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公開年:2002年
公開国:オーストラリア
時 間:94分
監 督:フィリップ・ノイス
出 演:エヴァーリン・サンピ、ローラ・モナガン、ティアナ・サンズベリー、ケネス・ブラナー、デヴィッド・ガルピリル 他
ノミネート:【2002年/第60回ゴールデン・グローブ】音楽賞(ピーター・ガブリエル)
コピー:お母さんに会いたい
1931年、アボリジニの少女モリーは妹のデイジーと従姉妹歳のグレーシーたちと平穏な日々を送っていたが、時の政府のアボリジニ保護政策によって拘束され、母親から引き離され施設に強制収容された。粗末な環境で、白人社会へ適応するための厳しい教育が始まったが、たまりかねた彼女たちは脱走。延々続くウサギよけフェンスの先にある母の待つ故郷へ向けて1500マイルの道程を歩き始める…というストーリー。
はじめから、原住民への権利侵害を糾弾する目的が前に出すぎていて、まず映画として楽しむことが阻害される。本国ではどうだったか知らないが、日本での紹介文もそれが前面すぎて、よほど社会的な問題に興味のある人でなければ躊躇してしまう(日本の配給会社は、わざと観る人を減らそうとしているのだろうか)。
私は、本作は、脱走劇かつロードムービーとして充分成立していると思う(というか成立さることができたと思う…が正しいか)。観すすめていくうちに、何をどうひっくりかえしても、オーストラリアの原住民政策に憤りを感じずにはいられないのだから、それは奥底に沈めて、映画としてのおもしろさを追求すべきだったと思う。
アメリカの人種差別政策などと比較すると、あまりにも現在進行形感があるので、特に現地公開の映画と考えると、そういう立場はとりにくかったことは、理解するのだが、その踏み切れなさが映画のクオリティを下げてしまい、結局、原住民政策を世に問うという効果さえ薄れさせてしまった。
まあ、1点だけ本作から教訓を得た(といってもあくまで自論の域を出ないが)。こういう文化や武力の圧倒的な差をもって迫害・侵略された場合、妥協なしに対立するか、徹底的に(攻めてきた側がひるむくらいに)迎合するかのどちらか以外の行動をとってはいけないということだ。本作のアボリジニのように、中途半端に配給をうけるような行動だけは、最悪の結果を招く、、、ということだ。
100%そうだとは言わないが、戦後日本は、欧米文化を狂ったように受け入れたことで、今があるのだ。だからといって日本文化が消滅したか?といえばそうではないのは言うまでも無い。おそらく徹底抗戦よりも、相手を取り込んでとことん喰い尽すことが正解なのだろうな、、と思う。
閑話休題。本作は映画としては二流の線を届くか否かのギリギリのレベルである。こういう社会問題に興味がないのであれば、特に観なくてもよいだろう。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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