[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
公開国:日本
時 間:87分
監 督:山崎貴、八木竜一
出 演:香取慎吾、山寺宏一、阿部サダヲ、YOU、加藤清史郎、FROGMAN、新堂結菜 他
コピー:どこまでも、きみのともだち
霧に隠された海の向こうには、不思議なもののけの棲む島があった――。
“もののけ”が住むと恐れられ、近づくことが禁じられた島。ある日、母の病のために島のキノコを取ろうと少年・竹市が上陸する。その船に紛れて、弟の幼児コタケもやってきてしまう。たくさんのキノコが生えている森を見つけ、夢中で採っていると、二人の前に、赤鬼と青鬼が出現。竹市は無理やり船に乗せられて島から追い出されてしまう。しかし、小さなコタケを見落として、島に残してしまう。島に住むもののけたちは、人間を恐れてひっそりと暮らしていたので、コタケの姿をみてパニックに。島の長老はコタケを人質にすることを思いつき、赤鬼ナキと青鬼グンジョーにコタケの面倒を見ることを命じる。人間が大嫌いなナキは、小さなコタケと喧嘩ばかりだったが、だんだんコタケに対して愛情が沸き始め…というストーリー。
違和感はあったけど、香取慎吾のアフレコは悪くはなかった。どうしても香取慎吾の顔が浮かんでしまうのがどうにも邪魔だったけどね…。阿部サダヲやYOU、必要だったかな。プロモーションの一環だとしても、効果はあったのかな。そういう宣伝の仕方って、本当に有効かどうか考えた方がいいよね。
名作『泣いた赤おに』が原作なわけだけど、絵本のほうは90分近く引っ張れるほど長いストーリーではない。だから、伸ばすために色々工夫しているわけだ。
赤鬼は人間と仲良くなりたいという設定なので、相手の人間を用意しよう。ファミリー向け映画だから子供だな。鬼は人間から嫌われている設定だけど、普段から接触しているのも変だから、孤島とかにいることにして、子供はそこに迷い込むことにしよう…とか、色々考えたんだろうね。悪く言う気はないけど、まあ、無理やり伸ばせば、普通こうなるかなって線の出来映えだと思う。
もっとドラスティックに冒険してもよかったとは思うけど、まあまあ、うまくまとめたと思う。
原作では、青鬼の行動が心に響くわけだ。それも、サラりと平然とやってのける青鬼。そこにシビれる、あこがれる!ってところ。でも、本作では、グンジョーの母親らしい目撃情報があったこととか、ナキが他のもののけから嫌われいるから放っておけないから島に残ってるだとか、グンジョーが旅に出る理由ができちゃってるのがダメだよね。そういう理屈とか説明なしに、サラりと赤鬼のためにやるから、得もいわれぬ感情が読者に沸いてくるんだ。人間は青鬼を悪い鬼だと思い続けるんだよな。赤鬼はそれでもいいのかな。いや、本当のことを告白しても青鬼は喜ばないよな…とか、シンプルなお話なのに、頭のなかグルグルしちゃう。
『ごんぎつね』もそうだけど、読んだあとの独特の心持ちが名作たる所以。でも、残念ながらその感情は、本作を観ても沸いてこなかったな。子供には難しい? いやいや、子供をみくびっちゃだめだよ。充分、子供には受け止める能力はあるよね。
この作品の公開時に、浦沢直樹が絵を描いた『泣いた赤おに』の絵本が出版されていた。久々に読んで、完成度の高さに舌を巻いた。本作も面白くなかったわけじゃないけど、個人的には原作絵本の完璧さを際立たせただけだったかな。
#CGは良いとも悪いとも評価できない。はじめの竹市が出てくるシーンは、ちょっとヒドいなと思ったけど、極端に頭でっかちなキャラ設定のせいだと思うし、結果的にすぐに馴れた。
公開国:韓国
時 間:130分
監 督:ポン・ジュノ
出 演:ソン・ガンホ、キム・サンギョン、パク・ヘイル、キム・レハ、ソン・ジェホ 他
コピー:おまえが殺ったことを憶えているか?
1986年-1991年、韓国のある農村で10人の女性が殺された。3000人の容疑者が取り調べを受け、180万人の警官が動員されたがたった1人の犯人はまだ捕まっていない…
1986年、ソウル近郊の農村手足を縛られた若い女性の変死体が発見される。被害者は両腕を後ろ手に縛られ強姦されており、農道の側溝に遺棄されていた。さらに、その数日後、同じ手口で若い女性が殺される。地元警察は特別捜査本部を設置し、パク・トゥマン刑事と相棒のチョ・ヨング刑事が担当となる。そして、事件の異常性に着目したソウル市警は、ソ・テユン刑事を特別捜査本部に派遣する。パク刑事は、頭の弱い焼肉屋の息子ペク・クァンホを容疑者として逮捕し、自供を強要するが、証拠不充分で釈放。彼らのいきあたりばったりのいい加減な捜査を見てソ刑事は不快感を示す。そんな中、ソ刑事は、行方不明者のリストの中から、これまでの被害者と特徴が似ている女性を発見。彼女も殺されているに違いないと主張するのだったが…というストーリー。
日本ではバブル経済で沸き始めたころ、お隣の国では、軍出身の全斗煥大統領政権下で、光州事件もここで発生。民主化を求めるデモは軍力で鎮圧するまさに軍政。その一方、ソウルオリンピックの誘致や、日本への歩み寄りや文化開放もあった時代で、俯瞰してみると、圧政の連続である韓国の近年の歴史の中では、比較的ダイナミズムのある時期なのかもしれない。夜間外出令も解除されており、比較的治安の良い時期だったようだ。
ただ、1986年なのに、金田一耕助シリーズばりのどんな陰湿な事件がおこってもおかしくない韓国の農村の様子。不謹慎とは思うが、サスペンスの舞台としては非常に魅力的である。
