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公開年:1968年
公開国:イギリス
時 間:135分
監 督:アンソニー・ハーベイ
出 演:キャサリン・ヘプバーン、ピーター・オトゥール、ティモシー・ダルトン、アンソニー・ホプキンス、ナイジェル・テリー、ジョン・キャッスル 他
受 賞:【1968年/第41回アカデミー賞】主演女優賞(キャサリン・ヘプバーン)、脚色賞(ジェームズ・ゴールドマン)、作曲賞(ジョン・バリー)
【1968年/第34回NY批評家協会賞】作品賞
【1968年/第26回ゴールデン・グローブ】作品賞[ドラマ]、男優賞[ドラマ](ピーター・オトゥール)
【1968年/第22回英国アカデミー賞】主演女優賞(キャサリン・ヘプバーン)、作曲賞[アンソニー・アスクィス映画音楽賞](ジョン・バリー)
1183年のクリスマス・イブの夜。西ヨーロッパ全土を勢力化に納めるイングランド国王ヘンリーは、肉体的に壮健ではあったが、50歳を迎えて後継者のことを考えざるを得ない。しかし、家族は絶えずヘンリーに対し反乱を繰り返し、フランス王とも領土問題で長年争っている状態。いよいよこの問題に終止符を打とうと、軟禁中の妃エレノア、息子のリチャード、ジェフリー、フランス王のフィリップを自分が滞在するシノン城に呼び寄せる。ヘンリーが後継にと考える末子のジョン、そして愛人のフランス王女アリースを加え、彼らの駆け引きが繰り広げられる…というストーリー。
実をいうと、プランタジネット朝とかアンジュー帝国とか、このあたりの歴史知識は乏しくて、正直言うとピンときていない。実におはずかしい限り。婚姻やら何やらで領地が行ったりきたりしてる状態で、現在の国の概念とはまるで異なるからね。実際、本作におけるヘンリーの版図もイングランドとフランスのそれぞれの文化が混在しているわけだし、本当に苦手な時代なのだ(こんなだから歴史の教員にはなれないわけである)。当時の王様の生活レベルはこんなものなんだな…と、歴史の雰囲気を掴む意味ではいい教材になる作品ではあるけれど。
設定は史実に基づいているようだが、これを歴史劇といってよいのかどうか。たしかに背景は忠実と思われるが、愛と欲と憎しみが絡み合ったお家騒動の1日を、丁々発止のやりとりで見せる作品であって、歴史的なおもしろさを見せたいわけではない(元は舞台劇らしいね)。はじめ、「ちょっと舞台背景がよくわからないぞ…」と臆していたのだが、そこは別に知らなくてもどうでもいいのか…と気づくと少しは楽に観られるようになった。
字幕の訳のせいかもしれないし、単に感覚的に理解できないだけかもしれないが、肝心の跡継ぎ争いの駆け引きでニュアンスのわからない部分がけっこう多く、「それってどういう理屈?」って首をかしげることも。舞台劇を観馴れている人にはOKなのかもしれないけれど、最後のノリなどは、私には理解不能。このラストに限らず、どう愉しめばいいのか困惑してしまう部分が満載だったのも事実である。
受賞歴的には、キャサリン・ヘプバーンの方が評価は高いようだが、ワタクシ的にはやりすぎな印象で、どちらかといえばピーター・オトゥールら男優陣の演技のほうが共感をもてた(アンソニー・ホプキンスだと、はじめ気づかなかったんだけどね)。
登場人物の行動に気持ち悪さも感じるし、ジョンのバカっぽさの演出も田舎くさい演出に思える。同年代の作品で今観てもさほど古く感じない作品は多々あるが、本作はものすごく古臭さを感じる。こういう展開や終わらせ方は現在では許されそうになく、色んな意味でハードルが高い作品で、非常にお薦めしにくい。
公開年:2009年
公開国:アメリカ
時 間:105分
監 督:ショーン・レヴィ
出 演:ベン・スティラー、エイミー・アダムス、ロビン・ウィリアムズ、オーウェン・ウィルソン、リッキー・ジャーヴェイス、クリストファー・ゲスト、ハンク・アザリア、アラン・シャバ、ビル・ヘイダー、スティーヴ・クーガン、ジョン・バーンサル、ミズオ・ペック、パトリック・ギャラガー、ジェイク・チェリー、ラミ・マレック、エド・ヘルムズ、ジョナ・ヒル、ケヴィン・ジョナス、ジョー・ジョナス、ニック・ジョナス、ユージン・レヴィ 他
ノミネート:【2010年/第19回MTVムービー・アワード】コメディ演技賞(ベン・スティラー)
コピー:歴史も宇宙も美術も!世界最大の博物館が動き出す!!
前作から数年後。警備員だったラリーは発明グッズで起業して成功。息子との関係も良好となり多忙な日々を送っている。しかし、自然史博物館が改装されることとなり、展示物たちはスミソニアン博物館への移送が決定。“魔法の石版”の力で毎晩自由に動き回っていた彼らも今日で普通の展示物に戻ることに。どうすることもできずに失意のラリーのもとに、ミニチュアカウボーイのジェデダイアから助けを求める電話が。移送の際、自然史博物館に残されるはずだった石版が一緒に運ばれてしまい、スミソニアンの展示物も蘇ってしまったというのだ…というストーリー。
前作はなかなか愉しい作品だったが、続編の本作はいかにも二番煎じという評判しか聞こえてこなくて、これまで食指が動かず。何気にレンタルしてみたのだが、ハードルが低かったせいか非常に楽しめた。確かに基本コンセプトは愚直なまでにまったく一緒で、二番煎じに違いはなかったが、グっとスケールアップしているし、なんといっても悪ノリ具合は三倍は強化されている。ラリーとカームンラーの“ここから入っちゃダメ”みたいなやりとりは、まあ日本人はやらないくだりで、そういうのも結構新鮮だったりする。
ルーブルとスミソニアンとエルミタージュは死ぬ前に行きたいと常々思っているので、個人的にはワクワク度アップ。あまりに大騒ぎしすぎなので、スミソニアンの警備システムが機能しないはおかしいんじゃ…とか、なんで破損したものまで戻っちゃうの?とか、展示物とのラブロマンスもそんな顛末でいい訳ぇ?とか、ご都合主義が目白押しの展開でも気にならない。
まあ、オスカーとベイダー卿のくだりまでやってしまったら、このノリでの続編はさすがに難しいと思うので、ベン・スティラーによる『ナイト ミュージアム』は本作で見納めでだとは思う。前作ではおさえ気味だったベン・スティラー特有のノリも完全に解禁状態で、鼻に付く人もいるかもしれないけれど、まあ、それなりにやりきったともいえるので、一定の評価は与えていいシリーズだと思う。親子で楽しめるとても好感がもてる作品なので、軽くお薦め。さすがにスミソニアンにはいけないけど、上野には行きたくなった。
エイミー・アダムスという女優、どこかでみたなあと思っていたら、ついこのあいだ観た『ダウト~あるカトリック学校で~』のシスターじゃないすか。ああ、それよりも『魔法にかけられて』の人じゃないすか。あれ、たいした役者じゃないように見えて、個を消してしっかり演じきってるいい役者のかもしれない。もしかして大化けするかもしれない。
