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image0186.png公開年:2006年 
公開国:アメリカ
時 間:112分  
監 督:ラッセ・ハルストレム
出 演:ヒース・レジャー、シエナ・ミラー、ジェレミー・アイアンズ、オリヴァー・プラット、レナ・オリン、オミッド・ジャリリ、 チャーリー・コックス、ナタリー・ドーマー、スティーヴン・グリーフ、ケン・ストット、ヘレン・マックロリー、リー・ローソン、ティム・マキナニー、フィル・デイヴィス 他
受 賞:【2000年/第58回ゴールデン・グローブ】男優賞[コメディ/ミュージカル](ジョージ・クルーニー)
コピー:恋愛至上主義 100万もの恋か、ただひとつの愛か・・・

18世紀のヴェネチア。どんな女性も虜にしてしまう究極のプレイボーイ、カサノバは、修道女との逢引が役人に見つかり逮捕されるも、総督の計らいでなんとか無罪放免。しかし、総督の保護の条件は結婚して身を固めること。さっそく富豪の娘ヴィクトリアを口説き落とし婚約を取り付けるが、そんな彼の前に、男勝りの剣の腕前と知性を兼ね備えるフランチェスカが現われ、彼女に対する恋の炎がを燃え上がってしまう…というストーリー。

ギロチンが人名だっていうのと同じで、カサノバって実際の女たらしの名前なのね…っていうトリビア的なハナシは脇に置いておいて…。

実は、ハルストレム監督作品ということは、観終わってから気付いたのだが…。とても場面場面の展開がスムーズでムダがない。職人芸ともいえる編集(だと私は思う)。もし自分が映画を作ることがあるならば、本作の編集を参考にしたい。ジゴロの話などに興味なんて微塵も無いので、簡単に飽きてしまいそうなものだが、そうならなかったのは、この編集のおかげである。

ルネサンス時代、マキャベリの『君主論』の舞台、そして本作の18世紀もそうだが、都市国家の集まった、イタリアという土地は、今の国家の感覚からするとわかりにくいのだが、そういうことは一切知らずとも、本作は楽しめる(当時のイタリア半島は、教会というタガの中に都市国家が集まっていて、さらに自由を主張する民衆とのカウンターバランスの元に成立しているとでも、認識しておけばいいんじゃないかな)。

作品の質としては、はじめの「気球でふわり」が全体のノリを象徴している。重めのテイスト作品が多い監督なので、あえてこういう舞台喜劇みたいなノリに挑戦してみたのかもしれない。しかし、“パブリッツォの看板”とか、“デブ専の母親”とか、すこし都合よすぎる場面も多い。彼なりにわざと娯楽作品の方向に軸を倒している様子が伺える…と好意的に受け取っておこう(結果として『恋におちたシェイクスピア』みたいなノリになってしまい、男装シーンで若干既視感すら覚えるというマイナス面も生じているのだが…)。

ストーリーは進むにつれて尻上がりにボルテージがあがり、ラストは急速にギア比がアップ。非常におもしろい展開だが、やっぱり“家族”の話になってしまうところがハルストレム監督らしい(もし彼の作品だと知っていたら、読めていたかもしれないので、気付かずに観てよかった)。ネタバレなのであまり言わないでおくが、回想しているのは実は…という着想もとても面白い。

結論からいうと、観る前の「まあ、多分、こんなもんなんだろうな…」という漠然とした予想は、いい意味で裏切られた。あまり期待しないで、ハードルを下げて気楽に観ると、ちょっとした拾い物と感じられるに違いないので、軽くお薦めしておく。

#それにしても、ヒース・レジャーはもったいない。
 

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image0483.png公開年:2005年 
公開国:フランス
時 間:86分  
監 督:リュック・ジャケ
出 演:ロマーヌ・ボーランジェ、シャルル・ベルリング、ジュール・シトリュク、石田ひかり、大沢たかお 他
受 賞:【2005年/第78回アカデミー賞】ドキュメンタリー長編賞(リュック・ジャケ)
【2005年/第11回放送映画批評家協会賞】ドキュメンタリー賞
【2005年/第31回セザール賞】音響賞(Laurent Quaglio、Gerard Lamps)
コピー:生命を継ぐ物語
また必ず会える 氷に囲まれた南極の、あたたかな愛の物語

冬を迎える南極大陸。皇帝ペンギンたちは、営巣地オアモックへ向け、100キロもの距離を歩み始める。目的地に辿り着き無事産卵したペンギンの夫婦たち。やがて、母ペンギンは卵を父ペンギンに託し、エサを求めて再び海へ。父ペンギンは仲間同士で寄り添い、極寒とブリザードに晒されながら4ヶ月も絶食状態で卵を守り、エサを待ち続ける…という内容。

ドキュメンタリーなので、これまで取り上げた映画とは、趣が違うが、結構こういうのは嫌いではない。実は、ちょくちょく見ている。

映像の美しさもさることながら、とにかく「よく撮ったねぇ。がんばったねぇ」の一言である。数々の受賞・ノミネートはその苦労に応えてのものといってよいだろう。が、逆にそういう苦労している様子が頭をよぎるということは、カメラのいる空間として認識してしまっているわけで、ペンギンの姿に純粋に集中できていないということでもある。すごい映像が裏目に出てしまっているのが、ちょっと悲しい。

