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image1915.png公開年:2011年
公開国:イギリス
時 間:97分
監 督:エリオット・レスター
出 演:ジェイソン・ステイサム、パディ・コンシダイン、エイダン・ギレン、ゾウイ・アシュトン、デヴィッド・モリッシー、マーク・ライランス、クリスティーナ・コール、ルーク・エヴァンス、ロン・ドナキー、ネッド・デネヒー、ニッキー・ヘンソン 他
コピー:この刑事、凶暴。ゆえに天職。



サウスロンドン警察のブラント刑事は、暴力的な捜査手法のせいで何人もの犯罪者をブチのめしてきたが、そのせいでマスコミに取り上げられ、非難の的となっている。しかし、その正義感と同僚を想う気持ちは人一倍で、自ら刑事は天職だといって憚らない。そんなある日、警官ばかりを襲撃する連続殺人事件が発生。プラントは新任警部のナッシュと協力し、捜査に当たる。犯人は大胆にも、自らの情報をマスコミにリークし“ブリッツ”と名乗っていたが、やがて、その正体がバリー・ワイスという男であることが判明するのだったが…というストーリー。

ジェイソン・ステイサムのクレイジーなキャラってのは、ありがち。はみだし刑事役は似合ってるけど、そいいう役が多すぎで食傷ぎみ。

チンピラには容赦なく鉄槌を下し、その後、どうなろうと知ったこっちゃない直情的な人物なのはいい。でも、日頃の素行を攻められてクビになりそうになったら、“天職だからクビにすんな”ってスゴむ。それって、言い方の問題だけで「クビにしちゃイヤよ」ってことじゃないか。なんかな情けないと思うんだけど。キャラが練りきれていないと思う。

ゲイの警部にも、なんだかんだで近づいていって、バディになる。別に彼が実はい刑事なのでは?っていうきっかけがあるわけでもないし、彼を組まなければいけないということもない。どういう心境の変化なのか、よくわからない。
ゲイの刑事とは最後まで共同で捜査に当たるんだけど、べつにゲイであることが、その後のストーリーに生きるわけではない。同僚から、ゲイと行動していることを茶化されることすらない。そのデコボココンビの様子が特段おもしろいわけでもない。

同様に、妻を亡くした刑事のキャラも生きていない。二人の間に強い友情があったのかと思いきや、彼が死んだことに対して、我を忘れるような行動を取るわけでもない(怒りはするけど)。

薬物中毒の女性警官も、仲の良かった少年が殺された後、自暴自棄になって証拠の薬物を横流ししてラリっちゃうだけで、それ以上なにかがあるわけでもない。犯人がわかってるんだし、復讐くらいするのかと思ったけど、錯乱するだけ。だから何?って感じ。その女性警官を慮る男性警官なんか、彼女が襲われたことを知って動揺して、ベッドの側に座ってるだけ。必要がない。
とにかく、キャラの味付けはしてみたけど、味見もしてないし整えもしていないって感じ。全部の登場人物がそんか感じ。雑なこと極まりない。

また、決定的に犯人探しの面白みが欠けている。犯人が誰なのかは観客には早々に明かされているので、犯人探しの要素はない。それならば、犯人と刑事の騙し騙され、丁々発止のやりとりを見せるべき。でも、犯人は襲って殺すだけ。犯人の正体に気付いた後は、けっこう普通に捕まるだけ。その後は、捕まえるけど証拠不十分で釈放されるだけ。

その先、凝った演出でもあるのかと思ったら、結局、ブチ切れて殺しちゃうだけ。つまらないオチにもほどがある。すべてが、たたそれ“だけ”。

どう考えても駄作なのに、とりあえず凡作かな…というところまで盛り返すのは、ジェイソン・ステイサムのパワーだろう。何だかんだで力のある役者ってことだな。ただそれだけ。

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imageX0057.Png公開年:1961年
公開国:日本
時 間:88分
監 督:渋谷実
出 演:笠智衆、岩下志麻、淡島千景、川津祐介、高峰三枝子、乙羽信子、北林谷栄、三木のり平 他





奈良の大学の数学教授・尾関は、研究者として世界的に有名だが、数学以外のことにはまったく無頓着で、周囲の人々からは奇人と思われている。妻の節子との結婚生活は30年にもなる。娘の登紀子は市役所に勤務しており、現在同じ職場の佐竹と縁談話が進行中。登紀子も佐竹も両想いで結婚には前向きだが、老舗の墨屋で体面に固執する佐竹の家は、変わり者の父親であることと、養女で実の親の顔を知らないという登紀子の生い立ちから、快く思っていない。登紀子も、はたして父が、嫁ぐことを許してくれるのか気がかりで、奈良の大仏様に願掛けする毎日で…というストーリー。

世界的数学者って何の研究してるのかわからん。けど、世事に頓着が無く浮世離れしたキャラってことで十分。こんな50年も前に、風変わりな数学者の映画なんてのがあったんだね。ほのぼの『ビューティフル・マインド』って感じ。

舗装もしていない戦後間もない奈良の街並みが、新鮮。だけど、それほど雰囲気や空気感は変わっていない。闇雲に文化財を保護するのもどうかと思ったけど、がんばって残すのも悪くないってことか。
#奈良県民は大仏殿の拝観って無料なの?

娘の恋人の佐竹とやりとりや、勲章を盗みに入った泥棒を逆に慮ってしまう様子など、実に滑稽で微笑ましい。たまにイラっとするのも実にいい味で、共感できる。言っても仕様がないことは言わないっていう姿勢が、時には周囲の人をイライラさせる(それが、妻をキッチンドランカーにしている原因だったりもする)。
“好人好日”ってのは、良い人のところには良い日々が訪れる…とかそう意味かな。このタイトルにふさわしい人格を体現しているのが、この尾関という教授。彼は主人公っていうより“妖精”だね。彼の人物像は完成していて変化がないから、主人公は娘であり淡島千景演じる妻だと思う。

その娘を演じる岩下志摩は口角の上がり方が絶妙で、とってもキュート。でも、本作の彼女はなんか歯の色がきれいじゃない。逆にそれが時代を感じさせてリアルだったりする。
彼女は出生の秘密を知ったところで、大号泣するのだが、何であそこまで泣くのか。元々はどっかのお嬢様で事情があって…なんて可能性を想像していたのかな。戦後の状況お考えたら、そんなことまずありえんとおもうんだけど。
その場面で、数学者が人生における偶然を説くんだよね。それも面白い。その発言に、いっさい忌憚が無い。天衣無縫のこの男のいうことがいちいち腑に落ちて、憧れるすら覚える。

最後に、勲章をなくしたことを謝罪しろという元軍人。昔はこんな狂人だらけだったんだろうな。まあ、いまでも老害馬鹿はウヨウヨいるけどさ。教授と対極にいる人物を出すことで、日本国民の思想の幅を表現してるわな。

