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公開国:アメリカ
時 間:82分
監 督:ルーベン・フライシャー
出 演:ジェシー・アイゼンバーグ、アジズ・アンサリ、ダニー・マクブライド、ニック・スウォードソン、マイケル・ペーニャ、レッド・ウォード、ディルシャッド・ヴァザリア、ビアンカ・カジリッチ、エリザベス・ライト・シャピロ 他
宅配ピザの配達員として働くニックは、どれだけ飛ばしても30分で配達できそうもない注文を受ける店に、いつも不満タラタラ。そんなある日、とあるところにピザを配達すると、ゴリラのマスクをかぶった二人組に襲われ、体に爆弾付きのベストを着せられてしまう。彼らの正体は、定職にも就かずふらふらと怠惰な生活を送っている男、ドウェインとトラヴィス。ドウェインは、宝くじで大金を手に入れた父親が自分に一銭もよこさないことに腹を立て、父親を殺し遺産を手に入れることを計画する。しかし、自分で殺すことはできないので、殺し屋を雇う。しかし、その報酬として10万ドルを要求されてしまう。そこで、銀行強盗をして調達することを思いつくが、自分でやるのイヤ。そこで、宅配ピザ屋に無理やり銀行強盗させるために、爆弾付きベストを着せたのだ。ドウェインは、いつでも監視しているので、不振な動きをしたらリモコンで爆破するぞと脅し、銀行強盗を強要して解放。ニックは、助けを求めて親友チェットに助けを求めにいくのだったが、彼らはチェットの妹のことで喧嘩をして絶交中で…というストーリー。
『ゾンビランド』の監督。『ゾンビランド』は、お下劣なキャラクターとゾンビ映画への愛が相まって、なかなかの良作だったが…。
別に何が悪いというわけではないのだが、ピザ配達人が無理やり銀行強盗をさせられるというプロットを聞いて膨らませていったら、誰が作ってもこうなるだろうな…という感じ。友人のインド系のチェットの騒がしさが鼻につくし、下品な台詞もヒネリも何にもなくただ下品なだけで、『ゾンビランド』のような輝きがない。
どうして警察に駆け込んだり、銀行などで、こういう境遇なんです誰か助けてください…と言わないのだろう…と観客に思わせたら、この作品はアウトなので、そう思わせないことに腐心しているのが、よくわかる。かといって、巧みな仕掛けがあるわけではなく、常に監視しているぞ!という脅しを、馬鹿でヘタレな二人が正直に信じた…ということ、そして、トラヴィスの工作能力がマジでハンパなく、爆弾も火炎放射器も作れるという事実、その二点でなんとか持ちこたえた感じ。悪いプロットではないのに、コメディとしていまいち弾けきれていないのは、そういうおっかなびっくりな演出が、足枷になっているのではなかろうか。とにかく平板なのだ。肝心の銀行強盗も、中途半端な笑いばかり差し込んで盛り上がらないし。
(ネタバレ)
ラストは、殺し屋も加わって、三つ巴のドタバタになるのだが、そこでも、やはりクライマックス感はない。いまいち殺し屋のキャラが生きていないしのが一因かな。
で、最後は見事にジャケットを脱ぎ、生命の危機から解放されるわけだが、なぜか金を強奪して逃走してしまう。金、返さないでいいのかよ!? 好きで銀行強盗をやったわけでもないのに、その金を返却せずに逃げるリスクを追う意味とは?たしかにピザ屋もやめたし、代用教員もどうでもよくなっちゃったのかもしれないけど、それで済むわけないじゃん。コメディ作品のオチとしては、なんともスッキリしない。
エンドロール後に後日談として、ドウェインが日焼けサロン(?)を開業したCM映像が流れるのだが(父親は死んでない)、どうせならば、そこでニックとチェットが逮捕された映像も差し込めばよかったと思う。そうすれば、案外、続編の製作が決まったかもよ。
ドタバタ作品とは、整理に整理を重ねた末に、ドタバタにみせているのであって、放り込んでそれなりに面白ければいいというものではない…。そんな言葉が頭をよぎった。凡作かな。
公開国:日本
時 間:90分
監 督:おかひでき
出 演:DAIGO、杉浦太陽、つるの剛士、黒部進、森次晃嗣、団時朗、高峰圭二、真夏竜、鈴木繭菓、橋爪遼、秋元才加、梅田彩佳、宮澤佐江、増田有華、小林香菜、佐藤すみれ、島田晴香、木之元亮、布川敏和、斉藤りさ、加瀬信行、小野寺丈、中丸シオン、森くれあ、安藤健悟、田中奏生、上野楓恋、大橋律、池田沙弥花、高村竜馬、渡邉空美、里村洋、佐藤光将、宮野真守、東国原英夫 他
コピー:誰も見たことのないウルトラマン。
地球(フューチャーアース)は、突然来襲したバット星人によって人間が消されてしまう。今、そんな地球に残っているのは、9人の子供と女性地球防衛隊“チームU”のメンバーたち7人。そんな彼女たちが、アーストロンとの交戦でピンチに陥ったときウルトラマンダイナが現れ、撃退するのだった。そのころ、アナザースペースでベリアル軍の残党と交戦中のゼロは、アスカ・シンの導きによって、フューチャーアースを訪れる。ゼロは、同じようにネオフロンティアスペースからフューチャーアースにやってきた、スーパーGUTSのルーキー隊員タイガ・ノゾムの献身的な行為に感動し、重傷を負った彼と一体化する。その後、コスモスペースから春野ムサシ(ウルトラマンコスモス)も現れ、協力して地球を守ることに。しかし、タイガは幼いころに追った心の傷が元で、ウルトラマンの力に頼りたくないという気持ちが大きく、ゼロへの変身を受けれることができず…というストーリー。
2012年の仮面ライダー映画がダメならば、ウルトラマンで。
ウルトラマンゼロ。何気に映画は3作目。2年に1回ペースとは、なかなか優秀。固定の人間体を持たないおかげなのか、他のウルトラマンと違い、ウルトラマンとしてのキャラクターが明確なのが、勝因だと思う。過去のウルトラマンは、ウルトラマンとしては性格に違いがないからね(ウルトラマン物語でのタロウくらいじゃないかな)。新マンやエースなど、独特の性格付けをすると面白そうなのもいるから、今後の映画でやOVAでフィーチャーされていくとおもしろくなるだろう。旧作ウルトラマンが、新たなにフォームチェンジしてもいいわけで、ウルトラマンビジネスは、まだ伸びしろが大きい。ウルトラエッグとかわけのわからんものつくってる場合じゃないよ(笑)。
毎度、別次元の宇宙に飛ぶので、自由に好きな設定で好きなウルトラマンを出せるし、仮に整合性が取れなかったり、変な話になっても、別次元のお話ですから~で、片付けれれるのがよい。とにかく、お子様と大きな子供を愉しませられればそれでよい。そこの集中できるのは強み。
