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公開国:イギリス
時 間:117分
監 督:ラッセル・マルケイ
出 演:クリストファー・ランバート、ショーン・コネリー、クランシー・ブラウン、ロクサーヌ・ハート、ビーティ・エドニー、アラン・ノース、シーラ・ギッシュ、ジョン・ポリト、ヒュー・クァーシー、クリストファー・マルコム、ピーター・ダイアモンド 他
1536年、スコットランド。コナー・マクロードが率いる高地の民“ハイランダー”は、黒い騎士“クルガン”が率いるフレイザー一族と戦う。コナーはその戦闘で死亡してしまうが、しばらくして蘇生する。村人たちはコナーが悪魔の力で蘇ったと考え、コナーを村から追放するのだった。その後コナーは、山奥に逃げ込み、そこでヘザーという女性と結婚し、幸せな生活を送る。5年経ったある日、コナーの前にスペインからやってきたラミレスという男が現れ、コナーも自分と同じく“不死の者”だと告げる。世界には複数の不死の者がおり、首をはねられない限り永遠の時を生きる存在で、かつてコナーを殺したクルガンもその一人だという。そして、未来のいつか“集合の時”が訪れたとき、不死の者たちは“究極の宝"を手にするため、最後の一人になるまで殺しあう運命にあると。その日から、コナーはラミレスから剣の手ほどきを受け、戦士として鍛え上げられていくが…というストーリー。
週刊少年ジャンプの匂いがする。剣を持った正邪の戦士が終結し争うという内容は、まるで『風魔の小次郎』の聖剣戦争編みたいだし、ラミレスとコナーの関係は、『ジョジョの奇妙な冒険』第二部のツェッペリとジョセフみたいだ。
ちなみに、『風魔の小次郎』の小次郎は、本作の製作年より前だけど、ジョジョの二部は本作より後(どっちがパクったとかパクってないとか、そういうことを言いたいわけではない)。
紀元前600年前に、マサムネという男が作った日本刀とか、いくらなんでもアホ設定すぎる~と思ったけど、後で、古美術に造詣の女性キャラが、「日本刀の歴史はせいぜい中世以降…」というセリフがある。判っていて、わざとトンデモ設定を放り込んでいるわけだ。そういうところも少年ジャンプ臭くていい(まるで民明書房だぜ)。
展開は、現代のニューヨークで“集合の時”に引き寄せられた戦士たちのバトルと、コナーを取り巻く女性たちの物語。そして、彼がこれまでどのように生きてきたのかを、交互に観せる。現代側だけだとかなり凡庸なのだが、この現在⇔過去の振幅が、なかなか味わい深い。第二次大戦で救った女の子のくだりは、もっと膨らませてもよかったと思うが、まあ、ロクサーヌとの兼ね合いもあるし、あんなもんだろう。
何故、音楽がクイーンなのか。なんでこんな所にショーン・コネリーを持ってくるか。それもエジプト人の役で。おもしろきゃそれでいいじゃないか。その勢いがものすごく楽しい。
後にTVドラマ化したようだが、まだいる不死の戦士をユニークな姿で出せばいいわけだし、そりゃ作りたくもなる。マンガチックな展開がお嫌いでなければ、とても愉しめること請け合い。
公開国:日本
時 間:86分
監 督:周防正行
出 演:本木雅弘、鈴木保奈美、大沢健、彦摩呂、田口浩正、近田和正、渡浩行、ポール・シルバーマン、入江則雅、徳井優、宮坂ひろし、ジーコ内山、大木戸真治、清田正浩、松本泰行、玉寄兼一郎、竹中直人、甲田益也子、菅野菜保之、村上冬樹、みのすけ、吉田マリー、吉田裕美子、浦江アキコ、大槻ケンヂ、東京スカパラダイスオーケストラ、半田麻由美、広岡由里子、原ひさ子、戸村由香、河合美智子、柄本明、小形雄二、岩松了、蛭子能収、河田裕史、佐藤恒治、布施絵里、岡本弥生、宮琢磨、大杉漣、宮本信子 他
大学4年生の塩野陽平は、ロックバンドのボーカルをやるなど楽しい日々を過ごしていたが、実家の禅宗の寺を継ぐために、山奥の明軽寺に修行をすることに決めた。修行は1年にも及ぶため、恋人の真朱は不機嫌に。明軽寺に向かう道で、なぜか弟の郁生と遭遇。弟は寺を継ぎたくないだろうと慮り、修行をする決心をしたのに、がっかりする陽平。気を取り直して入山するものの、待ち構えていたのはあまりにも厳しい修行の日々。しかし、先輩坊主たちのいびりに耐え続けると、次第に馴れてくる。先輩たちの手の抜き方も見えてきて、お寺ライフの楽しみ方もわかってくる。そんな中、かつてのバンド仲間のアツシが、就職した会社の禅寺修行研修にやってくる。陽平はは、真朱が元彼と再び付き合い始めたとアツシから聞かされ…というストーリー。
How To的な作品という意味では、伊丹作品の『お葬式』のようなテイスト。しかし、飲み口が優しくてすいすい飲めちゃうんだけど、けっこう度数は高いから酔っちゃうよねえ…的なカクテルのような作品。ああ、またTVでやってらぁ…と思いつつも、観始めたら、最後までするすると観てしまう。この、“軽さ”こそ、初期の周防監督の魅力である。この客を逃がさない吸引力は異常ともいえる。
お寺修行がテーマだし、最後は法戦なんだから、仏の心がどうのこうのと、それこそ抹香臭い話になりそうなものなのだが、わざと避けている感じ。
『お葬式』や『タンポポ』は海外でも愉しんでもらえそうな気がするが、本作や『シコふんじゃった』は海外ではウケない気がするのは何故だろう。もしかすると、このテーマへの直球の掘り下げがない部分が、そう感じさせるのかも。
主演の本木雅弘も映画初出演だったり、大沢健、彦摩呂、田口浩正とか、メインどころとしては、経験の浅い人ばかりキャスティングされている。荒削りさを生かしたかったともいえるけど、失敗したのときの逃げ道を作ったような感じもする。マンガ原作だし、スカパラや大槻ケンジを使うようなうわついたキャスティングも、その後の作品を観ると周防監督っぽくない。
やはりメジャー一作目としては、様々なステークホルダーの要求と折り合いをつける必要があったようだ。それでも、自分のやりたいことをしっかりと盛り込めているのはすごい。ロマンポルノでのデビューから、やっと巡ってきたチャンスを掴む、作風とは異なるしがみつくような貪欲さが伺える。
個人的な好みの問題なんだけど、鈴木保奈美という人の魅力がよくわからない。特段、美しいわけもないし、かわいらしいわけでもない。演技は一本調子だし、一人で作品の空気を乱しているようにも感じる。これが、役者として許される時代だったといえばそれまでだが…。バブルの空気感は許容できるが、本作での鈴木保奈美の存在だけは、どうにも。
まあ、いずれにせよ、快作。今になって、同時代の監督を比較しても、特出したユニークさとテイストのブレ無さだと思う。
公開国:アメリカ
時 間:86分
監 督:サム・ライミ
出 演:ブルース・キャンベル、エレン・サンドワイズ、ベッツィ・ベイカー、ハル・デルリッチ、サラ・ヨーク 他
