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image2112.png公開年:1999年
公開国:アメリカ
時 間:121分
監 督:キンカ・ユーシャー
出 演:グレッグ・キニア、クレア・フォーラニ、ジェフリー・ラッシュ、ベン・スティラー、ウィリアム・H・メイシー、ハンク・アザリア、ジャニーン・ガロファロー、ケル・ミッチェル、ポール・ルーベンス、ウェス・ステューディ、レナ・オリン、エディ・イザード、アーティ・ラング、トム・ウェイツ、ルイーズ・ラサー、リッキー・ジェイ、ジェニファー・ルイス、コービン・ブルー 他


アメリカのとある場所にあるチャンピオン・シティ。そこには、市民からスーパーヒーローとして認められようと活動を続ける3人の男、フォーク使いのザ・ブルー・ラジャ、シャベル使いのザ・シャベラー、怒りによってパワーが増大するミスター・フュリオスがいた。しかし、常人と大差ない力しかない彼らは、悪を退治するどころか、現場を混乱させるばかり。シティには、“キャプテン・アメージング”というスーパーヒーローがおり、いつも彼が悪人たちを刑務所に送り込んでいた。3人はいつか彼のような存在になることを夢見て、諦めず活動しているのだった。しかし、そんなキャプテン・アメージングにも裏事情が。彼の収入はコスチュームに貼った広告から得ていたが、シティの悪人をほぼ退治し尽くしてしまっため、メディアへの露出が激減しスポンサーを降りる企業が続出しているのだった。このままでは今の生活を続けられないと思ったキャプテン・アメージングは、かつて最大のライバルだった大悪人カサノバ・フランケンシュタインを釈放し、再び自分が活躍できる状況をつくろうと考えたのだ。しかし、釈放したカサノバは牢獄で力を蓄えており、あっさりとキャプテン・アメージングは囚われてしまうのだった。シティ最大にピンチを知った例の3人は、カサノバからキャプテンを救うために、隠れたヒーロー仲間を集うためにオーディションを開催するのだったが…というストーリー。

あらすじを書いていると、このストーリーが、ごちゃごちゃで整理されていないことがよくわかる。設定は非常におもしろく、『キック・アス』や『スーパー!』よりも良いかもしれない。しかし、何か中途半端に感じられてしまう。

冒頭のシーンからして微妙に違和感がある。冒頭で、悪人がパーティ会場を襲うのだが、マスコミも十分来ているのに、スポンサーが降りるとはどういうことか?まあ、そこは、以前よりも犯罪自体の数が減っているから…と受け止めよう。でも、仮に半減したとしてそれほどこまるのか?が良くわからん。キャプテン・アメージングの自己顕示欲が強いのか、それとも豪奢な生活をしており収入を下げるわけにはいかないのか。もっと明確に説明しないとしっくりこない。

仮釈放を決定する委員会に、表の顔で登場するが、それなりの地位はある模様。スーパーヒーローとしての活動がよほど魅力的なのか、高収入なのか(まあ後者なんだろう)。で、なんで、いきなりそんな大悪党を釈放するのか。もっと、手頃なのにしておけばいいのに。きっと、仮釈放の審査のタイミングなのがカサノバだけだったんだろう。

冒頭で、3人を馬鹿にする役として警察が登場するが、それ以降、警察が出てくる様子が無いのはなぜだろうか。警察は事件に介入せず、スーパーヒーローまかせなのだろうか。この手の作品で、成功/失敗の分水嶺になるのが、実は“警察組織の扱い”だと個人的には思っている(『バットマン』などはもちろんうまく定義されているよね)。『コックと泥棒、その妻と愛人』もそうだったが、警察がいるのに何故然るべきところで役割を果たさないのか?というのは、観客を興ざめさせるに十分な要素だと思うのだ。
それならば、はっきりと、警察機構は凶悪犯罪取締りをスーパーヒーローに任せてしまっており(簡単にいえば民間委託)、拘留と起訴と収監以外の仕事はしておらず、もっぱら交通違反の切符を切る程度の業務しかしていないという設定にしてしまえばよかったと思う。いや、きっと似たような感じなんだろう。

ベン・スティラーやウィリアム・H・メイシーなどを配していることからもB級作品でないことは明らか。実際、制作費はそれなりにかけているように見える。だけど、全編に渡って、“おや?”というひっかかりを覚える箇所が満載で、その度に、こういうことなんだろうな…と納得させながら観続けるという脳内作業が続く。

もう一度いうが、プロットは悪くないし、ノリも悪くない。地味にテーマも良い。だけど、没頭することを疎外する何かが“必ず”差し込まれる。監督のセンスの悪さなのかな(実も蓋もないけど)。こんな良い作品が、日本未公開なのはおかしい!っていう人もいるらしいけど、打倒だろう(良い食材の料理に失敗したという意味では、むしろ罪は重いような気もするけどな)。

#いつものことだが、日本語の看板くらい、日本語のわかるやつに書いてもらえよ。それで異空間な雰囲気をつくってるんならなおさらだ。

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image2111.png公開年:1991年
公開国:アメリカ
時 間:99分
監 督:フランク・オズ
出 演:ビル・マーレイ、リチャード・ドレイファス、ジュリー・ハガティ、チャーリー・コースモー、キャスリン・アーブ、トム・アルドリッジ、スーザン・ウィリス、ドリス・ベラック、ブライアン・レディ 他
コピー:ミョーな患者が医者にペッタンコ。笑い事じゃない!あっち行けシッ!シッ!




様々な事柄に恐怖を感じるボブ・フィリーは、精神科医を転々とし治療を重ねているが、一向に改善しない。今の主治医も匙を投げてしまい、知り合いのレオ・マービンにボブを押し付けてしまう。レオは、新著『ベイビー・ウォーク』を出版し話題になりつつあり、家族と一緒にすごす休暇中に、TV番組からの取材の申し込みがあり、有頂天になっている。休暇前にボブの診察を行ったものの、彼の無茶苦茶な症状っぷりに驚きつつも、とりあえず自分の著書『ベイビー・ウォーク』を渡して、そのまま休暇に入ってしまう。一旦は帰宅したものの、休暇が終わるまで次の診察をしてもらえないことで不安になったボブは、パニックに陥る。なんとかレオの診察を受けたいボブは、電話交換手を騙し、ボブの別荘の住所を聞き出す。パニックになりそうになりながら、何とかバスに乗り込みレオの別荘を訪ねていく。ボブはなんとか追い返そうと必死になるが…というストーリー。

コメディ作品なのだが、これはホラーである。私にはそう見える。
まるで精神科医の父親がカリカリして偏狭な人間であるように描かれ、妻や子供たちがその父親が行動を制限されて苦しんでいるように描かれているが、狂っているのは家族の方である。みんなボブが患者であることは理解している。医者のところに患者が押しかけるなどルール違反もいいところだし、ボブの行動を見てもちょっとおかしいことくらいわかりそうなものだ。また、自分の夫が精神科医なのだがから、そんな状況がゆるされないことはわかっていて当然。
父親が嫌いなのか何か知らないが、娘と息子もこの妻の馬鹿遺伝子を受け継いでいるんだろう。ボブがいい人だと家に置こうとするのは編。狂っている。これは、夫を精神的に追い詰めて崩壊させようという悪意以外の何者でもない。

