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imageX0011.png公開年:2007年 
公開国:アメリカ
時 間:123分
監 督:マイケル・ムーア
出 演:マイケル・ムーア  他
受 賞:【2007年/第19回放送映画批評家協会賞】ドキュメンタリー賞
コピー:常軌を逸しているアメリカのドキュメント。
「シッコ」は笑いの要素が殆どないマイケル・ムーア作品
それだけ切迫した“悲しい実情”なのです


先進国の中では唯一、公的な国民皆保険制度を持たないアメリカ。国民の健康保険の大半は民間の保険会社に委ねられているが、高い保険料のために約4700万人が無保険。しかし、営利を追求する保険会社のせいで、加入者の方こそ被害をこうむっているのだ、という主張をマイケル・ムーアが展開。そんなアメリカの医療制度の問題点を、他国との比較や、医療の現場で生じている事例を紹介しながら、白日の下にさらす…という内容。

アメリカ人は、自国アメリカに対する愛や誇りはあるかもしれないけれど、同じ国民に対して愛など持っていないのがよくわかる。だけど、アメリカがクソ国家であることや、自由を笠に着た姑息な詐欺師集団であることをいまさら指摘しても何の意味もない。

私から見れば、カナダやイギリスのように自己負担が皆無なのだって、制度維持のためにはいささか無理があると思うし(だって税は高いんだから)、イギリスやフランスのホームドクター制度だって功罪があるように見える。キューバのように国全体の生産性が医療制度の基盤になっていると、国の調子がいいときは大丈夫だがコケれば制度すべてが疲弊してしまう。もちろん日本も同様で、ご存知のとおり医者の報酬は減り、医者の数は減る一方。どの国にも完璧な医療制度なんてないのだ。しかし、ムーア監督にすらそれが見えないほど、アメリカの制度がクソだってことである。
#まあ、私的には案外日本の制度がいいところで落ち着いている気がするんだけど。

それにしても、こんな状態だったら、闇の医療ネットワークができそうなもんなんだけど、それもないんだねぇ。不思議だなぁ。

しかし、病気にビクビクして暮らすことが、どれだけぞっとすることか。いや、アメリカ人は能天気なのか、著しく想像力がないかのどちらかだろう。粗野で乱暴な行動をする子供はいつも怪我だらけ。鈍い子なんかよりも寿命は短い。なにをいいたいのかは判るよね?アメリカという国家の寿命(少なくとも健康でいられる寿命)は、さほど長くないということ。人が人を喰う国は、100年もたない。おそらくアメリカは建国300年を迎えることはないだろう(だって、柔軟性がなさすぎるんだもの)。一番のアメリカの病気は、相互愛が欠落していることだが、その次は、社会主義が何かをしらずに社会主義が悪だと思い込んでいる人間ばかりだということね…。
#本作のラストで、アメリカも変われると、希望的なメッセージがあるが、多分無理。

この映画のおかげかどうかはわからないが、アメリカは国民皆保険制度の導入に向かうことになった。もちろんいまさら導入したってなかなか状況は改善しない。ただ、我々は気をつけなければいけない。アメリカを筆頭に奴らは、自国が失敗し、他国が成功している場合、別の作戦を弄して失敗するように仕向け、バランスをとろうとする不思議なロジックを持っているから。アメリカが日本に対して何をしてくるか。おそらく経済的に日本が不利になるような状況(つまり税収が減るような状況)になっても、一切ノータッチを決め込むだろう。要するに、今後、円高が進んでも彼らはダンマリを決め込むし、日本からの輸入にもっともらしい理由をつけて関税をあげる(WTOにもロビー活動をすると思われる)ってこと。そして敵の敵は味方理論で、韓国を優遇し始めるだろう(予言)。

閑話休題。
マイケル・ムーアは変質した。カンヌをとる前は、奇を衒ったり扇情的な演出をしたり、時には失礼極まりない下品な手法を多用した。そして、私はそんな彼が大嫌いだった。本作では、そういう無茶っぷりが無くなってお行儀がよくなったのだが、意に反して映画が面白くなくなってしまった…というか、すでに映画ではないように思えてきた。これは、単なるレポートだと思う。

さすがに、『華氏911』に比べると、パンチも浅いのだが、勉強にはなるので軽くお薦めはしておく。でも、これは映画ではない。

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imageX0012.png公開年:1974年 
公開国:アメリカ
時 間:165分
監 督:ジョン・ギラーミン、アーウィン・アレン
出 演:スティーヴ・マックィーン、ポール・ニューマン、ウィリアム・ホールデン、フェイ・ダナウェイ、フレッド・アステア、O・J・シンプソン、リチャード・チェンバレン、スーザン・ブレイクリー、ロバート・ヴォーン、ロバート・ワグナー、ジェニファー・ジョーンズ、スーザン・フラナリー、シーラ・マシューズ、ノーマン・バートン、ジャック・コリンズ、ドン・ゴードン、フェルトン・ペリー、グレゴリー・シエラ、ダブニー・コールマン、マイク・ルッキンランド、キャロル・マケヴォイ、カリーナ・ガワー、ジョン・クロフォード、アーニー・オルサッティ 他
受 賞:【1974年/第47回アカデミー賞】撮影賞(フレッド・コーネカンプ、ジョセフ・バイロック)、歌曲賞(作詞・作曲:アル・カシャ『タワーリング・インフェルノ/愛のテーマ』 We May Never Love Like This Again)、編集賞(Harold F.Kress、Carl Kress)
【1974年/第32回ゴールデン・グローブ】助演男優賞(フレッド・アステア)、有望若手女優賞(スーザン・フラナリー)
【1974年/第29回英国アカデミー賞】助演男優賞(フレッド・アステア)、作曲賞[アンソニー・アスクィス映画音楽賞](ジョン・ウィリアムズ)
コピー:脱出できるか 救出なるか 今世紀最大のスペクタクルアドベンチャー

サンフランシスコに138階建の全面ガラス貼りのビルが建てられ落成式が催された。しかし、ビルオーナーの娘婿が予算を着服するために電気系統の手抜き工事を指示しており、故障が発生。81階からボヤが発生した。設計者のロバーツはオーナーのダンカンに落成式を中止して、300名の来賓を避難させるように進言するが無視される。火災は広がり、落成式の会場に迫っていった。事態を重く見た消防隊長オハラハン隊長は救出作戦を敢行する…というストーリー。

