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image0137.png公開年:2007年 
公開国:フランス、チェコ、イギリス
時 間:140分  
監 督:オリヴィエ・ダアン
出 演:マリオン・コティヤール、シルヴィー・テステュー、パスカル・グレゴリー、エマニュエル・セニエ、ジャン=ポール・ルーヴ、ジェラール・ドパルデュー、クロチルド・クロ、ジャン=ピエール・マルタンス、カトリーヌ・アレグレ、マルク・バルベ、カロリーヌ・シロル、マノン・シュヴァリエ、ポリーヌ・ビュルレ 他
受 賞:【2007年/第80回アカデミー賞】主演女優賞(マリオン・コティヤール)、メイクアップ賞(Didier Lavergne、Jan Archibald)
【2007年/第33回LA批評家協会賞】女優賞(マリオン・コティヤール)
【2007年/第61回英国アカデミー賞】主演女優賞(マリオン・コティヤール)、作曲賞(クリストファー・ガニング)、衣装デザイン賞(マリット・アレン)、メイクアップ&ヘアー賞(Didier Lavergne、Jan Archibald)
【2007年/第33回セザール賞】主演女優賞(マリオン・コティヤール)、撮影賞(テツオ・ナガタ)、音響賞(Jean-Paul Hurier、Pascal Villard、Laurent Zeilig)、美術賞(オリヴィエ・ラウー)、衣装デザイン賞(マリット・アレン)
コピー:そして「愛」は歌い継がれる──愛を生きた世界の歌姫 涙と喝采の物語

ピアフは、1915年のパリに誕生し、貧困の中で育った。ピアフが20歳の時、名門クラブのオーナーが、彼女の天性の歌声に目をつけ、舞台に彼女を立たせる。この時の舞台名が“ラ・モーム・ピアフ(小さい雀)”。その後、殺人の容疑者、恋人の死、薬物中毒、交通事故など数々の困難に直面しながらも世界に羽ばたき、生涯を通じて歌うことをやめることは一度もなかった・・・というストーリー。

根本的に、エディット・ピアフという人物をよく知らない。説明を読んでも“愛の賛歌”しか結びつかず。“愛の賛歌”といえば、日本では男性的要素のあるおばさんタレントがシャンソンの真似事をする時に歌う曲(でしょ)。楽しめるもかどうか疑問だったが、杞憂だった。

自分の歌だけが信じられるもの、と言ってはばからない彼女だったが、意識してかしないでかはわからないが、そのほかに信じられるもの求め続けるという、相反する行動が共存する様子が実に痛々しい。
…というよりは自分で壊しているよに見えるんだけどね。原題の“La Mome”は“小娘”とか“ガキ”みたいなの意味だから、子供ように我侭勝手に好きなものを愛し続け、何の飾りもない心赴くままのエゴ丸出しの彼女を表現することが、この映画の主題なんだろう。

壮絶な生い立ちの伝記映画は多々あるわけで、本作のようなレベルの話が特段目新しいはずはないと思うのだが、何かが欠けているような彼女の言動から目が離せなかった。壮絶なオチがあるわけでもないし、特別明確なメッセージ性があるわけでもないし、ストーリー性が高いわけでもない。でも目が離せない。特にパリ時代は、のぞき穴を通して彼女の人生を覗いているような感覚に…。あれ、もしかして、これが“シャンソン”なのか?(なーんてね)

ネタバレだが、実は子供が…みたいなところが最後の最後で語られるのだが(おそらく自伝か何かで初めて明かされた事実だったりするのかなぁと思うんだけど)、彼女の何かを穴埋めするような行動の原因はこれだったのだよ…と答えを出そうとしているようなのだが、結果的には取ってつけたようでおもしろさには繋がっておらず失敗といわざるを得ないのが、残念である(だって、もう、彼女の人生はそういう次元じゃないようにみえるんだもん)。

いろいろな感想を読むと、時間軸がバラバラに交錯する映画だという人がたくさんいるのだが、それは間違いだ。時間軸はバラバラではない。生まれてからを起点にした話の流れと、晩年のある時期を起点にした話の、二本の流れが交互に編集されているだけである。もうしわけないけれど、何一つ混乱しない。むしろシンプルこの上ないので、未見の人は惑わされないように。

技術的な話を二点。
マリオン・コティヤールが女優賞を多々獲っているのだが、ウマいといよりは体当たり演技…という印象つよいかも。そして、カメラマンは日本人・永田鉄男氏。何度もレビューの中で書いているが、総じて昨今の日本映画のカメラワークは、欧米はもとより韓国よりも技術が劣る(というかセンスが無い)を言い続けているのだが、永田氏の活躍が日本映画の技術向上に少しでも繋がれば…と願う次第である。

とりあえず、シャンソン歌手なんか興味ないから…と除外していた人には、私も同じだったけど興味深く観続けることができたことを伝えたい。『アドレナリン2』や『インスタント沼』に手を出すくらいなら、迷わずこっちを観るべきである。損はしないだろう。

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image0120.png公開年:1979年 
公開国:アメリカ
時 間:117分  
監 督:リドリー・スコット
出 演:シガニー・ウィーバー、トム・スケリット、ヴェロニカ・カートライト、ジョン・ハート、イアン・ホルム、ヤフェット・コットー、ハリー・ディーン・スタントン、ヘレン・ホートン 他
受 賞:【1979年/第52回アカデミー賞】美術監督・装置(Ian Whittaker:装置、Michael Seymour:美術、Roger Christian:美術、Les Dilley:美術)
【1979年/第33回英国アカデミー賞】プロダクションデザイン賞、音響賞
【2002年/アメリカ国立フィルム登録簿】新規登録作品
コピー:宇宙では、あなたの悲鳴は誰にも聞こえない

地球への帰途についていた宇宙貨物船ノストロモ号は、謎の救難信号を受けて未知の惑星に降り立つ。そこには異星人の船があり、船内には無数の奇怪な卵が存在。その卵から飛び出した奇妙な生物が顔に貼り付いた航宙士を回収し、再び航海につくが、彼の体内には謎の生物の幼体が産みつけられており、腹を突き破り誕生。脱皮を繰り返し巨大に成長すると、次々と乗組員を襲撃する…というストーリー。

『SW』や『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』のレビューでCG技術は極まりつつあるなぁという話をしたが、そうは言いながらも何やら心に引っかかるものがあって、逆にCG無し時代の作品を観て、そのモヤモヤの原因を探ろうと思い、本作を手にとってみた。