しかし、後半になってくると、家族以外もクレイジーさを発揮する。TVクルーも、患者がたまたまいたからって、じゃあ出てもらいましょうって。意味不明。あり得ない。
喫茶店の夫婦が買いたかった家を横取りされたことを逆恨みするのは、まあ判る(悪いのは不動産やだと思うけど)。でも、どうして喫茶店の夫婦がボブが出ているのを大喜びしているのかも、意味不明。

レオとトムが入れ替わるのが、面白い(と製作側は思っている)らしいが、正直おもしろくないし、レオが白痴状態になる様子は、ちっともおもしろくない。“おつむてんてん”って、精神病患者をなんだと思ってるのか、なかなかの不謹慎っぷり。エピローグもヒドくつまらない(訴訟がどうのこうののくだりの何が面白いのかまったくわからん)。鑑賞後の不快感が甚だしい。

コメディとしてはクソつまらない。ホラーとしてみると及第点。アメリカ人の笑いはわかんねーわ。実は妻の策略でしたって、オチでもつけば面白かっただろう。

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image1267.png公開年:1987年
公開国:アメリカ
時 間:94分
監 督:ジョエル・コーエン
出 演:ニコラス・ケイジ、ホリー・ハンター、トレイ・ウィルソン、ジョン・グッドマン、ランドール・“テックス”・コッブ、ウィリアム・フォーサイス、フランシス・マクドーマンド、サム・マクマレー、M・エメット・ウォルシュ 他




コンビニエンス・ストア強盗の常習で何度も服役していたハイ・マクダノーは、婦人警官のエドに一目ぼれしてしまい、猛アプローチの末、出所後に結婚。それを機に工場でまじめに働いていた。家族が欲しかった二人だったが、しばらくしてエドの不妊症が発覚。あまりのショックで彼女は警察を退職してしまう。養子を貰おうにも、前科持ちのハイでは審査が通らない。エドはノイローゼになり、夫婦仲は冷え込む一方。そんなある日、家具チェーン店のオーナーであるネイサン・アリゾナ夫妻のところに5つ子が生まれたというニュースが。5人もいるなら1人いなくなっても大丈夫だろうと、なんとネイサンの家から1人の赤ん坊を盗んでしまう。あまりの可愛さにエドは狂喜するが、一方で罪悪感を感じ…というストーリー。

荒削りではあるが、以降のコーエン兄弟作品のコメディのエッセンスがふんだんに盛り込まれている。

謎のライダーが唐突に登場し、一体どういう風にからんでくるのか…と、主軸のストーリーに若干稚拙な部分があるのだが、この得体の知れない存在のおかげで、うまく目をそらすことに成功している。終盤にストーリーにがっちり絡んでくるが、実に稀有なキャラクター。警察を呼ぶといわれて、ロードランナーばりに消えるのは、本作のドタバタが、ワーナーアニメのようなノリで作られていることを表している。犬に追いかけられるシーンも同様。実はヘビーな内容が、カートゥーンチックなスピード感とよく相まっている。

刑務所仲間の二人がどうからんでくるのか…もポイントだが、ライダーか彼らのどちらかが犯人ということで最終的に決着がつくのだろうと予測していたが、いずれにもならず。このスカしかたはなかなか。しかし、ボンネットのくだりなど、この二人にまつわるギャグの部分は、無駄に感じる部分が多数。まあ、そこはご愛嬌だ。

なんともせつない正夢で終わる最後も、なかなか秀逸。良質なコメディだが、吹き替えのDVDを出すべき。
#昨日の『アダプテーション』のニコラス・ケイジと本作の彼が同一人物とはとても思えない…

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image0023.png公開年:2002年
公開国:アメリカ
時 間:115分
監 督:スパイク・ジョーンズ
出 演:ニコラス・ケイジ、メリル・ストリープ、クリス・クーパー、ティルダ・スウィントン、ブライアン・コックス、マギー・ギレンホール、カーラ・シーモア、ロン・リビングストン、ジュディ・グリア、カーティス・ハンソン、スパイク・ジョーンズ、ジョン・キューザック、キャサリン・キーナー、ジョン・マルコヴィッチ 他
受 賞:【2002年/第75回アカデミー賞】助演男優賞(クリス・クーパー)
 【2003年/第53回ベルリン国際映画祭】審査員特別賞・銀熊賞(スパイク・ジョーンズ)
 【2002年/第69回NY批評家協会賞】脚本賞(スパイク・ジョーンズ)
 【2002年/第28回LA批評家協会賞】助演男優賞(クリス・クーパー)
 【2002年/第60回ゴールデン・グローブ】助演男優賞(クリス・クーパー)、助演女優賞(メリル・ストリープ)
 【2002年/第56回英国アカデミー賞】脚色賞(ドナルド・カウフマン、チャーリー・カウフマン)
 【2002年/第8回放送映画批評家協会賞】助演男優賞(クリス・クーパー)、脚本賞(チャーリー・カウフマン※「コンフェッション」に対しても)
コピー:「マルコヴィッチの穴」の驚きを凌ぐ はずが……困った、書けない。

『マルコヴィッチの穴』の脚本で大成功で、一流脚本家の仲間入りをしたチャーリー・カウフマン。次回作として、作家スーザン・オーリアンが蘭の不法収集を行う栽培家ジョン・ラロシュを描いたノンフィクション『蘭に魅せられた男』の映画脚本の仕事が舞い込む。いざ執筆を開始したもののすぐに行き詰まり、苦悩の日々が続く。チャーリー宅には、陰鬱な彼とは対照的な陽気な性格の双子の弟ドナルドが居候していたが、突然、脚本家を目指すと言い出し、ロバート・マッキーの脚本家養成セミナーに通うようになる。そんなセミナーを受けて脚本家になれるなら苦労はしないと、冷たい態度をとるチャーリーだったが、ドナルドの書いた脚本が高評価を受けてしまう。ますます追い詰められたチャーリーは、こうやって苦悩している自分を脚本に出してしまうことを思いつくのだったが…というストーリー。

『マルコヴィッチの穴』同様に、非常に奇抜。執筆が進まず悶絶するチャーリーの様子と、並行するスーザン・オーリアンの原作の内容のシーンが、交互に展開されるが、はじめ観ているうちは、この二つのまったくバラバラなシーンがどう繋がっていくのか、いやそもそも繋がるのかどうかもわからない不思議な感覚のまま進行する。

『マルコヴィッチの穴』も、以後、似たような作品などが作られることはないだろう…と思うくらいオリジナリティに富んでいたが、本作も脚本化する自分の姿を描いてしまうという、ぶっ飛んだ内容。もう、やったもん勝ちで、誰にも真似できない内容である。この、唯一無二な感じこそ、チャーリー・カウフマン脚本の特徴である。

