忍者ブログ
[98]  [99]  [100]  [101]  [102]  [103]  [104]  [105]  [106]  [107]  [108
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

image1538.png公開年:2009年 
公開国:アメリカ
時 間:138分
監 督:マーティン・スコセッシ
出 演:レオナルド・ディカプリオ、マーク・ラファロ、ベン・キングズレー、ミシェル・ウィリアムズ、エミリー・モーティマー、マックス・フォン・シドー、パトリシア・クラークソン、ジャッキー・アール・ヘイリー、イライアス・コティーズ、テッド・レヴィン、ジョン・キャロル・リンチ、クリストファー・デナム 他
コピー:全ての“謎”が解けるまでこの島を出る事はできない。


ボストンの沖合に浮かぶ孤島シャッター アイランドには、精神疾患のある犯罪者を収容する病院があったが、厳重な監視下にあったにも関わらず一人の女性患者が行方不明となる事件が発生。激しい嵐の中、連邦保安官のテディとチャックが派遣される。2人は、患者たちへの聞き込みを開始するが、なぜかテディは事件と無関係な“アンドルー・レディス”という人物について探りを入れ続ける。その人物は、彼のアパートに火をつけ妻を殺害した放火魔で、レディスがこの病院に収容されていることをしていたのだった…というストーリー。

先に、これから観る人へのポイントを言ってしまう。これから観ようという人は、本作は謎解き映画ではないことを把握すること。自分もシャッターアイランドの空気に浸っているように、身を委ねて観ること…をお薦めする。

以下、ネタバレ。

結局、妄想モノ&自分が犯人(っていうか原因)モノのミックスなので、どこかで観たような気になるのは否めない。トラウマの苦痛やストレスからの回避のために記憶を作り上げ、ストーリーが進むにつれて事実が見えてくる…っていうギミックなら、『スパイダー/少年は蜘蛛にキスをする』と同じ。そっちを観ていなければ、本作の印象も違ったかもしれないが、閉塞感や狂気の具合は、『スパイダー~』のほうが上は気もするので、この謎解き部分を取り上げて、サイコスリラーの傑作というのは、私には憚られる。

スコセッシは、現実の中をうまく泳げないキャラクターをよく登場させるけれど、本作の主人公はまさに直球でそれ。十字架を背負っている役は彼なわけだが、その道程は延々と繰り返す無間地獄。スコセッシは、何度も何度も同じ妄想を繰り返さざるを得ない、この刹那くも悲しい空気を表現したいのであって、謎解きを愉しんで欲しいわけではないはず。公開時のCMでは、“驚愕のエンディング”的な感じで煽っていたが、確かにCMのデキは良かったし、私も観にいこうかな?と心が揺れたほどだったが、あまりにも謎解きを前面に出しすぎたため、逆効果のミスリードになっている。

どこか違和感を感じさせたり、錯視させる演出も効果的。各役者の演技が微に入り細を穿ちといった具合で、多数の演者に対する指導が行き届いていることが良くわかる。、この濃い霧のような空気感に漂うよに本作を観られたら、さぞかし愉しめたと思うのに、謎解きに意識を持っていかれたせいで、必要以上に懐疑的に見たりアラを探すことに注力してしまった。もう、とりあえず集客に一番効果があれば、客がどう思うかなんて知ったことか…的な仕事はやめて欲しい。日本の配給会社よ。

実は、なかなか秀作だったのに、身内の配給会社に台無しにされた残念な映画。スコセッシは日本でのプロモーションをした人間を2発くらいグーで殴る権利がある。

拍手[0回]

PR

image0144.png公開年:1998年 
公開国:イギリス
時 間:124分
監 督:シェカール・カプール
出 演:ケイト・ブランシェット、ジョセフ・ファインズ、ジェフリー・ラッシュ、クリストファー・エクルストン、リチャード・アッテンボロー、ファニー・アルダン、キャシー・バーク、エリック・カントナ、ジェームズ・フレイン、ヴァンサン・カッセル、ジョン・ギールグッド、ダニエル・クレイグ、エミリー・モーティマー、ジョセフ・オコナー、エドワード・ハードウィック 他
受 賞:【1998年/第71回アカデミー賞】メイクアップ賞(ジェニー・シャーコア)
【1998年/第56回ゴールデン・グローブ】女優賞[ドラマ](ケイト・ブランシェット)
【1998年/第52回英国アカデミー賞】主演女優賞(ケイト・ブランシェット)、助演男優賞(ジェフリー・ラッシュ)、作曲賞[アンソニー・アスクィス映画音楽賞](デヴィッド・ハーシュフェルダー)、撮影賞(レミ・アデファラシン)、メイクアップ&ヘアー賞、英国作品賞[アレキサンダー・コルダ賞]
【1998年/第4回放送映画批評家協会賞】主演女優賞(ケイト・ブランシェット)、ブレイクスルー賞(ジョセフ・ファインズ:「恋におちたシェイクスピア」の演技に対しても)
コピー:世界の映画賞、堂々16部門受賞!!!
その瞳が、唇が、その存在が革命<ヴァージン・クイーン>25歳。

カトリック信徒であるメアリー王女によるプロテスタント弾圧が激化する16世紀イングランド。メアリー王女は、カトリック信者であり王位継承権のある腹違いの妹エリザベスを幽閉するが、病のために死去してしまう。世継ぎは弱冠25歳のエリザベスに。側近達は、国と安定のために、隣国との政略結婚を迫るが、彼女には、恋人のダドリーがおり…というストーリー。

昨日の『ブーリン家の姉妹』を観て、どうしても続けて本作を観たくなった(購入して持っている)。
とにかく『ブーリン家の姉妹』を観たおかげで、メアリー王女や周囲の言動が腑に落ち、エリザベスの立場がより理解できる。これまで5度以上、本作を観ているが、霧が晴れて別作品を観ているくらいの新鮮さを感じた(今日のレビューは『エリザベス』自体のおもしろさというよりも、『ブーリン家の姉妹』と連続で観ることの効能について語ることになりそうだ)。

ヘンリー8世の力量がどれくらいであったはよくわからんが、少なくとも、メアリー王女の治世においては、宗教的なゆり戻しや弾圧(ブラッディ・メアリーと呼ばれたくらいだから)によって、経済力も軍力もガタ落ちで、エリザベスが引き継いだ段階では、三流国家といってもよい。これが、ゴールデン・エイジとまで呼ばれる状態になるには、いかなる過程を経るのか…というのが本作の愉しさなのだが、もう一度いうが、『ブーリン家の姉妹』の姉妹を観たおかげで、スタート時点のマイナスっぷりが良く理解できて、エリザベスの言動、一つ一つがより重く感じられる。そして、エリザベスがアン・ブーリンの性格をしっかり引き継いでいることにも気付き、とても興味深かった。

