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公開年:2009年
公開国:イギリス、カナダ
時 間:124分
監 督:テリー・ギリアム
出 演:ヒース・レジャー、クリストファー・プラマー、ジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレル、リリー・コール、アンドリュー・ガーフィールド、ヴァーン・トロイヤー、トム・ウェイツ 他
ノミネート:【2009年/第82回アカデミー賞】美術賞(デイヴ・ウォーレン、Anastasia Masaro、Caroline Smith)、衣装デザイン賞(モニク・プリュドム)
【2009年/第63回英国アカデミー賞】プロダクションデザイン賞(デイヴ・ウォーレン、Anastasia Masaro、Caroline Smith)、メイクアップ&ヘアー賞(Sarah Monzani)
コピー:鏡の中は、わがままな願望でいっぱい
この迷宮から、大切なひとを救えるのか──?
ロンドン。パルナサス博士率いる旅芸人一座の出し物は、自分の欲望を鏡の向こうの世界で見せてくれる装置“イマジナリウム”。しかし、そんな怪しい装置になど誰も興味を示さず、彼らは貧乏生活。近頃、何かに怯えているパルナサス博士だったが、その訳は、不老不死の体と引き合えに生まれてくる娘が16歳になったら悪魔に差し出すという契約をしていたからで、娘の16歳の誕生日が目前に迫っていたから。何も知らない娘ヴァレンティナは、偶然救い出した記憶喪失の男トニーに心奪われる。そのトニーは一座に加わり、彼の魅力で女性客はえ始めるのだが…。
ヒース・レジャーは本作の撮影途中で亡くなったので、『ダークナイト』じゃなくって正真正の遺作はこっち。代役3人(ジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレル)は、まるで最初から出演することが決まっていたみたいに、ぴったりハマっていて効果的。もし、この3人が出ていなかったら?と想像すると、かなり印象が薄く、プロモーション的にも貧相なものになっていたと思われ、まさに怪我の功名といえるだろう。ヘタをすると、全国ロードショーどころか単館上映になっていたかも。
『ダークナイト』のラストでジョーカーとして吊られて終わり、本作では首吊り状態で登場。ヒース・レジャーって死の臭い漂う、いい役者だったんだと思う。
基本ストーリーはゲーテの“ファウスト”。『ブラザーズ・グリム』しかりドイツ系の話に造詣が深いのかしら。
精神世界の表現という意味では、『8 1/2』と似ている印象。CG技術の極まりによって、テリー・ギリアムお得意のイメージの具現化も極まった感すらある。しかし、CG自体が、比較的安易な手法になってしまったため、驚きも半減で逆効果になっているという皮肉。そのせいで、映像の中にいろんなものが詰め込まれているのに、あまり頭に残らない。いまとなっては、あえてCGを使わないで、これってどうやったの?って思わせるほうがよっぽど驚ける。そんな時代になった。便利だからって必ずしも人は幸せになるわけじゃないという一例ですな。
昨日の『アリス・イン・ワンダーランド』のティム・バートン然り、観ている側も成長するし、監督だって変化するのはあたりまえ。それは判っているんけれど、よかった時期の印象はなかなかぬぐえないし、期待することを止めるのも難しい。ワタシが好きなテリー・ギリアムはもういないのかな、と思うけれど、ラストシーンで、子供に「ハッピーエンドなの?」と訊かれて、「ゴメン、それは保証できないんだ」だなんて、ティム・バートンよりは、客観的に自分を見ることが出来ているようで、その点は救いがあるかも。
3人の客演のおかげで目には飽きないと思うので、『アリス・イン・ワンダーランド』よりはこちらを観ること軽くお薦めする。欲のない精神世界なんかおもしろくもなんともないものね。
公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:109分
監 督:ティム・バートン
出 演:ミア・ワシコウスカ、ジョニー・デップ、ヘレナ・ボナム=カーター、アン・ハサウェイ、クリスピン・グローヴァー、マット・ルーカス、アラン・リックマン、マイケル・シーン、スティーヴン・フライ、ティモシー・スポール、ポール・ホワイトハウス、バーバラ・ウィンザー、マイケル・ガフ、クリストファー・リー 他
ノミネート:【2010年/第19回MTVムービー・アワード】作品賞、グローバル・スーパースター賞(ジョニー・デップ)、悪役賞(ヘレナ・ボナム=カーター)
コピー:世界はもう、マトモではいられない…。
子どもの頃に訪れた不思議の国での記憶をすっかり失っている19歳のアリス。好きでもない相手と婚約するはめになった彼女は、チョッキを着た白うさぎを見つけ追いかけるが、穴に落ちてアンダーランドと呼ばれている世界に迷い込んでしまう。今やアンダーランドは独裁者・赤の女王に支配された暗黒の世界になっており、この世界の奇妙な住民たちはみなアリスこそが救世主であるという予言を信じていたため、彼女を待ちわびていたのだった。そして誰よりも彼女を待ちわびていたのは、赤の女王への復讐を誓う謎多き男マッドハッターだったが…というストーリー。
ん~。大ヒット作ではあるが、いままでのバートン作品と比べると違和感だらけ。どうしよう。何か悲しい。もう子供でいちゃいけないと突き放されたような感じで、ものすごく悲しい気分になってしまった。
クリーチャーの動き。もちろんモーションピクチャーじゃないフルCGだから同じになるわけはないと思うは、それにしても、よくあるCGアニメ然としていて、バートン作品らしくない。犬がCGって…。こんな味のない犬が登場したことが、いままでああったかなぁ。奇抜なキャラのオンパレードにように見えるけど、それほど奇想天外でもないし、異形故の苦悩みたいなものが一切ないキャラばかり。