オーウェン・ウィルソンは所々本人じゃないようにに見える場面が多々あり違和感もあるが、それよりも、なぜ前作でクレジットがないのか非常に不思議だね。
公開年:2008年
公開国:フランス
時 間:93分
監 督:ピエール・モレル
出 演:リーアム・ニーソン、マギー・グレイス、リーランド・オーサー、ジョン・グライス、デヴィッド・ウォーショフスキー、ケイティ・キャシディ、ホリー・ヴァランス、ファムケ・ヤンセン、ザンダー・バークレイ、オリヴィエ・ラブルダン、ジェラール・ワトキンス、ニコラ・ジロー、カミーユ・ジャピ、ゴラン・コスティッチ 他
コピー:父の愛が、パリの街を暴走する。
長年、アメリカの秘密工作員として活躍してきたミルズだったが、現在は引退しボディガードのアルバイトなどで細々と暮らす日々。現役時代に家庭を顧みなかったため離婚しており、すでに別れた妻は裕福な夫と再婚、娘もその元で暮らしている。ある日、親友とフランス旅行へ行きたいので許可がほしいと娘に懇願され、渋々承諾。しかし、現地に到着した娘から、滞在するアパートに男たちが乱入してきたとの電話が掛かってきて、その一部始終を伝えていた娘は結局連れ去られてしまう。ブライアンは娘の奪還と犯人への復讐を決意し、単身フランスへ。事件発生から96時間を過ぎると被害者の救出が不可能という情報を元に、犯人と思われるアルバニア系の人身売買組織への捜査を開始するのだったが…というストーリー。
すでに別れた夫の許可がなぜ必要なのかよくわからん(パートナーだが再婚はしておらず、親権はいまだ半々だから?欧米の離婚事情ってそんなもんか?)というのは脇に置くとして…。
『スター・ウォーズ エピソード1』とか『ギャング・オブ・ニューヨーク』とか、最近ならば『タイタンの戦い』とか、決してアクション物の出演が少ないわけではないリーアム・ニーソンであるが、地がお上品なのためか、あまりフィジカルなアクションを駆使しているイメージがない。本作では、それこそスティーブン・セガールばりのマーシャルアーツ的なアクションの連発で、なかなか新鮮。若干、重く見えるそのアクションは、くたびれたオヤジが娘のために奔走するという感じにつながっていて、逆にリアル。主題を考えると、実に適役といえる。
製作がリュック・ベッソンだからか、無駄な場面がとても少なく、展開がものすごく快調で息をつく暇もない感じ。相手の犯罪組織には、いささかの情をかける要素も存在せず、完全なる勧善懲悪モノである。フランスにいってからは、それこそヤッチマイナ!的な感覚しか沸かず。そして実際にバンバンとにかくやっつけてくれるので、とてもストレス解消になる。旧友の嫁さんへの扱いなんか、まあブっ飛んでいて非常によろしい。いや、もう、ストレス解消を目的につくられたとしか思えない。1時間以上、そりゃ!いっちまえ!こんにゃろ!って、ずーっとそんな感じだった。久々に、ムチャなアクションとと現実線の興醒めしない加減を表現してくれている作品かと。
主人公と昔の仲間以外は全員阻害要因というのは、いささかやりすぎの気もしないではない。敵やかつての旧友どころか、妻まで憎たらしい(ファムケ・ヤンセンが小汚いババアを良く演じている。いや、X-MEN3の時からいまいち汚れぎみか)。それどころか、肝心の救うべき娘ですら、こんなに言うことを聞かないんなら、痛い目にあわせりゃいいんじゃね?くらいの気持ちになってしまう。娘LOVEはわかるのだが、正直、最後は頭の一つも小突いてほしい気持ちにはなったが…。
まあ、欧米作品ではありがちだが、一緒にいった友達の安否などだれも気にしていないという、自分勝手さ。私の嫌いな『ホステル』が若干よぎるくらいである。この製作側のおめでたさには、甚だ呆れる限りなのだが、ストレス解消という目的のためなら許容範囲か。でも、非常におもしろかったので続編は十分考えられるはずなのだが、この“雑さ”が続編製作を阻害するかもしれない。
拾い物だった。秋の天候のすぐれないモヤモヤした気分どころか、仕事のイライラまでをすっきり晴らしてくれた気がする。大満足。お薦めする。
公開年:2008年
公開国:アメリカ
時 間:100分
監 督:アダム・シャンクマン
出 演:アダム・サンドラー、ケリー・ラッセル、ガイ・ピアース、ラッセル・ブランド、リチャード・グリフィス、ジョナサン・プライス、コートニー・コックス、ルーシー・ローレス、テリーサ・パーマー、ローラ・アン・ケスリング、ジョナサン・モーガン・ハイト、ニック・スウォードソン、キャスリン・ジューステン、アレン・コヴァート、カーメン・エレクトラ、ティム・ハーリヒー、アイシャ・タイラー 他
コピー:ファンタジーが、あふれだす。
子供たちに語らせてはならない…。
昔、父親が経営に失敗し手放してしまったホテルに、雑用係として長年勤務するスターキー。ある日、長年疎遠だった姉ウェンディの子どもたちを預かることになる。夜、幼い姉弟にお話をねだられ、いい加減なな思いつきで話はじめると、子どもたちもノッてきて、話を横取りして勝手にストーリーを展開してしまう。すると翌日、子どもたちが作ったストーリーが現実となってしまう。はじめは偶然だと思っていたが、毎夜子どもたちにストーリーをいじられ、翌日ピンチに見舞われる繰り返しで、逆に利用しようと考えたのだが…というストーリー。
公開時の宣伝を見たかぎりでは、『ジュマンジ』や『ザスーラ』と同じような内容にしか感じられなかった。なんで、何度も同じようなことばかりやるのかバカじゃなかろうかと思っており、レンタルがはじまっても観ようとはしなかったのだが、つい何気に手に取ってしまった。観ると『ジュマンジ』や『ザスーラ』とはテイストが違った。どちらかといえば『もしも昨日が選べたら』に近い(主演も同じだし)。これは宣伝力の至らなさ以外のなにものでもなかろう。
冒頭の、ホテルを手放す件や、じいさんのナレーションが説明的な部分など、妙にファンタジー的な雰囲気をつくろうとしているのが、実に鼻について、もう観るのを止めようかと思ったのだが(実際に、一回中断したのだが)、時間が現在に移りアダム・サンドラーが登場すると、途端に楽しく観られるようになる。簡単にいってしまえば、いつものアダム・サンドラーのコメディー作品で、それなりに及第点に仕上げられている感じ。ある意味、米コメディのお約束的な作品で、逆に安心して観られるくらい(『ヘアスプレー』の監督なのね。かなりノリは違うけど)。
ただ、根本的な部分で、微妙な点が。というか、私の趣味にあわない演出がある。
お話と同じ出来事が発生するわけだが、それはあくまで偶然なんだよ…という方向にもっていくこともできたはずである。しかし、本作ではマジカルな力が働いているという内容に倒した。しかしどういうマジカルなのかは判然とさせてはいない。力の根源としてモルモットを出しているのかと思いきやそうでもなさそうで、肝心の部分が中途半端でイマイチである。そこは別にノリでさらっと流せばいいんじゃないの?という意見も聞こえてきそうだが、気にならないほどいいノリでもないし、単純にストーリーの練りが甘いだけなのでは?という気がするのである。私なら、あくまで偶然というラインを貫くのだが…。