5人の男女が休暇を過ごすために、テネシー州の深い森の小屋を訪れた。不穏な空気が漂っているものの、楽しく過ごそうとする面々。しかし、夜、地下室へ通じる戸が急に撥ね上がる。不審に思ったスコットとアッシュが地下へ降りると、そこには、古い探検、テープレコーダー、“死者の書”というタイトルの本を発見する。テープには、死霊の研究をしていた学者の研究成果が録音されており、死霊を呼び出すことに成功するものの、逆に死霊に襲われてしまったという内容だった。さらにテープには、呪文が録音されており、その呪文のせいで小屋の周りの死霊が蘇ってしまう。アッシュの姉のシェリルは、庭の木に絡みつかれ、枝に襲われてしまうが、必死で脱出。半狂乱になったシェリルは、森から出ると言い張り、アッシュと二人で車で脱出する。しかし、途中の橋が壊れており脱出できず、小屋に戻るしかなかった。しかし、小屋に戻ると、シェリルが死霊にのり移られてしまい…というストーリー。
サム・ライミのデビュー作。若い男女が休暇で森で過ごす…っていう基本パターンや、音で驚かす手法なんかも、1980年製作の『13日の金曜日』のほうが先で、特に目新しくはない。
これが自主制作映画であることを前提に観れば、そりゃぁ映画愛満載で、胸が熱くなるのは間違いない。この荒削りな情熱、形にするパワーは尊敬に値する。予算が無いが故に、偏執的ともいえる特撮の手の加え方や、独特なカメラワークなど、技術で補った点は好感が持てる。
乗り移られた女性たちは閉じ込められて、悪態をついたり、隙あらば攻撃してくるんだけど、姉や恋人なもんで、スカっと殺すわけにはいかない。もしかしたら戻るかもしれないしね。だけど、そうも、その辺の心の機微まではうまく表現できていない。それにしても、役者のレベルが低いのはもうちょっとなんとかならなかったのかと。あまりにも大根役者すぎる。
最後はカオス状態になっちゃうけど、それまでは、のり移られるのは全部女性だけなんだよなぁ。なぜか襲われるのは男性という構図。はじめは躊躇するものの、最終的には、ぐっちゃり殺めておしまい。サム・ライミたちは、何か女性にトラウマでもあったんかいな…と。
ちょっと、グロ系のホラーを観すぎたせいかもしれないんだけど、当時としては気色悪さ満載だったのかもしれないが、現在の特撮・CG技術と乖離がありすぎて、陳腐さ極まりなく失笑の連続。失笑が漏れる度に、ストーリーへの没頭が阻害される。
なにか古代の霊みたいなことらしいのだが、結局なんだったのか、掘り下げられることはないし、特に後半は、退屈な演出で飽きてしまった。実は、何度も眠ってしまって、7回以上、寝て→目覚めて→あ~いかんいかん、巻き戻し→寝て…を繰り返し。
『スパイダーマン』のおかげでメジャー監督になってしまったけど、元々は究極のB級監督だったからね。一昔前なら、笑えるB級映画だったんだけど、ちょっと時代に置いてきぼりをくらって笑えなくなってしまい、カルトムービーと呼ぶのも難しくなってしまった。
今でも面白い作品…というよりも、歴史的価値のほうが大きくなってしまったかな。
公開国:アメリカ
時 間:105分
監 督:アミ・カナーン・マン
出 演:サム・ワーシントン、ジェフリー・ディーン・モーガン、ジェシカ・チャステイン、クロエ・グレース・モレッツ、ジェイソン・クラーク、アナベス・ギッシュ、シェリル・リー、スティーヴン・グレアム、ジェームズ・ヘバート 他
コピー:絶対に救い出す――。
テキサス州の郊外にある“キリング・フィールズ”と呼ばれる湿地帯では、多くの死体が発見されることで有名で、その多くが未解決となっていた。ニューヨークから転属してきたブライアン刑事は、相棒のマイクとのコンビで犯罪多発地区での捜査を行う日々。今は、住宅街で起きた少女の殺人事件を担当しているが、一向に手がかりが掴めずにいた。そんな中、連続少女失踪事件が発生。地道な捜査の末、有力な容疑者が浮かび上がった矢先、ブライアンが気にかけ面倒を見ていたリトル・アンという少女が誘拐されてしまい…というストーリー。
監督のアミ・カナーン・マンは、『ヒート』『コラテラル』のマイケル・マンの娘らしい。だけど、父親の作風に近い部分はみられない。というか、作風云々の前にシナリオが良くない。ちなみにマイケル・マンは製作。脚本のチョイスが悪いのは、父親のせいじゃないのかな(笑)。
実在の事件がベースらしい。携帯電話が通じない地域で、少女の連続殺人が発生する。クロエ・モレッツ演じる少女は、家庭環境がヒドく、ちゃんと生きようとしても如何ともしがたい状況。逃げ場所のない郊外の町では、夢も希望もないのだが、そこを主役の刑事が手を差し伸べようとする。クロエ・モレッツを軸に展開するのかとおもったら、しばらく出てこなくなって、「あれ、クロエたんは単なる宣伝目的のキャスティングか?」と。
マイケル・マンなら、そういう家庭環境に問題のある少女や、捜査の手が届かないような無法地帯を扱うならば、社会的な目線というかメッセージを盛り込むと思うのだが、この娘には、そういう視点が弱い。
主人公の同僚とその元嫁のすったもんだがはじまり、並行して猟奇的な事件が発生する。事件を軽く考える同僚と、これはなにかヤバい事件だと警告する元嫁(元嫁も管轄の違う刑事)。主人公もこりゃなんかヤバいぞ…と思い始めるが、そうなると同僚と軋轢が生まれ…と、人間ドラマの線が加わる。
この手のサスペンスだと、“犯人は誰だ!こいつあやしい!”とか、そういう視点があってしかるべきなんだが、そういう楽しみが皆無。犯人をいってしまうとさすがにつまらないからいわないけど、その犯人ってなんやねんって感じ。
思い出したように、クロエたんが再登場し、唐突に拉致されるが、その犯人がクロエたんを処分しようとする理由もよくわからんし、結局うまく描ききれていないと思う。
あっちえいったりこっちへいったりするシナリオなくせに、抑揚もメリハリもないし。題材としては悪くはないはずなのだが、ひどい出来映え。主人公の真のやさしさみたいな部分も描ききれていないから、最後、ほっとするようなこともない。観客に何を見せたいのか、しっかり狙いを定め、腰を据えて製作してほしい。この監督は表現力が無さ過ぎる。駄作。
普通は、日本で公開されるレベルじゃない。やはりそこは旬のクロエたんのおかげか。
公開国:アメリカ
時 間:95分
監 督:ジャレッド・ヘス
出 演:ジョン・ヘダー、エフレン・ラミレッツ、ジョン・グライス、アーロン・ルーエル、ディードリック・ベーダー、ティナ・マジョリーノ、サンディ・マーティン、ヘイリー・ダフ、トレヴァー・スナー、ションドレラ・エイヴリー、エミリー・ティンドール 他
受 賞:【2005年/第14回MTVムービー・アワード】作品賞、音楽シーン賞(ジョン・ヘダー)、ブレイクスルー演技賞[男優](ジョン・ヘダー)
