[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
公開年:2009年
公開国:アメリカ、ドイツ、イギリス
時 間:118分
監 督:トム・ティクヴァ
出 演:クライヴ・オーウェン、ナオミ・ワッツ、アーミン・ミューラー=スタール、ブライアン・F・オバーン、ウルリク・トムセン、パトリック・バラディ、ミシェル・ヴォレッティ、ジェイ・ヴィラーズ、ルカ・バルバレスキー、ジャック・マクギー、ジェームズ・レブホーン、レミー・オーベルジョノワ、ダーレン・ペティー、タイ・ジョーンズ、ローラン・スピルヴォーゲル、ベン・ウィショー 他
コピー:真実さえ、取引されるのか
インターポール捜査官サリンジャーは、ニューヨーク検事局のエレノアと共に、不審な資金の流れがあるとの極秘情報を元に、欧州拠点の国際銀行IBBCの捜査に当たっていた。世界各地を飛び回り、内部告発者や情報提供者と接触しながらIBBCの実態を探っていくが、いずれも行く先々で証人・証拠が殺され、捜査は行き詰る。巨悪を倒すためにサリンジャーは覚悟を決めて、ある行動にでるが…というストーリー。
『パフューム ある人殺しの物語』の監督ということで期待してレンタル。
昨今の金融危機の原因をつくった国際金融システムの問題点を浮き彫りにする…そんな作品かな?とタイトルから判断して、頭がお勉強モードになっていたのだが、全然違う内容だった。サスペンスというか、どちらかといえばアクションものであった。
お勉強になったのは、インターポールには逮捕権がないってことだけかな(銭形警部はルパンを逮捕できないのね(笑))。
ストーリー展開も、あまり好きではない。クライヴ・オーウェンの個性が強烈なので、スタンドプレーでグイグイいくのかと思いきや、途中までずっと団体プレー。キャラにマッチしていない。製作側もそれに気付いたのか、最後の方になって「おまえは手を引け」みたいなもっともらしい理由で仲間を排除して、自分だけで行動する展開に(何やらとってつけ…)。
最後は、世の中から巨悪が無くなることはなく、どんなに正義を振りかざしても無駄無駄…という感じで終わる。完全にニヒリストの考え方。そんなことを言うくらいなら、映画にして発表する必要なんかあるのか?といいたくなったが皆さんはどう思われるか。
この“どうせ…”というニヒリズムが根底にあると、物語というものは絶対に面白くなるはずがない、というのが私の自論。映画というのは、多かれ少なかれ他者を愉しませるのが目的のはず。散々話しを広げておいて、「でも意味はないんだけどね…」なんて頭がおかしい人間のロジックである。この脚本家は本作以外に手掛けていないようだが、エンターテイメントの世界から足を洗ったほうがいいのではないか。
クライヴ・オーウェンは、『シューテム・アップ』『インサイド・マン』『トゥモロー・ワールド』『キング・アーサー』などハードな役柄が多い人。個人的な意見だけど、笑っちゃいけない役者だと思っている。カメラ目線でニヤっとされたりすると、なにか品がないというかイヤらしい感じがする。もうすでにハリウッドではトップスターといってもよいのかもしれないけれど、どうも最後の一線が突破できていない気がするのは、その辺の幅の無さのせいかもしれない(完全に私見だが)。
幸い(?)本作では、一度もニヤリとすることなく全編苦虫を噛んだような顔で、かっこよくまとまっているのだが。
観終わって思ったのは、『パフューム ある人殺しの物語』がおもしろかったのは、原作と脚本のおかげで監督の力ではなかったのかな…と。よほど何も観るものがなければ止めはしないけれど、サスペンスとしては深さがないし、アクションとしてもヒネリがない。二流に二流が加わって三流になった作品だと思うのでお薦めはしないが、人によっては評価が分かれる作品なのかな…とも思うので、駄作とまではいわない。
公開年:2008年
公開国:アメリカ、フランス、スペイン
時 間:133分
監 督:スティーヴン・ソダーバーグ
出 演:ベニチオ・デル・トロ、ヨアキム・デ・アルメイダ、デミアン・ビチル、カルロス・バルデム、エルビラ・ミンゲス、フランカ・ポテンテ、カタリーナ・サンディノ・モレノ、ロドリゴ・サントロ、ルー・ダイアモンド・フィリップス、マット・デイモン、カリル・メンデス、ホルヘ・ペルゴリア、ルーベン・オチャンディアーノ、エドゥアルド・フェルナンデス、アントニオ・デ・ラ・トレ
1965年、キューバ革命で功績を残し、要職に就いていたゲバラだったが、地位や市民権を放棄して忽然と姿を消す。それを不振に思う世界に対し、カストロは、ゲバラが書いた手紙を公表。その手紙は、革命を必要とする場所に身を投じる旨が書かれていた。1966年、頭髪の薄い中年男に扮してボリビアに入国。当時、ボリビアはアメリカの支援を受けた大統領による独裁政権下にあった。ゲバラはゲリラ部隊を組織して革命へ動き出すが、ボリビア共産党の協力も得られず、アメリカに援護された政府軍に圧倒され、さらには地元民の協力も得られず物資が滞り、いよいよ窮地に立たされ…というストーリー。
要職を放棄して革命を輸出するという、ゲバラを知らない人には意外な展開かも。
虐げられた人々を自分の持つ力で救おうという姿勢自体は、海外青年協力隊などと違いはないし、当時の南米諸国の状況を考えれば、私は頭ごなしに否定はしない。
自分を革命請負マシンと定義して、それに徹するという姿勢。職人に徹しているともいえ、そういう面では日本人にも共感ができるのかも。でも、彼が何度も失敗した末に成果を勝ち取ったならばよかったかもしれないが、初めて本格的に加わったキューバ革命にて成功を収めてしまったことが、不幸であると私は考える。これにより彼は成功体験の呪縛から逃れられなくなってしまった。同じ目的を果たすために、それ以外の手段ををとれない(考え付かない、考えようとしない)というのは、想像力の放棄に繋がる。それでも時代は動くので、彼の行動は次第に状況と乖離して、取り残されていく。彼が評されるのは、その“胆力”と“遂行力”。たしかに道具としては優秀かもしれないが、ボリビアでの行動は、缶切りで瓶詰めを開けようとしているようだった。