ペシミストというか、自己評価がとてつもなく低いというか、うじうじした男がもがき苦しむ話。はじめは無能だと思っていた双子との弟の書いていた脚本が評価されてしまい、ますます追い詰められる(おそらく実際のチャーリー・カウフマンには、双子などいないだろうし、禿げてもいないし肥満でもない)。私は、さすがにチャーリーほどマイナス思考ではないが、性格傾向的には近いし容姿に恵まれないところなんかも、妙にシンパシーが湧いてしまった。
#ロバート・マッキーの脚本セミナーの内容が、さりげなく秀逸。出ているのは本人ではないが実在の人物。

そのうじうじとした悩みで終わるのかと思いきや、終盤になって突然あさっての方向にはじけ出す。スーザン・オーリアンは実在の人物だし『蘭に魅せられた男』も実在する。でも、取材対象と関係を持っているどころかドラッグで繋がっているとか。もう、虚虚実実が入り混じって、観客は翻弄される。スーザン・オーリアン(が実在の個人かは知らないが、存在するならば)に、こういう扱いで登場させますよ…と、どう理解・説得したのかに非常に興味がある。

そして、破滅的で悲劇的な展開の末、チャーリーは光を見出すことが出来るの否か。

純粋な娯楽作品を期待した人は低評価を下すだろうが、玄人筋から観たら、こんなシナリオは自分には書けない…と、頭を殴られたような感覚になると思う。脚本家になりたい…なんて考えてる人が本作を観たら、諦めて筆を折る人がいるんじゃないかと思うくらい。観ている側の立ち居地が、神の手で強制的にシフトさせられるような、インパクトがある。怪作だ。

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image2089.png公開年:2012年
公開国:アメリカ
時 間:102分
監 督:アキヴァ・シェイファー
出 演:ベン・スティラー、ヴィンス・ヴォーン、ジョナ・ヒル、リチャード・アイオアディ、ローズマリー・デウィット、ウィル・フォーテ、メル・ロドリゲス、ダグ・ジョーンズ 他




オハイオ州郊外の住宅街に暮らし、COSTCOの店長を務めるエヴァン。プライベートでは、ジョギングクラブやスペイン語クラブを主宰したり、社会奉仕活動なども行っており多忙な毎日を過ごしている。しかし、家庭では、妻との間に子供ができないのが悩みだった。そんなある日、店の閉店後に、警備員が何者かに惨殺される事件が発生。憤りを感じたエヴァンは、自警団“ネイバーフッド・ウォッチ”を設立しメンバーを募る。しかし、集まったのは、口うるさい建設業のボブと、警察のテストに落ちたアホのフランクリン、そしてイギリス人のジャマーカスだけだった。意気込むエヴァンに対して、他の三人はあまりにも不真面目でキレそうになるエヴァンだったが、なんとか皆をパトロールに連れ出す。すると、パトロールの最中にある物を発見し…というストーリー。

いかにもベン・スティラーが演じそうなキャラクターで「またかよ…」感がものすごい。彼だけでなく、ご近所ウォッチャー(吹き替えではそういう自警団の名前になってる)の仲間は、さらにこの手のコメディではありがちなキャラクター。
一生懸命 伏線を張ろうとして失敗していたり、前半のまわりくどさとかモタツキが結構ヒドい。『E.T.』と出会ったのがクソ大人だったら…みたいなアプローチをしてるのかな…と思ったけど、そうではなかった模様。

後半を過ぎて、宇宙人に逃げられた後くらいからやっとストーリーが集約されてゆき、締まってくる。というかバトルシーンに向かって面白くなっていくだけで、サイドストーリーである不妊の話なんかは、うまく集約できてないんだけどね。なんか良くわからないうちに、妻と和解して、その妻がバトルに参戦するといううやむやっぷり。
ボブの娘の彼氏のくだりは、まあ、セオリーどおりだけど、ジャマーカスのところはかなり弾けた展開。いやあ、無理やりラストスパートをかけて誤魔化した感じになっているのだが、終盤は楽しめる。勢いアンド勢いアンド勢い。
#まあ、日本未公開だからね。

旧作料金なら、週末の夜にビールを飲みながら十分すぎるほど愉しめる。COSTCOを推してるのか馬鹿にしてるのかよくわからないけど、COSTCOに行ったことが無い人には、全然ピンとこなし、笑う部分が半減するのは間違いない。

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image1089.png公開年:2003年
公開国:アメリカ
時 間:88分
監 督:ロブ・ミンコフ
出 演:エディ・マーフィ、ジェニファー・ティリー、テレンス・スタンプ、ナサニエル・パーカー、マーシャ・トマソン 他
コピー:この館には、誰も知らない秘密があった──




夫婦で不動産業を営むジム・エヴァースは、家族を愛してはいるものの、ついつい仕事をやりすぎてしまい、妻サラや子供のメーガンとマイケルから白い目で見られている。さすがにまずいとおもったジムは、次の週末に、みんなで家族旅行に行こうと提案。みんな大喜び。しかし、旅行前日、妻サラのもとへ、大昔に建てられた大豪邸を処分したいという電話が入る。家族旅行のためにサラは断ろうとしたのだが、ジムは電話を奪って勝手に了承。旅行の途中でちょっと寄るだけと、サラと子供たちを言いくるめて屋敷に向かう。しかし、いざ屋敷に入ると、途端に周囲は大嵐に。仕方なく屋敷の主であるグレイシーの勧めで、一晩をその屋敷で過ごすことにするのだったが…というストーリー。

春も近づいてきて、久々にディズニーリゾートにでもいきたいなぁ…と思い、何となく鑑賞。ちなみに、ディズニーランドのアトラクションの内容は、屋敷に999人の幽霊がいて、訪れた客を1000人目に使用と狙っているという内容で(なんで狙っているのかは不明だけど(笑))、本作のストーリーとは全然別物。
まあ、それはそれとして、ストーリーはシンプルで子供も理解できるだけでなく大人の鑑賞にも十分に堪えうるレベルだし、CGやセットの質も非常に高く、良い出来映えだと思う。蜘蛛嫌いの子供がそれを克服したり、反抗期の娘が家族とのコミュニケーションを増やしていくという内容は、実に教科書的だといえる。

じゃあこの作品が、名作ファンタジー&コメディーとして、観続けられるような作品かといわれると首を傾げたくなる。なぜならばエディ・マーフィがよろしくない、この一点に尽きる。そんなに悪いか?と聞かれれば、まあエディ・マーフィはエディ・マーフィを全うしているだけ…ということになるのだが…、でも、やっぱり彼が悪い。
マシンガントークでさぞやテンポのいい作品だろうと思いきや、不思議なことに90分にも満たない作品なのに、もっと長く感じてしまう。彼のしゃべくりが、ストーリーのテンポとマッチしておらず、かえって全体の流れを阻害しているからだと考える。
別に黒人俳優である理由は、ストーリー上まったくなくて、プロモーション上、名のある俳優を置きたかっただけだとは思う。ここはあえてコメディ初挑戦の役者を配すなどしたほうが、効果的だったと思う。