映画史に残る名作だが、恥ずかしながら初見。昨今のパニックムービーと比較すると、決して派手ではないのだが、この無骨ともいえる演出でまさに手に汗握る状態に。165分は決して長く感じない。CGの無い時代にここまでの災害シーンを作り出すのは、さぞや潤沢に予算を投入したのことだろう。

当時のスター総出演的な映画だったそうだが、いろいろな立場のキャラが登場するも、それほど各々の掘り下げは深くない。なんといっても、スティーブ・マックイーンとポール・ニューマンのタフガイな演技が、この映画の色を作りあげているといってよい。設計士ながらも砂漠に出かけている間に、手抜き工事を許してしまい、責任を感じるロバーツと、プロを貫くオハラハンが、率先して人命救助の尽力する。

単なるパニックムービーという側面以上に、発展する社会に対する警鐘が多分に含まれている。現在なら、遺伝子操作に対する警告だとか、そういう内容になっちゃうんだろうけど、変にチャカしたり、格好をつけてシニカルさを漂わせたりせず、ある意味お上品な警鐘でステキ。最後のオハラハンの予言というか申し出を聞いて、9.11がよぎらない人はいないだろう。超高層ビル火災の恐怖が20年以上も後に現実になるなんて、ちょっとドッキリするラストである。

文句なしのお薦め作品!(といっても、観てない人は少ないよね。)

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image1477.png公開年:2009年 
公開国:日本
時 間:132分
監 督:山崎貴
出 演:草なぎ剛、新垣結衣、大沢たかお、夏川結衣、筒井道隆、武井証、吹越満、斉藤由貴、吉武怜朗、波岡一喜、菅田俊、織本順吉、油井昌由樹、綾田俊樹、矢柴俊博、飯田基祐、香川京子、小澤征悦、中村敦夫 他




臆病な少年・真一は、町外れクヌギの木の根元から自分が書いたと思しき古い手紙を掘り当てると、突然気を失い、戦国時代にタイムスリップしてしまう。そこは天正2年の合戦のさなか。真一は、小国・春日の国の武将“鬼の井尻”こと井尻又兵衛の窮地を図らずも救ってしまう。真一を連れ城へと戻った又兵衛は、少年の面倒を見るように命じられ、はじめは困惑しながらも次第に心を通わせていく。そんな又兵衛は、幼い頃から一緒に育った春日の姫・廉姫に想いを寄せていたが、ある日、大国の大名・大倉井高虎と廉姫との婚姻話が持ち上がる。それは小国の春日にとって願ってもない申し出だったのだが…というストーリー。

言わずもがな、アニメ映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』を原作とした作品である。前にも書いたが、日本映画ベスト10とはいわずベスト3を挙げろと言われたら、ワタシは『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』を絶対に入れる。だって、なんかしらないけど、何度観ても100%泣けてくるんだもの。

と、いうことで、本作の製作がプレスで報じられた時、「もう、ヘタなことをして汚してくれるなよ…」とイヤな思いになったのを記憶している。公開前の宣伝TV番組で監督がCGのデキについて自慢げに話をしていたのを観て、観にいく気が完全に失せ、やっと今、観るに至る。

『ALWAYS 三丁目の夕日』の監督で、町並みのCGが高く評価されたので天狗になってるのはわからなくもないが、それほどのデキではないでしょう。以外に都市や下町の町並みの場合、細かい構造物が多いのでごまかせるけれど、戦国時代だと自然や城などパーツの広く大きいものが多く、テクスチャ処理の出来がすべてなのだが、イマ一歩でCGだなと判ってしまう。
CGで成功しているのは、『ラスト・サムライ』でも観られた兵士の増量の部分で、これはウマク仕上がっている。しかしその戦闘シーンも、CGの技巧におぼれてしまったのか、アングルやカット割りが凡庸で迫力がまったくない。全然、目が惹き付けられないし飽きてくる。こういう技術というのは、なんでもできるようになると逆につまらないデキになってしまうんだな。いろいろな制約をなんとか超えようとする、その努力の先にすばらしいものがあるのだ。こういう技術の進歩のワナにはまってしまうのって、クリエイターとして恥ずかしいことなのかも。

本作はアッパレ!戦国を実写にしよう…という発想がスタートではなく、『ラスト・サムライ』に負けない時代劇を日本でもつくろう…というのが先で、後からアッパレ!戦国をひっぱってきたと聞いた。アッパレ!戦国ファンとしては、後付で持ってこられて、いささか心外なのだが…。
ストーリーは、『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』からクレヨンしんちゃんの設定を抜いて、整えただけである。ある意味、元映画の良いところはそのまま残っている。話の流れもそのまんま。そのおかげで、泣けるシーンもそのまんま。受賞歴が皆無なのだが、これは賞を与えにくい。だって、面白い部分は、すべて『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』にあるんだもの。
#いや、正直、本作で涙出てきましたよ。でも、それは元アニメにある要素で…だから。
原恵一監督は、アッパレを作るときに、頭の中にあった設定や演出を、“クレヨンしんちゃん”ゆえに泣く泣く捨てたことが多かったと思う。それが実写では制約がなくなったので、色々盛り込めたはずなんだけど、マイナーチェンジ程度の加味していないのも、残念。車がデカいオフロード車になっていたり、主人公がいじめられっこだったり、又兵衛の面倒を見ている夫婦に子供が一人生き残っていたり…諸々の加えた部分は、ま~~~~~ったく生きていない。リメイクの意味がないかな。

それに、夏川結衣、吹越満の演技が妙にに浮いていて違和感がある。本作についてはこの2名はアウト。

最終的には特段お薦めする必要のない作品。だって、元アニメを観ればそれでいいんだもの。注意報としては元アニメを観る前に本作を観ることはやめよう…ってこと。私アニメとか観ないから…とか文句をいうんなら、本作は別に観なくていい。おそらく、元アニメを観ていない人には大したこと無い映画に映るだろうから。

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image0634.png公開年:2002年 
公開国:フランス
時 間:108分
監 督:フローラン=エミリオ・シリ
出 演:ナディア・ファレス、リシャール・サムエル、ヴァレリオ・マスタンドレア、ブノワ・マジメル、サミー・ナセリ、サミ・ブアジラ、アニシア・ユゼイマン、マルシアル・オドン、パスカル・グレゴリー、マルタン・アミック、アンジェロ・インファンティ 他
コピー:12000発喰らえ。