街を俯瞰で移したシーンは、今までのウルトラマン映画ではなかった、味のあるシーン。子供だましじゃないよ…と掴みはOK。この監督、悪くない。ゴメスとアーストロンの新造着ぐるみも良いデキだった。なんでグビラなのかはよくわからんかったけど。でも、バット星人の怪獣の調達は怪獣墓場と言っていたような。この3体、怪獣墓場にいるかな?(まあ、別宇宙だからいいか)。
無人世界に取り残された、お姉ちゃんと子供たちという設定は悪くない。でも、シナリオにはよろしくない部分がある。それは、なんであのお姉ちゃんたちと子供たちが消されずに残っているのか?という説明がなされていないこと。バット星人が人間を消した技術はとてつもないものなのに、あえて彼女たちを残す理由もないし、その技術で消そうとせずに、怪獣を差し向ける理由がわからない。彼女たちが、何かの秘密を握ってて消せないとか、消す能力を無力化する何かを持っているとか、説明はどうにもでもできただろう。本作の難点は、ここくらいかな。子供向けヒーロー映画としては十分。
タロウを吹っ飛ばして、勝手に“レジェンド5”なんて名づけちゃってるが、篠田三郎さんは別に出演したくないといっているわけではないのに、かわいそう。タロウだけは、ウルトラマンと人間体が分離して最終回を迎えている(はず)なので、人間として生きてきた東光太郎のその後も描けるし、タロウと東光太郎の久々の遭遇なんてのもおもしろいのにな。
予算的にも、撮影期間的にも、年一は厳しいだろうが、このくらいのクオリティで定期的に製作してほしいものだ。
#ただし東国原英夫のバット星人は、話題にもならず、まったくのムダ。こういうのもういらないわ。
融合系ウルトラマンは、もう飽きたな。いっそのこと、ウルトラマンキング御大率いる、ウルトラマンレジェンド、ウルトラマンノア、ウルトラマンメビウスインフィニティ、ウルトラマンサーガによる、伝説部隊でもつくりゃいいんだ。
公開国:日本
時 間:140分
監 督:森谷司郎
出 演:藤岡弘、いしだあゆみ、小林桂樹、滝田裕介、二谷英明、中丸忠雄、村井国夫、夏八木勲、丹波哲郎、伊東光一、松下達雄、河村弘二、山本武、森幹太、鈴木瑞穂、垂水悟郎、細川俊夫、加藤和夫、中村伸郎、島田正吾、角ゆり子、梶哲也、稲垣昭二、内田稔、大木史朗、吉永慶、宮島誠、大杉雄二、神山繁、高橋昌也、近藤準、竹内均、石井宏明、今井和雄、早川雄三、中條静夫、名古屋章、斉藤美和、大久保正信、アンドリュウ・ヒューズ、ロジャー・ウッド、大類正照、小松左京 他
ある日、小笠原諸島の一部の島が一夜にして消えてしまう。深海潜水艇の操艇者・小野寺と物理学者の田所たちは、その原因を突き止めようと日本海溝を調査する。その結果、異様な海底異変を発見。いま日本の海底で何かが起こりつつあることを検知する。やがて、伊豆天城山が爆発すると、相次いで三原山と大室山が噴火する。地震問題に関する学者と閣僚たちは懇談会を開催。いずれのメンバーも楽観的な意見を述べていたが、田所博士だけが列島の異常を警告する。しかし、彼の意見は狂人のたわごとと一笑に付されるのだった。しかし、その後、田所は政財界の黒幕と噂される渡という老人に呼び出され、昨今の地震や噴火について問いただされる。後日、政府の人間が田所を訪れ“D計画”への参加を要請する…というストーリー。
今は亡き竹内均先生が、若き姿で、丹波哲郎演じる総理大臣にプレートテクトロニクスを説明している。NHK教育の地学はよく観ていたなぁ。今でこそ、プレート・テクトロニクスはあたりまえだし、何といっても東北太平洋沖地震を経験してしまって、絵空事だなんていう気なんか微塵もないわけだけど、当時はどうだったのか。
パニックムービーに違いはないのだが、本作で描かれているのは、日本列島の終末を知ってしまった人々の苦悩。自分の立場で、今何ができるのか…という、折れそうな心を振り絞って、知恵を出し体を動かす様子にスポットが当たっているところが良い。この作品が持つ、緊迫感と虚無感は今観ても秀逸だった。
個人的には、小野寺が結婚して日本を脱出すると打ち明けられても、これまで一緒に調査してきた政府の人や研究者たちが「そうかそうか」と納得しちゃうところがおもしろかった。不思議な達観の境地というか、腹が据わってしまった人間の価値観がうまく描けていると思う。
全部救えないなら、言わないほうがいいんじゃないのかっていう意見も当然出てくる。時代が違うな…と思う部分も多々ある。一切、文化財的なものを退避しようとか、当時、そういう価値観がないことがわかる。いまでこそ、日本の文化は世界から着目されているが、当時はそれほどでもなかったのだろう。今なら、そこそこの文化財ひとつで2万人くらい引き取ってくれそうじゃん。
欧州じゃ移民で痛い目にあっているが、それでも、お行儀がよくてある程度の資産と技術をもってくる日本人は、ウェルカムだろう。今なら、日本企業が海外の企業と合併して、社員とその家族単位で移住してくる…なんて展開もあるだろうね。
ギリギリになって手を差し伸べるのが中国だというのは、失笑。公開の1年前に日中国交正常化があったので、なんとなくわからないではないけれど、当時の中国が万単位の人間を救助できるほど船を持っていたとは思えないし、無条件でそんなことするわけないがな。行ったら、奴隷だかな。でも、韓国に行くと銃殺されるらしいよ(そこは本気で笑った)。
ネット上では、本作の特撮のデキに文句をいっている輩が多いのだが、この作品の特撮のデキは物凄くよい。ミニチュアセットの映像と、実際に人が歩いてる映像の合成がものすごくシームレス。
ラストは非常にあっさり終わってしまって、そこだけが残念。オチは“日本沈没”なので見えているので、最後に締まりがなくなっちゃうのは仕方が無いのだが、だからこそ、最後はヒューマンドラマなり、ヒロイックなシーンを差し込んだりして、人間のがんばりで感動させるべきなんだけどね。
草なぎ剛が演じた2006年のリメイク版では見事にその点を補っていたんだけれど、他の部分がまるでクソだったので、如何ともし難い。リメイクでリスペクトしたつもりが、むしろ侮辱になっているという…。
藤岡弘も丹波哲郎も、コミカルというか何か締まらない感じなることが多いんだけど、本作での彼らはなかなか。秀作な一作。
公開国:アメリカ
時 間:86分
監 督:ジョージ・ルーカス
出 演:ロバート・デュヴァル、マギー・マコーミー、ドナルド・プレザンス、イアン・ウルフ 他