若干、なんで前妃の娘のメアリーが王女になれちゃってるわけ?とか、メアリー・ブーリンの男子は庶子扱いで継承権はないのね…とか、いろいろ疑問は湧くとは思う。ヘンリーは第3王妃を迎えて、その間に男子が生まれるけど早死にして、またもや権力争いが勃発し、すったもんだを経て、イングランド史上初の女王になるんだけど、この2作品の間にも、たくさんすったもんだがあるので、そちらも映画化してほしい気もするね。

『エリザベス』はもう観たよって人も、騙されたと思って、是非『ブーリン家の姉妹』と連続して観てほしい。単なる王女様の波乱万丈ストーリーでは終わらない何かに変貌することを保証する。このセット、強くお薦め。
それにしても、本作は、ドラマの1シーズンくらいボリューミーなのに、たった124分という点も改めて驚き。

#話はかわるけど、本作のエリザベスの吹替えのデキが非常によろしい。幽閉されていて儚い頃や、即位したての頃の自信なさげな所や、絶対君主たれと振舞う時の違いをうまく表現できている。是非、吹替えで観ることをお薦めする。

拍手[0回]

image1362.png公開年:2008年 
公開国:アメリカ、イギリス
時 間:115分
監 督:ジャスティン・チャドウィック
出 演:ナタリー・ポートマン、スカーレット・ヨハンソン、エリック・バナ、デヴィッド・モリッシー、クリスティン・スコット・トーマス、マーク・ライランス、ジム・スタージェス、ベネディクト・カンバーバッチ、オリヴァー・コールマン、アナ・トレント、エディ・レッドメイン、ジュノー・テンプル、トム・コックス、マイケル・スマイリー、イアン・ミッチェル、アンドリュー・ガーフィールド、ビル・ウォーリス 他
コピー:愛は、分けられない。
最初に愛されたのは妹メアリー、王妃になったのは姉のアン。世界を変えた華麗で激しい愛の物語。

16世紀、イングランド。国王ヘンリー8世と王妃キャサリンとの間には男子がなかなか生まれない。成り上がり貴族のトーマス・ブーリンは、そこに付け入り、一族の出世のために長女アンを王の愛人にしようと画策。しかし、王が見初めたのは次女メアリー。メアリーは商人と結婚したばかりだったのだが、王は王妃の侍女として宮中に入れ、結局、愛人にしてしまう。王の愛人の座を横取りされたアンは、メアリーに対して嫉妬と憎しみを抱き始める…というストーリー。

エリザベス女王とローマ教皇が会談して歴史的和解…みたいなニュースがあったと思うけれど、まさに本作はイギリス国教会事始め。世界史の授業をとった人なら、女ったらしのヘンリー8世が愛人と結婚するために離婚をしようとしたけれど、ローマ教皇庁が認めなかったために断絶し、イングランド国教会の設立につながることに…ってのは記憶の片隅にあるはず。
#いやぁ、正直にいうと、なんとなく名前だけで借りて、観進めていくうちにアン王女の話だってことに気付いたのだが…。

ナタリー・ポートマンとスカーレット・ヨハンソンの容姿(というか人種的特徴)があまりに異なるので、姉妹って…って思ったのだが、調べてみると実際にアンは黒髪でやせ型で、メアリーは金髪で豊満って感じだったらしい。実はバッチリなキャスティングなんだね。
どうも、最近の学説だと、メアリーが姉でアンが妹ってことらしいけど、まあ、それはどっちがどっちでも本作の面白さには影響ないかな(ハリー・ポッターの邦訳でも姉妹が逆になってって云々ってことがあったけど、大勢に影響がなけりゃ、案外どうでもいいことなのかも)。さらに、同じ名前でややこしいんだけど、ヘンリー8世と前妃キャサリンとの間の女子の名前もメアリーで、こっちが例の悪名高き“ブラッディ・メアリー(血まみれのメアリー)”なんだねぇ。

ケイト・ブランシェットの『エリザベス』の冒頭に出てくる、メアリー王女がそれなわけだ。どうも、このあたりの複雑なドロドロの流れが腑に落ちていなくって、『エリザベス』の時はなんとなく判った気になって観ていたけど、しっかりとピースがはまっていく感じがして、けっこう心地好かった。

はじめは無邪気な兄弟が、出世の道具されていくわけなんだけど、それでもはじめは謀略のままごとみたいな感じで参加。でも不思議なことに、そのままごとみたいなノリで充分通用しちゃう世界だってのが、またおもしろい。
ナタリー・ポートマンはアン・ブーリンのクレイジーっぷりを見事に怪演(っていってもいいよね)しているし、スカーレット・ヨハンソンも、いつもどおりの、口が半開きでモッサりしたイメージが実にハマっていてよろしい。母親役しかり、かなりキャスティングはいい感じ。肝心のヘンリー8世がいまいちという声も出そうだが、ここでヘンリーまで強烈な個性を発揮しちゃうとポイントがボケそうだから、こんな感じでいいんだと思う。

ただ、不思議なのは、原題が“THE OTHER BOLEYN GIRL”で、ブーリンといえばアン・ブーリンなわけだから、そのOTHERってことはメアリーを指しているってこと。メアリー目線でハナシが進むわけでもないし、メアリーが主役なわけでもない。なんかまとはずれなタイトルな気もして、めずらしく邦題のほうが正しく思えるめずらしい例かも。ブーリンといえばアン王女のことばかり語られ、メアリーのことを語るケースが少ないってことで、それを扱ったというだけでも、注目に値するってことなんだろうか(やはりピンとこないなぁ)。

まあ、それはそれとして、基本的に実話なんだけど、ストーリー展開は流麗で飽きることはない。ポンコツ韓国ドラマのドロドロ展開なんかハナクソに思えてくるくらい、よくできていると思う。
とにかく、『エリザベス』を観なおしたくなって仕様が無い。歴史に興味のある人は、非常に楽しめると思うし、そうでない人も及第点は超えると思う。まったく受賞歴はないんだけど、お薦めできる一本。
#日本の歴史モノ映画も、技術・脚本含めて、このレベルにならないものか。
 

拍手[0回]

image0281.png公開年:2006年 
公開国:日本
時 間:119分
監 督:西川美和
出 演:オダギリジョー、香川照之、伊武雅刀、新井浩文、真木よう子、蟹江敬三、木村祐一、田口トモロヲ、ピエール瀧、田山涼成、河原さぶ、新井浩文、真木よう子 他
受 賞:【2006年/第49回ブルーリボン賞】助演男優賞(香川照之:「出口のない海」「明日の記憶」の演技に対しても)、監督賞(西川美和)
【2006年/第16回日本映画プロフェッショナル大賞】監督賞(西川美和)、ベスト10第2位
コピー:あの橋を渡るまでは、兄弟でした

東京で写真家をしている猛は、母の一周忌に帰郷し、父と共にガソリンスタンドを経営する兄・稔と久々に再会する。翌日、二人は、ガソリンスタンドで働く幼なじみの智恵子を加え、近くの渓谷へ行く。猛が林の中で写真を撮っておると、川に架かる細い吊り橋に稔と智恵子が。そして智恵子は渓流へと落下してしまう…というストーリー。

