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公開年:2004年
公開国:アメリカ、カナダ
時 間:96分
監 督:クリストファー・タボリ
出 演:クリスチャン・スレイター、マイケル・クラーク・ダンカン、ギル・ベローズ、エステラ・ウォーレン、コンチータ・キャンベル、ソウル・ルビネック、アンドリュー・スティーヴンス、サラ・ストレンジ、ケン・トレンブレット、タイラー・ラビーン、ケヴィン・マクナルティ、チェラー・ホースダル、スコット・ハイランズ 他
コピー:奴の誘いは命がけ、“NO”の言葉が死の合図。



シアトルの中小企業”ビズトラックス”に勤めるベン・キーツは、人間に投与すると現在位置が人工衛星を通して15分以内に解析できる薬剤を開発した。これを利用した追跡システムは多大な需要が予測され、上場が予定されている株価を大きく跳ね上げ、経営危機に陥っていた会社を救うと期待された。そんなある日、ベンの元に、彼をヘッドハンティングするために、ヴィンセントという男が現れる。多額な報酬を提示するが、ベンは社長のフランクリンに恩義を感じており、首を縦に振ろうとはしない。しかし、ヴィンセントはこれまで、ターゲットをどんな手段を使ってでも引き抜いてきており、そのためには殺人ですら厭わないという冷酷な男だったのだ。ヴィンセントは、偶然を装いベンの妻エミリーに近づき、ベンが多額の報酬を断ってまで現在の会社に残ろうとしていることや、夫への疑念を抱かせるようなことを吹き込んでいく。そして幼い娘の乗馬好きに乗じてプレゼントを贈り、心を掴んでいく。さらに、家族の旅行先にまで現れていろいろな便宜を図るようになる。しかし、それでも引き抜きを了承しないベンに対して、ヴィンセントは強行手段に出て…というストーリー。

なんかSFチックな、ジャケット画像なんだけど、全然内容は違う。

クリスチャン・スレイターが悪役のヘッドハンターさんを演じている。悪くはないのだが、いかにもはじめから悪役臭全開。実はいい人なのでは?とか、実はマイケル・クラーク・ダンカンのほうが悪人なのでは?はたまた陰謀があって裏で手を結んでいるのでは?とか、そういうミスリードはいくらでもできたと思うのだが…、直球で一切ヒネリはない。
唯一のヒネリは、単なる強引なヘッドハンターなんじゃなくて、実はサイコ野郎だっていうところ。

だんだんとヴィンセントの攻めに窮していくんだけど、これがイマイチなんだよねぇ。
すべて、ベンがきちんと説明していれば、こじれないで済む話なの。フランクリン社長や同僚には、自分はこんなヘッドハンターが近づいてきていて、こんなことをいわれていて、こんなことを周囲に吹聴されてこまってるんだ。俺はやめないから、皆も信用するなよ!って宣言すればそれでおしまいだ。
妻に対しても、いくら報酬を提示されてもやめない。だって、せっかく発明した技術は会社にあるわけで、転職したらイチからはじめることになる(日本とは特許の扱いが違うかもしれないけど、本作の場合、共同出願にしてるでしょ)。それにヴィンセントってのは友達でもなんでもない。ヘッドハンターだ。あることないこと吹聴してまわってるので、誤魔化されないでくれといえばいい。

それでも騙されるくたいヴィンセントが巧みで、そりゃ無理だわ…って感じじゃないし。主人公が、ヘッドハントになびいちゃってて、目がくらんでて、気付いたら大変なことになってた…っていう展開なら理解できるのだが、そんなこともないし。

実はヘッドハントは二の次で、彼の真の目的がターゲットを追い詰めること、それだけ!っていう感じならしっくるくる。あまりにベンが抵抗するものだから、もうヘッドハントなんかどうでもよくなって暴走しちゃう!って流れならいいのだが、ヴィンセントはヘッドハントするっていう職業意識からは逸脱しないので、彼のサイコっぷりがイマイチはじけない。

とはいえ、サイコ野郎に完全に翻弄される展開で、ストーリーがすっかり集約するのだが、忘れた頃に夢のテクノロジーを使った反撃を始める。取ってつけたような反撃。遅いわ。それが事件のオチの重要な鍵というのも、どうもね。

ストーリー構成のバランスが非常に悪い。駄作だと思う。

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公開年:1997年
公開国:アメリカ
時 間:128分
監 督:デヴィッド・フィンチャー
出 演:マイケル・ダグラス、ショーン・ペン、デボラ・カーラ・アンガー、ジェームズ・レブホーン、ピーター・ドゥナット、キャロル・ベイカー、アンナ・カタリーナ、アーミン・ミューラー=スタール、エリザベス・デネヒー 他
コピー:全米№1。『セブン』を越える驚愕と戦慄。ラストの衝撃。緊張度120% 私は盲目であったが今は見える --ヨハネ第9章25節--



サンフランシスコ。大富豪だった父の莫大な資産を引き継ぎ、投資家として成功していたニコラス。今は妻と離婚し、大邸宅に一人で住んでいるが、規則正しく、遊ぶこともなく、ただただシビアに仕事をこなす生活を送っていた。48歳の誕生日、弟のコンラッドと久々に会うと、彼から“CRS”という会社のサービスをプレゼントされる。人生が一変するような素晴らしい体験したのでそれを兄にも経験させたいというコンラッド。軽くあしらっていたニコラスだったが、ある日ふと気になりCRS社に足を運ぶ。サービスの内容が判らないニコラスが説明を求めると、CRSの商品とは“ゲーム”だという。釈然としなかったが、言われるがままにペーパーテストや身体テストを受け、その後帰宅すると、玄関の前にピエロの人形が放置されている。人形を家の中にいれて、テレビのニュースを見てくつろいでいると、テレビの中のキャスターがニコラスに話しかけてきて…というストーリー。

『ファイト・クラブ』の前の作品。私、デヴィッド・フィンチャーは大好きな監督なんだけど、本作だけは記憶にあまり残っていなかった(絶対に以前、観たはずなんだけど)。ということで再鑑賞。
それにしても、当時のコピー、すごい煽りだよね。申し訳ないけど、とてもとても『セブン』は超えていないでしょ。でも、奇作という観点でなら超えているかもしれないのだ。

マイケル・ダグラス演じるニコラスは、たしかにシビアで感情がない仕事っぷりなんだけど、この人、全然悪い人じゃないのね。むしろ優秀で、諸々の招待を断ってるシーンなんか、その判断基準は至極真っ当だし、正直だと思うの。仕事の内容だって世の中の年金を運用しているわけで、人々の将来の安心をしっかり守ろうとしていて、私腹を肥やそうとしているわけじゃない(元々金持ちだからそんなことする必要ないし)。

寂しい人ではあるけど、べつに強くこの状況に苦しんでもいないし、むしろ、別れた後も電話してくる元妻とか、足を引っ張っているだけの役員とか、そっちのほうがうざったいほど。
弟に対してだって、彼がいうほど蔑んでなんかおらず、むしろ本気で心配しているのにそうは見られておらず、本心が伝わっていないという可哀想具合。こういう誤解されてる人ってけっこういるじゃない。だから、なんとなく共感しちゃう。