冒頭のノストロモ号航行シーンは、この時代なのでもちろん模型なわけだが、ものすごく緻密でリアルに感じる。船内の様子もしかり、カメラが左右にパーンするときに実体感をものすごく感じる。昨今なら、こういう船内シーンですらCGなことも多いが、微妙なカメラの動きに背景が追従するところまで表現できているだろうか。逆に背景がCGだからといって、カメラアングルはがっちり固定だったりすることが多い(パーンする場合にも移動量データを蓄積して、CG加工する場合に利用する場合もあるだろうが、実際、固定になる場合が散見される)。モヤモヤの正体はこれである。カメラの動作に伴う微細な揺れに、当然ながら実体の場合はしっかり追従するので、脳が違和感を感じず“気持ちがいい”のだ。これは実に予想外の発見。言い方を変えれば、“目はごまかせても脳はごまかせない”ってところだろうか。その辺の研究が進んで、カメラの微細な揺れをCGの視点角度に反映できるようになれば、よりリアルになることだろう。まだまだ技術進歩には先がありますな。

さて、他に気づいた点。
2時間の映画だか、30分単位で起承転結が分かれている。シナリオの初級お手本映画かもしれない。

起 … 航路ははずれナゾの星へいくことに
承 … ナゾの生物出現
転 … ナゾの生物が襲ってくる
結 … 原因がわかって逃げる

リドリー・スコットにより「エイリアン5(前編)」の撮影開始なんて話もあったけれど、実際どうなったのかしら…。

しばらく観ていない人には、もう一度観ることをお薦めする。模型やセットの究極的な技術の高さを感じざるを得ず、安易なCGなんかクソ喰らえって思えるほどである。

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image0268.png公開年:1979年 
公開国:日本
時 間:100分  
監 督:宮崎駿
出 演:山田康雄、小林清志、増山江威子、納谷悟郎、島本須美、石田太郎、宮内幸平、永井一郎、山岡葉子、常泉忠通、梓欽造、平林尚三、寺島幹夫、野島昭生、鎌田順吉、阪脩、松岡重治 他
コピー:生きては還れぬ謎の古城でついにめぐり逢った最強の敵!



ヨーロッパの小国カリオストロ公国へやって来たルパンは、悪漢に追われる少女クラリスを助けようとするが、結局、彼女は連れ去られてしまう。クラリスはカリオストロ大公家のひとり娘だったが、強引に結婚を迫るカリオストロ伯爵によって城に幽閉されているのだ。ルパンは既に城内に忍び込んでいた不二子の手引きで城に潜入し、クラリス救出を試みるのだが…というストーリー。

いわずと知れた日本アニメの金字塔だけど、私は手放しで賞賛するほど好きってわけではない。なーんていいながら、今まで7・8回は観ているけれどね。この前、『ルパンVS複製人間』を見て、実に“ルパンらしい”作品だと思ったわけだが、逆に一般的に名作といわれている本作のどの辺がルパンらしくないのかな…と考えて、なんとなく観てみた(ルパン随一の作品という人が多いけれど、ルパンはその後の作品のデキが悪すぎて、比較できるものがないんだけどね)。

まあ、そんなことは確かめなくても判るでしょってツッコまれると思うんだけど、結局、宮崎駿色が強すぎるってことだよね。今回はいつもとは違って、客観的に“いい所”がどこか確認しながら見てみようと思う。
まず、風景のカット割り。彼の心に残った風景がふんだんに盛り込まれているのだろうけれど、なかなかアニメの背景カットで、「いいなぁ、この風景」って思うことって少ない。他の宮崎作品も背景には力が注がれているけれど、非現実的だったり影が強かったりすることが多い。対して本作は明るい牧歌的な風景で、むしろ『アルプスの少女ハイジ』的で、実にほっとする。
次は、だれもが指摘するところだけど、非現実的ながら躍動感バリバリの動作。ほぼ『未来少年コナン』と同じ。単に現実離れしているというだけならば『ルパンVS複製人間』だってそうなのだが、ディズニーの『バンビ』が実際のバンビの動きを研究したのとは違い、こちらはまるで夢の中で動いているような浮揚感。本作のほうがよっぽどファンタジーだと思うのだ。ディズニーとも手塚アニメとも違うアプローチは実に白眉だと思う。
じゃあ、その動きが宮崎アニメがパイオニアか?というと、ある部分でその答えに気付く。それは城のデザイン。宮崎駿が若いころ感銘をうけたというフランスアニメ『やぶにらみの暴君』がモデルなのだ(今、日本では『王と鳥』というタイトルでリリースされている。前にレンタルして観た)。で、キャラの動きにも、結構共通点が多いことに、今回改めて気付いた。
それから、昨今のアニメや日本映画では“本当にオチを考えてつくってるのか?”って言うようなのが散見されるけど、本作はしかりう終わっていること。当たり前のことのようで、これすらできていない作品ばかりになっていることは忌忌しきことである。

ただ、これだけいいことを並べたが、もう、これを宮崎アニメとして観ることはもうないだろうなと、悲しくなるi一面ある。実は、私の中で宮崎駿が終わった境目がある。それは『千と千尋の神隠し』の電車に乗って銭婆のところへいくシーン。具体的に何がどうだとはっきりいえないのだが、あそこを境に私がよいと感じていた宮崎駿は失せてしまったと感じている(なにか、味が失せたよう。もしかすると彼の灰汁みたいなものが抜けてしまった瞬間かもしれない)。とにかく、それ以降、私の琴線に触れる宮崎アニメは皆無である。

取り留めなく書いてしまったが、ルパンらしさには欠けていても、全世界の映画の中で、ほっとする感じと躍動感と小粋な感じがここまで綺麗に渾然一体となった作品はないと思う。わざわざお薦めする必要もないと思うが、いまいち物事がうまく行っていない時なんかには、観返してみるとさっぱり気分転換ができるいい映画だと覆う。2年に一度は観なおしてしまう作品。

#ラストの銭形のセリフは名セリフといわれているけれど、私の中では、「とんでもないものをみつけてしまった~。どうしよう~」がお気に入り。

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image0401.png公開年:2001年 
公開国:アメリカ
時 間:114分  
監 督:スティーヴン・ヘレク
出 演:マーク・ウォールバーグ、ジェニファー・アニストン、ドミニク・ウエスト、ティモシー・スポール、ティモシー・オリファント、ダグマーラ・ドミンスク、ジェイソン・フレミング、レイチェル・ハンター、マシュー・グレイヴ、カーラ・ゼディカー、マイケル・シェイマス・ワイルズ 他
コピー:なりたかった野郎どもに贈ります。
一夜明けたら、カリスマ