加えて、(私は常々言っているが)自分が良いと思ったことは他人とっても無条件で良いと思われるに違いない…という、一神教宗教をベースとする社会にありがちな思想の呪縛にも陥っている。宗教と相容れないと思われる社会主義的思想の中にいるだけに、ますます惨めに見える。
一見、強烈な個性に見えるが、その思想にはふらつきというか、根本的な一貫性が私には見えない。
本作を集中して観られたのは、ボリビアに潜入してゲリラ部隊を組織するまで。あとは延々とゲリラ活動の緒戦を見せられて、最後は拙攻の末に殺されるまでが延々と。監督の問題というか製作側の問題だとは思うが、なぜ、これを2時間映画二本に分けるか。3時間10分の映画1本で充分というか、そうすべきでは?。
よほどゲバラに興味があれば別だが、映画としては観る価値なし。資料映像としてなら…といいたいところだが、それなら、キューバ革命後の諸国訪問の様子を入れることが重要だと思うが、それもなし。いずれにせよ中途半端なのだ。
公開年:2008年
公開国:アメリカ、フランス、スペイン
時 間:132分
監 督:スティーヴン・ソダーバーグ
出 演:ベニチオ・デル・トロ、デミアン・ビチル、サンティアゴ・カブレラ、エルビラ・ミンゲス、ジュリア・オーモンド、カタリーナ・サンディノ・モレノ、ロドリゴ・サントロ、ウラジミール・クルス、ウナクス・ウガルデ、ユル・ヴァスケス、ホルヘ・ペルゴリア、エドガー・ラミレス、ヴィクター・ラサック 他
受 賞【2008年/第61回カンヌ国際映画祭】男優賞(ベニチオ・デル・トロ)
1955年、メキシコ。アルゼンチン人の青年医師ゲバラは、南米大陸の旅を続ける中で貧しい人々の様子を見て、彼らを救いたいという気持ちが芽生える。ある日、独裁政権に牛耳られたキューバで平等社会の実現を目指すカストロと出会い意気投合。無謀とも思える政府軍に対するゲリラ作戦への参加を決意するゲバラだったが…というストーリー。
本作の日本で公開するに当たって、日本の若い女性タレントに「ゲバラってかっこいい」と賞賛させた、アホなキャンペーンを思い出す。多くの日本人がTシャツのチェ・ゲバラの顔しか知らないような状態のなか、教養がありそうもないタレントにまで賞賛されるなんて、ゲバラも草葉の陰でさぞや喜んでいることだろう。最近、海外映画の興行収入も堕ちてきていると嘆く声を聞くが、配給側がこういう作品に対して失礼な態度をとっているのだから、あたりまえでしょう。馬鹿らしい。
まあ、それは置いておいて、いまさら社会主義革命家を取り上げる理由は、私にもよく判らない。
カンヌで男優賞を取りパルムドールにもノミネート、スペインではゴヤ賞をとっているが、それぞれの国が歴史的に社会主義革命に対して造詣が深いからだろう。日本でも評価する人がいるが、評価してるのは学生運動世代だけ。チェのすばらしさがわからないほうがおかしいような言いっぷりなのだが、そういう闘争だけが社会を変える手段だと、いまだに思ってるのが、何か腹立たしいといか、みじめにすら映る(まあ、人々を救いたいという気概には共感するけれど…)。
本作はパート1ということで、『チェ 39歳別れの手紙』につづくので、この1作だけで評価できないことが、観終わって判る。とにかくキューバ政府とのゲリラ戦が延々と2時間以上続くのは、実に厳しい。元々ゲリラ戦自体が厳しいものなのだが、それを超えて特筆するような困難な事件や、彼の考え方の変遷があまりない。事実なのだろうから仕方ないけれど、それを映画として観せられても、この緩急の無さは、眠気を誘う。
実は2泊3日の旅行のバス中で観ているのだが、何度寝てしまい巻き戻したことか。
本作を観たきっけけは、『そして、ひと粒のひかり』のカタリーナ・サンディノ・モレノが出ているから。彼女が気に入っているわけではなく、とても米アカデミー賞にノミネートされるような力があるように見えないと文句をいったものの、一作だけで評価するのはフェアではないと考えたから律儀に観たまでのこと。本作ではアレイダ・マルチ役(後にゲバラと結婚する役)で出ているが、またもやゲリラ部隊の女性兵で表情に乏しく硬い演技しか必要とされない役なため、評価のしようがない。やっぱり容姿だけで、役者としてはポンコツなのでは?と思いはじめてきた。
本作だけみるととても作品として成立していないが、パート1とされている以上、パーツ2も観ないわけにはいくまい。トータルで評価することにする(でも、これを劇場で1800円で観せられたらかなわないなぁ…)。
公開年:2009年
公開国:アメリカ
時 間:123分
監 督:ハウメ・コジェ=セラ
出 演:ヴェラ・ファーミガ、ピーター・サースガード、イザベル・ファーマン、CCH・パウンダー、ジミー・ベネット、アリアーナ・エンジニア、マーゴ・マーティンデイル、カレル・ローデン、ローズマリー・ダンスモア 他
コピー:この娘、どこかが変だ。
3人目の赤ちゃんを運悪く流産したケイトは、その耐え難い苦痛から精神不安定となり、家庭の安定を脅かしかねない状況に。そこで夫婦は養子を迎えることを決意し、地元の孤児院を訪れる。そこで、聡明で大人びた少女・エスターに惹きつけられ彼女を養子として引き取ることにしたが、やがてエスターの恐るべき本性に気づいてしまい…というストーリー。
子供がいないというならわからないでもないが、すでに2人いるのに何でさらに養子を取らねばいけないのか。それも、小さい子ならまだしも、上の子を同じ年くらいというのが、まったく理解できない。