ナセールをリーダーとする5人の男女は工業倉庫へ盗みに入ろうとしていた。同じ頃、ラボリ中尉率いる特殊警察部隊は、少女売春の罪で逮捕されたアルバニア・マフィアの首領を護送していたが、マフィアの襲撃に遭い、ナセールたちが侵入した倉庫へ逃げ込む。ラボリとナセールたちは共にアルバニア・マフィアに包囲され一斉放火を浴びてしまうが…というストーリー。

昨日の『あるいは裏切りという名の犬』がなかなかよかったので、続けてフランスモノ。
コピーが“12000発喰らえ。”ということで、『ホットショット』ばりの乱射(笑)が繰り広げられるのかと期待したが、わざわざ言うほどのこともない普通の銃撃戦かな。勝手にハードルを上げすぎたせいか、全然迫力が感じられず。

それに、上に書いたあらすじの設定以上のドラマがない。圧倒的な戦力差で追い込まれ、次々と死んでいくという、本来ならばドラマチックな展開にできそうな筋なのだが、各キャラのバックボーン・経歴・特殊能力の設定が薄く、特徴差が際立っていない上に、人数だけは多い(黒人の軽業師なんか全然能力を発揮しないし、なにやら過去がありそうな警備員についても何の説明もない)。アクションがメインとはいえ、役者陣も演技に独自色を出せていないのも頂けない。よって、観ている側も感情移入しにくいし、こうやってレビューを書いていても、あまり記憶に残っていないのだ。ネット上のあらすじを読んで、「ああ、そういうハナシだったか…」って思う始末(アルバニアマフィアとか…)。
#記憶に残ってるのは、『荒野の七人』の口笛くらいかな…

ワタクシ的にはかなり不評なのだが、ネット上では拾い物だと中々の評判で、ちょっと逆にびっくり。なので、もしかすると愉しく観れる方が多いのかもしれないが、ワタシはお薦めしない。赤点とは言わないがC+評価くらいかな。

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image1475.png公開年:2004年 
公開国:フランス
時 間:110分
監 督:オリヴィエ・マルシャル
出 演:ダニエル・オートゥイユ、ジェラール・ドパルデュー、アンドレ・デュソリエ、ヴァレリア・ゴリノ、ロシュディ・ゼム、ダニエル・デュヴァル、ミレーヌ・ドモンジョ、フランシス・ルノー、カトリーヌ・マルシャル、ソレーヌ・ビアシュ、オーロル・オートゥイユ、オリヴィエ・マルシャル、アラン・フィグラルツ 他
ノミネート:【2004年/第30回セザール賞】作品賞、監督賞(オリヴィエ・マルシャル)、主演男優賞(ダニエル・オートゥイユ)、助演男優賞(アンドレ・デュソリエ)、助演女優賞(ミレーヌ・ドモンジョ)、脚本賞(ジュリアン・ラプノー、フランク・マンキューソ、オリヴィエ・マルシャル)、音響賞(Pierre Mertens、Francois Maurel、Sylvain Lasseur、Joel Rangon)、編集賞(Achde)
コピー:かつて親友だった 同じ女を愛した 今はただ敵と呼ぶのか…
──実話に基づく、激しくも切ない宿命の物語──

パリ警視庁の2人の警視、レオ・ヴリンクスとドニ・クラン。親友だった2人は、かつて同じ女性カミーユを愛していたが、彼女はレオと結婚し、それ以来、友人関係は破綻。今は、次期長官候補としてライバル関係にある。レオは、ある男との取引で現金輸送車強盗犯のアジトの情報を入手し、一網打尽にすべく作戦を展開する。ところが、出世を焦るドニの無謀な行動により、作戦は失敗。ドニはその失敗の責任を追及されたが、ある裏情報を基にレオを密告し、自分は無罪放免、レオを刑務所送りにすることに成功するのだが…というストーリー。

こんな重々しい刑事ドラマは久々だと感じたのと同時に、フランスの刑事のガラの悪さといかタチの悪さというか、とても市民を守ってくれなさそうな風体・態度で、本当にこんなんだったらフランスなんかいきたくないぞ…と思った。
って、観終わってから調べてみたら、監督は元警官で、共同脚本の人も元刑事。そして、かなりアレンジしているけど、この事件のベースは実話なんだって!いやいやいや、こんなに警察機構が腐ってるなら、とても安心してパリになんかいけないから。本当に恐ろしい国だわ。

まあ、その真偽はさておき、演技も映像も音楽も渋い渋い。重い重い。ベタベタな演出かもしれないけど、観ていて本気で悪役を憎く感じるほど、情が動く。それほど入り込んで観れる作品。

その渋さを台無しにしないように、配給会社も真剣になったのか、すばらしくデキの良い邦題。原題が“オルフェーヴル河岸36番地”なんて味も素っ気もないモノ。そこで“あるいは裏切りという名の犬”。だって刑事だから犬だもの。登場人物の全員が、何かを裏切っているもの。“あるいは”なんてヨーロッパっぽ感じが出てるもの。もう、内容ともズレていないし雰囲気もよく反映してるし、100点の邦題でしょう。

主人公のレオが、主役とはいえ脱法しまくり(娼婦を殴った奴をシメたり、ハメられたとはいえ犯罪行為を見逃すことと引き換えに情報を入手したり)なところが、薄っぺらな勧善懲悪を超えた重さに一役買っている。いや、誰でも生きていく上で、多かれ少なかれ何かを裏切ってるよ。なーんて、普段はお気楽なワタシでも、ハードボイルドチックなことを考えちゃうような、しぶい作品。

とはいえ、最後は不満…というかピリっとしない。
(ネタバレ注意)
実のところ、ドニは権力を握ろうがなんだろうが、本質は弱くて小っちゃい人間で、常に自分の所業の報いに怯えながら生きている。だから、殺さずに苦しめるのが一番いいはず。確かに演出上の仕掛けはあるので、工夫をしているのはわかるのだが、殺さずに社会的に窮地に立たされるとか、生き地獄を味あわせてもらいたかったかな。そのくらいじゃないとバランスが取れない。そのせいか、殺されたの見ても溜飲がさがることはなく、なんかあっさり死ねてよかったじゃん…て思っちゃったくらい。
そして、レオはもう脱法することもなく、誰も裏切らない…のはいいんだけど、本当に誰も何も裏切らないもんだから、ふわっと終わってしまう。