アイダホの田舎町。祖母と惹きこもりぎみの兄キップと3人暮らししているナポレオン・ダイナマイトは、ルックスが悪く、冴えない性格のため、変人扱いされイジメられる学校生活を送っている。ある日、祖母がバイク事故で入院してしまう。兄はチャットに夢中で役立たずだし、祖母の指示でやってきた叔父リコモも高圧的な態度でナポレオンを罵るばかりで、ストレスは募るばかり。そんな中、メキシコ人のペドロ転校してきて友達になるが、突然生徒会長に立候補すると言い出したため、ナポレオンも応援することになったのだが…というストーリー。
いうまでもないが、邦題の『バス男』は、『電車男』が流行っていたからつけただけ。本作でバスが出てくるのは、冒頭で主人公が登校する時に乗っているシーンと、兄が恋人と旅立つときに出てくるだけ。バスはストーリーの主筋とは無関係。ナポレオンの立ち姿の後ろにバスが堂々とコラージュされているDVDジャケット画像は、客をナメた仕事だと思う。この邦題をつけた会社は、映画の神の罰が当たることだろう。
内容は、ウェス・アンダーソンの『天才マックスの世界』に近い感じか。ただ主人公は目立った才能はない上に、キモいというか愚鈍である。周囲の人間も愚鈍な人間ばかり。学校でイジメられているといっても、イジメている方も、ただの田舎の乱暴物というだけ。どこを見渡しても、町中パっとした人がいない。向上心というものが皆無な町なのだ。イケてると思われている人ですら、実にダサい。
とにかく、エッジの効いた部分がない印象。
そんなところに、見た目はナポレオンと同様に愚鈍極まりないメキシコ系のペドロがやってくる。しかし、彼は、いきなり生徒会長になろうという向上心を示すわけだ。じゃあ、それに奮起して、ナポレオンたちは彼を必死に応援するのか?たしかに応援はするが、援護になってるんだかどうかわからないような…。
口コミで話題になり全米でヒットしたとのことだが、そんなレベルの内容ではない。日本で未公開なのも理解できる。そんなグダグダというかダラダラというか、ピリッとしない展開の繰り返しが、なぜか心地よい。そんな愚鈍な彼らに対して、「まあ、自分もそんな時あるしな…」という同情というか共感が湧いてくるのが不思議。
もう、最後のダンスなんか、逆転劇とかじゃなくて、煙に巻かれた気分になる。
この監督が意図したかどうかはわからないが、この珍妙なノリは一見に値すると思う。この作品の後に『ナチョ・リブレ 覆面の神様』の脚本・監督を手掛けたが、本作のような空気感が作れていなかったところをみると、偶然なんだろうな。
公開国:イギリス
時 間:105分
監 督:フィリダ・ロイド
出 演:メリル・ストリープ、ジム・ブロードベント、オリヴィア・コールマン、ロジャー・アラム、スーザン・ブラウン、ニック・ダニング、ニコラス・ファレル、イアン・グレン、リチャード・E・グラント、アンソニー・ヘッド、ハリー・ロイド、アレクサンドラ・ローチ、マイケル・マロニー、ピップ・トレンス、ジュリアン・ワダム、アンガス・ライト 他
受 賞:【2011年/第84回アカデミー賞】主演女優賞(メリル・ストリープ)、メイクアップ賞(J. Roy Helland、Mark Coulier)
【2011年/第78回NY批評家協会賞】女優賞(メリル・ストリープ)
【2011年/第69回ゴールデン・グローブ】女優賞[ドラマ](メリル・ストリープ)
【2011年/第65回英国アカデミー賞】主演女優賞(メリル・ストリープ)、メイクアップ&ヘアー賞
コピー:世界を変えたのは、妻であり、母であり、ひとりの女性だった。
英国史上初の女性首相の栄光と挫折、そして最愛の夫との感動の物語。
亡くなった夫の幻覚を見るほど認知症が悪化している86歳のマーガレット・サッチャー。そんな彼女が、自らの人生を振り返る。雑貨商の家に生まれたマーガレットは、市長も務めた父の影響で政治家を志すが、初めての下院議員選挙に立候補するが落選。そんな失意の彼女に、実業家のデニス・サッチャーがプロポーズして、結婚に至る。子どもにも恵まれ、幸せな家庭を築く一方、政治への意欲は失われることなく、やがて下院議員に当選する。男性ばかりの世界に飛び込んだマーガレットは、その強靭な意志で立ち向かい、政界での地位を高めていくが、その一方で、夫や子供たちの時間を犠牲にしていく。しかし、失墜した英国を再建するために、保守党の党首選に立候補する…というストーリー。
本作で複数の受賞をしたメリル・ストリープ。似ているのはメイク技術の賜物だが、それ以上に、皮膚がタレ気味の顔の中にある、女性的な眼差しと刺すような眼光が目まぐるしく変わる表情は、まさに本人のそれ。もうメリル・ストリープにかかったら、ちびまる子ちゃんでも演じきれるんじゃないかと思うくらいだ。そろそろ映画賞は、殿堂入りしてもいいんじゃないかと。演技が似ているかどうかなんか、観始めた途端に気にならなくなるレベル。
また、初立候補の頃を演じている女優さんも、よく似ている。こちらは演技というよりも、本当に似ているかどうかでキャスティングされているようだが、演技も決して悪くない。
ご存命ながら認知症を患っているという状況で、さらに、当然劇中に登場する子供たちは、決して品行方正とは言いがたく、よく映画化が許されたものだと思う。これは、今、サッチャーを扱うことに意味があると考えて、製作されたものと思われる。なんといっても、鳴り物入りでスタートしたユーロが、世界経済崩壊の引き金か…と騒がれるようになろうとは、誰が思ったか(私は思ってたけど)。この局面で、彼女にスポット当てることに意味があるわけだ。
本作では、夫が政策のフィクサー的な役割をしていたことは一切触れていない。むしろ、政治に没頭していく妻を我慢してささえていただけに描かれている。それは、この映画が今公開される意味とは、無関係だからオミットしたということに違いない。
劇中で、サッチャーは、ユーロ圏参加を頑なに拒否する。ポンド経済は健全であると。単なるプライドのように聞こえるかもしれないが、経済圏が巨大になったからといって、経済が健全に活発化するわけではないことを見抜いていたのだと思う。
だから、FTAだTPPだなんて、推進しようとしている輩はアホなのである。もし、日本の農業を強くしたいのであれば、補助金で保護する以外の、健全な競争力を身につける政策を実行するればいいだけのことであって、それもなしに自由経済の荒波に放りこむなど愚の骨頂なのである。あるべき経済状態を実現したいのか、国民の生活を豊かにしたいのかどっちなのだ?ということ。昨今話題の維新の会はTPP推進派らしいけど、その主張は間違い。TPPに参加して、自由競争にもまれてはじめは苦労するだろうけど、時間が経てば健全な競争力が身に付くと思っているんだろうが、それは“モデル”の中での話し。実際の人間は、“次第に健全化していく”間に死んでしまう。理論と実際の違いを理解できていない。