25世紀。人々は栄養食や様々な薬剤を投与されながら、コンピュータと一部の階級によって管理され、指示されるがまま工場で作業に従事していた。人間は登録番号で呼ばれ、住居や娯楽も与えられるがまま指示通りに暮らす。THX1138も女性の同居人LUH3417と生活していた。ある日、ルームメイトのLUH3417は食事と一緒に与えられていた薬剤を何日も飲まない日を続けていた。すると、次第に人を愛する感情が芽生えてきた。その薬剤は感情を抑制する薬だったのだ。彼女はTHX1138の食事からも薬剤を抜くと、彼にも同様の感情が目覚め、とうとう肉体関係を交わしてしまう。そして、そのせいで、日々の作業にも支障をきたしはじめたため、とうとうコンピュータは、二人を投獄することを決める…というストーリー。
THXは“テックス”と読むようだ。劇中ではそう発音されている。
はじめ、『トロン』のように“何か”が擬人化されて描かれているのかな?と思った(『トロン』はコンピュータ内部の世界が擬人化)。ホログラムから出てきた黒人とか、どうも現実の人間じゃなさそうな感じもあったし、投獄された白い部屋には、髪の毛の生えた小人症の人とかいたし。でも、そうではなくて、未来のリアル社会を描いているらしい。
世界観がいまいち見えてないんだよなぁ…。
1971年作品とは思えない、クリーチャーの動き!衝撃だ!とおもったら、2004年に、新技術でカットが追加されてるんだな。『スターウォーズ』エピ4~6の特別版版と同じアプローチだった。驚いて損した。いずれにせよ、製作当時の頭の中に浮かんでいたことはこうだったんだ…という、引っかかりを解消するという情熱、そして数十年経過してそれができる状況にあるというのは、スゴいこと。
『ソレント・グリーン』もそうだったけど、1970~80年代のSFは管理社会をどう描いているのか…というのがポイント。コンピュータのような杓子定規な判断しかできないものや、一部の特権階級が、大多数の一般社会を支配する様子が恐ろしい…という主張がベースにある。
2000年以降も『マトリックス』のように管理社会を描いた作品はあったが、雰囲気は異なる。異なる理由は簡単で、何が恐怖の対象だったかといえば、明らかに共産主義。当時の社会が冷戦構造にあったということだ。
#もちろん、共産主義の恐怖を謳った作品ばかりではなく、『カプリコン・1』みたいなのもあるけどさ。
だから、そんな社会になっていいんですか?とか、よくそんな社会いて疑問をもたないんですか?という、というメッセージが前面にでてくるので、おのずと、はじめ主人公は社会の歯車として生きているけど、ふとしたことからドロップアウトするという、ストーリー展開になる。
で、それをアピールすることがストーリーの目的だから、ラストは脱出できておしまい…ということになり、観客は消化不良になる…と。それを補うために、作品の主張ポイントとは異なるけれど、派手な逃走劇やバトルを差し込む必要が生じるわけだ。本作もそういう流れ。
そして、SFにくせに科学的に矛盾していたり、理屈の通らない表現があったりするのも、この時代のSF作品の特徴だろう。まあその辺は、当時は力業で押し切れたけど、時代が進んで観客の知識も増えて、そうはいかなくなりましたよ…ってことなんだろうけど。
あの工場で何をつくっているのか…とか、その社会がどう維持されているのかを、架空とはいえリアルに描けていないのも気になる。まあ、“疎外”っていうのを表現しているといえばそうなのかも知れないが、その辺りがふわふわしていることに対する、観ている側のストレスは、けっこう大きくなると思う。
#そう考えると、そういう社会になった仮定や理由がある程度はっきりしているのは、『マトリックス』みたいに、優秀といえる。
THXの処分方法をめぐって、管理する人間同士が対立したり、予算超過どうのこうのと、人間臭いの部分が描かれているが、個人的にあのような部分を膨らませるべきだと思うし、そして、そこがTHXが突破できる要因に、明確にしたほうがおもしろくなったと思う。
“自由”の大切さをアピールした作品のはずなんだけど、若さをこじらせた…ってかんじかな。でも、これ(のベース)が学生時代の作品ってのは、いずれにしてもすごいこと。
公開国:イギリス
時 間:92分
監 督:デヴィッド・マッケンジー
出 演:ユアン・マクレガー、エヴァ・グリーン、ユエン・ブレムナー、スティーヴン・ディレイン、デニス・ローソン、コニー・ニールセン 他
コピー:五感が消えていく
ある日突然、嗅覚が失われる症状を訴える人が多発する。その症状は“SOS”と名付けられ、原因究明が急がれたが、感染経路などは一向につかめない。判ったことは、嗅覚を失う者は、その直前に深い悲しみに襲われるということだけ。感染者は全世界に広がっていく。そんな中、シェフのマイケルは“SOS”を研究する科学者スーザンと出会い、恋に落ちる。二人が結ばれたその時、スーザンは突然の悲しみに襲われる。そしてマイケルも同じように。翌朝、二人の嗅覚は失われ…てというストーリー。
センスが徐々に消えていくのに“パーフェクト”とはこれ如何に。
(以下、ネタバレ)
感覚が一つ消えるときには、ある種の感情が昂ぶるというのは、おもしろい。嗅覚が失われる前は悲しみがやってきて、味覚が失われる前には猛烈な食欲がやってくる。聴覚が失われる前には怒りが。
嗅覚は記憶と密接に結びついていて、嗅覚を失われるということは、記憶を失うこと…という考察も面白い。味覚を失った人々は食べることに興味を失うのか…というと、そうでもなく、クリスピー感や温度を楽しむようになったり、振舞うことやご馳走することに意味を見出す。
そして、感覚が失われていっても、行動様式を変えず、いつもどおりに振舞おうとするというのは、案外当たっていると思う。一方、一定数の人間が略奪を行うというのも当たっているだろう。逆に言えば、こんな感覚を失う症状にならなくても、ちょっとした不満で略奪に走る人は一定数いるわけで、人間はどういう苦難な状況になっても、普段と同じ行動をとるということになる。
で、ラストに何をもってくるのかと楽しみにしていたのだが、目が見えなくなった人は、愛の気持ちに満たされて、おそらくそのまま死んでいく…ってことでおしまい。
何が言いたいんだ?これ…
感染の差はあれど、みんな見えなくなるんなら、数日で人類は滅びるだろう。人は残された肌のぬくもりで、人の体温を感じ、そこに至福の喜びを感じる。交尾でからみあう蛇のように、より下等な生物が感じるような、即物的な快感だけが残される状態。
何で、これが“パーフェクト”なのかが、わからない。生き物たるものこのようにあるべきだと?感覚を失うことによって、人間本来の愛が研ぎ澄まされていくとでも言いたげなのだが、私には、むしろ人が人で無くなっているようにしか見えないのだが。
この展開の裏に、製作者の何らかの主張や視点は隠れているのだろうか。私には見つけられなかった。もう一回言う。何が言いたいんだ?これ…。それこそ、劇中に登場する一部の人のように、悔い改めよと警告しているのか?