まあ、最後の不満はご愛嬌だ。この減点があったとしても、悠々A評価作品。未見の方は是非お薦め。どちらかといえば男の子向け作品かな。

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image0547.png公開年:2001年 
公開国:アメリカ
時 間:87分
監 督:ジェームズ・ウォン
出 演:ジェット・リー、カーラ・グギーノ、デルロイ・リンドー、ジェイソン・ステイサム、ディラン・ブルーノ、リチャード・スタインメッツ、スティーヴ・ランキン、タッカー・スモールウッド、ハリエット・サンソム・ハリス 他
ノミネート:【2002年/第11回MTVムービー・アワード】格闘シーン賞(ジェット・リー:ジェット・リー 対 彼自身)
コピー:125人のジェット・リー“バトル・ロワイアル”が始まる!!
多次元宇宙を制する者が<超人(ザ・ワン)>となる――

125の並行宇宙が存在することが判明し、その均衡を保つために多次元宇宙捜査局が監視を行っていた。その捜査官であったユーロウが、謝って別世界の自分を殺してしまった時に、自分のエネルギーが増して超人化することに気付いた。ユーロウは唯一の存在“ザ・ワン”になるべく、他世界の自分をすべて殺し続け、ゴアがアメリカ大統領を務める世界で、犯罪者ロウレスを殺して、残るは、ブッシュが大統領を務める世界に住む、ロサンゼルス郡保安官ゲイブひとりとなり…というストーリー。

まず、いきなりネタバレになってしまうが、本作がサイエンス・フィクションとカテゴライズされる所以である根本ルールが、完全に矛盾しているのだ。

多次元宇宙が125あるという設定は大目にみるとして、他世界の自分を殺したらパワーが増すという法則、これ実はものすごく定義が難しい。
自分Aが自分Bを殴って殺した…この場合はAが自分を殺害したとなんとなく納得できる。では、自分Aが自分Bを殴って大出血をさせ、このまま出血し続ければ確実に死ぬというところで、赤の他人Cが登場し、傷口を押さえ出血を止めた。これでなんとか延命したが、Cは気まぐれに止血している手をはずして、再出血しBは死んだ。さて、この場合、Bを殺したのはAなのかCなのか。
さらに、別のパターンを。自分Aが鉄の棒という道具で自分Bを殴り殺した…この場合もAが自分を殺害したということにできそうだ。では、自分Aが、他人Cの家族を人質に取り、家族を助けたければ自分Bを殺せと命じ、CはBを殺した。あくまでAの道具としてCはBを殺したが、この場合、AはBを殺したことになるのかならないのか。
要するに、誰が殺人の加害者なのか?は法律とか感情の領域のハナシであって、科学法則の発動条件に適するわけがないのだ。だから、せめて、自分が死んだときに、もう一人の自分が同じ世界にいたときに、パワーが委譲されるとか、そういうルールにしないと、いくらSFとはいえ説明がつかないのである。
でも、本作は、自分が自分を殺した時というルールで押し切った。なぜか。だって面白そうだから。

しかし、残念ながら、このノリさえも、最後で完全に破綻(というか自滅)してしまう。最後、残り二人になって逮捕されるのだがユーロウは殺されない。だって、残り二人のうち一人を殺してしまったら、“ザ・ワン”になっちゃうかもしれないから。
????あれ?いやいやいや。自分がもう一人の自分を殺した場合だけってルールでしょ?じゃあ、世界のために捜査局がユーロウを処刑すればいいじゃないか。問題ないでしょ?嬉々として闘うユーロウを見て、ごまかされちゃたけど、完全にオカシイ(笑)。

でも、この映画は大事な示唆を与えてくれた。どんな穴だらけでも、臆してもっともらしい説明を付加したりせず、内容の陳腐さをごまかすために奇抜な映像技術に走ったりせず、妙にシニカルになって笑いを足してみたりせず、とにかく脇目もふらず最後まで走りぬけば、愛すべき作品ができあがるってことを。『リベリオン』のガン・カタしかり、愛すべき存在である。
#ジェット・リーのコスプレも、ゴア大統領も、別世界の上司に敬語をつかうのも、チョケて笑いを欲しがってるわけじゃなく、真剣な演出だよ(たぶん)。

いや、愛すべき映画である。だって、ワタシ、今回で本作を観るの3回目だもん。バカバカしいけど、愉しい映画。未見の人にはお薦めする。

#それにしても、映画が始まった時点で残り3人ってのもねえ…

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image1366.png公開年:2007年 
公開国:アメリカ
時 間:104分
監 督:スティーヴン・ホプキンス
出 演:ジョン・キューザック、サミュエル・L・ジャクソン、メアリー・マコーマック、トニー・シャルーブ、ジャスミン・ジェシカ・アンソニー 他
コピー:この部屋はあなたのココロを破壊す




オカルト作家のマイク・エンズリンは、心霊現象や怪奇現象が噂される場所へ赴き、その体験を書籍にしているが、本人はそういった超常現象を一切信じていない。ある日、“1408号室には入るな”と書かれたニューヨークにあるドルフィン・ホテルの葉書が届く。エンズリンはその部屋を取材しようとするが、ホテル側は拒絶。支配人は、過去に1時間以上耐えられた人間がいないことや、犠牲者が56人もいることを明かし、宿泊をやめるように説得するが、ますます興味をそそられたエンズリンは、押し切って1408号室に足を踏み入れる…というストーリー。

ホテルのお部屋が取り憑かれているとえば、『シャイニング』みたいだよなぁって思ってたら、本作もスティーブン・キングの原作だった(観終わってから気付いた)。確かに、“超常現象+キング”の映画といえばこうだ!っていうノリだけど、元々かなり短編な原作(らしい)のせいか、お部屋による怖がらせの波状攻撃が同じパンチ力で続く続く。別に、アイデアが陳腐とか質が悪いわけではないのだが、頭を小突かれ続けると、だんだん慣れて飽きてくる。