加えて、興醒めする要素が一つ。ナレーションがよろしくない。(私は日本語吹き替えでみたが、)ある時は、ペンギンの感情を代弁するかと思えば、ある時は、ペンギンの生態を客観的に説明したりする。こんな内容のナレーションなら無いほうがまし。せっかくの映像が台無しである。ナレーションにもうすこし工夫さえあれば、もうちょっとは楽しめたかもしれない。(これなら、ジオグラフィックチャンネルのほうが見ていたほうが楽しめたかも)。

ということで、半分近く、うつらうつらしなから観ることになってしまった。よほどペンギンがお好きなら観るとよいが、そうでもなければ、見る必要はないかもしれない。

#ただ、フランスが、『ミクロコスモス』とか、こういうドキュメンタリー映画をコンスタントに製作していることについては、そういう作品をつくる土壌があるという点において、高く評価したい。

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image0210.png公開年:1984年 
公開国:日本
時 間:80分  
監 督:出崎統
出 演:斉藤惇夫、野沢雅子、水城蘭子、堀絢子、大塚周夫 他






町ネズミ・ガンバたちのもとに、冷酷でズル賢いノロイが率いるイタチたちによって全滅の危機に瀕しているノロイ島から忠太が助けを求めてやってきた。ガンバたち6人は忠太の求めに応じて、ノロイ島に向かうが…というストーリー。

有名な名作アニメであるが、私はきちんとみたことがなかった。なつかしアニメを紹介する番組で見た程度で、実はよくストーリーを知らない。
見始めてすぐに、出崎監督らしさというか東京ムービーらしさが全開。とてもとてもいい味である。最近の日本アニメには、この味が欠落している。

特にアニメでなくてもいい作品が散見されるが、本作は、アニメでなければ表現できない。とことんアニメらしいアニメだ。世界的に日本アニメは評価されているのだろうが、今こそ、本作のような、(原点とまではいわないが)いい時代のクオリティに戻るべきである。いい味さえ確立できていれば、内容の不条理など、すっ飛ぶ。本作ではそのいい例がある。ノロイ島に上陸するために鳥の協力を得るのだが、いざ上陸する際、ネズミたちは自作のパラシュートで落下していく。鳥に地面に降りてもらえばいいのにね。でも、作品独特のノリのおかげで全然アリだし、それをツッコむこと自体がヤボなのだ。それが作品の味。作品のノリ。作品の力だ。

本作は、アニメ映画のお手本だと思う。昨今の何か深い意味がありそうに見せかけて、ただただ思わせぶりなだけで、小難しいノリのアニメ作品にうんざりしている方々は、本作をみて、よき時代の風を思い出してもらいたい。お薦めする。

#ちなみに、DVDには本作の7年後に製作された『ガンバとカワウソの冒険』(1991)が収録されているが、いい味は失せかけている。ある意味、日本アニメのクオリティ(というか作り手側のクオリティ)が下がっていく過程を見せられている感じ。


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image1163.png公開年:2000年 
公開国:アメリカ、フランス
時 間:97分  
監 督:サリー・ポッター
出 演:クリスティーナ・リッチ、ジョニー・デップ、ケイト・ブランシェット、ジョン・タトゥーロ、ハリー・ディーン・スタントン、パブロ・ベロン、オレーグ・ヤンコフスキー 他
コピー:お父さん あなたは どこにいるのです




1927年、ロシア。ユダヤ人の寒村に住む少女フィゲレは母を亡くし父と祖母と暮らし。貧しさのため父は出稼ぎ渡米する。しかし、ナチスの侵攻により村は焼き払われ、戦火の荒波の中フィゲレはひとりイギリスへと流れ着き、キリスト教の家庭に預けられる。10年後、成長したスージーは父を探す旅に出る。スージーは旅費を稼ぐためパリでコーラス・ガールとして働くことになるが…というストーリー。

『スターリングラード』と同じ時代というか背景というか、要するにユダヤ迫害が下地の内容である。ユダヤ迫害ものはワーナー配給が多いが、本作はユニバーサル(ユニバも創始者はユダヤ人だが)。

クリスティーナ・リッチとジョニー・デップといえば、『スリーピー・ホロー』を思い出すが、『スリーピー・ホロー』のクリスティーナ・リッチは、つぼみのような少女のアイコンであったが、本作での風貌は『モンスター』の彼女に近い。はじめのかわいい子役とが、クリスティーナ・リッチの差が少し痛い。こんなになっちゃった…って感じ。

本作のシナリオは大波小波がないというか、じつに単調。流転した幼少期によりアイデンティティが喪失して、自分は何者なのかを探し求める…とか、とにかく父を探すために、困難な状況の中、がむしゃらに行動する…とか、そういう要素は見られず。どちらかといえば、状況に流さている感が強く感じられ、軸のないストーリーと感じた向きも多いだろう。流されるなら流されるなりの、喪失感とか悲哀とかがあるのだが、それも中途半端。
ヨーロッパにおける人種問題や当時の情勢が日本人にはわかりづらいという側面も無いとはいわないが、やはり根本的に強いテーマが無いことが致命傷なのだ。

主役級のジョニー・デップ、ケイト・ブランシェットを贅沢につかっているが、彼らでなければならない理由も、その効果も特に見られない。彼らはしっかり仕事はしてるのだが、役割を果たそうにも、シナリオにおける彼らの存在意義が不明確極まりないので、がんばりようが無い…といったところ。