大体にして、大阪で再建を託された人間のくせに、それを達成しないうちに、国政に色気を出す感覚が理解できん。まず、はじめに託されたことをこなせ。愚か者どもめ。
#別に維新の会が大阪でやろうとしていることに文句があるわけではない。大阪でやっていることは賛同しているのだが、国政の舞台を見据えた彼らの行動は、途端に陳腐になっていく。
閑話休題。
日本のバブル期の国営企業の民営化などは、サッチャーの政策の真似っ子だったんだな…とよくわかる。しかし、移民政策や医療保険制度などは真似しなかった。いいとこ取り。そう意味では、70~80年代の日本の官僚は優秀だったといえる。
サッチャーも徹頭徹尾、新自由主義を振りかざしていたわけではなく、失業率に歯止めをかけられなくなると、金融緩和政策などを実施した。自由経済主義を展開していたサッチャーが、マクロ経済政策に手を染めたものだから、自由主義学者たちはサッチャーを非難する。自由主義経済学者とケインズ主義は相対してきたが、どちらが正しいということではない。経済というのは、自由主義が有効な時期とマクロ経済政策が有効な時期が、呼吸をするように繰り返すのである。
残念ながら、著名な経済学者といっても、そんなことも気付かないレベル。サッチャーがそれをわかっていたのか、肌で感じ取ったのかはわからないが、その慧眼と決断力はすばらしいと思う。
それ以上にイギリスと日本の国民性の差が大きいか。おとなしいだけかもしれないけど、その猶予というか我慢のおかげでそれなりに効果が表れるのを様子見できる期間が生まれたと思う。イギリスみたいに、ちょっと国民の負担を増やそうとしようものなら、デモなんだか暴動なんだかわからない状態になる国民とは違うからな。正直、日本に生まれてよかったなと思う。
ちなみに、彼女が掲げた人頭税だが、私は正しいと思う。多くの人は、貧しい人からも税金を取るのか!と怒るかもしれないが、国民が国民として国を担っていることを強く意識させるために、納税は絶対必要。100円でもいいから、日本国民であるならば納めるという儀式が必要だと思う。根本的に、納税と社会保障が別にすべきなんだけど、実際は徴収のコストや、控除の仕組みなんかで一緒くたにせざるを得ないんだけどね。
死に体だったイギリス経済が、フォークランド紛争によって絶頂を迎えるという、そりゃあ、アメリカが定期的に戦争を吹っかけるわけだ。さて、日本も、小島の領有権をめぐる紛争を二つも抱えているけど、どうなるかな?戦争はしなくてもいいから、海上保安隊や自衛隊の設備や人員を増加すると、景気に(それも内需に)影響があるんだろうね。
政治経済に興味がある人とない人では、まるで、面白く感じるポイントが異なる作品だと思う。正直、一女性の人生の物語と考えると、それほどおもしろい作品ではないだろう。彼女のまっすぐな思いが、一国の経済をどう変えていくのか。神でも魔法使いでもないのだから、こうすれば成功するという確信はもちろんない。でも、彼女が貫いていた“国家とはこうあるべき”という思い、そしてそれに応えたかのような世界の潮流に、改めて驚きと感慨深さを覚えた。
とにかく、この作品を観れば、日本の民主党なんぞ、箸にも棒にもかからないと思うこと必至。お薦め。
公開国:日本
時 間:90分
監 督:野村芳太郎
出 演:渥美清、山本圭、壺井文子、長門裕之、横山道代、原知佐子、宮城まり子 他
元漫才師だった角丸は、師匠鶴松の葬式の場で、もう一度芸人として生きて行こうと心に決める。角丸の元相方が、ムーランという芸名で妻のルージュと組んだ時事漫才“拝啓総理大臣様”が大当たりして、売れっ子のテレビタレントになっていたので、彼を頼って上京することに。東京についた角丸は、ムーランに会いに行くが、彼は妻ルージュに浮気の尻尾を捕まれ大騒動中。昔のよしみで芸能事務所の紹介状を書いてもらったものの、結局紹介された仕事は、ヘルスセンターのボイラー焚きの仕事。どうしても芸人の仕事がしたい角丸は、ふてくされてヤケ酒の日々。そんな中、黒人と日本人のハーフのアヤ子と出会い…というストーリー。
『砂の器』や『八つ墓村』の野村芳太郎のコメディ。たしかに野村芳太郎らしいマットな色合いだし、しゃがんだり背伸びできる範囲からのカメラアングルという、まるで自分がそこにいるような感覚になる画角は特徴的。ヌケの力のある監督だと思う。
この作品の前に『拝啓天皇陛下様』『続・拝啓天皇陛下様』という渥美清主演の作品があり、三部作とのこと。観る順番を間違えたか。
まるで渥美清が総理大臣に物申すみたいなジャケット写真だけど、そういう感じではない。渥美清演じる角丸の元相方がそういうネタをやっていて、すごく人気があるっている設定。わざわざそれを映画の題名にするほどストーリー上重要ではない。前作の『拝啓天皇陛下様』の流れってことなんだろう。
当時の通天閣近辺の様子、そして羽田近辺の町工場とドヤ街の中間みたいな街並みはとても新鮮。通天閣以外に高い建物は皆無である。今の通天閣も夕方になると人間動物園みたいになるけど、さすがに50年の時の流れと栄えっぷりには感慨深くなる。
角丸やアヤ子たちのような底辺の人間が、はいつくばって、血ヘドを吐きながらのし上がっていく…的な話ではないのが、興味深い。彼らは、高度成長の恩恵は受けておらず、疎外感を感じている。世の中の流れに抗って無理なことをするようなことはなく、分をわきまえているけれども、同時にしたたかに生きているという感じ。人間としての尊厳がどうのこのとか高尚なことは言わない。
角丸は豊かになる世の中にあっても、自分が社会に貢献できる程度は知れていることを痛感している。野犬の処分くらいしか就ける仕事はないのだ。持たないものは、逆に強い。彼はどうしても芸の世界で生きていこうと邁進するが、目先の成功に目がくらんで、ムーランとのコンビで世に出ようと、アヤ子を捨てる。さて、どうなるか。
豪流の川にもまれているんだけど、無用にもがけば溺れる。足もつかない。なんとか顔を水面の上にだして死なないように生きている。そんな庶民の様子、総理大臣様はどうご覧になりますか?と、そういう視点なんだろうね。
コメディとして、それほど面白いとは思わなかったが、味のある作品。他の野村芳太郎&渥美清コンビの作品も観てみようと思った。渥美清が実に生き生きしている。
公開国:アメリカ
時 間:130分
監 督:ピーター・バーグ
出 演:テイラー・キッチュ、アレキサンダー・スカルスガルド、リアーナ、ブルックリン・デッカー、浅野忠信、リーアム・ニーソン、ピーター・マクニコル、ハミッシュ・リンクレイター、アダム・ゴドリー、グレゴリー・D・ガドソン、グリフ・ファースト、ジェシー・プレモンス、ジョシュ・ペンス、スティーヴン・ビショップ、ゲイリー・グラッブス、マーカス・ライル・ブラウン 他
コピー:戦いは、海から始まる――。