結局、何であの部屋が呪われちゃったのかもわからないし、娘の霊とはどういう関係があるのかわからないし(マイクが獲物だったから娘が使われたのか、娘があの世にいたからマイクが呼ばれたのか)、支配人の本当の意図もよくわからない。最後に、あの世は本当にあるんだよ…って演出だけど、それってなんか展開し続けた主筋と関係ない方向な気もするし。やっぱり、小ネタをむりやり広げた感が拭えない。

で、一番の見所は、サミエル・L・ジャクソンとキューザックの駆け引きの演技だったりする。かといって、ホラー映画として失格とかそういうことでもなく、『テッセラクト』なんかよりは、全然おもしろい。凡作+αって感じ。お薦めはしないけれど、ヒマつぶしにはなる作品。

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imageX0010.png公開年:1996年 
公開国:アメリカ
時 間:90分
監 督:ゲイリー・トルースデール、カーク・ワイズ
出 演:トム・ハルス、デミ・ムーア、トニー・ジェイ、ケヴィン・クライン、デヴィッド・オグデン・スタイアーズ、メアリー・ウィックス、ジェイソン・アレクサンダー、チャールズ・キンブロー、ビル・ファガーパッケ 他
ノミネート:【1996年/第69回アカデミー賞】音楽賞[オリジナル・ミュージカル/コメディ](アラン・メンケン、スティーヴン・シュワルツ)
【1996年/第54回ゴールデン・グローブ】音楽賞(アラン・メンケン)
【1996年/第17回ラジー賞】100億ドル以上の興業収入を上げた作品でのワースト脚本賞(ボブ・ツディカー、タブ・マーフィ、ノニ・ホワイト、アイリーン・メッキ)

フロロー判事はジプシー狩りで女を殺すが、その女には赤ん坊がいた。その赤ん坊が醜かったため井戸に落として殺そうとしたが、神父に咎められため、カジモドと名づけノートルダム聖堂の鐘楼に軟禁状態で育てた。ある日、カジモドは下界での祭りの音に誘われて抜け出すが、そこで、美しいエスメラルダというジプシーの女に出会う。カジモドは彼女によって舞台に上げられ、道化の王に選ばれてしまい聴衆に嘲笑われることに。エスメラルダはカジモドをかばったものの、怒ったフロローは、彼女の逮捕を命じ…というストーリー。

さすが夏休み。子供向けにディズニー映画をBS放送していたので、録画したのを鑑賞。先日、劇団四季のライオンキングを観てきたので、普段ならスルーするところを、ちょっと引っかかったのだ。

主人公が身体障碍者である点からして、他のディズニー作品とは趣を異にする。気持ちが悪いのは、本来の題名はが“THEHUNCHBACK OF NOTRE DAME”つまり“ノートルダムのせむし男”なのだが、このせむし男という表現がよろしくないということで、“ノートルダムの鐘”となり、それだけならまだしも、英題までも“THE BELLS OF NOTRE DAME”に変えてしまう。それも日本版内の英題だけだよ(クレイジーだ)。1996年の日本は、ちびくろサンボが発禁扱いだった、イヤな時代。障碍者を敬うようなポーズをとりながら、隠蔽して亡き者として扱う闇の時代である。この題名は(少なくとも英題は)戻すべきだと思うがいかがなものか。

それはそれとして、ディズニー側のスタンスもよくわからない。『美女と野獣』の大ヒットで定着したミュージカル路線で、その後『アラジン』『ライオン・キング』『ポカホンタス』本作と続く。『美女と野獣』では容姿の醜い男との恋愛で、人間は見た目じゃないのよ中身なのよ!というメッセージだったのに、本作では、醜いカジモドは見向きもされずに悲恋に終わる(見事に美男子にもっていかれる)。同じミュージカル路線の中で、真逆の結末にする意味は何なのだろう。やっぱり人間は外見なんだな…と子供に現実を知らしめたいのだろうか。

そして、ご存知のとおり、ビクトル・ユゴーの原作ではむちゃくちゃな悲劇なのだが、それを無理やり能天気でとんちきなハッピーエンドにしている。障碍者が主人公の作品をわざわざ引っ張り出してきて、さらにオチは捻じ曲げるだけ捻じ曲げて、そこまでやっておきながら夢のカケラもないメッセージを送る。これって、頭のおかしいヤツの所業としか思えない。

まあ、それっぽく悪役がにくたらしくて、冒険的な展開もあって、勧善懲悪に終わるので、意外に子供が観ても飽きないとは思うんだが、逆に大人がモヤモヤするわ。絶対、レンタル料金を払ってみる価値はない。

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image0317.png公開年:2007年 
公開国:アメリカ
時 間:100分
監 督:スティーヴン・ホプキンス
出 演:ヒラリー・スワンク、デヴィッド・モリッシー、イドリス・エルバ、アンナソフィア・ロブ、ウィリアム・ラグズデール、スティーヴン・レイ 他
コピー:イナゴ少女、現る。




キリスト教の宣教師だったキャサリンは、布教先のアフリカで幼い娘と夫を失ったことで信仰を捨てる。その後、宗教的な奇跡的現象をを科学的に解明する専門家として有名になっている。ある日、彼女に、田舎町ヘイブンで発生ている不可解な出来事を解明してほしいと依頼される。現地を訪れ調査を始めたキャサリンは、事件が旧約聖書の“10の災い”の通りで、科学では説明がつかない現象であることがわかり…というストーリー。

もう、二度もオスカーを獲ってしまった後なので、経験のないジャンルをあえてチョイスしてるのかしら(ショーン・ペンと似たような感覚で仕事を選んでる?)