まあ、それ以上に感想はない(笑)。ディズニーランドに行く前に、子供の気分を盛り上げさせるために観る作品。

#水晶のマダム・リオッタのおみやげとか無いんだろうか。

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image2095.png公開年:2002年
公開国:イギリス
時 間:87分
監 督:ピーター・ヒューイット
出 演:ブルース・クック、ルパート・グリント、サイモン・キャロウ、スティーヴン・フライ、ポール・ジアマッティ、ネッド・ビーティ、セリア・イムリー、アダム・ゴドリー、ロバート・ハーディ、アナ・ポップルウェル、デル・シノット、キーラ・ナイトレイ 他
コピー:オナラが地球を救う。



小学生パトリック・スマッシュは、オナラが異常に出るという体質に悩んでいた。そのために父は家を出てしまい、母も姉もパトリックと距離を置いていた。学校では他の生徒からいじめられているだけでなく、教師からも目の敵にされている。しかし、学校に一人だけパトリックの味方がいた。それは、同じクラスのオタク系天才発明家アラン。彼は生まれつき鼻が利かず、パトリックのオナラの匂いが苦にならないのだ。アランはパトリックのためにガスが外に漏れない特殊装置“サンダーパンツ”を発明してくれるのだった…というストーリー。

イギリスって、何で、まず庶民が差別されて、その階級の中でさらに弱者が差別されるシチュエーションが“通常”なんだろうね。基本的に、弱者の階級とつくらないと社会を維持できない生物なのかも。そりゃ、植民地をつくるわな。日本が考える植民地と、彼らがやった植民地政策は微妙に違う。同じ人間として扱わないんだもん。
欧米人のレッテル貼り文化は異常。いまにやつら痛い目に遭うと思う。ユーロ圏は、ボーダーを失くすことで、かえって閉塞の一途に向かっている。製作側は意図していないと思うが、こんなコメディなのに、ヨーロッパの暗い未来が垣間見えてしまう、珍妙な作品。
そういう、文化的な土壌みたいなものがベースなので、笑いの地平も我々とは違う模様。はっきり言って微塵も笑う箇所がない。

笑いだけでなく、不可解な描写が盛りだくさん。
学校で何で私服なのかは不明(親からも虐待されているという表現?)。
胃が2つはいいけど、ゲップならわかるけどオナラってなんだよ。腸は一本なんだろ?二つの胃がまったく別のガスを生み出して、絶妙に混合しているということ?
“おしりで高音を奏でる”の意味が不明…。もう、自分の声以外で音を発するなら、楽器でいいじゃないか…。
逮捕される意味もわからんし。なんで社会が彼を執拗に追い詰めているのか意味が不明。
オナラを宇宙飛行士救出に生かそうというのは判る。でも、なんで、ラボに子供だけ集めているのか意味不明。
「あの高音じゃない?」何がどこから聞こえてるわけ?意味不明。
理不尽なシチュエーションをつくりたいなら、もっとうまくやればいいのに。『チャーリーとチョコレート工場』とは雲泥の差だ。

コメディなのに、悪ふざけがおもしろくないなぁ。意味不明を通り越して、不快の域。イギリス人ってコメディのセンスもイマイチだよなぁ。つまんなかったっす。微塵も笑えなかったす。
豆の料理とか出てくる料理は全部マズそう。本当にまともな食文化てないんだな…。メシのまずい国は笑いのセンスもマズいのかな。

一番不快だったのが、勇者の行動で、全員が改心するという展開。というか、それで水に流しちゃうという流れ、綺麗事がきらい。こういうコメディこそ、信賞必罰が大事。実際の世の中は、勧善懲悪がなされないから、せめて映画では勧善懲悪を…それが、映画やドラマの存在価値の一つだと思う。だから、本作のような、勧善懲悪のやみくもな放棄は、不快に感じる。そういうこと。

でも、この監督さん、コメディーとは無関係な部分はいい出来映えなんだよなぁ。自分が笑いに向いていないことに気付いたら、大成するかも。
#この賢い子の役、ハリー・ポッターのロンかよ。

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image2039.png公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:106分
監 督:トム・マッカーシー
出 演:ポール・ジアマッティ、エイミー・ライアン、ボビー・カナヴェイル、ジェフリー・タンバー、バート・ヤング、メラニー・リンスキー、デヴィッド・トンプソン、マーゴ・マーティンデイル、アレックス・シェイファー 他
ノミネート:【2011年/第27回インディペンデント・スピリット賞】脚本賞(トム・マッカーシー)
 【2011年/第17回放送映画批評家協会賞】オリジナル脚本賞(ジョー・ティボーニ、トム・マッカーシー)
コピー:突然きみが家族になった。人生がもっと厄介で、愛すべきものになった。

弁護士のマイクは不況で仕事もほとんど無くなり事務所の運営もままならないほど困窮していた。高校のレスリング部のコーチで僅かな報酬を得ているが、焼け石に水。とうとう生活費を捻出することも苦しくなってきて、妻と幼子2人の家庭を守るために、とある公判に目を付ける。その公判とは、初期の認知症を患う独居老人レオに対して、州が後見人となり施設に入れるというもの。しかし、老人は自宅に留まることを希望している。マイクはレオ後見人に名乗りを上げる。なぜなら、後見人は月に1500ドル以上の報酬を受け取ることができるからだ。晴れて後見人となったが、マイクはレオを介護施設に入所させてしまう。身寄りが無い老人を騙してまんまと報酬を受け取ったマイクだったが、ある日突然、レオの孫だというカイルという青年が現れ…というストーリー。

弁護士とはいってもピンキリ。アメリカならその差は日本以上だろう。一応事務所も構えているけれど、ほとんど仕事がない状態。家族を抱えていながら破産寸前。レスリングのコーチをしているが、体調もいまいち。もう詰んだ状態。
#話は逸れるが、レスリングはアメリカのほうがしっかり根付いているな。今回のオリンピック騒動は日本よりアメリカのほうが本気で怒っていると思う。

主人公のマイルは弁護士として一線を越える。表面上ノーマルに見えるけどクソ人間…っていうキャラを演じさせたらポール・ジアマッティはピカイチだ。このヤバい橋をどうやって渡りきるのか?破滅するのか?を主軸に展開していくのかと思ったら、金髪に染めた謎の少年が登場。施設に放り込んだ老人の孫だという。

ほとんど喋らないし、ぶっきらぼうで、はじめはみんなヤバいやつだという先入観を持つ。悪そうに見えて、彼の純朴さはすぐに周囲に伝わり、みんなの“手を差し伸べたい”という欲求をくすぐる。ミステリアスな少年でなにか問題を抱えていそう。純粋ゆえに迷える若者ということで、利他という気持ちを周囲の人たちに湧き上がらせる。観ている方も手助けしてあげたくなる。
ここでマイクの妻の“男気”みたいな精神が発揮され、カイルに手を差し伸べていく。彼女がこの作品で一番まともな人物。