まったく知らなかった監督の作品だけど、当たりだった。ほっこりした気持ちになれた一作。お薦め。

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image1918.png公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:109分
監 督:アンドリュー・ニコル
出 演:ジャスティン・ティンバーレイク、アマンダ・セイフライド、アレックス・ペティファー、キリアン・マーフ、ヴィンセント・カーシーザー、マット・ボマー、オリヴィア・ワイルド、ジョニー・ガレッキ、コリンズ・ペニー、ベラ・ヒースコート 他
コピー:全ての人類は25歳で成長が止まる



近未来の世界。人類は遺伝子操作で肉体の成長を25歳で停止させ、その後の寿命は体内時計が刻む残り時間が決定するというシステムに。人口過剰を防ぐために、時間が通貨となっており、裕福な人は潤沢な“時間”を保有し永遠に生きることができる一方、貧しい庶民は命を維持するために労働し、高利で時間を借り、また生きるために他人の時間を奪うことが繰り広げられていた。ある日、貧しい青年ウィルは、バーで救出した富豪から117年もの時間を贈与されるのだったが…というストーリー。

時間が通貨というおもしろい着眼点。まだにSF蟹工船。しかし、その着眼点だけで、設定にまったく深みがない。

寝ているときに時間のやりとりが可能なら、もっと戸締りが厳重だろうし、仲の悪い夫婦なんか別々の部屋で鍵かけないといけないな。それに、すれ違った人の腕を掴んで簡単に殺せるし。
1日あればいい…って格好付けてるけど、うっかり寝たら死んじゃう可能性があるから、残り2日はないと安心できないってほうがリアルだったろうな。
腕相撲みたいな時間の取り合いの意味がわからん。最大のアクションがそれじゃ、ビジュアル的に迫力がない。最後の対決の勝利の決定打が、相手が残り時間を忘れていたこと…とか、くだらなすぎる。

そんなに時間が重要ならば、残りの時間をどう使うか…を考えると思うが、そんな思考が一切ない。街全体とは言わないが、死なないように時間を都合しあうコミュニティができるのが自然なのに、それをしようとする様子がない。
ちょっと考えただけで穴が見えてくるので、一生懸命見せないようにしているのだけど、やっぱりなんか変。いやいや、そんなことができない理由があるんだよ…っていうところを練らないとだめでしょう。

もっと、寿命が通貨であるという点を突き詰めるべき。富裕層は大量の時間を貯めこんでいて無駄遣いしてる…っていうけど、価格のコントロールを富裕層がしているのなら、実質的に物の購入時に対価を払う必要なんかないんだろうな。あくまで下級層からの搾取のために使っているわけだから。
もっと突き詰めれば、“時間”の総量は決まってるのか?中央銀行の通貨量調整みたいなことができるんなら、無尽蔵だし。いや、確実に寿命として消費されてるんだから、だれかが“時間”を作り出さないとおかしい。やはり、通貨なのに時間とともに減っていくというところがポイント。

で、なんで、下級層から搾取してるのか。食べ物とか資源が枯渇していて調整が必要だからなのか、単なる貧富の差の結果なのか、それとも両方なのか、はっきりしていない。というか、作り手のほうもはっきりしていないんだと思う。

実は、この状況が“インフレ”を極端なモデル化で表現しているのだとしたら、ものすごい慧眼。しかし、そこまで考えが至っていないのが、この作品の陳腐さ。乱暴な言い方をすると、普通の経済活動が継続されている状態ならば、貨幣価値は緩やかに下落する。それは、通貨の対象物として取引されている物品が劣化していくから。加えて、それら物品を基にして新たな価値の物品が生み出されえも、新たな価値の付加によって価格は上がるので、相対的に貨幣価値は下がるから。

まあ、そういう設定の矛盾に目がいかないようにごまかしながら、後半は、気に喰わない社会制度をブチ壊す展開に。『Vフォー・ヴェンデッタ』みたいな感じ。
ヒロインは父親の抑圧から解放されたい一心で、主人公についていくが、結果的に『ボニー&クライド』的な展開になる。しかし、システムが破壊され、世界が変わる…という段階になっても、、やっぱり二人が銃だけ持って突入とか。なんなんだろう。大衆で押し寄せないのかよ。わけわかんね。

期待を裏切られてのもあって、駄作だ!と言い切りたいところだがグっとおさえて、思いつきだけでそれ以上は練らなかった情けない凡作…というところでとどめておこう。無理してみる必要のない作品。後半は眠くなる。時間をテーマにしてるのにスリルが感じられないとか、もうね…。

流行りのカエル顔でおなじみアマンダ・サイフリードが、その魅力を発揮していなければ、映画としての見所は皆無だったかも(でも、篠田麻里子の吹き替えは最低。クソ。眞鍋かをりの『ドミノ』の吹き替え以下だあ)。

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image1906.png公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:134分
監 督:ポール・ハギス
出 演:ラッセル・クロウ、エリザベス・バンクス、ブライアン・デネヒー、レニー・ジェームズ、オリヴィア・ワイルド、タイ・シンプキンス、ヘレン・ケアリー、リーアム・ニーソン、マイケル・ビュイエ、ジェイソン・ベギー、アイシャ・ハインズ、RZA 他




愛する妻子と共に幸せな毎日を過ごしていたる短大教授のジョン。ある朝、家に警察が突入し、殺人の容疑で妻ララを逮捕してしまう。3年後。ジョンは妻の無実を信じ、あらゆる手をつくしていたが、彼女に不利な証拠を覆すことができず、控訴の方策も尽き、有罪が確定してしまう。絶望したララは自殺未遂を図り、それを目の当たりにしたジョンは、彼女を脱獄させ、ララの人生と家族の生活を取り戻すことを決意する。ジョンは、脱獄経験者デイモンに教えを請い、生活のすべてを犠牲にして、綿密な脱獄計画を練り上げていくのだったが…というストーリー。

フランス映画のリメイクらしいが元作品は知らない。

それなりに蓋然性のある証拠が揃ってるから、逮捕されるのは仕様が無い状況。懲役20年くらってしまって、弁護士も家族もはっきり彼女が犯人だとは言わない。そりゃあ周囲の人からすれば、現実を受け止めてきちんと生活してほしいわな。
ただ、こういう冤罪は無くはないので、自分が同じ立場だったら、ゾッとするな。

YOUTUBEで発見した万能キーの作り方にならって鍵を作成。実地で試してみたら、まさかの失敗で、あやうく逮捕されかけ。あまりにストレスで吐いちゃうっていう、綿密なんだか杜撰なんだかわからんアホなおっさん。ただの短大の先生だもんな。アクション作品が多いラッセル・クロウに対する先入観のせいで、普通のおっさんが似合っていないと感じるからなのか、モタつくというか、堅苦しい印象に繋がっているかも。