SFストーリーの中で繰り広げられるシミュレートは面白い。しかし、その裏に一本主張の筋が欲しかった。このように、投げっぱなしで終わるのはいかがなものかと。何か釈然としない作品。あと、どういう要素を加えれば、面白くなったのだろう…と、考え込んでしまう。
#ちなみに、コピーは“五感が消えていく”となっているが、嗅覚、味覚、聴覚、視覚の四覚しか消えないから。
公開国:アメリカ
時 間:98分
監 督:リチャード・フライシャー
出 演:チャールトン・ヘストン、エドワード・G・ロビンソン、リー・テイラー=ヤング、チャック・コナーズ、ジョセフ・コットン、ブロック・ピータース、ポーラ・ケリー、スティーヴン・ヤング、マイク・ヘンリー、リンカーン・キルパトリック、ロイ・ジェンソン、レナード・ストーン、ウィット・ビセル、ディック・ヴァン・パタン 他
コピー:この恐るべき映画の結末はどなたにも話さないで下さい ニューヨーク2022年 超過密都市に巻き起る 恐怖のSF最新超大作!
2022年のニューヨーク。地球は人口過剰に陥り、人々は、一部の特権階級除き飢えに苦しんでいた。肉や野菜などの本物の食料を一般人は見ることすらできず、週一回のソイレント社がプランクトンから作った合成食品の配給で、細々と生きている。そのプランクトンも数も減っており、新製品の“ソイレント・グリーン”もうまく供給できないありさまだった。そんなある日、ソイレント社の幹部サイモンソンが殺害され、市警察殺人課の刑事ソーンが事件を担当することになった。サイモンソン宅には、ボディー・ガードのタブと、その部屋の家具の1つとして配置されている女性シャールがいたが、事件当時、サイモンソンの指示で買い物に出かけていた。ソーン刑事は、事件現場をみて物盗りに見せかけた計画殺人であること見抜くが…というストーリー。
女性が家具として扱われていたり、一部の特権階級以外は“食料”というものを見たことすらない社会という設定なのだが、正直、SFの設定としてはそれほど斬新ではないし、おもしろくない。職権乱用して金持ちの家から食糧などを奪うのも、小気味いいとも思わないし、その様子が面白いとも思えない。
そんな小ずるい人間のくせに、この社会の秘密を究明しようという一面もある…って感じなのだが、職務だからという以上に彼がその究明にモチベーションを発揮する、彼の内なる淵源がわからない。
もっと引っかかるのが、配給をもらうだけで労働をしてもいない人間が大量に存在する状況に、リアリティを感じられない点。
(ネタバレ)
プランクトンすらなくなってしまって、死んだ人間を食料にするしかなかったとしよう。でも、それを食べたからといって大量の人間を養い続けられるわけではなかろう。死んで→食糧にして→死んでというサイクルでは、どんどんロスが生じてあっという間に人口が減るだけじゃないか。
金持ちは、数が少ないながらも普通の食料を食べている。レタスが冷凍保存できるわけないんだから、どこかで細々と栽培は出来ているのは間違いない。でも、その少ない食料を生み出すために、一般人の労働が必要なわけではなさそう。じゃあ、特権階級にとってあの貧民たちを生かすことに、どういう意味があるのか。大半は、労働もせず配給を待っているだけである。そんな社会を、巨大なプラントをつくって死体を食糧化してまで、維持し続けなければいけない理由がわからない。存在の意味がないなら、面倒くさいことしないで、放置して殺せばいいだけじゃないか。
そういう整合性をきちんと考えて、話を作ってもらいたい。
食糧が足りなくなったから、人間を食糧にしている…というだけで、観客が素直に恐怖を感じたり驚いたりすると思っている了見が腹立たしくすら感じた。単に古臭いというだけでなく、設定の掘り下げが甘い気がする。
サスペンス仕立てになっているので、かろうじて鑑賞に堪えているが、シャールとの関係も事件の核心に迫ったら、あっさりとぶった切るという、シナリオの雑さ。死を望んだ人を安楽死させる施設とかも、意味がよくわからんし。つまらなかった。本当につまらなかった。
公開国:日本
時 間:89分
監 督:金田治
出 演:井上正大、小澤亮太、秋山莉奈、石丸謙二郎、戸谷公人、奥田達士、福士蒼汰、高橋龍輝、清水富美加、吉沢亮、渡部秀、高田里穂、山田裕貴、市道真央、清水一希、小池唯、池田純矢、鈴木勝大、馬場良馬、小宮有紗 他
コピー:全ライダーVS全戦隊 ついに大激突!
ヒーロー新世紀――史上最大のヒーローバトル!