世の中をハスに見ながらも、周りに流されている受動的な少女が、自分で人生を切り開く能動的な女に変わる。そんなテーマをティムバートンがやって、本当に愉しいの?ヘレナ・ボナム=カーターがパートナーになってから、作風がかわったのは気付いていたけど、彼女や子供に流される日々が不満なのかな。どこを楽しめばいいのか。もう、心のどっかがねじくれているティムバートンはいないのか。『シザーハンズ』『ビッグフィッシュ』にあったような、彼の心の奥底に流れてるテーマは無いのだろうか。経済的にも社会的にも家族的にも安定してしまったために、毒までなくなってしまったのだろうか。才能の搾りカスをペタペタ盛り付けたような作品は、信者であっても擁護するのは難しい。ごめん。正直に言うけど、2回寝ちゃって戻したわ。
ただ、いつも最後がぼやけておわるバートン作品が、ラストらしいラストのある作品になっているのは事実。確かにこれなら、大衆に受け入れられると思う。ティム・バートンらしさと、おさまりのよいラストがトレードオフになっているというならば、もちろんワタシは昔を選ぶけど。
まあ、この世界観をディズニーランドのアトラクションにできたら、大人気だろうけどね。この映画、本当におもしろい!と評価されているのかな。多くの人が「まあまあ」って言ってるのでは。むむむ。残念ながら、無理して新作レンタルしてまで観なくて良い。旧作になってからで充分。
また、ティム・バートンに出会える日をたのしみしております。
公開年:2000年
公開国:アメリカ
時 間:117分
監 督:ロジャー・クリスチャン
出 演:ジョン・トラヴォルタ、バリー・ペッパー、フォレスト・ウィッテカー、キム・コーツ、リチャード・タイソン、サビーヌ・カーセンティ、マイケル・バーン、クリスチャン・テシエ 他
受 賞:【2000年/第21回ラジー賞】ワースト作品賞、ワースト主演男優賞(ジョン・トラヴォルタ「ラッキー・ナンバー」に対しても)、ワースト監督賞(ロジャー・クリスチャン)、ワースト助演男優賞(バリー・ペッパー、フォレスト・ウィッテカー)、ワースト助演女優賞(ケリー・プレストン)、ワースト脚本賞(コリー・マンデル、J・デヴィッド・シャピロ)、ワースト・スクリーン・カップル賞(ジョン・トラヴォルタ、彼とスクリーンで共演した全ての俳優と)
【2004年/第25回ラジー賞】この25年のワースト・ドラマ作品賞
【2009年/第30回ラジー賞】ゼロ年代のワースト作品賞
コピー:1000年後の地球をお見せしよう。
地球の文明は僅か9分間で壊滅――そして人類はひざまずく
20XX年。異星人サイクロ人が地球を毒ガスで急襲し、わずか9分で人類は征服される。生き残った人類たちは、サイクロ人の奴隷となるか山野に隠れ住むかのいずれかとなった。それから1000年経過。山奥に隠れ住んでいた若者ジョニーは安住の地を求めて旅立つが、途中でサイクロ人の捕虜になってしまう。ジョニーはサイクロ人のリーダー・タールの陰謀に協力するふりをして、ひそかにサイクロ人と戦う準備を着々と進めていくのだったが…というストーリー。
ラジー賞はじまって以来の華々しい受賞歴。なんといっても、原作がサイエントロジーの創始者の作品で、信者であるトラヴォルタが出演だけでなく内容にまで口出しして出来上がったという珍作。このエセ科学宗教を批判するがためのマイナス評価なのか、純粋に映画としてダメダメなのか。日本でいうと、『仏陀再誕』なんかと同じ種類かな。
結果からいうと、そんなに酷評するような内容ではない。別に本作を観たからといってサイエントロジーに感化されてしまうというような宣伝映画でもない。ご都合主義のチンケな科学ギミックだったり、センスの悪いデザインだったり、ウィットに富んだつもりのセリフや小粋なギャグがすべっていたり、目新しさも工夫もないストーリーだったり、最後の方はどうなったのかよくわかんなかったりするけれど、世の中のB級SF映画にはこのレベルの作品はゴロゴロしている。わざわざ本作を吊るし上げしているのは、やはりサイエントロジーに対する社会的評価の反映に他ならないな…と。どちらかといえば、ラジー賞側のほうが分が悪い。もう、ラジー賞には純粋に映画を批判する目は無いということだ。本当に箸にも棒にもかからないと思うなら、無視すればいいのに、手を出さないと気がすまない。吊るし上げてキャハキャハいってるタチの悪さが伺える。この賞はアメリカ人の腐った根性の表れでしかない。
#あ、さっきからB級B級といっているが、本作、お金はかかってるよ。ものすごく。
実は『プラン9・フロム・アウタースペース』くらいの世紀の駄作を期待してたのに、逆の意味でがっかり。ラジー賞に騙された。あいつらの評価は百害あって一利なしだ。早く解散してほしい。
観ても観なくてもどうでもいい作品。こんな薄っぺらな作品でも、もし続編が作り続けられたら、カルトシリーズになる予感はするので、トラヴォルタには、私財を投げ打ってでも続けてほしいとは思うけど、それは無理か…。
#まさか、6年後にオスカーが獲れるとは、フォレスト・ウィッテカーは思っていなかったろうなぁ…。
公開年:2009年
公開国:アメリカ
時 間:128分
監 督:ガイ・リッチー
出 演:ロバート・ダウニー・Jr、ジュード・ロウ ジョン・ワトソン、レイチェル・マクアダムス、マーク・ストロング、ケリー・ライリー、エディ・マーサン、ジェームズ・フォックス、ハンス・マシソン、ウィリアム・ホープ、ブロナー・ギャラガー、ジェラルディン・ジェームズ、ロバート・メイレット 他
受 賞:【2009年/第67回ゴールデン・グローブ】男優賞[コメディ/ミュージカル](ロバート・ダウニー・Jr)