実のところ妻はやったのかやってなかったのか…を、最後のボタンのくだりまではっきりさせないので、始めは妻の無実を信じて、その愛ゆえに頑張っちゃってる感じだったけど、本人も本当に妻はやってないのか?という疑いが生じていて、それを払拭するために意地になっているように見えなくもない。そういう思いを含めて、ジョンの追い詰められていく様子は、手に取るように判るので、感情移入はできる。

監督ポール・ハギスによる脚本がすごいのか、オリジナルがすごいのかは不明。でも、ちょっと紛らわしくて、疑問に感じる演出が無いわけではない。車で逃走しているとき、パトカーが迫ってきていて橋の上で追い詰められたと思ったのに、次に出てきたシーンでは、普通に走行。は?とおもって撒き戻したら、別に停められてたわけじゃねえんだ。そうか、演出というか編集に難アリなんだな。

いずれにせよ、失敗するかもしれない、成功しても3人揃っては無理なのかもしれない…と、最後まで思わせることができているんだから成功。
妻を救出し、息子に母を取り戻す。でも、最後の単なる安堵とは違うジョンの表情はなんだろうね。妻は冤罪だったかもしれないが、それを救うために自分は人を殺めてしまったことに対してか、それとも本当に妻はやっていないのかどうかの疑念のためか。『ミリオンダラー・ベイビー』に通じる、いい意味での後味の悪さってやつだった。

受賞暦は皆無だけど、良作だと思う。オリジナル作品を観て比較したい。

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image1911.png公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:111分
監 督:ターセム・シン・ダンドワール
出 演:ヘンリー・カヴィル、ミッキー・ローク、ジョン・ハート、スティーヴン・ドーフ、フリーダ・ピント、イザベル・ルーカス、ルーク・エヴァンス、ケラン・ラッツ、ダニエル・シャーマン、ジョセフ・モーガン、ロバート・メイレット、スティーヴ・バイヤーズ、コリー・セヴィエール、マーク・マーゴリス、スティーヴン・マクハティ、アラン・ヴァン・スプラング、ピーター・ステッビングス、ロマーノ・オルザリ、グレッグ・ブリック 他
コピー:すべての運命は、神が握っている。


太古の昔、光の神と闇の神による争いで、ゼウス率いるオリンポスの神々は、タイタン族をタルタロス山の地底に閉じ込めた。時は流れ、地上は人間たちの土地になった時代。邪悪な野望を抱くイラクリオン国王のハイペリオンは、地上を支配する手段としてタイタン族の解放を目論む。タイタン族の封印を解き放つためには、神の武器エピロスの弓が必要なため、その在り処を知っている巫女パイドラを捕らえるため、強大な軍隊を率いてギリシャへの侵攻を開始する。パイドラは、ゼウスが人類を守る救世主と見定めた人間テセウスの運命を見抜き、彼と行動を共にするのだったが…というストーリー。

IMMORTALSってどんな意味だ?って調べてみたら、不死とか不滅だって。ばったばった死んでるじゃん。神まで死んでるじゃん。

神の戦いと、人間の戦いの境目もよくわからん。ゼウスはテセウスに神の力を借りずに自分の力でやれと恫喝。なら最後まで手を出さなければいい。タイタン族が開放されそうにななったら颯爽と登場。ゼウスの剛力で周囲を崩して封印なんだか壊すんだかするわけだが、その程度で始末できるんなら、エピロスの弓が見つかってピンチになる前にやっときゃいいじゃねえか。馬鹿なのか。
結局、何の戦いなんだか、さっぱりわからんのだよ。

劇場公開前は、役者の肉体美と石岡瑛子の衣装押しの宣伝がなれてたけど、役者たちはほとんど鎧きてるから肉体美なんかたいしてわからん。風貌が似たようなひとばっかりなので、石岡瑛子の特徴的な衣装でかろうじて区別できる感じ。神々は兜をしてるから、数人いっぺんに登場するとだれがだれだかさっぱりわからず。前に素顔で出た人なのか、新登場なのかもわからない。ゼウスなんかはじめは素顔で登場してたけど、次の登場では兜していたので脱ぐまでわからなかった。親娘設定だから、アテナと似た兜だったりするんだけど、同じ兜だからきっと親のゼウスだろうって、戦闘シーンのさなかでそんな見方できる人なんかいないし。とにかくひとりよがりな表現ばかりで、うんざりだ。

せめて、迫力のある白兵戦を披露してくれるんだろうと思ったが、全然インパクトがない。カット割というか画の切り取り方に工夫がないから。『300』は、オリジナルがコミックだったせいか、格好いい魅せるアングルが多かったが、本作にそれは無い。『「ザ・セル』や『落下の王国』のターセム監督は、色彩センスとか引きの構図とかでは目を引く画をつくっていたけど、こういう動きの多いアクションはダメだめ。
『300』のスタッフなので、全体の色合いがコントラストを落とした例の感じだし。ターセムは羽をもがれたようなものでしょう。全然、作風とマッチしていない。彼をもってきたプロデュースの失敗。

こういう作品にありがちだけど、子作り百発百中とか馬鹿馬鹿しいし、巫女パイドラの夢に出た、テセウスがハイペリオンを抱いていたシーンも、何だったのかわかんないし。ストーリー上、燃えるポイントも一切無いし。
駄作。時間の無駄と言い切ってよい。

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image1902.png公開年:1967年
公開国:アメリカ
時 間:103分
監 督:ラリー・ピアース
出 演:トニー・ムサンテ、マーティン・シーン、ボー・ブリッジス、セルマ・リッター、ブロック・ピータース、ルビー・ディー、ドナ・ミルズ、ジャック・ギルフォード、エド・マクマホン、ダイアナ・ヴァン・ダー・ヴリス、マイク・ケリン、ジャン・スターリング、ゲイリー・メリル、ロバート・フィールズ、ロバート・バナード 他



深夜のニューヨーク。チンピラ2人組のジョーとアーティは、金欲しさに通りすがりの老人から強盗したうえ撲殺してしまう。その頃、午前2時をまわった電車には、続々と帰宅を急ぐ人が乗り合わせていた。4歳の娘を連れたサラリーマンのウィリクス夫妻。若いカップルのトニーとアリス。息子夫婦のことで言い争う老夫婦ベッカーマン夫妻。テフリンジャー1等兵とカーマッティ1等兵。高校教師パービスと夫に不満のある妻ミュリエル。アルコール依存症で妻に逃げられたダグラスと、酒場から彼を追いかけてきたゲイのケネス。夫が白人嫌いである黒人のロビンソン夫妻。そこに、ジョーとアーティが乗車し、すでに泥酔して寝込んでいた浮浪者に悪戯をしはじめ、社内に不穏な空気が流れ…というストーリー。