ある日、門矢士(仮面ライダーディケイド)が突如、“大ショッカー”の大首領としてスーパー戦隊たちを攻撃し始めた。逆に、キャプテン・マーベラス(ゴーカイレッド)は“大ザンギャック”の大帝王に君臨し仮面ライダーたちを攻撃しはじめる。何故、仮面ライダーとスーパー戦隊が、大抗争を始めたのか。この謎を解くため、ジョー・ギブケン(ゴーカイブルー)、ドン・ドッゴイヤー(ゴーカイグリーン)、海東大樹(仮面ライダーディエンド)、泉比奈の四人はデンライナーに乗り込み、1976年のゴレンジャーの世界へ向かう…というストーリー。
金田監督の前作『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』はなかなかのデキで高評価してたのに、あっというまに駄作に落ちた。前作の目を見張るようなアクションは鳴りを潜め、中途半端なCGが多用されている。キャラの出しすぎで、個々のアクションに注力できなかったのだろうが、それにしてもこのレベルダウンはいったい何なのか。前作がラッキーパンチだったのか。
脚本も前作に引き続き米村正二。歴代仮面ライダーと歴代戦隊ヒーローを一気に画面に出すという、企画先行だったのはわかるが、プロットは最悪といってよい。
なんでデンライナーが1976年に戻ったのかといえば、テレビ局系列のねじれが解消された年だから。これによって仮面ライダーの局が移動してしまったため、NET(現テレ朝)は新たなヒーロー物を作らねばならなかった。それで生まれたのがゴレンジャー。いや、その事情とか歴史とかは事実だから別にいいんだけど、デンライナーのオーナーにその辺の事情を臭わせるメタなセリフを言わせるセンスがヒドい。大人も子供も置いてきぼりでおもしろくもなんともない。悪ふざけ。
(ネタバレ)
実は、ディケイドさんとマヴェちゃんの策略でした!って…。なんとなく整合性がとれてるように見えるけど、何か変。ディケイドとマヴェちゃん以外のライダーと戦隊ヒーローが散発的に殺し合いをするのは困るから、両陣営に事前に話は通ってないとおかしい。でも、オーズの反応を見ると、そうでもなかったりする。
でも、他のヒーローが事情を知っていたとしても、ゴーカイジャーの面々やディエンドが事情を知らせていない意味がわからない。彼らに知らせちゃうと、演技が下手だからバレちゃうとか、そんなこともなかろう。
もっと納得できないのが、ディエンドさんの狂気っぷり。別に、ビックマシンをお宝ゲットするのはよい。それはキャラにマッチしている。しかし、なんで、ライダーと戦隊の頂点に立とうとするわけ?そんなキャラじゃなかったじゃない。仲間はずれにされたから?意味不明だわ。なんで、これまで培ってきたキャラを壊すのか。
まだまだ、ディケイドと大ショッカー、それに電王をからめて、作品をつくることも可能だったので、これでダメになったと思う。
それにね、どうせやるなら、サブライダーも全部出しなっての。これを機会にアナザー・アギトも作り直せばよかったのに。なんか東映とバンダイの企画力に翳りが見え始めたかな。
公開国:アメリカ
時 間:113分
監 督:ティム・バートン
出 演:ジョニー・デップ、ミシェル・ファイファー、ヘレナ・ボナム=カーター、エヴァ・グリーン、ジャッキー・アール・ヘイリー、ジョニー・リー・ミラー、クロエ・グレース・モレッツ、ベラ・ヒースコート、ガリー・マクグラス、イヴァン・ケイ、スザンナ・カッペラーロ、クリストファー・リー、アリス・クーパー、ウィリアム・ホープ 他
200年前、リバプールからアメリカに移住したコリンズ家は、水産加工業で財を成し、町の名前になるほどの名士となった。成長した息子のバーナバス・コリンズは、コリンウッド荘園の所有者となり、裕福な暮らしを謳歌していた。プレイボーイだった彼は、使用人のアンジェリークと深い仲になりながらも、彼女を無碍に振ってしまう。実は彼女の正体は魔女で、バーナバスの両親を呪い殺してしまうのだが、一時は悲しむものの、その後も彼のプレイボーイぶりは変わることなく、美しい娘と恋に落ちる。そんな彼を見てますます怒り心頭のアンジェリークは、更なる呪いでコリンズをヴァンパイアに変え、生き埋めにしてしまうのだった。それから200年たった1972年。彼はふとしたことで墓から開放され、コリンウッド荘園に向かう。しかし、コリンズ家はすっかり没落してしまい、爪に火を灯すような貧しい生活をしており…というストーリー。
ここ数年のティム・バートン作品は正直ひいき目で観ていた。大好きだったことのティム・バートンはいなくなっていた。しかし冒頭から、生臭そうな魚、かぼちゃ、岬の木、青白い空間。もう、あのことのバートン臭が漂っているではないか。バートン臭は女性キャラにも感じられる。支配欲の強い美女、薄幸で清楚な乙女、とっつきにくが親近感のあるおてんば娘。まさにバートン作品の女性類型。そして、嫁(籍は入ってないけど)の扱いがぞんざいなのは、昨今の傾向(いい意味で)。
#ちょっと女性キャラが多すぎな気はするけど。
そして、コメディの主人公でありながら、あっさりと何の罪も無い市民を惨殺する、容赦無さ。そうそう、このモラルの境界線が人外なノリが、魅力なのだ。
この手のバートン作品は、最後はうやむやのドタバタで終わる傾向が強かった。でも、本作は、きっと『マーズ・アタック』のようにいい感じで終わってくれるはず! だって、ばあちゃんがいるからね…なんて思っていたら、突然、狼娘が登場!思わず「説明、説明!」と叫んでしまうほど唐突(一応、説明はしてくれたけど)。なかなか弾けてくれたので良しとしたいところだが、その分、ばあさんは全然活躍しなかったのはちょっぴり不満(笑)。
200年の世界のズレみたいなものにスポットを当てたコメディにもできただろうし、没落した一族を盛り返す逆転劇のにもできただろう。また、センチメンタルさを強調して『シザーハンズ』や『ビッグフィッシュ』、はたまた『コープスブライド』のようにウェットな作品にもできただろう。しかし、結果的にいずれにも寄せるなかった。軽妙で飄々としたノリを維持し続けてくれたことで、昔の雰囲気を復活させつつも、過去のいずれの作品とも違う雰囲気に仕上がっている点を評価したい。
ああ、あの頃の、ティム・バートンが帰ってきてくれたな。家庭が安定して、好きなものをただただ作品にぶつけていた頃に戻れているんだなと、嬉しくなった。
#はじめ、クロエたんだってわからなかったな。成長著しい。
公開国:アメリカ
時 間:103分
監 督:スティーヴン・ヘレク
出 演:エミリオ・エステヴェス、ジョス・アックランド、レイン・スミス、ハイジ・クリング、ジョセフ・ソマー、ジョシュア・ジャクソン、エルデン・ラトリフ、マーガリート・モロー、ジョン・ビーズリー、マット・ドハティ 他