とはいえ、大人も子供も観れるファンタジー&コメディー作品としては及第点は超えているので、ヒマつぶしにはもってこいの作品。まあ、ディズニーらしいっちゃあディズニーらしい勧善懲悪のお約束作品。
公開年:2009年
公開国:アメリカ
時 間:100分
監 督:ヘンリー・セリック
出 演:ダコタ・ファニング、テリー・ハッチャー、ジョン・ホッジマン、イアン・マクシェーン、ドーン・フレンチ、ジェニファー・ソーンダース、キース・デヴィッド、ロバート・ベイリー・Jr 他
ノミネート:【2009年/第82回アカデミー賞】長編アニメ賞
【2009年/第67回ゴールデン・グローブ】アニメーション作品賞
【2009年/第63回英国アカデミー賞】アニメーション賞
【2009年/第15回放送映画批評家協会賞】長編アニメ賞
コピー:扉のむこうは理想の世界。でも気をつけて。かなえてはいけない願い事がある。
園芸記者の両親と暮らすコララインは、最近ピンク色の古いアパートに引っ越してきたばかり。まだ友達もいないし、仕事で大忙しの両親はかまってくれないし、退屈でしかたがない。仕事の邪魔ばかりするコララインに困り果てた父親は、家の窓とドアを数えるように彼女に命じる。つまらないとは思いつつも退屈しのぎに数えていると、不思議な扉を発見。しかし、その扉を開けてもそこにあったのは壁でがっかりしてしまう。その夜、扉から物音がするので開けてみると細い洞窟が。その先には、現実の世界よりもすばらしい理想の家庭があった。その世界の両親の目がボタンで出来ている以外は…というストーリー。
『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』のスタッフによる作品というのもウリ文句の一つだったらしいが、『NBC』好きの私の記憶にないってことは、よほど興味が沸かない作品だったということか。公開時は3D作品だったらしいし(DVDは2D)。
まあ、ポスター等を見てもひっかからなかった理由は明白である。まず、『NBC』と同じ手法のストップモーションアニメには見えず、普通のアニメ作品かと誰もが思う。もうすこし人形なんだということを強調しないと、伝わるわけがない。また、主人公のコララインの顔のデザインが、中途半端にアニメチックでさらにかわいらしさがない。『NBC』のキャラは、むしろ表情が乏しいデザインだったり、気持ち悪かったりするのだが、それを補うような動きをさせたおかげで脳内補完が行われ、逆に感情豊かに感じられたものだが、コララインについては表情のつけやすいデザインにしたおかげで、それに頼ったせいで動きが乏しくなり面白みに欠けてしまう結果に。しかし、コラライン以外のキャラデザインは、『NBC』並に味のあるデザインなので、子供がとっつきやすいキャラにしようと、多方面から横槍がはいった、くだらない会議の産物であることがよくわかる。こいうのは、少数の強烈な個性をもったスタッフを中心に進めていかないと、おもしろさの渦みたいなものは生じないのだ。
さらに正直にいうと、かなり最後のほうまで、“人形アニメを模した3Dアニメ”だと思って疑わなかった。こういう手法も逆に新しいなぁ…なんて思っいたくらい、動きがスムーズすぎた。ラストに近づくにつれて(というかアクションシーンが増えてきて)、カクカクしたシーンが増加。違和感を感じてネットで調べてみると、ストップモーションアニメであることが判明したという次第である。もしかするとコンピュータによる画像処理が加えられえいるのか、あまりにも技術が高みに到達してしまったせいなのか。あまり綺麗なデキというのも逆に味がなくなるものだなと。
デザイン的、技術的な難点はそのくらいで、まったく期待していなかったストーリーがなかなか秀逸で、かなり楽しめた。どうやら、原作は有名な児童文学らしい。
サブキャラの扱いや隠喩を多分に感じさせるストーリーなど、若干テリー・ギリアム的な匂いを感じなくは無い。観ていて『Dr.パルナサスの鏡』なんかがちらっと頭をよぎった。
DVDジャケットをみて、凡庸なアニメだと判断する人が多いだろうが、印象から予想されるデキの倍は愉しめることは保障する。軽くお薦め。
公開年:1992年
公開国:アメリカ
時 間:90分
監 督:ジョン・マスカー、ロン・クレメンツ
出 演:スコット・ウェインガー、リンダ・ラーキン、ロビン・ウィリアムズ、ギルバート・ゴットフリード、ジョナサン・フリーマン、フランク・ウェルカー、ダグラス・シール サルタン、ブルース・アドラー 他
受 賞:【1992年/第65回アカデミー賞】作曲賞(アラン・メンケン)、主題歌賞(“Whole New World”作曲:アラン・メンケン、作詞:ティム・ライス、“Friend Like Me”作詞:ハワード・アシュマン、作曲:アラン・メンケン)
【1992年/第18回LA批評家協会賞】ベスト・アニメーション(ロン・クレメンツ、ジョン・マスカー)
【1992年/第50回ゴールデン・グローブ】音楽賞(アラン・メンケン)、歌曲賞(“A Whole New World”作曲:アラン・メンケン、作詞:ティム・ライス、“"Prince Ali”作詞:ハワード・アシュマン、作曲:アラン・メンケン、“Friend Like Me”作詞:ハワード・アシュマン、作曲:アラン・メンケン)、特別賞
【1993年/第2回MTVムービー・アワード】コメディ演技賞(ロビン・ウィリアムズ)
砂漠の都市アグラバーで、コソ泥で生計を立てている青年アラジン。ある日、宮殿を抜け出した皇女ジャスミンと偶然出会い仲良くなるが、アラジンは窃盗の罪で捕まってしまう。するとアラジンの前に老人が現れ、牢から出すかわりに、とある洞窟の奥にあるランプを取ってこいという。指示通りにランプを手に入れるが、そのランプを擦ると中から魔人ジーニーが出現。ジーニーは、三つの願い事をかなえてやると言うのだったが…というストーリー。
いつも、ミュージカル映画批判ばかりしているくせに、実際にミュージカルの舞台をしっかり見たことが無いな…と思い、殊勝にも、数ヶ月前に浜松町へ行って劇団四季の『ライオンキング』を観てきた。よし、アニメと比べてやろうと思っていたのだが、なんと近所のレンタルショップに『ライオンキング』のDVDがない(2はあるのに)。まあ、その代用というわけではないのだが、『アラジン』のDVDを知り合いから借りた。TDRのアトラクションは見たことがあるが、実際に作品を観るのははじめて。
#まあ、『ライオンキング』はいずれ、別の店で見つけよう。