冒頭のならず者っぷりから、なかなかハードでスピーディな展開が期待されたが、その後は、順番に言い争う二人組が登場し、みんなが電車に乗り込んでいく。いったい何組登場するのだ?というくらい登場してくる。まだ出てくるのかよ!と、そこまでくるとお笑いコントじゃねえか…ってくらいで、酒場のゲイと黒人夫婦にあたりになると、本当に笑いがこみ上げてきた。

相当時間が経過してやっと冒頭で殺人を犯したジョーとアーティが乗車。いきなりのスルスロットル。都合よく車両のドアが壊れていたりして、浅はかな演出が鼻に付くのだが、とにかくジョーとアーティのクレイジーっぷりがヒドいのでそっちに気が集中する。

とにかく彼らの暴力は理不尽極まりない。観ている方は、イライラマックスになってくる。肩に力が入って、肩こりしてくるほど。こりゃあ『ファニーゲーム』だ。ファニーゲームが1997年製作だから、30年も前に同じアプローチの作品がアメリカには存在したわけだ。

(以下ネタバレ)
しかし、『ファニーゲーム』ほど理不尽さを追求できていない。黒人差別とか、口だけで一皮剥いてしまうとちっぽけな人物を皮肉ってみたりするとか、中途半端な要素がちりばめられる。いざ歯向かってみたらそれほど強くもなかった…という展開も、あまり面白くはない。

演出の方向性に腹が据わっていない部分はあるが、1967年当時を考えると、斬新であったことは事実。何とも釈然としない展開と後味の悪さのせいで、大ウケすることもなかったろうな…と思えるのだが、まさに“早すぎた”一作と言える。観終わった後は、虚無感と気まずさが、画面の中にも、観客の心の中にも溢れてくる。妙味あふれる作品。

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image1917.png公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:97分
監 督:ランス・デイリー
出 演:オーランド・ブルーム、ライリー・キーオ、J・K・シモンズ、タラジ・P・ヘンソン、マイケル・ペーニャ 他
コピー:神の手(ゴッドハンド)による完全犯罪。




研修医のマーティンは、成功を夢見て医療の現場に入ったが、実際には失敗の連続で焦りばかりで看護師からも無能扱いされるほど。専門医を目指すためにはこれ以上の失敗は許されないと考える彼は、不安と焦りを募らせていく。そんなある日、腎盂炎で入院していたダイアンという18歳の女性の担当になる。周囲の医師や看護師が自分を軽視するのと違い、自分に信頼を寄せてくれるダイアンに、徐々に好意を抱くようになる。やがて彼女は快復し退院してしまうが、強い喪失感を覚えるマーティン。彼女の両親からお礼をしたいので家に来てほしいといわれたが、彼女は彼氏と外出し不在。彼女と会えない状況に耐えかねた彼は、再度ダイアンの家を訪れ、彼女の薬を入れ替えてしまう…というストーリー。

主演のオーランド・ブルーム自身が製作に名を連ねているんだけど、このシナリオの何が良いと思って、そこまで入れ込んだのかよく判らん。

代理ミュンヒハウゼン症候群ということか。でもその目的が、マーティンへの恋慕なのか、専門医になるためのステップとして…、なのかがいまいち判然としない。こんなに失策を繰り返していたら、専門医なんかにはとてもなれない…とマーティンは焦っているのだから、検体を交換したりするのは、彼女の症例を足がかりにして、医師としてのキャリアアップを狙ったとも捉えられる。

ダイアンには彼氏がおり、喧嘩をしただの文句をいいながらも性交渉を継続していたりするわけで、医者の顔で接していても、内面では彼女に苛立ちを感じる面はある。はじめは彼女を近くに置いておきたい…だったかもしれないが、こんなビッチなら、いっそのこと自分の仕事に都合のいいように使ってやれ…という思いも湧いた?その葛藤の前フリとして、看護師から馬鹿にされるくだりがあったということでは?

でも、彼女の死後、日記に自分が好意的に書かれていたことを知って、深く後悔する。なんでやりすぎちゃったのか…、そんなことしなくても自分のものになったのでは…と。
いやいや、単にダイアンをそばに置いておくためににエスカレートしただけだよ…なのかもしれない。いずれにせよ、このシナリオは、マーティンの心の移り変わりがうまく表現できていない。だから、おもしろくないのだ(もしかすると、シナリオじゃなくて、オーランド・ブルームの表現力が不足しているせいなのかもしれない)。

バレそうになって、青酸カリ入りの薬を渡すとか、とても綿密とは思えない手段が、火曜サスペンス劇場レベル。
実際、性的関係になったわけではなく、日記の内容はダイアンの妄想・希望みたいなものだろう。そう説明すれば全然問題はない。
慌てっぷりを表現したかったのだとは思うが、トイレに日記を流すのもよくわからない。そりゃ詰まるでしょ。さらにトイレの窓から脱走したけど、思いなおして戻ってきました…って、なにがなにやら。やっぱり、シナリオもクソだよね。

世の中には、実際に医師や看護師や介護人が虐待を重ねる事件が存在するわけで、こんな内容を見せられても、「立派な職業の人でも、怖いわねー」なんていまさら思わないし。どこを切り取っても、褒めるところがない駄作。

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image1916.png公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:104分
監 督:グレッグ・モットーラ
出 演:サイモン・ペッグ、ニック・フロスト、ジェイソン・ベイトマン、クリステン・ウィグ、ビル・ヘイダー、ブライス・ダナー、ジョン・キャロル・リンチ、シガーニー・ウィーヴァー、ミア・ストールラード、ジェフリー・タンバー、デヴィッド・ハウス、ジェーン・リンチ、デヴィッド・ケックナー、ジェシー・プレモンス、セス・ローゲン 他
コピー:ヒッチハイクしてきたのは…なんとエイリアン!?
友情は星を超える!