で、本作の原作は、実際にあった華城連続殺人事件が元になっているらしく、犯人は捕まっていない。実際の事件では10人が被害者になっているが、初めの被害者が71歳で、下は18歳。こういうシリアルキラーは、犯行手順が洗練されていったり、エスカレートしたり、サイクルが短くなったりするものだが、それには当てはまらない。むしろ不自然なインターバルが空いているので、別の事件で収監されていたとか、犯人が複数だとかが考えられるのだが、それ以前に、近隣で他の被害者がいないかどうかがよくわからないので、何とも言いようが無い。私の見立てでは、全部が全部、同一犯人かは甚だ怪しいと考える。
(以下ネタバレ)
結果的には本作も犯人は捕まらずに終わる。そりゃあ、勝手に犯人に当たりをつけるわけにもいかないからね。
で、ソウルからやってきたデュープロセスを守ろうという刑事と、思いつきで容疑者の権利や証拠主義なんかまったく無視の刑事がぶつかる。異様な世界で繰り広げられるぶつかり合いが非常におもしろいのだが、残念なところが一点。
この、両者の行動様式がクロスフェードしてくのが、演出上の見せ所のはずなのだが、徐々に…とか、こういうきっかけで…とかじゃなく、急にソ刑事が粗暴になってくのが芸がないと思う。
勘と自白強要に頼る地元刑事を批判しつつ、自分は理詰めで責めているにもかかわらず、結果的に犯人のいいようにやらる。格好つけたって、ドブみたいな韓国じゃあどうしようもない…と追い詰められていく、そんな様子をもっともっとジリジリと表現すべきだった。ポン・ジュノ監督の踏ん張りが足りなかったと思う。
韓国人自身が一番韓国が嫌いというのがよくわかる作品。ラストシーンの余韻も、もうこんな国いやだわ…ということを共感し合って終わっているのだと思う。『母なる証明』も同じ後味。母親がクスリを売って何もかも忘れて踊る。こんな国いやだ…ってね。この目線があるからこそ、ポン・ジュノ監督の作品は救われていると思うし、我々が観ても、納得できるんだと思う。
未見の人は是非観るべき作品だと思う。絶対に韓国旅行には行きたくないと思うだろうけどね。
#ソ刑事を演じたキム・サンギョンは、ロッチのコカドとハムの人の中間みたい。
公開国:フィンランド、スウェーデン
時 間:78分
監 督:アキ・カウリスマキ
出 演:マッティ・ペロンパー、ザ・レニングラード・カウボーイズ、サカリ・クオスマネン 他
コピー:さいはてのツンドラ地帯から 史上最悪(!?)のロック・バンドがやってきた。
極端に長いリーゼントと先の尖ったブーツという奇抜なファッションのバンド“レニングラード・カーボーイ。シベリアで活動する彼らを売り出そうと、マネージャは地元のプロモータに演奏を聞かせるが、演奏がヘタクソという理由で断られてしまう。しかし、アメリカでならなんとかなるかもしれないと現地のプロモータを紹介してもらう。意気揚々とアメリカに向かうが、プロモータから与えられた仕事は、メキシコに住む彼のいとこの結婚披露宴で演奏すことだった。また、アメリカで流行っているのはロックだと聞かされて、勉強しはじめるレニングラード・カーボーイたち。さっそく中古車を購入し、途中のバーなどで演奏し日銭を稼ぎながらメキシコ向かうのだったが…というストーリー。
『過去のない男』のアキ・カウリスマキ。『過去のない男』は絶妙なシュールさとグっとくるシーンが絡み合う大好きな作品なのだが、本作は、明らかに笑わせようとしている。カウリスマキは、直球で笑わせようとしちゃダメな監督なんだな…と。私は、画面から、笑わせようっていう意志が滲み出た瞬間冷めるので、まったく好みに合わなかった。
#画質は間違いなくカウリスマキなんだけどね。
奇抜な風貌のバンドによるヘンテコなロードムービー。でも、正直、笑えなかったス。
アメリカへ行って行方不明の祖父が、リンカーンとか。凍死したメンバーをアメリカに空輸して、ずっと棺桶に氷を詰めて運搬、リーゼントとブーツの先が棺桶から出てるとか。“革命”とか“民主主義の復活”とか、そのノリはセンスが合わないなぁ。
変に笑いを挟まないで、始終マジメにやってりゃ良かったと思う。だまってたって笑いは滲み出てくると思うんだ。さすがに最期で生き返るのなんて、興醒めの極みだったかも。
この映画で演じているのは“スリーピー・スリーパーズ”という実在のバンドで、この作品をきっかけに、“レニングラード・カウボーイズ”という名で活動することになったらしい。でも、私は知らない。洋楽詳しくないし。
演出だと思うのだが、演奏はなかなかなのに、歌がヒドい。なんじゃこりゃってレベル。冒頭の民謡とかすごく魅力的だったんだけど、アメリカでの演奏は、知らない曲ばっかりで、今ひとつノリ切れなかった。ラストは、現地のメキシコ人がボーカルで安心のレベルだったけど。
でも、多分、このノリが好きな人は一定数いると思うんだよね。いわゆるカルト的な人気はあると思う。好みの問題。続編の『レニングラード・カウボーイズ、モーゼに会う』ってのもあるんだけど、すぐに食指は動かないな。
#マネージャがその後、いなくなろうがどうしようが知ったこっちゃないがな(笑)
公開国:アメリカ
時 間:122分
監 督:ヴェルナー・ヘルツォーク
出 演:ニコラス・ケイジ、エヴァ・メンデス、ヴァル・キルマー、アルヴィン・“イグジビット”・ジョイナー、フェアルーザ・バーク、ショーン・ハトシー、ジェニファー・クーリッジ、ブラッド・ドゥーリフ、マイケル・シャノン、デンゼル・ウィッテカー、シェー・ウィガム、トム・バウアー 他
ノミネート:【2009年/第25回インディペンデント・スピリット賞】撮影賞(ペーター・ツァイトリンガー)
コピー:正気か、狂気か。
荒廃した街 ニューオリンズ。最悪な男が、躍動する。
ハリケーン・カトリーナで水没したニューオーリンズ。テレンス・マクドノー刑事は、拘置していた容疑者を救出するという勇敢な行為で表彰され、“警部補(ルーテナント)”に昇格する。しかし、救出の際に、一生治らない腰の障害を負ってしまう。処方薬だけではその痛みを抑えることができず、ドラッグに手を出すようになってしまう。それ以降、愛人の高級娼婦フランキーとドラッグに興じ、元々好きだった賭博にも歯止めが掛からなくなる。薄給の刑事がそんな生活を続けられるわけもなく、夜の街を歩く人にあらぬ容疑をかけてドラッグを奪ったり、署に保管されている証拠品のドラッグをくすねるまでに。そんな中、セネガルからの不法移民の家族が全員惨殺される事件が発生する。その捜査の指揮を任されるテレンスだったが…というストーリー。