結局は、母親の素行が悪く、環境の悪さゆえに道を踏み外していただけ。それが無ければレスリングで大成していたに違いないことを知り、マイクたちは、色めき立つ。仕事もダメ、生きがいだったコーチ業もダメだったのに、途端に生きがいを感じ始めるマイクたち男連中。マイクを通して、みんなが失いかけていた夢を思い出し始める。
一見良さそうに見えるが、これがよくない。しかし、みんながカイルに夢をのせ、純粋な利他の気持ちではなくなってしまった。カイルのために駆け引きなしで応援しているつもりだったのだが、実際はカイルにみんながタダ乗りしていた。その重みに耐えかねたわけではないだろうが、あっさりとその夢を去っていく。

さて、その“夢”が消失したあとも、マイクはカイルに手を差し伸べることができるか。純粋な利他の気持ちが湧いたところで、しかしながら
冒頭の悪事が露見してしまう。さて、カイルとマイクの間の溝は埋まるのか。再び二人は前を向いて歩いていくことができるのか。

昨日の『ビッグ・ボーイズ しあわせの鳥を探して』に続いて、生きるってなんだろうなって考えさせてくれた作品。他人のために何かできているかいないかという物差しを忘れてしまったら、生きている意味なんか無いってことだな。自分のやりたいこと、成し遂げたいこととのバランスが大事。ハッピーエンドじゃないけど、ラストも嫌いじゃない。

連日のグッとくるコメディ。当たり。お薦め。

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image2042.png公開年:2012年
公開国:アメリカ
時 間:100分
監 督:デヴィッド・フランケル
出 演:ジャック・ブラック、オーウェン・ウィルソン、スティーヴ・マーティン、ブライアン・デネヒー、アンジェリカ・ヒューストン、ラシダ・ジョーンズ、ロザムンド・パイク、ダイアン・ウィースト、ジョベス・ウィリアムズ、アンソニー・アンダーソン、コービン・バーンセン、バリー・シャバカ・ヘンリー、ジョエル・マクヘイル、ティム・ブレイク・ネルソン、ジム・パーソンズ、ケヴィン・ポラック、ネイト・トレンス、スティーヴン・ウェバー 他
コピー:大人げないオトナたちが見つけた、小さな幸せ。

1年間に北米大陸内で観察できた野鳥の数を競う、探鳥コンテスト“ザ・ビッグイヤー”。出場者は、仕事や家庭生活を犠牲にしてまで時間とお金を注ぎ込む熱狂的なバードウォッチャーたち。そして、その大会への挑戦を目指す3人の男たちがいたが、それぞれ問題を抱えていた。一人は、大企業の社長のステュ。彼は、引退してかねてからの夢だった鳥探しに打ち込むことを決心し、家族もそれを応援してるのだが、有能な経営者である彼の引退を社員は認めず、引きとめに必死。もう一人は、原子力発電所で働くブラッド。これまで“鳥”という趣味にのめり込みすぎて妻に愛想を付かされ離婚歴あり。今も独身のまま親と同居していた。何とかフルタイムでの仕事を続けながら“ザ・ビッグイヤー”に挑戦しようとしていたが、なかなか仕事との折り合いがつかない。最後の一人は、前年度の覇者で最高記録保持者のケニー。ニュージャージーの土建屋で裕福だったが、鳥が原因でこれまで二度離婚している。もう“ザ・ビッグイヤー”には挑戦しないと約束していたのに、自分の記録が抜かれるのではないかと毎日気が気ではなく、三度目の結婚にも危機が訪れていた。そんな三人が、野鳥を求めて奔走するのだが…というストーリー。

メインキャストであるジャック・ブラックとオーウェン・ウィルソンは、ほとんどコメディばかりだし、たまにシリアスな作品にでてもイマイチなことが多い。ジャケット画像を見ていつもどおりのコメディか…とまったく期待していなかったのに、いい意味で裏切られた。結論からいうと、彼らと同じようにコメディ作品への出演が多いスティーヴ・マーティンだが、『大災難P.T.A.』のようにグッとくるコメディがお得意の彼が入ることによって、ものすごく締まった作品になっている。当たり作品だ。

まず、“ザ・ビッグイヤー”なる大会(というか競技)に面食らう。本当にこんなイベントが存在するのか?と疑ったが実在するようだ(原作はノンフィクション作品とのこと)。何に驚くって、その鳥を見たか否かは“自己申告”だってこと。こんなのインチキする奴が出てくるだろ?って思って観ていたのだが、鳥への愛ゆえに、そんなことをする奴はいないということが前提になっているという、高潔な大会なのだ。
で、主役の3人とも、色々ダーティな妨害をして傷つけ傷つけられを繰り返すわけだが、この高潔さという点で共通して、その点において理解し合えていることが、実に愉快なのだ。

700種類以上の鳥を観察するということは、とてつもない苦労が必要なのだが、この“このとてつもなさ”っていうのが、無理すれば不可能ではないというところがミソなんだと思う。まず、北米大陸内の観察に限定されること。確かに広いが1年でめぐるのが不可能な広さではない。
研究されつくしていて、普通に生息する種類だけでは700種類以上を観察することは不可能で、アメリカ国土に迷い込んでくる周辺に生息する種類とどれだけ遭遇するかが勝負になっている。でも、それも過去のデータから可能性のあるポイントは絞れてくる。遭遇するためには、天才的な能力が必要ではなく、努力と運であり、それは自分の野鳥愛のバローメータであり鳥からの愛のお返しとも捉えられるわけだ。この難しいけどできなくもない。この線が、長く人を虜にする魅力なんだろう。

本作はコメディに違いないが、面と向かって笑わせようという場面は一切ない。一生懸命に行動し苦悩する彼らを強く共感してしまう。それを軽妙な場面運びによって紡いでいる。おそらく男性特有の“コレクション癖”みたいなものもくすぐるんだと思う。いてもたってもいられない彼らの気持ちは良くわかる。(実際に参加者のほとんどが男性だ)。

同じことをやっているのに、ある者は何かを得て、ある者は何かを失う。そんなバカなことに1年も費やすなんて…と思うし、自分はそんなことにチャレンジしたいなんて思わないけれど、生きる意味ってなんだろうな…と考えさせられた作品。男にはくだらないとわかっていても乗り越えなければならないものがある…そんなところか。

良作。お薦めしたい。

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image2051.png公開年:1987年
公開国:アメリカ
時 間:87分
監 督:ダニー・デヴィート
出 演:ダニー・デヴィート、ビリー・クリスタル、キム・グライスト、アン・ラムジー、ケイト・マルグルー、ブランフォード・マルサリス、ロブ・ライナー、ブルース・カービイ、オリヴィア・ブラウン、アニー・ロス、オプラ・ウィンフリー 他
ノミネート:【1987年/第60回アカデミー賞】助演女優賞(アン・ラムジー)
 【1987年/第45回ゴールデン・グローブ】男優賞[コメディ/ミュージカル](ダニー・デヴィート)、助演女優賞(アン・ラムジー)