ハワイ沖で、アメリカや日本をはじめ各国の海軍将兵2万人が参集する環太平洋合同演習“リムパック”が始まろうとしていた。アレックス大尉は、シェーン提督の娘サマンサと交際しており、この訓練を機に結婚を認めてもらうと意気込んでいたが、自衛隊のナガタ一佐と喧嘩沙汰を起こしてしまい、結婚の許可どころか、演習後の懲戒免職処分を言い渡されてしまう。その矢先、演習海域に正体不明の巨大な物体が出現。早速、アレックスの乗る駆逐艦とナガタの自衛艦、アレックスの兄ストーンが艦長を務める駆逐艦の3隻が向かう。しかし、その正体は、地球からの電波による呼びかけに反応して飛来したエイリアンの船だった。エイリアンは、ハワイ諸島全域に強大なエネルギーフィールドを築き、3隻の艦は他のリムパック艦隊から隔離されてしまう。さらに次々と未知の武器を繰り出し、アレックスたちの艦を攻撃。電波妨害による応戦もままならないまま、集中砲火によって、ストーンの艦は撃沈。ストーンを含めた乗員全員が戦死してしまい…というストーリー。
浅野忠信演じる自衛隊員が大活躍と、旭日昇天旗のオンパレードで、韓国がブーブー文句いってた作品。知るかよ…。なんでも噛み付くんじゃねぇって。
宇宙からの飛来物の成分を分析したけど、地球の技術力で判るのがローレンシウムだけで、あとは未知の物質だ…って、ローレンシウムだって放射性物質だし、そうとう重い元素だぞ。残りは未知だっていうのなら、それより大きい元素ってことか。宇宙人さんが駆逐艦に潜入してきたときに、金属製の階段が乗っかっただけでひしゃげていたけど、ものすごい重い物質でできてるってことだよな。つまり彼らの世界では、地球では崩壊しちゃうような重金属が、なんらかの現象かテクノロジーによって、崩壊しないってことか。
山上の観測所で、宇宙人が科学者の眼鏡に興味を持ったのも、ケイ素の化合物は珍しいっていう描写なのかな。彼らのヘルメットも透けているけど、金属っぽいしな。でも、炭素や窒素やケイ素の化合物が無いならば、宇宙人さんの体は何でできてるんだ?という話もあるな。ヒゲ堅かったしな。謎だけど、結構SFっぽいじゃん。
でも、アレックスとナガタが宇宙船の窓を打ち抜いたとき、ガラスみたいに砕けたのが気になったけどね…。実は、科学的な描写とか、エイリアンの装備の描写とか、興醒めしないように一生懸命頑張っていたのは、中盤までだった。あとは、勢いあるのみ。エイリアンの目がイモリだかヤモリみたいだったから、夜行性に違いないとか、けっこういい加減。かといって日光が勝負の決め手になったかというと…、まあ無理やりだわな。
あの海に浮いてる重厚な宇宙船がジャンプして砲弾を避けるんだから、勝ち目無い。球体の兵器も無双すぎるし。SFというよりもアクション要素のほうが強い。
あの『パール・ハーバー』というクソ映画と同じ舞台ながら、歴史的な嘘描写や政治的な作為はまったく無くて、とにかく、圧倒的な戦力差の敵に、力の限り立ち向かうという、シンプルでドキドキできる内容に特化。波を感知する機雷で、エイリアンの位置を把握しようとか、確かに日本っぽいわな。いいアイデアだったと思う。
じゃあ、後はどうにかして敵を倒すだけだな…と思っていたら、退役軍人にミズーリ動かしてもらうとか、アホなぁ!と思いつつ、最後まで飽きることなくワクワクできる。ラストの叙勲のシーンは展開が読めるのだがゾワッとくる。人間は褒められるべき人間がきちんと褒められると、快感を覚えるのだな。これは面白い映画の要素の一つなのだと、再確認した。
バリアが解除されたたら、周囲の艦の通常兵器で球体兵器を破壊してたな。ジャミングされていなければ、数で対応はできるレベルということか。
3D撮影ではなかったようだが、DVDでも十分すぎるほどの大迫力だったし、アクション娯楽映画としては必要以上に科学描写に気を遣っていて満足できた。お薦めの快作。
なぜかアメリカでは酷評されているらしい。どうせ、日本なんぞと対等に協力していて、アメリカ様無双じゃねえのが気に喰わないのと、細かい科学描写の意味がピンとこなくて、半分くらいどういう意味なのかわかってないんだろうさ。アメリカのレベルなんてそんなもん。気にすんな。
公開国:イギリス
時 間:100分
監 督:エドガー・ライト
出 演:サイモン・ペッグ、ケイト・アシュフィールド、ニック・フロスト、ディラン・モーラン、ルーシー・デイヴィス、ペネロープ・ウィルトン、ビル・ナイ、ピーター・セラフィノウィッツ、ジェシカ・スティーヴンソン、マーティン・フリーマン、ソネル・ダドラル、マット・ルーカス 他
ノミネート:【2004年/第58回英国アカデミー賞】新人賞(ニラ・パーク)、英国作品賞[アレキサンダー・コルダ賞]
ロンドンの家電量販店に勤務するショーン。それなりの年齢だが、無気力で人生の目標なども持たず、友達のエドとパブに入り浸る日々。彼女のリズも、そんなショーンと付き合い続けることに疑問を感じ始めるが、心機一転して行動を改めるというエドを信じることに。まず、レストランでのデートからやり直そうとするが、ズボラなエドはレストランの予約を忘れてしまい、とうとうリズに振られてしまう。すっかり落ち込んだショーンが、翌日目覚めてみると、街にはゾンビが溢れ、生きた人間を次々と襲っていて…というストーリー。
ゾンビ物のパロディっていってしまえば簡単なのだが、人の心を捉える何かがある作品。
中盤まで、痴話喧嘩や職場のいざこざ、義父との関係などで話が展開していく。全然ゾンビは出てこなくて軽く臭わす程度。主人公ショーンがポンコツなのは認めるが、半分は周囲に振りまわされている感じ。そのままゾンビを出さないで、そんなノリで終わる作品はたくさんあるよ。
(ネタバレ)
ホラー&コメディってよりも、愛する人を果敢に救出しにいくロマンス、親友エドとの友情、ゾンビ騒動を通してダメ男が成長していく様子、そういう要素が盛りだくさん。母、そしてエド、ショーンが泣く泣く殺すことになる人たちは、ショーンを大人にさせない原因だったりする。地味に巧みな構成。
なんとも脱力してしまうのが、ゾンビが弱くて、どうにでもなるんじゃないの?って、ところ。実際、普通になぐって倒せるし、こっちにおいで~って誘導して、普通にまいてこれるレベル。ゾンビにばれないようにゾンビのまねをしよう…って。
だから、パブに大量のゾンビが流入してきて、はらわたを引きずり出すシーンの違和感がハンパない。パブに篭城したあたりから、ノリが変わるのがちょっとね。ただ、これは、ゾンビさんが最終的にどうなっちゃうのか…っていう展開の伏線と考えれば許せなくもない。
でも、クイーンの歌に乗せてゾンビを輪になって殴るシーンは好き。このノリがもうちょっと多いとうれしかったかも。『ロッキー・ホラー・ショー』みたいな楽しみ方ができただろう。
ゾンビとのバトルが、部隊の救出によって突然終了しちゃうのが、尻切れトンボみたいに感じたが、『ミスト』みたいで個人的には好きだ。エドは、庭の小屋で飼われることになるけど、ゴロゴロしてゲーム三昧。別に以前の生活と変化無い(笑)。
『ゾンビランド』と同様、ゾンビ映画に対する愛と情熱は、コメディをコメディの枠から飛び出させる。安定の良作。
公開国:アメリカ
時 間:97分
監 督:ハロルド・ライミス
出 演:ジャック・ブラック、マイケル・セラ、オリヴァー・プラット、デヴィッド・クロス、ハンク・アザリア、クリストファー・ミンツ=プラッセ、ヴィニー・ジョーンズ、ジュノー・テンプル、オリヴィア・ワイルド、ジューン・ダイアン・ラファエル、ザンダー・バークレイ、ジア・カリデス、デヴィッド・パスクエジ、ハロルド・ライミス、カイル・ガス、ビル・ヘイダー、マシュー・ウィリグ 他
太古の時代。狩猟は苦手な上に果実の摘み取りすらできないくせに、口ばかり達者なゼドと、賢いけれど気が弱すぎる友人のオーは、村ではのけ者になっている。もちろん、村の女性からも相手にされない。ゼドは村人を見返してやろうと、絶対に手をだしてはいけないと言い伝えられている“禁断の果実”を食べてしまう。しかし、そのことでとうとう村を追放に。オーもゼドについてくハメになり、冒険がはじまる。狭い村の周辺が世界のすべてだと思っていた彼らは、広大な世界を目の当たりにして興奮。その道中、喧嘩をするカインとアベルという兄弟に出会い…というストーリー。
パッケージ画像を見ると、『フリントストーン』みたいな原始人のドタバタ映画かと思うけど、旧約聖書のパロディだった。原題の“YEAR ONE”は、西暦1年を指しているわけじゃないだろう。いくらアメリカ人が馬鹿でも、キリストの誕生した年(厳密には違うけど)に、カインとアベルだの、ソドムとゴモラだの、そんなエピソードが繰り広げられるわけないし。気さえ惹ければいいと、変な先入観を与えるような邦題の付け方は感心しない。
聖書に詳しくない人でも、何となくわかる話が元ネタなので、ついていける。『ザ・マペッツ』の時とは違い、きちんとジャック・ブラックらしい仕事をしている。下品ネタ、シモネタのオンパレード。はじめて牛は引く車にのって乗り物酔いしてゲロを吐いたりとか、割礼ネタやホモネタも連発で、ムダにPG指定をくらいそうな内容…っていうか、日本未公開だけどね。
マイケル・セラのチェリーボーイ役は似合いすぎ。
で、旧約聖書をパロったところまではよかったのだが、宗教ネタの限界なのか、踏み込みが甘くて、揶揄するところまではいっていない。悪ノリ不足。前半は、短めのセクションをトントンとテンポよく場面転換させて、飽きないのだが、ソドムに到着して以降は、トーンダウン。オチをどういう風につけようか模索しているうちにグダグダになった印象。結局、禁断の実の効果がなんだったのか、良く判らない。そのへんをうまく、オチに繋げられれば効果的だったのだが。
凡作だけど、これがジャックブラックの真の姿かと。キライじゃない。
公開国:日本
時 間:93分
監 督:宮崎駿
出 演:森山周一郎、加藤登紀子、岡村明美、大塚明夫、桂三枝、上條恒彦、関弘子、阪修、田中信夫、野本礼三、島香裕、藤本譲松尾銀三、矢田稔、辻村真人、大森章督、古本新之輔、森山祐嗣、松岡章夫、佐藤広純、種田文子、井上大輔、佐藤ユリ、沢海陽子、喜田あゆみ、遠藤勝代 他
コピー:カッコイイとは、こういうことさ。
第一次大戦時のイタリア。空賊を退治しその賞金で暮らすポルコは、元空軍のパイロットだった彼は、とあることがきっかけで、魔法で豚の姿になっている。敵対する空賊マンマユート団から女学校の生徒を救出した日の夜、幼馴染のジーナが経営するホテルアドリアーノへ行ったポルコは、そこでアメリカ人パイロット・カーチスと出会う。空賊の頭目達は、邪魔なポルコを倒すためにカーチスを用心棒として雇う相談をしていたのだった。次日、カーチスはエンジンが不調でうまく飛べないポルコを待ち伏せし撃墜。何とか一命はとりとめたポルコは、大破した機体をミラノに運び、馴染みのピッコロ社に修理を依頼。しかし、修理を担当するのは、ピッコロの孫で17歳の少女フィオだと聞かされ…というストーリー。
何度もTV放映は観ているし、家族が観ているのを横で観ていたりはしたのだが、毎回ながら観で、頭に残っていなかったので、改めて鑑賞。空賊なんて造語がでてくるから、英語ではどう表現したのかしら…と思っていたのだが、オープニングの各国語の説明テロップを見ると、ただのFrying Piratesだった。つまんね。
「どうやったらあなたにかかった魔法がとけるのかしら…」
主人公がなんで豚なのか…っていうところは非常に重要なはずなのだが、ムダに説明せずにひっかかりを残すことは効果的。おいてきぼり感が心地よい。結局、最後まで何なのかはわからない。自分で魔法をかけたのかかけられたのかもわからない。
銀行での窓口のオヤジとの会話、飛行機工場の子供との会話…等々、いちいちセリフはをキメてくる。正直、豚仲間としては、とてもシンパシーを感じるわ(笑)。
ただ、自分のおかれている状況は、自分のせいじゃなく他人のせいだ、政府のせいだ…と言っているように聞こえて、ちょっと鼻につく。全共闘世代のくだらない主張と紙一重。軍政下っていうことで何となく誤魔化されちゃうけど、根本的に国家になびくのは悪って言っている。深く考えると、ニヒリズムやアナーキズムが漂ってきて共感できなくなるので、単に、前の戦争でいやな思いをしたことを表現しただけで、深い意味はないんだ…と無理やり納得することにした。
フィオがポルコにくっついて隠れ家の島に行くと、空賊たちが待ち構えてる。フルボッコにされるはずが、フィオの機転で言いくるめて、カーチスとの再バトルになるという流れ。フィオの機転っていうよりも、フィオという女神様にメロメロになって男どもが、いいくるめられるという流れ。これがあまり好きじゃない。根本的に、女性を神格化して、強引になぎ倒すような流れがどうにもね。
戦闘機を作るシーンでは、市井の女性たちががんばるわけだが、これは女性のやみくもな神格化とは異なり、真の女性の力を表現しており、非常に楽しかった。
ジャンヌ・ダルク的な女性の行動を否定すると、初期の宮崎アニメなんか成立しないっていわれるかもしれないけど、ちょっと本作は、とってつけたように露骨に感じるし、無理がある展開だと思う。おそらく、毎回、このあたりでうんざりして、観るのを止めているんだと思う。でも、単に、男は真の女の力を見ていない大馬鹿物なんだよってことを表現しているだけだ…と無理やり納得することにした。
まあ、そのような、好みじゃない部分を我慢して乗り切ったら、ものすごく面白かった。どうせ、たいしたオチにはできないのは、途中から見えていたし、その後どうなったかは別の話…的なボカしで終わらせるのも、キライじゃない。
子供はピンとこないかもしれないけど、タイトルからコピーから、子供は相手にしてないわよ臭は漂わせているわけで、お子ちゃまへの義理は通しているので問題なし。
とにかく、宮崎駿の意図とか、そういうものが頭をよぎっても排除して鑑賞すべき。そうすれば、快作が待っている。
#桂三枝の声優仕事がなかなかよい。
公開国:アメリカ
時 間:103分
監 督:ポール・ヴァーホーヴェン
出 演:ピーター・ウェラー、ナンシー・アレン、ダニエル・オハーリヒー、ロニー・コックス、カートウッド・スミス、ミゲル・ファーラー、ロバート・ドクィ、レイ・ワイズ、フェルトン・ペリー、ポール・マクレーン、デル・ザモラ、カルヴィン・ファン、リー・デ・ブロー、マーク・カールトン、エドワード・エドワーズ、マイケル・グレゴリー、ニール・サマーズ、チャールズ・キャロル、タイレス・アレン、ジェシー・D・ゴーインズ 他
受 賞:【1987年/第60回アカデミー賞】特別業績賞[音響効果編集]
【1988年/第16回アボリアッツ・ファンタスティック映画祭】高等技術委員会賞、SFX賞
かつて自動車産業で隆盛を誇ったデトロイトも、今は犯罪としと化していた。犯罪があまりにも多発し、警察のコストが肥大化したため、コスト削減のために警察の経営を民間企業のオムニ社に委託している。オムニ社は、凶悪犯罪に効率的に対応するために、大型警察ロボットを開発するが、失敗。早急に別プロジェクトが必要になったため、かねてより暖めていたサイボーグ警官“ロボコップ”製造計画案にスポットがあたる。そんな中、マーフィー巡査は女性警官ルイスとコンビを組み、連続警官殺しで指名手配中のクラレンスら強盗一味を追跡していた。潜伏先を急襲するが逆に捕らえられ惨殺されてしまう。しかし、彼の遺体は生体部分を部品として使われ、ロボコップとして蘇り…というストーリー。
ドラマなのか映画なのかわからないが、リメイクされているようなので、おさらいを。何度観てもやはり面白い。
マーフィーの正義感が報われずに死んでしまい、ロボコップとして蘇るものの、家族には死んだことになっているし、記憶まで消去されてこれでは蘇ったとはとてもいえない。断片的に蘇る記憶に苦悩し、真の復讐を遂げていく過程は共感しやすい。
ロボコップ自体の魅力ばかりに目が行きがちだが、このシナリオが巧みなのは、敵が重層構造になっている点だと思う。オムニ社の野心溢れる若い取締役、無法な強盗団、オムニ社の副社長という三重構造。もっと広い視点でいえば、公共サービスで利益を追求するオムニ社自体も敵だし、コスト優先で公共サービスを全部民間企業に任せてしまう政府も敵だ。
ヒーロー作品は、敵がしっかりしているか、または魅力的かで、出来不出来が決まるといってもよい。本作は花マルで合格なのだ。
幹のしっかりしたシナリオだからこそ、マスコミのインタビューで「マジメにやれ」っていうところとか、ラストのクビにしてロックがはずれるくだりとか、そういう小ネタが、最大限に生きてくる。
ルイスもロボコップになっちゃうのかな?とか、もうマーフィーだってはっきりしたんだから家族とはあえるようになるのかな?とか、色々考えちゃう。だけど、説明はしすぎない。色んな部分で説明しすぎを排除することで、全体の良いテンポをキープしている。シナリオの教科書だといってもよい。
1980年前後だと日本脅威論が根強くて、アメリカも今の中国みたいに日本車を燃やしたりしていた。いろんな映画にも露骨に登場する。『グレムリン』なんかもその一つだろう。でも、1980年終盤の『ロボコップ』では、ちょっとその色合いは薄れてくる。舞台はデトロイトだし、直球で日本を悪者に描いてもよさそうなものだが、日本に関するちょっとしたセリフはあるが、意外と悪い表現ではない。
オムニ社の重装備ロボットは、ハリーハウゼンばりのストップモーション・アニメで表現され、途中に出てくる怪獣が街を荒らすCMもストップモーション・アニメである。敵を日本にしたいならば、この怪獣はゴジラを意識すべきで、気ぐるみであるべきなのだが、アメリカ流の特撮技術。一方の主役は、それこそ気ぐるみヒーローで、日本のお家芸。
どうも、自分たちの景気が悪いのは、日本のせいではなく政府のせいなのではないか?という気付きが感じられる…と私には思えるのだが、ちょっと穿った見方だろうか。
とにかく、ヒーロー物映画の大傑作。本作の前では、『アイアンマン』なんか霞んでしまうほど。ガンガン撃って血しぶきは舞うし、廃棄物で悪人の体は溶けちゃうし、子供に観せるのはどうかなーって思うシーンは多々あるんだけど、なぜか、子供に観せたい!っていう欲求が湧いてしまう作品。
公開国:イギリス、アイルランド
時 間:108分
監 督:デヴィッド・キーティング
出 演:エイダン・ギレン、エヴァ・バーシッスル、ティモシー・スポール、エラ・コネリー 他
獣医のパトリックと妻ルイーズは、娘のアリスを治療中の狂犬にかみ殺され亡くしてしまう。以降、悲しみにくれる毎日の連続で、夫婦の心もすれ違うばかりだった。そこで、立ち直るために、心機一転ウェイク・ウッドという田舎町に引越すことに。心は癒えることはなかったが、それぞれ獣医と薬剤師の仕事を打ち込み、なんとか平静を繕うのであった。そんなある日、薬局に様子のおかしい若い娘を連れた母親と出会う。その違和感が何なのかわからずにいたが、その後、ルイーズは村の不思議な儀式を目の当たりにして、例の娘がその儀式と関わりがあることを知り…というストーリー。
“ウェイク”ウッドなんて名前の村だから、おそらく生き返るんだろうさ…と予想がつく。実際、プロットは『ペット・セメタリー』で、村の様子は『ウィッカーマン』。これらのミックス。
夫は自分の配慮不足だという負い目もあるし、妻はあまりの突然の別れに整理がつかず、おまけに妊娠できない体になってしまったため、1年経っても諦めきれない。きちんと別れを言いたいという気持ち半分、あわよくばそのまま娘を取り戻したいという気持ち半分。
秘術の信憑性がどうのこうのとか、3日経って別れる場面になったらより苦痛を味わうことになるとか、交換条件がこんな気味の悪い田舎に永住しなくてはいけないことだとか、もう、それらを天秤にかけられる精神状況ではないのだ。その証拠に、簡単に娘の遺体を損壊してしまう。ここで普通は我にかえるところだ。
怪しい儀式を行うのがティモシー・スポール演じる太ったじじぃ(『ハリー・ポッター』シリーズでピーター・ペティグリュー(ロンのネズミの正体)を演じていたおっさん)。彼がこうすりゃ生き返るんだって説明しても、ふつうはにわかに信じないだろう。薬局にきた若い娘も、この秘術で生き返ったということなんだろうけど、ちょっと判りにくい。偶然に見かけたあの秘術で、ずるっと出てきたのが、あの娘…というのが明確で信じた…みたいな、彼女が納得するのもさもありなん…っていう演出がちょっと足りないのが難点である。娘の名前を知っていただけではちょっと薄いかも。
(以下ネタバレあり)
振り返って考えると、誰か死んだら復活させて…が可能なので、村全体が生命に対する執着が希薄になっている。設定上どうなのかはわからないが、村外から調達した死体でも可能ならば、会いたいときにいつでも逢える。なんなら本当にお盆に帰ってきてもらうことができる(もちろんアメリカにお盆は無いが…)。さらに、“あの世”の様子も、戻った人たちから聞いていて、それなりに幸せそうだったりするんだろう。だから殺されそうになっても、半狂乱で抗うってこともしない。それが村全体に蔓延している様子がうまく描けていると思う。
『ペット・セメタリー』よろしく、この子、普通の状態じゃない、こりゃ大変だ…という流れ。でも、スカし方がうまいのか、既視感はない。それどころか、一体、どういうオチにするのか…という、緊張感で最後まで牽引するのがスゴイ。
ラストのオチも、きちんと夫の職業が伏線になっていて、バチっと決まっている。ムダに目をそむけたくなるようなシーンを差し込んで、姑息な演出だなと思ったのだが、実は計算されていた。さて、執着の末に取り戻した子はどうなるのか。皆さんの想像におまかせします…って終わり方も、昨今あまり観られなくて新鮮だ。
これ日本未公開?もっと評価されていいと思う。というか、是非観てほしい隠れた良作だ。お薦め。
#これは、各TV局、放映権争奪すべきでしょう。多分安い。
公開国:アメリカ
時 間:108分
監 督:ダグ・リーマン
出 演:ナオミ・ワッツ、ショーン・ペン、サム・シェパード、デヴィッド・アンドリュース、ブルック・スミス、ノア・エメリッヒ、ブルース・マッギル、マイケル・ケリー、アダム・ルフェーヴル、タイ・バーレル、ティム・グリフィン、ジェシカ・ヘクト、ハーレッド・ナバウィ、トム・マッカーシー、アシュリー・ガーラシモヴィッチ、クイン・ブロジー、ノーバート・レオ・バッツ 他
ノミネート:【2010年/第63回カンヌ国際映画祭】パルム・ドール(ダグ・リーマン)
コピー:アメリカ合衆国 史上最大のスキャンダル
イラク戦争を巡る巨大な謀略。兼直に立ち向かったCIAエージェントの孤高なる戦い。
9.11同時多発テロ以降、ブッシュ政権はアルカイダへの報復を進める一方、イラクへも矛先を向ける。そして、イラクが核兵器の開発を行っているとの情報を元に、CIA諜報員ヴァレリー・プレイムは、その証拠固めの任務に就く。その中でニジェールがイランにイエローケーキとアルミパイプをイラクに売却したとの情報が入る。ヴァレリーの夫ジョー・ウィルソンが、元ニジェール大使だったため、その真偽を確かめるために協力を依頼する。しかし、疑惑の証拠は微塵も掴めず、情報は虚偽であるとの結論に達する。しかし、ブッシュ政権は、ヴァレリーの報告を無視し、イラクへのウラン売却を根拠としてイラクへ宣戦布告してしまう。怒ったジョーは、新聞で事実を寄稿してブッシュ政権を批判。しかし、政権側はヴァレリーが秘密諜報員であることのリークして報復するのだった。そのせいで、彼女だけでなく、彼女の任務に携わっている協力者たちが危険にさらされてしまい…というストーリー。
これはノンフィクション。主人公であるCIA工作員だったヴァレリー・プレイムの回顧録が原作である。
細かい検証や解釈の差異はあるだろうが、外部的な要因を考えると、本作で描かれている当時のブッシュ政権がやったことはほぼ正確だろう。そして、当時の小泉政権が、このクソくそ情報を信じ(というか信じるしかなく)イラク戦争に加担してしまったという汚点を残すことになる。
いささか、民主党寄りのバイアスが掛かりすぎなのは否めないが、この映画を観て共和党に投票する人間はいないと思う。とにかく馬鹿ブッシュに二期も大統領をやらせた黒歴史をアメリカは簡単には拭えないだろう。この映画を観たら、あと20年は共和党が政権をとることはないと思うわ。いや、逆にこの状況で共和党が復権したら、それこそアメリカの終わりの始まりだね。
108分という短めの映画だが、スリリングな展開で見ごたえはばっちり。でもそれ以上に、当時の状況の記憶が新しいだけに、観ていて怒りしか沸いてこなかった。ブッシュとライスの顔が映るたびに腹立たしさマックスである。
そして、今、共和党の大統領候補であるモルモン教徒のロムニーは、ブッシュに匹敵するくらいのアホ発言がポロポロ。別にオバマが実力のある大統領だとは思わないが、ロムニーではどうしようもない。むしろロムニーが勝つようなことがあれば、何が彼を大統領にしたのかを分析すれば、何がアメリカを動かしているのかが判ってしまうということ。
ショーン・ペンは個人的な信条としても是非やりたかった役だろう。ラストのショーン・ペンのセリフは胸が熱くなる。民主主義の原理をいまさらながら再確認させてくれる。共和党だろうが民主党だろうが、他国の人間だろうが、民主主義を標榜している国民はもう一度このセリフをかみ締めるべきである。
「国家は担う責任とは、権力を握る一部の人間にあるわけではない。」
「我々が市民としての責務を忘れないでいる限り、圧政の支配から必ず逃れることができる」
「民主主義は簡単に手に入るものではない」「市民の責務を果たせ、未来の子供たちのため」
残念ながら日本の民主党の中には、このセリフの意味が微塵ももわかる人間はいないからね。
言うまでもないが、韓国や中国は、このスタートラインにすら立っていない。日本も中国も韓国も平等に付き合うべきというが、立脚すべき足場がまったく違うだから、対等に付き合うことはできない。いや対等に付き合おうとするほうが、無理がある。“別の世界”であることを認識できない、団塊世代の中国大好き、韓国大好き人間たちは、根本がわかっていないから、過ちを犯す。彼らはどんなに痛い目にあっても、チャイナリスクを無視し続けるだろう。多分、強制的にご退場いただくしか、解決策はないと思う。
同時に、マスコミがマスコミとして取るべきスタンスを逸脱することが、混乱を助長すること。政府の圧政に助力することを、強く指摘している。現在の、中国・韓国の状況を見て、第二次世界大戦前夜と同じだという人がいるが、マスコミの対応に関しては、日本のマスコミの立ち位置は、ブッシュ政権時のアメリカのマスコミに近いだろう。
まあ、いずれにせよ、日本人が日本人として責務を果たせば、未来は見えてくる。間違っても“世界人”などという、虚像の立場で物を考えなければ間違うことはない。そんな似非“インターナショナル”な思考をするのは、団塊世代だけだけどね。
映画としてのデキがいいかどうかの問題ではなく、今、観ておくべき作品。映画賞の受賞が少ないのは、政治的に直球すぎるせいであって、質が悪いわけではない。とにかくラストのセリフだけでも価値のある作品。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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