ミネソタ州ミネアポリスの若手弁護士のゴードンは、どんな強引な手を使ってでも裁判に勝つことに執着する男。その日も、判事の弱みに付け込むような手段で勝利を収め、意気揚々と事務所に戻ってきたが、そんな態度をボスに戒められてしまう。気分を害したゴードンは、雪道を酒を飲んで運転、スピード違反で捕まってしまう。自分のスピード違反の裁判も真っ向戦うと主張するゴードンに対して、ボスは訴訟で戦わずに、500時間の社会奉仕を受け入れるよう命じるのだった。その内容は、地元の少年アイスホッケチームのコーチをするというもの。実は、ゴードンは子供の頃にアイスホッケーの選手だったのだが、優勝を賭けた試合で大失敗をしたせいで優勝を逃してしまうという苦い経験をしており、これまでホッケーとは関わらずに生きてきたのだ。そして、負けることを極端に嫌う性格も、そのときに生まれたものだった。おまけに、彼がコーチをすることになったチームは、まともに得点したこともない弱小チームで…というストーリー。
意外と評価の良し悪しが真っ二つに分かれる作品だったりする。私は、キッズスポーツ映画として最高峰だと思うのだが。
フィギュア選手のスピンや、Vウィング作戦とか、子供だからこそ許容できる奇を衒った作戦なのだが、だからこそ興醒めもせず、ホッケーのルールがわからなくても十分に愉しめる。
また、『ハイランダー』と同じく、クイーンの曲が使われているが、“マンガ”的な内容の作品とクイーンのマッチぶりは異常。実に盛り上がる。
ゴードンが子供の頃のコーチで今もその名門チームでコーチをやっている男、そいつの憎たらしいこと。勝利至上主義のアメリカにあって、その権化ともいえるコーチがすっかり悪役なのはおもしろい。
そんな相手コーチの態度がトラウマになっているならば、ゴードンのコーチっぷりはさぞや清廉潔白なんだろう…と思うが、そんなことはない。子供たちに、わざと痛がって相手にペナルティをつけろだの、似たようなことをやらせる。子供への教育とは恐ろしいものである。
さらに、自分の法律事務所のボスも、途中から悪役に変転。なんと事務所をクビになってしまうという展開。ポンコツチームが成長していく過程も面白いが、主役ゴードンが変わっていく様子がおもしろい。途中で、子供たちに有名な選手(かつてのチームメイト)と合わせることで力をつけようとするのだが、実は自分の中にもホッケー愛が燻っていたのを見つけてしまうんだな。チームの子供の母親といい仲になっていたのが、普通の映画の終わり方ならば、それと結ばれておしまいって展開になりがち。でも、何と、ホッケーのマイナーリーグに挑戦するという、予想を上回る展開に。
弁護士事務所のボスも、ギャフンと言わせられなかったのは、シナリオ的にちょいと不満だが。
その後、マイティ・ダックスというホッケーチームが実際にできてしまったくらいなので、当時のアメリカ人の心をがっちり掴んだんだろう。私、ホッケーのルールもまともに知らないくせにダックスのユニフォーム欲しかったもの(2万円近くして買えなかったけど…)。
日々の仕事の煩わしさを忘れて、ちょっと心が洗われて、元気も貰える。子供に一度は観せたい作品の一つ。
公開国:アメリカ
時 間:111分
監 督:ポール・マクギガン
出 演:クリス・エヴァンス、ダコタ・ファニング、カミーラ・ベル、クリフ・カーティス、ジャイモン・フンスー、ジョエル・グレッチ、ニール・ジャクソン、コリー・ストール、スコット・マイケル・キャンベル、マギー・シフ、ミン・ナ、ネイト・ムーニー、 コリン・フォード 他
コピー:未来を、動かせ。
第二次世界大戦時のナチスによる超能力兵士育成プログラムは、その後世界中の国家に活用され、歴史的な事件の裏には超能力者の存在があった。やがて、超能力者の兵器化を推し進めるための極秘政府監視機関“ディビジョン”が設立されるが、一部の超能力者は政府からの支配を逃れるため、身を隠して生活していた。幼い頃、父親をディビジョンに殺された、念動力を持つ青年ニックは、ディビジョンの追跡を逃れ香港で暮らしていたが、遂にディビジョンの能力者達に隠れ家を発見されてしまう。再び逃亡しようとするニックの前に、ディビジョンに母親を奪われた予知能力者のキャシーが現れ、「600万ドルのケースを持ってディビジョンから逃げている女を探さないと大変な事がおこる」と告げる。一度は断ったニックだったが、再びディビジョンが送り込んだ能力者たちの襲撃を受け、キャシーに協力するしかなくなり…というストーリー。
ありがちな超能力バトルのお話とは思いつつ、声の振動で物を破壊したり、物を隠すシャドーの能力など、なかなかオモシロかった。しかし、メインキャストが持っている“PUSH”の能力と“MOVE”の能力が万能すぎる点。これは、ちょっとセンスがないなと。PUSHは相手にどんなことでも刷り込んで思い込ませることができるのだが、これは万能すぎる。ほぼ何にでも利用できてしまう。またMOVEも、あまりにも好き勝手に動かせすぎ。動かすだけじゃなく、銃弾をバリアまでしてしまう。動かすこと以上に、高速な銃弾を捕捉できるほうがスゴイ能力じゃないか…。バランスが悪すぎる。この二つの能力には、発動条件の制約や、弱点を設けるべきだった。制限が無いせいで、敵と見方の陣営に、それぞれ同じ能力をもったキャラクターを据えなければならないハメになっている。
『幻魔大戦』か『ジョジョの奇妙な冒険』かって感じだけど、能力の設定の掘り下げがイマイチ甘いな…と。
で、なんでPUSHの能力がタイトルになっているのか…。観始めたときは疑問だったのだが、最後のオチになっているからだった(まあ、そこは観てくだされ)。ただの、ありがちな能力者バトルで終わらずに、記憶消去の能力者をうまくつかった、謎解きトリック(といえるほどの物ではないのだが)を絡めた点。そして、三つ巴のバトルにもっていた流れなどは評価したいと思う。
『X-MEN』みたいに能力がインフレしていないのも評価したい。ロシアの『ナイト・ウォッチ』『デイ・ウォッチ』に近い感じ。そっちは3部作といいつつ、2作目で映画は止まっているから、本作もシリーズ化すればいいのに…と思いつつ、興行的にはかなり怪しい気もするので、なんとも。
香港の雰囲気を異世界のようにうまく使えているし、MTV的なアクションシーンのカット割りや音楽の使い方も、好みじゃない人は一定数いるとは思うが、作風にはマッチしている。DVDのパッケージ画像は、なかなかのB級臭を漂わせてくれているのだが、まあまあの出来映え。
#それにしても、ずいぶん“ヘッポコ”が多い吹き替えだなぁ(笑)
公開国:イギリス
時 間:110分
監 督:ロジャー・ドナルドソン
出 演:ジェイソン・ステイサム、サフロン・バロウズ、リチャード・リンターン、スティーヴン・キャンベル・ムーア、ダニエル・メイズ、ピーター・ボウルズ、キーリー・ホーズ、コリン・サーモン、ピーター・デ・ジャージー、ジェームズ・フォークナー、シャロン・モーン、アルキ・デヴィッド、アリスター・ペトリ、マイケル・ジブソン、ジョージア・テイラー、デヴィッド・スーシェ、ハティ・モラハン、ルパート・フレイザー、クレイグ・フェアブラス、ジェラード・ホラン、ミック・ジャガー 他