仰々しくも、このような邦題を付けているが、特段目を見張るような歌声ではないし、そこにフォーカスを当てたのも逆効果だろう(原題は『THE MAN WHO CRIED』で歌とは関係ないし。それにしても、原題の“MAN”とは誰のことなのだろう)。
受賞歴が無いのも納得のデキ。よっぽどお好みの役者が出ていないかぎり、本作を観る価値はない。お薦めはしない。

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image0761.png公開年:2003年 
公開国:アメリカ
時 間:92分  
監 督:ロジャー・コーマン、ケヴィン・オニール
出 演:コスタス・マンディロア、ブルース・ウェイツ、チャールズ・ネイピア、ジョアンナ・パクラ、ジェーン・ロンジェネッカー、ジェイク・トーマス、マット・ボーレンギ、プライス・カーソン、マックス・パーリック 他




巨大なワニの化石が発掘され、バイオ企業ジェリコ社は抽出したDNAを利用して生物の巨大化を研究。だが成長したクロコダイルが研究施設から逃走、山林や湖に潜み次々と人間を襲い始める。保安官と娘のダイアン、その恋人トムら3人は人々を避難させ、ついに軍隊までも出動するが、ディノクロコと化した巨大ワニの前に犠牲者は増えるばかりで…というストーリー。

TVムービーである。厳密にいうとシネマではないが、まあいいだろう。なにかものすごく既視感を覚えるのだが、過去にTV放映でもしていただろうか。

あらすじとパッケージ画像を見ただけで、120%B級である。導入部の3分半の段階で、すべての内容が判ってしまうという凄まじさ。ここまで、ありきたりな内容だと思わせるというのは、あえてミスリードして、それとは違う展開にするのか?ハードルを下げる高等技術かも…という一縷の望みは、ついぞ叶うことは無かった(笑)。

とはいえ、2点だけ褒めておこう。まず、メジャームービーのように予算はなかっただろうに、意外とCGは観られるレベルだった(まあ、CGの怪物が主題で、その映像がチャチだったら目も当てられないんだけどさ)。日本では同じようなTVムービーをつくろうとしても、今でもこのレベルは無理だと思う。予算の差もあるだろうが、今に特撮番組のCGなどは、あからさまなCGである。2003年の作品であることを考えると、この分野では、まだまだ日米の差が大きい。
もう1点はストーリー。ネタバレだが、あえて子供をあっさり殺してみたり、しっかり終わる手順を踏んでおいて、終わらないとか、予定調和を裏切ってみようと試みているのが見える。ただ、もっともっと裏切り続ければ、カルトムービーとして、知る人ぞ知る作品になったかも知れないが、いかんせん裏切ってくれる箇所が足りないで、残念な結果に。

さて。予想はついていると思うが、特に観なくてもよい。夜中の2時半くらいに地方局で放送してそうな感じ。

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image0449.png公開年:1932年 
公開国:アメリカ、フランス
時 間:113分  
監 督:ダーレン・アロノフスキー
出 演:グレタ・ガルボ、ジョン・バリモア、ジョーン・クローフォード、ウォーレス・ビアリー、ライオネル・バリモア 他
受 賞:【1931~32年/第5回アカデミー賞】作品賞




ベルリンのグランド・ホテル。製造業社長のプレイジンクは事業が傾き他社との合同を模索中。踊り子グルシンスカヤは人気が凋落しつつあり気力を失っていた。多大の借財を負って盗賊に身をやつすガイゲルン男爵はグルシンスカヤの宝石を狙う。魅力的な女速記者のフレムヘンは、プレイジンクに雇われる。プレイジングの会社の経理をしていたクリンゲラインは死期が迫り自暴自棄となり、有り金でグランド・ホテルで豪勢に散在していた…というストーリー。

本作を観ようと思ったのは、群像劇『ショート・カッツ』を観たから。“グランド・ホテル方式”という言葉があるくらいで、群像劇の一形態である。同一時間・同一空間における複数人の行動を、同時進行的に描く手法である。これをつかった初めての作品ということで、この名が冠されている…というのは、映画検定では定番の問題ですな(受験する気はまったくないけど、書籍は持っている)。
かねてから、どういうものだったのか、資料研究として見てみたかったのだが、いい機会だった。

1932年の作品にしては、きちんとした群像劇になってはいて、予想していたよりは古臭さくは無かった。しかし、現代の群像劇というと、ハードだったり奇を衒った展開が多いせいか、非常におとなしく感じた(仕方ないけれど)。
映画とはいえ、舞台の延長みたいな感じで、カット割というか画角に奥行きが無いのには、目が飽きてしまった。

まったく重なり合う要素がなかった二人が、同じ人物に好意をもっていたというだけの共通点で、結ばれるといオチは、当時、好まれたノリだったんだろうね(今、これをやったら、なんだこれ?ってなる)。
#余談だが、よく、西洋人は日本人の顔の見分けがあまりつかないなんていうことを聞くが、逆も一緒である。油断して観ていたら、本作の登場人物を混同してしまった。

資料として観たわけだが、途中から純粋に楽しめるかも…と若干期待もしていたのだが、それは無かった。よっぽど古い作品や往年の名優に興味がある人や、映画検定のお勉強とかでもないかぎり、本作は観る必要はない。