ドラッグが手放せなくなったことをきっかけに、善悪のタガが簡単にはずれてしまう主人公。好きな『ペイバック』に似たノリだけど、主人公のタチが悪い。美学なんかない。そんなクソ人間をニコラス・ケイジが見事に怪演している。
始終、腰の痛い演技も忘れずに貫いている。その設定のおかげで、昨今のクライムサスペンスには珍しく全然アクションをしない主人公というのもユニーク。ただ、たかだか水の中から人を救出しただけで、一生治らないほどの腰の怪我を負うのがよくわからん。元々腰が悪くて悪化したのか、救出時に痛めたのか、よくわからなかったし。どういう経過で腰を痛めたか、そこを描写せずにボヤかす演出意図がよくわからないね。
水没した署で生き残った容疑者と、凄惨な殺人事件の中一匹だけ生き残った観賞魚は、多分ダブらせているんだろうけど、ダブらせる意味は? などなど、色々仕掛けは散りばめられているんだけど、演出上の小技がウマくいっているとはいい難い。
でも、このクソ野郎がどうやって転落していくのかに興味津々になる一方、どうやって切り抜けるのかもちょっと気になるという、不思議な感覚がおもしろい。
立場が悪くなって、保管室勤務という愉快な展開。もう、主人公がラリってる以上に、展開がラリっちゃってるし、全体的にテンポが速く魅力的。ヴェルナー・ヘルツォークという監督さんの作品は初見だが、なかなか性に合うかも。
ラストはスカっとしないしピリっとしてなくて、賛否両論だとは思うけど、悪くは無い作品。あえてグダグダにしている気もするし。ハーヴェイ・カイテル主演で1992年に製作された作品のリメイクらしいので、是非ともそっちも観てみたい。
#ルーテナントが警部補の意味だなんて、大抵の日本人は知らない。これこそ、ウマい邦題を付けるべき作品だとおもうがねぇ。
公開国:フランス、日本
時 間:100分
監 督:クレール・ドニ
出 演:ヴィンセント・ギャロ、トリシア・ヴェッセイ、ベアトリス・ダル、アレックス・デスカス、フロランス・ロワレ=カイユ 他
コピー:逃れられない哀しみの中に囚われた、2人のガーゴイル(怪物)。
パリを訪れたアメリカ人科学者のシェーンと新妻ジューン。楽しい新婚旅行のはずだったが、シェーンはなぜかジューンと性的な関係を結ぼうとしない。実はシェーンは、性交渉の最中に相手を噛み殺す衝動を抑えられなくなるという奇病にかかっていたのだ。そして、シェーンが新婚旅行にパリを選んだ理由は、その奇病の鍵を握る元研究仲間レオと、同じ奇病を患ってレオに監禁されている彼の妻を捜すことだった…というストーリー。
まったく予備知識なしで借りたため、半分くらい経過するまで、何の話かさっぱりわからないままだった。
半分ほど経過して、急に“バンパイア”モノに変貌するという、珍奇な作品(厳密にはバンパイアではないけど)。そこまでは、眠くて眠くてどうしようも無いくらい、ゆるゆると話が進み、実際に何度も寝る始末。ギャロ様の眼光程度では、その眠りを凌駕することができないくらい。
基本、映像は凄く綺麗で好み。レオが妻が殺めた男を埋めるシーンなど、ムダに綺麗。それがまた眠りを誘う。
「なんじゃこの話は!!!」突然、緊張が走る。急に目が醒める。観終わってから振り返れば、そういう奇病だということが、色々フラッシュバックで差し込まれてはいるのだが…。もっと謎解きや、サスペンス要素を強調すれば良かったのに…と思うが、あえてそうしないことを狙ったんだろうな…とも思う
で、なんで“ガーゴイル”なのかは私にはわからん。医学の普及によって化け物になったという設定が、元々豊穣の神であったものガーゴイルが、キリスト教の普及により魔物に変化したのではないかと言われていることにダブるということなのかな。でも、それって一説でしかないし、監督も脚本家もそんな意図はなかったろうから、むりやりヒネりすぎな邦題だな…と思う。
(以下、ネタバレ)
なんでシェーンはレオの妻を殺すのか。何か、別の感染者を食えば、治るとかそういうことじゃないんかい。彼女が人を殺めている映像が頭に浮かんで、そんなことはしちゃいけいない! っていう正義の心? で、結局、自分も我慢できず、ミイラ取りがミイラになっちゃうっていうオチ? ん~。この展開が、まったくもってつまらない。
ギャロ様にしては珍しい作品に出ているな…と思うが、“耽美”とも違うこのノリがイマイチ性に合わない作品。
公開国:アメリカ
時 間:115分
監 督:マルコ・ブランビヤ
出 演:シルヴェスター・スタローン、ウェズリー・スナイプス、サンドラ・ブロック、ナイジェル・ホーソーン、ベンジャミン・ブラット、デニス・リアリー、グランド・L・ブッシュ、スティーヴ・カーン、ボブ・ガントン、 グレン・シャディックス、パット・スキッパー 他
ノミネート:【1994年/第3回MTVムービー・アワード】悪役賞(ウェズリー・スナイプス)
【1993年/第14回ラジー賞】ワースト助演女優賞(サンドラ・ブロック)
1996年、ロサンゼルス。“デモリションマン(壊し屋)”と呼ばれるスパルタン刑事は、、30人の人質をとってビルに立てこもった凶悪犯フェニックスを逮捕するが、フェニックスの罠にはまり人質全員が死亡してしまう。その責任を負わされたスパルタンは、70年の冷凍刑に処せられる。そして、フェニックスも同じ刑に。2023年。社会はすべてコンピューターで管理され、コクトー市長による高度な情操教育によって犯罪のない快適な生活を送っている。そんな中、仮釈放を審議するために、36年ぶりにフェニックスが解凍されることに。しかし、フェニックスは看守たちを殺して逃走。すっかり平和になっている世界の警察官は、フェニックスを捕まえることができない。そこで、伝説の刑事スパルタンを解凍し、フェニックスを追わせることにするのだったが…というストーリー。
