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公開年:2006年
公開国:フランス
時 間:105分
監 督:ピエール・サルヴァドーリ
出 演:オドレイ・トトゥ、ガド・エルマレ、マリー=クリスティーヌ・アダム、ヴァーノン・ドブチェフ、ジャック・スピエセル、アネリーズ・エスム 他
コピー:お金じゃ買えない恋がある。
ホテルのウェイターをしているジャンは、他の客がいないホテルのバーで美女イレーヌと出会う。彼女はなぜかジャンを億万長者だと思い込み一夜を共にしてしまうが、ほどなく正体がバレてあっさりとお別れする。彼女は、その美しさを武器に金持ちばかりをターゲットに玉の輿を狙う女だったのだ。1年後、ジャンはホテルのレストランで偶然に彼女を発見。ずっとイレーヌのことが忘れられなかったジャンは、彼女を追ってニースへ。二度とイレーヌを離すまいと、必至で貢ぎ続けたが即座に破産。再びお払い箱に。もう諦めて元の生活に戻ろうとした時、ジャンは裕福な未亡人マドレーヌに見初められ、彼女のジゴロとなり、ニースに滞在し続けることに…というストーリー。
まあ、とにかくこの邦題はクソだね。ここまで、映画の良い部分と乖離しているのもめずらしい。そして、その邦題が客引きにもなっていないという、極めてトホホな例。
他の映画ではそれほどキレイとは感じなかったオドレイ・トトゥだけど、本作の彼女はキレイかもしれない。でも、ゴージャスの皮の内側からキュートが溢れてるって印象で、やっぱり女性から観てキレイっ感じなのかなあ。男性から観て無条件にキレイってタイプとはちょっと違うかも。
もうはじめっから、フランス映画で色恋の話ですよ~ってことがわかった上で観る分には、期待通りなんだろうけど、あまりフランス映画を観ないわたしは、このノリに少し面食らってしまったかな。
こりゃあ“THE フランス”だなーって感じで、ハリウッド系の恋愛映画とは地平が違う感じなのはいいんだけど、この話に登場する主なキャラクターの下半身が全員ユルユルで、なんか、それがあたりまえみたいなノリで貫かれてる。それが、全然うらやましくもなければ、共感もできないのが、どうもいけない。ロマンス映画で、繰り広げられている恋愛模様が一切うらやましくないのって、致命的。
そういう、目線なものだから、ジャンがジゴロになっちゃうのも、ただのご都合主義的な展開にしか映らなくって。
だから、途中から、ウマく生きられない不器用な人たち、それも大人のグローイングアップ映画だ!と思って観ることにした。いや~私もそんな風にズルズルとダメな方向にいっちゃうんだよね~って、思えればよかったんだけど、残念ながそんな感じにもならなかった。うじうじうじうじと、小さいヘビがからみあってるみたいで、なんか気持ち悪かったかな。
おそらく、世の男性の75%は受付けないと思う。すまん。趣味じゃないの。こういうの。
負けるな日本
公開年:2008年
公開国:イギリス、アメリカ
時 間:95分
監 督:マーク・ハーマン
出 演:エイサ・バターフィールド、ジャック・スキャンロン、アンバー・ビーティー、デヴィッド・シューリス、ヴェラ・ファーミガ、リチャード・ジョンソン、シーラ・ハンコック、ルパート・フレンド、デヴィッド・ヘイマン、ジム・ノートン、カーラ・ホーガン 他
コピー:第二次大戦下のドイツ──フェンス越しに生まれた禁じられた友情。
「どうして君は、昼でもパジャマを着ているの?」
第二次大戦下のドイツ。8歳の少年ブルーノは、ナチス将校である父の昇進に伴い、都会のベルリンから田舎の屋敷に移り住む。学校がないほどの田舎のため、早々に飽きてしまったブルーノは、自分の部屋からみえた“農場”に興味津々に。そこに行くことは固く禁じられていたが、親の目を盗んで農場へ。そして、フェンスの中にいる、縞模様の“パジャマ”を着た同い年の少年シュムエルと出会い、以来2人はフェンス越しに会話するのが日課となるのだった…というストーリー。
あるようでなかった、外部の子供目線でホロコーストを描いた作品。
前半は、同じ将校の家族であり、おなじ女性でありながら、母親と娘の受け止め方が異なる点がおもしろい。母親は事実を知りつつも苦しんでいき、お姉ちゃんは、事実を把握しながらも、馴染んで歪んでいく。ローティーンへの教育がいかに大事なものかをうかがわせる興味深い演出。
肝心の男の子同士の触れ合い部分は、いまいちピンとこない。
この手の作品は大事なのはわかるが、もう、ナチス・ユダヤ物は食傷気味かも。アメリカが、なんでここまでしつこくナチス映画を作り続けるのか?の方に、興味が湧いちゃうくらい。
以下、ネタバレぎみ。
子供の思いつきつくとはいえ、後味の悪い展開としてはピカイチ(だからPG-12なのね)。昨日の『ソウ ザ・ファイナル』なんかよりも、ゾッとする悪趣味具合。誤解を恐れずに言わせて貰えば、私は好きなオチである。映画というのは、このくらいの毒があってこそ、映画といえる。
ただ、この映画があまり評価されていないのは、こういう残酷なオチが、いまいち“反戦”に結びついていないから。別にホロコーストでなくても、このの演出は転用できる。それこそ利益を追求して開発を進める親とその子供とか、科学的成果のためにその他の環境を顧みない親とその子供とか。だから、逆に、ホロコーストがおまけみたいになっちゃってるのが、問題なのかも。
このラストの毒をどう判断するか否か。子供の友情を扱っているにも関わらず、子供には不用意に見せられないし(こんなの、学校の道徳の時間に見せたら大問題になっちゃうわ)、この映画の立ち位置ってなんなのさ?