彼女も出演していた『ギフト』にテイストは似ているんだけど、中盤までの安っぽい謎解き展開は、ジョニー・デップ主演の『ナインスゲート』に似ているかも。信仰心を無くした女性が信仰心を取り戻す的な所は『サイン』だし、色々な要素が混ざってるね。キリスト教&悪魔崇拝がネタのホラーはハズレの場合が多いし、ヒラリー・スワンク主演なのに、コピーが“イナゴ少女、現る。”って、もうキワモノの臭いがプンプンしている。

こりゃあダメだろうな…と予測していたが、気色悪さ満載だし、ドラマ性も意外にしっかりしているし、オチにヒネリもあって、いい意味で肩透かしだったかも。“イナゴ少女”ってことで、なんとなく『キャリー』みたいな展開があるのかな…とおもったけど、正直、なんで日本の配給会社が“イナゴ”で押そうと思ったのか、よくわからん(笑)。

もしかすると、キリスト教に対する畏怖の感覚が身に沁みている欧米人は、もっと怖いと感じるのかもしれないけれど、キリスト教徒じゃないワタシには所詮絵空事。だから、怖いというよりも、どちらかといえば気持ち悪い(虫とかが)って感覚のほうが強く、世のホラー好きの人にとっては、怖さレベルはかなり低くて、むしろホラーとは認めたくないレベルかもしれない。実は、ホラー要素より、サタンがなんでキャサリンを呼び寄せたのかとか、ストーリー面の仕掛けのほうがけっこう練りこまれている。
“イナゴ少女”という売り文句を見て、馬鹿馬鹿しいに違いないと思っている人がいたら、そうではないよと言ってはあげたいが、お薦めするほどではない。でも、観て時間の無駄だったということもない。そんなレベル。

おもしろくなるかどうかは微妙だけど、結局、最後の子供は、将来どうなっちゃうのか。別にヒラリー・スワンクじゃなくていいから(超B級でいいので)、続編が観たいかも。

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imageX0009.png公開年:2010年 
公開国:アメリカ
時 間:148分
監 督:クリストファー・ノーラン
出 演:レオナルド・ディカプリオ、渡辺謙、ジョセフ・ゴードン=レヴィット、マリオン・コティヤール、エレン・ペイジ、トム・ハーディ、ディリープ・ラオ、キリアン・マーフィ、トム・ベレンジャー、マイケル・ケイン、ピート・ポスルスウェイト、ルーカス・ハース、タルラ・ライリー、ティム・ケルハー、マイケル・ガストン 他
コピー:犯罪現場は、お前の頭の中。


他人の夢に潜入してアイデアを盗むスパイ行為が可能となった世界。コブは有能なスパイだが、国際指名手配と妻モルの殺害容疑で自国へ戻ることができずにいた。そんなコブに、サイトーという男が、情報を盗み出すのではなく潜在意識にある考えを植え付けること“インセプション”を依頼する。成功報酬としてコブの犯歴を消去し帰国可能とすることを約束したため、危険な仕事ではあったが受諾し、すぐさま有能なメンバーを探しはじめる。綿密な計画と訓練を重ね、メンバー6人で、サイトーのライバル企業の男ロバートの夢の中に潜入するのだったが…というストーリー。

本作も『Dr.パルナサスの鏡』と同様にCGと特撮の境目を意識させない。荒唐無稽な内容ゆえに、一瞬たりとも技術的に興醒めする部分があれば台無しになるが、この点はしっかりクリアされていて非常に満足。

個人的には『マトリックス』での不満を解消してたので非常に満足。正確に言えば、『マトリックス』一作目は哲学的・宗教教義的なテーマに溢れていて、二作目以降でより深まっていくと期待していたのに、単なる革命アクションストーリーになってしまってガッカリしたのを、本作で、仏教の空理論とニヒリズムの関係性をより深く扱ってくれたので、大満足ということである。
#もちろんクリストファー・ノーランには、ワタシの『マトリックス』への不満を解消するつもりも、関係性もまったく意識していないだろうけど(笑)。

この映画に対して、日本表現がどうしたこうした、全編夢オチなだけだとか、ラストがすっきりしないだとか、どうしても気になって楽しめなかったという人は、元々哲学的な興味や素養がない方なので、あきらめて貰いたい。そういう部分で勝負したい作品ではないと思うので。

とはいえ、すべて手放しで好評価かというと、難点もある。
・サイトーの立場、モチベーションの変化がいまいちピンとこない。
・根本目的であるインセプションだが、何がどうなると成功なのかいまいちピンとこない。
・なんでロバートが、自分の道を歩き始めるとミッション成功になるのかいまいちピンとこない。
などなど、いろいろアイデアをこねくり回しすぎて、ぼやけた部分が無いわけではない。とはいえ、層構造の世界観や時間観念のギミックなど、それらを補って余りあるほどの好ポイントで溢れている。それが証拠に148分という長さは一切感じなかった。

クリストファー・ノーランは決して多作な監督ではないけれど、『メメント』『ダークナイト』等々、打率はとても高い人。本作もホームランではないけれど、三塁打であわよくばホームを狙うところを三塁コーチがストップをかけました…って感じ(なんだそりゃ)。
米アカデミー賞も作品賞が10作ノミネート制に変わるので、充分ノミネートはされるだろう。絶対、観て損ということはないので、お薦めする。

早朝割引1200円でみたが、充分満足(劇場の音響がイマイチだったせいか、効果音が大きすぎてちょっとイラっとくる場面も)
#あれ?1800円なら不満ってことか?

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image1392.png公開年:2007年 
公開国:アメリカ、イギリス
時 間:117分
監 督:シドニー・ルメット
出 演:フィリップ・シーモア・ホフマン、イーサン・ホーク、マリサ・トメイ、アルバート・フィニー、ブライアン・F・オバーン、ローズマリー・ハリス、マイケル・シャノン、エイミー・ライアン、サラ・リヴィングストン、アレクサ・パラディノ、ブレイン・ホートン、アリヤ・バレイキス 他
受 賞:【2009年/第33回ロサンゼルス映画批評家協会賞】助演女優賞(エイミー・ライアン)
【2009年/第28回ボストン映画批評家協会賞】キャスト賞
コピー:その瞬間、一つめの誤算。

日々の生活にも困窮する冴えない男ハンクは、離婚した元妻に娘の養育費すら払うことができない。そんな彼を見かねた兄のアンディは強盗計画を持ちかける。アンディは会計士として成功し贅沢な生活していたが、緊急に金を必要とする理由があった。その計画とは、実の両親が営む宝石店へ強盗に入ること。ためらうハンクだったが、店には保険が掛かっていて誰も傷つけないと言葉巧みに説得される。しかし、怖気づいたハンクは、実行犯を雇い自分は車で待機する役に。すると、宝石店から銃声があがり、雇った男が銃殺されたのを見て、逃走するハンクだったが…というストーリー。

“死んだことが悪魔に知られる前に、天国へ行けますように”っていう、いかにもキリスト教的な原題。実際は微塵も悪事をしたことのない人間なんかいないから、悪魔に気付かれる前に天国に到達しちゃおうっていう、半分ジョークみたいな言葉。これはキリスト教でもかなり古いというか厳格な考えがベースになっていて、この発想だと懺悔なんて意味を成さなくなるよね。
閑話休題。
ただ、『その土曜日、7時58分』ってインパクトが無さすぎというか、面白みのない題名。ワタシなら、あえて、直訳の長々としたタイトルのまま勝負するかな。