昨日の『ディア・ドクター』を見て、『ゆれる』が観終わっていないのを思い出した。そう、未見なのではなく“観終わっていない”のだ。もう3回も途中断念している。一周忌のゴタゴタの場面で飽きて1回目。その場面があまりにも作為的でわざとらしく、監督がドヤ顔をしているような気になってウンザリしてしまったのだ。智恵子の部屋でコトがはじまって2回目。智恵子の振る舞いに一切リアリティが感じられず、何にもわかってない上司にトンチンカンな説教を喰らっているような気分になってしまいウンザリしてしまった。刑事が解剖所見を見て色めき立つところで3回目。おそらく体内から精液が見つかって、猛がパクられるんだろうな…と予測してしまって、なんか夕方に再放送してるサスペンスドラマレベルだな…と思えてきてウンザリ。昨日『ディア・ドクター』を観ていなかったら、観なおすことはなかっただろう。

観るの再会してみると、ところがどっこい、なぜか猛がパクられている。すいません。だれか教えてください。解剖所見の何を根拠に逮捕状が出たのかを。そしていつのまにか自白しているという展開。裁判が展開すると、自白の立証のために、稔のその時の気持ちをさぐるだけの検察。もしかしてこの映画は、日本司法の自白偏重主義を断罪したいのかしら…とすら思えてくる。同じモノを見ても人の捉え方は様々よ…って羅生門的な視点。
でも、なにか家族の絆の意味とか、そういう方向に倒れていっていて、軸がどこにあるのかさっぱりわからなくなる。結局『ディア・ドクター』の時を同じこと言うハメになるのだが、この監督は何をいいたいのかよくわからん。

#大体、精液のDNAを鑑定して稔じゃないことがわかったなら、DNAの一致率でその精液が兄弟のものだってことなんてすぐわかるのにな。検察がそのことに触れないわけないし。リアリティねえなぁ。

『ディア・ドクター』のラストは、良く言えば“考えさせるラスト”といえるかもしれないが、悪くいえば投げっぱなしで無責任と感じていた。本作はさらにそう。猛が事件の真相を思い出す回想が正しい(事実)とすると、猛はどういう意図があって考えて証言したのか、それに対し香川照之がどう思っていたのかさっぱりわからない。いや、証言のときは猛は兄が落としたと思っていて(記憶が構築されていて)、例のフィルムを観た後の猛の頭の中では、兄が手をさしのべている記憶が構築されたってことか(まさに羅生門的)。いやいや、猛は、兄弟の信頼関係が壊れたので偽証して、ラスト回想は事実なんだよ…とか?

いや、一番の問題は、たとえどれだったとしても、つまんねえってことだ。この事件の真相を探ること自体に、何の意味もないと気付いたら、ついでにこの映画を観る意味すらなかったと思えてきた。

『ディア・ドクター』では良いキャスティングが救いだったが、本作ではさほど救いになっていない。申し訳ないがキム兄やピエール瀧はミスキャストである。
また、エンディングの終わらせ方と音楽のテイストが一緒であることに、おもわず苦笑い。ほとんど『ディア・ドクター』と一緒。笑わせようとして狙ってるのか、本気でこなっちゃってるのか、いずれにせよ“寒い”。

ワタシには、何故これほど高評価なのかサッパリ理解不能。ああ、そうか、こうやって、裸の王様みたいに、周りの反応と自分の正直な心の声の間で“ゆれる”ってこと?それを意図してるならこの監督は天才だぁ(笑)。情報を小出しにしてりゃ芸術になると勘違いしてるな。もうすこし社会の“事象”の観察だけじゃく、社会の人間関係の中で実際に行動して感情を動かしてみることをお薦めする。映画監督に客観視できることは大事な素養だが、それだけじゃね。極端にリアリティがないのは、そのせいだと思う。なんか腹立ってきた。

スタッフたちは、おかしな点を指摘できないものだろうか。芸術肌の監督の機嫌を損ねないように、腫れ物を触るように扱っているのだろうか。それとも監督が指摘を無視している?まあ、いいや。監督も作品も、どっちだとしてもたいしておもしろくならないわ。
お薦めはしない。世にこれだけ評価する人がいるんだから、面白く感じる人には溜まらないんでしょ。ギャンブルだとおもって観るしかないですな。

#この監督、案外、ドキュメンタリーとか作ったら、名作を生むような気がするんだよなぁ。。。。

拍手[0回]

image1486.png公開年:2009年 
公開国:日本
時 間:127分
監 督:西川美和
出 演:笑福亭鶴瓶、瑛太、余貴美子、井川遥、松重豊、岩松了、笹野高史、中村勘三郎、香川照之、八千草薫 他
受 賞:【2009年/第52回ブルーリボン賞】監督賞、主演男優賞(笑福亭鶴瓶)、助演男優賞(瑛太)
【2009年/第33回日本アカデミー賞】最優秀脚本賞、最優秀助演女優賞(余貴美子)
コピー:その嘘は、罪ですか。

数年前、街から遠く遠く離れた無医村に、医師・伊野治が着任し、それ以来、村人から絶大な信頼を寄せられていた。そこに、東京の医大を卒業した相馬が研修医としてやって来る。僻地の状況にはじめは戸惑っていた彼だったが、献身的に村人に接する伊野の姿に感銘を受け、充実した研修師生活を送るようになり、研修後にはこの村に着任したいとまで思うまでに。そんなある日、伊野は、一人暮らしの老婦人かづ子を診療することになったのだが、東京で医師をしている娘に病気のことを知られたくないので、秘密にしてほしいと頼まれる。そして、それを引き受けてしまうのだが…というストーリー。

なんか、言っちゃっていいのかどうかわかんないから、とりあえずネタバレ注意にしておく。

劇場公開時から、ニセ医者の話ってことは公然だった気がするんだけど、違ったかな?多くの人がその点については知った上で観たと思うけど、知っていても、ぐいぐいとストーリー引き込まれたのではなかろうか。この監督、なかなかの力量と評価してよいかな…と一瞬思うが、演出というよりも、個々の役者の演技がすばらしかったおかげ…という気がしないでもない。余貴美子や香川照之、八千草薫は言うまでもなく、笑福亭鶴瓶や瑛太も非常にハマっていると思う。

正直に言うと、私には、この映画が最終的に何を言いたいのかよくわからなかった(いや、もっと正確に言えば、どうしたいのかがわからなかった)。
監督が、僻地の医療現場を取材して、何が大切なのかを感じ取り、「あれ?本当に大切なことって医者の資格とか技術とかそういうのと無関係なことじゃないの?」って気付いたのがアイデアの発端だったかもしれない。それはなんとなく理解できる。でも、その視線(というか意見の表明)だけじゃ映画にはならないから、仕掛けを作り、それがどう破綻していき、騙されていた人はどう受け止めるか…を表現し、その過程を通して浮き彫りにしなくてはならない。そうやって、別の角度から光を当てて、伝えたいことを浮き彫りにすべきなんだけど、“偽医者なのにみんな大満足していた”って演出で、ヒネリもなしに直球で語り尽しちゃってると思うのだ。