19世紀末のロンドンで、儀式ような手口で若い女性が殺される連続殺人事件が発生。スコットランド・ヤードが捜査に手こずる中、名探偵シャーロック・ホームズは、超人的な観察力や記憶力、推理力で犯人の居所を突き止める。その犯人である黒魔術を操るブラックウッドは、巨大な闇の力ですぐに復活すると言い残して処刑されるが、彼が本当に甦ったとの報せが。そしてブラックウッドは、とある秘密組織を掌握し、全世界を支配するという野望を実現しようとする。ホームズはその野望を阻止するため、相棒ワトソンと共に、ブラックウッドを追跡する…というストーリー。
まったくもって大胆極まりないキャラ設定で、往年のシャーロックホームズドラマのファンの方々は不満だろう。
これまでのホームズとワトソンの関係は、お人好しのワトソンと、それを常に上から目線で見ているホームズという感じだが、本作では逆に。さらに加えて、アメリカドラマのバディ物を演じさせちゃうという、思いっきりのよさ。
それにしても、古典的なホームズファンが文句をいっているのをよく見る。監督がガイ・リッチーなのだから、ありがちなイメージのホームズになるわけがないのはj、あらかじめ予想がつくし、古典の良さを維持しようなって発送はハナから無いに決まってる。もう、だまれ!って感じ。
#実は、原作のホームズはこれに近いんだよという指摘もあるのだが、私は遠い昔に一冊か二冊読んだ程度なので覚えていない。
何も考えずに観れば、絶対に愉しめるはず!と思っていたら予想通りだった。スローモーションとか、謎解き的に同場面を繰り返すとか、ガイ・リッチーらしいこれまでの彼の作品と同じ演出方法が多用されている。ロバート・ダウニーJr.もジュード・ロウも大人の関係をクールに演じていて、なかなか小気味良いし、ホームズとアイリーンの関係はルパンと不二子ちゃんみたいだし。
ただ、不思議なことに、結構面白く感じているハズなのに、3回以上、途中で寝てしまった。理由は二つ。
①こういった演出が主筋の事件とは無関係に、結構繰り返されるので、途中で「何の映画観てたっけ?」という感じになってしまうこと。
②ホームズがなんでもお見通しなので、だんだんドキドキしなくなってきて、謎解きの醍醐味が薄くなること。
まあ、このへんの詰めの甘さが、ガイ・リッチーが一流になれない要因だろうね。
是非、何も考えず、何も期待せず、観て欲しい。A-(Aマイナス)くらいは付けてもらえる作品。横になりながら見てると寝ちゃうかもしれないから大音量でみ観て(笑)。
公開年:2001年
公開国:アメリカ
時 間:106分
監 督:ジョン・ムーア
出 演:オーウェン・ウィルソン、ジーン・ハックマン、ガブリエル・マクト、チャールズ・マリック・ホイットフィールド、ヨアキム・デ・アルメイダ、デヴィッド・キース、オレク・クルパ、ウラジミール・マシコフ、シェーン・ジョンソン、ジェフ・ピアソン、ローレンス・メイソン 他
コピー:生き延びることが、彼のたったひとつの武器。
アラビア海に配備された米国空母USSカールヴィンソン。兵士たちはボスニアの平和維持活動に当たっていたが、クリス大尉は偵察飛行ばかりの単調な毎日に嫌気が差し、辞表を提出する。その後、偵察飛行を命じられたクリスは、偶然、セルビア人民軍による民間人惨殺の現場に遭遇。それを撮影したためにミサイル攻撃を受け、敵陣に不時着してしまう。彼らは、事実を隠蔽するために、クリスを執拗に追跡するが…というストーリー。
ボスニア紛争モノといえば、『ノー・マンズ・ランド』を思い出すが、比べちゃいけないんだろうけど、本作のほうが単純に愉しめちゃったんだよねぇ…。
政治色はまったくなし。『ブラックホークダウン』にあった大国側の横暴を批判するような姿勢も皆無。ストーリーはとにかく単純。あら捜しをしようと思えば、誰にだって両手に余るくらい見つけられるだろう。クリスのひげが全然伸びないなーとか、戦闘機や兵器の描写が変だなーとか、そんな能力の偵察衛星なんかあるか!とか。それに、まるで米軍の兵士募集キャンペーン用の映画みたいだから、そりゃあ何一つ賞なんかとれないハズ。
でも、おもしろいのである。墜落後の市街戦や地雷の恐ろしさや、サバイバルの緊張感がものすごく伝わってくる。先日観た『キリング・フィールド』の後半と同じテイストが延々と続く。そんな感じだと思ってもらえばいい。細かいことなんか別にどうでもいい。中途半端に政治とか社会を語れば、そりゃあハナについちゃったろうけど、何にもないんだから、ひっかかりようがない。ボスニア紛争を舞台にしていながら、ここまで政治的なメッセージを排除できてるって、逆にものすごいエンターテイメントの才能なんじゃなかろうか。感心してしまう(イヤミで言ってるんじゃなくって本当に)。
たぶん、本作を「こんなの映画じゃねえ」と批判する人は、私と価値観が合わないかな。コメディばっかりのオーウェン・ウィルソンのジャケットを見て、スルーしてる方、だまされたとおもって観て是非欲しい。少しは暑さを忘れられるかも。お薦め。
#なにやら、エンドロール前のナレーションを観ると、実話ベース?と勘違いしそうになったが、フィクションだよね(まあ、何らかのモデルになったエピソードはあったんだろうけど)。
公開年:2003年
公開国:アメリカ
時 間:98分
監 督:ジョエル・シューマカー
出 演:ケイト・ブランシェット、ジェラルド・マクソーレイ、バリー・バーンズ、キアラン・ハインズ、ブレンダ フリッカー、ジェラルド・マクソーリー、サイモン・オドリスコール、コリン・ファレル 他
ノミネート:【2003年/第61回ゴールデン・グローブ】女優賞[ドラマ](ケイト・ブランシェット)
コピー:ひとりの記者として、子供の未来のために―― ひとりの母親として、愛する家族のために――
1996年、アイルランド・ダブリン――これは生きて愛して戦った、ひとりの女性記者の記録である…
1994年、夫とひとり息子とともに幸せに暮らしていたジャーナリストのヴェロニカ。彼女は、子どもたちにまで蔓延している麻薬問題に憤りを覚え取材を開始。様々な情報源をたどって調査をすすめるが、核心へと迫れば迫るほど、彼女にこの件から手を引くように犯罪組織は圧力をかけてくる。それも取材をやめない彼女に対して、組織は彼女の家族を脅迫のネタにしてくる…というストーリー。