#男爵役のョン・バリモアは、ドリュー・バリモアのおじいさんですかな。


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image1437.png公開年:2008年 
公開国:アメリカ、フランス
時 間:109分  
監 督:ダーレン・アロノフスキー
出 演:ミッキー・ローク、マリサ・トメイ キャシディ、エヴァン・レイチェル・ウッド、マーク・マーゴリス、トッド・バリー、ワス・スティーヴンス、ジュダ・フリードランダー、アーネスト・ミラー、ディラン・サマーズ 他
受 賞:【2008年/第65回ヴェネチア国際映画祭】金獅子賞(ダーレン・アロノフスキー)
【2008年/第66回ゴールデン・グローブ】男優賞[ドラマ](ミッキー・ローク)、歌曲賞(曲/詞:ブルース・スプリングスティーン“The Wrestler”)
【2008年/第62回英国アカデミー賞】主演男優賞(ミッキー・ローク)
【2008年/第24回インディペンデント・スピリット賞】作品賞、主演男優賞(ミッキー・ローク)、撮影賞(マリス・アルベルチ)
【2008年/第14回放送映画批評家協会賞】歌曲賞(ブルース・スプリングスティーン“The Wrestler”)
コピー:人生は過酷である、ゆえに美しい。

ランディは80年代に大活躍したプロレスラー。現在でも彼は老体に鞭打ちながら小さな地方興行で細々と現役を続けている。私生活では、トレーラーハウスに一人で住み、スーパーマーケットのアルバイトで生活費を稼ぐ日々。そんなある日、長年のステロイド常用が原因で心臓発作で倒れ、引退を余儀なくされる。レスラーではない生き方に戸惑いと不安を覚えたランディは、馴染みの年増ストリッパーに安らぎを求めたり、疎遠となっていた娘との関係を修復しようとするが、すべてがうまくいかず…というストーリー。

米アカデミー主演男優賞にノミネートされ、久々に表舞台に名の出たミッキー・ローク。往年の色男のアイコンとしての彼は存在しない。ボクシングによる顔面破壊と、重ねた整形が実際の今の姿だが、老レスラー役は、なかなかピッタリ。プロデューサーのキャスティングの勝利か。

ゴールデン・グローブや英アカデミーの男優賞は受賞しているので、もちろん成功ではあるのだが、私の評価はちょっぴり微妙。本作での彼のボディは、実際にステロイド等、薬物のなせる業だろう。ちらっと見えた彼の爪。丸く湾曲しており、多分薬物の影響。だから役作りというよりも、うまく見つけてもらったということだと思う。
ただ、『シン・シティ』のようにキワモノ的な役が多かったので、本作が一つの分岐点になれば、いいですな。

ストーリー自体は、良くある話。いいか悪いかは別として、「こんな不器用にしか生きられないやつもいるんだよ…、バカにするのはかまわねぇけど、うまく立ち回って実のねぇヤツよりはマシだと思わねぇか?」という、ノリは、男目線で言わせてもらえば、批判のしようがなくって、ある意味ズルいともいえる。ラストのスパっと感は、終始そのノリを貫いた証。フラフラしないで走りぬいた姿勢は評価したい。

日々のお仕事に疲れた人は、観た後、とりあえず明日は仕事をがんばろうかな…という気になるかもしれないので、そういう人(?)にはお薦めしよう。

#技術的には、ラストシーンでハウリング音を効果的に使っているのは、おもしろい演出で参考になった。

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image0160.png公開年:2000年 
公開国:アメリカ
時 間:108分  
監 督:ジョエル・コーエン
出 演:ジョージ・クルーニー、ジョン・タートゥーロ、ティム・ブレイク・ネルソン、ジョン・グッドマン、ホリー・ハンター、クリス・トーマス・キング、チャールズ・ダーニング、デル・ペンテコスト、マイケル・バダルコ、ウェイン・デュヴァル、レイ・マッキノン、ダニエル・フォン・バーゲン、フランク・コリソン 他
受 賞:【2000年/第58回ゴールデン・グローブ】男優賞[コメディ/ミュージカル](ジョージ・クルーニー)
コピー:だから、人生はおもしろい。

1930年代、アメリカ南部のミシシッピー。エヴェレット、ビート、デルマーは、脱獄し、昔エヴェレットが隠した現金120万ドルの場所へ向かう。その隠し場所は、もうすぐダム建設で川底に沈むことになっていた…というストーリー。

コーエン兄弟の作品だが、ある意味、彼ららしさが良く出ている作品だと思う。
居酒屋で、たまたま隣に座ったオヤジたちの一人が、くっだらない話をしていやがるなぁ…と思いつつ、ずうっと聞いてしまう感じ。そういう酔客の戯言みたいなお話こそ、私は楽しいと思うので、本作はアリだ。

#ずぶ濡れボーイズ。ステキだ。

また引き合いに出して申し訳ないのだが、脱走&ロードムービーということで、『裸足の1500マイル』と同じ材料なのだが、こうも違うかね。本作は実に楽しく仕上がっている(、『裸足の1500マイル』は、コメディじゃない…とか、つまらないツッコミは無用。“楽しい”とは笑えることを指しているのではない)。
多分、本作を観て、つまらなかったという人が、結構いると思う。でも、もう一度言うが、酔客の戯言的な面白さだから。ジョージ・クルーニーの演技も、受賞するほどかぁ?と思う人がいるかもしれないが、演技というよりも表情(目ヂカラ、顔ヂカラとでもいうのかな)が出色。それまで、比較的シリアスな役が多かったが、本作以降は、シリアスとコメディをバランスよく演じている。彼のフィルモグラフィ上、ある意味、分岐点的な作品かもしれない。