『十二人の怒れる男』『オリエント急行殺人事件』『デストラップ・死の罠』の監督さん。シェークスピア劇みたいな古典悲劇的内容で、玄人ウケしそうな内容。はじめは、フィリップ・シーモア・ホフマンとイーサン・ホークが兄弟っていくらなんでも…とか思ったけど、それも必要なファクターだったことが後でわかる。フラッシュバック的な手法も、単に奇を衒っているわけではなく、必然の演出。巧みというか老獪というか、しっかり練られていることがよくわかる。正直、プロット自体はさほど手が込んでいるとは思わないんだけど、脚本も構成も俳優もみんなうまくて、観てるこっちの心まで不安が溢れてくる、よいデキだと思う。

しかし、ある悪事が一つの誤算を引き金にガラガラと崩れていき、登場人物がテンパっていく…っていうと、コーエン兄弟が思い出される。軽妙さを兼ね備えるコーエン兄弟の作品と比較してしまうと、やはり古臭さは否めない。重苦しい空気をガス抜きする箇所もまったくない。この軽妙さの欠如がシェークスピア劇みたいに感じられる所以か。また、やろうと思えば舞台劇に転用できなくもない内容で、“映画”というメディアを生かしきっているとはいえない点も、古臭さを感じさせる理由かもしれない。

派手な作品や刺激的な作品に慣れてしまっている人にとっては物足りなさを感じるかもしれないが、及第点は超える内容だと思う。ちょっと落ち着いた作品を観たいときにはお薦めかも。

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image1378.png公開年:2008年 
公開国:イギリス、アメリカ
時 間:109分
監 督:フィリダ・ロイド
出 演:メリル・ストリープ、ジュリー・ウォルターズ、ステラン・スカルスガルド、コリン・ファース、ドミニク・クーパー、ピアース・ブロスナン、アマンダ・セイフライド、クリスティーン・バランスキー 他
ノミネート:【2008年/第66回ゴールデン・グローブ】作品賞[コメディ/ミュージカル]、女優賞[コメディ/ミュージカル](メリル・ストリープ)
【2008年/第62回英国アカデミー賞】作曲賞(ビョルン・ウルヴァース、ベニー・アンダーソン)、新人賞(ジュディ・クレイマー)、英国作品賞
【2009年/第18回MTVムービー・アワード】ブレイクスルー演技賞[女優](アマンダ・セイフライド)
【2008年/第29回ラジー賞】ワースト助演男優賞(ピアース・ブロスナン)
コピー:どんなことがあっても、笑っていよう。自分の人生がもっと好きになる。

ギリシャの小島で小さなホテルを営む母子ドナとソフィ。ソフィは恋人スカイとの結婚式を明日に控えていたが、どうしても、父親とヴァージン・ロードを歩きたいという夢を捨てきれない。しかし、未だに父親が誰なのかを知らない彼女は、母の昔の日記を探し出し、父親の可能性のある3人を見つけ、ドナ名義で結婚式の招待状を送付する。ほどなく3人が揃って到着するが、ソフィは結婚式までドナに合わせないように彼らを匿うことにするも、ドナは偶然3人を目撃してしまい…というストーリー。

メリル・ストリープのおかげで、画が締まったからよかったものの、彼女がいなかったら、おきらくトンチキ映画になったに違いない。
メリル・ストリープの歌唱力はなかなかのものだったけど、それ引き換えピアース・ブロスナンの歌声は一体何なのか。ちょっとハズれたキャラだから許されると思ったのも知れないけど、とてもプロ俳優とは思えないクオリティの低さ。実はものすごくうまくて、わざとヘタに唄ってるんだよってことなら、わからんでもないが、たぶん(いや確実に)違うだろうね(笑)。
#ここまでヒドいことに、キャスティングの段階で気付かなかったのだろうか…

楽しきゃなんでもいいというスタンスなんでしょう。演技から歌への入り方は唐突というか不自然というか、おかまいなしってかんじ。いや、たしかに楽しそうなので、別にいいちゃあいいんだけど、もう少し工夫してくたほうがうれしかったかも。
まあ、お気楽でオメデタイ人しか登場しないわけだし、ドナの中で男3人に優劣があるとか、ラストの展開にしても、突拍子も無いノリをただただ楽しんで、細かいことは気にしちゃいけない作品なんだな…とは思う。でも、それは裏を返すとご都合主義と捉えられることもあるので微妙ではある。きっと好みは別れるだろうね。
ただ、根本的にミュージカル映画に批判的なワタシからみれば、ここまで割り切ってくれたほうが良く感じるのは事実。ミュージカル映画なのに及第点は超えていると感じるので、そこそこお薦めする。

意外に新鮮だったのが、使用されている楽曲の歌詞。よく聞いたことのあるものばかりだけれど、歌詞の意味を改めて読むと、けっこうスゴイ内容ばかりで、面白かった。
劇団四季のマンマ・ミーア!がどんなもんなのか、ちょっと興味が湧いてきた。多分、こんなにエーゲ海ロケーションの影響が大きくなくって、より音楽を楽しむ感じが強くて、いい感じなのかも…と予測。

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image1312.png公開年:2008年 
公開国:アメリカ
時 間:85分
監 督:マット・リーヴス
出 演:マイケル・スタール=デヴィッド、マイク・ヴォーゲル、オデット・ユーストマン、ジェシカ・ルーカス、リジー・キャプラン、T・J・ミラー、ベン・フェルドマン、ライザ・ラピラ、クリス・マルケイ、テオ・ロッシ 他
コピー:その時、何が起きたのか?