刑事に対して、村人が伊野のことを悪くいったり、なんかおかしいとは思ってましたという相馬の発言は、社会的な建前で、困惑しつつも心の奥底ではそう思っていないのは、役者さんたちの微妙な演技でよくわかる。あんただって本当に刑事なのかわかんないでしょっていう村長の台詞がすべてだ。でも、それって、やっぱり、「本当に大切なことって医者の資格とか技術とかそういうのと無関係なことじゃないの?」っていうはじめのアイデアを延々と補足しているだけにしか見えない。やっぱり、ヒネリもなく直球である。

さらに、多くの人が戸惑ったのは、伊野が悪人なのか否かっていう部分だろう。おそらく医者を目指しいたけど、どうしてもなれなくって、でも先生と呼ばれたかったのか…とか、いやいや、はじめは単に金目当てだったんだけど、次第に…とか、色々考えた人が多いだろう(そこをボヤかしたのは意図的かもしれないけれど)。偽医者をやっていくうちに、他者に施すことの素晴らしさに目覚めた男…と判断することもできるけど、最後に病室を訪れたのは、彼女に施すための行動ではなく、どちらかといえば贖罪という気もするし。とにかく、伊野に関しては何かキャラがボケている気がしてならない。

また、警察の手法があきらかにヘンテコでリアリティがなさすぎだし、行方不明になったあとに田んぼに飛び込む瑛太の行動とかいまいちピンとこなかったり、思い返しても「あれってやっぱ変じゃね?」って思うところが散見される。でも、これが小説だったら、気にならずに腑に落ちるんだろうなとも思う。台詞の応酬の面白さはすばらしく、実に白眉な才能だと思う。でも、立派な小説家なのかもしれないけど、その才能に映画監督として追いついていないのかもしれない。うん、そう。“映画”としての部分が、納得いかないってことなんだなぁ。

色々文句はいったけど、軽くはお薦めしておく。人生に答えはない…ってくらいの達観した心持ちで観れば、それなりに満足できるはず。社会派作品として観ると肩透かしをくらうと思う(はじめのアイデアは、とてつもなく社会派な視点だったのにね)。

拍手[0回]

image1504.png公開年:2009年 
公開国:日本
時 間:130分
監 督:佐藤東弥
出 演:藤原竜也、天海祐希、香川照之、山本太郎、光石研、松山ケンイチ、松尾スズキ、佐藤慶 他
コピー:考えろ、裏をかけ。そして未来を手に入れろ。




その日暮らしに近いバイト生活をおくる伊藤カイジ、26歳。彼のもとにある日、遠藤と名乗る金融会社の社長が訪れ、カイジが連帯保証人になっていた友人が夜逃げしたため、その借金の返済をするよう求めてきた。借金総額は利息を含め202万円。支払能力の無いカイジに対して、遠藤は一夜にして大金を手にする方法があると提案する。それは、豪華客船エスポワール号に乗ること。何が行われるのかわからないまま、意を決して乗船すると、カイジと同様に借金を背負った男たちが大勢集められていた。そこでは、消費者金融帝愛グループによる、勝ち続ければ一攫千金、負ければ過酷な強制労働が待つというゲームが繰り広げられるのだったが…というストーリー。

同じく日テレ系の映画であった『DEATH NOTE』と同じく少年漫画誌の連載作品だが、『カイジ』に女子人気があるとは思えず(笑)。ギャンブル部分がメインの作品にに捉えられがちだが、それはあくまで調味料であって、根本は人生論である本作。そういう勝負ゴトみたいな究極的な人生論に女性の心が震えるものなのか。どれだけ集客できるのかかなり疑問だった。そこは、藤原竜也やらマツケンやら天海祐希を配置して、補完を試みたのだろうが、いかがなものか…。加えて、福本伸行原作作品は、一勝負が終了するまでがキャプテン翼ばりに長い。おまけに、晩年の横山光輝ばりに、同じようなアングルのコマが続いたり、長い台詞で説明しようとしたりで、単行本でまとめて一気通貫で見ないと、よくわからないことも多い。別にマンガ版批判をしたいわけではないのだが、これを2時間程度の映画にするのは、なかなか技術が必要なところ。
さらに、福本伸行といえば、①ざわざわ…、②絵がぐにょ~ん、③雄叫び、と、特徴的な表現満載だが、それらがどう表現されているか、お手並み拝見という感じで観始めた。

藤原竜也の芝居で鍛えられた演技は、普通の映画だったら鬱陶しくて仕様がなかっただろうが、本作ではまあまあ許容範囲。「③雄叫び」はそれなりにクリア。利根川役の香川照之のキレた演技も、興醒めさせることのない、よい演技(それにしても、日本映画は香川照之に頼りすぎじゃねぇか?)。各ゲームのギミックも、セットや小道具の造型も非常に味があってよろしい。
しかし、あとは悪い点ばかりが目につく。プロモーション的に女性を出さねばいけない事情が先にあったためか、脚本がボケまくり。利根川と遠藤の嫌悪関係がしっかり表現しきれていないため、単に勝ち目がありそうだからというだけでカイジに賭けるという、重いリスクを負うリアリティがまるで理解できない。佐藤慶が怪演する兵藤だが、見た目も演技も問題ないのだが、本作ではただ出ているだけ。ギャンブルには深く関わらない。シナリオの構成の問題なのか、続編を考えて残したのか。単なる金主というだけで、終わらせてしまったのはもったいない。前にもいったが、たいして力量もないくせに、続編をチラチラ伺っているようではいい作品にはなり得ない。

「①ざわざわ…」は、作れっていわれりゃあ誰でもそう作るだろうなってレベルで、芸がなかった。原作を知っている人なら誰もがそこに注目するのは明白なのに、なんで「そうくるかぁ!」って思わせるところまで注力しないのか。やる気がないのかセンスがないのか…。「②絵がぐにょ~ん」に関してはそういうシーン自体なし(あれ?もしかして『アカギ』にはあるけど、元々『カイジ』には無かった?)。

と、難点ばかりを並べたが、結果としてはそれなりに愉しめてしまった。それもこれもすべて原作パワーのおかげ。幸いにも、どうこねくりまわしても福本伸行のアクは取り除きようがなかったってことだね(よほど、次の映画のネタにこまらない限り、続編はないと思う)。Vシネマを観てるつもりなら、かなり得した気分になると思う。何にも観るものがみつからない、まあまあアリかもしれない。

#女性は、これをおもしろいと感じるのかどうか興味がある(面白いと思うなら、どこが?)