でも、もう一度言うけど、個人的には好きなオチなので、軽くお薦め(こんなオチが好きって、あんたどんな性格してるんだ!ってツッコまでそうだけど)。
負けるな日本
公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:90分
監 督:ケヴィン・グルタート
出 演:トビン・ベル、ケイリー・エルウィズ、コスタス・マンディロア、ベッツィ・ラッセル、ショーン・パトリック・フラナリー、ジーナ・ホールデン、チャド・ドネッラ、ローレンス・アンソニー、ディーン・アームストロング、ナオミ・スニッカス、ジェームズ・ヴァン・パタン 他
ノミネート:【2010年/第31回ラジー賞】ワースト3D作品賞
コピー:ゲームの終焉
これまで何度も繰り広げられたジグソウによるゲーム。何とか生還した数少ない生存者は、心におった深い傷に苦しみながら生きていた。そんな中、自分も生還者だというボビー・デイゲンという男が現れ、マスコミの寵児に。体験を基にした書籍やTV出演などで成功した彼は、彼のもとには救済を求める生還者たちが集めて、ジグソウ被害者の会を開くのだった。一方、ジグソウの妻ジルが仕掛けた罠を切り抜けたホフマン刑事は、真の後継者争いにケリをつけるため、ジルを執拗に迫うのだった…というストーリー。
きちんと物語を終わらせる気がないというスタンスが、映画の見えるところ見えないところ、端々にすべてにわたるユルさを生んでいる。ホラーから緊迫を取ったらグロさしか残らない。特に前半は、まるで回想シーンを繋げたなつかしムービーになっちゃうのでは?という、別の意味の恐怖を感じてしまう始末。
冒頭ではじめてパブリックスペースで展開するのだが、これは初めての試みで、これまで頑なにやっていなかったことである。おそらくものすごい意味があるんだろうと思ったが、びっくりするほどなにもない。今回の製作陣は、あまり深く物事を考えていないことがよくわかる。おまけに群集の反応があまりにも違和感があるし、スプラッタ表現が長けているかというと、腸は羊の腸みたいだし。はじめの7,8分で、これはダメかもと思わせてくれる。
何かの伏線なのかな?という部分は、ほとんどが伏線ではない。というか、あまりそういうことを考えていないような…(レベル低っ)。
腰で吊ってるのが丸判りとか、技術的なレベルも低い。素直に胸筋にフックを刺さないといけない理由なんかなく、中学生での「はぁ?」って思うようなシナリオ上の詰めも甘い。
気付いて欲しいのだが、英題に“FINAL”は冠されていない。“3D"なのだ。これは輝かしい(かどうかはわからないが)ソウの歴史を締めくくろうという作品ではないのかもしれない(完全にジグソウの思想から乖離しちゃっていて、微塵の残滓すら感じられない)。ソウという21世紀に特異な輝きを発揮した作品をモチーフにした、3Dアトラクションである。
ちょっとネタバレになってしまうが、彼が真の後継者だ!という点だけが、唯一ファイナルたる所以だと思うのだが、これをオチとするだけで、1本の映画にするのは如何せん厳しすぎる。今、以下考えれば、このオチも含めて6作目で大団円とすべきだったと思う。
で、私は今、3DではないDVDを観ているわけで、ただのソウもどきを観ているようなもの。早送りで音声が聞けるタイプのDVDプレイヤーなら、早送りで鑑賞して充分。劇場公開の時は600円なら許す。DVDレンタルは200円なら許す。そんなレベル。
#なんか、震災を経てしまったら、この手の作品をを真剣に観る気が失せてしまったような気がする…。
負けるな日本
公開年:2010年
公開国:日本
時 間:120分
監 督:李闘士男
出 演:岡村隆史、松雪泰子、吉沢悠、伊藤明賢、赤堀雅秋、児玉絹世、比嘉奈菜子、金城琉斗、福田加奈子、國村隼、長澤まさみ、渡部篤郎、原田美枝子 他
コピー:愛は大きく。夢はまっすぐ。
縄の海を愛する男・金城健司は、本土で仕事に失敗して故郷に戻ってくる。幼馴染の由莉とは本土でも一緒で、戻ったついでに結婚をすることに。最初は母に結婚を大反対されたものの、始めたバーが成功して軌道に乗ったため、晴れて結婚が認められる。その後、二人の子供に恵まれ、支店も増え、本土時代の借金も返済し、すべてが順調に思えた矢先、健司は突然、店をすべてたたむと宣言。昔の美しい珊瑚の海を復活させるために、珊瑚の養殖をするといい出す…というストーリー。
李監督作品ははじめてみたが、いただけない点が4点ある。
コミカル表現のつもりかもしれないが、母親がマンガのようにありえないくらい健司を殴るギミックや、アニメのような擬音は、スベっていて全然効果的じゃない。クスっともできない。長澤まさみなんかも、何のフリにもなっておらず生きていない。プロモーション的な効果も皆無に近い。
國村隼が絶対いい人の役なのが、出た瞬間にわかる。また健司をだました人も顔をみただけで悪い人だとわかる。渡部篤郎がたぶん役立たずなのもすぐにわかる。キャスティングで展開わかるのはアウトである。
沖縄の海を守らなければ!という思いを感じたいのだが、肝心の沖縄の海が美しく撮れていない。もっと環境ビデオくらいのクオリティの映像を見せないのいけないのでは?そこ予算の25%くらい投入してもよいくらいだ。
練りの甘いセリフが散見される。代表的なのは、産卵を確認するための海の死シーンだろう。船上で由莉が「健ちゃんは潜りすぎて鼓膜が破れているからよろしくね」と言う。普通、そんなお願いは、船にのる前にされているはずだろう。せめて、別の船の人が「あれ?健ちゃん潜らないの?」なんて聞いてきて、「潜りすぎて鼓膜が破れてるのよー」って言う…とか、差し込みたいならそういう演出でしょ。李監督、まだまだよのぉ。
実は、本作は悪い映画ではない。さらっとはしているが、けっこう感動できる。世の中はバカが動かしてるなぁ!って思えるもの。上記4点を克服して、再編集版としてぜひ再販すべきだ。冒頭の20分を我慢して乗り切ろう。そうすれば、なかなか愉しめる沖縄が待っている。お薦めするほどじゃないけれど。
#沖縄の人こそ沖縄の海を大事にしていない…という感じ見えなくもなくて、なんか沖縄っていいなぁ…って思えないのも、なんかひっかかるけど、それは仕様が無いか。
負けるな日本
公開年:2007年
公開国:フランス、アメリカ
時 間:112分
監 督:ジュリアン・シュナーベル
出 演:マチュー・アマルリック、エマニュエル・セニエ、マリ=ジョゼ・クローズ、アンヌ・コンシニ、パトリック・シェネ、ニエル・アレストリュプ、オラツ・ロペス・ヘルメンディア、ジャン=ピエール・カッセル、イザック・ド・バンコレ、エマ・ドゥ・コーヌ、マリナ・ハンズ、マックス・フォン・シドー 他
受 賞:【2007年/第60回カンヌ国際映画祭】監督賞(ジュリアン・シュナーベル)