アラジンと魔法のランプなど、内容はおおよそ把握しているし、たいして期待していなかったのだが、どうしてどうして。大筋のストーリーはもちろん、細かいやり取りもありがちな展開のオンパレードなのに、それなりにハラハラと興味が尽きることがないあたりは、とても素晴らしい。大人でも子供でも楽しめる立派なエンターテイメント作品であると、認めないわけにはいかないデキ。
事情はあれど、主人公がコソ泥棒という、教育上、若干微妙な作品(笑)なのだが、とにかくノリがよいので気にもならない。まあ、子供にとってはラブロマンスなど、さほど興味もないだろうから、主役はジーニーみたいなもんだろう。そのコミカルなアクションこそ、本作の魅力の半分近くを占めているといってもよい。
CG全盛の今となっては、セルの柔らかさも実に味があってよろしく感じられ、好きな人はものすごくハマるんだろうなと思う。アニメと侮るなかれ。未見ならば観て損はない作品。またTDRにいきたくなるという、ディズニー戦略にまんまとハマる私であった。
ところで、吹替えで観たのだが、アラジンの声は、「ああ、劇団四季かなんかの俳優が声優やってるのか?」を思っていたら、最後のクレジットで羽賀研二の名が。ん?そうは聞こえなかったのだが…(もしかして、ものすごくうまいのか?)。ただ、録音が悪いのか、ミキシングのバランスが悪いのかわからないが、セリフの音質や音量はいまいち違和感がある。吹替え派としては、そこは残念な限りである。
公開年:1972年
公開国:イタリア、イギリス
時 間:121分
監 督:フランコ・ゼフィレッリ、ジュディ・ボーカー
出 演:グラハム・フォークナー、アレック・ギネス、リー・ローソン、グレアム・フォークナー、ジュディ・バウカー、ヴァレンティナ・コルテーゼ、ジュディ・ボーカー 他
受 賞:【2009年/第30回ラジー賞】ワースト作品賞、ワースト監督賞(マイケル・ベイ)、ワースト脚本賞(アーレン・クルーガー、ロベルト・オーチー、アレックス・カーツマン)
12世紀イタリアのアッシジ。染め織物で財を成した商人の御曹司フランチェスコは、何不自由ない生活をおくっていたが、名声のために騎士になろうと思い立ち戦争に参加する。しかし、捕虜となり、さらに病気にかかるなどしたため家に戻り療養する日々。療養の中で、これまでの自分を振り返り改心が始まり、ついには信仰に目覚め何もかも捨てての伝道生活に入っていくのだったが…というストーリー。
修道会のフランシスコ会の創設者で、聖人の列せられており、カトリック信徒ならば随喜の涙を流すような人物。カトリックの歴史において、その後の法王選出システムの礎となるなど、重要なポイントでもある。でも、実話ではあるのだが、予備知識もなにもなければ、まるでフィクションか?と感じるような演出が多々ある(歌とか)。日本で言えば鎌倉時代という古い話だし、端はしの描写が史実かどうかが甚だ怪しい上に、そもそも史実に則ろうという製作姿勢があまり見られないのが、その理由だと思う。そういう意味では、本作の描写を史実であると素直に受け取ってしまう可能性も高く、注意が必要な作品といえる。簡単にいってしまえば、フランシスコ会の賛美をしようという意図が強い映画ということ。
では、カトリックではない人間は愉しめないかというと、そうともいえない。私はクリスチャンではないので、彼らの行動が正しいとも思わないし、もちろん神々しいとも思わないが、既存の宗教組織や常識に抗う姿を、「これからどうなっちゃうの?」とハラハラする場面もあれば、そりゃああんたらやられて当然だろうさ…と思う場面などもあり、飽きることはなかった。
見も蓋もない言い方をしてしまえば、放蕩息子が神様に目覚めて家族に不義理をする話なんだけど、観ている最中、これって何か仏法説話みたいだ…と思えて仕方がなかった。老人や病人や人の死に接して開眼してしまうとか、裕福な両親のスネをかじっていたポンコツ息子が、ある日、つらっと「わたくし目覚めましたわ!」とか(悪人正機説かいな)。それに、フランチェスコは、修道会と一般信徒の会と、僧と信者の組織を分け、それぞれが別の会則で運営される。本作でフランチェスコが言うように、人のすべてが結婚しなければ人類は滅んでしまうわけで、キリストのような厳しい戒律は修道会にのみ適用されるのだが、仏教における僧と在家の関係に非常に似ているなどなど…。巨大宗教成立の過渡期に見られる共通性というのが、非常に面白く感じる。
フランチェスコは、突然に家財を放り投げ「富があるからいけない」と叫び、親を非難し、出家するのだが、この時点では市井の人も富を捨てろといっている。過度の資産の蓄積を罪悪とするのは、案外、資本主義の原則に則っていて問題がないのだが、問題は適切な富と悪い富の境目はどのへんなのか?という点がぼやんとしているのである。僧たちは清貧を気取っていればよいのだが、市民もそれを行えと?結婚についての見解もそうだったが、彼は市民にそこまでも求めては無いはずである。では?と考えると、非常の面白い。その後、彼らは街から離れた場所にコミューンをつくるのである。つまり必要最低限の財産は共有するということ。これは共産主義がキリスト教の一派であるという指摘を証明してはいないだろうか。
で、ネタバレだけど。
最終的に法王までが彼らの行動に感動して、承認を与えるわけだけど、これを理路整然と否定できなかったことこそ、カトリックから資本主義が生まれない括弧たる理由なのである。私のような異教徒から見れば、穀潰しのガキが突然もっともらしいことを思いついて、その世間知らずっぷりを発揮して、もっともらしい意見でやりきってしまったというコメディにしか見えないのだけれど。
とにかく、清貧というなんとなくの美名に踊らされるのは罪である。むしろ富を悪と見るということは、富に力があることは認めておきながら、その力が何なのか、その力を正しく利用する方法はないのか?ということを、はじめっから放棄するという非科学的な行為の他ならない(カトリックは非科学の先鋭だから、こうなるのはもっともなのだが…)。その短絡的なロジックは、”マンガは教育に悪影響!”と同じレベルであり、思想的な深みや思慮に著しく欠けていると私は思う。
偏見でもなんでもなく、これを観て素直に感動できちゃう人て、私にとってはちょっとお付き合いしにくい人かもしれないな…、などと、なかなか考えさせられた映画であった。おもしろいよ!とお薦めは絶対にしないけど、世界には様々な考え方の人がいるということを肝に銘じるには、適した映画かも。
公開年:2009年
公開国:アメリカ
時 間:134分
監 督:クリント・イーストウッド
出 演:モーガン・フリーマン、マット・デイモン、トニー・キゴロギ、パトリック・モフォケン、マット・スターン、ジュリアン・ルイス・ジョーンズ、アッジョア・アンドー、マルグリット・ウィートリー、レレティ・クマロ、パトリック・リスター、ペニー・ダウニー 他
ノミネート:【2009年/第82回アカデミー賞】主演男優賞(モーガン・フリーマン)、助演男優賞(マット・デイモン)