そんな彼が、ちょっとしたことで乗っかっちゃったゲームで、どんどんハマっていく(とはいえ、ハマるように仕組まれているわけなんだけど)。
まず、テレビが話しかけてきたりする場面で、超常現象的な仮想世界の可能性が考えられるし、壮大な詐欺にハマったという陰謀話かとも思わせる。単純な謎解きというよりももっと俯瞰目線で、“これはどういう作品なのか?”という次元で観客を惑わせている作品である。

(ちょっとネタバレ)
細かいことをいうと、用意周到に計画してました…っていうわりには、ものすごく穴だらけのシナリオなのは事実(映画のシナリオ的にそうなんだけど、CRSのシナリオ自体が穴だらけ)。だから、やっぱりファンタジーとして受け止めるべきなんだと思う。元は弟の兄に対する愛なんだもの。そして最後はニコラスも愛の萌芽を見つけるからね。

デヴィッド・フィンチャー作品のラインナップを考えると、猟奇殺人的なお話ばかりなのだが、本作は誰一人死んでいないという珍しい作品なのだ。そのオチでいいんか?って気持ちになり、もう一どんでんあるのか?と身構えるけど無かったりする。
多分、賛否がスッパリ別れる作品だとは思うけど、私は満足。

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公開年:1998年
公開国:アメリカ
時 間:108分
監 督:ジョン・マクノートン
出 演:ケヴィン・ベーコン、マット・ディロン、ネーヴ・キャンベル、テレサ・ラッセル、デニース・リチャーズ、ロバート・ワグナー、ビル・マーレイ、キャリー・スノッドグレス、ダフネ・ルービン=ヴェガ、ジェフ・ペリー、マーク・マコーレイ、エドゥアルド・ヤネス 他
受 賞:【1998年/第24回LA批評家協会賞】助演男優賞(ビル・マーレイ)




フロリダ州にある港町ブルーベイ。女子高生ケリーは、教師のサムにレイプされたと訴える。小さな町ではたちまち大騒動となり、やがて争いは法廷の場に持ち込まれることに。ケリーの母親は町の実力者で、誰もサムの味方になろうとしなかったが、パっとしない小さな事務所を開いているボウデン弁護士が、彼に手を差し伸べる。一方、警官のデュケは、ケリーの同級生スージーもかつてサムにレイプされたことを突き止める。デュケは、スージーに法廷で証言させ、サムがレイプの常習犯であることを証明し、有罪に持ち込もうと考えた。しかし、いざ法廷で証言すると、ボウデン弁護士のきびしい追及を受けて、自らのレイプも、ケリーのレイプもすべて偽証であると発言。これにより、サムの嫌疑は晴れることとなった。その後、サムは示談金として850万ドルを得たが、高校は退職を余儀なくされてしまう…というストーリー。

上記のあらすじまでは、追い詰められ系のありきたりなストーリーなのだが、そこから先が、騙しのどんでん返し波状攻撃が続く(6、7回は続くと思う)。観客をいかに煙に巻くか…だけに注力した作品だといえる。悪く言えば後だしじゃんけんのオンパレードなんだけど、それを強引になぎ倒して、観客を納得させる力がある。やりすぎって思うかもしれないけど、逆にここまでやりきらないと中途半端になっただろう。

やろうと思えば、ケリー側の弁護士だって、学校の先生だって真犯人にできちゃうじゃない、稚拙だな…なんて、一瞬思うんだけど、あとから考えると、やっぱりよく練られていると気付く。普通のエロチック学園サスペンスのように見せてそうじゃない。ちょっと作風に不釣合いなビル・マーレイの配役もそうだし、珍しくケヴィン・ベーコンが、熱血漢役だな…とおもったが、そうは単純じゃなかったり、なかなか凝っている。
ラストも、「え~、ここまできて、ショボいなぁ…」なんて思わせておいて、エンドロールの種明かしを観たら納得できちゃう。なかなか満足できた作品。

本作、ケヴィン・ベーコン自ら製作総指揮してるんだけど、この人、映画で全裸になるの好きだよね…。彼だけじゃなく、エロシーンが多いので、家族と一緒に観てると気まずくなること必至。大人になってから一人で観ましょう。

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公開年:1987年
公開国:ポーランド
時 間:85分
監 督:クシシュトフ・キエシロフスキー
出 演:ミロスワフ・バカ、クシシュトフ・グロビシュ、ヤン・テサシ 他
受 賞:【1988年/第41回カンヌ国際映画祭】審査員賞(クシシュトフ・キエシロフスキー)、FIPRESCI[国際映画批評家連盟]賞(クシシュトフ・キエシロフスキー)
【1988年/第1回ヨーロッパ映画賞】作品賞(クシシュトフ・キエシロフスキー)




1987年のワルシャワ。青年ヤチェックは、ふらふらと町を彷徨い、悪ふざけを繰り返す毎日を送っていた。一方、弁護士試験の最終面接に望む、死刑廃止論者の司法修習生のピョートルは、自説を熱弁し合格をすることができた。それを妻に知らせるために、大喜びで町の喫茶店に入っていく。その喫茶店にヤチェックも来店していたが、彼はカバンの中から紐を取り出し、長さを確かめると、意を決したように店を出て行く。そしてタクシーを拾い、町外れの川の堤防まで車を向わせるのだった。停車させると、ヤチェックは中年の運転手の首を紐で絞める。強く抵抗する運転手の手を棒で叩きいた上、車から引きずり出した後、頭部に毛布をかぶせて川原にあった大きな石で何度もの殴打し殺害するのだった。ほどなく逮捕されたヤチェックは、裁判にかけられる。彼の弁護を担当するのは、これは初仕事となるピョートルで…というストーリー。

最後の弁護士ピョートルとの接見までは、ヤチェック青年の心持ちは一切説明されない。ただ淡々と、ただ粛々と、やさぐれた青年が殺人を犯すまでを描く。虚飾を削れるだけ削り、まるで監督の“意図”というものを探られないようにしているかのような演出は、詫び寂びのごとし。全体が黄色味がかった映像は、水墨画にも通じる。特段、長けたカメラワークだとも思わないのだが、この“素”の中で繰り広げられる“殺伐”とのコントラストに、圧倒されてしまう。

情状酌量の余地がない若い殺人犯と、死刑廃止論者の若い青年という対比を見せていることから、死刑の是非を問うていると受け止めた人もいるだろう。ヤチェックの吐露から彼の心の傷を知ってしまったピョートルは、彼を救うことができなかったことを悔やみ、嗚咽を漏らしているのだ…、そう見るだろう。そういう意図があるからこそ、死刑シーンがリアルなのだ…と。
しかし、それも一つの観方(というかそれが大勢)かもしれないが、私はそうは思わない。

私は、つまらない理想を抱いた自分の浅さを、恥じているのだとみた。そして、つらつらと死刑廃止論について熱弁し、弁護士になってうかれていた自分の不見識と覚悟の無さを呪っているいるのだと思う。
だって、仮にヤチェックの死刑を回避できたからって、妹を自分の失敗によって殺してしまった苦しみから、彼を解き放つことはできないんだもの。仮に妹の死の責任を感じていたとしても、だからといって人を殺すようになるという、明確な関連性だってないでしょ。