過去のSF作品っていうのは、実際にその年になってみると、違ったな…というのが大半。本作は、こんな社会になってますという部分は、おもしろSFなので脇に置くとして、テクノロジーの進歩についての描写については、多分2012年からあと20年たったら、この方向で進むんじゃないかという、妙な説得力がある。
2010年に大震災があるとか(ロスだけど)、微妙に当たってたり。
悪ノリした軽いSFということで、悪評されることも多いのだが、こういう微かにコメディよりで、ノリで押し切るSFのどこが悪いというのだろう。こういうマンガ映画的なノリこそ至高。今は、いかに設定をリアルにするか、派手にするか、奇を衒うかばかりで、こういうセンスが失われていると思う。今だったら、地下組織の方に焦点があたって、革命モノのSFになっているんだろう。(もう少し、そっちに比重を置いてもよかった気はするけど)
カーアクションの銃撃戦も『Black & White/ブラック & ホワイト』なんかよりも、数段上。結局、貝の使い方はわからないまま…という、こういうレベルのコメディは、けっこう時間が経過しても、陳腐化しないものだ。深夜のTV放送とかで、4年に一回くらいやっても、それなりに視聴率を取り続けそうなのは、こういうレベルの作品なんだろうな。
スタローンが未来のSF世界に全然マッチしないことを逆手にとった設定もよし。
ウェズリー・スナイプスは前年の『パッセンジャー57』で主役をはっているが、日本人の強く印象付けられたのは、本作の悪役っぷりだと思う。スタローンを生かし且つ自分も生きる、いい仕事をしていると思う。
サンドラ・ブロックがラジー賞にノミネートされているが、ちょっとウザいけれどおとぼけな女の役を演じきっただけなのに、なんで低評価されねばならんのか。ほんと、ラジー賞は、センスのない映画賞だと思う。人を貶す賞が、センスを失ったらただの悪口じゃないか。
個人的に好みの作品。
公開国:アメリカ
時 間:111分
監 督:ケニー・オルテガ
出 演:マイケル・ジャクソン 他
ノミネート:【2009年/第15回放送映画批評家協会賞】ドキュメンタリー賞
コピー:誰も見たことのない彼に逢える。
2009年4月からマイケル・ジャクソンの亡くなる2日前(6月23日)の間の、ロンドン公演“THIS IS IT”の長時間に及ぶリハーサルを記録した映像を基にした、ドキュメンタリー作品。
おそらく、ツアーDVDの特典映像とかライブメイキングDVDのためになんかに撮っていたものだろう。なので、いくら映画として編集しているからといって、これをドキュメント映画といいきっていいのかは少し疑問。
ステージに使う予定だった映像は、大変デキが良くてお蔵入りにするのは勿体無いレベルなのは間違いない。これだけの投資がすべておジャンになるのが勿体無くて、映画だろうがDVDだろうが、貪欲に回収してやろうという了見だともいえるが。
リハーサルのシーンが主体だが、とにかくダンサーのクオリティが高い。個人的には特撮映像を作っている様子がおもしろかった。リハなので、本気の歌唱じゃない部分もあるのだが、かえって「ああ、生歌なんだな…」ということが判る。また、本気じゃないからこそ、歌唱力の高さが判るという点も。大人数で大掛かりなステージだから、しっかりリハをしないといけないわけで、そのおかげで、本番と遜色ない鑑賞に堪えうる内容になっている。
でも、さすがに、終盤はネタがなくなってきた模様。バンドの女性ギタリストなどに焦点が当たっていく。たしかに格好いいのだが、MJ好きは満足いくだろうが、そうでもない私はちょっとダレる。画面を見ないで音だけ聞いていた時間が多かったかも。
それにしても、ここまで大掛かりなコンサートを催すアーチストがマイケル・ジャクソン以外にいるのだろうか。後にも先にもいないのではなかろうか。彼の大ファンじゃなくても稀有な才能だったことを、いやでも知ることになる作品。
公開国:アメリカ
時 間:98分
監 督:マックG
出 演:リース・ウィザースプーン、クリス・パイン、トム・ハーディ、ティル・シュヴァイガー、チェルシー・ハンドラー、アンジェラ・バセット、ジョン・ポール・ルタン、アビゲイル・スペンサー、ジェニー・スレイト 他
コピー:史上最大の“職権乱用”
CIAの凄腕コンビFDRとタックは、極秘任務でターゲットを逃走させてしまい、謹慎処分になってしまう。暇を持て余したタックは、別れた妻と息子に会いにいくがまったく相手にされない。付き合っている女性もいない自分の生活が無性に虚しく感じられた彼は、恋人紹介サイトに登録。そこで知り合ったローレンという女性とデートをすることになった。一方、FDRはレンタルビデオ店でナンパ中に励んでいた。一人でビデオを借りにくるような女性は寂しい状況に違いないという考えで、ある女性に声をかけたが、軽くあしらわれてしまう。しかし、自分になびかない女性にかえって夢中になってしまうFDR。しかし、その女性はローレンだった。ローレンは、突然言い寄ってきた二人の男性を選ぶことができず、二股をかけてしまう。そして、FDRとタックは、お互いの恋人が同一人物だと知ってしまい…というストーリー。
完全に女性向け作品、というかカップルで観にいくための作品なんだろう。私のために争わないで~と、女性は愉しく感じるのかもしれない。でも、絶対に男性には絶対ピンとこない。なぜなら、二股けられていると判った瞬間、男はヒくから。いや、実生活で一人の女性を取り合うという展開なら、わからないではないが、別の男性と付き合っていることを隠して付き合っているなんて確実にヒく。それがわかった時点で、元々知り合いの男同士が争うことなど、まずない。“紳士協定”の意味もわからん。