小説家のラリーは、妻に自分の書いた大作を持ち逃げされる。妻はその作品を自分の創作として出版すると、ベストセラーとなり大金持ちになってしまい、あまりのショックにラリーは筆を進めることができなくなる。妻に対する怒りに震える日々をおくりながらも、生計のためにカルチャーセンターで、文章表現を教える講師として教壇に立っていた。そんなある日、生徒の一人であるオーウェンという男が、自分の母親があまりにもひどい人間で殺したいほど憎いと、ラリーに相談をしてくる。小説の内容についての相談と勘違いしたラリーは、ヒッチコックの『見知らぬ乗客』を参考にしろと薦める。交換殺人を題材をしたその作品を観たオーウェンは、ラリーが交換殺人を提案したと思い込み、ラリーの妻が滞在するハワイへ相談もなしに向かうが…というストーリー。

ダニー・デヴィート演じるオーウェンが、殺人に向かうまでは、ちっとも話が動かない。ラリーもオーウェンも、ただイライラしているだけ。観ている側のイライラも一緒にピークに達するように、うまく展開させてくれればいいのだが、盛り上がりがブツブツと途切れぎみで、観ている側のテンションが緩む。あまり笑える部分も多くなくて、結構、冷めた目線での鑑賞が続く

オーウェンが殺人を犯したと告白した後、自分が容疑者になると、なぜあそこまで過剰に反応したのか。友人の彼女のスチュワーデスが、ハワイに行ける可能性があると言ったから?その唯一ハワイに行ける手段であるその便に、自分が乗っているかどうかなど記録を見ればわかるだろう。空港なんだから監視カメラくらいあるだろうし、勤務していたスチュワーデスに聞けば潔白は証明されるだろう。
そして、警察はなぜラリーが犯人だと思い、第一容疑者とするのか。警察がそれを疑うなら、それこそ記録やカメラを調べればよろしい。恋人の発言があったからといって、ハワイにいける可能性なんかあるのかどうか、疑問がわかないわけがない。肝心な部分に無理がある。

その後、交換殺人がうまくいかず、なんとかオーウェンの母親を殺さなければ…という展開になる。警察に見つかりそうになるのだが、むしろ捕まったほうがスッキリするし、楽に決まっているのだから、ばれちゃう~~見つかっちゃう~~なんてド。キドキするはずがない。
とにかく、交換殺人を実行するしか道がない…という追い詰められた状況にならないのだから、どうにも緊迫感が沸かない。

たしかにオーウェンの母親はイライラする。いい演技だ。でも、他人であるラリーが思わず殺そうと思うような一線は越えていないし、鉄道内で母親が、小説に一文を言ったことがなんで導火線になったのかも意味がわからない(自分が散々悩んでいたフレーズを、クソババァがスラっといいのを言ったから?わけわかんねぇ)。
最後も、生きてました~だ、またパクられるのか!発狂!とか、いやいやそうじゃないよ~んとか、上げたり下げたりが場当たり的でピリっとしない。
シナリオが落第点ってことなんだろうね。

しゃべくりが多い作品なのに、字幕を追わなければならない苦痛。声優の名前は知らんけど、よくダニー・デヴィートをやってる人の声でセルフ脳内変換して観ていた。本作は絶対に吹き替えにすべきだな。また、『ホームアローン』ばりのBGMならテンポよく感じられたかもしれない。いくら87年の作品といっても、音楽は古くさすぎる。

ちょっと、お薦めしかねる。
#TRAINがタイトルに入るほど重要には思えないのだが…。

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image0978.png公開年:1988年
公開国:アメリカ
時 間:92分
監 督:ティム・バートン
出 演:マイケル・キートン、アレック・ボールドウィン、ジーナ・デイヴィス、ウィノナ・ライダー、キャサリン・オハラ 他
受 賞:【1988年/第61回アカデミー賞】メイクアップ賞(スティーヴ・ラ・ボート、ロバート・ショート、ヴェ・ニール)
 【1988年/第23回全米批評家協会賞】 主演男優賞(マイケル・キートン『偽りのヘブン』に対しても)


ニュー・イングランドの田舎町に住む若い夫婦アダムとバーバラは、買い物の帰路、橋から自動車ごと落ちて死んでしまう。二人はいつのまにか自宅に戻っていたが、しばらくは自分が死んだことが自覚できずにいた。しかし、家から出ようとして異世界に紛れ込み、蛇のような怪物に襲われ、命からがら戻ると、屋根裏部屋に「新しく死者になった者へのガイドブック」というガイドブックが置かれていた。観念して自分たちが死んだことを受け止めると、金持ち一家がニューヨークから引っ越してくる。金儲けばかりを考えている父親チャールズ、前衛芸術家きどりの継母デリア、根暗な娘リディアの3人を見て、こんな人たちに自分の家に住んでほしくないと考えた二人は、一家を追い出そうと手を尽くすが、一向に効果がない。そこで、ハンドブックに書いてあった死後の世界のカウンセラーに相談してみようとするのだが…というストーリー。

荒削りでいかにもティム・バートンらしさが満開な本作だが、アメリカでは大変ヒットした。もちろん日本でも公開されたわけだが、デビュー作の『フランケンウィニー』は短編だったし、次の『ピーウィーの大冒険』は日本未公開だったので、実質本作がティム・バートンの初お目見え作品だといってよい。日本語吹き替え版の扱いを見ればゲテ物扱いされていたのがよくわかる。ハリー・ベラフォンテの「The Banana Boat Song 」の歌詞訳や、死後の世界のクリーチャーの名前など、小手先で笑いを取ろうとしているところなど、苦笑モノではある。
しかし、そのゲテもの扱いが、西川のりおのアフレコという奇跡を生んだわけだ。ビートルジュース演じているのが、マイケル・キートンだと分からないほどで、まさに怪演なのだが、吹き替えの怪演がそれを上回るという秀逸な出来映え(まあ、嫌いな人は嫌いだろうけど…)。純粋に振り切った演技を見せてくれている。『じゃりン子チエ』のアニメ版で声優の経験はあったわけだが、別にそれが生かされているとか、そういうレベルの話ではない。

翌年の『バットマン』で一躍メジャー監督になるわけだが、長編映画3作目で、スポ~ンと第一線に躍り出たのは、なかなかハイペースな出世だ。それだけに、ティム・バートンの手作り感が溢れる本作こそ、最後のハンドメイドという気がして、数あるバートン作品の中でも大好きなのだ。
この急激な出世は6年後の『エド・ウッド』によって、まるで先祖帰りのように、反メジャー的に作風として現れる。その後の『マーズ・アタック!』など、必ずしも一般ウケするとは言いがたい方向に傾いていくが、それは「自分の居場所はココだよ!」という彼の叫びに聞こえる。その“ココ”こそ、本作だと、私には思えて仕方がないのだ。

ストーリーの独自の世界観も秀逸だと思う。人は幽霊が見えないのではなく“見ない”とか、家から出られず自縛霊として100年以上もこのまま過ごさねばならないとか、何か東洋的な感覚との親和性も感じられる。なんだか判らないグダグダな展開で終盤を迎えながらも、なんとなく大団円で終わるあたりも、実にティム・バートンらしい。
愉快な娯楽映画という意味では、傑作だと思う。