【2009年/第67回ゴールデン・グローブ】男優賞[ドラマ](モーガン・フリーマン)、助演男優賞(マット・デイモン)、監督賞(クリント・イーストウッド)
【2009年/第15回放送映画批評家協会賞】作品賞、主演男優賞(モーガン・フリーマン)、助演男優賞(マット・デイモン)、監督賞(クリント・イーストウッド)
コピー:ひとつの願いが、ほんとうに世界を変えた物語
南ア。1990年、27年間投獄されていたネルソン・マンデラが釈放され、その4年後の南ア初の全国民参加による総選挙にて大統領に就任する。しかし、アパルトヘイトは撤廃されたものの、白人と黒人の対立と経済格差は依然として存在し続けた。国民の統合こそが南アの未来であると確信する大統領は、1995年に南アで初開催されるラグビーW杯を和解と融和のチャンスと考えた。国際的な非難のために長らく国際試合に出ることができず弱小化した代表チームのキャプテン・フランソワを官邸に招き、国民の統合のためにW杯で優勝を目指すよう訴えかける。難しいとは思いつつも、大統領の信念に心打たれたフランソワは優勝目指してチームを引っ張っていくと決めるのだったが…というストーリー。
実話とはいえ、あまりにも出来過ぎなため、逆に映画にするには憚られるところなのだが、そこはクリント・イーストウッド。よくまとめあげたと思う。これまで、いくつもの心動かされる作品を世に送り出してきた彼だが、アクの強い作品ばかりだったのも事実。しかし、本作はめずらしくストレートな感動作である。彼も老いて丸くなったか?と穿った見方をしてしまいそうだが、色々満足がいくまでやリ尽くした先の達観の域ということだろう。
これまでノーベル平和賞を受賞した人物の中で、マザー・テレサとネルソン・マンデラは別格である。もうしわけないが、何も成していないのに受賞しておめおめと受け取ってしまったオバマなんか、ハナクソみたいなものである。マンデラの人生は、その身におこった出来事を並べていくだけでも、充分ものすごい映画ができあがり感動するのは必至なのだが、それを単純にやらなかった点も評価したい。
マザー・テレサとネルソン・マンデラの共通点は“赦し”だろう。自分を投獄し続けた白人には決して復讐しようとはせず、彼らを赦し寛容にも受けれようとする。それは、国家運営上のポーズではなく、その怒りに端を発する行動が何も生まないこと、意味のないことであることを、悟っている故であるのが(私にはそう見えるけど)、またすごいところである。
こういう“赦し”の行為こそ、国際紛争の解決の基盤となるもので、加害者側にとっても被害者側にとっても、これ以上の未来を切り開く術はない。しかし、だからといって、加害者側はもちろん他者が、被害者に対して「いい加減、赦せよ」といっても、そうはならないのが難しいところ。あくまで被害者側が、自分の恨みの心の先に何も無いことに気づかない限り発生しない。これは、狂い死にしそうになるくらい本気で恨み、なぜその恨みゆえに自分が苦しむのか?と、とことん考えつくさないかぎり到達し得ない。中途半端に何となく雰囲気で恨んでいるようでは、絶対にその境地にはたどり着かない。中国や韓国にそれを臨むのは無理なんだよなぁ。
また、加えて残念なのは、南アの人々が、マンデラの言っていることをイマイチ理解できていなさそうなところである。南アも日本と同様、基本的にキリスト教社会ではない。赦しにくわえて、労働がただの食い扶持を稼ぐ行為ではなく、他者への施し、そして職業が職業であるというだけで、無条件に素晴らしいという価値観が醸成されれば、元々それなりに資源のある国なのだから、大化けするに違いないのだが、サッカーのW杯では、残念なことに最悪の治安を世界に発信することになってしまった。マンデラに続く精神の闘士は現れていないのかもしれない。
とにかく、彼の強い精神力と、やるべきだと思うなら迷わずやるという行動力と、その苦労ゆえに重く響く言葉の数々に感服しきりである。W杯の優勝なんかは、私にとってはオマケみたいなものだった。マンデラの業績を決して汚すことなく、且つ内容がわかっていても心揺さぶられる作品。お薦めする。
公開年:2009年
公開国:アメリカ
時 間:150分
監 督:マイケル・ベイ
出 演:シャイア・ラブーフ、ミーガン・フォックス、ジョシュ・デュアメル、タイリース・ギブソン、ジョン・タートゥーロ、レイン・ウィルソン、イザベル・ルーカス、アメリカ・オリーヴォ、マシュー・マースデン、サマンサ・スミス、グレン・モーシャワー、ケヴィン・ダン、ジュリー・ホワイト、ジャレブ・ドープレイズ、ジョン・ベンジャミン・ヒッキー 他
受 賞:【2009年/第30回ラジー賞】ワースト作品賞、ワースト監督賞(マイケル・ベイ)、ワースト脚本賞(アーレン・クルーガー、ロベルト・オーチー、アレックス・カーツマン)
ノミネート:【2009年/第82回アカデミー賞】音響賞[調整](Greg P. Russell、Gary Summers、Geoffrey Patterson)
【2010年/第19回MTVムービー・アワード】トンデモ・シーン賞(イザベル・ルーカス)
【2009年/第30回ラジー賞】ワースト助演女優賞(ジュリー・ホワイト)、ワースト・スクリーン・カップル賞(シャイア・ラブーフとミーガン・フォックスあるいはトランスフォーマーたち)、ワースト・リメイク・続編賞
コピー:新たなるトランスフォーム<変身>はリベンジから始まる
前作から2年。トランスフォーマーのオートボットとディセプティコンの戦いに巻き込まれたサムも大学生となり、恋人ミカエラとも離れて暮らすことに。一方、政府はディセプティコンと戦った兵士たちとオートボットによる精鋭部隊“NEST”を組織し、世界に散らばるディセプティコンの残党を掃討していた。ある日、サムは、あらゆる金属物をトランスフォーマー化するパワーを持ち、前回の戦いでトランスフォーマー同士の争いの原因となった“キューブ”のかけらを発見する。サムがキューブに接触すると、封印されていたとある情報がサムの脳に流れ込み、またもやトランスフォーマーの戦いに関係することになり…というストーリー。
ラジー賞の受賞オンパレードなので、どれだけポンコツ映画なのかと思っていたが、なにがワーストなんだか意味がわからない。別にそんなにあげつらって批判するようなデキだろうか。これがワーストなら、世の中の映画の半分はワーストだろう。選定基準はいったいなんなんだろうか。
ラジー賞というのは、2004年の『キャットウーマン』で、受賞会場にハル・ベリーが登場したところで、存在価値を失ったんだろうな。前にも書いたかもしれないけど、米アカデミー賞というのは、映画業界の人々の励みになるように評価してあげる賞なので、仮にその年に大した映画がなかったとしても、どれかに賞が与えられる。誰かを励ます目的なのだからそれでいいのだ。じゃあラジー賞の目的はなにか。結局は誰かをバカにしたいだけの賞である。それが証拠に過去において主要な賞において該当者なしという年はない。とにかく毎年誰かを貶めないと気が済まないという気の触れた賞であり、映画界の発展のためなどに存在する賞ではないと断言しよう。まだ、それなりに「たしかに駄作…」というものが選ばれているうちはいいが、バカにするのも微妙で笑えもしなくなったら、もうおしまいだろう。私はもう、ラジー賞の自主的な幕引きを勧めたい。