社会悪に立ちはだかったジャーナリストで、その燃え尽きた命が社会を変えていったという事実について、批判する点など何一つない。
だが、私は色々な観点から、あまり本作を面白いとは思わなかった。まず、ケイト・ブランシェットがちっとも魅力的に見えない。私はケイト・ブランシェットを好きだし、彼女がこういう題材を好むのもなんとなく理解する。そして最後の写真のヴェロニカ本人の写真と似せているのもわかるし、演技も素晴らしい。でも、私がケイト・ブランシェットを好きだという要素は自分でもわからないのだが、本作の彼女はその要素が削除されている模様。一切、魅力を感じなかった。
冒頭で、犯罪組織に立ち向かう女性記者が殺されるというオチがわかる。欧米では周知の事件なのだろうから、もったいぶった演出はイヤがられるかもしれないので、こういう演出になるのはわかる。でも、よく知らない人や時間が経過して事件を忘却した人にとっては、逆効果なネタバレ演出でしかない。別編集のDVDを出してもよいかも。また、ジェリー・ブラッカイマー製作だけど、この事件を映画化したい!っていう意志ではなくって、映画化権を他に買われちゃってヒットされるのはイヤっていうのがにじみ出ているようにも見える。
そして、一番感じたのは、ヴェロニカ・ゲリンの偉業とは裏腹に、彼女本人にまったく好感がもてないこと。純粋に記者としても家族としても母親としても女性としても尊敬できない部分が多数。犯罪組織に立ち向かうジャーナリストに品性を求めるつもりはないが、いささか脱法というかルール無視というか、特に議員とのコネ利用して役所から情報を引き出すのや、取材の現場に警察とカメラマンがこっそり同行しているなんて、観ていてあまり気分のいいものではない。目的のためなら何をやってもいいという、ジャーナリストの姿勢は、言論の自由の暴走かと。暴走したのだから、別の暴走(犯罪組織の行動)と交錯して、このような結末になるのもいたしかたない。結局、出所のわからない資産を没収できるように憲法は改正された、めでたしめでたしというけれど、今度は政府のさじ加減で国民の資産を没収できる権限を与えてしまったわけで、これはけっこうおそろしい話。別の方法はなかったのかと。
若干失礼な見方かもしれないが、アイルランドの人々が彼女の死後に麻薬密売組織に対する反対運動を活発にしたけれど、これは、ゲリンの勇気に呼応して人々が目覚めた!っていうのとはちょっと違うように思える。もう、真剣に対峙しないといけない状況に、ゲリンにそうもっていかれた…というニュアンスが正しいのではないだろうか(まあ、そういう風にもっていくというのも、ジャーナリストの役目だから、間違いではないんだけど)。
そりゃあ、悪が滅びていく様子は、観ていて気が晴れる。でも、それはこの事件の顛末の魅力であって、映画の魅力ではない。多分、映画にしなくてもバラエティTV番組なんかで再現VTR的に紹介しても同じ感動を得られるだろう。要するに映画にすることで、+αされた点は無さそうだと思えるってことである。
よく、タイムマシンで戻れるならどんな偉人に会いたいですか?っていうアンケートがあるよね。ヴェロニカ・ゲリンを見ると、その偉業と人間性って必ずしもマッチしてないことがわかって、おそらくタイムマシンで戻って実際にあったら、いけ好かないクソ野郎だったていう例はいっぱいなんだろうなと(笑)。エジソンなんか、ぶん殴りたくなるようなイヤなヤツだろうねぇ。ドクター中松みたいに、その業績と本人に対する尊敬は別だからねえ。ヘレン・ケラーとか織田信長とか聖徳太子とかさ。あ、聖徳太子は実在の人物ではないだろうけど(私見)。
多分、「結構感動したよ~」って人はたくさんいるはずなんだけど、私は特にお薦めしないな。
公開年:1984年
公開国:アメリカ、イギリス
時 間:136分
監 督:ローランド・ジョフィ
出 演:サム・ウォーターストン、ハイン・S.ニョール、ジョン・マルコビッチ、ジュリアン・サンズ、クレイグ・T・ネルソ 他
受 賞:【1984年/第57回アカデミー賞】助演男優賞(ハイン・S・ニョール)、撮影賞(クリス・メンゲス)、編集賞(Jim Clark)
【1984年/第50回NY批評家協会賞】撮影賞(クリス・メンゲス)
【1984年/第10回LA批評家協会賞】撮影賞(クリス・メンゲス)
【1984年/第42回ゴールデン・グローブ】助演男優賞(ハイン・S・ニョール)
【1984年/第38回英国アカデミー賞】作品賞、主演男優賞(ハイン・S・ニョール、サム・ウォーターストン)、撮影賞(クリス・メンゲス)、プロダクションデザイン賞、編集賞、音響賞、新人賞(ハイン・S・ニョール)
1973年。アメリカを後楯にしたロン・ノル政権とポル・ポト率いる革命派勢力赤いクメールによるカンボジア内戦を取材するアメリカ人シドニーと現地記者のプラン。赤いクメールが台頭し、アメリカ軍は撤退を決定したため、シドニーはプラン一家をアメリカに亡命させようとするが、プランは記者としての使命を全うしようと考え、自分だけは残ることを決める。その後も取材活動を続ける二人だったが、赤いクメールによる支配が進み、記者たちも退避を余儀なくされる。しかし、カンボジア人であるプランは一緒に出国できないため、偽造パスポートを作成して亡命させようと画策するのだが…というストーリー。
実話ベースだが、あくまで記者(シドニー)の目線で書かれた書籍が原作であり、人間関係や現場の状況がどこまで正確かは微妙だろう。公開当時、赤いクメールの台頭の過程など、カンボジアの政局については、描写が不足しているという指摘があったようだが、別にそれを追ったドキュメンタリーでもあるまいし、映画としてはさほど重要ではない。大筋は間違っていないだろうし(現在70歳すぎくらいの、当時知識人といわれた共産かぶれの方々の考え方は、私にはさっぱりわからないので、そんな瑣末な指摘なんかどうでもいいのだが)。