メジャーバンド“スティール・ドラゴン”のボーカルのボビーを崇拝しているロック青年クリスは、彼らのコピーバンドでボーカルを担当。両親と共に暮らす彼の仕事はコピー機のメンテナンスだが、ひとたびステージに上がれば多くの観客を熱狂の渦に巻き込む。ある日、そんな彼に、ボビーの後釜として“スティール・ドラゴン”へメンバー入りの誘いが来るという奇跡が訪れた。クリスは夢にまでみたロック・スターへなるのだが…というストーリー。

なんかヘビメタ好きの人たちから妙に評判の悪い映画。どうもモデルになった実在バンドと軋轢があったり、ヘビメタ好きには揶揄されているように見えたりするらしい。そういう人たちの文句のコメントが辛辣。まあ、そういうことが気になってしょうがない人は観なければいいんじゃないかな。私はヘビメタに愛も無けりゃ、まったく不快にも思わないので純粋に楽しめたよ。
大体にしてコピーバンドやってる人が、昼間はコピー機メンテの仕事してるなんてチョケた設定、根本的にそういう次元なんだから、マジ捉えてどうすんだろ…と思うんだけど。

シナリオのクオリティもなにも、大抵の人が予想がつく展開だから、普段の私の評価からすればメタメタに言いそうでしょ。でも言わない。だって、あまりにもありきたりの展開すぎて、はじめっからそこで勝負するつもりがないのが明白なんだもの。文句をいうポイントですらない。

すべての人が、ライブ中に時折やってくるサウンドとノリが混ざり合った恍惚のひと時のために行動しているわけで、観ている側も、ただただノリを楽しめばいいのである。だんだん、普段は聞かないけどヘビメタもいいなぁ…ってさえ思えてくるよ。望んだ舞台だけど、楽しめなくなった時に、エイヤーで自分の気持ちに従うなんて、もう現実世界から見ればファンタジー。青年くずれの大人の童話として割り切ってみれば、とても楽しい。世の中、人事異動や組織改正の季節だが、そういう煩わしさに翻弄されている人に、私はあえてお薦めしよう。

#ジャケットがオチの段階の写真なのって、内容とマッチしてない上に、そうすることが逆に興味が沸くのを阻害してないか?このセンスは解らないね。私なら、ヘビメタ状態の写真をつかうけどね。

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image0723.png公開年:2000年 
公開国:アメリカ
時 間:114分  
監 督:ボアズ・イェーキン
出 演:デンゼル・ワシントン、ライアン・ハースト、ウィル・パットン、ウッド・ハリス、ドナルド・アデオサン・フェイソン、クレイグ・カークウッド、イーサン・サプリー、キップ・パルデュー、ヘイデン・パネッティーア、ケイト・ボスワース、ライアン・ゴズリング 他
コピー:アメリカが最も愛した友情が、ここにある



1971年、バージニア州。差別撤廃の風潮に押され、ある町で白人の高校と黒人の高校が統合されることになり、両校にあったフットボール・チームも統合される。差別意識が根強い地域地元住民の反発の中、アメリカ初の人種混成チームは、さまざまな苦難を乗り越え、ひとつにまとまっていく…というストーリー。

白人と黒人の間で衝突が起こる中、「これ以上こじらせるつもりか!」と警官がいうセリフがある。本作は実話が元だが、“これ以上”の“これ”っていう実際の衝突はこんなもんじゃなくてもっともっとエグいはず。子供が観たら、この程度の差別感情なら時間が解決してくれるんじゃね?って思いそうなレベルなんだが、この灰汁抜き具合が、ディズニー映画ってことなんだろうな。
だから実情を肌で感じているアメリカの人々と我々日本人とでは、演者のセリフの響き方が大きく違うことだろう。

単純に感動した…というのは正しい表現ではなく思えるが、いい言葉が浮かばない。とりあえず観ていて心が動いたと言ってこう。差別問題に限らず、解決しなくてはいけない社会問題は多々あるが、本作は解決のための手法を示唆してくれているな、と私は感じた。それは、ある社会問題を解決するときに、根本的な原理・方針を掲げて、それに沿うように法や仕組みを変えることは、一面では正しいかもしれないが、実際の解決の決め手には決してならないということである。実際の解決は、大勢に影響を与えるかどうかはわからないが、とりあえず目の前にある小事をプチプチと諦めることなく潰して、それをひたすら続けた先にある。ある日ふと振り返ると道がでいている…という具合に。
本作では、理想だけの政治家が制度や仕組みを変えても、それだけではうまくいかず、目の前のいざこざを一つ一つ乗り越えていったプレイヤーたちの行動の積み重ねが、世の人の心を変えていったことで表現されている。

基本方針やスローガンは必要だがそれはそれ。“ブロークン・ウィンドウ”理論しかり、結局は“小さいことからこつこつと”しか世の中は変えられないし、それをやってきた人こと評価しなくてはいけないだ…と強く思ったわけである。

日本はこ外見の違う集団同士の激しい軋轢がなかったので、よかったよかったと思っている人がいるかもしれないが、逆にこれ経験していないせいで、黒人が触れたものにさわることイヤなんてことを平気で言う、普通の主婦なんかが結構いたりしてびっくりすることがある。まさかと思うかもしれないが、今後日本で差別意識の根深さが問題になる日がくるだろう。予言しておく。

閑話休題。作品の話に戻す。
スタッフロールをみていると、ジェリー・ブラッカイマー制作ではないか。彼が関わった他作品とは毛色が異なり、メッセージ性の強いので、実に意外だった。ただ、黒人音楽をフューチャーしたサウンドトラックなんかは、米ドラ『コールド・ケース』なんかに共通するところがありますな。

未見の人にはもちろんお薦めするが、ディズニー作品ということで描写的には安全なので、三学期の大学受験が終わったあたりの高校三年生に観せておきたいかな(勝手なイメージ)。社会に出る前に観れるなら観ておけって感じ。差別問題以外にも感じてくれるものはあると思うんだよね。
 

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image1443.png公開年:2002年 
公開国:アメリカ
時 間:143分  
監 督:ジョージ・ルーカス
出 演:ユアン・マクレガー、ナタリー・ポートマン、ヘイデン・クリステンセン、イアン・マクディアミッド、ペルニラ・アウグスト、アンソニー・ダニエルズ、サミュエル・L・ジャクソン、クリストファー・リー、ジミー・スミッツ、ケニー・ベイカー、テムエラ・モリソン、ダニエル・ローガン、ジャック・トンプソン、オリヴァー・フォード・デイヴィス、ローズ・バーン、アーメッド・ベスト、フランク・オズ 他