とにかく導入部の演出は回りくどいしテンポも悪い。妙に音で驚かせようという演出が続くのだが、それは映像的に驚かす演出が得意ではないからかも。効果的な演出で惹きつける力に欠けるようだ。内容としては100分くらいでおさまるはずなのに、ダラダラと無駄な演出が多い。
ロシアから来た少女が、アメリカの手話ができる。最後の最後まで、まったく父親が疑わない。等々、不自然極まりない無理なシチュエーションの連続で、次第に観る気が失せてくる。ネタバレになるので、はっきりいわないが、早い段階で、この映画のオチが読めてしまっていた。そうならないでくれ…と祈っていたが、どんどんその方向にするんで行く。ツライ。
さらに致命的なのが、“子供は絶対に死なない”というアメリカ映画の暗黙のアホルールのおかげで、息子が死なないのが判ってしまうという、このつまらなさ。そこまでくると、イライラするだけの三流ホラー。
もうすこし「エスターが何者なのか?」という部分に比重を寄せたほうがよかったのではなかろうか。
最後の方では、精神を病んでいる人の行動ではなく、明確な目的と強い意志をもった人間になってしまい、根本ルールも破綻してしまったように見える。うまくやれば、次々と色んな家に貰われて、次々と家庭を壊してくという珍しいシリーズになったかも。21世紀のジェイソンになったかもしれないのになぁ。せめて長男だけでも殺していれば、なんとかなったかもしれない。残念。
まあ、『ホースメン』よりは面白い。暇つぶしとしては充分だが、強く薦めはしない。
公開年:2008年
公開国:日本
時 間:137分
監 督:佐藤嗣麻子
出 演:金城武、松たか子、國村隼、高島礼子、本郷奏多、益岡徹、今井悠貴、斎藤歩、木野花、飯田基祐、猫田直、藤本静、大堀こういち、高橋努、田鍋謙一郎、神戸浩、市野世龍、要潤、串田和美、嶋田久作、小日向文世、大滝秀治、松重豊、鹿賀丈史、仲村トオ 他
コピー:怪人二十面相は誰だ!?
違う!オレは二十面相じゃない!
1949年、第二次世界大戦が回避された架空の世界。日本は、華族制度により極端な貧富の格差が生まれ、特権階級が富を独占する社会。巷では、富裕層を狙い、鮮やかな手口で窃盗を繰り返す怪人二十面相が出現し世間を騒がせていた。ある日、サーカス団の天才曲芸師・遠藤平吉は、見知らぬ紳士から羽柴財閥の令嬢・葉子と名探偵・明智小五郎の結納の様子を写真に撮ってほしいとの依頼を受ける。彼は曲芸を駆使してそれを実行するが、それは二十面相の罠だった…というストーリー。
第二次大戦が回避された世界という発想はとても面白いのだが、だからといって、極端な統制社会になっているという点については、もうすこし説明を加えないとリアリティがない。もし製作側が、そんなこと説明しなくても、そうなるに決まってるだろ?と考えていたとしたら、それは見識不足。冒頭の説明で思わず苦笑いしてしまった。SF冒険譚風に仕上げようという意図は見えてくるのだが、どうも世界観構築のツメが甘く、子供だましに思える部分が多い。そういう雰囲気をつくりたいなら、セットや小道具はもうすこし工夫しないと(工夫というのは、そのデザインや機能の文化的な理由まできちんと考えている…という意味で)。設定を考えた人間の想像力かやる気が足りなかったのだろう。
特高やら軍の制度もそのままだろうという想像から、やたらと暴力的な取調べシーンがあったりするが、人が殴られているシーンをみれば誰でも緊張するので、作り手側は効果があったと勘違いしているようだが、同様に細かいツメが甘く、深みのない薄っぺらな演出になっている。主人公がやむを得ず泥棒修行をするのだが、その結果として一番多様するツールが、修行の内容とか直接関係ないパワーウィンチというこの整合性の無さっぷり。複数の人間の思いつきをそのまま盛り込んでしまい、フラフラになって失敗しているんだろう(この監督さんは、もうちょっと我を通して、自分の思うままに進める力をつけたほうがいいですな)。
もう一つ惜しいのは、大根VS.大根というと失礼かもしれないが、他の俳優陣がなかなかの名演を繰り広げる中、金城武と仲村トオルの演技が、浮いていること。ある意味、子供向け冒険小説的な演技ではあるので、それを狙っているのかもしれないが(かなり好意的にみてあげれば…だけど)、それにしても浮いているかな。金城武の声を張り上げる演技は、観ているほうがはずかしくなる。
前半は、このように悪い点のオンパレードなのだが、設定の説明が終わって、ストーリー動き始めてからの後半は、うって変わって面白くなってくる。意外にも特撮がすばらしい。技術ひとつひとつについては、特段、高等な技術を用いているわけではないのだが、場面々々で適した演出ができており、最終的に“どう見せるか”という目的は充分果たせている。
色々文句を言ったが、後半で大きく挽回し、及第点は超えていると思う。軽い漫画映画だと思って観れば充分たのしめると思うので、軽くお薦めする。
今回、なぜ観たかというと、本作が中国で公開されるというニュースを聞いたから。中国のことだから、とっくに裏で出回っているだろうに、興行的にうまくいくとは思えないのだが。いまさら階級闘争のためのプロパガンダ映画にするつもりだろうか。第二次大戦が回避された世界がいい社会になっていない…という状況を見て、中国人の溜飲が下がるとも思えないし、中国政府の目的がよくわからない。
公開年:2006年
公開国:イギリス、フランス、イタリア
時 間:104分
監 督:スティーヴン・フリアーズ
出 演:ヘレン・ミレン、マイケル・シーン、ジェームズ・クロムウェル、シルビア・シムス、アレックス・ジェニングス、ヘレン・マックロリー、ロジャー・アラム、ティム・マクマラン 他