実話ベースの話といっても様々であるが、本作のように淡々とイベントを羅列していき、主義主張をみなまで言わない手法は非常によろしい。淡々とすることで、かえって、ダイレクトに戦争のことを考えさせてくれる。映画というのは、考えの押し付けではなく、考えさせることに美徳があるのだ。それは、社会問題だろうが環境問題だろうが、はたまた娯楽作品でも同じ。笑いのツボまで手取り足取りで、ほら笑うところはここですよ…なんてのは、クズなのだ。
#改めて『オーシャンズ』がクソ映画であることを確信。
本作は、前半と後半で趣を大きく異にする。前半はかなりモタモタしているように感じられ、個人的は好きではないのだが、後半のプランの逃走過程は、不謹慎だとは思うが純粋に映画として愉しめてしまった。プランを演じているハイン・S・ニョールは演技経験のない素人だったらしいが、それが何ともいえない緊迫感に繋がっている。事実との照らし合わせとなると、突っ込みどころが多々あるんだろうけど、とにかく最後は、「よかったねえ」と素直に感じてしまい、めずらしくピュアな自分を発見してしまった(笑)。
それにしても、こういう映画が自国でつくられ、どれだけ批判があったとしても、他国のことに首を突っ込んでは後始末もできずに去っていくことを何度も何度も繰り返すアメリカ。遺伝子レベルでアホなのか。シドニーが帰国したアメリカのショットには、ワールドトレードセンターが写っている。アメリカは他国に軍を送るたびに、もっともらしい理由付けるけれど、実は単に本能で行動しているだけなんだな…、理性でどう思っても本能ゆえの行動だから抑えようが無いんだな…と。
こういうと誤解する人もいるかもしれないので、一応断っておくけど、キリングフィールドに累々と横たわる死者はアメリカとの戦争の被害者ではなくって、ポルポト政権下の労働キャンプと粛清(内ゲバ)による虐殺によるものである。原始共産主義を標榜したボルポトと毛沢東がが闊歩した後には、死屍累々である。ちなみ、色々な機関が、ほぼ100万人超が死んだと算定している。歴史上、こういう事例が多々あることを考えると、人類には“アポトーシス”プログラムがあるように思えて仕方が無い。その発動条件は何なのか。その探求こそ歴史教育・歴史研究の目的なんだろうな…と思う次第である。
今の日本の構造的に社会的弱者をつくる状況も、緩やかなアポトーシス”プログラム発動中なのかな…と思うと、ちょっと怖い。
まあ、それはそれとして、非常に重い内容なのに、見てよかったと思わせるすばらしい作品(いままで、こういうのは観たことがなかったかも)。未見の人は是非観ていただきたい。
#・マルコヴィッチはクソ人間を演じさせたらピカ一だなぁ。
公開年:2006年
公開国:アメリカ
時 間:85分
監 督:サイモン・ブランド
出 演:ジム・カヴィーゼル、ジェームズ・カヴィーゼル、グレッグ・キニア、ブリジット・モイナハン、ジョー・パントリアーノ、バリー・ペッパー、ジム・カヴィーゼル 他
コピー:俺が誰なら、生き抜ける記憶を失った5人の男たち──誰が誘拐犯で、誰が人質なのか?
工場で目が覚めた5人の男たちは、全員記憶を失っていた。わずかな手がかりから2人が誘拐された人質で、残る3人が犯人であるらしい。誰もが疑心暗鬼になる中、誘拐犯のボスから日没までに戻ってくるという電話が。お互いの正体がわからないまま、とりあえず協力して脱出を試みるが、各々、曖昧ながらも断片的な記憶が蘇り、彼らの混乱に拍車が掛かっていく…というストーリー。
いきなりネタバレ
『ソウ』と『メメント』と『レザボアドッグス』を足して7で割ったような作品。観た人の9割9分が冒頭で『ソウ』を思い出し、あくまでシャレなのかと思いきや普通に始まるという、こっちが赤面してしまうような脚本。
密閉された空間でガスを嗅いでしまい全員の記憶がなくなるという、都合の良いガスありきのお話なのだが、まあ、いくらなんでもそれなりに説得力のある説明があるのだろうと思っていたら、そういうガスが都合よくありましたという、そのままの内容で、さらに赤面。
なんとなく強引に2対3の構図らしいという設定になって、しばらくは、誰が2で誰が3なのか…と、断片的なヒントが判るたびに、めまぐるしく体制が変わるおもしろさが展開されるのだろうとおもったら、小競り合いはするものの結局みんなで協力して脱出を試みちゃうという展開で、またまた赤面。
さすがにこれじゃ成立しないと思ったのか、ボスが到着してからは、自分が悪者なのか良い者なのかという軸にシフト。最後までそれが続く。
確かに最後の展開は読めなかったことは認めるけれど、ここまでふらふらしまくると、実は宇宙人でしたって言われても、ああそうですかって言いたくなるレベル。こういう話は、ラストに向けて集約しつつ骨太になっていかないとだめだと思うんだけどな。
都合のよいガスもそうなんだけど、コインロッカーの底に穴なんて仕掛けとか、電話線を切っちゃうとか、設定の構図を守るために無理な(というか陳腐な)展開のオンパレードになってる。実はわたし、社長と潜入捜査官と、手錠の人の正体はわかったけど、最後になっても残りの二人はぼんやりしかわからない状態。もうちょっと肝心の人間模様とか謎解きをしっかり描いてほしかった。
駄作というか非常に未熟な作品である。キャリアのある脚本家のヘルプが必要だったのではなかろうか。この監督も脚本家も次のチャンスが与えられるかどうか微妙である。お薦めはもちろんしない。
公開年:2009年
公開国:日本
時 間:94分
監 督:塚本連平
出 演:三村マサカズ、大竹一樹、芦名星、ベンガル、井森美幸、田中要次、正名僕蔵、酒井敏也、載寧龍二、岩松了、保積ペペ、長谷川朝晴、小松和重、永岡佑、篠山輝信、入来茉里、尾上綾華、足立麻美、安藤玉恵、佐野泰臣、つぶやきシロー、手島優、板野友美、丘みつ子、麿赤兒 他
コピー:雨ニモ負ケル。風ニモ負ケル。
さまぁ~ず主演!コンプレックス克服ムービー!!
