったが、スルーしてしまった。
主人公は子供のころから薬物中毒だし、粗野で感情的で身勝手で、可愛げがない。一つの能力に秀でているけど、クソ人間ってう役柄は、フォレスト・ウィッテカーのお得意だとは思うのだが、あまり興味深いとは思えないし、魅力の薄いキャラクターだと思う。正直、この丸々としたおっさんがどうなろうと知ったこっちゃない…そんな気持ちになってしまっては、愉しく映画を観るのは困難。
おまけに、これが、クソ長いときている。
で、そのまま、ズブズブと堕ちていき、若くしてお亡くなりになる。それだけ。よっぽどチャーリー・パーカー本人や、ジャズの歴史に興味がないと、無理ですわ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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