ニューヨーク。日本へ転勤が決まったロブを祝うため、サプライズパーティが行われていたが、そのさなか、屋外で轟音が響き停電となる。屋上へ出てみると、マンハッタンの一部が上しており、悲惨な光景が広がっていた。さらに、その惨禍は彼らをも襲い、街一帯がパニックとなる。やがて、この事態を引き起こしたのが、地球上のものとは思えない巨大生物であることがわかり…というストーリー。

よく『ブレアウィッチプロジェクト』と『ゴジラ』のミックスと評されるけど、まあ、その通り。しかし、見せ方には尋常ならざる工夫が施されていて、まさに“見せ方の勝利”という感じ。『ブレアウィッチプロジェクト』は実は観たことがないが、手ブレ映像で気分が悪くなるとかいわれていた。本作も同様の演出なんだけど、気分が悪くならない程度に、且つ、素人撮影に見えるように工夫されていて、非常に高い撮影テクニックだと思う。潰した元映像の残りが、フラッシュバック映像になっている…なんていう演出も、実に白眉な演出だと思う。

日本への転勤とか、あきらかにゴジラを意識しているのも明白(でも、ちっこいクリーチャーも登場して人を襲うので、どっちかといえばレギオンに近いかしら)。日本のゴジラでこの演出ができなかったのは、ちょっとくやしいかも。
怪物の正体もそうだけど、内容的にもプロモーション的にも詳細な状況説明をしないセンスがよい。ヘタに説明してトホホ…と思われるくらいなら、鑑賞者にご自由に想像してもらったほうがいい。ある意味、チラリズムの勝利。

ただ、ストーリー的には、実際に素人がカメラで事件を撮った自然な感じとは程遠くて、恋人を助けるために、絶対ありえないような崩壊寸前のビルを上ってみたりと、エンターテイメント色満載。ゲームっぽい感じも。なんでそんな状況で撮り続けるかという根拠付けもいまいち。もう、アメリカ人はバカだから…ということで納得するしかない。実は、見習いジャーナリストで、この映像で名をあげようとしていたから…とか、理由はどうとでもつけられるのにね。さすがに、これ以上撮り続けるのはあまりにも不自然で、設定が崩壊しそう…ってところでおしまい。もちろんこの事件の顛末がどうなったかは、まったく不明で、この映画のギミックの賞味期限が終了したところでおしまいという、ある意味潔い作品。

これは、別視点での続編をどんどんつくるべきである。あまり縛りは設けないで、メージャー、マイナーを含めて、自由にいろんな人いろんな国でどんどんつくって貰えばいいと思う。続編が作られるたびに、事件の詳細がわかっていく感じで。壮大な“クローバーフィールド サーガ”でできるかも。

これは、まったく予想外の良作だった。お薦めする。

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image1521.png公開年:2009年 
公開国:アメリカ、イギリス、ニュージーランド
時 間:126分
監 督:ピーター・ジャクソン
出 演:マーク・ウォールバーグ、レイチェル・ワイズ、スーザン・サランドン、スタンリー・トゥッチ、マイケル・インペリオリ、シアーシャ・ローナン、ローズ・マクアイヴァー、クリスチャン・トーマス・アシュデイル、リース・リッチー、キャロリン・ダンド、ジェイク・アベル、ニッキー・スーフー、トーマス・マッカーシー、アンドリュー・ジェームズ・アレン 他
受 賞:【2009年/第82回放送映画批評家協会賞】若手俳優賞(シアーシャ・ローナン)


両親と妹弟に囲まれ幸せな生活を送る14歳の少女スージー。初恋に胸をときめかせて彼女だったが、ある冬の日、近所の男に殺害される。スージーは、現世と天国との間をさまよいながらも、やがて天国の入り口に辿り着く。愛する娘を失った父親は残された家族を顧みず犯人探しに執着するようになり、そんな夫に耐えられない母親は家を出てしまい、家族はバラバラに。しかし、犯人は警察の捜査をすり抜けて、平然と日常生活を送る。しばらくはスージーを殺した記憶を思い出しながら平穏に暮らしていた犯人だったが、スージーの家族が自分に疑いをかけはじめていることに気付き…というストーリー。

あえてファンタジーにカテゴライズしてみた。

公開時に観にいこうか悩み、結局観にいかなかったのだが、観にいけばよかったなと思う。面白いからというわけではなく、けっこう目を背けたくなるような、ジワジワとキツい展開が多くて、何度もDVDを止めちゃったから。これから観る人は、観る前に“絶対止めません”と誓ってからみようね。もう、絵に描いたようなシリアルキラーを描いていて、世の中のお嬢さんたちへの警告、現代の赤ずきんちゃんみたいである。

欧米人が描く、ありがちな天国のイメージではなく、非一神教世界におけるイメージが反映されている感じ。ピーター・ジャクソンはキリスト教とは違う神話や伝説や宗教に興味はあるのかな。本作でも、おばあちゃん役のスーザン・サランドンが、エセ仏教を語っていたりする(まあ、それはそれとして、スーザン・サランドンが演じるおばあちゃんはなかなかステキ)。あまりレイチェル・ワイズは好きじゃないんだけど、本作のように、美人のアイコン的な役じゃない彼女も、なかなか交換がもてた。

それにしてもあの世の映像表現は、他の監督の作品とは一線を画すレベル。どこまでがCGでどこからが特撮なのか区切りが判然としないところが大変よろしい。『ロード・オブ・ザ・リング』もそうだったが、CGを「はいCGでござーい」と、多少不自然でも、全部CGで処理しておしまいとはしない。あくまで表現手法の一つでしかないのよ、という姿勢が非常に尊敬できる(本来あたりまえなんだけど、多くの監督が妥協している)。
毎回、この映像クオリティを維持できているのは、満足のいくスタッフと継続してチームを組んで仕事をしているからなんだと思う。

ありがちな話なら、スージーがあの世から何とかして家族にサインを送ったりして、家族を救う努力をしたりするのだろうが、そうはならない。スージーはただただ、現世に寄り添うだけで、ストーリーが進む。なかなかめずらしい展開だと思うが、決して、公開時にいわれていたような泣ける物語ではない。
私がありがちな展開に毒されてしまっているからなのか、ラストはかなり不完全燃焼に感じた。因果応報をはっきりしてスッキリと溜飲を下げるというのも、映画の役目だからね。これに納得して観れるようになるには、かなり精神的に達観しないと無理ではないかな。さらに、こういうぼやっとした感じにもかかわらず、135分になっちゃっているのもちょっといただけないかも。

ただ、満足度から言えば、『アリス・イン・ワンダーランド』<『Dr.パルナサスの鏡』<本作、、、って感じなので、充分お薦めできる内容。

#『乙女の祈り』を是非観たくなってきた(未見なの)。

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クボタカユキ
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出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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