受 賞:【2006年/第79回アカデミー賞】主演女優賞(ヘレン・ミレン)
【2006年/第63回ヴェネチア国際映画祭】女優賞(ヘレン・ミレン)、金オゼッラ賞:脚本(ピーター・モーガン)
【2006年/第41回全米批評家協会賞】主演女優賞(ヘレン・ミレン)、脚本賞(ピーター・モーガン)
【2006年/第73回NY批評家協会賞】女優賞(ヘレン・ミレン)、脚本賞(ピーター・モーガン)
【2006年/第32回LA批評家協会賞】女優賞(ヘレン・ミレン)、助演男優賞(マイケル・シーン)、脚本賞(ピーター・モーガン)、音楽賞(アレクサンドル・デプラ「The Painted Veil」に対しても)
【2006年/第64回ゴールデン・グローブ】女優賞[ドラマ](ヘレン・ミレン)、脚本賞(ピーター・モーガン)
【2006年/第60回英国アカデミー賞】作品賞、主演女優賞(ヘレン・ミレン)
【2007年/第20回ヨーロッパ映画賞】主演女優賞(ヘレン・ミレン)、音楽賞(アレクサンドル・デプラ)
【2006年/第12回放送映画批評家協会賞】主演女優賞(ヘレン・ミレン)
コピー:世界中が泣いたその日、たった一人涙を見せなかった人がいた
皇太子との離婚後も世界中の注目を集め続けたダイアナは、パパラッチとの激しいカーチェイスの末、自動車事故で他界する。悲しみに暮れる英国民の関心は、不仲が取り沙汰されていたエリザベス女王に向く。しかし、王室を離れ一民間人となったダイアナに対し、女王がコメントを発表する慣習はない。しかし、口を閉ざし続ける態度を英国民は薄情であると感じ、女王は窮地に立たされる。首相に就任したばかりのブレアは、事態の収拾に乗り出すが…というストーリー。
こんなことを言うと何だが、私は『パフューム ある人殺しの物語』を思い出した。ある“記号”に機械的に反応して狂乱する民衆。これが現代の様子なのだから、気持ち悪くて仕方が無い。
なにやら本作のチャールズがよく描かれすぎという評価があるのだが、どこが?わたしにはチャールズが馬鹿丸出し男に見える。もう次の領主様にはなる資格がないと、暗にいっているとしか思えない。まあ、それ以上にフィリップは役立たずに映っているけどね(笑)。
事実に則した内容なのかどうかは判断できないが、鹿に対して女王がシンパシーを感じる演出は秀逸だと思う。
英王室は旧来の領主様ではなく、立憲君主としての立場に忠実である。その忠実さとは、いくら世の中がゆらゆらゆれても、世界が基点を見失わないように、行動する。そうしてこそ存在意義がある。いちいちエリザベス女王のいうことは至極真っ当。それなのに、慣習を破るようにに王室の内外が女王に圧力をかけ、破らせた挙句、破ってよかっただろ…という顔をする。
これって、レイプしておきながら、おまえもいい思いをしただろう…といっているようなもの。要するに、この騒動は、女王がレイプされた、ということなのだ。最後のブレアとのやりとりでそう確信した。
純粋に映画としておもしろいとは思えないが、自分の国がどういう経緯でこういう体制をとっているのかを理解していないのは、非常にみっともないという、反面教師として観たい。
#ミレンは、あの足の動きをがいい例だが、ものすごく研究したのが、よくわかかる。いい意味で努力賞である。
公開年:2004年
公開国:アメリカ、メキシコ
時 間:146分
監 督:トニー・スコット
出 演:デンゼル・ワシントン、ダコタ・ファニング、クリストファー・ウォーケン、ラダ・ミッチェル、マーク・アンソニー 他
コピー:男に生きる希望をくれたのは、たった9歳の少女だった。
元CIAの特殊部隊員ジョン・クリーシー。彼はこれまで、米軍の対テロ部隊に所属して16年にわたり暗殺の仕事を続けてきたが、そのために心を閉ざし、生きる希望を見失っている。そんな彼はある日、メキシコで護衛の仕事をしている部隊時代の先輩レイバーンから新しい仕事を請け負うことに。それは、誘拐事件が多発するメキシコ・シティに住む実業家の9歳になる娘ピタのボディガードだった。始めはこの仕事に乗り気でなかったクリーシーも、ピタの無邪気な笑顔や素直なやさしさに触れるうちに心洗われていくのだが…というストーリー。
原題の“MAN ON FIRE”のMANはデンゼル・ワシントンのことだが、邦題の“マイ・ボディガード”のマイはダコタ・ファニングのこと。プロモーション的にダコタ・ファニングを押したかったうのが邦題から伺えるが、内容とズレている上に凡庸で、結果的に最悪な邦題になっている。実際、評判も悪い。せっかくのハードな内容が台無しで、これなら原題のままでよかったかと。
後半の淡々と拷問していく復讐劇は、凄みがあて非常におもしろかった。『リーサル・ウェポン』のようなキレキャラの話がとても好きなので、うれしい。上映時間が長いと感じていたが、復讐が始まりだしたら、もっとこれを続けてくれ…と思ったくらい。たとえ非合法あっても、この状況ならイッちゃって問題なし、どんどん行け!という気分になった。
もちろんデンゼル・ワシントン、ダコタ・ファニングの演技は文句なしだが、映像も結構お洒落。画面上に表示される文字もなかなかクール。監督のトニー・スコットはリドリー・スコットの弟だが、もしかすると兄より才能があるかも…と思わせる。ただ、やはり、本作を130分に収められなかったのは力不足の表れか。いい監督と売れる監督の間にある壁を越えられていないのは、そのあたりのセンスが原因かも。
最後のどんでんがえしは無しにして、そのままバーサーカー(狂戦士)モードで、突っ切って散ってしまったほうがよい。(ネタバレだけど)そのまま死んでいたほうが、かえって新機軸で、興味深い作品になったと思うのだが…。その場合、クリーシーが苦しんでいる理由(過去の出来事)を、もうちょっと説明する必要が生じるけどね。