コピー:封印された英国史上最大の銀行強盗事件──これは実話である。
奪ったブツは、キャッシュとダイヤと王室スキャンダル。
1971年のロンドン。中古車店を経営するテリーは、借金の返済を迫られる苦しい日々。そんな時、知り合いのマルティーヌから、強盗計画を持ちかけられる。その計画とは、ロイズ銀行では設備の交換を行う予定があり、警備の設備も解除されるその間に貸し金庫を襲おうというもの。一瞬戸惑いはしたものの、家族のために実行を決断。仲間を集め準備する進めるのだった。実は、その貸し金庫には、現金や貴重品ばかりが納められているわけではなく、とある“秘密”も保管されているのだった。マルティーヌは、空港で麻薬密輸犯として逮捕されるのと引き換えに、この“秘密”を入手することを、とある組織に命ぜられていたのだった。しかし、かつてはヤバい仕事に手を染めていたテリー。マルティーヌの不穏な動きから、この計画の裏に何かあると睨み…というストーリー。
王室スキャンダルを秘密裏に葬り去りたい国家諜報組織、そのスキャンダルをだしに金を強請りたいテロ組織、そのテロ組織協力する売春組織、その売春組織と持ちつ持たれつの警察組織。それに、国家諜報組織に弱みを握られ利用されるマルティーヌ、そのマルティーヌから強盗を持ちかけられ参加するテリーら男たち。そして、その強盗を阻止しようとするまじめな警察官たち。6陣営にもおよぶ複雑な構図なのだが、うまくスッキリ説明できているのがすごい。
このストーリーが実話ベースだとは知らずに観ていた。エンドロールで実話だったことを知り驚愕。実際の王室の醜聞が、作品化されるなんてまずあり得ないと思いこんでいたからね。正に、事実は小説より奇なり(まあ、どこまで本当かはわからんのだけど)。
トランシーバーを落として、「ああ、こんなちゃちな演出で、警察に捕まっちゃうとかつまんねーなー」って思ったけど、逆に捕まらない演出とか、なかなか巧み。アマチュア無線で情報が漏れたところなんかは、おそらく事実なんだろうけど、トランシーバー落とすところなんかは創作だろう。こういう事実を創作の融合がいい具合だ。
穴を掘って銀行の地下まで…なんて、ありがちな話なんだけど、強奪した後から、尻上がりに緊迫度を増してく盛り上がり方は異様。
ジェイソン・ステイサム主演なのでバリバリのアクションを期待していた人は裏切られるかも知れないが、それを超えるおもしろさがある。また、ジェイソン・ステイサムらしくない、実にスケールのでかい話だった(彼は小粒なストーリーの作品が多いからね)。かつ、最後の諜報機関と売春組織と警察さんを鉢合わせさせる作戦。ここは脚色なのかも知れないけど、実話クライム作品にしては、出色のウマい締め方だと思う。唯一後味が悪くなりそうだった、妻との話も、それなりにまとまってるし。
あまり、有名じゃないけれど、これは傑作。是非観るべし。
公開国:アメリカ
時 間:88分
監 督:モンス・モーリンド、ビョルン・スタイン
出 演:ケイト・ベッキンセイル、スティーヴン・レイ、マイケル・イーリー、テオ・ジェームズ、インディア・アイズリー、チャールズ・ダンス、クリステン・ホールデン=リード、ジェイコブ・ブレア、アダム・グレイドン・リード、キャトリン・アダムズ 他
コピー:新たな敵は、<人類>。
信頼していたビクターに騙されていたことを知り、その怒りから彼を粛清するセリーン。ハイブリットとなったマイケルと共に逃避行を続け、ヴァンパイアからもライカンからも追われる身となっていた。その後、人間社会は両種族の存在を公表し、明確に弾圧を開始。ヴァンパイアからもライカンの数は一機に減少することになった。セリーンも、結局人間に捕らえられ、以後バイオ企業アンディジェン社に冷凍監禁されるのだった。12年経ったある日、突然眠りから覚めたセリーンは、施設から脱走。マイケルの存在を捜したが、その過程で、生まれながらの混血種の少女イヴと出会い…というストーリー。
第4弾だけど、前作はビギンズ物だったので、実質3作目といってよい。2作目の『~ エボリューション』で自分の出自だけでなく、ライカンもヴァンパイアも同じ血筋だったという、なかなか無茶な展開を見せてくれた。そしてハイブリットの男を逃亡するというオチ。両種族から追われる展開で続けることもできなくはないが、さすがにつまらない(むしろ、そこで終わってくれたほうが潔かった気もするが)。
そこで、12年の眠りにつかせて、その間に両種族とも絶滅の危機に瀕する状態という、パラダイムシフトをおこして新展開に突入。むりやりな引っ張り方が『バイオハザード』シリーズを彷彿とさせる。
前作から妙に間が空いてしまったので、本作の冒頭では、1作目と2作目のダイジェストが流れる。たしかにこの説明がないと、思い出せないだろう。
対象としているターゲットの違いだけあって、基本設定は『トワイライト』シリーズとさほど変わらない。なんで、アメリカ人は、狼男一族とバンパイア一族の争いという構図が好きなのか。そして、その間に禁断の愛が生まれる展開が好きなのか。
おそらく、長らくアメリカ社会に横たわってきた、白人による黒人の迫害という構図が、無意識に投影されているからだろう。個々人の間では、うまく折り合いをつけていることもあるし、好意が生まれることすらあるが、公式には両陣営は立場を分かつべきものとされており、生まれた親和や愛情も、そういう社会構図によって最終的には霧消していく。ライカンもヴァンパイアも同じ血筋だったという展開も、これも、白人も黒人も同じ人間で、その間の争いなんてものは、実に空しいもの…という主張を遠まわしに表現したものだと思う。
蒼黒い世界の中に、凛と立つセリーン。そのケイト・ベッキンセイルのはっとするような美しさが、異常なほどに際立っていたのだが、本作では、美貌の劣化が否めない。その分、アクションで…と思うわけだが、ライカンの動き(フルCG)も劣化してしまっている。興醒めするくらい動きが悪い。
太陽に当たっても大丈夫になっちゃっているので、以前の耽美というか陰湿というか、そういう世界観の中にあるスリリングさも薄れてしまったし。
ライカン、バンパイア、人間の三つ巴になるのかと思いきや、直接的なバトルという意味では、人間はあまり登場せず、結局は人間に化けたライカンと、生き残りバンパイアといういつもの流れに。まあ、こんなもんだろうという諦めはつくのだが、何をどうひっくり返しても、各種族が破滅する以外の道は、想像しにくく、最終的にこの“サーガ”はどうなっちゃうんだろう…という興味が涵養されないのが、本シリーズの弱いところだ。『バイオハザード』シリーズの6割くらいのおもしろさ…という評価が妥当かと。
もう、こんなに中途半端になるのなら、そんなアホな!ってくらいの、ムチャクチャな展開で終わってくれないものだろうか…と。
公開国:アメリカ
時 間:100分
監 督:アレックス・プロヤス