それでも張り合ってしまうのが理解できるほど、ローレンという女性は魅力的だろうか。元彼に未練タラタラだわ、人間不信だわ。映画に詳しいから好きになる? ナンパになびかなかったから? 説得力ない。もう、リース・ウィザースプーン演じるローレンが魅力的じゃない。この作品の敗因はこの一点に尽きる。
おまけに、どっちか選べないから、とりあえず二人をセックスしてみて、よかったほうにするとか言い始める。それを聞いて、男が発奮するとか、女性からしたら夢の展開なのかもしれないけど、男目線では、マジであり得ないから。
で、このまま“紳士協定”を維持して引っ張るのかを思ったら、あっさり一線を超えるし。なんだかわからんわ。
殺し屋がやってきたことを知らせにきて大喧嘩になるくだりが、最悪につまらない。お互いが知り合いだということがわかった瞬間、ローレンは「これは賭け? ゲーム?」とか突然すべを理解してしまうという、都合のいい展開。で、もう一方のマフィアの話が、あまり意味を為していない。ローレンはあっさり奪還。その後の銃撃戦&カーチェイスも常にFDRとタックが優位で、全然ハラハラしない。マックG監督にしては、カーアクションがショボいなぁ。
で、タックは元妻と寄りを戻すという究極のご都合主義展開。「はじめましてケイティよ」こんな、ダサいクソ台詞、めったにお目にかかれないよ。で、ラストのFDRの告白でわかるように、結局は下劣な品性の人間がつくった映画なんだわ。もうね、何が面白いと思って作ってるんだかまったくわからない。クスリでもキメて書いたシナリオじゃないかね。手放しで文句なしの駄作。
公開国:アメリカ
時 間:107分
監 督:ジョン・アヴネット
出 演:アル・パチーノ、アリシア・ウィット、エイミー・ブレネマン、リーリー・ソビエスキー、ウィリアム・フォーサイス、デボラ・カーラ・アンガー、ベンジャミン・マッケンジー、ニール・マクドノー、リーア・ケアンズ、スティーヴン・モイヤー、ポール・キャンベル、カイ=エリック・エリクセン、ジュリアン・クリストファー、ティム・ヘンリー、クリスティーナ・コープランド、ブレンダン・フレッチャー、クリストファー・レッドマン 他
ノミネート:【2008年/第29回ラジー賞】ワースト主演男優賞(アル・パチーノ「Righteous Kill」に対しても)、ワースト助演女優賞(リーリー・ソビエスキー「In the Name of the King: A Dungeon Siege Tale」に対しても)
コピー:美女が微笑むとき、今夜も誰かが吊るされる──
女性を逆さ吊りにして切り刻む連続猟奇殺人が発生。そのうちの一つの事件で、双子の姉ジョーニーが餌食となり、妹のジェイニーが命を取り留める。ジェイニーの証言により容疑者フォースターが逮捕される。裁判では、FBI異常犯罪分析医ジャック・グラムの証言により、ジョン・フォースターに死刑判決が下る。9年後、グラムは大学で教鞭を執っていたが、フォースター死刑執行の日の朝、教え子デイル・モリスが猟奇殺人の被害者になったことが知らされる。そしてその手口は9年前のフォースターの手口を酷似していた。すると、グラムの携帯電話が突然鳴り、「お前の命はあと88分だ」と言い切れるのだった…というストーリー。
とにかく、アホか! といいたくなるくらい展開が早い。結果的に言うと、このお話で巻き起こる事件は、非常にありきたり。刑事モノのTVドラマの1エピソード程度の目新しさしかなく、どこかで観た印象すらある。シリアルキラー物の真似事の域を出ていない。
しかし、その凡庸極まりないお話を、どれくらい急展開にすれば、観客にバレずにすむか限界に挑戦! みたいな、実験映画のようですらある。
グラムが犯人を捜す時、意図的に女性をスルーする。シリアルキラーは男性だという傾向を逆手にとっているのだな…ということがありありの演出なのだが、こんな急展開に加えて、キーになる女性が4,5人出てくるが、もうだれがだれだか途中でわからなくなってくる。
さらに、携帯落として壊れるシーンなど、極めてご都合主義的な演出が多数。血を拭くためにハンカチをわたしたが、鼻血は拭かないとか。もう、どんなに稚拙なシナリオといわれようとも、どんな手をつかっても、場をカオス状態にして、観客を煙に巻いてやろうという意志しか感じられない。
こんな状態なので、肝心の犯人を追い詰めていく楽しみは薄い。“88分”は単なるカウントダウンじゃなく、意味があった部分は良かったと思うが、あまりに駆け足なもので、グラムの妹の件を知っていたのはフォスターが妹を殺した犯人だったから? いや、単にグラムの過去を調べただけ?とか、そんな低レベルで大混乱してしまった(でも、巻き戻して観返す気はまったくおきない)。
そういう意味では、演出意図としては成功しているのかもしれない。でも、だからといって面白くはない。そして、そんなグダグダをなんとか締めようと、高所恐怖症のお尻をムズムズさせるような駆け引きで、まとめようとする。これまた稚拙。
ほんと、アル・パチーノじゃなかったら、未公開作品になってもおかしくないレベルだよ。ラジー賞を与えるとするなら、演者ではなく脚本に対してだと思うんだけどね。ある意味、珍作だと思うんで、逆にお薦めしちゃうけどね。自己責任で。
公開国:アメリカ
時 間:81分
監 督:サーシャ・ガヴァシ
出 演:スティーヴ・“リップス”・クドロー、ロブ・ライナー、ラーズ・ウルリッヒ、レミー、スラッシュ、トム・アラヤ、スコット・イアン 他
受 賞:【2009年/第25回インディペンデント・スピリット賞】ドキュメンタリー賞(サーシャ・ガヴァシ)
コピー:30年間夢を諦めなかった男たちの夢と友情を描いた、笑って泣けるウソのような本当のお話!!