SFオタクのイギリス人のグレアムとクライブは、コミコン・インターナショナルに参加するためアメリカを訪れていた。彼らのもう一つの目的は、アメリカに点在するUFOに関連する土地を巡ること。二人はキャンピングカーをレンタルして各地を巡り始めたが、ネバダ州のエリア51付近を通過したところで、交通事故現場に遭遇。事故現場に近づくと、そこにはなんと本物の宇宙人が。“ポール”と名乗る宇宙人は、60年ほど前に地球に不時着し、アメリカ政府に保護されていたとのこと。グレアムとクライブは、流暢な英語を話すだけでなく、あまりに人間くさいポールに困惑しつつも、故郷に帰りたいという彼の要望を叶えるために協力することに…というストーリー。

政府組織に捕らえられていた宇宙人が脱走。母星に帰るのを心ある地球人が手助けする…というプロットは『E.T.』とまったく一緒。そして、迎えにくるUFOの着陸場所を目指すくだりは『未知との遭遇』と一緒。パクリじゃないよ、パロディでもないよ。間違いなくオマージュだと断言できる、SFへの愛がこの作品にはある。『ファンボーイズ』と同様の心地よさ。
もちろん、シガーニー・ウィーヴァーが出ているのは『エイリアン』繋がりだ。

SFオタクの二人と宇宙人によるロードムービー。オタクといっても日本のオタクとは一味違う。どっちかというと熱狂的なマニアだな。
メインキャラの二人がイギリスからきた旅行者(エイリアン)であることから、エイリアンの3人旅。途中で合流する片目の眼鏡の女性も、父親からの極端な抑圧と教育と持病のせいで、一般の社会から観ると部外者状態。最後にポールが訪れる女性(かつてポールを救出した女性)も、その証言を信じてもらえず村八分で世捨て人状態。旅をする全員がエイリアンなのだ。

そして登場人物全員が、この旅で変化するというシナリオの巧みさが秀逸(ポールは終始一貫して変化しないので、狂言廻しの役割だな)。全員がその心の引っかかりを取り払って解放されていく。その様子が痛快で清々しくすらある。たとえ下ネタのオンパレードだとしてもそう感じる。
政府機関の目を逃れて、宇宙人を合流地点まで連れて行くっていう、ただそれだけのストーリーなのに、ここまで面白くなるのは、この成長物語がすべて成立しているから。そしてその過程にポールという“妖精”がきちんと関与しているから。立派な構成だ。

SFネタのオンパレードなのかと思ったら、進化論を信じないファンダメンタリストをディスってみたり、ブッシュを馬鹿にしてみたり(実際、馬鹿なんだけど)。イギリスからみてもクレイジーとしか思えない、普通ならとても笑えないアメリカの病根を包み隠さず、うまく料理してる。

それに加えて笑いのセンスもほどよい。
フロントガラスに激突した鳥を憐れんでいたら、ポールが手をすり合わせてパワーを出そうと…。「なーんてね」って展開かと思ったのに、本当にその特殊能力を発揮。なんだ普通に生き返らせちゃうのかよ…ってがっかりしてたら、○○ちゃうんだぜ!「死んだ鳥なんて○○るかよ」だって(笑)。やってくれるわ。

全方位的に、小気味よい秀作。強くお薦めしたい一本。大満足。
 

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image1907.png公開年:2010年
公開国:オーストリア
時 間:106分
監 督:ヴォルフガング・ムルンベルガー
出 演:モーリッツ・ブライブトロイ、ゲオルク・フリードリヒ、ウーズラ・シュトラウス、マルト・ケラー、ウーヴェ・ボーム、ウド・ザメル、ライナー・ボック、メラーブ・ニニッゼ、カール・フィッシャー、クリストフ・ルーザー、セルゲ・ファルク 他




1938年のウィーン。ユダヤ人のカウフマン家は画商を営んでいるが、ムッソリーニが所望するほどの国宝級の一品であるミケランジェロの素描を所有していた。ある日、カウフマン家の一人息子のヴィクトルは、幼いころ兄弟のように育った使用人の息子ルディと再会。懐かしさのあまりミケランジェロの素描の隠し場所を教えてしまう。しかし、実はナチス軍に入隊していたルディは、昇進を狙って軍へ密告してしまう。一家は、スイスへの亡命と引き換えに絵を引き渡すが、その約束は履行されず、絵を強奪された上にバラバラに収容所に送られてしまう。一方、ナチスはムッソリーニに絵を渡すことを条件に、条約の締結を優位な立場で進めようと画策していたが、イタリア側がつれてきた鑑定人、その絵が贋作であると見抜かれてしまう。本物を入手しなければならない状況になったが、本物の絵を隠した父は収容所で死亡していたため、息子から何とか在り処を聞き出そうとする。しかし、ヴィクトルは在り処を知らず、父が残した謎のメッセージを聞いてもさっぱりわからない。しかし、母の命を救うために、大芝居をうつことを決意する…というストーリー。

前半と後半でまるで別人が作ったのではないかと思うくらい、テイストが異なっていた。
前半は、こんなステレオタイプなナチス像は今時みないなぁ…ってくらい、悪役としてのナチスが描かれる。ナチス末端軍人の理不尽な横暴によって、ユダヤ人家族が追い詰められていくという、悪く言えば、ものすごくありきたりな内容。非情に凡庸でかなり飽き飽きしてしまった。

ちなみに、ミケランジェロの絵を軸に話は展開するが、“暗号”を巡るサスペンスではない。単に目立つ邦題がつけられただけ。ゴリゴリのサスペンスを期待して借りると、かなり拍子抜けするだろう。

後半は、突然、コミカルさとシニカルさをまとい始める。場面の切り替わりで突然輸送機が墜落しているシーンになって、急激にテンポやノリが変わって、正直、面食らった。まあ、このシフトチェンジがおもしろさに繋がっているのは事実なので、良しとはするが、こういう流れにするならば、もっと前半でもこういうノリを含めてもよかったと思う。
王子と乞食のような、入れ替わりドタバタが展開されるのだが、アーリア至上主義だったナチスに、ユダヤ人がなりかわってもわからないというところがシニカル目線なんだろう。人間なんか見た目じゃわからないくせに、差別してるんだぜ…っていう。
でも、日本人からしたら不思議だわなぁ。純粋アーリアンじゃないナチス党員がいるってことはあっただろうけど、なんとなく見た目でわかりそうな感じがするもの。まあ、小劇団の演目だと思って観ると楽しめる。

いずれにせよ、『イングロリアス・バスターズ』や本作のように、ナチスを茶化すことができるようになったことが、時代の移り変わりを感じる。そろそろユダヤは、無闇な迫害ばかりを主張しつづけるのと、墓穴を掘ることになるかもしれないと思い始めたのかな。

オチはあまりにも安易に予想がついたので、もう少しヒネっても良かったと思うのだがが、それまで、立場が入れ替わるドタバタを見せ続けられたので、逆に水戸黄門的な予定調和も、悪くはなかったかも。さすがに連合軍からナチス認定されて…というあたりで、しつこいな…と思ったものな。