【2007年/第60回カンヌ国際映画祭】撮影賞(ヤヌス・カミンスキー)
【2007年/第65回ゴールデン・グローブ】外国語映画賞、監督賞(ジュリアン・シュナーベル)
【2007年/第61回英国アカデミー賞】脚色賞(ロナルド・ハーウッド)
【2007年/第23回インディペンデント・スピリット賞】監督賞(ジュリアン・シュナーベル)、撮影賞(ヤヌス・カミンスキー)
【2007年/第13回放送映画批評家協会賞】外国語映画賞
【2007年/第33回セザール賞】主演男優賞(マチュー・アマルリック)、編集賞(ジュリエット・ウェルフラン)
コピー:ぼくは生きている。話せず、身体は動かせないが、確実に生きている。
ジャン=ドミニク・ボビー ELLE編集長、42歳、子供3人の父親。ある日倒れ、身体の自由を失った。そして左目の瞬きだけで語り始める。蝶のように飛び立つ想像力と記憶で──。
雑誌ELLEの編集長ジャン=ドミニク・ボビーは脳梗塞で倒れ、病室で目覚めると全体の自由を奪われた閉じ込め症候群となっていた。意識は鮮明だが、体が動かず、自分の意思を伝えることができない。言語療法士アンリエットや理学療法士マリーらの協力で、唯一動く左目の瞬きでコミュニケーションをとる方法を試み、ゆっくりではあるが意思を伝えることができるようになっていく。そして、彼はこれまでの仕事だけを重視してきた生き方を悔やみ、家族の大切さをを痛感する。やがて、彼は自伝を書こうと決意し、これまでの日々や思い出を綴っていくのだった…というストーリー。
実話だけに、とてつもなくゾっとする話。金縛りになった経験がある人はわかるだろうけど、脳だけ活動して体がまったく動かないあの感じが永遠に続くわけだからね。始めは、人間性を維持していくのは、とてつもなく大変なことだ…なんて感じで観ていたけれど、やっぱり実話ってのは、最後の20分はふわっとしちゃう。残念ながら、明るい未来がないことが見えているので、どうしてもダレる(昨日の『マグダレンの祈り』も同じ)。
#この主人公が原作者なんだけど、もちろん最後は他者による想像だね。
フランス語のアルファベットを順番に言っていき、該当したら瞬き…って、すいぶん効率が悪そう。本当にこの方法しかなかったのだろうか。私は、早々に自分が同じように左目だけが動く状態になったら、どうコミュニケーションをとろうか…と、ず~~~~~っと考えていた。だから、あまり映画の内容は真剣に観ていなかったかも(途中で、その女性がどの役だったかわからなくなってしまったよ)。
日本語の50音がマトリックス状態なのは幸いだ。私なら、
時計まわりに、上、右上、右、右下、下、左下、左、左上、正面を、それぞれ、ア行、カ行、サ行、タ行、ナ行、ハ行、マ行、ヤ行、ラ行に割り当てて、それそれ瞬き1回、2回、3回、4回、5回をア段、イ段、ウ段、エ段、オ段にして、さらに、右にぐるっと輪をかくとワ、左にグルッと輪をかくとンとする。YESは上下に動かす。NOは左右に動かす。濁点は左上から右下に動かす。拗音は右上から左下に動かす。撥音は大きい文字で予測してもらおう。
だから、例えば“カスタネット”は、右上でまばたき1回、右でまばたき3回、右下でまばたき1回、下でまばたき4回、右下でまばたき3回、右下で5回。そんな感じ。もし私がこの症状になったら、これでよろしく。
#って、本当に50分くらい、こんなことを考えていたよ。だって、映画自体は、特別な展開があるわけじゃないんだもん。
で、作品としてはこの特殊な状況をうまく表現できていて、かつ壮絶であることを常に感じさせ続ける演出は技ありといってよいと思う。能力のない監督がやったら、もっと早い段階で飽きがきていたに違いない。
ただ、「ふ~ん、なるほどね」の域は出なかった思う。なにか自分の人生について考えさせられるような、そんな気持ちが涵養されるか?というとそこまでのモノもなかったと思う。色々受賞していて評価は高いんだけど、私はあまり高く評価しない。だって、夢が無さすぎるんだもの。人間の想像力の素晴らしさまで感じさせてくれるとはいえないよ。これならドキュメンタリー番組にしてもらったほうがスッキリ感心できると思う。
負けるな日本
公開年:2002年
公開国:イギリス、アイルランド
時 間:118分
監 督:ピーター・ミュラン
出 演:ノラ=ジェーン・ヌーン、アンヌ=マリー・ダフ、ドロシー・ダフィ、ジェラルディン・マクイーワン、アイリーン・ウォルシュ、イーモン・オーウェンズ、キアラン・オーウェンズ、フランシス・ヒーリー、エンヤ・マクギネス、フィリス・マクマホン、メアリー・マーレイ、ブリッタ・スミス、クリス・シンプソン、ダニエル・コステロ、ショーン・マクドナー、ショーン・マッキン、ピーター・ミュラ 他
受 賞:【2002年/第59回ヴェネチア国際映画祭】金獅子賞(監督:ピーター・ミュラン、出演:ジェラルディン・マクイーワン、Nora-Jane Noone)
コピー:前を見続ける、何があっても。
アイルランドの修道院。3万人の少女たちの隠された真実の歴史。
アイルランドにあるマグダレン修道院は、性的に“堕落した”女性たちを矯正する施設。1964年、3人の少女が収容される。その美しさゆえにしばしば少年たちの心を惑わせていた孤児バーナデット。従兄弟にレイプされたマーガレット。未婚のまま子供を産んだローズ。それぞれが罪を負った女とされ、悔い改めるために、自由を奪われ、過酷な動労を強いられ、修道女たちから極限までに非人間的な扱いを受けるのだった…というストーリー。
カトリックの人は、こんなのはイエスの教えとは正反対です!とか言うんだが、部外者の私から言わせれば、だからカトリックの教義はイエスからは乖離してるんだっつーの。カトリックの闇歴史のほんの1ページでしかないよね。いくらアイルランド社会が保守的だからって、そういう社会だからこそ未婚の女性や子供達を守る、それこそイエスの教えだろう。そんな迫害の舞台がマグダラのマリアの名前を冠してるなんて、タチの悪いジョークとしか思えない。
そして本作に対してクレームを付けるバチカン。笑わせるぜ。のべ3万人以上の女性が収容されていたんだぞ。なんの言い訳ができようぞ。なんのフォローの必要があるのか。おぞましすぎる。こんな組織が1996年まで存在し得ること考えられん。
主人公達を苦しめる修道女達の所業。シナリオとしては出来すぎなくらいの悪役っぷり。これがフィクションならば、修道女たちに地獄の報いを受けさせるところなんだろうが、残念ながらこれはほぼ実話。だから、最後も溜飲が下がるようなエピソードはない。おまけに、こんな目にあっても死ぬまでカトリックだったというローズのその後に、ゾっとしてしまう。カトリック社会の業の深さよ。
#なんか、もっと最後の字幕は内容があると思うんだけど、翻訳の語彙が足りなくない?なんでちゃんと訳さないのかね?
往々にして実話ベースの場合は、その制約ゆえに踏み込みが甘かったりするんだけど、本作の場合は、4人の女性たちを襲う過酷な修道女の仕打ちに、観ている側が飲み込まれてしまい、あっという間に世界に引き込まれてしまう。鈍痛のする映画だけど、表向きの教義とは裏腹にカトリック社会にはびこる、その不寛容と無慈悲さを、改めて認識させられる映画。お薦めするとかしないとかじゃなく、宗教とはなにか?権威とはなにか?という視点において、観る意味のある映画だと思う。
まけるな日本
公開年:2007年
公開国:アメリカ
時 間:126分
監 督:リチャード・ラグラヴェネーズ
出 演:ヒラリー・スワンク、ジェラルド・バトラー、リサ・クドロー、ハリー・コニック・Jr、ジーナ・ガーション、ジェフリー・ディーン・モーガン、キャシー・ベイツ 他
コピー:まだ“さよなら”は言えないんだ。
ニューヨーク。アーチスト志望だったが現在は不動産屋に勤務するホリーは、リムジンの運転手をやっている陽気なアイルランド人の夫ジェリーと二人暮し。より生活を向上させようと努力はしているが、つつましい生活が続き、貯えができるまでは子供を作るのもしばらくおあずけ状態。しかし、ジェリーは脳腫瘍を患って死んでしまう。それから3週間、ホリーは悲しみのあまり部屋から出ず、電話にも一切出ず、引きこもり状態に。そんな彼女を心配して、彼女の家族や友人達が、ホリーの30歳の誕生日に押しかけると、そこに突然バースデーケーキとテープレコーダーが贈り物として届く。何とその差出人は、死んだジェリーだった…というストーリー。
え?受賞歴が無い?嘘でしょ?何でこんなに評価が低いのか。世の中の人たち、どうかしちゃってるんじゃないの?
昨日の『ショーシャンクの空に』の伏線の張り方とその回収が、いいジャブ・ジャブと見せておいて右フック パーンみたいな効果的なコンビネーションならば、本作のシナリオは、ノーモーション・ブローを連続でスパーンとキメる感じ。
パートナーが死んでどん底に落ち込んで、しばらくすると死んだ彼から手紙が…、いいアイデアだと思うけど、それだけで技アリ!ってほどでもない(その点は『ショーシャンクの空に』と同じだね)。
冒頭の痴話喧嘩からのいちゃいちゃシーンが長くて長くてウンザリしかけたところで、オープニングを越えたらいきなりお亡くなりになってる。こういうノリで、伏線のセットアップというのをわざとやっていない。男女間の出来事なので、それらをただ見せれば、何があったかは大体想像つくよね…ってスタンス。この演出のおかげで、観ている側もホリーと一緒になって苦しんで乗り越えていくが思い出す…という形式で統一されている。これでまとめるのって、案外高等テクニックだと思うんだけどな。脚本家はなかなかのいいセンス
安易にバーの男とくっつかないのもいいし、最後のアイルランドでのシーンの先々の匂わせ方もいい感じ。私の中では、恋愛映画としては『月の輝く夜に』に次ぐくらい評価している。
恋愛映画なんてジャンルとしてそれほど好きじゃない私がここまで褒めるんだから、おもしろいんだよ。信じて観てほしい。お薦め
#キャシー・ベイツが結構キレイなおばちゃんになってて、ちょっとびっくり。
負けるな日本
公開年:1994年
公開国:アメリカ
時 間:143分
監 督:フランク・ダラボン
出 演:ティム・ロビンス、モーガン・フリーマン、ウィリアム・サドラー、ボブ・ガントン、ジェームズ・ホイットモア、クランシー・ブラウン、ギル・ベローズ、マーク・ロルストン、ジェフリー・デマン、ラリー・ブランデンバーグ、ニール・ジュントーリ、ブライアン・リビー、デヴィッド・プローヴァル、ジョセフ・ラグノ、ジュード・チコレッラ、ポール・マクレーン 他
受 賞:【1995年/第19回日本アカデミー賞】外国作品賞
妻とその愛人を殺した容疑を懸けられた銀行副頭取のアンディ。彼に不利な証拠が重なり無期懲役の判決が下り、ショーシャンク刑務所送りとなってしまう。はじめのうちは、身に覚えの無い罪に納得できず、収監生活に戸惑うアンディだったが、徐々に彼の魅力的な人柄が他の受刑者に受け入れられ、馴染んでいくのだった。20年の歳月が流れた頃、新たに収監された囚人から、彼が冤罪であるという証拠話を聞かされ、アンディは再審請求を所長に申し出るのだったが…というストーリー。
ここのところ、すっきりしない作品ばかりでうんざりぎみだったので、カタルシス確実な作品を。3年と空けずに繰り返し見る作品である。もちろんDVDは購入済で、棚に鎮座している。
『フォレスト・ガンプ/一期一会』にもっていかれちゃって無冠状態だけど、これほど“無冠の帝王”って名前がぴったりな作品は無いね。
諦めない姿に感動したという意見が多いのだけれど、私はそれほどこのプロット自体が優れているとは思っていない。冤罪で収監されたが諦めることなく、悪い看守たちを出し抜いて遂に脱走を果たす…っていう話は、それほど新規性があるものではない。
この作品が優秀である所以は、伏線の回収のウマさ。
まず、大抵の作品は、「あ、これあとで伏線になってくるな…」ってのが判るものだが、本作は伏線がセットアップされたことにすら気付かないところが多い。そして、伏線のセットアップから回収までの長さが、その伏線ごとに絶妙にまちまち。まるで、球種がたくさんあるピッチャーにいいように三振に取られちゃった感じ。完全にタイミングをはずされて空振りながら「ここで、そんな山なりカーブ放り込んでくるか~」って感じ。それも4打席連続三振をくらったみたい。
冒頭のアンディのストーリーとレッドのストーリーの、絡み合いも絶妙である。そして最後は友情によってその筋が一本になっていく。たまりませんな(まあ、それも伏線の回収みたいなもんなんだけど)。こんなシナリオが書けるなら、寿命が5年短くなっても文句は言わない。
明日から、また次の作品を観る気力は湧いてくる。今更、本作を観ていないという人は少ないと思うが、万が一存在するならば、死ぬ前に間違いなく観るべき作品。無人島に3本映画をもっていけといわれたら、間違いなくチョイスする一本。
負けるな日本
公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:93分
監 督:アダム・グリーン
出 演:ケヴィン・ゼガーズ、ショーン・アシュモア、エマ・ベル、エド・アッカーマン、ケイン・ホッダー、ライリア・ヴァンダービルト 他
受 賞:【2008年/第75回NY批評家協会賞】新人監督賞(コートニー・ハント)
【2008年/第24回インディペンデント・スピリット賞】主演女優賞(メリッサ・レオ)
冬休みにスキー場で楽しむダン、ジョー、パーカーの三人。最後にもう一滑りだけしようと閑散としはじめた夜のスキー場に繰り出す。もうクローズするというリフト係を説き伏せて無理やり乗り込む3人。その後、交代した係員は、彼ら3人がまだ乗っていることに気付かずリフトを停止。地上15メートルの所に取り残されてしまう。さらにスキー場全体がクローズしてしまい、オープンするのは1週間後。はじめはなんとかなると考えていた3人だったが、気温がどんどん低下していき…というストーリー。
似たようなタイトルの作品を連日で。
あらすじ以上のものがあるかと聞かれれば、“無い”としか答えようが無い。よくもこのプロットだけで90分もの長さに膨らませられたものだと、逆に感心してしまう。ある意味、職人仕事かも。でも、ただ、それだけ。
『オープンウォーター』を同じテイストの作品で、取り残されモノ。明らかに二匹目のどじょうを狙った作品なだが(いや、三匹目か?それ以上か?)、はたしてこんな作品を観に行った人が、どれだけいたのか。「これはきっとおもしろい作品に違いない!」と思った人なんかいるのか。
これでもかこれでもか…とリフトの上で考えられることを重ねていくのだが、あまりにも行動エリアが狭すぎるのがアダに。いくらスキー場が大自然の中だからといって、そんなに簡単に狼の群れがやてくるのもどうかと思うし、簡単にリフトのボルトが外れるのも都合が良すぎるかと。
ボードを落とした時点で、地面の雪の固さはわかったのに、降りようとするのも、腑に落ちず。
ペトっと触った皮膚が、凍った金属にくっつくのは理解できるけれど、握り続けていた金属に手がくっつくというのは考えにくいし、むりやりはずそうとする行動も理解不能。死人じゃないんだから、ちょっとすればもっと穏便に離れるだろう。
満腹だったので助かりました…ってのもなぁ。
極限の状態で知恵をつかって乗り越えました。でも、それ以上の困難が訪れました。それを何度か繰り返したけれど、もうがんばりも限界です。もうだめです。あ~~。ってそういう流れを作らないとダメじゃないかねぇ。基本じゃない?
薄々感づいてはいたが、やはり稚拙な映画である。リフトが停止して5分くらいで、私は読書をし始めてしまった。それでも特に問題なくストーリーを把握できた。その程度の内容。旧作レンタル料金でも、ちょっと惜しいくらい。観たあとに何も残らない作品。
負けるな日本
公開年:2008年
公開国:アメリカ
時 間:97分
監 督:コートニー・ハント
出 演:メリッサ・レオ、ミスティ・アッパム、チャーリー・マクダーモット、マーク・ブーン・ジュニア、マイケル・オキーフ、ジェイ・クレイツ、ジョン・カヌー、ディラン・カルソーナ、マイケル・スカイ 他
受 賞:【2008年/第75回NY批評家協会賞】新人監督賞(コートニー・ハント)
【2008年/第24回インディペンデント・スピリット賞】主演女優賞(メリッサ・レオ)
コピー:光を信じて
ニューヨーク州最北部 2人の母親は家族のために凍てついたセント・ローレンス川を渡り、犯罪に手を染めていく…
ネイティブアメリカン・モホーク族の保留地があるニューヨーク州最北部の町。新居の購入費用をギャンブル狂の夫に持ちだされてしまい、途端に生活に窮してしまう妻レイと2人の子どもたち。通勤途中で夫の車を発見し追いかけたると、運転していたのは何故かモホーク族の女。ライラと名乗るその女は、車を盗んだのではなく拾ったという。実は、ライラは凍結した国境の川を渡って、カナダからの密入国を一人1200ドルで請け負っていたのだ。義理の母に奪われた幼い息子と一緒に暮らすための金をつくるために。その仕事のためにどうしても車が必要だったライラは、レイが金を必要な状況を知ると、共犯者として引き入れるのだった…というストーリー。
「二人のやってることは悪いことなのは判ってるけれど、彼女らの事情を考えるととりあえず切り抜けて欲しいなぁ…」っていう応援したくなるような感情が涵養されないので、いまいち盛り上がらない。
一緒に持ってきたカバンが、もしかしたら危険なものかもしれないと思うまではいいとして、捨てる前に中身を見ないのはちょっと不自然。いや、子供を殺めそうになってしまうというプロセスはとても大事なのでカットするわけにはいけないが、一応開けてみたら、わけのわからない容器がちらっと見えたとか、そういう演出は欲しかった。テロ組織の人間かもしれないと、怯える様子があまりにも取って付けたようで(外国の知識がないという、伏線は事前に貼ったつもりかもしれないが、効いていない)。
そういうエピソードを経て、一定の距離を保ちつつも、心のどこかで共感する部分を感して“徐々に”繋がっていく様子が、もう少しうまく表現できていれば違ったかもしれない。最後の最後になるまで、そんなに心が通じ合っていたとは思えず、すごく唐突に感じた。
また、あの程度燃えたくらいで、新しいトレーラーハウスが絶対必要と思う根拠は希薄。狭いけど、とりあえず雨風しのいで暮らせるじゃん。小金は入って、食い物は買えるんだし。そこまでして危ない橋を渡ろうとするモチベーションに繋がるかね?
モホーク族の女に至っては、金ですべてが解決できる問題でもなさそうだし、解決の最短コースは自分にあった眼鏡を買ってマジメに働くことだった。そして、実際その道を歩み始めたのに、なぜかあっさりと戻る。戻っちゃいけないわけじゃないんだけど、戻るのも致し方あるまいという状況を作らないといけない。そこも唐突。
いや、ここまでツッコんでばかりだと、ダメ映画かと思われてしまいそうだけど、そこまでひどくはない。貧しさが人をこんなにしてしまうのさ…的なカッスカスの感じがよく表現ができているし、ネイティブアメリカン居留地の治外法権をうまく使えたプロットだとも思う。
それだけに、もうちょっとブラッシュアップすべきだったと思う。また、シナリオに大きなうねりがあれば、文句なしだったのだが、ちょっと残念な作品。お薦めはしないが、こういうのが好きな人は一定数いるとは思う。
負けるな日本
公開年:2009年
公開国:アメリカ
時 間:111分
監 督:スコット・クーパー
出 演:ジェフ・ブリッジス、マギー・ギレンホール、ロバート・デュヴァル、ライアン・ビンガム、コリン・ファレル、ポール・ハーマン、トム・バウアー、ベス・グラント、ウィリアム・マークェス、リック・ダイアル、ジャック・ネイション 他
受 賞:【2009年/第82回アカデミー賞】主演男優賞(ジェフ・ブリッジス)、歌曲賞(曲/詞:ライアン・ビンガム、T=ボーン・バーネット“The Weary Kind”)
【2009年/第35回LA批評家協会賞】男優賞(ジェフ・ブリッジス)、音楽賞(T=ボーン・バーネット、スティーヴン・ブルトン)
【2009年/第67回ゴールデン・グローブ】男優賞[ドラマ](ジェフ・ブリッジス)、歌曲賞(T=ボーン・バーネット、ライアン・ビンガム“The Weary Kind”)
【2009年/第25回インディペンデント・スピリット賞】主演男優賞(ジェフ・ブリッジス)、新人作品賞
【2009年/第15回放送映画批評家協会賞】主演男優賞(ジェフ・ブリッジス)、歌曲賞(T=ボーン・バーネット、ライアン・ビンガム“The Weary Kind”)
コピー:傷ついた者にしか、歌えない愛がある
かつて一世を風靡したカントリー歌手のバッド・ブレイク。今では落ちぶれて、地方のバーなどでのドサ回りで食いつなぐ日々。新しい曲も浮かんでこない。弟子だったトミーが大活躍しているのも気に喰わない。そんな毎日の繰り返しで、酒量ばかりが増えていく。ある日、地方紙の女性記者ジーンの取材を受けることに。親子ほども年の離れた二人だったが、なぜか惹かれ合い一夜を共にする。ジーンは離婚の痛手を引きずりながら小さな息子との二人暮しをしており、これ以上関係を深めることに躊躇する。そんな中、巨大スタジアムで行われるトミーの公演の前座のオファーがあり…というストーリー。
別映画のレンタルDVD冒頭のトレーラー映像で本作を知った。けっこう重い展開がありそうだったのでレンタルしてみたのだが、そういう意味ではちょっと肩透かしを喰らった感じ。きっと、子供を死なせてしまってどん底まで打ちひしがれるとか、そのレベルの展開があると予測していたのだが…。
くたびれたオヤジの極みではあるけれど、酒の量が多くて、やる気がでなくて怠惰な生活になっているだけ。それこそ世の中には薬に溺れたり、悪の道に手を染めたりする人もいるわけで、それと比較すれば、実に健全な落ちぶれ方である。
むしろ、一時は人気者だったことがあり、落ちぶれたとはいえ好きな音楽でなんとか喰えている。これってかなり羨ましいことなのではなかろうか。
その後は、若い女と恋に落ちて、ちょっとしした失敗をして、反省して更生して、もう一度大成功。スタート時点でもそこそこ羨ましい状態なのに、さらに羨ましい状態になる。んー、これって、なんだろう。絶望的なピンチもあるわけじゃなく、それほど応援したくなるような場面もなく、彼をピンチに陥れる理不尽な敵役が出てくるでもなく、最後は金も健康も男気も手に入れる。
このシナリオの底辺に流れる、一本の訴えたいモノというのが、最後まで見えなかった。こっちの感情があまり動かなかった作品。もしかすると私も60歳を越えると響いてくるのかしら。でも、今は何も響かない。途中で読書しちゃった。
まあ、オスカー受賞作なのにそれほど話題にもなっていない時点で、気付くべきだったかな。お薦めできない。
負けるな日本
公開年:2010年
公開国:日本
時 間:106分
監 督:中島哲也
出 演:松たか子、木村佳乃、岡田将生、西井幸人、藤原薫、橋本愛、天見樹力、一井直樹、伊藤優衣、井之脇海、岩田宇、大倉裕真、大迫葵、沖高美結、加川ゆり、柿原未友、加藤果林、奏音、樺澤力也、佳代、刈谷友衣子、草川拓弥、倉田伊織、栗城亜衣、近藤真彩、斉藤みのり、清水元揮、清水尚弥、田中雄土、中島広稀、根本一輝、能年玲奈、野本ほたる、知花、古橋美菜、前田輝、三村和敬、三吉彩花、山谷花純、吉永あゆり、新井浩文、山口馬木也、黒田育世、芦田愛菜、山田キヌヲ、鈴木惣一朗、二宮弘子、高橋努、金井勇太、野村信次、ヘイデル龍生、吉川拳生、成島有騎、小野孝弘、三浦由衣、前田想太 他
受 賞:【2010年/第34回日本アカデミー賞】作品賞、監督賞(中島哲也)、脚本賞(中島哲也)
【2010年/第53回ブルーリボン賞】作品賞、助演女優賞(木村佳乃)、編集賞(小池義幸)
コピー:告白が、あなたの命につきささる。
ある中学校の終業式の日。1年B組の担任・森口悠子は、教壇から生徒にある告白をする。数ヵ月前、シングルマザーの森口が学校に連れてきていた一人娘の愛美がプールで死亡するという事件があったが、警察は事故と断定したが、実はこのクラスの生徒2人よる殺人だったと。しかし、たとえそれを白日の下にしたとしても、彼らは少年法に守られて罰せられることはない。だから、自分の手で処罰することに決めた、と彼女は宣言し…というストーリー。
原作は読んでいない。あくまでこの映画をみた上での感想・指摘である。なぜ、その断りを入れるかというと、これから述べる、問題のあるポイントは、おそらく原作の段階から存在する問題だと思うから。
中島監督の前作『パコと魔法の絵本』が、ただただカラフルで奇抜なだけの表現に留まっていたことに失望し、次回作に多大に期待していた私。打って変わってカラフルさは鳴りを潜めたものの、そのエネルギーは、“告白”という言葉の羅列をいかに効果的に視覚を用いて訴えるかに注がれ、見事に成功している。
ホメ言葉に聞こえないかもしれないが、誤解を恐れずに言うと、デキよいプレゼン資料を見せられた感じ。「いやー、同じことを説明しようとしているのに、こっちの資料は見せたいところのポイントのメリハリがあって、表現もすっきりしていて、いいですねー」なんて、お客に褒められて、いかにもコンペに勝てそうな資料みたい。
中島監督といえば色彩表現だけど、じゃあ、色を除いたら何が残るのか。別にきらびやかな表現だけが俺の能力じゃねえ!そういう演出上のテーマがあったかどうかは知らないが、そういう挑戦的なものは感じる。別にこの告白という作品で、従来の色彩表現を使ってはいけないという制限は無いのだから。
他の監督が、本作を撮ったなら、もっと普通の“告白”になっただけだろう。映画にする意味があったの?のオンパレードだったと思う。特に、冒頭部分の森口による告白部分なんて、ほぼ棒読みのセリフが続くだけなんだから、ヘタな監督がやったら、この段階で半分以上の観客が「ダメだこりゃー」状態になったのは必至。中島監督だったから持ちこたえたられたのだ。こういう、ある意味奇抜な原作を映画化するには、このくらい“毒”ともいえる演出は最適だったと思う。演出の面では、私は大満足しており、中島監督の次回作にも期待したい。
で、その中島節をもってしても、覆い隠せなかったシナリオ上の問題点とはなにか。ただ1点。なんで、森口のやったことを口外すると犯人Cとみなすというメールだけで、誰一人、親に言わないのかという点。自分以外の誰かが公表してしまうかもしれないし、それを心に留め置くつらさよりも、親にチクったほうが心が楽になるに決まっている。犯人Cとみなすということは、同じように感染させてやるぞ!という脅迫以外の何者でもないわけだが、森口の所業を複数の生徒が公言してしまえば、その森口自体の行動は制限され、おそらく安全になるはず。森口がそういうことをしたという証明ができないから…という見方もできるが、複数の生徒が言えばおそらく問題にはなるはず。生徒がHIVの基礎知識もないポンコツで、謝った恐怖を抱いたとしても、それとこれとは別の問題。やはり、何をどう天秤にかけても、数十人の生徒の行動を束縛できるだけのパワーがそのメールには無い。
で、おそらくこのあたりは、原作からそうなんだろうな…と。この点に関しては、どういう演出にすればリアリティを持たせることができるか、色々考えたが思い浮かばなかった。
もう一点だけ、残念な点は、松たか子がどうしても森三中の村上さんに見えてしまったこと。別に揶揄しているわけでもなんでもなくて、せっかくのシリアスシーンに、余計な要素が混じって邪魔臭かった(今後の俳優人生を考えると、死活問題だと思うのだが)。感情の表出の少ない役なので難しい面もあったし、木村佳乃が神がかり的な演技だったので対比せざるを得ないので、松たか子はちょっと損をした感がある。
世の中には期待はずれだったという評価が散見されているが、もう一度言うが、大概の指摘内容は原作から包含しているものなので、仕方が無い。後味の悪い作品だという感想もあるが、元々そういう作品だから(それに文句をいってたら「セブン」なんかどうなっちゃうんだ)。いずれにせよ、軽く及第点は越えているのでお薦めする。
#最後の「なーんてね」は、海外ではなんて訳されてるのかな…。
負けるな日本
公開年:2011年
公開国:日本
時 間:93分
監 督:金田治
出 演:渡部秀、桜田通、三浦涼介、高田里穂、桐山漣、菅田将暉、秋山莉奈、石丸謙二郎、福本清三、ささきいさお、藤岡弘、、佐々木剛、宮内洋 他
出現した怪人と対決するオーズだったが、その怪人はヤミーでなかった。そこに突然、デンライナーに乗ってNEW電王たちがやってきて、怪人たち“モールイマジン”を倒そうとするが逃がしてしまう。NEW電王たちはモールイマジンを追って“1971年11月11日”へと向かうが、映司とアンクも興味本位でデンライナーに同乗。なんとかモールイマジンを倒して現代に戻ってくるが、何故か悪の秘密結社ショッカーが支配する世界となっていた。さらに、仮面ライダー1号・2号までも、諸っカーに敗れ洗脳され諸っカーの手先になっていた。実は、過去にいった時に、アンクがセルメダルを落としてきてしまったために、歴史が書き換えられていたのだ。映司は現在に残りショッカー怪人たちと戦い、特異点である幸太郎たちは歴史を戻すために、デンライナーで再び過去へ飛ぶのだったが…というストーリー。
メンズデーで1000円だったので、観てきた。大きな子供達が男女含めて14、5人ほどで、ヒットしてるとは思えない入り。
子供向けの仮面ライダーにしては、なかなか練ったストーリーで、充分鑑賞に耐えるシナリオ。平成ライダーの中では、随一の人気を誇る電王とのコラボだが、基本的にタイムマシンネタなので、どの仮面ライダーと合わせても、話は作りやすい。
単なるお祭り映画かと思っていただけに、予想外に引き込まれてしまい、これは、初めて普通の映画と同列で評価してよい、仮面ライダー映画になるのか?と思わせてくれた。そう、『アイアンマン』や『スパイダーマン』と同列に扱ってもいい映画がやっと登場か?…と。
半分が経過したところで馬脚を現す。おかしな臭いがしてくるのは、コアメダルをすり変えたといい始めたあたりから。なんでそんなものを突然用意できるかね…と?。さらに、そのニセモノもニセモノ返しだったという子供だましな展開。もしかして意図的に昭和ライダーで散見されたトホホなご都合主義をわざと放り込んだのか?と思ったのだが、どうもそういうシャレでは無い模様。
唐突にデストロンのカメバズーカが出現して、何でもありの臭いもしはじめる。
そこからは、次々とボロが出続け、V3以降の昭和ライダーが登場しはじめると、もうせっかくのストーリーもすべて台無し。整合性を突然放棄し出して、がけ崩れの連鎖。この世界では存在し得ないライダーが登場し、加えてなんで民衆が連呼できるのか、もうわけが判らない。
ライダー40周年だから、全部出したい!だって、はじめの企画段階で決まってることなんだもの!…。まあそういう大人の事情はわかる。でも、ここまで、なんとか大人の鑑賞に堪えるようなシナリオだったのに、ぶちこわしにする法はなかろう。ここは全員を出すことに固執しないで、ストーリーになんとか絡め整合性をキープしたほうがよかっただろう。V3はこっそり1号と2号が作っていた。ライダーマンはショッカーの科学者が自分を改造していた。あとはデンライナーが、かき集めた数人が登場…。Wとアクセルは元々同一世界だからいてもおかしくないことを匂わす…とか。
“40”と並ばせる部分なんて、寒くて寒くて。ああいうお遊びは、それまで真剣にマジメに作ったところにポっと差し込むと効果が出るのであって、散々ふざけたあとに出しても、スベるだけだ。
ズラズラと全員出たからって、そこが面白い!ゾクゾクしたって人なんかいるわけないだろ(まともに見えないんだし)。キカイダーらを出した意味もさっぱりわからない。出しさえすれば、大人が懐かしいと思ってくれるだろなんておもったか?誰が思うか。バカめ。ビデオやネットの無い時代じゃねーんだぞ。
はっきりいって、はじめの企画意図や方針が、おもしろさの足枷になるのなら、そんな企画捨てちまえ!それもできないなら、クリエイターの看板なんか下ろしちまえ。これは単なる、おもちゃを売るためのプロモ映像じゃねえか。こんなんだから、日本の特撮ヒーローは、いつまでたっても子供だましの世界から抜け出せないんだ。これを続けている限り、本当の意味で日本特撮ヒーローが市民権を得る日は遠い。悲しい。
俺、本気でシナリオライター目指そうかな。もう、悲しいよ。
じゃあ、一流におもちゃ販売プロモになってるか?っていうと、そうじゃない部分も多い。なんといっても昭和仮面ライダーたちの胸のコンバータラングがパコパコ浮いてるのはどうにかならんのか。座布団を胸に付けているよう。もう、仮面ライダーを改造人間として見せようなんていう真剣さが微塵も感じられない。
いいシナリオにしよう…、造形面でもしっかりしたものにしよう…というスタッフが半分いて、のこりの半分のスタッフがそれなりのモノならいいじゃん。所詮、子供向け特撮でしょ?っていう根性なんだろう。全体の意識を前者に統一できないのは、監督に力が無いから。そして商売優先の製作陣だから。いい加減、目を醒ませ。こういう大人の仕事を見ると、本当に不快になる。職業人として軽蔑する。評価にすら値しない。
負けるな日本。
#この映画を作ったやつらは負け人間だけど。
公開年:2007年
公開国:イギリス
時 間:92分
監 督:リチャード・エアー
出 演:ジュディ・デンチ、ケイト・ブランシェット、ビル・ナイ、アンドリュー・シンプソン、トム・ジョージソン、マイケル・マロニー、ジョアンナ・スキャンラン、ショーン・パークス、エマ・ケネディ、シリータ・クマール、フィル・デイヴィス、ウェンディ・ノッティンガム、アンヌ=マリー・ダフ 他
ノミネート:【2006年/第79回アカデミー賞】主演女優賞(ジュディ・デンチ)、助演女優賞(ケイト・ブランシェット)、脚色賞(パトリック・マーバー)、作曲賞(フィリップ・グラス)
【2006年/第64回ゴールデン・グローブ】女優賞[ドラマ](ジュディ・デンチ)、助演女優賞(ケイト・ブランシェット)、脚本賞(パトリック・マーバー)
【2006年/第60回英国アカデミー賞】主演女優賞(ジュディ・デンチ)、脚色賞(パトリック・マーバー)、英国作品賞[アレキサンダー・コルダ賞]
【2006年/第12回放送映画批評家協会賞】作品賞、主演女優賞(ジュディ・デンチ)、助演女優賞(ケイト・ブランシェット)
コピー:彼女の恋の相手は15歳だった
ロンドン郊外の中学校。ベテラン教師のバーバラは、その厳しい態度から生徒や同僚教師から煙たがられる存在。ある日、美術の担当教師として、教師シーバが赴任してくる。彼女は美しく、生徒だけでなく教師たちからもたちまち人気を得ていく。始めは彼女から距離を置いていたバーバラだったが、彼女もシーバのことが気になってしかたがなくなり、次第に彼女とならば友達になれるような気に。以来シーバの様子を観察し、日記にそれを書くまでに。そして、ある出来事をきっかけにシーバと親しくなり、プライベートでも関わるようになる。彼女との関係に満足を覚えたバーバラだったが、ある時、シーバと男子生徒の情事の現場を目撃してしまい…というストーリー。
ここのところ、映画のお薦めブログじゃなくって、シナリオへのダメ出しブログになっちゃってるんだけど、残念ながら今回もダメ出しだ。
ベテラン独身教師のバーバラによる一人称で始まり、彼女目線で鑑賞させようとしてるのだが、どうにも彼女に共感することができず、しっくりこない。共感とまでは言わないから、独身である彼女が世間に感じている嫌悪感とか、一人でいることについて、そういう環境なら仕方ないよね…とか、そういう事情ならそういう考えになるよね…とか、ある程度理解できないとどうにも。だから、彼女の思うようにことがすすんだり、ちょっとしたピンチをすりぬけても、ああよかったね…とは思えない。
美しいアイコンとしてケイト・ブランシェットは完璧なのだが、その彼女への執着が、ただただ奇異にしか映らない。次第にバーバラの心理バランスがくずれ、著しく逸脱していくのだから、バーバラを含めてこの世界を俯瞰目線で見せないといけなかったと思う。
そういう危ういバランスのまま展開するのだが、ジュディ・デンチ、ケイト・ブランシェットの演技が素晴らしいのでなんとか持ちこたえている感じ。
しかし、死んだネコのくだりから、完全に瓦解する。観ている側は完全に放り出され、バーバラとの距離が永遠に感じる。そしてただごちゃごちゃにかき回され、しかたがないのでそのごちゃごちゃの行方を見守るしかない。
放り出される感じを味あわせたいとしても、そのフリになっていない。
色々あったもののシーバは家に戻るわけだが、これをみて、ああよかったね、今回は勉強になったね、と思う人がいるだろうか。元々、彼女に対して、感情移入するように作られていないから、それは無理だろう。
結局、バーバラがちょっと性的に倒錯していたことがわかったからって、「やられた!」と思う人がいるだろうか。最後に女性に声をかけている様子をみてゾっとする人がいるだろうか。
色々、脚色賞などノミネートされているが、あえて逆らう。決して駄作ではないが、本作はイマイチ。特段お薦めしない。観ている側が居場所のない映画。多分、映画にするには、ものすごく難易度が高い原作なんだと思う。
#ケイト・ブランシェットが、ズバ抜けて美しいと思える映画ではある。
負けるな日本
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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