若ハゲに悩む茂は、東京への転勤を機にカツラの装着を考えるが、時間も予算もないため、“安くて早い”という宣伝文句の店“大和田カツラ”を訪れる。念願のカツラを付け転勤初日を迎えたが、周囲にバレるのではないかと不安に押しつぶさる。ある日、森山の部署に涼子という女性スタッフが配属されてくるが、2人で仕事をしていくうちに、二人はいい感じになっていき…というストーリー。
初めから、ヒット作にしようとか賞レースに参加しようとして製作されていないのは明白ではあるのだが、なかなか興味深い作品だと思う。昔のホイチョイ・プロダクションの映画みたいなノリだが、さまぁ~ずの単独ライブDVDを観たことがある人ならお判りだろうが、本作のストーリーは、やろうと思えばコントライブで充分表現できる内容で、さまぁ~ずの得意分野といえる。
役者の半数がホリプロ所属で、失敗しても成功してもホリプロの責任範疇で収めようという意図も見え、ホリプロの税金対策か?なんて穿った見方すらできるが、しかし、許される予算内で且つ最大の効果が得られる演出を、貪欲に模索しているのは判る。さまぁ~ず人気におんぶにだっこしているともいえるが、さまぁ~ず番組のDVDの売り上げは大きいので、公開時の配収が芳しくなくてもDVDでかなり回収できるだろう。
このような芸能事務所がメインとなって映画制作に携わる方式というのは、昨今の製作委員会方式とは異なる新たな映画制作方式になるかもしれない。所属俳優を使えるのでコストは小さいし、スケジュール調整も楽で、撮影期間も短くて済む。製作予算は費用計上できて、それこそ税金対策にもなる。そして一番大きいメリットは、所属俳優を“こういう風に売りたい”という形で出せるということだ。本作でいうなら芦名星がそれ。ちょっと冷たいイメージがあるので、『鴨川ホルモー』みたいに、悪いイメージの役があたることが多いのだが、本作では事務所が臨んでいるであろう、綺麗なおねえさんでツンデレというキャラ。売り出し期間中に事務所が望むような役のオファーがくる可能性なんて小さいのだがら、本作で評判になって同じような役が続けば御の字である。
…ということで、プロモーション的に非常におもしろいと思ったわけである。
で、内容に話を移すが、コメディ映画だと思って観るのではなく、さまぁ~ずのコントDVDだと思ってみれば充分愉しめるだろう。ワタクシ的にはアリだったので、軽くお薦めする。
#大和田は“やまと でん”じゃないんだ……。
公開年:2009年
公開国:フランス
時 間:103分
監 督:ジャック・ペラン、ジャック・クルーゾ
出 演:ジャック・ペラン、ランスロ・ペラン、(日本語ナレーション)宮沢りえ 他
コピー:生命(いのち)の飛ぶ空。
『アース』『ディープ・ブルー』を超える、史上最大のドキュメンタリープロジェクト。
海の神秘と躍動感に満ちあふれた生物たちの行動を、長期取材と最新技術を駆使した撮影によって映像かした作品。
………。
まず、冒頭で人間が登場し、イグアナの背景にロケット打ち上げのシーンで、イヤな予感が。『ディープ・ブルー』の時は、人間が手付かずの自然をまるで神目線で観ているような楽しさがあった。いや、人間だって自然の一部なのだから、むしろ人間が出てきて違和感を感じる自分のほうがおかしいのでは?と考えを改めようとしたのだが、そんな殊勝な考えをおこしたことを後悔した。
本作は、『不都合な真実』に並ぶ、クソ映画である。その理由を挙げればキりがないが、箇条書きする。
・『ディープ・ブルー』『アース』と同じ動物を扱っていて目新しさが薄い。
・一つ一つのシーンが短く、もうちょっとみせてよ!という気持ちになりいらいらする。
・最新撮影技術とのたまわっているが、芸術的なカットはほぼ無く、純粋にわぁ綺麗と思えない。これでは資料映像である。
・人間による自然破壊を説教しだすが、エゴまるだし。共存共存というわりに解決策は何も提示せず、これでは人間が地球に存在すること自体を悪といっているに等しいエセエコロジーである。
・サメの鰭だけ切って捨てるシーンは模型である。多くの人は実物の撮影だと思うし、これでドキュメンタリーを名乗るなど、詐欺行為。犯罪行為。
・種を滅ぼしてしまうような漁に警告することと、漁の方法を不快に感じることを巧みに混同させ、大衆をミスリードしようという意図がはっきり見える。おまけに、動物の漁も人間の漁も、“残酷さ”という点では変わりないのに、人間の行為は悪だと指摘している自己矛盾を、その巧みな混同でごまかそうとしている。
もう、これ以上、書くのもイヤになってきた。最低のムカつく映画である。薄っぺらな自然愛護論の連続で、聞いていて腹が立ってくるだけの映画である。人間による自然愛護を訴えたいとしても、『ディープ・ブルー』のように愚直に自然のあるがままを写し、人間側に考えさせるという姿勢こそドキュメンタリーの姿であり、製作側の主張を言葉でそのまま押し付けるのはドキュメンタリーではない。
ちなみに、先日、イギリスの新聞で、気仙沼ではサメのヒレだけとって捨てていると報道されたが、だれかが確かめたのだろうか。写真も映像もない。挙句の果てには、サメの処理工場が血の海だったとコメントしていたが、食肉工場が地だらけなのはあたりまえじゃないか。それに、日本でサメをかまぼこに加工していることを知らないらしい。イギリス人メディアも相当あほである。この件は、いずれウソ報道だったと問題になる違いない。
編集技術や映像技術も政治的な主張もすべてレベルが低く、映画作品としては『ディープ・ブルー』の50分の1にみ満たない、駄作中の駄作。ワースト映画ベスト10を作れといわれたら、間違いなく入る作品。
公開年:2006年
公開国:アメリカ
時 間:107分
監 督:トッド・ロビンソン
出 演:ジョン・トラヴォルタ、ジェームズ・ガンドルフィーニ、ジャレッド・レトー、サルマ・ハエック、スコット・カーン、アリス・クリーグ、ローラ・ダーン、マイケル・ガストン、ブルース・マックヴィッティ、ダン・バード、アンドリュー・ホイーラー、ダグマーラ・ドミンスク、ジョン・ドーマン、ベイリー・マディソン、エレン・トラヴォルタ、ジェイソン・グレイ=スタンフォード 他