第二次大戦末期、劣勢に立たされ始めたドイツ。純粋に祖国を愛するが故にヒトラー独裁政権へ反感を抱いていたシュタウフェンベルク大佐は、アフリカ戦線において瀕死の重傷を負いながらも生還。彼は、やがて軍内部で秘密裏に活動しているレジスタンスたちの会合に参加するようになるが、ある日ワーグナーの“ワルキューレの騎行”を聞いて、国内の捕虜や奴隷がクーデターを反乱を起こした際に予備軍によって鎮圧する“ワルキューレ作戦”を利用して、ナチス政権を転覆させることを思いつく。綿密に計画を練り、暗殺の実行役も任され、ついに敢行する日がやって来るのだが…というストーリー。

『SWⅠ』のときにもグチッたのだが、根本的な問題があるので、面白くならない作品。ヒトラーおよびナチスの顛末は有名すぎるわけで、本作で語られる暗殺計画が成功しないことは、よほど歴史に暗い人でない限り、観終わる前から明々白々(歴史関係の書籍では「ヴァルキューレ」作戦と書かれることが多いですな)。その他にもいくつか暗殺遂行はあったらしいが、ヒトラーが暗殺で重症を追った事実すらない。暗殺計画や遂行のために薄氷を踏むようなシーンを、どれだけ織り交ぜようとも、最終的にはうまくいかないのである。

史実をベースにした話は数あれど、事実をなぞるだけで映画として成立させるためには、その事実が「へえ」なのか「ふうん」なのかで大きく違ってくる。要するに、素人でも「へえ」って感じるほど面白い事件なのか、そんなことがあったんですね「ふうん」で終わるような事件なのかってことである。あまり明るみにでてこなかった「ヴァルキューレ」作戦の詳細が紹介されて、ワクワウしてくるのなんてよっぽど歴史に興味のある人だけで、失敗した暗殺のことなんて、一般的には所詮「ふうん」なのである。

だから、暗殺のプロセスだけでなく、別のストーリーの軸を設けなければいけないところなのだが、それが無い。作中の暗殺計画よろしく、映画制作の目論見もずさん…なんて、しゃれにもならない。

さらに、暗殺側の軍人の台詞やナレーションで、ドイツ国民すべてがナチスなわけではないという趣旨のことが繰り返されるのだが、ドイツ国民はむしろ被害者なんだよ…といいたいのだろうか。もしや、本作はドイツ国民擁護のためにつくられたのか?私には、どうも的外れに見え、空々しい気がして仕方が無い。その考え方って民主主義崩壊のプロセスがどうだったのかを直視しようとしない人間の目線だと思うので、いささか不快である。
『麦の穂をゆらす風』のケン・ローチのように愚直なまでに中立な目線でつくられたならば、逆に鑑賞者が自発的に暗殺遂行者たちの勇気に共感し、すこしは英雄視できたもしれないのだが、作品の方から、英雄視しろと押し付けられているように感じられ、私は興ざめした。

ネット上では「さすがブライアン・シンガー」と評価する人が結構いるので、一瞬躊躇してしまうのだが、私の感覚に忠実になって言えば、お薦めはできない。駄作ではないが凡作中の凡作というのが精一杯。

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image0636.png公開年:2002年 
公開国:アメリカ
時 間:143分  
監 督:ジョージ・ルーカス
出 演:ユアン・マクレガー、ナタリー・ポートマン、ヘイデン・クリステンセン、イアン・マクディアミッド、ペルニラ・アウグスト、アンソニー・ダニエルズ、サミュエル・L・ジャクソン、クリストファー・リー、ジミー・スミッツ、ケニー・ベイカー、テムエラ・モリソン、ダニエル・ローガン、ジャック・トンプソン、オリヴァー・フォード・デイヴィス、ローズ・バーン、アーメッド・ベスト、フランク・オズ 他
受 賞: 【2003年/第12回MTVムービー・アワード】格闘シーン賞(ヨーダ対クリストファー・リー)
【2002年/第23回ラジー賞】ワースト助演男優賞(ヘイデン・クリステンセン)、ワースト脚本賞(ジョージ・ルーカス、ジョナサン・ヘイルズ)
コピー:ジェダイは怒ってはならない。憎むことも。愛さえも。

Ⅰの10年後。青年へと成長したアナキンはオビ=ワン指導の下、ジェダイの修行に励む。その頃、元老院ではドゥークー伯爵の画策により、数百もの惑星が一斉に共和国から離脱。その中で、アミダラ元老院議員の暗殺未遂事件が発生したため、オビ=ワンとアナキンがボディーガードにあたり、彼女を狙った人物を捕らえ口を割らせようとするも殺害されてしまう。オビ=ワンはザムを殺した凶器から手掛かりを得て、惑星カミーノへ向かう。一方、アナキンはパドメの護衛としてナブーへ同行するも、二人は愛し合うようになり・・というストーリー。

前作の“Japan”“Japan”している部分はなりを潜め、シリーズの整合性のための謎解き的エピソードに溢れる。それがストーリー展開の流れの悪さに繋がってはいるが、まあ、やむを得まい。
たった3年後にも関わらず、CG技術が益々向上しているのがよくわかる。解りやすいいい例が、ヨーダの顔。1ではちょっと気持ちの悪いクリーチャーだったが、CGオンリーに変更され、いくらか柔らかく、逆に表情は豊かになっている。

改めてみると、一見お気楽なSF物に見えて、民主主義教育の副読書みたいな内容だ。ダース・シディアスの狙いは、カウンターバランスにて均衡している分立した権力を巧みに簒奪することで、民衆はもとより知恵物であるジェダイたちも騙されるわけである。そして、パルパティーンは緊急時であるとして、その善良な仮面の下で、大権を委任されるが、これはまさにヒトラーが全権委任法によって国家権力を掌握し、比較的民主的な憲法であったワイマール憲法の命のともし火を消し去った様子に酷似している。それをおこなうためのツールとして、愚かなドイツ国民に比されるのが、Ⅰにて狂言回しとして非常に評判の悪かったジャー・ジャー・ビンクスなのだが、“馬鹿は罪である”ということを痛烈に表現しているというわけである。

アナキンは端々のセリフで、政治家の無能ぶりを批判しつつ、全能なる権力者の出現こそがその解決策であることを主張しはじめるが、これも民主主義精神(というか成立のプロセス)の逆というか、民主主義が崩壊する思想そのもの。そしてそのとおり宇宙は皇帝に支配されるプロセスを辿るのだから、本当にスター・ウォーズは民主主義の初等教科書として最適。まさに民主主義言論の絵本だ。ルーカスの民主主義ラブと深い見識が見事に昇華している。
何度も観た人も多いだろうが、そういう目線でもう一度見直してはいかがだろう。感心すると思う。

#それにしても、前作でもそうだが、ラジー賞の的外れぶりには失笑を抑えられない。いい加減、使命は終わりましたと閉じてしまえばいいのに。センスのわるい批判ほど聞いていてイヤになるものはないな。

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image0635.png公開年:1999年 
公開国:アメリカ
時 間:137分  
監 督:ジョージ・ルーカス
出 演:リーアム・ニーソン、ユアン・マクレガー、ナタリー・ポートマン、ジェイク・ロイド、イアン・マクディアミッド、ペルニラ・アウグスト、ヒュー・クァーシー、アーメッド・ベスト、アンソニー・ダニエルズ、ケニー・ベイカー、テレンス・スタンプ、レイ・パーク、サミュエル・L・ジャクソン、オリヴァー・フォード・デイヴィス、ワーウィック・デイヴィス、フランク・オズ、ソフィア・コッポラ、キーラ・ナイトレイ 他
受 賞:【2000年/第9回MTVムービー・アワード】アクション・シーン賞(ポッド・レース・シーン)
【1999年/第20回ラジー賞】ワースト助演男優賞(ジャー・ジャー・ビンクス/声:アーメド・ベスト、ジェイク・ロイド)
コピー:すべての伝説には、始まりがある

ジェダイマスターのクワイ=ガン・ジンとその弟子オビ=ワン・ケノービは、惑星ナブーと通商連合の紛争仲裁のために惑星ナブーに派遣されるが、その背後に銀河征服を企む暗黒卿の存在に気付く。二人はナブー元首のアミダラ女王を救出し惑星を離脱するも、敵の追撃で船が損傷し、砂漠の惑星タトゥイーンに不時着。そこで、奴隷の少年アナキンと出会う。アナキンに潜在的なフォースの力を感じ取ったクワイ=ガン・ジンは、彼をジェダイ騎士団に入れるため、ポッド・レースの賭けをおこない、それに勝った彼は船のパーツとアナキンの身柄を手に入れる。一行は惑星コルサントへ向かうが、謎の男ダース・モールの襲撃を受け…というストーリー。

いまさらこんなメジャーな作品をレビューしても…というところなのだが、色々理由が…。

実は、『息子の部屋』を観ていたのだが、どうもしてもしっくりこなくて観続けることができず、3度中断したところで一旦諦めることに(もう一回チャレンジするかどうか…)。そして、代わりに『ワルキューレ』を観始めたのだが、こっちも難あり。まあ、こっちは、なんとか最後まで観るつもりなので、詳しくはそっちのレビューに書くけど…歴史的にヒトラーは暗殺されなかったわけだから失敗するのは明白だし、暗殺を敢行した時間が結構前の方だから、これから逃げ回るんだろうなぁ…って、想像しちゃうと期待値半減でしょ。

んで、もう一つの理由は、アメリカでTV放映された『スター・ウォーズ クローン・ウォーズ』をまとめてレンタルしようと思うんだけど、おさらいとして先に1・2を観ようかなと(2と3の間の話だからね)。

劇場公開でも観たし、レンタルもしたし、TV放映も観たし、もう5回以上観てるけど、今回はちょっと違った視点で。改めて見ると、“JAPAN”な要素が目についてしょうがない。“ジェダイ”は“時代”劇のもじりだし、ヨーダのモデルは実在の日本人だっていうし、C-3POとR2-D2は『隠し砦の三悪人』の太平と又七がモデルだし、アミダラの衣装やメイクは日本のお姫様だし、影武者だし、ジェダイの服装も和服テイストだし殺陣も侍だし、ダース・モールのメイクも歌舞伎の隈取で忍者だし…。
ルーカスがダース・ベイダー役として三船敏郎にオファーしたのは有名。もし受けてたら、アナキンも日本人の子供だったかもしれないし、ヘイデン・クリステンセンじゃなく日本人が演じてたのかもね。
こうやって、あまりに一つの国の文化要素を投影しすぎているから、グンガンのモデルはプエルトリコで揶揄してるだろうなんて見られ方をしちゃったんだろうな。

ポッド・レースシーンのモチーフがモロ『ベン・ハー』だけど、もう10年以上前の作品なのにCG技術や音響技術は現在と遜色なくて、楽しめた。私は照明技術に注目。アメリカの家族写真みたいな独特の風合いのライティングってるじゃない(わかるかな)。本作は全編がそんな雰囲気。これってどういうふうにするとこうなるのか、非常に興味がある。

正直、いまさらながらここまで楽しめるとは思えなかった。とりあえず2も観て、気持ちを盛り上げて『クローン・ウォーズ』に突入だ!

拍手[1回]

image0363.png公開年:1970年 
公開国:フランス
時 間:103分  
監 督:ジョエル・セリア
出 演:カトリーヌ・ヴァジュネール、ジャンヌ・グーピル、ベルナール・デラン、ミシェル・ロバン、ジェラール・ダリュー、マルク・デュディコール、ヴェロニク・シルヴェール 他
コピー:地獄でも、天国でもいい、未知の世界が見たいの!悪の楽しさにしびれ 罪を生きがいにし 15才の少女ふたりは 身体に火をつけた


修道院・寄宿学校に通うアンヌとロールは、修道院での禁断の書に耽溺し、消燈の時間が来ると懐中電灯の光で悪の日記を綴る。ふたりはバカンスを利用し、牧童を誘惑したり、庭番の小鳥を殺害したり、思うがままに残酷な行為を繰り返していくが、二人の行為はエスカレートし…というストーリー。

フランスでは、その反宗教的で淫靡な内容から上映禁止となって、アメリカと日本とのみで上映されたとのことで、この宣伝文句に興味を抱いてDVDを借りてみた。

1970年の作品なので、少女のヌードだとか小動物殺しだとかの描写(当時のことだから実際に殺してるんじゃなろうか)があって、たしかに問題のある作品だと思うのだが、それだけの理由で上映禁止になるか?それよりも、なんとも言えない吐き気がするような不快感、原因不明の邪悪さが漂うのだが、明確な理由はわからないけれど、無理やりにでも適当な理由をみつけて封印してしまいたい気持ちになったのでは無かろうか。

作中の彼女たちの行動が徐々にエスカレートする様子、それも小動物虐待や弱者攻撃、小さなな窃盗や破壊攻撃に始まって放火…と、この流れは、シリアルキラーが生まれる過程に極めて近いことが興味深く、当時にしてはツボにハマッたというか、妙にリアルな作品だなと思い、色々調べてみると、さもありなん。

この作品は、アン・ペリーというイギリスの女性の小説家(現在でも活躍しているらしい)が、子供の時に実際に犯した殺人事件がモチーフになっているらしい。ピーター・ジャクソンが『乙女の祈り』という映画にしているんだって。知らなかった(借りてみようかな)。そういえば、シャーリーズ・セロン主演の『モンスター』も、レズビアン要素があったな(こちらも実話ベース)。この共通点は興味深い。

そう考えると、反カトリック要素なんかは、表向きの目くらましにしか思えない。決して娯楽作品もホラー作品でもなく、人間の邪悪さを表現した映画としては、白眉の作品だと思う。ただし、実際に一線を越えてしまってから、その邪悪な空気は消え去って、常軌のレールの上を歩き始める。おそらく、それは、モチーフになった事件とは異なる、要するに完全なる作り話になるからではなかろうか。かろうじて最後の激しい演出で踏みとどまっているが(コピーのとおりなので伏せる必要もないのだが)、あやうく世紀の珍作になりかけだったといえる。

多かれ少なかれヤラれてしまうので、元気なときに観るべし。

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image1395.png公開年:2009年 
公開国:日本
時 間:125分  
監 督:宮藤官九郎
出 演:宮崎あおい、木村祐一、勝地涼、田口トモロヲ、三宅弘城、峯田和伸、ピエール瀧、佐藤智仁、波岡一喜、石田法嗣、広岡由里子、池津祥子、児玉絹世、水崎綾女、細川徹、我孫子真哉、チン中村、村井守、星野源、田中馨、伊藤大地、浜野謙太、田辺誠一、哀川翔、烏丸せつこ、犬塚弘、中村敦夫、UG、JAPAN-狂撃-SPECIAL、遠藤ミチロウ、仲野茂、日影晃、佐藤一博、平間至、箭内道彦、ユースケ・サンタマリア、佐藤浩市 他
コピー:好きです!パンク!嘘です!

レコード会社の新人発掘部に在籍する契約社員・栗田かんなは、ネット上で偶然“少年メリケンサック”というパンクバンドののライブ映像を見つけ、成功の予感を抱き契約交渉をすることに。少ない情報から居所を探し出したものの、現われたのは50歳を過ぎのオヤジ。ネットで見た映像は25年前のものだった。ところが、ネット上で少年メリケンサックの話題が一人歩きしてしまい、後に引けないかんなは、見るも無残な暴走オヤジパンクバンドを引き連れ全国ツアーに出るハメになる…というストーリー。

同じように売れないバンドを軸に進む話といえば『フィッシュ・ストーリー』。そちらは高く評価させてもらった。良くも悪くも、このスケール感が今の日本映画ということなんだろう。本作も、良いとか悪いとか考える以前に、そこそこ普通に楽しめてしまっただけに、タチが悪い問題なのかもしれない。

宮崎あおいの演技(というかかわいさ)を評価する声がたくさんあるが、私の感覚がマイノリティなのか、ぜんぜん好みじゃなくって、まったくかわいいと思えず、そのかわいさとやらには、ごまかされなかったと思う(なぜだかわからんが、彼女の顔を見てるとマイケル・ジャクソンを思い出してしまって。鼻の形かな?)。それを差し引いて、そこそこ楽しめたのだから、成立しているのだろう。成立しているといっても、ストーリー的には、つじつまが合わないというか不自然な展開がたくさんだし、ラストも何をどうしたいのかピンとこなくて、ノリでごまかされたな~とは思う。でも、目くじらたてもしょうがないのかな…と。これは、評価が高いのではなく、あきらめというか、どうでもいいというか…。私は日本のテレビドラマをあまり見ないので、前作の『真夜中の弥次さん喜多さん』が、クドカンをちゃんと観た最初かもしれないのだが、話のほつれかたというか、とっちらかし方は、本作も同じ印象(ウマいとは思うけれど)。“発散”ばかりでなく、もうすこし“集約”の妙というものを見せてほしいかなと。

ポスターにしても公開直前のアオリ番組にしても、小ギレイな紹介しかしてなくって、どっちかといえばおしゃれなテイストの作品と思わせたろう。実際は、汚いしグロい表現もあるし、『舞妓 Haaaan!!!』みたいなのを期待した人は、ちょっとがっかりだったんじゃないかな。まあ、これは、配給会社の売り方の問題なんだけど、こういうことを続けてると、まあ、劇場にいかなくてもDVDが出てからでいいか…っていう層が増えるだけなので、目先の興収を増やすためだけに虚像プロモーションは危険だね。ますますTVのスペシャル版みたいな映画しか客が集まらなくなる。

小汚いコメディ映画であることを踏まえて、かつ宮崎あおいがかわいいと思える人には、及第点以上だと思うのでどうぞ。そうでない人でも、番組改変期の見たい番組のない夜長に観るには適度な作品かと。

#私、TELYAの曲が、頭をリフレインしているので、パンク精神は無いのだろうね。でも、パンク愛みたいなのが見えてこなかったところをみると、クドカンにもパンク愛はないんだろう。よくわからんけど。

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image0029.png公開年:2005年 
公開国:スペイン
時 間:114分  
監 督:イザベル・コイシェ
出 演:サラ・ポーリー、ティム・ロビンス、ハビエル・カマラ、エディ・マーサン、スティーヴン・マッキントッシュ、ジュリー・クリスティ、レオノール・ワトリング、ダニエル・メイズ、スヴァレ・アンケル・オウズダル、ダニー・カニンガム、ディーン・レノックス・ケリー、エマニュエル・アイドウ 他
受 賞:【2006年/第20回ゴヤ賞】作品賞、監督賞(イザベル・コイシェ)、脚本賞(イザベル・コイシェ)
コピー:彼女の名前はハンナ 友達・家族・趣味・将来の夢──すべてなし どこで生まれ、何をしていたのか? 過去のことは聴かないで

誰とも付き合わず工場で黙々と仕事をする日々を送る女性ハンナは、ある日、働き過ぎが問題となり、無理やり1ヵ月の休暇を取らされる。宛てもなく長距離バスに乗り込んだ彼女は、ひょんなことから海底油田掘削所でジョゼフという男性の看護をすることに。彼は重度の火傷を負い、一時的に視力を失っていたが、明るく振舞って彼女の名前や出身地を質問するも、ハンナは決して答えない。この油田掘削所で働いている男たちは、事情を抱えた者たちばかりで、閉ざされた空間で風変わりな男たちと生活を共にするうち、ハンナは少しずつ心を開いていくのだが…というストーリー。

昨日いったとおり、律儀にコイシェ監督の次回作をレンタルしてきた。

どうしてこの主人公はこんな感じなのかな?潔癖症?なにやら心に病でも?その謎は、徐々に断片的に匂わせるくらいかすかに見えてくるのだが、その秘密は最後の30分あたりでダムが決壊したように衝撃的に圧倒的に重い濁流が流れてくる。とても恐ろしく、痛々しく、悲惨で、聞いているだけで絶望してくる。ちょっと吐き気を覚えるくらい。ちょっとジャケットのイメージからは想像できませんな。
正直に言って、バルカン半島の多民族間の紛争のことは良く知らない。一昨日の『麦の穂をゆらす風』のアイルランドのことよりも知らない。ボスニアとクロアチアは近いところにある…くらいのことしか知らないかも。
日本語の歌とか日本人の開発した枕の話がでてくるけど、これは遠くの日本なんかよりも、よっぽどこの悲惨な過去は知られていないのよ…っていう対比のために使われているのだろうな。

若い声のナレーションも、はじめのほうななんのことやら、さっぱりわからないのだが、ラストで、辛い過去が生み出した乖離した人格の声なのかな?と気付く。ここのところ、最後のほうで、「ああ、そう意味かぁ」“ユーリカ!”って気持ちしてくれる作品は少ないので、貴重だ。

重いテーマが根底に流れているのは前作と同じだけれど、それとは裏腹に淡々と進みながらも観る側をじわじわと惹きつけるのは、この監督の能力の高さの表れ。同じように重いテイストなんだけど、個人的には(引き合いに出して悪いけど)アルモドバル本人が監督するより好みかもしれない。

前作で指摘しなかったけれど、この監督の映画は音楽のセンスが非常によろしい。サントラがほしくなるくらい。
今回もあまり良い邦題ではないけれど、前作よりはマシ。本作はお薦めする。もし、本作が気に入ったなら『死ぬまでにしたい10のこと』を観ればいいだろう。

最後に、あえて誤解を恐れずに言うと、どんな戦争や虐殺でも三十年後には忘れ去られると、カウンセラーがいうシーンがある。忘れてしまうことがいけないことのように言う人がたくさんいるけれど、忘れないと一歩も前に進めないとうこともある。そのために人間には忘れるという機能が備わっているのだと思っている。忘れちゃいけないけど、たまに思い出すだけでいいことが、世の中にはあふれているんだ。

ネタバレだけど、最後、結ばれずに終わらなくって本当によかったな…と思っているよ。もう、映画なんだからこのくらいの救いがないと、観る意味がないもの。
 

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image0570.png公開年:2003年 
公開国:カナダ、スペイン
時 間:106分  
監 督:イザベル・コヘット
出 演:サラ・ポーリー、スコット・スピードマン、デボラ・ハリー、マーク・ラファロ、レオノール・ワトリング、アマンダ・プラマー、ジュリアン・リッチングス、マリア・デ・メディロス、アルフレッド・モリナ 他
ニミネート:【2003年/第16回ヨーロッパ映画賞】作品賞、監督賞(イザベル・コヘット)
コピー:彼女は23歳。あと2ヶ月の命。初めて「生きる」と決めた。


23歳のアンは、母親の家の裏庭にあるトレーラーハウスで失業中の夫と幼い2人の娘と暮らし。大学の清掃のアルバイトで家計を支えているが、ある日、突然腹痛に襲われて病院に運ばれる。検査の結果、医師から進行性の癌で余命2ヵ月と宣告される。彼女はこのことを誰にも打ち明けないと決意し、ノートに死ぬまでにしたいことを10項目書き、その10項目を実行していく…というストーリー。

もう、最悪だ。原題は“MY LIFE WITHOUT ME”私のいない私の人生、死んだあとのあなた達の生活も私の人生よ…。ラストに題名パーンでエンドロール。いいじゃないすか。小じゃれた短歌がスパーンときまったみたいな感じで、悪くないよ。
だけどさ、“死ぬまでにしたい10のこと”って邦題を聞かされたら、もう、観る前から、死の宣告をされて死ぬまでにしたいことを10個書くんだろうなってことはわかるわけだ。その状態になるまでの、体調が悪くなったり検査したり医者と話したりの数十分、海外の人はどうなるの?どうなるの?って観ているところを、われわれ日本人は、事前にどうなるのか100%知ってしまってるわけだよね。どういう心持ちで観ればいいのだよ。なんで、こんなつまらない思いをしなければいけないのだよ。
客を呼ぶために気を惹く邦題を考えるのは結構なことだが、内容をバラして面白さを軽減させるなんて、配給会社として最低だろうが。松竹はバカなのか?

内容としては、この主人公に少しでも共感できるかどうか、想像できる体験があるかどうかで、感情移入できるか否かが決まってくると思う。だからピンとこない人には全然ダメ。特に不倫のところは意見のわかれるところだろう。もちろん私はまったく感情移入できず。でも駄作とはいえない、独特の間合いや空気感、もしかすると、この監督は化けるかも…そんな予感がするので、次作も観てみようという気にはなる。
で、プラマイゼロで及第点なのだが、バカな邦題のせいで駄作になってしまった。日本ではこんなありさまになって台無しにされてますよ!と監督に教えてあげたいよ。かわいそうに。

結論としてはお薦めしないけれど、あくまで邦題の責任だからね。これがなければ、私はまあまあの作品としてお薦めしていたのは確実。あまりに監督がかわいそうだから次作も観ることにするよ。

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image0431.png公開年:2006年 
公開国:イギリス、アイルランド、ドイツ、イタリア、スペイン
時 間:126分  
監 督:ケン・ローチ
出 演:キリアン・マーフィー、ポードリック・ディレーニー、リーアム・カニンガム、オーラ・フィッツジェラルド、メアリー・オリオーダン 他
受 賞:【2006年/第59回カンヌ国際映画祭】パルム・ドール(ケン・ローチ)
【2006年/第19回ヨーロッパ映画賞】撮影賞(バリー・アクロイド)
コピー:愛するものを奪われる悲劇を、なぜ人は繰り返すのだろう


1920年。イギリスに支配され続けてきたアイルランドに独立の気運が高まる。医師を目指していたデミアンは、その道を諦め、兄テディと共に独立を目指す戦いに身を投じ、イギリス軍との戦闘の末、両国の間で講和条約が締結されるまでに至った。しかし、完全な独立とは遠い条約の内容を巡ってアイルランド内に賛成派と反対派の対立が生まれ、内戦に発展。デミアンも兄テディと敵味方に分かれて戦うことになる…というストーリー。

邦題と引きで見たパッケージのイメージで、さわやかで牧歌的な映画だと思い込んでいたが、まるで真逆の内容。

イスラム教圏の実情と同じくらいIRAについてもアイルランドの独立戦争と内戦の悲劇については、よく知らない。そういう日本人は多かろう。サッカーW杯シーズンになると、必ずなんでイギリスは4カ国に別れて参加してるの?という質問があるが、まあ、その背景の説明というか経緯がいくらか解る映画である。

救いもないしユーモアもないし、はっきり行ってしまうと何一つ楽しめる要素はないのだが、元々そういう目的で作られた映画ではない。むしろ意識的に排除し、紛争のいきさつを限りなく思想的に中立な視点に立って表現することに執心していることがよくわかる。パルム・ドール受賞の理由の一部がそこにあることは間違いない。

このような泥沼の内戦について理解というか共感をするのは、日本人にとってはむずかしそう。日本と朝鮮半島に置き換えるのとは、また少し違う。私も正直なところピンときていなくて、感情移入することはできなかった。しかし、繰り広げられる条約受け入れの論議や教会での言い争いの緊迫感は、否応なしに観ている側を緊張させる。この技量こそケン・ローチが評価される点だろう。

一つ、本作を観て教訓にできることは、かけ離れた異文化(欧米とイスラム圏のような)同士の争いは確かにはげしいが、終りの見えない過酷で悲惨な状況になるのは、他から見ればほぼ近似のような差の間で生じるということだ(もちろん当事者同士は近似であるとは微塵も思っていないのだが)。日本と韓国もその一例かもしれないが、イングランドとアイルランドはよりそういう状態なのだろう。これは国レベルだけではなく、日常生活の人間関係においてもよく見られること。お気づきでない人は、周りを見渡すといい。異様に犬猿の仲といわれる人同士は、実は似たもので、諍いの原因は取るに足りないことであることが多いはずだ。むしろ圧倒的な違いがある場合は、軋轢回避のための恒常的な牽制が生まれて、表立って争うことはないのだ。

とりあえず、本作を観てIRAの生まれた経緯については勉強になったと言っておくが、大英帝国連合の四カ国は永遠に統合されることはないだろうな…と痛感するし、もしイギリス(GBね)がEUに深く組みするようになったら(ユーロ圏にまでなるようなことがあったら)、それは、GBという枠組みが終わることを意味するような気がするのである。

政治的思想に中立なだけでなく、社会問題提起と芸術性の中立という立場で、映画はどういう姿勢でつくられるべきかという、教材的な意味で非常に評価できるが、娯楽としての映画ではないので、それを覚悟して観て欲しい。非日常に浸ることや、ストレス解消のために映画を観る私にとっては、いささか辛い作品だったと言っておこう。

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image0040.png公開年:2007年 
公開国:アメリカ
時 間:138分  
監 督:メル・ギブソン
出 演:ルディ・ヤングブラッド、ダリア・エルナンデス、ジョナサン・ブリューワー、ラオール・トゥルヒロ、モリス・バード、ヘラルド・タラセナ、ルドルフォ・パラシオス、フェルナンド・エルナンデス 他
ノミネート:【2006年/第79回アカデミー賞】メイクアップ賞(Aldo Signoretti、Vittorio Sodano)、音響賞[編集](Sean McCormack、Kami Asgar)、音響賞[調整](Kevin O'Connell、Greg P. Russell、Fernando Camara)
【2006年/第64回ゴールデン・グローブ】外国語映画賞
【2006年/第60回英国アカデミー賞】外国語映画賞
【2006年/第12回放送映画批評家協会賞】外国語映画賞
コピー:マヤ文明、崩壊前夜。我々は驚異の世界の目撃者となる!

狩猟民族の青年ジャガー・パウは、妻子や仲間と共にジャングルで平和な日々を送っていた。ある日、都会からやって来たマヤ帝国の襲撃を受け、なんとか妻子を涸れ井戸の中に隠すも、他の仲間と一緒に街へ連れ去られてしまう。彼らは、干ばつを鎮めるための生け贄になりかけるが、パウは奇跡的に免れ、ジャングルへ脱走し、妻子の待つ故郷の村を目指し走り続けるが…というストーリー。

昨日の『ミッション』に続き、中南米モノ。ざっと、あらすじを書いてしまったが、上記の内容で、ほぼすべてである。公開当時に、ジャングルの中を走る疾走感をやたらと絶賛したのを記憶しているが、それくらいしか褒めるところが無かったのかもしれないと、観終わってから思う(ジャングルの中を疾走するのは、かなり後のほうだしね)。

実は、マヤ文明が白人に侵略される話だと思い込んでいたのだが、まったく違って、マヤ帝国内の争いの話。最後の最後にちょっぴりだけ白人が上陸してきて、これから侵略されるんだな…と匂わせて終わる。
穿った見方かもしれないが、マヤが滅びたのは白人がトドメを刺したとしても、その前に崩壊寸前だったんだよ…といいいたいのか?もしそうなら、何か腹が立つのだが…。

表現の残虐具合とか、当時の現地の言葉で作るとか、前作の『パッション』と同じ手法なんだが、なぜ同じことを二回続けるのか。そこまでこの手法にこだわりがあるのか?タダでさえアメリカでは吹替えに抵抗があるのに?(私は吹替えでみるので、まったく無関係だけどね)。前作だって別にそれが観たくてヒットしたわけではないと思うのだが、ここまでニーズが掴めないのなら、ちょっと彼にまた監督をさせてみようという人は出てこないかも。

どこまで文化的な考証ができているのかわからないが、これが学術的にかなり正しいのならば、環太平洋文化の共通性なのか、貫頭衣とか刺青とか魏志倭人伝に記述されるところの邪馬台国の特徴が見られ、その点は興味深く観た。

話が動き始めるまでにノロノロとテンポが悪く、大して内容もないのだがら110分くらいにまとめればいいのに、とも思う。どうも難点ばかりが目立ってしまうが、正直いうと前日の『ミッション』よりは2倍は楽しめたのは事実である。強くお薦めはしないが、始めの40分をなんとか乗り切れば、それなりに楽しくなってくるよ(じつは、その40分で2回挫折したんだけどさ)。

『リーサル・ウェポン』『ペイバック』『陰謀のセオリー』『身代金』とブチキレキャラの彼の主演作は、私のフェイバリットなのだが、もう、これは観られないんだろうな。
 

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プロフィール
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クボタカユキ
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映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
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一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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