変に、大作を期待しなければ、充分に楽しめるので、お薦めする。

#偶然なんだけれど、前日の『ショート・カッツ』と、似た感じのラスト・エピソードだったな。
 

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image1320.png公開年:1993年 
公開国:アメリカ
時 間:189分  
監 督:ロバート・アルトマン
出 演:アンディ・マクダウェル、ブルース・デイヴィソン、ジャック・レモン、ジュリアン・ムーア、マシュー・モディーン、アン・アーチャー、フレッド・ウォード、ジェニファー・ジェイソン・リー、クリス・ペン、リリ・テイラー、ロバート・ダウニー・Jr、マデリーン・ストー、ティム・ロビンス、ロリ・シンガー、ライル・ラヴェット、バック・ヘンリー、ヒューイ・ルイス、リリー・トムリン、フランシス・マクドーマンド、マイケル・ビーチ 他
受 賞:【1993年/第50回ヴェネチア国際映画祭】金獅子賞(ロバート・アルトマン)、特別賞(出演者全員)
【1993年/第28回全米批評家協会賞】助演女優賞(マデリーン・ストー)
【1993年/第51回ゴールデン・グローブ】特別賞
【1993年/第9回インディペンデント・スピリット賞】作品賞、監督賞(ロバート・アルトマン)、脚本賞(フランク・バーハイト、ロバート・アルトマン)

メド・フライと呼ばれる害虫を駆除するため、駆除剤散布のヘリコプターが市街地を飛び回る。
一方、地上では、些細なことから生じる人生の出会いと別れ、葛藤と和解、愛と裏切り、生と死が繰り広げられる…というストーリー(?)

冒頭の謎の害虫とヘリによる駆除剤散布のシーンから、SFチックな展開を予測したが、そんな展開は一瞬でどこかに消え、群像劇(本当に多数の登場上人物による)が繰り広げられる。各ストーリーは軽くカラミつつもバラバラに進み、かつ3時間以上ということもあり、まったくもって次の展開が読めない。出てくる人物は、実に俗っぽくショボく、行動も小市民極まりない。この雑多な小話をどうまとめていくのか?ヘリ散布との関係は?観ているほうが、大丈夫か?!とドキドキしてくる。

まあ、結局は、『マグノリア』の蛙シャワーみたいなもんで、これでうまく収束したといえるのかどうか、甚だ疑問なところ。駆除剤散布はなんだったのか。薬がみんなをちょっとづつ狂わせたとか?
まあ、とにかく、独特です。アルトマン節とでもいうんですかね。
1994年の作品とは思えないほど、古臭さをまったく感じない仕上がり。本作の監督は、2006年にお亡くなりになったとのことで、実に惜しい才能である。『M★A★S★H マッシュ』や『今宵、フィッツジェラルド劇場で』を観てみようと思う。

とにかく長いことと、吹き替え音声なしで字幕のみという難点はあるものの、脚本の“妙技”を是非観てほしいという意味で、軽くお薦めしておく。ジュリアン・ムーアやらティム・ロビンスやら、さりげなく出演人が豪華なのも興味深い。
たまに人物の区別がつかなくなって混乱することがあるので、声や台詞まわしで区別をつけたいところだ。是非、吹き替え音声を付けて、再販してほしいのだが、TV放送には向かない諸々の理由があるので、無理かもしれないな。

#出てくる電話番号が555~じゃないのだが、これはありなの?

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image0807.png公開年:1999年 
公開国:アメリカ
時 間:127分  
監 督:クリント・イーストウッド
出 演:クリント・イーストウッド、イザイア・ワシントン、ジェームズ・ウッズ、デニス・リアリー、ダイアン・ヴェノーラ、リサ・ゲイ・ハミルトン、ディナ・イーストウッド、ルーシー・アレクシス・リュー、シドニー・タミーア・ポワチエ、フランチェスカ・フィッシャー=イーストウッド、マリッサ・リビシ、エリック・キング 他
コピー:人である前に、男でいたい。


新聞記者エベレットは死刑囚に死刑執行直前のインタビューを行うことに。自分の“カン”を何よりも信じるエベレットは彼が無実であることを確信し、事件の洗い直しを始めるが、執行までに残された時間は既に半日を切っており…というストーリー。

パッケージ写真やコピーや紹介文を見て、『デッドマン・ウォーキング』的なものを想像していた。なんといっても“社会派ドラマ”と紹介されているのだから。文面通り受け取って、これまで食指が動かなかったのだが、『グラン・トリノ』がアリだったので、エイヤーで観てみることに。
ところがどっこい、これを社会派と呼ぶか?私は違うと思うぞ。死刑と冤罪という重いテーマながら、ふつうにドキドキありアクションありの、エンターテイメントドラマになっている。

#それにしても、本作のコピーは、的外れだけど。

『裸足の1500マイル』で、社会的なテーマの作品が、映画としての本分を忘れ、直接的にテーマをぶつけて、残念な結果になってしまったのにがっかりしていたので、本作を観て溜飲が下がった。なにやら『デッドマン・ウォーキング』のアンチテーゼというか(まあ、そういうつもりは更々無いとは思うけれど)、底辺にどんなテーマが流れていても、まず映画は映画であるべき!という姿勢を評価したい。