#アメリカ人子役は、大人になると変な感じになるのが通例だが、ダコタ・ファニングは綺麗に成長するはじめての例かもしれない。
公開年:2003年
公開国:アメリカ
時 間:92分
出 演:エディ・マーフィ、ジェフ・ガーリン、スティーヴ・ザーン、レジーナ・キング、アンジェリカ・ヒューストン、ケヴィン・ニーロン、ジョナサン・カッツ、シオバン・ファロン・ホーガン、リサ・エデルスタイン、レイシー・シャベール、ヘイリー・ジョンソン、アーサー・ヤング、マックス・バークホルダー、ジミー・ベネット、カーマニ・グリフィン、シーザー・フローレス、フェリックス・アキル、エル・ファニング、シェーン・バウメル、レイラ・アルシーリ 他
コピー:たったひとつだけの宝物を見つけた…
広告会社の敏腕社員チャーリーは、同僚のフィルと一緒に子供向け野菜シリアルの販促キャンペーンを展開したが大失敗。2人は揃って会社をクビになる。次の仕事はすぐ見つかると思っていたが不況のため声はかからず、次第に家計が逼迫。仕方なく子供をエリート保育園から退園させ、代わりの安価な保育園を探すが怪しい所ばかり。そこでチャーリーは自宅で保育園を開くことを思いつくが…というストーリー。
凡庸なアイディアだが、ほのぼのとした雰囲気やギャグが心地好かった。家族向けのストライクゾーンで健全極まりない。フラッシュやグリンゴン語とかの小ネタも冴えている。
エディ・マーフィー作品はハズレも多いが、本作は良作の部類。『ドクター・ドリトル』の系譜である。
原題は“DADDY DAY CARE”。いまでこそデイケアという言葉は一般的になったが、当時はそれほどでも。よって邦題を付けたのは自然な流れだけど、『チャーリーと14人のキッズ』というのが内容とマッチしているかは疑問だし、宣伝的にもインパクトのあったとも思えない。昭和的だが“エディー・マーフィーのパパの保育園”という直球でもよかったと思う。
しかし、良作コメディなのだが、『ホーム・アローン』に及ばない。その原因のひとつは、カタキ役のキャラや行動が極端に弱すぎるから。主人公達の困窮っぷりも、コメディならばもっとやりすぎくらいにヘコんでもよさそうなものだが、まあまあ常識的なピンチしかおとずれない。最後のスパイス一振りが足りない演出が、非常に残念である。
GWにお子様と一緒に昼下がりの映画鑑賞で、飽きたら寝ちゃえばいいじゃん…くらいのノリで観るのに向いている。軽くお薦めの良作。
公開年:2009年
公開国:日本
時 間:96分
監 督:坂本浩一
出 演:南翔太、黒部進、森次晃嗣、小西博之、上良早紀、俊藤光利、八戸亮、つるの剛士、五十嵐隼士、杉浦太陽、宮迫博之、宮野真守、団時朗、高峰圭二、真夏竜、蝶野正洋、西岡徳馬、小泉純一郎、長谷川理恵、田中秀幸、石丸博也 他
ウルトラ戦士たちの故郷“光の国”には、悪のウルトラマン“ベリアル”が幽閉されていた。ある時、レイブラッド星人の企みにより、ベリアルは脱獄し、100体の怪獣を召喚できる“ギガバトルナイザー”を手にしてウルトラの国を壊滅状態に陥れる。残ったウルトラマン達は、ZAP SPACYのクルーで怪獣使いの能力を持つレイを呼び寄せ、協力してベリアルの野望阻止に立ち上がるが…というストーリー。
特撮好きではあるが、こちらのブログではあまり紹介しないことにしている。でも、なんであえて取り上げるかというと、映画的に興味深い点があるから。それは、不定期ながらも脈々と松竹配給として続いていたシリーズが、ワーナーの配給になったから。この配給会社の変更が作品の質にどう影響をあたえたか。
配給会社の変更のせいかどうかわからないが、かなりスタイリッシュな演出が多かったと思う。これまで客演することがなかった、グレート・パワード・USA・マックスなどのシリーズも同じ画角に納まり、さらに、これまでそれほど密接でもなかった大怪獣バトルもがっちり組み込み、“ウルトラマン・サーガ”のような風情である。
仮面ライダーではかなり前から悪い仮面ライダーというのが登場し賛否両論あるが、今回は悪のウルトラマンの登場ということで新聞記事にもなった。しかし、気付いている人は多くないと思うが、これもある意味“ウルトラマン・サーガ”の一つである。どういう意味か。べりアルがウルトラの父をウルトラ警備隊大隊長の座を争い破れ、その後反乱するという設定は、大昔の『ウルトラ兄弟物語』というこどもマンガに登場するエピソードなのだ。もちろん大昔のマンガ版にはオリジナルウルトラマンが登場し、非公式扱いなのだが、まちがいなく意図的取り入れようとする姿勢の表れである。
#今後、アンドロ戦士やU80戦士の扱いに注目である。
で、設定的には、お父さん世代もお子様世代も満足いけるものにはなっている。しかし、残念ながらヒーロー物としては、ストーリー上、問題があるため、いい内容とはいえない。それはなにか。
ヒーローシリーズものには、あるルールというかストーリー上の醍醐味がある(私見だが)。敵なり災害なり主人公は問題に直面して、それを解決するのが基本であるが、その解決手段には3つほどのパターンがある。①努力して力をつける(必殺技を身につけるパターン)、②新しいアイテムを入手したり仲間が助けにくる(外部要因に救われるパターン)、③知恵を駆使して作戦勝ちする。
この3つの要素がバランスよく盛り込まれているのが、よいヒーローシリーズ物である。
本作では、①②は盛り込まれているが③の要素が皆無なのだ。これでは、パワーのインフレをエスカレートさせることだけが繰り返される。これは飽きる。結局、とてつもない強い敵が現れたので、とてつもなく強いウルトラマンで対抗した…それだけの話である。これは、ウルトラマン云々ではなく、シリーズ物として続かない(もう、ウルトラマンゼロが飛びぬけて強くなりすぎて、今後のシリーズが成立しなくなっている)。