拍手[0回]

image1254.png公開年:1998年 
公開国:アメリカ
時 間:87分
監 督:M・ナイト・シャマラン
出 演:ジョセフ・クロス、ロージー・オドネル、デニス・リアリー、ティモシー・レイフシュナイダー、ダナ・デラニー、ロバート・ロジア、カムリン・マンハイム、ギル・ロビンス、ジュリア・スタイルズ、ダン・ローリア 他




大好きだったおじいちゃんを亡くした少年ジョシュア。数ヶ月たったいまも、おじいちゃんは天国にいけたのか心配でたまらない。その答えを知っているのは神様だけと思い、ジョシュアは一人で神様を探そうと決意するが、誰に聞いてもどこにいっても神様の居場所はわからず終いで…というストーリー。

日本では未公開だった模様。シャマランのデビュー作ということで、やっと借りられた(監督だけじゃなくて脚本も手掛けているね)。DVDジャケットを見た限りは、大草原の小さな家ばりにかわいらしい子供のほのぼのムービーなイメージで、とても『シックス・センス』以降のラインナップとは程遠い。

ところがどっこい、本作には、『アンブレイカブル』『サイン』『ハプニング』などのすべての萌芽がある。小学生の素朴な思いを通じて、死生観や宗教の存在意義や神的な大いなる力についてアプローチしようとしている。しかし、メジャーデビュー作ということで、思いっきり肩肘を張ってしまってのだろう。自分の頭の中にあることをすべてぶち込んでしまった感じで、ちょっと直球すぎ。無邪気さのオブラートから、哲学や形而上学的な臭いが漏れ出してしまっている。
『最後の誘惑』の時にも言ったが、伝えたいことを直球で表現しては芸術でなくなってしまう。むしろまったく別の角度から光を当てて、観ている側が次第に気づき始めるような表現方法こそ芸術といえるのだ。そう、「気付かされた」のではなく、自分で「気付いた」と思わせることこそ大事なのだ(自論)。

ちなみに、ラストは小さなドンデン返し的なところがあって、シャマラン監督の星新一的な部分も垣間見られる。本当に雀の魂百までとは良くいったものだ。ここのところマンネリ作品が続く彼だけれど、デビュー作から扱うテーマが変わっていないのをみると、このマンネリからは抜けられないのかもね…と、ちょっとイヤな予感もしてくる。
まあ、その他にも、感動する場面を煽るような音楽の使い方とか、”若いなぁ”と感じる部分は多々あるけれど、ご愛嬌ということ。実に害のない健全な作品で、「ああ、なんかワタシの心、今、汚れているかも…」って時に観ると、ちょっとは心が洗われるかもしれない。きっとハマる人には、涙だだ漏れするくらいハマるかもしれないとは思うが、私にはまあまあって所。受けてによってかなり差のある作品かと。

拍手[0回]

image1282.png公開年:1980年 
公開国:アメリカ
時 間:124分
監 督:ロバート・レッドフォード
出 演:ドナルド・サザーランド、メアリー・タイラー・ムーア、ティモシー・ハットン、ジャド・ハーシュ、エリザベス・マクガヴァン、M・エメット・ウォルシュ、ダイナ・マノフ、ジェームズ・B・シッキング、アダム・ボールドウィン、フレドリック・レーン 他
受 賞:【1980年/第53回アカデミー賞】作品賞、助演男優賞(ティモシー・ハットン、ジャド・ハーシュ)、監督賞(ロバート・レッドフォード)、脚色賞(アルヴィン・サージェント)
【1980年/第46回NY批評家協会賞】作品賞
【1980年/第6回LA批評家協会賞】助演男優賞(ティモシー・ハットン)
【1980年/第38回ゴールデン・グローブ】作品賞[ドラマ]、女優賞[ドラマ](メアリー・タイラー・ムーア)、助演男優賞(ティモシー・ハットン)、監督賞(ロバート・レッドフォード)、新人男優賞(ティモシー・ハットン)

有能な弁護士であるカルヴィン・ジャレットはは、妻ベスと17歳の息子コンラッドとの3人暮らし。幸せそうに見える家族だったが、コンラッドの兄であるバックを湖の事故で亡くしており、助かったコンラッドも罪悪感から自殺未遂をおこし、精神病院に入院していた。その後、コンラッドはハイスクールの水泳部に所属し、聖歌隊にも入っているが、時々悪夢にうなされ精神科医の治療を受けており、家族にはぎくしゃくとした空気が流れていた…というストーリー。

大学で心理学の授業をとっていた人ならば、結構はじめの方で、この家庭の一番の問題が誰なのか見えてくるはず。まるで心理学の教材みたいな映画(もちろんレッドフォードは、そのつもりで作ったわけではない)。

湖の事故は普通の出来事ではないが、それを通して“普通の人々”の心の割れ目に光りを当てて、深い闇を浮き彫りする。どんな中の上くらいの家庭でも、このくらいの心の闇があるのが、今は“普通”だよねというレッドフォードの視点と、それを初監督作品にしてここまで練り上げてしまった彼のと力量は大したもの…としかいいようがない。敬服。

なんとも心苦しくさせるのは、母親ベスのような人間が、実際に多いということ。目を背けたいことをもっともらしい雄弁によって回避して、その行為が他人を傷つけていようとも悪びれもしない。このような人間がいかに家庭や社会に害悪を振りまいているか。そして悲しいかな、これまでのひずみが正しい方に向かったとしても、絵に書いたような幸せな状況になることはなく、本作のように傷は傷として受け止めねばならない。これもまさに事実である。
本作にリアリティがないとのたまう人は少なくないが、壊れたブロックをはめるようには修復できず、かさぶたで覆うようにしか乗り越えることはできない。現実はこんなもんである(おまえに何がわかるといわれそうだが、そうなのだから仕方が無い)。

本作で一番の演技は、やはりそのべス役のメアリー・タイラー・ムーアである。あの現実から一瞬にして逃避する目線の演技は、よく研究されており、実に白眉である(ワタシが心理学の教材という所以はここにある)。

まあ、確かに重い内容ではあるのだが、最後には何ともいえない、他の映画では味わえない清清しさ(というのが正しいかどうか微妙だけど)を得られると思う。先日の『7つの贈り物』とは違った角度で、生きることについて考えさせてくれる作品(いや、ホントにドロドロはしていないから)。お薦めする。

#久々に『アメリカン・ビューティー』も観なおしたくなってきた。

------------

さて、本日で本ブログも365日目に。
1日1本映画をみて感想を書こう!って思いつきではじめたのだけれど、本当に毎日1本観れるなんて(まあ、0時をまたいで観終わったり、途中でやめたのを続きから観たりとか、記事のアップが遅れたりとかはあったけど)。
よく考えれば、大きな風邪をひくこともなく1年をすごせた証拠。すばらしい。

はじめは、だれも読んでくれないだろうけど、こつこつ書こうって思っていて、実際にだれも読みにこなかったけれど、いまとなっては1日平均3人は見てくれている。少ないって思うかもしれないけれど、それでもうれしい。

さて、500日、1000日と続くのかしら。どうだろうね。
#たまにはコメントいただけるとありがたいです。

拍手[0回]

image1535.png公開年:2008年 
公開国:アメリカ
時 間:93分
監 督:ジョエル・ホプキンス
出 演:ダスティン・ホフマン、エマ・トンプソン、アイリーン・アトキンス、ジェームズ・ブローリン、キャシー・ベイカー、リチャード・シフ、リアーヌ・バラバン、ブロナー・ギャラガー、ジェレミー・シェフィールド、ダニエル・ラパイン、パトリック・バラディ、アダム・ジェームズ、マイケル・ランデ 他
ノミネート:【2008年/第66回ゴールデン・グローブ】女優賞[コメディ/ミュージカル](エマ・トンプソン)
コピー:人生の曲がり角の先には、きっと── 素晴らしい冒険が待っている。