出 演:ルーファス・シーウェル、キーファー・サザーランド、ジェニファー・コネリー、ウィリアム・ハート、リチャード・オブライエン、イアン・リチャードソン、ブルース・スペンス、コリン・フリールズ、メリッサ・ジョージ 他
コピー:闇の都市に渦まく<謎>の複合体
バスタブの中で目覚めた男。何故自分がここにいるのか、自分が一体何者なのか、記憶が無い。バスルームから出て部屋に戻ると、ベッドの横には若い女性の死体が。そこに、電話が鳴り「早く逃げろ」の声。黒ずくめの男たちの手を逃れ、ホテルを思しき建物から脱出し、夜の街へ。微かに残る記憶を頼りに、色々な場所を訪れるが、一向に記憶は戻らない。そして、精神科医と名乗るシュレーバー博士や敏腕刑事のバムステッド警部、そして妻と名乗るエマと出会い、この街の何かがおかしいことに気付くのだったが…というストーリー。
ほとんどが夜のシーンで、寂れた街並みに味がある。また、謎の男たちや刑事たちに追われるハードボイルドな展開と、自分探しや世界の謎解きがうまく噛み合っている。こういう部分は非常に魅力的だと思う。
この世界は何なのか。自分が感じるこの違和感は何なのか。確信に近づけば近づくほど、謎の男たちの包囲網は狭まってくる。そして、自分の記憶が、リアルな記憶ではないのか?という疑念。この世界が作られたものなのではないか?という展開は、『マトリックス』によく似ている(まあ、本作のほうが前に製作されているが)。
リアルな街だと思っていた世界の、地面や建物がうねうねと動き出し、空間の上下が倒錯する世界。これは、『インセプション』によく似ている。これらに既視感を覚える人は多いと思う。
(ネタバレ注意)
その世界が、大昔の人が考えた“亀の上に乗っかっている世界”のように、宇宙空間にある領域であること。そして、何度も何度も繰り返している…という設定は非常におもしろい。ただし、超能力的な部分が、SF要素がうまくこれらに噛み合っているかはちょっと微妙。最も、ピリっとしないのは、宇宙人さんたちが、人間を隔離している理由。心が無いから、人間の“心”が何なのか知りたい…って、この原因がぼんやりしすぎだと思う。
いずれ地球を支配するために、人間の行動様式や特性、生態を深く知るための実験…でいいじゃないか。不必要にぼんやりさせるから、最後のバトルもぼんやりしてしまって、締りが無くなってしまったんだと思う。実験動物のような暮らしではなくなるのはいいとしても、結局、虚像の世界を生きていかねばならないという空しさも薄い。
妻エマとの間にある感情は、かりそめのものなのか、この世界に拉致される前からのものなのか、それとも何度も繰り返される中で生まれたものなのか。その辺が、効果的に使えていなかったのも残念に感じる。
キーファー・サザーランドはまるで彼じゃないような熱演だし、ジェニファー・コネリーもヌメっとした魅力をうまく表現していると思う。この湿度が高そうで閉塞した世界観は、好きな人はハマるだろう。それだけに、個人的にはもう一押し、もう一ひねり欲しかったところ。
宇宙人が一個の“群”であるところや、記憶がバクテリアみたいで“カクテル”できるなんていう設定はちょっと古臭いかな。
公開国:日本
時 間:99分
監 督:野村芳太郎
出 演:渥美清、長門裕之、左幸子、中村メイ子、高千穂ひづる、藤山寛美 他
幼少期に親と死別してからというもの、世間の厳しい風に晒されて生きてきた山田正助。ろくな教育も受けておらず、文字もカタカナ程度しか読めない彼は、いざこざをおこして服役していたこともある。そんな彼が兵役義務により新兵となる。多くの者は兵役を苦痛に感じていたが、正助にとって、三度の飯にありつけ屋根のあるところで寝られる軍隊は天国のようで、たとえ先輩が辛く当たっても平気だった。ある日、正助は、大演習の際に天皇の“実物”を見て、そのやさしそうな姿に天皇にほれ込んでしまう。やがて戦争が終わるという噂が流れ出す。軍隊から追い出されると危惧した正助は、天皇宛てに除隊させないように懇願する手紙を書こうとするのだが…というストーリー。
『拝啓総理大臣様』が野村芳太郎&渥美清コメディの三作目ということだったので、一作目を借りてみた。長門裕之演じる作家志望の戦友“ムネさん”が、狂言廻しのように、渥美清演じる“ヤマショー”を眺め続ける。
ヤマショーという男は、平時の社会ではまったく役立たず。文字が読めないだけでなく、地道な仕事すら満足にできる器用さを持ちせていないように見える。はっきりいって、言われたとおりのことをするだけの兵役も満足にこなせているとは言いがたい。
天衣無縫ともいえる彼に対して、中隊長は目をかける。藤山寛美演じる元代用教員の新兵・柿内に命じて、教育を受けさせるのだ。まあ、柿内との間に友情は生まれるのだが、それほど学がついたとは思えない。なんで中隊長は、ヤマショーを気にかけたのだろう。その辺は深く説明はされない。
柿内が少年雑誌が面白いと言っていた…と自腹で購入する。柿内にも見せるのかなと思ったら、のらくろにどっぷりはまって読みまくる。「のらくろはかわいそうだのぉ…」って、完全に子供。そういう幼少時代を過ごして来なかったであろう彼を、周囲は優しく見つめる。
なぜ、みんな彼を憎めないのか。放っておけないわけじゃない(事実、結構放って置かれるし)。正直なところ、半分は憐れみだと思う。そして彼の心の中に一切の悪意がないこと、腹に一物を置くということがないことを知ると、振り払う気力がなくなるんだと思う。もう、妖精のようだ。ムネさんの嫁さんも、はじめはヤマショーを煙たがるけど、早々に憎めなくなる。
いずれにせよ、兵役や戦争が終わると、ヤマショーとムネさんの関係は途切れ、また世の中がきな臭くなってくると、縁が生まれる。闇屋をやったり、開拓民になったり、死体引き上げの仕事をやったり、生きる術を模索し続けるがどうにもうまくいかない。やはり、“乱世”の中でしか生きられないのだ。本人の特性は平和そのものなのに、平和の中では生きられないという矛盾。
最後、第二次世界大戦が終わり、隣では朝鮮戦争がおこるものの、日本国内は平和。平時には役立たずのヤマショーだが、そんな彼も、伴侶となってくれる人と出会い、ようやく一人前になろうかというとき…。やはり彼は平時の世では生きられない。最初から最後まで、赤ん坊のような純な心のままで、去ってしまう。そんな純真な彼が愛して病まなかった天皇陛下に対して、かつて天皇へ手紙を書くことを諌めたムネさんが、最後に手紙を書くのである。
決して直球のコメディでもないし、かといって社会派の視点でシニカルになにかを語っているわけでもない。だけど、ヤマショーの性格のように、この映画自体が憎めない。なんとも不思議な気持ちにさせてくれる作品だった。『拝啓総理大臣様』以上に渥美清は生き生きしていた。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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