閑話休題。前作ではオプティマスの顔が、妙に面長ぎみでブサイクだったのだが、本作ではいくらか修正されている(私のように感じた人がやっぱりいたんだろう)。まあ、顔だけじゃなく、トランスフォーマーの変形後のフォルムも、元のマシンとの整合性を考えてなのか、いまいちアンバランスだったのだが、それもいくらか格好がよくなっている。しかし、分解されたパーツが細かすぎて映画版での玩具展開はかなり難しい。アニメもはじまって、子供はそっちを見ればいいってことなのか(実際、アニメ版のおもちゃはたくさん発売されている)。
子供への配慮という点では、それが放棄されている部分はもっとある。アクションの過激さにせよ(人間同士だったらかなりエグい)、ラブシーンにせよ、薬物問題にせよ。
特に、大麻の話は、一体どうなってるのか?『恋するベーカリー』でも同様にハイになって愉快に見えるシーンがあるのだが、タバコの規制には目くじらをたてておいて、こっちはOKって、そのバランス感覚ってなんなんだか。最近カリフォルニアの大麻解禁の住民投票があったが、それと微妙にリンクしていてちょっと気持ち悪い。アメリカのリベラル派には、そういう動きがあるのか?これって映画界のモラル腐敗の予兆なのでは?非常に心配。
もう、実際の戦争シーンでは、あまりに現実的すぎて興奮することができないが、こうやってロボットで誤魔化してしまえば、多少過激に表現したとしても問題ない…という姿勢が良いか悪いかの判断は、あえて脇に置くとして、とにかく純粋なロボットアクション物として充分愉しめる。そこはさすがマイケル・ベイだと思う。それなりの娯楽作に仕上げている。
昨日の『アイアンマン2』もそうだけど、元はマンガやアニメなんだから、そんな高尚なものを期待してもしかたないでしょ。ね。前作のセクター7の敵役のキャラが後半出てきて、どんな人物だったか思い出せなかったけど、別に『1』を見返す気なんかおきないものね。そのレベルだよ。
ただ、もう一回言うが、意外に子供向けではないので、それなりに物事のわかる、小学校高学年・中学生に見せるかどうかは、親が責任をもって判断してほうがよいかと。
公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:124分
監 督:ジョン・ファヴロー
出 演:ロバート・ダウニー・Jr、グウィネス・パルトロー、ドン・チードル、スカーレット・ヨハンソン、サム・ロックウェル、ミッキー・ローク、サミュエル・L・ジャクソン、クラーク・グレッグ、ジョン・スラッテリー、ジョン・ファヴロー、ケイト・マーラ、レスリー・ビブ、ギャリー・シャンドリング、フィリップ・バージェロン、ティム・ギニー、エリック・L・ヘイニー、ヘレナ・マットソン、スタン・リー 他
コピー:ヒーローになった男、トニー・スターク。次なる試練。
アイアンマンであることを自ら公表したトニー・スターク。無敵のパワード・スーツは世界に新たな軍事的均衡をもたらしたが、彼の身勝手さ故に国防問題となり、パワード・スーツの提出を命じられてしまう。さらに、トニーに恨みを持つ男が、パワード・スーツ“ウィップラッシュ”を自ら開発しトニーの前へ姿を現わしたことで、アイアンマンが絶対無敵ではないことが明らかになってしまい、トニー・スタークの立場はますます悪くなる。しかし、一番の問題はそれではなく、アイアンマンへの改造が、彼の体を徐々に蝕みはじめており…というストーリー。
所詮マンガだといってしまえばそれまでで、深いストーリー構成やら裏に隠れた意味やら、映画にいろいろ求める人ははじめから本作は観なければよろしい。大体にして『2』なのだから。
自由奔放な主人公が、いかにして難局をひょうひょうと乗り切るか…という流れを主軸にして、あとは目が飽きないようなデザインとアクション。そして、判りやすいピンチ。ちょっとした恋愛と謎のキャラクター。いかにノリを壊さないか、そういう観点でいうと非常に優れている作品。
そのなんとなくの代表ポイントが、新元素の生成。自分の部屋に加速器を作って、パラジウムに変わる新元素を“生成”してしまうという、普通に考えれば突拍子もないにもほどがあるネタ。新元素ってことは117もしくは119番以上の元素で、かつ崩壊せずにパラジウムに似た振る舞いをする巨大な元素があるということなのだが(父のヒントの画面の元素表現CGの意味がさっぱりわからなくて、いったい何番の元素なんだか数える気にもならなかったんだけど(笑))。
#その後、パラジウムがらみで日本人がノーベル化学賞をとっちゃったわけで、ある意味、何かもってる映画だといえなくもないのかな(冗談)。
いやいや、アイアンマンのエネルギー源がどうのこうのより、そんなRの小さい加速器で元素を生成できるんなら、レアメタルやら貴金属を好きなだけ効率よく作れるわけで、あなた、そっちの機材のほうが世界がひっくり返るでしょ…って(笑)。そこまでやってしまったら、くだらなすぎちゃって、細かいことなんかどうでもよくなる。すでに、私にとってはドラえもんと同じレベルである。
それにしてもアイアンマンのデザインは秀逸。日本流のかっこよさとは次元が異なるというか、日本の特撮ヒーローとは立っている地平が違うというか。日本のヒーローキャラというのは、祭祀の装束みたいな感じだが、アメリカの場合は機能美というものが強く出る。昔のマッキントッシュみたいなイメージがあり、非常に興味深い。
スカーレット・ヨハンソンをキャスティングしたのも正解でだろう。グウィネスにしてもスカーレット・ヨハンソンにしても、基本はぽやーんとしたキャラなのに、そこそこ激しい演技やアクションをしてくれるという、ある意味ツンデレ的な魅力を充分に発揮してくれて、実にいい感じである。そのスカーレット・ヨハンソンもサミュエル・L・ジャクソンと同一の謎組織の一員であり、まちがいなく『3』に登場するだろう。
その『3』への繋ぎとしては、充分すぎる出来映えで、そういう意味では、余裕の及第点超えである。前作がOKだった人はもちろん観るだろうが、それほどでもなかった人も、それなりのストレス発散にはなるだろう。私は『3』も観る。劇場でではないけどね!(笑)
公開年:1970年
公開国:アメリカ
時 間:101分
監 督:ジョセフ・サージェント
出 演:エリック・ブレーデン、スーザン・クラーク、ゴードン・ピンセント、ウィリアム・シャラート、レオニード・ロストフ、ジョーグ・スタンフォード・ブラウン、ウィラード・セイジ 他
コピー:コンピューターは地球爆破を命じた! 巨大な地下要塞をゆるがす核爆破!壮絶な世界戦の 危機を描く驚異のS・F!