コピー:アメリカ犯罪史上、最も悪辣な連続殺人犯:動機は孤独──これは実話
激しい嫉妬で殺して愛す。
1940年代、レイ・フェルナンデスは、新聞の恋人募集欄“ロンリーハート・クラブ”を利用する手口で、戦争未亡人や中年独身女性を狙い結婚詐欺を繰り返していた。ある日、次のターゲット、マーサ・ベックに近いたが、彼女が裕福ではないことがわかりあっさりと手を引く。彼は、次の詐欺の犯行でドジを踏んでしまうが、突然その現場に現れたマーサに危機を救われる。マーサはレイにシンパシーを感じ、追いかけていたのだ。これをきかっけに、マーサはレイの妹役になり、一緒に詐欺を行うようになるが、次第に詐欺相手の女性に強い嫉妬心を抱くようになり、ついには相手女性を殺害してその資産を奪うという手口に変わっていくのだった。一方、女性の自殺現場の検証にあたったロビンソン刑事は、犯罪の臭いに気付き捜査をはじめるが…というストーリー。
昨今、クライム物における異常犯罪者を心理学的に紐解いていく手法は、多く扱われており、心理学を勉強しなくてもシリアルキラーの特徴・行動・種別くらいは知っている人は多い。世の中、にわか犯罪心理学者でいっぱいだ。
そういう状況なのに、本作では、犯人二人の心理状態、特にマーサのシリアルキラーとしての掘り下げが薄い。もちろん当時、プロファイリングなんてものは存在しないのだから、刑事たちがそういう観点で捜査しないのは当然だが、もう少し工夫をしてほしかった。子供の時に性的虐待を加えられていたとか、実際の性行為にはおよばないとか、そういう描写を入れていることから、製作側も考えていないわけではないことは判るのだが、現在の視点で分析して、多少フィクションになったとしても独自の描写・解釈をいれてよかったと思う。男女コンビとはいえ、女性のシリアルキラーはめずらしいのだから。
この踏み込みの甘さは、実話ベースで、その枠をはみ出すことに躊躇したからだろう。さらに言えば、製作総指揮として10人が名を連ね、且つたいしてキャリアのない監督というのを見ると、私の大嫌いな“船頭多くして船山に登る”という状況が容易に想像できる。
正直、レイとマーサの事件にケリをつけることが、ロビンソン刑事自身の過去にケリをつけることに繋がるロジックがよくわからない。刑事を辞めることはなんとなく理解できても、愛人と息子と3人で生活することになる道理がよくわからない。単に、ハードな仕事がいやになっただけ、家族を大事にしたくなっただけ、それだけのことに思え、変に事件の内容に絡めようとする安易さに若干イラっとくる。
芸術作品を、合議で決める手法には、本当にうんざりする。しかし、サルマ・ハエックのクレイジーな演技と、この現実の事件として奇異性が、愚作になるところ凡作まで持ち直してくれている(だから、コピーも実話であることを前面に出さないわけにはいかなったのである)。
クライム物のTVシリーズ中の一つを観た…くらいの感覚ならば充分満足できる作品である。私は、とてもよい題材を大人数でこね回して、マズイ料理に仕上げてしまったことに対して不満なだけである。
公開年:2001年
公開国:アメリカ
時 間:120分
監 督:イアン・ソフトリー
出 演:ケヴィン・スペイシー、ジェフ・ブリッジス、メアリー・マコーマック、アルフレ・ウッダード、デヴィッド・パトリック・ケリー、ソウル・ウィリアムズ、ピーター・ゲレッティ、セリア・ウェストン、アジャイ・ナイデゥ、コンチャータ・フェレル、キンバリー・スコット、ヴィンセント・ラレスカ、ブライアン・ホウ、ピーター・マローニー 他
コピー:パックス星からやって来たという謎の男 彼には人の心を癒す不思議な魅力があった…
ニューヨークの駅。不審な態度のために警察に連行されたプロートは、自らを1,000光年彼方のK-PAX星からやって来た異星人だと名乗ったため、精神病院に送致される。プロートの治療には精神科医のパウエルがあたったが、当初は単なる妄想症と判断していたが、落ち着いた言動や理路整然とした高度で緻密な説明に疑問を抱き始める。さらに、プロートは他の患者たちにも影響を与えはじめ、患者たちがみるみる回復していく…というストーリー。
SFでもあり、ミステリーでもあり、ファンタジーでもあり、ハートウォーミングムービーでもあり、様々な要素が盛り込まれているのだが、真実は何か?ということよりも、いったいどの要素の倒れるのか?という方に気が向いてしまう。『34丁目の奇蹟』と同じギミックだが、本作のほうが巧みかも。その巧みさの裏には、“悔いのないように前向きに人生をおくれよ”みたいな、実に優等生的なテーマは潜んでいると思う。それも悪くない。
一点だけ不満を言う。世の中では、プロートの正体が、精神を病んだ人だったと捉える人と、宇宙人だったと捕らえる人とまっぷたつに別れるようなのだが、K-PAX星の軌道についての説明がができてしまったのだから、悲しい過去を背負った妄想患者だとすると、辻褄が合わない。いくら星マニアだとしても、知りうる知識には限界はある。そうなると、やはり、悲しい親友の肉体を借りたK-PAX星人という結論しか導き出せなくなってしまうので、もうちょっと、宇宙の知識に関しては、想像力が旺盛な人ならば偶然当たらなくはないかも…という表現になるように工夫してほしかった。
本作はまったく受賞歴がない。2001年のオスカーは、作品賞も脚本賞も、確かにノミネート作はに粒揃いで、食い込むのは難しかったかもしれないが、決してヒケはとっていない。アメリカ人には、このハッキリしないふわっとしたオチを受け止められないだけのことだろう。現在のオスカーのように10作品ノミネート方式なら、間違いなく選ばれていたはず。傑作とまでは言わないが、隠れた秀作である。未見の方は、是非どうぞ。お薦めする。
公開年:2009年
公開国:アメリカ
時 間:95分