案の定、始めの40分ま集中して観つづけることができたが、ファンのワタシでも飽き飽きしてしまった。
おもちゃ会社の意向なのか知らないが、これでは、ウルトラマンと怪獣の顔見世興行で、よく知らない人には楽しめる要素はない。これでは、いくらワーナー配給になったからといって、海外配給は望めないだろう。
まあ、子供は観たいというだろうが、半数以上の子供は途中で飽きるだろうし、大人のファンも残念に感じるだろう。よほどファンでなければ観る必要なし。
#声優陣はおおむね良好。特に小泉純一郎は、芸能ニュースなどで紹介されていた様子では最悪かも…と思っていたが、実際観てみるとものすごくマッチしていて感心。しかし、長谷川理恵のウルトラの母の声が最悪である。彼女はなんの関連あって採用されているのか…
公開年:2003年
公開国:イギリス
時 間:108分
監 督:ナイジェル・コール
出 演:ヘレン・ミレン、ジュリー・ウォルターズ、シアラン・ハインズ、ペネロープ・ウィルトン、セリア・イムリー、リンダ・バセット、ジェラルディン・ジェームズ、ジョン・アルダートン、アネット・クロスビー、フィリップ・グレニスター、ジョージ・コスティガン、グレアム・クラウデン、ジョン・フォーチュン 他
ノミネート:【2003年/第61回ゴールデン・グローブ】女優賞[コメディ/ミュージカル](ヘレン・ミレン)
【2003年/第16回ヨーロッパ映画賞】女優賞(ヘレン・ミレン)
コピー:ひと月ごとに綴られる彼女たちの《心の冒険》――
これは1999年、英国の小さな田舎町で本当に作られた《カレンダー》
イギリスの田舎町ネイプリーの婦人会のメンバーであるクリスとアニーは、平凡すぎる日々に飽き飽きしていた。そんな時、アニーの夫ジョンが白血病で亡くなってしまう。アニーを励ます意味もあり、クリスは毎年恒例の婦人会カレンダーを自分たち自身のヌード・カレンダーにしようという突飛な提案を。そして、その売上げはジョンが世話になった病院に寄付するというのだ。最初は誰も同調しなかったが、次第に仲間が集まり…というストーリー。
実話ベース。なかなか面白く仕上がっている…というのは簡単だが、これをまとめるのはさぞや難しかったことだろう。日本ではさほどでもなかったが、当時欧米では大変話題になっており、すっかり周知の内容だった。それを映画にするにしても、ハードルは上がりに上がりきってしまっている。かといってむやみにオリジナルエピソードを挿入することもできまい。自分にこれを映画にしろ…とオファーがきたことを想像したら、ゾッとする。
息子の話や奔放な妻を抱えて悩める夫のことなどをもっと掘り下げて、加えることはできたと思うが、やはりそこには実話の壁がある。ギリギリの線でまとめ、最後もなんとなくフワっと終わらせているが、その事情を勘案すれば、まあまあ許せる。
以前にお薦めした『キンキー・ブーツ』のスタッフが製作・脚本を手掛けているのだが(本作のほうが前に作られている)、そう考えると、『キンキー・ブーツ』では、その実話の壁をいくらか越えることに成功していると言える。
群像劇とはいえないが、多くの人物が登場し且つそれぞれのキャラをほどよく立たせるのが非常にうまい。
当時、女性版「フル・モンティ」という評価があったが、観ればわかると思うが、かなりテイストは違う。
とにかく明るく前向きな人たちと、その思いや気持ちが世の中に伝わっていく様を観るのは楽しい。本作と『キンキー・ブーツ』を続けてみると、おもしろいかも。セットでお薦めする。
#ヘレン・ミレンは『クィーン』とはかなりイメージがちがう。『クィーン』も観てみるかな。
公開年:2006年
公開国:アメリカ
時 間:100分
監 督:リチャード・リンクレイター
出 演:キアヌ・リーブス、ロバート・ダウニー・Jr、ウディ・ハレルソン、ウィノナ・ライダー、ロリー・コクレイン 他
コピー:オレを監視<スキャナー>しているオレがいる。
近未来のアメリカでは、“物質D”と呼ばれるドラッグが蔓延。覆面麻薬捜査官のボブは、物質Dの供給源を探るため自らジャンキーとなり潜入操作しているが、捜査官の正体は完全に秘密扱いのため、捜査対象組織の中の誰がボブなのか、上司や同僚すらもわからない。そんな中、ジャンキーとしてのボブが密告されてしまい、彼は自らを監視するハメになってしまう。さらに、捜査官として疑われないように自ら摂取していた“物質D”が脳を侵しはじめ、彼は自らのアイデンティティを次第に見失っていく…というストーリー。
鑑賞は2回目。以前は返却期限ギリギリだったため、しっかり観られなかった上に、元々、このデジタル・ペインティング手法はどんなもんか…という興味だけで借りていたので、内容をあまり注視していなかった。
おとり捜査のために摂取した麻薬に加え、二重生活のストレスで本当に自分を見失ってしまう過程が、この映画の見所だ。ネタバレなのではっきりは言わないが、騙し騙されの展開の末に、ボブはおとり捜査の裏に気付く。それで全てが終わったように見えるが、最後にもう一枚騙しが加わる(本当はこれから…ってこと)。原作は、さぞや面白いんだろうな…と感じさせてくれる。
この展開はは大変よろしいのだが、演出方法がよろしくない。本作では、結局この物質D流通の黒幕が誰なのかはまったく判らない。ボブがどうなるかもわからない。示唆すらされない。でも、この演出だと、「どうなるの?」と強く期待してしまう。あくまで騙し騙されの過程を楽しむことをメインにしたいなら、変に期待させるようなラストの展開は好ましくない。
続編があるわけでもなし、見ている側は、ひたすらモヤモヤと知りたい欲望を抑えなければいけない。手の届かない異性に恋しそうになったら、無意識に人は忘れようとするだろう。それと同じように、観終った後、無意識に本作のことを深く考えるのをやめよう…という気になっていたのは私だけだろうか。悪い内容ではないのに、話題にならないのは、このせいだと、私は思っているが…。