 

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image2007.png公開年:1989年
公開国:フィンランド、スウェーデン
時 間:78分
監 督:アキ・カウリスマキ
出 演:マッティ・ペロンパー、ザ・レニングラード・カウボーイズ、サカリ・クオスマネン 他
コピー:さいはてのツンドラ地帯から 史上最悪(!?)のロック・バンドがやってきた。




極端に長いリーゼントと先の尖ったブーツという奇抜なファッションのバンド“レニングラード・カーボーイ。シベリアで活動する彼らを売り出そうと、マネージャは地元のプロモータに演奏を聞かせるが、演奏がヘタクソという理由で断られてしまう。しかし、アメリカでならなんとかなるかもしれないと現地のプロモータを紹介してもらう。意気揚々とアメリカに向かうが、プロモータから与えられた仕事は、メキシコに住む彼のいとこの結婚披露宴で演奏すことだった。また、アメリカで流行っているのはロックだと聞かされて、勉強しはじめるレニングラード・カーボーイたち。さっそく中古車を購入し、途中のバーなどで演奏し日銭を稼ぎながらメキシコ向かうのだったが…というストーリー。

『過去のない男』のアキ・カウリスマキ。『過去のない男』は絶妙なシュールさとグっとくるシーンが絡み合う大好きな作品なのだが、本作は、明らかに笑わせようとしている。カウリスマキは、直球で笑わせようとしちゃダメな監督なんだな…と。私は、画面から、笑わせようっていう意志が滲み出た瞬間冷めるので、まったく好みに合わなかった。
#画質は間違いなくカウリスマキなんだけどね。

奇抜な風貌のバンドによるヘンテコなロードムービー。でも、正直、笑えなかったス。
アメリカへ行って行方不明の祖父が、リンカーンとか。凍死したメンバーをアメリカに空輸して、ずっと棺桶に氷を詰めて運搬、リーゼントとブーツの先が棺桶から出てるとか。“革命”とか“民主主義の復活”とか、そのノリはセンスが合わないなぁ。
変に笑いを挟まないで、始終マジメにやってりゃ良かったと思う。だまってたって笑いは滲み出てくると思うんだ。さすがに最期で生き返るのなんて、興醒めの極みだったかも。

この映画で演じているのは“スリーピー・スリーパーズ”という実在のバンドで、この作品をきっかけに、“レニングラード・カウボーイズ”という名で活動することになったらしい。でも、私は知らない。洋楽詳しくないし。
演出だと思うのだが、演奏はなかなかなのに、歌がヒドい。なんじゃこりゃってレベル。冒頭の民謡とかすごく魅力的だったんだけど、アメリカでの演奏は、知らない曲ばっかりで、今ひとつノリ切れなかった。ラストは、現地のメキシコ人がボーカルで安心のレベルだったけど。

でも、多分、このノリが好きな人は一定数いると思うんだよね。いわゆるカルト的な人気はあると思う。好みの問題。続編の『レニングラード・カウボーイズ、モーゼに会う』ってのもあるんだけど、すぐに食指は動かないな。
#マネージャがその後、いなくなろうがどうしようが知ったこっちゃないがな(笑)

 

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image1985.png公開年:2008年
公開国:アメリカ
時 間:92分
監 督:クリスティン・ジェフズ
出 演:エイミー・アダムス、エミリー・ブラント、ジェイソン・スペヴァック、メアリー・リン・ライスカブ、クリフトン・コリンズ・Jr、エリック・クリスチャン・オルセン、ケヴィン・チャップマン、スティーヴ・ザーン、アラン・アーキン、ジュディス・ジョーンズ、エイミー・レッドフォード 他
コピー:がけぷち姉妹、事件現場のクリーニング始めました。
一緒にいれば悲しみも洗い流せる

30代半ばのシングルマザーのローズ。ハウスクリーニングの仕事で8歳の息子オスカーを育てている。かつてはチアリーダーで学校のアイドルだった彼女は、自分はこんなはずじゃないという思いもあり、妹に息子を預けて不動産業の資格取得講座に出かけることもあるが、その一方で今は既婚者の学生時代の恋人とズルズルと不倫を続けている。妹のノラは、仕事が長続きせず、ほとんどニート状態。父親もまともに働こうとせず、一攫千金を狙って怪しい商売にばかり手を出して失敗を繰り返しているくせに、偉そうにローズに説教したり、任せておけと大風呂敷を広げたりする。そんな中、オスカーが学校で問題行動を繰り返し、転校を勧められてしまう。しかし、私立に通わせるお金などないローズは、不倫相手の刑事に事件現場を清掃する仕事を廻してもらい、嫌がるノラを引き込んで現場に向かうのだったが…というストーリー。

誰一人、まともな人は登場しない。見渡す限りマトモな人間がいない。ダメ人間の一発逆転ストーリーという感じではなく、追い詰められて開き直ったという感じ。

『ヤング≒アダルト』も、元々学校のアイドルだったのに、今は幸せじゃない女性が主人公だった。そして不倫に抵抗のないキャラクターであり、本当の愛というものを知らずに生きている。表面は悪くないが、実に痛々しいという共通点がある。だけど『ヤング≒アダルト』のほうは、37歳のバツイチのゴーストライターで、町の人々から蔑まれるのを極端に嫌って虚勢は張っているけど、生きる術はもっていた。自立はしている。
本作のエイミー・アダムス演じるローズは、母子家庭で能力なくマトモな仕事もない状態。なんで彼女が不動産の資格を取ろうとしているのか、背景がよくわからない。リーマンショックの前だから、不動産は簡単に稼げるという打算的な考えなんだろう。
追い詰められたにせよ、割りのよい仕事に飛びつくのは、父親似。父親は、非正規のルートで入手したエビを捌いて儲けようとしたり、山師的な遺伝子なんだろう。
妹は、ショックな出来事があった時期が悪くて、二人とは違って、無気力な人になっている。父親や姉よりも、心の中が整理できていなくて、だからこそ、清掃中に見つかった遺品を見て情が沸いてしまう。そっちは、ローズとはまったく別に話は進んでいく。

この映画は、事件現場のクリーニング作業のハウツー映画ではないので、『おくりびと』のようにテクニックや業界の仕組みを興味深く説明したりはしない。そういうものを期待して本作を観ると、がっかりするだろうから、断っておく。

シングルマザー、負け組、麻薬、不倫、親子関係の断絶、自殺と、不幸要素のあまりのテンコ盛り具合で辟易しちゃうくらいなんだけど、この軽い出来映えにまとまっているのは、すごいと思う。アメリカ社会において、ここ線まで脱落するのは、そう難しいことではない…というか、ツボが押さえられていないと簡単にこうなっちゃうんだろう。
これ、共感できない人には、まったく共感できない作品なんだとは思うけど、この作品を観て、わけわからんとか、何も感じないという人とは、多分、私は友達になれないんだろうな。他人からみたら、なんでうまくいかないか「ちょっと考えりゃ判るだろ…」って思うんだけど、本人はわからんものなのよ。