小品佳作といったところか。観ても損したとは思わない。 

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image0505.png公開年:1990年
公開国:アメリカ
時 間:170分
監 督:フランシス・フォード・コッポラ
出 演:アル・パチーノ、ダイアン・キートン、アンディ・ガルシア、タリア・シャイア、ソフィア・コッポラ、フランク・ダンブロシオ、リチャード・ブライト、ジョン・サヴェージ、ジョージ・ハミルトン、ブリジット・フォンダ、イーライ・ウォラック、ジョー・マンテーニャ、ヘルムート・バーガー、ラフ・ヴァローネ、ドナル・ドネリー、エンゾ・ロブッティ 他
受 賞:【1990年/第11回ラジー賞】ワースト助演女優賞(ソフィア・コッポラ)、ワースト新人賞(ソフィア・コッポラ)
コピー:15年の歳月をかけた-- 巨匠フランシス・コッポラの集大成!!
いかなる権力をもってしても 運命の流れには逆らえない-

1979年。マイケルはファミリーの安寧のために、バチカンのギルディ大司教と結託。“ヴィト・コルレオーネ財団”名義で、シシリー復興資金として多額の寄付を行い、その功績としてバチカンより叙勲される。マイケルはこれを機に、かねてからの望みであった違法なビジネスからの脱却を決意する。マイケルの叙勲を祝うパーティで、マイケルは10年前に離婚した妻ケイと再会。そこで、息子アンソニーと一緒に、大学を中退しオペラ歌手をめざすことを許して欲しいと懇願される。アンソニーはファミリービジネスを毛嫌いしていたのだった。パーティには、マイケルの妹コニーがファミリーの後継者候補と考えている長兄の故ソニーの息子ヴィンセントの姿もあった。マイケルの娘メリーは従兄にあたるビンセントに惹かれていくのだったが…というストーリー。

パート2で、ビトーがファヌッチを殺害するのはキリスト教の祭のさなかだったが、パート3でマイケルが争いの主戦場となるのは、カトリックの世界。
モチーフになっているヨハネ・パウロ1世の急死とか銀行家の暗殺とか、実際に発生したバチカンスキャンダル。パート2でもキューバ革命なんかが舞台になっていたけど、マイケルサイドが能動的に関与しているので、妙に生々しい。
生々しいおかげか、何を目的に何をしようとしているのかが、パート2よりも判りやすい。

一生懸命、違法なビジネスから脱却しようと努力し、遅々としながらもそれに向かって歩んでいるのだが、反比例して家族はどんどん離れていく。ゴッドファーザーという作品は、人生のあらゆる場面でみられるこの“アンビバレントを浮き彫りにし、生きるということの難しさを表現してくれる。
家族と一緒に退避しようとしていた“合法な世界”。その表面上の美名とは裏腹に、汚いとおもっていたファミリーの仕事よりも汚かったと知ってしまったマイケル。その美名の代表格でもあるカトリック社会までもが、海千山千だと思っていた自分よりも上手だったと知ったとき彼はどうするのか。

違法なビジネスと距離をおこうとしているマイケルは、おのずとヘビーな行動は取らなくなるし、それに追い討ちをかけるように体を壊してしまう。マイケルははやる周囲の人間を止めるばかり。それを補うかのように登場するのがビンセント。アウトローを気取れるのは、若さゆえ、知らないがゆえの美徳。怖いものを知ってしまうと、人生は膠着してしまう。でも、何か物事を推進する力というのは、逆に物事を知らないからこそできる。

ただこのビンセントは、マイケルが若いころの自分を重ね合わせられるような人間ではない。あの粗暴な兄ソニーの子供であり、ソニーの愛人(元娼婦)が育てたという設定。知的さと思慮深さを併せ持ったマイケルとは決定的に違う。
マイケルかビンセントに見たのは、若き日の自分ではなく、かつてのファミリーにあった、そして自分が圧倒的に欠けていた“直情”である。マイケルはそんなビンセントを、手を変え品を変え、自分に後継者となれるよう仕込んでいくが、結果としてマイケルのいうことをきいて落ち着いてしまうの展開がどうも好きではない。やはり、表面上は繕ってもソニーの子はソニー。最後は制御できずにやらかして欲しかったと思う。

シリーズを通して、誰がいちばんキライなキャラか?というのは人によって分かれるところだと思うが、私は圧倒的にダイアン・キートン演じるマイケルの妻である。もっともらしいことはいっているが、物事の本質から目をそむけ、その彼女と退避して登場するのが妹。どちらししても、「女ってやつは…」という言葉が自然に出てくるくらい、“女性”のうんざりしてしまう一面を表現していると思う。

ラジー賞をもらってしまったソフィア・コッポラだが、これだけは同意せざるを得ない。キャスティング的にも、ビジュアルの面においても、彼女は雰囲気を阻害していたのは否めない。はっきりいって、聖女のアイコンとして、あまりにも力不足。もう、“親の贔屓目”というネタでしかない。

ゴッドファーザー・サーガの締めくくりとしては、ちょっと小粒な気がしないでもないが、変に発散せずに、判りやすくまとまっていることを評価したい。腹を括って連続で観るべき。他作品にはないカタルシスが得られること必至。

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image0504.png公開年:1974年
公開国:アメリカ
時 間:200分
監 督:フランシス・フォード・コッポラ
出 演:アル・パチーノ、ロバート・デュヴァル、ダイアン・キートン、ロバート・デ・ニーロ、ジョン・カザール、タリア・シャイア、リー・ストラスバーグ、マイケル・V・ガッツォ、マリアンナ・ヒル、ハリー・ディーン・スタントン、ダニー・アイエロ、ジェームズ・カーン、トロイ・ドナヒュー、ジョー・スピネル 他
受 賞:1974年/第47回アカデミー賞】作品賞、助演男優賞(ロバート・デ・ニーロ、マイケル・V・ガッツォ、リー・ストラスバーグ)、監督賞(フランシス・フォード・コッポラ)、脚色賞(フランシス・フォード・コッポラ、マリオ・プーゾ)、作曲賞(カーマイン・コッポラ、ニーノ・ロータ)、美術監督・装置(Angelo Graham:美術、Dean Tavoularis:美術、George R.Nelson:装置)
【1974年/第9回全米批評家協会賞】監督賞(フランシス・フォード・コッポラ)、撮影賞(ゴードン・ウィリス「パララックス・ビュー」に対しても)
【1975年/第29回英国アカデミー賞】主演男優賞(アル・パチーノ)
【1993年/アメリカ国立フィルム登録簿】新規登録作品
コピー:巨大な組織を 若い新しいゴッドファーザーが 受け継いだ-