目玉の“ロトスコープ”というデジタル・ペインティングだが、よい効果を生んでいるとは言いがたい。
まず、(予想だが)撮影した画像をコンピュータに取り込んで、その画像の陰影を階層化して(1フレームごとに階層化しているのかはわからないが)着色範囲を決定。その後、1フレームごとに着色しているんだろう。まさに力技。着色自体は高い芸術性も技術も不要なので、大量のバイトを総動員したに違いない(守秘義務契約だけでもたいへんだろうから、美術とかコンピュータ専攻の学生と、学部単位でまるごと契約したりしたのかもしれないね)。
で、このアートのように見せかけて実際は芸術性など介在しない工程の結果として、半分以上のシーンは、実写となんら変わりが無い。結局は、覆面スーツとドラッグの影響により出現した虫以外に、この技術を用いた意味は薄い。ようするに費用対効果が小さいのだ。もっと、実写感が薄れるような効果が得られれば、“独特の世界観”と高く評価されていただろうが。案外、日本人がやればおもしろいものになっていたと思うので、ダメ元でだれかやってみてもいいかも。
このストーリー自体はものすごくおもしろいので、別の手法で再映画化してもらいたい。ふつうのCGでいい。けっこうモヤモヤするので、お薦めはなしない。わざわざ観る必要はないかな。
公開年:2004年
公開国:アメリカ、コロンビア
時 間:101分
監 督:ジョシュア・マースト
出 演:カタリーナ・サンディノ・モレノ、イェニー・パオラ・ベガ、ギリエド・ロペス、ホン・アレックス・トロ、パトリシア・ラエ、ギリード・ロペス、ジョン・アレックス・トロ 他
受 賞:【2004年/第54回ベルリン国際映画祭】銀熊賞:女優賞(カタリーナ・サンディノ・モレノ)、アルフレード・バウアー賞(ジョシュア・マーストン)
【2004年/第71回NY批評家協会賞】新人監督賞(ジョシュア・マーストン)
【2004年/第30回LA批評家協会賞】ニュー・ジェネレーション賞(ジョシュア・マーストン、カタリーナ・サンディノ・モレノ)
【2004年/第20回インディペンデント・スピリット賞】主演女優賞(カタリーナ・サンディノ・モレノ)、新人脚本賞(ジョシュア・マーストン)
コピー:運命はわたしが決めるのを待っている。
コロンビアの田舎町のバラ農園で働く17歳のマリア。母や幼児を抱えた姉と暮らすが、一家はマリアの収入に頼っている。ある日、上司との些細なトラブルで仕事を止め、おまけに愛してもいないボーイフレンドの子を妊娠してしまう。追い詰められた彼女は、最大5000ドルという報酬に惹かれ、麻薬を詰めた小さなゴム袋を大量に飲み込み密輸する運び屋の仕事を引き受けてしまう…というストーリー。
(いきなりネタバレ注意)
運び屋としてアメリカに行き、組織から逃げるまでは、再現ドラマみたいで、こりゃだめだなと思っていた。その段階で残り38分くらいだもの。誤解されるといけないので一応フォローしておくと、スリルのある質のいい再現ドラマだとは思う。けれど、こちらは映画のつもりで観ているので、それほど好意的には観てあげられない。
ただ、その残りの時間で、女性の自立や、家族の問題、はたまたコロンビアと米国と貧富の差や不法就労問題まで、ぎゅっと詰め込んだ上に、それこそ“ひと粒”の感動を加えてくれている。とりあえず、数々の受賞歴の理由は、理解できる。納得はしないけれど。
なぜ納得しないか。
この主演女優は、ヒラリー・スワンクやケイト・ウィンスレットと並んで米アカデミー主演女優賞候補になったわけだが、そんなに評価されるほどか。あまり感情が表に出ていないキャラ設定なのだが、良く言えば抑え気味でかつ緊張感が出ている演技と言えるが、これが演技なのか偶然なのかよくわからない。デビュー作だし、可能性は感じる。だが、いつから米アカデミー賞は、可能性だけで主演女優賞候補に選出されるようになったのか?まあ、偶然だろうがなんだろうが良ければよいと評価をすることには、何一つ問題はないのだが、私には、根本的にそれほどいい演技には思えなかったのだ。本当かどうかは知らないが、実際に同じような粒をいくつか飲み込んで演技したとも聞く。だから、それって演技ができないから、苦痛状態をつくったってことだよね。しれではやっぱり、納得できないのだが。容姿がそこそこ綺麗なのと、政治的な理由が絡み合っただけでは?という穿った見方をしてしまう。
ただ、デビュー作をみただけで評価するのはフェアではない。『チェ 39歳 別れの手紙』『チェ 28歳の革命』にもでているようなので、クレームをつけた以上、責任をもってそれらを観てから、もう一度判断させていただく。
主演女優だけでなく、監督も初監督作であることを考えると、同様に可能性を感じるが、やはり、はじめに言った時間配分の悪さに、いかんともし難い作品に対する制御力の無さを感じてしまう(脚本も自分で書いているからね。もうちょっとなんとかできる立場だっただろう)。主演女優よりも監督に対する、今後の期待度は低い。
強く薦めはしないが、色々文句は言ったものの及第点は超えている良作であることは間違いない。組織か逃げるまでに「つまらん」とあきらめないで、観始めたら最後まで。
公開年:2002年
公開国:アメリカ
時 間:117分
監 督:アンドリュー・ニコル
出 演:アル・パチーノ、レイチェル・ロバーツ、ウィノナ・ライダー、キャサリン・キーナー、エヴァン・レイチェル・ウッド、プルイット・テイラー・ヴィンス、ジェイ・モーア、ジェイソン・シュワルツマン、イライアス・コティーズ、レベッカ・ローミン=ステイモス、トニー・クレイン 他
コピー:世界が熱狂する完全無欠の女優──プログラム 完了!?