結局は母親・妻の死という傷が癒えていない家族のお話であることがわかる。ラストはローズも父も一歩を踏み出し、息子オスカーも普通の子になっていく気配(といっていいのかわからんが)を見せて、小さな希望を観客の心に沸かせて終わってくれる。まあ、普通に考えれば、想定でできたはずのオチなのに浮かばなかった。それほど、彼らの傷は、簡単に救えなさそうな感じだったからかな。姉妹がうまくいかない理由の発端の半分くらいは、父親にあるように見えるからね。彼が思い切った行動をしてくれたことが、ラストに光明を与えてくれた。

扱っている事柄は決して爽やかじゃないけれど、小気味良い作品。軽くお薦め。

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image1982.png公開年:2007年
公開国:アメリカ
時 間:106分
監 督:クレイグ・ギレスピー
出 演:ライアン・ゴズリング、エミリー・モーティマー、ポール・シュナイダー、ケリ・ガーナー、パトリシア・クラークソン、R・D・レイド、ナンシー・ビーティ、ダグ・レノックス、ジョー・ボスティック、リズ・ゴードン、ニッキー・グァダーニ、カレン・ロビンソン 他
ノミネート:【2007年/第80回アカデミー賞】脚本賞(ナンシー・オリヴァー)
【2007年/第65回ゴールデン・グローブ】男優賞[コメディ/ミュージカル](ライアン・ゴズリング)
【2007年/第13回放送映画批評家協会賞】主演男優賞(ライアン・ゴズリング)、脚本賞(ナンシー・オリヴァー)
コピー:彼が恋に落ちたのは… 等身大のリアルドール!

アメリカの小さな田舎町。そこに住む26歳のラースは町の人から“ミスター・サンシャイン”といわれるほど、心優しき青年。ラースは、兄夫婦が住む家のガレージを階層した部屋に一人で住んでおり、友人も少なく、特に女性と話すこともままならないくらいシャイで、兄夫婦はそんな彼をものすごく心配していた。そんなある日、ラースは突然兄夫婦に、インターネットを通じて知り合った女性を紹介すると告げる。二人は驚きつつもすごく喜んだのだが、ラースがつれてきた女性は、何とインターネットで購入した等身大のリアルドール。ラースは“彼女”をビアンカと呼び、元宣教師でブラジルとデンマークのハーフで、足が不自由だと紹介する。困惑した兄夫婦は精神科医に相談するが、医者は当面ラースの妄想に話を合わせることを薦める。そこで、町の人たちにも事情を説明し、協力を仰いて、“ビアンカ”を生身の女性として扱うことにするのだったが…というストーリー。

一応コメディにカテゴライスしたが、笑うための作品ではない。そして、リアルドールを前面に出しているとはいえ、決してゲテ物作品ではないということ。

簡単に言ってしまえば、人生における“通過儀礼”の物語。人との関わりを苦痛に感じる男ラース。それは精神的なものじゃなく、物理的な苦痛を伴うほど。ライアン・ゴズリングの演技がなかなか良い。単に精神的にトラブルを抱えた、簡単にいってしまえば頭のおかしくなった人…とは、思えない微妙な線を演じきっている。

なんでラースはそういう考えを持つようになってしまったのか…ということが、ゆっくり、ゆっくり紐解かれていく。“ラブ・ドール”を愛でるラースの目線は、変態のそれではなく、人であるという確信を伴う。それを、“病気だから”と受け止める町の人々。もちろんはじめは笑いの種になるけれど、元々ラースに悪い感情を抱いていないし、小さい町だからなのか、案外うまくいってしまう。

コミュニケーション障害が現代病といえるかどうかはわからないけれど(昔からあったとは思うよ)、社会的に求められるコミュニケーション技術が多様で複雑になっているのは事実だと思う。そういう観点からも、なんとなく観客も許容できるし、ラースが素朴でピュアだからこそ、突拍子もない内容ながらもこのシナリオが受け入れられる要因になっていると思う。

私がイマイチ消化しきれていないのは、単に、ラースが病気だから…という理由だけでお、町の人たちがそこまでするか?という点。彼らも、その人形を通して、何かを得ているのでは?ということ。別に、病院のボランティアの仕事を与えたり、そこまでする必要はない。いや、ラースの手前そうしたとしても、実際に子供の中に放り込む必要はないわけだ。
何故そこまでするのか。そうすることで、町の人々も何かのロールプレイをしていたんだろうと思う。そのロールプレイとは何なのか。他者への無償の献身かな…と思うのだが、それ以上の何かがあるような気もする。
#途中でテディベアに救命処置を施すシーンがあるが、あれも繰り広げられていることがロールプレイである証拠の一つだと思う。

大人になるために通過儀礼を経ていないラースなので、ビアンカとの関係は、無意識にプラトニックなものに留まっている…という設定。それが無意識だ…っていうところがミソ。まあ、映画としてはこのラインを死守したことが、作品が成立した要素だったかも(さすがにこの線を越えたら、ただの変態映画になっちゃうものな)。

途中で、出てくる両親の墓が、一つのヒントになっていて、お母さんがすごく早くなくなっているということ。兄は母親の死を受け止めて、必死に母の代わりをしようとする父親との軋轢も経験している。でも弟のラースは、年齢的にもっと小さかったので、それに対する軋轢はなくて、案外、表面的には素直に受け入れてしまったに違いない。
兄は、弟ラースに対して、自分が逃げてしまったことを誤るのだが、そのシーンを見ても、ラースがいまいちピンときていない様子が伺える。むしろ、兄の謝罪を聞いて、それって問題だったのか…と改めて気付かされている感じ。

そういう“あたりまえ”が自分にはなかったことに気付くにつれ、“彼女”ビアンカとの別れが加速してく。途中から、町の人がビアンカを単独でパーティに連れ出そうとするあたりから、ビアンカとの口げんかが始まる。“ミスター・サンシャイン”だったかれは、おそらく初めて女性と対立する。
無意識にビアンカとの別れを選択…というか、ロールプレイしている感じ。里子に出された子供が、母親の肩口に乗っかって下にすべる落ちるアクションをしたりするのを思い出した(生まれてくる様子を無意識に再現しているらしい)。その、無意識にビアンカを葬ろうとしている彼の選択が、ちくちくと観ている人の心を刺激する。

そして、当初は困惑していた兄夫婦が(特に妻が)、ビアンカを葬り去ろうとしているラースの行動に逆に困惑してしまうという状況が滑稽でもあり、せつなくもある。子供の成長にとまどう親の姿に似ているが、とまどっている当の本人たちが、実際に出産を間近に控えているというのも、一つの隠喩かもしれない。

きっと、私の心も多かれ少なかれ、何かを忘れてここまで生きてきたから、この作品に何かひっかかりをおぼえるんだと思う。他の作品にはない、滑稽さとせつなさが絶妙にミックスした作品。人の成長ってなんだろうな…と考えさせられる作品。強くお薦め。

 

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クボタカユキ
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出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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