コピー 巨大な組織を 若い新しいゴッドファーザーが 受け継いだ-

コルレオーネファミリーのドンを継承して5年たったマイケルは、本拠地をニューヨークから収入源であるラスベガスに移転していた。ファミリーの運営は順調に見えたが、問題は山積で、マイケルの脳裏には在りし日の父ビトーの姿が巡る。---ビトーの父はシシリー島のドン・チッチオに殺害されたが、子供による復讐を恐れたチッチオが、子供たちの殺害を命じていた。ビトーの兄は葬儀中に射殺され、復讐の意図はないと命乞いにいった母もチッチオに殺されてしまう。天涯孤独となったビトーはチッチオ一派の目を逃れアメリカへ逃亡する。そのままリトル・イタリアで成長した青年ビトーは、若き日のクレメンツァ、テッシオ、ジェンコらと知り合い、様々な職業を経ていく中、イタリア移民の信頼を集めていく。そんな彼に、当時のイタリア移民界を牛耳っていたファヌッチが目をつけ、上納金を要求してくる。かねてからファヌッチの横暴さに辟易していたビトーは、意を決してファヌッチを殺害する。これが、コルレオーネ・ファミリーの始まりであった…というストーリー。

父ビトーとマイケルがのしあがっていく過程を交互に描いているが、比較したいのだろうなという演出意図はよく理解できるものの、その比較で何を表したいのかが、実はけっこう判りにくくてかなり混乱した。マイケルに不足していたもの。“ファミリー”を守るために必要だったのもなのか…というのが、最終的には判るのだが、3時間を越えてからだったかな。長い長い。

それは非情さであり、ビトーが復讐心の帰結として当たり前のように持っていた非情な心だ。ドンとして恐れられていながらも決定的な場面において非情さを貫くことができなかったマイケルがそれを気付くことができるのか否か…である。そう、ビトーの非情さは“愛こそが発露”だったわけだ。

彼の、決定的な場面での非情さの欠如は、マイケルの心の奥底にある彼の究極の目標に原因がある。彼の望むもの、それは“大事なファミリーと一緒に、この非合法な世界を抜け出して、平穏無事に暮らすこと”。しかし、ファミリーの平穏を得るためには、闇の世界から忍び寄る手から、非合法な手段で立ち向かうしかないという、このアンビバレントさ。それが彼の曇った表情の根源であり、妻を恐れさせ結果的に守りたい家族を失うことに繋がる。守ろうとすればするだけ失っていくという、この二律背反こそが、このマイケルという男のサーガの醍醐味といえる。

そういう基本プロットは非情に高尚でよく練られて評価に値すると思う。しかし、キューバ(ハイマン・ロス関連)のくだりが、その意図と方向性の判り難さを助長してしまったと思う。単なる越えるべき敵、ビトーにおける復讐の対象と同列に扱っていると、モヤモヤが残る。ハイマン・ロスマイケルのとって、痛い痛いお勉強代なのだ。

しかし、物事が見えてくると、その達観の先には孤独が待っているという、人生の妙がよく表現できている…というか、観終わってじわじわくる作品だった。名作と評する人が多いのも頷ける。

 

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image0610.png公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:107分
監 督:ジョン・ラッセンホップ
出 演:マット・ディロン、ポール・ウォーカー、イドリス・エルバ、ジェイ・ヘルナンデス、マイケル・イーリー、ティップ・“T.I.”・ハリス、クリス・ブラウン、ヘイデン・クリステンセン、スティーヴ・ハリス、ジョナサン・シェック、マリアンヌ・ジャン=バプティスト、ギデオン・エメリー、ズライ・エナオ、グリン・ターマン、ゾーイ・サルダナ 他
コピー:全てを手に入れた男たちの予測不能な犯罪計画!


年に一度だけ、綿密な計画をたてて銀行強盗を実行し、その金でリッチな生活を享受するゴードン、ジョン、A.J.、ジェイクとジェスの5人組“テイカーズ”。今回も、200万ドルの銀行強盗を実行し、テレビクルーのヘリコプターを奪って脱出するという大胆な計画で見事な逃走を成功させる。そんなテイカーズの前にかつての仲間ゴーストが現れる。出所したばかりの彼は、5日後に3000万ドルを積んだ現金輸送車を襲うという計画を持ち込んでくる。年に一回しか仕事をしないというルールに反するため躊躇したが、金額の大きさで実行を決断。ロス市街のど真ん中で、爆弾で道路を陥没さえ、落ちた輸送車を襲うという計画を立てるのだったが…というストーリー。

アメリカではスマッシュヒットしただと?思わず、ウソこけっ!て言いたくなるデキ。

まず、年一回の大仕事を成功し続けるというそのポリシーと、途絶ない友情ってのが、描けていない。そして、出所したかつての仲間の誘いに、あっさり乗ってしまうもので、そのユニークな設定が生きていない。大金がかかった仕事だろうが、必要以上にはリスクを犯さないというのが、ポリシーなんじゃないのかい。やるなら、金額以外の理由でどうしてもやらざるを得ない状況をつくらんと、話として成立しない。彼らに対する共感が薄れるわ。

結果的に、ほぼ全編にわたって、出所してきた男に騙され続ける内容。最後の15分くらいで騙されていたことがわかり、佳境に入るのだが、とにかく演出が雑。盗みのテクニックが興味深いとか、そうことでもない。スマートな手口の奴らなのかと思ったら、C4爆弾強奪とか、足の付きそうなやり口ばかり。

彼らを追う刑事のサブストーリーも陳腐。娘との関係や相棒の汚職の件はシナリオの主筋には関係無く、いい効果を生んでいない。最後、「首つっこむな」って怒られておしまいって(笑)。
ヤク中の姉のくだりも、刑事との接点という意味で必要だと考えたのかもしれないが、結局そこから話が展開したわけでもないし、肝心の仕事の最中は都合よくいなくなってるから、足枷として機能しているわけでもない。家族愛みたいな情に訴える効果があったわけでもない。

観るに耐えるのは、所々にみられる暴力シーンばかりで、まるで韓国映画レベル。それ以外に気を惹くところはない。仲間の人数もたいして多くないのだが、キャラんぼ特徴づけがうまくいってないので、最後、もう一人仲間がいたことも失念するくらい。一生懸命スタイリッシュさを演出しようとしているのだが、あまりにもシナリオが凡庸で、如何ともし難い。

“盗人が昔の仲間に騙された痛い目にあった”それ以外に何も無い、凡作中の凡作。

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image0610.png公開年:2003年
公開国:韓国
時 間:135分
監 督:カン・ウソク
出 演:アン・ソンギ、ソル・ギョング、ホ・ジュノ、チョン・ジェヨン、イム・ウォニ、カン・ソンジン、カン・シニル、イ・ジョンホン、オム・テウン 他
コピー:男達の“運命”が、切なく痛い──。




1968年1月、北朝鮮特殊工作部隊による青瓦台襲撃未遂事件が発生。韓国政府はその報復として極秘の金日成暗殺部隊の創設を決定。死刑囚ら31名を仁川沖の実尾島(シルミド)に集め、ジェヒョン隊長の下、特殊工作員とすべく過酷な訓練を開始する。684部隊と名付けられた彼らは、優秀な工作員に成長し、3年後、いよいよ実行命令が下される。しかし、その時の政府の対北政策は融和路線に転換されており、北朝鮮潜入命令は急遽撤回が告げられ…というストーリー。