(ちょっと話がズレてしまうが…)
貧しい人や弱い立場の人を救うために弁護士になるのはわかる。でも、死刑廃止論者が、弁護士になる理屈が私にはわからない。多少の解釈の違いで死刑を免れる例があったとしても、それで死刑制度がなくなるわけではない。法を作るのは代議士なのだから、死刑を廃止したければ、国会議員になって立法するしかないのに。でも、死刑廃止論者の弁護士は、手続き上のあらゆる策を弄して(時には、まるで妨害と思しき行為によって)死刑を免れようとする。

死刑が抑止力になる…という意見については、私も賛同しない。そういうことがあることは認めるが、自暴自棄なっていっそ死刑にしてくれ! と積極的に悪逆な犯罪を犯す場合がある以上、そのロジックは成立しない。
被害者が死んでしまったとのは悲しむべきことだが、だからといってさらに人を殺す必要はない…という意見もある。死刑を廃止している欧米の国や州などでは、こういう考え方がベースの一つにあるのかもしれない。また、冤罪の可能性という側面もあるので、完全なる無期懲役にして社会から隔離すべきであるという意見もある。しかし、これもさきほどと同様で、社会に馴染めないから、永遠に刑務所で生活したい…と考えて凶悪犯罪を犯す場合が容易に予測できるし(実際にそういう例は多いだろう)、大体にして死ぬまで収監しておくコストを、社会の人が賄うのは、いささか理不尽だと思える。
いささか直接証拠にかけるが、状況証拠的に極めて殺人と推定するに値するという場合は、無期懲役にして、新証拠により再審する機会を残す。それ以外は死刑に。特に、武器を事前に準備していたり、強盗などの犯罪目的で武器を用意して、それにより殺害してしまった場合は、情状酌量による減刑を認めず死刑に(いわゆる一級殺人)。根本的に、“殺そうという意思”があったか否かなどが、死刑になるかならないかの境目になっている、日本の刑事裁判はクレイジーである。頭の中、それも過去においての意思など、なんでわかるのだろう。判事はエスパーじゃねえってのね。
生物は、自分の群れを毀損するものは排除するのが本能。それをやらないからこそ、人間と動物は違うっていえるんじゃないか? という人もいるが、人間も動物だということを完全に忘れてしまうと、それはそれでおかしくなってしまう。
#また、複数の罪を同時に犯した場合は、加算刑にすべし。

閑話休題。
鋭い視点でストーリを綴りながらも、意見を押し付けるわけではなく、且つ、サラっと流すことができないような“棘”を観客の心に引っ掻けていく、キエシロフスキー監督の手腕は、なかなかのもの。実に良作。

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公開年:2002年
公開国:フランス、アメリカ
時 間:115分
監 督:ブライアン・デ・パルマ
出 演:レベッカ・ローミン=ステイモス、アントニオ・バンデラス、ピーター・コヨーテ、エリック・エブアニー、エドゥアルド・モントート、ティエリー・フレモン、グレッグ・ヘンリー、リエ・ラスムッセン、フィオナ・カーソン 他
コピー:欲しいもの――。私は総てを手に入れる。




カンヌ国際映画祭が開催されているル・パレ。多くの映画スターたちが訪れる豪奢な雰囲気の中、会場に窃盗集団が進入していた。彼らは、ゲストのひとりであるヴェロニカが身にまとうダイヤが散りばめられた1000万ドルのビスチェを狙っていた。実行犯のロールは、ボディガード役に扮しヴェロニカに近づき、見事にビスチェを強奪。しかし、ロールは仲間を裏切り逃走してしまう。ところが、執拗な一味の追跡によって、ロールは追い詰められ、ホテルの吹き抜けに突き落とされ意識を失ってしまう。その後、見知らぬ家のベッドで目覚めるローラ。彼女はリリーという瓜二つの女性と勘違いされて保護されていたのだ。そのままリリーの家でくつろいでいると、リリー本人が帰宅。子供を失って憔悴している様子のリリーは、潜んでいたロールの目の前で自殺。そしてロールはリリーに成りすまして渡米。なんと7年後、アメリカ大使夫人として、パリの戻ってくることになり…というストーリー。

とてもスリリングな展開のストーリーなのだが、相変わらず、私の白人女性の顔判別能力が芳しくないことに加え、姿を隠すために変装なんぞをしていたり、さらに偶然同じ顔の人がいた…という展開だったため、微妙に混乱しながらの鑑賞だった。

上のあらすじでわかると思うが、ストーリーが波に乗るまでの冒頭の展開を書き出しただけなのに、“しかし”“ところが”で繋がないと説明できない。加えて同じ顔の人が“偶然”存在して、さらにその知人に発見されるという“偶然”が重なり、おまけに“都合よく”自殺してくれて、自殺した女性が“たまたま”パスポートも航空券も持っている。慌しいだけでなく、無理に無理を重ねたストーリー運びといえる。
これを素直に受け入れろというのはかなり難しいことなのだが、それなりに観れてしまうのは、デ・パルマお得意のスリリングなカメラワークのおかげか。

導入部の強引になぎ倒すような展開が過ぎて、7年後に。アントニオ・バンデラスが登場したあとの流れは、純粋なクライムサスペンスとなり、素直に鑑賞できたわけだが、デ・パルマは最後までは素直に鑑賞させてくれず…
(以下ネタバレ)
まさかの夢オチ。この構成を素直に受け入れるのに、若干時間を要してしまった。事件の決着の付け方も悪くは無いし、別に勧善懲悪を期待していたわけでもないので彼女が勝利する展開も悪くは無い。
整理すると、リリーの自殺のところで話(というか運命)が分岐するということだよね? で、ロールはフランスに残ったんだよね? で最後にお金のやりとりをしているのは、ヴェロニカとロールなんだよね? 「これで最後に」っていっているってことは二人は共謀関係だったのか、その後ヴェロニカが強請ってたってこと?
すまんね、頭の方にも書いたけど、ラストの辺りまでくるとビスチェのイメージだけで、ヴェロニカの顔なんか覚えちゃいないの。だから巻き戻したり、調べたりしてやっと整理がついた。私にとってはとてもわかりにくい。
さらに、ペンダントという“偶然”が最後でも加味される。夢の中の方がリアルで、現実は偶然だらけというのはおもしろくはあるんだけど、そのせいでデヴィット・リンチ的な雰囲気が漂ってしまい、深読みというか少し困惑してしまった。その困惑の空気のまま終わってしまったわけだが、そうやって煙に巻くことがデ・パルマの狙いならば、本作は成功なんだろう。

無理に褒めようと思えば、いくらでも褒められる要素はあるが、実際に周囲の人に薦める気はない。
#音楽が坂本龍一らしいが、観ている最中にそれらしさは感じられず、まったく気付かず。

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公開年:1974年
公開国:イギリス、西ドイツ
時 間:129分
監 督:ロナルド・ニーム
出 演:ジョン・ヴォイト、マクシミリアン・シェル、マリア・シェル、マリー・タム、ノエル・ウィルマン、デレク・ジャコビ、ピーター・ジェフリー 他
コピー:全世界を震撼させた恐るべき秘密-《オデッサ》 その謎を追って展開する息づまる超サスペンス! 〈ジャッカルの日〉のフレデリック・フォーサイス原作〈ポセイドン・アドベンチャー〉のロナルド・ニーム監督



1963年。ルポライターのペーター・ミラーは、ガス自殺の現場に遭遇。現場には、学校時代の友人でハンブルグ警察のブラント警部補がいた。翌日は、ブラントはミラーに、昨日自殺した老人が遺した日記を手渡す。老人はマルクスをいう名前のドイツ系ユダヤ人で、その日記には、ラトビアのリガにあったナチ収容所での地獄のような生活、特にガ収容所長だったSS大尉ロシュマンの残虐な行いが綴られていた。それを読んだミラーは、ショックを受け、殺人鬼ロシュマンを捜そうと決心する。まず、日記に記されていた組織“オデッサ”を探る。オデッサとは、元ナチスSS隊員で作った自衛組織で、ナチ狩りから逃れた元ナチスSS隊員に偽名を与えて社会に潜り込ませ、法廷にかけさせないことを目的としていた。調査を進めると、自殺した老人の知り合いから、マルクスがロシュマンを見掛け警察に通報したという証言を得る。一向に捜査を進めない警察に不信感を抱いたミラーは、警察に乗り込むが署員に軽くあしらわれてしまう。その時、署員の机にあった“ジークフリード師団”のパーティ案内に臭いものを感じたミラーは、そのパーティに潜入するが、禁止されている写真を撮ったために追い出されてしまう。数日後、ミラーが恋人のジギーと地下鉄に乗ろうとすると、何者かに線路に突き落とされ…というストーリー。

ちょっと、演出が綱渡りすぎるのがたまに傷か。例の一つ。自殺した老人マルクスと一緒に年金を受け取っていた浮浪者がいる ⇒ 浮浪者はマルクスがロシュマンのことを警察に通報したと証言 ⇒ 警察にいくと“ジークフリード師団”のパーティ案内 ⇒ そこに行く。わらしべ長者ばりに線が細いし、封筒には場所と日付は書いていたようだが時刻は書いていない(まあ、調べたんだろうけど)。元SSが集まる会に案内状もなしで入れるのか?という疑問も。
全体の話の流れはダイナミックだと思うのだが、このように展開を繋ぐ糸が細すぎるし、一瞬しか画面に出てこないことも多々あって、ちょっと見逃すと訳がわからなくなることも。“観せ方”に多分に問題があると思う。

(ちょっとオチに触れてしまうので、未見の人はご注意)

ただ、本作のシナリオは、ある意味、大仕掛けである。
なんで、ペーター・ミラーは、自殺した老ユダヤ人の日記を読んで、あそこまで記者魂が燃え上がったのか。オデッサの調査をするとミラーがいうと、周囲の人間はみんな反対する。その反対は、危険だから…というよりも、いまさらナチスのネタか?というもの。老人の日記の内容を知った上で、周囲の人の目は冷ややかなのである。この温度差は何なのか。非常にひっかかるわけだが、まあ、平和になりつつある世の中において、過去をほじくりかえすことが不快なんだろうな…と解釈していた。ミラーが自分の母親に戦争当時のことを聞くシーンがあり、そこでも母親はつらくて思い出したくないような雰囲気を醸しだしていた。実は、これが伏線でもありミスリードにもなっているという、実に巧みなポイントだったりする。そして、巧みすぎて、最後の最後まで全然思い出されることもないし、寝かせすぎて人によってはピンとこないレべルだったりする。

後半、SS残党に偏変装して、オデッサに侵入までする。いやぁ、すごいジャーナリスト魂だなぁと。
そして、オデッサファイルを発見。イスラエル側の組織に、ファイルを渡すのかと思いきや何故か渡さない。挙句の果てに「ロシュマンだけは俺が殺す!」と。いやいや、、老人の日記を読んだりしてロシュマンの悪行に憤ったからって、自分で手を下しちゃったら、もう、ジャーナリスト失格でしょ?どういうことなの?この展開は無いわ~、ああ駄作だったか…とがっくりしていたら、最後に仕掛けが発動する。

いや~、梯子はずされて、がっかり残念ってことは多々あるけど、逆に、急に持ち上げられちゃった感じだね(詳細は観てくれたまえ)。この、仕掛け一本で逃げ切った作品。

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公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:94分
監 督:ジョン・ドイル
出 演:コリン・ファース、オーランド・ブルーム、エレン・バースティン、パトリシア クラークソン、アンバー・ タンブリン 他






ノースカロライナ州の田舎町ダーラム。町にある倉庫のオーナーである老婦人ジョージアナは、長年連れ添っていた夫を病で亡くし、孤独感からなのか、しばしばパニック発作をおこすようになていた。ある夜、パニック発作に襲われ、姪のウィラを電話で呼び出すが、ウィラは叔母を気遣いしばらく滞在することにする。世間話をする中で、倉庫をガス・リロイという男に貸したことを知る。大昔、その倉庫で火事を出したことがある為、ジョージアナは中を確認したいという。ウィラは、そんなことよりも、何を保管するのかも確認せずに倉庫を貸したことを不安視。ネットで調べると、倉庫を借りているのが産業廃棄物処理の会社であることを知る。翌朝、倉庫へ出向いてクレームをいうが、ガスの口車ではぐらかされてしまう。二人は、警察署へ出向き、保安官のハリスに対応をお願いするが…というストーリー。

本作と同年に出演した『英国王のスピーチ』でオスカーを獲ったコリン・ファースが出演している作品である。そんなコリン・ファースが演じているガス・リロイが、口八丁手八丁で産廃を田舎町に持ち込み、市長に対してもこの廃れる一方の町に工場を建てて潤わせますよぉ~なんて乗り込むわけである。いかにも悪者に臭いを漂わせ、これはやらかしてくれますよ~、きっとオーランド・ブルーム演じる保安官は大企業の横暴を暴いたりするんでしょ~と観客は思うのが自然かと。

しかし本作、サスペンスと紹介されていることが多いが、全然サスペンスじゃない。サスペンスなんだろうと期待して観ていると、かなりの肩透かしを喰らうことになる。
そのまま対立構造になるのかと思いきや、老婦人ジョージアナが実は極貧で、倉庫を借りてもらえることがウェルカム状態であることが判明すると、ガス・リロイを食事に招いて、産廃処理工場を建てることで町の雇用を増やし若者の流出を食い止めるという大演説にほだされる始末。始末…というか、聞いていた私も、彼の言っていることは理にかなっていると思ったくらいで、そこを基点に話のテイストがすっかり変わってしまうのだ。
挙句の果てに、リロイとウィラが、いい雰囲気にまでなってしまうという。

もう一本の話の軸があって、保安官ハリスと、学生時代の元彼女メアリーの話。ハリスは今でもメアリーを好きなのだが、メアリーはそれを知りつつも会社の上司と付き合って、裕福な暮らしを夢見ている上昇志向の女。その後、実は上司に騙されいたことを知り、ショックのあまりに町を出ようと決める…という展開なのだが、この話が、とても一本の軸になどなれない薄っぺらな内容。うまく作れば、町を愛するってどういうことだろう…みたいな内容まで昇華することはできたと思うが、結局何をいいたいのか判らない話で終わっている。

本作を紹介しているあらすじでは、住民が不信感を募らせていき…みたいなことが書いてるが、そんなシーンはない。町の住民は基本的に大賛成である。事故後に工場の建設話が白紙になったという描写はない。

最後は、何か無理矢理に社会派ドラマに仕立てようと…というか、本作は社会派ドラマですよ?え?そうだったでしょ?サスペンス?は?一体何のことですか?という声が聞こえてきそうな空気を醸しだして、エンドロールに突入する。

どうなんだろうね。個人的には“静かな珍作”だと思うけどね。

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image2207.png公開年:1981年
公開国:アメリカ
時 間:113分
監 督:ブライアン・デ・パルマ
出 演:ジョン・トラヴォルタ、ナンシー・アレン、ジョン・リスゴー、デニス・フランツ、ピーター・ボイデン、カート・メイ ドナヒュー、ジョン・アキーノ、ジョン・マクマーティン、デボラ・エヴァートン、J・パトリック・マクナマラ 他





B級映画の音響効果マンであるジャック・テリーは、風の音を録音しに、夜の郊外に出かける。その最中、自動車が川に転落するのを目撃。ジャックは乗っている人を助けようと、すばやく川に飛び込む。運転席の男は流血してすでに死亡しており、後部座席にいた女性を救出する。救った女性と一緒に病院に収容されるジャック。ジャックは病院で、車で死んでいた男が次期大統領候補だったことを聞かされる。しかし、大統領候補の側近は、見ず知らずの女性と車に同乗して死亡したことを家族が知る必要はないと、ジャックに口止めをする。その後、録音テープを再生すると、銃声がしているのに気付く。大統領候補が死亡したニュースは世間を騒がすこととなったが、すぐに事件を目撃したというマニーというカメラマンが現れ、写真を雑誌社に売り始め…というストーリー。

音響技師っていう特殊な設定をうまくつかっている、典型的な巻き込まれ系のサスペンス。主筋のプロットがしっかしている作品。それに、デ・パルマ独特の緊張感のあるアングルが相まって、いい味となっている。終盤の花火のシーンも、合成バリバリだけど、力強いアングルで印象的。

しかし、ディテールに雑な部分があるのが難点。雑誌の写真を繋ぎ合わせて、あんなスムーズな動画は作れないだろう。あまりにも綺麗に動くフィルムが出来上がっているものだから、こっそり女をつかって入手でもしたのかとおもって、「あら、見落としたか…」と巻き戻したけど、そんなシーンはなかった。

暗殺者とのやり取りでも、仕込んだマイクの音から、いかにもプロの音響マンだなぁ…っていう能力を発揮して、難局を打破していくっていう場面がないのも残念。駅に誘い出される時も、すっかり殺し屋のいいようにされて、プロとしての能力は発揮せず終い。

大統領候補暗殺の事件が、結局解明されないってのもすっきりしないし、ラストのオチも、ものすごく趣味が悪い。これを伏線回収といっていいのかどうか悩むレベル。一人の女性を救えなかっただけでなく、暗殺であること自体が闇に葬られたことを、無かったことにせざるを得ない虚しさ…というか、頭がおかしくなりそうなのに受け入れざるを得ない…という表現なのはわかるが、好みではない。

アメリカン・ニューシネマのオチってこうだったでしょょ?っていう人もいるかもしれないけど、アメリカン・ニューシネマ的なんだからこれでいいんだよてドヤ顔されでも困ってしまう。逆に、アメリカン・ニューシネマ的手法の終焉を象徴している作品にも思える(時期的にも)。

一歩間違えれば、滑稽に思えるオチをトラヴォルタの演技が救っているのは認める。

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image2205.png公開年:1975年
公開国:アメリカ
時 間:118分
監 督:シドニー・ポラック
出 演:ロバート・レッドフォード、フェイ・ダナウェイ、クリフ・ロバートソン、マックス・フォン・シドー、ジョン・ハウスマン、アディソン・パウエル、ウォルター・マッギン、ティナ・チェン、マイケル・ケーン、ハンク・ギャレット、カーリン・グリン、ラッセル・ジョンソン、ハンスフォード・ロウ 他
ノミネート:【1975年/第48回アカデミー賞】編集賞(Don Guidice、Fredric Steinkamp)
コピー:ニューヨークの真只中を襲った戦慄のワシントン指令! 全米恐怖の巨大組織CIAに挑む華麗なる男《コンドル》! 人気最高2大スターの初顔合せで 放つロマン・アドベンチャー!


クリスマス・シーズンのニューヨーク。アメリカ文学史協会の看板を掲げるビルがあるが、そこは実はCIAの下部組織で、情報部17課第9班の名称を持つ末端の秘密情報機関だった。そこで勤務するコードネーム“コンドル”ことターナーの任務は、ラップ博士ら8名のスタッフと共に世界中から集められた小説や雑誌の内容を解読し、コンピュータに入力することだった。そんなある日、ターナーは、昼食の買出しのために外出すると、その間に局員が皆殺しにされてしまう。彼は、表の公衆電話からCIAに通報。部長ヒギンズが本件の対応を行うこととなり、ターナーを劇場裏の路地で保護することに。ターナーを安心させるために、情報部17課ウィクスとターナーの知り合いの職員サムも同行させることに。しかし、いざ現場にくと、ウィクスがターナーめがけて発砲。ターナーも反撃しウィクスの右脚を打ち抜くが、ウィクスはサムを射殺してしまい…というストーリー。

『ザ・ヤクザ』の翌年の作品。音楽はルパン三世の大野雄二みたいなジャズ調で、とても雰囲気があってよろしい。内容もなかなか硬派なサスペンス物。典型的な巻き込まれ型のストーリーだが、それを“書物で知っただけ”の知識だけで切り抜けていくという設定がおもしろい。交換機がらみの盗聴ネタは、今ではありえないけど、なかなか愉しめた。

ただ、主人公であるターナーたちアメリカ文学史協会の仕事が、どうにもピンとこないのが玉に瑕。
各国の雑誌から何かを読み取ろうというのは理解できる(実際に世の中のスパイの仕事は、それが主だと思う)。ただ読んだだけでは判らないような、記事や文章に隠された謎のメッセージを読み取ろうというのは、まあ、フィクションとしては納得できる。ただ、その内容をコンピュータに入力したからといって、何かが判るとも思えない。なにか、特殊で複雑な暗号があって、雑誌や小説を用いて連絡に使っているので、OCRで読み取って機械的にそれを捜している…というならわからんでもないのだが…。昔のSFマンガに、コンピュータが巨大な脳にでも繋がっている描写があったりするが、それと変わらないレベルなのが残念。

主人公以上に巻き込まれてしまう女役のフェイ・ダナウエィが、これまた雰囲気のある良い演技。結局、ターナーに魅力を感じて協力するのだが、事情は良くわからないが、さみしい女なんだろう。彼女の撮った写真がさみしい感じという以外に、彼女の心の深層を想像するアイテムはない。一緒にリゾートにいく男友達はいる模様だが、だからといって充実した日々を送っていたとはいえない。もうちょっと“さみしい女”としてのバックボーンを描いていれば、より感情移入ができたかも知れない。

で、時代が時代なので当時は説得力があったのかもしれないが、結局、中東の石油ビジネスがらみというオチが、判ったような判らないような。ガチガチのサスペンスなのに、事件の根幹となる出来事がピリっとしない。ラストのやりとりが、格好良いと思えるかどうか。私は、結局どうなるのか検討も付かないし、ただモヤモヤが残っただけで、後味が悪かったけど。

私にとっては、渋いんだけど締まってない感じの出来映え。緑茶はうまいんだけど、付け合せがビーフジャーキーで、なんだかなぁ…っていう感覚に近い(判らんか…)。いや、多分、ポラック節が性に合わないだけなんだと思う。

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image0667.png公開年:2001年
公開国:アメリカ
時 間:103分
監 督:リー・タマホリ
出 演:モーガン・フリーマン、モニカ・ポッター、マイケル・ウィンコット、ペネロープ・アン・ミラー、マイケル・モリアーティ、ミカ・ブーレム、ディラン・ベイカー、キンバリー・ホーソーン、ジェイ・O・サンダース、ビリー・バーク、アンナ・マリア・ホースフォード、サマンサ・フェリス、クリストファー・シャイアー 他
コピー:解けるか、この糸──



ワシントンD.C.の一流私立学校キャシドラル・スクール。政治家の子弟などが通っているため警戒厳重な学校だったが、ある日、ローズ上院議員の娘ミーガンが白昼堂々誘拐されてしまう。犯人のゲイリー・ソーンジは、2年もの間、教師になりすまし、この誘拐計画を遂行したのだった。その頃、アレックス・クロス刑事は、囮捜査の失敗で同僚を死なせてしまったと思い悩み、仕事から遠ざかっていた。そんな彼のところに、ソーンジからの電話が入る。ソーンジは、クロスが捜査を担当するように要求。現場の捜査官は反対したが、ミーガンの母親の希望により捜査に参加。そして、ミーガンの警護にあたっていたシークレット・サービスのジェシーをパートナーにして、仕事に復帰するのだった。やがて、学校に残された手がかりから、ソーンジのアジトを発見、そこにはクロスの著書がすべて並べられていた。ソーンジはクロスの著書の研究を重ねており、その動機は、この事件についてクロスに執筆させようというものだった…というストーリー。

昨日に続き、モーガン・フリーマンによるアレックス・クロス刑事作品。ちょい昔は、よくTV放映されていたが、冒頭の事故のCGで、なかなか興醒めさせてくれる。しかし、そこは大目に見よう。
ちなみに、本作の評判も『コレクター』同様に芳しくないが、連日逆らわせてもらう。傑作ではないが良作。

ソーンジのターゲットは、ロシア大統領の息子なわけだが、何か政治的な意図があるわけではなく、単に知的ゲームを憧れのクロスを競いたかっただけである。観ている限りでは、それが真の動機としてなかなか腑に落ちてこないのだが、これが結果的に、謎解きにうまいことモヤを掛けてくれている。また、囚われているお嬢さんが結構賢くアクティブなので、“逃げてー”“がんばれー”的な視点もあり、それも、観客の推理脳を阻害してくれる。いずれもうまい。こういう目のそらし方は、サスペンス作品としてお手本にしたい。

でも、本作の脚本家マーク・モスは、『バーニング・クロス』の脚本家だったりする。なんで劣化するのか…(ってか、その二作品以外で、マーク・モスって人を見ないので、実在の同一人物なのかは疑問だが)。

(以下、ネタバレ)

あぁ、あのつっかかってきてた男かぁ…って、思わせておいて、さらにそっちもかよー…と。正直、真犯人自体は陳腐に感じるかもしれないが、それが判明していく段階的な過程は良い。実行犯ソーンジは利用されていることに気づいていない…っていうのが秀逸。そして、アレックスも同様に気づいていなかったっていうのも二重のダマし。犯人もそれを追う刑事もそれを知らずに右往左往。その俯瞰目線で網を貼っている感じが“スパイダー”ってことなんだね。

ただ、1点、そう簡単にいくか?というのが、パスワードのくだり。私はAA88とかなのかなと思ったのだが、あんなにすぐに正解にたどり着けるということは、“ACES AND EIGHTS”みたいな定石とか慣用句でもあるのかな?(よく知らない)

 

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image2177.png公開年:1997年
公開国:アメリカ
時 間:116分
監 督:ゲイリー・フレダー
出 演:モーガン・フリーマン、アシュレイ・ジャッド、ケイリー・エルウィズ、アレックス・マッカーサー、トニー・ゴールドウィン、ジェイ・O・サンダース、ビル・ナン、ブライアン・コックス、リチャード・T・ジョーンズ、ロマ・マフィア、ジェレミー・ピヴェン、ジーナ・ラヴェラ、ウィリアム・コンヴァース=ロバーツ、ヘレン・マーティン、ハイジ・シャンツ、ミーナ・スヴァーリ、デボラ・ストラング、ビリー・ブランクス 他
コピー:ルール 罰 サド 叫び 闇 囁き 震え 吐息 口づけ 女の夢に現れる悪魔… --美しいから殺せない--

犯罪心理学の専門家でもあるワシントン市警のクロス刑事。ある日、ノースキャロライナ州の大学に通う姪のナオミが誘拐されたと知り、現地に赴く。そこでは、地元大学生の誘拐事件連続発生しており、ナオミを含め8人の女性が行方不明になり、そのうち2名が殺害され発見されていた。誘拐された女性のプロフィールを見たクロスは、犯人が能力の高い女性を“収集”していると見抜く。その後、クロスは管轄外のため、著名な心理学者として、地元警察のラスキン刑事に協力する。そんな中、ケイトという女性が犯人の隠れ家から逃亡に成功。薬物を投与されていたため、微かな記憶しか残っていなかったが、ナオミら数名が存命らしい。そして、勇気あるケイトは、他の女性たちを救えなかった罪悪感から、捜査協力を申し出る…というストーリー。

『バーニング・クロス』があまりにも…な内容だったので、「こんなはずじゃない!」てな感じで、改めて同じアレックス・クロス刑事が主人公の作品を鑑賞。まだモーガン・フリーマンもそこそこ若いので、けっこう動きはするのだが、さすがに銃乱射やら宙吊りアクションは無い。純粋な心理捜査モノである。

『バーニング・クロス』では妻子の存在が描かれていたが、本作のアレックスは独り者のように見える。『バーニング・クロス』の方が、時間軸的にずっと後ということかな。モーガン・フリーマンが、この後、子作りをすると考えるとかなり違和感があるので、リブートするのは理解できるが、ポンコツ俳優を持ってきては意味がないだろう。
#モーガン・フリーマンの風体で市警の平刑事っていう設定の方が、おかしいのかもしれんが…。

この作品、なぜかものあまり評判が良くない。ネット上の色んな感想を呼んでも、不満か凡作評価しかない。だが、私はあえて逆らおう。本作は傑作ではないが良作だと思う。当時、この手のサイコ犯罪ムービーが多発されたことが原因ではないかと思う。アメリカの反対側の犯罪者を真犯人と誤認してしまうところなど、『羊たちの沈黙』の二番煎じに映ったか。

管轄違いでおまけに被害者の身内が捜査に関われるわけが無かろう!というのはもっともな指摘なのだが、それをいったらお話は進まない。きちんとその管轄権については、作中終盤で問題になるから、そこは許容しよう。

カット割りや編集の仕方がウマくて、どいつもこいつも犯人に見えてしまうという、ある意味サスペンス映画としては、真っ当な演出。不自然なカットで、こいつ犯人なのでは?と頭をよぎってしまいがっかりさせるくらいなら、出てくるやつみんな等しく怪しくしちゃえばよくね?という感じだろうか。これが案外悪くなかった。
実際、真犯人の候補者として初めに目星をつけたキャラクターは正解だったが、ストーリーが進むにつれて他の有象無象と一緒に忘却され、一周まわって再浮上って感じ。いい目くらましだったと思う。ただ、真犯人の小物感は強いが…(むしろもう一人の方が怖い)。

『バーニング・クロス』のノリなら、絶対最後は大爆発だが、そのスカしかたもうまい。スカしたけれどもしぼんではない。
#コピーは最高にヒドいわ。

 

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image2160.png公開年:2012年
公開国:アメリカ
時 間:130分
監 督:クリストファー・マッカリー
出 演:トム・クルーズ、ロザムンド・パイク、リチャード・ジェンキンス、デヴィッド・オイェロウォ、ヴェルナー・ヘルツォーク 、ジェイ・コートニー、ジョセフ・シコラ、ロバート・デュヴァル 他
コピー:その男、行きつく先に事件あり。
その名は、ジャック・リーチャー 世界で最も危険な流れ者(アウトロー)


ペンシルベニア州ピッツバーグ近郊。白昼、無作為に6発の銃弾が発射され、5人が殺害される事件が発生する。現場に残された薬莢と駐車機に投入された硬貨から指紋が採取され、元米軍スナイパーのジェームズ・バーが容疑者として浮上。簡単に逮捕される。事件は解決に向かうと思われたが、バーは“ジャック・リーチャーを呼べ”というメモを残した以外は黙秘を続けた。その後、護送中に同乗の犯罪者たちから暴行を受け、意識不明の重体となってしまう。警察は唯一の手がかりである“ジャック・リーチャー”を捜したが、まったく手がかりが掴めずに途方に暮れていた。すると、そこに突然チャーリー本人が現れ…というストーリー。

ジャック・リーチャーを主人公にした人気小説シリーズがあるとのこと。原作の主人公の風体とトム・クルーズにはかなり違いがあるようだが、私は読んだことがないので、どうでもいい。
元米国陸軍の退役少佐で、軍警察に所属していた有能な捜査官。その後、住民登録もせず運転免許やクレジットカードすらもたず、定期的に恩給を電子送金で引き落とす以外に、記録らしい記録を残しておらず、社会の隙間に潜むように生きている。ちょとネタバレになってしまうが、その軍警察時代に、容疑者のバーとは関係があったわけだ。

非常に興味深いキャラ設定だと思うし、その経歴に違わず、トム・クルーズのアクションシーンは非常に迫力も緊迫感もあり、ハマリ役なことは否定しない。
しかし、そういう社会から隔絶した生き方をしているから“アウトロー”という邦題になったのだろうが、この邦題がどうもしっくりこない。だって、別にジャック・リーチャーは“無法者”じゃないんだもの。一般社会からは隔絶して生きているけど、別に法は犯していないのはもちろんだが、バーの弁護士の捜査員としての仕事も法を逸脱するわけではない。むしろ、間違いないと思われている証拠を疑い、微かな違和感を見捨てずに、実直に調べ上げる姿は有能そのものである。

「ヤツを葬るために来た」⇒本当にバーが犯人ならね…という、シンプルな思考に貫かれた行動は、非常にわかり易い。そして誰が犯人なのか。検事か警察か弁護しかはたまた別の組織か? 犯人にとって邪魔者であるジャック・リーチャーは、様々なトラブルに巻き込まれる。フィジカルバトルに銃撃戦にカーチェイスと大迫力。核心に迫っていくと、もしかすると彼もハメられているのでは?という展開に。サスペンスあり、ミステリーあり、アクションありとバランスがよく、お腹一杯で非常におもしろく観終えることができた。

しかし、公開時には“トム・クルーズの当たり役!”“続編製作確実!”なんて、散々喧伝されていたのに、賞レースからは総スカン。でも、それも仕方が無いというのが素直な感想。
ただでさえ長いので、これ以上は無理だったかもしれないが、黒人警官と弁護士の父親だけでなく、もっと犯人なのでは?と可能性のある人間を増やすとよかったかと。また、陰謀の全容が明かされないまま、黒幕さんを撃って終わっちゃうのはちょっと引っかかるし、作品全体のスケールを小さくしてしまった。あの黒人警官がなんで奴らの仲間になったのけ、経緯が非常に興味があったのだが、明かされずじまい。はじめは善良な警官だったのに、蛇のように絡めてでがんじがらめにされてしまったとか、それをさらりと表現する方法はあったと思う。

個人的に一番ひっかかった…というか、主人公への共感が薄れてしまった点がある。ジャック・リーチャーと弁護士が事務所で会話するシーン。誰もが俺のような生活をしたいはずだ!と彼は言うのだが、そのセリフには反論しないとダメじゃないかな。自由に生きることと、正直に生きることは、意味が違うので、その辺は明確に定義しなおすべきだったと思う。彼の言う自由が後者の意味であれば、賛同できる。しかし、社会のしがらみを忌避することを指すならば、褒められたもんじゃない。その“社会”があるからこそ、おまえは潜んでいられるんじゃないのか?そして、サラリーマンだって、それを選択する自由を行使しての現状なんだし、あんたのような生き方を選択するとは限らないよ…と。まあ、私が小市民だから、ひっかかるんだろうけど。

この終盤の腰砕けに目をつぶれば、ずっとドキドキ、ワクワクできた。新作料金で観ても損したとは思わないだろう。
#さて、こういう作品が好意的に捉えられているとすると、アメリカの民主党政権も、そろそろ終わりかな…と。

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image2129.png公開年:2002年
公開国:アメリカ
時 間:109分
監 督:ダニー・デヴィート
出 演:ロビン・ウィリアムズ、エドワード・ノートン、キャサリン・キーナー、ダニー・デヴィート、ジョン・スチュワート、パム・フェリス 、ダニー・ウッドバーン、マイケル・リスポリ 、ハーヴェイ・ファイアスタイン、ヴィンセント・スキャヴェリ、クレイグ・エルドリッジ 他





児童向け番組の人気キャラクターであるレインボー・ランドルフは、自分の子供を有名にして欲しいという親から賄賂を受け取る。しかし、それはFBIの囮捜査で逮捕されてしまい、番組は打ち切り。業界から追放されてしまう。番組ディレクターのノラは、急遽代役探しに奔走するが、賄賂や犯罪とは無縁のクリーンな人物を探さなければならず、なかなか見つからない。そんな中、ピンクのサイのぬいぐるみを着て麻薬厚生施設などの慰問を行っているスムーチーを紹介されるが、能天気で馬鹿がつくほどやさしくて確かにクリーンな人物。彼を大抜擢すると、あれよあれよという間に大人気となる。そんな、スムーチーの活躍に心穏やかではないのが、レインボー。彼は復讐心を燃やし、スムーチーを亡き者にしようと画策するのだった…というストーリー。

WOWOWが放映時につけた『スムーチーをぶっ飛ばせ!!』っていう邦題のほうが、内容的にはピッタリだな。WOWOWが邦題を付けていたことからおわかりだと思うが、日本未公開作品。豪華なキャスティングにもかかわらず、未公開なのはシナリオがごちゃごちゃしているせい。

ロビン・ウィリアムスが悪役なのだが、あまり悪役は多くないとはいえ『ストーカー』『インソムニア』なんかで悪役をやってるから、それほどインパクトはない。ロビン・ウィリアムス演じるレインボーが、嫉妬に狂って執拗にスムーチーに嫌がらせをするのは問題ない(むしろこれがストーリーの主軸)。
微妙なのが途中参戦する、ダニー・デヴィート演じる代理人と、スムーチーをアイスショーに出して一儲けを企むスポンサー。

これらの妨害を、“無垢”なスムーチーが、天然っぷりを発揮して切り抜けていくというストーリーに特化すればおもしろかったのだが、最終的にレインボーが改心するという流れを作ろうとして、ストーリーの軸が崩れている。
ラスボスをダニー・デヴィートにする意味もわからない。スポンサーは死んだのだから、スムーチーを殺すところまで追い詰めなければいけない理由は薄い。局長のプロスキーも悪役に廻る効果が薄すぎ。突然、以前の出演者が殺し屋として登場するのも不自然だし、観客からすれば唐突な登場すぎる。これならば、レインボーとスムーチーだけで、ずっと展開させたほうが良かった思う。

また、レインボーを改心させるならば、彼が改心するきっかけを、もっとインパクトがあり且つ納得できる内容にしなければ、バランスが悪い。

愉快なキャラクターだった、パンチドランカーの元プロボクサー・スピナーと、その一族のアイルランド系マフィア一家。はじめは悪役で登場するものの、スピナーにやさしく対応してくれるスムーチーの姿に感激。スピナーが殺された後は、スムーチーを完全バックアップする。し・か・し、やっぱりこの話は、色々な困難を清廉潔白すぎるスムーチーが、なんだかんだすり抜けるのが主軸の話なんだから、“味方”ができるのは、プロット的には失敗。

味方という意味では、ノラもおかしいと思う。ノラが、子供番組グルーピーでビッチだったていう設定は不要かも。さらにレインボーと付き合っていた設定もあまり効果が無い。この設定を挟むんなら、ノラはいっそのこと、最後に裏切るとか、死んでしまうとかのほうが効果的だったと思う。
そして最後は、飄々と子供たちを相手にするスムーチの姿で終わる。そして誰もいなくなった…的に。せっかくエドワード・ノートンを配役したのだから、不思議な神々しさや純真さを通り越えて、うす気味悪さを醸し出させる演出にしてほしかった。

ダニー・デヴィートが監督するコメディは、全部イマイチだな。笑わせようとしているのが伝わってくるし、自分が出ている部分が、作品の足枷になっているように見えるんだもの。

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image2138.png公開年:2011年
公開国:イギリス、フランス、ドイツ
時 間:85分
監 督:トーマス・アルフレッドソン
出 演:ゲイリー・オールドマン、コリン・ファース、トム・ハーディ、トビー・ジョーンズ、マーク・ストロング、ベネディクト・カンバーバッチ、キアラン・ハインズ、キャシー・バーク、デヴィッド・デンシック、スティーヴン・グレアム、ジョン・ハート、サイモン・マクバーニー、スヴェトラーナ・コドチェンコワ、ジョン・ル・カレ 他
受 賞:【2011年/第65回英国アカデミー賞】脚色賞(ピーター・ストローハン、ブリジット・オコナー)、英国作品賞
 【2012年/第25回ヨーロッパ映画賞】音楽賞(アルベルト・イグレシアス)、プロダクションデザイン賞(マリア・ジャーコヴィク)
コピー:一度目、あなたを欺く。二度目、真実が見える。

MI6とKGBによる情報戦が繰り広げられていた東西冷戦時代。英国諜報部“通称サーカス”のリーダー“コントロール”は、サーカスにソ連との二重スパイが潜んでいると疑っていた。そんな中、ハンガリーの将軍が二重スパイ(通称もぐら)の情報と引き換えにイギリス亡命を要求。コントロールは独断で部下のブリドーをブタペストに送り込み、ハンガリー将軍との接触に当たらせるが、ブリトーが射殺された上に亡命交渉が明るみにでてしまい、作成は失敗。その責任を取る形でコントロールは失脚し、一緒に長年行動を共にしてきた“スマイリー”もも組織を去る。すると、直後にコントロールが変死。イギリス政府のレイコン次官はスマイリーを呼び出し、“もぐら”の正体を突き止めるよう極秘命令を下す。疑わしい者は、サーカスの4人の幹部“ティンカー”“テイラー”“ソルジャー”“プアマン”。かつての部下と共に調査を開始するのだったが…というストーリー。

『ぼくのエリ 200歳の少女』の監督ということで、全体的なマットな雰囲気になっている。その点は好き。海外でに評価はそれなりに高い模様。しかし、渋いといえば聞こえが良いが、地味で、解りにくいのも事実。スパイの世界はこんな感じで解りにくいものだ…、それを表現しております…ってことかもしれないが、もうちょっとどうにかならなかったものか…と思う。

そんなアホな…と思うかもしれないが、私、冒頭を観ていて、ゲイリー・オールドマン演じる“スマイリー”とジョン・ハート演じる“コントロール”のキャラが混同しちゃって、わけが解らなくなっていた(私の脳内、白人のくたびれた初老のじじぃって一括りになってるんだな)。
(以下、少しだけネタバレ)

利用されたであろうブリドーが、怒っているのか、あわよくば復讐したいと思っているのか、もう関わって欲しくないと思って逃げているのか、いまいち彼の心の内がよくわからない。キーマンなので、もうすこし掘り下げて欲しかったし、太っちょメガネ君との絡みで、その辺をスマートに表現すべきだったと思うのだが、伝わってこなかった。
根本的にブリドーが生かされている理由も、私にはピンときていない。KGBとしては死んでいたほうが都合がいいのでは?元々ブリドーは、KBGだから?違うよね。ブリドーを指名したのはコントロールだし。

さらに、若手スパイのターとイリーナのエピソード。イリーナがKGBに連れ去れたから、サーカス内にKGBの内通者がいると気づく…という流れなんだろうが、どうもあの流れで、内通者の影に気づくというのも驚きが少ない。ターのウェットな感情を、演出上いまいち活用できていないのも、どうかと思う。
普通、謎が解明されていくと、少なからず「おぉ!」って感情が沸くものだけど、本作はそれが無いんだよね。スパイ物特有の、ギリギリギリギリ…っていう歯ぎしりが聞こえてくるような緊迫感も薄い。

根本的に“二重スパイ”というのもしっくりきていない。二重スパイってことは、イギリス側にKGBの情報を流していないと定義上成立しない。彼ら、そんなことしてた?二重スパイじゃなくって、単に寝返った人たちなんじゃないかな。
それよりも、単なる内通者ではなく、KGBによるサーカス乗っ取り作だっただ!っていう方がインパクトがあったと思うのだが。

せめて“モグラ”の正体に意外性があればよかったのだが、あの4人の中の誰か…って、普通に考えりゃそうなるんだから、その普通で終わらせちゃいけないように思う。また、4人が、小金欲しさになびいた小物…ということでは、盛り上がりに欠ける。ただでさえ、スマイリーの妻を篭絡するというセコい手を使っているんだし。
敵が小物だと、作品全体のスケールが小さくなってしまう、いい例だと思う。

雰囲気◎、ストーリー△、解りやすさ△、盛り上がり×…かな。

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プロフィール
HN:
クボタカユキ
性別:
男性
趣味:
映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
自己紹介:
一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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