決して、手放しで傑作だというつもりはないのだが、娯楽映画として色々伏線も張れているし(死のカーブを最後にもってきたところとかね)、私は最後まで楽しめた。なにやら『ダイハード』とか『リーサル・ウェポン』に通じるダメ人間が演じる、“粋”さ加減も感じられる。ということは、それらの作品と同じように、ほとんど受賞しない作品ということではあるのだが…。でも、もし、私と同じように“社会派ドラマ”だと思い込んで、敬遠している人がいたら、それはまったく違うので、是非観てほしい。お薦めする。

#最後にでてくる、ルーシー・リューは、なかなか初々しい。

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image0930.png公開年:2002年 
公開国:オーストラリア
時 間:94分  
監 督:フィリップ・ノイス
出 演:エヴァーリン・サンピ、ローラ・モナガン、ティアナ・サンズベリー、ケネス・ブラナー、デヴィッド・ガルピリル 他
ノミネート:【2002年/第60回ゴールデン・グローブ】音楽賞(ピーター・ガブリエル)
コピー:お母さんに会いたい



1931年、アボリジニの少女モリーは妹のデイジーと従姉妹歳のグレーシーたちと平穏な日々を送っていたが、時の政府のアボリジニ保護政策によって拘束され、母親から引き離され施設に強制収容された。粗末な環境で、白人社会へ適応するための厳しい教育が始まったが、たまりかねた彼女たちは脱走。延々続くウサギよけフェンスの先にある母の待つ故郷へ向けて1500マイルの道程を歩き始める…というストーリー。

はじめから、原住民への権利侵害を糾弾する目的が前に出すぎていて、まず映画として楽しむことが阻害される。本国ではどうだったか知らないが、日本での紹介文もそれが前面すぎて、よほど社会的な問題に興味のある人でなければ躊躇してしまう(日本の配給会社は、わざと観る人を減らそうとしているのだろうか)。

私は、本作は、脱走劇かつロードムービーとして充分成立していると思う(というか成立さることができたと思う…が正しいか)。観すすめていくうちに、何をどうひっくりかえしても、オーストラリアの原住民政策に憤りを感じずにはいられないのだから、それは奥底に沈めて、映画としてのおもしろさを追求すべきだったと思う。

アメリカの人種差別政策などと比較すると、あまりにも現在進行形感があるので、特に現地公開の映画と考えると、そういう立場はとりにくかったことは、理解するのだが、その踏み切れなさが映画のクオリティを下げてしまい、結局、原住民政策を世に問うという効果さえ薄れさせてしまった。

まあ、1点だけ本作から教訓を得た(といってもあくまで自論の域を出ないが)。こういう文化や武力の圧倒的な差をもって迫害・侵略された場合、妥協なしに対立するか、徹底的に(攻めてきた側がひるむくらいに)迎合するかのどちらか以外の行動をとってはいけないということだ。本作のアボリジニのように、中途半端に配給をうけるような行動だけは、最悪の結果を招く、、、ということだ。
100%そうだとは言わないが、戦後日本は、欧米文化を狂ったように受け入れたことで、今があるのだ。だからといって日本文化が消滅したか?といえばそうではないのは言うまでも無い。おそらく徹底抗戦よりも、相手を取り込んでとことん喰い尽すことが正解なのだろうな、、と思う。

閑話休題。本作は映画としては二流の線を届くか否かのギリギリのレベルである。こういう社会問題に興味がないのであれば、特に観なくてもよいだろう。
 

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image0065.png公開年:2006年 
公開国:アメリカ
時 間:141分  
監 督:クリント・イーストウッド
出 演:渡辺謙、二宮和也、伊原剛志、加瀬亮、中村獅童、裕木奈江、松崎悠希 他
受 賞:【2006年/第79回アカデミー賞】音響賞[編集](Alan Robert Murray)
【2006年/第32回LA批評家協会賞】作品賞
【2006年/第64回ゴールデン・グローブ】外国語映画賞
【2006年/第12回放送映画批評家協会賞】外国語映画賞
【2007年/第31回日本アカデミー賞】外国作品賞
コピー:世界が忘れてはいけない島がある

1944年6月、日本軍の重要拠点・硫黄島に新たな指揮官、栗林忠道中将が降り立つ。アメリカ留学経験のある栗林は、精神論のみの隊の合理的な体制を整えていくが、オリンピック馬術競技金メダリストの“バロン西”こと西中佐のような理解者もいるが、古参将校たちは反発を強めていった。そんな中、圧倒的なアメリカ軍の戦力を迎撃するため、栗林は島中に地下要塞の構築を進めていくが…というストーリー。

『父親たちの星条旗』が若干がっかりな内容だったので、あまり期待してはいなかったのだが、それなりの受賞歴を見てのとおり、『父親たちの星条旗』よりは格段の緊迫感があり、しっかりと内容に集中させてくれたと思う。

純粋に戦争ドラマだった。本作を観て、国家の体制の違いはあれど、当時の日本人も我々と同じ人間だったのだなぁ…という感想を抱くアメリカ人はいないのではないか。程度の差はあれ、本作の日本人は奇異に映ったと思う。今の日本人の私が観ても、奇異に見える。国家体制があのようだったということは、頭で理解できても、「国家のため」に玉砕していくロジックは、心には沁みてはこない。
『父親たちの星条旗』では、国家のために戦ったのではなく仲間のために戦っただけだ…という表現が出ていたが、本作の日本人は、半分は本気で「国家のため」と思い、半分は何で戦っているのか自分でもよくわかっていないように見える。

軍人としての行動には差がある。捕虜の扱いだ。本作では、不良アメリカ兵によって、降伏した日本兵捕虜が撃ち殺されるのだが、それはあくまでアホな一兵卒の行いである。アメリカ軍の上官はハーグ陸戦条約に乗っ取って手順どおり捕虜の待遇を施しており、小隊長クラスでも“戦争のルール”を理解している。
ところが日本のほうは、ハーグ陸戦条約というもの存在すら知ってるのかすら怪しく、知っていたとしても遵守するつもりは微塵も見えない。
この点は非常に重要なことである。戦後日本は“戦争は悪”として、研究すらタブーである。欧米では当たり前の軍事研究をする学部はもとより歴史学部というものが、日本にはないのだ(今後、できたとしても、近現代の戦争を研究することには、躊躇して、中世・近世の研究をするだろう)。その結果なにがおこっているのか。卑近な例を出そう。どこかの国の軍隊が日本に上陸して、わが町を進軍しているとする。わが国を侵略し、われらの財産を差し押さえていく他国の軍が憎たらしくて仕方が無い。私は自分の財産を守るために、軍人を包丁で襲撃したところ逆に殺されてしまった。その後、日本は逆襲に転じて勝利して戦争は終結した。私の妻は夫である私を殺した相手国を訴えた。さて、その訴えは認められるか?私は国際法のプロではないから保証はしかねるのだが、おそらく“否”である。軍隊として様式(見た目上軍人とわかる服装など)が整っていない者が、攻撃をしかけた場合は、単なる“ゲリラ”活動であり殺されても文句は言えないのだ(一旦ゲリラ活動を行えば捕虜にすらなれない)。
#南京で私服の人間が日本軍に攻撃を仕掛けて逆に殺された場合は、これにあたると思うのだが、それを言うと、望みもしない議論にまきこまれるので、展開はしない。

『私は貝になりたい』でなんで主人公が戦後に裁判にかけられたかといえば、戦争に負けたとばっちりでもなんでもなく、ハーグ陸戦条約に乗っ取った捕虜の扱いをしなかったからなわけ。こういうことは、国がどっかのタイミングで教えなくてはいけないことだと思うのだが、戦争は“悪いこと”なので、教える必要はないという日本国の姿勢なのだ。

何が言いたいかというと、本作で奇異に見えた日本人の姿だが、今、なんらかの理由で同じように徴兵されて戦争に参加することになったら、何も知らず、同じことにやるんだろうな…と思った、、ということである。勝ち取った民主主義と、なし崩しで実現したような民主主義。同じ民主主義でもプロセスが異なると、大きな差があるのだな…という感想である。ただ、この差は真摯な歴史研究と教育によって克服できると私は信じているのだがね。

まあ、いろいろ考えさせてはくれた映画で、その考えが阻害されるような興醒めのシーンはなかったとだけは言っておこう。特段、『父親たちの星条旗』とワンセットでみなくてはいけない理由はないのだが、一応、国家間のコントラストというのが、観かたに影響すると思うでの、時間と気力が許す人は、連続で観るとよいと思う。

技術的な難点を一点だけいっておく。あくまでアメリカ映画なので、本国では字幕で観せることを前提としているため、日本語の聞き取りやすさは二の次になっている。セリフの聞き取りに難い箇所が散見されたのは、残念である。
 

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image0369.png公開年:2006年 
公開国:アメリカ
時 間:132分  
監 督:クリント・イーストウッド
出 演:ライアン・フィリップ、アダム・ピーチ、ジェシー・ブラッドフォード、ジョン・ベンジャミン・ヒッキー、バリー・ペッパー、ジェイミー・ベル、ポール・ウォーカー、ジョン・スラッテリー、ロバート・パトリック、ニール・マクドノー、メラニー・リンスキー、トム・マッカーシー、クリストファー・バウアー、ジュディス・アイヴィ、スコット・リーヴス、スターク・サンズ、ジョセフ・クロス、ベンジャミン・ウォーカー、マイラ・ターリー、アレッサンドロ・マストロブーノ、ジョージ・グリザード、ハーヴ・プレスネル、ジョージ・ハーン、レン・キャリオー、クリストファー・カリー、ベス・グラント、コニー・レイ、アン・ダウド、メアリー・ベス・ペイル、デヴィッド・パトリック・ケリー、ジョン・ポリト、ネッド・アイゼンバーグ、ゴードン・クラップ、カーク・B・R・ウォーラー、トム・ヴェリカ、ジェイソン・グレイ=スタンフォード 他
受 賞:【2006年/第30回日本アカデミー賞】外国作品賞
【2006年/第49回ブルーリボン賞】外国作品賞
コピー:戦争を終わらせた一枚の写真。その真実。