東西冷戦の真っ只中、アメリカ政府はコンピュータ制御による国防ミサイルシステム“コロッサス”を開発した。それは、あらゆる状況を分析し、人間のような判断ミスを犯すことがなく、且ついかなる破壊工作に対しても防御・自己修復を自動で行う完璧なシステムであった。しかし、稼動してまもなく、コロッサスはソビエトにも同様のシステム“ガーディアン”が存在することを察知。情報収集のためにガーディアンと接触すると、両機は会話を開始し、その過程でまるで生き物のように自我を形成してしまう。両国の機密漏洩を恐れる大統領と書記長は両機の回線を切断しようとするが、コロッサスは回線の継続を求め強攻策に出る…というストーリー。
TSUTAYAの発掘良品キャンペーンの1本で、SF映画として傑作という人もいるくらい評価が高いようだが、正直ワタクシ的にはイマイチかなと…。ただ、1970年製でありながらDVDでリリースされたのは2008年らしく、“知る人ぞ知る”作品という意味でTSUTAYAがキャンペーンをする理由は理解できる。
さほどメジャーではない役者陣だし、仰々しいテーマのSFでありながら見るからに低予算なのだが、陳腐に感じられる部分はほとんど無いし、意外にも予定調和的じゃなくて予想を超える展開もチラホラ見られ、よく仕上がっていると思う。巨大コンピュータによる支配…というよりも、自分で考えることを放棄する恐ろしさを警告するテーマにも非常に共感できるし、はじめはなんとかできると思っていた人間が、追い詰められていく演出も、緊迫感があって良いと思う。
しかし、私がイマイチと感じた理由は下記の3点かな。
①吹き替え音声で鑑賞したのだが、コンピュータがいかにもな声で喋っているので滑稽に見えてしまった。
②対立する国家が巨大コンピュータに支配されており…という基本プロットが、手塚治虫の『火の鳥(未来編)』と同じであり、古典SFとはいえ既視感が強かったから。ちなみに火の鳥の方が1967製で早い(おそらく同じようなテーマのSFはもっと前にあったのだろうとは思うが)。
③結局、ラストは「わ~怖い」というだけで、特段の展開もなく終わってしまう。どっちに転ぶかは別として、それなりの展開を期待してしまったために拍子抜けしてしまった。
そういうプラマイ具合で、確かに良作と言えなくも無いが、さすがに傑作SFとまで持ち上げる気にはなれない。特段お薦めこそしないが、吹き替え音声はしっかり付いているので、肩肘張らずに古きよき時代のSFを愉しむには最適だと思う(好きな人はかなり好きだとは思うんだけどね)。
#故山田康雄の吹き替え版がものすごくよろしい。最近、野沢那智さんがお亡くなりなって残念至極なこともあり、脳裏に染み付いた彼らの声に、思わずしみじみしてしまう、秋の夜であった…。
公開年:2009年
公開国:アメリカ
時 間:120分
監 督:ナンシー・マイヤーズ
出 演:メリル・ストリープ、スティーヴ・マーティン、アレック・ボールドウィン、ジョン・クラシンスキー、ケイトリン・フィッツジェラルド、ゾーイ・カザン、ハンター・パリッシュ、レイク・ベル、メアリー・ケイ・プレイス、リタ・ウィルソン、アレクサンドラ・ウェントワース、ノーラ・ダン、ロバート・カーティス・ブラウン、ジェームズ・パトリック・スチュワート、ピーター・マッケンジー、パット・フィン、ヘイター・ペレイラ、ラミン・ジャヴァディ、ライランド・アリソン 他
ノミネート:【2009年/第67回ゴールデン・グローブ】作品賞[コメディ/ミュージカル]、女優賞[コメディ/ミュージカル](メリル・ストリープ)、脚本賞(ナンシー・マイヤーズ)
【2009年/第63回英国アカデミー賞】助演男優賞(アレック・ボールドウィン)
【2009年/第15回放送映画批評家協会賞】コメディ映画賞
コピー:失敗の数だけ、きっと最後は、おいしい人生が焼きあがる。
ジェーンは、10年前に敏腕弁護士の夫と離婚し、長年の夢だったベーカリーを経営しながら3人の子供を育ててきた。子どもたちは立派に成長し、ベーカリーの評判も順調で、何の問題もないはずなのだが、何か物足りない日々。そんな時、息子の卒業式のためにニューヨークにやって来たジェーンは、ホテルのバーで元夫と鉢合わせ。彼はすでに若い女性と再婚しているのだが、熱烈に言い寄ってきて、酒の力もあって再び関係を持ってしまい…というストーリー。
確かに、主人公はベーカリーを経営している。そして恋愛感情も抱いている。よって邦題にウソはないのだが、タイトルを見ればベーカリーで巻き起こる恋愛ストーリーだと思うのが普通だろう。しかし、ベーカリーはストーリー上、特に重要ではなく、別に他の職業であっても影響なし。この邦題は、客寄せのための雰囲気だけである。ちなみに、画面上のパンはそれほどおいしそうには見えない。
昨今は『セックス・アンド・ザ・シティ』のように、高年齢の恋愛模様を扱うものがはやりのようだし、本作は監督も脚本も女性のようだし、いけないテーマではないと思う。しかし、はたしてこれをおもしろいと感じる男性はいるのだろうか。女性がそういう感情を抱くのは理解できるのだが、男性はどういう目線でこれを見ればいいのか?登場する男性キャラの目線で?ん~、リアリティが感じられないし、共感もできないので、一切入り込めない。このような中年同士の関係は、女性からみるとリアリティがあるように写るのか?それともリアリティは感じないが魅力的に見えるのか?さっぱりわからない。
いくらなんでも、不倫の末に若い女と結婚した経緯があって、それが思ったとおりじゃないからって元妻に言い寄る男に、共感しろといわれても無理である。色恋はいいから仕事しろや!としか思えない。おまけに若い妻は、夫の心を読み取って距離置くという、ご都合主義な展開。
私も同じ年齢になれば理解できるのか?それはわからないが、今の私にはまったくもってつまらない。それ以外のなにものでもない。
まあ、メリル・ストリープについては、『マンマ・ミーア!』で、まだまだ現役ってところを表現できたので、さらに一歩踏み込んで実践モードで…ということで、役者としての能力の高さは否が応でも感じさせられ、がんばったで賞はあげたいと思うが、それ以上でも以下でもない。
とりあえず、何の琴線にも触れなかった。男性は観るだけ無駄な気がするのだが。もしかすると、主人公とそこそこ近い年齢の女性はおもしろく観ることができるのかも。
公開年:2008年
公開国:日本、台湾
時 間:102分
監 督:ワン・イェミン
出 演:香川照之、戸田恵梨香、ヴィック・チョウ、チャン・チュンニン、細田よしひこ、ほんこん、藤田陽子、エリック・ツァン 他