1970年代に結成し、80年代初頭にスラッシュ・メタルの旗手として脚光を浴びたカナダのバンド“アンヴィル”。1984年に日本で開催された「スーパー・ロック・フェスティバル」にはボン・ジョビらと共に招待されたほどで、現在活躍する多くの人気バンドに影響を与えたといわれているが、その人気は続かなかった。20年以上経ち50代になった今、ヴォーカルでリーダーのスティーヴは給食配給センターで働いており、ドラムのロブは無職。新たなギタリストとベーシストの二人を加えてバンド活動を続けてはいるものの、地元のライブハウスで少人数を前に演奏するだけ。今なお成功を夢見てバンドを止めようとはしない彼らに、ヨーロッパツアーの話が舞い込むのだが…というストーリー。
監督は、子供の頃にアンヴィルのファンだったらしいが、単純な復活ストーリーに仕上げなかったところがおもしろい。うまいこと転がってかない人生。ヴォーカルのリップスとドラムスのロブは、絶対的に仲がいいわけではなく、物凄くモメる。おそらくこれまでも、同じようにモメてきたんだろうが、それが解消されてバンド活動を続けることがでいるのが興味深い。
単にバンドが好きだから続けているのだと考えることもできる。しかし、本人も辛いと感じているのは「崖から飛び降りるのは容易」というセリフからもわかる。売れないバンドをを続ける苦痛と、やめてしまったあとの苦痛を天秤にかけて、後者が勝っているから続けているという見方もできる。もっと気楽に、遊び要素を増やしてやれば気はいいのかも知れないけど、一度味わってしまった、プロとしてのステージの快感が忘れられないんだろう。ランナーズハイと一緒で、バンドで快感を得てしまうと止められなくなるのは理解できる。はたして、惰性なのか執念なのか。こればかりは判然としない。
ただ、実力がないとは思えない。監督もなんで売れないんだろう…と思いながら作っているのが滲み出ている。
こういう人は、日本にもいるとは思うし、これからどんどん増えるような気がする。しかし、“№1にならなくてもいい、元々特別なオンリーワン”的な考え方では、このアンヴィルのような執着とは違ったものになるだろう。“オンリーワン”って、そう考えるのがいい場面があることは認めるけど、子供が言い訳に使ったら本当に害悪なセリフだと思う。偏見なのは承知で言うけど、“ゆとり世代”を象徴する歌。音楽の教科書なんかには載せるべき歌詞ではないと私は思う。
もう一点、注目すべきは、家族の反応。一方の家族は夫が夢を追うことに、好意的とはいわないまでも仕方ないと応援しているのだが、ロブの姉なんかはうんざりぎみ。リッチな生活なんか求めちゃいないんだけど、普通の生活すらできないことに疲れが見える。私なら家族がこういう反応見せている段階で、この形でバンドを続けることを躊躇しそうだ。周囲のこの反応を彼らは感じ取れないのだろうか。それとも全部受け止めたうえで続けているのだろうか。周囲への感受性が足りない人間が、アーチストとしての感受性や創造性を発揮できるものだろうか。私の感覚では理解できない部分だ。
語弊があるのを承知で言うが、周囲や家族の反応は、精神遅滞児を暖かく(というか仕方なく)見守っているのに近い感じがする。一般人の正論など通じない次元なので、こうするしかないんだろう。
数十億人いる人間の中で、こうやってしがみつく人間がいたって、何一つおかしいことはない。何かやりたいことがあるのに、何だかんだ理由をつけて、続けなくて後悔するよりは良いような気がする一方で、素直に夢を追う人は美しい! と言いにくくなる作品だったりする。
公開国:アメリカ
時 間:126分
監 督:ラッセ・ハルストレム
出 演:トビー・マグワイア、シャーリーズ・セロン、マイケル・ケイン、デルロイ・リンドー、ポール・ラッド、キーラン・カルキン、ジェーン・アレクサンダー、キャシー・ベイカー、エリカ・バドゥ、ケイト・ネリガン、K・トッド・フリーマン、J・K・シモンズ、エヴァン・デクスター・パーク、スカイ・マッコール・バートシアク、エリック・パー・サリヴァン、パス・デ・ラ・ウエルタ 他
受 賞:【1999年/第72回アカデミー賞】助演男優賞(マイケル・ケイン)、脚色賞(ジョン・アーヴィング)
コピー:そして僕は歩きはじめる
メイン州ニューイングランドにあるセント・クラウズの孤児院で生まれ育ったホーマーは、院長のラーチの助産の仕事を手伝っていた。ラーチはホーマーを息子のように愛し、ホーマーもラーチへの感謝を忘れることはなかったが、ラーチは違法な堕胎を行っており、それについてだけはホーマーは納得するができなかった。やがてホーマーは、このままラーチの元にいてよいのか、将来に不安を感じはじめる。ある日、ホーマーは堕胎手術にやってきた軍人ウォリーとキャンディの若いカップルと一緒に、孤児院を出て行くことを決める。ホーマーは、ウォーリーの親が経営するリンゴ園の仕事を紹介してもらい、収穫人たちの宿舎サイダーハウスで一緒に暮らし始める。生まれて初めて労働の喜びを感じるホーマーだったが…というストーリー。
軽妙に展開するが扱う内容は非常に重い、ハルストレム監督らしい作品。
堕胎を良しとするか否か。アメリカでは毎度 大統領選挙の争点になるほど重要な対立軸。ホーマーは生まれてくる子供の立場で大体の是非を考え、ラーチ院長は女性側の立場で考える。
やがてホーマーは自立して人生経験を増やしていくが、中盤は堕胎がストーリーの軸であることを忘れるくらい触れられない。純粋にホーマーが“社会”というものを知り、“青春”というものを取り戻していくという、グローイングアップムービーとなっている。
その中で、シャリーズ・セロンの美しさは特に際立っている。ホーマーのキャラクター設定上、堕胎という行為を忌避はするが、堕胎した女性に対して嫌悪感を持っているわけではない。しかし、結果的に堕胎した女性を愛することになるという矛盾を、シャリーズ・セロンの田舎町に不釣合いな美しさが、説得力を生んでおり、ストーリーの重要なピースになっていると思う。
最終的にホーマーは、きちんとするとかしないとかそんなレベルではない、ローズ・ローズの本人では抗いようのない運命を見ることになる。法的・宗教的には堕胎禁止は大事なことだが、はたして人々にとって、完全な善なのか。
“サイダーハウス・ルール”は、雇い主からしたら重要なルールかもしれないが、現場の人間には何の意味もない。リンゴ詰み作業の黒人たちは、字が読めないから、きっと自分たちを強く縛る戒めが書いているに違いないと思っている。しかし、ホーマーに読み上げてもらったら、なんじゃそりゃ?状態。
もしかして、同じように法や戒律も、その沿革や目的を理解すれば、それに合致しないシチュエーションなら許容されるのではないか?その法が想定していなかった事情の場合は、無効なのではないか?堕胎に関して言えば、単に快楽の結果や安易な経済事情ではなく、産むこと育てること自体が憚れるような場合は、適用除外なのではないか。
もっと言うと、法や戒律は、それだけが一人歩きすると、かえって世に害悪を及ぼすケースがあるのではないか。その段階で法は半死しているとすら言えるのではないか…とまで、言っていると思う。
で、実際の社会ではそういうことがあるでしょう…と、社会に出たくて仕方が無かったホーマーは、社会でそれを知って戻ってくる。まあ、決してこの作品がこの議論に決着を出せるほどの答えをだしているわけではないけれど、一つの重要な視点、シミュレーションになっていると思う。良作だと思う。
#ニセ免許のくだりは豪快だ。そして、ホーマーもそれに乗っかっちゃうことには、疑問を抱かないというね…(笑)。
公開国:アメリカ
時 間:106分
監 督:ルイス・マンドーキ
出 演:シャーリーズ・セロン、ダコタ・ファニング、スチュアート・タウンゼント、ケヴィン・ベーコン、コートニー・ラヴ、プルイット・テイラー・ヴィンス、スティーヴ・ランキン、ゲイリー・チョーク、コリーン・キャンプ 他
コピー:外出禁止。
誘拐。監禁。命は30分ごとの連絡でつながっている。
オレゴン州ポートランド。主婦カレンは、麻酔医の夫ウィルと6歳の娘アビーの3人で幸せな生活を送っていた。ある日、ウィルがシアトルへ出張に出かけると、家に見知らぬ不審な男が侵入。ジョーと名乗るその男は、仲間がアビーを誘拐したことをカレンに告げる。そして、30分ごとに連絡しなければアビーは殺される手はずになっていると脅す。しかし、アビーは重い喘息を患っており、発作をおこせば死の危険もあることを知り、ジョーは動揺する。とりあえず、発作をおさえる薬を、アビーを監禁している山小屋に届けるため、ジョーはカレンに目隠しをして車を走らせるのだったが…というストーリー。
邦題もマッチしてないけど、原題のTRAPPEDもちょっと考えすぎた結果、凡庸になっている。前半は、娘が重度の喘息である設定が生きているので、“30 Minutes”でよかったんじゃないかな。
『ファニーゲーム』ばりの、高圧さと理不尽さで、観ている側も力が入る。出演俳優が豪華だし、見ごたえは十分である。ただし、仕事で疲れた頭で観たならば…である。鑑賞後に、振り返って考えると、ちょっと説明不足かな…と。
まあ、ウィルの家庭のことを調べ上げたのに、娘が喘息なのは調べられなかった…というトホホな点については多めにみることにしよう。
冒頭の6ヶ月前のシーン。この段階で、同じ手口で誘拐をやっている。はじめはただの誘拐かと思っていたが、アビーの誘拐が営利目的ではないと考えると、これまでの誘拐はおそらく娘の医療費目的だったんだろう。その点、うまく描けていないよな。
また、ウィルの失敗によって娘が死んだと思い込んだのはいいとして、、病院の麻酔科医が失敗したならば、医療ミスで訴訟すればいいのではないか。いや、深読みすれば、金なんかいらないんだ、同じ思いをさせてやる!っていうことなんだろう。でも、それならば、なんで、大金をせしめることにあそこまで執着するのか。殺しはしないまでも、ギリギリまで苦痛を味あわせてやるということなのか。おそらく状況が変わって、彼の“計画”とやらが揺らいだということなんだろうが、さすがに、アビーを自分の子にしたくなったというのは唐突に思える。せめて、そういう気持ちが涵養されてくるプロセスをもうちょっとうまく表現してほしかった。それとも、ジョーは始めから心の中ではそう思っていたとか?いや、考えにくい。
カレンの行動も不思議。相手の要求がお金であることがわかった。娘の所に薬は渡した。じゃあ後は、おとなしくしているのが得策なのだが、自分が犯されそうになって抵抗する。子供の命と自分の貞操を天秤にかけて貞操を取るというのは、いかがなものか…。
また、不思議なのは、ウィルは自分の失敗ではなく執刀医の失敗だと説明する。でも、それってウィルがそういっているだけで、なんの証拠もない。だけど、シェリルは信じちゃうんだよね。むしろ、ウィルが失敗したとか、病状が重かったからだとは思うが自分のせいでないとは言えない…とか、そういう展開のほうがよかったのではなかろうか。
すごく、スリル溢れてドキドキさせてくれる良いサスペンス作品なんだけど、ちょっと考えると変な部分に気付いちゃうのが、玉に疵なのだ。
自家用飛行機を使ったラストの展開は悪くないと思う。ウィルが自家用飛行機を持っているという設定は生きているし、エンジンを切るアイデアもいいアクセントだと思う。でも、あそこまで大捕物にする必要はなかった。そして、FBIが出てこなくても良かった(ジョーが勝手にFBIにおびえるだけで十分だった)。なんか、削ぎ落とすべきものを削ぎ落としてないのが、敗因な気がする。
結論をいうと、なかなか秀逸だが、粗が目立つ。粗に気付かないようにするためには、少しアルコールを飲みながらみたほうがいい。そうすれば、大満足できる作品だと思う。
#シャーリーズ・セロンも、まさか、ダコタ・ファニングに喰われるとは思ってなかっただろうな。
公開国:アメリカ、カナダ
時 間:87分
監 督:ゴンサーロ・ロペス=ガイェゴ
出 演:ウォーレン・クリスティー、ロイド・オーウェン、ライアン・ロビンズ 他
コピー:人類が40年間、月に行かなくなった本当の理由とは?