太平洋戦争末期、硫黄島に上陸したアメリカ軍は日本軍の予想以上の抵抗に苦しめられ、戦闘は長期化し死傷者は増える一方。そんな中、擂鉢山の頂上に星条旗を立てた1枚の写真がアメリカ国民を熱狂させた。星条旗を掲げる6名の兵士は、一躍アメリカの英雄なったが、帰国できたのはの3人だけ。国民的英雄として熱狂的に迎えられた彼らは、戦費調達のための戦時国債キャンペーンに駆り出され、アメリカ各地を回ることになって…というストーリー。

前にも言ったが、私は戦争モノがあまり好きではない。残酷だからとか暗いからとか、そういう理由ではない。戦争の悲惨さを表現して、戦争を批判する意図が、多かれ少なかれあるわけだが、それが好きではない。なぜなら、「戦争って残酷~」って思わせたからといって、戦争がおこらないわけではない、、というのが持論だから。
一般人が、自国が戦争に向かっているな、、と気付いた時には、もう遅いのだ。それは歴史を顧みれば明らか。なんで戦争に至ってしまったのかという、その予兆が何なのか…というポイントを観客に感じさせなくては、戦争批判の映画は目的を果たさない。
、、ということで、本作もいつかは観ようとは思いつつ、食指が伸びなかったわけだが、ここはエイヤーで。

イーストウッドが本作で言いたいことは、ラスト近くの原作者の役とおぼしきキャラクターが語る、国家と戦闘と民衆の関係についての関係、それがすべてである。それを、日米戦の超有名なアイコンが、実は、国民が受け取ったとおりではなく、国策に利用されたという事実を通してである。
紆余曲折はあれども民主主義が生まれた現在であっても、その関係は太古から変わらないという指摘なのだろう。

申し訳ないが、それがすべてである。光の当て方は違えど「戦争っていやだね~」という切り口は一緒である。たいした受賞歴がないのも、さもありなん(日本の外国賞だけしっかり受賞しているのは、『硫黄島からの手紙』との関係だろうか)。
ただ、本作の視点は、保守派といわれるイーストウッドが作ったと思えないほどリベラルな内容だと思うのだが、それをどう捉えたらよいか。保守派の人間であっても、こういいたくなるほど、今のアメリカは民主的でも平和的でもないということか。

技術的に、一点だけ目新しいなと私が感じたのは、弾丸の飛跡の表現方法である。実際、ああは見えないと思うのだが、緊迫感アップ、状況把握のしやすさ等々、なかなか効果的だったと思う。

続けて、『硫黄島からの手紙』を見ます。一応、この2作で1セットのようなものだと思うので、お薦めするかしないかについては、明日言います。
 

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image1396.png公開年:2009年 
公開国:香港
時 間:90分  
監 督:イップ・ウィンキン
出 演:サモ・ハン・キンポー、ヴァネス・ウー、加護亜依、ラム・ジーチョン、チェリー・イン、ブルース・リャン、ルイス・ファン、ティミー・ハン、バービー・スー 他
コピー:ニク汁たっぷり。愛情たっぷり。どうぞ召し上がれ!!!




シェフのピンイーは、かつて村を去った兄の息子ジョーの陰謀で村を追われた。やがてピンイーは、ピンチーの料理の師シェンを訪ねてレストラン“四海一品”を訪れたが、娘のチンとインが父シェンの遺したこの店を守っていた。しかし、料理人に恵まれず、店の未来は暗い。ピンイーは成り行きから料理長として店の立て直しに手を貸すことに。そして、同じくシェンを訪ねてきた料理学校を卒業したての青年ケンが、ピンイーの下で修行に励むことになったが…。

加護亜依が出たことと、プロモーションでちょいちょい日本の番組に出たサモ・ハン・キンポーが、とてもサモ・ハン・キンポーに見えなかったことが、印象的だった本作であるが、いずれにせよ、本作を観るきっかけにはならなかったことだろう。
本作を観ると、サモ・ハン・キンポーはサモ・ハン・キンポーだったけどね(演技は演技、ビジネスはビジネスと、しっかりメリハリがあるのね)。

まあ、それはそれとして、本作は料理・厨房シーンが盛りだくさんなのだが、ちょっと不快。それは、料理がまったくおいしく見えない点と、料理知識がむちゃくちゃなこと。玉子焼きをふんわり作るコツは、空気をたくさん含むこと???泡立つほど混ぜたら逆に硬くなるでしょ。タイの刺身をうまくつくるために包丁を凍らせる?なんだそりゃ?
日本の料理漫画や映画の料理シーンは、プロによる料理についての監修をしっかりやるのだが、食文化にプライドのある香港の映画がこの有様とは。いくらアクション映画だからといって、これはひどいだろう。本当に出てきた料理がなに一つ、おいしそうに見えたものはない。料理人の所作が非常に汚いのもよろしくない。香港の人にはおいしく見えるのだろうか(文化の違いだったら申し訳ない)。

ストーリー的には、もう一人の主役である青年ケンのキャラがまったくたっていない。サモ・ハン・キンポーや四海一品の姉妹ががんばる理由はなんとなくわかるんだが、なんで、ケンががんばるのかというバックボーンが全然見えないので、料理対決に感情移入ができない。

結果をいうと、かなりの駄作である。時間の無駄なので、観る必要はまったくない。この期に及んで加護亜依の猛烈なファンという人だけが観ればいいのではなかろうか。
#おそらく日本ジャケットだけだと思うが、加護亜依中心の画像は、実にばかばかしい。

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出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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