監 督:ケヴィン・グルタート
出 演:トビン・ベル、コスタス・マンディロア、ベッツィ・ラッセル、マーク・ロルストン、ピーター・アウターブリッジ、ショウニー・スミス、アシーナ・カーカニス、ジョージ・ニューバーン、ショーナ・マクドナルド、デヴォン・ボスティック 他
凄惨な殺人現場でFBI捜査官ストラムの遺体が発見され、他の遺体などに彼の指紋が付いていたことから、彼がジグソウの後継者とみなされ、一連の事件は落着したかに思われた。しかし、それに疑問を抱いた上司のエリクソンは独自に操作を続行。実行犯のホフマンは徐々に追い詰められていく。一方、ジグソウの遺言と遺品の箱に困惑する前妻のジルだったが、意を決して箱の中身を確認。ジグソウの真の後継者を知る。その頃、保険会社の男と彼の関係者が拘束され、新たなゲームが始まる…というストーリー。
以下、ネタバレ。
いつもどおり、冒頭の殺人ゲームで掴みはOK!といいたいところだが、今回のファーストゲームには無理があった。あのシチュエーションで、ゲームをサッと理解して、ギリギリ命がキープできる部分を判断し、切除合戦が繰り広げられるというのは、いささか都合が良すぎる。さすがに「ああ、もうネタがないんだな…」と思えてくる。
ただ、ギミックの巧みさと救いようの無さで、このシリーズは注目を集めたわけだが、ここまで続いているのは、そういった要素のおかげだけではない。“ソウ”シリーズの決定的な魅力は、“生命を粗末にする人間に、生命の尊さを理解させる”というジグソウの高尚な目的のおかげである。その手段が、社会通念上許されるものでなくても、病的であっても、その底辺にこの高尚さが存在するおかげで、見ている側が、どこかでジグソウの行いに幾許かの正当性を見出しているのだ。
あえて不遜なことを承知で書く。キリスト教の目線で言えば、一見悪魔の所業としかいいようがない行いだが、死ぬ間際に自分の行いを悔い、命の大切さを痛感できたならば、殺された人間は天国にいけるのかもしれない。仏教的目線で言えば、命の尊さを理解して、成仏に近づき次に生まれ変わったときにはよい境遇になっているかもしれない。そういう意味で、ジグソウは悪魔の仮面を被った天使、修羅の形相の菩薩と解釈できなくもないのだ(もちろんかなりの曲解なんだけど)。
しかし、さすがに本作では、ゲームに参加させられる側の悪行が判りやすすぎて、勧善懲悪が淡白に感じられる。これまでは色んな立場の人が対象になっていたが、今回は保険会社がらみの人のみ。ちょっと間違えば私怨なんじゃないの?と思えてくる時もある。このシリーズ最後の砦ある高尚さが崩れ始めているようだ。
また、後継者問題も策を弄しすぎて発散しかけているし、ジグソウの亡霊モードも陳腐だし、社会問題を問いかけ始めるなんて、会議で決められた展開…という匂いがプンプンしてくる。
あからさまに続編の存在を予告したラストだが、次はシリーズ最終作。よほど手の込んだラストにしないとシリーズ自体を台無しにしかねない。それなのに3Dにしようなど、危うい道を進みつつあるのは明々白々。最後こそ、原点に立ち返るべきなのに。
よほどのファンなら別だが、そうでなければ、7のDVDが発売された時に一緒に観るくらいで充分な内容。わざわざ今、観る必要はまったくなし。お願いだから会議で展開を決めるんじゃなくって、力のある脚本化か監督が、思うがままに作りこんでいって欲しい。船頭多くしてなんとかである。
公開年:1982年
公開国:アメリカ
時 間:116分
監 督:シドニー・ルメット
出 演:マイケル・ケイン、クリストファー・リーヴ、ダイアン・キャノン、アイリーン・ワース、ヘンリー・ジョーンズ 他
ノミネート:【1982年/第3回ラジー賞】ワースト助演女優賞(ダイアン・キャノン)
ブロードウェイの劇作家シドニー・ブリュールはスランプに陥り、近頃の作品は酷評続きで作家としての危機を迎えていた。心臓病の妻は幸いにも金持ちで、生活にはこまらないが、このまま過去の栄光だけで業界に居座り続けるのも耐えられない。そんな時、昔の教え子が書いたミステリー劇のシナリオが届くが、実にすばらしい出来栄え。のどから手が出るほどヒット作が欲しいシドニーは、そのシナリオを自分のものにしようと考え…というストーリー。
ちょっと古めの作品で、且つ字幕のみ。丁々発止のかけあい劇なので、字幕を追うのがいささかツラい。
観ればすぐにわかるが、舞台劇。元はブロードウェイのヒット舞台らしいのだが、舞台をそのまま撮影したに等しく、“映画”というメディアであることを生かしているとはいえない。常々、ミュージカルを映画にした作品に対して、映画化する意味を問いかけてきたが、本作もその一群といってよいだろう。
当時は、めまぐるしいどんでん返しの連続をウリにしていたと思うが、残念ながら私がいくつか想像した選択肢の通りの展開だったため、驚きは小さかった。しかし、あくまで、たまたま私の想像に合致しただけであって、誰が見ても凡庸だと思うわけではないだろう。半数くらいの人は、なかなかよかったと感じるのではなかろうか。ラストの演出も時代遅れとは感じるが、さほどひどくはないし(実際古い作品なんだし)、マイケル・ケインとクリストファー・リーヴの演技も悪くない(ダイアン・キャノンは演技も役柄も鬱陶しいけど)。
しかし、説明的なセリフが多く、増長に感じられるシーンが連続するすので、せめて、90分台までに編集すべきだったろうとは思う。現代のそこそこ著名な映画監督などが、再編集したり音楽や音響を付け替えることで、ガラっと生まれ変わる作品だと思う。
やはり古臭さがハナについてしまうので、強くお薦めはできないが、演劇好きの人やアガサ・クリスティ原作の映画なんかがお好みの人は充分楽しめると思う。でも、私は二度と観ないと思うけど。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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