NASAが隠し続けた最後のアポロ計画
計6回の有人月面着陸に成功したアポロ計画は、当初20号まで予定されていたが、予算削減により1972年の17号で終了となった。しかし、その中止理由は本当に予算の問題だったのか。それから40年が経ち、その謎に迫る重要な映像が発見された。そこには、公的には存在しないはずのアポロ18号による月面着陸ミッションの一部始終が記録されていたのだったが…というストーリー。
『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』や『パラノーマル・アクティビティ』と同じ手法で、それにアポロ計画をミックスしてみた企画。悪い着眼点ではないが、アイデアとしては、けっこう凡庸かも。
はじめの方は、発見されたフィルムだという設定が許容できなくもない。しかし、吹き替えで観たせいだとは思うが、インタビューのやりとりがインチキ臭い。例えば、家族には、任務で日本へいっていた…とか、もっとそれらしいセリフはあったと思う。現代の視点が漂っており、眉唾さ満載。興醒めしてしまった。このライターは、あまりセンスがないかも。
はじめのインタビューは戻ってきたことを意味するのか否か。結果からいうと、あまりセンスのよくないミスリードだった。
映像はフィルム撮影という設定なのだが、途中からデジタルくさくなってくる。以降、すっかり本物の映像だなんて思えなくなり、もう戻ることができなくなる。あとは、サスペンス物として、どれだけ魅せることができるかの勝負である。さて、どうなるか。
ソ連もいた!ってのは、結構おもしろかったのだが、宇宙で狂っちゃう系のお話は、手塚治虫とかで慣れているしなぁ。結局、感染モノとか地球外生物モノにおさまっちゃったのも芸がない。
それ以降は、おかしな表現のオンパレード。ストロボのずきゅ~~んって音。月面で聞こえるもんかねえ。船内での撮影は、カメラを置いていたっていうことで許容できるが、究極的に命の危機に晒されパニック状態なのに、フィルムのまわったカメラを持って走り回り、且つピントが合っているというのは、違和感を感じざるを得ない。それを気にさせない演出や、巧みなシナリオ運びができていればいいんだけど、もう、ムチャクチャ。
もう、秘蔵フィルムであるという設定が、完全に首を絞めてしまっている。このNASAに眠っていたフィルムという設定が、一番この映画をつまらなくさせている原因だと気付くべきである。そこに気付いたら、始めにもどって、企画から練り直すべきだったろう。
これは駄作。アポロ計画物の作品は軒並み好きなんだけど、これはダメだわ。
公開国:アメリカ
時 間:127分
監 督:ルパート・サンダーズ
出 演:クリステン・スチュワート、シャーリーズ・セロン、クリス・ヘムズワース、サム・クラフリン、イアン・マクシェーン、ボブ・ホスキンス、レイ・ウィンストン、ニック・フロスト、トビー・ジョーンズ 他
コピー:“おとぎ話”は終わった。今、新たなる「白雪姫」伝説がはじまる!
この夏、世界は、初めて出会う。戦う白雪姫と――。
容姿も心も美しい王女スノーホワイトは、幼い頃に母を亡くす。父のマグナス王は、ラヴェンナという女性を新しい王妃に迎えるが、ヴェンナの正体は魔女。マグナス王は殺されてしまい国を乗っ取られてしまい、スノーホワイトは城の塔で幽閉されてしまう。それから7年。女王ラヴェンナは魔法の鏡にいつも問いかけていたが、成長したスノーホワイトが自分よりも美しい存在になることを聞かされる。そして、スノーホワイトの心臓を食べれば、永遠の美と若さを手に入れることが出来ると知った彼女は、彼女を殺そうとするが、闇の森へ逃げ込まれてしまう。女王は、森に詳しいハンターのエリックを雇い、スノーホワイトを追跡させるが、スノーホワイトと出会ったエリックは、女王が嘘をついていることを知り…というストーリー。
シャーリーズ・セロンは、魔法で美貌を保っているという設定なのだが、ノーメイクの写真をパパラッチされて、散々ババア呼ばわりされいるのを逆手に取ったともいえ、その開き直りは、ある意味すごい。メイク技術のおかげだとしても、相変わらずの美貌だし、威厳を感じる演技だと思う。それだけに、小雪の吹き替えのヘタさが残念すぎる。
残念というか単純にヘタクソ。トホホとかそういうレベルではなく、衝撃的なヘタさといってよい。シャーリーズ・セロンにマッチしていないだけでなく、根本的に声優としての力量がなさすぎ。学芸会レベルとはまさにこのこと。声を張り上げたセリフなんか、はずかしくて聞くに耐えなかった。威厳の無さは皆無。シャーリーズ・セロンに苦情を言われても言い返せないレベル。これが、最期まで続く苦痛。そして慣れることすらできないヘタさ。
冒頭、ナレーションで話が進むのも、ちょっと興醒めする。また、この世で一番美しいのは誰…それはスノー・ホワイトといわれても、クリステン・スチュワートがそれというのは、さすがにちょっと納得できない。『トワイライト』の一作目の時くらいならなんとか納得できるのだが…。見た目の美しさじゃなく、やさしさとか心の強さとかトータルバランスで1番なのよ…とか、うまいこと説明するしかないのだが、そこはうまく表現できていない。
ある意味、王子の口付けで目覚めるという展開がクライマックスだといえるのだが、シナリオ上、何やらうやむやに処理された感じ。そしてあれよあれよという間に、童話のはずなのに、いつのまにやら革命劇になってしまう。白雪姫のジャンヌ・ダルクをやらせるとは、『アリス・イン・ワンダーランド』と似た展開だ。スタッフが近いといってもテイストが一緒すぎる。
でも、白雪姫をアクション活劇として立派に仕立て上げている点は評価できると思う(というか、どうにでもしてくれと、観ている側もヤケクソな気分になる)。魔女も、『乱』の楓の方みたいに、実は復讐の鬼だったというのは面白いかも。
ハンターとか王子的な男の子とか、なんか男キャラは適当極まりない。七人の小人は別に小人じゃなくてよかったんじゃないかと思うくらいどうでもいい(いまいちワクワクしなかった)。
あまり真剣に振り返る気がおきないレベル。極めて凡作だと思う。
#途中のロード・オブ・ザ・リング的な展開には、苦笑い。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |