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公開年:2006年
公開国:日本
時 間:110分
監 督:中村義洋
出 演:濱田岳、瑛太、関めぐみ、松田龍平、田村圭生、関暁夫、杉山英一郎、東真彌、藤島陸八、岡田将生、眞島秀和、野村恵里、平田薫、寺十吾、恩田括、キムラ緑子、なぎら健壱、猫田直、土井原菜央、中村尚、佐藤楓、松田龍平、大塚寧々 他
コピー:神さま、この話だけは見ないでほしい。
時におかしくて、切ない物語が交差する。
隣人の奇妙な計画に巻き込まれた青年が、やがてその真意を知るまでのストーリー。
前半は、「それには乗っかるのは、ちょっと不自然なんじゃない?」という部分が多くて、どうも入り込めなかった。でも、さぞや、文章で読むと楽しめるのだろうなというのは、ヒシヒシ伝わってくる。原作は読んだことは無いけれど、おそらく、ものすごく独特のイメージを喚起してくれる力と味のある文章なんだと思う。それをビジュアルでズバっと見せられてしまったために、読むときには想像の及ばない部分に、気が行ってしまったことが、イマイチの原因なんだろう。
(ネタバレになるので細かくは言わないけれど、)おそらくこの部分はウソなんだろうな…とか考え始めると、それはそれはうっとしくて、正直、このまま進行したらハズレ作品だなと思っていた(ブータン人を持ってきたところで、読めちゃったんだよね。あそこの国の人たちって、アジアの中でもものすごく似ているから)。
ところがどっこい、後半は堰を切ったように面白くなる。北欧の映画を観たような感じ、そう、『過去のない男』を見たときの感覚を思い出したよ。前半のモヤモヤがもうちょっとスッキリできていたら、間違いなく傑作だった。それでも、良作と傑作の間にいる作品。
まあ、この面白さが監督の力量なのか、原作の面白さなのかは測りかねるところではある(その後も、『ジャージの二人』『チーム・バチスタの栄光』『フィッシュストーリー』と、売れた原作あり作品が続いているし)。
私ならば、車で突っ込むところなんかは、一瞬ミラーで警察を見てからにするし、なんで日本語が上達したのかの説明は入れるし、最後も、とりあえず救っても死なないで、一回、「あ、死なないんだ…」と思わせておいて、あっ…ってやるんだけれどね。
これだけおもしろければ、何か一つくらい賞にひっかかってもよさそうなもんだけど、ノミネートすらない(ちょっと不自然)。実は原作がもっと面白くて、比べるとかなり劣ってしまったからかもしれないね。
前の日にMWをみたせいで、ハードルが下がっているのかもしれないけれど、かなり楽しめたので、是非(途中でやめないで)観てほしいと思う。観た後に多かれ少なかれ、絶対カタルシスを感じられるハズだ。
#余談だが、関めぐみは飯田圭織と余りにも似すぎている。もうちょっと違いを出すように工夫したほうがよいのではなかろうか。
公開年:2009年
公開国:日本
時 間:130分
監 督:岩本仁志
出 演:玉木宏、山田孝之、山本裕典、山下リオ、風間トオル、デヴィッド・スターズィック、鶴見辰吾、林泰文、中村育二、半海一晃、品川徹、石田ゆり子、石橋凌 他
コピー:世界を変えるのは、破壊か、祈りか。
手塚治虫原作のピカレスク・コミックを実写映画化。政府が闇に葬った虐殺事件の生き残りである2人の青年が、復讐に身を投じる…というストーリー。
本作を観る前に、ご丁寧に原作を斜め読み(手塚治虫全集持ってる)。
映画化が発表されたときに、結城と賀来の同性愛設定は削除というのを聞いて、こりゃ失敗するな…と思っていた。なぜなら、賀来は神父なのに①犯罪に加担してしまう苦痛②復讐者としての苦痛③同性愛者としての苦痛の三重苦を背負っているのだが、その重要な一つが無くなってしまうからである。神父が同性愛者というのが、映画にしにくいという事情は理解できるのだが、本作の主な特徴でもあるので、これを除いてしまうと、もうMWではなくなってしまうに等しいかも。はっきり表現しなくても、ちょっとあやしいくらいの場面を入れておけばよかったと思う。賀来を看病するシーンでそれっぽくなりそうなところがあったので、もうちょっと踏み込めばよかったかも。
同性愛部分がないことで、結城の女らしい設定はなくなり、結果として、女装部分はなくなり歌舞伎役者の家柄という設定も無くなった。映画っていうのは、なんでもかんでも説明しないといけないわけではない。臭わしたり、そういう設定だから…と投げっぱなしにしたっていいのだよ(偉そうにね)。
ただ、ストーリー上のポイントや場面設定はけっこう原作通りにおさえていて、その点はちょっとおどろいたのだが、まあ、色々な要素を省いて、その残りの部分をつなげれば、こうなるか…と。でも、いろいろ省いたわりには、2時間以上あって長いのは気に喰わない。ムダに長いシーンがあって(冒頭のタイは特にムダ)、もっとすっきりできたはず。そういうシーンを入れるくらいなら、結城が犯罪に対して益々何も感じなくなってエスカレートしていき、賀来と対立構造になる点は、もうすこし盛り込んでもよかっただだろう。船から落として「おもちゃを落とした」程度では、不満足だ。
原作では議員の娘は惨殺され復讐がなされるのだが、映画では未遂の状態。なにやら、続編の可能性もあるかな?と色気づいたのか、まだまだこれから的な終わり方をしているのが、少し格好悪い。そこは劇的(か陰湿)な方法で、殺して、ばつっと終わるべきである。最後も姿を見せる必要はない(最後のflumpoolの曲も、場面にマッチしていなくてダサい使われ方。ちょっとかわいそう)。
決してデキはよくないが、原作を穢したとまでは思わない。私は手塚ファンだけど、原作MWの後半は、さほどいいデキとは思っていない。突然同じ顔の兄が出てくるなんてご都合主義もいいところだしね(そんなんで、最後ニヤリとされてもねぇ…)。映画化も色々難しい点があったと思うが、それをナントカまとめた手腕は、評価してもよいかもしれない。CGもなかなかよくできていて違和感はないし。
でも、どうもテレビドラマを見ているようで、映画を観た気にならない。それはカット割と編集かな。もうすこし大作映画のパクりをしてでも、映画らしさって何なのか研究して、こだわったほうがよかったかもしれない。凡作といって片付ける気はないが、お金をかけたテレビスペシャルドラマだと思ってみればよいと思う。特別お薦めはしない。
最後に。私はあまり演者をけなすことはないのだが、玉木宏の演技は平坦すぎる。ここは常軌を逸したクレイジーなキャラクターを演じれるチャンスだったのだから、もうすこし特異な役作りをしてもらいたかったものだ。お茶漬けを喰い始めても別におかしくないというようでは、如何ともしがたい。
公開年:2002年
公開国:アメリカ
時 間:91分
監 督:カオス
出 演:アントニオ・バンデラス、ルーシー・リュー、グレッグ・ヘンリー、レイ・パーク、タリサ・ソ 他
コピー:狙われたら最後、破滅必至。
国防情報局“DIA”長官ガントの息子マイケルが、ガントの部下たちに誘拐されてしまう。だがその直後、突然謎の女シーバーが彼らの前に立ちはだかり、男たちを瞬時になぎ倒すとマイケルをどこかへ連れ去って行った。一方、元FBIの敏腕捜査官エクスは7年前に妻を爆発事故で亡くして以来、精神的に立ち直れず酒に溺れる日々を送っていた。そんなある時、彼のもとにマイケル奪還の仕事が舞い込む…というストーリー。
DIAという組織が何なのかよくわからず、
ルーシー・リューの子供はどういう作戦に巻き込まれたのかよくわからず、
ガントはなんでそこまでしてバンデラスの嫁を欲しがったのかよくわからず、
バンデラスの嫁が結局ガントと結婚したくせに、ぬけぬけと自分と子供の命を守るためという神経がよくわからず、
それをうやむやにして納得できるバンデラスの気持ちがよくわからず、
人種的にドイツ系の血なんか入ってないのはわかりそうなもんなのに、気付かないガントのアホさがよくわからず、
けっきょく何がなんだかよくわからなかった作品。もう一度見直して確認すればわかるのかもしれないが、そんな気もおきない。
まあ、初めのほうに出てくる、超小型の暗殺兵器が、血管の中をすいすい泳いでいる姿だけで、もうダメ映画なんだけどね。せっかくバンデラス、ルーシー・リューをキャスティングしてこの有様。このカオスというのは覆面監督みたいなので、本当はだれだかわからないけど、二度と仕事をもらえないだろう。そのくらいだらしないデキなので、まったくもってお薦めしない。
公開年:1963年
公開国:日本
時 間:143分
監 督:黒澤明
出 演:三船敏郎、香川京子、江木俊夫、佐田豊、島津雅彦、仲代達矢、石山健二郎、木村功、加藤武、三橋達也、伊藤雄之助、中村伸郎、田崎潤、志村喬、藤田進、土屋嘉男、三井弘次、千秋実、北村和夫、東野英治郎、藤原釜足、沢村いき雄、山茶花究、西村晃、浜村純、清水将夫、清水元、名古屋章、菅井きん、山崎努 他
靴メーカーの権藤専務は、自分の息子と間違えられて運転手の息子が誘拐され、身代金3千万円を要求される。苦悩の末、権藤は運転手のために私財を投げ出して身代金を用意するが…というストーリー。
散々紹介されているし、映画検定の問題ネタでは必ず出てくる一本なのだが、今まで観たことはなし。ストーリーも、電車からお金を投げることしか知らなかったくらいである。
誘拐のくだりでずっと引っ張るのかと思っていたら、1時間くらいであっさり子供は奪回。正直意外だったが、これで、そんじょそこらの映画でないことを察知させる。とはいえ、当時はどう捉えられたかはわからないが、推理モノとしてそれほど優れているとは思わない。それでも、惹きつけるのは、編集のうまさだろう。ずばっと切ってみたりちょっとひっぱてみたり(そんな小手先作業ではなかったとは思うが)、私にはかなり新鮮に写った。おかげで、結構長尺なのだが、あっというまに観終えることができた。
#まあ、犯人がドヤ街をうろつくあたりは、もうちょっとサクッと切り上げても良かったとおもうが、逮捕までのじらしということなんだろう。
あと、とても特徴的なのは街や列車の音。本当に拾った音声なのか、後から足したのかはわからない。音声が聞き取りにくくなるくらいなのだが、おかげで臨場感がかなり増している。
もし、私なんかが、このシナリオを書いてしまうと、会社の重役連中を痛めつけたくなってしまうところだが、あくまで、三船敏郎と犯人でタイトルの状態を形成しなくてはいけないので、そこはあえて放置というわけだろう。
青木もちょっとイラっとくるので、少し痛い目にあわせたくなったが、そう思ったのも演技と演出がうまいおかげで惹き込まれたという証拠だろう。また、ラストでは、三船敏郎には「破産して一から出直しているいけど俺は幸せ」と、つらっと言って欲しかったのだが、それは言わぬが華というやつなんだろうね。
本当に脚本・カット割・編集・演技・演出ともにすばらしと思うのだが、まったく受賞歴がないので不思議に感じて、調べてみた。どうやら、当時の営利誘拐に対する刑罰の軽さを訴えていたり、公開後に誘拐事件が多発したりして国会に取り上げられていたり等々、ちょっと賞をあげにくい状況だったのかもしれない。こういう映画には、後年になってから賞をあげるのが粋というものだと思うのだが、いかがなものかね(アメリカ国立フィルム登録簿みたいに、日本でもひとつのステータスを与えるべきだと、私は思う)。
白黒で若干音声も聞き取りにくい部分はあるのだが、一度は見てみるべき映画だと感じた。ヘタなハリウッドのサスペンスを借りるくらいなら、未見の人はだまされたと思って借りてみてはいかがだろう。
#それにしても、仲代達矢も山崎努も若くて、彼らだと気付かない人もいるかもしれないね。
公開年:2007年
公開国:アメリカ
時 間:116分
監 督:アダム・シャンクマン
出 演:ジョン・トラヴォルタ、ニッキー・ブロンスキー、ミシェル・ファイファー、クリストファー・ウォーケン、クイーン・ラティファ、ザック・エフロン、ブリタニー・スノウ、アマンダ・バインズ、ジェームズ・マースデン、イライジャ・ケリー、アリソン・ジャネイ、ジェリー・スティラー、ポール・ドゥーリイ、ジョン・ウォーターズ 他
受 賞:【2007年/第13回放送映画批評家協会賞】アンサンブル演技賞、若手女優賞(ニッキー・ブロンスキー)
【2008年/第17回MTVムービー・アワード】ブレイクスルー演技賞(ザック・エフロン、ニッキー・ブロンスキー)
コピー:ハマる!ハジケる!ハチキレる!?
1962年、米メリーランド州ボルチモア。ダンスとオシャレに夢中な16歳の女子高生トレーシーは、ヘアスプレー企業が手掛ける人気テレビ番組“コーニー・コリンズ・ショー”に出演して踊ることを夢見ていた。そしてある日、彼女は母の反対を押し切り、番組のオーディションに参加するが…というストーリー。
『プロデューザーズ』と同様、ブロードウェイ・ミュージカルの映画化だが、あれとはまったくミュージカル部分の質が異なっている。『プロデューサーズ』がどこでもかしこでも踊り始めるのに対して、本作のミュージカル部分には、明確な法則がある。それは、街中とかで踊る場面は登場人物の脳内状態をビジュアルで表現しているのだということ。だから街中とかで踊るときは、ポスターとか写真が動き出す。その他の踊りの部分は、実際に学校や番組で踊っているリアルな場面だ。このあたりのメリハリ(踊る意味)がはっきりしているから、普通の映画と遜色なく、不自然さを感じることもない。まず、私はこのルール付けにとても感心した(ミュージカル映画というのは、こうあるべきなのではないかと思える)。
何度も比較してもうしわけないのだが、『プロデューサーズ』は展開の予想がつくような場面でもダラダラと見せ続けられる部分が多かった。歌や踊りで表現したからといって、ただそれだけで、ストーリーの進行がスムーズになるわけではないのだ。しかし本作はすっきりと展開のムダを極力排除しようという意図が明確に感じられる。次はこうなるんだろうなという部分は、スパッと切り上げてシーンが移るので、イライラさせる暇を与えない。ミュージカルシーンの場合、冗長だからといって歌の途中を切るわけにはいかないから、あらかじめよく練っておかなくてはいけないだろう。本作はそれがよくできているのだ。
人種差別問題をひとつのテーマとしているが、重すぎず軽すぎず適度な扱いで、その加減が絶妙な脚本だ。警察から逃げるくだりも、レベルの低い脚本家ならば、シリアスになったり、逆におフザケがすぎて興醒めさせてたりしまうところを、ぎりぎりの線でキープできている。
トラボルタの特殊メイクが話題になっていたが、それはあくまで“掴み”にすぎない。彼も含めて他の役者の演技も歌も踊りもすばらしい。私はあまりに楽しすぎて、最後のトラボルタが踊り始めたところで涙が出てきた。映画をみて涙が出たのは久しぶりだ(この前は、『嫌われ松子の一生』のアジャ・コングが出てきたところで涙が出たのだったな。両方とも太った女の人が出るシーンだけど(笑)それは無関係)。まあ、あそこで母親が踊りだす理由はよくわからないんだけど、そういうノリの力というか、ぐっと流れに押しだされて異常な状態が作り出されると、心が興奮するものなのかもしれない。
とにかく、今年度に観たDVDの中で一番楽しめた。一見女の子向け映画のように思えて敬遠している男性もいるかと思うが、是非是非観て欲しい。激しくお薦めする。ああ、楽しかった。
公開年:1979年
公開国:アメリカ
時 間:134分
監 督:マーク・ライデル
出 演:ベット・ミドラー、アラン・ベイツ、フレデリック・フォレスト、ハリー・ディーン・スタントン、バリー・プリマス、デヴィッド・キース、ドリス・ロバーツ、ルディ・ボンド、ジェームズ・キーン 他
受 賞:【1979年/第37回ゴールデン・グローブ】女優賞[コメディ/ミュージカル](ベット・ミドラー)、歌曲賞(アマンダ・マクブルーム:作詞/作曲 The Rose)、新人女優賞(ベット・ミドラー)
ベット・ミドラーがジャニス・ジョプリンをモデルにした絶叫歌手ローズを演じた作品。ロック・スターになる夢を叶えながらも、愛とビジネスに翻弄され、しだいに麻薬に溺れていく…。
とはいえ、私はジャニス・ジョプリンのことをほとんど知らない。正直に言おう。何を楽しめばいいのか、私には見つけることができなかった。女が生きていくことの難しさとか、廻りに人はいても孤独感に押しつぶされそうな感覚とか、もしかするとそういう部分に共感させたいのかもしれないけど、私には無理だった。
いいとか悪いとかそういう次元ではないのかもしれない。時代だ。60年代後半~70年代にかけての、その時代にいる人にしかわからない何かがあるのだ。今の人にはわからない何かが。
ベッド・ミドラーが演じるローズは、吐き気を感じるくらいかなり気色が悪い。意図して演じているのならすごいことだが、観続けるのが非常につらいくらいだった。ストーリーも冗長で、グダグダと口喧嘩が続く。ただただ退廃的。なんとか終盤あたりで収束に向かってくれたのが救いか。ラストもありがち。ジャニス・ジョプリンが薬物の多量摂取で死んだことを知っていれば、まあ、冒頭のシーンは死んだ後なんだろうな…と容易に気付く。
ただ、とにかくライブシーンは迫力があり、その歌唱は、このジャンルの曲が好きではない人でも、聞き入ることができることだろう。良いと思ったのはここだけかな。
作品の内容以外で、興味深かったのは、古い映画のDVDではよくあることなのだが、日本語吹き替えの音声が、ところどころ英語音声になるのこと。これは、日本語吹き替え音声として、TV放映用に収録したものを使っているからである。ようするに放映でカットされている部分が英語音声になるのだ。何が興味深かったかというと、本作のカット部分がものすごく多いのだ。ヘタすると30%以上カットされているのではなかろうか(ライブ部分は吹き替えじゃないので、余計そう感じてしまう)。さきほど冗長だといったように、主筋には関係ないシーンが長々とあるので、丸々カットされている部分がけっこうある。もしかすると、カット版なら、すっきりして楽しめるのかもしれない。DVD特典として付けてみてはどうだろう。
これで観ていない人も、なんとなく感じがつかめたかと思うが、やはり本作を楽しめる人は少ないと思う。私はお薦めしない。
公開年:2002年
公開国:アメリカ
時 間:95分
監 督:ヴィンチェンゾ・ナタリ
出 演:ジェレミー・ノーザム、ルーシー・リュー、ナイジェル・ベネット、ティモシー・ウェッバー、デビッド・ヒューレット、アン・マリー・シェフラー、マシュー・シャープ、ネルソン・タインズ 他
コピー:「CUBE」の異常天才ヴィンチェンゾ・ナタリ監督が仕掛ける5700秒の記憶の迷宮
今度の迷宮(キューブ)は記憶の中
結婚にも仕事にも行き詰まった平凡な会社員モーガンはついに会社を辞め、刺激を求めて産業スパイとなる。任務を成功させるごとに自信を付けていったが、同時に、激しい頭痛と奇妙なフラッシュバックに見舞われるようになった。そんな時、謎めいた女性リタが現われ、モーガンに驚くべき事実を伝えるのだったが…というストーリー。
記憶にあるシーンが、『カンパニー・マン』だったか『バリスティック』だったか思い出せなかったので、とりあえず『カンパニー・マン』を観てみた。ようするにルーシー・リューつながりで記憶が混同しちゃったわけだ。
記憶にあったシーンというのは、へんな施設が土の中から出てくるシーン。結果から言うと、『カンパニー・マン』のシーンだった。
『ファイト・クラブ』が好きな私は、本作もなかなか好きな部類の1本だ。まあ、本作も、21世紀入りたてくらいに横行した、「自分はだれ?系」とか、「実は犯人は自分系」のうちの一本ではあるのだが、なかなか特異な仕掛けがあってよいと思う。ストーリーが好きというよりも、ノリが好きといったほうが正確かもしれない。
でも、褒められるのも8割くらいまでだ。結果からいうと残りの2割で、ぎりぎりA級の範疇に留まれたかもしれないところを、ごろごろと滑落してB級になってしまった、残念な作品である(同監督の『CUBE』くらいになれたかもしれないのに)。ダメになった理由は、結構明白。オチがピンとこないからだ。
まず、主人公の正体が、伝説のスパイとも言ってたり、ハイレベルな技術者とも取れたり(なにやらデジコープに技術を売ったといっているので)、人物像がよくわからない。
最後のオチで、実はリタに関する情報を消去することが目的だった…となっていたが、彼女がなんで狙われたのか、経緯はわからず仕舞い。主人公の正体すらもぼんやりしているくらいだから、リタが狙われるような立場の人間なのかどうかも当然ぼんやり。だから、そこまでしてもやらないといけない理由が腑に落ちず、ひっくるめて映画全体も腑に落ちなくなってしまういう、負の連鎖。
そのあたりをきっちり説明せずに、「愛ゆえに」みたいな空気でごまかそうとして、ごまかしきれなかった、はずかしいラストともいえる。
もうひとつ難点がある。あとで調べたら、設定は近未来らしいのだが、私はまったくそれに気付かず、ずっと現代の設定だと思っていた。だって、明確に近未来を感じさせるツールは出てこないから。最後に出てくる施設は、「CUBE」の監督っぽさを感じさせてくれるけど、現代SFだっていわれればそれで通用するレベルだし。設定の練りが甘かったということだろう。
まあ、ジャンルとして好きだからかもしれないが、私的には及第点といってよいかも(崖落ちしてるといってるクセにね)。軽いSFチックな作品が観てみたくなった人には、お薦めする。
#余談だが、本作もなかなかいい邦題をつけている。CYPHERよりは日本人にはしっくりくる。
公開年:2000年
公開国:アメリカ、ドイツ、イギリス、アイルランド
時 間:131分
監 督:ジャン・ジャック・アノー
出 演:ジュード・ロウ、ジョセフ・ファインズ、レイチェル・ワイズ、ボブ・ホスキンズ、エド・ハリス、ガブリエル・トムソン、エド・ハリス、ロン・パールマン、ロバート・スタッドローバー、エヴァ・マッテス、マティアス・ハービッヒ 他
コピー:愛するターニャ。今日も僕は君のために またひとり敵を撃つ
1942年。ナチスの猛攻にさらされ陥落寸前のスターリングラードに送り込まれた新兵ヴァシリ。劣勢の中、青年政治将校ダニロフのライフルを借りて、驚くべき正確さで敵兵を次々と仕留めた。それをきっかけにソ連の英雄に仕立て上げられ…というストーリー。
観ていないと思って借りたのだが、既視感が。レイチェル・ワイズの顔を見たところで、過去に観た事をはっきり思い出したが、とりあえず最後まで観た。私がお気に入りの映画『薔薇の名前』の監督の作品なのだから、そりゃぁ観てるだろうに。
実在したスナイパーがモデルとのこと。他の登場人物もほぼ実在するらしいが、エピソード的にはかなりの部分脚色だと思う(根拠はないのだが作り話っぽい臭いがするので)。とはいえ冒頭の戦闘シーンは出色だった。ソ連将校の人を人とも思わない指揮命令には、いくらなんでも…と閉口してしまうが、草いきれならぬ“死体いきれ”でむわーっとしてきそうな感覚が画面から伝わってきそうな、なかなかの迫力。評価できる。
なかなか緊張感のある男くさい作品なのだが、展開が進むにつれて、ぼんやりしてくる。決してつまらなくなるわけではないのだが、ひとつだけで一本映画ができそうなテーマが、似たようなレベルで盛りこまれていて、主軸がなんだかわからなくなるのだ。ぱーっと挙げても、下記くらいある。
・一兵卒が英雄譚としてまつり上げられる話
・英雄と女兵士と将校の三角関係
・二大スナイパーのプロ対決
・共産主義対ナチ
・ユダヤ迫害
・子供の二重スパイの話
エピソードとして並存するのが悪いわけではないのだが、主軸がどこなのか、もうすこしメリハリをつけるべきだ。いろいろな太い軸が交錯し、カウンターバランスが利きすぎて、がんじがらめなのだ。こういう場合はどこかをガス抜きすべきだと思う(素人が偉そうに…)。
例えば、私なら三角関係の要素はもうちょっと軽くする。だから、ヴァシリとターニャが深い仲になるくだりは、私が脚本家なら付けない。さらに、お互いの気持ちすらはっきりさせないようにして、それなのに、ターニャはダニロフの求愛を拒む。なんでキミに振り向きもしないヴァシリに俺は負けるんだーと嫉妬に狂う…程度に。
それを横目に、ヴァシリはスナイパーとしての対決に執着して暴走していく。
それにしても、『薔薇の名前』でもそうだったが、異常なシチュエーションのセックスシーンを入れるのが好きな監督なんだな。趣味が悪いと思う。さらに、個人的な理由で、大変もうしわけないのだが、レイチェル・ワイズという女優があまり好きではない(『ハムナプトラ』『コンスタンチン』もなんか引っかかる)。それどころか、結構な頻度でイラっとするくらいなので、余計イヤな気分になって、あのシーンは早送りしてしまった。
そのほかで、入れたくなるのはわかるが、結果として生きていないのが、ユダヤ迫害の部分だ。ターニャは両親が殺され、それに憤慨して前線に戻るのだが、重すぎてそれに引っ張られてしまう。私ならば、すでに両親は殺されていて、ずっと前線から頑なにに離れないことにする(実は、女兵士が前線にいるなんていう状況が信じられず、リアリティが無く感じられてしょうがなかったのだが、観終わった後に調べてみると、第二次世界大戦時、イギリスやフィンランドやソ連など欧州各国でではけっこう女性兵士がいたようである)。
褒めるところはひとつある。エネミー・アット・ザ・ゲートじゃあよくわからないところを、“スターリングラード”というタイトルにしたことで、ソ連側の戦争映画であることがピンとくる。秀逸な邦題だ(その分、なぜか残念コピーがつけられているので、プラマイゼロではあるのだが…)。
まあ、いろいろ苦情はいったが及第点の作品ではあるので、軽くお薦めしておく(よりよくなるのになぁ…という心ある苦情だと思っていただければ)。
公開年:2009年
公開国:アメリカ
時 間:138分
監 督:ロン・ハワード
出 演:トム・ハンクス、アイェレット・ゾラー、ユアン・マクレガー、ステラン・スカルスガルド、ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ、ニコライ・リー・コス、アーミン・ミューラー=スタール、トゥーレ・リントハート、デヴィッド・パスクエジ、コジモ・ファスコ、マーク・フィオリーニ 他
コピー:ガリレオの暗号が、ヴァチカンを追いつめる
『ダ・ヴィンチ・コード』の続編。コンクラーベが行われるヴァチカンにて、かつてガリレオを中心とする科学者によって組織された秘密結社イルミナティによって、最有力候補の枢機卿4人の誘拐され殺害予告が出される。その上ヴァチカン全体を爆破する計画が発覚し、それを阻止するために、宗教象徴学者ラングドンが奔走する…というストーリー。
原作は『ダ・ヴィンチ・コード』より前の作品だが、映画は後の作品として繋がっている。
で、以下はネタバレになるので、まだ観ていない人は読まないで。
まず、ストーリー上、特定の範囲を消滅させて且つ現場が汚染されないツールが必要なのはわかるのだが、反物質爆弾を持ち出すのはちょっと都合が良すぎる気がする。反物質の存在が確認されて、それが取り出されているのは科学上の事実だし、理論上はものすごいエネルギーが発生すると言われている。しかし、実際は日々、加速器で反物質が発生しては対消滅しているのに、そこで巨大なエネルギーが発生しているわけではない(おそらく、なにか別の現象によって、発生したエネルギーは何かに持っていかれているのだろう)。ましてや、反物質を電磁石で固定して容器に詰めてるなどということが、あまりにも漫画チックすぎて、冒頭のそのシーン観て、私は「なんだかなぁ…」状態になってしまった。途中で女科学者が、反物質を電力会社に奪われるのが怖かったというセリフを言っていたが、理論上発生しうるエネルギーよりも、反物質を得るために加速器に費やされるエネルギーのほうが何倍も大きいので、効率が悪すぎて発電に転用などということはありえない。科学者がそんなこという時点でさらに興醒めしてしまった。
ただ、ビッグバン時に発生したといわれるCP対称性の破れで消滅した物質を取り出せたこと自体は、科学者自身が「神の領域に踏み込んでしまった…」と悩むに足ることだと思うので、それが犯行動機になることは、納得できる。よって、本作に、反物質ネタを使うのも必須といえる。あとはSF的にも荒唐無稽すぎなければいいのであるが、その努力・工夫があと一歩だったと考える。
私は、CERNで取り出した反物質を固定したということにしないで、とある科学者が反物質を発生させる簡易な装置を考え出した(その原理はだれもわからない)が、そしてその装置が奪われた…くらいに徹底的にぼかしても良かったと思っている。小型バン1台く入るくらいの装置で、最後はヘリ吊り上げて…なんてのでどうだろうか。それなら電力会社に奪われることを危惧する理由にもなるしね。
演出の方に話を移すが、前作の雰囲気がしっかり踏襲されており、ミステリーとしてなかなか楽しめる作品である。ただ、『クリムゾン・リバー』→『クリムゾン・リバー2』ほどではないが、若干のレベルダウンは否めない。これは品質のダウンというよりも、既視感による慣れとか飽きのせいかもしれない。
前作よりも歴史的な謎解き部分は少なく、単純にミステリー色が強くなっているので、その辺が好きな人には物足りないかもしれない。とはいえ、週末に観る一本として私は充分に楽しめたので、お薦めする。
余談だが、スタッフロールの最後に、本作に出てくる団体と名称はすべて架空であることが、日本語字幕でも付けられていた(めずらしい)。作中のカトリック教会すらフィクションですよ…として断り書きをいれないといけないという宗教の恐ろしさよ。イルミナティが存在する理由も思わず頷けてしまうほど、本作に一番リアリティを感じさせてくれたのが、最後の字幕だった。
公開国:日本
時 間:120分
監 督:長谷川和彦
出 演:水谷豊、内田良平、市原悦子、原田美枝子、白川和子、江藤潤、桃井かおり、地井武男、高山千草、三戸部ス 他
実際の事件をもとに描かれた短編小説を映画化した作品。不確かな理由で両親を殺害してしまった青年の破滅への道を描いたストーリー。
TSUTAYAのポップの謳い文句を見て、おもしろろそうに思えたので素直に借りてしまったのだが、結論から言うと、さほど面白くなかった。
あくまで予想なのだが、本作は複数人の合議をもとにして、その決定事項をすべて盛り込んでいるのではないかと思える。
たとえば、こんな感じ。
若い監督のほかに、キャリアのあるスタッフが多数いて、ストーリーや演出方法について、繰り返し打ち合わせが行われる。こんな設定はどう?こんなセリフは??こんなエピソードをいれてみたら?こんな演技をさせてみたらおもしろいんじゃないか?いいですねーそれ。みたいにホワイトボードには、アイデアがいっぱい。先輩スタッフの意見なので、監督も脚本家も盛り込まないわけにはいかない。そんで、全部とりあえず撮ってもみる。本当ならばその後、編集の段階で増長だったり流れを阻害するようだったら、スパっと切るのだが、先輩の手前切れない。
その結果がこの作品。むやみに長々としていたり取ってつけたようなシーンが多いし、流れ的に意味のなさそうな演出などの詰め合わせに見える。そして、どの部分に焦点を当てたいのかよくわからなくなり、個々のシーンは破天荒だけれども、全体的にはぼやーんとした、残念な仕上がりになってしまった。公開時はさらに長かったというのだから、観ているほうはけっこううんざりしたのではないだろうか。
で、全体がぼやーんとしたために、相対的に魅力的に浮かび上がってしまうのが、原田美枝子の容姿。結局、本作で得をしたのは彼女だけかもしれない(水谷豊や市原悦子の演技は鬼気迫るものがあるのだが、ちょっとやりすぎで気持ち悪いレベルまで到達している)。
同じ日本の実在犯罪モノである『復讐するは我にあり』に比べると、かなり落ちるので、お薦めしません。
公開年:2004年
公開国:アメリカ
時 間:104分
監 督:ピトフ
出 演:ハル・ベリー、ベンジャミン・ブラッド、ランベール・ウィルソン、シャロン・ストーン、フランセス・コンロイ、アレックス・ボースタイン、マイケル・マッシー、バイロン・マン 他
受 賞:【2004年/第25回ラジー賞】ワースト作品賞、ワースト主演女優賞(ハル・ベリー)、ワースト監督賞(ピトフ)、ワースト脚本賞(テレサ・レベック、ジョン・ブランカトー、マイケル・フェリス、ジョン・ロジャース)
コピー:すべての女には野生の猫が棲む
巨大な化粧品会社でデザイナーとして働くペイシェンス・フィリップスは、自社が恐ろしい副作用のある老化防止クリームを発売しようとしていることを知ってしまい、秘密保持のために殺されてしまう。しかしその瞬間、彼女は超人的な猫の能力を有したキャットウーマンとして生まれ変わり…というストーリー。
ご覧の通り、受賞しているのはゴールデン・ラズベリー賞だけで、ダメ作品そうなのに、なぜ、今になってこれを見たのか。
じつは、ラジー賞に不満があるのだ。この賞は、最低の映画に賞を与えるいう冗談企画なのだが、要するにけなしているわけである。で、過去のラジー賞の受賞歴を見てほしい(ネットで検索して)。“今回の受賞者なし”という年は一度もない。
褒める分にはどうでもよいのだが、人をけなす場合というのは、いくら冗談といっても、明確な基準と確信をもってなされるべきだ。さらにその基準は決して低くてはいけないし、ノミネートされたものがワーストの基準に達していなければ選出する必要はなく“受賞者なし”としなければいけないと私は考える。でも、毎回かならずワーストが選出されているのだ。つまり、ノミネートされた映画5本が全部60点だったとしても、むりやりワーストを1本選ぶシステムなのだ。この姿勢は人間としておかしくないだろうか。こんな選出方法だから、中には、確かにワーストというものがあるが、それほどか?というものもある。
で、本作を観てみたわけである。私の評価をいえば、確かに脚本はワーストである。山場も緊迫感も感情を揺り動かす仕掛けも何も無い。しかし、ハル・ベリーの演技と監督の演出については、もちろん良い評価はできないが、ワーストとあげつらうほどのものではない。
これは、チョコレートでオスカーを獲り、X-MENでSFもいけることが判り、且つあのバットマンのサブキャラがメインになるということで、世の中が勝手に期待値を上げ、それが裏切られただけのこと。絶対評価としてワーストなわけではないだろう。こんな相対的な評価で、人をワースト呼ばわりする評論家の神経が私には理解できない。
そこまで悪いとは思っていないから、ハル・ベリー本人もラジー賞の授賞式に出席したのだと私は思っている(ニュースになったよね)。ここでラジー賞が廃止なったり、方向性が変わったりすれば、かっこよかったと思うのだが、おなじノリでダラダラ続いているのはご存知のとおり。
で、本作を薦めるか?と聞かれれば、薦めない(笑)。上述したとおり、脚本はびっくりするくらい平坦で、お湯で4倍に薄めた、カップヌードルを食べさせられた感じ。逆に、観ていただいて、その味を共感していただけると、うれしいかもしれない。
公開年:2005年
公開国:アメリカ
時 間:134分
監 督:スーザン・ストローマン
出 演:ネイサン・レイン、マシュー・ブロデリック、ユマ・サーマン、ウィル・フェレル、ゲイリー・ビーチ 他
ノミネート:【2005年/第63回ゴールデン・グローブ】作品賞[コメディ/ミュージカル]、男優賞[コメディ/ミュージカル](ネイサン・レイン)、助演男優賞(ウィル・フェレル)、歌曲賞(メル・ブルックス“There's Nothing Like A Show On Broadway”)
【2005年/第11回放送映画批評家協会賞】サウンドトラック賞、コメディ映画賞
コピー:『オペラ座の怪人』『シカゴ』ですら獲ることができなかった、トニー賞12部門、史上最多受賞のブロードウェイ・ミュージカルが完全映画化!!
1968年の傑作コメディを舞台化した大ヒット・ブロードウェイ・ミュージカルを映画化した作品。落ち目のプロデューサー・マックスのもとに帳簿を調べにやってきた会計士は、ショーが失敗するほど儲かる不思議なカラクリを発見する。それを聞いたマックスは、大コケ確実のミュージカルを作り出資金を丸ごといただいてしまおうと企む…というストーリー。
ミュージカル映画というのはたくさんあるが、大抵は、普通の映画のように進行する中で、キャストが歌いだすパターンが多いと思う。ようするに現実世界の中で歌いだす感じ(まあ、それが不自然だということで、好き嫌いが分かれるのだが)。しかし、本作は幾分おもむきが違う。ミュージカルの舞台を、ただ映画のセットに置き換えている感じなのだ。且つキャストのセリフまわしも舞台チック。もちろん舞台の雰囲気を出そうという演出なのだろうが、これがどうも緊張感に欠けるのである。
なぜか。それは、舞台を観ている時は、ガチンコなので演者と客の間に、否が応でも緊張感が走る。しかし、これは映画なのだから、長ぜりふをうまく言おうが、見事な踊りをしようが、所詮、何度かリテイクした中の良いテイクなだけのことである。一挙手一投足に着目する気にはならない。
私は舞台ミュージカルのファンではないし、もちろん本作の元となったミュージカルも知らない。だから、うまいこと映画にしたなぁ…という感想もない。この緊張感の無さのせいで、何度も眠りにおちてしまった。
眠くなる理由は他にもある。おそらく製作者側からの制限だと思うが、本作DVDには日本語吹き替えがない。『オペラ座の怪人』の時もそうだったのだが、歌と踊りと演技を字幕を追いながら楽しむのはムリ。日本のミュージカル役者がどれだけ評価されていないのか知らないが、絶対に吹き替え版を作るべきである(たしか、『オペラ座の怪人』は後に吹き替えありのDVDが再リリースされたと聞いた)。
また、ストーリー的にも意味がわからない点が。
本作のキーポイントである脱税の仕組みがよくわからない。いずれにせよ税務署への申告は必須なわけだし、やることは架空経費の計上か、資金・収入のごまかししかないわけで、どうせゴマかすという手法を使うならば、コケようがヒットしようが変わらない気がする。当時は、コケると税務署のチェックが甘くなったということか?ピンとこない。
それに、二重帳簿が見つかったとしても、まだ不正申告して脱税したわけでもないのに、なんで逮捕されるのか?いったい何の罪で有罪なのか。さっぱりわからん。
などなど、マイナスポイントばっかりで、全然たのしめなかった作品だ。まったく受賞歴が無いのもうなずける(アメリカの人もやっぱりつまらなかったのね、、)。よっぽど、このミュージカル作品に思い入れでもない限り、観る必要はないと思う。
余談だが、あのスウェーデン人の役が、ユマ・サーマンだとしばらく気付かなかった。
公開年:2005年
公開国:日本
時 間:123分
監 督:実相寺昭雄
出 演:堤真一、永瀬正敏、阿部寛、宮迫博之、原田知世、田中麗奈、清水美砂、篠原涼子、松尾スズキ、恵俊彰、寺島進、堀部圭亮、三輪ひとみ、原知佐子、荒川良々、京極夏彦、すまけい、いしだあゆみ 他
コピー:女は妊娠20ヶ月。いったい何を身ごもったのか――。
あなたの憑物(つきもの)、落とします。
戦後間もない東京を舞台に、“憑物落とし”の顔を持つ博覧強記の古書店主・京極堂とその仲間たちが、久遠寺医院にまつわる奇々怪々な事件に挑むというストーリー。
『魍魎の匣』を観始めたら、前作を観ていないことに気付き、レンタル。
たかだか5年ほど前の作品なのだが、10年以上前の作品に感じるのは、画質の問題か実相寺監督の演出のせいか。『帝都物語』から変わりないなぁ(いい意味でも悪い意味でも)。
双子、多重人格、心理学、人の記憶が見える男、屍蝋、巫女の家系、いろいろ都合のいい要素ばかりで、なんだかなぁ…と思わざるを得ない。原作は読んでいないのでわからないが、元もこんな感じなのだろうか。さすがに阿部寛のキャラクターの能力は、小説でいくら魅力的であったとしても、たかだか2時間の映画に出してしまうと、その能力があれば、ほぼ、なんでも解決できてしまうように思えて、興醒めしてしまう。あえてはずしてもよかったかもしれない。
ただ、こういう要素の詰め込みだから、即、悪いという気はない。よく漫画と小説の比較で、漫画はビジュアルイメージが押し付けられるが、小説ではそれを脳内で構築するので、脳に良い。漫画ばかり読まずに小説を読むべきという意見がある。おそらく本作は、その典型で、小説を読んで沸いたイメージがとても魅力的な作品なのだろう。横溝正史の作品だって、おなじように都合のいい設定ばかりだが面白いのがいい例だ。
でも、横溝正史原作の映画はなかなか面白いのに、なんで本作はピンとこないのか。
致命的なのは、謎解きの説明がちょこちょこわかりにくいところ。もうちょっとゆっくりと効果的にわかりやすビジュアルで説明すればよいのだが、へんな効果ばかり優先で説明は二の次だから(というか実相寺監督テイストなのだが)、どうしても迷子になってしまう。そのプアなビジュアルをセリフでカバーするものだから、ますますわからない。晩年の横山光輝の歴史漫画みたいで、ストーリーの説明がほぼセリフで、漫画のくせに絵が挿絵状態…みたいな状態に近い。
ただ、実相寺監督に意見を言いえる人もいなかったことだろうし、どうにもならなかっただろう。
変な話だが、本作を救ったのは、いしだあゆみの怪演(というか、叫び声)だろう。CMにも使われたからご存知だろうが、あれがすべてかも。
ちょっとかわった雰囲気の作品であるのは事実なので、何も観るものがなければどうぞ、、という感じだが、無理して観る必要はなし。
『魍魎の匣』についてはいつか別途レビュするが、先走って言ってしまうと、まだ本作のほうがマシ。
公開年:2008年
公開国:香港、フランス
時 間:91分
監 督:クリス・ナオン
出 演:チョン・ジヒョン、アリソン・ミラー、小雪、リーアム・カニンガム、JJ・フェイルド、倉田保昭、コリン・サーモン、マイケル・バーン、マシエラ・ルーシャ、ラリー・ラム 他
コピー:斬り開く──私の運命
公開年:2000年
公開国:日本
時 間:48分
監 督:北久保弘之
出 演:工藤夕貴、中村佐恵美、ジョー・ロマーサ 他
コピー:斬る――それが少女の宿命
Production I.G製作の日本アニメ『BLOOD THE LAST VAMPIRE』を、『猟奇的な彼女』のチョン・ジヒョン主演で実写映画化。
戦国時代、大量に流された人の血によって力を得た種族“オニ”。以来、400年以上にわたって人類との戦いが続いている。ベトナム戦争のさなか、人間社会でうごめくオニを倒すために、横田基地にひとりの少女がやってくる…というストーリー。
設定はほぼ同じ。
本作の特徴的な点は、1960年代の東京が舞台という点。実写版も日本人のチェックが行われているのか、ありがちなヘンテコ漢字の看板などはなし。陰謀や因習がリアリティを持っている小汚い日本がそこにある。とてもいい雰囲気のこの世界観が、私は好きである。
実写版の導入部は、ぴったりアニメの焼きなおし。
元のアニメが、登場して2・3匹と戦って去るという程度のパイロットフィルムみたいなものだったので、短い元アニメを2時間程度に膨らませるために、何を付け加えてくるかが、ポイント。
しかし残念ながら、ストーリーだけではなく、よけいな“設定”が付け加えられて、ちょっと興醒めなのである。以下は、ネタバレである。
アニメでは、主人公の正体は“オリジナル”としか語られていないが、実写版では“オニ”とのハーフで、なぜか血をごくごく。おまけに、“オニ”の親玉の娘で、どうやら戦国時代から生き続けている模様。まあ、日本側の了承済とは思うが、正直、ありがちでつまらん。
どうしても最後にオチをつけなくては、、と考えたら、こうなってしまうのだろうが、こういう作品は、雰囲気を楽しむ作品だと思うので、決着を付けずに投げっぱなしくらいで終わったほうが、いい感じなると思うのだがね…。
結局、あってもなくていいような、未消化のラストに終わっているし。
ストーリー以外にも悪い点として、クリーチャーデザインのデキが非常に悪い。最悪といってもよい。少なくとも、羽根が肩甲骨から生える西洋悪魔的なデザインだけは避けるべきだったと思うのだが…。
ただ、意外によかったというか、怪我の功名だとは思うのだが、おそらく予算が無くて、クリーチャーのアクションCGがカクカクして薄っぺらなのだが、それが、写真をコラージュしてアニメをつくったような効果になっており、おもしろかった。CG予算のないときは、ポップアート的な手法を加味するといい味がでるということで、勉強になった。
もうひとつ。将軍の娘は、なんで血を飲ますと、主人公が復活することがわかったのだろうか。それを示唆するシーンなどあったろうか?
あと、予告編でなんとなく取って付けたみたいで浮き気味だった小雪だが、本編では意外にマッチしており問題なし。ただ、日本語吹き替えの声が、あまりにも小雪と違っていて、いい雰囲気ぶち壊し。本人に吹き替えさせることは難しかったかもしれないが、せめて似た声質のキャスティングはできなかったものか(、、、というか、小雪クラスなら、格好つけてないで吹き替えしろっての)。
最終的に言うと、アニメ版を観て好感をもった人ならば観て損はないと思うが、そうでなければ別に観なくてよい。凡作である。
それにしても、せっかく日本のアニメなんだから、英語のしゃべれる日本人はいなかったものか。日本の若者達よ。こういうチャンスは絶対あるのだから、がんばってくれないだろうか。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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