離婚後、ニューヨークでCM作曲家をして気ままなに暮らしいるハーヴェイは、イギリスで生活をしている一人娘が結婚式を挙げることになりロンドンを訪れる。会場を訪れたものの、疎遠だった親族の中では疎外感を味わうばかりだし、仕事の電話が頻繁に掛かってきて落ち着くこともできない。さらに、娘からバージンロードは義父と歩くと言われ、最悪の気持ちに。一方、性格に難があり手間のかかる母親のせいで、うんざりした日々を過ごし、もう人生に期待しないことに決めた女性、ケイト。そんな二人が、空港のバーで出会うのだったが…というストーリー。

二人のわびしさみたいのを見て、「あ~、わかるわぁ~」ってなるかならないかで、この映画を愉しめるかどうか決まる。それに、これに共感できるのは、40歳近くになってからじゃないのかな。20代そこそこで、これに共感できたら、よっぽど生活に疲れているに違いない。

ダスティン・ホフマンの実年齢は70を超えているけれど、役では60歳そこそこなのかな。原題にあるように“LAST CHANCE(最後の恋)”ってことなんで、まさに中高年の恋。映画だからってわけじゃなくって、最近は年がいってても見た目が若い人は多いから、それほど現実離れした感じはない。

とはいえ、はっきりいってしまうと、二人の境遇に共感するまでがMAXで、その後に展開されるロマンスは、さほどワクワクもドキドキもしない。ありきたりに展開して、地味に着地する。よく言えば、安心して観られるってことだが、悪く言えば刺激はない。まあ、韓国ドラマみたいな展開にはうんざりしている人は、ちょうどいいのかも。ワタシは飽きずに最後まで観られた。ジェットコースターロマンスみたいなのは食傷気味だから。雨の日に、チーズかなんかをつまみにスパークリングワインでものみながら、ふわーっと観るのがお薦めかも。

#邦題は、配給会社の新人社員が先輩に怒られないように無難につけたみたいな、何の味もないモノ。

拍手[0回]

image1412.png公開年:2008年 
公開国:アメリカ
時 間:123分
監 督:ガブリエレ・ムッチーノ
出 演:ウィル・スミス、ロザリオ・ドーソン、マイケル・イーリー、バリー・ペッパー、ウディ・ハレルソン、エルピディア・カリーロ、ロビン・リー、ジョー・ヌネズ、ビル・スミトロヴィッチ、ティム・ケルハー、ジーナ・ヘクト、アンディ・ミルダー、サラ・ジェーン・モリス、マディソン・ペティス、ジュディアン・エルダー、オクタヴィア・スペンサー、ジャック・ヤング、コナー・クルーズ 他
コピー:あなたなら、受け取れますか?
彼は【ある計画】を進めていた。7人の他人を選ぶ。そして、彼らの人生を変える。何のために──?

税務局員のベンは、税を滞納している人達などに接触し、彼らが正しい人間かどうかを調査していた。彼ら、互いに何の関係もない他人同士だったが、ベンには彼らを調べなければならない理由があったのだ。このベンの考えを知っているのは、ベンの親友の男ただ一人。彼は納得はできないが親友としてベンの願いを聞き入れることを承諾し、ベンの指示を待っている。そして、ベンの調査対象の一人である、余命幾ばくもない女性エミリーとの出会いが、ベンに大きな影響を及ぼしていく…というストーリー。

非常に宣伝しにくかったと思われる作品。配給会社の苦労が偲ばれる。ある意味『シックス・センス』と同様のネタバレ禁止な内容なのだが、『シックス・センス』の場合はホラー要素やサスペンス要素、且つ「ラストは言わないでねー」的なプロモーションができただろうけど、本作はそれはできない。私にこれを宣伝しろといわれたら、悩みに悩んで結局答えは出せない気がする。

はっきりいってしまうと、本作の世の中での評判は非常に悪い。しかし、ワタシはそうは思わない。「感動できなかった…」という人が多いのだが、これは感動させたい映画じゃないのに、何いってんの?とワタシは思うのだがいかがだろうか(もちろんワタシも感動はしていない)。

ジャケットやタイトルを観ると、なんとなくハートウォーミングムービー的な感じがしてしまうが(「感動できない」という人は、その先入観から抜け出せないだけ)、ストーリーは、まるでサスペンスや謎解きのように展開する。序盤から、話の筋が全く見えてこなくて、苛立ちを感じるくらい。徐々にピースがはまっていくが、そのペースは非常に遅く、ラスト近くになるまでベンの行動の理由は見えない。

そう、これは一つのサスペンスムービーとして捉えるのが正しいと思われる。この小出し加減と閉塞感を途切れることなく展開する技術は結構なものだと思う。私は好み。

以下、ネタバレ。

さきほども言ったが、これは感動してほしい作品ではなく、前向きな自殺というのは有り得るか?許せるか?贖罪のために自分の命を捧げることは許容されるか否か?という、問いかけをしている映画だと思う。
さて、これでも自殺したベンは天国にはいけませんか?とカトリックに問いたいが、教義的には「いけません」と返ってくるんだろうね。
個人的には、脳裏から片時も贖罪の念が離れず、生きていくことが困難になった場合(どうしても忘れられず、通常の生活をおくることが困難な場合はあるんだろう)、ワタシがこうなってしまったら、こういう前向きな死に方を選びたい。そう考えさせてくれる1本。
はじめたちょっとしたアイデアだったと思うんだけど、これをここまでの一作に仕上げたこと自体、個人的にものすごく評価したい。世の中の人が何と言おうが私はお薦めする。

拍手[0回]

image1537.png公開年:2010年 
公開国:アメリカ
時 間:106分
監 督:ルイ・ルテリエ
出 演:サム・ワーシントン、ジェマ・アータートン、マッツ・ミケルセン、アレクサ・ダヴァロス、ジェイソン・フレミング、レイフ・ファインズ、リーアム・ニーソン、ティン・ステイペルフェルト、ルーク・エヴァンス、イザベラ・マイコ、リーアム・カニンガム、ハンス・マシソン、アシュラフ・バルフム、イーアン・ワイト、ニコラス・ホルト、ヴィンセント・リーガン、ポリー・ウォーカー、ルーク・トレッダウェイ、ピート・ポスルスウェイト、エリザベス・マクガヴァン 他
コピー:神も、魔物も、そして運命さえも打ち負かせ。

神と人が共存していた神話の時代、神々は熾烈な抗争を繰り返していた。ゼウスの落胤でありながら人間に育てられたペルセウスは、冥王ハデスに家族を殺されてしまう。さらに、ハデスの暴虐によって地上が地獄と化す危機が直面し、復讐に燃えるペルセウスは、人間の猛者たちを率いて、ハデスを倒す旅に出る。ハデスを倒すためには、巨大な魔物クラーケンを倒す必要があったが、そのためには、見た者を石に変えるメドゥーサの首が必要。その道のりはあまりにも過酷で…というストーリー。