追い詰められた人間が、退路を絶たれ研ぎ澄まされてく様子、直情的な表現に非常に惹きこまれた。しかし、ちょっと冷静になるとおかしなことばっかり。

死刑囚や重罪人が集められたプロットが非常におもしろかった。死刑のヤツは死なずに済むわけだし、重罪人は塀の中にいなくていいわけだし…、ん?…あれ?…重罪っていったって無期懲役とかじゃあるまいし、むしろ損してねえか?死刑囚はわかるけど、他は何かへんだな。
それに、なんで脱走した男が処刑される時、北朝鮮の歌を北朝鮮の歌を唄うのか。また、最後のバスの中でも唄ってるし。どう意味があるのかさっぱりわからない。
また、韓国軍はバスの中に人質がいるのに、容赦なく乱射してる。いくらなんでもそれはないだろ。

って調べたら(ってウィキペディアだけど)、実際は高額報酬で公募されたんだってさ。じゃあ、なんなんだよ“封印されてきた歴史”って。おまえら(韓国人)が自分の国でおこったことをすぐに忘れてるだけのことじゃねえか。馬鹿馬鹿しい自作自演(笑)。ウィキペディアには、北の歌なんか唄ってなかったし、運転手は逃げてたって書いてるわ。どうせ史実と違う内容にするんなら、整合性とれたフィクションにせえや…。
“史実”と冒頭で煽っておきながら、劇中での強姦はフィクションだとか、冒涜にもほどがあるわ。極悪人とはいえ、生きるために(国や家族のために)必死になってる彼らに共感しかけていたのに、強姦のシーンでものすごく冷めたわ。
強姦した後に刺された男と、いきがってる班長の一人とキャラがかぶって見分けつかないし。秘密がバレちゃいけないはずなのに、強姦された被害者は放置だし。

やさしかった教官がいざとなると殺す側にまわり、性格のわるいイヤな教官が実は温情的な人だった…とか、その演出に意味はあっただろうか。なんの隠喩なのか、教訓なのか、さっぱりわからん。

実際は、殺害命令自体もなかったんだろうさ。素直にその事件をモチーフにしました…程度にしておけば納得して観ることができたのに。なんで映画でメリットのない嘘吐きをするのか、理解できん。こんなに後味の悪い、というか、興味をもって調べてみて、その結果うんざりさせられた作品はないわ。

 

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image1910.png公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:118分
監 督:ジョン・ファヴロー
出 演:ダニエル・クレイグ、ハリソン・フォード、オリヴィア・ワイルド、サム・ロックウェル、アダム・ビーチ、ポール・ダノ、ノア・リンガー、アビゲイル・スペンサー、バック・テイラー、クランシー・ブラウン、クリス・ブラウニング、アナ・デ・ラ・レゲラ、キース・キャラダイン、ブレンダン・ウェイン、トビー・ハス、ウォルトン・ゴギンズ、デヴィッド・オハラ、フリオ・セサール・セディージョ 他
コピー:人類の運命を握る記憶を失くした男 その正体 敵か味方か


1873年、アリゾナ。男は、砂漠の真ん中で下着一枚で目を覚ますが、自分が何者なのかも一切わからない。左腕には観たこともない金属製の腕輪がついており、どうやっても外れない。とりあえず、襲ってきた追い剥ぎを逆に殺して服と馬を奪い、とある町までたどり着く。そこは牧場主ダラーハイドという男が支配する町。男は、ダラーハイドの息子パーシーといざこざをおこすが、易々と手玉に取る。その様子をみていた保安官は、男が指名手配中の無法者ジェイク・ロネガンであることに気づき逮捕。保安官がジェイクを護送しようとすると、ダラーハイドが一緒に逮捕されていた息子とダラーハイドの金貨を盗んだジェイクの引渡しを要求。触即発の睨み合いとなる。しかしそのとき、謎の飛行物体の集団が町に襲いかかり、謎の兵器で町を破壊し、保安官とパーシー、バーテンの妻などが捕獲されてしまう。するとジェイクの左腕にあった腕輪から光線が発射され、飛行物体を撃墜してしまう。ジェイクの腕輪で敵を倒せることを知った町の男達は、ジェイクと協力し誘拐された人々を救いだそうと、捜索隊を結成するのだったが…というストーリー。

自分は何者だ?という謎解きの面白さ。周りは自分のことを知っているようだが本当なのか?この手にくっついている武器はなんだ?ワケを知っているような女の正体は?そんな疑問が渦巻くなか、ドラ息子が非道な小物っぷりからはじまり、その親父との一触即発の展開、さらに急激に宇宙船とおぼしき勢力とのドンパチがはじまる。この急展開はなかなかおもしろかった。

し・か・し…だ。徐々にそれらの謎が判明していくと、あまりにもありきたりな事実ばかりで拍子抜け。
(以下ネタバレ)

他文明を滅ぼしにくる勢力がいて、いま地球が狙われていて、過去にその勢力に滅ぼされた星の生き残りが地球に加担して、加担してくれる女性と地球人の男が恋仲になる…って、まるっきり『幻魔大戦』だな。あまりに使い古された凡庸なプロット。
西部劇の時代を舞台にしたところで、その凡庸さは補えるものではない。

彼が入手したツールは、相手も持っていそうなものだが、なぜか無双状態。何故、キスで取れるのか。そんな簡単に取れるのなら、もっと早く取って、自分が使えばよかったじゃないか。
姿を自由に変えることができる異星人。最後、玉砕しなければならない理由もよくわからない。頭をつかえばもっといろんなことができると思うのだが。オーバーテクノロジーの無駄遣いも甚だしい。

結局、人はなんで生かされていたのか。何故、金が必要なのか。色々、腑に落ちない。

子供がもらったナイフでエイリアンを倒すくだりは、成長物語として意味を成しているだろうか。ドラ息子の毒気が抜けた…というくだりは、おもしろいだろうか。シナリオとしても稚拙。

DVDパッケージのデザインをみると、ちょっぴりコメディな感じもあるのかな?と思ったが、そういう要素は皆無。というか、ダニエル・クレイグ+ハリソン・フォードでは、その辺は期待しても無理なのかもしれない。
そろそろ、“スティーヴン・スピルバーグ製作総指揮!!”と謳い文句がついたらハズレだと認識して間違いない時代が到来した…と思ってよさそうだな。ほぼ駄作。

 

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プロフィール
HN:
クボタカユキ
性別:
男性
趣味:
映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
自己紹介:
一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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