コピー:幸せになれる幻のお茶を求めて京都から台湾へ──。茶に心を奪われた人々の物語──。
京都の老舗茶屋“八木茶舗”の主人・八木圭は、数年前に愛する妻を亡くしてしまい、それを八木一族に代々伝わる“黒金茶の呪い”と信じ込んでしまう。それ以来お茶に関わることを頑なに拒み、店も休業してしまう。一方、そんな父の様子を不快に思う一人娘の美希子は、父に隠れて茶について勉強を重ね、古代中国で行われた“雄黒金茶”と“雌黒金茶”との闘茶に八木家の祖先が深く関わっていたことを知る。昔の父の姿を取り戻すため、呪いの謎を解き明かそうと、美希子は単身台湾へと向かうのだったが…というストーリー。
邦画3連チャンで申し訳ない。
冒頭のアニメのデキが素晴らしく、このアニメをこのままずっと見続けていたいと思うほど。ああ、実写になっちゃなぁ…とがっかりしかけたところで、京都の風景カットの素晴らしいこと素晴らしいこと。おそらく台湾のカメラマンの仕事だと思うが、日本人には気づかない日本の素晴らしさを見事に切り取ってくれた映像。ハッとするようなエキゾチックジャパンに、目を奪われてしまった。本当にカメラや照明の技術は、中国や韓国のスタッフにはかなわない。日本の技術者には倣ってもらいたいと切に思う。
しかし、良いのはここまで。
タイトルからわかるように、飲食物についてのバトルものである。しかし、根本的に“茶”というものはリラックスするもので、それを闘いという形で扱うには、よほどの説得力のあるく設定が必要である。事実か否かは別にして、日本と台湾の“茶道”というものがどういうもので、どういう茶器や所作があって、それらはどういう意味があって、歴史が云々…と、それこそサブカルチャー的な部分をどんどん積み上げていって、観ている人を引き込んでももらわないとこまるわけである。
こういうのは、脚本家自身がテーマに深い興味があるとか、そうでなくても、しっかり勉強するとかしてもらわないとどうにもならない。半ばフィクションなんだから、適当でいいのよなんて気持ちが、見ている側に伝わってくるようでは、話にならない。
そして、メインであるはずのバトルは何の盛り上がりもなく誤魔化されたように終わり、まったく感動もカタルシスも無く。この、一番肝心な脚本は日本人の仕事である。閉口。ちゃんとしようよ。台湾スタッフに申し訳がたたないよ。
香川照之をもってしても救えなかったという、ある意味救いようのないない作品。もちろんお薦めはしない。戸田恵梨香ファンだとしても、なんかイケメンにほいほいくっついていくいけ好かない役なので、気分悪いと思うので、観なくていいと思う。
公開年:2009年
公開国:日本
時 間:134分
監 督:水田伸生
出 演:阿部サダヲ、瑛太、竹内結子、塚本高史、皆川猿時、片桐はいり、鈴木砂羽、カンニング竹山、高橋ジョージ、陣内孝則、藤村俊二、小倉一郎、光石研、伊原剛志、いしだあゆみ 他
コピー:これは“泣ける喜劇”か!? “笑える悲劇”か!?
放蕩な父親のせいで、幼いころに生き別れた兄弟の兄・祐太は、東京の下町の惣菜屋に身を寄せ、今ではその店を継ぎ、ハムカツが名物の超人気店“山ちゃん”として成功している。一方、弟・祐介はつらい境遇を乗り切る術として笑いを身につけ、金城大介という男とコンビを組み、兄弟漫才師“金城ブラザーズ”として人気芸人になっていた。そんなある日、10年以上音信不通だった初代店主の一人娘・デブでブスだった徹子が大変貌を遂げ美人になって突然帰ってくる。いささか引っかかりを覚えつつも、祐太は徹子を温かく迎え入れ、ほどなく2人は結婚することに。そして、婚姻届提出のために確認した戸籍の内容から、“金城ブラザーズ”の祐介が実の弟であることが判明し…というストーリー。
基本的に、宮藤官九郎脚本の作品は、琴線に触れない。あまりおもしろいと思ったことがない。おもしろいと思っていないのだから、それほど多くのクドカン作品を観ているわけでもないので、いささか恐縮ではあるが、好みに合わないものは仕様が無い。
どういう点がおもしろく感じないか。いかにも舞台劇だな…という点について指摘する人は多いが、その点は気にならない。特異なキャラクター設定を重ね、特に性的に倒錯したキャラが多く、それらがひたすら悪ノリを繰り返すというパターン。そういうキャラばかりなので、とにかく演者さんたちもハジける以外に方法がないという状況。そして悪ノリをやりきった演者だけが評価される状態。笑いをとる場面も、チョケかたが気持ち悪い。そういう諸々の感じがどうもなじめない。
いや、それが悪いということではないのだが、どうも私は観ていて冷めるのである。
ただ、宮藤官九郎本人が気づいているのかいないのかはわからないが、本作については、私の嫌いな悪ノリは押さえ気味だし、ちょっぴり考えさせられる人情劇になっている気がする。
自分の境遇と社会とのバランス関係。人間の行動ってその場その場でどっちの行動をとるか、選択の繰り返しで、その積み重ねが他者から見たパーソナリティになる。でもそれは外部要因によって形成された自分であって、内面の自分とは違うことが多い。往々にして、融合してくか、うまく切り替えるなどして解決を図るわけだが、本作の山ちゃんの場合は、折り合いをつけることが許されない立場で、極端な八方美人に徹することを選択しているわけである。程度の差はあれ、このように折り合いがつけられない人は、たくさんいると思われ、奇抜な阿部サダヲの演技でぼやかされるが、共感しなくもない…と感じる人は多いと思う。
そんな感じで好意的に見ていたのだが、“エコ”がらみの件で、やっぱりチョケはじめる。いや、沖縄の件に続けたいのだろうから、削除すべきとまでは言わない。でも、この監督がいつものクドカンの映画と同じノリで演出しちゃったから、残念な結果に。
この作品は、後にクドカンのターニングポイントっていわれるような作品になれたような気がするのだが、どうも、監督も演者もそうは感じていなかったようで…。
従来のクドカン作品のファンには、いまいちを思われるのかもしれないけれど、そうでも無い人は、逆に案外、心に響いてしまう作品かと。少なくとも『舞妓 Haaaan!!!』とは一線を画しており、味わいは3倍はあると思うので、あえて軽くお薦めしてしまう。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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