アキレスとかナルシスとかヘラクレスに比べると、日本ではいまいち有名じゃないペルセウス。そのくせ同じ年にペルセウスが主人公の映画が2本もつくられるなんて(『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々』のことね)。

とはいえ、『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々』がまるで『ハリー・ポッター』テイストならば、本作はまるで『ロード・オブ・ザ・リング』。いやいやギリシア神話のほうが元ですからという声が聞こえてきそうだが、観ればわかるが、メンバーの構成から性格付けから、ストーリの展開まで、各論の部分が似たテイストだから。映画自体はなかなか面白いし技術的にも高度なのに、B級の臭いが漂うのは、そのせいだと思う。
#『ハリー・ポッター』と『ロード・オブ・ザ・リング』の2作が映画界に与えた影響のなんと大きいことよ。

先ほども言ったが、アドベンチャー&ファンタジー映画としては、なかなか愉しめると思う。多くの人が及第点以上を与えるとは思うのだが、個人的には難点が。ギリシア神話自体が、不尽というか基本ストーリーに整合性がないから、そのために物語が落着したようでしていないのがイヤ。だって、ハデス打倒が目的なのに、倒したわけじゃないでしょ(おとなしくさせただけね)。そりゃあ、3界の長の一角を殺すわけにはいかないのはわかるんだけど、なんかふわっとした、ごまかされたような気になる。単なる冒険譚として見られずに、ギリシア神話サーガみたいな壮大なレベルでの整合性を求める私に問題があるとは思うが、“打倒ハデス”じゃなくって、ハデスの暴虐を止める…というところに目標を定めてくれれば納得できたかなと…。

別の話だが、それにしても本作の3D版の評価が悪い。要するに、元々3D用に製作されたものではないのに、無理やり後づけで3Dにしたものらしい。こういう子供だましはよろしくないですな。まあ、3D映画に批判的なワタシとしては、映画会社め、馬脚を現したな!と、唾をかけてやりたいところではあるが、こういう極めて商業主義的なクズ仕事のせいで、3Dの評判が悪くなって駆逐されることを望むので、逆の意味でよしとしよう。

本作は、1981年製のハリーハウゼン作品のリメイクってことでいいのだろうか。実はハリーハウゼンの方は断片的にしか観たことがないので、機会があれば観てみたいと思う。
とにかく、細かいことを考えずに、予定調和的な冒険気分を味わいたい人にはお薦めだろう。ストレスがたまった時に、超大音量でお菓子を食べながら一人で鑑賞するには、うってつけかも。うむ、大音量で観るってのは、案外ポイントかもしれない。

拍手[0回]

image0179.png公開年:2004年 
公開国:アメリカ
時 間:81分
監 督:ピーター・ヒューイット
出 演:ブレッキン・マイヤー、ジェニファー・ラヴ・ヒューイット、スティーヴン トボロウスキー、ビル・マーレイ、ブレッキン メイヤー、アラン・カミング 他
コピー:ニャマケモノで行こう!



日々、お気楽に暮らす太り気味の飼い猫ガーフィールド。ある日、飼い主のジョンが子犬のオーディを連れて帰ってきてしまう。困ってしまった犬嫌いのガーフィールドは、オーディを家から追い出してしまうが、オーディが本当に行方不明になってしまうと、強く責任を感じてしまい…というストーリー。

このガーフィールドというのは、全米で人気のキャラクターらしいが、よく知らない(まあ、見たことがないわけじゃないけど)。おなじみのマンガキャラが最新技術で映画に!って、最近の鉄腕アトムみたいな感覚か?いやあ、あのハリウッド版鉄腕アトムに比べたら本作のほうがいいデキでしょ。

基本的にCGで表現されているのは、主人公のガーフィールドだけなんだけど(というかマンガチックなキャラはガーフィールドで、あとは普通の犬猫。多分、他の犬猫のところでもCGは使っていると思われるが)、2004年当時のCG技術としても、コメディ作品ながらかなり入魂のデキと思われる。今でこそ当然になってしまったが毛の動きまでしっかり表現できており、まるでぬいぐるみが動いているよう(ってイマイチ褒め言葉になってないか)。実写映像との合成具合や、周りの動作との自然なシームレス具合など、単純なCG技術だけでなく、CGにマッチするような撮影というのをしっかり意識していたのだろう。映像的に文句をいうところはあまり無い。

内容は、極めて子供向けでありきたりで凡庸なストーリーだが、飽きそうになる手前でポンポン展開するので、こちらも自然に最後まで観続けられた。結構長い割には………って、たった81分じゃん。ものすごく長く感じたのだが!
実は、本作は基本的にはものすごくつまらない内容なのだが、多いシーン数を細目な場面切り替えで繋ぐことで、それなりに成立させている作品(シーン数は多いので長く感じてしまうのね)。これは編集技術の勝利といえる。そういう意味で、つまらなくなってしまった映画を編集技術で面白く見せるひとつのヒントになる作品かもしれない。

ということで、極めて子供向き。最終的に子供は「あ~おもしろかった…」というかどうかは微妙だが、男子女子を問わず飽きずには観られると思う。ただ、英語音声でガーフィールドの声を当てたビル・マーレイはピッタリで、日本語版の藤井隆も声質は近いんだけれど、演技自体がイマイチで。普通の声優の二倍の時間をかけて、いいテイクをチョイスするくらいの労力投入が必要だったんじゃないかな(純粋に場数を踏んでいるかいないかの問題。ちょっとかわいそうかな)。子供が飽きるとすれば、抑揚が少なく、どのシーンもトーンの変化が薄い藤井隆の吹替えの部分かもしれない。
何のイヤミも害もない作品で、心を休めたい人には案外お薦めかも。そうじゃない人には、極めて物足りない作品。

拍手[1回]

image0181.Png公開年:2005年 
公開国:フランス、オーストリア、ドイツ、イタリア
時 間:119分
監 督:ミヒャエル・ハネケ
出 演:ダニエル・オートゥイユ、ジュリエット・ビノシュ、モーリス・ベニシュー、アニー・ジラルド、ベルナール・ル・コク、ワリッド・アフキ、レスター・マクドンスキ、ダニエル・デュヴァル、ナタリー・リシャール、ドゥニ・ポダリデス、カロリーヌ・バエル 他
受 賞:【2005年/第58回カンヌ国際映画祭】監督賞(ミヒャエル・ハネケ)
【2005年/第31回LA批評家協会賞】外国映画賞
【2005年/第18回ヨーロッパ映画賞】作品賞、監督賞(ミヒャエル・ハネケ)、男優賞(ダニエル・オートゥイユ)、編集賞(ミシェル・ハドゥスー、ナディン・ミュズ)、国際評論家連盟賞(ミヒャエル・ハネケ)
コピー:送られてきた1本のビデオテープ それは記憶の底に隠された無邪気な悪意

人気TV番組に出演しているジョルジュは、妻アンと息子ピエロと幸せな暮らしを送っている。ある日、ジョルジュの家を正面から隠し撮りした送り主不明のビデオテープが届き、その後、同様のテープが何度も送られてくる。内容は、どんどんジョルジュのプライベートな過去に近づいていく。次第に恐怖に支配され追い詰められ、家族の間にも亀裂が生じ始めるが、そんな中、ふと、ジョルジュの少年時代の記憶が蘇り…というストーリー。

BGMを一切排除。カメラは極力動かさないようにして、ビデオ映像なのか否か判然としない編集。それらは、リアリティを増加させ、観ている側を不快にさせようという演出なのだろうが、それほど効果が高かったとは思えず、策に溺れたようにしか見えない。
もしかすると、そういうミエミエの演出に対して不快感を感じるだろうな…というところまで計算しているなら大したものだともいえるが、結果としてその不快感の先にあるものは、必ずしも多くの人が理解できるものではないように思える。本作に対してなんらかの思いが喚起されるのは、移民に関してやましいことや問題をかかえる人間(国民)だろう。それもフランスのように国家レベルで逼迫するような状況の人の場合だ。
ワタシには、予想はできるが実感がないので、ピンとこないというのが正直なところ。

1年のうちにそれこそ何千本作られる映画の一つとして、こういうものがあることを否定はしない。けれど、小説のように一人でアウトプットを構築できるものならいざしらず、多くの大人が関与してはじめて完成する作品において、監督の思いを理解して、嬉々として参加しているスタッフがどれほどいたことか。私にはその空気は伝わってこなくて、あくまで監督のやりたいことに「はいはい…」とビジネスライクに付き合う様子しか想像できなかった(あくまでワタシの妄想だけど)。ようするに画の端々から、つまらなさが伝わってくるのだ。

以下ネタバレ含む。

はっきりいって独りよがりな内容にしかみえない。衝撃のラストという謳い文句もあったが、もしかして自殺のことを刺しているなら別に衝撃だと思わない。私は、最後まで“衝撃のラスト”があるのだろうと期待し続けたが、あのエンドロールに突入。アゴが落ちた。
深層心理サスペンスなんていうもんだから、どれだけ複雑でおどろくような心理描写があるのかと思いきや、単に罪悪感を感じるような過去を忘れたという、あたりまえの脳の機能でしかない。もしかして、それが個人ではなく国家レベルで行われている…とでもいいたいなら、演出として不足極まりないし。だいたいサスペンス要素なんか、無いに近い。

『ファイト・クラブ』レベルの精神・心理モノに慣れてしまっているせいかもしれないが、物足りないこと極まりない。まあ、“実は犯人は自分でした”パターンじゃないのはヨカったとは思うけれど、本当に主役の予想したとおりの人が(その家族かもしれないけど)、本当に「脅迫」してるのなら、単なる恨みのハナシじゃないか。深読みしたところで、心理サスペンスじゃなくって、国家政策批判だよね(母親の反応とかさ)。
コピーにある“無邪気な悪意”というのも、よくわからないし(無邪気でもなんでもない普通の悪意だよね?)。とにかく、少なくとも配給会社は本作の意味を理解していないことはわかった(か、あえて釣りの宣伝をしているのか)。

ますますカンヌ映画祭の価値観というものは判らない…と感じさせてくれる一本。ヨーロッパの移民問題の根深さと社会の空気を感じたいなら、見るべき1本かもしれないが、“映画ってなんなんだろうね(疲)”と感じる人が少なからずいるであろう1本でもある。お薦めはしない。

#どうもアート嗜好の人の評判が高いようなのだが、あえて逆らうよ。おもしろくなったんだもの。

拍手[0回]

image1419.png公開年:1954年 
公開国:アメリカ
時 間:114分
監 督:アルフレッド・ヒッチコック
出 演:ジェームズ・スチュワート、グレイス・ケリー、レイモンド・バー、セルマ・リッター、ウェンデル・コーリイ 他
受 賞:【1954年/第20回NY批評家協会賞】女優賞(グレイス・ケリー)
【1997年/アメリカ国立フィルム登録簿】新規登録作品



カメラマンのジェフは足を骨折し、ニューヨークの自宅アパートで療養中。今の楽しみは、窓から見える向いのアパートの住人たちの生活を眺める事。しかし、その内の一室で、セールスマンの夫と激しい口論をしていた病床の妻の姿が見えなくなった事に気付く。その夫の様子を観察するうちに、女房を殺したのではないかと思うに至り、恋人のリザと看護人ステラを巻き込んで調査を進めるのだが…というストーリー。

映画史に輝く名作中の名作なのだろうが、またもや未見なワタシ。映画ファンです…というのが憚られるところなのだが、正直なところヒチコック作品自体をほとんど観ていない。これまで、あまり食指が動かなかったのだ。窓から裏の部屋を眺めていると殺人が…という程度の予備知識しかなくって、もちろん、オチがどういうものなのかも、まったく知らず。

盛り上げポイントと、オチ前の盛り上げのペース配分とか、今の映画では、ちょっと見られない構成。人によっては、飽きる要因になるのかもしれないが、私はそのおかげで、どういうオチになるものやら全く予想がつかず楽むことができた。
基本的に映画って“覗く”ことだからねぇ。その基本に立った視点は、実に慧眼といえる。そしてカメラワークも基本的に部屋から覗いているアングルだけ。カメラアングルが、映画全体の空気を作っている稀有な例で、実験映画といってよいのかもしれない。とても天才的なヒラメキの発露を感じる。

『サイコ』はほぼそのままリメイクされたが、本作の場合はそうはいかないだろう。
パニック障害で部屋から出られない男の楽しみは、ネットでベンチャー警備会社のサーバに不正進入し、そこに接続管理されたたくさんのカメラの映像を見ること。しかしそのうちの一つで……って感じ?いやあ、なんか聞いたことがあるような内容。本作は、ヒチコック原作じゃないんだけど、形にしちゃったもん勝ちってことなんだね。その程度のリメイク具合じゃ、ぜんぜん納得してもらえないくらい、ユニーク且つ完成度の高いプロットってこと。

もし、本作の内容を(すくなくともオチ)を知らなくて、昨今のサスペンスものに飽き飽きしている人は、是非観てはどうだろう。映像の古さを差し引いても、なかなか新鮮な心持ちにさせてくれる作品。軽くお薦めする。

#グレイス・ケリーの美しさを絶賛する人が多いのだが、ワタシはそれほどでも…。

拍手[0回]

プロフィール
HN:
クボタカユキ
性別:
男性
趣味:
映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
自己紹介:
一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
リンク
カウンター
カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
ブログ内検索
最新コメント
[06/03 離脱ラバ]
[06/03 離脱ラバ]
[06/03 離脱ラバ]
[04/28 ETCマンツーマン英会話]
[10/07 絶太]
最新トラックバック
Copyright © 2009-2014 クボタカユキ All rights reserved.
忍者ブログ [PR]