過去に2度オスカーにノミネートされた映画監督タランスキーだったが、作品が立て続けに失敗し、今は落ち目で見る影も無い。再起を賭けた新作でもワガママ女優に降板され、映画会社の経営者で元妻エレインに解雇されてしまう。しかし、そんな彼に突然、謎の男ハンクが現われ、ハンクが開発した女優創造コンピュータソフトを託される。それを使ってCG女優“シモーヌ”を創り出し映画を撮り上げると、とてつもない大ヒットになり…というストーリー。
『ワグ・ザ・ドッグ/ウワサの真相』と同じような話(というか同じ)。CG女優が一人歩きして大ブームになるというアイデア自体は、さほどユニークとは思えないが、話が波に乗るまでの導入部は決して悪くない。あとは、その坂の上に置いた岩をどうやってウマイこと転がすかってことなのだが…。
容易に転がせそうなのに、全然うまく転がってないように思うのは私だけか?おもしろいと評価する人が多いのだが、本当にそうか?広所恐怖症とか引きこもりだとかパソコンオタクだとか、その言い訳通りにエスカレートしていくのかと思ったら、中継映像は屋外?さらにコンサート?いきなり矛盾するが、だれも指摘せず。細微をないがしろにしたまま、発散するだけ発散させている。海に沈めたケースの中のディスクが無くなっているが、空いた形跡がないということは誰かが盗んだのか?刑事事件になっているのに、被疑者の社会保障番号も調べないのか?作り話なんだから重箱の隅をつつくなんてオトナゲ無いっていうかもしれないが、いくらなんでも穴がありすぎじゃないだろうか。余計としか思えないオチで、さらにダメ押しされる。
なにやら、実社会への問題提起を多分に含めているような気もするのだが、私には伝わってこない。決して、ワタシの勘が悪いわけではなと思う。この監督は、要するにアイデアだけ。抜群のヒラメキなのだが、そこまでの人なのだ。その後、製作総指揮/原案をやった『ターミナル』もそんな感じだったと思う。この秀逸なヒラメキを、うまく膨らませてくれる仲間がいればねぇ。
一つ擁護しておくと、アル・パチーノの演技はとてもよい。気が狂いそうになる男をイキイキと演じている。でも、それが活きていないのだから、残念至極。期待しなければ、そこそこの時間つぶしにはなる作品なので、割り切って観るぶんには、お薦めする。
#ウィノナ・ライダーは石田あゆみのようだった。
公開年:2001年
公開国:アメリカ
時 間:145分
監 督:リドリー・スコット
出 演:ジョシュ・ハートネット、ユアン・マクレガー、トム・サイズモア、サム・シェパード、エリック・バナ 他
受 賞:【2001年/第74回アカデミー賞】音響賞(Myron Nettinga、Michael Minkler、Chris Munro)、編集賞(ピエトロ・スカリア)
コピー:僕たちはもう、戦う前の僕たちには戻れない
1993年、泥沼化した内戦を鎮圧するためソマリアに派兵したアメリカ。芳しくない戦況に焦りを感じたクリントン政権は、敵対するアディード政権の本拠地への奇襲作戦を決行。作戦は時間ほどで終了する予定だったが、敵の予想外の反撃により、ブラックホーク(ヘリ)が撃墜されてしまい、敵の真っ只中で兵士達は孤立してしまう。その後の救助はうまくいかず、その間に、兵士たちは必死に応戦するが、次々と相手の攻撃の前に倒れていく…というストーリー。
ベトナム戦争などとは違って、このソマリア派兵自体の意義をどうこう言う人は、さほど多くないように思える。内戦なので他国は干渉すべきでないという原論的な意見はあるだろうが、(本作の中でも説明されていたが)“虐殺”と判断され、且つその判断が国際的なコンセンサスを得ていれば(大抵、国連による非難という形になるが)、その鎮圧とその後の平和維持を目的として派兵することはさほど不自然ではない。特に一部の武装勢力が無法に他人民を抑圧・虐殺している場合などは。
ただ、“ソマリアへの派兵自体”だけを切り取って見れば、の話である。元々は、冷戦時代には、エチオピア(=ソ連が支援) VS.ソマリア(=アメリカが支援)という、世界中のどこにでも見られた代理戦争の舞台。その後の冷戦終結により両国は撤退するも、アメリカというかりそめの秩序を失ったソマリアでは、アメリカが残した武器によって氏族間の内戦が激化したわけである。そういう意味では、やらざるを得ない自分の尻拭いではある。
ただ、どうも本作は、その内戦の背景にまで遡って、問いかけをしているようには見えない。純粋な“戦争映画”として戦況を刻々と追い、戦争を舞台にした人間ドラマにスポットを当てようとはしていない(キャストはそこそこ豪華だが、戦闘中は顔も演技もよくわからないしね)。逆説的に反戦映画になっているか?というと、そうでもない。じゃあ、ケン・ローチのような客観的な視点で淡々と描かれているか?というと、そうでもない。“アメリカ万歳映画”と見る向きもあるが、たしかにベトナムの時のように、苦労して自国に戻ってみたら人でなしと言われるような状況は避けたいペンタゴンとしては都合がいいだろう(同胞のためにこんだけ苦労してるんだからさ~ってね)。でも、作戦自体が成功しているわけではないので、完全に肯定的とはいえないだろう。実際、この作戦で、アメリカ人の犠牲者は19人で、ソマリア人は1000人以上。まず、これって“作戦”だけど“戦争”か?って気にもなる。このなんともいえないモヤモヤを、とりあえず脇に置いて観ると、やっぱり激しい戦闘シーンだけが残滓となる。結局、私にはよくわからない映画ということなんだなぁ。
先頭シーンは大変秀逸で迫力満点ではある。だけど、『プライベートライアン』に劣るとは思わないが、特段、それを超えたとは思えない。人間ドラマが希薄だったり反戦アピール作品ではないところを、高く評価する人が結構いるのだが、「こういう映画をまっていた!」とかまでいわれると、引いてしまう。古臭いのかもしれないが、私は戦争映画は(表現がストレートでなくても)反戦映画であってほしいと思う。そういう評価をする人とは、友達になれそうもない…とすら思うのだが、皆さんはどうかな。個人的にはお薦めしない。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |