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image1742.png公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:114分
監 督:ミカエル・ハフストローム
出 演:アンソニー・ホプキンス、コリン・オドナヒュー、アリシー・ブラガ、キアラン・ハインズ、トビー・ジョーンズ、ルトガー・ハウアー、マルタ・ガスティーニ、マリア・グラツィア・クチノッタ、アリアンナ・ヴェロネーシ、クリス・マークエット、トーレイ・デヴィート 他




家業の葬儀屋を継ぐことがいやで神学校に進んだものの、神父になりたくないマイケルは、卒業目前に司祭になることを辞退する。しかし、神学校の恩師の神父から、辞退する前にバチカンで行われているエクソシスト養成講座を受講してはどうかとを勧められ、ローマへとやって来る。悪魔憑きの存在自体に懐疑的な態度を示すマイケルは、一流のエクソシストと讃えられるルーカス神父を紹介される。ルーカス神父のもとを訪れたマイケルは、妊娠した少女の悪魔払いの現場に立ち会うことに。最初は精神的な疾患と考えていたマイケルだったが…というストーリー。

『エクソシスト』なんかを観て、異端なんじゃないの?と思っていたが、カトリック教会の中ではしっかりとした職務なんだね。まさか、そんな講座まで開かれているなんて夢にも思わなかったから、カトリックを馬鹿にしてる話なのかと、はじめは思っていたよ。でも、エンドロール前には、エクソシストという職務が厳然と存在し機能しているということが、しっかりと紹介されている。ちょっと驚き。でも、どう解釈しようが、狐憑きを払う自称霊能力者とかイタコとかと同じだし、土俗宗教のシンクレティズムの一つでしかないと思うことには、変わりなし。

本作は、エクソシストという職業、ひいてはカトリックのプロモーション以外の何者でもない。そう、“異端じゃないんだよ”というプロモーションである。その証拠に、カトリックに関わりの深い青年が、その無神論的な思考をエクソシストとの出会いとその経験により、考え方を改めるという、まさに“悔い改める”だけのストーリーである。悪魔憑きを扱った話というものは、何かの隠喩だったり、むしろ既存宗教への批判だったりと、客観的な視点を孕んでいることが多いのだが、これは単なるアピール。だから、映画としては、何も面白くない。

本作では、心理学的な考察を一切否定して、本当に悪魔憑きは存在するんだぜー…というノリで貫かれる。個人的には、医学的なケアの過程の一つとして位置付けるべきだと思うのだが、神を信じることは悪魔を信じるということだ…って、そういう扱いは、カトリックとしてもマイナスだと思うのだけどね。感覚の違いなのかな。理解できないわ。
少女をぶん殴ったルーカス神父。人間の悪事は悪魔の仕業であって、まともな神父でもこうなってしまうのですよ…って。だから、世の中の大悪人も悪魔にそそのかされているだけってこと、それこそ罪を憎んで人を憎まずです、許しましょう。そういう帰結になっちゃうけど、それは受け止められんなぁ。

カトリックの人ならば、エクソシストは本当にいるのね!と驚くのかもしれない。そしてその驚きだけで、ついていけるのかもしれない。でも、私は違うので愉しめなかったね。お薦めできず。

#こんなのに、出てるくらいなら、レクター博士、早う日本に来いや!と思うのは私だけか。





負けるな日本

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image1741.png公開年:2009年
公開国:日本
時 間:90分
監 督:FROGMAN
出 演:FROGMAN、川村ゆきえ、もう中学生、板東英二、堂真理子 他






鷹の爪団のメンバーたちが夏休みから帰宅すると、秘密基地が何者かの手で荒らされており、さらにレオナルド博士が誘拐されたことがが発覚。その頃、国連ではアメリカ合衆国の新大統領オババが“核兵器の放棄”を宣言。世界中の大国や軍需産業を中心に動揺が世界中に広がった。鷹の爪団は、アメリカのとある軍需企業がレオナルド博士を誘拐したと踏んで、潜入を試みるのだが…というストーリー。

映画第一弾は“勢い”。第二段は“惰性”。もう、続編は無かろう…と思うほどまとまりがなかったが、見事に(?)第三弾も製作された(まあ、四弾目もあるのだが…)。一生懸命あらすじを書こうと試みるが、大した内容はなかったりする。とはいえ、過去作品よりは格段とストーリー性が増しており、前作よりは書きやすい。

話をとっ散らかすのは相変わらずお上手だか、きちんとオチをつけることが相変わらずできていない。まあ、これも平常運転なのだが、せめてプロメテウス宮殿のくだりは、なんとか生かせよ…と。それに、最後のモンスターからの復活のくだりの意味がよくわからんし(レオナルド君なの?そうじゃないの?)。ストーリー性が増した分、総裁や吉田君のキャラ頼りの部分は比較的小さくなっており、個々のくだらないギャグはパワーが落ちていたりもする。結局、どこかの要素が向上すれば、別がグレードダウンするという、まるでおもしろさに総量規制でもかけられているのかと、言いたくなる状態。
そういう観点でいうと、本作が総じてまあまあだった分、コフィちゃんがつまらなくなったのも、同じ原因かと。

後は、前回同様に、スポンサーを募って制作費に当てて、劇中で露骨に宣伝するという手法で、スポンサー探しゲームと化している。このノリがあと何回続けられるかは疑問だが、これがなかったら、40分と見続けられないのも事実だったりする(こんな演出はマトモな映画じゃできねえよなぁ…)。
#ただ、粉飾してました⇒赤字ゲージ、、、のくだりはつまらんわ。

まあ、『ロッキー・ホラーショー』みたいにマニアが劇場で大騒ぎするような、ジャンルの映画なんじゃないかな。日本人は映画館で大騒ぎしないけど、コアファン限定でそういう大騒ぎ上映イベントなんかを主要都市でやるべきなんだろうな。スポンサーの商品とか配ってさ(もしかして、やってる?)

100円でレンタルしたので何の不満もなし。通常運転。でも、ヒゲと嬉野はいらん。そういう内輪方向のノリは自滅への地雷だぞ。もちろん、特段お薦めはしない。あまりにヒマで、キーボードの掃除くらいしかすることねえな…って時に見る作品。




負けるな日本

 

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imageX0031.Png公開年:1999年
公開国:韓国
時 間:124分
監 督:カン・ジェギュ
出 演:ハン・ソッキュ、キム・ユンジン、チェ・ミンシク、ソン・ガンホ、ユン・ジュサン、パク・ヨンウ 他
ノミネート:【2000年/第24回日本アカデミー賞 】外国作品賞



情報部員のジュンウォンとジャンキルは、近頃相次いでいる要人暗殺事件の陰に、かねてからマークしている北の工作員の女スナイパーの影を感じていた。捜査の過程で、北側が国防科学技術研究所の開発した爆弾CTXの強奪を計画していることを掴んだものの、二人がその情報に辿り着いた時には、既にCTXは盗難された後だった。ジュンウォンはCTX強奪犯が、かねて発生した航空機テロの実行犯の生存者であるパク・ムヨン率いる特殊8軍団であることに気が付く…というストーリー。

当時鑑賞した時の感想は、「韓国もこういう作品が作れるんだぁ…(棒読み)」程度のもの。やたらとメディアは持ち上げていたが、それほどの衝撃を与えてくれるようなレベルではなく、日本映画がこじんまりとしすぎていることを揶揄したいのだろうと捉えていたが、今考えれば韓国推ししたい一部勢力の工作だったのかもしれない。
#おすぎがCMで推した映画と私の好みの合わなさはハンパないな(CMで推した作品と合わないというのが、実はミソなんだろうけど。要するにおすぎも商売として推薦しているってことだわ)。

銃撃戦にお金をかけたな…というのは明らかだが、その反面、シナリオや設定があまりに稚拙すぎる。

個人的に一番興醒めしたのはCTXのギミック。ルクス(光量)と熱量はイコールではないだろう。炙って一定の温度を越えたら爆発するというのは理解できるか、スポットライトの光を当て続けると爆発する理屈がわからん。条件は光なのか熱なのか、だとしても時限爆弾並に秒単位で制御できるってどういうことやねん。
だいたいにして、ソウルの半分を壊滅させる威力があるのに、なぜスタジアム内に仕掛けねばならないのか。あんなに銃撃戦を繰り広げてでも爆発させて暗殺したいんだろ?自分の死も厭わないんだろ?太陽の光程度でも爆発するんだろ?じゃあ、スタジアムの外で光を当てて爆発させりゃいいじゃねえか。馬鹿なのか。
あのスタジアムで爆発させねばいけない理由。そして、爆弾のギミック。あとほんのちょっと考えればいいだけじゃないのか?なぜ、そこに気が廻らないのか、理解に苦しむ。

恋人が犯人だというのが、早々に判明するのだが、あまりに判りやすすぎて解明していくくだりが空々しくみえる。わざと早々に犯人だと判明させておいて、「いや、さすがに判りやすすぎるからミスリードだろ?」と逆に思わせるとか、信じたくないという苦悩を見せることに主眼を置きたいのか…とか好意的に想像してみたのだが、そういうテクニックを駆使しているわけでもない。う~ん。アホなのか。

本作を観ていると、今でTV放送されている韓国ドラマの基本プロットとまったく同じであることがわかる。それは①禁断の恋愛②重要な人物の死、この二つを軸に話が進むこと。いや、この2軸に無関係なドラマを発見することが難しい。
だから、既視感あふれるストーリー展開になる。それを一回なぞってみるというのも、成長のプロセスとして必要なこととして許容するが、同じことを繰り返し続けるのはどうかと思う(それも国全体で)。ユングがいうところの“元型”みたいなものなのだろうが、他国の作品と比べて多様性やダイナミズムが欠落しているように思えて、ものすごく韓国の人達の精神構造が異質に感じられてしまう。

いや、私だって、金田一耕助シリーズや仮面ライダーやウルトラマンなど、基本線は同じで予定調和的な範囲内でのバリエーションを愉しんでいる。だから韓国ドラマ好きのおばさんたちを頭ごなしに否定するつもりはない。現在ではありえない、昔の少女漫画みたいな“ノリ”を愉しんでいるだけなんだと思うから。それ以上でもそれ以下でもないと思う。
#でもそれは“韓国ブーム”みたいな大きなムーブメントじゃなく、ニッチな一ジャンルでしかない。

私はいつも韓国映画のカメラワークは褒めるけれど、本作は褒めない。Vシネマレベル。白状すると、ところどころ早送りして観た。好みの問題だとは思うが、正視に堪えない演出が多々あったから。
街並みや店舗の様子など、先進国に追いつこうと足掻いているように見えるところや、外面的な演出においてハリウッド作品などを模倣してみようという姿勢を、素直に「ああ、韓国も一流の国だ」と捉えるのか、痛々しく捉えるか。一見、映画を愉しむことと関係ないように思われるかもしれないが、そういうバックボーンの部分で感じる違和感が、作品全体の違和感になっている作品だと思う。

あくまで、日本ではじめて評価された韓国アクション作品という、作品の質とは無関係な点で映画史に1行記載されるレベルの作品だと思う。お薦めはしない。

#韓国は整形天国といわれるが、それでも本作の時代と現在では差がある(現実には整形手術のテクニックが向上したのだな…ということがわかる)。



負けるな日本

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image1730.png公開年:2005年
公開国:イギリス、フランス
時 間:86分
監 督:ブライアン・クック
出 演:ジョン・マルコヴィッチ、ジム・デヴィッドソン、ジェームズ・ドレイファス、テレンス・リグビイ、マーク・アンバース 他




1990年代のロンドン。バーやレストランで、スタンリー・キューブリックと名乗る男が、「私は映画監督のスタンリー・キューブリックだ。キミを次の映画に起用しよう」と話かける。アル中でゲイのこの男は、キューブリックとはに似ても似つかない風貌なのに、人々は次々と騙され、人々は彼に酒や食事をおごり、金品を渡してしまう…というストーリー。

冒頭から、“実話…?みたいな~”ってチョケた感じで始まるのだが、結局ラストでは、その後に死にましたーとテロップが入り、がっちり実話ってことらしい。実話の部分はベースのみで、あとはおもしろおかしく脚色するのかな…なんて期待したけれど、とくにおもしろく創作している様子は観られない。

人前には出てこないスタンリー・キューブリックなので、名声と裏腹にだれも顔を知らない。そこを突いて詐欺を働く男がいたと…。まあ、そういうことだったんだろうね。

なんか、大してそれっぽい演じ方をしていたわけでもないし、それほど巧みにも見えない。でも、実際にそういう事件があったんだと…。まあ、そういうことだったんだろうね。

で、その男はゲイでもあったと。別にゲイであることが、詐欺師の話として重要な要素でもないし、味付けとして効果的なわけでもない。でも、モデルになった人は実際にゲイだったと…。まあ、そういうことだったんだろうね。

詐欺のスケールが特段大きくなっていくとか、ハラハラするような展開になるとか、そういうわけでもなく、単に行き当たりばったりというか自暴自棄な感じ。別に詐欺にポリシーがあるわけでもないと…。まあ、そういうことだったんだろうね。

ん~~。まあ、そういう人がいた…というそれだけの話だね。マルコヴィッチが演じていたから、なんとか映画の体を保ってるって感じ。うん。「だから何…」その感想以外に何ひとつない。ウィット感が一切ない詐欺師の話。日本未公開なのもそりゃそうだろうなと…。もちろんお薦めしない。




負けるな日本

 

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image1740.png公開年:2008年
公開国:アメリカ
時 間:93分
監 督:ブレット・サイモン
出 演:リース・ダニエル・トンプソン、ミーシャ・バートン、ブルース・ウィリス、マイケル・ラパポート、パトリック・テイラー、キャスリン・モリス、メロニー・ディアス、ジョシュ・パイス、ルーク・グライムス、アーロン・ヒメルスタイン、ジョー・ペリノ、ロビン・ロード・テイラー、ヴィンセント・ピアッツァ、ゾーイ・クラヴィッツ、ザカリー・ブース 他



とある高校で、全国共通試験の答案が盗まれる事件が発生。新聞部の記者ボビーは、学園のマドンナ・フランチェスカから、犯人を捜して欲しいと依頼され、舞い上がって調査に乗り出す。独自に捜査で得られた手がかりを元に、生徒会長のポールが犯人であるとの記事を学校新聞に寄稿。生徒会長のポールは退学処分となり矯正施設に収容。反対に、ボビーは一躍学園の人気者となるのだったが…というストーリー。

(ネタバレ注意)

まあ、“処刑”が実際に誰かが殺されることを指していないということはわかるんだけど、邦題と内容のイメージの乖離がハンパないのは事実。結論をいうと誰も殺されたりはしないのだが、普通はそっち方向の展開があると思って観始めるだろう。

そういうバイオレンス展開の話ではなくて、純粋な学園謎解きモノだということが把握できるまで、結構な時間がかかる。私は、半分を経過しても、これはどういうジャンルの映画なの?と、そんな感じのままだった。これが意図したことなのかどうかわからないが、結果としてノリきれない一因となっている。観客を迷走させることに、メリットはあっただろうか?

また、どういう経緯でブルース・ウィリスが出ることになったのか。ブルース・ウィリスでなければならない理由は何一つなく、むしろ彼のキャラクターは何一つ生かされていない点が、ものすごく疑問。ブルース・ウィリスのことだから、きっと何かもう一展開あるに違いない…などと思ってしまいがちだが、結果的になにもない。無名に近いキャラクターの濃い役者を当てがったほうが効果的だったかもしれない。

等々…、無駄な期待を抱かせる演出が多くて、面白さを殺してしまっていると思う。
シナリオ自体は別に悪い内容の話ではない。むしろ、学園探偵モノとしてはなかなかで、こういう無駄な演出が無ければ、サンダンス映画祭なんかで評価を得られるレベルじゃなかろうかと思える。

レンタル料金100円なら文句は言わないが、200円だと機嫌が悪い日ならイラっとくるかも…そんなレベル。

で、私には、要所要所で電話をかけてくる、大学か何かの新聞部の人がダレなのかよくわからん。意図があってかけてきてるのか、純粋に役目を果たしているだけなのか、釈然としないのだが、誰かわかる?




負けるな日本

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image1739.png公開年:1970年
公開国:日本
時 間:116分
監 督:岡本喜八
出 演:勝新太郎、三船敏郎、若尾文子、米倉斉加年、岸田森、神山繁、細川俊之、嵐寛寿郎、寺田農、草野大悟、常田富士男、五味龍太郎、木村元、砂塚秀夫、田中浩、木村博人、浜田雄史、新関順司郎、熱田洋子、黒木現、滝沢修 他




三年前に訪れた蓮華沢の里に再びやってきた市。しかし、里はヤクザの小仏一家によって荒らされ廃れきっていた市の来訪を知った小仏一家の政五郎は、かねてから雇っていた用心棒に市を斬るよう依頼する。盲人を斬ることを嫌い一度は断った用心棒だったが百両出すと言われ、酒に酔った勢いで市を斬りに行く。しかし、一度の手合せで市が只者ではないことを悟り中断。お互いを「バケモノ」「ケダモノ」と呼びあいながらも、再度の勝負を約束して一献を交わす。その後、市は、小仏の下っ端を切ったかどで捕吏に捕まり牢に入ることに。本来なら打ち首のはずだが、なぜか生糸問屋・烏帽子屋の口利きで放免となり…というストーリー。

勉強不足のせいか、こんな作品があることを知らなかった。レンタルビデオ屋で発見して仰天。即レンタル。
まるで“ゴジラ対ガメラ”。途中で岸田森演じる九頭竜登場で、“ゴジラ対ガメラ対ジェットジャガー”みたいな感じになる。もう、大人の東映まんがまつり状態だ。

“用心棒”が一般名詞だとはいえ、その風貌はあきらかに黒澤明の用心棒そのものだし、よくもまあ黒澤サイドが許したなぁ…と。まあ、三十郎っていうキャラだったら怒ったかもしれないけど、別人だからセーフだったんだろうね(とはいえ、おいそれと出演しちゃう三船敏郎もスゴイかな)。

同じ“用心棒”だが、三船敏郎演じる佐々大作は『用心棒』桑畑三十郎の無骨ながら強かな性格とは異なり、『七人の侍」』の荒々しいが打算的という菊千代に近いキャラクター。このおかげで、限りなくマンガチックで超人的な座頭市というキャラクターとのバランスが取れているといえる。両者ともずーっと銭だ金だと言い続ける(笑)。

前半は、さすがに大物キャラクターを、どうやって両方とも生かそうかという点に苦心している様子が伺えて、シナリオはちょっとバタバタしている感じ。観ている側もはらはらするほどなのだが、つかず離れずの両者が、それぞれの思惑で状況を打破しようと動き始めると、どんどん馴染んでおもしろくなってくる。
とにかく、勝新太郎、三船敏郎の二人の演技は、そんなギクシャクを簡単になぎ倒すだけの力がある。加えて、米倉斉加年、岸田森、細川俊之と、悪人の波状攻撃が続くが、各々がそれぞれのキャラを立たせようと個性を炸裂。これが、なかなか効いていて、お祭り状態が加速する。

簡単に二人がお互いを認め合い、なあなあになって手を取り合ってしまう展開にしてしまいがちだが、そうならなかっただけでも、このシナリオは大したものだと思う。すったもんだありつつも、最後に両者の対決までもっていった(いけた)点は、よく頑張ったと評価したい。
#まあ、砂金を山にする必要があったのかどうかとか、そういう荒さは目を瞑ろう。

傑作とは言えないけれど、豪快なエンターテインメント時代劇として充分に愉しめた。昔の日本映画のパワーを堪能あれ。お薦めしたい。




負けるな日本

 

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image0337.png公開年:2002年
公開国:アメリカ
時 間:125分
監 督:ブレット・ラトナー
出 演:アンソニー・ホプキンス、エドワード・ノートン、レイフ・ファインズ、エミリー・ワトソン、メアリー=ルイーズ・パーカー 他
コピー:《悪の根源》を知る為にはその原点に戻らなねばならない。



FBI捜査官ウィル・グレアムは、精神科医ハンニバル・レクターから連続殺人事件について助言を得ながら捜査を続けていたが、ふとしたことから犯人がレクター本人であることに気付く。レクターとの格闘の末、逮捕に至ったが、犯人から助言を貰い続けながら見抜けなかったことのショックから捜査官を引退する。その後、フロリダで家族と静かな生活をおくっていたが、そこに元上司のクロフォードが訪れる。彼は、最近起きた連続家族惨殺事件の捜査協力を依頼。一旦断ったが、事件の状況を聞かされるうちに興味が湧き上がり、結局、捜査に加わることに。しかし、なかなか解決に近づかないことに焦るクロフォードは、ウィルに拘禁中のレクターから事件についての意見を聞いてはどうかと助言をし…というストーリー。

またまた、レクター博士に戻ってしまった。

『羊たちの沈黙』も同様であるが、なんといっても、希代の猟奇シリアルキラーが、ストーリーの主軸の事件を解決するための協力者であるという、プロットのおもしろさ。しかし、その構成が『羊たちの沈黙』と同じであることが、逆に評価がいまいちなの理由だったりするのは、いささか皮肉なものである。

その他にも評価が伸びない理由は多々考えられる。
・画質がきれいだったために逆に安っぽく見えてしまっているとか…
・妙にレクター博士がグレアム捜査官を買っているのだが、半ば立場が対等に近いだけに、「教えろ」「教えない」の押しあいっこのようにも見えて、クラリスの時のような駆け引きや心理戦になっていないのが、いまいち深みが感じられないとか…
・猟奇的な描写が少な目なので、スケールダウンしている印象を与えてしまっている…とか
・レクター、グレアム、ダラハイドの三者の描写がバランスがよすぎて、それぞれのキャラクターの掘り下げが不足しているようにみえるとか…

まあ、色々挙げればあるのだろうが、それもこれも『羊たちの沈黙』という偉大な親の光が神々しいだけで、本作の絶対的なデキが低いわけではないと、私は思う。
ハーヴェイ・カイテルやフィリップ・シーモア・ホフマンらが脇を固めるなど、競演陣も豪華だし、ストーリー上の事件の犯人の興味深さという点では、『羊たちの沈黙』の犯人“バッファロー・ビル”よりも本作の“レッド・ドラゴン』のほうが上だと思う。
私は、持ち前の洞察力が周囲や敵から評価をうけながらも、「別にそんなことどうでもいいし…」という態度と、しかしながらも捜査には関わらずにはいられないというグレアム捜査官の姿にシンパシーを感じたので、非常に愉しめた。

シナリオ上の難点を強いて挙げれば、エミリー・ワトソン演じるリーバを、燃える家に残すなら殺せばいいし、殺す気がないのなら逃げやすくすればいいし、普通に放置しなのだけが腑に落ちなかった。唯一、微妙な演出と感じたのはその点くらいかな。

ネットの評判を読むと、原作を読んだ人の評判が悪く、読まずに本作を観た人の評判が良いという傾向がはっきり現れている。原作を読んだことのない私は十分に満足。どれだけ原作がすばらしい想像を喚起するデキなのかはわからないが、読んでいないことでここまで愉しめたのだから、むしろ読んでいなくてラッキーと思えるほど。お勧めしたい。
仮にお気に召さなくても、ラストシーンを見たら、『羊たちの沈黙』が見たくなること必至。

#『刑事グラハム/凍りついた欲望』も観てみようかな…。評判は悪いけど。



負けるな日本

 

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imageX0030.Png公開年:1987年
公開国:アメリカ
時 間:120分
監 督:バリー・レヴィンソン
出 演:ロビン・ウィリアムズ、フォレスト・ウィッテカー、チンタラー・スカパット、ブルーノ・カービイ、ロバート・ウール、J・T・ウォルシュ、リチャード・エドソン 他
受 賞:【1987年/第45回ゴールデン・グローブ】男優賞[コメディ/ミュージカル](ロビン・ウィリアムズ)


1965年。アメリカは南ベトナムを反共の砦とするために兵を送り込み続ける。その結果、サイゴン市内でもベトコンによるテロが頻発ほど戦争は拡大を続けていた。そんな中、軍サイゴン放送局は、兵士の戦意高揚のために、クレタ島から一人の人気DJエイドリアン・クロンナウアを呼び寄せる。到着した彼は、局に向かう途中で、さっそく現地のアオザイの女性に目を奪われるほど、陽気な性格。局へ着くと、「グッドモーニング,ベトナム」と絶叫して番組をスタート。マシンガントークに加え、軍指定の推薦曲を無視してロックンロールを流すなど、戦場の兵達から熱烈な支持を受ける。しかし、軍内の規律を重視するディッカーソン上級曹長とホーク少尉は、彼の放送を不快に感じ…というストーリー。

ロビン・ウィリアムスは演技が過多ぎみな人ので、いわゆる“普通の役”を演じると興ざめする場合が多いのだが、本作のDJはエキセントリックの極みでマシンガントーク炸裂という役柄なので、スタンダップ・コメデイアン出身の彼にとては適役。

前線の様子はラジオを聴いてくつろぐ兵士の姿がほとんどで、戦闘シーンがほとんどないのも特徴的。ベトナム戦争映画は多々あるが、このようなノリの作品は本作くらいだと思うが、立派に反戦映画としての役割は果たしているのが興味深い。

結局、クロンナウアとトリンの間の距離が縮まることのないまま、クロンナウアが帰還するところが、まだ遠い平和をうまく表現できていてよい。
日本をWW2で倒し占領下に置き、日本の民主化を推進したアメリカが、報道を検閲し自国の兵士に事実を知らされないまま戦闘に向かわせるという、旧日本軍と同じことをやっている皮肉。グッド・モーニング・ベトナムの“グッド・モーニング”が“目を醒ませ”って意味なら、いいところを衝いているなと思う。
ひとつの戦争による勝利は、一過性の勝利でしかなくて、本当の勝利は別の次元にあるということ。
そして、アメリカは今でも目を醒ましていないという状況を鑑みると、WW2で敗戦してよかったのではないかと思えてくるほど(負け惜しみじゃなくてね)。

これは傑作だと思うなぁ。

実は公開当時に劇場で観ているのだが(年齢がわかるな)、その時は国際情勢なんかトンチンカンチンだったので、裏に潜んでいる意味とか全然読み取れなかったんだよね。24年ぶりに観て、クロンナウアは上官のいやがらせに抵抗しているように見えて、実はアメリカの姿勢に対して抵抗しているという構図が見えて、ああ自分も成長したな…となかなか感慨深い作品だ。
これを観てピンとこない人やアメリカ目線の都合のいい作品だと批判している人をを攻める気はない。また10年後にでも観なおしてくれればそれでよい。そんな人達も、いつか“グッド・モーニング”を迎えることを祈って、超おすすめの一作。




負けるな日本

 

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image0940.png公開年:1989年
公開国:アメリカ
時 間:127分
監 督:ティム・バートン
出 演:マイケル・キートン、ジャック・ニコルソン、キム・ベイシンガー、ジャック・パランス、ビリー・ディー・ウィリアムズ、パット・ヒングル、ロバート・ウール、マイケル・ガフ、ジェリー・ホール、トレイシー・ウォルター、リー・ウォレス、ウィリアム・フットキンス 他
受 賞:【1989年/第62回アカデミー賞】美術(監督)賞(アントン・ファースト)、美術(装置)賞(ピーター・ヤング)


汚職がはびこり悪人が跋扈する無法都市ゴッサム・シティに黒いボディスーツを着た怪人が現れる。彼は悪人たちに次々と制裁を加えては、自分のことを言いふらせと言い残して闇に消えていく。やがて“バットマン”と呼ばれはじめた怪人を、新聞記者ノックスと女性カメラマンのヴィッキー・ベールが、周囲から馬鹿にされながらも追求していく。二人はバットマンの正体をつきとめるために警察長官ゴートンを取材しようと、大富豪ブルース・ウェインでの邸宅パーティを訪れる。そこで、ヴィッキーはブルース・ウェインと知り合い、お互いに魅かれるものを感じるのだった。一方、マフィア組織の一員ジャック・ネーピアは、幹部グリソムの愛人に手を出したことで怒りを買い、罠にはめられ科学工場で警官隊に追い詰められることに。そこに突然現れたバットマンと格闘になり、化学薬品の液槽に転落してしまい…というストーリー。

『バットマン ビギンズ』『ダークナイト』のリアルさに比べ、ティム・バートン版はコミカルだったという印象があった。ちょっと比較してみようと思い鑑賞。

ゴッサムシティのゴシックの暗い画調の中に、様式美ともいえるティム・バートンぽさが出ており、いい雰囲気。ティム・バートンが描く月夜は最高である。リアルとマンガの境界をあいまいにしてまとめさせたら、ティム・バートンの右に出るものはいない。
アクション作品にしてはテンポがよくないと感じる人はいるかと思うが、これはテンポが悪いんじゃなく、ティム・バートン独特のほどよいルード感。

しかし、改めて観ると、それほどマンガチックではないことがわかる。1989年から始まったバットマンシリーズ4本が、マンガチックという印象は、実は本作のせいではない。ティム・バートンが監督した本作と2作目はけっこうシリアス。役者陣がコミカルな演技を見せてはいるが、それはそういう役。実は、ティム・バートンが製作にまわった3作目からその傾向がみられ、まったく関与していない4作目(シュワちゃんが出てるやつ)で顕著になる。4作目はコミカルな効果音がつけられるなど、とにかく気に喰わない。そんなことをやっているから、シリーズもおしまいになるのだ。

『バットマン ビギンズ』の制作費が1.5億ドル、『ダークナイト』が1.85億ドルなのと比較すると、本作の制作費はたったの4,800万ドル。時代の違いを考えると単純な比較はできないが、その後の3本と比較しても極端に少ない。そこからジャック・ニコルソンやプリンスのギャラを抜いたら、実際の制作費なんかメジャー作品と考えたら極端に低い部類だろう。そう考えると、ちょっとありえないレベルのデキではなかろうか。
本作での、武器や装備を作る様子も、『バットマン ビギンズ』のそれと大きな違いはない。

本作は、バットマンというよりも、“ジョーカー・ビギニング”って感じ。主役はジョーカー。ジャック・ニコルソンの映画なんだろうな。娯楽作としては『ダークナイト』に負けず劣らずの作品だと思う。たまに観かえすとおもしろいかも愉しい作品かもしない。軽くお勧め。

しかし、DVDのジョーカーの吹き替えがデーモン小暮なのだが、申し訳ないがコレは非常にデキがよろしくない。興行の時はプロモーション的に許容するけれど、DVD化するときはきちんと声優さんに当ててもらいたいね。



負けるな日本

 

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image0944.png公開年:2005年
公開国:アメリカ
時 間:140分
監 督:クリストファー・ノーラン
出 演:クリスチャン・ベイル、マイケル・ケイン、リーアム・ニーソン、モーガン・フリーマン、ゲイリー・オールドマン、渡辺謙、ケイティ・ホームズ、キリアン・マーフィ、トム・ウィルキンソン、ルトガー・ハウアー、ライナス・ローチ、ラリー・ホールデン、コリン・マクファーレン、ジェラルド・マーフィ、サラ・スチュワート、リチャード・ブレイク、ラデ・シェルベッジア、エマ・ロックハート、ガス・ルイス、クリスティーン・アダムス、キャサリン・ポーター 他
受 賞:【2006年/第15回MTVムービー・アワード】ヒーロー賞(クリスチャン・ベイル)
コピー:その男は「闇」から生まれた──。

不況に喘ぐ大都市ゴッサム・シティ。大富豪の息子ブルース・ウェインは観劇の帰り道、目の前で強盗に両親を殺害されてしまう。成長したブルースは両親を殺した犯人が仮釈放を求める審判の直後に殺害される現場を目撃。自分の中にある復讐心と正義との狭間で間が気苦しむブルースは、答えを求め放浪の旅に出る。やがて、デュガードという男と出会い、彼の薦めでヒマラヤの奥地に本拠地を構える“影の同盟”という組織と接触。そこで訓練を積んだブルースだったが、正義に対する考えかたの相違から組織から離脱。未だ犯罪が蔓延するゴッサム・シティに帰郷する。その後、執事のアルフレッドやかつて父の元で役員だったフォックスの協力を得て、全身黒装束のバットマンとなり、巨悪と対峙することを決意するのだったが…というストーリー。

昨日に続き、“ビギンズ”物。

渡辺謙の扱いが軽い…というか、渡辺謙には役不足という方が正しい。あのちょい役悪人しては存在感がありすぎるし、日本人だからかもしれないが、このまま単なる悪役で終わるとは考えにくく、まだ一展開あるのでは?と無駄な気を使わせる。
#ヒマラヤあたりにいる謎のアジア人が、アラブ系の名前で且つニンジャ集団を率いているという、よくわからない設定(詳しくないんだけど、原作コミックでもこんな感じなの?)。仏教といえばチベット仏教しか思い浮かばないくせに、忍術を駆使するニンジャが本気で存在すると思っていたりする。見たいものしか見ないおめでたさというか、アメリカ人の考えることはよくわからない。

前半は漠然とした社会悪と戦う展開が続くので何かぼんやりしているし、見えない敵とシャドーボクシングしているようで、滑稽に見えてしまう所もある。悪がはびこる街に現れるヒーローと市民との関係という意味では、『スパイダーマン』のほうがよく描けている気がする。

後半、スケア・クローが登場して敵がはっきりしてくると、ストーリーの焦点が合ってきて、面白くなってくる。ピリっとしないアクションや武器のギミックも、このあたりからおもしろくなってくる。
しかし、リーアム・ニーソン演じるヘンリー・デュガードが再登場してくると、またまたぼんやり状態に逆戻り(はっきりいって、最後のボトルは眠くなるほどつまらん)。だって、所詮生身のテロリストだもの。

武器や装備に関しては、できるだけ説得力のあるものにしようという姿勢が伺えるし、クリスチャン・ベイルの演技も“リアル・バットマン”にマッチしていて、非常に好感が持てる。しかし、ネタフリともいえる“影の同盟”のくだりが、時間を要しているわりにおもしろくないのが、本作の最大の難点。それにつきる。ストーリー構成と時間配分に、もう一ひねりほしかった。

本作のデキを見る限り、『ダークナイト』であそこまではじけるとは、だれが予測できただろうか。『ダークナイト』がなければ、凡作として片付けられたであろう作品。




負けるな日本

 

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image0973.png公開年:2007年
公開国:アメリカ、イギリス、フランス
時 間:121分
監 督:ピーター・ウェーバー
出 演:ギャスパー・ウリエル、コン・リー、リス・エヴァンス、ケヴィン・マクキッド、スティーヴン・ウォルターズ、リチャード・ブレイク ドートリッヒ、ドミニク・ウェスト、チャールズ・マックイグノン、アーロン・トーマス、ヘレナ・リア・タコヴシュカ、イヴァン・マレヴィッチ、ゴラン・コスティッチ、インゲボルガ・ダクネイト 他
ノミネート:【2007年/第28回ラジー賞】ワースト前編・続編賞、ワースト・ホラー映画賞
コピー:すべてが明らかになる

1944年のリトアニア。戦禍に巻き込まれ非難した山小屋で両親を亡くしたハンニバル少年は、妹ミーシャと2人で隠れ住んでいた。しかし、逃亡兵集団が山小屋を占拠し、ミーシャは彼らに殺害されてしまう。なんとか脱出したハンニバルは、その後、孤児院で成長するも、かつて自分が生活していた屋敷が孤児院として接収されており、そこで生活することに耐えられず脱走する。そして唯一の親族である叔父を訪ねてパリへ向かう。しかしすでに叔父は死んでおり、その未亡人である日本人女性レディ・ムラサキに温かく迎えられる。ハンニバルはそこで安心した生活をすごすことができたが、それと反比例して押さえ込んでいた復讐の念を沸き立たせていく…というストーリー。

『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』を観て、比較的質の良いビギニング物を思い出したので、再度鑑賞。

かといって、不満な点がないわけではない。本作のハンニバルが、『レッド・ドラゴン』のレクター博士に繋がっているような気がしないという意見が多いのも事実。確かに、これまで描かれてきた彼の行動の根本原因だと納得させる説得力がいまいち不足していると思う。本作で妹の復讐をする青年ハンニバルが、『レッド・ドラゴン』において、演奏するフルート奏者を見て「美味そう…」と思うレクター博士になっていくといわれても、いささか腑に落ちないものがある。
その違和感の一番の理由は、レクター博士の知的な振る舞いが、本作のラストでアメリカ大陸に渡った後に獲得されたとは思いがたい点か。要するに、『羊たちの沈黙』のハンニバルの理知的で人並みはずれた洞察力を持ちながら情に欠ける人間性が、後天的に獲得されたものとは考え難いということ。いや、後天的に獲得はされるようなレベルではない…というのが正しいかな。
つまり、本作において、もっと“元々の性向・資質・能力だった”という点を強調すべきだったと思うのだ。犯罪者が幼少期のトラウマによって生まれるという理屈に傾倒しすぎていると思う(かならずしも、幼少期に虐待を受けたりトラウマを抱えた人間が、猟奇的な犯行を犯すようになるわけではないからね)。本作のハンニバルは情の部分が強すぎる。

でもまあ、原作のある話だし(未読だが)、そこからストーリーを大きくはずすわけにもいかないだろうから、仕方がない。これまでの“レクター博士”作品によってハードルが上がっているだけで、本作自体のデキは佳作といってよい(すくなくとラジー賞にノミネートされるほど悪くほど悪いとは思えない)。戦後まもなくの雰囲気もよく出ているしね。そこそこお薦め。
でも、“ビギニング”で全てを語らないといけないルールもないが、本作と『レッド・ドラゴン』の原作は無いので、やはり本作で語りきるべき…と、なかなか複雑な思いにさせてくれる作品だ。

各作品には、蝶や拘束衣、刺青など、ビジュアル的なアイコンがあったが、本作でのそれは“日本文化”だったと思う。しかしその描写が弱い。もしかすると、外国人にとってはあの程度の日本描写で充分なインパクトがあったのかもしれないが、私には不足ぎみ。おまけに、日本ぽくないのには若干閉口してしまう。



負けるな日本

 

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image1738.png公開年:1984年
公開国:日本
時 間:85分
監 督:高野宏一
出 演:浦野光、堀内賢雄、小滝進、桜本昌弘、栗葉子、白川澄子、古舘伊知郎 他






宇宙警備隊体長であり、ウルトラ兄弟の長兄であるゾフィーが進行役となって、『ウルトラQ』から『ウルトラマン80』までのバトルシーンや、怪獣・宇宙人たちの特徴・行動を紹介していく作品。

昨日の『ウルトラマン物語』と同年の作品であるが、本作にはほとんど新作カットはないといってよい。そんな子供だましの内容で劇場公開映画として成立するのか?という疑問を抱かざるを得ないが、なぜかウルトラマンの歴史の中では、確固たる位置づけをキープしつ付ける作品なのである。サブキャラであったゾフィーの冠作品だから?いや、そういうことではなく……。

一部の宇宙人や怪獣の鳴き声や光線の発射音が変更されているほかに、怪獣とのバトルシーンを当時プロレス実況で人気が出ていた古舘伊知郎が実況していたりする。そうい意味で珍作だか?いや、そういうことではなく……。

本作は、ウルトラマンたちと地球を侵略する悪い宇宙人や怪獣との連綿と続く戦い…という大筋で展開していく。それを維持するために、元の設定を壊さざるを得なくなっており、オリジナルとは完全に異なるセリフをアテレコするなどしている。で、問題なのは、それを進行役のゾフィーが紹介しているという点。まるで、インチキ宗教家が事実を捻じ曲げて自分達の素晴らしさを語り、他宗を貶めている様子にも見えること。また、司会進行の途中で取って付けたように襲来するUFOを退治して“自分はやってるぞ”感や演出したり、“すばらしいでしょ?”を押し付けているようにも見え、三流の通販番組のようでもある。
極めつけは、ゼットンを倒したのは科学特捜隊だったのだが、さらりと「私が倒した」などといったり(そのサラリ感が絶妙)、進行役が自分の行動を捏造しているようにしか見えないことから、一部のウルトラマンファンの間では、“ゾフィーによる捏造”としてネタにされたり、挙句の果てにはゾフィーを捏造するキャラとして同様のパロディマッド動画が作られることも多々あるのだ。
そういう意味で、ウルトラマン作品として、トップクラスの珍作なのである(トップが『ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団』であることは間違いないのだが)。

私は、この作品を、ウルトラ教という宗教の紹介ビデオだと定義している(笑)。しかし、昨日の『ウルトラマン物語』よりも、子供達の心をワクワクさせたのは事実である。ウルトラ教によるマインドコントロール教育恐るべし。その教育を受けて大人になったオッサンたちが、すくすくと成長して、いまだにおもちゃを買い、自分の子供にも布教する。おお宗教、おそるべし(ウソ)。

特段お薦めはしないが、小さい男の子がいるなら見せてもいいかも。今のウルトラマン作品よりシンプルでバラエティ感が豊富なので。




負けるな日本

 

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image1737.png公開年:1984年
公開国:日本
時 間:93分
監 督:高野宏一
出 演:野沢雅子、池田昌子、石丸博也、石田太郎、金内吉男 他




 

M78星雲ウルトラの星。怪獣は全て悪物だと思っていた幼少期のタロウは、ウルトラの星に生息する善良な怪獣ドックンとの出会いを機に、平和を愛する怪獣もいるということを知る。その後、特訓を続けながら成長したタロウは、なぜウルトラの父が自分を実戦に投入してくれないのかを考えていたが、その矢先に失敗を犯してしまい…というストーリー。

興味のない人にはまったく食指が動くことのないジャンル作品。

1984年といえば、まだベータのビデオデッキが普通に存在しており、レンタルビデオ屋でも両フォーマットが並存していたころ。しかし、現在のように、ありとあらゆるといってよいほどのコンテンツがレンタル化されているわけでもなく、こういった子供向け特撮作品が充実していたとはいい難い。どちらかといえばマニア向けのレーザディスクとして流通しているのみの作品が多く、オマケに高価だったため、TVの再放送に期待する場合が多かった。

これより前の時代にいたっては、“東映まんがまつり”などでは、平気でTV放映した内容をそのまま上映していたし、ウルトラマンでも複数のエピソードを再編集したものが多かった。いまでは映画ビジネスとして成立するはずもない所業だが、それでも子供達は満足(というか納得)できた。ガンダムの3部作だって、基本的にはTV放送の再編集なのに、あれだけ空前の大ヒットを飛ばしたわけだから(3作目は新製作カットが多いけど)。
要するに、特撮やTVアニメの世界の映画化とは、世の子供達への供給枯渇状態の基盤の上に、限りなく安く製作して儲けるという、お祭りの見世物レベルのビジネスが成立していたわけだ。

で、本作の時代になってくると、さすがに同じノリのビジネスは不可能。しかし“特撮まんが”ごときに普通の映画並の製作費をかかけるなんてことは有り得ない状況。だから、過去のコンテンツと、できるだけ製作費をかけずに(それこそTVの2,3本の製作費で)新作カットを撮って、それを強引なシナリオによって1本のオリジナル作品然としたものを作り上げようという、方向性になってくる。

本作は、新作部分が時間にして半分ほどあるのだが、人間の俳優は登場せず、2,3体の新作着ぐるみと若干のセットを構築したのみ。それで、ウルトラマンタロウの“ビギニング”エピソードを作ってしまった珍作である。
ウルトラマンタロウが、幼少から青年になるまでの成長物語として展開されるのだが、元々の設定を無視した強引さがあるので、不整合を回避するために地球側のいわゆる科学特捜隊的な存在や変身前の人間体は存在しないことになっている。古来からのお祭り見世物的な姿勢による、安易なサービス精神も健在なため、『タロウ』よりも後に放送されたウルトラマンレオやウルトラマン80が先に地球で活躍しているなんていうのも、平気の平左である。

まあ、何にせよ、時代のあだ花のような作品で、一般の映画ファンにとっては、これを他の映画作品と同列に扱うのはどうか思うレベル。しかし、現在にまで続くウルトラマン・サーガの世界観を広げる一助にはなっているという、不思議な作品。
だからといって、お薦めはしないけど。




負けるな日本

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image1736.png公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:131分
監 督:マシュー・ヴォーン
出 演:ジェームズ・マカヴォイ、マイケル・ファスベンダー、ケヴィン・ベーコン、ローズ・バーン、ジャニュアリー・ジョーンズ、オリヴァー・プラット、ジェニファー・ローレンス、ニコラス・ホルト、ゾーイ・クラヴィッツ、ルーカス・ティル、ジェイソン・フレミング、エディ・ガテギ、アレックス・ゴンサレス、ローレンス・ベルチャー、ビル・ミルナー、グレン・モーシャワー、マット・クレイヴン、レイ・ワイズ、マイケル・アイアンサイド、ドン・クリーチ、ヒュー・ジャックマン、レベッカ・ローミン、デミトリ・ゴリツァス、レイド・サーベジヤ、ジェームズ・レマー、ベス・ゴダード、サーシャ・ピーターズ、モーガン・リリー 他
コピー:共存か、支配か。その<起源>を目撃せよ!

ナチスによる強制収容所。シュミット博士はユダヤ人のエリック・レーンシャー少年が鉄門を捻じ曲げるのを目撃する。博士は、エリックの能力を引き出そうと彼の目前で母親を殺害すると、その怒りと悲しみによって、磁力で金属を意のままに操る能力が発動。エリックはその後、研究対象となっていく。同じ頃、ニューヨークの裕福な家の息子チャールズ・エグゼビアは、屋敷で変身能力を持つ青い肌の少女と遭遇する。チャールズは自分と同じような人間がこの世に存在することを喜び、彼女を屋敷に迎え入れる。彼も強力なテレパシー能力を持っていたのだ。18年後、成人したエリックはシュミットに復讐するために、ナチスの残党を探し出して襲撃していた。チャールズはイギリスのオックスフォード大学で突然変異・ミュータントに関する研究をしていたが、そんな彼に、捜査の過程でミュータントの存在を知ってしまったCIAエージェントのモイラ・マクダガート大佐が接触してくる…というストーリー。

まず、なんといっても、『X-MEN』『X-MEN2』『X-MEN:ファイナル ディシジョン』でおざなりになっていた、エグゼビアとマグニートーの過去がすっきり判明するのがよろしい。元は行動を共にしていたが、意見の相違で袂を別ったということが説明されているだけにすぎないが、やはりなぜミュータント同士が争いあっているのか…という根本がぼんやりしている気持ち悪さは如何ともし難かった。
マグニートーを演じるイアン・マッケランが同性愛者だったことから、どうもその過去設定に変な含みがあるようで気持ち悪かったのだが、一応すっきりする。いや、人によってはますます同性愛的な描写に感じられたという人もいるかもしれないが(笑)。

以下、若干ネタバレ注意。

ミスティークがそんな古くから関わっていることや、ビーストがあの姿になった経緯(足が手なだけのミュータントって、一人だけ随分レベル低くね?と思っていたら、その展開だもの)、エグゼビアが車椅子に乗っていることの理由。あれ?そのヘルメットってマグニートーのだよね。あれ?マグニートーの能力って磁力だよな。能力が移動しちゃう?いやいや『X-MEN』でもゲットーのくだりはあったから、やっぱりエリックがマグニートーだ。ってことは…等々…。X-MENフリークでもない私は、もちろんそんな細かい設定を知らないので、一つ一つ謎は判っていくときの「お~」っていう感じがとにかく快感だった。
本作を観終わると、いままでこのあたりをうやむやにしてきたことが罪に感じられるほど。

キューバ危機回避の理由をX-MENにしてみたり、ミュータントの発生原因を原水爆実験で放出された放射線が原因だとしてみたり、アメリカ人のお気楽脳全開が成せる技ではあるのだが、まあ、そういうことを含めて、ある意味、アメリカの歴史のエンターテイメントさは、うらやましいかもしれない(あくまで、エンターテイメント的には…という話)。
これによって、ミュータントと人間の対立の萌芽が説明されており、シナリオとしても秀逸だと思う。そう、ミュータント同士の対立+ミュータントと人間の対立、それ至る両方の過程がすっきりと腑に落ちる。

ウルヴァリンは不老不死設定だから、あのまま出てくるのはよしとしても、チャールズとエリックがオズオズと引き返してくるのは、いまいち納得できない。サービスカットなのはわかるけど、勧誘を途中でやめたうまい理由を演出してほしかった。唯一の不満はこの1点のみ。
とにかく、本作をありきたりのビギニング物と侮っていたら大間違い。X-MENシリーズの中で最高のデキだと思う。傑作というのは少しだけ躊躇するが秀作であることは間違いない。
X-MENの1作目は良しとしても、『X-MEN2』『X-MEN:ファイナル ディシジョン』は落第点といってよかったもの。本作を観るとブライアン・シンガーのアレはいったいなんだったのか…と、思ってしまうほどである。

もちろん、サイクロプスやらストームやらも登場していないし、『X-MEN』以降に登場しないミュータントが存命なことから、まだまだそれに続く展開が存在するのは明白。3部作になると思われるので、大変期待できる。原作設定なので仕方がないのかもしれないが、アザゼルの能力だけが特出していて、バランスが悪く感じるのも、次作以降の展開で何かがある布石に違いない。

いやぁ、いいものを観た。強くお薦めする。そんな超能力者が戦うマンガみたいな話は興味ないわ…という人も、コレを機会にどうぞと言いたい。次は劇場で観てもいいかもと思わせてくれるレベル。


負けるな日本

 

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クボタカユキ
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映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
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一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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